弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

人間

2020年8月15日

なぜ僕らは働くのか


(霧山昴)
著者 池上 彰(監修) 、 出版 学研

マンガを主体としながらも、きちんとした文章で子どもたちが人生の選択を考えるうえのヒントが満載の本だと思いました。
私自身は、大人になったら何をしようか、とか考えたこともありませんでした。野球選手だとか考えたこともありません。だって、スポーツはおつきあい程度でしたし、歌は音痴ですし、せいぜい本を読むのが好きなだけでした。
ずっと学級委員長もやってましたけれど、別に世話好きではありませんので、政治家なんて考えたこともありません。学者もそんな能力が自分にあるとは思えませんでした。だから、無難なところで公務員(官僚)にでもなるしかないかなと思ったのでした。
小学生のなりたい職業ランキングが1990年には男子は野球選手、警察官、おもちゃ屋さん、女子は保育園の先生、お菓子屋さん、学校の先生でした。それが2018年には、男子は野球選手、サッカー選手そして医師になりました。4位にゲーム制作そして6位にユーチューバーが入っています。女子はパティシエール、看護師、医師となりました。有資格者が増えて堅実な傾向です。
時代が変わると、仕事も変わるのですね。
AIと仕事の関係も考えられています。でも、AIに奪われる仕事ばかりではありません。AIにまかせられない仕事として、精神科医、国際協力専門家、作業療法士、カウンセラー、はり・きゅう師などがあがっています。私自身は弁護士もカウンセラー的な要素をふくめてAIにとって代わられることはないと確信しています。
仕事がうまくいく人は、好奇心がある、持続性がある、柔軟性があるとされています。私も、この三つをもち続けたいと考えています。
そして、楽観性があり、冒険心があるのも大切だとしています。まったく異議ありません。
お金だけが人生ではない。まったくそのとおりです。
本を読む(読書)は、自分とも対話している。著者と対話するだけでなく、自分はどう思うかなど、自分との対話もしている。この2つが心のなかに生まれるので、人の精神が成長する。
とても読みやすいので、中学生にはぴったりの本だと思いました。
(2020年6月刊。1500円+税)

2020年8月 6日

治したくない


(霧山昴)
著者 斉藤 道雄 、 出版 みすず書房

日本では、精神病院に何十年も入っている患者って珍しくもなんともありません。それはフツーにあることです。ところが、イタリアでは精神病院に長く入院している患者はいないと聞きます。日本で患者が入院しているのは、退院しても居るところがないことが大きいと思います。受け入れてくれるところがないのです。
この本は、そこに果敢に挑戦している北海道の診療所のすごい話です。北海道浦河町にある「浦河ひがし町診療所」です。
開設したのは、今から6年前の2014年5月のこと。ワーカーがいなければ、精神科の患者は退院できない。ワーカーの支援がなければ、患者は退院してもまた病状が悪化し、再入院のコースをたどる。
ひがし町診療所の開設にあたって中心テーマとなったのは、精神医療をどう進めるかではなかった。患者・精神障害者の「地域での暮らし」をどう支えるか、だった。10年以上も入院していた人が、地域で生活するって、想像する以上に大変なことだ。
「金欠ミーティング」なるものがある。金欠病になったメンバーが、なぜ自分たちにはお金がないのか、どうすれば金欠とともに暮らせるのかを語りあう集まりだ。たんにお金がないというのではなく、とにかくお金を使ってしまう。分かっていながら、それでもなお使ってしまう。それが金欠病だ。
ある40代の女性は、生活保護のお金を手にすると、「使わなければいけない」という強迫観念にとらわれ、すぐにいらない洋服や雑貨を買い、すぐ金欠になる。お金がないと不安なのではなく、お金があると不安なのだ。こんなタイプの金欠病もある。
金欠ミーティングのスローガンは、逃げない、借りない、ごまかさない、だ。
嘘をつく人は、他人の嘘に敏感だ。
精神科に長期入院していた患者が退院して、町で暮らす。それが「すみれハウス」だ。
ひがし町診療所にやって来る多くの患者が求めるのは、医療技術ではなく、安心、そして楽しさだ。患者は、そんな医師に惹きつけられて外来にやって来る。
認知症を治すことはできなくても、家族を応援することはできる。訪問診療の目的は安心を届けること。医師が来る、いつでも相談できると思えば、家族は安心する。その安心が認知症の父親に伝わっていく。
依存症は、医者が一生懸命になればなるほど、再発と入院を繰り返していた。
医師が患者を、病気を丸ごと引き受けて自分の思うどおりに治療をすすめようとしても、事態は何も変わらない。
日本の精神科の入院患者は31万人。どの国と比べても突出して多い。とにかく病院に入れて出さない。
地域に退院してきた精神障碍者の居場所をつくるって、大変なことだけど、必要なことだと本を読みながら実感が伝わってきました。さて、浦河町以外にも、こんな診療所はいったい、あるのでしょうか...。
私たちにできることは、笑うこと、そして考えること。笑いは自分を支え、考えることができるようにするため。考えるのは、この自分とは、いったい誰なのか、なぜ自分はこのようなことをしているのか、あるいは出来ないのかそこにどんな意味があるのか、考え続けることだ。
なるほど、そういうことなんですね。思いのたくさん詰まった本でした。
(2020年5月刊。2200円+税)

