弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

中東

2020年6月24日

中東テロリズムは終わらない


(霧山昴)
著者 村瀬 健介 、 出版 角川書店

「イスラム国」(ISI)が2人の日本人を殺害したのは2015年1月末のことでした。まだ5年しかたっていませんが、なんだか昔のことのように感じられます。それほど、日本では中東のことはニュースにならないし、何が原因で、どんなことが起きているのか、十分に知らされていないと思います。この本には足をつかって中東の実情をつかみ、私たちに知らせようとするものです。
シリアやイラクなどの中東で、今やアメリカのコントラクターが「活躍」している。
コントラクターとは、アメリカ政府が発注する軍事関連の仕事を請け負う退役軍人のこと。その多くが元特殊部隊といった、高度の軍事スキルを身につけていて、アメリカの民間軍事会社に所属している。
アメリカ軍の展開する兵力規模には含まれないので、アメリカ国民向けには都合がいい。しかし、現実には、作戦現場では、アメリカ軍兵士よりもコントラクターのほうが多かったりする。今や、コントラクターがアメリカの安全保障政策を与える不可欠の存在となっている。というか、今ではアメリカは、コントラクターなしには軍事作戦を遂行できなくなっている。
いったい、これで現場の作戦指揮命令系統に矛盾は起きないのでしょうか...。
そして、シリア内戦の影響から、兵器産業は好景気に沸いていた。シリアの反体制派に兵器を供与していたサウジアラビアやトルコ、アメリカなどが兵器を調達していたのはブルガリアなどのバルカン諸国だった。バルカン諸国で大量に買い付けられた兵器は、いったんトルコやヨルダンに運ばれ、そこからシリア国内の反体制派武装組織に渡った。
著者はTBSの中東支局長として、ギリシャにたどり着いた難民ボートも取材しています。大変な苦労があったようです。
難民は1人あたり12万円から24万円を密航業者に支払っていた。そこには難民でもうける難民ビジネスが存在していた。
アメリカは2003年のイラク侵攻によって、フセイン政権というスンニー派の政権を打倒して、シーア派の政権を誕生させた。隣国のシーア派大国イランは、その長年の悲願を敵国アメリカがやってくれたことを信じられない思いで見ていた...。
イランのスレイマニ司令官(アメリカがドローン攻撃で殺害した)が殺されたときにイラクにいたのは、イラン革命防衛隊の息のかかったイラクのシーア派民兵組織を指導するためだった。今では、イラク政治においてイランは大きな影響力をもつに至っている。このことに貢献したのは、実は、他ならぬアメリカだった。
2003年のアメリカによるイラク侵攻は、イラクに大量破壊兵器ないし生物兵器があるというイラク人化学者の「告白」を根拠としていた。しかし、この「告白」をした人物は、とんでもない嘘つきで、もともと信用できない人物だった。このスキャンダルによって、大統領候補とまで言われていたパウエルは急に失速した。
カーブボールと名づけられたイラクの「化学者」は、ドイツでより良い待遇を受けるために作り話をし続けたのだった。相手の興味をひく物語を語り続けている限り、クスリと酒を飲んで快適な生活が得られたのだ。
著者たちは、生物兵器の製造工場だったというところまで現地を見に行ったのです。なんという取材でしょう。ある意味で生命がけの取材だったようですが、見事、「告白」がウソだったことを裏付けたのでした。
大量破壊兵器疑惑は世論に戦争を売りつける手段だった。こんなウソをまともに押しつけられ、貴重な税金がアメリカの軍需産業をうるおしているかと思うと、被害にあった人々の怒りを全身に受けとめ、戦争反対の声をもっと大きくしなくてはいけないと痛感するのでした...。
(2020年3月刊。1500円+税)

