弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2006年1月31日

ダブル・ヴィクトリー

著者:ロナルド・タカキ、出版社:星雲社
 第二次大戦中、アメリカ軍のなかでは黒人兵に対して、ひどい人種差別が横行していた。それは基地内でもあったが、より大きな不安は基地の外で待ちかまえている暴力だった。黒人兵士は上官から「基地の外に出るな。出ると帰ってこれなくなるぞ。リンチされてな」と警告されていた。実際、黒人2等兵が後ろ手にしばられて木に吊された死体となって発見されることがあった。
 黒人女性も兵士になっていった。しかし、軍服を着ても、市民として平等な権利を得たことにはならなかった。バスの待合室では相変わらず黒人専用のものしか認められなかった。だから、黒人たちはデトロイトとニューヨーク(ハーレム)でついに暴動をおこした。それをヨーロッパの戦場で聞いた兵士たちは、白人兵士も黒人兵士も、そして日系兵士も、連名で「なぜ、自由と平等と友愛の国であるはずのアメリカでこんなことが起きているのか。いったい我々は何のために戦っているのか」という書面をアメリカの新聞に送った。
 アメリカは大戦が始まると、日系人を強制収容所に隔離した。ジャップはジャップであり、一度ジャップに生まれれば、ずっとジャップなのだ、と。しかし、日系兵士としてアメリカ軍に従軍した若者たちが3万3000人もいた。
 アメリカ人が日本軍をどう見ていたか。このことも紹介されています。
 ヨーロッパでは、敵は食うか食われるかの存在であったことは確かだが、それでも人間だった。しかし、日本兵はゴキブリやネズミのような忌避すべき存在だ。
 真珠湾を忘れるな。奴らを殺し続けろ。これが海兵隊のモットー。ジャップを殺せ、ジャップを殺せ、ジャップをもっと殺せ。こう言ってハルゼー提督は部下を叱咤した。
 俺たちは黄色いネズミを殺すんだ。殺さないと平和はない。だから憎め、殺せ、そして生きるんだ。これは海兵隊の大佐が訓示した言葉。
 猿の肉をもって帰ってこい。これは出撃する部下へのある提督のはなむけの言葉だ。そして、本当にアメリカ兵たちは戦死した日本兵の頭皮、頭蓋骨、骨、耳を戦利品として収集し、本国へ持ち帰った。しかし、ドイツ兵やイタリア兵の遺体から歯や耳や頭蓋骨を収集することなど、まず考えられない。そんなことが知れたら大騒ぎになるのは間違いない。その意味で太平洋の戦いは人種戦争の側面を持っていた。
 アメリカ史上、おそらく日本兵ほど憎まれた敵はいなかった。激しかったインディアンとの戦いが終わって以後忘れ去られていた感情が、日本兵の残忍さで呼び覚まされたのだ。
 トルーマン大統領は、日本への原爆投下を決断したとき、けだものを相手にするときには、それ相応に扱わねばならないと考えた。しかし、さらに10万人を殺すのかと思うと、たまらない気持ちになって、トルーマン大統領は3発目の原爆の使用を禁止した。
 うーむ・・・。これを読むと、本当に複雑な気持ちになります。いずれにしても、アメリカには最悪の人種差別をする傾向と、同時に民主主義を守り育てていく力の両面があるということなのでしょう。だから、昔も今も、アメリカ万歳と手放しで賞賛し、追随していくなんて、私には絶対にできません。
 ところで、この本を読んで、映画にもなったあの「ミシシッピーバーニング」の被害にあった白人学生たちがユダヤ人であったことも知りました。1964年夏に有権者登録運動のために南部に赴いた学生たちの半分以上はユダヤ人だった。ミシシッピー州でジェームズチャニイと一緒に殺された公民権運動活動家のアルドルー・グッドマンとマイケル・シュワーナーもユダヤ人だった。それから、マルチン・ルーサー・キングの側近や、NAACPの有力な活動家はみんなユダヤ人だった。
 なるほど、そうだったのかー・・・。アメリカにおける人種差別の根深さを改めて思い知らされる本でした。

