弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

江戸

2020年11月23日

商う狼、江戸商人・杉本茂十郎


(霧山昴)
著者 永井 紗耶子 、 出版 新潮社

実在した江戸商人を生き生きと描いた歴史(経済)小説です。圧巻の迫力ある描写に思わず息を呑み、頁をめくる手がもどかしく思えたほどです。
ときは、天保の改革をすすめた老中・水野忠邦が登場する直前、文化・文政、徳川家斉のころ。商人、杉本茂十郎は「毛充狼(もうじゅうろう)」と呼ばれて恐れられ、人々はおののいていた。体は、強くしなやかな狼(おおかみ)。手足は狐狸(こり)の如く、人を蹴落とす鋭い爪をもつ。尾は蝮(まむし)の姿で、2枚の舌をちらつかせて、毒牙を剥く。そして顔は精悍な人の顔。その額には「老、寺、町、勘」の4字の護符をいただいている。その歪(いびつ)な化け物は、メウガ(冥加)メウガと鳴き声をあげながら、江戸の市中を駆けていく。
杉本茂十郎は山深い甲斐から江戸へ来て、奉公人として勤めていた飛脚問屋に婿入りした商人だったが、飛脚の運賃値上げでお上に直談判して新たな法を整えると、次は江戸2千人の商人を束ねる十組(とくみ)問屋(どいや)の争いごとの仲裁に成功し、その十組問屋の頭取となり、流通の要となる菱垣廻船(ひがきかいせん)を再建し、さらに老朽化して落ちた永代(えいたい)橋を架け替え、その修繕などを行う三橋会所(さんきょうかいしょ)の頭取として手腕を発揮し、同時に町年寄次席として政にも携わるようになった。
茂十郎の下に、江戸商人から集められた冥加金は一国の蔵をこえ、そのお金を求めて、町人だけでなく武家たちも頭を下げる。幕閣にもその名を知られ、老中、寺社奉行、町奉行、勘定奉行も茂十郎のうしろ盾となった。茂十郎のソロバンをはじく指先ひとつで、千両、万両のお金が右から左へと動いていた。
またたく間に江戸商人の頂点に駆けのぼった茂十郎は、表舞台に躍り出てから、わずか11年あまりで、お上からすべての力を奪われ失脚してしまった。
江戸の人は、お金の話を忌み嫌う。そんなにお金が嫌いなのに、貯め込むことには余念がない。町人も武家も、商人を強欲だとそしる。それでも武家は、商人の上納金は欲しがる。なんとも歪(いびつ)で、おかしな話だ。
商人が商いをして、お金が正しく世の中をまわっていれば、暮らし向きは豊かになる。
お金は、然るべく流さなければ、いらないものだ。
十組問屋は、100年前に小間物を扱う大坂屋伊兵衛が、立ち上げたもの。それは、仲間外の商人を締め出すことが主たる目的だった。十組とは、河岸組(かしぐみ)問屋、綿店(わただな)組、釘鉄問屋店組、紙店組、堀留組、薬種問屋、新堀組、住吉組、油仕入方、糠(ぬか)仲間組、三番組、焼物店組、乾物店組、...。いずれも、江戸の大商人たちだ。多くの商人、町人が暮らす江戸において、十組問屋の2千人が江戸の富を独占している。その懐に蓄えられたお金は、大藩の江戸屋敷にも負けない。そして、そのお金が市中に出回らないことこそが江戸の最重要課題だったが...。
江戸時代の商人の心意気も大きなテーマとして扱っている本です。
(2020年6月刊。1700円+税)

2020年10月25日

江戸の夢びらき


(霧山昴)
著者 松井 今朝子 、 出版 文芸春秋

歌舞伎役者として高名な初代の市川團(だん)十郎の一生を描いた小説です。
ときは元禄のころ。将軍綱吉の生類(しょうるい)憐(あわ)れみの令が出されて、江戸市中がてんやわんやになります。
また、大きな地震があり、火災が起き、また富士山が噴火するのでした。
そんな世相のなかで、人々は新しい歌舞伎役者の登場を熱狂に迎えるのです。
芸に魅せられるのは、ハッと息を呑む一瞬があるから。人が平気であんな危ない真似をできるのか、人にはあんなきれいな声が出るのか、あんな美しい動きができるのか...。
この世に、これほどの哀しみがあるのかと、まず驚くことが芸の醍醐味ではないか...。
同じ筋立て、同じセリフ、同じ動きのなかに、そのつど何かしら新たな工夫を取り入れ、ハッとさせられる。同じセリフでも、いい方ひとつで解釈はがらっと変わる。自らの心がおもむくままに変えられた芸は毎日でも見飽きることがない。芸とは、本来、そうした新鮮な驚きに支えられたものではないか...。
江戸時代の歌舞伎役者の世界にどっぷり浸ることのできる本格小説でした。
(2020年4月刊。1900円+税)

