弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2021年12月 1日

カマラ・ハリス

アメリカ


(霧山昴)
著者 カマラ・ハリス 、 出版 光文社

アメリカの副大統領の自伝です。女性初、黒人初、アジア系初という女性です。
アメリカは軍事力に頼ってばかりのマッチョな国という側面も強いのですが、こうやって女性の副大統領が誕生するという面もあわせ持っている不思議な国です。残念ながら、日本では女性首相の誕生はまだまだ先のようです。
カマラ・ハリスは移民の娘として生まれ、カリフォルニア州のオークランドで育った。父親はジャマイカ出身の経済学者、母はインド出身のがん研究者。両親は、カリフォルニア大学バークレー校の大学院生のとき、公民権運動を通じて出会った。やがて離婚し、カマラ・ハリスは母親に育てられた。
カマラ・ハリスは、ロースクールを出て地方検事補になり、サンフランシスコ地方検事に選ばれ、その後、カリフォルニア州司法長官に選出された。さらに上院議員となり、今や副大統領。カマラ・ハリスがカリフォルニア州で上院議員になるのは、黒人女性としては初めて、アメリカでも史上2人目だった。
カマラ・ハリスは、名門の黒人大学として有名なハワード大学に入学した。1年生のときには、学生自治会の1学年代表に立候補し、当選した。
ハワード大学を卒業してオークランドに戻り、UCヘイスティングス・ロースクールに入学。そこでは2年生のとき、黒人法学生協会の会長に選ばれた。
カマラ・ハリスは司法試験には一度、不合格になってショックを受けました。努力家で、完璧主義者なので、ショックは大きかったようです。それでも、二度目に合格し、地方検事局での仕事を続けました。
カマラ・ハリスがロースクールを出て検察官になったのは、刑事司法改革の最前線に立ちたい、弱い人たちを守りたいという思いから。
アメリカには、検察官の権力を不正の手段として悪用してきた、深くて暗い歴史がある。
性暴力の被害者は、すさまじい痛みと苦しみを抱えている。この心的外傷に耐えて、法廷で証言するには、並大抵でない勇気と心の強さが必要だ。
サンフランシスコ検事局は、惨憺たるありさまだった。放置され、捜査がなされず、起訴されていない未処理案件が山ほどあった。職員の士気は地に墜(お)ちていた。
カマラ・ハリスがサンフランシスコ検事局に2年間つとめていたあいだに性的に搾取されている多くの人を救った。家出した多数の少年少女を救い、市内にある35軒の売春宿を検挙した。これはすごいですね。
アメリカという国全体がそうであるように、サンフランシスコは、多様でありながら、人種差別が根強く残っている。「人種のるつぼ」というより、「寄せ集め」といったほうがよい。
カマラ・ハリスは刑事司法改革に取り組んだ。地方検事として2期、州司法長官として2期近くをそのために捧げ、上院議員となって1ヶ月半で刑事司法改革法案を提出した。
アメリカは刑務所の収監人数が世界で一番多い国。2018年、州と連邦刑務所の収監者数は合計で210万人以上。この数より人口が少ない州が15もある。大勢の人たちが麻薬戦争によって、その中に引きずり込まれた。
アメリカの保釈金の中央値は1万ドル。ところが所得が4万5千ドルの世帯の預金残高の中央値は2530ドル。つまり、勾留される10人のうち9人は保釈金を支払う余裕がない。
刑務所の収監者の95%は裁判を待つ人々。出廷までのあいだ刑務所に収容するのに、1日3800万ドルのコストがかかっている。黒人男性の保釈金は、同じ犯罪で捕まった白人男性より35%高い。ラテンアメリカ系の男性だと20%高い。これらは偶然の結果ではない。2001~2010年のあいだに700万人以上が大麻所持だけで逮捕された。そのうち、黒人とラテンアメリカ系の人数が不釣りあいに多い。2018年の初め3ヶ月間にニューヨーク市警が大麻所持で逮捕した人の93%は有色人種だった。黒人男性の麻薬使用者の割合は白人男性と同じだが、逮捕されるのは黒人が白人の2倍。しかも、黒人男性の支払う保釈金は白人より30%高い。黒人男性は白人男性より6倍も収監される可能性が高い。有罪判決を受けたとき、黒人男性の刑期は白人男性より20%も長い。
リーマン・ショックによって、840万人が仕事を失った。2ヶ月以上も住宅ローンの支払いが遅れているマイホーム所有者は500万人。うち250万件の差押が進んだ。そこで、カマラ・ハリスは銀行と果敢にたたかい、銀行から200億ドルもの補償金を勝ちとった。当初の呈示額は20~40億ドルだった。それでも、大勢の人が家を喪った...。いやあ、本人の自慢話とはいえ、よくぞがんばったものです。
アメリカは、全国をカバーする公的医療制度がない。収入の多い少ないで、受けられる医療のレベルが異なるというのがアメリカの医療の実際。なので、もっとも裕福な層の女性と最貧困層の女性とでは、平均寿命に10年もの差がある。アメリカ人が負担している薬代は、とんでもなく高額。なので、医薬品の処方を受けている人の4人に1人は、薬代を捻出するのに苦労している。アメリカの製薬業界は、現在の制度を維持するためのロビー活動に10年間に250億ドルも投下している。
大変な差別と不平等が今もまかり通っているアメリカですが、この本に書かれている方向で、カマラ・ハリスががんばってくれることを心から願います。読んで元気の出る本でした。
(2021年6月刊。税込2200円)

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2021年12月 2日

世界でいちばん幸せな男

ドイツ


(霧山昴)
著者 エディ・ジェイク 、 出版 河出書房新社

著者は、この本のタイトルからは想像もつかない苛酷な人生の一時期を過ごしました。
著者は1920年にドイツ東部のライプツィヒに生まれたユダヤ人。ライプツィヒでユダヤ人は、社会の重要な構成員だった。その証拠として、大きな市(いち)はユダヤ人の安息日の土曜日を避けて金曜日に開かれていたことからも分かる。ユダヤ人商人は、金曜日の市なら自由に参加できるからだ。
著者はユダヤ人としてではなく、機械技術専門学校で5年のあいだ勉強しました。5年間でしたが、ここで機械技術の基礎をしっかり身につけたことによって、著者は重宝な技術者として、戦後まで生き延びることができたのです。
ユダヤ人の商店や人々を襲ったのは、ナチス兵士やファシストの暴徒だけではない。それまでの隣人や友人が、突如として変身し、暴力と略奪に加わった。みんなおびえていた。みんな弱かった。その弱さにナチス党からつけこまれて、ユダヤ人に対して根拠のない憎しみを抱くようになった。
強制収容所が満杯になると、朝、収容所の門を開けて2~300人のユダヤ人を門から逃がす。しかし、それはうしろから機関銃で撃たれてバタバタと殺されていくためのもの...。つまり、逃亡を図ったので収容所当局はやむなく発砲したという口実づくりの開門だった。うひゃあ、す、すさまじい...。
ユダヤ人をナチス・ドイツは動物のように撃ち殺した。
アウシュヴィッツでは、ぼろ布は黄金と同じくらい、いや恐らく、それ以上に貴重なもの。黄金があってもたいしたことはできないが、ぼろ布があれば、傷口をしばったり、服の下に詰めて暖かくしたり、少し体をきれいにしたりできる。
アウシュヴィッツに収容されていた人々の平均生存期間は7ヶ月。
「フェンスに行く」。これは、多くの人が生きるより、自ら命を絶つことを選んだことを意味する。フェンスには高圧電流が通っていて、死ねた。
著者が精密機械の技術者であることを申告すると、技術は身を助け、ICファルベンの機械技師として働くようになった。
モラルを失えば、自分を失う。もし、モラルを失ったら、おしまいだった。生き残りたかったら、仕事から戻ったら横になって休め。体力を節約するんだ。1時間の休息で2日だけ生きのびられる。これがアウシュヴィッツで生き残るための唯一の方法だった。一日一日、体力を維持することに集中する。生きようという意思、もう一日生きのびるために必要なことをする意思以外は、一切切り捨てる。それができない人は生き残れない。失ったものを嘆くばかりの人は生き残れない。アウシュヴィッツには、過去も未来もない。ただ、その日を生きるだけ...。あきらめないこと。あきらめたら、おしまいだ。いやはや、意思が強くないといけませんよね。
愛は、人生のほかの良いものと同じで、時間と努力と優しさが必要なのだ。
著者は、こうして絶滅収容所を生きのび、ついには101歳まで生きている。
著者は、だれも憎まない。ヒトラーさえも...。だが、許してはいない。もし許せば、死んだ600万人を裏切ることになる。許すことなど、できるはずがない。
読み終わってタイトルの意味をしみじみと考え直させる本でした。
(2021年7月刊。税込1562円)

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2021年12月 3日

違法捜査と冤罪

司法


(霧山昴)
著者 木谷 明 、 出版 日本評論社

この本のオビに、周防正行・映画監督(映画『それでもボクはやっていない』の監督)が、「まさか、こんなことで冤罪(えんざい)は起きるのか」と書いています。でも、弁護士生活47年間になる私には、冤罪をつくり出すのは、実はそんなに難しいことではないと実感しています。何もしていない人に「自白」させるのは、ベテラン刑事なら、お手のもの。警察から送られてきた「自白」調書は、何か変だなと思っても、たいていの検察官は、警察に逆らって不要な波風を立てたくなくて、上塗り調書を巻いて(つくって)起訴にもち込む。裁判官は、検察官がクロだと言っているのなら、そりゃあクロに決まっていると確信し、法廷で目の前にいる被告人がいくら無罪を訴え、それを支える証拠があっても、無視してしまう。そして、弁護人も目の前にいる被告人が一生懸命に無罪を訴えているのに、ろくに調書を読まず、被告人の訴えに耳を貸すことなく、面会すらせいぜい1回、お説教して、短時間で切りあげる。これでは罪なき人だって、「有罪」とされるのは必至でしょう...(もちろん、みんながそうだというのではありません)。
この本は、2018年から21年にかけて、日本評論社のウェブマガジンに著者が毎月連載した、「捜査官、その行為は違法です」を再構成して、まとめたもの。なので、とてもよく日本の刑事司法の問題点がまとまっています。
日本の刑事司法の第一線で、長く活動してきた著者は信じられないほどの無罪判決を出し、そのまま確定をさせたという伝説的な裁判官として有名です。
違法捜査にもとづく重大な冤罪事件は決して過去のことではない。この種の冤罪事件は、今もかなりの頻度で発生している。
弁護人が公判直前まで被告人と接見していない。そのため、被告人の言い分をろくに理解できていない、否認している被告人に撤回させようとしたり、否認するのなら私選弁護人でやってくれと言う、被告人が否認しようとしているのに、「自白」事件として弁護するだけの弁護人。いやあ、困りますよね、こんな弁護人だったら...。
裁判所は冤罪を阻止するための責任を負う、唯一、最終の国家機関であるのに、冤罪阻止のために十分な役割を果たしてこなかった。自白を偏重・過信する。違法捜査を指摘しない。ひどい人質司法を平然と続ける。客観的証拠にあわない不合理な供述調書なのに、それを合理化してしまう。
そして、現在、検察官の証拠隠しを法律は阻止できない。公益の代表者であるはずの検察官が自分に都合の悪い証拠は、ないものとして隠してしまい、ひどいときには証拠を改ざんしてしまう。そんなことは許さないと法で定めるべきだ。また、裁判所が出した再審を開始する決定に対して検察官が不服申立できるのは、やめさせるべき。本当にそう思います。再審法廷で検察官が十分に主張・立証する機会が保障されているのですから...。
それにしても、本書で紹介されている冤罪事件は実にひどいものです。
重要な証拠が捜査当局によって「紛失」してしまう。客観的事実を無視した判決。
検察官が被告人に決定的に有利な証拠を隠匿したら、それは犯罪である。まことに、そのとおりです。特別公務員職権濫用罪が成立します。でも、これが適用されたケースを私は残念ながら知りません。
冤罪を許さないとして告発した警察官や裁判官が例外的に存在します。ところが、その警察官は、免職となって警察官人生を棒に振ってしまいました。
検察官は、「法廷では多少のウソはついてもよいのだ。そのウソは、大きな意味で正義にかなうからだ」と内部で教育されている。ええっ、そ、そうなんですか...。いやはや、冤罪を生み出さない一努力というのは、今なお必要だと痛感させられる本でした。
(2021年10月刊。税込1980円)

