弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2017年8月 1日

めぐみ園の夏

社会

(霧山昴)
著者 高杉 良 、 出版  新潮社

著者の経済小説は、かなり(全部とは決して言いません)読みました。その丹念な取材による状況再現力(想像力)には、いつも驚嘆してきました。
今度は、自伝的長編小説というのです。どんなものかなと、あまり期待せずに読みはじめたのですが、思わずストーリーの渦中にぐいぐいと引きずり込まれてしまい、裁判の待ち時間も使って、その日の午前中に読了してしまいました。
ときは昭和25年(1950年)夏、両親の別居・離婚に至る過程で4人姉弟が孤児を収容する施設に無理して入れられます。まだ3歳ちょっとの末娘は、まもなく養子にもらわれていくのですが、主人公は兄妹がバラバラにされるのを怒ります。
いま、弁護士として離婚にともない兄弟がバラバラにすることの是非を絶えず問い返しています。幸い、本書では養子縁組は幸せな結果をもたらしたようです。胸をなでおろします。でも、いつもそうとは限りませんよね。「レ・ミゼラブル」のように下女か下男のような扱いを受け、こき使われるばかりというケースも少なくないのではないでしょうか・・・。
主人公は小学生(11歳)の亮平です。スポーツが出来て、成績も良くて、何より人から好かれるという性格なので、施設から学校に通っても、クラスで級長をつとめるようになるのです。
施設生活では、理事長と園長のワンマン経営、そして、そのわがままな暴力息子が孤児たちを脅しまくります。
両親に見捨てられた孤児たちは施設を出てから、まともに仕事をし、家庭生活を送るのに大変な苦労をさせられると聞きます。楽しい家庭生活を体験していないことからくる強い不安があり、これを乗りこえるのに大変な努力を要するのです。
幸い、この施設には、優しい指導員が何人もいて、孤児たちを温かく包容し、励ましてくれるので、主人公はまっすぐに伸びていくことが出来ました。その苦難を乗りこえていく過程がとてもよく紹介されていて、なるほど、それで、次はどんな展開になるのだろうかと、頁をめくるのがもどかしくなります。
結局、主人公は中学生になって母親ではなく、愛人と暮らす父親のもとで生活することを選択するのですが、それに至る葛藤の描写に迫真性があります。
親の離婚が子どもたちにもたらす影響、そして子どもがそれを乗りこえていく力を秘めていること、そのためには周囲の温かい支援が必要なんだということがよく分かる本でした。
読んで、じんわり、ほっこりする小説として、よく冷房のきいたなかで一読されることをおすすめします。
(2017年5月刊。1500円+税)

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2017年8月 2日

日本国憲法の核心

司法

(霧山昴)
著者 法学館憲法研究所 、 出版  日本評論社

東京都議会議員選挙での自民党惨敗で、安倍首相は改憲策動を断念するかと期待しましたが、甘かったようです。予定どおり改憲スケジュールをすすめると強気の発言です。その反省のなさには呆れるばかりです。
この本で伊藤真弁護士は一票の格差の本質的問題点を鋭くついています。日本では、一人一票が実現していないのです。ある人は一人一票でも、別の人は、0.48票しか認められていません。これでは、日本を民主主義の国とは呼べません。最高裁ですら現行制度を合憲とは言わず、違憲状態にあるとしました。
私は、日本で一人一票制度がないがしろにされているのと同じように、戸別訪問禁止、小選挙区制というのも日本の政治を間違わせている根源だと考えています。いまの「アベー強政治」というのは、小選挙区制度による弊害の典型ではないでしょうか。せめて、以前の中選挙区制度(1区で複数の議員が当選する)に戻すべきだと考えます。
そして、日本と世界の平和を保持するには、武力にたよらない政治を国の内外ですすめていくべきです。そんなことを言うと、すぐに空想的理想主義で、机上の空論だと批判したり、笑ってバカにする人がいます。でも、世界最強の軍隊をもつアメリカが世界の平和を保持していると言えますか・・・。
実際には、戦争とテロを世界にもたらしているだけではありませんか・・・。
8人の憲法学者が貴重な論稿を寄せているブックレットです。
(2017年5月刊。1700円+税)

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2017年8月 3日

人工知能の核心

人間

(霧山昴)
著者 羽生 善治 NHKスペシャル取材班 、 出版  NHK生活新書

中学生の藤井四段の29連勝には将棋門外漢の私も驚かされました。
私も子どものころ、将棋を少しだけしてみましたが、才能のないことにすぐ気がつき、やめました。囲碁のほうは、弁護士になりたての暇なころに入門書を買って読んでみましたが、これまた才能のないことを自覚して、すぐに見切りました。以来、今日まで迷うことなく読書とモノカキに精進しています。
人工知能の将棋では、開発者自身は必ずしもゲームに詳しくない。ともかく、アルファ碁同士でとてつもない数の対局をこなす。一試合を高速でこなすことで、何十万局というデータをごく短時間で入手できる。
チェスの人工知能であるディープ・ブルームは、100万局以上のデーターベースが搭載されていて、1秒間に2億局面を考えることができる。過去の対局の情報と、力づくの計算能力の「ブルドーザー方式」で人間に勝利した。
今の人口知能には、間違った答えを出してくる神経細胞をうまく間引いてくれる手法が入っている。これを誤差逆伝播法という。伝言ゲームの途中でトンチンカンな情報を伝えるような信頼できない人がまぎれこんでいるのをうまく排除するシステムだ。
人工知能には「恐怖心」がない。フツーなら怖くて指せないような、常識外の手を人工知能は指す。
創造とは何か・・・。その99%は、今までに存在したものを、今までにない形で組みあわせること。しかし、残りの1%は、何もないところから、あたかも突然変異のように生まれてきた破壊的イノベーションだ。
将棋を指すとき、棋士は直観によって、まずはパッと手を絞り込む。将棋は一つの局面で、平均80通の指し手がある。そのうちの、思い切って二、三手に絞る。
つまり、ゼロから一つずつ積み上げて考えるのではなく、まずは、だいたい、あのあたりだなと目星をつけて、そのうえで論理的に考えていく。このほうが、より早く答えに到達できる。直観とは、決してやみくもなものではなく、経験や学習の集大成が瞬間的にあらわれたものなのである。
これは、弁護士にとっても同じことが言えると思います。私のように弁護士生活も40年以上すぎてしまうと、新しい法律理論はなかなか頭に入ってきませんが、事件の全体的見通しなどについては、過去の体験をふまえて、瞬間的に見えてくるものがあります。
直観によって手を絞り込んでいても、10手先までを全部読むのは、多くの人が想像する以上にはるかに難しいこと。そこで、大局観が必要となる。そのためには、具体的な一手からいったん離れてみる。将棋は囲碁と違って、この一手以外は、全部マイナス1000点になるような手が頻出する。
なので、将棋に強くなるために、一番大切なことは、だめな手が瞬時に分かること。将棋では、最善手と次善手の差が、それほど大きい。
人工知能の実際を将棋を通じて知ることが出来ました。法曹界にも人口知能はさらに進出してくると思います。でも、結局のところ、人間対人間の微妙な心の屈折感情を解きほぐすのには人口知能より、生きた人間の過去の蓄積をふまえた判断によるあてはめが必要です。そのとき、AIだけに頼っていたら間違ってしまう危険は大きいと私は思います。
(2017年6月刊。780円+税)

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2017年8月 4日

八法亭みややっこ、世界が変わる憲法噺

司法

(霧山昴)
著者 飯田 美弥子 、 出版  花伝社

着物姿がぴったり似合う女性弁護士です。
落語家としての気風(きっぷ)の良さが人一倍なのは、高校生(水戸一高)のときの落語研究会(おちけん)以来のキャリアがあるからです。
32歳で離婚して、法律事務所で事務員として働きながら受験勉強をして司法試験に合格。40歳で弁護士になりました。
「あなたの当たり前が、私の当たり前とは限らない」日本では、その意識が弱い。みんな違って、みんないい。この金子みすずの詩が評価されているのは、多くの日本人が同質でないと不安になることを反映しているのかもしれません。
みややっこさんは、東京は八王子の現役の弁護士です。現役としたのは、弁護士の本業のかたわら日本国憲法の意義を落語によって語っているからです。日本全国を駆けめぐっています。ちょっと前に本人から聞いたのは、宮崎と佐賀ではまだ話していないということでした。その後、九州全県を制覇されたのでしょうか・・・。
憲法ネタは、著者オリジナルです。そして、著者の噺は90分(1時間半)かかります。
ごく最近、私の知人が古典落語に挑戦しはじめたのですが、今は、まだせいぜい30分しかやれないと正直に告白していました。なのに、90分、憲法を落語として語るのですから、すごいものです。私は、実は、DVDで見聞しただけなのですが、それはそれは堂々たるものでした。さすがは高校生以来のキャリアです。まったく堂々たる落語家です。
ちなみに、「八法亭」というのは著者が東京は三多摩にある八王子合同法律事務所に所属しているからです。六法全書の連想ゲームみたいなものでしょうね。
安倍首相がモリそばカケそば疑惑から目をそらさせようとして、強引な改憲策動を前倒しにしている状況で、日本国憲法が実は身近な存在だし、それを守ることが毎日の平穏で安心な生活を保障するものだということを実感させる本でもあります。
本書は「みややっこの憲法噺」シリーズの第三弾です。著者がますます美しく光り輝かれんことを祈念しています。

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2017年8月 5日

鳥類学者だからって、鳥が好きだと思うなよ

(霧山昴)
著者 川上 和人 、 出版  新鳥社

かなり人を喰ったタイトルの本です。フザケっ放しの本かと思うと、内容はすごくまともな調査・研究の日々の苦しさ、辛さがあふれています。
好きじゃなかったら、とてもやれそうもありません。だって、無人島に上陸して何日も滞在して、落石注意のために夜ねるときもヘルメットをつけていたり、夜中に徘徊するというのですよ。あげくに耳の中に大きな蛾が入りこんでしまって、翌日まで悶絶しているなんて、すごすぎます。私だったら、絶対にガマンできません。
DNA分析の結果は意外なことが多い。たとえば、小笠原群島のヒヨドリは、伊豆諸島から南下したものではなくて、遠く1800キロの彼方にある沖縄南部の八重山諸島のヒヨドリ由来だ。そして、やや近くの火山列島のヒヨドリこそ伊豆諸島に由来している。ところが、小笠原初頭のヒヨドリと火山列島のヒヨドリとは交雑していない。
これって、不思議なことですよね・・・。
ヤギを人間が肉を食べるために島で飼うと、島の植物をたちまち食べ尽くしてしまう。島の草地が消失し、裸地化していく。だからといってヤギを駆除すると、外来植物が激増する。そして、ヤギに食べられなくなった外来種のクマネズミも増加する。
海鳥の飛翔力は、ケタはずれだ。風に乗れば、1日で数百キロメートルの移動も可能である。
鳥は、なるべく元の繁殖地に残ろうとする。それは、別の場所では必ずよい条件があるとは限らないということ。実績のある場所への執着が鳥の繁殖成功率を高める手段である。
さし絵の鳥の姿を見ているだけでも、心がなごんできます。それにしても、我が家の庭の木で初めて育っていたヒヨドリの赤ちゃんがヘビに食べられたのにショックを受けたことを思いだしました。
元気で、無理せず、引き続きがんばって下さい。
(2017年6月刊。1400円+税)