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極刑

著者:スコット・トゥロー、出版社:岩波書店
 私は、目下、死刑相当事案を国選弁護人として担当していますので、大いに関心をもって読みました。著者は私と同じ団塊世代であり、アメリカの現役の弁護士です。といっても、これまでに「推定無罪」「有罪答弁」「われらが父たちの掟」「囮弁護士」など、次々にベストセラー小説を書いています。私も感心しながら、これら全部を読みました。
 まず、前提事実としてアメリカと日本の死刑囚について、相違点を確認しておきます。
 アメリカには2004年12月時点で3471人の死刑囚、うち少年が80人がいます。死刑判決の件数は2004年は130件でした。1999年は282件でしたから半減しています。死刑執行も半減しており、1999年に98件でしたが、2004年には59件となっています。アメリカで死刑が再開された1973年から2004年までに944件の執行が確認されています。なかでもテキサス州は死刑執行が多く、全米の4割を占めています。イリノイ州では、死刑判決をするには通常の「合理的な疑いを越えて」より高いレベルの「いかなる疑いも越えて」を要求するという法案が審議中です。
 いま、日本の死刑囚は74人。死刑執行は年に1〜3人。死刑判決は2004年に14件と、2000年に入ってから2桁台を維持しています。
 アメリカでも死刑制度の見直しが議論されており、連邦最高裁のスティーブンス判事は、これまで非常に多くの死刑判決が誤って執行されたと語ったそうです。
 著者は1978年にシカゴで検事補になりました。アメリカには10人殺した殺人犯とか、33人もの少年を殺したという人間がゴロゴロいて、アメリカ社会の殺伐さに心が震えてしまいます。
 死刑が犯罪抑止効果があるかどうかという点については、どんな調査・統計によっても、その証明はされていない。むしろ、結果として、死刑が実は殺人を鼓舞しているとさえ指摘されている。
 アメリカの警察署長へのアンケートによると、回答した386人のうち67%は死刑によって殺人件数を減らすとは言えないと回答した。ただし、その多くは哲学的な理由から死刑制度を支持している。
 アメリカでは、死刑判決が出てから執行されるまで平均して11年半かかっている。その間の費用を問題にする人がいるが、それは国家財政の規模からみると、まったく問題にならない。
 イリノイ州では、第一級謀殺で有罪となった被告の70%は黒人、白人は17%でしかない。しかし、いったん有罪となると、白人の殺人犯は黒人の殺人犯の2.5倍の割合で死刑判決を受ける。そして、白人を殺害した犯人は黒人を殺害したときよりも、3.5倍の確率で死刑判決を受ける。
 著者は死刑執行を停止する制度に賛成しています。いま日弁連が提案しているのと同じです。
 死刑は被告人の改心の機会を奪ってしまう。我々と同じ道徳基盤に立って、責任を自覚して遺族に謝罪できたということは、本人のとって、また、法にとって崇高な勝利だ。
 このような体験が紹介されています。死刑制度について、よく考えられたアメリカの弁護士による本として一読に値すると思いました。

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2006年1月30日

アジア南回廊を行く

著者:宇佐波雄策、出版社:弦書房
 福岡県うまれの団塊世代の朝日新聞記者による本です。バンコク特派員、ニューデリー支局長、アジア総局長などを歴任したあと、九州国際大学でアジア概論の講義もしています。
 インドでは大理石はありふれているので、ちっとも珍しくない。木材の床の方がよほど高級である。富豪ほど、木造の住宅インテリアを好む。うーん、そうなんですかー・・・。
 ヒンドゥー教徒は、お墓を一切もたない。遺灰はガンジス川や海に流して、自然に環ることを最高の幸せとする。インド人にとって、死体は魂の抜けた遺体であり、単なるボディーにすぎない。
 ヒンドゥー教にとって、牛は313の神々宿る生き物としてあがめられる。牛殺しは母親殺しよりも重罪なのだ。ところが、水牛は死の神ヤマが乗る乗り物とされ、牛より劣る存在だ。だから、牛肉は食べないが、水牛の肉は食べている。
 インドのラジブ・ガンジー首相はスリランカのタミル人女性の自爆テロによって、1991年に首都ニューデリーで暗殺された。インド軍をスリランカに派遣したことへのうらみからである。スリランカでは歴代の大統領がタミル人反政府ゲリラに暗殺されている。1993年にプレマダサ大統領を暗殺したタミル人テロリストは2年間も忍耐強く時間をかけて大統領の日常行動、警備状況を徹底的に調べ、大統領のそばに徐々に近づいていって、ついに爆殺した。
 むむむ、これはすごいことです。これでは報復の連鎖が止まるわけはありませんよね。
 アジア全体のエイズ感染者は820万人。そのうち510万人がインド。インドでは南アフリカに次いでエイズ感染者が多い国。エイズ感染の危険度がもっとも高い売春婦はインドに230万人いる。そのほとんどが人身売買で売られてきた女性だ。売春女性の多くは文盲。コンドームの普及に取り組むNGOがある。コンドームの品質改良は韓国の医療メーカーが協力している。
 1997年にインド大統領になったナラヤナン氏は被差別カースト出身だった。インドの先住民であるドラビダ族の末裔である。独立インドの憲法を起草したアンベドカル博士も被差別カースト出身であり、カースト差別のない仏教に改宗していた。
 インドで1954年に発見されたという狼少年は、まったくの誤解だとされています。身体障害者の捨て子だったというのです。生後まもなく小児マヒになって、半身がマヒした男の子だった。
 インドでは、今でも狼に襲われて44人が死亡し、32人が負傷した。しかし、これは人間の人口が急増して狼の領域に侵入したり、ウサギやキツネのすみ家であった森林にすむウサギやキツネなどの小動物が減ったからだ。
 インドにはアンバサダーという国産車が走っている。何十年者あいだ同じスタイルで生産されている。この車は、インドの悪路で圧倒的な強さがある。部品に鉄製部品が多用されており、デザイン変更が長くないため、ちょっとした故障は簡単に直して走れる。
 日本の自動車メーカーであるスズキは軽乗用車をインドで生産しています。占有率7割といいますから、たいしたものです。