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2021年12月 4日

7.5グラムの奇跡

人間


(霧山昴)
著者 砥上 裕將 、 出版 講談社

全口径24ミリ、重量7.5グラム、容積6.5ミリリットル。これが人間の眼。
眼科医院で働きはじめた視能訓練を主人公とした画期的な本です。画期的というのは、眼科医院を舞台とした小説を私は読んだことがありませんでした(すでにあるのでしたら、私の無知について、すいませんとしか言いようがありません)。しかも、視能訓練士なる職業があるって、聞いたこともありませんでした。
生物が目をもったことで、一大変化が起きたというのは、前にこのコーナーでも紹介したことがあります。私は揺れる電車のなかで本を読みはじめて50年以上になります(今も読んでいます)が、今でも本を読むときはメガネの必要はありません。遠視(老眼)ではなく、近視のままです。暗くなければ、バスの中でも本を読めます。
私は40歳のころから年に2回、眼科で検査を受けています。今では、さすがに老化による白内障の特徴があるという診断を受けていますが、緑内障ではありません。おかげで、年間500冊(今年は400冊を突破するのがやっとです)の単行本を車中で読むことができています(例年よりすくないのは、この1年間、上京することがなかったからです)。なので、眼は大切だと考えています。
この本にも登場しますが、私の子どもも心因性視覚障害をもっていました。ストレスから見えているのに、本人は見えないと訴えるという症状です。世の中は、本当に複雑です。
それにしても、この本はよく出来ています。ヒトの目のことを素材として、うまくストリーリーが展開していって、すべてがハッピーエンドではないけれど、なんだかホンワカとした気分にさせてくれるのです。
たとえば、緑内障。これは、治る病気ではない。ただ、進行を遅らせて、失明しないようにするだけの治療。そのためには、眼圧を測り、定期的に目薬を差す必要がある。
眼圧とは、目の硬さのこと。硬すぎると、視神経を圧迫して視野の欠損が進む。残された視野を温存するためには、時間と回数を守って、目薬を差すしかない。
眼科医がどんなにがんばっても緑内障を治すことはできない。ただ、目薬を差す。失明までの時間を、明日へ明日へと押しやり日々を過ごしていくだけ。
カラーコンタクトを入れている患者。このコンタクトレンズの使い方が悪くて、瞳に深く傷が入っている。また、角膜が円錐形になっている、円錐角膜。角膜が突出し、菲薄(ひはく)化、脆弱(ぜいじゃく)化していく。症状が進むと、最悪の場合は失明してしまう。ところが、患者は、自分が自分であるためにはカラーコンタクトを使っていきたいという...。
コンタクトレンズは、酸素が目に十分に供給されなくなり、酸素不足になって、角膜が傷つきやすくなる。そして感染症にかかるリスクもある。
視能訓練士とは、視機能学に特化した教育を受けて、眼科医療に関わる専門的な機器を使いこなし、医師の指示のもと、検査や視機能に関する訓練を担当する専門技師。
この本を読むと、眼科医院って、本当に大切な仕事をしているんだと実感させられます。
自分の眼を大切にしたい人には、ぜひ読んでほしいと思いました。著者は福岡県出身で水墨画家でもあるそうです。
(2021年10月刊。税込1705円)

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2021年12月 5日

網内人

中国


(霧山昴)
著者 陳 浩基 、 出版 文芸春秋

インターネットの中にひそむ悪魔をあぶり出せ、というキャッチ・コピーがオビについています。
スマホも持たず、とんとネット社会に無縁の私には縁のなさそうではありますが...。私の名前、霧山昴の本名をネットで調べた人がいて、簡単に分かったそうです。いやはや...。でも、この本は、そんなレベルではありません。ネットで攻撃した人をつきとめるのは朝飯前(あさめしまえ)。なりすましをふくめて、ネット上で考えられる犯罪のすべてが手にとるように解説されていきます。
いやあ、これでは、本人以上に第三者が本人のことを知ることができるというわけです。
この本は今ホットなホンコンを舞台としています。もちろん、目下の激しい自由をめぐる闘争はまったく出てきません。「チョンキン・マンション」の世界とも無縁です。
地下鉄の痴漢犯罪のぬれぎぬ、学校での深刻ないじめ、...、まさしく、現代社会のかかえる問題点を、名探偵の明智小五郎よろしく解決していきます。それは、ネットを駆使する女性(『ドラゴン・タトゥーの女』のリスベット・サランデル)を連想させる展開です。
年に2度の、人間ドッグのとき、就寝時間を気にしながらも、結末を知りたくて、もどかしい思いでページをめくりました。それほど面白かった本だということです。
(2020年9月刊。税込2530円)

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2021年12月 6日

隣のボノボ

ボノボ


(霧山昴)
著者 坂巻 哲也 、 出版 京都大学学術出版会

ボノボは、アフリカ中央部のコンゴ民主共和国の森林にすむ。体長80センチほどで、体重は35キロ以下。コンゴ盆地に生息し、ゴリラやチンパンジーとはすみ分けている。
肌は黒い。ボノボの声は鳥のように甲高く、ピャーピャーと叫びあう。
地面を歩くときは、手の平を地につけず、指の背を地面につけるナックルウォークをする。
樹上では、手と足の両方で枝を握る。ヒトにはまねができない。
ボノボはメスを中心として1年を通して集まりがよい。強さを示すデイスプレイを若いオスがよくするが、そんなオスにもメスはまったく動じない。あまりにうるさいオスがいると、子持ちのメスたちが束になってオスを追い払ってしまう。母親は大人になった息子のサポートを欠かさない。
ボノボのすむ森には、村人たちもふつうに生活している。両者は平和的に共存している。
著者は2007年からコンゴでボノボの調査を始めた。その前は、タンザニアでチンパンジーの調査をしていた(1997年から)。
ボノボの調査のためには、そばにいることに慣れてもらう必要がある。その存在を無視してくれるほど、気にしなってもらうこと。いやあ、そのためには、時間がかかることでしょうね...。
著者はボノボの調査のため、朝3時に起き、4時ころ朝食をとって、弁当をつくって暗いうちに出かける。ボノボの寝ているところに朝6時前には着く。いやはや、まだ森の中は暗いんでしょう...。大変ですね。
ボノボは、顔に毛が生えていないので、表情の動きがわかりやすい。それでもヒトほどには、表情をコミュニケーションには使わない。
ボノボの脳みそはヒトの3分の1の大きさ。
ボノボを個体識別する。性と成長段階を確認し、メスなら幼子を確認する。そして、身体的特徴を見つける。
年配のメスがおいしいそうな果実をかかえ、その周りでコドモがおねだりする。オトナがおねだりすることもある。じっとのぞき込むようにして、すぐ近くに立つのは、物をねだるときのしぐさ。気づいていなかのように目をあわせないのは、簡単に分けてやりたくないときのしぐさ。
ボノボのメスどうしは、日に何回か「ホカホカ」をする。これから採食をはじめようとする前。メスどうしが正面から抱きあい、お互いの性皮をこすりあわせる。気持ちよさそうにしている。
ボノボのメスは、生まれた集団で一生を過ごし、メスは思春期を迎えて、お年ごろになると、生まれた集団を出て、よその集団へ移る。子育てすると、その後は集団を移ることなく、年齢を重ねていく。出産間隔は4年から5年ほど。
ボノボにとって、交尾には繁殖のためとは限らない役割がある。
ボノボの集団の出会いは平和的なもので、この出会いがないとメスは移籍しない。メスは、その後、数年にわたって所属集団が安定せず、いくつかの集団を渡り歩く。
ボノボは好奇心が旺盛で、人間を観察しにやって来る。
メスたちは、出自集団を異にするにもかかわらず、よく一緒にして、毛づくろいをして、見るからに仲がよい。
オスは、オトナになっても母親との結びつきが強く、多くの個体が分散するときも、母親と一緒にいることがほとんどだ。
ボノボには子殺しはない。これはチンパンジーとは異なる。
ボノボは、現在、2万頭以下でしかなく、近い将来、絶滅するとみられている。密猟と生息地の減少、そして病気の感染だ。
いやあ、森の中での観察って、本当に大変でしょうね。その苦労をしのびつつ、ボノボの生態、その平和的な生き方に学びたいものだと思いながら読了しました。とても、興味深い本です。
(2021年8月刊。税込2420円)

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2021年12月 7日

靖国神社と聖戦史観

日本史(戦前)


(霧山昴)
著者 内田 雅敏 、 出版 藤田印刷エクセレントブックス

第二次大戦中に、非業・無念の死を強いられた死者たちに対しては、ひたすら追悼あるのみで、決して、彼らに感謝したり、彼らを称(たた)えたりしてはならない。称えた瞬間に死者の政治利用が始まり、死者を産み出した者の責任があいまいにされる。
これが著者の主張の根幹にあり、私もなるほどそうですねと共感します。
第二次大戦中に亡くなった日本人兵士の多くは餓死であり、戦病死でした。誰がそんな状況に前途有為な青年たちを追いやったのか...。もちろん、日本軍のトップであり、天皇と支配層です。
A級戦犯こそ靖國神社にふさわしい。靖國神社がA級戦犯を分祀することは絶対にありえない。なぜなら、分祀した瞬間に、「聖戦」思想を根幹とする靖國神社の歴史観が崩壊し、「靖國神社」でなくなってしまうから...。
中国や韓国からいくら抗議されても靖国神社は平気で無視しますが、アメリカから批判されると直ちに訂正するという、日本政府と同じ卑屈な対応をします。これまた、嫌ですよね...。信念があるようで、ないことがよく分かります。
私も靖国神社には一度行きました。悪名高い遊就館も見学しました。まさしく、「聖戦」のオンパレードで、日本はアジアの人々の解放のために戦ったと言わんばかりの展示ばかりでした。
1978年に靖國神社がA級戦犯を合祀したあと、昭和天皇は靖國神社への参拝はしていないし、明仁平成天皇にいたっては在任中、一度も靖國神社に参拝しなかった。
平成天皇は2015年に南太平洋のペリュリュー島にまで行って戦死した日本平兵士たちを慰霊しました(これで、私もペリュリュー島に関心をもち、マンガ本も読みました)。靖國神社は、ペリュリュー島よりも遠いのか...と、呪詛した人たちがいるそうです。本当に残念です。
この本を読んで、軍人恩給(遺族年金)が、「天皇の軍隊」の階級をそのまま生かしていることを知り、怒りを覚えました。大勢の兵士を戦場で餓死させた「戦犯」である「大将」の年金は年間761万円。それに対して、一般の兵士は、104万円にすぎず、7倍もの差があるというのです。ひどいものです。
著者は前に『靖国参拝の何が問題か』(平凡社新書)も刊行していて、この分野のエキスパートの弁護士です。改めて、大変勉強になりました。今後ますますのご活躍、ご健筆を祈念します。
(2021年10月刊。税込990円)