2020年7月17日

わたし、虐待サバイバー


(霧山昴)
著者  羽馬 千恵  、 出版  ブックマン社

母のネグレクト、義父による性的虐待で追い詰められ、精神科の閉鎖病棟に入れられた少女。このトラウマは一生続くだろう...。
それでも、大学に入り大学院に進学しました。そんな著者が自分の半生を振り返って文章にして、ネグレクトした母親とも今では「対話」できていますので、救いがあります。なぜ、これほどの虐待を受けながらも、サバイバーとして自分の経験を語り、精神科医と対談できるようになったのか...。
やりきれない不満でいっぱいだったことから、やがて学校の教師をはじめ、世の中すべてをひどく恨むようになった。
わたしは何も悪いことをしていないのに、なんて不公平な社会なんだ...。
胸にナイフをしのばせて、無差別殺人をする自分の姿を思い浮かべて、社会への恨みを晴らしめたいと何度も想像した。しかし、そんな衝動にかられるたびに、5歳まで可愛がってくれた祖父母や、親戚のおじさん、おばさんの顔が浮かんだ。
人間、犯罪を実際に犯してしまうか、ギリギリでブレーキがかかるかの違いは、「思い出のなかに振り返る顔があるかないか」だ。その優しい顔がストッパーになる。幸いにも犯罪防止のための温かいストッパーが、著者には5歳までに取りつけられていた。親は選べない。しかし、優しくしてくれた祖父母や親戚、そして近所のおじさんおばさん、こうしたラッキーなものを持っていた。その思いが、ギリギリの怒りを抱えていた著者を、犯罪への欲望から救ってくれた。
場面はちょっと異なりますが、戦災孤児たちは、両親を喪っても、案外、ひどい非行に走らなかったというルポを読んだことがあります。戦災にあう前、両親から愛情たっぷりに育てられていた子どもたちは、両親を喪って、悪の世界に包み込まれそうになるなかで、多くの子どもたちがもう一歩のところで踏みとどまったというのです。それだけ、幼児期の愛情は大切だということです。
もう一つ私が驚いた記述がありました。
1973年にアメリカで人工妊娠中絶が合法化された。すると、凶悪犯罪が激減したというのです。なぜか...。望まれないで生まれる子どもが減ると、凶悪犯罪の発生率は低くなる。これは愛されないで育つことが、いかに危険か、ということ。
なーるほど、そんな関係があるのですか...。
あれだけ母を否定していた著者が、母と同じになっていく。深い悲しみとやりきれなさで、目の前が真っ暗になった。母をひとりの人間としてみると、母も親から虐待されて育ったという被害者であり、可哀想な人だと涙が出てしまう。
著者のような虐待サバイバーの人生は、大切な人とのお別れの連続。大切だと思う人ほど、愛着を起こして振り回したり、理解してもらえないと悲しくて攻撃してしまい、傷つけてしまう。
大人の友情のルールとは、自分の相談が相手の負担になっていないかどうかを常に確認すること。自分のことを理解してもらいたいと思ったら、自分の不幸なエピソードだけを押しつけるのではなく、同時に感謝と前向きな自分を必ずセットで伝えること。
著者は、ときとして攻撃的人格に切り替わるといいます。「黒いチエ」になって、ターゲットを定めて攻撃してしまうのです。これをやられたら、たしかに相手はたまりませんね...。
虐待を受けた人は、そのトラウマについて自分で理解する、気づくまでに20年や30年は平気でかかる。子どものころ性的虐待を受けた人が、子ども時代に何を意味するか知らなくても、やがて理解する。それまでに人生の半分以上が過ぎていることがある。有名な和田秀樹医師(精神科)の言葉です。大変勉強になりました。
(2019年8月刊。1400円+税)