2017年3月17日

人質の経済学

(霧山昴)
著者 ロレッタ・ナポリオーニ 、 出版  文芸春秋

誘拐がビジネスになっている、そのことがよく分かる本でした。
そして、誘拐がジハーディスト組織を育てているのです。さらに悪いことは、そんな誘拐ビジネスを生み育てたのは、アメリカ軍であり、それに追随した欧米諸国なのです。ですから、日本だって、その責任を分担する義務があるということです。
9.11以来、誘拐件数は飛躍的に増え、身代金の要求額もうなぎ上りになっている。
2004年には、200万ドル払えばイラクで誘拐された欧米人を解放することができた。今日では、1000万ドル以上も支払わされることがある。
欧米人の人質予備軍は無限に存在している。政府と交渉人は、自国の市民を解放しようと躍起になる。その結果、情報提供者から手配師、ドライバーに至るまで、値段は押し上げられる。
9.11が起きるまでは、世界の麻薬取引の大半は、アメリカで洗浄され、クリーンな米ドルに替えられていた。麻薬取引の80%」は、ドル建ての現金決済だった。そのドルをアメリカ国内に運び込む主なエントリーポイントになっていたのは、西インド諸島にあるオフショア金融機関や偽装銀行である。だが、9.11のあとにアメリカが制定した愛国者法によって、このプロセスは不可能とは言わないまでも、きわめて困難になった。
アメリカの金融当局には、世界中のドル取引を監視する権限が与えられた。したがって、アメリカの銀行やアメリカに登記した外国銀行は、世界のどこであれ疑わしいドル取引に気がついたとき、それをアメリカ当局に通報しないと刑事罰に問われる可能性がある。
コロンビアの麻薬カルテルは麻薬ビジネスであげた利益をアメリカ国内で洗浄できなくなっただけでなく、アメリカ当局に気づかれずに、そして誰からも通報されることなく、利益をある国から別の国へ移し、世界のどこかでどうにかしてドルの洗浄をやってのけなければならない。
この問題を解決したのが、イタリアの犯罪組織と手を組むこと。南米とイタリアの犯罪組織が手を組んだのは、ヨーロッパには愛国者法のような法律がなかったから。ヨーロッパにとって、文字どおりマネーロンダリング黄金時代が到来した。
麻薬カルテルは、ベネズエラと西アフリカに目を付けた。麻薬ビジネスは途方もなく、もうかる。
古い密輸ルートが再発掘された。これで活性化した密輸業者が、もう一つの禁制品である人間という商品に手を出すようになった。この商品には二種類ある。一つは、身代金目当てで誘拐される外国人。もう一つは、ちゃんと料金を払える難民。
いったんやり始めると、誘拐はすぐに麻薬の密輸を上回る利益をもたらした。
外国人の誘拐がひどくもうかることが分かると、アフガニスタンのアルカイダは、がぜん誘拐に熱心になり、傘下のジハーディスト集団にも、誘拐をやれと奨励するようになった。
どの国の政府も、実は、人質に優先順位をつけている。そして、人質ごとに、払ってもよい金額を決めている。つまり、誘拐組織だけでなく、政府も人質一人ひとりを値踏みし、この命とあの命に重みをつけている。そして、誘拐組織は、政府が人質に順位をつけていることをよく承知している。
難民キャンプから、国際的な人道支援組織(NGO)の要員を誘拐する目的は三つ。
一つは、難民キャンプからNGOを追い払うこと、二つには欧米に拘留されている仲間のジハーディストを解放すること。三つ目は、身代金をせしめること。
海賊ビジネスでは、誘拐より多額の初期投資を必要とするため、出資者を募って確保する必要がある。多くの場合、攻撃する小型艇のほかに、やや大型の母船が必要となる。
それでも海賊ビジネスでは投下資本のリターンは、きわめて良かった。出資者が実に利益の75%をとる。海賊の取り分は25%のみ。
国連の推定によると、2005年4月から2012年12月までに、ソマリアの海賊ビジネスは、4億ドル前後の利益を上げた。
2006年に誘拐された人数はわずか188人だったのが、2010年には1181人にまで増えた。身代金の額も増えた。2006年には、一人あたり平均して100万ドルだった。2011年には500万ドルに値上がりした。
2011年の海賊業の収入は年間2億ドルを上回り、ソマリア第二の収入源になっている。ちなみに一位は出稼ぎ労働者の本国送金。こちらは年間10億ドルである。
ソマリア人は、海賊を犯罪とは考えておらず、生きのびるために必要な手段だとみなしている。この地域では、ほかに生きていく手段はない。海賊ビジネスの上げる利益は国の経済の一部になっている。
イスラム国には、冷徹な戦略がある。一部の人質は処刑し、それを大々的に宣伝するほうが価値があると判断し、他方、一部の人質は身代金または捕虜と交換するほうが価値があると計算している。
安倍首相が「イスラム国と戦う諸国に2億ドルの支援を約束します」と言ったことから、日本もアメリカ軍に加担すると受けとられ、日本人の人質が殺害されることにつながった。
人質ビジネスの実態を鋭く暴露した本です。読んでいくと、ますます日本は欧米の軍事行動に加担してはいけないと確信しました。
(2016年12月刊。1750円+税)