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2021年12月 8日

人生、挑戦

司法


(霧山昴)
著者 伊佐山 芳郎 、 出版 花伝社

サブタイトルの嫌煙権弁護士というのを見て、ああ、かの有名な著者の本だと分かります。
タバコをそばで吸われて嫌な思いをしたことが私もあります。昔、飛行機には喫煙席がありました。禁煙席が満席のため仕方なく喫煙席にすわると、離陸後まもなくから隣のサラリーマン男性がタバコを吸いはじめました。私は、その煙が嫌で、しきりに扇子を小刻みに動かして、煙を追い返していました。すると、隣の男性が無言で私をにらみつけるのです。ここは喫煙席なんだ、文句あるのか...というにらみです。私は言い返すこともなく、黙って1時間半を耐え忍びました。
実は、私の両親は酒の小売業とともにタバコも売っていました。なので、小学1年生のときからタバコは身近にありましたが、私はタバコの吸い殻がどうにも汚くて、それこそ1回も、1本もタバコを口にしたことがありません。今でもタバコを吸う習慣がなくて本当に良かったと考えています。
ところで、嫌煙権という言葉を初めて聞いたときは、タバコを吸わない私も、なんて大ゲサな...と、軽い反発すら覚えました。しかし、実はタバコの害は深刻なのです。
夫の喫煙本数が多いほど、タバコを吸わない妻の肺ガンのリスクは高まることが疫学調査で明らかになっている。夫が1日20本以上タバコを吸うとき、妻がタバコを吸わないのに肺ガンにかかって死亡する危険性は、夫がタバコを吸わないときに比べて2倍近く(1.91倍)も高い。したがって、受動喫煙(パッシブ・スモーキング)の被害は、非喫煙者の健康と生命に関わる人権問題なのだ。
著者たちが画期的なのは、単に「嫌煙」ではなく、「嫌煙権」という権利主張を展開した点にある。嫌煙権運動は、個人的な局面ではなく、公共の場所などの喫煙規制の制度化を目指した。すごいことですね。今では、公共の場所での喫煙禁止は当然のこととされています。
家庭内でタバコを吸うことは、児童虐待や家庭内暴力と同じ不法行為なのだ。
ベランダに出てタバコを吸う(ホタル族)は、必要最低限のことなのです。
今から20年以上も前、1998(平成10)年5月、著者たちは、反喫煙運動の第2弾として、タバコ病訴訟を提起した。肺ガン、喉頭ガンなどのタバコ病被害者7人が原告となって、日本タバコ産業(JT)と歴代社長3人、そして国を被告とする損害賠償請求、タバコ自動販売機での販売禁止等を求めて本訴を提起した。ところが、裁判所はタバコのニコチンの依存性を否定した。さらに、タバコの有害性についても、現在のところ、十分に解明されているとは言い難いとした。しかし、タバコを吸うことと肺ガンとの因果関係について「証明されていない」としているのは、世界広しといえども日本タバコ産業と日本の司法くらいなものだ...。驚いてしまう。
著者は中学1年生のときからピアノをひくようになり、70歳になって再開したあげく、ピアノコンクールに出場することにしたのです。そして、結果は、なんと、奨励賞を受賞。すっばらしい...。大変勉強になりました。ますますのご活躍を祈念します。
(2021年9月刊。税込1650円)

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2021年12月 9日

アンゲラ・メルケル

ドイツ


(霧山昴)
著者 マリオン・ヴァン・ランテルゲム 、 出版 東京書籍

2021年9月まで、16年間もドイツの首相だったメルケルのフランス人ジャーナリストによる評伝です。フランスの『ル・モンド』に連載したものが基になっているようです。いかにもフランス人らしい叙述で、小池百合子の評伝とは、まったく違った雰囲気の評伝でした。
メルケルは、2人の女性に支えられていることを初めて知りました。ベアト・バウマンとエーファ・クリスチャンセン。バウマンは「事務局長」であり、クリスチャンセンは、メディア対応、企画と戦略を取り仕切っている。
バウマンの執務室とメリケルのそれとを隔てるのは秘書控室だけ。報道機関と対応するクリスチャンセンは、下の7階に控えている。バウマンはメルケルの演説を起案し、すべてを把握している。
メルケルは、首相官邸に寝泊まりしない。自分の簡素なアパートに毎晩帰る。5階建ての小さな建物の4階に住んでいる。下には2人の警官が見張っているだけ。自宅近くの小さなスーパーにひとりで買い物に出かける。ボディガードは、近くはいない。週末には、赤い屋根の小さな別荘にこもって庭の手入れや料理をしたり、湖で泳いだり、古ぼけたゴルフ(愛車)を運転したりする。
メルケルはカリスマ性がない。しかし、威厳がある。メルケルは声高に訴えなくても、ドイツの重みを感じさせることができる。メリケルは歴代首相になかった落ち着きを身につけている。
メルケルは、コミュニケーション・アドバイザーに頼ろうとはしなかった。メルケルは大見得や気の利いた言い回しは使わない。
メルケルは、36歳のとき、ドイツの連邦議会議員に当選した。
ムッティ(お母ちゃん)と呼ばれるメルケルは、世話になった人を巧みに政治的に葬り去った。素知らぬふりをしながらのシリアルキラーだ。
メルケルはコール首相に徹底して尽くし、そして葬った。まだコールに誰も逆らえなかったのに、メルケルは、ドイツの象徴ともいえる巨人コールに引導を渡した。
「コールのとった手法は党に害を与えた。こんな古老に頼らずに政敵に立ち向かうようにならなければならない」と語った。
そして、2000年4月のCDV党首にメルケルが選ばれるとき、対立候補はもはや誰もおらず、圧倒的得票率で党首に就任した。
メルケルは、ぽっと出のように素知らぬ風情で周囲をあざむき続けるのだ。策略家メルケルの得意技は、何食わぬ顔をすることだ。
メルケルは会議を好まず、電話や一対一の打ち合わせを活用する。
自分を批判していると感じた人とメリケルは向きあった。
メルケルは、自分は虚栄心の強い方ではなく、男性の虚栄心を利用するのがうまいと語った。
メルケルは、ドイツの右派と左派の絶妙なバランスで大連立政権を率いた。ドイツの難民受け入れ、ギリシャの負債問題、アメリカやイギリスとの対応そして、ロシアのプーチン大統領。メルケルは、なんとか難局を乗り切っていった。
メルケルが首相として16年間も続いた秘密が理解できる本でした。
(2021年9月刊。税込1980円)

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2021年12月10日

弁護士CASE FILE Ⅰ

司法


(霧山昴)
著者 早稲田リーガルコモンズ法律事務所 、 出版 朝陽会(グリームブックス)

私は若いころ『弁護始末記』を夢中になって読みました。もちろん全巻よんで、今も持っています。若い弁護士に読むようにすすめているのですが、なにしろ30巻もあって大変です。もともとは大蔵省印刷局が発行していた『時の法令』に22年間にわたって連載されていたものが順次、本になっていたのです。大変面白くまた勉強になりました。
そして、この本は、この『時の法令』で始まったものを1冊にまとめたもので、14の論稿(ケース紹介)からなっています。かつての『弁護始末記』を思い出しながら読みすすめました。
ちなみに、私が『弁護士のしごと』シリーズ(6冊)最近、刊行したのは、この『弁護始末記』にならったものです。
私がまったくやっていないし、これからもやれないだろうけれど、弁護士の仕事の一つとして大切だと考えているのは、「子どもをサポートする仕事」(西野優香弁護士が執筆)です。
東京は「コタン」(子ども担当弁護士)という制度があるとのこと。児童養護施設、自立援助ホーム施設に入った子どもについて、コタンは親や学校との調整をしたり、子どもから日々の相談を受けたり、子どもたちが安心して生活し、社会に巣立っていけるようにサポートする。とくに親の虐待事案では、親のほうはあらゆる手段を使って子どもの居場所を突きとめようとするし、子どもを返してくれないのなら、学費は出さないと親が言ったりするので、慎重な対応が必要。いやあ大変な仕事ですね。でも、児童相談所とは別にコタンがいるっているのは、子どもにとって、きっと心強い味方になりますよね...。コタンは、月に1回のペースで様子を見に行ったり、一緒に食事に出かけたりするとのことです。これも弁護士としての立派な仕事です。本当に頭が下がります。
そして、未成年後見というのもあります。私はまだ担当していませんが、こちらは福岡でも聞きます。この本では5歳の女の子のケースが紹介されています。父親不明のままシングルマザーが亡くなり、その母の良心まで相次いで亡くなってしまったため、児童養護施設に入っている子の後見人に就任したのでした。
面会に行くと、自分にお客が来てくれたことを喜んでくれているようで、いろいろ明るく話してくれた。何か困ったことがないかと尋ねると、「みんながいなくなっちゃうと、さみしい」との答えが返ってきた。不覚にも涙が出そうになった...。読んだ私も6歳と3歳の孫をもつ身として、思わず涙ぐんでしまいました。母親が亡くなり、祖父母も死んでしまったら、誰かが愛情をもって支えてやる必要があります。それは施設だけにまかせていいということではないでしょう。本当に大切な仕事をしていると実感しました。とてもお金にはなりそうもなく、金もうけの世界とは無縁でしょうが、お互い人間らしく生きていくうえで必要不可欠な仕事です。これから弁護士になろうとする人にはぜひ読んでほしい一文です。
もう一つだけ紹介します。「ホームレスは社長だった事件」(川崎建一郎弁護士の執筆)です。ホームレス支援をボランティアでやっている弁護士は、福岡でもときどき聞きますが、東京では継続的な取り組みになっているようです。2008年12月の「年越し派遣村」に協力したことがきっかけで、生活保護申請の同行・支援をするようになった。そのなかで出会ったホームレスの話。生活保護の申請をすすめると、絶対に家族に自分の状況を知られたくないから嫌だという。
そして、ついに身の上話を聞き出すと、なんと50人もいる工場を有する社長だったのに、なにもかも嫌になって、ある日突然、家を出てホームレスになったという。もともと親の稼業を継ぎたくなかったようで、ともかく事業をやめたいという相談になった。まあ、本人が、それほど意思が固いのなら、弁護士としては、会社を清算するしかありませんよね。すべてが終わったあと、その元社長は、今はコンビニでレジ打ちの仕事をしている。時給1000円ほど。億単位の売上のある社長をしていた人がコンビニの店員になって、しかも、本人は、それでいい、今が幸せだ、これは自分で選んだ仕事なんだから...。いやあ、一回限りでしかない人生っているのは不思議ですよね。やっぱり自分の選択って大切なんですね...。
弁護士の仕事を社会と人生との関わりで深く考える材料を提供するシリーズの始まりです。次巻を楽しみにしています。
(2021年11月刊。税込1100円)

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2021年12月11日

富岳、世界4冠、スパコンが日本を救う

社会


(霧山昴)
著者 日経クロステック 、 出版 日経BP

日本の誇るスーパーコンピューター富岳が2020年に世界一になった。しかも、4つのランキングすべてで世界一。しかも、圧倒的な一位。
スパコンの核となるプロセッサを開発する技術をもっている国は、アメリカと日本そして中国の3ヶ国のみ。ところが、このスパコン富岳で数億年かかる計算をわずか数分で解いてしまうのが量子コンピューター。
ここまでくると、何のこっちゃら、とんと理解不能な、雲の彼方の話になってしまいます。
コンピューターには、まるで縁のない生活をしている私ですが、なんか分かるところはないかと思って読みすすめました。
富岳というのは富士山の異名。高性能であって省電力。そして高い信頼性と使いやすさ。スパコン開発では常にトップグループにいなければダメ。2番手グループは、トップグループの誰かの背中を見てまねる。比較的簡単なこと。だけど、まねなので、技術はすべてトップグループのもの。それでは、波及効果は期待できない。自分たちの技術ではないから。これには、なるほど、なーるほど、と思いました。
以前のスパコン京は、売れなかった。これは失敗だった。うむうむ、そうですよね...。
世界最速(2019年)のスパコンの米IBMのスミットを使って1万年かかる計算をわずか200秒で解いたのが量子コンピューター。
量子は波のような存在で、0か1か、単純には決められない。それどころか、同時に両方でありうる。これを「量子重ね合わせ」という。量子コンピューターで計算が劇的に速くなるのは、この「量子重ね合わせ」の原理による。
まったくの門外漢である私がスパコン紹介の本を紹介してみました。
(2021年3月刊。税込1980円)

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2021年12月12日

家は生態系

生物


(霧山昴)
著者 ロブ・ダン 、 出版 白揚社

人間のすむ家から、20万種の生物が見つかっている。いやはや、すごい数です。その4分の3は、ホコリ、人体、水、食品、および腸内で見つかった細菌。4分の1は真菌。残りは節足動物、植物、その他。
人間が家の中を歩きまわると、どんな人でも1日に5000万個の皮膚断片(鱗屑、りんせつ)が身体からはがれ落ちている。そして、空中を漂う鱗屑一つひとつに数千個の細菌がすんでいて、それを食べている。
どんな人の手も、実は手だけでなく、鼻、へそ、肺、腸および体表面のすべてが、微生物叢(そう)で覆われている。
手を洗って除去されるのは、手にくっついたばかりでまだ定着していない微生物だけ。
チャバネゴキブリは、屋内の人間が暮らしている場所に限って、頑強で多産。そして、人間が好むような食物を好む。人間と同じく、一匹で孤立して暮らすのは苦手だ。
病原体の媒介という点では、イエバエはチャバネゴキブリをはるかに上回っている。下痢を起こす病原体を運んだりして、年間50万人をこえる死亡に関与している。
この本は、ゴキブリ駆除剤がきかなくなった理由を突きとめるべく、ゴキブリの口器にある味覚感覚毛の一本一本に電極を接続して感覚ニューロンの応答を調べるという実験を3年以上にわたって2000匹のゴキブリについて繰り返した日本人研究者も紹介しています。勝又(和田)綾子という女性です。すごい、ですね...。こんな地道な実験をする学者のおかげで毎日の安全・快適な生活が保持されているのですよね。感謝、感謝です。
(2021年6月刊。税込2970円)

