弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2012年3月 4日

子どもは「育ちなおし」の名人!

社会

著者   広木 克行 、 出版   清風堂書店

 教育学者による鋭い指摘には、はっと目が開かされる思いがします。
 いま大阪では政治の力で異常な「教育改革」が進められている。その本当の目的は、教師のなかから人間性を奪い、政治権力の僕(しもべ)として競争と管理の教育をすすめさせようとするものだ。子どもの元気や健康など、子どもの存在そのものに関心をもってるのではなく、点数化された子どもの一部の能力を見て、もっとがんばれと叱咤激励するのが教師の仕事だという。
 しかし、能力の原理だけに人間の意識が特化されていったとき、教師と子どもとの関係は深くむしばまれてしまう。
 秋葉原事件(2008年6月)を起こした青年は、小・中学校では学年トップクラスの成績をとっていた。
 人間関係の育ちを無視した頭だけの育ちは、人格の育ちを歪めてしまうものとなる。
幼児期から学力を能力を高めて教育中心の生活が強いられ、点数にこだわり、パニック状態になる子どもが増えている。
 関係をつくる力は、目には見えない力であり、点数化することができない。失敗もつまずきも経験できる豊かな関係の中でこそ、子どもたちは人間として育ち、育ちなおすことができる。
 携帯電話という情報端末が、いじめの質を非常に悪質にし、人の心を深く傷つけるものにしている。
 点数化し、序列化すると、子どもたちから遊びを奪うことになる。子どもたちがお互いに楽しく遊び育つことができるのは、子どもたちが横並びになっているときだ。点数化されると、子どもたちは、いつのまにか縦並びになっている。縦並びになると遊びが消えていく。
 教育とは、本来、一人ひとりの子どもが自分の長所と夢を育てることを支援する仕事であり、それを伸ばして実現するために知的、身体的、精神的な力を育てる仕事である。
 学校選択制や全国一斉学力テストの導入など、政府は教育を競争の手段と化す政策を一貫して強化してきた。
 競争の教育は、子どもと青年のなかに「自信の喪失」や「悲哀感」の強まりという深刻な問題を生み出す原因になっている。与えられた問題を要領よく解くだけの勉強、つまり学習と学力では自己決定ができず、自分が何をしたいのかさえ分からなくなって、自己喪失感を強める可能性がある。
 競争の教育は、子どもを点数に変え、子どもから余暇と遊びを奪い、生活を空洞化させる。それによって自己肯定感が育たず、人間としてもっとも大切な夢が奪われる。
 この本は、そんな困難な状況のなかでも、それをなんとか乗り越えていった実例がいくつもあげられ、救いがあります。読んで元気の出てくる本でした。
(2011年10月刊。1400円+税)

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2012年3月 3日

ベテルギウスの超新星爆発

宇宙

著者   野本 陽代 、 出版   幻冬舎新書

 オリオン座に輝く一等星のベテルギウスが今にも爆発しそうだというのです。
 ベテルギウスは、地球からわずか640光年という近距離にある赤色長巨星です。質量は太陽の20倍、直径は太陽の100倍です。
 ベテルギウスが爆発すれば、史上最大級の宇宙ショーとなる。満月と同じくらいの明るさ、途方もなく明るい点が突如として天空に出現し、数ヶ月のあいだは昼間でも見えるほどギラギラと輝く。
 しかし、爆発から2年たつと、ベテルギウスは今より暗くなってしまい、あとは暗くなる一方で、やがて姿を消す。そして、冬の大三角形は見られなくなり、オリオンらしさも失う。
太陽にも寿命があり、その寿命は100億年。現在は、半ばにさしかかったところ。太陽の2倍の質量をもつ星は太陽の10倍の明るさで輝き、20億年で寿命を迎える。逆に太陽の半分の質量の星は1799億年の寿命がある。
 いま身近にある元素は、星と最後を飾る大爆発超新星によってつくられたもの。その意味で人間はスターダスト(星くず)、星の子であると言える。
 星くずから人は生まれ、また星くずへと帰っていく存在なのですね。
 悠久に生きたいと願ってもせんないことではあります。だって、あとに生まれてきた人にとっては先人はいずれ邪魔な存在になってしまうのですからね。先人が消えてはじめて、俊人の活躍する場所は開かれます。複雑な心境です。いつまでも若いと思っていたのですが・・・。たまには何万年どころか、何億年という単位で世の中のことをとらえてみるのは俗世に生きる私たちに必要なことだと、弁護士である私はいつも紛争をかかえて、つくづく実感します。
(2011年11月刊。780円+税)

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2012年3月 2日

「国連子どもの権利委員会最終所見の生かし方」

社会

著者   世取山 洋介 、 出版  子どもと教育・文化、道民の会

 国連子どもの権利委員会は2010年6月、日本政府に対して第3回最終所見を出しました。
 日本の子どもたちをめぐって国連がどんなことを言っているのか、どうせたいして分かっていないんだろうなという先入観があって読みはじめたのですがどうしてどうして、思わず居ずまいをただされるような素晴らしい内容でした。
 世取山(よとりやま)洋介・新潟大学教育学部准教授の講演によって、その内容を知ることができましたので、その講演の一部を紹介します。
 1997年に日本のNGOが国連に提出した報告書は「豊かな社会、日本における子ども期の喪失」というタイトルで次のように日本を説明した。
 「豊かであるにもかかわらず、子どもたちは本来保障されるべき子ども時代を喪失している。その原因は、競争主義的な制度が子どもの生活全体を覆い、子どもたちが家庭の中でもその競争に乗るように親からプレッシャーを与えられ、ありのままに受け入れられる人間関係を失っていることにある」
 これを受けて、国連子どもの権利委員会は、次のような最終所見を示した。
 「高度に競争主義的な性格の公教育制度が発達の歪みをもたらしている」ことへの懸念が示された。本来なら子どもの人格の全面的発達を実現するはずの公教育制度が、日本においてはそれとはまったく逆に子どもの発達の歪みをもたらしているという非常に強烈な評価が示されたのである。
 今回(第3回)の最終所見に向けて日本のNGOが出した報告書のタイトルは、「新自由主義社会日本における子どもの期の剥奪」だった。これは、いくらすり寄っても成果を上げなければご褒美がもらえないという新自由主義社会の構造が、家庭や公教育にまで浸透し、新たな困難を子どもに引き起こしていることを告発するものである。
 最終所見は、「本委員会は日本の学校制度が並み外れてすぐれた学力を達成していることを認識しているものの、学校および大学の入学をめぐって、競争する子どもの数が減少してるにもかかわらず、過度な競争への不満が増加していることに留意・懸念している。本委員会は、また、高度に競争主義的な学校環境が就学年齢にある子どもの間のいじめ、精神的障害、不登校・登校拒否、中退および自殺に寄与しうることを懸念する」と指摘している。
  そして、日本のNGOは、この10年間、日本の子どもたちの状況を海外の人に説明する場合に、四つの指標を使った。いじめ、不登校、校内暴力そして、自殺である。これは非常に競争主義的な学校に対して、子どもがとる対応のパターンをうまく表現するものとなっている。いじめはプレッシャーの他人への転嫁。不登校はプレッシャーの忌避。校内暴力はプレッシャーを与える相手の破壊、つまり原因の暴力による除去。そして、自殺はプレッシャーを感じる自分の破壊を意味する。この四つの指標の推移をみていくと、日本の子どもたちが直面している問題がわかる。
 最終所見は伝統的な困難に加えて、新しい困難も懸念として指摘した。パラグラフ60では、「本委員会は驚くべき数の子どもが情緒的幸福度の低さを訴えていることをしめすデータならびに、その決定要因が子どもと親及び子どもと教師の間の貧困さにあることを示すデータに懸念し、留意する」と書かれている。「情緒的幸福度の低さ」とは何か。ユニセフが行った調査で15歳未満の子に「あなたは寂しいですか」と訊いたところ、はいと答えた子供が、OECD諸国の平均値は7パーセントだったのに対して、日本では30パーセントを越えた。すなわち情緒的幸福度の低さとは、子どもが感じている「孤独感」のことなのである。
 子どもは、生まれた時から周りに働きかける能力をもっていて、そこから自分の欲求を満たすものを引き出して、それを内面化して、成長していく。そして、子どもの欲求表明に応答する大人との関係があってはじめて、このような主体性が生きたものになる。つまり、大人に依存して初めて主体的になりうるというのが、子どもの特徴である。
 子どもが事実としてもっている主体性を保障できるような人間関係をきちんと子どもたちにつくることが、子どもの権利の中核とならなくてはいけない。
 大切なことは、子どもの自己決定でもなく子どもを支配することでもなく、子供が主体的でありえるような人間関係をきちんと子どもに保証していく、それにもとづいて子どもの成長発達を、すべてのところで、家庭でも学校での現実しているくということである。
 では、子どもでは子どもの権利が実現されている、というのはどのような形をとっているのか。学校で子供の権利が実現されているかどうかを見極めるには何を見るのが良いのか。授業を始めると流れるような会話が教師と生徒との間で展開しているのかどうかが鍵になる。
 教壇に立って教材を子どもの前に呈示すると、子どもたちから面白い、面白くない、あるいは、わかる、わからないといった反応がすぐさま起き、それに自分が応答すると、次の会話が展開していく。次々と会話が流れ、いつの間にかチャイムがなって「はい終わり」となっているかどうか。
 子どもの自己決定論は基本的に間違いである。子どもが子どもであるということを無視して、子どもが大人と同じであることを強調したところで、日本における子どもの問題は解決しない。
 子どもに、大人がもっている権利―これは一般人権といわれる―子どもに拡大することではなくて、大人にはない子どもの固有の権利を日本社会にきちんと確立するためにこ子どもの権利条約を使うべきである。この条約は子ども固有の権利を軸にして成立していると理解することが正しい。
 自己決定権は、独りぼっちになれる権利である。独りぼっちになって決定を下し、その決定から生まれる事態に対して一人ぼっちで責任をとるということである。
 近代人権のエッセンスである自己決定権と比べたときに子どもの権利条約が画期的なのは、子ども時代は〝自律した個人″である必要はなく、逆に、依存してもかまわないし、依存しているべきなのだということをはっきりさせた、ということにある。
 「指導」という言葉は、日本政府代表が国連子どもの権利委員会による審査でたびたび用いてきた言葉である。「指導」の名の下に、大人が子どもの欲求をありのままに受け入れて、子どもの成長発達を実現するための活動を行っているのではなく、逆に、大人の欲求を子どもに押しつけていることへの懸念が今回の最終所見で示されている。
 自分のなかに、自分のことを肯定する自分、なぜ今のままで良いのか、なぜ変わらなければいけないのかを説明してくれる自分が育っていない。
 大卒資格を得ても、60%くらいの卒業者しか就職できない。つまり、競争の期間が大卒まで続き、しかも、大卒資格も安定した雇用を保障しない、「目当てのない」競争になっている。これを変えるためには、若者の雇用問題にメスを入れて、若者の雇用を拡大するという施策がどうしても不可避になる。
(2011年6月刊。  円+税)

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2012年3月 1日

医者は現場でどう考えるのか

アメリカ

著者   ジェローム・グループマン 、 出版   石風社

 医師は年齢(とし)をとるにつれ、新しい世代の若い医師が、自分たちに比べて洞察力がないとか、能力がないと嘆くのが常である。
 うひゃあ、これって弁護士の世界でも同じことが言えますよ。
すべての治療法の決定を、統計学的に立証されたデータのみにもとづいて行うという傾向が進んでいる。
 医師が常に正しい判断をするとは、誰も期待できない。医学は基本的に不確実な科学である。医師は誰でも診断と治療を間違えることがある。
 医師の目前にある医学的な謎を解くには、患者が自由に話すことが必要である。患者が怯えていたり、話を途中で切られたり、偏った方向に会話が仕向けられると、医師には重要なことが伝わらないかもしれない。
 患者である自分のいうことに医師は本当に関心があると患者に感じさせる必要がある。自分の物語を伝えるとき、患者は医師が思いつかないようなことに関するヒントを提供する。
医師は、日常用語をつかって患者を枠にはめる。多くの場合、医師は正しい枠を選び、臨床データはきちんとその枠にはまる。しかし、認識力の高い医師なら、疑わずに枠にはめ込むことは、深刻な間違いにつながりうることを知っている。
誤診は、医師の思考が見える窓といえる。それが喚起するのは、医師はなぜ固定概念を疑問視しないのか、なぜ思考が閉鎖的で偏っているのか、意識の欠落をなぜ見逃すのか、といった問題である。
 患者のケア(治療)の秘訣は、患者のケア(思いやり)にある。
 感情に対して免疫ができてしまうと、医師はヒーラー(いやす人)としての役割をまっとうすることができず、策を講じる人という一元的な役割しか果たせなくなる。
 患者の心を見失わないためには感情は重要だが、感情によって患者の病気を見失う危険もある。
 患者が救急医に訊いてもいいのは、「私の病気は、最悪の場合は何ですか?」という質問である。患者が医師の注意力を喚起できるもう一つの方法は、「症状が起きているこの患部のまわりには、他にどんな臓器があるのですか?」と訊くことである。
 良い医師は、時間の管理法を知っている。自明な症状なら、20分の外来時間内に患者と家族に明瞭な、分かりやすい言葉で説明できる。しかし、正解を見つけるには時間がかかることが多い。急いでは認識を仕損じる。
 CTスキャン、MRIなど、多量の画像データが医師の疲労と不満を増幅させ、エラー発生の確率を上げている可能性がある。
不毛な治療の苦痛にさらされないこと、これが患者にしてあげられるもっとも大切なこと。本当は無意味なのに、毒性の強い治療を継続させることを、患者をむち打つとも言う。
 抗がん剤治療のとき、これが言えるようです。
 医師は、医学部においても研究中においても、思考を節約するため、患者の複数の症状に対して一つの回答を求めることを教えられる。たいていそれは正しいが、いつもそうなるとは限らない。自分の症状には複数の原因があるかもしれないという患者の質問は、医師にさらなる思考を促すことになるだろう。
 医師の現場について知ると同時に、同じ職業人としての弁護士に通じるところの多い本でした。
(2011年12月刊。2800円+税)

