弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2013年11月30日

もう日は暮れた

日本史(現代史)

著者  西村 望 、 出版  徳間文庫

1930年10月、台湾中部の山岳地帯の霧社で発生した事件を忠実にたどった小説です。
 小説ですので、登場人物の名前は史実とは異なりますが、事件の背景、事件の推移については史実のとおりです。
 霧社は台湾中部の中央部にそびえる、能高山脈の山麓にある台湾原住民・高山族の村である。高山族は、終戦直後まで、高砂族と呼ばれていた。そして、霧社は、高砂族のなかの一部族である、アタヤル族の村である。アタヤル族は高山族のなかでも剽悍(ひょうかん)をもって知られ、首狩りの習慣を持っていた。事件当時、3万人余の人口を有し、高砂族のなかでは最大の部族だった。
 日清戦争で清朝から台湾を割譲された日本は、植民地経営を平穏に行うためには、アタヤル族をはじめとする山岳民族の慰撫懐柔が不可欠と考えた。これを理蕃(りばん)と読んだ。この施策実行の先兵となったのが警察だった。理蕃事業の成否は、配置された警察官の人柄や気質に大きく左右された。
 霧社は、理蕃のなかで、もっとも成功した場所のひとつとして知られていた。
 そんな霧社で、盛大な運動会の当日、集まっていた日本人のほとんど全員(134人)が皆殺しの憂目にあったのでした。
 日本人による植民地経営の苛烈さを知ることのできる本でもあります。現地の風習の違いは、次のようなところにも見られます。
 蕃社では、死者は埋葬するが、外には埋めない。みんな屋内に埋めてしまい、その場所は聖なる一隅として、いっさい使わない。死者はオットフとなってそこに坐っていると信じられている。
霧社事件の起きる前の状況、殺戮の様子、そして日本軍の鎮圧作戦の推移を小説として知ることのできる貴重な文庫本です。
 でも、史実に即していますので、重たい気分で読み進めました。少し骨が折れるものではありました。
(1989年10月刊。520円+税)

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2013年11月29日

メルトダウン・連鎖の真相

社会


著者  NHKスペシャル取材班 、 出版  講談社

NHKテレビで放映された三本の番組を再構成した大型本です.写真がたっぷりあって、迫真力があります。
 すでに亡くなられた吉田昌郎所長(福島第一原発)は、何度も、死ぬだろうと思ったと振り振っています。
 1号機の爆発、3号機の爆発、そして2号機の原子炉に注水するとき、なかなか水が入らず、最悪の場合メルトダウンが進んで、コントロールが不能になって、これで終わりかなと感じた。これで終わりということは、東京をふくむ250キロ圏内に人間が住めなくなるということです。すなわち、日本の終わりを意味していました.幸いにして、そうはならなかったわけですが、今なお、その危険は続いていることを、つい忘れがちです。4号機の使用済み核燃料の取りだし、移動に1本でも失敗したら、同じ状況が生まれるのです。それは、いまからの作業なのです。
 そして、そこを狙ったテロ活動をどうやって防ぐというのでしょうか.秘密保護法で防止することも出来ません。本当に、原発は人類のコントロールできない怖い存在なのです。
小泉純一郎元首相が、しきりに脱原発しろと叫んでいるのに、私は心から賛同します。
 この本には、在日アメリカ大使館の高官が福島第一原発をこっそり訪問して、一人一人、全員に握手してお礼の言葉を述べたことが紹介されています。それほど福島第一原発事故が大惨事にならなかったことをアメリカ当局は喜んでいるのです。とりわけアメリカ側が恐れたのは4号機のプール内にあった大量の使用済み核燃料の行方でした。
 アメリカ大使館の高官は、免震棟にいる一人残らず全員と握手したまわり、事故対応にあたった健闘をたたえた。これに対比すると、わが菅首相は、緊急時対策室で作業に当たっていた人たちの労をねぎらう言葉をかけることもなく帰っていったのでした。これは、人間性の遠いというより、大所高所からの視野の広狭の違いではないかと思いました。
 今回の事故は、日本での使用済み核燃料の危機対策が無防備きわまりないことをあらわにした。もし、むき出しのプールから直接大量の放射性物質が放出されることになったら・・・。
原発は直ちに廃止する。そして、脱原発の作業をじっくり進めていくべきだとつくづく思ったことでした。大型本の割には安価ですし、一読されることを強くおすすめします。
(2013年6月刊。1900円+税)

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2013年11月28日

戦後歴程

社会


著者  品川 正治 、 出版  岩波書店

何回か著者の話を聞きました。戦中体験にもとづいて憲法9条の大切さを諄々と説き明かす話でした。そのたびに、深い感動を覚えました。中国戦線に駆り出され、最前線で爆風とともに意識を失い、危うく生命をとりとめたのです。身近なところで、戦友が死んでいくのを見守るだけでした。
 そして、なぜ著者が中国大陸の最前線へ行くことになったのか。それは、京都の第三高等学校の生徒総代をととめていたときの事件に原因がありました。
 ある生徒が軍人勅諭を暗誦しはじめたのです。
 「我国の天皇は世々軍隊の統率したまうところにぞある」・・・・
 天皇と軍隊を入れかえて、まったく逆の意味にしたのでした。
 それに気がついた軍人に対して、その生徒は「天皇に名をかりて、軍はいったい、この国をどこに連れていこうとしているのですか?」と逆に問いかけたのです。いやはや、すごいことです。戦時中に、こんなことを軍人に向かって正面きって言った学生がいたなんて・・・。
 上海から復員船に乗って著者が日本に帰ってきたのは。1946年4月のこと。
 船中で日本国憲法草案を読んだのです。
 読み終えると、全員が泣いた。陸海空軍はもたない。国の交戦権は認めない。よくぞここまで書いてくれた。これなら、亡くなった戦友も浮かばれるに違いない。読みながら、突き上げるような感情に震えた。
 いま、憲法9条という旗は、解釈改憲の歴史のなかでボロボロになっている。だが、それでもなお、その旗竿を国民はしっかり握って離さないでいる。
 うん、うん。まったくそのとおりですよね。握って離すものですか・・・。アベノミクス、もとい、アホノミクスになんか負けはしませんよ。
 東大法学部の卒業試験を無事に切り抜けた話は、まさしく神業(かみわざ)でした。すごいです。
 卒業後は保険会社に入り、労働運動の世界へ。これまた、労働学校に一生徒として夫婦そろって入学して勉強したというのですから、生半可な気持ちでは出来ません。
 60年安保闘争のときには労組委員長も3年間つとめています。そして、次は損保会社の経営の中枢に入ったのでした。社長そして、会長です。国際的な活動も展開しています。
 ともかく話のスケールの大きい人です。惜しくも先ごろ亡くなられました。その志を私も少しは継ぎたいと考えています。
(2013年9月刊。1800円+税)

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2013年11月27日

生活保護リアル

社会

著者  みわ よしこ 、 出版  日本評論社

先日、私の住むまちで、市役所の保護課に市民課に市民からの通報(告発)がありました。生活保護を受けている隣人がうどん屋でうどんを食べているのを見かけた。国から保護を受けているくせに、外食などしてうどんを食べるなんて、けしからん、というものです。
 それを聞いて、本当にびっくりしました。これまで、生活保護を受けている人がパチンコ店に出入りしているのを見かけるが、とんでもない、けしからんという叫び声を聞いたことはありましたが、まさか、うどん屋でうどんを食べていてもぜいたくだ、いけないなんて、信じられない「告発」です。「告発」した隣人は、恐らく外食もせず、せいぜいコンビニ弁当で我慢しているのでしょうね。
 そこには、恐るべき妬み心を認めることができます。
 生活保護を受けている障害者は、嫌がらせにあいやすい。
 生活保護は、あくまで申請主義である。福祉事務所は基本的に生活保護の申請を拒むことはできない。
 だから、「水際作戦」と称して申請自体がないようにしていた北九州市のような自治体があったわけです。
 生活保護は世帯単位で申請する。生活保護受給者の11%は15歳未満の子どもたち。
 生活保護の不正受給はしばしば問題とされるのに対して、必要とする人が保護を受けられない(漏給)ほうは問題とされることがない。日本の相対的貧困率は、16.0%(2009年)。1920万人が生活保護水準より低い生活を強いられている。つまり、日本の生活保護は、必要とする人の20%しか対象としていない。これをさらに減らそうというのがいまの安倍内閣が進めている福祉切り捨て政策である。
 生活保護を受けると、世論に攻められ、遊び半分でネタにされる。しかし、好きで生活保護を受けているわけではない・・・。
生活保護たたきに走る人には、生活の苦しい人が多い。本来なら生活保護を受けられるような人が、受けずにがんばっている人。恥の意識が強くて、自己責任を内面化している。自分は必死でがんばっているから、生活保護を受けている人に対して、「なぜ、あいつは」と思ってしまう。でも、結局、生活保護たたきをしている人は自分の首を締めているだけ。そのことを自覚していない。
 弱いもの同士が「いじめ」あう変な世の中です。その一方で、スーパーリッチは高見の見物をしているわけです。それに乗っかって弱者切り捨ての政治をすすめているアベノミクスって、絶対に許せませんよね。
(2013年7月刊。1400円+税)

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2013年11月26日

戦後史の汚点、レッド・パージ

日本史(戦後)

