弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2021年3月 1日

「脳を司る『脳』」


(霧山昴)
著者 毛内 拡 、 出版 講談社ブルーバックス新書

脳の研究は3つの柱から成る。一つは脳障害の記述にもとづいた医学的なアプローチ。二つは、電気的な測定。これは生体が電気を発生していることにもとづく。三つは、顕微鏡技術の進歩による。
脳にも間質がある。つまり「すきま」がある。これを細胞外スペースと呼ぶ。この細胞外スペースは伸び縮みしている。
脳脊髄液は1日に450~500ミリリットル産生され、1日に3~4回、入れ替わっている。この脳脊髄液が常に流れて入れ替わることによって、脳の環境を一定に保っている。
脳脊髄液が髄膜のリンパ管を通って排出されている。このリンパ管を通して全身から脳への免疫細胞の輸送もされている。
睡眠中に、脳脊髄液と間質液が交換されることによって、アミロイドβのような代謝老廃物であるタンパク質が洗い流される可能性がある。
睡眠障害によってアルツハイマー病になるのか、アルツハイマー病になったから睡眠障害になるかという因果関係は、今のところ明らかになっていない。ただし、良質な睡眠が健康維持に重要なことは明らか。
生物は金属よりも電気を蓄える能力が高い。もっとも誘電率が高い金属よりも生物のほうが1000倍も大きい。
低周波で電気を蓄える能力が高まる。細胞外スペースが脳の電気的な特性を決めている。低周波は、生体に与える影響が大きいので、注意が必要。脳の20%ほどは、細胞外スペースと呼ばれる「すきま」である。
頭の良い人ほど、ニューロンの密度は低く、シンプル。IQテストの成績が良い人ほど神経突起の密度が低く、枝分かれが少ない。これは脳内にムダな接続が少なく、回路が効率的になっているということ。
著者は道に迷ってみることを読者にすすめています。脳の警戒が高まり、身を守るために注意力や集中力が高まるから。これは脳を若く保つ秘訣でもある...。
脳の話は、いつだって面白いです。興味は尽きません。
(2020年12月刊。1000円+税)

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2021年3月 2日

国際水準の人権保障システムを日本に

司法


(霧山昴)
著者 日弁連人権擁護大会実行委員会 、 出版 明石書店

2019年10月に徳島で開かれた日弁連人権擁護大会のシンポジウムが本となりました。
このシンポジウムは、個人通報制度と国内人権機関という二つの人権保障システムの実現を目ざしていましたが、どちらも聞き慣れないものです。
個人通報制度とは、国際人権条約で保障された権利を侵害された人が、国内の裁判などの救済手続でも権利が回復しないときに、条約機関へ直接、救済申立ができる手続のこと。日本は、8つの国際人権条約を批准しているが、これらの条約に附帯されている個人通報制度を導入していない。8つの条約とは、自由権規約、社会権規約、人種差別撤廃条約、女性差別撤廃条約、拷問等禁止条約、子どもの権利条約、障害者権利条約、強制失踪条約。
また、国内人権機関とは、人権の保障と促進のために設置される国家機関で、世界では120をこえる国・地域に設置されているが、日本にはない。
日弁連は、このシンポジウムを受けて個人通報制度を直ちに導入し、国内人権機関もまたすぐに設置することを求める決議をしています。
日本は、国際人権条約を批准・加入しているけれど、個人通報制度を利用できるようにするためには、政府は選択議定書の批准が受諾宣言をしなければならないところ、何回も勧告されているのに日本政府は無視し続けている。
たとえば、弁護人の立会なしの取調べは、自由権規約に反するという個人通報ができるはずなのに、それができない。
日本の女性差別の深刻な実情は、森喜郎前会長(オリンピック委員会)の発言で、はしなくも露呈しましたが、女性の8割は収入が200万円以下で、非正規労働者の7割が女性というところにあらわれています。これも、国際機関に訴えることができるはずなのです。
韓国には、国家人権委員会があり、年に1万件の申立があるとのこと。そして、その事務総長をつとめた人権活動家がシンポジウムで報告しました。
韓国では、今では取調べを受けている被疑者に対して弁護人が立会してうしろでメモを取っているのがあたりまえになっているとのこと。日本は韓国よりずっと遅れています。
国家人権委員会の独立性を確保するためには、法務部(法務省)からの人的独立、そして予算の独立性を強化する必要があると強調されています。なるほど、ですね。
少し前まで、最高裁判事だった泉徳治弁護士もビデオレターで個人通報制度は絶対に必要だと強調しています。泉弁護士は、裁判所内でまさにエリートコースを歩いてきた元裁判官ですが、個人通報制度が導入されると、最高裁も国際人権条約違反の主張に正面から向きあい、真剣に取り組むことになり、それが憲法裁判の質を高めるからと言います。
日本では、国際人権条約をいくつも締結しているけれど、個人通報制度がなく、活用されていないため、神棚に祭られて状態になっている。これを日常生活のなかで活かしていくためには、個人通報制度・国内人権機関の2つがどうしても必要だと泉弁護士は繰り返し強調しています。まったく、そのとおりです。
300頁、3000円の本で少し難しい気分にもなりますが、日本も国際水準レベルで人権保障してほしい、そんな声を高らかにあげるため、あなたも、ぜひ読んでみてください。
シンポジウムのコーディネーターをつとめた小池振一郎弁護士(東京二弁)は、受験仲間で、同期(26期)同クラスでした。贈呈していただきました。ありがとうございます。
(2020年12月刊。3000円+税)

 すっかり春になりました。庭のチューリップが2本、咲いています。ほかは、まだまだです。雑草を抜いてやりました。種ジャガイモを植えていたところから芽が出ています。
 花粉症のため、目がかゆく、ティッシュを手放せません。
 近くの山寺(普光寺)の臥龍梅も満開。コロナと花粉症さえなければ、春らんまんで心も浮かれてくるのですが、さすがに今年はそうはなりません。残念ですが...。

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2021年3月 3日

日本を壊した霞が関の弱い人たち

司法


(霧山昴)
著者 古賀 茂明 、 出版 集英社

中国で太子党がのさばっていて、国政の運営が私物化されていると私たち日本人の多くが批判(非難)してきました。でも、日本も同じだったんですね。
2世、3世の世襲議員が国会の議席の多くを占めて、国政を左右しているというだけではありません。国会議員でもなく、単に首相の長男というだけで、総務省のトップ官僚たちが膝を屈して接待を受けていた事実が明らかになりました。ところが、当の首相は、長男は「別人格」だといい、「結果として...」と他人事(ひとごと)のように語って、恥じるところがありません。これが一国の首相の姿かと思うと思わずヘドを吐きそうになります。そんな人をトップにいただいて、子どもたちに道徳教育をすすめているのですから、わが日本はおめでたすぎます。というか、将来が案じられます。
スガ首相は、アベ政治の継承を宣言し、反対する官僚する官僚は異動してもらうと高言しています。アベ首相のコロナ対策は失敗だらけだったことはあまりにも明らかですが、スガ首相も、それに輪をかけてひどい体たらくです。ワクチンだって、全国民がいつ接種できるのか、相変わらずまったくメドが立っていません。それなのにGO TOトラベルの予算3兆円は今もって確保してあるというのですから、開いた口がふさがりません。ひどすぎます。まずは医療機関にまわすべきでしょう。優先順位がまちがっています。ちなみにイスラエルは既に国民の4割がワクチン接種したようですが、政府が定価の5割増しでワクチンを製薬会社から買って確保したとのこと。それくらいのお金のつかい方が必要ではないでしょうか...。
日本のエリート官僚の1人だった著者は、官僚は賢くはないが、それほどの大バカでもない。ただし、間違いを認めることは大嫌いだ、としています。そうなんでしょうね。
アベノマスクをアベ首相に進言した官邸官僚は、灘一東大のエリート経産官僚だと言われていました。灘一東大ですから、大バカでないどころか、賢いはずですが、世間を見る目がないという意味では間抜けそのものでしたよね...。
著者は、議事録は改ざんされる心配があるので、会議のインターネット配信を提案しています。これだと改ざんされる心配はありません。なーるほど、ですね。いいアイデアです。
官僚だった著者は、官僚は極悪人でも聖人君子でもないと結論づけています。私もそうなんだろうな、と思います。公務員の多くは、そこそこ優秀で、まあまあ働く、真面目な人たちだというのです。私も異論ありません。
森友事件で自死してしまった赤木さんについての本を読むと、いかにも真面目な公務員だったことがよく分かります。そんな大勢の真面目に働く人々(公務員)の上に立つトップ官僚の多くが、今やアベ・スガ政治に毒され、堕落してしまったのでしょう。本当に残念です。
エリート官僚を輩出してきた東大法学部では、官僚を目ざす人が減ってしまったとのこと。優秀な学生は弁護士とか外資系コンサルタントを目ざすというのです。そして、官僚になっても、数年内にやめていく人が増えているとのこと。仕事のきつさと、面白みのなさが原因。そのうえ、国会で恥ずかしい答弁をさせられたら、もう、やってられませんよね...。
アベ内閣は、内閣人事局を創設した。各省の幹部人事を一元管理するところだ。それまでは、各省の事務次官が人事権を握っていた。アベ首相は、与えられた権限を最大限、なんのためらいもなく、自分のために行使し、それによって官僚に対する自らの優位性を誇示した。内閣人事局によって、非常にわかりやすい形で官僚に対する安倍支配の構図が示された。
今回のスガ首相の長男による総務省トップ官僚の接待事件は、まさしく日本の政治がいかにただれ切っているかを明らかにしたものです。ここに東京地検特捜部がメスを入れなかったら、特捜部も、やっぱり首相に忖度(そんたく)するだけの存在なのか...と、多くの心ある国民を幻滅させてしまうでしょう。嫌ですよね、どこかでこんな悪弊をきっぱり断ち切る必要があります。
(2020年10月刊。1600円+税)

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2021年3月 4日

砂戦争

社会


(霧山昴)
著者 石 弘之 、 出版 角川新書

全世界で高層ビルが次々に建てられていくなかで、コンクリートの原料となる砂が世界的に不足しはじめて、争奪戦が始まっていて、闇ビジネスが横行しているとのこと。ええっ、なんということでしょうか、信じられません。だって、世界中に大砂漠があちこちにあるじゃありませんか...。ところが、この本によると砂漠の砂はコンクリートの原料として使えないというのです。これはビックリ、です。どうして、でしょうか...。
砂漠の砂は、コンクリートの骨材として使えない。セメントに混ぜるには細かすぎるうえに、角がないために砂同士がからみあうことができない。そのため、セメントに混ぜても、コンクリートの強度が得られない。そのうえ、砂漠の砂には塩分含有量が多すぎる。海砂と同じように、アルカリ骨材反応を起こして建造物の強度や安全性が脅かされる。砂漠に植物が育ちにくいのは、水の不足だけでなく、塩分が多いため。
ドバイのような中東の湾岸諸国は、建設ラッシュが続いているけれど、ビル建築用の砂は、すべて海外からの輸入に頼っている。砂漠の国々が砂を海外から輸入する。このパラドックスは冗談でもなんでもない。いやはや、なんということでしょうか...。
世界の構想ビルのうち、300メートルをこえる超高層ビルは世界で178本もあるが、そのうち中国が88本を占めている。いやはや、これはすごいことですよね。世界中の超高層ビルの半数ほどが中国所有だったなんて...。
中国は年間25億トン近いコンクリートを消費している。そして巨大ビルの建設ラッシュによって、砂の需要は増え続けている。
ドバイの人口における自国民の割合は、白人が8%、外国人が9割以上を占める。
インドでは砂マフィアが暗躍している。砂マフィアは、インドの犯罪組織のなかでも、とくに強大。反対するジャーナリストやNGOの活動家、ときには取り締まる役人や警察官に対しても暴力をふるい、殺害もいとわない。インドでは、2020年までに48人のジャーナリストが殺害されたが、そのうちの44人は砂にからんでいる。
シンガポールは、政界最大の砂輸入国。そして周辺のインドネシア、カンボジア、マレーシアはシンガポールへの砂の輸出を禁止した。
ベトナムの砂埋蔵量は23億立方メートルで、あと十数年で枯渇してしまう。
再生プラスチックを道路舗装の砂の代替品として実用化されつつある。コンクリート中の天然砂の10%をプラスチック屑(くず)に置き換えると、年間8億トンの節約になる。
超高層ビルの4割が中国にある、その中国は年に25億トンものコンクリートを消費している。アメリカが20世紀の100年間に使ったコンクリートの総量は45億なので、中国の2年分でしかない。
世界中で巨大ビルの建設ラッシュが続くなかで、砂の需要は増え続けている。
地震国・日本で超高層ビルに居住して生活しようという人の気持ちが分かりません。少し前に川崎で超高層マンションの地下が水害にあって、エレベーターが止まり、水がストップしてトイレが使えないという事態がありました。どんなに近代的な設備にしたところで、電気と水道が止まらないという保障はまったくないのは明らかだと思うのですが...。
砂もいずれ枯渇するということ、すでに争奪戦が始まっていることを初めて知りました。
(2020年11月刊。900円+税)