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2017年8月 6日

毒々生物の奇妙な進化

生物

(霧山昴)
著者 クリスティー・ウィルコックス 、 出版  文芸春秋

生物の毒を研究している某学者は、26種類の毒ヘビに咬まれ、23回も骨折し、3尾のスティングレイ類と2匹のムカデ、そして1匹のサソリの毒液に触れた。これで、よくも死ななかったものです。私は学者にならなくて良かった・・・。
咬みつく種は、毒液を主に攻撃のために用いる。刺す方の種は防衛のために用いる。もちろん、それぞれ例外はある。サソリやクラゲは、針で刺して餌となる生物を殺すし、スローリスは身を守るために相手を咬む。そして、クモは、しばしば毒液を両方の目的のために使い、必要に応じて攻撃から防衛へと切り替える。
夜行性の毒ヘビに咬まれたときは、比較的痛みが少ないため、その場では大丈夫だと思い込みやすい。そして医師の介護と抗血清がすぐに必要だったと気がつくのは、何時間もたって、徐々に麻痺が進行し、呼吸が困難になってからのこと。そのときには手遅れになっている。
アンボイナガイの致死率は70%。一気に麻痺が進行して、数分のうちに死んでしまう。
毒ヘビに対して、もっとも強い耐性をもつのは、ヘビを日常的に食べる動物たち。ミツアナグマ、マングース、オポッサム、ハリネズミなど・・・。
毒ヘビが毒液をつくることの代謝コストはきわめて大きい。
アメリカで1年間の毒ヘビによる8000件の咬傷事件で、そのほとんどは、ガラガラヘビによるもの。ガラガラヘビは、自分の防御のためしか人間を咬まない。人間は身体が大きいから、すぐに死ぬこともない。
毒々生物というのは、人間にとって毒であると同時に、生命を助ける薬にもなる存在のようです。そこがこの世の面白いところですね・・・。
(2017年6月刊。1600円+税)

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2017年8月 7日

サバイバル登山家

人間

(霧山昴)
著者 服部 文祥 、 出版  みすず書房

すさまじい山行記のオンパレードです。私には絶対に出来ませんし、まねしたくもありません。そんな私がこの手の本を読むのは、まさしく、怖いもの見たさ、です。お化け屋敷なんか、のぞきたくもありませんが、冬の山をほとんど何も持たずに単独行するなんて、まさしく人間技(わざ)を超えていますし、気狂い沙汰というか正気の沙汰ではありません。
山には逃れようのない厳しさがある。そこには死の匂いが漂っている。
だからこそ、そこには絶対的な感情がある気がする。
生きようとする自分を経験すること、登山のオリジナルは、そこにある。それは今も変わらない。
自分の内側から出てくる意思や感情を求めていた。厳しい現実が次から次へと降りかかってくるような窮地や、思いもよらなかった美しいものを目にしたときに、自分が何を感じるのかを知りたかった。
サバイバル登山のときは、電池で動くものは何も持っていかない。時計、ヘッドランプ、ラジオはもたない。太陽によって時間を知る。コンロとか燃料ももっていかない。マットやテントもおいていく。
最大11日間の山行にもっていく食料は、お米5合、黒砂糖300グラム、お茶、塩、胡椒だけ。タープを張って雨を避け、岩魚を釣って、山茶を食べ、草を敷いてその上に眠り、山にのぼる。
ヤマカガシ(毒ヘビ)を見つけると、頭を踏んづける。腹から溶けかけたカエルが出てきたら、この未消化カエルとヤマカガシとヒラタケを塩味のスープにする。
岩魚を釣ったら、内臓はスープ用にとっておき、卵は塩漬けにする。
岩魚は、さばいたら塩・胡椒をして、近くの枝にぶら下げておく。こうしておくと、よけいな水分が抜け出て、くん製づくりがうまくいく。
カエルは皮をむいて、毒腺から出た毒をよく洗い、内臓はごめんなさいと森に投げ、身だけをくん製にする。
夜は暗く、怖い。朝、明るくなると自然に目が覚め、ふたたび、光のもとに戻ってこれたことを感謝する。太陽の高さで時間を知り、雲の流れで天気を予想する。焚き火をおこして夜に備える。山のなかで、自分の身体がたしかに存在しているのを感じる。
サバイバル登山を経て、生きるための知識と能力が少しずつ増えているのが分かる。そして、自分が強くなった手応を感じる。
岩魚は、大物は刺身、その他はくん製にする。岩魚をさばくのも一仕事だ。ワタ(内臓)もアラも捨てない。捨てるのは、胃袋の中身とニガリ玉とエラだけ。それが岩魚への礼儀だ。
岩魚のくん製は、保存のきく行動食であり、おかずであり、味噌汁の出汁でもある。カエルは、おやつ専用だ。
岩魚を焚き火でくん製にするとき、3種類ある。汁っ気の多い塩焼き、しっとりとしたくん製、カリカリの焼き枯らし。
乾いた衣服と寝袋そして雨をさえぎってくれる空間があれば、そう簡単に人は死なない。
行動用の服と泊まり場用の服を分けておく。泊まり場用の服とは、毛の下着、ステテコとラクダのシャツ。完全防水を可能するビニール袋が必携。
朝は5時半から6時のあいだに出発する。そして午前9時を過ぎるまでザックはおろさないし、何も食べない。午前9時を過ぎたら1時間ごとに休みはじめ、ちょくちょく何かを食べる。昼の12時から14時までに、その日の泊まり場を決める。
いやあ、すごいですね、こんな登山家がいるのですね。恐れいりました。
(2015年12月刊。2400円+税)

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2017年8月 8日

コブのない駱駝(らくだ)

社会

(霧山昴)
著者 きたやま おさむ 、 出版  岩波書店

「帰って来たヨッパライ」そして「イムジン河」で有名な(といっても、若い人は知らないのかもしれませんが・・・)フォーク・クルセイダーズの一員として音楽活動をし、その後は、作詞家になり、さらには医科大学を出て精神科医になって、九州大学で精神医学を教えてきた著者が、自らの歩みを精神分析してみた、面白い本です。
タレント本とはまったく異なり、一味(ひとあじ)違った、スルメのようにかみしめるほどに味わい深い本です。
「きたやまおさむ」の名で活動してきた自分を、精神科医の「北山修」がながめて書いている。この出演する自分をながめて、その台本を読みとり、味わうという仕組みは、実は、人が生きていくうえで、とても重要なシステムだ。それで、自らの人生をいわば、「劇」のように、ながめて考えてみることを「劇的観点」と呼んで、提唱している。
精神分析家は、自らを積極的には語らない。いえ、そうしてはならないのだ。精神科医の仕事は、自らが「白紙」になることによって、患者に自由に想像してもらい、正直に思うところを語ってもらうのが基本だ。もし、精神科医が、「私は、こういう人間です」と公言してしまったら、患者にとって、目の前の精神科医は「白紙」ではなくなってしまう。
「劇的観点」を成り立たせるには、それを描き出すための言葉や文章が必要となる。そして、比喩(ひゆ)をうまく使うことは、生きていくうえでも大切なことだ。
「遊び」は、とても重要。仕事だけでなく、食べる、寝るといった生理的な部分だけでもなく、それらとは関係のない時間をもてている人。内的にも外的にも、道草できる領域をもっている人。そうした休息や趣味の領域を確保していることが、実は、人間の健康や創造性にとっても大切なのだ。
人には、暴力的な欲求がある。それを人はコントロールしなければいけない。人間のなかの暴力性をコントロールするためにも、罪悪感をもち続けることは大切だ。
『帰ってきたヨッパライ』はなんと、280万枚を売りあげたとのこと。すごいことです。私が東京で大学生活を始めた年の12月のことです。町を歩いていると、いつでも、どこでも、この曲が流れていました。レコード盤なんか買う必要もなく、音痴の私だって覚えてしまったほどです。
翌1968年10月には、グループは解散します。東大闘争が始まっていて、授業がなくて、私は集会とデモ、そしてセツルメント活動に明け暮れていました(決して全共闘ではありません)。
著者は、1968年10月にヨーロッパ旅行に出かけるのでした。大学2年生のころの私は貧乏でした(1ヶ月1万3000円で生活していました。親は大変だったと思いますが、当時は、親が子どもへ仕送りするのは当然だと考えていました。スミマセン)から、海外旅行なんか、夢みることすらありませんでした。
作詞家と精神科医には似たところがある。作詞は、人間の心の中と交流し、その中にあるものを言葉として紡(つむ)ぎ出していく行為である。精神医学もまた、本人や周囲の理解できない心の現象を言葉で、分析、説明する仕事でもある。
いやはや、さすがは精神分析医だとうならせる言葉に圧倒されてしまいました。かつて歌ってましたという軽佻浮薄なところは、微塵もありません。
心の宇宙は、空よりも広く、海よりも深い。まだまだ、その意味は読みとられて、言葉になるのを待っている。
うひゃあ・・・、そ、そうなんですね。それって、まだ、ぼくの出番だって、あるっていうことなんですよね・・・。そんな読後感が、しばし幸福感をもたらしてくれました。
(2017年5月刊。1800円+税)