著者  明神 勲 、 出版  大月書店

レッド・パージとは何だったのか、誰が何のためにやったのか、くっきり明らかにした画期的な労作です。
 GHQの指示という「神話」を検証する。こんなサブ・タイトルがついていますが、そんな「神話」が事実に反していることが鮮やかに論証されていくのです。小気味よさすら感じます。
 日弁連は、レッド・パージについて、今から60年も前に起きたものではあるが、現在においても依然として職場における思想差別が解消されたわけではない。現在も形を変えて類似の被害が繰り返されている。職場における思想・良心の自由、法の下の平等が保障されるべきことは、過去の問題ではなく現代的な人権課題である、と指摘した。
まことに、そのとおりですよね。
 最高裁に対するGHQの「解釈指示」なるものは、政治的虚構であり、その存在は認められないこと。1950年のレッド・パージがGHQの指示によるものとする従来の通説は誤りである。
 GHQ文書を読めば、レッド・パージにおいて日本政府と最高裁、企業経営者が果たした役割は、単なる「指示」の実行者、加担者という控え目なものではなく、積極的なものであり、ときにはマッカーサーやGHQの動きを上回るものであった。彼らはGHQとの「共同正犯」と呼ぶべきである。
レッド・パージに対して抵抗すべき労働組合のほとんどが、これを黙認し、事実上の「共犯者」となった。なかには、電産のように、これに積極的に荷担する「共犯者」の役割を果たした恥ずべきケースもあった。
 1949年から51年にかけてのレッド・パージによって追放された人は3~4万名と推定される。レッド・パージされた人の多くは、青年であった。彼らは二度と帰らぬ青春をレッド・パージによって奪われた。
 1949年1月の総選挙で日本共産党は10%近い得票率で35議席を得た。しかし、レッド・パージ後の1952年10月には2.5%に落ち、議席はゼロとなった。
 1949年7月、吉田茂首相の政府は閣議で、公務員のレッド・パージ方針を決定した。
田中耕太郎・最高裁長官は、マッカーサー書簡によってだけではレッド・パージを遂行するための法的根拠が与えられていないことを認識していた。
 GHQ(ホイットニー)は、指示を出さなかった。それは、あくまで田中最高裁長官の「助言」の求めに応じたホイットニーの「助言」に過ぎなかった。田中長官は、マッカーサー書簡とGHQの権力にもとづきレッド・パージを実施したいと要請したが、ホイットニーは、これに同意せず、GHQの権力に頼らず日本側から自ら工夫して有効な策を考えるべきだと応じた。
 田中耕太郎長官は、裁判の秘密をかなぐり捨てて、駐日アメリカ大使に最高裁判所の内情をぶちまけていたのです。なんて破廉恥な裁判官でしょうか。当然、厳しく弾刻して罷免すべきものです。今からでも、決して遅くはありません。日本の最高裁の恥を隠してはいけません。
 GHQがレッド・パージの指示を出さなかったのは、なぜか?
 それは、レッド・パージが、憲法違反・違法な措置を指示した責任者という非難」を受けるのを回避したかったことにある。自らが必要とする違憲・違法の非難を受ける可能性のある政策を、示唆や勧告によって日本側に実施させ、その責任を転嫁するというのは、GHQの常奪手段であった。それは、責任を回避しつつ、目的を達成するという狡猾な奸計だった。
 そして、日本側は、レッド・パージの単なる被害者、犠牲者というのでもなかった。政府も司法当局も、ともに違憲・違法を十分に認識したうえで、GHQの示唆を「占領軍の指示」とか「絶対的至上命令」として利用し、責任をGHQに転嫁しつつ、あらゆる抵抗を無力化させて年来の念願を果たした。
 このように、責任を相互に転嫁しあい、相互に相手を利用しつつ、両者の密接に連携した共同作業という形でレッド・パージの実施は強行された。
 なるほど、そうだったのか、よく分かりました。戦後史を語るうえでは欠かせない本だと思います。
(2013年10月刊。3200円+税)

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2013年11月25日

人体探求の歴史

人間


著者  笹山 雄一 、 出版  築地書館

二重まぶたの日本人は、先祖が東南アジア経由。北方アジアを経由して日本列島に入った祖先は、なかなり寒い環境に適応した人たち。眼球は水分が多いため、それを保護するため、まぶたに脂肪を蓄積させ、その結果、一重になった。
 まばたきするのは眼を保護するため。人間は、1分あたり20回程度まばたきをする。イヌやネコは2回ほど。新生児は、まばたきしない。乳幼児は1分間に3~13回。上司や知らない人と話すと、まばたきの回数は増える。
 統合失調症の患者は、まばたきの回数が多い。
 生まれつきまったく目が見えないヒトは、手術で「見える」ようになっても、「見る」という学習をしなければ、物の形は分からない。人間は、見る学習をしてきたからこそ、見える。日本人の鼻は、縄文人は高く、弥生人はそれよりやや低い。古墳時代は低く、古代・中世・近代とどんどん低くなった。江戸時代に少し高くなり、明治以降、現代まで、どんどん高くなっている。
 北方モンゴロイドの人々の鼻は小さく、低い。これは凍傷から逃れるための適応である。
 がん患者の吐く息の臭いには共通のものがある。そこで、イヌにかぎ分けさせることができる。
 血液型と性格は、いつも話題になるが、まったく根拠がない。
肝臓には、血液量の4分の1が常に流れ込んで、浄化されている。
 人の尿に最近はいないので、遭難して水に困ったときには1回くらいなら自分の尿を飲むことができる。
 昔、朝一番の自分の尿を飲むという健康法がしきりに紹介されていたことがあります。さすがに私はやれませんでした・・・。
 夜、寝ているときには、肝臓は尿をつくらない。
 ええーっ、そ、そうなんですか。私は、よく夜中に尿意のため目が覚めるのですけど・・・。
 毎日5時間以下しか睡眠をとらない人は、7時間眠る人に比べて、糖尿病にかかるリスクが5倍以上になる。これは、睡眠不足の人では、眠っているあいだに少しずつ分泌されるインスリンの基礎分泌が落ちることによる。やっぱり、きちっと眠っていることは大切なんですよね。
人間の身体の不思議さを縦横に語っている、興味深い本でした。
(2013年7月刊。2600円+税)
 きのうの日曜日、フランス語検定試験(準一級)を受けました。自己採点で68点(120点満点)でした。このところずっと準一級に合格してきたのですが、今回は厳しい状況です。
 毎朝聞きとり、書きとり(NHKラジオ講座を聞いて、CDを利用しています)をやり、16年間の過去問をあたりに、直前2日間は集中してフランス語漬け状態にしたのですが・・・。
 文法問題の出来がよくないのは昔からなのですが、今回は聞きとりがうまくいきませんでした、今回は聞き取りがうまくいきませんでした。聴力低下もあるようです。
 残念ですが、くじけずにフランス語は続けるつもりです。実は最近、フランス語が少し理解し話せるようになったという実感があり、喜んでいたのでした。慢心したというわけでもありませんが・・・。
 会場になった大学では入試試験があっていました。推薦入試のようです。元気な高校生たちを大勢見かけました。

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2013年11月24日

湖上の命

アジア


著者  高橋 智史 、 出版  窓社

カンボジア・トンレサップの人々。こんなサブ・タイトルのついた写真集です。私はベトナムには一度だけ行ったことがありますが、カンボジアには行ったことがありません。アンコール・ワットとかアンコール・トムにはぜひ行ってみたいと思っているのですが・・・。
 カンボジアというと、私にとっては平和な国というより、キリング・フィールド。つまり、ポル・ポト政権(クメール・ルージュ)による大虐殺の国というイメージです。
 そして、カンボジアは、ベトナムと昔からあまり仲が良くないと聞いています。
 そんなカンボジアの中央部にある広大なトンレサップ湖に、そこでの水上生活者としてベトナム人がたくさん住んでいるというのです。驚きました。
 日本人の若きフォト・ジャーナリストが、そんな水上部落に住み込んでとった迫真の写真集です。水上生活者の小船で朝食を売ってまわるおばさん。そして、散髪屋もあります。
 仏教徒だけでなく、キリスト教信者もいます。
 水上生活者に赤ん坊が生まれ、また、年寄りが亡くなっていきます。
子ども、そして若者たちは、ここでも元気一杯です。
 生活の糧は湖の魚たち。
くっきり鮮明な写真で、ベトナム人水上生活の日常生活を知ることができます。貴重な写真記録だと思いました。
(2013年4月刊。2200円+税)

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2013年11月23日

真珠湾収容所の捕虜たち

日本史


著者  オーテス・ケーリ 、 出版  ちくま学芸文庫

北海道生まれのアメリカ人です。父親は教会の仕事をしていました。20年も日本で生活していたため、もちろん日本語はぺらぺらです。
 戦争が始まると、日本語のできるアメリカ兵として活躍することになりました。捕虜収容所の担当です。
日本人は抑えられることには慣れている。だから、抑えられながら、表面的に抑えられたと見せて逃げまわる術を心得ている。抑えないで人間扱いすると、勝手が違うので、ある意味では陸に上がった河童のように抵抗力を失う。
 殴られた方が精神的には楽だったかもしれない。捕虜を不名誉と卑下していた者が、虐待を受けたことによって、自分を合理化する理由を見つけるだろう。
 日本兵の捕虜は、情報官の合理的な質問に対してはまったく歯が立たない。一つの事実を総合的に積み重ねていくと、一致点と穴が現れる。その穴を指摘すると、相手はカブトを脱いでしまう。隠しても、「敵」は何もかも知っていると観念する。
捕まった当初は、どんな捕らわれ方をしようとも、誰でも一様に生の歓喜を素っ裸で感じる。傷の手当てをしてくれ、食料もくれる。ところが、体力が回復し、気持ちが落ち着いてくると、一つしかない「日本人」が頭をもたげ、いろんな衣をまとい始める。
外観だけみると、アメリカの軍隊のほうが反将校意識は格段に強い。しかし、内情をみると、日本の軍隊のほうが、もっともっと熾烈だった。
 日本人同士だと将校をこきおろし、憤まんをぶちまけあう。しかし、そこに外部の人間がいると、そのふりさえ見せない。
日本兵捕虜の実態をつまびらかに明らかにしてくれる貴重な本だと思いました。
(2013年7月刊。1400円+税)