2020年10月17日

大名倒産(上)


(霧山昴)
著者 浅田 次郎 、 出版 文芸春秋

ときは文久2年(1862年)8月のこと。
越後丹生山(にぶやま)三万石の松平和泉守(いずみのかみ)信房(のぶふさ)21歳は、老中に呼び出された。
献上品の目録はあるが、現物が届いていない。いったい、いかなることか...。
「目録不渡」であった。これは一大事...。どうしてこんなことが起きたのか。
借金総額25万両。年間の支払利息1割2分は3万両。ところが、歳入はわずかに1万両。いったい、どうやって支払うのか...。
藩主は前藩主の父に問うた。
「父上にお訊ねいたします。当家には金がないのですか」
隠居の身である父は気魂を込めて返した。
「金はない。だからどうだというのだ」
質素倹約、武芸振興、年貢増徴。これしかない。
次に考えついたのが、計画倒産と隠し金。いったい、どうやって...。
25万両の借金に対して1万両の歳入しかない藩財政。この財政を再建する手立てなど、あろうはずもない。
ところが、ひょっとして...。
さすがに手だれの著者です。ぐいぐいと窮乏一途の藩政のただなかに引きずり込まれてしまいます。さあ、下巻はどんな展開になるのでしょうか...。
(2019年12月刊。1600円+税)

2020年7月 4日

歩く江戸の旅人たち


(霧山昴)
著者 谷釜 尋徳 、 出版 晃洋書房

江戸の人々は旅を楽しんでいたようです。
誰が旅をしていたのか...。
平均年齢は30歳代ですが、最年長は50歳代後半でした。
5歳まで生きのびるのは、出生者全体の3分の2、40歳時点での生存者は当初の半分、晴れて60歳の還暦を迎えるのは3分の1。70歳に達するのは当初の2割。
ということは、旅に出た50歳代の男性は、連日の長距離歩行に耐えうる健康体を維持していた人々だった。
では、江戸の人は1日にどれくらい歩いていたのか...。男性で1日に35キロ、女性は28キロ超。1日に70キロ歩くのも不可能ではなく、最大50キロが普通だった。
朝の4時から7時ころに出発し、宿泊地には午後4時から6時ころに到着する。1日に少なくとも7時間、長いときには15時間にも及び、平均して10時間ほど。
江戸時代の庶民は寺社への参詣(さんけい)を旅の目的として藩の了解を得ておいて、真の目的は道中の異文化に触れて遊ぶことにあった。
近世庶民は、信仰を後ろ盾にして日本周遊旅行を存分に楽しんでいた。
伊勢参宮が最大だったのは文政13年(1830年)で、3月から6月までに427万人に達した。日本人の庶民の6人に1人が行った計算になる。
江戸の人々の歩き方は、現代日本人とは違っているようです。爪先歩行、前傾姿勢、小股・内股、歩行が奇妙であること。
日本人は歩行のとき足を引きずる。また、音を立てて歩く。こんなことに外国人が驚いています。
いまはコロナの関係で、それこそ自粛させざるをえませんが、日本人の旅行好きは昔からだということもよく分かる本です。
旅行ガイドブックがたくさん売られていました。それだけ需要があったわけです。
この本は江戸の旅人たちの様子をいろんな角度から紹介していて、大変勉強になりました。
ところで、旅の安全性はどうだったんでしょうか。女性の一人旅も少なくなかったと聞きましたが、本当でしょうか。ケガしたり、病気したときには、どうなる(なった)のでしょうか...。次々に疑問が湧いてきます。
せっかくここまで明らかにしていただいのですから、続編も大いに期待します。どうぞよろしくお願いします。
(2020年3月刊。1900円+税)

