弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2013年3月18日

進化を飛躍させる新しい主役

生き物

著者  小原 嘉明 、 出版  岩波ジュニア新書

モンシロチョウについて新しい知見を得ることができました。読んで楽しい本です。なにしろ、モンシロチョウはヨーロッパで発生して、はるばる日本へやって来たというのです。そして、紫外線メガネでメスが白く見えるのは日本型で、ヨーロッパのチョウはそうではない。そして、モンシロチョウにも個性があることを発見したというのです。
 もちろん、それに至るまでには、涙ぐましい調査・研究があったのでした。学者の世界も厳しいのです。
モンシロチョウの寿命は夏だと2週間、晩秋には、4週間近くになる。モンシロチョウは、東京あたりでは1年に8回も発生する。
 モンシロチョウの雌は、はね(翅)が紫外線を反射している(紫外線色をふくんでいる)ため、白くみえる。オスは、容易にメスを見分けることができる。
 ところが、白ではなくピンク色にみえるメスがいることが分かった。なぜか・・・。
 メスが日向にいるか日陰にいるかで色は変化する。日陰にふりそそぐ光は、明らかに紫外線が相対的にリッチ(豊富)である。メスが紫外線を反射しているのは、日本や中国などの東アジアのモンシロチョウだけで、ヨーロッパをはじめユーラシア大陸のメスは日本のメスほど紫外線を反射していない。
 モンシロチョウを採取すると、冷蔵庫に入れて保管する。冷温麻酔である。それでも5~6回しかもたない。ヨーロッパからモンシロチョウを日本に持ち帰って実験したのです。本当に大変です。
 紫外線の反射が非常に弱いメスが沖縄にいる。また、ヨーロッパのメスにとって同じ強さで紫外線を反射するメスもいる・・・。
モンシロチョウは、ヨーロッパで進化し、その後、マレーシア大陸の東方に公布を広げ、中央アジア、東アジアを経て日本にたどり着いたのである。モンシロチョウの東アジアへの分布拡大を支えたのは、人間の交易を利用したヒッチハイクである。このように、モンシロチョウは日本在来種ではなく、海外から移り住んできたものである。
 ところで、ヨーロッパのモンシロチョウのオスは行きあたりばったりでメスを探し求めている。
 『モンシロチョウの結婚ゲーム』を前に読んで魅惑させられたことを今も鮮明に覚えています。本書は、さらに深く掘り下げています。
春の野にせわしなく飛びかうモンシロチョウの生態に魅せられます。
(2012年9月刊。920円+税)

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2013年3月17日

ケインとアベル

アメリカ

著者  ジェフリー・アーチャー 、 出版  新潮文庫

イギリス人の著者が20世紀前半のアメリカ社会の断面を見事に小説化して描いています。驚嘆しながら、手に汗を握る思いで、上下2冊の文庫本を息を呑みつつ、頁をめくるのももどかしい思いで読みすすめていきました。たいした筆力です。
 なにしろ、ポーランド社会から始まり、収容所の厳しい生活、アメリカへの移民、アメリカの銀行とホテル業界の内幕、これらがこと細かく描写されていくのです。その迫力にはただただ圧倒されてしまいます。
そのうえで、若い男女の物語が変貌を遂げ、新たな恋愛物語に変転しながら結実していくのです。そのスケールの大きさには息を呑まざるをえません。
歴史をよく調べ、経済構造を頭にたたきこみつつ、やはりストーリー展開の素晴らしさです。
 気分転換にはもってこいの一冊です。旅行のおともにいかがでしょうか・・・。
(2008年8月刊。705円+税)

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2013年3月16日

紅の党

中国

著者  朝日新聞中国総局、 出版  朝日新聞出版

中国共産党のトップの内幕に迫っています。
 このところ久しく中国には行っていませんが、中国に行くたびに、ここが社会主義国だとはとても思えません。東京と同じか、それ以上の高層ビルが林立していて、資本主義そのものとしか思えないのです。
 裸官。公権力を使って、わいろなどの不正収入を得た党幹部がまずは子どもを留学させ、次に妻も移民させて資金を海外に移していることを示す言葉。家族や資産は海外で、幹部だけが国内に残ることから「裸の官僚」という意味。
 2008年までの10年あまりに海外へ逃げた政府や国有企業などの幹部は1万5000人から1万8000人にのぼり、流出資産は8000億元(10兆円)に達する。
 ハーバード大学で中国の指導者養成プログラムが始まったのは2001年。党人事を仕切る中国共産党組織部が中心となって始めた。コース期間は、8週間から数か月間まで、いろいろ。毎年40~50人の党中央や地方の幹部が「学生」として営んでいる。
 江沢民も胡錦濤も、後見人の鄧小平に見いだされて、総書記に選ばれた。今、中国に毛沢東や鄧小平のように総書記を指名を出来るカリスマはいない。集団指導体制の下で行われる後継指導部の人選は、難航を極める。
 薄煕来失脚事件の真相と問題点については、『チャイナ・ジャッジ』に譲ります。

(2013年2月刊。1300円+税)

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2013年3月15日

原発とメディア

社会

著者  上丸 洋一 、 出版  朝日新聞出版

メディアは、こぞって「安全神話」の形成にかかわりました。そして今なお、原発の危険性にメスを入れようとしません。だから安倍首相が「安全な原発」の再稼働を推進しようとしているのに、疑問を投げかけようとしません。あの「3.11」の教訓は、「安全な原発」なんてないことが証明されたということです。それを少なくない日本人が忘れているように思えるのが残念でなりません。
 朝鮮戦争のころ(1950年)、朝日、毎日、読売は、アメリカが原発を実戦に使用しようとしたとき、一言の意義も反対も唱えなかった。
 1956年、中曽根康弘は、「原子力をこわがるのはバカですよ」と高言した。
 1958年、岸信介は、「平和利用」の顔をした「兵器としての原子力」へ期待した。潜在的な核保有国としてのパワーを保持しておきたいという願望だった。核兵器保有への道を開いておきたいという思いも強かった。
 関西原子炉について、1959年11月の朝日新聞は社説で有益だとして、「むやみに危険を恐れる必要はあるまい」とし、建設容認論をぶった。
 1961年に東海村で原子炉が起工されたとき、朝日新聞は「注意して取り扱うかぎり、原子炉は少しも危険ではなくなっている」とした。
 1964年、朝日の連載記事は、原子炉について「放射線は怖いけれど、管理さえ十分にやれば絶対に安全ですよ」と断言した。
 1966年9月の朝日の社説は、「原発の危険性は、技術がここまで来た現在では、まず考えられない」とした。
 1972年、朝日新聞の内部でデスクと記者が言い争った。
 「政府の原子力政策を指示するのが朝日の編集方針だ」
 「社の編集方針に反する記事を書くのは、編集権の侵害にあたる。原子力を批判することは会社から編集権をまかされている私が許さない。編集権には、人事権もふくまれる」
 このようにデスクは記者を脅した。
 朝日新聞が、手放しの推進ではないにせよ、原子力しかない、原子力開発を前進させよ、と前から主張し続けてきたことは間違いない。
 1977年、朝日の記者だった大熊由紀子は連載をまとめた本のなかで、次のように語った。
 「原発に反対するのは、原発について無知だからだ。南極や海底などに、高レベル放射性廃棄物を安全に捨てる技術が開発されたら、子孫に迷惑をかけることはない。しかし、安全に捨てる技術はいまだに開発されていない」
 1979年、朝日新聞社から月給をもらっているかぎり、記者は基本的に原発には反対だという立場で記事を書いてはいけないということ。記者は、自分も反対という立場で報道記事を書いてはいけない。
メディアもまた「原子力村」の一員であったこと、いまでもそうであることを、内部告発のように明らかにしている本です
(2012年9月刊。2000円+税)

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2013年3月14日

アメリカの危ないロイヤーたち

司法

著者  リチャード・ズィトリンほか 、 出版  現代人文社

弁護士という職業は、日本もアメリカの共通するところが大きいと思います。ところが、アメリカでは弁護士の社会的評価がとても低いというのです。といっても、オバマもクリントンもヒラリーも、みんな弁護士なんですけれど・・・。
アメリカ人は、ずっと永く、弁護士を疑いと批判の眼で見てきた。150年前、エイブルラハム・リンカーンは、「一般の人が抱いている、弁護士はすべからく不正直だという考え」に言及した。多くの人は、典型的なアメリカの弁護士とは、不道徳であるか、あるいは道徳に無頓着であると考えている。
 弁護士は、しばしば依頼者の視点から事実をねじ曲げてみる。公衆は、法制度を正義に奉仕するためのものであると期待するのに対し、弁護士は「誰にとっての正義か?」と問い、何よりも依頼者の視点からみた正義を実現するという自らの義務を指摘する。
日本の弁護士の一人として、これは違うぞと私は叫びたくなります。
 弁護士は、決して故意に裁判所に対する偽もう行為に関与することがあってはならない。しかし、刑事弁護人は、その承認が真実を語っていると知っているときでも、「検察側の主張する真実をテストするために利用可能な合法的な手段すべて」を使用しなければならない。
 1960年代初め、50人以上の弁護士を擁する法律事務所は、ほんの数えるほどだった。30年後、このサイズの法律事務所は500をこえた。1978年には、300人をこえる弁護士を擁するアメリカの法律事務所は一つであり、200人以上は15ほどだった。1996年までに、200人の弁護士を擁する法律事務所は161となった。
 1970年代の後半、上位100の大規模法律事務所の多くは単一の大都市に単一の事務所を構えていた。そして、同じ州のどこかに臨時の出先機関をもっていた。1997年には、最大のベイヤー・アンド・マッケンジー法律事務所は国内に9ヶ所の事務所を構え、海外にはサウジアラビア、ベトナムからカザフスタンまで47の事務所をもつに至った。他の30の法律事務所は500人をこえる弁護士を擁し、平均して、全世界に12の事務所を構えていた。
 スラップ訴訟とは、公衆の参加を断念させるために戦略敵に提起される訴訟のこと。この訴訟は大企業によって提起され、十分に資力のない人を相手どって巨額の賠償を請求する。この訴訟は被告側の防御費用が多額になるように考案される。この訴訟は提起する側の利益を想定していない。この種の訴訟の80~85%は結果として敗訴する。しかし、多くのケースで、被告側が費やす時間と費用の点で、そして被告と第三者の言論の自由に及ぼす萎縮効果によって損害は生じている。
 日本でも、かつての巨大サラ金の武富士がフリージャーナリスト相手に起こした訴訟がこれにあたりますね。
 アメリカでもっとも裕福な法律事務所の一つである370人の弁護士を擁するクラバスは、パートナー弁護士の一人あたりの年間総売上は250万ドル以上であり、パートナー弁護士一人あたりの平均利益は100万ドルを超えている。また、250人の弁護士を擁するウィルマー・カトラーでは、パートナー弁護士一人あたりの総売上は100万ドル以上であり、パートナー弁護士一人あたりの実利益はその半分の50万ドルである。25歳の新人弁護士でも、年俸8万5000ドル。初任給7万500ドルの弁護士の労働について、1時間あたる150ドルを依頼者に請求するので、事務所にとって30万ドルの価値がある。
 年間1800時間という請求可能時間のノルマを達成するためには、自分自身を殺さなければならない。
 アメリカの弁護士の10%、8万人から10万人が企業のなかで働いている。
 最高の法廷弁護士は誰でも、役者として法廷では、少しばかりの人間性を示すのが重要な意味をもつことを意識している。法廷弁護士の多くが、服装が弁護士像を形づくることに同意する。
カーター大統領は、1978年にこう言ったそうです。
 弁護士の9割は人民の1割に奉仕している、私たちはあまりに多くの弁護士をかかえながら、十分に弁護の恩恵を受けていない。ロースクールは、アメリカの大学にとって利益のあがる事業体である。
 カネと権力のすべてを手中に収めながら、弁護士自身は、今日ほど、その専門職に満足していない時代はない。
 こんなアメリカ、そして弁護士にはなりたくないと思った本でした。
(2012年7月刊。2200円+税)