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2012年3月31日

伊予小松藩会所日記

日本史(江戸)

著者  増川 宏一 、  北村六合光  、  出版   集英社新書   

 日本人の日記好きは昔からのことです。なんでも文字にして残したがる習性は、私にもしっかり受け継がれています。私は今年2冊目の本を編集して発刊しようとしています。写真もふんだんに盛り込んで、読んで楽しい冊子を目ざしています。
 この本は、なんと150年間もの長きにわたって書きつづられてきた藩の公用日誌を読み解いたものです。その苦労のほどがしのばれます。
 舞台は、愛媛県の小松町。藩の人口は1万人。武士はわずか数十人しかいない、ごくごく小さな伊予小松藩の公用日誌です。
 小松藩の家臣のうち武士は60人、足軽は40人。士分として扱われたのは幕末時に  130人。これに足軽や小者をふくめても200人ほど。これが家臣団とされていた。
 家老は1人だけ。喜多川家が家老を世襲した。家老の禄高は400石。藩政は、家老と数人の奉行の合議制によっていた。家老が公用の政務をつづった記録を「会所日記」という。この会所日記は150年間にわたって書きつづけられたが、小藩なので、領内の隅々にまで目が行き届いている。そこで領民の生活の実情を知ることができる。
 小松藩は、大きな商人からだけでなく、公家や近在の百姓からもお金やお米を借りていた。
領民のぜいたくを禁止する倹約令は次のような内容だった。
 ひさし付きの家や瓦葺の屋根を禁止する。
 お寺で三味線や琴で高声をあげ、にぎやかに振る舞うことを差し止める。
 衣類や髪かざりが華美になっている。象牙のかんざし、絹の帯をしめているのは倹約令にそむく。
下級武士については、武家以外の農民や承認との縁組を認めていた。これは、減俸への有効な対応でもあった。
 幕府は各藩に対して藩札の発行を禁止していた。それは、通貨の混乱を防ぐための措置である。しかし、小松藩は、幕府の公許をえないまま、非合法の藩札発行にふみ切った。ただ、藩札には藩の名前は入れなかった。名前も藩札ではなく、「銭預り札(ぜにあずかりふだ)」とした。しかし、印刷と発行には、藩が全面的に取り組んだ。
この銭預り札を発行して、藩の権威で強制的に流通させることによって、藩は領内で通用している銀を吸い上げることができた。そして、銀は、江戸屋敷の費用や大阪での支払いに充てることができた。つまり、消費にまわされた。
藩札発行にふみ切った慢性的な財政危機の一因は、参勤交代の旅費と江戸屋敷の維持費だった。藩の年貢収入の半分はこのために支出された。
小松藩の参勤交代時の行列は総勢110人。随員としての藩士は30人ほど。それでもこれは、全藩士の半分に近い。
小松領内で殺人や傷害、強盗のような凶悪で粗暴な犯罪は起きていなかった。ほとんど、空き巣狙いのような窃盗犯である。平和な藩だったようです。
江戸時代の人々の生活が実感として伝わってくる本でした。
(2011年10月刊。2800円+税)

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昔のくらし

社会

ポプラディア情報館 ポプラ社 2005年3月


このシリーズは、本来は、小中学生の調べ学習に必要な情報を収録したテーマ別の学習資料集であり、本書のほかにも、「日本の歴史人物」「アジア・太平洋戦争」「伝統工芸」など合計15冊からなる。しかし、このシリーズは、大人が読んでもおもしろいので、私は図書館でよく借りてくる。


本書のテーマは「昔のくらし」であり、冒頭にはこう書いてある。「明治時代からあとの人びとのくらしをくわしく紹介。電気やガスがないくらしはどんなだったか、戦争中・戦後すぐはどうだたかが、豊富な写真とイラストでよくわかります。」


なるほど、本文を読み進むと、あるある、昔のくらしが。朝は、すずしいうちに大工仕事をして、昼は暑いので家に帰って行水と昼寝で一服し、陽射しが弱まる夕方にまた大工仕事をして、夜になると縁側で将棋を指しながら夕涼み、最後に蚊取り線香をたきながら蚊帳の中で眠る。


さらに、読み進むと、あるある、昔の台所が。お櫃に入れたお米をお釜に移し、水ガメのお水を加えて、釜戸で蒸す。「はじめチョロチョロ、中パッパ、ぐつぐついったら火をひいて、赤子が泣いてもふた取るな」というのだそうな。おかずはアジの煮つけ、きんぴらごぼう、アサリの味噌汁の1汁2菜を箱膳で召する。


このような明治から高度成長経済時代の入る手前の昭和40年ごろまでの日本の庶民の暮らしが本書の中によみがえる。そして想うことは、昔の人と今の人とどちらが幸せかということである。本書に郷愁を感じるのは、私自身が今の時代に大きな不満や不安を感じていることの反映なのであろう。社会が高度化し複雑化する中で、何やら不正な出来事が横行し、その不正な出来事が、もはや社会システムの一員として立派に市民権を得ているようだ。昨今のニュースはこのような出来事ばかりを伝えている。現代社会は本当に息苦しい。


また春がめぐり来て、花芽が目を覚ます。裁判所の裏口の鴻臚館に通じる遊歩道に早咲きの桜の枝があり、この辺りでは一番乗りで花を開く。このような変わらぬものに接するとほっとする。この桜も変わりゆく人々の姿を変わらぬ視線で眺めていたのであろう。人々の暮らしはこの先、10年後、20年後、どうなるのであろうか。

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2012年3月30日

原発危機と東大話法

社会

著者   安富 歩 、 出版   明石書店

 3.11のあと、原子炉の数十キロ範囲内にいる人々が、大量の放射性物質が降り注いだことが明らかになったあとでも、平然と日常生活を続けていた。これは、テレビに出てくる東大などの学者が、「今すぐには健康に影響はありません」と言い続けていたことと決して無関係ではありません。人は(もちろん私もそうですが)、自分を安心させたいのです。安らかな気持ちで毎日を平穏無事に過ごしたいという根源的欲求をもっています。ですから、多少の放射能物質を浴びても、「すぐには健康への悪影響はない」と学者がもっともらしく言うと、それを根拠に自分を無理にでも納得させてしまいがちです。
 この本は、非科学的なことを、あたかも科学的な根拠のあることのように自信たっぷりに断言する東大教授を、同じ東大教授がバッサリ小気味いいほど切り捨てる本です。
 現実の東大は、非常に見苦しいところだ。どんよりした重苦しい空気が漂っていて、多くの人が自分でもよく分からない理由で苦しんでいる。本当は苦しいのに「東大にいる以上は、幸福なはずだ」と思い込むことによって、さらに苦しんでいる。この東大関係者を呪縛している鉄鎖の正体こそ、東大話法なのだ。
 では、東大話法とは、一体何なのか・・・?
 原子力発電所は、連続して1年以上も発電し続けられるほどのエネルギー源が小さな原子炉に詰まっている。だから、いったん暴走しはじめると止まらない。放っておいても止まらないうえ、止めようと思って近づくと、放射線を浴びる。止めるためには近づかないといけないのに、近づくことができない。
 枝野官房長官は、原子炉建屋が爆発していたのに、爆発とは言わず、「何らかの爆発的事象があった」と言ってごまかした。
 東大の関村教授は、格納容器が破れているのに、「格納容器の安全性は保たれている」とテレビで言い続けた。
原子炉の危険性をストレートに表現せず、言い換えていると、それを聞かされる国民だけでなく、自分自身をも騙していることになる。そうなると、自分がやっていることが、正しいのか、間違っているのかさえ分からなくなる。
 まわりの人がみんな、正しい、と言っているようだから、正しいのだろうという、きわめて無責任な判断停止が広がっていく。
 東大話法とは、どんなにいい加減でも、つじつまの合わないことでも、自信満々に話すことである。原子力発電(原発)の利用拡大をすすめていたのは、決して「世界」ではない。愚かで強欲な政治家、官僚、電力会社と原子力の御用学者、技術者が一致して推進したものである。
 「原子力村」が原発政策を支え、推進してきた有力な集団であったことが、今ではすっかり明らかになっています。東大出身学者でも御用学者と決して呼ばれない人がいたし、今もいることを知っています。ただ、そんな人がだんだん希少価値になりつつあると知ると、焦燥感を感じてしまいます。
(2012年2月刊。1600円+税)

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2012年3月29日

儀軌、取り戻した朝鮮の宝物

朝鮮

著者   慧 門 、 出版   東國大学校出版部

 日本が戦前、帝国日本として朝鮮半島を植民地として支配していたとき、朝鮮の貴重な文書を勝手に運び出したようです。しかも、その貴重な文書のなかには、なんと日本軍が朝鮮の皇后を虐殺したあとの葬儀を記録したものがあったというのです。これを知れば、日本が一刻も早く韓国に返還すべきは当然です。ところが、この返還にあたって韓国の人々の求めにもっとも協力したのが日本共産党の国会議員でした。かつて反共法まであって、反共産主義が徹底していた韓国の人々は複雑な気持ちで共産党の国会議員の助言を受け入れたとのことです。
 日本共産党って、こんな国際交流活動にも力を入れているんですね。偉いものです。民主党の議員もいくらかは関与したようですが、残念ながら共産党の比ではありませんでした。政権与党になると、こんなにダメになってしまうものなんでしょうか・・・・・。
 朝鮮半島の歴代の各王朝は、国家の大小行事を文書または絵で記録して残した。朝鮮王朝も、王室の行動を詳細に記録した。儀礼手続が反復する宮中行事を効果的に進行するため、すべてを文字と絵で製作し、後代に典範として残した。これを朝鮮王室儀軌という。
 福岡の櫛田神社には、韓国の明成皇后を刺し殺したときの日本刀が保管されている。全長120センチ、刃の長さ90センチ。木製の鞘(さや)には、「一瞬電光刺老孤」と書かれている。17世紀の江戸時代に忠吉という匠人がつくった名剣、肥前刀である。この刀は明成皇后の寝殿に乱入した3人の日本人の一人である藤勝顕が櫛田神社に保管を依頼した。
 王妃は殺害されたあと、裸体で局部検査までされたという。平常時には、男性に顔すら見せなかったのに、死んで異国(日本)の男子らの前に裸体をさらしたのである。
ほとんどの日本人はこの明妃殺害事件を知りませんよね。でもこう考えてみてください。日本の皇后に朝鮮の兵士と壮大たちが武器を持って突然乱入し、皇后を殺害し、その遺体をその場で焼却してしまったとしたら、同じ日本人として、下手人の朝鮮人ひいてはこの件とは何の関係もない朝鮮人に対してまで敵意をもつのは必然ですよね。加害者は忘れても、被害者は忘れないものです。
 「朝鮮王室儀軌」は、王室の主要な儀式という行事の準備過程など詳しく記録し、絵画も入れて制作された文書である。朝鮮時代の儀軌は通常は同じものを8部ほどつくられる。王の閲覧のために、高級材料で華麗につくる御覧用と、関連する官署と地方史庫に所蔵しておく分上用に分けられる。
 この本には、伊藤博文を暗殺した犯人である安重根も紹介されています。
 安重根は今でも朝鮮半島では英雄です。
 それにしても良かったですよね、朝鮮半島の貴重な書物が日本から本来あるべき故国に「返された」というのは。
(2012年2月刊。1800円+税)