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2021年12月13日

宇宙の終わりに何が起こるのか

宇宙


(霧山昴)
著者 ケイティ・マック 、 出版 講談社

世界は、どのように終わるのか...、火で終わる。今後50億年ほどのうちに、太陽は膨張して赤色巨星となり、水星も金星も軌道全体が呑み込まれ、地球はマグマで覆われ、生物など皆無の、ただの黒焦げの岩になってしまうだろう。菌すらいない、くすぶった燃え殻さえ、やがて太陽の外層に落下し、死にゆく恒星の激しく渦巻く大気の中に、自らを原子としてまき散らしていくだろう。
私たちの暮らす宇宙が、安定した居心地のいいところで、安全に年をとっていける場所だ。そう思いたいが、こんな宇宙観はもはや成りたたない。私たちの宇宙は変化している。
宇宙論においては、明確に定義された「いま」という概念は存在しない。
運動する速度が速いほど、その運動しているものにとっての時間はゆっくり進む。また、非常に重い物体に近づくと、時間はゆっくり進むようになる。
初期宇宙は、一つの巨大な炎だった。この仮説は、完全に確かめられた。
プランク時代とは、宇宙時間ゼロから10秒のマイナス43乗まで。そのあとに大統一(GUT)時代がやってくる。これは10秒のマイナス35乗だけ持続する。宇宙時間の10秒マイナス6乗あたりで、最初の陽子と中性子が形成され、そこに電子も寄り添って、通常の物質の構成要素が出そろった。宇宙時間2分になるころ、宇宙は快適な摂氏10億度にまで冷えた。まだ、太陽の中心よりは熱いが、できたばかりの陽子と中性子が強い力で結合できるほどには低温だ。
宇宙に存在する水素のほぼすべてが最初の2~3分のあいだに生み出された。つまり、私たちをつくっているものの大部分が、宇宙が存在してきたのとほぼ同じ長さの期間、なんらかの形態で宇宙の中に存在してきたということ。
私たちの身体は星屑(ほしくず)で出来ている。つまり、ビッグバンの副産物から成り立っているのだ。
今から40億年もすると、私たちの天の川銀河は、アンドロメダ銀河と衝突し、華々しい光のショーが起こるだろう。
重力とは、物体と物体のとのあいだにはたらく力というより、質量をもつ任意の物体とのあいだにははたらく力というより、質量をもつ任意の物体の周囲に生じる空間の湾曲と考えたらよい。これがアインシュタインの天才的洞察の一つ。
ビッグリップが起きるのは、早くて2000億年後。ふー、やれやれ...。ビッグバンは一度限りの出来事だったのか。それとも、一つの激しい転換点なのか...。
2015年9月14日の午前9時50分45秒。ほんの一瞬、少しだけ背が高かった。そのとき重力波が通常したのだ。重力波の進路内にいたら、少し背が伸び、次に背がちぢんで、横幅が広がる。この変形は陽子の直径の100万部の1程度のものでしかない。つまり、ないに等しいというレベルの話だ。
いやあ、たまには、こんな気宇壮大な話を頭の中にとりこんで、あれこれ空想をたくましくしたいものですよね。自分が死んだあと、いったい世界はどうなるのか、地球はどうなるのか、いつまで人類は地球上に存在しうるのか...。興味は尽きません。
(2021年9月刊。税込1980円)

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2021年12月14日

消えた四島返還

社会


(霧山昴)
著者 北海道新聞社 、 出版 北海道新聞社

北方領土4島の返還要求が、いつのまにか2島だけとなり、それも失敗してしまったという、安倍前首相のあまりにもみっともない失敗を明らかにした本です。
北方四島は、1855年の日露通好条約で日本領と定められ、その20年後の1875年の樺太・千島交換条約、さらに30年後の1905年の日露戦争終結時のポーツマス条約でも、日本の領土とされた。なので、日本政府は、北方四島は、「我が国固有の領土」と主張してきたのには歴史的根拠がある。
北方四島とは、歯舞(はぼまい)群島、色丹(しこたん)島、国後(くなしり)島、択捉(えとろふ)島。「2島返還」は、このうちの歯舞群島と色丹島の2島にしぼるということ。つまり、国後と択捉はあきらめるというのだ。こんな国政上大事なことをアベ首相は国会の承認をとることなくロシア(プーチン大統領)とのあいだですすめていたというのです。そのうえ、この2島返還要求もロシアからはすげなく(問答無用式に)拒絶され、失敗に終わりました。あの安倍前首相は「外交上手」を金看板にしていて、世界中をアッキーや財界中を引き連れて飛びまわっていましたが、結局のところ、外交上の成果は何ひとつあげることができませんでした。
ところが、自分の失敗は完全に棚にあげて、「野党は反対するばかり」、「対案を出すこともない」などと開き直り、マスコミの大部分もその尻馬に乗るばかりで、安倍外交の失敗を失敗として報道することがありませんでした。こんなみじめな自民党を、「なんとなくがんばっているようだから...」と支援する人には、ぜひ本書を読んでほしいものです。
安倍前首相は「北方四島の返還」と言わず、「北方領土問題」と言い替えた。それは、「四島返還」を求めないことを意味していた。「四島返還」をやめて「2島」に転換することを進言したのは新党大地代表の鈴木宗男議員。安倍前首相は、外務省幹部をはずして、最側近の今井尚哉秘書官、北村滋内閣情報官とだけ相談して、ことをすすめた。菅(すが)官房長官もカヤの外においた。
そして、河野太郎外務大臣は、記者からの質問に答えなかった。この河野太郎の質問回答拒否は政治家としてひどすぎます。政治家の資格はありません。
日本敗戦時(1945年)に北方四島には1万7千人の日本人が暮らしていた。その人々のうち存命の人は6千人もいない。
1945年からすでに76年が過ぎようとしている。1855年の日露通好条約で北方四島が日本領と定められてからソ連侵攻の1941年までの90年と比べて、このままではロシア支配下のほうが長くなりそうな状況にある。
北方四島への墓参が実現しているが、これはビザなしなので、勝手な自由行動はまったく許されていない。
いま、北方四島には色丹島だけでも3千人のロシア人が居住し、新式の水産加工場が建設されていて、ロシアはまったく返還する意思がない。
プーチン大統領は、安倍前首相との会談のたびに大幅に遅刻し、一切の言質(げんち)を与えないどころか、ロシアの憲法に領土返還を許さないことを描き込もうとしている。
あれだけ全世界をかけ巡って、莫大な税金をつかったのに、どれひとつとして成果をあげることのできなかった自民党政権を許す一方で、対案のない野党はダメだとか、野党に政権担当能力はないとばかり言いたてるマスコミには、本当に呆れてしまいます。もういいかげん、こんな自民党政治ではダメだと意思表示すべきではありませんか...。この本を読んで、私は、つくづくそう思いました。
(2021年9月刊。税込1980円)

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2021年12月15日

第七師団と戦争の時代

日本史(戦前)


(霧山昴)
著者 渡辺 浩平 、 出版 白水社

北海道にあった第七師団の生い立ちから敗戦のときに解放するまでを追跡した労作です。
北鎮という言葉を初めて知り(聞き)ました。北方の脅威から自らを護るという意味だそうです。北とはロシア(ソ連)を指します。
第七師団は屯田兵を前身とし、中国・満州に渡ってノモンハンで戦い、また沖縄でも戦っています。師団というのは1万人あまりの兵力をもち、聯隊(れんたい)は2千人ほどの将兵がいる。師団長は中将があたる。
第七師団の歩兵第二十五聯隊は屯田兵を母体とし、1896(明治29)年に札幌の東の月寒(つきさむ)の地で誕生した。そして、この第二十五聯隊は、1945年8月17日に樺太の逢坂で聯隊旗が焼かれて消滅した。
第七師団の本来的任務は一貫して北方の護り。
屯田兵は、正式名称は屯田憲兵。ええっ、これまた初めて知りました。憲兵だったのですか...。屯田兵は、シベリアのコサック兵を模して、黒田清隆が進言してできた制度。
第七師団の用地は540万坪。そこに3個の歩兵聯隊(26、27、28)と騎兵、工兵、野戦砲兵、輜重(しちょう)兵がそれぞれ1個聯隊、師団司令部、病院、監獄、憲兵隊、兵器廠や官舎、それに火力発電所もあった。もちろん、練兵場や演習場も。
日露戦争のときの旅順港を見おろす203高地の攻略戦にも第二十五聯隊は出動しています。このとき、63人のアイヌ兵がいて、うち51人が戦功により勲章を授与された。この戦闘で、第七師団は、3割強、6206人の死傷者を出した。
ロシア(ソ連)の二コラエフスク市(尼港)における日本人虐殺事件にも第七師団は関わっている。1917年にロシアで革命が起こり、ソビエト政府が誕生した。そこへ、英仏、米日がシベリアに出兵して内政干渉を試みた。その名目は、チェコ軍団の救出ということだった。1918年8月に第七師団がシベリアに派兵された。
尼港事件は、1920(大正9)年5月24日に発生した。
尼港の日本軍守備隊はわずか300人。包囲するパルチザンは2000人。日本軍の救援は遅れ、日本の将兵と市民はパルチザンに処刑された。このころの日本人居留民は500人。うち、天草・島原出身者を主体とする娼妓が90人いた。また、パルチザンのリーダーは、直後の7月に赤軍によって処刑されている。
シベリア出兵したのは、当時21個師団のうちの10個師団。24万の兵力を送り出し、死者5千人、負傷者2600人、戦費は9億円にのぼった。日本はシベリアの資源を開拓して得ようとしていた。
ノモンハン事件のときにも、1939(昭和14)年5月から9月にかけて、満州(チチハル)にいた第七師団が出動した。
その第26聯隊長だった須見新一郎は、火焔瓶によってソ連軍の戦車と戦った考案者として名高いが、ノモンハン戦記のなかで、「御粗末なる作戦屋」として日本軍高官たちを痛烈に批判している。関東軍の植田謙吉司令官、辻政信らの参謀、そして小松原道太郎・第23師団長らを激しく非難した。
ノモンハン事件では、ソ連軍も莫大な被害を出したことが今では判明していますが、ジューコフ将軍が最大限の物量を集中させて日本軍を圧倒したこと自体は事実です。この戦果によってジューコフ将軍はスターリンに認められて、ソ連赤軍のトップにのぼりつめました。
そして、第七師団は沖縄に渡ってアメリカ軍と戦い、また樺太ではソ連軍と8月15日のあとまで戦ったのでした。
第七師団の歩みは、日本軍の歩みでもあることがよく分かる貴重な労作だと思いました。
(2021年11月刊。税込2750円)

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2021年12月16日

藤原仲麻呂

日本史(奈良)