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2013年3月13日

なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか

アメリカ

著者  ロメオ・ダレール 、 出版  風行社

 著者はカナダの軍人として、ルワンダに駐留していました。
 運命に委ねられ、なぶり殺しにされた何十万ものルワンダの人々に捧ぐ。
 この本のはじめに書かれている言葉です。なるほど、目の前で無数の罪なき人々が当局に煽動されて暴徒化した人々によって虐殺されていくとき、精神がおかしくならないはずはないでしょうね。
 そして、著者はこの本を「私の命令に従って平和と人間性のために勇敢に死んでいった15人の国連軍兵士に捧」げています。著者はルワンダから帰国したあと、外傷後ストレス障害(PTSD)にかかったのです。
 1994年にルワンダに起きたこと。裏切り、失敗、愚直、無関心、憎悪、ジェノサイド、戦争、非人間性、そして悪に関する物語だ。
 カナダに帰国してから気力、精気を取り戻すまで7年も要した。
 アメリカ、フランス、イギリスなどの国は何もせず、すべてが起こるのをただ傍観していた。部隊を引き上げる、そもそも最初からまったく部隊を派遣しなかった。
 ラジオは、聴衆にツチ族を殺すように呼びかけ、穏健派のフツ族の死を求め、彼らを裏切り者と呼んだ。この声明は、人気歌手の録音された音楽とともに流された。その音楽は「フツが嫌いだ。フツは嫌いだ。ツチを蛇だと思っていないフツは嫌いだ」といった歌詞で、暴力を煽りたてるものだった。
 マスコミを握って煽動すると、フツーの人々が鉈(マチェーテ)をもって人を簡単に殺すようになるのですね・・・。これは日本だって決して他人事(ひとごと)ではありません。
 マスコミの一致した消費税増税、TPP参加、比例定数削減キャンペーンは本質的には同じようなものではありませんか。生活保護バッシングにしても同じです。怖いです。
 どの国連機関のある敷地にも、恐怖にかられたルワンダ人が何千人も囚われていた。虐殺は自然発生的な行為ではなかった。それは、軍・憲兵隊、インテラハムウェ、そして公務員を巻き込んで周到に実行されたものだった。
 ルワンダで金もうけし、多くのルワンダ人を召使いや労働者として雇ってきた白人が、彼らを見捨てた。そこには自己利益と自己保存があった。
 アメリカ、フランス、イギリスに率いられたこの世界がルワンダでのジェノサイドに手を貸し、そそのかした。いくら現金と援助を積んでも、決してこれらの国の手に染みついたルワンダの血は落とせない。
 これは痛切な叫びです。厳しく「人道的」大国を糾弾しています。ルワンダに天然資源があったら、これらの国も、もっと真剣に軍隊を派遣していたことでしょう・・・。
 アメリカ(ペンタゴン)の判断は、ジェノサイドによって、1日に8000人から1万人のルワンダ人が殺されていても、その生命には高い燃料代を払ったり、ルワンダの電波を妨害したりするほどの価値はないということだ。
死者の数は4月来に20万人と見積もられていたのが、5月には50万人となり、6月末には80万人に達した。
 ルワンダのネズミは今やテリアと同じサイズにまで肥大化した。ネズミは無尽蔵に供給される人間を食べたり、信じられないサイズにまで成長したのだ。
 飢えた子どもたちは生のトウモロコシを食べた。ごつごつした粒は、子どもたちの消化器官を傷つけ、内出血を起こした。子どもたちは、それが原因で腸から出血して死んでいった。
 誰もがジェノサイドで誰かを亡くしていた。紛争前の人口の10%近くが100日間に殺害された。少なくとも1人も家族を失わなかった家族はほとんどなかった。ほとんどの家族がもっと多くの人を失った。
ルワンダで生き残った90%の子どもたちは、この期間に自分の知っている人間が暴力的な死を迎えるのを目の当たりにしたと推定されている。
 ルワンダの悲劇をくりかえしてはならないと思いました。それにしてもアメリカ、イギリス、フランスの御都合主義な「人道支援」には、言うべき言葉もありません。
          (2012年8月刊。2100円+税)

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2013年3月12日

政治学入門

社会

著者  渡辺 治 、 出版  新日本出版社

いまの日本の政治をどうみたらよいのか。的確な分析に目を開かせられます。
 鳩山由紀夫は、岡田克也や菅直人らと比べると、支配階級としての自覚が薄い。そのため、鳩山は構造改革政治を止めてほしいという国民の期待に応え、さしたる自覚もないままに保守政党の枠を踏み破り、民主党への熱狂を生んだ。ところが、これに焦った財界やアメリカが猛烈な圧力をかけてきた。
 鳩山は、他の政治家に比べて人一倍、事態に対する甘い見通しにもとづいて行動し、アメリカの「善意」にも甘い期待を寄せ続けた。
 鳩山が「無自覚に」保守の枠を踏み出したのは、選挙めあてにつくられたマニフェストの実現に向けてこだわったこと、運動の声にある程度は向きあう感性をもっていたから。
アメリカと財界の猛反発を受けて、鳩山政権は動揺し、ジグザグの道を歩みはじめた。人々は、当然のことながら鳩山の動揺に怒り、あるいは嘲笑した。しかし、のちの菅直人や野田義彦のすばやい新自由主義復帰、軍事同盟回帰より、鳩山の動揺・逡巡のほうが、はるかに「良質」だった。
 この点は、私もまったく同感です。いつだってアメリカと財界のいいなりの政権って、あまりにも情けないでしょう・・・。
菅直人は言葉の正確な意味で「権力主義者」である。これに対して、小沢一郎は権力主義者ではない。中曽根康弘も小泉純一郎も同じように権力主義者ではない。彼らには、支配階級の政治的代表として実現すべきかなり明確な政治目標があり、権力奪取と維持は、その手段とみなしている。
 これに対して菅直人は、権力の地位、つまり首相の獲得・維持が一貫した目標となり、政策やイデオロギーは、その手段でしかない。
 みんなの党の得票増をもたらしたものは、民主党支持者であった大都市の大企業中間管理職層、ホワイトカラー層を吸収したことによる。
自民と民主という保守に大政党の地盤沈下が始まっている。この二大政党あわせて7割というお風呂が揺らいでいる。しかし、その不信層は、まだ共産党や社民党のお風呂にはいけない。それを新党が吸収し、保守のお風呂をこわさないという役割を果たした。
現代の巨大メディアは、言論機関であると同時に、巨大企業体としての性格をもっていて、この二つが矛盾したときには、経営体の論理が優先することが多い。
 マスコミ幹部には、構造改革と軍事大国化を通じて、大企業本位の日本を構築しなければ日本の浮上はあり得ないという合意が保守支配層内で強固に形成されており、「常識」として根づいている。
 マスコミの記者たちは、昇進・昇格していくなかで、言論人である前に企業人となり、企業指導部の報道方針を忖度(そんたく)し、それに反しない報道を心がけるようになる。
 野田政権になったとき、民主党の変質は完了した。野田は、鳩山のように、国民の期待に応えたいという野望も、菅のように権力に固執し、そのために「国民世論」に乗っかることを辞さないという執念もない、この二人と比べた野田の特徴は、保守支配層とくに財界の意向にひたすら忠実という点にある。その点では、菅と同じように何らかの思想など持ちあわせていない。このような人を首相にしてしまった日本は不幸だったと言うしかありませんね。
 橋下徹は本能的に新自由主義の2つの手法を駆使している。一つは、ねたみの組織化による分断の政治。新自由主義は、その被害者を相互に対立させることで矛盾の爆発を抑えようとするが、橋本は、この点について「天才」である。もう一つは、国民投票型権威主義というべき手法。「参加による同意」の調達。選挙で勝って「自紙委任」を取りつけたとして新自由主義を強行するやり方。この二つの手法によって、橋本はいま全国政治に打って出ようとしている。
 許せませんね。ひどいものです。小泉のときと同じです。
一度目は悲劇として、二度目は茶番として・・・。これはマルクスの有名な言葉です。寸鉄、人を刺すという言葉を思い出しました。
 政治学入門となっていますが、本当に目を開かされるところの多い本として、一読をおすすめします。
(2013年2月刊。1500円+税)

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2013年3月11日

織田信長

日本史(戦国)

著者  池上 裕子 、 出版  吉川弘文館

織田信長研究の最新到達点を明らかにした本です。といっても、それほど目新しい内容があるわけでもありません。
 信長は美濃を平定して上洛の条件がととのったとき、「天下布武」の印判を用いはじめた。永禄12年(1569年)、元亀元年(1570年)のころ。この「天下」は、日本全国を意味するものではない。京都に隣接する諸国と五幾内のこと。
 元亀3年(1572年)9月、信長は比叡山焼討ちを敢行した。山下の坂本から根本中堂をはじめとする山上へと放火・殺戮を尽くした。3,4千人は伐り捨てたという。
 この比叡山焼討ちは、古い体制を象徴する宗教勢力を否定するという目的のために破壊・殺戮したのではない。信長に味方せず、敵方を利して、信長を窮地に陥れたから、敵を徹底的に破壊する信長流の報復戦をした。もちろん、そこには計算があった。天皇と都の鎮護を担って公武の手厚い保護を受け、信仰の対象でもある比叡山でさえ容赦なく攻め滅ぼすというメッセージである。これを見て、わが身の存続をひたすら願う天皇・公家らは信長の機嫌を損ねないように努めるしかないと考えた。
 信長は比叡山を焼討ちし、本願寺と戦い、寺院勢力を自己のものに服属させようとした。しかし、仏教を否定したわけではない。
天正3年(1575年)、信長は積極的に朝廷官位の中に身をおく道を選んだ。11月4日、昇殿して徒三位権大納言に叙任され、7日には右大将に任じられた。かつて、源頼朝も武家政権の樹立にあたって権大納言と右大将に任じられている。すでに指摘されていることだが、信長はそれにならったと思われる。
 信長は天皇・朝廷を否定せず、それから官位に叙任される形をとり、天皇・朝廷を支えてきた公家寺社に新たに知行地を与えて、その経済基盤を保障する政策をとった。
 信長は朝廷を否定しなかった。天皇・公家も寺社関係者も信長に願いはするが、信長の機嫌を損ねないように気配りをかかさないし、天下の構成要素になっている。彼らは信長にとって何の障害にも不利益にもならないどころか、利用価値があった。信長は彼らを温存し、利用して天下静謐を実現しようとした。彼らを否定して、あるいは彼らから完全に独立して政権を樹立できるとは考えていなかった。
 信長の築いた安土城の最上階の七重目(6階)は、三間四方の狭い空間であるが、徳のある理想的な皇帝・学問の世界を代表する孔門十哲、知徳を備えながら世俗の利益・名誉を求めない賢人、これらをみずからの居所の最上階に配し、聖なる空間とした。信長の王権構想は、日本と天皇とを超えんとするところにあった。
 信長は中国を強く意識し、中国的世界をとりこみつくろうことで、天皇と将軍とは異なる地平に立つことを示そうとした。
 信長は天皇を安土に行幸させ、この御幸の間に迎えようとした。それが信長の居所である天主よりずっと低い所に建てられたことに意味がある。平地の少ない山に天主を頂点にヒエラルヒを明示する目的でもって築かれた安土城は、天皇にも天主を仰ぎ見せようとしたもの。
 信長の本心では、実質的に自己を天皇の上に置いていた。信長は、安土城と城下町を描かせた屏風を、見たがる天皇の求めには応じずに、宣教師ヴァリニャーノに与えた。自らの偉業をヨーロッパ世界に知らしめたいと考えたのだ。
 私と同じ団塊世代の著者の手になる本です。信長の全体像をコンパクトに知ることができる本です。
(2012年12月刊。2300円+税)