2020年5月16日

せき越えぬ


(霧山昴)
著者 西條 奈加 、 出版  新潮社

東海道は箱根の関をめぐる人情話です。ころは文政の時期。シーボルトが時代背景として登場してきます。そうです、蘭学に目を向ける人々もいた時代です。
私は、この本を読みながら山田洋次監督による時代劇『たそがれ清兵衛』に出てくる下級武士のつつましい暮らしぶりの情景を思い出しました。
主人公は武士といっても、わずか四人扶持でしかない武藤家の跡取りです。勉学よりも行動力で世の中をまっすぐ渡ろうという正義感があります。
主人公が少年時代に通った道場では、出自や家柄はまったく斟酌(しんしゃく)されず、平等に扱われた。この道場には町人の子も参加していたことになっています。果たして本当にそんな「平等」優先の道場が江戸時代にあったのでしょうか...・。
また、主人公の親友は、蘭学を教えてくれる塾に通っていたということになっています。そして、それが周囲の圧力から閉鎖されたというのです。
これまた、本当にあった話なのだろうか、と疑問を感じました。
恐らく、どちらも本当のことなのでしょう。身分制度が固定していたと言われている江戸時代でも、お金をもつ町人が大金を出して武士になれていたようです。やはり、お金の力は偉大なのですね...。
関所の役割、関所破りの実態、そもそも江戸時代の旅行というのは、どんなものだったのか...。関所破りは、どれほどあっていたのか、失敗して処刑されたという人はどれほどいたのか...、いろいろ知りたくなります。
それにしても、じっくり読ませるストーリーでした。いろんな伏線がどんどんつながっていくのには、小気味の良さも感じられます。江戸情緒たっぷりの良質の時代劇映画をみている気分で、最後まで一気に読みすすめることができました。
(2019年11月刊。1500円+税)

2020年5月 4日

奇妙な瓦版の世界


(霧山昴)
著者 森田 健司 、 出版 青幻舎

瓦版(かわらばん)とは、江戸時代に大変な人気を博していたマスメディア。明治に入ってからも20年以上は存続していた。ただし、もっとも勢いのあったのは、江戸時代の中期から末期にかけてのこと。
和紙に記事と絵が摺(す)られていた木版画で、簡易な新聞のようなもの。
江戸時代には瓦版とは呼ばれず、読売(よみうり)、一枚摺(いちまいずり)、絵草子などと呼ばれていた。
瓦版は基本的に違法出版物であり、幕府は瓦版によって庶民に情報が流通することに危機感をもち、早くも1684年(貞享元年)には瓦版の禁令を出している。それでも、瓦版は庶民のなかでしぶとく生き続けた。
瓦版は店舗販売ではなく、町中で読売という売子が売っていた。売子は深い編笠で顔を隠して売っていた。瓦版は墨摺1枚4文、100円ほどで、多色摺だと倍以上した。
瓦版は商売のため、もうかるためのもので、作成者に社会的使命はなかった。
黒船に関する瓦版の絵は大変迫力がありますが、これは長崎版画のオランダ船図を模倣したものという解説に、なるほどそうだろうなと納得しました。単なる遠くからの目撃で、これほど細密に黒船を描けるとは、とうてい思われません。
九隻の黒船について、八隻が瓦版で紹介されていますが、船や乗組員の名前に正解に近いものが多い。例えば、船名のレキスンタンはレシントン、ホウハワタンはポーハタン。通訳のホツテメンは、ポートマン、五番船の大将「フカナン」はブキャナンなど...。
ペリー一行に対して日本の高級料亭として名高い「百川」(ももがわ)の料理を提供した。その費用は1500両(今の1億5千万円)。ただ、魚介類中心の料理だったので、ペリーたちの評価はあまり高くなかった。瓦版は、その食事風景を描いています。当時の庶民の好奇心を満たしたことでしょう。
幕末には写真が登場しますが、その前には絵しかなかったわけですので、瓦版の絵とそれを紹介する文章は大変貴重なものだと思います。楽しく眺めることのできる瓦版の世界でした。
(2019年12月刊。2500円+税)