(霧山昴)
著者 仁藤 敦史 、 出版 中公新書

藤原仲麻呂は藤原家のなかでも一番の出世頭。55歳で太政大臣となり、正一位となった。臣下としては異例の極位極官に達した。なにしろ、その上の位はないのです。
ところが、2年後には一転して逆賊とされ、敗軍の将として斬首されてしまいました。
それでも同世代の人々からは、非凡な学者的秀才として、その学識文才を高く評価された。ただし、一般的には逆臣・謀叛人という評価が定着している。
仲麻呂が施行した養老律令は江戸時代まで機能した。
藤原仲麻呂が参謀になってまもなく、743年に墾田永年私財法が発布された。これは、開墾した田の私有を認めるというもので、それまでの政策を根本的に変更するもの。723年の三世一身法では墾田は孫のまでの三代の間は私財化が認められていたが、それを徹底され、農民の耕作意欲を高め、国家の税収を確保しようというものだった。
聖武天皇から孝謙天皇にかわるなか、仲麻呂は大納言正三位となり、紫徴中台(しびちゅうだい)の長官(紫徴令)となり、また中衛大将を兼任した。
この当時、重要な政治は仲麻呂ひとりの判断ですすめられていた。そのため、他の豪族や名門の家柄の者は、みな仲麻呂の勢力を妬(ねた)んだ。
東大寺の大仏の開眼供養の儀式が752年4月におこなわれた。
757年、仲麻呂は、藤原氏を天皇と同等に扱い、氏族のなかで、藤原氏を特別扱いさせようとした。
律令制の前は、支配は機構化されておらず、生身の王(天皇)の存在と、そこから口頭で発せられる大命がすべてだった。そして、抽象化された権力を示す器物の確保が重要視されるようになり、仲麻呂の乱では、生身の人間よりも鈴印の争奪のほうが争点となっていた。
橘奈良麻呂の乱は、いわば計画段階で話がもれて一網打尽になってしまった。
768年に淳仁天皇が即位した。仲麻呂は淳仁天皇を擁立し、擬制的な親子関係により皇親に近い一族として積極的に位置づけた。仲麻呂は東北経営にも新羅討伐にも積極的だった。
仲麻呂は20年にわたって、叔母である光明皇太后の権力に頼っていた。その光明皇太后の死は仲麻呂に大きな打撃となった。仲麻呂政権が自分の身内を優遇する人事策をとると、反対派そして、昇進の機会を奪われた中間派から反感をもたれるようになった。
孝謙上皇と淳仁天皇の対立が顕在化するなかで、仲麻呂の正妻が死去したのも大きな痛手となった。仲麻呂は妻の死去により淳仁天皇との太いパイプも失った。そのうえ、仲麻呂の有力な側近たちが相次いで死去してしまった。さらに、764年6月に、仲麻呂の娘婿・藤原御楯が死去したことで、仲麻呂の権力が大きく揺らいだ。
そして、孝謙上皇側が先手をとり、鈴印・内印を奪取し、確保した。そして、淳仁天皇は警固の名目で孝謙天皇側の兵士によって拉致・監禁された。
このようにして鈴印も淳仁天皇も奪われ、仲麻呂の正当性は一挙に喪失してしまった。そして、仲麻呂は太政官印をもって近江に逃走した。仲麻呂は敗走し、ついに捕えられて斬首された。59歳だった。
仲麻呂が打倒されても、藤原氏は貴族のトップとして以降もずっと君臨していきました。それは、藤原氏が国家第一の臣下であるという位置が仲麻呂によって定着したからです。
藤原仲麻呂(恵美押勝)の乱なるものが、要するに朝廷における人脈の派閥抗争のようなものだということ、ある個人の死亡が大きな意味をもつ社会だったことを知り、大変勉強になりました。
(2021年6月刊。税込946円)

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2021年12月17日

アウトロー・オーシャン(上)

アメリカ


(霧山昴)
著者 イアン・アービナ 、 出版 白水社

タイの遠洋漁業の漁船の乗組員は、まさしく奴隷。ひんぱんに暴行され、ときには殺害されてしまう。この本は、こんな記述から始まります。驚きました。洋上でのんびり釣りをしている光景とはほど遠い悲惨な状況があるのです。
違法操業船「サンダー」の乗組員40人の大半はインドネシア人。幹部船員はスペイン人が多く、船長はチリ人。スペインの犯罪組織は、魚の密漁にも手を染めている。
水産物の違法取引は年間取引額が1600億ドルと推定され、今やビジネスとしてグローバル化している。それにはテクノロジーの向上が背景にある。高性能のレーダー、漁網の大型化、漁船の高速化により、水産資源を驚くほど効率的に略奪できるようになった。
1970年代初頭にグリーンピースが結成され、海の環境保護活動を始めた。そして、そのなかからシーシェパードという過激で攻撃的な組織が生まれた。
公海を定期的に巡礼して違法行為を取り締まる組織は、グリーンピースとシーシェパード以外にはいない。彼らは、目的は手段を正当化すると考えている。
シーシェパードは、5隻の大型船と数艘の高速硬式ゴムボート、ドローン2機、24ヶ国から集まった最大120人の即時対応可能な乗組員をかかえている。その活動資金は著名人たちの寄付に頼っている。年間予算は400万ドル。
シーシェパードは、世界中の海洋生物を守るためなら、法律のあやなど気にせず、「直接行動」する。日本の捕鯨船などへの体当たり攻撃も繰り返している。
シーシェパードの船上生活は厳格に管理されている。午前7時にミーティング、そのあと、各自が割り当てられた雑用(トイレ掃除など)をこなす。水の節約のため、シャワーは1日3分以内。すべてのメールは、船のメインサーバーを介して行われる。海賊の襲撃を招きかねないからだ。酒とタバコは禁止。トレーニングルームがある。夜には読書会。
乗組員の半数は女性で、ほぼ全員が大卒以上の学歴をもつ20歳から35歳までの若者。洋上での労働時間は、人並み以上。
海洋資源は無尽蔵だという思い込みのもとに、水産物の乱獲がすすんでいる。
海では、法の力は及ばない。海事法では、その船舶が船籍登録している国の法律のみが適用される。海の上では、法律は船舶の乗組員ではなく、その積み荷の保護に重きを置いている。積み荷を重視し、乗組員を軽視する傾向は、会場で共通している。
保険金詐欺も横行している。悪徳運搬会社が船を沖合に出させ、そこで故障して航行不能になったので、自沈させたという「事故」を起こす。もちろん、実際には沈めない。そして得た保険金を運搬会社と整備しで折半する。そして沈めたはずの船は船名を変え、掲げる国旗も変えて、別の船に生まれ変わる。
海の世界では、ギリシアは超大国だ。ギリシアの著名な海運王一族のほぼ半数が、幅7キロの海峡を挟んでトルコと向かいあうヒオス島の出身だ。
フィリピンほど多くの船員を世界の海に送り出している国はない。フィリピンの人口が世界人口に占める割合は1.2%ほどなのに、商用船舶の乗組員でみると25%になる。2016年の時点で、40万人のフィリピン人が幹部船員や甲板員、漁船乗組員、クルーズ船の船員などとして働いている。
世界の海が今どうなっているのか、知らないことだけで、大変勉強になりました。
(2021年7月刊。税込2640円)

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2021年12月18日

ダニが刺したら穴2つは本当か?

生物


(霧山昴)
著者 島野 智之 、 出版 風濤社

ダニについて書かれた本です。本のオビには世にも美しいダニの電子顕微鏡写真を多数掲載とあり、実際、その見事にグロテスクかつ美しいダニの姿がとらえられています。
私は自然豊かな田園地帯に住んでいますので、夜になると窓にヤモリが張りついていますし、すぐ近くをタヌキが夜だけでなく、昼間、堂々(悠々)と闊歩している姿を見ることができます。そして楽しみの庭仕事をすると、腰が痛くなるばかりでなく、腕やら脚を何かにかまれて発赤し、痒(かゆ)みを覚えてしまいます。大自然の近くで生活すると、そんな苦労がつきまとうことになります。それはさておき、ダニの話に戻ります。
ダニは世界に5万種、日本には2000種いる。血を吸うマダニのようなダニは日本には20種類ほどしかいない。多くのダニは人間には被害を与えることなく、人間とは関係のない自然の中で暮らしている。人間の血を吸うダニ種は、世界中にいるダニの1~2%でしかない。
たとえば、アナタカラダニは花粉食であって、人間の血は吸わない。そもそも、その口器は人間をかめるような構造になっていない。また、このカベアナタカラダニにはオスがおらず、メスがメスを産む単為生殖。
ダニは、熱帯はもちろん、南極大陸から北極圏まで、地球上のあらゆる場所に生殖している。高山から海岸そして7000メートルの深海底にまで生活している。
ハモリダニは、60度の熱にも耐えられる。
身体の大きさを抜きにして、ササラダニは、かの凶暴で名高いティラノサウルスの6倍から10倍ほどアゴの力がくわえているとのこと。
島には、たくさんのダニがまとわりついている。ダニは風で吹きとばされる。
マダニは、光、酪酸、体温という3つの感覚がまだ残っている、
毎日毎日、ダニたちを研究対象にしている学者って、本当に大変ですよね。本のタイトルの疑問の答えは、本当ではないということのようです。
(2021年6月刊。税込1980円)

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2021年12月19日

細胞とはなんだろう

人間


(霧山昴)
著者 武村 政春 、 出版 講談社ブルーバックス新書

この世のすべての生物は、みな、等しく細胞からできている。
ウィルスは細胞ではない。細胞からできていないので、生物でもない。巨大ウィルスも、ふつうのウィルスと同じで生物(細胞)ではない。
細胞の三つの条件、はたらき。その一は、細胞膜で覆われ、外界と空間的に分け隔てられていること。その二は、自己複製すること。その三は、代謝をすること。
ウィルスが細胞ではない理由の第一は、膜で覆われていないから。膜がないものは細胞ではなく、ウィルスは膜がなくてもウィルス。
ウィルスは自分ひとりの力だけではタンパク質をつくることができない。ウィルスは、タンパク質の合成装置であるリボソームをもっていないから。生物の細胞には、タンパク質を合成できるリボチームが存在する。リボソームの存在こそが、細胞が細胞たるゆえんである。
生物にとって、リボソームだけは「決して失ってはならない」ものである。
ウィルスは生物ではない。何よりもリボソームをもたないから。
リボソームは、RNAとタンパク質からなる複合体である。
ミトコンドリアは、酸素と有機物を利用してエネルギーをつくり出している。ミトコンドリアの機能が一瞬でも止まると、細胞は死んでしまう。酸素を利用して生きている真核生物にとって、ミトコンドリアは重要な存在だ。
コロナウィルスは、呼吸などを通してヒトの体内(とくに気道)に入り、粘膜の層を通り抜けることに成功すると、Sタンパク質を細胞表面のACE2という受容体に結合させる。やがてエンドソームの中に包まれて、細胞室内にRNAゲノムを放出する。
この世界の主役は、昔も今も、変わらずウィルスだったのではないか...。
いったい、ウィルスが生物ではないなんて、どういうことなの...。そんな疑問をますますかきたててくれる新書です。世の中の闇、知らないことは深く、大きいのです。
(2020年10月刊。税込1100円)

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2021年12月20日

生物はなぜ死ぬのか

生物


(霧山昴)
著者 小林 武彦 、 出版 講談社現代新書

タイトルの問いかけに対する答えは簡単です。だって、一つの個体がいつまでも長生きしていたら、次世代が活躍できないからです。
それは、政治の世界でも同じこと。80歳を過ぎてもなお国会議員の椅子にしがみついていたらいけないのです。潔く後進に席を譲るべきでしょう。その意味で、今回の選挙で自民党の長老たちが福岡や熊本で落選したのは良いことでした。でも、福岡にはまだアッソーという、とんでもない長老が居すわっていますね...、残念です。
これまで、地球では5回もの大量絶滅を迎えている。それは、大規模な火山の噴火とか隕石の衝突によるとみられている。しかし、現在、再び大絶滅が進行中。それは火山の噴火などではなくて人類の活動が原因。本当に子や孫、次の世代の人たちに申し訳ないことです。グレタさんの呼びかけに私たちはもっと真剣に耳を傾けるべきだと思います。
ヒトのご先祖は、今も生息するツパイのようなネズミに似た、小さな夜行性の哺乳類。恐竜が絶滅したおかげで、食料と生きる空間を拡大し、現在につながっている。
地球上にいる生物種は、名前のついているものだけで180万種。その半分以上の97万種は昆虫。昆虫は、もっとも進化して複雑化した生物。カブトムシなどの昆虫は大きくなれるのは幼虫のときだけ。つまり、幼虫の仕事は、食って大きくなること。
ハツカネズミは、野生だと寿命は1年以内。中型(体長20センチ)のハリネズミは10年、大型(体長1メートル)は20年。体長が大きくなると、寿命ものびる。
ところが、アフリカの乾燥した地域にアリの巣のような穴を掘りめぐらして、その中で一生を過ごすハダカデバネズミは、寿命が30年。これは、天敵が少ないこと、低酸素の生活環境で暮らしていること、低体温、食べる量も少ないことなどによる。このハダカデバネズミは、真社会性の生きもの。1匹の女王を中心とした分業制の社会システム。面白いのは「フトン係」といって、子どものネズミを温め、体温の低下を防ぐだけのネズミがいる。分業により仕事が効率化し、1匹あたりの労働量は減少する。このストレスの軽減が、寿命の延長に役立った。
ハダカデバネズミは何が原因で死ぬのか分かっていない。死ぬ直前までピンピンしている。老年で元気のない個体はいない。ええっ、本当でしょうか...?
ニホンザルの寿命は20年、ゴリラやチンパンジー、オランウータンは40年。そして、ゾウの寿命は80年。成獣になるまで20年もかかる。
日本人のうち100歳以上の人が8万人超。ところが、115歳をこえた日本人は、11人。全世界でも50人はいない。ヒトの最大寿命は115歳なのか...。
生物の生と死を考えさせてくれる新書です。
(2021年4月刊。税込990円)