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2013年3月10日

司法修習QUEST

司法

著者  赤ネコ法律事務所 、 出版  新書館

司法修習生の生活実態がマンガで紹介されています。
 現役弁護士の手になるマンガですので、そこに描かれている情景にほとんど間違いはありません。リアルなマンガに、つい笑ってしまいます。でも、内容はかなりシリアスです。
 ふだん私が読むマンガと言えば、新聞の4コマ、マンガです。秀逸なのは、なんと言ってもオダ・シゲ氏でしょうね。かつては、サトウ・サンペイがすごいと思っていました。まんまる団地は、どこでもある日常的な情景がよくぞマンガでとたえられていると思って、毎朝の楽しみです。くすっと笑えるところがいいですね。最近読んだマンガ本では、『ちいさいひと』、そして『ヘルプマン』がすごく勉強になりました。
 私は、新人弁護士には、いつも『家栽の人』と『ナニワ金融道』を必須文献として推奨しています。弁護士も実はなかなか硬い本を読みませんから、せめてマンガ本くらい読んでほしいという願いがあります。今どきの若手弁護士は少なくない部分が新聞すら読んでいないし、購読していません。インターネットで十分というのですが、それでは情報が片寄る(偏る)のですが・・・。自分の趣味・志向にあわせた情報にだけ目が向きがちです。
 司法修習生のとき、それまでの本の世界から初めて現実に直面します。そのとき、経験ある先輩の手ほどきが必要になります。私は、この時期に大いに世話役活動をしなさいねと言っています。わがまま勝手の人間集団の世話役として苦労していると、それが弁護士になったときに生きてきます。人間は、誰だって複雑な存在です。とても一筋縄では処理できません。
 それを自ら体験して実感しておくと、あとで必ず生きてきます。机上の空論がいかに得意でも、それでは食べていけません。
この本には就職難のことが面白おかしく紹介されています。もちろん、それは現実です。でも、もう少し、大都会志向から目を転じてほしいと常々私は思っています。
 同時に、受け入れ側の弁護士にも安定志向が強すぎます。若い人たちと苦難をともにするという覚悟が今こそ求められていると思います。
 よく出来たマンガでした。
(2013年1月刊。740円+税)

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2013年3月 9日

日本統治下の台湾

日本史(現代史)

著者  坂野 徳隆 、 出版  平凡社新書

この本を読んで、そうだった、台湾は戦前、日本が植民地として支配していた人だった、と思い出しました。
 ちっぽけな島国・日本が朝鮮半島のみならず、ロシアや中国に向けて侵略戦争を次々に仕掛けていったことは、私の頭のなかでしっかり認識していたつもりでした。ところが、そのとき、台湾のことがスッポリ抜け落ちていたのでした。
 この本には、戦前の台湾にいて新聞風刺漫画を描いていた国島水馬(すいば)の手になる漫画をもとに、現代日本人に侵略戦争について語り明かしてくれます。
 それにしても、小さい島国である日本が台湾を植民地にしてうまくいくなんて、本気に思っていたのでしょうか、大いにギモンです。
 そして、1930年(昭和5年)10月27日に有名な霧社事件が起きました。台湾の中央部に位置する山里の公学校で行われていた運動会のグラウンドに原住民が蕃刀や銃を持って乱入し、駐在所の警官をはじめとする日本人134人(霧社在住者の半分以上)、そして日本人と間違えられた台湾人2人が犠牲となった事件です。
 この霧社事件のあと、台湾の山地や原住民周辺における警察力は大幅に増強され、原住民の叛乱はなくなった。
 この事件のあと、親を日本人に殺された霧社の原住民の若者たちは、血判状を書いてでも日本軍兵士として太平洋戦争に参加を欲するなど、日本の皇民化政策によって洗脳されてしまった。
 戦前の日本軍占領下の台湾の様子がマンガで紹介されている貴重な本だと思います。
 そして、戦後、今度は中国本土から蒋介石の国民党軍が中共軍に敗退して渡ってきて、戒厳令を敷いたのでした。これは、なんと40年近くも続き、世界最長記録でした。
 1987年までに没獄・処刑された反政府活動家は20万人以上という苦難の時代が続きます。この点は、もちろんマンガで紹介されていません。
(2012年12月刊。780円+税)

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2013年3月 8日

東電OL事件

司法

著者  読売新聞社会部 、 出版  中央公論新社

1997年3月、東京電力の総合職社員(女性、39歳)が渋谷の円山町で殺害された。犯人としてネパールから日本へ出稼ぎに来ていたゴビンダが逮捕され一審の東京地裁は無罪としたものの、2審は逆転有罪そして最高裁も有罪判決を維持して確定した。2003年11月のこと。
ゴビンダ受刑者は再審請求したが、その手がかりとなったのがDNA鑑定。
 1997年は、DNA鑑定の過渡期だった。鑑定の精度は上がってきていたが、今のようにコンピューターでDNA型の判定はできず、肉眼で判定していた。
 DNA鑑定技術は、1989年には、別人と一致する確率は200人に1人だった。
 1996年には、PM型検査によって2万3000人に1人と精度が上昇した。
 2003年に、STR型検査法によって1100万人に1人と、飛躍的に精度が向上した。
 2006年には、STR検査法がさらに、それまでの9ヶ所から15ヶ所のDNA配列を調べるSTR型検査法に変更されて、4兆7000億人に1人となった。これではほとんど100%の精度である。このように刑事事件におけるDNA鑑定の歴史は、まだ30年足らずしかないが、この30年で飛躍的に精度が高まった。
 被害者は、手帳に売春相手の使命、会った時間、受けとった金額などを克明に記録していた。いかにも日本人ですね。なんでも記録するのですよね。
 ネパール人は、正規ルートで海外に出稼ぎに出ている人だけで230万人。把握できる人だけでも全人口の10人に1人近くが海外で働いていることになる。9割以上が、カタール、UAE、クウェートなど、オイルマネーに沸く中東地域やマレーシアにいる。収入は日本円にして1~2万円。それでもネパールにいるときよりははるかに大きい。若者による出稼ぎは、ネパール経済を支える主力産業だ。
 再審の扉をこじあけて無罪となったゴビンダは、今、ネパールの自宅で家族と生活をともにしています。それにしても15年間も獄中にいたわけです。
最新のDNA鑑定の威力とあわせて、それまでの精度の低さに改めて驚嘆させられました。
(2012年11月刊。1400円+税)

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2013年3月 7日

死の淵を見た男

社会

著者   角田 隆将、 出版  PHP

あの3.11のとき、福島第一原発の所長として死を覚悟した吉田昌郎氏のインタビューが本になりました。そのすさまじさに圧倒されます。吉田所長たちが死を覚悟したとき、日本は3分割される危機が間近に迫っていたのです。それを今の私たちは早くも忘却の彼方に押しやっている気がしてなりません。
日本は、あのとき、3つに分かれるぎりぎりの状態だった。汚染によって住めなくなった地域と、それ以外の北海道そして西日本の三つである。
 このとき、東京は汚染によって住めなくなった地域に入っています。ということは、日本は中枢がなくなるというわけですから、北海道と四国・九州の2つしかないということですよね。中部・関西だって汚染地域に入っているんじゃないでしょうか・・・。いえ、これって単なる架空の絵空事ではありませんよ。もっと原発事故の恐ろしさを私たちは改めて再認識すべきです。
 そして、もう一つ。北朝鮮「脅威」論を右翼・保守があおりたてています。しかし、彼らは決して、原発がテロのターゲットになったらどうなるかということは言いませんよね。
 日本だけは「テロの対象」になりえない。あるいは、日本では原発がミサイル攻撃を受けるはずがないという、幼児的とも言える楽観的志向にみちみちている。しかし、それは原子力行政にある指導者(為政者)として、あるいは実際の原子力事業にあたるトップとして「失格」である。
 ホント、そうですよね。「電力不足」どころの話しではありませんよ。
 吉田前所長は、3.11のあとがんを患い、また脳内出血をして病気入院中(のようです)。やはり3.11からの尋常ならざるストレスが身体をボロボロにしてしまったのでしょうね。
 日本列島の3分割を救った人として(東電幹部として原発推進した責任はあるにしても・・・)、顕彰の対象になる人物だと私は考えています。
 3.11のあと免震重要棟には600人もの人が残っていた。技術系以外の人を対比させたあとも60人ほどが残った。東電本社が「全員退避」の方針をうち出した(東電は否定)のを知って、菅首相(当時)は烈火のごとく怒った。
菅首相は日本がダメになるという危機感を抱いていたのでしょうね。ヘリコプターで福島第一原発に乗り込んで、怒鳴りまくったようです。焦りは分かりますが、一生けん命に身を挺して働けている人たちに怒鳴ってもしょうがありませんよね。菅首相(当時)の人間としての幅の狭さを如実にあらわしているエピソードです。
 決して忘れてはいけない原発の怖さを後から追体験した気分でした。
(2012年12月刊。1700円+税)

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2013年3月 6日

建設業者

社会

著者  建設知識編集部 、 出版  エクスナレッジ

建設現場の実際について、大変勉強になる本でした。知らなかったことがたくさんあり、大いに目を開かされました。
 鉄骨鳶(トビ)は、一日の仕事を終えて現場から帰るときは、自分の足跡を一つ残らずホウキで掃いて消してから帰る。そこまでやらないと、本当にいい仕事をしたとは言えない。そこまで思いやれるようになって初めて、その人間は現場から信頼される職人になる。
たとえば、20年やっている職人と5年しかやっていない職人が一緒に仕事をするときは、必ず20年目の職人が5年目の職人のレベルに合わせてやる。そうすると、下の職人も自然に下の職人に思いやりを持つようになる。常日頃から、こういうコミュニケーションが大切。
現場の職人が互いに思いやりを持って仕事ができなくなったら、とたんに転落や打撲やら、事故が絶えなくなる。 思いやりをもったコミュニケーションこそが最高の安全対策になる。
 クレーンオペレーターは相手の言うとおりにしていたら事故につながるかもしれないと思えば、たとえケンカになってでも、その頼みは断る。そういう意味での決断力を常に意識しておかないといけない仕事だ。
職人の腕の良し悪しは、すべて段取りに出る。段取りの悪さは致命的だ。子どもに見せられる仕事はいいものだ。
2階以上の深さのある地下なら、たいていどこか下から地下水が染み出してくるもの。コンクリートを打ち継いだ目地やコールドジョイント(接着不良)の部分からジワーっと・・・。
 そこで、防水工の仕事は、まず水が染みている部分のコンクリートをはつって(削り取って)、その出所を突きとめる。次に水に反応して膨張する発泡ウレタンをその出所に注入する。あとは、その上に止水セメントを盛って塗布防水剤を塗れば完了である。
 優秀な職人というのは必ず2つの共通点をもっている。一つは段取りがいいこと。親方から言われたとおりにやる人はダメ。臨機応変、その場に応じた発想ができる人でないと現場はまかせられない。もう一つは、下地をきっちり作れること。うまい人は、仕事に対する欲がある。もっとよくしたい、もっと仕事について知りたいという探求心がある。
 現場には、自然にできあがった職人のランクみたいなものがある。大工がいて、左官がいて、それから鉄筋工、型枠工がいて、設備はずっと下。下の方から数えた方が早い。
 屋根まわりの板金なら、基本的には水が流れたいように流れさせてやることが大切。屋根でも庇でも、水が自然に流れない設計は、いつか必ず漏水を起こす。
 ウレタンを壁に均一に吹きつけるには、その日の気温、現場の階数(高さ)、延ばしたホースの長さ、吹きつけるスピードなど、ありとあらゆる要素をふまえて発泡期の状態を調整しないとできないこと。ウレタンって、非常にデリケートな材料なのである。
 階上解体。建物の上の階から解体機で解体しながら一階ずつ地上まで降りてくる工法のこと。鉄筋がしっかり入っていない建物は、解体機を床の上に安心して載せられない。いわゆる手抜き工事が発覚すると、この仕事は難しくなりそうだと覚悟する。頑丈つくってあれば、私たちも安心して壊すことができる。
 やはり、職人芸には学ぶところがたくさんありますね。
(2013年1月刊。1400円+税)

