弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2017年8月28日

チャップリン

イギリス

(霧山昴)
著者 大野 裕之 、 出版  中公文庫

私はチャップリンの映画が大好きです。『街の灯』は最高ですし、『キッド』は泣かせます。日本人はチャップリン映画が大好きで、『街の灯』は戦前に歌舞伎座に翻案されて上演もされたということです。
チャップリンは日本にも4回来ていますし、あのステッキは日本は滋賀県産の根竹(こんちく)だそうです。1932年の5.15事件のときには、バカな日本人将校がアメリカ人俳優(チャップリン)を暗殺してアメリカを怒らせて戦争にもち込もうと計画したといいます。犬養首相の招待を断っていなかったら、ともども殺されていたかもしれなかったのです。
銀座で海老のてんぷらを30本も食べて新聞に「てんぷら男」と書かれたなんて、失礼な話も初めて知りました。そして、チャップリン全盛期の秘書は高野虎市という日本人でした。運転手になってから、「看護夫、侍者、個人秘書、護衛、何でも屋」。1926年当時、チャップリン邸の使用人17人は、全員が日本人だった。うひゃあ、そ、そうだったんですか・・・。
世界の喜劇王を支えた日本人がいたことは、私も日本人の一人として、なんだかうれしく思います。
チャップリンの『独裁者』は画期的な映画だと思います。チャップリンとヒトラーは同じ年(1889年)の同じ4月生まれ(16日と20日ですから、4日しか違いません)。そして、1914年に、同じチョビヒゲを生やし始めます。一方は笑いで人々に生きる喜びを与え、他方は人々を大量虐殺する。
ヒトラーはチャップリンの映画『独裁者』をみたあと、公衆の面前での演説はしなくなったといいます。笑いが、ウソに勝ったのです。アベ首相がウソと真相隠しで逃げようとしているとき、それを徹底して笑い飛ばす必要があるのだと思いました。笑いこそが、独裁政治への武器となるのです。
チャップリンに弟子入りした日本人映画監督がいました。牛原虚彦。7ヶ月間、チャップリンのそばにいて、ロープを700回渡り、ライオンと200回演技をして、笑いを追求するその姿を目に焼きつけた。
この本は、チャップリンが映画撮影のためにとったものの、公開された映画には使われなかったボツ(NG)フィルムが400巻あり、それを2年かけて全部みて整理・分析したという著者によるものですから、その薀蓄の深さに圧倒されます。この400巻の全部を全部みた人は世界で3人だけで、そのうちの一人が日本人である著者というのですから、頭が下がります。ありがとうございました。私は大分からの特急列車のなかで読みふけってしまい、あっというまに幸せな気分のまま目的地に到着しました。
チャップリンは台本らしきものを用意せずに撮影を進めていって、現場でひらめいたアイデアをもとに何度も撮り直して作品をつくりあげていった。
かと思うと、ラストシーンを初めてつくりあげて(多少の修正はあっても)、そこに至るシーンを撮影していったというものもあるようです。
360頁の文庫です。たくさんのNGフィルムの写真が紹介されていますが、文庫本じゃなくて、もっともっと知りたくなる本です。
「モダンタイムス」のラストシーンの現場(ロケ地)にまで著者は訪ねています。二人が歩き出したときは影が前に伸びていて、後ろ姿になったときには後に影が伸びている。そんな細かいところにまで著者は目を配っています。さすが・・・、です。
チャップリンは、ユダヤ人にも、ゲイにも、そして日本人にも差別しない普遍的な笑いを追求した。大金持ちの残酷さも見落とすことがなかった。そして、戦争に反対するという信念を映画のなかでも表明した。
幼いチャップリンは、帝国主義的なテーマに満ちたミュージックホールで修業し、街中が戦争を礼賛する言葉であふれているなかに生まれ育った。しかし、「偏執的愛国熱」なる虚しい観念に染まることなく、貧苦という現実とたたかった。そして、そのたたかいを支えたのは、舞台女優だった母がくれたユーモアに満ちた笑いと人間味あふれる愛の灯だった。この幼少時代の体験は、チャップリンの人生を貫く戦争観となる。
チャップリンはバイオリンを弾き、作曲もしていたのですね・・・。さすが天才です・・・。
ぜひ、この本を読んで、もう一回、チャップリン映画をみてみましょう。
(2017年4月刊。920円+税)

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