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2013年11月22日

はじめての憲法教室

司法


著者  水島 朝穂 、 出版  集英社新書

有名な憲法学の水島教授は、自分は「護憲論者」ではないときっぱり断言します。
 ええーっ、そ、そうなの・・・、と驚いていると、「護憲論者」という定義が問題なのです。つまり、「護憲論者」というと、憲法の条文にこだわりすぎて、現実を見ない理想主義者だというイメージをマスメディアがつくっているから。むしろ、改憲論者のほうが現実をよく見ているかのように思わされている。
 でも、これって、あべこべですよね。改憲論者こそ、実は、足が地に着いていない、勇ましいだけの空想論者なのです。
 憲法とは、第一義的には、国家権力を制限する規範であり、国民が国家権力に対して突きつけた命令なのである。人々の「疑いのまなざし」が権力をしばる鎖である。その鎖を文章化したのが、まさしく憲法である。
 中学・高校で教えられているのは、「憲法は国民が守るもの」というもの。これは立憲主義ではない。
 選挙権を有する「成年」というのは、世界的には「18歳以上」がほとんど。世界189カ国のうち、170カ国で18歳選挙権となっている。
 ええーっ、そうなんですか・・・。
 よく「押しつけ憲法」というけれど、自衛隊だって、アメリカに押しつけられて出来たもの。では、解消するか、というとそんな声はまったく聞かれない。
 「国防軍」というのは、世界的に言われなくなっている。グローバル化のなかで、軍隊の仕事・役割は変わってきている。
 近代立憲主義は、民主制においても権力の暴走はありうるという考えにもとづいている。
 ところが、安倍首相は、憲法が権力を縛るものだというのは、王権の時代、専制主義的な政府に対する憲法という考え方であって、今は民主主義の国家であると述べている。まったく間違った考え方だ。本当にそうですよね。
 国民主権という民主政治なされているから憲法の役割まで変わったなんて、とんでもない間違いです。
 この本は、早稲田大学の水島ゼミ生との対話をもとにしていますので、とても分かりやすい内容になっています。水島教授と直接に対話できた学生は幸せです。
(2013年10月刊。700円+税)

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2013年11月21日

自衛隊にオンブズマンを

社会


著者  三浦 耕喜 、 出版  作品社

現代の日本社会で自殺率の高い組織の一つが自衛隊だ。その数は年100人近くに達する。
 自衛隊は、その発足以来、戦場で誰も殺さなかった。また、隊員から誰ひとり戦死者を出さなかった。そのことは、世界の誇りをすべきことだ。ところが、その陰では、いく人もの自衛官がいじめやストレスの中で自死に追い込まれている。
 日本の防衛省は、省内に自殺対策の組織(防衛省「自殺事故防止対策本部」)を設けている。
 自衛隊の自殺率は33.3で、一般国家公務員の21.7より10ポイント以上も高い。これに対して、ドイツの連邦軍兵士の自殺率は7.5で、一般国民の11.5よりも低い。ちなみに、アメリカの兵士の自殺率は20.2。
 インド洋やイラクなどへの海外任務に就いた、のべ2万人近い自衛隊のうち、16人が在職中に自殺していた。
 このような自衛官の不幸を少しでも減らし、自衛官としての務めを憂いなく果たすことを促すため、「軍事オンブズマン」制度を日本に導入すべきである。これが著者の主張です。
 著者は前に『ヒトラーの特攻隊』(作品社)を書いています。この欄でも紹介しました。
ドイツでは軍事オンブズマンが兵士の悩みに寄り添っている。兵士自身も団結し、自分たちの思いを声にしている。さらに、軍の幹部自らが兵士に対し、自信の良心にもとづき、自分で考えることのできる人間であれと指導している。
 ドイツの軍事オンブズマンは、ドイツ連邦議会が任命する。
 ドイツ連邦軍の全施設に事前通告なしで立ち入ることができる。50人の専属スタッフが働いている。ドイツでは、兵士は、「制服を着た市民」と考えられている。
 軍事オンブズマンのもとへ、年間6000件もの苦情が兵士から寄せられる。
 軍隊は議会がコントロールするもの。議会による軍のコントロールこそ、軍事オンブズマンの要となっている。ドイツは国民男子に兵役義務を課している。
 ドイツには、兵士による団体「連邦軍協会」がある。会員は21万人。ストライキこそしないが、デモはやっている。
 日本の自衛隊とドイツの連邦軍は、どちらも25万人。ドイツ軍は、現在、世界11の地域に合計7000人の兵士を出している。アフガニスタンでは、これまで30人以上の犠牲者を出している。
 そう言えば、ドイツではありませんが、デンマークだったかと思いますが、アフガニスタンに兵士を派遣している状況が映画になっていました。『アルマジロ』というタイトルで、戦場の悲惨さが国内に伝わり、反戦気運が一挙に盛りあがったということでした。
 25万人の隊員をかかえる自衛隊について、もっとドイツのように民主化し、風通しの良い組織に変えていく必要があること、そして、それは必要だし、可能なことを教えてくれる貴重な本です。
(2010年7月刊。1800円+税)

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2013年11月20日

内心、「日本は戦争をしたらいい」と思っているあなたへ

社会

著者  保阪 正康・東郷 和彦ほか 、 出版  角川ワンテーマ21新書

とても共感できる、大切な指摘がたくさん書かれている本です。とりわけ若い人に読んでほしいと思いました。
 国民が戦争を待望する心理を持つ状態になると、戦争好きな、そして自らの政策の失敗を隠そうとする政治指導者は、これ幸いに国民のそんな感情を厚かましく利用する。
 政治指導者が「戦争」という手段を選択したとき、それは、政治家として、国民の生命と安全を守るという基本原則を踏み外したわけで、失敗したということである。
 戦争は、ある日突然に起こるのではなく、社会的空気や雰囲気が次第に「平時」の持つバランスを欠く事態になり、軍事指導者は、それらを巧みに利用しながら、戦争へ導いていく。
 戦争とは、要は「敵国将兵」や「敵国民」の大量殺害を目的とする。しかし、敵国の人々を殺傷するということは、「敵国」から私たちも殺傷されるということ。お互いに殺傷をくり返し、その被害が大きい側、あるいは被害を通り越して壊滅状態に追い込まれた側が「敗戦」したことになる。
 戦争に進む道を歩んでいるときは、威勢のいい意見や声高に愛国心を説く者が、あたかもヒーローであるかのように見える。
 軍事的衝突を前提としない国づくり進めてきた国には、それに伴う国際社会での信頼と安心を与えてきたという事実がある。
 中国が気にくわないからといって、いたずらに互いの国民感情を挑発しあう言動をくり返すのは、戦争への意見の皮膚感覚を失った「右からの平和ボケ」以外のなにものでもない。
 いま、「愛国心」を叫ぶ人には愛はない。他人を非難し、攻撃するためだけに「愛国心」が使われている。
 日の丸・君が代を学校現場で強制するのでは、日の丸・君が代が汚れてしまう。
日本のマス・メディアは権力の愛玩犬(プードル)になりさがっている。本来の機能である監視犬の割合を果たしていない。
 前にも紹介しましたが、デンマークの映画『アルマジロ』がとりあげられています。アフガニスタンに派遣されたデンマーク軍の実情を従軍して取材した映画です。この映画をみたデンマーク国民の多くが、たちまちアフガニスタンへの軍の派遣に反対するようになったのでした。何しろ、「文明国デンマーク」の若者が、粗暴で残虐で野蛮な兵士になってアフガニスタンで人を殺している現実があるのです。そして、市民生活を悪い方向に追いやっているのです。これでは、反戦になるのも当然です。
 とても時宜にかなった本です。200頁たらずの本ですので、ぜひご一読ください。
(2013年6月刊。781円+税)

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2013年11月19日

日本は過去とどう向き合ってきたか

日本史


著者  山田 朗 、 出版  高文研

歴史から学ぶということは、私たち人間にとってきわめて大切なこと。なぜなら、人間は、自分自身以外の体験以外から学ぶことのできる唯一の動物だから。
 なるほど、そのとおりですね。でも、学びたくない人、過去に目をそむけたい人が残念なことに少なくありません。
一時的に「日本人の誇りを傷つける」ような事象であっても、それを直視し、そうした事象の後始末や、今後の歴史に生かす試みを主体的にできることこそ、真の人間の「誇り」ではないか。人間の「誇り」とは、いたずらに過去の歴史の「栄光」を自画自賛することで得られるものではなく、歴史を直視することを土台にして過去の負の遺産を克服しようとすることから生まれてくるもの。
 1993年8月の河野談話は慰安婦が強制連行されたことは述べていない。ところが、安倍首相は、あたかも強制連行があったことを認定したように描き、それは事実確認だと高言する。ひどい話ですね。安倍首相の認識の軽さは厳しく批判されるべきです。
 1995年8月の村山談話についても、安倍首相は気にくわないもののようです。
 「侵略という定義については、これは、学会的にも国際的にも定まっていないと言ってもいい」
 しかし、これは事実として誤っています。侵略の定義は国連でなされて定着しているのです。
 靖国神社は、現在は東京都知事が認証した単独の宗教法人である。戦前は、陸軍省と海軍省が協同で所管する、きわめて特殊な、国家の戦争政策と切り離せない神社だった。神社の運営費は陸軍省の予算から出され、社域の警備には憲兵があたっていた。
 靖国神社は、天皇の軍隊としての一体性を構築するための日本軍にとって不可欠な機関であり、次の「英霊」をつくるための国民に対する精神教育の場でもあった。
 日本側にアジアの植民地を解放しようなどという考えがなかったことは、台湾や朝鮮などの古くからの植民地を「解放」しよう(独立させよう)と考えたことがなかったことからも明らかである。
死亡した人の死の意味を「犬死に」(意味のない死)のままにするのか、それを意味ある死にするのかは、生き残った人や後世の人の行動にかかっている。
 もし私たちが再び多くの戦死者を出すような事態を招いてしまえば、私たちは戦死者の死を意味のないものにしてしまうことになる。
 わずか190頁ほどの薄い本ですが、とっても内容の濃い本でした。
(2013年9月刊。1700円+税)

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2013年11月18日

寄生蟲図鑑

生き物


著者  目黒寄生虫館 、 出版  飛鳥新社

自然豊かな丘陵地の古ぼけた「新興団地」に住んでいるせいでしょう、先日、ダニに手首をかまれてしまいました。
 歩いて5分ほどの小川には初夏にホタルが明滅し、庭の水たまりに土ガエルがいて、モグラが地中に住みついていますので、庭のどこかにヘビも暮らしています。そんな自然環境にいればダニもいるのは必然でしょう。
 それにしても、ダニにかまれた手首の痛み・痒みが1ヶ月ほども続いたのには驚きました。皮膚科でもらった軟こうを塗っても、なかなか根治しないのです。
 ダニから咬着されても無症状なので、ダニが大きくなって初めて咬まれていることに気がつくことが多い。吸血によってウイルスや細菌が媒介されるので厄介だ。
 わが家の愛犬・マックスが亡くなってもう10年以上になります。フィラリアにやられたのです。この本によると、それは買い主の責任だということです。誠に申し訳ありません。フィラリアは予防によって、ほぼ100%阻止できる寄生虫なのです。
 フィラリアの媒介者は蚊。イヌ系状虫という寄生虫がフィラリア症をひきおこす。イヌ系状虫は、成虫が犬の心臓や肺動脈に寄生し、20~30センチにもなる、細長いそうめん状の線虫である。
 この寄生虫図鑑をよんでいて、ゴキブリにも天敵がいるというのを初めて知りました。
 エメラルドゴキブリバチです。このハチのメスはゴキブリを2度刺す。まずは面積の広い胸部神経節を刺して、ゴキブリの動きを止める。動きが止まったら、頭部にある脳に対して2度目の精密な刺激をする。これで、ゴキブリは大人しくなる。そのあとは、ハチの巣穴までひきずりこまれ、そこにハチの卵を生みつけ、幼虫が大きくなるまでの食料と化す。
 筑後川には、かつて恐ろしい日本住血吸虫がいましたが、2000年に絶滅宣言が出ています。中間宿主のミヤイリガイの撲滅に成功したことによるものです。
 それにしても、このような寄生虫を研究している学者がいるのですね。本当にありがたいことです。
(2013年8月刊。2200円+税)