2017年2月11日

砂漠の豹、イブン・サウド

(霧山昴)
著者  ブノアメシャン 、 出版  筑摩書房

 サウジアラビアの建国史です。1990年12月の発行ですから、今から25年も前の古い本です。書棚にずっと眠っていた本ですが、サウジアラビア王国のことが気になって読んでみました。
 著者は1901年生まれのフランス人ジャーナリストです。ヴィシー政権で大臣をつとめたこともあって、戦後、戦犯裁判で死刑の宣告も受けています。
 著者がイラクやエジプトなどで会った(1960年より前のこと)政治家は、その後、暗殺されたり、処刑されたりしています。そうでなくても、イラクのように劇変を遂げました。それはともかくとして、現在のサウジアラビア王家を創設したイブン・サウドの生い立ちから王の座に就くまでは、まさしく血なまぐさい激闘の歴史でした。
 イブン・サウドとは通称で、本名はアブドルアジズ(「力のしもべ」という意味)といいます。
「天国は前にあり、地獄は背後にあり」
 これはアラブの熱意を燃やすために定められたコーランの規定であり、このように断定して、結束させる号令になっている。
イフワンとは、武士の兄弟のちぎりのこと。教友。
イブン・サウドは一家の長男ではなかった。二人の兄、ムハンマドとアブダラーがいた。その二人の兄が戦闘のなかで殺されてしまったことから順番がまわってきた。
 砂漠のなかの戦いは常に容赦がない。敗者は決して勝者の寛容をあてにしてはならない。脅かされている場合には、こちらから先手を打って出なければならない。
 兄二人が敵に殺されるときには、イブン・サウドはその現場にいて、黒人どれいの脚のあいだから震えつつ見ていた。
 アラブの部族は、砂漠の砂に似ていた。その一つ一つは完全に独立している。砂のように、こぶしのなかに握りしめることはできるが、それを固めてひとつのかたまりとするのは難しい。握っている力がゆるめば、砂の粒は指の間からこぼれ落ち、ぱらぱらになって、以前と同じく独立した、小さな独立した単位にもどってしまう。
 大部分のアラブは、忠節あるいは理想によってイブン・サウドを支持したのではなかった。打算から味方についただけなのである。
イブン・サウドを狙った暗殺国19人を処刑するとき、18人まで斬首したあと、19人目は、殺されず、解放された。見たことを広く、多くの人々に語れ、ということである。
 イブン・サウドは大胆な武人だったようです。イブン・サウドは、もちろんイスラム教徒ですが、その宗派はワハブ派です。
 イブン・サウドは、トルコのケマル・アタチュルクと同世代の人物であり、それぞれの国を近代生活のレベルにまで引上げようと試みた点は共通しているが、ケマルはスルタンを追放し、宗教を政治から切り離そうとした。それに対してイブン・サウドは、イスラムの純化を唱えるワハブの教えを広め、みずから政教両面のあるじとなって国家統一の基礎を築いた。
 イブン・サウドはまた、「アラビアのロレンス」とも同時代を生きています。イギリスとの関わり方は、大変むずかしかったようです。
 いろいろ知らないことばかりでした。建国史というのは古代日本もそうですが、血なまぐさい話のオンパレードですね。
(1990年12月刊。2400円+税)

2016年10月30日

イランの野望

(霧山昴)
著者 鵜塚 健 、 出版  集英社新書

浮上する「シーア派大国」というサブタイトルのついた新書です。イラン・イラク戦争とかシーア派とスンニー派の争いといっても、日本人の私には、なかなかピンと来ない話です。
安易な選択肢の一つは、考えないこと、関心をもたないこと。二つ目は、諸悪の根源をはっきりさせ、徹底的に根絶すること。いずれも、これで問題がうまく解決した例はない。
そうなんです。そうすると、私たちは知るしかありません。そして、単純な「善悪二元論」ではなく、複眼的な見方が求められます。
イランは、今や、中東では希少な、安定した大国である。
ISは、2015年12月の時点で、月8000万ドル(96億円)の収入を得ている。その50%は支配地域での税金徴収や財産没収による。残る43%は石油の密売による収入。豊かな財源と領土を確保している。
イランはイスラム教のなかの少数派のシーア派に属している。かつてイラン王朝が栄えた国だ。
イランは、1979年のイスラム革命のあと、反米路線をかたくなに貫き、アメリカはイラン「封じ込め」に力を注いできた。皮肉にもアメリカの政策は、その意図に反し、結果的にイランに有利な状況をもたらした。
16億人いる世界のイスラム教徒の9割はスンニー派で、残り1割がシーア派だ。
イランは国内人口の9割以上をシーア派が占めている。
イラン・イラク戦争のとき、アメリカはイラクを支援したため、「殉教者」の家族はイラクだけでなくアメリカに対して怨念のような感情を抱く。そして近年の核開発でイランを抑え込もうとするアメリカへの反発心が、共鳴し、増幅している。
イランは産油国であるだけでなく、7900万人の人口をかかえる中東の大国だ。一定の富裕層に加え、購買力のある中間層は分厚く、トルコと並んで魅力的な市場になっている。
最近、中国がイランで存在感を高めている。中国は、イランにとって、最大の貿易相手国となった。イランの原油輸出先の第1位は中国である。
イランは、近い将来、国内に20基の原発を設置する計画で、その中核を担うのがロシアと中国だ。ロシアはイランにおける原発利権で突出している。
イランの実情の一端を知った思いがしました。
(2016年5月刊。720円+税)