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2021年3月 5日

怒り

アメリカ


(霧山昴)
著者 ボブ・ウッドワード 、 出版 日本経済新聞出版

トランプの4年間を総括するというサブ・タイトルのついた本です。著名な記者がトランプ大統領に直接、オンレコで取材したことがベースになっていますので、トランプ前大統領としても全否定できるはずがないものです。
アメリカのすばらしいところは、この本がアメリカで150万部も売れたということです。アベ前首相の回顧録がつくられたとして、それが何万部、何十万部も売れるとは、私にはまったく思えません。
トランプ前大統領の人間性を知れば知るほど、こんないいかげんな男にアメリカ人の多くがコロッと騙され、今なお共和党議員の多くが信奉しているというのが信じられません。
トランプは取材した著者に対して、「すべてのドアの向こうにダイナマイトがある」と答えた。
予想外の爆発で、なんもかもが変わりかねないという意味だ。しかし、そのダイナマイトは、実はトランプ自身だった。
肥大した個性、組織化の失敗、規律の欠如。トランプは自分が選んだ人間や専門家を信頼しない。アメリカの社会制度の多くをひそかに傷つけるが、あるいは傷つけようとした。人々を落ち着かせて、心を癒やす声になるのに失敗した。失敗を認めようとしない、下調べをきちんとしない。他人の意見を念入りに聞かない、計画立案ができない...。
トランプは、長く、自分に異議を唱える人間を傷つけてきた。敵だけでなく、自分の部下やアメリカのために働く人々に対しても同じだった。
トランプはよくしゃべる。ほとんど、ひっきりなしにしゃべる。そのため、かえって国民の多くに信用されなくなった。国民の半分ほどが絶えずトランプに怒りを覚えたが、トランプ本人はそれを楽しんでいるように見える。
トランプ政権では、何事が起きても、おかしくない。何が起きるか、見当もつかない。
トランプ政権のもとで、アメリカの大統領の権力は、いまだかつてなかったほど強まった。トランプは、それをとりわけメディア支配に利用している。
トランプの義理の息子(娘のイバンカ・トランプの夫)ジャレッド・クシュナーの影のような存在も、予測できない要素の一つだ。クシュナーは、きわめて有能だが、意外なほど判断を誤るので、その役割が、きしみを生じさせている。
クシュナーは、ほとんど通常の手順を介さずに大統領の業務に半端に手出しした。ジョン・ケリー首席補佐官は苦慮し、その職務遂行の妨げになった。
クシュナーは、ハーバード大学を卒業していて、知力が高く、できぱきとして、自信に満ち、しかも傲慢だった。トランプは、このクシュナー外交対策のなかでもっとも重要かつ機密の部分を担当させた。しかし、それはうまくいかなかったし、うまくいくはずもなかった。いくら大学で成績が良かったとしてもクシュナーの思いつき程度で世の中が変わるはずもありません。
トランプには、自分なりに信じている事実がある。どいつもこいつも馬鹿だし、どの国もアメリカを騙して、ぼったくっている。この固定観念はあまりも強かった。アメリカはずっと利用されてきた。アメリカは、みんなが金を盗もうとする貯金箱だ。
いやはや、トランプの間違った思い込みは恐ろしすぎますよね...。
国防長官になったマティスは、トランプについて、本を読まないから、できないと見切ったようです。
書物や資料を読む。人の話を聞く、評論する。複数の方策を比較考量して政策を決定する。そんなことがトランプにはできない、できなかった。すぐに変わる、気まぐれなツィートによる意思決定のため、これまでのすべての戦利が沈没しつつある。マティスは、こう考えた。
トランプに任命された国防長官だったマティスは、辞めた理由を著者にこう語った。
愚かさを通りこして、重罪なみの愚行だと思ったことをやれと指示されたので、辞めた。それは国際社会におけるアメリカの地位を戦略的に危うくするようなことだった。
国務長官のティラーソンを解任する理由について、トランプは直接、何も言わなかった。ティラーソンは、トランプについて、「クソったれの間抜け」と会議で言ったことがリークされていた。
自分の思いつきだけで、専門家の助言も無視して強大な権力を行使しようとしたトランプは、アメリカと国際社会に大いなる災厄をもたらしました。残念なことに、そんなトランプの蛮行を今なお偉業だと信じこんでいる人がアメリカにも日本にも少なくないという現実があります。フェイクニュースに毒されてしまった人を目覚めさせるのは容易ではありませんよね...。
(2020年12月刊。2500円+税)

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2021年3月 6日

やとのいえ

社会


(霧山昴)
著者 八尾 慶次 、 出版 偕成社

多摩ニュータウンをモデルとして、大都市近郊のひなびた農村地帯が都市化の波にさらされて変貌していく様子を美事な風景画で再現しています。
「やとのいえ」という「やと」は、なだらかな丘と谷があるなかで、浅い谷のことをいいます。
もちろん人々は農業を営んでいました。家は草(茅)ぶきです。村の人がみんなで共同作業します。燃料になる炭も自分たちでつくります。人々は農閑期に大きな目籠(めかご)をつくり、大八車(だいはちぐるま)に乗せて町まで売りに行きます。
大八車は私も見たことはありません。リヤカーなら身近にありましたが...。どうやら大八車のほうが車輪が大きいようです。どちらも二輪車ですよね、きっと...。
戦争中も、遠くの町が空襲にあって赤い空が燃えているのを遠くに眺めるだけですみました。いえ、兵隊にとられて戦場に行った若者はいたのです。戦後、平和になって、村祭りがにぎやかにおこなわれ、子どもたちも歓声をあげていました。
戦後は、ベビーブームとなり、若者も子どももたくさんいて村には活気がありました。
十六羅漢さんのある家に花嫁さんが迎えられました。お祝いに集まった人々は、みな黒紋付きです。一瞬、お葬式なのかと錯覚してしまいました。
ところが、1967年(昭和42年)ころから開発の波が押し寄せてきます。村人に札束攻勢がかけられました。遠くの丘にブルドーザーが入って、たちまち丘陵地帯がなだらかな平地となっていきます。開発途中で遺跡の発掘調査もありましたが、それがすむと、たちまちブルドーザー、ショベルカー、そしてダンプカーが走りまわるのです。
ついに1981年(昭和56年)ころには、大きな広い通りに面して巨大なアパート群が次々につくられていきます。もう、かつてここが緑あふれる田園地帯だったことを偲ばせるものは何ひとつありません。いえ、十六羅漢だけは幸い残されました。
ともかくすばらしい。こまやかな描写の絵に人々の昔、そして現在の生活が見事によみがえっていて、驚嘆してしまいました。都市化の波によって失われたものが大きいことを改めて痛感させられます。
(2020年8月刊。1800円+税)

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2021年3月 7日

地球科学入門

地球


(霧山昴)
著者 平 朝彦、JAMSTEC 、 出版 講談社

今から50年前ころは、ウェゲナーの大陸移動説はインチキ科学とバカにされていました。やがて、プレートテクトニクスという、地球内部が動いているので大陸も移動するという学説が登場し、みるみるうちに有力になっていきました。これが門外漢の私の認識です。
ところが、今では、地球はずっとずっと揺れ動いていて、ちっとも固定していないというのが定説です。
地球史において大陸は、離合集散を繰り返し、最新の地球学的研究からは5億年から8億年周期で超大陸が形成されると考えられている。
地球の歴史って、30億年でしたか...。もう何回も大きく変わっているということなんですよね。
アフリカにある大地溝帯で人類は誕生したようです。いったいなぜなのでしょうか...。ルーシーが有名ですよね。
日本列島で地震が絶えないのは、南海トラフ、駿河トラフそして相模トラフなどは太平洋側にあるからです。なので、いつ強烈な大地震が起きるか分かりません。不思議なことに深海にも生物がたくさん生存しているのですよね。いったい水圧はどうやってはねのけているのでしょうか。
深海では光合成はできないため、化学合成に頼っている。いったい、どうやって...。
雲仙大山が噴火し、火砕流が発生して死者43人という大惨事を起こしたのは1991年6月3日のこと。もう30年にもなるのですね。そして、この雲仙火山は、江戸時代の1792年にも噴火して、眉山が山体崩壊して対岸の熊本にまで被害をもたらした。「島原大変、肥後迷惑」として知られている。
阿蘇火山では9万年前に巨大噴火があり、火砕流は九州北部から山口県にまで達した。このときの火山灰は北海道にまで広がっている。
大観峰に立つと、その巨大噴火のスケールの大きさをしのぶことができます。
カラー図解なので、まったくの素人にもよく分かる入門書です。
(2020年11月刊。2500円+税)

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2021年3月 8日

ドナウ川の類人猿

人間


(霧山昴)
著者 マデレーン・ベーメ 、 出版 青土社

人類の起源はアフリカ。このアフリカ単一起源説を絶対的真理だと思ってきた私ですが、この本は、いやはや、そんなことはないとヨーロッパ各地で発見された化石をもとに指摘しています。
サルの化石では、歯はとくに役に立つ。類人猿とサルばかりか、類人猿と人類の違いも区別できる。犬歯の根をみると、絶滅種あるいは現生の類人猿のものは長くて大きい。オスのヒエラルキー(順位)争いで、犬歯は相手を威圧する武器となる。
類人猿とヒトで臼歯の形が違うのは、咀嚼の内容が違うことによる。食生活の違いにより、類人猿はヒト属とは異なる歯の形を発達させた。
いくつかのサルや大部分の類人猿は、短時間なら二足で立つ姿勢をとれるが、恒常的に直立姿勢を保てるのは人間しかいない。
人間は、長距離を移動するのは二足で歩く以外の方法はない。人間にとって四つん這いで進むのは大変だ。直立歩行は、歩行足と並行して、おそらく600万年以上前に進化していたのではないだろうか...。
ヨーロッパで発見された、猿人と推測される化石の年代が、ヨーロッパでサバンナ風景が生じた年代と合致するということは、人類の起源がアフリカにあるという説と明らかに矛盾する。
最古の原人の化石は260~190万年前のもので、アフリカにはほんの少数の骨があるにすぎない。アフリカ単一起源説は、数十年間にわたって疑問視されてこなかった。しかし、地中海地域やアジアなど、アフリカ東部以外の地域で発見された道具によって、アフリカ単一起源説は大きく揺らいでいる。
最古の原人と石器文化について、氷河期初期にあたる260万年前にさかのぼる証拠が発見されている。人類の起源はアフリカだけにあるのではなく、アジアとヨーロッパも人類進化の主要な地域なのだ。
アフリカ北部のサハラ砂漠に、かつては湖もあった。湖岸には、新石器時代の農民や牧畜民の営む畑や牧草地があった。降雨量は、現在のドイツとほぼ同じだった。
ヒトが単純な二足歩行するのと、走る、駆けると、どう違うのか...。速く移動するのには、走るほうが、振り子のような歩行よりエネルギー効率がいい...。
ヒトの胸部は長距離走に最適な生体構造をもつ。ヒトは直立歩行なので、胸部は歩行に関与せず、そのため呼吸頻度と歩調の密接なつながりはない。なので、ペースをスムーズに変えることができる。
火の使用は、200万年前、人類の進化にとって中心的な役割を果たした。200万年という長い年月に、アジア、ヨーロッパ、アフリカの非常に異なる環境に定住できたのも、火の使用あってのことではないか...。
心理言語学者たちによると、言語の前段階は、100万年以上前にすでに生じていたかもしれないという。人類進化史において初めて航海したと考えられているプーレス人はすでに基礎的な言語能力をもっていた可能性がある。
アフリカ以外の地域に住む人々はネアンデルタール人のゲノムの3%、デニソワ人のゲノムの9%を保持している。これが現在の通説だ。だったら、これらの初期ヒト属は果たして絶滅したといえるものだろうか...。彼らは、今の我々と混じり、我々の中に今も生きているのではないだろうか...。
アフリカ単一起源説に信頼していた身からすると、大変ショックな本でした。
(2020年11月刊。2200円+税)