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2013年3月 5日

三重スパイ

アメリカ

著者  ジョビー・ウォリック 、 出版  太田出版

アメリカ映画『ゼロ・ダーク・サーティー』をみました。深夜0時半を意味する言葉です。アメリカ軍の特殊部隊ネイビーシールズが2011年5月1日、パキスタンに潜んでいたビン・ラディン邸宅を急襲し、ビン・ラディンを殺害した事件が映画化されたというので、さっそくみてきました。
 アメリカという国は、本当に野蛮な国だとつくづく思います。よその国の主権を踏みにじっても一向に平気なのです。しかし、それにしてもアメリカのすごいところは、いわばアメリカの恥部が堂々と映画化されるところです。CIAの女性調査官がCIAから裏切られ、CIAとたたかう話も映画化されました(『フェア・ゲーム』)し、FBIの捜査官が実はソ連のスパイをしていた(『アメリカを売った男』)というのも映画になりました。
 それはともかく、この『ゼロ・ダーク・サーティー』のなかに、2009年12月30日、アフガニスタンのCIA基地でアルカイダのヨルダン人医師の自爆テロによってCIA要員7人が即死するというシーンが登場します。この事件はオバマ大統領にも大変なショックを与えたようで、この事件の後は無人機を活用するように変えたといいます。
この映画では、ビン・ラディンの所在をCIAが追いかけて10年間、何の成果も上げられなかった苦労がずっと紹介されています。アルカイダの人間を捕まえて拷問にかけるのですが、しまいには拷問したCIA要員のほうが心を病んでしまうのです。
パキスタンやアフガニスタンの町の様子が紹介されます。たくさんの人々であふれかえって活気のある町です。軍隊と兵器だけでアメリカが勝てるわけはないと確信させる映像です。無人機をつかってアルカイダの幹部を殺害したり、ビン・ラディンを殺しても、第2、第3どころか、第100、第1000、どんどん次から次に代わりの活動家が生まれることでしょう。人を殺したら、その反作用があることを一刻も早くアメリカは悟るべきだと思います。
 2時間半という長い上映時間でしたが、最後まで身を固くしてスクリーンに釘付けになりました。だから、肩がこりました。
12月30日、パキスタンのCIA基地の司令官は45歳の女性だった。それにCIA屈指のターゲッターが一緒にいた。ターゲッターとは、テロリストの隠れ場所を発見し、追跡するエキスパートで、CIA暗殺部隊に目ざすべき場所を教えるのが仕事だ。
CIAのパネッタ長官はジレンマに陥っていた。CIAのミサイルは標的を片づけていくが、それだけでは十分ではない。司令官が殺されれば、また代わりが現れる。しばしば前の者より若く、さらに過激な思想を持ち、世界に打って出る野心を燃やす司令官が登場する。アルカイダは、そうした状況に適応している。地域のさまざまな部族組織のなかでアルカイダに従おうとする者たちがネットワークを広げていく。その一方で、アルカイダの頂点に立つ指導者は、安全な隠れ場所にいて、全体の戦略を立てる。
 アフガニスタンには、CIAの資金で創設された対テロ追跡の特殊部隊がある。訓練はCIAの特殊活動部が担当する。活動領域はアフガニスタンの東半分で、兵士の数は3000人。パキスタン生まれとアフガニスタン生まれのパシュトン人の混成国なので、部族の衣装を着て国境を越えて情報収集、テロリスト容疑者の拘束・暗殺をする。
 この本で自爆テロを敢行したヨルダン人医師はCIAのスパイになったふりをしていたようです。アルカイダのほうが、この医師をCIAのスパイとしてアルカイダの上層部に食いこんでいると仕掛けていたというのですから、何事も一筋縄ではいかないということです。
 CIA基地にやって来て、アルカイダのことを教えてくれるものと思ってCIA幹部たちが16人も出迎え、7人が即死したのでした。覚悟の自爆では防ぎようもありません。
 まさしく泥沼の世界です。憎しみが憎しみを生んで、報復の連鎖が続いています。
ペシャワールでがんばっている中村悟医師のような取り組みこそ応援したいものだと思いました。
(2012年12月刊。2300円+税)

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2013年3月 4日

スズメの謎

生き物(小鳥)

著者  三上 修 、 出版  誠文堂新光社

日本では町内にいるスズメが、ヨーロッパでは林にいる。ヨーロッパの町内にいるのはイエスズメ。ヨーロッパの人はイエスズメをスズメという。
 スズメの重さは25グラム。卵1個の重さは60グラムあるから、卵よりもっともっと軽い。
 鳥をじかに触ってみると、とても温かい。鳥の体温は40度くらい。
スズメは、人がいるところを利用して天敵に襲われないようにしている。人がいないところにはスズメはいない。これって不思議ですよね。人間をとても警戒しながら、人間と共生しているのですから・・・。
 巣立ったヒナは、一度巣立てば巣に帰ってくることはない。スズメ(母鳥)は、全部の卵を産み終えてから卵を温めはじめる。すると、ちょうど同じころにみんなが孵化する。そして、母鳥のお腹の羽は抜けて、皮膚で直接、卵を温める仕組みになっている。
 卵を温めて2週間すると、ヒナが卵からかえる。親鳥がヒナに与える餌は昆虫と植物。とくに昆虫を運んでくる。タンパク質をたくさん与えるため。
生まれたばかりのヒナは2グラムなのに、2週間で10倍の20グラムになる。植物の種子(タネ)をよく与える。巣立ったヒナは1週間ほど親鳥と行動をともにする。親鳥のあとをついてまわり、エサをもらったりして、エサのとり方や、何が危険なのかを教わる。
 ヒナが自分で行動できるようになると、親鳥は、次の巣づくり、子育てを始める。春の頃は、昆虫がたくさんいるから、子育ての季節。1年に2回から3回、子育てをする。春にたくさんの子スズメが生まれ、秋から冬にかけてスズメたちは減っていく。天敵に襲われたり、冬の寒さに負けて死んでいく。体が小さいだけに体が冷えやすく、寒さに対してより弱い。
 スズメのヒナの声は、シャリシャリシャリという声。こんど気をつけて聞いてみることにしましょう。
 スズメは減っているし、スズメの子も少なくなっている。30年前までは5羽の子スズメも珍しくなかったのに、今では子スズメは1羽から2羽になってしまった。スズメが減っているのは、スズメが巣をつくれる場所が減っていることにもよる。
 スズメが減ると、稲の害虫や雑草の種を食べてくれるスズメが減ることになり、農業に打撃を与える。そして、スズメを食べるチョウゲンボウやツミなどのタカの仲間のエサが減るため、町内からチョウゲンボウなどがいなくなる心配もある。
 たしかに、我が家のスズメたちも減ったことを実感しています。
 庭にせっせと硬くなったパンくずをまいているのですが・・・。
(2012年12月刊。1500円+税)
 左肩がしびれる感じがしたり、首がこったりしますので、娘にお灸をしてもらっています。リンパの流れがとどこおっていると指摘されました。毎日、人の悩みに真剣に向きあうなかで、ストレスが身体のなかにこもらないような工夫が必要です。
 ストレス発散になるのが、孫の写真です。いまはスマホで動画つきで長男が送ってくれます。赤ちゃんの動作って、本当に心が癒されますよね。そして、孫が私に似ていると言われたら、なおさらです。うれしい限りです。

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2013年3月 3日

会えて、よかった

社会

著者  黒田 清 、 出版  三五館

奈良で活躍していた、私と同じ団塊の世代の高野嘉雄弁護士(故人)が、依頼者となった少年たちに読むようにすすめていた本です。私も読んでみました。
 25人の生いたちが語られ、紹介されていますが、いずれも心を打つ話でした。
 著者も亡くなられましたが、はしがきの言葉も素晴らしい。
書きながら、深い感動に包まれて涙があふれてくるときもあった。書き手がそうなのだから、おそらく読まれるあなたも、どこかで耐えきれなくなり、涙でほほを濡らされるに違いない。だから、この本はできることなら電車のなかなどで読まず、一人いるところで心静かに読んでほしい。人間はどんなにすばらしいものなのか。人間は、どんなに悲しいものなのか。私たちは、そのことを繰り返し感じるべきなのである。
 今の世の中には、いわゆるシラケ状況が満ちていて、感動したり、涙を流したりするのは恥ずかしいことのように思われがちだが、もちろん、そんなに思うことのほうが浅薄なのである。
 ここには、いろんな人がいて、それぞれに人生のうたをうたっている。それは勇気のうたであり、母のうたである。平和のうたであり、生命のうたであり、別れのうたである。
 心から感動せずして、涙を流さずして、すばらしいこの世を生きたというなかれ。感動と涙で心を洗われたあなたは、そのあと一生をそれまでと違った価値観で生きていけるようになるだろう。
 すべて実話というのがいいですね。単なる想像上の話ではなく、現実に生きている人の話だと思うと、よけいに勇気、生きる元気が湧いてきます。
 いい本をありがとうございました。素直に頭が下がります。
(2005年8月刊。1165円+税)

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2013年3月 2日

僕の死に方

人間

著者  金子 哲雄 、 出版  小学館

私はテレビを見ませんので、流通ジャーナリストとしてテレビによく出ていたらしい著者を見たことはありません。
 41歳で肺がん(肺カルチノイド)でなくなった著者が死の間際まで書き続けた本です。壮絶な、しかし、さわやかに明るい読後感のある本になっています。
 バリバリ仕事をしていた著者が長くせきに悩まされ、顔にむくみが出て、病院で検査してもらったところ、「末期の肺がんです」と宣告されたのでした。
 肺カルチノイドは、治療法のないタイプ。肺だけではなくすでに肝臓や骨などにも転移していた。肺の中に9センチ大の腫瘍があり、気管を圧迫している。いつ死んでもおかしくない。肺を全摘出することになったら、生きていくことはできない。
女性週刊誌の中吊りをよく見ると、役に立つ。中吊りの見出しは、編集部の知恵を結集させた、言うなれば「言葉のエリート」のもつ、数もスペースも限られた中で、どんな言葉で読者をひきつけるか、中吊りの見出しは、だからこそ時代をあらわす最大公約数といえる。
 朝や昼のテレビワイドショーは、女性視点でつくられている。午前8時前そして午後10時以降のニュースは、男性視点から番組がつくられている。
 牛肉の値段の高い安いが、その地域の商圏の経済力を端にあらわしている。その地域の経済力が高ければ当然、高い肉が売れる。田園調布なら100グラム800円。庶民の町では、100グラム298円。100グラム800円の牛肉を食べる人は、マンションも3LDK、8000万円くらいに住む。スーパーのお刺身が3点盛り398円には意味がある。
 週刊誌350円のなかに、芸能、事件ニュース、生活実用の3点をバランスよく盛り込む。すると、お得に感じてもらえる。そうでないと、350万円では高いという反応が返ってくる。
 このところ、タイムセールの1パック98円の卵を買うために、10時開店のスーパーに朝8時から行列ができる。その多くは年金生活者。これは景気の悪い証拠。景気のいいときは、行列ができても、開店30分前。
この10年、治療費を支払えない患者が急増している。
 著者は、自分の葬儀を全部、自分で準備したのです。信じられません。
葬儀の準備を自分でするなんて、あまりにも淡々と自分の死を受けとめているように思えるかもしれないが、がん宣告のあとは動揺が続いた。ここまでの気持ちになるまでには、ずいぶん時間がかかった。高野山大学大学院に入学したのも、そのせいだ。
 生きるか死ぬかについて真剣に学びたかった。正しい死に方を勉強したかった。
 がん宣告後の1週間は、ひたすら泣いた。
 死の恐怖から救い出してくれたのは、仕事だった。
 そうやって著者は、最後までテレビやラジオ、そして全国をかけまわっていたのでした。
 最後に、通夜・告別式の会葬礼状を著者本人が書いています。ここまで用意していたのです。
 今回、41歳で人生における早期リタイア制度を利用させていただくことに対し、感謝申し上げる。
 とあります。ユーモアも忘れないところがすばらしいですね。死の前日の日付になっています。とても読みごたえのある本でした。
(2013年1月刊。1300円+税)
 朝、雨戸を開けると、水仙の白い花(真ん中に黄色)が庭のあちこちに咲いているのが目に飛び込んできます。そして、白梅が花盛りです。なぜか紅梅は見劣りしています。
 チューリップの芽がぐんぐん伸びています。春に近さを実感します。
 そんな春ですが、花粉症には日夜、悩まされています。目はかゆいし、鼻は詰まるし、ティッシュ・ペーパーが手放せません。
 今年1月からヨーグルト(BB536入り)を250グラムずつ食べていて、花粉症予防になると思ってがんばったのですが、今年も発症してしまいました。
 めげずに仕事を続けています。