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2013年11月17日

どっこい大田の工匠たち

社会

著者  小関 智弘 、 出版  現代書館

日本のモノづくりも、まだまだ捨てたものではない。そう実感させてくれる心温まる本です。
 著者自身が大田の町工場で永く旋盤工として働いてきましたので、匠(たくみ)たちを見る目にはとても温かいものがあります。著者の本はかなり読みましたが、最新作のこれもおすすめです。
 大田区には自転車でひとまわりすれば、たいていの仕事ができるほど多様な技術をもった町工場がある。そこで、自転車ネットワークとか、路地裏ネットワークと呼ばれるネットワークが可能な町である。
たとえば、安久工機は従業員6人の町工場。ここで、視覚障がい者が指先でさわって「見る」ことができる絵を描ける触図筆ペンをつくって売り出している。
 全盲の子どもたちに、絵を描かせたり、絵のタッチを理解させることのできるペンだ。当初20万円したが、今では10万円で市販されている。すごいですね。かなり苦労したようですが、不可能を可能にする人間の知恵がうまく生きています。
 大田区の町工場がつくった「下町ボブスレー」は無償でつくりあげたものだが、全日本選手権試合(女子二人乗り)で、優勝した。
 大田区の町工場には、「菓子折りつきの仕事」というものがある。なんとか頼みますよと、菓子折りをつけて頼み込む。だから、技術的には難しいが、工賃は高い。そして、町工場は、時のたつのも忘れて仕事にのめり込んでしまう。
町工場の工場主(おやじ)さんたちのあいだには、「息子が後を継いでくれて良かった」派と、「息子に後を継がせなくて良かった」派の二つがある。そうなんでしょうね。みんながみんな生き残れるほど、きっと世の中は甘くないでしょうから・・・。
 町工場の技術は、ちょっと見学したりビデオで見たからといって、すぐに真似られるものではない。だから見学も、ビデオ撮影もOKという町工場があるそうです。驚きました。
町工場を生きるということは、理不尽を生きるということでもある。
いいですよね・・・。ここに登場する職人さんたちの話を聞いていると、なるほど努力と工夫で人間(ひと)は生き延びていけるものだと痛感します。
(2013年10月刊。2000円+税)

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2013年11月16日

秀吉の出自と出世伝説

日本史(戦国)


著者  渡辺 大門 、 出版  洋泉社歴史新書

秀吉の出自は今なお不明。
 『懲毖録』(ちょうひろく。李朝の宰相、柳成竜の著)には、秀吉はもともと中国人で、倭国に流れこんで薪を売って生計を立てていた、とある。秀吉が中国人というのは認められないが、薪売りをしていたという史料は他にもある。
 秀吉の出自が判然としないというのは、同時代に日本に来ていたポルトガル人宣教師にも広く認識されていた。
 秀吉が関白に就任したあと、秀吉の弟と称する若者が登場した。秀吉51歳のときのこと。秀吉は、その若者を捕まえると、直ちに面前で斬首刑に処した。その前、母の大政所に、この若者は知らないと言わせていた。別に、もう一人、妹と称する若い女性がいたが、こちらも斬首された。
 3回以上の結婚歴のある秀吉の母には、別に子どもがいた可能性は高いが、秀吉には兄弟は三人で十分だった。ですから、彼や彼女らは切り捨てられたというわけです。
 秀吉の出自を被差別民だとする有力説もある。秀吉には卓抜した能力と粘り強く辛抱強い、そして上昇志向があった。
 秀吉の指は6本あった。だから、信長から「六ツめ」とあだ名されていた。フロイスの『日本史』にも、秀吉の片手には6本の指があったとされている。
 秀吉は身長が低く、醜悪な容貌の持ち主だった。眼が飛び出しており、ヒゲは少なかった。秀吉は、「猿」にたとえられ、また、はげネズミとも言われた。
 秀吉は、フロイスに対して、自信の容姿が良くないことを自覚して述べた。
秀吉は、自分の趣味を諸大名に押しつける性癖があった。それも、抑圧された厳しい幼年時代の経験が大きく影響している。
 秀吉は非常に出世欲が高く、ゆえに仕官するための行動を欠かさなかった。実に抜け目のない性格だった。そして、そのための努力を惜しまなかった。
 秀吉の合戦では残酷な仕打ちも珍しくなかった。秀次とその家族の抹殺もかなり異常だった。
 秀吉の実像をつかむことのできるコンパクトにまとまった本です。
(2013年5月刊。900円+税)

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2013年11月15日

保守論壇亡国論

社会


著者  山崎 行太郎 、 出版  K&Kプレス

私と同じく団塊の世代の著者は自称するところ強固な保守派です。その保守派からして、今の保守論壇の「思想的劣化」と「思想的退廃」は許せないと、厳しく弾劾しています。
 いまや多数派を形成しているのは「保守」であり、「右翼」である。かつては多数派は「左翼」であり、「革新」勢力だったが、今や変わった。
 昨今の保守思想家たちには、「作品」と呼べるような仕事、つまり業績がない。
 安倍晋三の政治家としての限界と悲劇は明らかである。あまりにも政治的言動が軽すぎる。その根本原因は、安倍晋三が妄信し、影響を受けている保守論壇や保守思想家たちにある。
 保守のイデオロギー化、理論化をすすめたのは、左翼から保守への転向組である。つまり、「遅れてやってきた保守」である。西部邁、小林よしのり、藤岡信勝など。彼らは左翼仕込みの手法をつかって、保守論壇の「左翼化」を推進した。その結果、保守の定義を題目のように唱和するだけで、保守として振る舞えるようになった。
 左翼論壇の思想的劣化と知的退廃という現実があったからこそ、保守論壇の思想的劣化と知的退廃は始まった。小林よしのりというギャグ漫画家が保守論壇をリードしてきたという事実が、まさしく、保守論壇の思想的な貧しさを象徴している。
 桜井よし子には、オリジナルな議論・主張は見られない。桜井は、保守論壇の多数意見、「偏狭なナショナリズム」を代弁しているだけにすぎない。桜井は福島みずほとの架空対談まで捏造した。これはジャーナリストとしての品格の問題である。流行の話題があるとすぐに飛びつき、専門家気どりの発言を繰り返すところに桜井の特徴がある。
 桜井には、はじめから現実や真実を見ようとする姿勢が欠けている。
 小林よしのりを、一時的にせよ、保守論壇のスターにしたのは西部邁だ。転向保守ほど、過激な保守思想に走る。西部にも、これが認められる。そして、西部邁には、代表作と呼べる作品がない。
 渡部昇一の書くものは、学問や学問的能力とは無縁のものだ。渡部昇一の昭和史は、受動史観である。受動史観とは、悪いことは、すべて他人の責任とするもの。中国が悪い。ロシアが悪い。アメリカが悪い。このように言いつつ、日本は悪くない。自分は悪くないと言いはる。
思考力の劣化とは、深く考えること、粘り強く考えることを嫌い、わかりやすさと単純明快な答えを求める。そこから、存在の喪失が始まる。
 抜粋して紹介しましたが、なるほどと思うところがたくさんありました。それにしても保守派論退の退廃はひどいものだと私も思います。
(2013年9月刊。1400円+税)

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2013年11月14日

安倍改憲の野望

司法


著者  樋口 陽一・奥平 康弘 、 出版  かもがわ出版

立憲主義とは、権力に勝手なことをさせないということに尽きる。いったん国家が成立すると、全面的な支配者になりかねない。そこで、個人側からさまざまなルールをつくって国家を縛ることが必要になった。国民が一番偉い。その国民に直接選ばれた議員が一番偉いという考えは問題だ。だから、民主主義にもとづく権力をも制限する必要がある。
 ヨーロッパで立憲主義という言葉が復権・復活し、それが学会のテーマとしてポピュラーになるのは1980年代のこと。それ以前は、立憲主義という言葉は、特殊ドイツ的な表現だと思われていた。
 学者とメディアの責任は非常に大きい。たとえば、「ねじれはいけない」「参議院が悪の張本人だ」という世論をつくりあげてしまった。しかし、この「ねじれ」というのは「横柄」と共通した言葉である。つまり、立憲主義にもとづく間接民主主義の直接的効果が機能していることを「横柄」とか「ねじれ」という否定的な日本語であらわし、それをおとしめていく・・・。
 日本経済が厳しくなり、就職がなくなり、日本的雇用もはずされ、規制緩和で労働者のあり方を支える法体系が破壊されてしまった。そういう事態のもとで大人になった人たちのあいだには、アメリカ一辺倒の体制に対するフラストレーションがとりわけたまっている。そうした人々に、押し付け憲法を立憲主義にする、もう変えてもいい、それが閉塞感だらけの現状から離脱するきっかけになるはずだという気分や感情を生み出している。改憲勢力は、そこに働きかけている。今や、対米従属を続ける路線を、「対米独立」という旗印でたぶらかそうとしている。
 日本国憲法は「押し付け」だという人々は、同じ押し付けでもオスプレイやTPPには一切文句を言わず、むしろ、それを進んで受け入れると言っている。だから、「押し付け」の内容をやっぱり問題にしている。
 となると、日本国憲法の内容の良さにもっと確信をもって、広めていく必要がありますよね。
 安倍首相はアメリカのオバマ大統領から冷たい仕打ちを受けています。アメリカに行っても、会談後にあるはずの共同記者会見はなく、晩餐会もなく、「はい、さようなら」で帰されてしまった。アメリカでは、右翼のシンクタンクで発言できただけで、まったくメディアからも無視された。そして、韓国の朴大統領、中国の習主席とも首脳会談すらできない。
 「戦後レジームの総否定」では対中韓問題は落としどころがない。いわば素人政治を演じているだけ・・・。
いまの天皇は個人としては、日本の指導層のなかで一番しゃんとした存在だ。皇室の祖先は朝鮮半島から来たとか、日の丸・君が代が強制すべきではないとか・・・。天皇がひそかにメッセージを発していることを日本国民はもっと自覚しなければいけない。
 私も、まったく同感です。天皇制というシステムの是非を別にして、いまの天皇は国民の総意にもとづく存在として日本国憲法に真剣に、必死に忠実であろうとしていると私は高く評価しています。どうやら保守側は、そんな天皇の言動が気にくわなくて、あの手この手で皇室バッシングをしているようです。
読んだあと、とてもすっきりした気分になった本です。
(2013年10月刊。1500円+税)