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2017年8月 9日

女性と労働

社会

(霧山昴)
著者 日本弁護士連合会 、 出版  旬報社

2015年10月に千葉の幕張で開かれた日弁連人権擁護大会のシンポジウムの報告書を要約・加筆して出来あがった本です。
シンポジウム実行委員会はオランダへ現地調査をしたようで、巻末資料として、その報告書がのっています。アムステルダム市はセックスワーカーの権利保護に乗り出しているというのが、私には目新しい話でした。写真で見たことしかなく、現地に行ったこともありませんが、アムステルダムには「飾り窓」で有名な地域があります。そこで働くセックスワーカーは全市5000人から8000人のうち、2000人。今は東欧出身の女性が多い。顧客は年間20万人に近く、アムステルダム在住者は3分の1以下で、半分以上が独身、5人のうち2人はパートナーがいると推測されている。
アムステルダム市の売春政策は①合法的な売春をノーマル化する、②非合法の売春を察知する、③ワーカーのエンパワーメントとケア、④予防という4つの目的がある。ライセンスがなくても、自宅で週に何回か売春することは合法扱いされている。そして、18歳以下の子どもがセックスワーカーになるのは禁止されている。
では、日本はどうなっているか。売買春はもちろん法で禁止されているが、現実には、女性が性的サービスをしている性産業の営業所数は2万2千ケ所ほどあり、1ケ所平均20人として、40万人以上の女性が働いている。ここは、他の職業とは比較にならないほど生命・身体に危害を及ぼすリスクの高い特殊な労働である。
学費が高く、奨学金が貸与制のために、大学生(女性)が性産業で働くケースが多いことは前から指摘されている。
それにしても日本の「人づくり」政策は根本的に間違っていますよね。大学の入学金が国立大学で82万円、私立大学で132万円するなんて、信じられません。
私のときは月1000円でした。ヨーロッパでは学資はタダどころか、学生に生活補助しています。これこそまさしく「人づくり」ですし、「国づくり」です。大型ハコモノづくりとかムダな軍事予算を削って、人材養成にこそ国はお金をつかうべきです。
女性が働きながら子育てしようとするときに直面するのが保育園の確保です。この本によると、保育士の資格をもちながら働いていない潜在保育士が60万人もいるとのこと。もったいない話です。それほど、保育現場の労働環境は劣悪なのです。
そして、教員にも非正規が年々増えている。2005年にして、3%だったのが、2011年には16%になった。
看護師は9割以上が女性で、深刻な過重労働が横行している。
では、日弁連はどうしたらよいと考えているのか・・・。この本では、いろいろ、たくさん問題提起されていますので、かえって要点、ポイントが分かりにくくなっている気がしました。
もっと、男も女も、個性ある人間として社会が大切にしていることを実感させてくれる世の中にしたいものです。そのための貴重な現状告発と問題提起の本です。
委員長の中村和雄先生、よくぞ本にまとめられました。お疲れさまです。
(2017年4月刊。2000円+税)

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2017年8月10日

超一極集中社会・アメリカの暴走

アメリカ

(霧山昴)
著者 小林 由美 、 出版  新潮社

今の社会は、人々の格差が大きくなる一方です。これが絶望と社会不信を生み出しています。ある高校で、国政選挙で投票に行くかどうかを生徒にたずねたところ、忙しい、分からない、興味がないということで、誰も積極的に投票所に行くとは答えなかったそうです。ええっ、ウソでしょう、と思わず叫びたくなりました。
私はすべての選挙で棄権したことは一度もないことが自慢の一つです。選びたい人がいないときには、×印を書いて無効票を投じることにしています。
世界のビリオネア(1000億円以上の純資産をもつ人)が世界中に1810人いて、その人たちの有する純資産は、合計650兆円にもなる。日本のGDPは500兆円なので、日本の全国民が1年間働いて生み出した総所得を上回る額の純資産を2000人ほどの人々がもっていることになる。日本のビリオネアは27人。これは、世界で17位。
日本はGDPではアメリカ、中国に次いで、世界第3位だ。
アメリカでは、1980年代以降、上位0.1%の所得は増え続け、それ以下の世帯では、所得がほとんど増えていない。
アメリカのエリート大学に入る門は、ますます狭くなっている。エリート大学に入るためには、家族ぐるみの長年の努力が求められる。これは、ユダヤ系と中国系の家庭で顕著だ。
エリート大学に入るには、成績がトップクラスだというだけではなく、スポーツが得意なうえ、課外活動で得意なものがあったり、積極的なリーダーシップを発揮したという実績が求められる。だから、親は子どもが3歳か4歳のときから家庭教師をつけたり、クラブに参加させたりしている。年間300万円以上の授業料を支払って幼稚園から私立学校に通わせるのは、教師や教育内容・同級生そして家族の質に加えて、同窓会活動が活発なため、生徒の進学にも大いに役立つから。
大学4年間の教育費が30万ドル(3000万円)かかる。労働していたら得べかりし給料による所得をあわせると、大学4年間のコストを取り戻すためには10年以上かかる計算だ。アメリカでは、大学に進学する人の60%以上が学生ローンを借りていて、4300万人をこす。
アメリカの経常収支が改善したのは、石油の輸入が量・金額ともに大きく減ったことが最大の理由。
アメリカの上場企業の総数は1996年のピークに8090社だったのが、2015年に4381社と、ほぼ半減した。アメリカでの企業集中は異常に進んでいる。そして、巨大企業が、さらに巨大化している。
アメリカの医療システムは全体として救いがたい泥沼。請求書を受けとるまで、いくらの費用がかかるのか見当がつかない。とんでもない請求書が来ても払う以外に選択肢はない。病院は医療産業のなかで、もっとも立場が強いので、その価格付けは一方的。泥沼に陥らないためには、とにかく健康を維持して近寄らないようにするのが一番。あとは、たたかい、交渉する覚悟でのぞむしかない。
アメリカ国民は、富の集中や金権政治にうんざりしている。
アメリカの権力者もお金も、東海岸と西海岸を飛行機で往復するだけで、その空路の下にある大陸中央部は完全に無視され、馬鹿にされている。
絶望の先に行きのびるために・・・、とありますが、明るい未来はあまり見えてきません。ビッグデータを活用したらいいともありますが、私には無縁な話でしかありません。
アメリカの現状分析の一つとして読んでみました。
(2017年3月刊。1500円+税)

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2017年8月11日

ウニがすごい、バッタもすごい

生物

(霧山昴)
著者 本川 達雄 、 出版  中公新書

生物の生きていく仕組みを解明すると、大自然の奥深さをまざまざと実感させられます。
サンゴは動物。ただし、体内に大量の植物を共生させていて、藻類との共生が、サンゴ礁をつくり出している。
サンゴは、食べて出てくる排泄物も、呼吸で出てくる二酸化炭素も褐虫藻がもらってくれるため、排出物の処理は気にしなくていい。褐虫藻が光合成する際に排出した酸素を、サンゴは細胞内で直接もらい受けることができている。
結局、サンゴは、褐虫藻と共生しているおかげで、食う心配がほぼなくなり、トイレの心配もなく、人口呼吸器を体内に備えたようなものだから、無理に息をする必要もない。
昆虫は、体の部分ごとに、必要に応じてクチクラの硬さを調節している。
昆虫の大きな特徴は飛べること。昆虫の羽は厚さ0.1ミリほど。羽を生やして飛べるおかげで、昆虫は餌を探すにも敵から逃れるにも、また、子孫を広くばらまくうえでも、きわめて有利になった。
同じ距離を行くのに必要なエネルギーは、飛行のほうが歩行より少なくてすむ。飛ぶことはエネルギーの節約になる。昆虫は、飛べたことから、被子植物との共進化可能にし、食物供給源を確保でき、かつ種類の増大につながった。
多くの飛ぶ昆虫は、幼虫時代は植物の葉を食べ、成虫は蜜や樹液を吸う。
ナメクジは、カタツムリが殻を失ったもの。ナメクジは、昼は地中という土で守られ、かつ湿り気のある環境に身をひそめ、夜になって湿り気の多い地表近くで活動するため、殻がなくても問題がないのだろう。
ナマコは、自分のまわりの砂を触手でごそっとつかんでは口に押し込む。つまり、砂を食べている。しかし、砂は鉱物なので、栄養にはならない。ナマコが食べて栄養にしているのは、砂粒の間に入っている有機物や砂粒の表面に生えているバイオフィルム。
ナマコは、じっと動かないため、摂取エネルギーの量が極端に少なくてもすむので、砂でも生活できる。ということは、ナマコは砂の上に住んでいるから、食べものの上にいることになる。砂はほかの動物たちは見向きもしないので、競争相手はおらず食べ放題。広大なお菓子の家をナマコが独占しているようなものだと言える。
ナマコは動くといっても砂を食べる場所を少し動くくらいなので筋肉は少なくてすむ。身体の大部分は身を守る皮ばかり。皮を食べても栄養にはならないので、ナマコを狙う捕食者は減っていき、ますますナマコは安全になる。食う心配がなく、食われる心配ない。これは天国のような生活だ・・・。
ナマコは、半分にすれば、二匹になる。
ヒトデは、自腕一本から残りの腕すべてを再生するのがいる。
ウニは、殻を割って内臓を取り除いても、殻の破片が数日間は、もそもそとはいまわっている。これって、不思議ですよね・・・。
さまざまな生物の生きる実態と仕組みを平易に解き明かす貴重な新書です。
(2017年4月刊。840円+税)

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2017年8月12日

殿様の通信簿

江戸時代

(霧山昴)
著者 磯田 道史 、 出版  新潮文庫

「土芥(どかい)冠讎(こうしゅう)記」という元禄期の本があるそうです。
著者は、この本のなかから、現代に生きる私たちに、江戸時代の殿様の生々(なまなま)しい生活の実情を教えてくれます。この本は、隠密(おんみつ)の探索の結果にもつづいて、幕府高官が書いたもののようです。殿様が家来をゴミのように扱えば、家来は殿様を仇(かたき)のようにみる、という意味の言葉です。
水戸黄門とも呼ばれた徳川光圀の素行調査もされている。
それによると、とても品行(ひんこう)方正(ほうせい)とは言えない。江戸時代の大名のなかでも、光圀はズバ抜けて好奇心の強い人物だった。現実の光圀は、諸国漫遊こそしなかったが、その存在は、当時の人々にとって、衝撃的だった。家康の孫という高貴な人物が、好奇心にかられて、色街に出没する。その噂だけでも、当時の人々の心は十分に浮き立った。浅野内匠頭(たくみのかみ)は、無類の「女好き」であり、さらには、「ひき込もり」行動がみられた。そして、地元の家老の仕置も、心もとない。若年の主君が色にふけるのをいさめないほどの「不忠の臣」だから、おぼつかない。
前田利家は、体が大きく、身長も高く、180センチもあった。
江戸時代は270年も続いた。人間の一世代を30年前後とすると、約10世代になる。
江戸時代は250の藩があり、それぞれ一つの大名がいた。だから、少くなくとも250人の大名がいた。
江戸城では、大名の席順は、石高ではなく、官位で決まる。そのため、「官位」は、大名の最大の関心事になっている。
この本を読むと、殿様は決して気楽な稼業とは言えなかったようです。
(2017年6月刊。520円+税)

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2017年8月13日

沖ノ島

日本史(古代史)