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2021年3月 9日

白い土地

社会


(霧山昴)
著者 三浦 英之 、 出版 集英社

あの3.11福島第一原発の事故から10年がたちました。もちろん、原発復旧工事は今も続いています。100年も200年もかかる仕事なのに、大変残念なことに多くの日本人が忘れてしまったかのようです。先日も大きな地震がありましたが、原発の怖さを多くのマスコミはスルーしていました。心配です。
その健忘症は裁判所のなかにもひろがっていて、ときに原発の危険性を自覚した裁判官がいるものの、大多数の裁判官は政府に育従するばかりで、決して自分の頭で考えようとはしません。目先の仕事に埋没してしまっているのです。
「白地」(しろじ)とは、帰還困難区域の中でも、特定復興再生拠点区域以外のエリアを指す。白地図に落とし込んだとき、そこには避難指示解除の予定日や感染の開始日が何も記されていない。つまり、「白地」とは、将来的にも住民の居住の見通しがまったく立っていない310平方キロメートルのエリアのこと。
福島県相馬市は全国有数の「馬の町」。ここは夏のはじめに開かれる祭礼「相馬野馬追(のまおい)」の町として名高い。市内で飼育されている馬は216頭。農耕用ではなく、「野馬追」のための馬であり、一般家庭で飼育されている。
福島県立相馬農業高校には馬術部がある。馬術は人ではなく、馬が戦う競技。馬術は減点競技。馬が障害のバーを一つ落とすと減点4。2度も障害を跳ぶのを止めると「失権」してしまう。
全国大会に相馬農業高校も出場した。首都圏の有名私立高校の馬術部員の多くは、英語科で、「夢は外交官」という高校生たち...。ここでは相馬農業高校は上位入賞はかなわなかった。
著者は朝日新聞の現役記者なのに、2017年秋から、なんと浪江町で新聞配達を始めた。浪江町で、たった一人で新聞配達している青年(34歳)とともに...。
浪江町は帰還した住民を490人と公表していたが、おそらく「虚偽」。そして、新聞を購読しているのは百数十人。実際には昼間だけ町内の畑や役所で働き、夜や週末には近隣市の「自宅」に帰ってしまう人々が少なくないのだ。
著者は新聞配達を半年間も続けた。それから、朝日新聞の全国面で15回にわたって「新聞舗の春」として連載した。すごいですね。とてもマネできません。浪江町長だった馬場有氏の取材の話もすごいです。
馬場町長は、ガンの闘病中で、自分の死が間近だと悟っていて、著者の取材に応じた。
東京電力(東電)は、原発事故によって避難を強いられた近隣の10市町村に一律2000万円の見舞金を贈った。しかし、浪江町は受け取りを拒否した。馬場町長は、人口2万1000人の浪江町では町民1人あたり1000円弱にしかならない。「一律」は「公平」ではない。
馬場町長は、自民党公認の県議として当選を重ねた「自民党」の政治家。
その馬場町長は、東電に対して紛争解決センターに慰謝料の見直しを求めて自治体が住民の代理人となって申立した。町民2万1千人の7割にあたる1万5千人が申立人になった。そして、紛争解決センターは、1人につき月10万円に5万円をプラスする和解案を提示したが、東電が拒否した。そこで、ADRは打ち切られ、町民109人が東電相手に裁判にふみきった。
馬場町長は、69歳で、現職町長のまま亡くなった。
3.11が決して終わった話ではないこと、「アンダーコントロール」なんて大嘘だということを実感させてくれる秀逸なルポタージュです。
(2020年10月刊。1800円+税)

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2021年3月10日

デジタル化する新興国

社会


(霧山昴)
著者 伊東 亜聖 、 出版 中公新書

相変わらずガラケーですし、1日に1回も使えばいいほうの私ですが、さすがにメール(FB)は読んでいます。といっても、送信するのは秘書の仕事です。とてもあんなに速くは送信できません。ブラインドタッチなんて、考えただけでもうんざりです。私なんかにできるはずがありません。IT化には、うしろからボチボチついていくしかありません。
かつて多くの新興国が、固定電話を経ずに携帯電話に移行したように、いま銀行口座をとびこえてモバイル決済の利用が広がっている。
デジタル経済は巨大な価値を生み出した。2019年の夏時点(コロナ禍より前)で、世界企業価値乱金付上位10社のうち7社がIT企業。GAFA(グーグル・アップル・フェイスブック・アマゾン)にマイクロソフトを加えたアメリカ企業5社と、中国のアリババとテンセントの2社。コロナ禍のなかで、巨大IT企業への資金の集中の傾向はさらに強まっている。
ネットワーク端末は、2003年に5億台だったのが2010年に世界人口より多い125億台となり、2020年には500億台に達すると予測された。世界のインターネットユーザーは、7年間に16.6億人も増えている。このうち9割近い14.7億人はOECD諸国ではない。
中国は2010年に、日本の経済規模をこえて世界第2位の経済大国となった。このことは、世界経済に大きな構造変動をもたらした。
アフリカでは、銀行口座はもたないけれど、ケータイをもつ人々が通信会社の口座内にお金を預ける形で、モバイル・マネーが広がっている。
インドのデジタル化の中心を担うのは、生体人証のIDの発行と決済プラットフォームの構築。2019年12月時点で12億5千万人が登録ずみで、成人の95%がアダールIDを保有している。貧困層への補助金の直接給付の必要性、つまり中抜きされず、確実に補助金を本人に届けるためのものになっている。
アメリカの雇用のうち5割近く(47%)の人が、今後10年から20年のうちに自動化されるリスクがあるというレポートが発表され、注目された。これに対して、自動化されるリスクの高い職種は全体の9%にとどまるという報告もある。
また、技術革新によって、職が自動化される一方、新たにつくり出される職種や部門もある。たとえば、コンテンツをつくり出すクリエイターとしての能力。また、「ラスト・ワンマイル人材」も必要。
プラットフォーム企業は中立公正な立場に立つ存在ではなく、あくまでも市場競争を戦うプレイヤーである。
デジタル化の進展は、選挙活動にも影響している。トランプ陣営は、FBが保有する膨大な個人データを活用して、激戦州におけるトランプへの投票を「説得可能」な有権者1350万人を特定した。そのうえで、個々人の性格や信条に応じた宣伝をして、トランプへの投票を説得しようとした。
このように、過去には考えられなかった精度の個人情報を用いた介入が今では実行可能になっている。いやはや、本当に恐ろしい時代・世の中になってしまいました。だから私は、マイナンバーなんて嫌なのです。私がどんな存在であるのか、私以上に誰かが知っているなんて、想像しただけでも寒気がします。とは言いつつ、ネット社会には適応しないと生きていけないというのも現実です。困ってしまいます。
(2020年10月刊。820円+税)

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2021年3月11日

シャオハイの満州

中国・日本史(戦前)


(霧山昴)
著者 江成 常夫 、 出版 論創社

シャオハイとは、中国語で子どものこと。
日本敗戦時、中国東北部(満州)にいた日本人家族は軍隊(日本軍・関東軍)から見捨てられ、ソ連軍や現地中国の人々から激しい攻撃を受け、多くの人々が殺され、また集団自決して死んでいきました。そして、大勢のいたいけな日本人の子どもたちが中国大陸残されたのです。その子どもたちは日本人であることから、いじめられながら育ち、また、かなりたってから自分の親が日本人だったことを知らされ、機会を得て探しはじめます。しかし、何の手がかりもなかったり、日本の家族(親族)が死に絶えていたりして、みなが日本に帰国できたわけではありません。
そんな中国に残留していた日本人の顔写真がたくさん紹介しています。なるほど、日本人だよね、この顔は...と、納得できる顔写真のオンパレードです。
東京荏原(えばら)郷開拓団というのがあったのですね。今の品川区小山町の武蔵小山商店街商業組合を母体とした千人規模の開拓団です。1943年(昭和18年)10月に先遣隊が現地に入り、翌1944年3月から6月にかけて入植したのでした。千人が5回に分かれて入植しました。敗戦前年には日本の敗色も濃くなっていたわけですが、それにもかかわらず、東京から満州に千人もの日本人が渡っていたというのは驚きます。
電灯はなく、ろうそくを立て皿に油を注いだ灯心のランプ生活。井戸は村に1ヶ所のみ。
そのうえ、敗戦の年の1945年7月までに、開拓団の男性が次々に兵隊にとられていったのでした。現地応召者は、180人にもなったのです。8月9日のソ連軍侵攻時点で、開拓団880人のうち、頼られる男性は80人のみ。若い男たちは、ほとんど兵隊にとられていた。そして、集団自決で300人もの人々が麻畑で死んでいった。
敗戦の8月15日まで、日本の敗北を予想していた開拓民は一人もいなかった。これまた恐ろしいことですね。肝心な情報がまったく伝わっていなかったわけです。
「王道楽土建設」という大義を合言葉にしていた時代だった。他人の国へ土足で踏み込むという罪の意識をもっていた日本人は皆無だった。現実には、それまで農作していた農民を追い出して日本人家族を住ませていた。
軍人はもとより、官吏も民間人も、日本人の誰もが、神国日本への過信と、現地中国人に対する優越意識におぼれていた。それだけに、日本敗北による在留日本人の屈辱は大きかった。8月15日が過ぎても、日本の敗戦を信じなかった日本人が満州には大勢いた。
中国人は日本人の子どもは優秀だからというので、子どもをさらっていったり、困っている日本人家族から子どもをもらおうとする中国人が大勢いて、子どもを死なせるよりはましだと食料をもらう代わりに子どもを手放す親も少なくなかった。
これは、本当に誰にとっても悲劇ですよね。
人間の死体が野ざらしで山積みにされていた。着ていたものはみんなはがされて、丸裸にされた状態だった。死体はカチカチに凍っていて、材木置場みたいになっていた。
満州の冬は、氷点下30度、40度にもなる。寒風のなかでの水汲みはきつい。用便するときは、山のようになって凍りついた人糞を金槌のようなもので突き崩す必要があり、これは若い女性にはこたえた。
開拓団員は、誰もが皇国の関東軍に絶対の信頼を寄せていた。「軍が必ず助けてくれる」と言いあっていた。ところが、いざとなったとき、関東軍の主力部隊はいなくて、まっ先に逃げ出してしまっていた。威張りちらしていた軍人たちは、いったいどこへ姿をくらませたのか...。怒りと不安のなかで逃亡生活がはじまった。
いやはや、国の政策に踊らされた開拓団の悲惨な末路に接し、寒気がしてなりませんでした。目をそむけたくなる論述のオンパレードなのですが、唯一の救いは、置き去りにされて40数年たっている、紹介された顔写真の誇らしげな表情です。
集英社から1984年に出版されていた本のリニューアル版です。
(2021年1月刊。2400円+税)