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2012年3月28日

検事失格

司法

著者   市川 寛 、 出版   毎日新聞社

 勇気ある告白本です。
 弁護士だけでなく、司法関係者は全員必読の文献ではないかと思いながら読みすすめて行きました。検察庁の体質そして検察官の思考方法がよく描かれていると思います。
今の検察トップは私の同期生なのですが、検察トップの皆さんにもぜひ読んでもらいたいものです。
 初めに著者が検察官を志望したころのことが書かれています。初心って大切なことですよね。
ダイバージョンに大変な魅力を感じ、これを実践できるのは検察官だけだと思って検事を志望した。ダイバージョンとは、迂回という意味。検事や裁判官が判断に迷ったとき、犯罪者が世間からできるだけ烙印を押されないような手続を選ぶことで、その社会復帰を助け、再犯を防ごうという一連の制度をいう。
 学生のころ、検事は不偏不党で公正であるというイメージをもち、そんな検事になりたいと思った。どうでしょうか、現実の検察は必ずしも公正とは言いがたい気がします。
司法修習生のときから、「できるだけ有罪にする」訓練を積まされているから、刑事裁判官が無罪判決を出すのには度胸がいることの下地がつくられているのではないかと思う。
 検察庁は建前と本意が違いすぎる。たとえば、検察教官は、「実務に教唆なし」と言い切る。すべて共同正犯として起訴してしまう。教唆犯という起訴状を見たことがない。
 被疑者を取り調べるときは、被疑者が有罪だと確信して取り調べるようにと指導される。そこには、無罪の推定は働かない。
 検察庁では、被疑者を呼び捨てにする。
 やくざと外国人に人権はない。これが検察庁のモットーだというのです。恐ろしいです。
 千枚通しを目の前に突きつけて、徹底的に罵倒してやる。ええーっ、今どきこんなことをしているのですね。
無罪判決が出ると検事に傷がつく。誰もが責任をとりたくないから、上は下に無理難題を命じるし、下は、その無理難題を拒むことができない。このとき、検事の心理の根底にあるのは保身だ。責められたくない。責任をかぶせられたくない。
自白調書のとり方の奥の手。被疑者が座るなり、お前は聞いていろとだけ言って、すぐに○○の点を認める内容を立会事務官に口授して調書を取らせる。被疑者に言わせる必要なんかない。事務官が調書をとり終わったら、被疑者に見せて「署名しろ」と言うんだ。もちろん、被疑者は署名しないだろう。そのときは、こう言うんだ。これは、お前の調書じゃない。俺の調書だ!とな。オレの調書だから、お前に文句を言う資格はない。さっさと署名しろ。
控訴審議の大半は主任リンチでしかない。問題判決を受けた主任がただでさえ気を落としているのに、後知恵で質問している検事たちの気が知れない。主任がじわじわと追いつめられ、押し黙ることがほとんどだった控訴審議を見ていると、控訴審議はいじめの場だとしか思えなくなる。こんな審議を毎日のようにやっていたら、前向きなやる気よりも、問題判決を受けたら、ひどい目に遭う。問題判決はごめんだという後ろ向きの気持ちが大きくなっていく。こうして、検事は、ただ問題判決を避けるためだけに、法廷でわけの分からない立証活動をしたり、判決を引き延ばすような悪あがきをするようになる。これは知りませんでした。
 年末に問題判決が出ると正月休みに、年度末に出ると検事の移動時期に控訴審議をやらなければならない。だから、検察庁は年末と年度末に問題判決が出ることは徹底的に避けようとする。
 公判検事は、何も用がなくても毎日の法廷が終わったら必ず裁判官室に行って挨拶するように。このように指示される。これを法廷外活動と呼ぶ。
 私も司法修習生のとき、検事が何の用もないのに裁判官室に頻繁に出入りするのを見て、すごい違和感がありました。
検察が不起訴にすると、警察の担当者が検事の部屋に文字どおり怒鳴り込んでくる。「検事さん、今日は勉強させてもらいに来ました。どういうわけで、あの事件を不起訴にしたんですか!」と、ヤクザ顔負けの太い声ですごまれたことがある。
偽証しているのは、検察が請求した証人が圧倒的多数だ、というのが実情である。
 「事件がかわいい」という意味は、事件に身も心も捧げてのめり込み、疑問点を全部洗い出す捜査をして証拠を集める気概があること。
 「狂犬の血」が騒いだ。心底から頭にきて、「ふざけんな、この野郎、ぶっ殺すぞ、おまえ」、と無実の組合長を怒鳴りつけた。組合長が屈服したのは理詰めの質問によるものではなく、その前の暴言だとしか言いようがない。このときから、組合長は検事の言いなりになった。
 2日間は取り調べをせず、「自白調書」をパソコンでつくった。組合長の発言をつなぎあわせて「作文」していた。組合長は、何の文句も言わずに、すべての「自白調書」に署名した。一度も冷静沈着な精神状態で組合長の取り調べにのぞんだことはなかった。
 怒りは日一日どころか、刻一刻と増すばかりだった。
こんな暴言を吐くに至った、当時の佐賀地検の態勢の問題点も紹介されています。こちらも本当にひどい嘆かわしい状況です。
 この本の救いは、実名と顔写真を出していて、自分の間違いを告白していること、亡くなった組合長の霊前でお詫びをし、その遺族から一応の許しを得ていることです。
 それにしても、検察庁というところは想像以上にすさんだ職場ですね。恐ろしいです。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      
(2012年3月刊。1600円+税)

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2012年3月27日

あんぽん

社会

著者   佐野 眞一 、 出版   小学館

 ソフトバンクのオーナーである孫正義の伝記です。一気に読ませる面白い本でした。
 私は、JR鳥栖駅周辺をよく通過しますが、その近くの朝鮮部落で孫正義は子ども時代を過ごしたとのことです。私の住んでいた小都市にも朝鮮部落がありました。そこでは豚を飼っていましたので、リヤカーで残飯を回収してまわっていて、いつも独特の臭気が漂っていました。そして、ときどき密造酒づくりの現場に警官隊が踏み込んでいました。私の家は炭鉱マン相手の小売酒屋でしたから、いわば商売敵だったのです。孫正義の親も、この密造酒づくりでお金を稼ぎ、それを金貸しの原資とし、そこで貯めこんだお金を元にパチンコ店を経営するなどして発展していったようです。
孫正義は、歴とした日本人です。それなのに、今でも「朝鮮半島に帰れ」とかの誹謗・中傷が絶えないといいます。そんな日本人のひがみ・やっかみって本当に情ないですね。
いいじゃないですか。笹川某も言うように「人類、みな兄弟です」よ。全世界の人々が、もっとおおらかに交際し、まじわりたいものです。
 それにしても、この本はよく調べています。なんと、私も関わったことのある山野炭鉱ガス爆発事故まで登場してくるのには驚きました。故松本洋一弁護団長、そして角銅立身弁護士までこの本には登場してきます。その取材の丹念さに改めて驚嘆せざるをえません。
孫正義は、1957年(昭和32年)に鳥栖駅に隣接し、地番のない朝鮮部落生まれ、豚の糞尿と豚の餌の残飯、そして豚小屋の奥でこっそりつくられる密造酒の強烈な臭いのなかで育った。そして今や、世界長者番付で例年、日本人ベストテンの中に入るまでの成功をおさめている。
 孫正義は、1990年9月に日本に帰化した。帰化前の名前は安本正義だった。中学時代、孫は、「あんぽん」といわれるのをひどく嫌った。
 中学生のとき、父親が吐血して入院した。孫は、家族を支えられる事業を興すと腹をくくった。塾を始めようとしたそうです。すごいですよね。私なんか、中学生のときは反抗期にいて、親とはろくに口もききませんでしたが、それは単なる甘えでしかなく、経済的に自立するなんて、考えたこともありません。
 孫は、久留米大付設高校に入学し、中退します。私も、実は、この高校に合格したのですが、地元の県立高校に入学したのでした。男女共学が良かったからです。
孫は、16歳でアメリカに渡ります。なぜか?
 たとえ東大に入っても、国籍の問題で官僚にはなれないと考えたからだ。
 私は面識ありませんでしたが、私の同学年に新井将敬という男がいて、後に自民党代議士になりました。彼も在日でしたが、大学時代は反権力を標榜する全共闘の活動家だったそうです。あとに正反対の自民党の代議士になりました(そしてスキャンダルを起こして自殺してしまいました)。ですから、帰化すれば官僚にはなれたのではないでしょうか・・・。
 現在の孫邸は港区麻布の910坪の土地を占め、地下1階、地上3階建て。その邸宅の建築費(土地代を含む)は60億円。うむむ、これまたすごいですね。
 孫は、アメリカに渡って、大学入学検定試験に合格して、大学に入学した。
 孫は病気から立ち直った父親から潤沢な仕送りを受けて、アメリカで大きく羽ばたいた。
 この本を読んで、孫正義はたいした人間だと再認識させられたのですが、そうではないところもありました。それは、ハーバードも東大も幼稚だし低脳だと悪罵しているところです。ハーバードのことは、何も知らないので論評する資格はありません。でも、東大について、「絵空事のマルクス経済学なんかをいまだに教えているんですから、話にもなりません」というのには、心底からがっかりしました。これでは古代ギリシャ哲学を今の大学で教えてはいけないということにもなりませんか。大金持ちの、おごりたかぶりの発言の典型としか思えず、本当に残念でした。
 マルクスの言っていることに正しい面があると思いますし、マルクスが現在、世界的に再評価されていることを孫は知らないようです。お金もうけ本位で世の中をみてしまうことによって現代社会に依然として大きなひずみ(格差)があらわれていることが、残念なことに孫正義にはまったく見えていないようです。なにもかも自己責任だというのでしょうか・・・?
 孫家の家は、人を傷つけることにも容赦がないという意味では下賤である。
 この点は、この本を読んで残念ながらまったく同感でした。
孫正義が中学生のときに描いた自画像があります。そのあまりの陰鬱さは驚くばかりです。内面にかかえた孤独感がにじみ出ていると評されていますが、まったく同感です。
 ソフトバンクのオーナーである孫正義という人物を知るためには欠かせない本だと思います。丹念な取材と読ませる文章力は、さすがでした。
(2012年2月刊。1600円+税)

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2012年3月26日

マジックにだまされるのはなぜか

人間

著者   熊田 孝恒 、 出版   化学同人

 手品にだまされて怒る人はいない。まことにそのとおりです。そのだまし方のうまさに驚嘆こそすれ、怒るなんて考えられません。でも、なぜ?
 だまされてお金を巻き上げられて弁護士のもとに駆けつけてくる人は後を絶ちません。騙しの手法は日々新しくなっています。一人でじっと家にこもっていると、うかうか騙されやすいのが現実です。
 人が、なぜだまされることを喜ぶのかという人間のメカニズムは、まだ十分に解明されていない。うへーっ、そうなんですか。奇術には私も楽しくだまされています。
 人間が本を読んでいるのを横から観察すると、眼は滑らかに動いているのではなく、ピクッピクッと、まるで秒針のように、不連続的に動いているのが分かる。実際には、眼は一度とまると、その前後の数文字を読み、それが終わると数文字先に飛び、そこで、またとまるというのを繰り返す。これをサッカード(サッケード)と呼ぶ。視線がとまっているあいだは、そのなかを注意のスポットライトが一文字ずつ字面を追って移動するということがおこなわれている。
 スムーズに眼が動いているように感じるのは、注意のスポットライトが、不連続な眼球の動きを補っているからだ。特徴検索モードとは、行動の目的にそった「構え」を維持し、その構えにしたがって情報を処理するようなメカニズムを働かせることにほかならない。私の速読術というのはひたすら自分の脳を信頼して活字を追うということです。理解できればどんどん読みすすめていくことができます。
 眼が動いた先でとまる直前の0.1~0.2秒ほどのあいだは、サッカード抑制によって眼からの情報が処理されない空白の時間が生じる。この空白の時間を脳はサッカードが終わった時点で得られた情報によって穴埋めしている。つまり、サッカード後の情報が、その0.1~0.2秒前から始まっていたかのように感じる。ヒトが眼を動かしているあいだに起きたことは認識されない。
 我々が見ていると思っている情報のうち少なくとも3割はリアルタイムではない。いわば静止画をプレイバックしているような状態なのである。
 日常生活では、我々は臨機応変に注意モードを切り替えながら、適切な情報処理を行っている。マジシャンは、わざと怪しげな仕草をすることで、観客の注意が特定の場所に向かないように「誤誘導」している。
 高齢者は自ら注意機能の低下を補うために、情報処理の方法を変化させていた。
 過去の知識を活用して目標に到達するという方略を採用した。考慮すべき情報が多くなると、無意識的な直感思考のほうがよい選択に結びつく。
 本を読むときの脳の動きや、見ることと認識のあいだのずれというものがとても新鮮な指摘でした。
(2012年1月刊。1700円+税)
 吹く風はまだ冷たいものの、すっかり春の日差しとなりました。白いコブシの花が満開です。同じく白のハクモクレンそして満開となった紫色のシモクレンを町なかに見かけます。私の家にもシモクレンがあるのですが、うちはまだまだ小さなツボミでしかありません。なぜか例年遅いのです。
 遅いと言えば、チューリップはようやく咲きはじめたもののまだ花を咲かせているのはわずか13本のみです。あとは、まだまだ春はまだ来ていないよという感じです。クロッカスやヒヤシンスもいくつか咲いています。今、見事なのは黄水仙です。これも自己愛を主張しているのでしょうか・・・。

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2012年3月25日

帝国を魅せる剣闘士

ヨーロッパ

著者   本村 凌二 、 出版   山川出版社

 冒頭に、ある剣闘士の手記が載せられています。闘技場に駆り出され、死ぬまでたたかうしかない剣闘士の心情がそくそくと伝わってきます。大観衆が狂ったように怒声をあびせ、甲高いラッパの響きが耳をつんざく。やがて、「殺せ、殺せ」の大合唱になっていく。それで、剣闘士は、敗者の喉を切りさくのだった・・・。
ローマの闘技場(コロッセウム)は5万人もの大観衆を収容する。そこでは血なまぐさい殺しあいが果てしなく続いていた。
 私はローマの闘技場は見ていませんが、フランスにある円形闘技場の遺跡はあちこちで見ました。初めは野外の円形劇場だと誤解していました。そこでは歌と芝居も上演されていたのかもしれませんが、それより闘技場として殺しの舞台だったことは間違いありません。
 ローマ人よりも前に、カプア人が剣闘士競技を葬儀につきものの行事として挙行していた。
剣闘士は、市場に立つ奴隷であり、血を売る自由人であった。前2世紀には、既に専業化した剣闘士が登場していた。
 剣闘士の競技は600年も続いた。ローマの民衆は剣闘士競技にすさまじく熱狂し、元老院も剣闘士競技を公の見世物として公認した。
 なによりも民衆の関心を集めたのは、戦車競争と剣闘士競技であった。大掛かりな舞台装置には、戦争捕虜が連れ出され、壮絶な大量処刑の流血の見世物がくり広げられた。ローマの公職選挙と結びつき、また実力者の勢威を際立たせる手段として、剣闘士競技は頻繁に開催されていた。
100組の対戦で、19人が喉を切られて殺された。5組の対戦があれば、1人が喉を切られた。10人の剣闘士が闘技場の舞台に出ると、1人が殺されたことになる。
興行主の側からすると、喉切りは剣闘士という資産を損失することだった。それにもかかわらず、彼らは競って多くの死体を民衆に提供した。なぜなら、殺される場面が多ければ多いほど興行主の気前の良さが民衆に伝わるからだ。等級が高く、資産価値のある剣闘士は、めったなことでは殺されなかった。
 剣闘士は年に3回か4回ほど対戦し、5~6年にわたって活動していた。およそ20戦未満で、命を失うか生き残れるかの瀬戸際に立つ。生き残って木剣拝受者になれる剣闘士は、20人に1人くらいの割合だった。
 剣闘士は卑しい身分だったが、命がけの競技なので人気者でもあった。
 ローマ時代のコロッセウム(円形闘技場)をフランスでいくつか見学したものとして、そこであっていた剣闘士の競技の実際を知りたいと思っていました。実に残酷な競技ですよね。何万人もの民衆が熱狂しながら見物していたなんて、信じられません。
(2011年10月刊。2800円+税)