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2013年3月 1日

ワルシャワ蜂起

ヨーロッパ

著者  梅本 浩志・松本 照男 、 出版  社会評論社

1944年8月、ポーランドの首都ワルシャワでナチス・ドイツ軍に対して決起したポーランド蜂起軍の63日間の死闘を紹介した本です。
 本の巻頭に当時の写真もたくさんあって、激戦をしのぶことができます。
 有名なショパンもポーランド国民なのですね。1931年にロシアのツァーリ・ニコライ皇帝に対してワルシャワが蜂起したのに同感の思いで「革命」を作曲しています。ショパンは同じく「軍隊」とか「英雄」も作曲しているそうです。
 1944年のワルシャワ蜂起において、地元レジスタンスが放送したのはショパンの「革命」だったのも当然のこと、
 ヒトラーは次のように言った。ひどいものです。信じられません。
 「ポーランド人は、とくに下級な労働者として生まれついている。ポーランドの生活水準は低く保つことが必要で、引き上げさせてはならない。ポーランド人は怠け者で、働かせるには強制を必要とする」
 「ポーランド知識階級の代表者たちは、ことごとく絶滅しなければならない」
 「ポーランドは植民地として扱う。ポーランド人は大ドイツ国の奴隷とする」
 モスクワ放送はワルシャワ市民に蜂起を呼びかけていた。ソ連軍は1日15キロの猛スピードでワルシャワに迫っていた。ポーランド国内軍の指導者たちはモスクワ放送を信じていなかったが、一般のパルチザン兵士や市民は、蜂起して1週間以内にはソ連軍が助けてくれるものと信じ込んでしまっていた。
 強力な火力をもつ敵(ナチス・ドイツ軍)との戦いで勝敗を決するのは、十分な士気だけでは足りない。武器・弾薬が必要。しかし、それが極度に不足していた。蜂起したとき国内軍(AK)が保有していた武器・弾薬は、3500人の兵士が3日も戦えば払底するほどのものだった。あとは、火焔ビンを頼りに戦わざるをえなかった。
 7月21日、ヒトラー暗殺未遂事件(ワルキューレ)を知ったAK総司令官・参謀長・参謀次長の3人はトップ会議を開き、原則としてワルシャワ市内で武装蜂起することを決定した。
ワルシャワ蜂起は、地下水道の戦いでもあった。地下水道を利用しての本格的都市ゲリラ戦である。ワルシャワ市の下水道管理担当職員が先導した。だから、犠牲者が128人にものぼった。
ワルシャワ市内では蜂起前から、亡命政権の行政活動が展開していた。少年・少女による郵便配達が始まり、スープ配給所や映画館も活動した。短波放送も始まった。
 実は、このワルシャワ蜂起軍に日本もいくらか関わっている。ポーランド人孤児救済の一環で日本にやってきたポーランド人孤児たちがいた。1回目は1920年7月20日、375人。2回目は1922年8月に390人。彼らが22年後、ワルシャワ蜂起の中核的存在になった。イエジを隊長とするイエジキ部隊(孤児部隊)である。最大1万5000人、ワルシャワ地区だけで3000人を正規戦闘員として登録していた。そして、このイエジキ部隊を日本大使館が守っていたというのです。ドイツと同盟関係にあった日本がポーランド・レジスタンスを守っていたなんて、信じられません。
 ワルシャワ蜂起に参加した人たちの個人的な思いで話も収録されていて、その状況が生々しく、よく伝わってくる本でもありました。
(1991年8月刊。4000円+税)

 自宅に戻ったら、仏検の協会から大型封筒が届いていました。娘が近寄ってきて、「フェリシタション」(おめでとう)と言ってくれました。そうなんです。先日うけた仏検(準一級)の合格証書が送られてきたのでした。口頭試問は基準点21点に対して得点33点でした。美容整形に賛成か反対かというテーマでしたので、3分間スピーチは初めてちゃんとやれました。準一級の合格は、これで、4回目です。
 毎朝、NHKラジオ講座を聞き、CDで書き取りをしています。いまはフランス映画の監督や女優さんなどのインタビューですから、とても楽しいですよ。有名なトリュフォー監督の声も聞けました。
 フランス語をずっと続けているおかげで、世の中が少し広がったと実感しています。これからもボケ防止で続けるつもりです。

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2013年3月31日

幸せに暮らす集落

社会

著者  ジェフリー・S・アイリッシュ 、 出版  南方新社

鹿児島の限界集落に日本語ペラペラのアメリカ人が住んでみた体験記です。
 時間がゆったりと流れ、お年寄りが幸せに暮らしているさまがよく伝わってきます。文章もほのぼのとしていて幸福感がじんわりと伝わってきます。そして写真がまたいいのです。こぼれんばかりの笑みがあふれ、幸せそのものの美しい顔に心がなんとも惹かれます。
 ところは、薩摩半島の山奥。そこに土喰(つちくれ)という小さな集落がある。20軒の家と、たった27人が生活する。65歳以下は3人のみ。平均年齢は77歳。
 集落には有線放送がある。公民館に行って、チャイムを鳴らしてから放送する。各戸の「箱」から声がでる仕掛けだ。
土喰集落は江戸時代の半ば少なくとも240年前から存在している。7代前のこと。
 そして、アメリカ人の著者は薩摩川内市出身の彼女と結婚した。
 土喰集落には女性19人に対して男性は8人しかいない。
 著者は『忘れられた日本人』の著者である宮本常一の翻訳者でもあります。ハーバード大学そして京都大学で学び、現在は鹿児島国際大学の准教授です。
 南日本新聞に連載されて好評だったそうです。限界集落に住む老人は今や忘れられた存在となっていますが、実は、そこにも人間の豊かな営みがあったこと、人々が生き生きと活動していること、そして、人々はそこで枯れるようにして亡くなっていくことを教えてくれます。本当に大切な本だと思いました。
 こんないい本にめぐり会えると、ついうれしくなってしまいます。
(2013年1月刊。1800円+税)

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2013年3月30日

鷲たちの盟約(上)(下)

アメリカ

著者  アラン・グレン 、 出版  新潮文庫

舞台は第二次世界大戦直後のアメリカです。
 失業者がたくさんいて、ナチス・ドイツからゲシュタポが乗り込んできて、大威張りしています。知られざる不気味なアメリカ社会が描かれています。アカ攻撃が激しくなり、ハーバード大学の教授も職場から追放され、貧しい下宿人です。
 そして、主人公の警察官の自宅がいつのまにか地下鉄道の「駅」になっています。夫である警察官の了解なく妻が手助けをしているのです。もちろん、南北戦争のときの地下鉄道ではありませんから、脱走した黒人を北部に逃亡させるというのではありません。政府ににらまれた人々をカナダへ逃亡させようというのです。警察官の兄は労働組合の結成をはかろうとして逮捕され、強制収容所に入れられています。
 戦中に日系人の強制的収容所があったことは知っていましたが、労働組合活動家などを入れる強制収容所がアメリカにあったというのは、私には初耳でした。本当のことなのでしょうか・・・。
 まだ、アメリカはドイツと宣戦布告していません。ドイツとソ連がスターリングラードで市街戦をたたかっているという時代です。FBIがナチス・ドイツゲシュタポに協力して動いています。信じられませんが、これは恐らく本当のことなのでしょう。FBIの長官がフーバーだったころのことです。日頃はゲイを口汚くののしっていながら、実は自らゲイだったというフーバー長官です。
 ナチス・ドイツが逮捕・収容していたユダヤ人をアメリカ政府が買い受け、強制収容所でひそかに働かせていたという話が登場します。本当にそんなことがあったのでしょうか・・・。アメリカの闇世界ですね、これは。シカも、そこで働くユダヤ人は、ヨーロッパで抹殺されるよりも良いと満足していたと言います。
 アメリカは今カネを必要としている。アメリカは10年以上、この大恐慌から抜け出せずにいる。そういうときに、あのユダヤ人たちの労働力が輸出で稼いでいる。
 ナチスはユダヤ人なきヨーロッパを手に入れ、アメリカは格安の労働力を手に入れたのだった。
 下巻にたどり着き、その解説を読んで、ようやく、この本が歴史的事実をふまえつつ、それを改案した小説だということを知り、安心もしました。なんだ、なんだ、そういうことだったのか・・・。すっかりだまされてしまいました。人騒がせな小説です。
(2012年11月刊。1500円+税)

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2013年3月29日

原発報道

社会

著者  東京新聞編集局 、 出版  東京新聞

購読しているわけではありませんが、ときどきインターネットで記事を読んでいますが、世の中の動きを真正面から取りあげ、鋭く切り込んでいる記事が多くて、とても勇気づけられます。今や大手全国紙は、どれもこれも政府の広報誌になりさがってしまった感があります。消費税にしろ、TPPにしろ、また国会定数削減にしろ、声をそろえて政府の言っていることと同じですし、その後押しをするばかりです。
 原発報道もそうですよね。まだ「収束」したとはほど遠い実情にあるのに、それを知ったうえで、政府の「収束」宣言に加担してしまいました。
 マスコミは「原子力村」の有力な一員なのです。その状況下で、東京新聞は一人がんばっています。九州のブロック紙にも、もっとがんばってほしいと思いますが、九電の影響力が依然として強いようで残念です。
 この本は東京新聞の原発記事が総まとめにされています。問題の所在が一冊にまとまっていますので、本当に便利です。しかも、記事を再編成し、カラー図版を多用していますので、本当に分かりやすいのです。
 東電は原発について「絶対安全」なのだから、余計な対策はとる必要がない、このように高をくくっていたのでした。だから、今回の大災害はまさしく人災なのです。東電の経営者に刑事罰が課されるべきは当然です。
 そして、福島第一原発の1~3号炉のどれも今なお内部に接近することができません。あまりにも放射能が高すぎるからです。
 そして、放射性廃棄物質を収納する場所がありません。わずか何十年間しか使われない(使えない)私たちが、これから何万年ものあいだ日本列島に住む人々に、とんでもない置きみやげを残していくなんて許されないことだと思います。
 そんな経緯がとても分かりやすく一冊にまとまっています。360頁の大型の本ですが、3.11原発事故とは何だったのか、これからどうなるのかを考えるときに不可欠な資料集です。ぜひ手にとって読んでみてください。
(2012年12月刊。1800円+税)
 東京で長い会議を終えて、みんなで六本木の夜桜見物に出かけました。地下鉄の駅から地上に出ると、ライトアップされた桜並木が目の前にありました。その名も桜坂と言います。道の両側に満々開の桜が切れ目なく続いています。たくさんの見物客が歩いています。途中にあるレストランはオープンな庭にテーブルを並べ、飲食しながら夜桜見物ができるようになっていました。下から見上げると黒々とした空に華やかなピンク色の桜が満点の星のように大きく広がっていて、これは素晴らしいと思わず唸ってしまいました。

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2013年3月28日

加藤拓川

日本史(明治)