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2013年11月13日

原発、ホワイトアウト

社会

著者  若杉 冽 、 出版  講談社

現役キャリア官僚によるリアル告発小説と、オビにあります。
原発再稼働をめぐって、官僚と政治家たち、そして電力会社がどのように画策しているのか、目に見える形で日本の暗黒面をえぐり出しています。
 大衆は、原始人よりも粗野で愚かで、短絡的だ。
 原子力の値段には、廃炉の費用や交通事故対応のコスト、それから放射性廃棄物の処分コストが含まれていない。とはいっても、そうしたコストが現実に発生するのは遠い先のこと。将来どんなに費用がかかるといっても、それを現在価値に割り戻せば、たいしたことはない。
 大衆はきれいごとに賛同しても、おカネはこれっぽっちも出さない。
 国会周辺の反原発デモに集まっている連中の実態は、定職のない若者や定年後の高齢者が、やり場のない怒りをぶつけるステージに近いもの。
うむむ、官側には、このように見えているのですか・・・。
 マスコミは、社会の木鐸(ぼくたく)として、社会正義のために働く職業だと世の中からは認識されている。しかし実際には、社会正義の実現よりも、他者を出し抜く、あるいは広告をとって利益をあげることが優先されることが多い。組織の建前と本音は一致しない。
 「ホテルで秘書官らと夕食」と首相動静に書かれているとき、首相はホテルを抜け出して、報道されたくない会合に参加していることが多い。
 これを、自民党の某女性議員(大臣経験者でしたよね・・・)が首相の動静を書くなんてけしからん、守るべき国家秘密だと先日わめいていました。とても信じられない感覚です。
 メタル・フレームの眼鏡をかけた検事総長は、もともと神経質そうに見える小男だが、首相の前でさらに緊張して小さく縮こまっている。
今の検事総長は、私もよく知っている人物です。たしかに小柄ではありますが、なかなか肝のすわった人物だと私は見ています。
 優れた政治家というのは、頭が切れる必要はない。よく官僚に説明させて、それを正しく理解し、しばらくのあいだ記憶が保持できる。それだけでいい。日本国の総理大臣とは、その程度のもの。
残念ながら、その程度の首相の思い込みに今の日本は振りまわされています。
 原発の電気は、発電時には安いと称しているが、あとの放射性廃棄物の処分がいくらかかるか分からないという不都合な真実を、総理独自の情報源で入手し、官僚の説明と付きあわせて自分の頭で勉強するようなことはしない。
 安倍首相が自分の頭で深く考えるような人間でないことは、よく分かりますよね。言葉があまりにも薄っぺらなのです。
 電力会社は経費が政府によって非常に甘く査定されているので、経費が通常より2割高になっている。だから、取引先にとっては、非常にありがたいお得意様になる。そこで、この2割のうちの5分をまき上げて電力会社が自由に使えるお金とした。年間2兆円もの発注額なので、800億円という大金を電力会社は自由に使える。このお金で政治家を買収し、フリージャーナリストを雇う。そして、そのお金を使えば、電力会社にタテつくような人気のある県知事だってスキャンダルに巻き込むことも容易である。
 実際に、その大胆な手口が紹介されています。
 原発再稼働に向けて政官財の策動が激しくなっているなか、その実態をいわば内部告発した本として一気に読みすすめました。
 歴史は繰り返される。しかし、二度目は喜劇として。
 これは、久しぶりに出会ったカール・マルクスの言葉です。本書の冒頭にあり、びっくりしてしまいました。でも、本当にそのとおりですよね。現役のキャリア官僚が書いたということですが、この人の将来はどうなるのでしょうか。その決意のほども知りたいと思いました。
(2013年10月刊。1600円+税)

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2013年11月12日

日本国憲法を口語訳してみたら

司法

著者  塚田 薫 、 出版  幻冬舎

愛知大学法学部に在学中の大学3年生がインターネットの掲示板「2ちゃんねる」で始めたものが、たちまち大好評。ついには本になったのでした。
なるほど面白いし、よく出来ています。もっとも、この本は担当教授(永峯信彦教授)が監修していますので、さすがに間違いとか、おかしな表現はありません。
 それにしても、わかりやすい日常用語だけで、よくも憲法を表現したものです。いくつか紹介します。全文を知りたい人は、ぜひ、この本を買って読んでください。
 まずは前文です。
俺たちは、ちゃんとみんなで選んだトップを通じて、俺たちと俺たちのガキと、そのまたガキのために、世界中の人たちと仲良くして、みんなが好きなことができるようにするよ。
 また、戦争みたいなひどいことを起こさないって決めて、国の主権は国民にあることを、声を大にして言うぜ。それが、この憲法だ。俺たちは、やっぱ平和がいいと思うし、人間って本質的にはお互いにちゃんとうまくやっていけるようにできると信じているから、同じように平和であってほしいと思う世界中の人たちを信頼するぜ。そのうえで、俺たちはちゃんと生きていこうと決めたんだ。
 次が9条です。
 俺たちは筋と話し合いで成り立っている国どうしの平和な状態こそ、大事だと思う。だから国として、武器をもって相手をおどかしたり、直接なじったり、殺したりはしないよ。もし、外国と何かトラブルが起こったとしても、それを暴力で解決することは、もう永久にしない。戦争放棄だ。(2項)で、1項で決めた戦争放棄という目的のために軍隊や戦力をもたないし、交戦権も認めないよ。大事なことだから、釘さしとくよ。
 そして、24条です。
 まず、言っておくけど、男女はどっちが偉いとか、ないからな。結婚は、お互いがこの人と一緒になりたいと思ったからこそ、できるんだ。結婚したら、仲良く助けあって、幸せに暮らそうぜ。
 このようにして、憲法全文が国民のなかに浸透していったら、改憲論なんてバカバカしく思えてくるでしょう。今どきの若者のクリーン・ヒットの本です。
(2013年10月刊。1100円+税)

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2013年11月11日

小さな生きものの不思議

生き物


著者  皆越 ようせい 、 出版  平凡社

土壌動物の様子を大きく拡大された写真で知ることができます。
 みんな私の身近にいるものばかりなんです。それでも、よくぞ、こんなに接近して、拡大写真をとれたものだと驚嘆してしまいます。
 たとえば、我が家の庭にもたくさんいるダンゴムシ。すぐに身体を丸めてしまう、ほら、あの可愛い小さな虫のことです。危険がすぎたと思うと、やおら起きあがります。そのときの様子が、くっきり写真にとられています。本当に可愛いものです。ダンゴムシの脱皮の写真があります。
脱皮途中は、まるで無防備のため、アリや自分の仲間から食べられてしまう危険もある。脱皮も命がけなのだ。
 ダンゴムシは黒いものだけでなく、クリーム色に黄色を混ぜたもの、黒色に透明感のある白色、薄い黒い地色に茶褐色を入れたもの、果ては輝くブルーのものまでいる。
 ダンゴムシは、こけ類だけでなく、なんとコンクリートまでかじる。
 森の中にたくさんいるダニも大きな写真にとられています。私は先日、庭で雑草を刈っていたときに右手首をダニにかまれてしまいました。はじめの2、3日、放置していたら、赤くはれて、かゆみが止まりませんので、慌てて皮膚科に駆け込みました。もらった塗り薬のおかげで赤いはれとかゆみは治りましたが、2週間して、再びかゆくなってきたのには驚きました。それにしても、そんなに小さなダニを写真でとらえるなんて、信じがたい話です。
 クモの拡大写真は、この世のものとは思えない不気味さです。ムカデやヤスデの大きな写真も登場します。
 梅雨のころには、我が家にもたまに登場して、悲鳴があがります。不殺生を一応のモットーとしている私ですが、ムカデは殺しています。だって、怖いんですもの・・・。
 それにしても、こんな嫌われもののムカデやヤスデを写真にとる人がいるんですよね・・・。
 ナメクジそしてミミズの写真もあります。少々グロテスクですが、慣れたら可愛いばかりなのかもしれません。
(2013年4月刊。2400円+税)

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2013年11月10日

わるいやつら

司法

著者  宇都宮 健児 、 出版  集英社新書

高名な宇都宮弁護士が悪徳商法の最新の手口を紹介し、それとのたたかいを強調しています。
 本当に、だましの手口は日進月歩です。ついていくのが大変なほどで、今や古典的な「振り込め」詐欺は少なく、現金を郵パックに入れて送らせるなどが流行しています。これだと、口座開設のリスクがないのです。
ただ、先輩弁護士にも記憶違いは間々あるようです。駒場寮には私も住んでいましたし、その生活を小説にして紹介もしたのですが、この本には「寮では7、8人が一つの部屋で生活しています」(12頁)となっています。
 これは間違いで、一部屋の定員は6人で、向かいあった、AとB二部屋をあわせてセットとなっていましたが、合計して8人というところもあったのかもしれません。いずれにしても一部屋に8人という状態はなかったと思います(著者は私の2年先輩なので、少し違うかもしれませんが・・・)。
 クレサラ被害者運動が前進し、弁護士会やマスコミの力とあわせて貸金業者が改正され、サラ金業者に対する抜本的規制が強化されました。その成果として、4万7504業者(1986年)が2217業者(2013年)にまで大激減してしまいました。そして、自己破産件数も24万件(2003年)が今では8万件(2013年)となっています。多重債務者も230万人いると言われた(2006年)のが、30万人未満(2013年)とみられています。
 しかし、ヤミ金や「偽装質屋」は依然として横行しています。
銀行口座は、通帳、印鑑、キャッシュカードの3点セットで、4~7万円で売買されている。
 名簿と口座とケータイ。これが三種の神器と呼ばれている。現在の悪質業者は、店舗をかまえず、偽名だし、足のつかない他人名義の口座やケータイをつかっている。だから、お金を騙しとられた被害者の被害回復は以前に比べて格段に難しくなっている。
 先物取引による被害は商品先物取引法の施行によって大幅に減った。
 「わるいやつら」が世の中にのさばらないよう、私も著者に負けずに、これからもがんばります。
(2013年9月刊。700円+税)