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2006年1月27日

国家と祭祀

著者:子安宣邦、出版社:青土社
 正月に小泉首相が伊勢神宮に参拝するのは、定例化された公式行事となった。小泉首相の靖国神社の公式参拝もまた、近隣諸国の抗議(いや、アメリカも同じく冷ややかだ)をはねのけ、あえて定着させた行事となっている。
 ところが、民主党の菅代表(当時)も伊勢神宮には参拝している。小泉首相の靖国神社には批判的であるのに・・・。
 明治2年(1869年)3月、明治天皇は東京への遷幸に先だち、伊勢神宮に参拝した。
 神宮・神社は、まず神道的に純化されなければならない。そして、神道的に純化された「国家の祭祀」としての位置が与えられていく。「国家の宗祀」とは、神社が国家の重要な構成契機としての祭祀体系だということを意味している。
 靖国神社にある遊就館は、戦前は武器博物館であった。2002年7月に本館を改修し、新館をもうけた。そこは表裏一体の二つの大きな使命があるとされている。一つは英霊の顕彰。二つには近代史の史実を明らかにすること。
 英霊と呼ばれるのは、すべての戦争犠牲者ではない。明治維新から西南戦争に至るまでの内乱においては、一方の側の死者しか対象としない。誰が、どうして、そのように判断したのか、明確ではない。
 遊就館は大東亜戦争を公然と肯定している。しかし、帝国の挫折自体は抹消できない。著者は、靖国神社を特権化しようとする言葉と行動とは、むしろ死者たちを汚す生者がつくり出す騒音と臭気でしかないと断じています。
 われわれが歴史に見てきたのは、また今なお世界に見ているのは、それ自身に宗教性と祭祀性とをもってしまった近代世俗的国家の国家という名による暴力であり、戦争を行使する主権国家という亡霊の跳梁ではないか。非キリスト教世界にあって、キリスト教的世俗国家を範として、暴力行使を正当化し、死を賭しての献身を可能にする神聖国家を比類のない形でいち早く形成した日本が完全な世俗主義的原則を表明したことは、国家と国家連合の名による暴力が宗教の名による対抗暴力を連鎖的に生み出しているいま、あらためて積極的な意味をもつと考えられる。
 かつて日本人は天皇のために自己を犠牲にし、他国民を殺した。それは決して戦後に連続しない。戦う国家とは祀る国家である。日本が戦う国家であり、したがって英霊たちを祀る国家であったことの何よりの証拠が靖国神社の存在である。靖国とともに連続が語られる国家とは戦う国家であり、英霊を祀る国家である。だからこそ、自衛隊のイラク派兵を推進する小泉首相による靖国参拝は執拗に続けられるのである。盆踊りと同じようなものだという子どもだましの言葉によって欺かれてはならない。
 戦う国家とは英霊を作り出す国家であり、英霊を祀る国家であるゆえに、国家の宗教的行為もそれへの関与をも憲法は禁じたのである。戦う国家を連続させない意思の表示であった戦争放棄と完全な政教分離をいう日本国憲法の原則は、いま一層その意義を増している。
 まったく同感です。日本を戦争する国にしてはいけません。