著者  成澤 栄寿 、 出版  高文研

原敬(後の首相。暗殺されました)とともに司法省法学校に学び、ストライキをして放遂された人物が主人公です。朝鮮で外交官として活動し、伊藤博文を激怒させたことで有名なのでそうです。私は知らなかった人です。
中江兆民は大久保利通に直訴して政府派遣留学生に加えてもらい、1872年2月からフランスに留学した、フランス語の読解は抜群だったが、会話のほうは上手ではなかった。
 兆民のフランス留学は、1871年3月にパリ・コミューンが成立し、5月に政府軍から鎮圧されて間もないころのこと。「レ・ミゼラブル」の時代ですね。
 兆民は、3つの政治体制、すなわち王制、ブルジョア共和制、社会主義体制の存在を深慮しつつ、帰国したのである。
 兆民の学僕となったのは幸徳秋水。あの大逆事件で処刑された幸徳秋水が兆民の学僕だったとは驚きです。
中江兆民は、衆議院議員選挙に大阪4区から立候補し、定員2名1位で当選した。
 兆民が被選挙人に必要な条件をみたすために、収入も財産も乏しい兆民に資産などの名義を貸したのは末解放部落の業者だった。兆民は未解放部落の代弁をもする代議士になったのである。
秋山好古はフランスに4年あまり留学した。軍人として異例の長さであった。好古は騎兵についてはドイツよりフランスのほうがはるかに優秀であると学んで帰国した。
 兆民は1901年12月に食道がんで死亡した。その前、医師から余命1年半と告知されたあと、「生前の遺稿」と題する『1年有半』を執筆した。現実の政治批判を加えた随想集は20数万部も売れ、福沢諭吉の『学問のすすめ』以来のベストセラーになった。兆民の葬儀は、兆民の遺言どおり、一切の宗教的儀式を伴わない、わが国最初の告別式が参列者1000人のもとに拳行された。遺言によってお墓も建てられていない。ただし、友人による碑は建っている。
 宗教的儀式を伴わない葬儀と言えば、故池永満弁護士(福岡県弁護士会の元会長)の葬儀も遺言によって、そのようになされました。私はお通夜だけしか参加できませんでしたが、関係者が思い出を語るのを聞いて献花して終了となりました。故人らしいお通夜で、さすがだと思いました。
 日本海海戦で、日本海軍が大勝利したのは、敵前で180度回頭して同航戦(併行して走り戦う)を展開した初戦の砲撃戦術にあると強調されている。しかし、実は、この完勝を決定づけたのは、秋山真之・参謀も後に指摘しているとおり、多数の駆逐艦、ことに水雷艇の活躍だった。ええーっ、そうだったんですか。知りませんでした。
 伊藤博文は韓国を植民地同様に扱い、韓国を無視した。拓川は、赤十字条約改正会議における韓国の外交権を認める立場で外交官として行動しようとして、帰国を命じられた。伊藤博文の逆鱗に触れたのであった。
 外交官拓川は、盗賊主義の外交政策に従いながらも、最後の段階で、これに露骨にくみすることができなかった。
 日本国内の矛盾のあらわれだと受けとめました。知らなかった日本の外交官の存在を認識しました。
(2012年11月刊。3000円+税)

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2013年3月27日

兵士たちがみた日露戦争

日本史(明治)

著者  横山篤夫・西川寿勝 、 出版  雄山閣

日本人は、まことに昔から日記を書くのが大好きな民族です。
日露戦争のとき、個々の兵士は戦場に筆記用具を持ち込み、日記や手紙を自ら記し、見聞記録をつけることが常態化していた。
 本書は、その日記などにもとづいて、日露戦争の知られざる実情をことこまかく具体的に明らかにしています。
 日本軍は沙河の戦いのころ、大変な事態に陥っていた。遼陽の戦いで、日本軍は銃弾・砲弾を撃ち尽くし、これから生産する分も旅順要塞攻略用に手いっぱいで、補給の目途がたたなくなっていた。しかし、戦地の兵站倉庫に弾薬がないことは前線には知らされなかった。戦意喪失どころか、陣地防御も不可能だったからである。
 そこで、日本軍はロシア軍から奪った大砲で盛んに攻撃を仕掛け、砲弾の致命的欠乏をロシア軍に悟られずにすんだ。
 日本は日露戦争に17億円の戦費を投入した。このうち12億円は外国債にたよった。
大連から350キロも戦線がのびた奉天会戦では、大部隊が急速な行軍を行い、各部隊は常に前線で弾幕にさらされた。そうすると、兵站基地からの供給が途絶えてしまった。しかも、平原の前線では炊飯のために火をおこすと狙い撃ちされ、米が届いても炊くことができなかった。これに対して、ロシア軍は東清鉄道を使って開戦前から大量の食糧などを輸送して、各拠点に兵站基地をもっていた。
 日露戦争で、60万の兵が出征し、その兵站は重要な問題となった。しかし、満州軍に兵站組織はなく、場当たり的な対応だった。そのため、食料調達の不公平や遅滞が問題になった。輸送した総運搬量の3分の2は食糧だった。
 日露戦争は世界史上初めての国民総動員の戦争だった。日露戦争の特徴として、多数の後備聯隊が偏された。その主役は32歳までの後備の兵卒。現役は将校と下士官だけで、兵卒は30歳前後だった。
 私は旅順にツアーで行ったことがあります。有名な203高地にのぼりましたし、東鶏冠山と盤龍山のロシア軍堡塁跡地も見学しました。203高地の上からは、なるほど旅順港は真下によく眺めることができました。
 旅順戦の惨状は将兵の戦意低下を増幅させた。うまく負傷して戦列を離れることが「第一の幸福」と認識されていた。
 与謝野晶子の詩「君死にたまうことなかれ」は有名ですが、その弟が本当に旅順戦に参加して戦っていたのか疑問視する声もあるそうです。本書は、晶子の弟は宇品港(広島)から出航して旅順港戦に参加したとしています。それも前線兵士ではなく、輜重兵として、つまり兵站部隊の一員だったのです。
 1905年3月の10日間、奉天会戦が激しくたたかわれた。60万の将兵が東西100キロ、南北40キロにわたる満州の平原で激闘を繰り広げた世界史上空前の大会戦である。奉天会戦に参加した日本軍兵力は25万人、死傷者は7万人。ロシア軍のほうは総数31万人、死傷者6万人、行方不明7千人、捕虜2万人。この過程で及木第三軍は危機的状況に陥っていた。
 しかし、ロシア軍が奉天城から撃退していった。このとき、奉天には、中立である清国民が普通に日常の暮らしを営んでいた。ロシア軍が籠城していたわけではない。
 そして、ロシア軍の大半が撃退したあと、日本軍が入ってきた。
日露戦争に従軍した兵士の陣中日記などをもとにしていますので、その実情がリアルに分かる本になっています。
(2012年11月刊。2600円+税)

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2013年3月26日

原子力防災

社会

著者  松野 元 、 出版  創英社・三省堂書店

こんな本が3.11の前に出版されていたなんて、まったくの驚きです。
 2007年1月に初版が出ています。もちろん、3.11のあと増刷されています。この本のすごいところは、原子力災害が起きないと考えてはいけないということを何回も強調しているところです。もちろん、それは3.11によって不幸にも実証されてしまったのでした。
 しかし、それまでは、原子力発電は5重の安全装置がかかっているので絶対安全だという神話が大手をふってまかり通っていました。要するに、日本ではチェルノブイリ原発のような事故は起きない。起きたとしても災害は従事者等の31人が死亡しただけで、被害は予想よりも小さかった。実際に事故が起きたときには、住民なんか何も分からないから、専門家を擁する国がすべての責任をもってあたるので住民はこれにすべてを任せて、万事これに従えばよい。
これに対して著者は、災害は起きるものであるから、その体制を準備しているのだと認識すべきだという考えです。
 現実の人類が経験したチェルノブイリ原発事故が日本の原子炉立地審査で実際には起こりえないと想定した仮想事故の災害評価を大きく超えてしまったという事実を、原子力防災という視点から冷静に考えるように努めるべきだ。
 原発事故の場合には、距離によって影響が著しく減少すると考えてはまずい。それはただの点線源と考えている。しかし、雲のような塊のプルーム状態で放射性物質が長距離を漂っていくことがありうるという現実を無視したものである。
周辺住民の実際の行動は、現実の事態推移と過去の災害からの経験を十分にいかしながら、判断し決定されなければならない。
 チェルノブイリ原発事故のような大きい事故の可能性があると予想された場合は、たとえばプルームが通過する前に避難することがあるし、プルームが通過する間は屋内避難にしておき、プルームが去った後に避難するとか、いろいろな組み合わせがありうる。
 原子力施設から放射性物質が放出されると、それが雲状に広がり、「放射性プルーム」ができる。放射性プルームは、大気中を拡がりながら移動し、その方向や速さは、風向き、風速等の気象条件によって変わる。これによる被ばくを避けるためには、避難施設は原子力施設からできるだけ遠隔地にあって、原子力施設からみて東西南北それぞれの方位について、あらかじめ選定しておく必要ある。
 3.11のときには放射性プルームが飯舘村の方に流れていったわけです。
 そして、この本ではスピーディーの活用も当然のことながら強調されています。しかし、3.11のとき、この指摘は政府当局によってまったく無視されたのでした。
 そして、恐るべきことに、この本には、つぎのように指摘されています。
 事故評価の常識として、炉心から炉内内蔵放射性物質の大部分が原子炉格納容器に放出されたような場合でも、原子炉格納容器が保たない恐れがある場合は、チェルノブイリ発電所事故のときのように30キロ範囲の避難を必要とする可能性があると理解しておくと分かりやすい。
 原子炉災害が起きたときの緊急対策をこれほど具体的に論述した本があっただなんて、驚きです。やはり、原子力村に汚染されてしまった学者ばかりではなかったのですね。少しばかり安心もしました。
著者は東大を出て、四国電力に入り、伊方原発で働いたこともある技術者です。
(2007年1月刊。2000円+税)
 日曜日、桜が満開でした。わが家の庭にはチューリップの花がたくさん咲いています。春本番到来はやっぱりチューリップです。赤紫色のハナズオウ、純白のシャガも咲いています。5角形の紫色の花、ツルニチニチソウもあちこちに、また、クリスマスローズの濃紫色がひっそり気品にみちて咲いています。
 アスパラガスが芽を出してくれました。産地直送でいただくことができるようになります。
 花粉症さえなければ、春は本当にすばらしいのですが...。

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2013年3月25日

孤独なバッタが群れるとき

生き物

著者  前野 ウルド 浩太郎 、 出版  東海大学出版会

あれ、この著者は日本人なのかしらん。どこの人だろう・・・。
 なんと著者は生粋の日本人。それも、なまりのたっぷりある秋田県民です。では、ウルドとは何か。ウルドとは、アフリカはモーリタニアで最高敬意のミドルネーム。「~の子孫」という意味。モーリタニアに住みついてサバクトビバッタ研究に人生を捧げると宣言したところ、そこの研究所長から命名されたのでした。それほどサバクトビバッタ研究に明け暮れる著者の涙ぐましい奮戦記です。面白くないはずがありません。
 いやはや、学者って、こんなに大変なんだと、私は何回もため息をついたほどです。でも、それだけに目に見える成果を得たときの喜びは一入(ひとしお)のようです。
 バッタとイナゴの定義は混沌としていて、両者を明確に区別するのは難しい。
サバクトビバッタは、サハラ砂漠などに生息しているバッタ。成虫は2グラムほど。自分と同じ体重に近い量の新鮮な草を食べる。だから、1トンのバッタは1日に2500人分の食糧と同じ量だけ消費する計算になる。
飛翔能力が高く、1日に5~130キロほど移動する。通常は30ヶ国に分布しているが、大発生時にはサバクトビバッタによる被害は60ヶ国に及ぶ。それは地球上の陸地面積の20%になる。
 サバクトビバッタを殺すために殺虫剤をつかうと、すべての生命が沈黙してしまう。そして人間の健康まで脅かす。そこで、サバクトビバッタの生態を知って対策を立てる必要があるわけです。アフリカでの研究はあまりすすんでいないようで、日本人の学者が活躍する余地があるのでした。
 バッタの孤独相は、カメレオンのような能力をもっていて、生育環境の背景に似た体色を発色させることができる。
 バッタは、体内のホルモンを巧みに操ることでダイナミックな変身を遂げている。
 サバクトビバッタは敵に体をつかまれると、口から醤油のような茶色の液体を吐き出す。これは胃のなかにため込んでいた植物由来の毒だ。手についてもなんともないが、きわめて不快だ。服につくとシミになる。
 バッタが悪魔になるのは群生しているから。では、どうやって混みあいを認識するのか。視覚か臭いか、接触のどれか。結局、接触だということが判明した。メス成虫は、他個体と直接ぶつかりあうことで混み合いを認識していることが分かった。
 そして、触覚が接触刺激の感受部位であることが判明した。
 バッタの触覚を切除してその結果を対比させていくのです。そのときには、バッタの目をみえなくする必要がありました。バッタの複眼に修正液を塗り、その上をマニキュアで塗りつぶすのです。残酷といえば残酷な実験ではあります。でも、いたしかたありません。悪魔由来(その誕生秘話)を調べるために欠かせないものなんです。
 メス成虫は、大きな卵をうむのに混みあいと光の両方が必要である。
 まだ33歳の若手研究者です。こんな元気な日本人男性がいて、大いに安心しました。今もサハラ砂漠で研究中のようですが、健康に気をつけていただき、ますますのご健闘を期待します。
(2013年1月刊。2000円+税)