(霧山昴)
著者 藤原 新也 、 出版  小学館

海の正倉院とも呼ばれる沖ノ島の写真集です。
8万点に及ぶ宝物があるそうですから、宝島とも呼ばれるというのは当然です。
女人禁制なのですが、この島自体は、田心姫(たごりひめ)という女神そのもの。むしろ女性上位だといいます。
男は、島に上陸する前に素裸になって海中に入って、身を清めなければいけません。歴史作家の安部龍太郎が海中で禊(みそぎ)をしている情景も紹介されています。
沖ノ島での祭祀を司(つかさ)どっていたのは宗像(むなかた)一族。古事記にも登場する豪族でしたが、秀吉の九州征伐の直前に宗像氏貞が病没し、後継ぎがいなかったので、宗像家は断絶した。
昭和29年から同41年までの学術調査によって、島内から10万点もの宝物が採集され、8万点が国宝に指定された。
写真で紹介されていますが、純金製の指輪や金銅製龍頭など、最高級工芸品と呼べるものが本当にたくさんあります。見事なものです。
ササン朝ペルシア製のカットガラス椀片は、明らかにシルクロードの交易品です。
島内には、たくさんの巨岩があちこちにありますが、ともかく人間は神職以外にはいないわけですので、まったく荒らされずに今日に至っています。
ところが、自然天然のまま林に埋もれてしまっているわけではありません。道があり、人の踏み歩く渡り石があるのです。そして、この渡り石は、大勢の人の足によって踏み荒らされていないので、青々と苔むしているのです。私も、これには驚きました。人の手が入っていながら、人が踏み荒らしてはいない自然状態があるのです。
いかにも神様がそこに存在し、生活しているのかのような沖ノ島を活写した価値ある写真集です。
(2017年4月刊。1200円+税)

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2017年8月14日

宮沢賢治の真実

日本史(戦前)

(霧山昴)
著者 今野 勉 、 出版  新潮社

宮沢賢治と妹トシについて、丹念に事実を発掘していて、その苦労の成果にしばし言葉が出ないほど圧倒されました。
賢治の妹、とし子は、小学生のときから学業成績が抜きんでていて、花巻高等女学校では、生徒総代として送辞、卒業生総代として答辞を読んだ。そして、日本女子大の家政学部では、最終学年では、病気のため3学期の授業をすべて欠席したが、卒業が認められた。艶(つや)めいた話もないまま病気のために24歳で亡くなった。私も、そう思っていたのですが、この本を読むと、それが、とんでもないのです。地元新聞に独身の音楽教師との仲を連載で書きたてられていたというんです。うひゃあ、本当なんですか・・・。
大正4年3月20日、岩手民報は、「音楽教師と二美人の初恋」と題する記事の連載を始めた。教師や女生徒は仮名だったが、H学校が花巻高等女学校を指しているのは明らかだった。卒業式前日までの3日間の記事は、とし子の心に致命傷を負わせた。このことを、賢治は、あとになって知るのでした。
そして、賢治自身は、同性の友人・保阪を「恋して」いたというのです。
この本は、賢治の本の一節、そして、詩を抜き書きして解説するだけでなく、その舞台となった現地に自ら行って、そこで考えていることに大きな特徴があります。
400頁にも及ぶ大著です。宮沢賢治をめぐる世界をさらに深く認識することが出来た気がします。著者は私より20年も年長です。読む前は、警察小説の著者かと錯覚していました。
宮沢賢治の深読み本の一つとして、賢治に関心ある人には一読を強くおすすめします。
(2017年6月刊。2000円+税)

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2017年8月15日

大航海時代の日本人奴隷

日本史(戦国)

(霧山昴)
著者 ルシオ・デ・ソウザ 、 岡 美穂子

日本人って、昔から案外、海外へ出かけていっていたようです。そのなかには、人さらいにあって海外に売られたという人もいたようですが、それ以外にもいたというのです。日本人の傭兵集団があったり、キリスト教信者が亡命したり・・・、です。多くはありませんが、世界各地に残っている日本人の記録を掘りおこした貴重な本です。
本書に登場するのは、マカオ、マラッカ、マカッサル(インドネシア)、ゴアとコチン(インド)、マドリッド、リスホンそしてセビーリャ(スペイン)。アフリカはモザンビーク、アンゴラ、サントメ、プリンシベ島。南アメリカのリマ(ペルー)、ポトシ(ボリビア)、コルドバとブエノスアイレス(アルゼンチン)、サンチアゴ(チリ)。最後にメキシコのアフカトラン、グアダラハラ、タアナファト、メキシコシティ、アカプルコ、ペラクルス、そしてカルタヘナ(コロンビア)です。このように、世界中、いたるところに日本人の足跡があるのです。
奴隷身分の日本人だけでなく、冒険心、商売人もいたのではないでしょうか・・・。
アメリカ大陸に渡ったアジア人奴隷は、「チーナ」と呼ばれたが、実際には、日本人もいた。
大分で1577年に生まれた日本人奴隷は、誘拐されて長崎へ連れていかれ、ポルトガル人に買われた。子どもの奴隷を買って従者にするのは、富貴と寛大さを周囲に知らしめる証と考えられていた。
長崎にいたポルトガル商人のなかに、実はユダヤ人がいて、キリスト教の異端し審問の対象になっていたというのを初めて知りました。
ポルトガルには、16世紀中ごろから、天正少年遣欧使節の到着より前から日本人が存在していた。1570年代初め、10歳にもならないに日本人少女マリア、ペレイラがポルトガルに到着し、20年のあいだ家事奴隷として仕えたあと、自由の身になったという記録がある。
マカオには、日本人女性だけでなく、日本人男性も少なからず存在した。船の乗組員にも日本人男性がいた。
長崎の頭人から町年寄へと出世した町田宗賀は若いころ、自分でジャンク船を操って海外貿易に従事する船長であり、マカオにも出入りしていた。
マラッカには、1600年ころ、町の警備役として、マレー人兵のほか、日本人傭兵がいた。関ヶ原の戦いのころのことです。
1608年ころ、ポルトガル人に仕える日本人傭兵に加え、マカオに到来する日本人奴隷の数が増加した。そして、マカオ事件が起きた。1614年、マニラに33人の教会関係者と、100人の日本人が到着した。宣教師が日本から追放され、一緒に日本人キリシタンたちがやってきたのだ。マニラにいた日本人は、1595年に1000人をこえていた。そして、1619年には、日本人コミュニティは、2000人、1623年には3000人以上となっていた。
インドのゴアにも、多くの中国人と日本人がいた。
世界中の記録をよくも丹念に掘り起こしたものですね。スペインには、今もハポン(日本)の姓の人々がいるそうです。恐らく、昔の日本人の子孫なのでしょうね。世界は広いけれど、案外、狭いものでもあるようです。
(2017年4月刊。1400円+税)

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2017年8月16日

樹木たちの知られざる生活

生物

(霧山昴)
著者 ペーター・ヴォールレーベン 、 出版  早川書房

森のなかでじっと立っているだけのように見える木が、実は、お互い同士で交信し、支えあっているし、世代交代によって場所を移動しているというのです。さすがは森林管理官だけあって、樹木の生態がよく語られている本です。
木は自分を表現する手段をもっている。それが芳香物質、つまり香りだ。
葉をキリンに食べられたアカシアは、災害が近づいていることを周囲の仲間に知らせるために、警報ガス(エチレン)を発散する。警告された木は、いざというときのために有毒物質を準備しはじめる。そして、それを知っているキリンは、風に逆らって警告の届かない木のところまで歩いていく。
樹木は、どんな害虫が自分を脅かしているのか、判断できる。
樹木には、自分で自分を守る力をもっている。たとえばナラは、苦くて毒性のあるタンニンを樹皮と葉に送り込むことができる。
密集しているブナ林のほうが生産性は高い。密集しているほうが木が健康に育つ。養分や水分をよりうまく分配できるから、どの木もしっかりと生長する。
一本のブナは5年ごとに少なくとも3万の実を落とす。立っている場所の光の量にもよるが、樹齢80年から150年で繁殖できるようになる。寿命を400年としたとき、その木は少なくとも60回ほど受精し、180万個の実をつける。そして、そのうち成熟した木に育つは、たった一本のみ。残りの種や苗は、動物に食べられたり、菌に分解されたりして消えてしまう。
木が若いころにゆっくり生長するのは、長生きするために必要な条件だ。ゆっくり生長するおかげで、内部の細胞がとても細かく、空気をほとんど含まない。おかげで柔軟性が高く、嵐が吹いても折れにくい。抵抗力も強いので、若い木が菌類に感染することもほとんどなく、少しくらい傷がついても、皮がすぐにふさいでしまうので、腐らない。
樹木は助けあいが大好きで、社会をとても大切にする生き物だ。仲間のいない森の外に出ただけで、ブナは生きていけなくなる。
うひゃあ、本当なんですか・・・。ちっとも知りませんでしたよ。
中央ヨーロッパには、もはや本当の意味での原生林は存在しない。もっとも古い森林でも、200歳から300歳だ。とても老木とは言えない。木は年をとればとるほど、生長が早くなる。樹木の世界では、年齢と弱さは比例しない。それどころか、年をとるごとに若々しく、力強くなる。若い木より老木のほうが、はるかに生産的だ・・・。
広葉樹は、1億年前に出現した。針葉樹は、すでに1億7000万年前に生まれていた。
木は昼の長さと気温の組み合せで、それを判断する。
マツ林のなかの空気は、針葉が発するフィトンチッドの働きで、ほぼ無菌である。クルミの木の下にいると、蚊に刺される確率が格段に低くなる。
木について、思う存分に知ることの出来る、知的刺激にみちた本です。
(2017年6月刊。1600円+税)
これはまったく私の独断と偏見なのですが、裁判官のなかには騙されたほうが悪いという考えにこり固まっている人が少なくありません。騙し方はいろいろな形態があるわけですが、型通りの法律論をふりまわして切って捨てようとします。そこには弱者に思いを寄せるという発想が全然みられません。悲しくなります。もっと柔軟な発想で社会の真実を見きわめて、適正妥当な解決を図るという発想を裁判官はもってほしいと思います。
よくしゃべる若手裁判官なのですが、社会を見る目が足りない気がしてなりません。