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2012年3月24日

曹操墓の真相

中国

著者  河南省文物考古研究所  、 出版  国書刊行会 

 『三国志』に有名な曹操のお墓が発見・発掘されたというニュースは、日本でも大きな驚きをもって報じられました。2009年のことです。
 曹操は216年に漢の献帝により魏王に封ぜられ、220年春の死後、魏武王の諡(いな)を得た。曹操は赤壁の戦いでも有名ですよね。映画『レッドクリフ』は、そのイメージをよく再現していました。
『三国演義』では曹操は奸臣(かんしん)として描かれている。旧劇の舞台でもおなじく奸臣とされたため、曹操のイメージは固定している。ところが、毛沢東は曹操を高く評価して名誉回復に努めた。曹操の詩を好み、その気魄が雄大で情緒豊か、宇宙を呑吐する様を好んだ。毛沢東は、「曹操は素晴らしい政治家、軍事家であり、また素晴らしい詩人でもある」と評価した。
曹操は古くからの部下を封賞して抜擢すると同時に、新たに優秀な人材を招聘し、寛容の心で来たる者を大切にした。功績がある者を封賞し有能の士を登用し、広く人材を集めることを通して有効に国家の管理システムを支配し、軍隊を掌握し、自身のブレーンを築き上げた。
 曹操は、中国を統一する大志を抱いていた。そして、天下を兼併するには、軍糧を手にすることが必須であることに思い至った。そのため、屯田制を始めた。屯田制が拡充されると、穀物の生産量は大いに増加し、倉庫は充実した。
 赤壁の敗戦のとき、曹操は54歳、曹操による中国統一事業における悲壮な敗北となった。
この本は曹操墓が発掘されるに至った状況を写真入で詳しく紹介し、曹操の墓だと判断した理由を明らかにしています。盗掘にもあっていたのですが、手がかりはいくつも残されていたのです。
かつて、明の十三陵を訪問したとき、中国には未発掘の陵や遺跡がまだたくさんあること、後世のため発掘には慎重であることを知って感動したことがあります。下手に発掘して貴重な遺跡を台なしにすることがないようし配慮しているわけですが、なるほどその決断は正しいと思いました。たしかに貴重な遺跡を十分な保存技術のないまま掘りあげるべきではありません。
 写真を眺めているだけでも楽しく、『三国志』や『水滸伝』を読んでわくわくしたことを思い出しました。中国のスケールの大きさを実感させられる本です。
(2011年9月刊。2300円+税)

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2012年3月23日

原発事故と私たちの権利

社会

著者   日本弁護士連合会 、 出版   明石書店

 東電福島第一原発事故が起きて、その収束の目途もついていないのに、早くも経済界そして民主党政権は原発を再稼働し、さらには海外へ輸出しようとしています。自分たちの目先の利益のためには、他の人がどうなっても知らない、次以降の世代なんて関係ないという無責任さには呆れ、かつ心の底から怒りを覚えます。人間としての良心を悪魔に売り渡してしまったとしか思えません。
 溶けた燃料棒はいったいどうやって回収し、どこに保管するというのでしょうか。そして、それができるのですか。回収できたときには東電の本社ビルあるいは会長宅か社長宅の地下室にでも据え置いてほしいものです。
 日弁連は、昨年(2011年)7月15日、原子力発電と核燃料サイクルからの撤退を求める意見書を発表した。10年以内のできるだけ早い時期にすべての原発を廃止することが、その柱である。
 きわめて当然な意見書だと私は思います。ところが、残念ながら世の中はそのようには動いていません。なぜでしょうか?
この本は弁護士が書いたものですので、当然ながら、これまでの原発をめぐる裁判についても語られています。
 人口密集地であり最大の電力消費地である東京・大阪・愛知県には原発がない。これは、原発が危険なものであるから人口密集地には建設せず、過疎地に建設し、送電ロスの負担を甘受しながらも大口の電力消費地に送電しているのが実態である。
 これまでの原発をめぐる裁判で原告(住民側)が勝訴したのは2件のみであり、その2件も、上級審では逆転敗訴となった。
 過去の原発勝訴において、裁判官は司法による救済を求める人々を救済してこなかった。過去の原発訴訟における裁判官のこのような消極的な姿勢が福島第一原発事故の背景にある。裁判官が人権擁護の役割を果たさなかった結果、司法救済の道が断たれた反面、「原子力村」の専横がますます野放しの状態となり、人災とも言える福島第一原発事故を発生させてしまった。
 ところが、原発訴訟のなかで、裁判官は原告敗訴の判決を書きながらも、同時に異例のコメントも付していた。そこでは、原発の問題点に触れていた。これは裁判官の良心の発露とみることもできるし、裁判官の責任逃れということもできる。では、なぜ、裁判官たちは、原発の危険性を認識しながら、住民の請求を棄却し続けたのか?
 「原子力発電所が、その意味において人類の『負の遺産』の部分をもつこと自体は否定しえない」
 「原子力発電は絶対に安全かと問われたとき、これを肯定するだけの能力をもたない。原子力発電所がどれだけ安全確保対策を充実させたとしても、事故の可能性を完全に否定することはできない。ひとたび重要な事故が起こったときには、多量の放射性物質が環境へ放出され、取り返しのつかない結果を招くという抽象的な危険は常に存在している。国民のあいだで、原発の安全性に対する不安が払拭されているとは言えない」
 「原子炉事故等による深刻な災害が引き起こされる確率がいかに小さいといえども、重大かつ致命的な人為ミスが重なるなどして、ひとたび災害が起こったとき、直接的かつ重大な被害を受けるのは、原子炉施設の周辺住民である」
 日本の裁判官の世界は、最高裁を頂点とする司法統制が幅をきかせており、国策を否定するような判決には裁判官が書くのをためらわざるをえない実態がある。
 原告住民側勝訴の判決を書いた元裁判官(現在は弁護士)は、「一部の人たちが強く反対していても、国民の大多数が原発を受け入れていれば、その段階で『危険だから止めろ』という判決を書くのには、かなりの勇気がいる」と述べました。まことに、そのとおりでしょう。ですから、私は佐賀の玄海原発差止訴訟についての原告を募るときには、他人事(ひとごと)ではなく、自分のこととして受けとめてくださいなと訴えています。
この裁判に原告として加入するのに費用として5000円を求めていますが5000円は高いという声があります。しかし、どうでしょうか。自分たちの生活圏を確保するためのものと考えれば、5000円なんて断然安いのです。多くの福島県民のように故郷を追い出されて仮設住宅に住み続けるしかないようになりたくはないですよね。何事もモノは考えようなのです。
 日弁連の公害・環境委員会には、私もかつては所属していました。著者となった弁護士の皆さんのますますのご発展とご活躍を心より祈念します。
(2012年2月刊。2500円+税)

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2012年3月22日

モノづくりの経営思想

社会

著者   木下 幹彌 、 出版   東洋経済新報社

 日本は加工貿易国、貿易立国でしか、国家として生きる術はない。日本は資源・資材のない無資源国で1億人以上の人間が生きていくには、どうしても海外から調達した物資を加工し、それを輸出して稼ぐより、日本国民すべてが食べていくことはできない。
 国を守るためには愚直ながらも、モノづくりを日本国内で続けていくことが重要だ。この点は私もまったく同感です。日本国内でのモノづくりを大切にすること、そのためのマンパワー、人づくりそして人材の確保がなにより大切だと思います。それは目先の株主配当より何倍も優先されるべきものと考えます。同時に、日本国内の需要もまた重視すべきです。消費冷えをもたらす消費税率アップは、それに明らかに逆行します。日本は内需とモノづくりで繁栄してきたし、それしか今後も生きのびることは出来ないと思うのです。
 ほとんどの企業の営業は、仕事の80%はクレーム処理と納期管理に追われている。
 ふむふむ、これは知りませんでした。クレーム対応と納期管理は企業にとって、それほど重要・不可欠なのですね。
 この本は、NPS思想を普及しようというものです。それは、小さな設備、少ない人数、少ない仕掛け、そして不良品なしでリードタイムの短い製造技術を確立することを目ざします。
 外注は割高である。外注には2種類ある。手足となってくれる外注、つまり協力企業。そして、必要なときだけ仕事を頼む、松葉杖的な役割の外注。
 技術の社内伝承という点からみると、外注は結局のところ割に合わない。
 なーるほど、社内で技術を高め、そして伝承していくべきなんですね・・・。
 アメリカのGMの失敗は、企業規模を追及した寄せ集めでは、いかに巨大であっても、事業としては永続できないことを証明した。これまた、なるほど、ですね。
 競合企業や隣接業種の大手企業との合従連衡は、苦労と費用ばかり大きく、本当の意味で企業のプラスになるような果実はなかなか得られない。
 大手の銀行がいくつも合併していますが、なかで働く人々は今どんな気持ちなんでしょうか・・・。
在庫は罪子(ざいこ)。必要以上の在庫は、経営の圧迫要因である。資金繰りを悪くするし、倉庫代や人件費をふくらます。
 人間は体力と気力の両方によって生きる力を与えられている。割り切って、自分は運が良いのだと言い聞かせて今を生きるのが大切だ。その結果が後から見てどうであったかをいま気にしてばかりいると、なんの道も開けない。
 実は、私も、自分は運が良いと言いきかせて、不都合なことも自分有利に解釈して生きてきました。
上司は部下を安易にほめてはいけない。ほめてしまえば、その時点で進歩が止まってしまう。
 ええーっ、ほめて育てよ、ではないのですか・・・。たしかに、これにも一理はありますよね。
 日本の政治、経済のリーダーの愛読書が、そろいもそろって司馬遼太郎か塩野七生の本だというには閉口させられる。その本を読み、それだけを良書と感じているような人たちばかり集まれば、思考、知識、理論が似通ってしまい、現状を打破するような抜本的な発想、つまり、シンの戦略は生まれない。「坂の上」をもう一度といった調子で、現代日本に坂本龍馬のような志士、カエサルのような政治指導者、マキャベツのような戦略家といった人物の出現を期待するのは、あまりにも非現実的であり、リーダーとして無責任である。
 私は、なるほどと膝を打ちました。そうなんです。「英雄」待望論が橋下などというまやかしの人物に幻想を抱くもとになるのです。
 この本の言いたいことを理解したとは思えませんが、なかなか含蓄のある話が満載ではありました。
(2012年1月刊。1800円+税)

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2012年3月21日

概論アメリカの法曹倫理

司法

著者   ロナルド・D・ロタンダ 、 出版   彩流社

 沖縄の当山尚幸弁護士(元九弁連理事長)が翻訳した本です。すごいですね、340頁もの本を訳して出版したとは。大いに感嘆しながら、そして内容としても難しい論点をやさしく解説してあることに驚倒しながら読みすすめていきました。
いま、私は弁護士会の中で弁護士倫理にかかわる手続に関与していますが、そこで取り上げられているケースには、かなり微妙なところが少なくないことがあって、本書はその意味でも役に立ちました。
依頼者は、いつでも弁護士を解任できるし、弁護士はたとえ解任理由が釈然としなくても手を引かなければならない。
そうなんですよね。解任されたとき、良かったと思うこともあれば、なぜなのか納得できない思いが残ることもあります。
弁護士は、より短い時間で効率的に仕事を処理すべきである。より効率よく仕事をする弁護士は、たいていより高い時間給を請求する。これは許されるが、時間の架空計上をすることは許されない。
報酬の妥当性を判断するときに重要なことは、依頼者を欺いていないか、信頼関係を悪用していないか、あるいは報酬の内訳その他の関連事項の説明が誠実でなかったかどうか、などである。
 完全成功報酬契約は、弁護士の利益のみのためにあるのではなく、それを望む依頼者の利益のためにあるべきものである。
 ホットポテト法則というのがあることを知りました。要するに利害相反の事件は受けられないということです。私の法律事務所も、いまでは弁護士が6人もいますので、「敵」側の関係者が相談に来ることを見逃してしまうことがあります(事前チェックを励行しているのでが・・・)。そのときには、潔く双方から手を引けという法則です。せっかくの事件を受任できなくなって「損」した気分になることもありますが、あとで疑われるよりはましだと自分に言いきかせています。
弁護士は依頼者に対し、生活費を貸しつけたり、保証人になったりして、訴訟を「援助」してはならない。ただ、弁護士が裁判費用や訴訟費用を立て替え、その返還を訴訟の成功にかからしめることを禁じてはいない。
 もしも依頼者が偽証しようとするときには、弁護士は拱手傍観してはならない。弁護士は、その偽証を明示する必要がある。
 依頼者が偽証の供述をしていることが分かったときは、弁護士は詐欺的行為を防止する合理的手段を講じなければならない。まず弁護士は依頼者に証言の訂正を忠告すべきである。それが奏功しないときには、裁判官に偽証を知らしめるなどの他の措置を講ずる必要がある。
 依頼者が偽証したことを知ったとき、弁護士は辞任することがありうる。しかし辞任の事実を公表すること自体が依頼者の秘密を害するときには、どうするか。依頼者は弁護士に辞任を公表しないで忍び足で静かに去ってほしいと願う。しかし、弁護士はそれでは足りない。ここらあたりになると、大変微妙なところだと思います。
弁護人の守秘義務など、日本とアメリカは法制度としての違いは大きいのですが、共通しているところも多々あると思いながら読みすすめていきました。当山弁護士の「あとがき」によると、3年がかりの翻訳とのこと。まことにお疲れさまでした。大変勉強になりました。
(2012年2月刊。2800円+税)