2016年6月28日

中東と日本の針路

(霧山昴)
著者  長沢 栄治、栗田 禎子 、 出版  大月書店

 安保法制はアベ首相のいうように日本に平和をもたらすどころか、世界の戦争に日本を巻き込ませようとするものです。百害あって一利なしとしか言いようがありません。そのことを中東を長く研究している学者が語り明かしている本です。
 中東が戦争の標的とされてきた主たる要因は二つ。一つは石油。二つは、この地域の戦略的・地政学的な重要性。
 安保法制は、自衛隊がこれから中東やアフリカを標的として起きるであろう、ほとんどすべての戦争・軍事行動に協力・参加する道を開くものである。
 安保法制は、中東と日本、ひいては世界全体を出口のない戦争と混乱の時代へと導いていく扉となるだろう。
 ネット時代において、情報・カネ・モノが瞬時に国境を超えてしまうグローバル金融資本のもとにあって、逆にナショナリズム的な情動が人々の行動を規定することになってしまうという皮肉がある。
アメリカ社会で生活に行き詰まった「負け組」の若者たちが、州兵として民間軍事会社に動員され、イラクで殺されていった。
中東におけるアメリカの同盟国であるイスラエルは、グローバル・システムのなかの「勝ち組」と化し、安倍政権は中東において一人勝ちのイスラエルと手を組んで、世界大に広がるネオリベラリズム的潮流の「優等生」として国際社会を生きのびようとしている。
安全保障という名のもとで軍事産業の成長が日本経済の成長を約束するかのような議論がまかり通っている。
いま、日本はアメリカという泥船と運命をともにし、沈没しつつあるのではないか・・・。
アメリカとの結びつきを日本が強めるのは、かえって中東における日本の立場を悪くし、アメリカの介入策に下手につきあうのは、利よりも害が大きい(と案じられる)。
イラクを全面的に支配したはずのアメリカ軍は、治安の悪化に歯止めをかけることができず、内戦に対応できなくなった。
シリアの内戦は、逆説と矛盾にみちた複雑な連立方程式である。しかも、変数は増えていく。
アメリカは、アフガニスタン・イラクと続けてきた失敗を、結局のところシリアでも繰り返している。
アメリカは、イラク戦争そのものに2兆という巨費をつぎこんだ。イラク軍の訓練に250億ドルの予算を使い、600億ドルを復興にかけた。ところが、イラクに安定した親アメリカ国家をつくるという目論見は成功しなかった。
 イランについては、穏健なロウハニ政権の後押しとなるような経済交流を日本はすすめ、周辺諸国との「アツレキ」を抑制することに貢献すべきだ。
250頁ほどの本ですが、日本と中東の関係において、安保法制はきわめて危険かつ有害であることが際だって明らかなものであることを強調している本として、ご一読をおすすめします。
(2016年5月刊。1800円+税)