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2021年12月21日

私はイスラム教徒でフェミニスト

フランス


(霧山昴)
著者 ナディア・エル・ブガ 、 出版 白水社

それは、二人だけで楽しむ大人のゲーム。子どもたちの目の届かないところ、二人だけの世界で、自分たちのセクシュアリティをつくりあげていく。このゲームに敗者はいない。そう、夫婦のセックスのことです。
厳格なムスリムと同じように、正統派のユダヤ教徒も肌に触れることを性的な行為とみなしているので、男女のあいだでは握手をしない。
出産するときに多くの血を流すのでユダヤ教徒では、生理中と同じように出産後の女性もまた不浄とみなされる。男の子を生んだら7日間、女の子なら14日間は一切の性交渉が禁じられる。正統派ユダヤ教徒は、シーツに開けた穴からしか性関係を結ばない。ええーっ、ウソでしょ、そんな...、信じられません。
著者はフランスで活動しているイスラム教徒の女性です。助産師で、セクソローグで、ラジオのパーソナリティーで、2人の子をもつ母親でもあります。
イスラム教徒は、イスラムの名において女性がおとしめられ、過小評価され、抑圧され、服従させられている。著者は、このことを厳しく批判しています。
神のメッセージは明快で、精神的な自由と社会的な解放を結びつけると説き、この点でなんら男女を区別していない。精神面で、イスラムのメッセージでは男女をまったく区別していない。女性たちは自分の場所を取り戻すのに、父親や夫、兄に許可を求める必要など、まったくないのだ。コーランは、明確に一夫一妻が理想だとしている。
著者の仕事は、女性たちの選択に寄りそうこと。もちろん、イスラムの教義を敬う。けれど、教義は硬直したものではない。解釈があっての教義だ。
イスラムにおいて、女性の性欲、興奮、快楽は認められているだけでなく、好ましいものとみなされている。男性は、相手が満たされているかどうかに気を配らなければならない。
セックスは、要は楽しむこと。これが著者の考え。
イスラムの女性がスカーフを被るのは、イスラムの教義にとっても信仰にとっても、それほど重要な位置を占めているものではない。著者がスカーフを被っているのは、自分の意思によるもので、被らされているのではない。自分の意思で選択しただけのこと。スカーフは、信仰の道具の一つなのだ。
若者に向けてラジオで性のことを率直に語るイスラム教徒の女性であり、セクソローグ(性科学医)の本です。いったい日本にもセクソローグって存在しているのでしょうか...。
大胆かつ有益な、よりよい生き方を示す大切な本だと思いました。
(2021年9月刊。税込2420円)

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2021年12月22日

ベトナム戦争の最激戦地

ベトナム


(霧山昴)
著者 グエン・ゴック 、 出版 めこん

ベトナム戦争が終結した1976年当時、中部高原の人口122万人のうち、少数民族が85万人で、70%を占めていた。その後、多数民族キン族の人口が急増し、331万人、63%を占め、少数民族は37%となった。少数民族は20民族いる。ベトナム全体では54の少数民族がいる。中部高原最大の民族はザライ族で51万人。
伝統的な焼畑農業は森を破壊するものではない。この数十年間に森を破壊したのはキン族の人間だ。森は人間に食べ物を与える。水田耕作も悪くはないが、焼畑耕作しなければならないところもある。
中部高原の人は決して森を資源とは見なさない。自然や森を開発するとか、占服・占領すると考えない。彼らにとって、森はすべてであり、母であり、尊敬し、崇拝する生命の根源である。
二十世紀はじめ、フランス支配に少数民族が抵抗していたころ、1スー硬貨を神聖な小川の水に浸して身に付けておけばフランス軍の撃つ弾丸に当っても死なないと信じて、協力な抵抗運動を展開した。
これって、中国でも、義和団事件でしたか、太平天国の乱でしたか、同じような信仰がありましたよね...。
サイゴン(ホーチミン市)にあったアメリカ大使館をベトコンの特攻隊が半日占領したことで有名な1968年2月のテト攻勢は「戊申のテト」あるいは単に「戊申」とベトナムで呼ばれている。このことを初めて知りました。
キン族のベトコン幹部は森にすむ少数民族のなかに身を隠すために、摺歯、張耳の風習を自ら実践した。歯を石で何時間もかけて擦って歯茎近くまで歯を摺り切るのは摺歯。熱湯で耳たぶを張らせるのは張耳。同じようにベトコン幹部は、らい病キャンプ(ハンセン病のことです)に逃げこんで、助けてもらった。
中部高原の人は、とくに男性は、遊び歩くのが大好きで、あちこちをさまよい歩く。森の中でジャコウシカや鹿を追いかけ、蜜蜂や笛にする篠竹をさがして歩く。古い友人を訪ね、新しい友をつくる。
中部高原で人々が水牛を飼うのは農作のためではない。祭礼で水牛をつぶすため。水牛は命を捧げる神聖な任務を遂行する動物なのだ。
イータムは、毎夜、歌うたびに一人の女性を愛し、愛してすぐ忘れ、翌日の夜には別の女性を愛する。戦争当時の中部高原で、大衆を目覚めさせ、革命拠点をつくり、革命勢力を組織し、包囲を打ち破り、根拠地を広げるため宣伝活動のなかで、もっとも強力なのは流し歌いであった。これを武装宣伝隊と読んでいた。
森の中では、食べることが十分できるほどに栽培すればよい。なくなれば、また栽培する。さらに困窮したら、森に入って山芋を掘る。山芋がなくなれば、森の野草を食べる。問題ない。苦労することはない。あとは、時間をつくって遊ぶ。遊ぶこと、楽しく生きることが、人間がこの世の生活を営む段階での最高の目的なのだ。
現代文明の最高到達点であり、最強のアメリカ軍が森に入って対峙していた「敵」は、このような「哲学」をもっていた人々だったのです。これでは、長い目でみれば、どちらが勝つか一目瞭然ですよね。
(2021年10月刊。税込2750円)

 帰宅すると、11月に受けたフランス語検定試験(準1級)の結果を知らせるハガキが届いていました。合格まちがいなし、その場に居合わせた孫たちに見せびらかして威張ってやろうと思い、ハガキを開こうとするのですが、なかなか開きません。なんだか嫌な予感がしました。やっと開いて飛びこんできたのは、まさかの「不合格」。ガーン。
 試験翌日の自己採点では83点でしたから、楽勝のはずだったのです。ところが、なんと72点。合格最低点は74点(120点満点)ですから、2点だけ足りません。
 いやはや、なんということ。大ショックです。
 採点した人が間違ったんじゃないか。私がそう言うと、孫たちが声をそろえて、「それはない」と、バッテンポーズをとったのでした。
 これまで仏検・準1級には2009年5月に初めて合格してから昨年まで、8枚の合格証書をもらっています。今年は9枚目、1月末には口頭試問を受けるつもりでした。
 めげず、くじけず、毎朝NHK講座とCD書きとりを続けます。

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2021年12月23日

鎌倉殿と執権北条氏

日本史(鎌倉)


(霧山昴)
著者 坂井 孝一 、 出版 NHK出版新書

なぜ源頼朝が苦労してうちたてた鎌倉幕府が、いつのまにか妻・政子の出身母体である北条氏一門で牛耳られるようになったのか...。北条政子は自分の子より、なぜ実家を大切にしたのか...。鎌倉時代には不思議なことが多いですよね。
源頼朝が伊豆で挙兵したとき、まず一番にやったのは山木攻め。このとき、わずか3~40人ほどの兵力で奇襲をかけた。この奇襲において北条氏は頼朝軍のまさしく中核だった。
ところが、石橋山合戦では頼朝軍は大敗し、頼朝自身も闘わずして上総・安房(あわ)に逃れた。
鎌倉時代には、敵対者の子が男なら、たとえ赤ん坊や幼児であっても命を奪うのが常だった。
このころ、武士は、恩を施してくわる者こそ主君だとみていた。
源平合戦の一つとして有名な「富士川の戦い」においては、甲斐源氏はともかく、兵力差におじけ(怖気)づいた追討軍のなかから数百騎が脱走したため、やむをえず撤退したのではないか...。
北条義時は、忠実なる御家人として頼朝に仕えた。
北条時政は、頼朝の期待にこたえた。ただし、少し調子に乗りすぎた。
頼朝自身は53歳で死亡。政子は、源家の若い当主である頼家を支える家長。御家人たちも政子の意見には従った。頼家は「暗君」ではない。積極的に幕政に関与し、将軍親裁(しんさい)を執行していた。
「比企(ひき)の乱」は、追いつめられた北条時政ら北条氏の側が仕かけたクーデターであり、その実態は「北条の乱」と呼んだほうがいい。
源実朝が鎌倉殿を承継したときは、わずか12歳だった。このときから北条時政の独走が始まった。
牧氏事件は、政子と北条義時ら、方丈時政前妻の子たちが将軍実朝と協力し、時政と後妻の牧の方を追放した事件。
北条義時は、情勢分析がうまく、適切なチャンスが来るまで、じっと待機していた。チャンス到来と判断すれば果断、迅速に行動した。
和田合戦で和田義盛の和田氏が滅びてしまった。
承久の乱における北条氏と後鳥羽上皇の駆け引きが詳しく紹介され分析されているところは、なるほど、そういうことだったのかと思わず膝を叩いてしまいました。
後鳥羽上皇が許せなかったのは、大内裏(だいり)焼失の原因をつくった鎌倉幕府が再建に協力しないこと。
後鳥羽上皇は、北条義時追討の院宣(いんぜん)を発した。これに対して、義時の姉の政子が動いた。「尼将軍」政子の演説は、今も日本史上に残る名演説です。このとき、政子は簾中(れんちゅう)から言葉を発するという手続を踏んだ。この政子の演説によって御家人たちは激しく心を動かされた。
このとき、後鳥羽上皇が命じたのは、朝敵義時の追討だったのに、あたかも幕府本体への攻撃だったと政子はうまくすりかえた。すなわち、政子は義時追討を「三代の将軍の遺跡」幕府そのものへの攻撃であるかのように巧みにすり替えた。
そして、幕府を構成する御家人たちの危機感があおられ、鎌倉幕府の解体の危機がつきつけられた。その状況からして、御家人たちには「鎌倉方」を選択するしかなかった。
義時の率いる鎌倉勢は、圧倒的な実戦経験があった。和田合戦などで実戦を通じて学んでいた。これに対して、京方の将兵は実戦経験に乏しかった。
後鳥羽上皇は、さすがに「治天の君」として策略を立て、三段がまえの戦略を立てた。しかし、万が一に備えておくこともしなかった。
執権北条って、決して盤石ではなかったということがよく分かりました。歴史のダイナミックを実感させられる本です。
(2021年9月刊。税込1023円)

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2021年12月24日

始皇帝の地下宮殿

中国


(霧山昴)
著者 鶴間 和幸 、 出版 山川出版社

私は幸いなことに兵馬俑(へいばよう)を2回も現地で見学しています。ともかくすごいのです。等身大の兵士と将軍の彫像が何千体も発掘され、展示してあるのです。実に壮観です。そして、当時の壮麗な馬車もあります。よくぞこんな壮大なものを構想し、実現したものです。実物の前では息を呑むばかりで、言葉になりません。
始皇帝(前259~前210)は、中国最初の皇帝。はじめは秦王(しんおう)として即位し26年間、東方の六国を併合してからは皇帝として12年のあいだ君臨した。陵墓の建設は、秦王に即位した翌年から。実に37年におよぶ治世のあいだ罪人(刑徒)72万人を動員して建設工事を続けた。始皇帝は50歳のとき、病気のため急死した。始皇帝の肖像は残されていない。今あるのは、17世紀の明の時代の肖像なので、完全に想像図。
兵馬俑坑が発見されたのは1974年のこと。始皇帝陵のすぐ近くにあります。
秦が滅びたあと、三国時代に楚王の項羽が30万人を動員して30日間かけて始皇帝陵から物を運びだした。また、失火から始皇帝の地下宮殿が90日間も燃え続けたという。
私も、それは知っていましたので、始皇帝陵はもはやカラッポになった状態だとばかり思っていました。ところが、本書は、地下5メートルほどの兵馬俑坑なら火災にあうかもしれないが、地下30メートルの地下宮殿が焼失したはずはないとしています。
始皇帝の墓室は、深さ30メートル、東西80メートル、南北50メートル。そして、地下宮殿は、東西170メートル、南北145メートル、高さ15メートル。
墓道は埋められているので、地下世界に入るのは不可能。
始皇帝は地下宮殿で金縷(きんる)玉衣をまとっている可能性が高い。
科学技術の発達によって、今では、実際に地下を掘らなくても、地下宮殿をイメージすることができるのです。驚きますね...。
そして、地下宮殿には、大量の行政文書や書籍が搬入されているはず。いやあ、すごいことですよね。これらの文書が発掘されたら、古代中国の実態が今よりはるかに鮮明になることでしょう。それは私の生きているうちには恐らく無理でしょうが、私は、あの世から戻ってきても、ぜひぜひ知りたいです。
兵馬俑も1回目と2回目とでは、ずいぶんと展示の仕方が異なっていました。コロナ禍の心配をしなくてすむようになったら、もう一度ぜひ行ってみたいです。万里の長城は行ってしまえば2度も行かなくていいところですが、兵馬俑はそんなものでは決してありません。
久しぶりに中国古代文明のすごさを少しばかり実感し、ゾクゾク興奮してしまいました。
(2021年9月刊。税込1760円)