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2017年8月17日

「フランクル『夜と霧』への旅」

ドイツ

(霧山昴)
著者 河原 理子 、 出版  朝日文庫

フランクルは1905年にオーストリアのウィーンで生まれたユダヤ人の精神科医で、強制収容所から解放されたときは40歳。そのとき、再会したい家族は、この世にいなかった。
フランクルは、1969年に初めて来日し、合計3回、日本に来た。
強制収容所のなかで、フランクルは、仲間に対して、生きる意味に目を向けるようにと、話しかけた。
人々は決して奪われないものがある。一つは、運命に対する態度を決める自由。もう一つは、過去からの光だ。
フランクルは、本を出版してから、五大陸のすべてに講演に招かれるようになり、いくつもの大学の名誉博士になった。ところが、故郷のウィーンでは、冷たい仕打ちを受けた。
フランクルがアウシュヴィッツ収容所にいたのは4日間だけ。37歳の秋から40歳の春までの2年7ヶ月間に、テレージェンシュタット、アウシュヴィッツ第二収容所ビルケナウ、ダッハウ強制収容の支所の二つにいた。
テレージェンシュタット収容所でフランクルは専門を生かして医師として働き、保健部門の一隊を率いて、収容された人々の自殺防止活動など、精神衛生の問題にとりくんだ。
この世界にあって、自分の人生には使命があるという意識ほど、外からの困難と内からの問題を克服する力を与えてくれるものはない。
輝ける日々。それが過ぎ去ったからといって泣くのではなく、それがあったことに、ほほえもう。これがフランクルのモットーだった。
最後の収容所の所長は、囚人を殴ることを禁止し、追加の衣服や食べ物を与え、自費で薬を買って与えた。
フランクルは、親ナチスだったのではない。集団に「悪魔」のラベルを貼ってみることを拒んだ。人間には、天使になる可能性もあれば、悪魔になる可能性もあって、同じ人のなかでも変わりうると考えた。
フランクルは、1997年にウィーンの病院で亡くなった。92歳だった。長生きしたのですね・・・。ダイアナ皇太子妃が事故で亡くなった直後のことでした。
フランクルの『夜と霧』は、希望の書。心にしみいる希望の書だ。
『夜と霧』には、二つの訳書があるそうです。新旧、二つとも読んでみたい(読み返してみたい)と思いました。
(2017年4月刊。800円+税)
お盆休みに天神の映画館でチェコ・英仏合作映画「ハイドリヒを撃て!」を観ました。
 ナチス・ドイツのナンバー3の高官であったハイドリヒの暗殺事件がテーマです。ユダヤ人絶滅政策を推進し、その残虐性から「金髪の野獣」と呼ばれていたラインハルト・ハイドリヒは、まだ38歳なのに、ナチス親衛隊大将でした。
 暗殺指令はチェコ亡命政府によるもの。しかし、暗殺に成功したときの報復の規模の大きさから現地レジスタンスには消極論が根強いのです。そして、暗殺チームには、暗殺成功したあとの計画が何もありません。要するに、亡命政府としては、このままチェコ国家が無視されないようにしたいというだけなのです。実際にも、暗殺成功はその成果をもたらしました。
 しかし、罪なき市民が5000人も殺害され、リディツェ村は村人とともに地上から消え去ってしまったのです。
 オサマ・ビン・ラディンをアメリカ軍特殊部隊が暗殺した状況を映画化した『ゼロ・ダーク・ワン』を観ましたが、たとえ暗殺に成功しても物事の大勢がそのことによって変わるということはほとんどありません。かねてよりアメリカは金正恩暗殺計画をもっているという噂があります。朝鮮半島で戦争勃発なんて恐ろしいことは、ぜひやめてほしいです。

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2017年8月18日

日本一やさしい「憲法」の授業

司法

(霧山昴)
著者 伊藤 真 、 出版  KADOKAWA

安保法制、秘密保護法が制定されたあと、憲法はどうなったのか。「日本一やさしい」かどうか保証はできませんが、大切なことを分かりやすく説き明かしています。
憲法と民法や刑法などの法律とは、三つの点で大きく違っている。
その一は、法律は強い者が弱い者を支配する道具になってしまうことがあるのに対して、憲法は弱い者が国家権力という強い者に歯止めをかけて自分の身を守るための道具である。国家権力という強い者というのは、テレビで見る安倍首相や菅(すが)官房長官です。「こんな人たち」が勝手なことをしないようにしばるのが憲法です。
その二は、法律は国際情勢や経済状況に応じて改変していくべきものですが、憲法は時代に流されない恒久的な価値を示すものです。安倍首相や菅官房長官が「北朝鮮や中国の脅威」をあおって法律改正をすることがあっても(その当否はともかく)、憲法は、もっと根本的に世界と日本の平和を守るための方策を考えます。
その三は、法律は現実からかけ離れていると意味がないけれど、憲法は理想を掲げるものなので、現実と食い違っていてもあたりまえです。
憲法改正するには、国民投票にかけなくてはいけません。ところが、憲法改正手続法は重大な欠陥があります。
まず、第一に、最低投票率の定めがありません。
第二に、マスコミ規制が尻抜けです。投票日より15日前以前は、テレビCMの規制はありませんので、有名人がテレビで「私は憲法改正に賛成です」と、誰が、何回言ってもいいのです。これでは、お金のあるほうが勝ちになってしまいます。
私はこの本を読んで初めて知りましたが、イギリスがEUから離脱するかどうか国民投票にかけるときには、賛成、反対の西派の広告費用の上限が7万ポンド(9億円)と決められていました。これは、日本にとっても大変重要なことです。
「憲法の伝道師」として全国を文字どおり飛びまわっている著者は、福岡にも何回も来ています。先日は、久留米で2回目の講演会がありました。
憲法って、意外に私たちの毎日の生活の土台になっていることを気づかせてくれる「やさしい憲法」の本です。ぜひ、とりわけ中学生や高校生に読んでほしいと思いました。
(2017年4月刊。1400円+税)

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2017年8月19日

武田氏滅亡

日本史(戦国)

(霧山昴)
著者 平山 優 、 出版  角川選書

ええっ、この本は何なの・・・。新書でないことは覚悟のうえ。選書といっても、こんな厚さの本って、ないでしょ。なんと、この本は750頁もあるのです。
主人公は、織田信長に滅ぼされた武田勝頼です。勝頼については、偉大な父・信玄のバカ息子というイメージが強かったのですが、最近は見直されて、信長は、何度となく息子の信忠に勝頼をあなどってはいけないと警告しています。実際、勝頼は知謀もあり、武力もすぐれていたのですが、時の運には見捨てられた存在でした。この本も、勝頼=バカ殿様説はとっていません。
勝頼の最期は、「天目山」とされているが、実際には、そのような名前の山はない。そして、正確には、武田氏が滅亡したのは、「天目山」ではなく、「田野」(たの)である。
勝頼に最後まで付き添っていた武田軍の武将たちも裏切り、脱走が相次いでいて、ついに勝頼たちは、この「田野」で進退谷(きわ)まった。勝頼は、このとき37歳、妻は19歳、長男信勝は16歳だった。信勝は、最初で最後の戦場で亡くなったことになる。
勝頼の最期は、戦死したのか自刃したのか、まだ確定していない。
武田氏は天正15年(1582年)3月11日に滅亡した。このとき、勝頼の周囲にいたのは、武士40人ほど、侍女50人ほどだった。
その前、信長は、長男の信忠に対して、勝頼を弱敵と侮っていけないと再三再四、いさめる書面を送りつけていた。指示を無視して、とんでもないことになったら、もう会うこともないという脅しまで書いていた。つまり、信長にとって、武田勝頼は決して「バカ殿様」という存在、ではなかったのです。
では、勝頼は、なぜ、時の運がなかったのか・・・。この本は、その点について、徹底的に考察しています。
武田信玄は、1573年に53歳で亡くなったのですね。早すぎる死でした。
勝頼は、突然の父死亡により、当初から権力基盤は不安定だった。それは、そうでしょう。若いというだけではなく、勝頼は「諏方」(すわ)勝頼であって、武田勝頼ではなかったのですから・・・。
長篠合戦で武田軍が大敗したのも、勝頼が「バカ殿様」だったからというのではないようです。ただし、勝頼は、織田軍の勢力を過小評価していたようではあります。索敵が甘かったと著者は評しています。
長篠合戦での鉄砲三段撃ちは、ありえないという批判が克服されて、今では、三段撃ちもありえるということになっています。そして、武田軍にも、それなりに鉄砲隊はいたようなのです・・・。
勝頼は、上杉家の内紛、そして北条家とのたたかいなど、まさに戦国の厳しい時代を戦い抜かなければいけなかったのですが、いかんせん時の運から完全に見放されてしまいました。信長方の謀略にひっかかって寝返りをうつ武将が相次ぐのを止められなかったのです。時の流れというのは恐ろしいものです。
ともかく、武田勝頼を「暗愚」な戦国大名とみるわけにはいかないことを決定づける大著です。学者は、すごいです。
(2017年4月刊。2800円+税)

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2017年8月20日

時空のからくり

宇宙


(霧山昴)
著者 山田 克哉 、 出版  講談社ブルーバックス

宇宙の話です。理解できないまま、ともかく、何か分からないまま必死に最後まで読み通しました。
光は質量をもっていない。光の質量は、正確にゼロ。質量をもたない光がなぜ重力場に反応するのか。重力場が空間を曲げるために、光線はその空間の曲がりにそって進む。道筋が曲がっているのに光が進むのは最短距離になる。光は、必ず最短距離を選んで突きすすむ。
光速度不変の原理。何に対しても、光の速度はまったく同じで、常に秒速30万キロメートル。光の速度は、誰がどう測ろうとも、観測者が動きながら測定しようと、光源が動いていようと、はたまた観測者も光源もどちらがどちらの方向に動いていようと、観測者が測定する光速は、秒速30万キロという、たった一つの値しか示さない。
ええっ、これって、不思議ですよね。世の中に「絶対」は存在しないはずなのに・・・。
高さ450メートルの東京スカイツリーの展望回廊にいつまでもいると、時間が速く過ぎるため、地上にいるより早く年齢(とし)をとる。太平洋を横断する飛行機は上空1万メートルを飛ぶので、地上にいる人よりは早く年齢をとる。高いところほど時間は速く進む。
では、どれだけ早く年齢をとるのか・・・。100年につき、100万分の1秒ほど早く。
なあんだ、まったく心配するような時間の速さじゃないんだ・・・。
質量が時空を曲げるという「時空のゆがみ」こそが重力波の発生原因となる。質量がなぜ時空をゆがませるのか、その根本原因は今もなお分かっていない。しかし、重力波の検出が成功したことによって、間違いなく時空がゆがんでいることが確認された。
この重力波の検出に、100年もの時間がかかったのは、ひとえに重力波があまりにも微弱すぎて、そのわずかな空間の伸び縮みを観測することがきわめて困難だったから。
地球で観測された時空のゆがみは、長さ1メートルに対して、10のマイナス19乗センチという気の遠くなるような小ささだった。
この本を読んで、私が理解したということは何ひとつありません。でも、たったひとつだけ、世の中は不思議にみちていること。そして、もう一つ。学者が果敢にそれを究明していて、私には理解不能な数式で「証明」しているということです。
まあ、分からない分野があることを知るだけでも意味があると思いましょう・・・。
(2017年7月刊。1080円+税)