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2012年3月20日

自己愛過剰社会

アメリカ

著者   ジーン・M・トウェンギ 、 出版   河出書房新社

 ナルシズムが米国文化を急速に侵している。現在、アメリカではナルシズムが流行病にまでなっている。
 深刻なのは、臨床的に障害と認められる自己愛性人格障害で、これも以前より増えている。アメリカでは、20代の10人に2人、全年齢の16人に1人が自己愛性人格障害と診断されたことがある。しかし、この衝撃的な数字は、氷山の一角にすぎない。
ナルシズムは自信に満ちた態度や健全な自負心のことではない。ナルシストは、ただ自信があるのではなく、自信過剰であり、単に自尊心の高い人とは違って、心の通った人間関係を大切にしない。
 ナルシズム流行病を理解するのが重要なのは、長期的に見ると、それが社会に害を及ぼすからである。ナルシズム流行病は、とりわけ女の子に大きい害を及ぼす。10代で豊胸手術を受ける子どもが1年間で55%も増えた。
アメリカ人は自己を賛美したい気持ちが度を超している。アメリカは自己賛美という「万能薬」を服用しすぎて、もはや傲慢とか自己中心などの深刻な副作用が現れている。自信をもとうと急ぐうちに、アメリカ文化は暗く不吉なものへの扉を開けてしまった。
 ナルシストとは、自分を褒めそやす人のこと。自分に酔いしれて誰とも交われなくなり、他者を傷つける。
自己愛性人格障害と診断されるには、誇大癖、共感の欠如、称賛への執着に関連した、長期的行動パターンを表す9つの診断基準のうち、最低5つに該当していることを要件とする。
 ナルシストは、心の奥底から自分を「すばらしい」と思っている。
いじめっ子に必要なのは、他者を尊重する気持ちである。
 ナルシストは、自分を実際よりも賢く美しいと思っている。
人に迷惑をかけるナルシストの行動は「健全」ではない。
ナルシストは物質主義で特権意識があり、侮辱されると攻撃的になり、親密な人間関係には興味がない。
アメリカ文化の中心的な価値観として自己賛美と競争がうまく組み合わさったために、競争に勝つには常に自分を第一に考えなくてはならないと多くの人が思っている。
ナルシストは勝つのが大好きだが、実際に勝者なれるのかというと、ほとんどの場面でそれほどうまくやっていない。
 自信過剰は裏目に出る。ナルシストは苦言を聞き入れたり、失敗から学んだりするのが、ひどく苦手だ。
 CEOにナルシスズム傾向が強いほど、会社の業績は不安定である。
ナルシストは目立つ個人プレーが得意だ。
何かを学ぼうとするときには、多少は自分ができないと思っているくらいいが良い。
子どもが親に従うのではなく、親が子どもに従っている現状がある。現在は多くの子どもが家庭内の決定事項に口を出す。
2008年の経済破綻は、根本的に自信過剰と強欲というナルシズムの二大症状によるところが大きい。高金利の魅力に目がくらんだ貸し手は、自信過剰から借り手が払いきれないほどの高額な住宅ローン契約を結ぶというリスクを負い、借り手は自信過剰からそのような物件をローンで買った。
 アメリカでは強迫性買い物障害の人が60万人いると推測されている。多くの家族が、そのために崩壊している。
 放漫な融資がなければ、買い物依存症は大幅に経るだろう。
 アメリカの消費者は、ただ政府にならっているだけだ。アメリカ政府は、9兆ドルを超す負債をかかえている。
 ナルシズム流行病が続けば、特権意識、虚栄、物質主義、反社会的行動、そして人間関係の不和が増すだろう。
 女子高生の4人に1人が、自分の全裸もしくは半裸の写真をインターネットや携帯電話で送信している。こうした写真は、えてして大勢の高校生に広がってしまう。
世界中で外見重視の風潮が強まっているのは、一つにはテレビの力が大きい。
 モノに執着する人は満足を知らず、すっきりした気分で過ごすことがない。もっとお金が欲しいと思うだけでも精神状態が不安定になる。
現在のテレビドラマは富裕層が活躍する物語だ。
 テレビでは金持ちの有名人の私生活が取り上げられる。
 助け合いは、社会のつながりを強くする接着剤で、特権意識は、その接着剤を溶かしてしまう。
アメリカ社会の現実を論じた本ですが、いずれ日本もこんな怖い状況になるのかと恐る恐るページをめくって読みすすめました。
(2011年12月刊。2800円+税)

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2012年3月19日

太陽と地球のふしぎな関係

宇宙

著者  上出 洋介     、 出版  講談社ブルーバックス  

 人間の体からも赤外線というエネルギーが出ている。そのため、赤外線カメラで真っ暗闇でも写真をとることができる。
 そうなんですね。人間の体はエネルギーを出し、電気を起こし、体内では薬もつくっているのですよね。不思議です。
人間にとって太陽とは、変わることなく地球を照らしてくれるという信頼感そのものである。しかし、残念ながら、太陽はそんな安定したエネルギー源ではない。
ガリレオ・ガリレイは太陽をずっと観察し、そのスケッチには黒点の形と動きが正確に描かれている。しかし、日の出、日の入り付近のまぶしくない太陽の観察とはいえ、太陽を見続けることが網膜や視神経にいいはずはない。ガリレオは晩年には失明してしまった。
 私の知人にも、昼間の太陽をずっと見つめていて、失明ではありませんが、目をすっかり痛めてしまった人がいます。
 太陽の黒点は、磁場に邪魔されて、太陽の中心部からのエネルギーが上がってこれらない部分である。
 伝書バトは、太陽の高度、気圧、星座、さらには地球の磁場などを組み合わせて、ナビゲーションを総合判断している。天候の悪い夜間飛行のときには、地球の磁力線の方向をつかっている。だから、高緯度に激しいオーロラが舞うと、世界中のハトは混乱してしまう。これはオーロラが美しいから見とれるというのではなく、磁場に忠実なため、オーロラ電流によって世界中の磁場が狂ってしまうことの犠牲者なのである。
人間では、女性のほうが男性よりも地球の磁場を敏感に感じている。ただし、うとうとと眠たい状態では、人間の磁場感覚も働いていない。そして、人間の血液は磁場に敏感に反応する。
太陽と地球、そして生物とりわけ人間の相互関係を知ることができました。
(2011年8月刊。980円+税)

 すっかり春めいてきましたが、庭のチューリップはまだ咲きません。ようやくつぼみの形が出来あがったところです。ミニミニ・ハウステンボスだと自慢しているのですが、今年は3週間以上も遅れています。白梅の隣に、サクランボの桜の白い花が咲いています。ピンクのソメイヨシノのようなあでやかさはありませんが、5月に赤い実がなると心が浮き立ちます。
 今朝もウグイスが清澄な鳴き声を披露してくれました。何度聞いても心が洗われる気のする、妙なるさえずりです。春到来を実感します。

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2012年3月18日

なぜ日本人はとりあえず謝るのか

社会

佐藤直樹 PHP新書 2011年3月1日


昨年末あるところの忘年会で、アメリカ文化研究家で沖縄民謡の歌い手でもある峯真依子さんと知り合い、一冊の本をプレゼントされた。それが本書である。


著者の佐藤直樹さんは世間学の大家である。世間学とは世間の空気を研究するという不思議な学問である。その学問の本質は、「"ゆるし"と"はずし"の世間論」という本書の副題からも窺われる。


著者は本書の中で6つのキーワードを用いて世間というものを解剖する。それは「うち」「そと」「けがれ」「みそぎ」「はずし」「ゆるし」の6語である。


著者の理論によれば、人は、ふだん「うち=世間という共同体」の中にあって、権利義務ではなく、気配りによって結びついているが、「けがれ=犯罪等の不名誉な行為」があると、「はずし=共同体からの追放」にあい、やがて「みそぎ=服役、謝罪、反省」を行うことにより、「ゆるし=共同体への復帰」を得られるというのである。これは日本に独特の行動様式であり、個人と個人が権利義務の関係で結ばれる西欧の行動様式とは全く異なるというのである。


そういえば、昨年の東日本大震災の時、被災者が決して略奪に走ることなく、食糧配給所で列を作って我慢強く順番を待っている姿が、西欧のマスメディアによって称賛とともに報道された。このような日本人の規律は、法が妥当しない極限的な局面においても、世間の中で生き抜くためには、人に迷惑をかけてはいけないという気配りを欠かせない共同体ルールとしてよく説明できる。


また、著者は日本の司法にも世間学のメスを入れる。「日本の刑事司法の根幹にある「なるべく刑務所には入れない、入れてもすぐに出す」という「ゆるし」の行使にとって、その中心をなしているのは強大な検察官の権限であり、その象徴としての起訴・不起訴を検察官が自由に決定する起訴便宜主義である。」という。そして、著者は、起訴便宜主義とは「まあ、ゆるしてやるか」の制度化である、という。


なるほど、これはうなづける。私がかつて検察の世界に身を置いていた時期、起訴するか、起訴しないかの決裁の場面で、よくこんな会話を経験した。
主任検察官「これこれの事情があるので、今回は許してやりましょう」
決裁検察官「そうだな、まあ、今回は許してやるか」
まさに著者の指摘通りの世界だ。


もともと、世間学とは、世間の空気という形のないものを研究対象とするだけに、実証的な研究に馴染まないという方法論的制約が大きい中にあって、著者は思惟を巡らし、知恵を振り絞って、懸命に世間を目に見えるものにしようと努力している。その努力は、実験や実証ではなく、読み手に「なるほど」と思わせることにより、その正当性を証明する。私も本書に「なるほど」と思わせられるところが多い。著者の努力に敬服する。


さて、話を冒頭に戻して種明かしをすると、本書を私にプレゼントしてくださった峯真依子さんは、実は著者の奥さんである。こうなると、私の興味は、著者と峯さんの私生活の方に向かう。すなわち、世間学の大家の生活は、いかなるものであるのか、内なる世間とはいかなるものか、という点に、である。

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くちびるに歌を

社会

著者   中田 永一 、 出版   小学館

 この小説の舞台は長崎県の五島列島。しかも福江ではなく、上五島です。弁護士の私にとって、この五島は絶対に忘れることができません。というのも、弁護士になった4月のこと、まだ弁護士バッチも届いていないとき、日教組が時の政府から選挙弾圧を受けました。当時、関東に住んでいた私は、なぜか九州・長崎へ応援部隊として派遣されることになったのです。選挙弾圧に対するたたかいの心得だけを先輩弁護士から教えられて、不安一杯のまま長崎へ向かいました。長崎に着くと弁護士が大勢いるのに安心したのもつかのまのこと、長崎県内のあちこちに弁護士は散らばって警察への対策を弾圧の対象となっている教職員に指導・助言することになりました。五島列島へ向かったのは弁護士2人。そして、五島列島には上(かみ)と下(しも)の2ヶ所に分かれます。がーん。なんと弁護士になりたて、まだ1ヵ月にもならない私が一人で修羅場に放り込まれることになったのです。そのとき私は25歳。迎えたほうも、いかにも頼りない若いひよっこ弁護士が東京からやってきたと感じたことだと思います。それでも若くて怖いもの知らずでしたから、中学校の体育館で200人ほどの教職員に向かって演壇から聞きかじりの選挙弾圧への心得を話しました。冷や汗をかきながらの話でしたから何を話したのか、もちろん覚えていません。私の脳裡に今も残っているのは広い体育館に整列している大勢の教職員の不安そうな目付きです。
 幸いなことに上五島では日教組支部の幹部が検挙されることはありませんでした。黙秘権の行使とその意義をずっと大きな声で言ってまわったことと、五島の旅館で食べた魚の美味しかったことは今でもよく覚えています。
 この本は、その五島列島に住む中学校の生徒たちが佐世保で開かれる合唱コンクールに参加・出場するに至るというストーリーです。そのコンクールで優勝するというわけではありません(すみません。結末をバラしてしまいました)。でも、それに代わるハッピーエンドがちゃんと用意されています。
 中学生の複雑な心理状態がよく描かれていて、今どきの島の中学生って、本当にこんなに純朴なのかなあと半信半疑ながら、ええい欺されてもいいやと腹を決めて没入して読みふけりました。
歌があり、手紙があります。15歳のとき何を考えていたのか、私にとっては思い出すのも難しいことですが。15年後の自分を想像して、その自分に手紙を書けという課題が与えられたというのです。
 中学生のころは、大人になって何をしているかなんて、まったく想像もできませんでした。ただ、中学校の同窓会があったら、ぜひ参加してみたいなという気にはなりました。
 泣けてくる、爽やかな青春小説です。あなたの気分がもやもやしていたら、ぜひ読んでみてください。なぜか、気分がすっきりしてくると思います。
(2011年10月刊。2800円+税)

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2012年3月17日

私の五つの仕事術

司法

著者   谷原 誠 、 出版   中経出版

 「同業の弁護士から『どうしてそんなに仕事ができるの』と言われる私の5つの仕事術」というのが、この本の正しいタイトルです。まだ43歳という若い弁護士ですが、既に25冊もの著書があるそうです。たいしたものです。
自分の決めた目標をやり抜くには、何かを犠牲にしなければいけない。覚悟を決め、捨てるべきものは捨てなければいけない。
 私の場合には、本を読むためにテレビは見ないことに決めました。また、二次会もつきあわないことにしています。これで、自分の時間がかなりつくれます。たくさんの新聞を読んで、日本と世界で起きていることの意味を知りたいので、スポーツ・芸能欄は素通りしてまったく読みません。
 たくさんの仕事を素早くするには、自分の手元にある仕事は、すぐに相手に返してしまうことである。
 自分の器を広げれば、相手が期待する以上の仕事をすることだ。上司に仕事を頼まれたときには付加価値をつけて、上司の期待を上回らなければいけない。これを続けていくと、まわりから評価され、自分の成長にもつながっていく。
仕事でイライラしないためには、相手に期待しすぎないこと。感情をコントロールする方法を身につけると、コミュニケージョンでイライラすることがなくなり、気分よく仕事に専念することができ、高いパフォーマンスを維持できる。
 弁護士の仕事は同情することではなく、クライアント(依頼者)の利益を守ること。だから第三者の視点を常にもち続けることが大切である。クライアントの話を聞くとき、どっぷりと入りこまない。できるだけ依頼者と同じレベルの感情になって感情に支配されてしまわないように努める。
できるだけ先手を打つ必要がある。期限が過ぎて提出された99%の出来の報告書より、期限前に提出された90%の出来の報告書のほうが評価される。
 仕事を効率的に、確実に進める最大のポイントは、目の前の仕事にとにかく着手することだ。
私も、ちょっとした細かい仕事を片付けて、モチベーションが高まったところで、重量級の本格的な仕事に取りかかるといった工夫をしています。そして、机の上は、いつもすっきりした状態にしておきます。今、何をやるべきか、いつも明確にしておくべきです。こうやって、私もたくさんの本を書いてきました。
私の日頃の考えと共通するところが多かったので、うんうん、そうだよねとうなずきながら読みすすめていきました。
(2012年2月刊。1400円+税)