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2013年11月 9日

犬から聞いた素敵な店

著者  山口 花 、 出版  東邦出版

私は犬派です。猫には、なんとなく、なじめません。
 犬派というのは、幼いころから犬が身近にいたからです。小学1年生のころ、優しい大型犬を飼っていたのですが、引っ越しのとき車のうしろから尾いてきていたのが、いつのまにかはぐれて見失ってしまったのでした。私が大泣きしたのは言うまでもありません。親を大いにうらんだものです。
 犬は、昔から人間にとって良き伴侶として過ごしてきました。
 この本は、人間にとっての犬の効果的な働きかけなどが報告されていて、うんうん、そうだよねと大いにうなずきながら読みすすめていきました。
 犬にも、人間のうな多彩な感情がある。人間は、それを知って、愛犬を人生最良のパートナーとして大切にするようになった。
 愛犬は、たがいに思いやり、ともに喜び、悲しみを分かちあいながら、人間に多くの幸せを与えてくれる、唯一無二のかけがえのない存在だ。
 いまや、愛犬は 、番犬でも飼い犬でもなく、大切な家族の一員として、それぞれの家庭にあたたかく迎え入れられている。
 黒い瞳の、やさしい目。じっと見つめられると、それだけで幸せな気分になってきます。子どもたちが幼いころに柴犬を飼っていました。不注意からフィラリアで死なせてしまいました。それ以来、犬は飼っていません。飼えないのが本当に残念です。
 14話の犬を中心とした心あたたまる短編集です。
(2013年9月刊。1300円+税)

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2013年11月 8日

赤い追跡者

社会

著者  今井 彰 、 出版  新潮社

うまいです。おもわず、本の世界にぐいぐいと引きずり込まれてしまいます。
 エイズ患者の売血がアメリカから輸入された血液製剤に混入していた。それを知りながら原生省は見逃し、学者たちも見逃しに加担する。それを全日本テレビ取材班が駆け付けるのです。
 強奪、脅迫、色仕掛け・・・。取材のためなら手段を選ばないディレクターは、死んでいった罪のないエイズ患者の無念を晴らすため、厚生官僚、医学部教授、製薬会社がひた隠す秘密を暴いていく。
 ええーっ、これって、いま問題の特定秘密保護法案が成立したら、全部、違法行為として処罰の対象になるものではありませんか・・・。取材の自由とか報道の自由なんて、あくまでもイチジクの葉っぱで、何の役にも立ちません。警察が動いてしまったら、もう報道されず、記事にもならないでしょう。あとで、真実が明らかになっても、もっとも真実が明らかになる保障もありませんが、遅いのです。
 この本は、1994年にNKHスペシャルで放映された「埋もれたエイズ報告」が出来あがるまでを小説として再現したものです。どこまで事実に忠実なのかは分かりませんが、アメリカ発の汚染された血液製剤が日本に輸入され、血友病患者に患者を続出させた事実は重いと思います。
 それを官僚と御用学者そして製薬会社が共謀して知らぬ顔をきめこんでいたのですから、悪質です。それにしても、よくぞ取材班は真相を究明できたものです。ところどころに、良心のある人、罪の呵責に悩む人がいて助けられたこともあるようです。みんながみんな、自分のことしか考えているわけではないのですね。
 ちなみに、菅元首相が厚生大臣のとき、隠されたエイズ関連資料を厚生省から探し出したと発表して、一躍、時の人として脚光を浴び、さらに、裁判所の和解勧告を受け入れました。この人気をもとに、一気に菅は大臣から首相への道を手にしたのでした。あからさまなパフォーマンスでしたが、それでも和解を成立させたことは評価すべきなのでしょうね。
 どうやってマル秘資料を発掘していったのかが、この本の読みどころです。それこそ、脅迫、強奪、色仕掛けの数々が紹介されています。これでは、特定秘密保護法案の許す「相当な方法」とはとても言えません。きっと厳重処罰の対象になることでしょう。
 エイズ問題は、すっかり小さな話題になってしまいました。不治の病といわれていたのが、特効薬によって治る病気になったのも大きいですよね。
 NHKの番組として放映されるかどうかも、ドラマになっています。放映禁止の仮処分が申請され、NHK内部にも難局を回避して、放映の先送り論が出てきたのです。
 「きみは日本人を知らないね。日本人ほど、パニックになりやすい人種はいないんだ」
 「日本人は気質的に、パニック民族なのだよ。ことに自分たちが被害を受けるとなると、もう冷静さはなくなる。そうした国民を導いてやるのが、官僚や政治家の役目なのだよ」
 官僚と政治家は、私たち日本人をこのように見ているというわけです。まさしく、上から目線の、国民を馬鹿にした言い草です。とんでもありません。今、いちばん馬鹿げたことを言うのは国会議員に多いように思います。
 婚外子の相続分差別を意見とした最高裁判決について、これでは家族制度が守れないから無視しろという声が自民党内部に強いということです。おかしな話です。そんな低いレベルの人たちに日本の政治を任せておくわけにはいきませんよね。
著者は元NHKのプロデューサーです。前に『ガラスの巨人』(幻冬舎)という傑作を書いています
(2013年6月刊。1700円+税)

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2013年11月 7日

近代日本の官僚

日本史

著者  清水 唯一郎 、 出版  中公新書

私も高校生のころ、なんとなく漠然と官僚を志向したことがありました。官僚って、世のため、人のために何かしてあげることができるのではないかというイメージをもっていたからです。もちろん、今では官僚なんて、ならなくて大正解だったと思っています。いえ、官僚のなかにも心底から世のため、人のために何かをしようとしている人がきっといるとは思っています。でも、恐らく主流は、時の政権に迎合している人、むしろ政権にごまをすりつつ、政権を操作するのを得意にしているような人たちなのでしょう。私には、そんな役割はできませんし、したくもありません。かといって、非主流派で、悶々とした日々を過ごしてストレスから病気になるというコースにいるのも嫌ですよね。
 この本は明治維新のあとに誕生した日本の官僚システムを追跡し、解明した労作です。
 1868年(慶応4年)1月17日、新政府は、初めての人材登用策となる徴士制度を発表した。それは、諸藩の藩士はもちろん、在野までを含めた全国の有能な人材を発掘し、身分にかかわりなく登用するもので、行政各課の運営を担うとされた。徴士の俸給は新政府が支払うとし、月給500円という破格の待遇が示された。そして、参与として迎えられた。
 採用された徴士の大半は下級藩士であったから、同時に身分秩序の破壊でもあった。
 採用された徴士は600人以上。鹿児島、高知、福井、名古屋、広島、それに熊本、鳥取、宇和島、佐賀。それ以外では山口が突出し、岡山、金沢、大垣が多かった。
 明治政府を軌道に乗せたのは、元勲たちのもとで大量に登用された徴士たちだった。彼らこそ、新しい時代の要請によって生まれた維新官僚だった。
初めての官吏公選は、1869年(明治2年)5月に行われた。この開票には、明治天皇が立会した。
 6名の参与には、大久保、木戸、副島、東久世、後藤、板垣が当選した。官吏公選の真意は、諸侯の勢力を押さえ、維新官僚の政治的自由を確保して、その政策に正当性をもたせることにあった。
 1870年(明治3年)7月、大学南校についての布告が発せられ、全国から300人あまりの青年が皇居のほとりに参集した。
 年間170両という重い負担にもかかわらず各藩が青年を送り出したのは、他藩との競争意識からだった。人材輩出の競争におくれをとることは許されなかった。
 その一人に、宇和島藩の穂積陳重(ほずみのぶしげ)がいる。
 大学南校には、北は北海道の松前藩から南は鹿児島藩まで、全国261藩のうち259藩から310人が参集した。藩の代表という重荷を背負っての競争は落伍者を生んだ。とくに、年長者や家格の高いものに脱落が目立った。漢学の教養が深いものにとって、英語やフランス語の入門編があまりに幼稚にうつった。しかし、若い学生や身分の低い学生にとっては素直に新しい学問に向き合うことができた。6畳か8畳の相部屋で、押入の上段が書斎として使われた。
 1873年(明治6年)272人が政府派遣で留学していた。
 1873年(明治6年)の政変によって、内務省が誕生した。また、この政変のあと、官僚制度が変革された。
 そして、1885年、政府は太政管制を廃し、総理大臣を長とする内閣制度を発足させた。
 1888年(明治21年)の第1回の文官試験が実施された。原敬は、政党政治家になる前、15年ものあいだ官僚として腕をみがいていた。
 1893年(明治26年)、高等文官試験が始まった。10月1日の朝7時半に出頭した受験生は144人。9時45分に試験が始まり、10時半に終了する。迅速作文試験が5日間あり、これに合格すると、10月15日、本番の筆記試験が始まる。これが、4日間、続く。そして、口述試験が11月15日の朝7時半から昼まであった。
 高等文官試験の合格者は1893年の6人から、37人、50人、54人と順調に増加し、日露戦争(1904年)あとまでは50人前後で推移していた。
戦前の官僚たちは志があればこそ、政党に参加していった。しかし、その勢いはあまりに熾烈であり、政権の交代もあまりに頻繁であった。安定と連続をもって旨とする行政は、彼らが理想としたはずの政党政治によって幾度となく寸断された。その結果、彼らのあいだには、期待とともに政党政治への不信感が刻み込まれていった。政党政治への不信感は、その後、官僚出身者を中心とする政権を現出させた。政党政治の負の側面を記憶に深く刻んだ彼らは、近代日本の発展が政党と官僚の協働によってもたらされたことを忘却していた。
 政党と官僚は協働の関係にあるというのは、今も正しい観点ではないかと思います。
 官僚をまるでダメと言いつつ、実は裏で、こっそり官僚に操作されている自民党、そして過去の民主党政権の失敗をくり返してはいけないように、かつて官僚を志向していたこともある私は痛切に思います。
(2013年4月刊。920円+税)