2020年7月12日

誰も見ていない書斎の松本清張


(霧山昴)
著者 桜井 秀勲 、 出版 きずな出版

これは面白い本です。
松本清張の作品鑑定は「面白いかね?」の一点に尽きる。なので、松本清張は文芸評論家にはなれない。小説は面白くなければならない。これが松本清張の単純持論だった。
松本清張は光文社の編集者である著者に対して、プロットを話して聞かせ、「どうかね、面白いかね?」を連発した。
松本清張は話したものと書いたものとが、ほとんど違わなかった。著者が顔をしかめたり、首をひねると、そこを修正していく。
昭和40年前後、松本清張はあまりに書きすぎて、手が震えたりする書痙にかかった。このとき、速記者が口述筆記をして助けた。大作でも松本清張は口述速記が可能だった。
松本清張には下調べして下書きするライターがいると聞かされたことがありますが、どうやら嘘のようです。あまりの多作と、資料の発掘がすごすぎるので、みんなが憶測したのでした。
松本清張はよく旅をしたし、丹念に現場取材した。電話取材も巧みだった。取材力を駆使して、短い一遍を書くときでも、惜しみなく時間、労力、資料を注ぎ込んだ。
松本清張には、作家の資質は才能ではなく、原稿用紙を置いた机の前に、どれくらい長く座っていられるかという忍耐強さによるという特異な考え方があった。
著者が作家になろうと決意したとき、1日16時間、机の前に座れとアドバイスした。司法試験のための受験勉強なみですね...。すごい努力です。
松本清張の忍耐力こそが、巨大な作品量を生み出した起爆剤になった。
松本清張は、著者が過去の作品をほめても、ちっともうれしそうな顔をしなかった。松本清張の真骨頂は、次に何を書くか、自分にはどんな才能が眠っているかの二点についてだけ、生き生きとした関心を示す点にあった。
著者は22歳のとき、43歳の松本清張に出会った。
徴天才の松本清張の人間性が惜しみなく語られていて、とてもとても面白い本でした。
著者は210冊をこえる本を書いた作家でもあるそうです。失礼ながら知りませんでした。
(2020年1月刊。1500円+税)