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2017年8月21日

サバイバル

人間

(霧山昴)
著者 服部 文祥 、 出版  ちくま文庫

サバイバル登山とは、食料や装備をできるだけ持たず道なき道を歩く長期登山のことをいう。山に持ち込む食料は、調味料と少々の米だけ。電池やコンロ、テントも燃料も持っていかない。登山道や山小屋も出来るだけ避けて通る。
今では、エベレストの山頂に登るのに必要なのは、2ヶ月の自由な時間、600万円、平年並みの好天、健康な肉体、そして、登山の基本だけ。エベレスト登頂者の最高年齢は76歳だということが、これを証明している。
サバイバル登山は、電気製品を山に持ち込まない。ケータイも、無線も、そしてラジオも持たない。つまり、明日の天気予報は知らないということです。台風が来るのかどうか、山で分からないって、怖いですよね・・・。
時計がないので、太陽の角度から時刻を知る。うひゃあー・・・、す、すごいです。
ところが、夏のサバイバル登山で、一番つらいのは、ライトがないことでも、時計がないことでも、空腹でもない。害虫の攻撃だ。アブ、ヤブ蚊、ブヨ・・・。これは怖いし、つらい。やっぱり、蚊取り線香は欠かせない・・・。
昔の人やヒマラヤ民のほうが、多くの食料を持って山を歩いていた。日本の山人は、干しエビや干し魚、味噌などをもって山を歩いていた。ヒマラヤの民は、ヤギの乳からつくる発酵バターを持ち歩く。
天然の岩魚(イワナ)は、夕食で刺身として食べる。口に入れると、ねっとりとしていて、しかも歯ごたえがあり、身切れがいい。シマアジに近い。
山には三種類の人間がいる。登山客、登山者、登山家。登山客とは、山岳ガイドや山小屋の客。登山者とは、山にまつわる出来る限りの要素を自分たちで行ない、その内容にも自分で責任をもつ人。登山家とは、登山者のなかでも登山関係で生活の糧を保ていたり、登山の頻度と内容からして、人生のほとんどを登山に賭けてしまっているような人のこと。
白米に比べて玄米のほうが栄養分の繊維も多く、味があってうまいうえ、排便の調子がいい。大便は沢の近くで出し、沢の水でお尻を洗う。
どうでもいいようで、ないと困るのが、まな板。
焚き火に火をつける現代的な焚きつけの総称がメタ。
サバイバル登山では、摂取カロリーが低いので、雨天には行動しないのが原則。光のない夜を過ごし、朝を迎える。これこそ、現代人が忘れている喜びだ。
ヒキガエルは食料。ヘビは、山では貴重なタンパク源。マムシは、山ウナギとも言われ、ヘビのなかでは、もっともうまい。ええーっ、ホ、本当でしょうか・・・。
今の私には、とても出来ませんけれど、50年前だったら、少しは真似していたかもしれないとは思いました。
(2016年7月刊。800円+税)
映画『少女ファニーと運命の旅』をみました。ユダヤ人の子どもたちがフランスからスイスへの逃亡に成功したという実話が映画化されているもので、主人公のモデルの女性は今もイスラエルに元気にいるとのことです。
主人公の少女ファニーは13歳。まだ大人ではありません。ファニーが逃走チームのリーダーに選ばれたのは賢いからというより性格が頑固だからというのです。なるほどと思いました。そして、泣き顔を見せずにメンバーを引率しろと励まされます。
引率者の青年が途中でいなくなったりして、逃走過程はハプニング続出。それでも知恵と勇気で、ようやくスイスにたどり着くのでした。
子どもたちのけなげさに心が打たれる映画でした。

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2017年8月22日

集団就職

日本史(戦後)

(霧山昴)
著者 澤宮 優 、 出版  弦書房

集団就職というと、上野駅におりたつ東北地方から来た学生服姿の一群というイメージです。実際、1967年(昭和42年)に私は東京で学生生活を始め、すぐにセツルメント活動で若者サークルに入って一緒になった若者は青森や岩手から来ていた集団就職組でした。彼らのなかには仲間を求めたり、楽しくいきたい、真剣に語りあう場がほしという人も少なくなかったので、大学生と一緒のサークルに飛び込んでくる若者がいて、また、労働学校で社会の仕組みを学びたいという若者たちがいました。もちろん、そこは男女交際の場、男女の貴重な出会いの場でもあったのです。
ところが、この本は、集団就職は決して東北の専売特許ではなくて、西日本、つまり九州や沖縄からも主として関西方面に集団就職していたことを明らかにしています。はじめに取りあげられたのは大牟田市です。関西方面へはバスで行っていたとのことです。
大牟田市の集団就職のピークは昭和38年(1963年)だった。昭和39年3月23日に大牟田市の笹林公園から中学卒の集団がバスで関西方面へ出発する風景の写真が紹介されています。これは私と同世代です。私は1964年4月に高校に入っています。ちっとも知りませんでした。関東方面へは、大牟田駅から夜行の集団就職列車で旅立ったといいます。
行った先で、彼らがどんな処遇を受けたのか、そして、その後、彼らの人生はどのように展開していったのか、それを本書は追跡しています。
集団就職者とは、高度経済成長が始まった昭和30年前後から、原則として地方から集団という形をとって列車や船などの輸送機関によって都会などに就職した少年、少女などの若者をいう。
昭和52年(1977年)、集団就職は、労働省によって廃止された。
集団就職した人の多くは著者の取材を拒否した。応じた人も、氏名を明かさないことを求めた。それが集団就職の一つの真実を物語る。
歌手の森進一も鹿児島からの集団就職組の一人。まず大阪の寿司屋に就職し、それから17回も職を変えている。
「わたぼこの唄」が紹介されています。わたしもセツルメント時代によくうたった、なつかしい歌です。
フォーク歌手の吉田拓郎の「制服」(昭和48年)という歌が、まさに、この集団就職の状況をうたっているということを初めて知りました。一度きいてみたいものです。
若者たちの大変な苦労を経て日本の経済は発展してきたことを改めて思い知らされました。私にとっても、ありがたい労作です。
(2017年5月刊。2000円+税)

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2017年8月23日

こんなにおもしろい弁護士の仕事

司法


(霧山昴)
著者 千原 曜・日野 慎司 、 出版  中央経済社

弁護士になって40年以上もたつ私ですが、私にとって弁護士は天職、本当になって良かったと思っています。司法試験の受験生活はとても苦しく辛いものでしたが、なんとか辛抱して勉強を続け、弁護士になれて幸運でした。
大都会で3年あまり修業をして、故郷にUターンしてきましたが、それからはひたすら「マチ弁」です。狭い地方都市ですから下手に顧問先は増やせません。昔も今も利害相反チェックは重大かつ深刻です。
幸い懲戒処分は受けていませんが、懲戒請求を受けたことは何回もあります。サラ金会社から「処理遅滞」で請求を受けて、なんとかはね返したこともあります。ネット社会で法的処理のスピードが速くなっているにつれ、スマホも持たないガラケー族の身として、いつまで弁護士をやれるか心配にもなります。
40年以上も裁判所に出入りすると、いろんな裁判官にめぐりあいました。少なくない裁判官はまともに対話が出来て、尊敬すべき存在です。しかし、やる気のない裁判官、自分の一方的な価値観を押しつける裁判官、威張りちらすばかりの裁判官にもたくさん出会いました。先日も書きましたが、騙されたほうが悪いと頭から決めつける裁判官に出会うと、本当に悲しくなります。
以上は、この本を読んで触発された私の実感をつらつらと書いたものです。すみません。
この本の後半に出てくる日野弁護士は福岡で活躍している弁護士夫婦の子どもです。双子で弁護士になって、一人は広島で、もう一人は東京で弁護士をしているとのこと。なるほど、親の影響下にないほうが、お互いに気がねなく伸びのび弁護士活動を展開できると思います。福岡には親子一緒の法律事務所がゴマンとありますが、どうなのかな・・・、遠くから眺めています。
法科大学院で勉強してきた日野弁護士は、法科大学院の衰退を大変残念に思っているとのこと。私も、まったく同感です。昔の司法試験が万万才だったなんて、私には思えません。予備試験コースが昔の司法試験と同じ状況になっているのに、私は強い疑問を抱いています。
日野弁護士の仕事ぶりはすさまじいものです。前の日、午前3時まで仕事をしていて、2時間ほど仮眠をとって、午前7時25分の羽田発で福岡に向かい、福岡地裁で朝10時30分から夕方5時すぎまで証人尋問。6人の証人のうち、4人は敵性証人。相手方の弁護士も敵対的な態度なので尋問は長く、激しいものだった。
うひゃあ、す、すごーい・・・。今の私には、とても無理なスケジュールです。
ボス弁の生活は、もっとゆったりしています。平日ゴルフもあります。ただし、プレーの合い間にもメールチェックを怠らないとのこと。
顧問会社は150社。月額の顧問料収入が1000万円。う、うらやましい・・・です。でも、私は福岡市内で弁護士をしていませんので、顧問先の拡大なんて絶対にやってはならないことです。自分で自分の首を絞めるだけです。
刑事事件も、顧問先の関係で年に2、3件は担当するとのこと。これはいいことです。
民事訴訟の醍醐味は、三つある。
一つは、中身の充実した書面を書くこと。どのように説得力のある内容にするかという努力、テクニックがポイント。
二つは、どう解決するかという判断。判決をとるのが良いか、和解で解決するか、どのタイミングが良いか・・・。
三つは、どう交渉するかという交渉面。すべて、自分が主体的に絵を描いていく。裁判所の受け身ではなくて・・・。
まったく、そのとおりです。私は次回期日のいれ方にしても、自分のほうから先にリードするようにしています。そのほうが時間のムダも少なくなります。
裁判官のあたりはずれには、いつも苦労しているという文章には、まったくそのとおりなんです。
銀座でとても美味しい食事にめぐりあったとのこと。まあ、これは福岡にも、東京ほどでなくても美味しい店があると、ガマンすることにしましょう。
「こんなに面白い弁護士の仕事」は、田舎の福岡のさらに田舎にもある、このことをぜひ若い法曹志望の人に知ってほしいと思いました。
(2017年8月刊。1800円+税)