2015年5月26日

イスラム国の野望

                             (霧山昴)
著者  高橋 和夫 、 出版  幻冬舎新書

 イスラム教全体の中ではスンニー派が9割を占め、シーア派は1割でしかない。ところが、イラクではスンニー派は2割だけ、残りの6割はシーア派と2割のクルド人。
2005年の選挙で初めてイラクでシーア派が権力をにぎった。
イスラム国で名前をきいて、アブー、バクル、ウマル、ウスマーンという名前はスンニー派。シーア派は絶対にこの名前を使わない。
シーア派がもっとも多いのはイラン。国民の9割がシーア派で、スンニー派は1割のみ。
イラクの治安悪化の元凶はアメリカの脱バアス政策による。イラクでは、何らかの専門機能を持った人の大半はバアス党関係者だった。この人たちをすべて排除すれば、当然に社会機能は麻痺する。
アメリカ中央軍の司令官となったペトレイアス将軍は、ゲリラ戦や、ゲリラになりそうな現地人への対応を重視した。その基本は敵を殺さないこと。殺さずに心をつかめとマニュアルは教える。また、あまり銃弾を撃たない。その代わりに金をばらまき、買収できる人間は、みな買収する。
現地人とは、きちんと目を見て話す。通訳は、中間ではなく自分の側に立たせる。
民衆の心をつかむのが大切だとペトレイアス司令官は言った。そして、ペトレイアスは、アメリカ軍の基地を大きなものから、小さなものに転換した。すると、はじめのうちは犠牲者が増えた。月80人が120人以上に増えた。しかし、翌年には月20人にまで減った。イラク人の死者も劇的に減った。さらに、インフラ整備を進め、店舗再開のための資金提供などで、民衆の心をつかんでいった。
ペトレイアス司令官は、スンニー派を買収していった。こうして、ペトレイアスは、2010年までイラクを安定に導いた。ところが、ペトレイアスは女性との不倫によってCIA長官を辞任してしまった。
シリアでは7割がスンニー派だが、国を支配しているのは人口の1割でしかないアラウィー派。残り2割の少数派であるシーア派やキリスト教徒は、アサド政権に寄り添っている。
1割が7割をおさえつけるというので、相当むごいことをしてきた。だから、権力を手放したら、すぐに仕返しされてしまう。
シリア内戦の核心は、アラウィー派街抱いている恐怖心だ。反アサド勢力のなかには、アラウィー派の有力者はいない。
アラウィー派の信仰は秘密主義であり、イスラム世界の大半の人からは異端と思われている。シリアの中でアラウィー派を要職にとりたてたのはフランス。1920年代の委任統治時代のこと。アサド大統領は、イスラム国とは真面目に戦ってこなかった。
イスラム世界では、カリフが国を統治する「カリフ制」が長く存続してきた。しかし、1924年にカリフ制は廃止された。
カリフに必要なのは、正統性。正統性がなく、実力で権力を握った人は「スルタン」と呼ぶ。黒いターバンを着用するのは、ムハンマドとの血のつながりを主張する意味をもつ。黒は、イスラム世界では預言者ムハンマドとのつながりを示すシンボルカラー。
イラン・イスラム国を樹立したホメイニも、現在のハメネイも黒いターバンを巻いている。
処刑される外国人が着せられている服はオレンジ。キューバのグアンタナモ基地にアルカイダ系の人間が収容されたときに着せられていた服がオレンジだったから。その仕返しだ。
クウェートでは、ゴミ箱の色はオレンジ色で、ゴミ収集人の服もオレンジ。イスラム世界ではオレンジ色は軽蔑のニュアンスがある。
イスラム過激派が過去5年間に人質とした欧米人は105人。その解放のために125億円が支払われ、それが過激派の重要な資金源となっている。ドイツ人やフランス人が標的になっている。アメリカ人やイギリス人は交渉に応じず、身代金を支払えないから。
自爆テロとは、きわめて現代的な現象である。自分たちもF15戦闘機があれば、それで突撃をする。ないから最後の手段に訴えている。これが自爆する側の理屈。
「自爆しても天国に入れる」から、「自爆したからこそ天国に入れる」というように変わり、英雄視されるようになった。殉教者として高い評価を得てしまうと、実行する者が跡を絶たない。殉教者は神の友という発想だ。
過激派を支援する富裕層がいる。これは、アメリカに対する反発から。日本人の想像する以上に、世界ではアメリカに反発する感情は根強い。
「イスラーム国」の根深さをしっかり解説している本です。とても勉強になりました。
(2015年2月刊。780円+税)

2015年5月21日

イスラーム国の衝撃

                                (霧山昴)
著者  池内 恵 、 出版  文春新書

 イスラーム法では、カリフの存在の必要性は明確に規定されている。『コーラン』とハディース(預言者の言行録)に依拠して、歴代の法学者が議論で合意に達した見解を疑うことは宗教上許されない。イスラーム世界が統一されてカリフが統治するという理念に異論を挟むことは、イスラーム教徒のあいだでは困難である。
かといって、全世界のイスラーム教徒や政府が「イスラーム国」のバグダーディーにしたがって、「イスラーム国」への加入を求めるという事態は起こりようもない。
 バグダーディーは、預言者の血統を象徴する黒いターバンなど、「衣装」にも入念に気を配っている。
 欧米人人質の処刑については、処刑の対象者も、処刑の実行者も入念に人選し、時期を選んでいる。欧米人一般ではなく、まずはアメリカ人を、続いてイギリス人を選び、それらの国によるイラクあるいはシリアへの軍事介入を止めるよう要求する映像を流して、一定期間をおいたうえで、処刑して公開していった。それによって、少なくとも集団の側の論理では、これらの殺人に正当性があるという主張の根拠を示す形で情報発信を試みた。
 人質にオレンジ色の囚人服を着せることで、グアンタナモ(キューバ)やアブー・グレイブ(イラク)でのイスラーム教徒への不当な扱いに憤る者たちの目には、斬首や映像公開といった行為も、「正当」に見えるという効果を狙っているのだろう。
 アメリカによる「対テロ戦争の」圧力を受けたアル・カーイダが復活した最大の要因は、2003年のイラク戦争だった。
 2014年に「イスラーム国」を名乗るまで、この組織は少なくとも5つの別の名前を名乗っていた。2003年のサダム・フセイン政権崩壊のあと、反米武装勢力の中心組織として、「タウヒードとジハード国」が台頭した。
 欧米側は、「イスラーム国」と呼ばず、ISISとかISILと呼び続けている。「イスラーム国」がイスラームを代表せず、「国家」でもなく、その勢力範囲は、イラクとシリアに限定されているという認識を確認するためである。
 オバマ政権が、アメリカ軍の完全撤退を2011年来に完了すると、「イスラーム国」はまたもや息を吹き返した。「イスラーム国」は、旧フセイン政権の軍・諜報機関の関係者を指導部に多く含んでいる。土着化をすすめる「イスラーム国」は、旧フセイン政権幹部の秘密組織とのつながりを深めた。
 仮に「イスラーム国」の半数ほどが外国人であるとしても、その主たるメンバーはイラク、である。2013年以降は、シリア人も増えた。
 「イスラーム国」が自らの存在を宣伝するには、無関係な第三者によって興味本位で転送されて広まるのが、一番効果的である。そのためには、話題にあがるほど衝撃的な映像でなければならない。しかし、同時に、残虐すぎてはならず、視聴に耐える範囲の残虐さでなければならない。見た目の残虐さを緩和するのが、処刑人の演劇的なしぐさである。
 これによって、人々は映画やドラマを見ているかのように錯覚して映像を見てしまい、転送しているうちに、映像はホンモノだと思われてしまう。
 なかなか宣伝に長けた集団のようです。いずれにしても、安倍首相の言うようなアメリカ尻馬に乗って日本の自衛隊が戦闘行為をするようになったら、日本自体がテロ攻撃の対象になる危険があります。絶対そんなことにならないように安倍内閣の戦争推進法案に反対しましょう。
(2015年1月刊。780円+税)