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2021年3月12日

私が原発を止めた理由

社会・司法


(霧山昴)
著者 樋口 英明 、 出版 旬報社

原発の運転が許されない理由が明快に説明されている本です。
その理由(根拠)は、とてもシンプルで、すっきりしています。原発事故のもたらす被害はきわめて甚大。なので、原発には高度の安全性が求められる。つまり地震大国日本にある原発には高度の耐震性が求められる。ところが、日本の原発の耐震性はきわめて低い。だから、原発の運転は許されない。このように三段論法そのもので、説明されています。そして図解もされています。
著者は福井地裁の裁判長として原発の運転を差止を命じた判決を書いたわけですが、退官後に判決文を論評するのは異例のことだと本人も認めています。それでも、原発の危険性があまりにも明らかなので、これだけはぜひ知ってほしいという切実な思いから、広く市民に訴えてきましたが、今回はそれを本にまとめたというわけです。私も福岡県弁護士会館での著者の講演を聞きましたが、この本と同じく口頭の話も明快でした。
福島原発事故によって、15万人をこえる人々が避難を余儀なくされ、震災関連死は2千人をこえている。しかし、実は、4千万人の人々が東日本に住めなくなり、日本壊滅寸前の状態になった。2号機は不幸中の幸いで欠陥機だったので大爆発しなかったし、4号機も仕切りがなぜかずれて水が入ってきたのでメルトダウンに至らなかった。偶然が重なって壊滅的事態にならなかっただけだった。
日本は、いつでもどこでも1000ガル以上の地震に襲われる可能性がある。M6クラスのありふれた地震によって、原発は危うくなる。
ところが、関西電力は、700ガルをこえる地震は大阪飯原発のところにはまず来ないので安心していいと言う。本当か...。この関西電力の主張は、地震予知ができると言っていることにほかならない。しかし、地震予知ができないことは科学的常識。つまり、理性と良識のレベルで関西電力の主張が成り立たないことは明らか。
原発訴訟を「複雑困難訴訟」とか「専門技術訴訟」と言う人がいるが、著者は法廷で、「この訴訟が専門技術訴訟と思ったことは一度もない」と宣言したとのこと。
多くの法律家は科学ではなく、科学者を信奉している。しかし、著者は、あくまで科学を信奉していると断言します。そのうえで良心的な弁護士でも、権威主義への誘惑は断ちがたいようだと批判しています。私も胸に手をあてて反省してみる必要があります。
学術論争や先例主義にとらわれると、当たり前の質問をする力がなくなり、正しい判断ができなくなる。
リアリティをもって考える必要があり、それは被災者の身になって考えるということ。
地震については、思わぬ震源から、思わぬ強い揺れがあるかもしれない。このような未知の自然現象については、確率論は使えない。
この指摘には、思わずハッとさせられました。なるほど、そうなんですよね...。
10年たらずのあいだに、全国20ヶ所ある原発のうち4ヶ所について、基準地震動をこえる地震が襲っている。ということは、基準地震動にまったく実績も信頼性もないことを意味している。
国と東電は、廃炉までに40年かかるとしているが、実はまったく根拠がない。こうやって、楽観的な見通しを述べることで、国民が原発事故の深刻さに目を向けないようにしている。
160頁ほどの本ですから、手軽に読めます。ぜひ、あなたも手にとって、ご一読ください。
地震列島ニッポンに原子力発電所なんてつくってはいけなかったのです。一刻も早く全部の原発を廃炉にしてしまいましょう。ドイツにできないことが、日本にできないはずはありません。
(2021年3月刊。1300円+税)

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2021年3月13日

椿井文書

日本史(江戸)


(霧山昴)
著者 馬部 隆弘 、 出版 中公新書

『東日流(つがる)外三郡誌』は偽書と確定していると思いますが、古代の東北に未知の文明があったとするものですから、ロマンをかきたてるものではありました。
『武功夜話』も偽書だと断言する本(洋泉社新書)を読むと、そうだよね、偽書だろうねと思うのですが、今でも偽書だと思わず平気で引用したり、いや全部が嘘ではないとする人がいたりして当惑させられます。
この椿井(つばい)文書(もんじょ)は、椿井政隆(1770~1837年)が依頼者の求めに応じて偽作した文書の総称。中世の年号が記された文書を近世に移したという体裁をとることが多いので、だまされやすい。
なるほど、コピー機がないわけですから、人の手で写しをとるしかないときに、元の文書はどこに行ったか知らないけれど、これがその写しだと言われると、紙質の新しさなんて問題にならないわけです。椿井文書は近畿一円に出まわっていて、今でも村おこしに活用されているとのこと。恐ろしいことですね...。
村と村とが対立・抗争している状況で、その有力な解決策の根拠として椿井文書が登場する。必要に迫られ、求めに応じてつくられた偽文書だった。
椿井政隆は、意識的に未来年号を使用したと考えられる。つまり「平成33年1月」というような、ありえない年号を表記したのです。これは、偽文書だと訴えられたとき、戯れでつくったものと言い逃れができるような伏線だと考えられる。さすがに考えていますね...。
国絵図にしても、描写に描写を重ねたとすることで、紙や絵の具が新しいことを怪しまれないように工夫した。
信じたい人々に、その信ずる材料をせっせと供給していたというわけです。
トランプ大統領がインチキ選挙があったと叫ぶと、「そうだ、そうだ」と応える人がいるのと、本質的に変わらない現象ですね...。
(2020年4月刊。900円+税)

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2021年3月14日

パフィン


(霧山昴)
著者 中野 耕志 、 出版 河出書房新社

鳥が空を飛ぶのはあたりまえですが、パフィンは海も飛べるというのです。
ええっ、ど、どういうこと...。パフィンは海に潜って、海面下50メートルまで潜れるんだそうです。えっ、えっ、そんな...。海中を50メートルもの深さまで潜れる鳥だったら、海も飛べるという表現は、あながち嘘とは言えませんよね...。
パフィンって鳥は、あくまでもカラフル。黒い背中に白いお腹、そして目立つのが虹色のくちばしとオレンジ色の足です。こんな鳥は日本では見かけません。それも、そのはず。
パフィンにはニシツノメドリ、ツメノドリ、エトピリカの3種類がいて、ニシツノメドリはイギリスやアイスランドといった北大西洋に、ツメノドリとエトピリカは、アメリカのアラスカ州など北太平洋に生息している。
パフィンは一年の大半を海上で過ごしていて、陸上で会えるのは、繁殖期の5ヶ月ほどだけ...。
パフィンは、いずれもハトくらいの大きさ。海に潜るため、パフィンの翼は面積が小さい。そして、パフィンのくちばしの裏には細かい「返し」がついているため、一度つかまえた魚をくわえたまま、たくさんの小魚を次々に捕まえることができる。著者が数えた魚は最高で84匹だった。うそでしょ、信じられません...。
エトピリカの名前は、アイヌ語のエトゥ(くちばし)と美しいの意のピリカに由来する。
パフィンの巣は、断崖にある。なので、撮影は大変な苦労をともなったと思います。ところが、著者はやりたいことをやれてよかったと、本気で関係者に感謝しているのでした。
それにしてもパフィンって、なんてカラフルな鳥なんでしょう。ちょっと困ったような、その眼差しに、虜(とりこ)になった野鳥と飛行機を専門の写真家による、とても素敵なパフィン写真集です。
(2020年7月刊。1350円+税)

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2021年3月15日

日本に現れたオーロラの謎

宇宙


(霧山昴)
著者  片岡 龍峰 、 出版  化学同人

 かつて、京都でもオーロラを見れたというのですから驚きます。鎌倉時代の和歌の達人・藤原定家の日記『明月記』にオーロラが登場するのです。1204年(建仁4年)2月21日のことです。
 オーロラは、宇宙空間が人間の目にも見えるようになる現象のこと。磁気緯度で65度くらいがオーロラを見やすい。南極の昭和基地でも観察される。
 オーロラは、地上からの高さで100キロ(緑色)から400キロメートル(赤色)上空のあたりで発光している。国際宇宙ステージョンがオーロラに突入することもある。太陽風が大気にぶつかって出来るのがオーロラだというのは間違い。太陽風は、地磁気にさえぎられて大気にはぶつからない。
 オーロラを光らせるために必要な要素は、太陽風、地磁気、大気の三つ。太陽風は、太陽から吹き出している風のことだが、地上で吹く風とは違って気温100万度といった高温のため、気体ではなく、プラズマ状態。
 赤や緑のオーロラが光っているのは地球だけ。酸素原子が刺激を受けて出している。木星や土星は水素の塊なので、ピンク色のオーロラが出る。宇宙空間は真空とはいうものの、完全な真空ではなく、地球の空気の名残りの酸素原子がわずかに散らばっている。
 地球の周りには、常に太陽風や爆風(コロナ質量放出)によるプラズマの風が吹きすさんでいて、宇宙空間が何もない真空の真っ黒なものというイメージでは今はない。
7世紀は、地磁気の北極が日本のほうに傾いていて、日本各地は現在よりも磁気緯度が高くなっていたので、オーロラが観測しやすい状況にあった。
 江戸時代に入って、1770年(明和7年)9月17日にも日本中でオーロラを見たという目撃談が書かれている。本居宣長(当は41歳)、もオーロラの目撃者の一人だった。このとき、人々の多くは恐れおののいた。火の雨がふるので屋根に水をかける人もいた。ただし、何ごとにも動じない僧侶だっていた。
 そして、1958年(昭和33年)、昭和基地にカラフト犬のタロ・ジロが置き去りにされて翌年、生存しているのを発見されたタロとジロの話のころにも星形のオーロラが北極道で見られたそうです。暗黒の宇宙空間のなかに漂う地球という存在が愛(いと)おしくなってきました。
 それにしても、日本人の日記好きは文化の発展につながり、その将来を切り拓いているのですよね...。
(2020年10月刊。1500円+税)

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2021年3月16日

「私たちは戦争を許さない」

司法


(霧山昴)
著者 安保法制違憲訴訟全国ネットワーク 、 出版 左同

2014年7月1日、安倍内閣は集団的自衛権を容認する閣議決定を強行しました。それまで歴代の自民党内閣が違憲としていたのを、突然、「合憲」としたのです。そのため、内閣法制局長官をフランス大使だった人物にすげ替えるということまでしたのでした。
そして、次に安保法制法を強引に国会で成立させたのです。国会前の大集会には私も参加したことがありますが、大変な熱気でした。国民の声を無視して、強引に法律が成立してしまいました。
ところが、6年もたつと、集団的自衛権そして安保法制の危険性が薄らぎ、言葉としても世間から忘れ去られようとしています。
この本で、寺井一弘弁護士はナチス・ヒットラーの例を出して警鐘を乱打しています。
ヒットラーは、「人民は忘却することに大変すぐれている」と豪語したそうです。たしかに、アベ、そしてスガ首相のあまりにひどい政治が続くなかで、あきらめ感が強く、マスコミの健忘症あわせて、大事なことが次々に忘れ去られようとしています。でもでも、私たちは絶対に忘れない、あきらめてはいけないのです。
いま全国22の裁判所に、25の安保法制の違憲性を問う訴訟がかかっている。そして、これまで、東京地裁をふくむ7つの裁判所で原告敗訴の判決が出された。その共通した特徴は、実際に攻撃を受けて被害が生じるまでは危険性がないのだから我慢しろというもの。
実際に攻撃を受けたり、戦争が始まってからでは遅すぎるので、原告は声をあげているのに、裁判官たちはその訴えに真正面から向きあわず、あえて避けている。
司法が政権に忖度(そんたく)して、果たすべきチェック機能をまったく果たしていない。
「平和的生存権は具体的権利ではない」
「戦争の危険性はないのだから、人格権の侵害はない」
軍事予算がどんどん拡大していて、自衛隊は離島奪還演習をしている、イージス・アショアの代わりにアメリカ製の超高額の装置(イージス・システム護衛艦)を導入している。そんなときには、「敵」が今にも日本人に襲いかかってくるように喧伝(けんでん)しているのに、法廷では、ノホホンと「戦争なんて起こりっこない」と澄まし顔で国の代理人は平然と言い放つばかり...。
この二枚舌を私は許せません。
いま、スガ内閣は敵基地先制攻撃まで「自衛」のために認めようとしています。
「やられる」前に、こっちから「敵」を叩いておこうというのですから、まさしく日本が戦争を始めるというものです。こんな恐ろしい事態に、日本人がならされ、驚かなくなっていることに、私は恐怖を覚えます、
内閣法制局長官だった宮崎礼壹弁護士は、新安保法制は一見として明白な憲法違反だという論稿をのせていて、法廷でも証言しています。なのに、裁判所がこの証言をまったく無視してしまうなんて、それこそ絶対に許せません。
わずか90頁ほどの冊子ですが、日本の平和と安全のために考えられるべきテーマが掘り下げられています。ぜひ、手にとってご一読ください。
(2021年2月刊。任意カンパ)