2020年7月 7日

あたいと他の愛


(霧山昴)
著者 もちぎ 、 出版 文芸春秋

「ゲイ風俗のもちぎさん」って、その世界では有名人らしいですね。ツィッターのフォロワーも47万超だとのこと。まったく私の知らない世界です。
父親は自殺し、母親は「毒親」。苦しい家庭環境でも、初恋の先生(男性)、腐女子(BL大好き)の友だち、ゲイの仲間、そして実姉。
「かけがえのない出会いと愛と優しさと勇気が、あたいを支えてくれた」
これはオビのコトバですが、まったくそのとおりの苦難にみちみちた生活を著者は今日まで送ってきたのでした。
母親について、「ちょっとヒステリックな母ちゃん」と言ったり、「いわゆる毒親のシングルマザー」としたり、「母ちゃんも不安に怯えてただけの人間だったのかなって感じる時もある」としています。
父親は著者が小学1年生のころ、借金ができて偽装離婚したあとに自殺しました。
生活保護を受けた母親は、給与明細の出ない自営業の店でアルバイトしろと娘(著者の姉)に押しつけ、姉は週6日アルバイトして高校を卒業した。そして、母親はコインゲームに入り浸っていて、家事もあまりしない。
母親は高校生、父親は中卒で働いているとはいえ、まだ20歳前。そして、母親はまもなく妊娠した。母親は箱入り娘で、ちょっとワルな父ちゃんに惹かれて一緒に夜遊びばかりするようになった。それで生まれたのが姉。母親の実家は、その後も母親を甘やかし続けた(らしい)。
父親が商売に失敗して借金をこしらえ、生活が行き詰まると、母親は子どものように毎日騒いで、父親に非難の声を浴びせ続けた。そして、父親は精神的に参って偽装離婚を申し出て、そのあと...。
母親は、一変した。それまでのただの専業主婦から、自分が母親であることを嫌悪した苛烈な独裁者のように変化してしまったのだ...。
母親は、よくわからないタイミングで怒った。
初対面の人にはとにかく気をつかって体裁よく振る舞う。
著者に向かって、「あんたは産むんじゃなかった」とよく言った。
これって、絶対に子どもに言ってはいけない言葉ですよね...。
母ちゃんは、いま思えば少女だった。自分は守られるべき弱い人間なんだと暗に訴えていた。
誰かが母ちゃんを少女のように庇護下に戻してケアしてあげれば、母ちゃんも救われたかもしれない。母ちゃんは、どこまでもこの人は逃げてしまう姿勢なんだと著者は子ども心に感じた。
カナコは誰よりも優しいのに、体格や話し方、性格から、周囲が「女性らしくない」と判断して、それでからかい始めた。きゃしゃな女性らしさをもたないから、粗暴な人間だと勝手に決めつけて...。
社会は変わらない。他人は変えられない。だから自分のアイデンティティを変えるか隠せばいい。それがカナコの学んだ処世術で、変えられない自分の特徴をもつカナコにとっての残酷な現実だった。カナコは高校2年生の著者にこう言った。
「おまえはゲイさえ隠せば、あたしみたいに笑われ者にならないんだよ。同じ生まれもっての『普通じゃない人間』でも、おまえとあたしは違う。だから、おまえは絶対にゲイってバレないように生きろよ」
インターネットの世界を通じて、意外に、この世界にはゲイがたくさんいること。お金を支払って性行為に及ぶ大人が多いことを知った。ただ、『売春』すると、お金のためとはいえ、あたいは少しずつ、心が死んでいくような思いがした。
「相手を否定したり、屈服させるためだけに生き続けたらダメだ。他人に生き様の動機を置いていたら、それは自分の人生を自分の理由で生きられない無責任な奴になるってことなんだぞ。失敗しても他人のせいにする大人になる。だから母親を見返すためだけに生きた大人にはなるな」
これは、ゲイ風俗の店で著者が働いていたときの店長のコトバだそうです。すごい店長ですね、カッコイイです。すばらしい。まったくそのとおりだと私も思います。こんな大人に出会えて、著者はこんな心を打たれる本を書いて自分の母親を振り返ることができたのですね...。いい本でした。
(2019年11月刊。1200円+税)

2020年7月 1日

母がしんどい


(霧山昴)
著者 田房 永子 、 出版 角川文庫

母と娘の関係も、父と息子の関係にまさるともとらないほど難しいのですね。
この文庫は、コミック・エッセイなので、パラパラと読めますが、そこで描かれている情景は、あまりに重たくて、どうにもたまりません。
まわりから見ると、仲良し親子。だけど、「お母さん、大好き!」って思ったことがない。
なんの問題もない、しあわせ家族。だけど、実は、お父さんとしゃべったことがない。会話は、いつもお母さん越し。
お母さんは、いつも「あなたのため」と言う。だけど、本当に私のためなの? お母さんがやりたいから、やっているとしか思えない...。
マンガで描かれているので、視覚的に問題状況が理解できます。いやあ、これって、子どもには大変な試練だな...と思ってしまいました。
親がしんどいという気持ちに苦しんでいる人が、なぜ苦しいかというと、親からフェアではない目にあわされてきているから。一方的にいろいろされてきたうえ、なぜか「おまえが悪い」という言葉によって、その責任を押しつけられる、つまり、いきなりに「加害者」として扱われてきたことによる。
「自分が悪い」というのが基本にある考え方がしっかり身についているから、家庭の外に起きることまで、すっかり「自分が悪い」で片付けるようになってしまう...。
「おまえが悪い」という親の言葉を「自分が悪い」として生きていると、親と一心同体の状態にあるのと同じ。なので、まずは親から自分を引き離す作業が必要。「おまえが悪い」というけれど、そうしたのは親なのだ。つまり、ちゃんと被害者の立場に立ち切ることが大切。
ちょっと前まで、娘が母親を非難・批判するなんて許されないことだった。まして「毒母」なんていう言葉を投げつけるなんて、とんでもないことだった。でも、昭和が終わり、平成になってまもなくから、それが可能になった...。
「母の愛」と信じてきたものが、実は、「母による支配」だったと自覚することによって、母から離脱し、人間として自立できる。ということのようです。同性である母と娘の関係のむずかしさを少しばかり実感して理解することができました。
では、父親(夫)は、どうしたらよいのか...。この本の解説は、父親に期待することは、ただひとつ、ちゃんと母親(妻)をケアしてもらいたいということ。
うむむ、これまた簡単そうで、実は、そんなに容易だとは思えません...。
時宜にかなったマンガ・エッセイの文庫本だと思いました。
(2020年2月刊。600円+税)