2015年2月18日

イスラム国、テロリストが国家を作る時


著者  ロレッタ・ナポリオーニ 、 出版  文芸春秋
 
 今注目されているイスラム国とは何者なのか・・・。
 イスラム国は、その前は「タウヒードとジハード集団」の一部だった。タウヒードとは、神の唯一絶対性を表す言葉だ。神はすべてであり、神はあまねく存在するという意味。
 人差し指を突き出して、神は唯一無二であることを表す一神教の仕草は、今日ではイスラム国の公式の挨拶となっている。
 イスラム国では、女性は男性の親族の付き添いなしで外出してはならず、全身を覆わなければならず、公の場でズボンを着用してはいけない。
イスラム国の支配する地域の住民は、過激なサラフィー主義に改宗するか、でなければ処刑される。
 イスラム国を育んだのは、グローバリゼーションと最新のテクノロジーである。
イスラム国が過去の武装集団と決定的にちがうのは、その近代性と現実主義にある。
 イスラム国がムスリムに向けて発する政治的なイメージは、力強く、魅力的だ。それは、カリフ制に回帰しよう、これこそがイスラムの新しい黄金時代だというだという呼びかけである。
 イスラム国は、支配した地域の住民の承認を得ることにも熱心だ。道路を補修し、家を失った人のために食糧配給所を設置し、電力の供給も確保した。
 イスラム国の第一義的な目的は、スンニ派のムスリムにとって、イスラエルとなること。つまり、かつての自分たちの土地の権利を現代に取り戻すこと。
 イスラム国は、ソーシャルメディアを巧みに活用している。残虐行為をスマートな動画や画像に編集して、世界じゅうに流している。恐怖は宗教の説教よりは、はるかに強力な武器になる。イスラム国は、ケータイで簡単に見れる形式で残酷な処刑や拷問の写真や動画を投稿している。のぞき見趣味のはびこる現代のハンチャル社会では、きれいに切り取って差し出されたサディズムは格好の見せ場となる。
 イスラム国は、アル・バグダディとカリフ制国家にまつわる神話を織り上げた。
イスラム国は潤沢な収入源をもっている。シリア各地の油田や発電所をおさえている。また支配下にある地域の企業から税金を取りたて、武器・装備品をはじめとする商品の取引にも課税している。
 イスラム国が過去の武装組織にまさっているのは。軍事行動力、メディア操作、制圧地域での生活改善プログラム、そして何より国家建設である。
 アル・バグダディは、アメリカ軍に捕まり5年のあいだ服役していた。その服役中は非常におとなしく、目立たなかった。アル・バグダディは、バグダッド大学でイスラム神学の学位をとっている。
 アル・バグダディは、どんな新参者も歓迎する。他の組織は、スパイや密告者を恐れて、志願者を受け入れないことが多い。
 イスラム国は、どこからも支援をうけずに財産を築き自立を果たした。
 イスラム国は、軍隊や行政に階層構造をもち込んだ。そのおかげで、個々の部隊が犯罪者集団や烏合の衆に堕落する危険は少なくなっている。
 イスラム国の歩兵の平均給与は、月41ドルで、イラクの肉体労働者の給与に比べてはるかに低い。つまり、イスラム国の兵士の士気を高めているのは、報酬の高さではない。
 アメリカ軍は過去50年間、ずっと戦争してきた。そのアメリカ軍が敗北したということは、軍事的行動以外でしか物事は解決できないということを証明している。外国の軍事介入が中東の不安定化の解決にはならない。戦争以外の手段を模索するしかないのだ。
 アメリカの失敗に大いに学んでいるイスラム国です。アメリカのような軍事一辺倒で解決するはずがないということを認識させてくれる本でした。
(2015年2月刊。1350円+税)