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2021年3月17日

白い骨片

ドイツ


(霧山昴)
著者 クリストフ・コニェ 、 出版 白水社

ナチスの強制(絶滅)収容所内の様子を撮った写真をこれほどたくさん見たのは初めてです。収容所内部でも抵抗運動している人たち(グループ)がいて、外の世界へ収容所の実情を知らせるため、カメラで写真をとっていたのです、まさに生命がけの取り組みでした。
カメラをどうやって収容所内に持ち込んだのか、とったフィルムをどうやって外へ持ち出していたのか、カメラは収容所内のどんなところに隠していたのか...、次々に疑問が湧いてきます。この本のなかで、そのすべてが解明されているわけではありません。
たとえば、カメラは外部から協力者によって持ち込まれたという説と、収容所に連れてこられたユダヤ人の所持品のなかから見つかったものが、こっそり抵抗グループに渡されたという説があり、どちらか決着はついていないようです。カメラは、ピント合わせの必要のない簡単な素人向けカメラだったという説もあります。
そして、カメラを向けて死体焼却の現場を取るというのは、まさしく生命かけでした。
女性たちが丸裸になってガス室へ追いたてられている写真もあります。シャワー室だと騙されていたのです。
収容所に写真部があり、そこには13人の囚人が配置されていたというのにも驚きました。でも、収容所には到着早々にガス室に送られた囚人だけではなく、政治犯やジプシーなど、いろんな人がいましたし、収容所では写真つきで囚人を管理していたのですから、写真部があるのも考えてみれば当然のことです。
写真部は、フランス人のジョルジュのほか、12人の囚人は全員ドイツ人で、共産主義者、エホバの証人、組合活動家、反ファシズム主義者だった、とのこと。
5つの強制収容所で、1943年春から1944年秋までに、隠し取りに成功していた。ダッハウ収容所で50枚以上(チェコの囚人であるルドルフ・ツィサルと、ベルギーの囚人ジャン・ブリショ)、ブーヘンヴァルト収容所で7枚(チェコの囚人3人)と、11枚(フランス人ジョルジュ・アンジェリ)、ラーヴェンスブリュックで収容所で5枚(ポーランド人のヨアンナ・シトゥオフスカ)、ビルケナウ収容所で4枚(ギリシアのアルベルト・エレラ)。
このほかソビブル絶滅収容所の写真が361枚もある。このなかには、SS将校の子孫が49枚の写真を提供したものが含まれている。
収容所内には、映画館があり、売春宿もあったとのこと。これも初耳でした。
ホールでは、見世物やコンサートもあって、ロシア人は音楽を演奏し、囚人がかの有名なコサック・ダンスを披露したのでした。
そして、収容所内に秘密のラジオがあった。受信機と送信機を設置・導入した人もいたのです。チェコの抵抗家ヤン・ハルプカといいます。逮捕され拷問を受けても仲間を明かさず、処刑された。
収容所内で20人ほどの男性がカメラに向かってポーズをとっている写真まであるのには驚かされます。カメラがあるのを問題にしている様子はありません。これは、いったいどういうことでしょうか...。
肖像写真は、この人の家族やレジスタンス組織網に提供して、ダッハウ収容所に存在していることを知らせるためのものだった。つまり、外部と連絡がとれていたというわけです。
レジスタンスに参加して捕まった若いポーランド人女性たちがウサギ(病気感染実験のモルモット)にされていました。彼女らの太腿(ふともも)の筋肉に切り込みを入れて病原菌を埋め込む実験の材料とされたのです。写真は、そんな彼女らの太ももを写したものまであります。よくぞ収容所内でこんな写真がとれたものです。そして、ウサギとされた女性の多くはあとで殺害されてしまいましたが、生きのびた人もいました。そのなかには、こんなひどい実験に対して刑務所当局へ抗議しに行った人たちもいるというのですから、まさしくびっくりです。黙って殺された人たちだけではなかったのですね...。
もっともっと、たくさんの写真を紹介してほしいと思いました。そして、その写真を撮った人、写っている人、どうやって写真がナチスの手と目を逃れて外の世界へ伝えられたのか、知りたいです。ともかく、まさしくおどろきの本です。収容所内にも「日常生活」があったことを写真によってイメージがつかめました。タイトルの「白い骨片」とは、もちろん収容所で殺されたユダヤ人など無数の遺体の骨片のことです。焼いたあと、ゾンダーコマンド(特別班の囚人)が骨を粉々にしたのですが、それでも骨片としては残ります。いま、沖縄で辺野古の埋立に骨片の入った山砂を使うなという運動が起きていますが、同じようなものです。大量殺害の事実を風化させては、忘れ去ってはいけません。少し高価な本ですので、ぜひ図書館に注文して読んでみてください。
(2020年12月刊。7000円+税)

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2021年3月18日

どこまでやるか、町内会

社会


(霧山昴)
著者 紙屋 高雪 、 出版 ポプラ新書

町内会長をつとめた体験にもとづく提言がなされていますので、とても説得力があります。著者は町内会はあったほうがいいというのが基本スタンスです。そして、ぜひ町内会活動を一度は経験してみてくださいと呼びかけています。生活の質が向上し、ひょっとしたら本業に役立つ新しいヒントが得られるかもしれないというのです。
町内会は、もともと任意加入であり、ボランティア。この原点にもどって、やりたい人がやりたいこと、できることをやるという、その程度の事業量に思い切って減らす。
まあ、口で言うほど実際にはなかなか大変だとは思いますが...。
分譲マンションには管理組合がある。これは区分所有法で義務づけられている組合で、強制加入団体。なので、マンションにある自治会が親睦団体であり、任意加入であるのとは、まったく違う。
管理組合は、資産としてのマンションの管理を目的としている。資産価値の管理のために管理組合は存在するものなので、自治会や町内会とは目的が違う。
ごみの収集は市町村の義務であって、町内会に入るかどうかはまったく任意。
行政から町内会への依頼は、年間1000件ほどもある。こりゃあ大変です。町内会は、行政からの依頼でない仕事もたくさんあります。
東京・中野区や横浜市では防犯灯のLED化にともない町内会の負担をなくし、自治体の負担だけにしている。
私の住む団地でも町内会に入らない人が増えて、入らない人の家の前にある街灯をはずしてしまうという話が出たことがありました。
「市政だより」などの行政の広報紙の配布も、今では町内会ではなく、行政がシルバー人材センターなどの業者を使って配布するところが多いようです。
行政区長は、公務員。なので、大宰府では行政区長に対して、年に70~230万円を支払っていたとのこと。しかし、福岡市は2004年に廃止している。
町内会の会計の私物化や横領というのも、実際によく聞きます。弁護士として相談に乗ったことが何回もあります。
私の住む団地も、ご多聞にもれず高齢化がすすみ、まず子ども会がなくなり、夏のラジオ体操や団地の夏祭り(盆踊り)がなくなりました。そして町内会が市の連合体から脱退しました。さらに老人会まで世話役の引退によって消滅してしまいました。
葬儀のときには昔は茶碗まで町内会でそろえて全員で対応していましたが、それもなくなり、今やゴミ出し当番が残っているだけになりました。それも、冬の朝、寒いのにいつまでやれるのかしら...、という心配な状況になっています。
町内会に悩む人向けの実務的な手引書になっている本です。
(2017年3月刊。800円+税)

 日曜日の午後、久しぶりに庭に出ました。いま、たくさんのチューリップが咲いています。まだ全開ではありません。朝、起きて雨戸を開けると、朝露にぬれて、トンガリ帽子のような花弁のチューリップに出会います。陽が昇って暖かくなると花弁は開いていきます。不思議なことに蜂はチューリップの花弁には入っていきません。蜜が少ないのでしょうか...。
 庭に出て雑草を抜いて、掘った穴に埋めていると、いつものジョウビタキがやってきました。ホントに1メートルほどしか離れていないところに止まって、「何してんの?」という感じなのです。とても可愛らしい、黄色と白のツートンカラーの小鳥です。もうすぐ北国に帰っていくと思います。
 2月に植えつけたジャガイモの芽が少しずつ伸びています。5月にはきっと美味しい新ジャガを賞味できることでしょう。楽しみです。
 というわけで、春はいいのですが、実は花粉症の季節でもあり、目が痛がゆく、鼻水すすってばかりです。何事も、いいことばかりではありません。

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2021年3月19日

住むこと、生きること、追い出すこと

社会


(霧山昴)
著者 市川 英恵 、 出版 クリエイツかもがわ

フランスでは冬の寒い時期には明渡の執行は法律で禁止されているそうです。ホームレスの人々が冬の路上で相次いで凍死したことから、それを防止するために法律が制定されたのでした。
日本でも、もっと住居の確保に力を入れるべきだと思います。少し前に、バスのベンチで寝ていたホームレスの女性が「目障り」だとして男性から殺害されたという事件が起きました。これもヘイトスピーチと同じように、現代日本から寛容の精神が薄れていることを象徴する事件だと思います。
この本は、借上復興住宅から居住している人々が追い出されようとしている現実について、そんなことを自治体がしていいのかと鋭く問題提起しています。
借上復興住宅とは、阪神・淡路大震災によって多くの住宅が全半壊し、復興住宅(公営住宅)の需要が高まったことを受け、被災自治体が直接建設し所有する住宅に加えて、URなど民間オーナーの所有する住宅を一棟または戸別に借り上げ、被災者に復興住宅として提供したもの。
神戸市は3805戸(107団地)を供給した。そして、この借上期間(20年間)の満了によって、居住者に対して、自治体が明け渡しを迫っている。今なお入居している人のほとんどは、年金暮らしか生活保護受給者。つまり、被災して自力再建が困難となった人たち。
ところが、20年たったから自治体の全部が居住者に明渡を求めているかというと、そうではない。宝塚市や伊丹市は、URと協議して全戸で入居を継続できるようにした。神戸市と兵庫県は80歳以上とか3つの条件を設定して条件に当てはまらない人だけに退去・明渡を求めている。ところが、西宮市は、無条件に全員退去を求める。このように自治体によって、対応が大きく異なった。恐らく首長の姿勢が反映しているのだろう。やはり首長がどっちを向いているかって大切なんですよね。大阪の維新の知事と市長のように、コロナ対策そっちのけで制度いじりばかりしているようでは本当に困ります。
住居や居住環境は福祉の基礎であり、安全性や構造だけでなく、住み続けることやコミュニティの維持も重要。
そうなんですよね。若いうちの引っ越しは苦もないことですが、年齢(とし)をとってからの転居は慎重に考えるべきです。住み慣れた我が家こそ心の安まるところ...、というのは真実だと、72歳になった私も実感として思います。
最近、フレイルというカタカナ語をよく見かけます。日本語に訳すと、「虚弱」という意味。これには、病気がちだとか、肉体的なものだけでなく、精神的なつよさも含まれるようです。身体的フレイルが3つのリスクを高める。うつも身体的フレイルのリスクを高める。
わずか90頁足らずの小冊子ですが、社会が敬うべき存在である団塊世代とその前の年金生活者の切実さを反映した貴重な冊子です。
(2019年1月刊。1200円+税)

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2021年3月20日

古代メソポタミア全史

イラク


(霧山昴)
著者 小林 登志子 、 出版 中公新書

古代メソポタミアは、今のイラクにあたる。紀元前、3500年の都市文明のはじまりから、前539年の新バビロニア王国の滅亡までの3000年間の歴史。これは、日本でいうと縄文時代にあたる。
なのに、すでに文字があり、成文としての法典(法律)があったというのですから、驚かされます。
開けた土地ですから、常に異民族が侵入し、政権の担い手がしばしば交代した。それでも、戦争するだけでなく、成文法を整え、口約束ではなく、契約を文字にした。
メソポタミアは、北部のアッシリアと南部のバビロニアの二つの地域から成る。
現代イラクでは、北部はスンニー派、南部はシーア派という対立構造が昔からあったことにもなる。
なんといっても有名なのは「ハンムラビ法典」。これは1901年にフランス隊がスーサで碑文を発見したことによる。高さ2メートル25センチの玄武岩から成る碑はルーブル美術館に現物がある。
紀元前1750年まで、ハンムラビ王は43年間もの長きにわたってバビロン王朝を支配した。その治世晩年に「ハンムラビ法典」を制定し、裁判の手引書としたという。282条の条文と序文等から成り、同害復讐法として有名。
くさび形文字は解読されているのですね。たいしたものです。ただ、同害復讐法の適用があるのは、被害者も加害者も自由人の場合であって、被害者が半自由人や奴隷だったら、賠償となる。また、実際の裁判の場では、裁判官の自由裁量の余地が認められていたので、自由人同士であっても、必ずしも同害復讐法で処罰されたとは考えられない。
ところが、この「ハンムラビ法典」よりずっと前、紀元前、2100年ころにつくられたシュメル人のウル第三王朝のウルナンム王が制定した「ウルナンム法典」では、同害復讐法の考え方をとっていない。「やられても、やりかえさない」という考え方だった。傷害罪は賠償で償われるべき、銀を量って支払うと定められていた。
刑法だけでなく、民法も扱っていて、結婚や離婚についての条文もある。離婚となれば慰謝料が問題となり、妻が再婚のときには、初婚の妻の半分とされた。契約書のない内縁関係のときには慰謝料なしと明記されている。
ええっ、紀元前2000年前にそんなことを明記した条文があったなんて、信じられません。今から4000年も前の話なんですからね...。
団塊世代の学者の恐るべき威力を痛感させられた新書です。
(2020年11月刊。1000円+税)