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2013年3月24日

この道を生きる、心臓外科ひとすじ

社会

著者  天野 篤 、 出版  NHK出版新書

天皇の心臓手術は天下の東大病院チームが担当するかと思ったところ、私立大学の医学部教授が執刀したのでした。その執刀医は、しかも医学部に3浪して入ったというのです。
 その外科医が本書の著者です。さすが「神の手」と呼ばれるほどの名医の言葉には重味があります。浪人1年目は麻雀に明け暮れ、浪人2年目はパチンコに没頭していたといいます。これでは、いくらなんでも医学部に受かるはずがありません。それでも、パチンコで粘りと集中力が養われたということです。そうかもしれません。
 著者の偉いのは、医学部に入ってからは必死で勉強したというところです。朝から晩まで大学の図書館にこもって、医学書そして、医学雑誌を読みふけっていました。
 そんな著者ですから、最近の医学生が本を読まず、また先輩医師に質問せず、疑問をぶつけることがないことを嘆いています。
知識の乏しさに加えて、学びとる姿勢に欠けている。医師を目ざす若い人たちの志が低すぎる。
 弁護士についても残念ながら同じことが言えます。本を読まない弁護士が本当に増えました。そして、人間に関心がなく、紛争を解決するのに喜びを見出さない弁護士がいるのに驚きます。いったい、この人はなぜ弁護士を目ざしたのか疑問に感じるのです。懲戒処分を受けた弁護士に共通する特性ですし、私の身近にもいました。
 心臓病は日本ではがんに次いで高い死亡率を示している。毎年15万人もの人が死んでいる。心臓病手術とは、患者の生命の間合いに入ること。一度、胸を開いたら、たとえ自身が来ようとも後戻りはできない。いったん手術が始まったら、自分の命に代えてでも患者の命を救おうという覚悟がなければ、執刀する資格はない。
 心臓疾患の多くは、適切な手術をすれば元気なころの状態に戻ることが可能となる。心臓手術は一期一会だ。これまで6000例をこえる手術をしてきた。今でも、多いときには1日に4件の手術をする。
素早く的確に縫合するのは、手術にとって大切な作業である。縦に結ぶ、横に結ぶ、深いところで結ぶ。右手で結ぶ。左手で結ぶ。それを日頃から練習しておく。1分間に60回は結べるようになれと、研修医に指導する。
 練習を重ねると、1分間で75回まで糸を結べるし、性格に結べるようになる。
手術に偶然の要素があってはならない。偶然性を排除し、必然性をつくっていく。それが手術を成功させるプロセスだ。自分でシミュレーションしたプロセスどおりに処理が完了したとき、はじめて医師は満足感を得る。
 手術は勝負事ではない。しかし、勝たなければ意味がない。勝つためには手術前にどこまで場面展開、シミュレーションができるかがカギになる。そのためには、患者について最大限の情報収集をする。執刀中は頭をつかうというより、五感を最大限にいかす。五感の全てを総動員して患者の状態を感じとり、それに反応して自然に手が動くようにする。
やってもできないという自分の現実を知り、その現実を受けとめたとき、人は自分の進むべき「これならできる」という道を見出すのではないか。
目には見えない力や神の領域といったことに、心臓外科医は人一倍敏感になる。というのも心像はとても神秘的な構造をもっているから。
患者の病気とたたかうのは200人の病院スタッフであり、そのスタッフをたばねるのはチームリーダーとしての医師の大切な責務だ。
 天皇の心臓手術をするときに心がけたことは二つ。一つは自分のコンディションの維持につとめること。二つ目は、手術のシミュレーションを徹底的に繰り返すこと。
 まだまだ好奇心を失っていない57歳の心臓外科医です。すごい、すごいと驚嘆しながら読み終わりました。一読をおすすめします。
(2013年2月刊。740円+税)

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2013年3月23日

いま、どうしても伝えておきたいこと

社会

著者  肥田 舜太郎 、 出版  日本評論社

広島で被爆しながらも長寿であり、放射能の恐ろしさを語り広めている医師の話です。
 聞き手は私の親しい知人でもある埼玉の大久保賢一弁護士です。憲法そして反核・平和のために奮闘している弁護士ですので、話がうまく展開していって、すっきり胸に落ちる内容となっています。
 なにより被爆当時、28歳の軍医だった肥田さんは、今や96歳なのです。そして、その表情が実に素晴らしい。この本の表紙写真は温厚な知性があふれている表情で、強く惹きつけられます。
 考えてみたら60億の人間というのは、生きていることは六つしかない。寝る。食べる。排泄する。仕事をする。遊ぶ(休養)。あとセックス。いろいろ言うけれど、考えてみたら、どれかに入ってしまう。そうなんですよね・・・。
強烈な放射線を浴びると、いちばん最初にやられるのは頭の毛の根元の毛根細胞。これは人間の体の細胞のなかで一番元気がよくて、生命が強くて、細胞の分裂活動が早くて毛が伸びていくわけなので、反応もいちばん早い。そういうところが放射線で先にやられる。
 毛根細胞が強い放射線で瞬間に即死する。毛が毛穴に突ったっているだけで、下が離れている。それを触るから、毛がごっそり取れる。
 口の中が腐敗臭がするのは、白血球がなくなってしまうから。白血球はばい菌とたたかう兵隊だ。口の中に不断から雑菌がたくさんいる。白血球のほうが死んでしまっているから、瞬間に口の中の腐敗が始まる。
 子どもの細胞は発達が早いから、子どものほうがやられやすい。死ぬときには、血を吹く。内臓から出血したものが全部出てくる。
 これが急性放射能症の5つの特徴。高熱と出血と腐敗。それから紫斑、頭の毛が抜ける。これがみなそろうと、1時間たたないうちに死んでしまう。
 放射能は血液の止血能力を奪ってしまう。怖いのはストロンチウム。これは骨だけに沈着する性質があるから、骨に集まると、骨の側が放射性を帯びてしまう。骨の中のリンという分子が放射性リンに変わる。自分自身が放射線を出すようになる。骨の中で血液をつくっているわけだから、新しくできてくる本当に弱々しい造血幹細胞はみなやられてしまう。
 赤ん坊の死亡率は、核実験のあった年は上がっている。ある年に生まれた兵隊は粗暴で、しょっちゅう犯罪を起こす。その兵士が生まれた年は、必ず核実験があっている。
いちばん大切なことは、これから生まれてくる孫やひ孫が汚いところに生まれて生命がなくなっていくというのが、将来の日本にとっていちばんの心配だ。だから、孫やひ孫のために地球をきれいにして死んでください。
 これは肥田さんの呼びかけです。私も本当にそうだと思います。自分のためというのではありません。子や孫や、その子たちのために原発再稼働なんて、とんでもないと言う声を叫んでいくつもりです。それにしても安倍首相は原発再稼働に向けて突っ走ろうとしています。許せませんよね。
 いい本でした。わずか180頁の本ですが、いい装丁ですし、ずっしり重たい本でした。大久保先生、ありがとうございました。
(2013年2月刊。1400円+税)

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2013年3月22日

ライファーズ

アメリカ

著者  坂上 香 、 出版  みみず書房

私は見ていませんが、『ライファーズ』という映画があるそうです。
 ライファーズとは、無期拘禁刑渡河された受刑者のこと。2種類の無期刑がある。仮釈放のない絶対終身刑(LWOP)と、もう一つは仮釈放の可能性が残されたもの(LWP)。2002年には全米で12万のライファーズがいた。LWDPはその4分の1の3万人ほど。10年後の2011年にはライファーズは15万人に増えたものの、LWOPは4万人で、あまり増えてはいない。カリフォルニア州は全米でもっともライファーズが多く、2011年に3万2000人、全米の受刑者の2割にあたる。LWOPも4000人いる。
仮釈放があるといっても、現実に釈放されるライファーズは極端に少ない。
 この本は、そんなライファーズの回復・立ち直りを支援する地道な取り組みを紹介しています。
 アメリカでは「犯罪には厳しく」というスローガンのもと、1970年代半ばから厳罰化政策がうち出され、それが1980年代から90年代にかけての刑務所ブームともいえる状況を生み出した。1970年代半ばから顕著になった福祉「改革」と自己責任論、それらの結果として貧困層の犯罪化がある。
 「産獄(産業と刑務所)複合体」という用語まである。民間企業と国家が安全な労働確保するために、厳罰化政策を拡大した。アスベスト除去や炎天下での雑草除去作業などを刑務所が請け負うが、受刑者には最低賃金すら支払われなかったりする。有名ブランドの多くも、刑務所の安価な労働力をつかって法外な利益をあげている。
 1990年代半ば、刑務所の建設ラッシュとなった。1990年からの10年間で245もの刑務所、年平均で25件ほどが新設された。そして、アメリカは「監獄大国」となった、拘禁されている人は230万人。人口比では人口10万人あたり750人。日本は、その12分の1の60人ほど。しかも、保護観察や仮釈放中の人間を含めると720万人にも膨れあがる。これはスイスの全人口に匹敵する。
カリフォルニア州は監獄化のトップランナーである。2008年度の受刑者数は全米トップの17万3000人であり、テキサス州に次いで2倍だった。カリフォルニア州の矯正予算は教育予算を大幅に上回り、刑務所の職員は6万6000人である。
 過去30年間のうち、刑務所の数は3倍に増えた。ただし、監獄人口が激増しているからといって、犯罪も激増しているわけではない。1960年から1990年までの30年間の犯罪率は、フィンランド・ドイツ・アメリカの順番ですすんでいった。
 アメリカで刑務所人口が4倍に増えたといっても、アメリカの刑務所人口がもっとも顕著だった1980年代、犯罪の発生率は25%も低下した。
 受刑者の立ち直りのためにライファーズの力を借りた。終身刑のライファーズは刑務所というコミュニティで大きな影響力をもつ。
 母親が父親が刑務所に服役中の受刑者の子どもが、アメリカには少なくとも190万人から230万人はいる。その大半が10歳以下で、アメリカの43人の子どもに一人もしくは、
2.3%の子どもの親が刑務所に服役中の受刑者だ。
 刑務所問題は、受刑者本人の問題だけではなく、子どもの福祉に大きく関わってくる。さらに受刑者の3分の2あまりが非白人であることから、マイノリティにとって切実な問題であることが分かる。アフリカ系の子どもでは15人に1人、ラテン系では42人に1人、白人は111人に1人である。受刑者の子どもが共通して体験することとしては、経済的・物理的・精神的に不安定な生育環境、犯罪者の子どもという恥の意識、拒絶感、社会的・組織的偏見、サバイバーブバルト、虐待、親族への依存と負担、学業の不振や素行の問題があげられる。親が死刑囚の場合には、さらに深刻だ。
 アメリカの刑務所には、刑務所の掟と呼ばれる暗黙のルールが存在する。人種別のギャングが受刑者の生活を仕切っているため、人種が違えば「敵」になる。外のギャングと刑務所内はつながっていて、刑務所内の動きは外にも影響を及ぼす。その逆もまた、しかり、服役前にはギャングに所属していなかった者も、刑務所暮らしを生き延びるために巻き込まれてしまうことが多い。
日本の刑務所では、受刑者同士が自由に言葉を交わしたり、触れあうことが許されていない。誕生日も例外ではない。ひと言も言葉をかわすことなく、前を向いて黙々と誕生日の食事をとる。
アメリカの更生施設では、日常的に恥や屈辱的な思いをさせることは人を卑屈にさせ、人間的成長の妨げになると考えられている。罪に向きあうためにも日常的な会話や語りが奨励され、受刑者を孤立させない工夫が随所にあった。日本の刑務所とは正反対のアプローチである。
男性刑務所のなか、しかも重罪を犯した粗暴犯のいる場に、普段着の女性があたり前のようにしていて、受刑者と談笑し、受刑者のグループに混じって話をする。このように、アミティは、女性を積極的に雇用する。管理職に占める女性の割合も高い。
 自分の心を開いていくこと、それをどうやっていくのか、真剣な試みがアメリカでも続いていることがよく分かりました。受刑者の大半がいずれ社会に出てくることを考えたとき、このような取り組みが本当に必要だと、長く弁護士をしていて痛感します。
(2012年8月刊。2600円+税)