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2012年3月16日

旗本御家人

日本史(江戸)

著者  氏家 幹人   、 出版   洋泉社歴史新書y   

 おさそいとは、職務上の過失などを犯した幕府の役人が罷免されたり、病気と称して辞任すること。
御宅(おたく)とは、幕臣が重大な過失を犯したとき、夜になって名代(みょうだい)の者が若年寄の御宅に呼び出され、監察官である目付立ち会いの下、役職の剥奪と厳重な謹慎を申し渡されること。
いずれも、現代の用語とは全然ちがった意味の言葉だったのですね。
 幕府の職場では、陰湿で卑劣なイジメが習慣化していた。それによる殺人事件も起きていた。
蔵宿師(くらやどし)は、お金に困った蔵米取りの幕臣から高額の礼金を受け取って、蔵宿に多額の借金を強請(ゆす)るワルな連中のこと。
番町のあたり(千代田区には有名な番町小学校があります)には、旗本などの武家屋敷が並ぶので、上品でお堅い町だと思っていると、実は、番町辺の武家の息女たちは、当地の風として淫奔な娘が多く、処女は百人に1人くらい。千二百石とか五百石とかの立派な旗本の息女たちの色恋沙汰には歯止めがかけられなかった。番町辺の旗本のお嬢さんというと、それだけで良縁がまとまりにくかった。
うひゃあ、これって全然イメージがこわれてしまう話ですよね。まあ、日本は、昔から性的に解放されていたことで世界に冠たる国というわけなんですが・・・・。
 江戸城内には、老衰場(ろうすいば)と呼ばれる場所があった。旗奉行、鑓(やり)奉行には高齢者が多い。73歳で旗奉行になったり、69歳で鑓奉行になったりしていた。そして、在職中に没することが少なくなかった。83歳で大奥の取締り等が職掌の留守居に就任した人物もいる。
 ところが、他方で、年齢についてはゲタをはかせて届け出ることが常態化していたのでした。なぜか?
大名や旗本の当主が17歳未満で亡くなると、養子が許されず、家は断絶するという相続の法があったからである。そこで、息子の年齢をあらかじめ何歳も高く届ける詐称が慣例となっていた。
 出生届は、いいかんげんだった。すると、幕臣の弟子たちは、本来なら17歳で受験すべき素読吟味に8歳や9歳でトライしなければならないことが起きていた。
与力や御従などの御家人の地位は「株」として実質的に売買が許されていた。百姓町人でもお金を出せば、御家人すなわち御目見以下の幕臣になることができた。そして、ひとたび御家人になれば、御目見以上の旗本に昇格し、さらには幕府の要職に就くことだって可能だった。いま想像する以上に、幕臣社会とりわけ御家人社会には庶民出身者は多かった。川路聖謹と井上清直の兄弟も、正真正銘のなりあがり組である。
 遠山金四郎に似た奉行が実在したというもの面白い話です。能勢甚四郎は、八代将軍吉宗のときに町奉行に就任したが、かつて通った新吉原の遊女たちから「お久しぶり」と声をかけられたというのです。ええっ、本当の話なんでしょうか・・・・。
 江戸時代のことを知るというのは、本当の日本人の姿を知ることだとつくづく思います。
(2011年10月刊。890円+税)

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2012年3月15日

写真の裏の真実

日本史

著者   岸本 達也 、 出版   幻戯書房

 あの硫黄島の戦いで、捕虜となって生き残った日本兵がいたのですね。しかも、この日本兵は栗林忠道中将のそばにいる通信担当兵でした。
 運良く助かった、この日本兵が生き延びることが出来たのはフランス語を話せたからでもありました。戦前の東京でアテネ・フランスに通ってフランス語が話せるようになったのです。そして、アメリカ兵に託した家族写真の裏にはフランス語が書かれていました。しかも、なんと、それはボードレールの「悪の華」の一節だったのです。
 この暗号兵はアメリカ軍に対して自分の知っている日本軍の機密情報を洗いざらい提供したのでした。これを日本への「裏切り」として許せないと怒った元日本兵がいますが、どうでしょうか。むしろ、一刻も早く日本を敗戦にもち込んだほうが多くの罪のない日本人が助かると考えたからですので、本当の意味での愛国者と言えるのではないでしょうか。愛国心というのは、その国に住み生活している人々を大切にすることだと私は思います。
 このように、「スパイ」行為(この暗号兵は決してスパイではありません。念のため)は、真の愛国心と両立することもあるのです。ところが、現代日本でまたもやかつてのスパイ防出法案と同じ秘密保全法を政府は制定しようとしています。情報の国家統制を強めようというわけです。許せません。いま、弁護士会は大きな反対運動に立ち上がろうとしています。
それはさておき、この暗号兵はアメリカ軍に対して本名を偽っていました。なぜか?
 日本兵は捕虜にはならない、なってはいけないという戦陣訓があったからです。捕虜になったことが知られると、日本にいる身内に迷惑がかかります。ですから本名を名乗ることができなかったのです。
 クリント・イーストウッド監督による硫黄島の戦いを描いた映画二部作『父親たちの星条旗』『硫黄島からの手紙』は、私も映画館で見ましたが、感動的な大作でした。戦争の不条理さもよく描いていたと思います。それにしても、あんなに激しい戦闘のなかで、よくも捕虜として生きのびたものだと思います。
 この本は静岡放送のディレクターが、わずかな手がかりをもとにして、この暗号兵を探り出していく過程を描いています。よくぞ判明したものです。厚労省の社会・援護局が調査して突きとめたものでした。フランス語を勉強したのは、フランスに渡って画家になる目標を実現するためだったのです。
 よくもまあ、ここまで調べあげたものだと感心しつつ、捕虜となった日本兵のその後の厳しい人生をしのんだことでした。
(2011年12月刊。2500円+税)

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2012年3月14日

弁護士探偵物語

司法

著者   法坂 一広 、 出版   宝島社

 ミステリー大賞受賞作品です。賞金はなんと1200万円。すごーい。私が、1200万円はすごいすごいと言ってまわっていると、なんだモノカキって、お金欲しさでやっていたんですか・・・と皮肉を言ってのけた後輩の弁護士がいました。いえ、別に、あの、この、1200万円という大金が欲しくて言っているんじゃなくて、いや、やっぱり1200万円って欲しいです、とか、しどろもどろで、弁解にならない弁明をしてしまいました。
 福岡の若手弁護士が自分と同じような福岡の若手弁護士を主人公に仕立て上げて展開するミステリー小説です。次々に殺人事件が起き、それを弁護士が決して見事とは言えない手法で解き明かしていきます。年齢相応の良識というべきか、大人の常識を十二分に身につけ過ぎた私にはとても書けない文体で物語は進行していきます。はて、これはアメリカの探偵物語で読んだ気がするよな、と思わせるセリフと表現が満載です。
 足の指先の感覚なんて、懲戒弁護士が分不相応なメルセデスを買って頭金を払ったあとの口座残高のように、きれいさっぱり消え去ってしまった。
 この表現は、まるで日本人離れしていますよね。日本人は欧米の人と違って、超高級車のメルセデスベンツをベンツとは呼びますが、一般にメルセデスと呼ぶことはありません。ところが、欧米ではメルセデスと呼ぶのだそうです。それにしても、きれいさっぱり消え去る例証として、ベンツを買ったあとの口座残高というのは、分かったようで分からない話です。
以下のような表現には弁護士として大いに共感を覚えました。
 裁判官や検事は、事件を数多く処理できれば許され、内容は問わない。その一方で、裁判員裁判制度が導入されて分かりやすい裁判をしなければならないなど言われ、弁護士は法廷で書面を読みあげるだけでは許されなくなりつつあるらしい。どうにも不公平だ。
ところが、次のような警察官のセリフもあります。うむむ、そう言われても、立場が違うんですが・・・。
 弁護士なんて、偉そうに特権階級にあぐらをかいているだけやろうが。お前らがあぐらをかいとる、その下の秩序を命がけで守っとるのは誰や。人権だか何だか知らんが、俺たち警察が命がけで守っとる秩序を、お前らは、金や自己満足のために壊しとるだけや。
 ミステリー大賞をもらうと、この本にある解説によるれば、受賞したあと選考委員や編集者のアドバイスによって徹底した書き直しがあるそうです。うむむ、これはすごい。大変そうです。
 まあ、それはともかくとして、394作のなかで見事に大賞を仕留めた「おそるべき強運とデビューのあとの変貌」に、私も大いに期待しています。
(2012年1月刊。1400円+税)

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2012年3月13日

震災と情報

社会

著者   徳田 雄洋 、 出版   岩波新書

 3.11から1年になろうとしています。3.11のとき、政府はパニックとなり、東電は真相隠しに狂弄していました。その後、少しずつ真相が明らかになっています。放射性物質を扱うことがいかに危険なことか、それは現在の人類の手に負えないものであることが次第に明らかになってきました。
 しかし、人は嫌なことは一刻も早く忘れ去りたいという本能的欲求につき動かされ、次第に怖さに慣れ、慣らされ、怒りが風化していっています。そんなとき、この本を読むと、改めて政府と東電による情報隠しを知って怒りが湧きあがってきます。
 3.11の前、ある人が雑誌のなかで、「地震のとき、日本で一番安全な場合は原子力発電所のなかです」と言ったとのこと。それほど、原発安全神話は世の中に徹底していたのでした。私も怖いとは思いつつも、まさかという気持ちでした。あってほしくないことは起きないという思いで自分をごまかしていたのです。
 3.11のあと、客観的な状況は深刻になっていくのにもかかわらず、日本のテレビと原子力工学者は、いつも、「直ちに心配することはありません」と繰り返していた。「これから私たちはどうなるのか」という質問は、スタジオでは禁句になっていた。そんなことを口にするのは礼節をわきまえない行為だった。
 日本のテレビ放送は、大きな原子力事故ではない、ただちに健康に影響はないと強調し続けた。しかし、国外の放送は、厳しい状況になる可能性があると説明し、日本から国外に脱出する人々や西日本へ避難する人々の様子を伝えていた。
 3.11の直後、アメリカ政府は80キロ圏内からアメリカ人は脱出するよう指示しました。ヨーロッパの大使館は一斉に関西に移動しました。
 日本政府は、アメリカの大型無人偵察機グローバルホークが撮影した福島第一原発の上空からの温度情報をふくむ赤外線画像を公開しないよう要請した。
 住民のパニックを防止するというのを口実に情報が隠されていったのです。
 この本は、結論として、地震の多い日本では、リスクが巨大すぎて商業的発電方式として合理的に見合わないので、原子力発電は終わらせるべきだと言っています。まったく同感です。
 コンピューター科学者が震災情報がいかに権力によって捜査されていたかを怒りをもってあばく本です。
(2011年12月刊。700円+税)

 日曜日の午後、いつものように庭の手入れをしていると、すぐ近くでウグイスが鳴きはじめました。清澄というイメージぴったりの澄んだ声です。お隣の白梅が満開に咲いているのですが、そこからウグイスの声が聞こえてきます。梅の木にいることは間違いありません。じっと動かず、目をこらして梅の枝を見つめていると、ついにウグイスを発見しました。スズメほどの大きさで、地味な色をした小鳥です。身を震わせながら鳴いている姿を初めて見ました。感激の出会いです。

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2012年3月12日

秀吉の朝鮮侵略と民衆、文禄の役(上)

日本史(戦国)