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2021年3月21日

十の輪をくぐる

社会


(霧山昴)
著者 辻堂 ゆめ 、 出版 小学館

「十の輪」って一体なんだろうと思っていると、二つの五輪、つまりオリンピックが二つ、1964年の東京オリンピックと2020年7月に予定されていた東京オリンピックのことでした。
1964年の東京オリンピックのとき、私は高校1年生で、10月にありましたが、テレビで見ていたという記憶はまったくありません。この本を読んで、大松(だいまつ)監督の指導による「東洋の魔女」チームがバレーボールで優勝したというのを思い出したくらいでした。
そして、2020年の東京オリンピックは2021年にコロナ禍のため順延になっていますが、コロナ禍が収束せず、ワクチンの手配も遅れているなかで、やれるはずもありません。そのうえ、森ナントカの女性蔑視発言は、オリンピック精神を遵守するつもりはまったくなく、ひたすら金もうけの機会をしかとらえていないハゲタカ利権集団によって貴重な税金がムダづかいされている姿をさらけ出してしまいました。医療・福祉で働く人々を置き去りにして、ゼネコンなどのためにオリンピック優先なんて、間違ってますよ。
ところで、この本は、福岡県大牟田市そして荒尾市が基本の舞台となっているのです。これには驚きました。主人公の一家が今すんでいるのは東京なんですが、認知症になった母親は荒尾出身で、その夫は三川鉱大爆発で亡くなったというのです。そのころ主人公は2歳で、新港(しんこう)町の炭鉱社宅に住んでいました。その前の三池大争議の話もエピソード的に出てきます。
大牟田・荒尾の方言も紹介されています。「きつか」(きつい)です。秋田は「こわい」、大阪は「しんどい」、そして、東京は「えらい」。
主人公の男性と娘はバレーボールに打ち込みます。男性は、妻とは大学生のとき、バレーボールを通じて知りあったのでした。そして、母親の猛特訓を受けてバレーボールにうち込んだのですが、一流選手になれる才能はないと見切ってスポーツ関連の会社に就職し、今では、年下の上司からパソコンの使えない無能な部下として、うとましく思われる存在になっています。ああ、なるほど、それってあるよね...、そんな展開です。
主人公の母親は、荒尾市郊外の農家の娘として、中学校を卒業すると、集団就職で名古屋の紡績工場につとめます。1956年(昭和31年)3月に荒尾駅から学生服姿の少年少女たちがSL列車に乗り込んだというのは、事実そのとおりだったと思います。私が大学生になった1967年ころも東京には東北地方からの集団就職の若者たちがたくさん来ていました。
主人公の母親は緑ヶ丘社宅が校区内になる荒尾第三中学校に通っていたという設定です。大牟田の中学校は私の通っていた延命中学校のように地名をつけていましたが、荒尾はナンバーで読んでいました(今も)。そして、お見合いの着物は大牟田の松屋デパートで買うのです。このデパートも破産して、今は広大な空き地のままになっています。
結婚相手の男性は、あとで酒乱のDV夫だという本性があらわれるのですが、明治小学校、白光(はっこう)中学校、「大牟田で一番優秀な三池高校」を卒業して、熊本大学工学部に進学したとなっています。なぜか、大学は中退して三井鉱山に就職し、晴れて職員になったものの、坑内で機械調査係員として働いているうちに三川鉱大災害で亡くなったという展開です。
私は、この「大牟田で一番優秀な三池高校」の出身です。私の同学年は東大に4人進学し、その前年も、あとの年も2人ずつ東大に入学しました。今では、志願者が定員より少ないという状況で、卒業生としては残念です。いろいろ原因はあると思いますが、反日教組の拠点高校になったのもその原因の一つではないでしょうか...。お隣の伝習館高校(柳川市)は、「叛逆」教師がいて裁判を抱えるほどもめていましたが、今では我が三池高校よりはるかに「優秀な」高校になっているのが現実です。
「羊のように従順な生徒たち」ばかりでは、発展性がないというのは、日頃たくさんの裁判官集団をみて、つくづく実感しているところです。
認知症で手の焼ける母親と主人公との葛藤が、掘り起こされていく過程は、実に読みごたえがあります。そこがメインテーマなのですが、そのネタばらしはやめておきます。
大牟田・荒尾に関心のある方も、ない方も、ぜひ、ご一読ください。
著者は東大出身の29歳の作家といいます。まったく脱帽するしかありません。
(2020年12月刊。税込1870円)

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2021年3月22日

フランスの小さな村を旅してみよう

フランス


(霧山昴)
著者 木蓮 、 出版 東海教育研究所

フランスに久しく行っていません。本当は、この夏にドイツからフランスをめぐる予定でした。娘がドイツに住んでいるので、娘に会うついでにフランスまで足をのばすつもりでした。コロナ禍のおかげで、早々に断念してしまいました。
毎日フランス語を勉強していますので、その割にはちっとも上達しませんが、旅行するのはなんとかなります。よそに行って困るのは、今どきスマホをもたないことくらいです。
この本はフランスに住む、日本人女性がフランス中を旅してまわっているなかで、55の小さな村を写真つきで紹介しています。
フランスでは「美しい村」として159村が認定されています。私もそのうちのいくつかを訪問したことがあります。不思議なことに、住民はいるものの、日本だったらどこにでもある野外広告の看板などを見かけませんでした。もちろん自動販売機があちこちにあるなんてことはまったくありません。
なので、昔ながらの村の風景がそのまま残っている感じなのです。とてもいい感じです。もっとも、旅行者にはいいのですが、住んでいる村人にとってはどうなのでしょうか...。
この本のなかに、たった一つだけ行ったことのある村が紹介されています。私が行ったのは、映画『ショコラ』の撮影地にもなったフラヴィニー・シュル・オズランです。ここは、アニス・キャンディーが名物です。交通の便はとても悪くて、列車でどこかの駅でおりてからタクシーに乗っていったと思います。
そうなんです。小さな村とか美しい村というのは、たいていとんでもなく不便な土地にあるのです。まあ、それだけの苦労して行くだけの甲斐はあるわけですが...。
日本と違って、フランスでは、昔の建物はなるべく外観はそのまま残すのが当然だという国民感情があるようです。日本だと、辺ぴな山奥に行ってもツーバイフォーで建てた近代的な家があっても驚くことではありませんよね...。
コロナ禍が早くおさまって、フランスにまた行ってみたいと思っていますが、今のところは、こうやって写真集を眺めるだけでガマンガマンです。
(2020年10月刊。2300円+税)

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2021年3月23日

新型コロナの科学

生物


(霧山昴)
著者 黒木 登志夫 、 出版 中公新書

新型コロナウィルスは、人々の生活を変え、世界を変えた。経済を破壊し、文化を遠ざけ、楽しみを奪った。
人類は、しばしば感染症に襲われてきた。撲滅された感染症は、天然痘だけ。人類は、これからも感染症と共に生きていかなければならない。
スペイン風邪は、ペストと肩を並べるようなパンデミックを起こした。日本では、1918年ころ、65万人がスペイン風邪のため死亡した。芥川龍之介もスペイン風邪にかかったが、助かった。斎藤茂吉も...。
スペイン風邪と名前がついているけれど、実はスペイン由来ではなく、いちばん確からしいのはアメリカ説。これはこれは、スペインって、とんだぬれぎぬを着せられているんですね...。
ウィルスの、もっとも本質的な特徴は、遺伝情報をDNAあるいはRNAの形でもってはいるものの、その情報をタンパクに翻訳することができないこと。ウィルスを増殖させるためには、生きている細胞を増殖の場として提供し、細胞のタンパク合成工場を貸してやらねばならない。
コロナウィルスは変異が多いように見えるが、実は変異の遅い部類のウィルスである。
うひゃあ、そ、そうなんですか...。
感染の大元は口と鼻。感染者の口と鼻から出た飛沫が飛び散り、さらにエアロゾルとなって、人に感染させる。すべては口から始まり、口に入って完結する。
マスクと手洗いが必要なのは、「災いの元」である口にフタをして広げるのを防ぐため。
合唱団でクラスター感染が起きるのは、長い時間、空気中で漂うエアロゾルが重要な役割を果たしているから。
エレベータ―のボタン、トイレの取っ手、電車の吊り革、およそ人と接触するようなところで、ウィルスは誰かにうつるのをじっと待っている。ウィルスが手につくと、顔(目、口、鼻)を触ったときに感染する。感染の半数は、無症状感染者から。
屋内は屋外より19倍もクラスター発生のリスクが高い。多くの感染者は、注意していながら感染してしまう。本人を責めることはできない。「自業自得」、「感染した奴が悪い」として感染者を排斥すると、差別につながり、科学的な対策の障害になる。
感染者の8割は軽症者。症状としては、嗅覚や味覚の障害があらわれる。糖尿病、高血圧、脂質異常症、痛風、肺疾患で治療している人は、重症化しやすく、死ぬ確率も高くなる。新型コロナにかかって治った人の後遺症として、倦怠感、呼吸が苦しい、咳が多く、記憶障害、睡眠障害、頭痛、味覚・聴覚の障害、脱毛さらには心臓の異常が発見されることもある。
コロナ禍が始まったのは中国。2019年12月に武漢市の医院に患者が入院した。1月18日、武漢市の市民4万人は何も知らされずに、料理をもち寄る大宴会「万家宴」を始めた。これが感染を広げた。5日後に、武漢は封鎖された。
ウ型コロナウィルスは、コウモリ由来であることは間違いない。ただし、意図的に人工的に作られたウィルスという可能性はない。
日本は、コロナによる死亡者数が目に見えて少ない。外国で100万人あたり400人以上の死者を出しているのに対して、日本は9.8にすぎない。日本だけでなく、韓国・ベトナム・ニュージーランド・中国に比べても助かっている。韓国と台湾は、驚くほどすばやく対応した。台湾はその日のうちに対策を始め、1週間のうちに、すべて完了した。日本の対応はスピード感がなかった。
コロナを知るのは必要なことだと、つくづく思いました。
(2021年2月刊。税込1034円)

 急に桜が満開になりました。卒業(園)式のころに満開というのは、例年より1週間早い気がします。
 わが家のチューリップも全開です。庭のあちこちに植えていますし、玄関わきの植え込みも全開で、朝、出かけに声をかけています。
 いつもチューリップ300本植えていると言っていますので、22日の朝、数えてみました。すると、なんと525本でした。9月から12月にかけて植えていったのですが、我ながら驚く数字でした。花粉症さえなければ、春は最高なのです...。

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2021年3月24日

歴史否定とポスト真実の時代

韓国・日本史(戦前)