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2013年11月 6日

日本国憲法の平和主義

司法

著者  清原 雅彦 、 出版  石風社

北九州の清原弁護士が憲法の本を書きました。
 九弁連大会の会場で本を見つけて買い求め、一気に読了しました。
武力攻撃は理由もなく、また突然になされることはない。
 武力により制圧された国は滅亡するわけでもない。
 武力の均衡は、平和につながるのか。止まることを知らない軍拡競争は、疑いようもなく戦争に向かうものである。その戦争に勝利した国の権力者は戦争の誘惑にかられる。
 集団的安全保障の仕組みは、他国のための戦争に加わることを約束する行為である。戦争する機会が増えることは間違いない。
 集団的自衛権や軍事同盟による平和保持は、実際には機能しない恐れが大ではないか。軍事のみに頼らず、他の手段についても併行して考えるべきである。
アメリカは核やハイテク兵器を保有し、世界で群を抜いた軍事大国である。そして、それ自体が世界の脅威になっている。その保有を禁じる必要がある。
 アメリカは、自らが核兵器を保有しながら、他国の保有を認めない。それは、あまりに身勝手で説得力がない。日本では、国家もマスコミもこのことを問題としていないのは、それ自体がアメリカの脅威に屈服しているからではないのか。
自衛隊と称して、他国からの侵入を武力により抑止しようとすることは、日本国憲法の理念に反する。その意味では、武力の不足をアメリカなどの他国の軍事力によって補おうとすることも、アメリカ軍基地を置かせることも、日本国憲法の立場では容認できないところである。
集団的自衛権の行使の必要性の例として、アメリカの軍艦が攻撃されたとき、日本が何もしないのは許されないという議論がある。しかし、日本は攻撃されていないのだから、武力を行使すべきではない。なぜなら、攻撃国に日本までも攻撃する口実を与え、戦争に発展するから。むしろ、日本は仲裁役になって、和平のための努力をすべきである。
 たとえば、友人と食事をしているとき、友人に暴行を加える者があらわれたとして、いきなり暴行した者に暴行で対抗するのは非常識である。まず、止めにはいるのが常識ではないか。
なるほど、著者は現実の事態をよく考察していると感嘆します。そして、著者は東京裁判の意義を改めて考えています。なかなかの卓見だと思いました。
 戦勝国が敗戦国の指導者を一方的に処刑しなかったことは評価できる。裁判の形をとることによって、戦争や戦争犯罪が何たるかを考えさせる契機になった。
 戦勝国も、戦争目的について弁明する意義があることを明らかにした。
 このようにして、東京裁判は文明が進歩した、たしかな証しではないかと著者は総括しています。ふむふむ、なるほど、なるほど、と私は共感を覚えました。
 私より10歳だけ年長の著者は、病気で入院したのをきっかけにこの分野を勉強して、その成果を本にまとめあげたとのことです。大変な労作をありがとうございました。
 今後とも、お元気にご活躍されることを心より祈念します
(2013年11月刊。1500円+税)

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2013年11月 5日

ペンギンが空を飛んだ日

社会

著者  椎橋 章夫 、 出版  交通新聞社新書

生き物のペンギンの話ではありません。電車・バス・地下鉄・モノレール、どこでも使えるようになった便利なIC乗車券が誕生するまでの苦労話です。
私にとっては、今でも不思議でなりません。なぜ、接触させることもなく、機械に近づける(かざす)だけで瞬時に見分けることができるのか、そして、いろんな路線を利用しても、きちんと清算できるのか。ナゾだらけのカードです。この本を読んで、読みとりには短波を使っていることが分かりました。
自動改札機の読みとり装置が電波を出し、ICカードが反射して通信するパッシブ方式。でも、ICカードが反応するには、何らかの電源が必要なのではないでしょうか・・・。
 そこで、電力を内蔵せず、通信ごとに電波で電力を供給する方式にする。すなわち、非接触式で、バッテリーレス。
 カードを読みとり機に少しでも「かざす」時間を長くするために考えられたのが「タッチ・アンド・ゴー」。つまり、カードを触れさせることによってカードの軌跡はV字を描く。直線的な動きより、本の少しだけ時間がのびる。このわずかな傾斜によって、歩行速度が減速して改札機を通過する。これはこれは、偉大なる発明ですよね・・・。
 技術的に解決するのが困難な課題を、「運用」で解決した。
電池を内蔵しないICカードは電波を使った電磁誘導で電力を供給するために、その電力は不安定になる。そのため、データの書き込み途中でチップが止まって書き込みができなくなったり、データ破壊が起こりやすくなる。
スイカ・カードにID機能は不要だという意見もあった。しかし、ID機能をつけたおかげで、その利用可能性は飛躍的に高まった。
2007年3月、スイカ・カードがJR、私鉄、地下鉄、バスで使えるようになった。スイカの運用開始は2001年11月。サービス開始から1年たたないうちに500万枚、2004年10月には1000万枚の利用となった。
 今では、スイカ・カードで買い物までできるのですよね。典型的にへそ曲がりの私は絶対使いませんが、自動販売機やコインロッカーを利用するとき、小銭のないときには便利ですね。でも、コンビニまで・・・・。
 今では、全国の列車、私鉄に通用するのですから、恐ろしいことです。スイカキャラクターはペンギン。飛べないはずのペンギンが空を飛んだ・・・。
(2013年8月刊。800円+税)

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2013年11月 4日

統合失調症がやってきた

人間

著者  ハウス加賀谷・松本キック 、 出版  イースト・プレス

真面目な本なので、真剣に読みました。私は、仕事で、精神科の閉鎖病棟にときどき入ります。弁護士会の精神保健当番弁護士として出動するのです。もう何回も面会しているなじみの人もいます。閉鎖病棟は看護師さんにカギを開けてもらって入るわけですが、面会するときは留置場と違って、オープンな個室で自由に話せます。
 今まで怖いと思ったことは幸いにしてありませんが、下手すると、怖い思いをすることになりかねません。でも、それは法律事務所などでの離婚相談のときと同じことではあります。どこにでも人格異常の人はいるものです。
この本は漫才コンビを組んでいた人が統合失調症になり、長い闘病生活を経て、10年後にコンビ復活したというのを、自分の体験記として書いたものです。ですから、迫真性があり、その苦しみが惻々と伝わってきます。
 両親も大変だったと思いますが、とくに母親の支えがあってこそ復活できたようです。エリートサラリーマンの父親は家庭をあまりかえりみなかったようです。それだけに、母親は子どもを進学競争に駆り立てていったのでした。それが即、病気につながったというのではないでしょうが、子どものころにあまり受験勉強に追い込むのは考えものですよね。
 良い子でなければならない。親を喜ばせなければいけない。そう思って行動していた。いつのころから親の顔色をうかがうようになったのかは覚えていない。
 加賀谷家ではテレビを見るのは基本的に禁止。見れるのは、NKH教育の海外ドキュメンタリー番組のみ。だから、ドリフターズを見れず、友だちとの会話がかみあわなかった。
 石の仮面を装着するのはひどく疲れた。
 一流の大学に入って、一流の会社に就職するのが幸せになること。これが母親の口癖だった。でも、一流企業に勤めている父親の姿を見ていると、その言葉の意味が分からなかった。お酒を飲んでは母親にあたり、家の物を壊す。酔っぱらって、そのままリビングのソファーにバタン。朝までソファーで眠っている。これが父親の日常生活だった。
 母親は言った。
 「父さんのいいところは、仕事の愚痴を家で言ったことがないの」
 しかし、著者は心の中で叫んだ。
 「愚痴を言ってもいいから、家で母さんを泣かせたり、物を壊さないで!」
父親は会社でひどくストレスのたまる仕事をしていたようです。でも、これでは子どもはたまりませんよね。
一流になることが果たして幸せなのか、よく分からなかった。
本当にそうですよね・・・。
中学生のとき、幻聴が始まった。「臭い」と友だちから言われているというのです。自己臭恐怖症という病名があるそうです。そして、睡眠障害。夜、布団に入っても眠れない。思春期精神科のクリニックに通い、横浜市内のグループホームに入った。
ところが、芸能界に入った(飛び込んだ)のです。
挙動不審で落ち着きがなく、遅刻が多かったりした。それも、病気と薬の副作用のせいだった。それでも、なんとかお笑いコンビ「松本ハウス」が誕生したのでした。すごいですよね。テレビで、かなり売れたようです。
どうにでもなれというパワーは、人々を圧倒し、魅了することすらある。だけど、それは必ず自分にはね返ってきて、自分を追い込む危険な刃物だ。
この分析は鋭いですね。そのころの著者は、世の中が悪い、両親が悪い。すべて他人のせいにして事実を処理していた。
両親に対する反抗心は、自分自身に向けられた。親からもらった自分の体が嫌いだった。脳みそも含めて、自分という存在そのものが大嫌いだった。
調子を壊した原因は、自分勝手に薬の量を調節していたことにある。自己判断で、気分に応じて薬をのむ。薬を過剰に摂取して、安心を得ようとした。嘘の安心を手に入れてしまうと、摂取する分量を増やして、さらに大きな安心を求めてしまう。バランスが崩れ、反動が仕返しのように襲いかかってきた。感情のコントロールは完全にきかなくなってしまった。
そうやって入院生活を続けていくことになるのですが、著者が立ち直ったのは本を読むことにありました。
無気力、無意欲だったが、唯一、行動力を発揮したのは読書だった。週に3、4冊のペースで本を読んだ。すべて小説。冒険小説、ハードボイルド、警察小説など。
 芸人に戻ることがあきらめてはいなかった。その思いは絶やさなかった。
 芸人に戻るためには、エンターテイメントを保つ必要。そのための読書だった。
 こうやって10年後に芸能界に復帰したのでした。その執念と行動力には感服します。ぜひ、これからも無理なくがんばってください。
(2013年5月刊。900円+税)