2019年12月29日

潮待ちの宿


(霧山昴)
著者 伊東 潤 、 出版  文芸春秋

うまいですね・・・。しみじみとした気分となって江戸情緒をたっぷり味わせてくれる本です。「歴史小説の名手が初めて挑む人情話」だとオビにありますが、まさしく、そのとおりの出来ばえです。
岡山県笠岡市の港町が舞台となっています。ときは幕末から明治のはじめのころです。長岡の河井継之助まで登場してくるのには驚かされますし、長州藩の負け武士たちもあらわれるなど、幕末のころの史実も踏まえていて、一気に読ませる力があります。
主人公の志鶴(しづる)は、貧乏な親から口減らしのため、小さな旅館に奉公に出され、そこでおかみ(女将)の伊都(いと)らに支えられて成長していきます。その姿が各話完結でつながっていくのです。作者の想像力の豊かさには、ほとほと驚嘆するばかりです。
そして、泊まりに来る客、そして女将を慕う人々など、人物描写がよく出来ていて、私も一度は、こんな人情話を書いてみたいものだと、ついつい身のほど知らずに思ったことでした。
潮待ちの宿というタイトルもこの本の話の展開に見事にマッチしています。小さな港で起きる話を「待つ」という言葉で貫いているのに、心地良さを感じさせます。
この本の最後に、出版前に読書会を開いて、いろいろな意見をもらったことが紹介されて、参加者の名前がずらりとあげられているのは、どういうことなのでしょうか・・・。これらの人々の感想によってストーリー展開がいくらか変わったということなのか、もっと知りたいと思いました。
今年よんだ本のなかでもイチオシの本の一つです。
(2019年10月刊。1750円+税)

2019年10月13日

義民が駆ける


(霧山昴)
著者 藤沢 周平 、 出版  中公文庫

徳川家斉、水野忠邦。将軍と有力老中が3つの藩のお国替えを画策し、地元百姓の一揆の前にもろくも敗退し、計画は撤回された。この過程が忠実に再現されていきます。ウソのようなホントの話ですから、もとより面白くないはずがありません。
そして、そこはさすがの藤沢周平です。じっくり味わい深く読ませます。
幕府当局内の力関係を背景に、意思決定が少しずつ実現していくのです。ところが、対象となった^荘内藩では、藩当局と豪商たちが反対に動きます。そして、肝心なのは百姓たちの動き。
これを誰が動かすのか・・・。村のきもいりたち、それを背後で動かす豪商の存在。
川越藩主は、将軍家斉の24番目の男子を養子に迎えている。その川越藩主が実入りのいい荘内藩への移封を望んだ。川越藩が荘内に移れば、15万石から実収21万石になり、長岡藩は7万石が15万石になる。逆に荘内藩は半減する。何の落ち度もないのに移封されて半分に減収を余儀なくされるのは、いかがなものか・・・。
明日は我が身のように思い、内心では反対したい藩主が少なくなかった。でも、実力ある水野忠邦には容易に逆らえない。ことは着々とすすんでいく。
村内の寄合いが始まった。肝煎(きもいり)、長人(おとな)が集まるなかで、国替えに反対して、江戸へ請願に繰り出そうということになった。
いや、すぐに結論が出たわけではない。反対する人も慎重論者もいた。しかし、きびしい年貢の取立てが始まって飢え死にするの必至。それなら、そうならないように行動に移すしかない。次第に話がまとまり、村人たちが普段着のまま、江戸へ向かう。
頼みの相手から助力を断られ、すごすごと宿へ引き返す。ところが、さすがに裁判(訴訟)を専門に扱う公事宿は違い、百姓たちに知恵と工夫を授けた。
百姓たちは地元で2万人も集まる大集会を2度も開いた。ついに百姓たちが大々的に立ち上がったのだ。
初版は1976年9月に刊行されています。ずっしり読みごたえのある文庫本でした。
(2013年10月刊。743円+税)