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2021年12月25日

うん古典

日本史(古代)


(霧山昴)
著者 大塚 ひかり 、 出版 新潮社

子どもたちの大好きな『うんこ漢字ドリル』が大ヒットするなかで、実は日本人は昔から大人も「うんこ」の話が大好きだったという、うんちくをこれでもかと傾けた本です。まさしく「うんこ」ワールドの世界が大爆発します。
王朝文学は、神話に劣らぬほどの「うんこ話」の宝庫。もっとも汚れた者こそが、もっとも神聖な境地に達するという物語のパターンがあった。
侍(さむらい)にとってトイレの付き添いや介添え、これが風呂の用意や掃除とともに、主な仕事になっていた。
鎌倉前期、禅宗の一つ、曹洞宗をおこした道元は、トイレのマナーを具体的かつ詳細な論述していた。
トイレは仏の説法の場でもあったので、そこでのマナーは、仏教的にも非常に大切なものだった。
『正法眼蔵』のトイレマナーは、身を清浄に保ち、トイレを正しく使うことで、心が安定、自分も他者も幸せになる。
これってコンマリ「近藤真理恵」本で、おすすめのことですよね...。
排泄の場であるトイレは、古代は乙女を犯そうと神が現れたり、江戸時代には人の尿をなめたり、尻子玉を抜こうとする河童が出てくるので、鬼神と出会いやすいというパラドックスがあった。つまり、トイレは、この世ならぬ異界への出入口だ。
現代では、便は健康状態をはかるバロメーターだ。健康第一を唱える人なら誰だって、その日の便の状態はよくよく視認しているのです。
いやあ、勉強になりました。
(2021年4月刊。税込1705円)

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2021年12月26日

三国志入門

中国


(霧山昴)
著者 宮城谷 昌光、 出版 文春新書

中国でもっとも多くの人々に読まれた小説は『三国志演義』。漢と明のあいだにあった三国時代の変遷、政争を扱った小説です。
私は、『三国志』よりも『水滸伝』のほうが、よりより胸がワクワクして好きでした。どちらも中学生のころに読んだのだと思います。なので、ダイジェスト版だったのかもしれません。
『三国志』には、劉備と関羽、張飛の三人が桃園で兄弟のちぎりを結ぶというシーンがあります。これも、史実とは違い、小説の世界のことのようです。
日本は中国から多くの制度や物を輸入したが、不思議なことに宦官(かんがん)と馬車は導入しなかった。
古代中国の戦場では兵車戦が大きな主役となっていたが、日本では歩兵戦と騎馬戦がおもになった。これは太平原のある中国と、山あり谷あり川ありというチマチマした地形での戦闘がほとんどだったことの違いによるものではないか。戦国時代の長篠の戦いも、それほど大きくはない川をはさんでの戦いでしたし、関ヶ原の戦いにも、現地に2度、私も行きましたが、平坦な土地はごくわずかしかありませんので、兵車が活躍できたはずもありません。
なぜ日本に宦官が登場しなかったのか、この本に答えはありません。ただ、明治までの日本の馬は去勢しないことで有名です。人間と馬は違いますが、なんだか似てませんかね...。
関羽を祀(まつ)る関帝廟(びょう)は、日本にも東西にあるそうです。関羽は武神だったのに、今では商売の神様になっています。
中国の美女は「国色(こくしょく)」といいます。国のなかで、もっともすぐれた容色のこと。
赤壁の戦い。208年に曹操と孫権が戦い、曹操軍が大敗してしまいます。さすがにスケールの大きな中国映画で、それを映像としてみました。
諸葛孔明(しょかつ・こうめい)は、私も大好きなヒーローです。実戦で活かせる兵法を考え出し、活用していったのです。兵糧不足と軍需物資の輸送のむずかしさに悩み、それを克服していったのでした。
三国志の世界を知ることは、宝の山に踏み込むようなものかもしれない。
中国モノの文学作品の第一人者による『三国志』の入門の手ほどきがされている新書です。
(2021年3月刊。税込1045円)

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2021年12月27日

幻の村

日本史(戦前)


(霧山昴)
著者 手塚 孝典 、 出版 早稲田新書

満蒙開拓団の悲惨な歴史をたどった新書です。
満蒙開拓団は、1931年の満州事変、翌年の満州建国のあと、1936年に閣議決定されて日本の国策となった、現在の中国東北部へ日本人500万人を移住させる計画によるもの。
「満州に行けば地主になれる」
こんな政府のコトバをうかつにも信じて、農業の担い手としての成人男性とその家族が海を渡った。その真実は、日本の公設企業が現地の農民から安く買いたたいた農作地と家屋を与えられ、中国人をよそへ追いやる入植だった。そして、それはソ連国境の防衛と、植民地支配が目的だった。また、日本の軍事を担う、陸軍の関東軍への食糧供給など兵站(へいたん)の役割も担っていた。
この本は、長野県にすむ胡桃澤盛(さわもり)を主人公としている。彼は36歳のとき、旧・河野村の村長に就き、総勢95人の河野村開拓団を満州に送り出した。ところが戦後の日本に無事に戻ってきたのは22人のみ。73人が死亡した。翌年、この村長は42歳の若さで自死した。
河野村開拓団には敗戦時の8月15日に76人がいて、男性は4人のみ。7割が子ども。中国人の村人から取り囲まれた。そして、団長は暴力を受けて虫の息となり、日本人の手で殺された。そのあと、開拓団は集団自決をはじめた。まず、自分の子どもを首を絞めて殺した。そして、生き残った人々が長野県に戻ってきたときには、村をあげて送り出したはずなのに、厄介者扱いされた。
「好き勝手に満州に行って死んだ奴ら...」と、さげすまれた。戦死者とは違う扱いだった。
中国人が耕作していた土地を、日本人がタダ同然で追い出したところに開拓団は入植した。開拓団のほうは、先輩たちが開拓した土地だと信じていた。開拓団の生活は軍隊式で、日課には軍事訓練もあった。
日本敗戦後、関東軍は逃げるときに時間かせぎのため、橋を落としていった。そのため開拓団は逃げるのに苦労させられた。
満蒙開拓団青少年義勇軍は全国で8万5千人。そのうち3万人が命を落とした。
国策として満州へ送り出したにもかかわらず、日本政府は残留孤児の帰国について、「家族の問題」として、介入しない方針をとった。そして、公的な支援策はとらず、家族まかせにした。
満蒙開拓団がたどった苦難の歴史が教えるものは、政府(国)や当局(村)の言っていることをうかつに信用してしまう(うのみにする)と、生命も財産も失うことがあるし、自己責任として、信じたほうが悪いとされることがあるということです。
それにしても、今の自民党(自民・公明)政権のひどさ(無責任さ)は、あまりにもひどすぎますよね。アベノマスクにしても8千万枚が配られずに倉庫に眠っていて、倉庫代がかさんでいる。1千万枚が不良品であり、その検品代に21億円もかけたうえ、廃棄処分する。これから子どもに配られる10万円の半分をクーポン券にして、その配布のための事務手数料に1千億円近くかけようとする...。信じられないムダづかいです。私は絶対に許せません。プンプンプン...。投票率が5割ほどでしかない状況がすべてを許しているのです。
(2021年7月刊。税込990円)

 12月25日、天神でアメリカ映画『ダーク・ウォーターズ』をみました。デュポン社(化学製品のメーカー)がテフロンには生物への重大な健康被害を与えることを実験して知悉していながら消費者に対しては安全・便利だとウソを言って莫大な利益をあげていたのを企業側の弁護士がデュポン社とたたかうことになり、大変な苦労の末に勝訴したという実話にもとづく映画です。
 日本でも水俣病やイタイイタイ病裁判があるわけですが、わずかな弁護士が大企業と裁判して勝てた背景には情報開示制度が生きていることがよく分かりました。
 また、クラスアクション(集団訴訟)を活用し、大々的な疫学調査を国にさせたところも注目すべきところがあり、大変勉強になりました。
 残念なことに観客はわずか5人だったようです。

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2021年12月28日

コード・ガールズ

アメリカ


(霧山昴)
著者 ライザ・マンディ 、 出版 みすず書房

日本がアメリカに宣戦布告して始めた太平洋戦争で、日本が勝てたはずがないことは、この本を読めば一目瞭然です。だって、アメリカは、1万人以上の女性を暗号解読作業に従事させていて、日本が絶対解読されるはずがないと慢心・過信していた暗号を見事に解読していたのですから...。
だから、真珠湾攻撃には役に立たなかったけれど、ミッドウェー海戦のときには、日本海軍の手の内を全部知っていましたし、山本五十六長官の行動スケジュールの詳細をつかんでいたので容易に撃墜できたのです。そして、日本軍の船舶輸送についても全部つかんでいました。アメリカが苦労したのは、暗号を解読していることを日本軍に知られないようにすることだったのです。
そして、駐ドイツ大使の大島浩が親ナチスでヒットラーとも親密な関係にあって、ドイツ軍の配置状況を詳細に東京へ報告していたのまで、その全部をアメリカは把握していたのです。これが連合軍のノルマンディー上陸作戦のとき大いに生かされました。親ナチスの大島浩は、客観的には連合軍のスパイのような役割を果たしていたのでした。まさしく歴史の皮肉です。
暗号解読にはインスピレーションのひらめきがなければいけない。しかし、同時にファイルを几帳面に整理整頓していなければ解読できない。
暗号解説には優れた記憶力をもつ大勢の人間が必要だ。
アメリカ陸軍の1万500人の暗号解読集団の70%が女性だった。海軍では80%。アメリカ人の暗号解読者2万人のうち1万1000人が女性だった。しかも、大学卒の優秀な若い女性たちです。全米からワシントンに集められ、秘密の施設で解読作業にあたりました。
暗号解読には、読み書きの能力と計算能力、注意力、想像力、労を惜しまない細やかな気配り、優れた記憶力、くじけずに推量を重ねる力が求められた。単調な骨の折れる作業に耐える力と、尽きることのないエネルギーと楽観的な心構えが必要だった。
暗号解読の成功は、診断力があるかどうかで決まる場合が多い。診断力とは、部分だけでなく、全体を見る能力、通信を偽装するために敵が考案したシステムの根本を見抜く能力のこと。
暗号解読者にかかる重圧、ストレスは大変なものがあり、神経衰弱になって、立ち直れない人も少なくなかった。
日本の暗号製造機でもあるパープル機は、連合国にもっともすぐれた情報をもたらしてくれた。日本人は自国の暗号システムの安全性に無邪気なほどに自信をもち、ひんぱんに通信文をやりとりしていたため、連合国に多くの貴重な情報を与えた。3年間に1万通以上の情報が連合国に与えられた。そして、真珠湾攻撃を予測できなかったのは、日本の外交官が、それを知らされていなかったから。
ナチス・ドイツのエニグマ(暗号機)は、ポーランドの暗号解析チームが解読した。そして、イギリスでは2000人の女性職人が解読機「ボンブ」を操作した。
アメリカは、日本軍の暗号を解読したことによって、日本陸軍部隊の兵力、装備、種類、位置、配備をつかんだ。敵の日本軍がどこに宿営していて、どこに向かっているか、アメリカは正確に知っていた。
そして、暗号が解読されたせいで貨物船が撃沈されたと日本が察しないようにアメリカは計略をめぐらした。日本が送信してきたもので、アメリカ軍が読めないものはひとつもなかった。これでは日本軍がアメリカに負けるのは当然のことですよね。物量以前に、情報戦での日本軍はアメリカに負けていたのです。それにしても日本の過信は今も続いていますよね。今でも日本民族は世界に冠たる優秀な民族だなんて吹聴する人がいるのですから、恥ずかしい限りです。そんな人は、この本をぜひ読むべきだと思いました。
(2021年7月刊。税込3960円)