(霧山昴)
著者 康 誠賢 、 出版 大月書店

「反日種族主義」という耳慣れないコトバを、最近、あちこちで見かけるようになりました。
韓国人はウソの文化、物質主義とシャーマニズムにとらわれている種族であり、隣国日本への敵対感情を表していると主張するためにつくった新造語。韓国人がつくったコトバで、この本が韓国で10万部も売れたというのです。驚きます。まあ、アメリカでトランプを熱烈に信奉する人たちがいるのと変わらないのでしょうね...。
日本でも、この本が40万部も売れたというのですが、それまた信じられません。ヘイトスピーチと同じ現象なのでしょうね。
日本では、「反日種族主義」は文在寅政権に反対する感情と緊密につながっていると指摘されていますが、そのとおりだと私も思います。
日本人のなかに朝鮮半島を植民地として支配し、朝鮮人を隷属する人々と見下していたのを、今なお受け継いでいるとしか思えない人たちがいるようです。とても残念だし、悲しいです。
韓国では、パク・クネ大統領が弾劾されて失脚するまで、社会指導層の破廉恥な嘘のオンパレードが続いていた。
ええっ、これって、まるで今の日本の政治そのものじゃないの...。思わず叫びそうになりました。アベ首相のときに、嘘と嘘があまりにも多く積み重ねられ、官僚が忖度(そんたく)ばかり、そしてスガ首相になっても同じこと、いや、それ以上に、首相の子どもまで表舞台におどりでて、官僚は超高額接待漬けになってもシラを切る。かつて、「我こそは国を支える」、という気概をもっていた(はず)の官僚のホコリは、今やどこにも見当たりません(残念です)。
日本軍「慰安婦」を「性奴隷」ではなく、稼ぎのよい「売春婦」にすぎないという反論があります。それなりに信じている人もいるそうですから、嫌になります。中曽根康弘元首相も「慰安婦」は日本軍が管理していたことを堂々と認めているのです。軍の管理と言うもののもつ重みを軽視してはいけません。
自由意思の「売春」というのは、現代の日本でも、どれだけあるのか、私には疑問です。ましてや戦前の日本に、そして、そこに日本軍が関わって「自由意思」なるものがあるなど、私には想像もできません。
そもそも、戦前の日本では女性は法的主体になれなかったのです。フツーの女性でも選挙権はありません。そこにあるのは、まさしく人身売買システムだったのです。そのベルトコンベアーに乗せられていた女性に向かって、自分の意思で乗ったんだろ、落ちて死んでも自己責任だろ、と放言しているようなものだと思います。それは許せません。
女性は日本軍の軍票をもらっていたようです。それも高額の軍票を...。ところが、現実には、そんな「高額の軍票」は、何の役にもたちませんでした。これは、ナチス・ドイツが政権を握る前のドイツ、マルクのように、価値のないものでしかありませんでした。高い「報酬」をもらって、いい思いをしていたなんて、とんでもないと私は思います。
歴史をあるがまま受けとめるのは、どこの世界でも難しいことなんだと、つくづく思わせる本でもありました。過去を美化したいというのは、誰だってもっていますが、それが後世の人を誤らせてはならないと思います。
やや読み通しにくい記述の本ですが、なんとか読了しました。
(2020年12月刊。税込2640円)

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2021年3月25日

大崎事件と私

司法


(霧山昴)
著者 鴨志田 祐美 、 出版 LABO

大崎事件の最高裁決定には唖然としました。著者がFBに「この国の司法は死にました」と書いた気持ちは本当によく分かります。それは私の実感でもあります。
これはもう、死んでアヤ子さんにお詫びするしかない。
著者の当日の心境です。そして、本当にそれを実行に移そうとしたのです。ホテルの20階(フロントがある)でエレベーターを降りて、飛び降り場所を探そうとしたとき、知人(著者いわく「下の姉」)が待ちかまえていて、ロビーで抱きあい、声を上げて泣いたのでした。そして、ここで死んでいる場合ではない、と正気を取り戻したのです。それほどの衝撃を与えた愚かな小池裕決定(ほかに山口厚という高名な刑法学者もいます。その名に恥じるべきでしょう。そして民事法では「権威」の深山卓也もいます。恥ずかしい限りです。ほかには池上政幸と木澤克之。この5人が全員一致で出した史上最低のバカげた決定)でした。
日本の最高裁とは、何をするところなのか。今の最高裁は、「権力を守る最後の砦」になっている。まことに同感です。著者は、こんなバカげた最高裁の小池決定について、あとあと、「思えば、あの決定が日本の再審制度を変えるきっかけとなったんだよね」、笑いながらそう語ることのできる世の中にしたいと言っています。まったく同感です。
小池決定は、再審開始を認めた冨田敦史決定(鹿児島地裁)、根本渉決定(福岡高裁宮崎支部)について、「これらを取り消さなければ著しく正義に反するものと認められる」とした。まさしく、聞いて呆れます。開いた口がふさがらないとは、このことです。
小池裕ら5人の裁判官たちは、現場を見ることなく、関係者を尋問することもなく、ただただ書面のみをもって、事実認定をしたのです。
「犯人としてはアヤ子ら一家以外の者は想定し難い」、「共犯者や目撃供述は、相互に支えあい、客観的状況等からの推認にも支えられており、同人らの知的能力や供述の変遷を考慮しても、信用性は相応に強固なものといえる」とした。
「共犯者」とされた人たちは、いずれも知的障がいをもっていたことから、その「自白」の信用性が否定されていたのに、小池決定はそれを無視した。まさに「神の目」で見通したというわけ。いやはや、とんだ「刑法学者」(山口厚)たちです...。
高度救急医療センター長である澤野誠教授による、被害者の死因についての説明は説得力があります。すなわち、被害者は側溝に転落して頭髄にダメージを受け、道路に寝かされて低体温症になって腸に血液が供給されずに腸管壊死、腸壁大出血を起こしていた。それを単なる酔っ払いと勘違いした近所の人たちが軽トラックの荷台に被害者を載せて自宅まで搬送したので死に至った...。
なーるほど、医学的な素人としても、よくよく理解できる状況説明です。つまり、事故が起きたのであって、殺人事件ではなかったのです。
最高裁の小池判事たちは、事実認定なんて簡単なものという傲慢な態度をとらず、もう少し謙虚になって、自分たちの疑問点を提示して事実解明をさらにすすめるべく、せめて原審に差し戻すべきだったことは明らかです。うぬぼれが過ぎました。刑法学者と民事と刑事の実務家たちが、過去の業績を鼻にかけてした間違いの典型だと思います。哀れというしかありません。
ところで、大崎事件とは...。1979年(昭和54年)10月15日に、鹿児島の大崎町という農村で牛小屋の堆肥の中から遺体が発見されたことから、殺人事件ではないかとして捜査が始まったものです。
警察は「殺人・死体遺棄事件」と断定して捜査し、被害者の兄弟たちを逮捕したうえ、アヤ子さんを首謀者として逮捕した。「共犯者」たち3人は、「自白」したが、アヤ子さんは一貫して否認した。この大埼事件には自白以外の客観証拠はほとんどなかったが、アヤ子さんも懲役10年の有罪判決が下された。そして、アヤ子さんは控訴・上告してもダメで、10年後に満期出所した。
「共犯者」たちは、いずれも知的障がい者だった。供述弱者だったのです。
この本では、検察官が手持ち証拠を自らの不利になると思うと、「ない」ことにしてしまう現実を鋭く告発しています。検察官にとっての刑事裁判は勝つためのゲームでしかなく、真実(真相)究明は二の次なのです。自分に有利な証拠は出すけれど、不利と思ったら「ない」ことにしてしまうわけです。そこには「公益の代表者」だという自覚が、残念ながら欠如しています。
この本には、著者に関わる大勢の人々が、よくぞここまで憶えているものだと驚嘆するほど登場します。その意味で、この本はアヤ子さんの事件との関わりを中心としながらも、「祐美」(著者)の人生をたどった本でもあります。
「祐美」が、ライブコンサートを福岡でしていたのは、私もFBで知っていましたが、そもそも「祐美」はミュージシャンを夢見て音大受験を目ざす鎌倉の女の子だったんですね。それも、演劇部育ち...。そして、弟さんは知的障がい者。なので、大埼事件についての理解が深いのも、よく分かります。
著者は公務員試験予備校の熱血講師として8年も在籍していたのですから、子育てに区切りをつけたあと、司法試験に40歳で合格したのも、これまたよく分かります。そんな著者の涙と汗と、アルコールの結晶がこの本に結実しています。
私は、午後から読みはじめ、夕方までに一気に読了してしまいました。途中、いくつか仕事もしたのですが、気もそぞろで、この本に、それこそ全力集中したのでした。
700頁もの厚さの本ですが、何人もの人が一気読みしたというのは、よく分かります。そして、こんなに人との関わりが出てくるのも珍しいです。福岡では八尋光秀弁護士のほか、今は亡き幸田雅弘弁護士との交流も紹介されていて、著者の配慮のこまやかさには脱帽します。LABOの渡辺豊さんより贈呈を受けました。いつもありがとうございます。
(2021年3月刊。税込2970円)

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2021年3月26日

蘇る、抵抗の季節

社会

蘇る、抵抗の季節
(霧山昴)
著者 保阪 正康・高橋 源一郎 、 出版 言視舎

60年安保闘争の意味を、今、問い返した本です。
私には60年安保は体験していませんので、まったく歴史上の話でしかありません。
保阪正康は戦前(1939年)うまれで、60年安保闘争のときには20歳。北海道出身で、西部邁(60年安保のころ、ブントの活動家だった。あとで保守へ転向)、唐牛健太郎(全学連委員長。右翼の田中清玄から資金をもらっていたことを告白)の二人を北海道時代に知っていたという。
1960年6月15日、京都府学連は、京都の円山(まるやま)公園に5万人を集め、反安保、反岸の大集会とデモ行進を敢行した。
すごいですね、5万人とは...。
高橋源一郎は1951年生まれですから、私のような団塊世代より少し下の世代となります。全共闘の活動家として、警察に捕まったこともあるとのこと。3度の離婚歴も踏まえているのでしょうか。人生相談の回答の奥深さには、いつも驚嘆しています。尊敬に値する人物として、私は高く評価していますが、今回の講演にも学ぶところが大でした。
高橋源一郎は、私たち48年生まれの世代について、「超まじめ」で「冗談が通じない」としています。ええっ、そ、そうでしょうか...と、反問したくなります。
年齢(とし)をとって、一番大切なことは、「教えてもらうことができるかどうか」だと言っています。教える人は嫌われる。なーるほど、ですね。私は、いつも若手の弁護士に法律そして判例を質問して、教えてもらっています。実際、知らないし、ネットで判例検索できないので、そうするしかないのです。私にあるのは経験だけです。
教わるというのは、実は能力。教わるには、柔軟な心、受け入れるマインド、消化吸収する能力が必要。教わるほうが、はるかに高難度な能力を要する。こっちが教わる気持ちでいると、学生たちも耳を傾けてくれる。教わる気持ちがないと、学生も聞く気がしない、そういうものだ。
これはまさしく至言です。
他人(ひと)の話をよく聞いて、そのうえで自分でよく考えてやってみる。年寄りが下手に口を出したらダメ。
なーるほど、ですね。異議ありません。40歳、50歳のころは知的に熱心ではなかった。人生も残り少なくなってくると、ますます知的欲求が高まってくる。まったく同感です。知りたいことがどんどん増えてきます。
コミュニケーションのとり方は、下の世代に尋ねること。聞きたいという欲望、これを知りたいという気持ちがないと、本当の会話は成り立たない。
二人の話に対するアンケート回答が面白いですね。74歳以下だと満足したというのが9割をこえているのに、その上の世代は厳しい評価が増えています。それだけ頭が硬くなっているということではないかと私は思いました。
全共闘運動については、昔も今も私はまったく評価していませんが、人間としてすばらしい人がいることは間違いないと考えています。
(2021年1月刊。税込1210円)

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2021年3月27日

「パチンコ」(下)

社会


(霧山昴)
著者 ミン・ジン・リー 、 出版 文芸春秋

「在日」というと、今でもヘイト・スピーチの対象になっています。自らが大切に、愛されて育った実感がないまま、自分の抱いているコンプレックス(劣等感)のはけ口として「在日」を虫ケラよばわりして、うっぷん晴らしをしている哀れな人たちが少なからずいるという悲しい現実があります。
「在日」の人は、職業選択の点でハンディがあるのは間違いありません。弁護士の世界は少しずつ増えているとはいえ、まだまだ少ないです。医師は、昔から多いと思います。学者にも少なくないですよね。芸能人には美空ひばりをはじめ、日本の芸能界を支えていると思います。そして、財界にも孫さんをはじめ巨大な力をもっている人が少なくありません。そして、裏社会にも...。
弁護士を長くしてきて私も「在日」の人たちとの交流はずっとありました。なかでもパチンコ業界の人たちとは、今はありませんが、以前は何人も依頼者にいました。金融業者にも多かったですね...。
下巻は、日本社会における在日コリアンの複雑な心理が、見事に描かれていて、現代日本社会のいやらしさに、ほとほと愛想を尽かしたくもなります。でもでも、この本は決して、いわゆる「反日」の本ではありません。日本社会の複雑・怪奇な一断面が小気味よいほど切りとられ、物語となっています。
この本は、アップルTVで連続ドラマ化されているそうです。知りませんでした。テレビは見ませんので、無理もないのですが、アメリカで100万部も売れた本なので、それもありでしょう。
登場してくる男性たちが次々に死んでいき、残ったのはたくましい女性たちだけというのも、男性である私としては、少しはハッピーエンドにしてもらえないものかと、ないものねだりをしたくなりました。
ということで、下巻は車中と喫茶店で読みふけってしまうほどの出来でした。これほどの読書体験は前に紹介した『ザリガニの鳴くところ』(早川書房)以来でした。一読を強くおすすめします。
(2020年12月刊。2400円+税)