2014年12月26日

中東民族問題の起源


著者  佐原 徹哉 、 出版  白水社

 20世紀はじめのトルコにおけるアメニスト人虐殺事件がとりあげられています。
オスマン体制のもとで、アルメニア人は、よく順応し、長くスルタンにもっとも忠実なキリスト教臣民と見なされていた。
 オスマン時代の都市は、居住地区と商工業地に明確に分かれていた。居住地区では、同じ宗教に属する者たちが集まって暮らす傾向にあり、ムスリム、アルメニア人、ギリシア人、ユダヤ人などといった宗教ごとの街区(マハラ)が存在した。街区は、モスクや教会などの宗教施設を除くと民家が集まっているだけの場所であり、とくに用事のない限り、よそ者が入っていくことはなかった。他方、商工業地区は、宗教・民族の違いをこえた都市住民の共通空間ある。都市に居住するアルメニア人の多くが商人・手工業者であったため、ムスリムが彼らと接触する場所も市場だった。市場付近には、大きなモスクもあり、ムスリムが結集しやすい条件も備えていた。そのため、暴動が市場地区で始まり、居住区に向かうのは、暴動が自然発生的であったことを示唆している。
 アルメニアとトルコの双方に陰謀説がある。しかし、両方の説とも荒唐無稽なものであり、史料にざっと目を通すだけで欠陥が明らかになるお粗末な代物だ。ところが、今もって権威ある定説としてまかり通っている。
 武器商人たちが、公衆の面前で武器を売り歩いた。この商人たちは、武器の売り上げを増やす目論見から、虐殺や反乱の噂を利用した。あるときは、キリスト教徒が、またムスリムがまもなく虐殺をはじめるという話が、武器商人のセールストークを通じて拡散した。そのため、人々の疑心暗鬼はとどまるところを知らなくなり、先を争って武器弾薬を手に入れようとする風潮が広まった。さまざまな武器が市場で、店頭で、また道端で堂々と売られた。
 新聞は、武器の入手が合法であり、家族の命と財産と名誉を守るために必要だというキャンペーンを展開し、アルメニア人コミュニティの指導者たちも武器の購入を奨励していた。聖職者たちも武装することを推奨した。
 多数のアルメニア人が軍事訓練をはじめた。このようにして、アルメニア人は、一方的に武装をはじめた。
 アルメニア人の地主は、ムスリム地主よりも、農業経営に熱心だった。あからさまな経済格差が、宗派コミュニティ間の緊張を生む原因となった。半飢餓状態で暮らすムスリム農民たちは、アルメニア人たちのいい暮らしぶりをねたんだであろうし、ときには敵意すら感じただろう。
騒乱がアルメニア人の陰謀でなかったことを証明する、おそらく最良の証拠は、騒乱の間中、アルメニア人が一貫して専守防衛に徹していたことだろう。アルメニア人の方からムスリム側の陣地に攻撃を仕掛けることはなかった。
 アルメニア人たちの一致団結した戦いに比べて、ムスリム人たちの攻撃は、場当たり的だった。人数こそ圧倒的だが、ムスリム人は島合いの衆にすぎなかった。ムスリムたちは、せいぜい拳銃程度の火器しか準備していなかった。ほとんどのムスリム暴徒たちは、手近にあった道具を武器代わりにしていた。これは襲撃に計画性がない、何よりの証拠である。
暴動の小さかった地区では、多くの行政官と治安当局者がアルメニア人を敵視せず、混乱の原因がムスリム民衆の動揺にあると分析していた。この適切な状況認識にもとづいて効果的な予防措置を講した。役人たちが冷静で慎重な態度を示したことで、ムスリムとアルメニア人の双方が一定の信頼関係を保ち、しばしば共同して防衛体制を構築することができた。これは、正しい判断と適切な措置を講じることによって破滅的な事態を回避できたことを意味する。
暴動や略奪を開始したのは、難民や季節労働者だった。
 20世紀の初めに起きた虐殺事件の総括から、冷静な対応によって防止することが出来るものだという教訓が導き出されています。今の日本のような「ヘイト・スピーチ」は、まさに日本を戦争への道にひきずり込もうとする危うい道なのです。絶対に繰り返してはなりません。大変に勉強になりました。
(2014年7月刊。3200円+税)

