弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

アメリカ・司法

2020年6月12日

正義の行方


(霧山昴)
著者 プリート・バララ 、 出版 早川書房

インド系のニューヨーク連邦検事の見たアメリカの司法の現実です。
司法権の独立を守るためトランプ大統領とたたかって連邦検事を罷免されたとのことですが、その点の詳細は語られていません(見落としたかな...)。
著者は2017年3月11日、トランプ大統領によって、突如として連邦検事を罷免された。
ときに裁判官は正義の追及を忘れ、自己保身のための行動をとることがある。
この点は、日本もアメリカも同じだということですね...。
裁判官がつねに公平無私な判断をできるとはかぎらない。裁判官は、ただ事実に法律を適用して、ボールとストライクを判定しているわけではない。裁判官は、すべてを超越した存在などではない。裁判官をふくめたすべての人々は、戦略や戦術を利用しようとする。裁判官は、ときに安易な物々交換に手を出してしまう。上級裁判所による逆転判決をやけに気にする裁判官の気質を理解している検察官は、抜群のタイミングでレバーを押すことができる。大切なのは気づきだ。
裁判官の背中を押すものは何か...。潜在的な自己利益、うぬぼれ、偏見の影響力を弱めるには、何が必要なのか...。
孤立した部屋に追いやられた裁判官たちは、自ら落ち度はなくても、悪い癖や居丈高な態度を保ったまま法廷に出つづけることが多い。このような傾向は、正義に対する認識に悪い影響を与えかねない。
被告人をひとりの人間として敬意と尊厳に値する人物として扱う裁判官はたしかにいる。しかし、法廷にいる私たちは、みなそれを忘れがちになる。
法廷で、いちばん重要なことは何か...。もちろん、準備、専門的技術、雄弁士も大切だ。しかし、法廷でなにより重要なのは信憑性だ。信憑性があれば、あなたの物語は、より信用してもらえる。譲歩は、弱さではなく、強さの証だ。なぜなら、譲歩は、あなたの信憑性を高めてくれるからだ。
法律はたんなる楽器であり、人間のかかわりがなければ、ケースにしまわれたままのバイオリンのごとく無意味で、無力なものでしかない。
人間によって正義が果たされることもあれば、逆に阻(はば)まれることもある。人間によって寛大な措置が施されることもあれば、拒否されることもある。
密告者...。裏切り者の存在は、多くの犯罪捜査にとって欠かせない。崩壊は決まって内部から始まる。しかし、検察との協力(協力したとの疑い)のため、数えきれない人が、この世から葬り去られた。
誰かを協力者として寝返らせるための戦略は、賢い尋問のための戦略とそれほど変わらない。大げさな感情表現や芝居など必要なく、むしろ逆効果でしかない。優秀な捜査官や検察官は、相手を脅したり威嚇したりせず、きっぱりした事務的な口調で話す。
協力するかどうかという判断は、いわば費用対効果の分析だ。見返りもなしに何かを与えるような人を説得するのは難しい。これは実利的な取引であり、正義をまっとうするための手段でもあるのだ。
長く司法界にいただけあって、アメリカと日本とでは制度は異なっても、共通するところが大きいと実感しながら興味深く読みすすめました。
(2020年3月刊。2900円+税)

2020年4月14日

ギデオンのトランペット


(霧山昴)
著者 アンソニー・ルイス 、 出版 現代人文社

1963年3月、アメリカ連邦最高裁判所は、貧困のため弁護人を雇えない人は、その人のために弁護人が付せられない限り、公正な事実審理は保証されえないと判決した。つまり、被告人には弁護人の援助を受ける権利があることを明示したのです。
そして、9年後の1972年に、連邦最高裁は、たとえ軽罪事件の被告人であっても、現実に自由の剥奪(拘禁刑)の結果をもたらす場合には、弁護人の援助が憲法上必要であると判断した。
次に、弁護活動の質が問題になりました。おざなりの、ただ弁護人が法廷にいるだけでない、効果的な援助を受ける権利が被告人には保障されなければならないという判決にすすんでいったのです。アメリカでは、そのため州が公設人弁護人事務所を設立しています。
日本でも、ときに手抜き弁護が問題になることがあります。記録を読まない、公判当日に被告人に法廷で会うだけの弁護人、そういう弁護人が今でもたまにいるようで、残念です...。
クラレンス・ギデオンは1962年1月、アメリカ連邦最高裁に書面を送った。自分の事件で訴訟救助を求めたい、自分の刑事裁判で、弁護人を求めたのに裁判長が却下したという内容です。このときギデオンは51歳。ギャンブラーの白人男性で、前科がいくつもあった。容疑は窃盗目的の不法侵入罪。店内からビールなどを持ち出すために店内に侵入したというものだった。
それまでの連邦最高裁の判例では、弁護人が要求されるのは、弁護人なしに審理がなされたら、「基本的公正の否定」に値する場合に限るとして、「特別な事情」が必要だとされていた。
ギデオンの事件は、それを打ち破る可能性があった。連邦最高裁はギデオンの求めに応じて、エイブ・フォータス弁護士を弁護人として任命した。
フォータスはユダヤ人の52歳の弁護士で、30人の弁護士をかかえる、支配階層ではない法律事務所に所属していた。
ギデオン事件では、ベツ事件で示した連邦最高裁判決にいう「特別な事情」のないことは明らかで、それでも弁護人がいたら有益だったことは明白だった。
ギデオン事件で、被告人・弁護側が勝ったら、刑務所が空っぽになってしまう。こんな「予想」がたてられた。
これは、もっとも強烈な感情的反対論だった。
当時、2500人の弁護士がアメリカ連邦最高弁護士会員になるための会費として25ドル(今は200ドル)を支払わなくてはいけなかった。
今から57年も前のアメリカ連邦最高裁判所が弁護人なしの刑事法廷はありえないとする画期的な判決を示したのです。それを直後に本にまとめたものを、今回、田鎖麻衣子弁護士(二弁)が翻訳しています。アメリカの判決の変遷のところは、前提となる知識のない私には少し難しかったのですが、それでも、一人の男が連邦最高裁判所に書面を送ったことから、弁護人がつくようになったというのは真実です。その過程を学ぶことのできる貴重な本です。
今では、日本は被告人国選弁護制度だけでなく、被疑者国選弁護人制度までありますので、あとは弁護人の質の問題になっているのでしょうね。
私は被疑者弁護人(国選)になったら「毎日面会」を心がけています。出張のため行けない日もありますので、「原則として毎日面会」をしています。
現代人文社から贈呈を受けましたが、大変勉強になりました。ありがとうございます。
(2020年3月刊。3600円+税)

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