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2017年8月24日

私たちは戦争を許さない

司法

(霧山昴)
著者 安保法制違憲訴訟の会 、 出版  岩波書店

最高裁判所の元長官が安保法制法の前提となる集団的自衛権の行使を容認する安倍内閣の閣議決定は憲法違反だと断言したのには驚き、かつ、勇気をもらいました。
多くの国民が反対運動に立ちあがり、全国すべての弁護士会で反対の取り組みがすすむなかで、国会で強引に成立した安保法制は、やっぱり憲法違反だし、無効だという裁判が日本全国で起きています。
九州では、長崎、福岡、大分、宮崎、鹿児島、沖縄で裁判がすすんでいます。「もし安保法制が裁判所によって合憲と認定されたら、安倍政権を利するだけではないのか・・・」 そんな疑問があるのは事実です。
しかし、三権の一角を担う司法が、一見して明白な違憲状態を看過するようなことになれば、そのこと自体が三権分立制度の自殺を意味する。平和憲法そのもの破壊を座視するような司法は、とうてい民主国家における司法とは言えないだけでなく、最終的には国民の信頼も失ってしまうだろう。そこで、「安保法制違憲訴訟」が真正面から提起された。
つまり、国の政策について、唯々諾々と追認することがたびたびある司法のあり方を根底から問い、三権分立の一角を担い、かつ憲法保障の役割を担うべき裁判所に、その職責を果たしてもらう必要があると考え提起された裁判である。
憲法学者である青井未帆教授(学習院大学)が巻末で次のように解説しています。
日本国憲法9条が守ろうとしているのは、自由や私たち市民の普通の生活です。「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」(憲法13条)の基礎を確保すること。日本国憲法は、軍権力がコントロール不能になって自由が現実に侵害されてからでは手遅れになってしまうからこそ、仕組みとして9条をもうけた。このような予防的な仕組みにとって、その目的である自由や市民の生活が危険にさらされる「おそれ」に敏感であることが、本質的に要求される。
今の日本では、行政府が自らに大きな権力を集中させ、これまでの慣行を壊し、あるいは作法を無視する一方で、立法府がそれに対する効果的な抑制をできないでいる。そういう状況だからこそ、三権分立におけるもいう一つの柱である司法府が権力抑制に果たさなくてはいけない役割が、これまで以上に大きくなっている。
この本は、原告となった人々のさまざまな思いが熱く語られていて、読む人の心を熱くします。ジャーナリスト、元自衛官、元パイロット、元船員、宗教者、戦争体験者、被爆者、元原発技術者、元マスコミ関係者・・・。とても多彩ですし、その真剣な訴えには思わず、エリを正して傾聴しようという気にさせられます。
代表の寺井一弘・伊藤真の両弁護士、事務局長の杉浦ひとみ弁護士の労苦を多とするほかありません。一人でも多くの人に読まれることを私も心から願います。200頁で1300円です。いま価値ある本として、あなたもぜひ買ってお読みください。
(2017年8月刊。1300円+税)

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2017年8月25日

「天皇機関説」事件

日本史(戦前)

(霧山昴)
著者 山崎 雅弘 、 出版  集英社新書

東京帝国大学で、長年にわたって憲法学を教えていた美濃部達吉をはじめとする当時の憲法学者が正統的な憲法学説として唱えていた天皇機関説とは、まず日本という国家を「法人」とみなし、天皇はその法人に属する「最高機関」に位置するという解釈だった。天皇のもつさまざまな権限(権力)は、個人としての天皇に属するものではなく、あくまで大日本帝国憲法という諸規則の範囲内で、天皇が「国の最高代表者」として行使するものだという考え方である。
天皇という絶対的な存在を、国の基盤である憲法と密接につなげておくことで、誰かが天皇の権威を勝手に悪用して、自分や自分の組織に都合のいい方向へと日本の政治を誘導するという事態が避けられると考えられていた。
天皇機関説事件のあと、昭和天皇が権力を握る「支配者」として暴走することはなかった。しかし、「軍部」が天皇の名において、あるいは天皇の名を借りて、事実上の「最高権力者の代行人」として、国の舵取りという「権力」を我が物顔でふりまわし始めたとき、もはやだれもそれを止めることはできなかった。
文部省が美濃部を公然と攻撃したとき、当時の学者の多くは沈黙し、また政府を追従するという態度をとった。
昭和天皇は果たして、どう考えていたのか・・・。実は、昭和天皇は、天皇機関説について、おおむね妥当な解釈であると認め、排撃する動きに不快感を抱いていた。
その政治目的のために、自分の存在をむやみに絶対化し、神格化するのはけしからんことだと考えていたのです。
昭和天皇は、自分と国の主権との関係について、日本だけでしか通用しないような「主観」の認識だけでなく、諸外国の目にどう映るかという「客観」の認識も有していた。
昭和天皇は鈴木貫太郎侍従長に対して、こう言った。
「今日、美濃部ほどの人がいったい何人、日本におるか。ああいう学者を葬ることは、すこぶる惜しいもんだ」
天皇機関説の排撃により、日本における立憲主義は、実質的にその機能を停止し、歯止めを失った権力の暴走が日本を新たな戦争へと引きずりこんでいった。
今の日本でも、自衛隊の幹部連中が政治の表舞台に出てきて、のさばり始めたら、日本という国は破滅するしかないということですね。
福田元首相が、最近、官僚制度をダメにしたら、日本は先がないということを言ったようですが、まったくそのとおりだと私も思います。その点、前川文科省の前事務次官は偉いものです。集団的自衛権行使容認は憲法違反だと公言した最高裁の元長官に匹敵する功績があると思います。
(2017年5月刊。760円+税)

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2017年8月26日

いつも子どもを真ん中に

社会

(霧山昴)
著者 上田 精一 、 出版  青風舎

私と同じ団塊世代はだいたい定年退職し、嘱託として学校教員を続けている人がいるくらいになってしまいました。
著者は、私たちよりさらにひとまわり上の世代になります。中学校の教員(国語)として、子どもたちと格闘していた日々の出来事が昨日おきたことかのように語られているのに驚かされます。
学級通信では、子どもたちの言葉、それに2行か3行そえたコメント、そして親の反応が紹介されています。そして、大切なものは製本して保存してあり、昔の生徒たちが10年、20年して集まったときに贈呈して喜ばれているというのです。こんな教師にめぐりあえた生徒は幸せです。
学級運営で、口を開かなかった子と交流できるようになった話、つっぱっていた生徒との対話、そして、女子生徒たちから、差別しないように申し入れられた経験・・・。どれをとっても、子どもたちを主人公として大切にしてきた教師としての貴重な体験談です。
さらに、沖縄へ修学旅行に行ったときの様子、平和をテーマとして子どもたちが文化祭で劇に取り組み、成功させた様子など、教師冥利に尽きる話のオンパレードで、読んでる私の心を熱くしてくれました。
やっぱり、教師って、人の生き方を変える力をもっている。これって聖職だよね、そう思わせる本でした。
著者は八代市に生まれ、長く人吉の中学校につとめていました。学校教育の現場に関心のある人には強く一読をおすすめします。
(2017年5月刊。2000円+税)

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2017年8月27日

日本の夜の公共圏

社会

(霧山昴)
著者 谷口 功一 、 出版  白水社

スナックについての本格研究書です。もちろん、私もスナックには行ったことがあります。でも、カラオケ嫌いの私には、あまり近寄りたくない場所でしかありません。うるわしき美女との出会いを期待したい気持ちは少なからずあるのですが、むくつけきおっさんの下手なカラオケの蛮声を聞かされるかと思うと、足が遠のいてしまいます。
スナックは、今では都市部ではなく、地方においてこそ身近な存在となっている。
先輩が後輩を連れてスナックへ行くという文化は、70年代生まれの世代の前後で断絶している。
ガールズバーは、女の子のドリンク代に店側の実入りは大きく依存している。
スナックは、時間無制限で、女性(ママ)は、若くても30代以上。
スナックの名称は、軽食(スナック)による。スナックの前身はスタンドバー。
現在、スナックは10万軒、美容院23万店、不動産屋12万軒、居酒屋8万店。
人口比でのスナック軒数は、上から順に①宮崎、②青森、③沖縄、④長崎、⑤高知、⑥大分、⑦鳥取、⑧秋田、⑨山口、⑩佐賀。つまり、九州方面が圧倒的に多い。最下位は奈良。なぜ・・・。
田舎では、どんな小さいところにも、スナックとフラダンススタジオがある。うひゃあ、そ、そうなんですか・・・。
スナックは始めるのは簡単で、やめるのも難しくない。大きくもうかることは期待できないけれど、ほそぼそとやるにはいい。
スナックのママが女をウリにしていると、案外にうまくいかない。おっさんたちがライバル同士になってしまうから。ウリは、ママかマスターの人柄だけ。
スナックにとって恐るべきは、警察とあわせて税務署。ただし、これも、はやっている店に限る。税務署がおしのびでやってきて、領収書をもらい、あとで台帳に載っているかチェックする。
スナックでは階級差がない。基本は飲んで歌うこと。社長もサラリーマンも、いろんな人が混交している。
私は、見知らぬ土地に行って、ふらっと食べ物屋に入る元気はあるのですが、夜のまちに、知らないスナックに入る勇気はもちあわせていません。カラオケが歌えないからだとは思いますが・・・。
それにしても、なぜ、スナックが九州、西日本にそんなにかたよっているのでしょうか・・・。不思議でなりません。学者の先生方による、真面目なのか、本気なのか、よく分からなくなってくる貴重な研究書です。
(2017年7月刊。1900円+税)