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2013年3月21日

秘密戦争の司令官、オバマ

アメリカ

著者  菅原 出 、 出版  並木書房

最新のアメリカ映画『ゼロ・ダーク・サーティー』はオサマ・ビン・ラディンをCIAが暗殺するまでを描いています。そして、その前に、CIAは『三重スパイ』の自爆テロ攻撃によって大打撃を受けていたのでした。
 この本は、それらすべてがオバマ大統領の指示によるものいうこと明らかにしています。これではノーベル平和賞が泣きますよね。
 2011年5月2日、オバマ大統領は米軍特攻部隊シールズをパキスタンに送り込み、オサマ・ビン・ラディンを暗殺した。そして、このビン・ラディン殺害はオバマ大統領の4年間の外交・安全保障政策のなかで、最大の実績と位置づけられている。
ええーっ、他国の実権を侵害して、裁判にかけることもなく敵対する政治家を暗殺したのが「最大の実績」だなんて、悲しすぎますよね。
 ソフトなイメージとは裏腹に、オバマ大統領は、ブッシュ政権時代に始まった多くの政策を引き継ぎ、さらに攻撃的に拡大・発展させた。とりわけ、ブッシュ政権時代に始まった秘密工作のプログラムを劇的に拡大して、「秘密の戦争」をエスカレートさせた。
オバマ大統領は、イラクからアメリカ軍部隊を撤退させ、アフガニスタンからも正規軍も撤収する一方で、無人機をつかった暗殺作戦、特殊部隊をつかったテロリスト掃討作戦、そしてサバイバー攻撃による敵の重要施設の破壊・妨害工作を激化させた。「オバマの戦争」は、私たちの目の届かないところで、秘密裏に、そして激しく展開されている。
ビン・ラディン暗殺計画の中でアメリカ側が心配したのは、屋敷内に地下の秘密シェルターがあることだった。この心配があるため、上空から爆弾を落とすという作戦はとれなかった。
 なーるほど、と思いました。映画では、その点はカットされています。
アフガニスタン政権の腐敗はとてつもない。カルザイ政権の腐敗は上から下まで、あまりにひどくて、行政機構は機能していない。だから、国民はまったく政府を信頼していない。
 アメリカは、そんなカルザイ政権に対して巨額の援助を今なお続けているのです。自らの利益があるからに他なりません。
 オバマ政権の高官たちを悩ませたもっとも深刻な問題の一つがカルザイ政権の正当性の低さだった。つまり、アフガニスタン国民のカルザイ大統領への支持の低さである。
 カルザイ政権の腐敗は生半可なレベルではなかった。カルザイ政権の腐敗がひどすぎるため、何の条件も付けずにアメリカ軍を増派して、支援を強化してもムダだと考えられた。
 2007年から、少なくとも30億ドルの現金がスーツケースや箱に入れられてカブール国際空港から国外に持ち出された。
 2009年12月30日、アフガニスタン東部にあるCIA基地で自爆テロが発生し、7人のCIA要員ほかが死亡した。アメリカの諜報史上に残る大惨事だった。これは『三重スパイ』で描かれた事件です。
 当時のCIAのパネッタ長官は、この自爆テロ事件について、「アルカイダとの戦いが本当に戦争だと思い知った」と回想している。
 腐敗したカルザイ政権であっても、カルザイ大統領に居直られてしまえば、オバマ大統領としては打つ手がなくなってしまう。このことをカルザイ大統領は十分に見透かしていた。カルザイ大統領の弟ワリ・カルザイはカンダハル州議会議長をつとめていたが、実際には「キング・オブ・カルザイ」と呼ばれ、カンダハル政権の「腐敗の総元締め」とみられていた。「カルザイ政権の腐敗」をもっとも具現化した人物がワリ・カルザイだった。
 カルザイ大統領の警備車両は58台だ。王宮を要塞化し、そこまでしないとわが身を守れない人が大統領をやっている。
 無人機「プレデター」によるミサイル攻撃は、ブッシュ政権は2008年にパキスタン領内へ38回おこなった。オバマ政権によってからは、2009年に55回、2010年は3ヵ月だけで22回だった。12月30日のCIA基地の自爆テロ攻撃の直後の3週間のみで12回というハイペースでミサイル攻撃を行った。
いま、オバマ政権がやっていることは、1980年代にソ連がやったこととまったく同じだ。
 CIAのなかで対テロセンター(CTC)のスタッフが急増している。9.11当時は300人ほどだったのが、今や2000人のスタッフを擁している。CIA全体の1割だ。CIAの分析官の35%が軍隊作戦を支援するための分析作業に従事している。
 2012年5月1日、オバマ大統領はアフガニスタンを電撃訪問し、カルザイ大統領と会談した。しかし、夜の10時過ぎに訪問し、真夜中に首脳会談と協定の調印式を、夜中のうちにアメリカに帰国した。それほどアフガニスタンの現状はアメリカにとって厳しいというわけである。事前にオバマ大統領の訪問は報道されず、「長居は無用」と立ち去った。
 タリバン側の人材供給源は無尽蔵。カルザイ大統領だって、いつ殺されるか分からない。オバマ政権には時間がないが、タリバンには時間があり、人間がいる。
 オバマの秘密戦争に勝ち目がないことははっきりしています。軍事力で他国を支配することは出来ないのです。日本国憲法の前文と9条の意義が光っています。
(2013年1月刊。1600円+税)

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2013年3月20日

仲代達矢が語る日本映画黄金時代

社会

著者  春日 太一 、 出版  PHP新書

仲代達矢は今の日本の状況を真剣に心配しています。原発を今なお推進し、金持ち優遇をすすめる政治ではまずいと本気で考えているのです。たいした役者だと改めて見直しました。
 その仲代達矢が自分の俳優生活を振り返り、若い映画研究者に思う存分に語っています。ですから、この本が面白くないはずがありません。
 とりわけ映画『人間の條件』の製作過程の話は壮絶の一言に尽きます。まだ20代の若さだったから、そんな無茶がやれたのでしょうね。
 なにしろ、1週間で6キロやせるため、メシを食べない、また寝てもいけないというのです。そのうえ、氷のはっている川に落ちる、戦車の下をくぐらされる、底なし沼のような湿地帯の中に入ってバチャバチャやらされたというのです。監督が悲惨な戦争体験者なので、その実感がリアルに再現されていったというわけです。改めて、『人間の條件』を見てみたいと思いました。
 『椿三十郎』のラストに、決闘シーンがある。一瞬の居合いで斬りあった瞬間、仲代の心臓から大量の血糊(ちのり)が噴き出す。
 衣装の胸元に管を付けられる。小道具さんが地面に埋め、その先にはボンベが並んでいる。このボンベから管を通して血糊がワッと出る。周囲の人には、その仕掛けは事前に知らされていないので、呆然と驚いている。リアリティーがあった。いやはや、すごい仕掛けですね、これって。驚きますよ。
 各女優と言われる人は、小さな幸せ、小さな家族、そういうものを求めない。だから、名女優の人生はそれだけ壮烈なものになる。本当の女優はいい意味でわがまま放題、これだけ自己主張したら、みんなに迷惑がかかるとか、角(カド)が立つなんて考えない。
 山本薩夫監督は社会正義の人。しかし、イデオロギーを抱えながらも、エンターテイメントの部分も非常にうまい。そして、仲代に対しては、ほとんど注文をつけずに、思うとおりにやらせた。
 小沢栄太郎は、おしゃべりになれと教えた。役者は軽薄とみられてもいいから、ふだんからおしゃべりになれというのだ。
 六本木にある俳優座に通う電車のなかで、仲代は、恥ずかしいけれど、「私はこういう俳優の卵なので、これからセリフを言うので、聞いてください」と叫んだ。それを2年ほど続けた。そうすると、口の周りが速くなって、小沢さんから、5年目にして、「ようやくしゃべるようになったな」と認められた。
 役者稼業の大変さが実感でひしひしと伝わってくる本でした。

(2013年2月刊。780円+税)

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2013年3月19日

チャイナ・ジャッジ

中国

著者  遠藤 誉 、 出版  朝日新聞出版

薄熙来の失脚事件、そして妻・谷開来の殺人事件を追跡した本です。
 中国共産党中枢の奥深い腐敗の闇が暴かれています。薄熙来は1947年7月生まれ。私と同じ団塊世代だというわけです。父親は、薄一波元副首相です。
 文化大革命のときには父親を殴る蹴るの狼藉を働き、倒れた父親を足蹴りして、薄一波の肋骨を3本も折ってしまった。
 母親は、1967年1月紅衛兵に迫害され、広州に行く汽車の中で自死した。48歳の若さだった。
 薄熙来は、薄一波が秘書との不倫関係で生ませた子どもだった。
文革時代に監獄で4年間を過ごした薄熙来は、牢の中でどのようにしていれば大将になれるか、また監獄の看守とどのような関係を結べば飯にありつけるか、極道の原理を学んできた。また、共産党高級幹部の子弟として、政治権力抗争を目の前で見てきた。今に浮かび上がるチャンスをうかがいながら、自分を嫌う役人たちの中で策を練っていた。
 薄熙来の出世のスピードは、実は非常に遅い。大連市党委の副書記となるまでに8年かかっている。1993年に、ようやく大連市長になった。
 1997年9月の第15回党大会における中共中央委員選挙において、薄熙来は、ただの一票も獲得できずに落選した。
 妻の谷開来は、1988年に弁護士資格を取得し、その後、開来律師事務所を北京で運営し、支店を大連に作って投資コンサルタントとしても活躍しはじめた。
 日本留学者の多くが中国に帰国しているとの対照的に、欧米留学者の多くは帰国せずに留学先国で永住権を取得している。中国国籍は放棄せずに、いざというときの担保にしておき、永住権だけは確保しておく。日本は「裸官」の対象ではない。
 薄熙来が重慶市の書記になって、80日間に検挙した刑事事件は3万3千件近く。治安事件として取り調べた件数は5万3千件近くで、9500人を逮捕したため、刑務所は定員をオーバーした。
 薄熙来のようなやり方をすれば、中国共産党体制は一瞬で崩壊するだろう。それだけは絶対に防がなければならない。これは中国共産党トップの全員が共通する認識として決議された。これが中国の審判の基準すなわちチャイナ・ジャッジだ。ここでは腐敗問題は理由にあげられていない。薄熙来の場合、中国共産主義体制を守るためという、ほぼ全員が一致したジャッジを行った。
 2009年の全世界の留学生の総数は343万人。そのうち44万人が中国人留学生であり、最大の留学生だ。最大の留学生受け入れ国はアメリカで、外国人留学生総数は70万人。
 アメリカにいる中国人留学生の数は16万人。次に多いのがインド人、韓国人となっている。中国人留学生は前年度比23%増となっている。ところが、日本だけは前年より留学生の総数が減っている。
 薄熙来の息子・瓜瓜はロンドンの高級マンションに住んでいた。オックスフォード大学に在学していたときのこと。少なくとも3億円はするマンションを購入したとき、薄熙来は遼寧省長だったが、月収は数万円にすぎない。
 党の幹部を親にもつ太子党はコネを使って中国大陸で稼ぎ、親戚らのコネをつかって目立たないように資産を香港に移していく。
中国共産党の最高指導部の常務委員9人のうち、少なくとも5人の子どもか孫がアメリカに留学している。習近平の娘もハーバード大学に在籍中だ。
 怪しげな殺人事件の真相はいったい明らかになるのでしょうか・・・。
(2012年9月刊。1700円+税)
 桜の花が一気に7分咲きとなり、チューリップが咲きはじめました。いま、わが家の庭には、黄水仙、紅いアネモネ、パンジーが花盛りです。
 これから500本のチューリップが一斉に咲いてくれます。いよいよ春本番の到来です。

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