弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2013年3月15日

原発とメディア

社会

著者  上丸 洋一 、 出版  朝日新聞出版

メディアは、こぞって「安全神話」の形成にかかわりました。そして今なお、原発の危険性にメスを入れようとしません。だから安倍首相が「安全な原発」の再稼働を推進しようとしているのに、疑問を投げかけようとしません。あの「3.11」の教訓は、「安全な原発」なんてないことが証明されたということです。それを少なくない日本人が忘れているように思えるのが残念でなりません。
 朝鮮戦争のころ(1950年)、朝日、毎日、読売は、アメリカが原発を実戦に使用しようとしたとき、一言の意義も反対も唱えなかった。
 1956年、中曽根康弘は、「原子力をこわがるのはバカですよ」と高言した。
 1958年、岸信介は、「平和利用」の顔をした「兵器としての原子力」へ期待した。潜在的な核保有国としてのパワーを保持しておきたいという願望だった。核兵器保有への道を開いておきたいという思いも強かった。
 関西原子炉について、1959年11月の朝日新聞は社説で有益だとして、「むやみに危険を恐れる必要はあるまい」とし、建設容認論をぶった。
 1961年に東海村で原子炉が起工されたとき、朝日新聞は「注意して取り扱うかぎり、原子炉は少しも危険ではなくなっている」とした。
 1964年、朝日の連載記事は、原子炉について「放射線は怖いけれど、管理さえ十分にやれば絶対に安全ですよ」と断言した。
 1966年9月の朝日の社説は、「原発の危険性は、技術がここまで来た現在では、まず考えられない」とした。
 1972年、朝日新聞の内部でデスクと記者が言い争った。
 「政府の原子力政策を指示するのが朝日の編集方針だ」
 「社の編集方針に反する記事を書くのは、編集権の侵害にあたる。原子力を批判することは会社から編集権をまかされている私が許さない。編集権には、人事権もふくまれる」
 このようにデスクは記者を脅した。
 朝日新聞が、手放しの推進ではないにせよ、原子力しかない、原子力開発を前進させよ、と前から主張し続けてきたことは間違いない。
 1977年、朝日の記者だった大熊由紀子は連載をまとめた本のなかで、次のように語った。
 「原発に反対するのは、原発について無知だからだ。南極や海底などに、高レベル放射性廃棄物を安全に捨てる技術が開発されたら、子孫に迷惑をかけることはない。しかし、安全に捨てる技術はいまだに開発されていない」
 1979年、朝日新聞社から月給をもらっているかぎり、記者は基本的に原発には反対だという立場で記事を書いてはいけないということ。記者は、自分も反対という立場で報道記事を書いてはいけない。
メディアもまた「原子力村」の一員であったこと、いまでもそうであることを、内部告発のように明らかにしている本です
(2012年9月刊。2000円+税)

  • URL

カテゴリー

Backnumber

最近のエントリー