著者   中里 紀元 、 出版   文献出版

 今秋、久しぶりに名護屋城跡に行く予定ですので、改めて秀吉の朝鮮侵略戦争の実態を知ろうと思って読みはじめました。
 上下2巻から成る大作です。長く中学校の歴史の教師として実践してきた著者は韓国の文献もしっかり参照して刻明に朝鮮侵略戦争の推移をたどっています。とても勉強になりました。
 秀吉の朝鮮出兵は中国への大陸侵略の一環であるが、この計画は九州出兵と平行して具体的に進められていった。秀吉は九州にはいるとすぐに、宋(そう)義調(よししげ)に朝鮮王国自身が秀吉へ服従を示すため日本へ入朝するよう要請せよと命じた。
秀吉の朝鮮出兵の意図は日本全国が戦乱に明け暮れた戦国時代に膨大にふくれあがった武将たちの人減らしにもあったという説を読んだことがありますが、秀吉にとって朝鮮そして中国という国は簡単に征服できるという発想だったようです。その国土の広さを全然わかっていなかったのでしょうね、きっと。
 秀吉は、朝鮮について、明への侵攻とは関係なく、日本の領国にすると考えていた。秀吉の腹心の二大名(加藤清正と小西行長)を肥後に置き、朝鮮出兵の基地としての九州治政を重視した。そこで隈本に加藤清正を、宇土と天草に小西行長を置いた。
 天正19年秋、秀吉の子(鶴松)が死ぬとまもなく、秀吉は大陸侵略を決定した。秀吉は大明に入って皇帝となることを決定し、それに同意しない朝鮮をまず征服して秀吉に従わせ、これを先導して大明に進むとした。諸大名は、この計画を知って秀吉が狂ったと思った。しかし、秀吉に向かっては言えず、心の中で感じたままだった。
 秀長は反対し、秀吉に先導させ続けた。千利休も秀長に同調した。
秀吉の言葉に喜んで海外に領国を得たいと思ったのは、加藤清正や鍋島直茂。自分の本領を捨ててまで海外に領国を求めるのを嫌ったのは、家康や毛利輝元。
朝鮮出兵に反対すると時刻の領土を秀吉によって取り上げられ、あるいは国替えされるのを恐れて、多くの大名は出兵への不満・反対の気持ちを抱きながら朝鮮侵攻に参加した。
肥前の名護屋城は、天正19年(1591年)9月に築城が始まり、翌年2月には完成した。わずか5ヵ月という短期間で竣工した。名護屋には、波多三河守親(ちかし)の家臣で松浦党の城があった。
 倭寇の有力な港として、呼子とともに名護屋の港があった。名護屋の地形は、各大名の陣尾の曲輪に、それぞれ直接に船を着けることができたので、日本一の港だと言われた。
 秀吉の名護屋城には五層七重の天守閣があり、本丸、二の丸、三の丸、山里丸の四つの主廊があり、それに五つの出丸がついていた。名護屋町には、京、大坂、堺の大商人たちが集まってきて、すべて望みの品物は町にあふれていた。
 朝鮮侵略軍は、名護屋在陣が12万余人、朝鮮への渡海軍が2倍の20万5千余人。渡海軍の1番から6番は九州勢で8万人、渡海軍の51%。5番、7番、8番隊は中国、四国の大名軍で統計6万5千人、40%。
 このように、朝鮮侵略軍は九州・中国・四国と西日本の武士、とくに農・漁民によって構成されていた。九州・中国の大名は1万名につき600人の動員数を命じられていた。
 西日本の大名にとって、この大動員は大変に重い負担で、苦労があった。武士だけでなく、相当数の農漁民が軍夫として動員された。逃亡しようとした者は、見せしめとして火刑によって処刑された。
 日本軍は戦国時代を経て、新兵器の鉄砲を使用し、それによる城攻めに慣れていた。それに対して、朝鮮軍は矢で対抗していた。そのうえ、朝鮮水軍は、いち早く逃走した。
 小西軍は、奇策、人形や布を振って矢の標的になるものをつくり、その標的で矢をそらして城内への突入に成功した。
 李氏朝鮮の20年間、平和な世の中が続いていたため、民衆は戦時を知らなかった。これに対して日本軍は戦国の世が続いて、その中で生き抜き、鉄砲という新兵器も手に入れ、これを巧みに使うことに慣れ、戦術もいろいろ身につけていた。
 朝鮮王が王都を出ると、それまでの王政に対する不満が爆発して反乱が起き、都と王宮は乱民によって火に包まれた。
 朝鮮の優れた技術者を掠奪し、日本へ連行するよう秀吉自身が各大名に命じた。そうでなくても、朝鮮住民を人狩りして、夫丸(人夫)として酷使した。
 よくぞここまで調べあげたものだな、そう感嘆しながら読みすすめていきました。
(1993年3月刊。15,000円+税)

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2012年3月11日

イザベラ・バードを歩く

日本史(明治)

著者   釜澤 克彦 、 出版   彩流社

 明治11年(1878年)夏に、東京から東北を旅行し、北海道に渡ってアイヌ部落まで視察したイギリス人の女性旅行家による『日本奥地旅行』(平凡社ライブラリー)は、江戸時代末期から明治初期の東日本をまざまざと紹介している貴重な本です。
 この本は当時47歳のイギリス人女性がたどったのと同じコースをアマチュア(素人)がカメラ片手にたどった旅を再現した本です。写真がふんだんにあって、昔と今のイメージの違いを知ることもでき、興味深く読み通しました。
イザベラ・バードの旅は今と同じ好奇心旺盛の日本人に取り巻かれて、プライバシーの欠如、悪臭、ノミや蚊に苦しめられた旅行でした。
 日本人の物見高さのすごさには呆れますね。バードを見ようとして、家の中に60人、外には1500人も集まっていたというのです。いわゆる白人女性の姿を一目でも見てみようという日本人の群衆です。今だって同じですよね。
 「こんなすばらしい見世物を自分ひとり占めしているのは公平でもないし、隣人らしくもない。私たちは、二度とまた外国人の女をみる機会もなく一生を終えるかもしれないから・・・」
 泊まった宿屋では、深夜まで芸者や酔客の騒音で睡眠もままならない状態でした。今も昔も、日本人の団体客は騒々しい限りなんですね・・・。
 バードの通訳として同行した伊藤鶴吉について、バードは不信感をもっていましたが、わずか20歳でバードの旅行を無事に完遂させたのですから、偉いものです。
東北の人々は、自らの貧しさを詫びながらも、外国人客を精一杯もてなそうとし、決して余分のお金は受けとろうとしなかった。すごいですよね、これって・・・。
そして、実り豊かに微笑する東北の大地をみて、イザベラ・バードはここをアジアのアルカデカ(桃源郷)と名付けたのでした。
 各地のカラー写真がありますので、バードが旅行した当時をしのぶ手がかりとなります。バードの勇気もたいしたものですが、それを130年後にたどってみた著者の努力も大いにたたえたいと思います。
(2009年6月刊。1800円+税)

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2012年3月10日

空気を読むな、本を読め

社会

著者   小飼 弾 、 出版   イースト・プレス

 同感、同感と叫びながら読みすすめていきました。
空気なんか読む時間とヒマがあったら、もっともっと本を読めと言いたい。
 本を読むことで、自分を読むのだ。これは顔色なんか読むよりも、ずっと大事なこと。
 読書は、あなたに「考えること」を教えてくれる。「読む」とは「見る」ではない。「考え」なければ本は読めない。「読めた」ということは、「考えた」ということなのである。
 忙しくしている人、端(はた)から見て忙しくしているような人のほうが、たくさん本を読んでいる。
 これは本当のことです。年間500冊以上の本を読んでいる私ですが、忙しく動きまわっているときほどたくさん本を読んでいました。私が最高に本を読んだのは弁護士会(日弁連)の役員をしている一年間で、このときには全国各地を飛びまわっていたのですが、700冊をこえる本を読みました。
 テレビを見ないのは、これからを生き抜くための方策として最強である。節約すべきは、お金よりも時間なのである。テレビを毎日見ていると、1日4時間として、時給1000円だとすると、1年で146万円も大損した計算になる。テレビをダラダラ見続けてきたことで、どれだけの時間をドブに捨ててきたか。それを悲しむべきだ。
とにかく手を動かしてページをめくることを繰り返すのが読書マスターへの早道である。理解できなくもいいから、とにかくページをめくってみる。
 私の速読術は、まさにこれです。全ページをともかくめくっていくのです。そうすると、私の求めているところだけが、私の頭の中に入ってくるのです。その選択は脳がやってくれます。
読んだら書く。アウトプットすることで、忘れられる。書いたから、この件は終わりと、けじめもつく。
そうなんです。この書評ずっとを続けているのは、まさに、そのためなのです。
(2009年10月刊。1500円+税)

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2012年3月 9日

いま、先生は

社会

著者   朝日新聞教育チーム 、 出版   岩波書店

 教師と学校の今おかれている現実を直視してこそ、日本の子どもの将来を語ることができるように思われます。手にとってずしりと重たさを感じるほど、重い内容の詰まった本でした。
 教師の忙しさの質が変わった。忙しさには、やりがいのある忙しさと、消耗する忙しさという2種類がある。子どもを指導する忙しさはやりがいがあるが、説明責任を果たすための書類づくりや、ダラダラした職員会議に追われる忙しさは消耗する。そんな、疲れる忙しさが増えている。
学校や教師に無条件で権威が与えられていた「黄金時代」は完全に幕を閉じた。親が家庭や地域、企業で直面している苦しさが、子どもを通じて、まるで玉突きのように学校に押し寄せている。
 教師層の入れ替わりが激しい。30代の教員が少ないため、若手教員の相談相手となるべき先輩が学校にほとんどいない。この10年間で3分の1が入れ換わる。今や日本の教員の大転換期を迎えている。
 昔は、校長、教頭のほかは一般の教員だった。今では、統括校長、校長、副校長、主幹、主任教諭、教諭という序列ができている。
 教員評価の時期になると、評価される側は不安になるし、他の人がどう評価されているかも気になる。
 定年前に辞める教員が全国で毎年1万2000人をこえる。2005年度から2009年の5年間で全国合計で6万7000人にもなった。
 教員が定年前に早期退職する要因は二つ。一つは、子どもや保護者、同僚との関係に悩み、書類づくりの仕事も多いため、労働時間が長くなり、その密度が高くなった。もう一つは、教員が改革の標的にされ、成果主義の教員評価の徹底など、教師を傷つける政策が進行していること。
 学校では、細かな授業時間数の報告、学級経営案など、さまざまな書類づくりという、求められる事務作業が年々ふえている。そのため、教師は、子どもと接するより、パソコンと接する時間のほうが多くなっていく。
教師の働き過ぎに歯止めがかからない。中学校の教師が学校にいる時間は、1980年に10時間近かったが、1991年は10時間40分、1997年には11時間に近くなった。2007年には、11時間45分だ。27年間のうちに2時間も在校時間が長くなった。そして、教師の睡眠時間は、7時間8分から5時間57分と、1時間以上も減った。
 小学校の教師の労働時間は教頭が12時間近く、校長や教諭は10時間。中学校では、教頭が12時間弱で、校長は10時間ほど。日本の小学校の教員は、OECD平均より年間236時間も多い。1899時間働いている。
 日本の教師は、繁忙感が大きく、仕事に対する自信喪失感が強い。
 教師の自死そして精神病疾患が増えている。とりわけ学校の保健室を頼るのは、もはや生徒だけではない。
希望降任制度の利用者が増えている。東京、神奈川県で目立つ。主幹教諭から、副校長から、そして校長から降任していく。
教員の仕事は独特だ。いくら献身的につとめようと、売り上げや利益の増加といった、目に見える「対価」がない。だから、がんばっている教員には、感謝や喜び、ときにはねぎらいの言葉をかけてやるべきだ。
 公立小・中学校の常勤・非常勤あわせた非正規教員は10万9000人(2010年)で、全体の15.6%(7人に1人)を占めている。背景にあるのは、教員を採用する都道府県や政令指定都市の多くが直面する財政難だ。
 我が子が本当に可愛いのなら、子どもを学校でずっと教え、接触している教師をもっと大切にすべきだと思います。なかには「暴力教師」であったり、「無気力教師」もいたりするかもしれませんが、それは安かろう、悪かろう政策の結果ではありませんか。もっと高給優遇し、休日もたっぷりあるようにすれば、優秀な人材が教育界にあつまり、日本の教育が劇的に改善されると思います。学力テストの成績で教師と生徒をしばりつけるやり方がうまくいくはずはありません。
学校と教師の現実の状況を知ることができました。ご一読をおすすめします。
(2011年12月刊。1700円+税)

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2012年3月 8日

アスベスト 広がる被害

社会

著者   大島 秀利 、 出版   岩波新書

 アスベストは、天然の鉱物からできた綿のような繊維の集まりで、石綿とも呼ばれる。繊維一本は、綿の繊維よりはるかに細かい直径0.02~0.03マイクロメートル、毛髪の数千分の1ほどで、一本では目に見えない。耐熱性など、さまざまな特徴はこうした材質・形状に由来している。石としての特徴と綿つまり繊維としての特徴をあわせもつアスベストは、これまで3000種類をこえる製品につかわれてきた。
 製品は、大きく工業製品、摩擦材、保温材、建材に分類される。
 日本国内でのアスベスト産業の始まりは日清戦争期にさかのぼる。戦後は1974年にピークとなり、年間35万トンも輸入した。1988年には32万トンをこえて第二のピークとなった。そして、2004年に主要製品が使用禁止となった。
 たばこを吸わず、なおかつアスベストにさらされなかった人が肺がんになる危険性を1とすると、たばこを吸った人の危険性は10倍、アスベストだけを吸った人の危険性は5倍。ところが、たばこもアスベストも吸った人の危険性は10掛け5の50倍の相乗効果になる。うひゃあ、これって怖いですよね。
 アスベストの繊維はきわめて細かいので、吸い込むと肺の奥深くに突き刺さる。これが組織に刺激を与え、平均40年という潜伏期間を経てガン化し、中皮腫を発病させる。中皮腫は、すべてが悪性と考えられ、他のがんと比べても治療が難しい。2000年からの40年間に日本でアスベスト被害によって10万人が亡くなるという予測がある。
 1980年から2003年の記録によると、南アフリカのアスベストの最大の輸出先は日本で110万トンに達した。
 阪神大震災によって建物につかわれていたアスベストが飛散した。そして、3.11の東日本大震災によって、さらに広範囲にアスベスト粉じんが広がった。
 アスベスト被害は建築現場で働く人々だけでなく、普通の民家に住む人々、学校で学び、事務所で働く人々にも広く発生する危険が今なお大きいことを改めて認識させられました。
 安価な建築資材と思って使っていたものが、こんなに危険なものだったとは・・・。静かな原発と言われるほど恐ろしいもの、それがアスベストです。
 これからはアスベスト被害をめぐる裁判を注視していくつもりです。
(2011年7月刊。760円+税)

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2012年3月 7日

移りゆく法と裁判

人間

安部光壱 法律文化社 2012年2月10日


ここでは著者のことを敬愛の念を込めて、安部先生とは呼ばずに、安部さんと呼ぶことにする。安部さんは弁護士を生業としながら、その真の姿は人間と社会に対する関心と好奇心に尽きぬ情熱の炎を燃やす永遠の少年である。その少年が久しぶりに書物を世に著わした。それが本書である。