「デンジャー・クロース」というベトナム戦争を扱ったオーストラリア映画を博多駅の映画館でみました。ベトナム戦争は私の大学生のころ、何度となく「反対!」を叫んでデモ行進をしたものです。
この映画は、オーストラリア軍がベトナム戦争に加担していたこと、南ベトナムで北ベトナム正規軍2000人からオーストラリア軍中隊108人が包囲・襲撃されて残った「ロングタンの戦い」を実写化しています。
オーストラリア軍がベトナムに派遣されていたことを詳しくは知りませんでした。陸・海・空の3軍あわせて5万人も派兵していて、450人の戦死者、そして2400人もの戦傷者を出しています。
この「ロングタンの戦い」は、まだオーストラリアでのベトナム反戦運動が盛んになる前の、1966年(昭和41年)8月18日に起きました。オーストラリア軍の戦死者は18人。みんな20歳前後の若者です。これは私とほぼ同じ年齢(1歳か2歳だけ年長)です。
そして、北ベトナム軍の戦死者は確認されただけでも245人。1割以上です。
「デンジャー・クロス」(極限着弾)とは、味方に対して超至近距離で砲撃することを要請すること。味方の小隊がこの砲撃で全滅してしまう危険もあるもの。
ベトナム戦争を描いたものとして、迫真の場面の連続で、すっかり固まってしまいました。


2020年6月27日

やまと尼寺精進日記


(霧山昴)
著者 NHK「やまと尼寺精進日記」制作班 、 出版 NHK出版

ただ今、NHKのEテレで放映中らしいですね。この本を読むまで知りませんでした。なにしろ、日頃はテレビをまったく見ないものですから...。
奈良の山深いお寺に暮らす2人の尼さん、お手伝いの女性1人の計3人。尼さんは、さすがに2人ともツルツル頭です。その笑顔の写真からは、愉快な笑い声まで聞こえてきそうなほど...。
奈良の山奥にひっそり3人の女性が住んでいるかと思うと、実は、いろんな人がこの山寺(尼寺)にやって来て、同時にいろんなものを持ち込みます。
そして、この山寺の庭や近くの山で四季折々に採れるものが、バラエティーに富んだ、美事においしい料理に生まれ変わります。
この料理の写真がまた実に素晴らしいのです。ぜひぜひ一度は味わってみたいと思わせる料理のオンパレード。こんな美味しそうな料理を自分たちでつくって食べていれば、そりゃあ自然に笑顔になるでしょうよ...と、いらぬやっかみまで生まれてきます。
住職は料理の達人。食べることへの情熱は誰よりも強く、どんな食材もおいしく調理してしまう。そばにいたら、食いっぱぐれのしようがない人。
わが家でも先月、梅の実がザル2杯分とれましたが、この山寺では採れた梅の実で、梅酒、梅味噌、梅干しの天ぷら、梅の甘露煮といろいろに味わいます。すごーい...。
秋のギンナンも、天ぷら、ギンナンご飯、かぼちゃ団子の上のアクセントに...。
冬には薪ストーブで焼くピザ。具材は、コーンに干しトマト、干しかぼちゃ、シイタケの煮物、じゃこピーマン、自家製チーズ。いやはや、なんとも美味しそうですよね...。
もう放送開始から2年になるそうですが、楽しそうな尼寺精進日記を私も近いうちに見せてもらうことにします。この本は、写真集としても人物も料理もピカピカ輝いていて、見事な出来映えです。
(2019年11月刊。1600円+税)