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2017年8月28日

チャップリン

イギリス

(霧山昴)
著者 大野 裕之 、 出版  中公文庫

私はチャップリンの映画が大好きです。『街の灯』は最高ですし、『キッド』は泣かせます。日本人はチャップリン映画が大好きで、『街の灯』は戦前に歌舞伎座に翻案されて上演もされたということです。
チャップリンは日本にも4回来ていますし、あのステッキは日本は滋賀県産の根竹(こんちく)だそうです。1932年の5.15事件のときには、バカな日本人将校がアメリカ人俳優(チャップリン)を暗殺してアメリカを怒らせて戦争にもち込もうと計画したといいます。犬養首相の招待を断っていなかったら、ともども殺されていたかもしれなかったのです。
銀座で海老のてんぷらを30本も食べて新聞に「てんぷら男」と書かれたなんて、失礼な話も初めて知りました。そして、チャップリン全盛期の秘書は高野虎市という日本人でした。運転手になってから、「看護夫、侍者、個人秘書、護衛、何でも屋」。1926年当時、チャップリン邸の使用人17人は、全員が日本人だった。うひゃあ、そ、そうだったんですか・・・。
世界の喜劇王を支えた日本人がいたことは、私も日本人の一人として、なんだかうれしく思います。
チャップリンの『独裁者』は画期的な映画だと思います。チャップリンとヒトラーは同じ年(1889年)の同じ4月生まれ(16日と20日ですから、4日しか違いません)。そして、1914年に、同じチョビヒゲを生やし始めます。一方は笑いで人々に生きる喜びを与え、他方は人々を大量虐殺する。
ヒトラーはチャップリンの映画『独裁者』をみたあと、公衆の面前での演説はしなくなったといいます。笑いが、ウソに勝ったのです。アベ首相がウソと真相隠しで逃げようとしているとき、それを徹底して笑い飛ばす必要があるのだと思いました。笑いこそが、独裁政治への武器となるのです。
チャップリンに弟子入りした日本人映画監督がいました。牛原虚彦。7ヶ月間、チャップリンのそばにいて、ロープを700回渡り、ライオンと200回演技をして、笑いを追求するその姿を目に焼きつけた。
この本は、チャップリンが映画撮影のためにとったものの、公開された映画には使われなかったボツ(NG)フィルムが400巻あり、それを2年かけて全部みて整理・分析したという著者によるものですから、その薀蓄の深さに圧倒されます。この400巻の全部を全部みた人は世界で3人だけで、そのうちの一人が日本人である著者というのですから、頭が下がります。ありがとうございました。私は大分からの特急列車のなかで読みふけってしまい、あっというまに幸せな気分のまま目的地に到着しました。
チャップリンは台本らしきものを用意せずに撮影を進めていって、現場でひらめいたアイデアをもとに何度も撮り直して作品をつくりあげていった。
かと思うと、ラストシーンを初めてつくりあげて(多少の修正はあっても)、そこに至るシーンを撮影していったというものもあるようです。
360頁の文庫です。たくさんのNGフィルムの写真が紹介されていますが、文庫本じゃなくて、もっともっと知りたくなる本です。
「モダンタイムス」のラストシーンの現場(ロケ地)にまで著者は訪ねています。二人が歩き出したときは影が前に伸びていて、後ろ姿になったときには後に影が伸びている。そんな細かいところにまで著者は目を配っています。さすが・・・、です。
チャップリンは、ユダヤ人にも、ゲイにも、そして日本人にも差別しない普遍的な笑いを追求した。大金持ちの残酷さも見落とすことがなかった。そして、戦争に反対するという信念を映画のなかでも表明した。
幼いチャップリンは、帝国主義的なテーマに満ちたミュージックホールで修業し、街中が戦争を礼賛する言葉であふれているなかに生まれ育った。しかし、「偏執的愛国熱」なる虚しい観念に染まることなく、貧苦という現実とたたかった。そして、そのたたかいを支えたのは、舞台女優だった母がくれたユーモアに満ちた笑いと人間味あふれる愛の灯だった。この幼少時代の体験は、チャップリンの人生を貫く戦争観となる。
チャップリンはバイオリンを弾き、作曲もしていたのですね・・・。さすが天才です・・・。
ぜひ、この本を読んで、もう一回、チャップリン映画をみてみましょう。
(2017年4月刊。920円+税)

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2017年8月29日

我、市長選に挑戦す

司法

(霧山昴)
著者 小宮 学 、 出版  海鳥社

飯塚市で活動している小宮学弁護士が飯塚市長選挙に立候補し、見事に落選した経過をふり返った奮闘記です。
小宮弁護士の前著『筑豊じん肺訴訟』(海鳥社)は、なかなか感動的ないい本でした。このコーナーでも紹介し、高く評価しました。2008年の発刊ですから、以来、9年ぶりの著書になります。今回の本も、とても平易な文章で分かりやすく、80頁あまりのブックレット・タイプですので、ぜひみなさん、買って(500円)読んで下さい(私は贈呈を受けましたが・・・)。
小宮弁護士は福岡県南部の高田町(現みやま市)に生まれ、久留米で弁護士生活をスタートさせました。そして3年後、筑豊・飯塚市に移り、じん肺裁判に弁護団事務局長として18年あまり関わってきました。
小宮弁護士は、本人は「弁護団員のなかでは穏かな方だ」という自己評価ですが、原田直子弁護士は、「すぐに怒り出し」、「すぐに泣き出す人」と評価します。原田弁護士は続けて、小宮弁護士は「正義感が強く、相手が誰であろうと、決して屈しない人」だと街頭演説のときに紹介したとのことです。この点は、私も、まったくそのとおりだと思いますが、この本を読んで、ますますその意を強くしました。
なぜ小宮弁護士が飯塚市長選挙への立候補を決意したのか・・・。
市長と副市長が執務時間中に庁舎を脱け出して、元市会議員で事業経営者のマージャン店で賭けマージャンをしていたことが発覚したのです。それ自体が大問題ですが、当初は開き直っていた市長が辞意を表明するとともに、後継者として、同じ賭けマージャン仲間の教育長を指名しました。これを小宮弁護士の正義感は許すことが出来ませんでした。
これって、本当にひどいですよね。許せませんね・・・。
ところが、この点を西日本新聞筑豊支局はまったく問題にせず、むしろかばってやるかのような報道で一貫させたというのです。ジャーナリズム精神が泣きますよね。この点について、筑豊支局の総局長は「我が社の自由です」と答えたそうですが、これってジャーナリズムの自殺行為と言うほかありません。
西日本新聞は私も購読していますが、これには、正直いって、大変に失望させられました。それほど、筑豊では麻生一族に歯向かえないというわけなのでしょう・・・。残念です。
小宮弁護士は、本書のなかで、西日本新聞に対して、「襟を正せ」、「権力に媚びるな」と叫んでいますが、私も声をそろえて同じことを叫びたいと思います。
この本には、私もよく知っている故・松本洋一弁護士の言葉が紹介されています。がんのため早くに亡くなられましたが、本当にたいした弁護士でした。私も小宮弁護士と同じく、心から尊敬していました。
「たたかいは勢いである。小さくても勢いがあるほうが勝つ」
久々に松本節(ぶし)を思い出しました。切れのいいタンカで松本弁護士は法廷を見事に圧倒していました。
民法学の大家で、立命館大学の総長もつとめた末川博博士が小宮弁護士に次のようなフレーズを書いた色紙を贈ったとのことです。
「法の理念は正義であり、法の目的は平和である。だが、法の実践は社会悪とたたかい、時代の逆流とたたかい、自分自身とたたかう闘争である」
小宮弁護士は、この末川博士の教えを守って、これからもがんばる覚悟で本書をいち早く刊行したのです。とりわけ法曹を志望する人にぜひ読んでほしい冊子です。
(2017年8月刊。500円+税)

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2017年8月30日

自発的対米従属

アメリカ

(霧山昴)
著者 猿田 佐世 、 出版  角川新書

核兵器禁止条約に日本政府が反対するなんて、信じられません。
被爆者代表は、安倍首相に対して、「あなたは、いったい、どこの国の首相なんですか?」と尋ねました。公衆の面前で糾弾された安倍首相は顔色を失い、何も返答することができませんでした。
アメリカが反対しているものに日本政府は反対できないということです。なんという情けない首相でしょうか。まさしく、アメリカのポチ的存在です。
美人弁護士として有名な著者は、アメリカで一貫してロビー活動を続けています。アメリカの国会内外で人脈を築いていて、沖縄県の代表がアメリカへ行くときなどには、大いに力を発揮しているようです。
著者が事務局長をつとめるシンクタンク「新外交イニシアティブ」には、私もほんの少しだけカンパしています。
アメリカの対日影響力は常に強力なのに、アメリカの日本に対する関心は低い。
アメリカ国内で対日外交に関心をもち、実際に影響力を有する知日派のメンバーは、せいぜい最大で30人ほどでしかない。中東やヨーロッパは一筋縄ではいかない国が多いけれど、日本はアメリカの言うことに基本的に従うので、新たなる対日政策を打ち出す必要もなく、少数の専門家で足りるから。
限られた日本の情報だけが、限られたアメリカの相手に届いているだけ。日本とアメリカでは、きわめて細いパイプでしかない。
日本の財界のなかには、アメリカに従っているふりをして、逆にアメリカを利用しているという考えもあるようです。しかし、それは結局、アメリカの手のひらの上で踊っているにすぎません。自主独立国家として、あるまじき姿です。
その一例がオスプレイです。また、アメリカ軍人はパスポート提示不要で日本にやってきて、高速道路利用などはタダという特権をもっています。日本の首都圏に広大なアメリカ軍基地があるなんて、まさしく植民地そのものです。
アメリカでは海兵隊廃棄論さえ声高に叫ばれているのに、日本の沖縄では、あたかも海兵隊の存在が日本の防衛に役立っているかのような錯覚が依然としてまかり通っています。アメリカと日本の関係を直視し、本来のあるべき姿に戻すために、著者の果たしている役割はとても大きいと思います。ますますのご活躍を心より祈念します。
(2017年3月刊。860円+税)

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2017年8月31日

百姓たちの山争い裁判

日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 渡辺 尚志 、 出版  草思社

日本人が昔から裁判を好んでいなかったなんていう俗説はまったく事実に反しています。弁護士生活43年になる私の実感です。
聖徳太子の「和をもって貴しとせよ」というのは、当時、あまりの裁判の多さに呆れて、おまえたち、いい加減にせよと嘆いて言ったというものです(聖徳太子はいなかったという説も有力ですが・・・)。
この本は、江戸時代に日本全国で起きていた山をめぐる裁判のてん末を明らかにしています。なかには、なんと300年続いていた裁判もあるというのですから、驚きです。
江戸時代の裁判は、今と違って手数料(貼用印紙)ゼロです。ただし、交通費や宿泊費は自己負担でしたから、それがバカになりませんでした。そして一審制で、上訴(控訴・上告)はありません。ところが、越訴(おっそ)という非常手段はありました。それをしたからといって、すぐに死罪になるというものでもありませんでした。
林野の多くは、共有地だった。一つの村だけの入会を村中入会(むらじゅういりあい)、複数の村々による入会を村々入会(むらむらいりあい)と呼ぶ。
入会地は村の共有地だったから、村人たちがそこを利用するときは、村で定めた利用規則に従う必要があった。自分勝手な利用は出来なかった。入会山で盗伐した者は、耳をそいで村を追放するとか、米五斗の過料と定められていた。
領主を異にする村同士の争いは、村(百姓)と藩(武士)がペアを組んでたたかうタッグマッチの様相を呈していた。
山争いの功労者は神として祀(まつ)られた。領主が訴訟を受理するのは、領主の義務ではなく、お慈悲だった。ところが、実際には、百姓は武士が辟易(へきえき)するほど頻繁に訴訟を起こした。百姓は、「お上(かみ)の手を煩(わずらわ)すことを恐れはばかってはいなかった。
裁判が始まって、訴えたほうの訴状と、訴えられたほうの返答書は、子どもたちの学習教材として村々に流布していた。
江戸時代の裁判は、純粋に法にのっとって理非を明らかにするというものではなかった。藩の統治の正しさを確認するという政治的意図が明らかに認められた。
村の代表者は、入牢するくらいではへこたれなかった。
百姓のたくましさがここにも見てとれると思いました。面白い本です。日本人は本当に昔から裁判が好きなのです。
(2017年6月刊。1800円+税)

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