2013年8月 8日

イスラムと近代化

著者  新井 政美 、 出版  講談社選書メチエ

共和国トルコの苦闘、というサブタイトルのついた本です。現代トルコの悩み多き歩みが語られています。
 紀元前5世紀に起きたペルシア戦争において、ペルシア軍のなかには多くのギリシア人傭兵が存在していた。そして、11世紀のマラーズギルトの戦いは、ギリシア(キリスト教)対トルコ(イスラム)の決戦のように言われるが、東ローマ軍の重要な部分を占めていたのはトルコ系の傭兵たちだった。
 スルタンの血筋にはギリシア人の血がたくさん混じり、ビザンツ皇帝の親類には、セルジュク王家と婚姻関係を結んで、イスラムに改宗するものもいた。
 トルコのノーベル賞作家であるオルハン・パムクの書いた『わたしの名は紅(あか)』は、16世紀のトプカプ宮殿のあった時代を描いている。
 スルタン直属の精鋭軍イェニチェリは、オスマンの軍事的発展を支えていたが、17世紀から、その性格が大きく変わっていた。イェニチェリが世襲されるという、本来ありえない事態が日常化していた。市中で副業を営み、在地化し、無頼化していった。そして、あらゆる改革の動きに抵抗する存在になった。
 音楽はイスラムに反するものとされ、また反しないものとされた。これは「判例の積み重ね」としてのイスラム法の特色をよく示している。
18世紀末のセリム3世はイェニチェリに代えようと新たな西洋式歩兵軍団を創設した。しかし、イェニチェリの反乱に直面して、退位を余儀なくされた。
 次のマフムート2世は、砲兵隊を強化し、改革派の官僚を要職につけ、15年かけて中央集権化を実現した。そして、イェニチェリを蜂起させて、一挙にせん滅して、新しい軍隊を創設した。
ムスタファ・ケマル(のちのアタチュルク)は、北ギリシア・マケドニアのテッサロニキに生まれた。このテッサロニキは、オスマン領内でも、屈指のコスモポリタン的な環境の町だった。19世紀末、4万9000人のユダヤ教徒、2万5500人のイスラム教徒、1万1000人のギリシア正教人口をかかえていた。そのうえ、英仏伊露西の国籍をもつ外国人が7000人ほど暮らしていた。
 ケマルは、文明の基盤が家庭生活にあると公言していたが、その家庭生活がイスラムにもとづいて営まれるのは、時代に逆行するものと考えた。1929年にミスコンテストが始まり、1930年には地方選挙で婦人参政権が認められ、34年には国政選挙に拡大した。28年にはアラビア文字が禁止され、ローマ字が採用された。そして、ケマルは、すべての原語がトルコ語から派生していったという「太陽原語説」を採用して、大々的に喧伝した。
 ケマルは、西洋文明を受け入れて近代化=世俗化を目ざしたが、同時に西洋文明はトルコ民族の影響下でつくり出されたものだと強調することによって、西洋化とナショナリズムを「調和」させた。
 1938年11月に、マタチュルク大統領が亡くなると、前年に失脚していたイノニュが第二代大統領に就任した。
 その後、トルコは、さまざまな苦難の道をたどります。
軍部は、共和国の歴史を通じて、まずアタチュルクの熱烈な信奉者であり、その改革の支持者である。したがって、軍事的天才でもあったアタチュルクが創設し、その副官でもあったイノニュが党首となっていた共和人民党の強力な支持基盤でもあった。
 そこで、軍部が世俗主義の守護者を自認し、世俗主義=共和国の根幹を守るために、軍が何度となく政治に介入する動機ともなった。
 そして、イスラム的価値を重視する「イスラム派」が、たとえ、近代的科学技術の摂取を重視していても、共和国の世俗主義にしたがっていないために「反動」と位置づけられ、軍部は、クーデターを起こしても世俗派であるゆえ進歩的だと自らを位置づけ、それが欧米を中心とする世界に受け入れられるという構図を生んだ。
 いま、建国80年をすぎて、トルコは「イスラム政党」が議会で安定多数を維持している。公正発展党は、自ら「保守的民主主義者」を名乗っているから、これを「イスラム政党」と規定するのは問題があるかもしれない。しかし、大統領も首相も、その妻はスカーフで頭部を被っている。建国の父アタチュルクがこの後継をみたら卒倒するだろう。ところが、アタチュルクが憤激しても、現代トルコが発展していることは事実であり、その発展振ぶりは、アタチュルクの方針に忠実であることを自認する世俗派が政権を握っていたころよりも明らかに目ざましい。軍部と司法当局とは互いに牽制しあいながらも、イスラム派を追い落とそうとする意思を決して捨ててはいない。現政権が、その扱いを誤れば、権力はいつまた世俗派に戻らないとも限らない。
 現代トルコにおける「イスラム派」なるものの実体、そして、世俗派との葛藤の複雑怪奇さの一端が少しだけ分かったような気のする本でした。
(2013年1月刊。1600円+税)

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