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2021年12月29日

中国共産党の歴史

中国


(霧山昴)
著者 高橋 伸夫 、 出版 慶応義塾大学出版会

中国共産党の輝かしい歴史の陰には凄惨な歴史が繰り返されていたことを改めて認識しました。
1921年7月、上海で秘密裏に第1回党大会が開かれた。このとき、毛沢東をふくむ13人の代表が集まったが、その平均年齢は28歳だった。彼らは必ずしもマルクス・レーニン主義者ではなかった。このとき採択された綱領はアメリカ共産党の綱領を、決議はアメリカ共産党宣言を手本とするものだった。
1923年6月、共産党の党員は420人。これに対して国民党の党員は5万人。国民党が1924年1月に広州で開いた全国代表大会では、共産党員を国民党に入党させることを正式に認め、毛沢東も国民党に入党した。
1927年春には、中国共産党の党員は労働運動の進展とともに6万人近くまで急増した。武漢で開かれた第5回党大会には、国民党中央委員会の代表団、コミンテルン代表、イギリス、フランス、アメリカ、ソ連の共産党代表も参加した。
スターリンは国共合作が崩壊するなかで、中国の共産主義者に対して一連の武装蜂起に立ち上がることを命じた。このころ、中国共産党は、財政面でも、モスクワに大きく依存していた。コミンテルンは、中国共産党に毎月1万2820ドルを送っていた。
1927年12月に広州で起こした暴動は失敗し、6千人もの共産党員と労働者が殺害された。このころ、毛沢東は新しい軍隊をつくり出していた。この軍隊は志願制で、やめたければ好きなときにやめてよく、軍隊内部には民主制が施行され、将校と兵士は対等とされた。そして、「三大規律、八項注意」を徹底させた。
1928年夏には、共産党は井崗山根拠地を拡大させて、人口50万人をかかえた。
1929年代末の毛沢東は、まだ同僚たちから心服されていない人物だった。それどころか毛沢東は党中央にとって厄介者だった。それでも革命の現場には不可欠の実力者だった。
1930年から、中央根拠地で、「AB団(アンチ・ボリシェビキ団)」なる反革命集団がいるとして大々的な静粛が始まった。結局、「AB団」として7万人あまりが殺された。
1931年4月ころ、上海で活動していた党の秘密活動の責任者であった顧順章と総書記の向忠発が逮捕・処刑された。
1931年11月、毛沢東は、中央根拠地における紅軍の指導的地位から排除された。このとき、党のトップは周恩来だった。
1934年10月、「長征」が始まった。このときには、毛沢東はソビエト政府主席となっていた。しかし、軍事上の最高指揮権は、まだ周恩来が握っていた。毛沢東が軍の最高指揮権をもるのは、1935年8月から。
張学良は、共産党を日本軍に対するレジスタンスの信頼できるパートナーとみなしていて、自ら中国共産党への加入を申請した。これに対してコミンテルンが「軍闘」として加入を認めなかった。それでも張学良は、共産党との良好な関係を保ち続けた。
張学良が蒋介石を監禁した西安事変は、スターリンを大いに困惑させた。他方、毛沢東は有頂天となり、「西安事変は革命だ」とし、蒋介石を人民裁判にかけることを考えた。しかし、コミンテルンが介入し、蒋介石を釈放するしかなくなり、毛沢東は地団駄を踏んで悔しがった。
1940年、「百団大戦」のなかで八路軍が日本軍2万人を死傷させたとき、衝撃を受けた蒋介石の国民党は八路軍の削減を要求した。このとき毛沢東は、蒋介石が共産党軍を日本軍とともにはさみうちにして壊滅させようとしていると心配し、逆に国民党軍を背後から攻撃しようと考えた。このときもコミンテルンが介入してきて、毛沢東はあきらめた。
日本の右翼的な考え方の持ち主に、このころ、共産党軍は自ら戦わずして日本軍に国民党軍と戦わせて漁夫の利を得ようとしていたという「説」がまことしやかに流されています。このころ、こんな状況で、共産党軍が日本軍と事実上にせよ提携するなど、まったくありえないことです。
1941年から1945年にかけて共産党軍は、陝甘寧辺区で大規模なケシの栽培を始めていて、「革命アヘン」の売買による利益が党中央の財政収入の25~50%をまかなっていた。いやあ、これは知りませんでした...。
中国共産党の党員は、1937年7月に4万人だったのが、1938年末には50万人になった。
1042年2月、整風運動が始まった。
1943年3月、党中央書記処は毛沢東、劉少奇、仼弼時の三人から成り、毛沢東には「最終決定権」が与えられた。つまり、毛沢東は、別枠の権力者になったのです。かつては毛沢東より立場が上だった周恩来は、屈辱的な自己批判をして、毛沢東に忠誠を誓って、永遠の屈従を強いた。
1943年7月、延安で反スパイ動員大会が開催された。
1946年夏、国共内戦が始まった。初めの9ヶ月間は、紅軍は後退を余儀なくされた。国民党軍の将軍たちは、最後にはアメリカ軍が助けてくれると期待して、懸命さに欠けていた。その兵士たちも、村から強制的に連れてこられた男たちが大半なので、戦闘精神に欠けていた。そして、村々を略奪してまわった。これに対して、人民解放軍兵士は士気が高く、略奪することもなかったので、人々の支持が集まった。
(2021年7月刊。税込2970円)

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2021年12月30日

非正規介護職員ヨボヨボ日記

社会


(霧山昴)
著者 真山 剛 、 出版 三五館シンシャ

施設では、入所者の前では「オムツ」とは呼ばず、「パンツ」と言う。オムツは赤ちゃんのためのもの。プライドが傷つけられる...。
まあ、私はオムツではなく、昔風におシメと言って笑われるのですが...。認知症になっても、人間としてのプライドだけはもっているのですよね...。それが、人間の不思議なところです。
社長もコンサルタント会社の役員もしたことのある著者が56歳で介護施設で働くようになり、すでに70歳。その介護施設の実情を現役の介護職員として働きながら、泣き笑いのペーソスたっぷりに紹介している本です。やがてお世話になる日も近いと思いながら、身につまされつつ読みすすめていきました。
短気な人間に介護の仕事は向かない。
介護の仕事にセクハラはつきもの。セクハラするのは堅い職業についていた人、銀行員、警察官、宗教家、教員などに意外に多い。
施設の入所者の大半、とくに女性は便秘になりやすい。高齢者は腹圧が弱くなって、運動不足だから。それで、就寝前に便秘薬を飲ませる。便秘は苦しいし、身体によくないですよね...。
職員を大切にしない施設職員から見限られる施設、つまり職員が日常的に辞める老人ホームが優良な施設であるはずはない。そんな施設が入居者を大切にする(できる)はずはない。
お局(つぼね)様のようなベテランの職員がいて、細かいところにまで気がつくのはいいけれど、人前(みんなのいる前)で、厳しく叱責するようだと、新米職員は心が折れて、一週間もしないうちに辞めていく。
介助の仕事には細心の注意が必要だが、あまりに些細なことを気にしすぎると、かえってこの仕事はつとまらない。燃え尽き症候群(バーンアウト)は、介護職によく見られる。責任感が強すぎたり、ストレスに弱かったり、人の目を気にする神経質な人が陥りやすい。
毎日、深刻に真正面から彼らの「老い」や「認知症」と向きあっていたら、それこそこちらのメンタルがもたない。彼らを面白がるくらいでないと、とても介護の仕事は続けられない。それが正直な気持ち。これが著者がこの本を書いた理由です。うーん、なんだか分かりますね...。
(2021年9月刊。税込1430円)

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2021年12月31日

王朝日記の魅力

日本史(平安)


(霧山昴)
著者 島内 景二 、 出版 花鳥社

NHKラジオで古典講読をしている著者が放送台本を書き言葉に置き換えていますので、とても読みやすく、しかも内容が濃いのです。さすが学者は違います。読み方の深さに圧倒されました。
『蜻蛉(かげろう)日記』の作者は道綱の母、そして藤原兼家の妻。上巻・中巻・下巻には、19歳から39歳まで、あわせて20年間の「女の一生」が書かれている。
著者による現代語訳を少し紹介します。
夫から捨てられて、みじめな死に方をするのではなく、夫を捨て、夫によってみじめなものにさせられた自分の人生をも潔(いさぎよ)く捨ててしまう。そういう潔い死を、私は求め続けた。私にはプライドがある。運命に追い詰められて死ぬのはみじめである。死にたくないなどと逃げ回って、けれども、ほかにどうしようもなくなって、仕方なく死んでゆくような、情けない死に方は絶対にしたくなかった。けれども、ただ一つだけ、私が捨てられないものが存在する。私の生んだ、たった一人の男の子、道綱である。
道綱の母は、藤原兼家という夫の束縛を断ち、大空のはるか向こうまで、自由を求めて飛んでいきたかったことだろう。夫の兼家には、「近江」という愛人がいて、別に村上天皇の皇女とも男女の関係にあった。道綱の母は、『蜻蛉日記』を読んでいる読者に向かって、直接、私の心を推し量(はか)ってくださいな、と呼びかけている。
いやあ、すごいですね。これではまるで現代に生きる日本女性の叫び声ではありませんか...。
平安時代には、女性が出家して尼になるときも、髪の毛を全部剃(そ)って丸刈りになることはない。髪の毛を肩のあたりまでで切り揃(そろ)える。残った髪の毛は、額のあたりで振分髪(ふりわけかみ)にして、左右に分ける。この髪型を「尼削(あまそぎ)」という。
オカッパ頭になるのですね。そして、いよいよ死の間際になったら髪の毛を剃ってしまったのです。
道綱の母は、読者の目からすると感情移入するのがかなり難しい性格の持ち主だ。
この本は、『蜻蛉日記』と『源氏物語』の共通点を指摘しています。それは、紫式部の『源氏物語』が『蜻蛉日記』から多くのものを学んでいるということです。
道綱の母は、兼家との夫婦関係が完全に消滅すると、わが子・道綱の政治家としての未来も閉ざされてしまうことを心配した。なので、我慢するしかない。
『蜻蛉日記』は、作者の主観が生み出した世界を、言葉にうつしとったものだと考えられる。言葉が世界をつくり出す。正確には、心を写しとろうとした言葉が、王朝日記文学をつくり出したのだ。
『蜻蛉日記』のなか、『源氏物語』、そして『更級(さらしな)日記』のなかにも不思議な夢のお告げがよく登場する。王朝の女性たちは、夢の実現を強く願い続けた。女性たちの夢や希望がぎゅっと圧縮されたもの、いわば「夢の遺伝子」が『蜻蛉日記』であり、『源氏物語』であり、『更級日記』だった。
『蜻蛉日記』の作者(道綱の母)は、60歳まで生きて、995年に亡くなった。
その夫である藤原兼家は一条天皇が即位したとき、摂政になった。その4年後、兼家は亡くなった。さらに、その5年後に作者(道綱の母)が亡くなった。この年、兼家の息子である道隆と道兼は相次いで死去した。翌年、兼家の息子の道長が権力を掌握した。
まもなく紫式部による『源氏物語』が書かれはじめ、『和泉式部日記』そして、『更級日記』の著者が生まれた。女性の手による散文の名作・傑作が続々と誕生した。その最初が『蜻蛉日記』なのだ。
この『蜻蛉日記』は『源氏物語』に大きな影響を与えただけでなく、近代小説にも影響を及ぼしている。田山花袋、堀辰雄、室生犀星の3人があげられる。
こういう講釈を聞くと、『蜻蛉日記』で言われていることは、そのまま今の日本にあてはまると思えてきます。決して古いとか時代遅れになったとは思えません。喜ぶべきか悲しむべきか分かりませんが、すごいことですよね。手にとって読んでみる価値が大いにある本です。
(2021年9月刊。税込2640円)

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