2020年6月22日

パンツははいておけ


(霧山昴)
著者 早乙女 かな子 、 出版 幻冬舎

タイトルを見て、パンツ・ルックつまり女性にとってのズボン姿のことかな、それでも、なんだか変なタイトルだな...、そう思っていると、本文を読んで、パンツとは昔で言う女性用パンティのことでした。ええっ、じゃあ、これってどういう意味なの...。
著者は超教育ママの下で小学生のときまでは超優良生徒でした。そして中高一貫の名門中学に入ったころから自我に目ざめ、モーレツ・ママと激しいバトルを展開するようになります。その前に酒乱の父による家庭内暴力があり、被害者である母親の部屋に逃げ込むと、そこで母娘のバトルが展開するのです。
まったく読むだけで息が詰まって窒息しそうになります。父と息子も難しい関係にありますが、母と娘のバトルの深刻さは想像以上のものがあるようです。
やがて著者は中卒フリーターとして働きはじめますが、簡単に生活できるはずもありません。人間関係そして人生に見切りをつけて6階から飛び降り自殺を試みます。すると、奇跡的にたいしたケガもなく助かるのです。同じ病院に、同じように自殺を企図して車椅子生活になった少女がいました。「あなたみたいになりたい」とつぶやいたら、その娘(こ)に思い切り顔を叩かれてしまいます。そのときは、その娘がなぜ怒ったのか分かりませんでした。
幼いながら母を喜ばせるのが自分の使命だと察知し、母の期待する「いい子」に育とうとした。母の絶対王制と父の暴力の狭間で育った三人の子ども(2人の兄と著者)は、とても仲が良かった。というか仲良くせざるをえなかった。
小学校で不登校となり、秋葉原にコスプレに出かけた。
中学2年生になると、父の暴力がひどくなった。父の母のケンカを止めず、兄と弟は静観に徹する。
中三の秋、首をくくって自殺企図。そのとき、兄からは「オレたちだって、こんな状況で、がんばっているんだ、甘えるな」と叱られ、弟からは、腹を思い切りけられた。そして小児病院精神科へ入れられる。
著者も母も、それぞれ、ままならない生きづらさを抱えて、かろうじて二本足で立っていた。そんな女同士、互いのフラストレーションを吐き出す口実を見つけるために、いつも互いがボロを出す瞬間を毎日、監視しあっていた。
完璧主義の母親は、物事に対して少しでも欠落している点を見出すと、ひどくヒステリックになる節があった。娘の「中卒」という欠落点にアレルギーのように過敏に反応して、人格レベルでダメ出しをする。
人間はケンカしているときほど、互いの物理的距離が近くなってしまう。相手の粗(あら)を探してやろうと息巻いて、相手の行動をいちいち見てしまい、また争ってイライラする悪循環に陥る。だから、ムカつくときほど、ぐっとこらえて離れたほうがいい。
なーるほど、そういうことなんですね...。
もう人生がどうでもよくなっていた。こんなに価値のない人間、ぐちゃぐちゃに原型をとどめることなく、犯しつくされて、粗末にされて、死にたい。でも、私とのセックスに対価としてお金を払ってくれる人がいたら、うれしい。そんなチリみたいにはかない希望ももっていた。そんな思いで、援助交際を成し遂げるべく、パンツを脱いで、宇宙空間どころか、ラブホテルのなか、得体のしれないオッサンの前で素っ裸になってベッドに身を放っていた。感情のスイッチをオフにして、目を閉じる。そこには一片の悔いもためらいもなかった。自暴自棄になっていた一方、自分に価値があるのか確かめるため、ベッドで裸になっていた。
あるとき、知人の男性が著者に言った。
「自分だけが不幸しているような、その悲劇のヒロインヅラが気に入らん」
たしかに、「凄惨な家庭に生まれた自分」というのに酔って、いざというときの言い訳にしていた。私はこんなに大変なんだから、みんな私に配慮して、助けてよ。こんな主張がいつも心の奥底にへばりついていたから、中学のときクラスからも孤立したし、兄弟からも見放された。
「メンヘラ」という言葉で形容されるそれは、自分の弱い部分をずるく利用して、周囲から大事に甘やかしてもらおうという、おのれの傲慢さのあかしだった。
「もうハタチこえた大人なら、人のせいにしないて、自分の人生を生きてみい」
結局、著者は大学受験のための勉強を再開し、現在は国立の奈良女子大学の学生として在学中とのこと。
著者の最後の呼びかけは、「あなたの大切な人のため、そしてあなた自身のために、人間どんな状況に置かれても、心は錦で、腰にパンツは、はいておけ」というものです。心に迫ります。
電車の中で一心不乱に読んでいたら、いつのまにか目的地の駅に到着していて、慌てて降りました。月並みな表現ですが、ハラハラドキドキのいい本です。あなたもどうぞ読んでみてください。
(2020年2月刊。1300円+税)