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2013年11月 3日

浮世絵出版論

日本史(江戸)

著者  大久保 純一 、 出版  吉川弘文館

浮世絵の現物を手にとってみたことはありませんが、美術館そして、本では鑑賞してきました。素晴らしい、日本の誇るべき芸術作品だと思います。この本は、浮世絵の出版をめぐる話を満載しています。
 浮世絵は江戸時代を代表する絵画、版画の一領域である。
 浮世絵師の多くは、自分たちが岩佐又兵衛、菱川師宜に端を発し、大和絵の流れを当世に移し替えた絵師たちの系譜に身を置いているという、ある種の帰属意識を強くもっていた。
 浮世絵は、その当初から版画を主たる形態として発展してきた。支配階級からの経済的庇護があるわけではなく、地本問屋という版元が大量供給の商品として版画を生産し、不特定多数の購買者に販売し、利益をあげてきた。
 商品として売れるためには、浮世絵版画は、移り気な時代の美意識や趣味、嗜好を絶えず追い求めていなければならない。同じ画風を墨守したために人々に飽きられてしまったら終わりなのである。
 浮世絵における美人画の作風を通観すると、およそ10年以下の時間幅で変化していることに気づかされる。浮世絵は、17世紀後期、菱川師宣により始まる。
 錦絵の享受者は、けっして江戸の庶民層だけに限られていなかった。身分的にきわめて高い社会階層あるいは富裕層のなかにも錦絵の享受者がいた。
 錦絵は、庶民から大名まで実に幅広い階層で享受されていた。錦絵をはじめとする浮世絵の版画は、絵師・彫師・摺師の分業によって生み出されていた。その全体の工程を統括するのが、出版資本である地本問屋である。
 地本問屋とは、文字どおり地本の出版と販売をおこなう版元である。地本とは、上方から下ってくる読本や絵本に対して、地元江戸の地で出版された本のこと。そして、草双紙や浄瑠璃本などの大衆的な内容をもつ本をさす。
 これに対して、仏書、儒書、医学書、また学問書的な本などは「物之本」と呼び、これを出版する版元は書物問屋といった。
 「南総里見八犬伝」などの読本は、地本問屋ではなく、書物問屋が出版している。
 ただし、地本問屋と書物問屋の両者を兼ねる者もいた。
 総師は画面の隅から隅まで描き込むのではない。こまかいところは彫師の技量にまかせるのが普通だった。版下が書きあげられると「改」という出版検閲を受ける。色版が彫りあがると、摺師のもとに届けられ、最終工程である摺がおこなわれる。摺りあがると、絵師がチェックする。
 版元は、売れると見込むと、最初から1000組、つまり300枚も摺り込むことがある。ところが予想に反して150組しか売れないことがおきる。そのときには、貧困層の布団の材料として売り払われた。
 絵草紙屋の店内で役者絵が目につく場所を占めていた。それは、もっとも売れ筋の商品だったからである。
 たくさんの浮世絵、錦絵そして役者絵も図版で紹介されている、楽しい本でした。
 また、美術館で浮世絵を見ることにしましょう。大英博物館には、たくさんの浮世絵があるそうですね。今度、日本で春画の展示が企画されています。ぜひ見てみたいものです。
(2013年4月刊。3800円+税)

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2013年11月 2日

銀河と宇宙

宇宙

著者  ジョン・グリビン 、 出版  丸善出版

たまには、銀河と宇宙のことを考えてみるのは必要なことではないでしょうか。
人間の死後を考えたら、人間をつつむ銀河と宇宙がその後どうなるのか、考えずにはあれません。
 銀河がどのような最期を迎えるのかは宇宙の運命にかかっている。その宇宙の運命については三つのシナリオが考えられる。その一つは、宇宙が今日と同じ程度の加速膨張を続けていく。その二は、加速膨張の加速の程度がしだいに増えていく。第三は、それほど遠くない未来に加速傍聴に転じ、最終的には宇宙がビックバンを時間反転したビッグクランチとよばれる高密度状態になる。もし、宇宙の膨張が十分に長く続くなら、最終的にはガスとダストを使い果たして、宇宙のなかのすべての星成長活動が終わるだろう。
 銀河は1兆年という長い時間のうちに、暗く、赤くなるのに加え、やせ細って小さくなっていく。これを銀河の最期とみなすことができる。
 ブラックホールもまた同じように最期を迎える。ブラックホールも蒸発してしまう。
 現在の宇宙年齢の10倍の時間以内に、局所銀河群のメンバー銀河の合体からできた超巨大銀河の「島宇宙」がしだいに輝きを失っていく様子以外には何も見えなくなるだろう。
 その二のシナリオでは、いまから200億年のうちに必ず最後が来る。原子とすべての粒子は引き裂かれて「無」になり、その後には平坦で空虚な時空が残る。この空虚な時空から新しい宇宙が生まれて、銀河系がふたたび生まれるという考えもある・・・。
 その三のシナリオは、ビッグクランチの20億年前になると、もはや生命は存在できず、銀河は壊されて乱雑な星の集まりとなる。最後から100万年たらず前の時点で星の内部にあるものも含めてすべてバリオンが、それを構成する荷電粒子の成分に分解される。そして、物質と放射がふたたび密接に結合する。
 宇宙の大きさが現在の100万分の1になり、温度が星の内部の温度とほぼ同じ1000万度Cをこえると、星の中心核といえども火の玉のなかで溶融する。最終的には、すべてのものが特異的の中に消滅する。
 そして、この本は次のようにしめくくります。これを呼んで、ほっとひと安心というところでしょうか・・・。
 銀河は数千億年、現在の宇宙年齢の10倍以上の期間は安全で、人類とは別の知的生命体の観測者たちが、それがどんな最後を迎えるかを正確に理解するまでに十分な時間がある。
 私は、それよりも、原発なんていう人類のコントロール不能のものをかかえたまま、原発の操業再開だとか海外への輸出だとか、ましてや日本の原発を狙ったテロとか、そんな状況では、地球上の人類の生存こそ今や危機に直面していると改めて思いました。
(2013年7月刊。1000円+税)

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2013年11月 1日

ジェラシーが支配する国

社会

著者  小谷 敏 、 出版  高文研

ついつい、なるほど、なるほど、と何度も頭を大きく上下させてしまいました。日本型バッシングの研究。こんなサブ・タイトルのついた本です。
 小泉純一郎や橋下徹のような政治家が熱狂的な人気を博してきた。彼らを英雄に仕立て上げたのは、安定した身分と収入と保障された公務員へのジェラシーである。だから、近年の日本を「ジェラシーが支配する国」と呼ぶ。
他人の不幸は蜜の味。人間は悪口を言うのが大好きな生き物である。悪口を言い合っているときには、強力な連帯感が生じる。
ところで、諸外国でバッシングの標的となるのは、政治家や経済人、「セレブ」と呼ばれる各界の著名人。ところが日本では、権力とマスコミメディア一体となって普通の公務員や生活保護受給者のような弱者を叩く構図がみられる。強者が弱者を叩くのが「日本型バッシング」の特徴である。子どもの世界に蔓延している「いじめ」は、大人の模倣である。
 1990年代以降の日本では、人々の所得は減少する一方。労働運動も市民運動も低調で、自分たちの力で社会を変えることはできないという諦観(あきらめ)に人々はつかれている。自分たちの生活を良くすることができないのなら、自分たちより少しでも恵まれた者を叩いて憂さを晴らすしかない。
 そして、為政者たちのあいだにも、スケープゴート(犠牲になる羊)を提供して人気とりに専心する「ポピュリスト」がはびこった。
 日本型バッシングの主役はテレビだ。テレビの世界から政界に躍り出た橋下徹は「巨大な凡庸」を地で行く人間だ。公務員たたきも、競争中心の教育改革も反原発もベーシックインカムも、俗耳に受けそうなことは何でも自らの政策として橋下は取りあげていく。インターネットは、テレビ的な凡庸さを増幅する役割を果たしている。
 日本人は「世間」から後ろ指をさされ、つまはじきにされることを何より恐れている。
 「週刊新潮」は、日本文化の特異性を象徴する存在である。
オレオレ詐欺がこれほど現代日本に多いのは、「自分の夫や子どもが、いつ間違いを犯しても不思議ではない」という「存在論的不安」を多くの人たちが抱えているからに他ならない。
 「存在論的不安」につかれた人々は、「諸悪の根源」となっている悪魔のような存在を探し求め、それを叩くことに熱中する。「悪魔」として名指しされた人たちを叩くのは、面白くもないことが続く日常のなかでの恰好の憂さ晴らしになるし、「諸悪の根源」を叩くことによって自分が正義の側に立っていることが確認できる。このようにして、バッシングに加わることで、フラストレーションだけでなく、「存在論的不安」も解消される。
ネット上の右翼的言辞の多くは、まじめな政治的信念にもとづくものというよりは、盛りあがるための「ネタ」であり、ネット右翼を特徴づけるのは、狂信的なナショナリズムではなく、理想をあざわらうシニシズム(冷笑主義)である。
自分自身が苦痛を味わっている人間は、他人の苦しみをみることを渇望している。なぜなら、他人の苦しみをみることによって、自らの苦しみを忘れることができるからである。
他人が苦しむのを見ることは快適である。他人を苦しませることは、さらに一層快適である。これは、一つの冷酷な命題だ。しかも、一つの古い、力強い、人間的な、あまりに人間的な命題だ。
 公務員に対する人々の激しい敵意が目立つようになったのは、民間の給与が下がり続け、人々の雇用が不安定になった「失われた10年」(1990年代)以降の傾向である。
 小泉純一郎を支持したのは、若者ではなく、中高年だった。そして、若者たちの中でも小泉を支持したのは高学歴層だった。「勝ち組」となることに希望をつなぐ層が小泉に投票した可能性が高い。同じように、橋本支持の中核を成しているのは、新自由主義的競争と経済のグローバル化の受益となりうると考えている人たちである。
橋下徹の言動には、驚くほど独創性がない。橋下は、「創造の人」ではなく、「模倣の人」なのである。その政策も「凡庸」という印象が強い。
 大変に歯切れの良い日本社会の分析です。読んでいて、胸がすっきりしてきます。ぜひ、あなたもお読みください。
(2013年4月刊。1900円+税)

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