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2021年3月28日

漫画、秩父困民党

日本史(明治)


(霧山昴)
著者 つねよし 、 出版 同時代社

とても良くできた歴史マンガです。映画『草の乱』でも紹介された秩父事件がマンガになったのです。
映画では秩父困民党(こんみんとう)の会計長をつとめた井上伝蔵が主役でした。この井上伝蔵は秩父事件のあと逃亡に成功し、なんと北海道に渡って、そこで自然死したのです。
秩父事件とは、明治17年(1884年)11月に、埼玉・群馬・長野3県の民衆数千人が鉄砲などの武器をもち軍隊組織をつくって蜂起した事件です。その目標は、高利貸しへの負債延期、村費の軽減、学校の休校、雑収税の減免など。
この当時、松方(まつかた)デフレで生糸や米などの農産物価格が暴落し、民衆の生活は破滅的な状況に陥っていた。ところが、高利貸は暴利をむさぼり、裁判所は差押を頻発していた。
そこへ、自由民権運動として自由党が進出して、それを人々が受け入れはじめた。しかし、先鋭化する運動に恐れをなした自由党の指導部は解党を決議する。それに納得できない人々は困民党を結成した。
下吉田村(秩父市)の東京神社に数千人が結集し、秩父市の中心部へ武器をもって押し出していった。マンガは、その過程は丁寧に描かれていて、人々の取り組みの様子がよく分かります。ちなみに、江戸時代の百姓一揆では、百姓側も当局側も鉄砲を武器として使用することはなかったそうです(猟銃は村にありましたが...)。それが、明治10年の西南戦争で変わったのだと思います。
当局側は警察だけでなく軍隊まで出動させて鎮圧にあたると、素人集団はたちまち敗退してしまうのでした。
4千人近くが逮捕され、3600人もの人々が罰せられた。総理を名乗った田代栄助(51歳)ほか8人が死刑となった。100人が収監され、うち30人が獄死した。そして、指導者の一人だった落合寅市(35歳)が服役中に憲法発布恩赦で出獄すると、「秩父事件」の復権を訴えはじめて、ようやく秩父事件の積極的な意義が広く知られるようになったのです。
いやあ、本当によくできた歴史マンガです。登場人物の描きわけも見事だと思いました。
(2021年2月刊。税込2530円)

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2021年3月29日

タコは海のスーパーインテリジェンス

生物


(霧山昴)
著者 池田 譲 、 出版 化学同人

タコ焼きのあのタコを見直さなければいけないと思わせる、タコのうんちくを傾けた楽しい本です。
タコは巨大な脳と優れた眼をもち、チンパンジーなどの高等動物顔負けの行動をやってのける。しかも、恐竜たちがいた古い時代から、頭脳と柔軟な身体をつかってしたたかに生きのびてきた曲者(くせもの)だ。といっても、タコの個体は寿命1年ほど。
タコには骨がなく、身体の大半を占めるのは筋肉組織。
タコは左右4本ずつ合計8本の腕がある(イカは10本)。
タコの得意技は物に化けること。タコは周囲のものに化け、溶け込むことができる。姿形を、そのときどきで周囲にあわせて変えることができる。
タコもイカも、瞬時に体色を変える。
タコの生涯の大部分は今なお、具体的にどこで、どのように過ごすのか分かっていない。
タコは身近だが、謎の多い生物。
タコは、貝の仲間から分化した。恐らくそれは6億年ほども前のこと。うひゃあ、す、すごい古―い話なんですね...。
タコのレンズ眼は大きく立派。その眼は、高精度の感覚器官だ。
タコは高度な学習と記憶能力をもつ。
タコは訓練によって学習する能力を有している。マダコは数週間から2ヶ月ほど学習内容を覚えている。
タコも遊ぶ。
タコは単独性。イカには社会をもつものがいる。
自分の近くに他のタコが来ると、タコは離れようとする。ところが麻薬を摂取する(させられる)と、タコは一変して社会性をもつ。
タコにも性格がある。好奇心の強いタコがいる。
タコは色覚を欠く。
タコは、じっとものを見る。凝視する動物だ。
タコの腕には多くの神経細胞があり、感覚器として機能している。
脳よりも腕に、より多くの神経細胞があるので、腕で(触って)考える動物だといえます。
日本はタコをたくさん食べますが、ヨーロッパではあまり食べないようですね。食習慣が違うからでしょう。
(2020年12月刊。税込1980円)

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2021年3月30日

菅義偉の正体

社会


(霧山昴)
著者 森 功 、 出版 小学館新書

「庶民宰相」として高い支持率でスタートしたものも束の間、たちまちメッキがはげて正体があらわになって、支持率は低迷中。GoToトラベル、オリンピックにしがみついて、コロナ対策は国民の自粛まかせで、政府としての無策・無能ぶりには呆れるばかりというか、怒りを覚える毎日です。
前のアベ首相は、ペラペラペラと平然とウソをつきましたが、今度のスガ首相は、「ひたすら、何の問題もない」かのように装い、言葉で国民の前に立ち説明し尽くそうとはしません。
裏でコソコソと黒子役ばかりを演じてきたスガ首相は、表の舞台で語る才能もコトバも持ちあわせていないようです。平時ならともかく、コロナ禍の渦中にあっては、日本人全体の不幸を招く首相としか言いようがありません。
スガは、「秋田の農家の長男として生まれ、集団就職で上京...」と紹介されていたが、「集団就職」とは真っ赤なウソ。スガは、秋田の裕福なイチゴ農家で育ち、父親は町会議員を4期もつとめる町の名士(実力者)。高校を卒業して、集団就職ではなく東京の工場(段ボール会社)に就職したが、2年遅れで法政大学に入学した。
スガの母親も2人の姉も教員。スガ本人も北海道教育大学を受験したが失敗。イチゴ農家を継げという父親に反発して上京して就職した。集団就職とは関係ない。
法政大学法学部を卒業したあと、大学就職課に相談して、横浜選出の小比木(おこのぎ)彦三郎・衆議院議員の書生(秘書)になった。それがスガの政治家人生の始まり。
スガは総務大臣としてNHKの会長人事に口を出し、自民党によるNHK支配を強めていった。
橋下徹の「大阪・維新」と接近した。
沖縄では、翁長(おなが)県知事と対決した。
横浜にカジノを誘致しようとしている。これで横浜港のドン(藤木)とケンカ別れした。
GoToイートのおかげで「ぐるなび」は息を吹き返した。「ぐるなび」の滝はスガの強力な応援団の一人だ。
そして、楽天の三木谷浩史、金権腐敗の学者と目されている竹中平蔵...。また、スガを支える官僚としては不倫騒動で名前を売った和泉洋人、...。ろくな人物は周囲にいませんね。
菅首相の正体を知るには手ごろの新書です。
(2021年2月刊。税込1100円)

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2021年3月31日

日米安保と砂川判決の黒い霧

司法


(霧山昴)
著者 吉田 敏浩 、 出版 彩流社

1959年(昭和34年)12月16日、砂川事件の最高裁判決はおぞましいほどの汚辱(おじょく)にまみれていて、先例とすべきものでないことが、今では明らかです。
というのは、当時の最高裁長官であった田中耕太郎(意識的に呼び捨てにしています。まさしく唾棄(だき)すべき男です。最高裁長官のあと、アメリカの全面的支持を得て、国際司法裁判所判事にまでなっています)が、アメリカ大使と密談して裁判の内情を何回も具体的に報告し、その指示を受け、激励されていたという驚くべき事実がアメリカ側の公文書によって明らかにされたからです。
砂川事件最高裁判決は、アメリカ政府による露骨な内政干渉があり、田中耕太郎は売国奴よろしく裁判情報を漏洩していた。まさしく違法・不正な行為があっていた。このことは、アメリカ国立公文書館にあった公文書が、秘密指定解除によって公開されたことで具体的に裏付けられている。
砂川事件というのは、1957年7月8日に起きたもの。アメリカ軍の立川基地の拡張に反対する運動に関与した7人の労働者・学生が起訴された。この砂川事件について、1959年3月30日、東京地裁(伊達秋雄裁判長)が、アメリカ軍の駐留は憲法違反なので、そのための刑特法は無効なので、被告人は無罪と判決した。予想外の判決に驚いたアメリカ政府はマッカーサー大使を通じて、藤山愛一郎外相に圧力をかけて、最高裁への跳躍上告をうながした。このことも、アメリカ政府側の公文書に記録されている。
さらに、マッカーサー大使は、田中耕太郎とも会って、密談を重ねた。その内容は具体的かつ詳細であり、単なる儀礼上の挨拶なんかではないし、抽象的なものでもない。
「本件は優先権が与えられている」
「判決は、おそらく12月だろう」
「争点は事実問題ではなく、法的問題に閉じ込める決心を固めている」
「口頭弁論は、1週につき2回、午前と午後に開廷して、3週間で終えると確信している」
「できれば、裁判官全員が一致して、適切で現実的な基盤に立って事件に取り組むこと」
田中耕太郎は、裁判の事実上の一方当事者であるアメリカ政府を代表するアメリカ大使に対して、判決の内容と判決事件をこっそり会って伝えていたのです。とても信じられませんが、これは証拠のある明らかな事実なのです。
もちろん、裁判所法は、裁判官に対して評議の秘密を守れと定めています。こんなことが判明したら、国会にある弾劾裁判所で、田中耕太郎は直ちに罷免されていたはずです。
こんなトンデモ判決で有罪にされた被告人はたまりませんよね。もちろん、真相がはっきりしたあとで、再審請求をしたのです。ところが、東京地裁(田辺三保子裁判長)は、再審請求を認めませんでした。なぜか...。田中耕太郎がアメリカ大使と面談した事実はさすがに否認できません。そこで、裁判所は最高裁長官とアメリカ大使の面談は、国際礼譲であって、田中耕太郎の言動は「裁判に関する一般論・抽象論にとどまり、評議の秘密の漏洩にはあたら」ないとした。これが東京地裁の判決です。
東京地裁判決の論理でいうと、裁判の見通しや時期、それに至る話はすべて「裁判に関する一般論・抽象論にとどまり、評議の秘密の漏洩にあたらない」というのです。
それが正しいのだったら、最高裁は、法の解釈指針として、「裁判に関する一般論・抽象論」は自由に語っていいことを裁判官と裁判員になった人々にきちんと伝えるべきです。
ところで、誰が考えたって、判決の見通しや評議の具体的状況を第三者に伝えたことが一般論かつ抽象論だとは思えません。要するに、再審請求は、理論の問題以前の、勇気の欠けた裁判官にあたってしまったのです。
アベ前首相は、この砂川事件の最高裁判決を口実として最大限利用して集団的自衛権を根拠づけようとしました。しかし、砂川事件では日本国内にあるアメリカ軍基地の存在こそ問題となりましたが、そこには集団的自衛権の話はまったくでてきません。アベ政権は、根拠なく「こじつけ」をしただけなのです。
いやあ、それにしても、東京地裁の一般論・抽象論を述べただけ」とか、「評議の秘密が漏洩したとはいえない」という判決には腰を抜かしてしまうほど驚きました。田中耕太郎もひどいけれど、こんな判決を恥ずかし気もなく、よくも書けたものです。読んでるこちらのほうが恥ずかしくなります。
田中耕太郎(故人です)は司法界から完全に抹殺すべきです。それをかばう裁判官もまた同類とみなすしかありません。残念ですが...。
(2020年10月刊。税込1650円)

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