本書の成立ちは後書きに記されている。「本書は、平成9年9月から「電気と九州」という月刊誌に九州大学名誉教授の有地亨先生と隔月で連載をはじめたものをまとめたものである。ある時期から、私ひとりで担当することになったが、これまでに100編以上になったので、その中から30編ほど選んで本書にした。」


本書は4部構成であり、第1部は「雑学」、第2部は「弁護士倫理」、第3部は「事実認定」、第4部は「判例」となっている。易しい雑学から次第に複雑な法律問題へ進む、というわけである。では、本書の核心は、弁護士の書物らしく第3部、第4部にあるかというと、そうではない。むしろ、私には第1部「雑学」にこそ、安部さんの真髄があるように思えてならない。


その第1部「雑学」の冒頭には、安部さんの尊敬するシェークスピアの作品からの引用がある。「どんな荒れ狂う嵐の日にも時間はたつのだ」、「いいが悪いで、悪いがいい」などなど。安部さんはシェークスピアの言葉の中に時代を超えた人生の普遍の真理を見出しているのだ。そして、大佛次郎の「ドレフェス事件」を引用し、大岡昇平の「野火」「武蔵野夫人」を引用し、夏樹静子の「量刑」を引用する。まったく安部さんの読書量とその守備範囲には恐れ入る。


また「雑学」の周辺にはおもしろいエピソードが披歴されている。ここでは次の2話を紹介したい。


さいきん自動車の運転免許を取った安部さんは言う。「自動車学校で学んだことは多いが、一番の収穫は、安全運転の意味である。安全運転とは自分が正しく運転するだけでなく、相手の飛び出し等、危険を予測し、それを避けることまでも意味する。つまり、自分だけが正しいことをすればいいというのではなく、正しくない逸脱行動をする人や車を常に意識して避けるということである。これは図らずも人が社会生活を行ううえで極めて重要なことであり、私は弁護士として、依頼者に対してや裁判で常に言っていることである。つまり、自動車学校は交通ルールだけではなく、人生のルールまで教えているのである。そのことを理解していれば、事故やトラブルが起こった際、他人のせいにするのではなくそれを起こすのを予防できなかった自分も浅はかであったと気づくだろう。」


安部さんと親しい元裁判官が言う。「私は、裁判とは、弁護士の優劣に影響されると思っていた。いわば「弁護士運」がその勝敗を決定すると。しかし、自分が弁護士になって気づくのは、どの裁判官にあたるかがもっと重要ということだ。「裁判官運」ということだ。これには驚いたけどね。」


本書のタイトルは「移りゆく・・・」であり、安部さんは一つとして移りゆくものを見逃さず聞き逃さない好奇心を発揮しつつ、移りゆかない永遠普遍なものも決して忘れることがないバランス精神がある。やはりただの腕白少年ではない、大人の心をもった少年である。

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イスラームの「英雄」サラディン

世界(アラブ)

著者   佐藤 次高 、 出版   講談社学術文庫

 12世紀のアラブ世界で十字軍の侵略に真っ向から対決し、ついにエルサレムを奪回したイスラムの英雄・サラディンの一生を詳しく紹介した本です。とても面白く、最後まで一気に読み通しました。十字軍の内部も決して一枚岩ではありませんでしたが、対するアラブ世界も一枚岩どころか、四分五裂の有り様でした。同じイスラム教徒といっても、やはり主導権争いは激しかったのです。サラディンは12世紀の人です。イラク生まれのクルド人でしたが、30歳でエジプトを手中におさめ、十字軍からエルサレムを奪回したのでした。
 イスラムの世界は中国と並ぶ「書の世界」であり、サラディンの生涯に関する伝記史もかなり豊富である。うむむ、これは知りませんでした。アラビア文字の、あのとらえどころのない字体から、漢字のように書の世界が展開していたなんて夢にも思っていませんでした。
 サラディンは1137(1138)年にイラク北部の町タクリート(今のティクリートでしょうか?)に生まれた。父はクルド人の代官だった。現在、イラク北部からトルコにかけて1500~2000万人のクルド人が住む。アーリア系のイラン人を基礎に、アルメニア、アラブ、トルコ、モンゴル民族の侵入と混血をへて今日のクルド民族が形成された。3分の2がスンニー派、3分の1がシーア派だ。
サラディンの性格として二つのことが言える。一つは、近親者の要求を優先した。サラディンは、兄弟や自分の子どもに厚く報いた。二つ目は、性急には武力を行使せず、忍耐強かった。
サラディンは17人の息子と1人の娘に恵まれた。17人の息子のうち2人は奴隷女に生ませた子どもだった。
 サラディンが十字軍との戦いを続けられたのは、エジプト・シリアの政治的な統一に加えて、エジプトの富を十分に活用することができたからである。
 エジプト経済の基礎は農業にあった。ナイル川の西岸には豊かな農耕地が広がり、個々で生産される農産物が都市の人口を養った。
 エジプトの農民たちは、遊牧民と結託して、しばしば納税拒否の反乱に立ち上がった。農村地帯には、伝統的な遊牧生活をおくるアラブ部族がおり、農民からみれば彼らは機動力と武力をあわせもつ「強い味方」だった。
 イスラム世界では、世代をこえて受け継がれていく固定的な「騎士の身分」は存在しなかった。由緒正しいアラブの血を引く者であれ、よそ者の奴隷兵(マムルーク)であれ、騎馬戦士はすべて騎士(ファーリス)の名で呼ばれた。彼らは、いわば職業的な戦士であって、商人や職人あるいは、農民が騎士にとりたてられる道は開かれていなかった。正規軍を構成する騎士は初めの小規模なイクターを与えられ、スルタンへの忠実な奉仕を続けて戦功をあげれば、やがて軍団を統率するアミールに任じられた。
 アミールはイクター収入を用いて子飼いの騎士を養い、スルタンから出陣の命令が下れば、みずから戦備をととのえ、これらの騎士をひきいて参戦することが義務づけられていた。ヨーロッパの騎士へ与えられた封士は相互の契約にもとづいたが、イスラムの騎士へのイクターの授与はスルタンへの絶対的な服従を前提としていた。
 キリスト教徒の騎士にとって、学問や教養はかえって武勇のさまたげになるとみなされていた。この点は、イスラム社会の通念とは大いに異なっていた。
 ムスリム騎士は軽装であり、十字軍騎士は重装だった。
サラディンは死後に継承されるべき政治体制を確立することなく病没した。自らはスルタンを名乗らなかったことからも明らかなように、国家の首長の地位そのものがあいまいだった。ここに至るまでのアイユーブ朝は、サラディンの個人的な権威や人望によって、かろうじて一つにまとまっていたにすぎない。そのため、人々がサラディンを「スルタン(王)」と呼んだとしても、その権力は、決して絶対的なものではなかった。
 十字軍はアラブ世界に200年も侵略、占領、滞在していたようですが、当然のことながら、最後にはアラブの人によって放遂されました。ムスリムの首長であったサラディンの実像を初めて知ることができました。
(2011年12月刊。960円+税)

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2012年3月 6日

原発訴訟

社会

著者   海渡 雄一 、 出版   岩波新書

 著者は現職の日弁連事務総長ですが、ながらく弁護士として全国の原発訴訟に関わってきました。
 司法は破壊的な原発事故の発生を未然に防ぐことが出来なかった。四国・松山にある伊方原発訴訟について、最高裁は次のような判断を示した。
 「原子炉施設の安全性が確保されないときは、この原子炉施設の従業員やその周辺住民等の生命・身体に重大な危害を及ぼし、周辺の環境を放射能によって汚染するなど、深刻な災害を引き起こすおそれがあることにかんがみ、この災害が万が一にも起こらないようにするため、原子炉設置許可の段階で原子炉を設置しようとするものの技術的能力ならびに・・・・施設の・・・・安全性につき、科学的、専門技術的見地から、十分な審査を行わせることにあるものと解される」
 違法性を判断するにあたっては、処分の時点ではなく、現在の時点、つまり裁判で審理がなされている時点であると明示されている。そして、被告行政庁が安全に関する主張・立証を尽くさないときには、行政庁がした判断には不合理な点があることが事実上推認される。
原子力発電所は、いくら安全確保対策を充実させたとしても、事故の可能性を完全に否定することはできません。
 もんじゅをめぐる裁判については、毎月1回、朝10時から夕方5時半まで口頭弁論期日を開いた。争点に関するプレゼンテーションを実施し、裁判所は自由に心証を形成していった。
青森県にある大間(おおま)原発は日本の核燃料サイクル政策破綻の象徴のような原子炉である。この実験炉ともいうべき原子炉を建設している電源開発は、過去に原発を保有したことがない。
日本国内に設置された原発のなかで、地震や断層の影響を受けないと言い切れる原発はない。1994年から2003年までに発生したマグニチュード6.0以上の地震960回のうち、220回が日本で発生した。世界の大地震の5分の1が日本列島と、その近くで発生している。
 福島第一原発事故において、東京電力が十分な津波対策を講じなかったことは、民事上の過失のレベルではなく、刑事上の犯罪を構成する可能性も考えなければならない。あの天下に名高い東電の歴代社長・取締役をこのまま不問に付していいなんて、とうてい思えません。皆さん、いかがですか・・・?黙って見過ごしていいと思いますか。
 地震、津波による原発の損傷から炉心溶融(メルトダウン)に至った今回の事故は、あらゆる観点からみて明らかに事前に想定できたものであり、東京電力の損害賠償責任は揺るがない。原発事故による損害賠償の枠組みについては、まずは東京電力の現有資産による賠償がなされるべきである。それで不足する部分については、被災者の支援のために国が上限を定めず援助する義務を法律上確定すべきである。
原発をめぐる訴訟に自ら長年にわたって関わってきただけに鋭い論評が各所にみられる本です。ぜひ、あなたも手にとって、ご一読ください。
(2011年11月刊。820円+税)

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2012年3月 5日

動物が幸せを感じるとき

生き物

著者  テンプル・グランディン  、 出版   NHK出版

 大切なことは、子どものころに他者との触れあいがたっぷりあり、健全な環境で暮らしたということ。発達初期の外界からの刺激には神経を保護し、脳を保護する働きがある。
オオカミは、人間のように家族単位で暮らす。オオカミの集団、つまり家族には、一組しかペアがいない。オオカミの子は、親や兄弟とは交尾しない。人間と同じように両親が家族を支配する。親は、いつまでたっても親。オオカミの家族では、優位をめぐって子どもたちが親に挑むことなどない。うへーっ、そうなんですか。オオカミの家族が人間の家族とそっくりだなんて、意外でした。
 オオカミが大きな群れで行動しない理由の一つは、捕食種なので、被捕食種のような護身の群れをつくる必要がないこと。オオカミの兄弟は優位をめぐるけんかをしない。
犬にとっていちばん自然な生活は、柵がなく、人間の飼い主がいて、おもに野外で過ごす暮らしだ。
犬は、いわば成長が停止したオオカミだ。顔がオオカミに似ている犬種ほど、おとなのオオカミと似た行動をとる。犬が母親と娘のような家族同士でないのなら、犬を飼うなら2匹にとどめたほうがよい。
犬は、オオカミの血を引いているので、「探索」の欲求が強い。オオカミは放浪する動物で、日中に知的な刺激をたくさん受け、一日に何度もさまざまな決断を下す。
犬は群れをつくると危険だ。犬は、とても社交的なので、何時間もひとりぼっちでは楽しくない。孤独と退屈で苦しんでいる犬があまりに多い。
犬は人間が喜べば、自分もうれしくなる。人間と犬は意識せずに常に互いを訓練している。
エサを取りあげられても気にしないように子犬を訓練することが大切だ。子犬にとって欲求不満を我慢させる訓練でいちばんいい方法は、「待て」と「おあずけ」を教えること。
 犬は、一日に少なくとも1時間はかまってやる必要がある。
子犬の性格を見分けるテスト。子犬をそっと仰向けにして、それから、その胸を軽く押さえつける。起きあがれない程度の圧力をかけたあと、手を離し、そのときの子犬の態度をみる。怒った目でにらみつけたり、おそろしがったりする犬は困る。ちょっとした遊びだと受け止める犬がおすすめ。
猫を飼うとき、心に留めておくべきことは、猫は本当には飼い慣らされていないこと。犬と人間の関係は共生的だが、猫と人間の関係は相互利用的。猫と人間とは、一緒にいて得る利益以上には互いをそれほど必要としてこなかった。ネコは、ある意味で、居間にすむ超小型のトラのようなものだ。
猫は環境にこだわり、小さな変化にもいちいち気がつく。猫は、犬と比べてはるかに自分の流儀にこだわり、新しい環境にうまく適応しないことがよくある。
馬は、犬に似ているところが少しある。人間を喜ばせたいのだ。馬は細部にとても敏感だ。絶対に怒りながら馬に近づいてはならない。
家畜の牛は、馬ほど恐怖心が強くないが、常に捕食者を警戒している。牛は群れで暮らす。そのため、仲間や家族と一緒にいる必要がある。
豚はとても好奇心が強い。先祖のイノシシが自然の中で長い時間をかけてエサを探していたことと関係がある。豚はかなり社交的で、性格も優しい。豚は、とても賢い。頭のよさは、アライグマ、犬、猫に次ぐ。
生き物についての深い考察がなされていて、驚嘆しました。著者は自閉症の動物学者です。
(2011年12月刊。2200円+税)

朝、ウグイスが上手に鳴くので目が覚めます。澄んだ声でホーホケキョと春到来を告げます。
庭にはアネモネの紅い花、黄水仙。チューリップのつぼみはぐんと伸び、もう少しで咲きそうです。
ついに花粉症が始まりました。目元がかゆくて、鼻水が止まりません。鼻詰まりのため、夜中に目が覚めてしまいます。春到来を待ちこがれているのですが、これだけは困ります。
子どもにも花粉症が増えているようです。その原因の一つに日本人のあまりの清潔好きがあるという記事を読みました。文明化もいいことだらけではないようです。

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