2020年6月20日

萩尾望都・作画のひみつ


(霧山昴)
著者 萩尾 望都 、 出版 新潮社

萩尾望都が絵を描いている様子が写真で紹介されています。
そして、アイデアがかたちになる前のクロッキー帳も公開されています。
著者はクロッキーブックに思いつくままにプロットやセリフを書いていく。このクロッキーブックは、月に1冊は使う。
著者は福岡のデザイナー学院で2年間、ファッションデザインの勉強をしていたので、衣裳にも詳しい。
著者がマンガ家になるのを決意したのは、大阪での高校2年生(16歳)のとき。19歳でマーガレットに金賞で入賞し、20歳で上京した。23歳のとき、「ポーの一族」シリーズ第1作を発表。
すごい早熟なんですね。なにしろ2歳で絵を描きはじめ、4歳のときには四コママンガも描いていたというのですから...。
私は、SF長編「11人いる!」にショックを受けました。絵といい、ストーリーといい、まったく想像を絶しています。これは著者がまだ26歳のとき。
「残酷な神が支配する」にも圧倒されました。まったく考えも及ばない世界とストーリー展開だったからです。
この本には、たくさんの原画が紹介されています。もちろん、ストーリーのあるマンガですから、1枚の絵を描けば足りるというものではありません。ストーリー展開にそって人物が動いていきます。
そのとき肝心なのは、やはり、なんといっても目のようです。ほんのちょっとした目つきの違いがストーリー展開を支えるわけです。そこをうまく描きわけていくわけです。まさしく天才的としか言いようがありません。
手塚治虫を尊敬しているとのこと。やっぱり、ですね。
あまり社会的発言はしていないようですが、3.11についてはマンガにしているようです(すみません。読んでいません)。
「永久保存版」と銘うってあるだけのことがある、豪華カラー図版満載の本です。萩尾望都ファンでなくても、少しでも関心があれば、ぜひ手にとって眺めてみてください。
著者は私と同じ団塊世代。著者の母親は私の母と同じ福岡女専の同級生でしたので、著者の顔写真をみるたびに著者の母親そっくりだと思ってしまいます。
(2020年4月刊。2000円+税)

2020年5月23日

旅人の表現術


(霧山昴)
著者 角幡 唯介 、 出版 集英社文庫

著者の旅行体験記である『空白の五マイル』そして『極夜行』には、ため息を吐くのも忘れてしまうほどに圧倒されてしまいました。もちろん、その旅行から無事に生還して体験したことを文章化しているわけですが、その旅行では極限の窮地に置かれ、どうやってこの死地から脱出するのか、つい手に汗を握ってしまいます。
著者は初めから文章や本を書くことを前提に探検や冒険に出かけている。
はじめのころは、行動者としての自分、表現者としての自分が分裂し、自己矛盾をきたしているのではないかというジレンマにかなり悩まされた。しかし、今では、このジレンマに苦悩することは、ほとんどなくなった。それは探検家としての行動者的側面と、書き手としての表現者的側面が自分のなかで無理なく一つにまとまっていると感じることができるようになったからだ。
なーるほど、ですね。なんだか悟りの境地にある仙人みたいです。
冒険とは、死を自らの生の中に取り組むための作法である。
経験とは、想像力を働かせることができるようになることだ。自分だけの言葉で語ることのできる事柄を、自分の中に抱えこむということだ。冒険のあいだ、死にたいする想像力をもつことができる。
探検は冒険の一種だ。冒険というのは、個人的な行為だ。主体性があって、生命の危機にかかわる行為であれば、それは冒険だ。探検は、それに未知の部分が加わる。
探検はアウトプットを必要とする。冒険はアウトプットを最終的な目的としない。
本多勝一、開高健の作品もすごいと思って読みましたが、著者の探検記も、生と死の極限状態をギリギリのところまで究めようとしている壮絶さがあります。
この本は、そんな著者がいろんな人と対談しているので、さっと読めますし、ああ、そういうことだったのか...と、いろいろ教えてくれました。
(2020年2月刊。700円+税)

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