2019年7月20日

壱人両名


(霧山昴)
著者 尾脇 秀和 、 出版  NHKブックス

江戸時代について書かれた本は、それなりに読んだつもりなのですが、この本を読んで、まだまだ知らないことがこんなにあるのかと驚嘆しました。
1人が2つの名前をもっている。そして、武士としての名前と町人としての名前をそれぞれもっている。また、公家と町人、武士と百姓など、さまざま。
これは、当時の社会ルールにしたがって生きていくうえで必要な仕組みだった。ただし、それが公認されていたわけではなく、何か事件が起きると、1人が2つの名前をもっていることが問題視された。
たとえば、2つの名前をもっていると、裁判のとき砂利の上に座るのか、板張りに座るのかといった扱いの違いがあった。
公家(くげ)の正親町(おおぎまち)三条家に仕える大島数馬と京都近郊の村に住む百姓の利左衛門。二人は名前も身分も違うが、実は同一人物。この人物は大小二本の刀を腰に帯びる「帯刀」した姿の公家侍(くげざむらい)「大島数馬」であると同時に、村では野良着を着て農作業に従事する百姓「利左衛門」でもあった。一人の人間が、あるときは武士、あるときは百姓という、二つの身分と名前を使い分けていた。
これを、江戸時代に、「壱人両名」(いちにんりょうめい)と呼んだ。
江戸時代は、人の名前は、出世魚のように改名するのが普通だった。ただし、それは、同時にいくつもの名前をもっているということではない。つまり、江戸時代の人間も「名前」は一つしかない。公的に使用できるのは、人別などを通じて「支配」に把握された「名前」だけ。
この一人に一つしかないはずの「名前」を同時に二つ持つ者を「壱人両名」と呼んだ。
江戸時代には、僧侶には僧侶の、武士には武士の、商人(あきんど)には商人の、それぞれの身分にふさわしい名前と姿(外聞)があり、それは身分や職業を、およそを他者に知らせる役割も担っていた。
「壱人両名」は、村や名跡と化した名前や身分を、縦割りである各「支配」との関係を損ねることのないよう、維持・調整できる合理的な方法として、平然と行われていた。ただし、それは声高に奨励されてはならないものだった。
武士身分をもったまま、「町人別」まで保持して町人身分になっている者は少なくなかった。壱人両名は、ごくありふれたことだった。しかし、何かでそれが発覚すると、「所払い」などの処罰が加えられた。つまり、壱人両名は、江戸時代の社会秩序の大前提、とくに縦割りである各「支配」との関係から、表面上うまく処理するために行われていたのであって、その状態が他人を騙したり、村や町を苦しめたりしない限り、表沙汰にされることはなかった。
うひゃあ、知りませんでした・・・。
(2019年4月刊。1500円+税)

2019年1月26日

大名絵師、写楽

(霧山昴)
著者 野口 卓 、 出版  新潮社

東洲斎写楽の役者絵は、いつ見てもすごいです。圧倒されます。目が生きています。見事な人物描写です。
写楽絵が登場したのは寛政6年(1794年)のこと。フランス革命(1789年)の直後になります。この皐月興行で役者の黒雲母(くろきら)摺(ず)り大判大首絵を28枚、続く盆興行、顔見世興行と多量に出し、翌年の初春興行では少し出しただけで、それきり跡形もなく消えてしまった。だから、今なお、写楽とは誰なのか、その正体を究めようという人々がいる・・・。
いえいえ、写楽は、阿波つまり徳島の能役者で斎藤十郎兵衛だと決まっているじゃないか。私も、実はそう考えていました。
ところが、この本は、いやいやそうじゃないんだ、実は写楽は徳島藩主になった佐竹重喜(しげよし)なのだ、その正体を隠すために二重三重のトリックを使ったという展開の本です。
小説なので、どれほど史実にもとづいているのか私には分かりませんが、その展開はとても面白いものがありました。
写楽こと重喜は、徳島藩主になってからあれこれ藩政を改革しようとし、家臣内の猛反発を受けて失脚してしまうのです。藩政よろしからずと幕府に隠居を命じられたのでした。32歳で徳島藩の江戸屋敷、そして徳島の大谷別邸で暮らすようになった。
重喜は狩野派に学んだうえ、平賀源内から蘭画の手ほどきを受けた。
喜多川歌麿、葛飾北斎、司馬江漢、円山広挙、谷文晁そして山東京伝など、そうそうたる絵師がいるころのこと。
大谷公蜂須賀公重喜候を連想させない名前として東洲斎写楽が考案された。
そして、役者の錦絵を描かせて売り出すのは、蔦屋(つたや)重三郎だった。重三郎は耕書堂という屋号で版元を営んでいた。徳島藩の現藩主は重喜の息子。前藩主が徳島を出て勝手に江戸に移り住んでいることが発覚すると幕府当局から厳しくとがめられる危険がある。したがって、すべては隠密に事を運ばなければいけなかった。
絵師の世界、そのすごさが活写され、よくよく伝わってきます。電車の往復で読了し、幸せな気分になりました。
(2018年9月刊。1900円+税)

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