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乳母の力

著者:田端泰子、出版社:吉川弘文館
 昔の日本、たとえば戦国時代は政略結婚の時代であり、女性は政略のために「駒」のように動かされる悲劇的な存在であったという常識はまったく間違ったものです。
 平安時代の乳母の地位は高く、天皇に仕える女房のうちのトップに位置していた。王臣家に仕えた女房のうち、上級女房の筆頭はやはり乳母であった。乳母が子連れで奉仕していたこともある。
 「源氏物語」にも葵上(あおいのうえ)の遺児「夕霧」の乳母「宰相の君」は、乳母の役割と女房一般の役割を同時に果たす左大臣家でも重要な位置を占める女房であった。
 保元の乱が起きたとき、後白河天皇の乳母は藤原朝子(あさこ)で、その夫は藤原通憲(みちのり)である。通憲は後白河天皇の政治的顧問であったが、それは天皇の乳母であった妻の力によるところが大きい。乳母とその子は、主君にとって身内よりも濃い結びつきを形成していた。このことは、主君が不遇になったときに、より鮮明に現れる。妻が天皇の乳母であったことは、その夫にとってどれだけ政治的地位の上昇に有利であるか計り知れない。
 後鳥羽上皇などの院政期に入ると、新興公家輩出の背景は、一族の女性が乳母の地位を獲得することが、まず手始めであった。新興公家は、はじめから中宮の地位に娘をおけるはずもないから、娘を女房にあげ、あるいは男性が時めいている乳母と婚姻をとげることによって娘を天皇に近づけることができた。中下級の公家から上級公家まで、こと結婚の相手に関する限り、年齢には関係なく、公家の男性は天皇家の乳母をもっとも理想の婚姻相手と見ていた。天皇の乳母は三位(さんみ)という高い位をもらった。
 この本では、次いで鎌倉・室町時代の乳母の地位と役割をも紹介していますが、割愛して江戸時代の三代将軍家光の乳母であった有名な春日局(かすがのつぼね)に移ります。
 春日局の父は斎藤利三、母は稲葉通明の娘であった。父利三は本能寺の変を起こした明智光秀の有力な家臣の一人であった。この当時、乳母は女性の仕事の第一位であると考えられていた。教養のある女性が働く職業として一番に目ざしていたわけである。そして稲葉正成と離婚したあと、26歳のときに家光の乳母に抜擢された。
 春日局は江戸城大奥の統率という大役を与えられた。将軍の正室(妻)をさしおいて。それまでも大名の証人(人質)のうちの女性に関する事項を管轄していたのに、大奥の統率の役目が加えられた。それだけの能力を有すると認められたわけである。
 乳母の力がこんなに大きかったとは・・・。なるほど、自分の幼いころに受けた恩は権力者になっても一生忘れないものなんですね。よく分かる気がします。

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魔王

著者:伊坂幸太郎、出版社:講談社
 不思議な印象を受けた小説です。いままさに進行中の小泉・自民党政治を正面から扱っている。そんな気にさせるストーリーです。
 日本の国民は規律を守る教育を十分に受けていたため、大規模な暴動を起こすことはついになかった。やはり俺たちは飼い慣らされているのだと、ひとり納得した。
 こんな記述が出てきます。たしかに今の私たちは街頭でデモをすることも少なく、ましてストライキなんて、今の日本では完全な死語になっています。でも、ほんと30年前に、スト権ストがあって1週間ぶち抜きましたし、その前は順法ストライキをふくめてストは頻発していて、むしろ、そちらに慣らされていました。もっと前にさかのぼると米騒動、さらに前には百姓一揆もありました。いつも日本人がおとなしいとは限らないのです。いえ、私たち団塊の世代に限っていうと、半年以上も授業をまったく受けなかったのです(無期限ストに学生の半分が賛成したのです)。
 今、この国の国民はどういう人生を送っているか、知っているのか。テレビとパソコンの前に座り、そこに流れてくる情報や娯楽を次々と眺めているだけだ。死ぬまでの間、そうやってただ漫然と生きている。食事も入浴も、仕事も恋愛も、すべて、こなすだけだ。無自覚に、無為に時間を費やし、そのくせ、人生は短いと嘆く。いかに楽をして、益を得るか、そればかりだ。
 憲法と現実は合わせるべきだというのは、おかしいよ。だって、憲法には、人は誰でも平等に扱われるって書いてあるけど、現実には男女差別はある。そのときに現実にあわないから、男女差別はありって憲法を改正するなんてことにはならないだろう。
 国民投票は、一括方式。環境権とか聞こえのいいのを混ぜあわせておいて、抱き合わせ的に憲法9条の改正を飲ませようっていうコンタンなのさ。えー、そうなの・・・?
 小説に憲法9条の全文が引用されています。これも小説としては珍しいことでしょう。
 いま、若者に一目置かれる、手っとり早い方法は、より新しくて、より信頼できる情報をたくさん手に入れること。情報量だ。情報が尊敬につながっている。首相のブレーンはものすごいらしい。情報の質や量が圧倒的だから、議論も負けない。若者が揶揄する隙を与えない。それがだんだん憧憬とか信頼に変わってきて、支持される。
 小泉首相のやり方がこのようにきちんと分析されていて、うなずけます。それでいて、ちゃんとしたストーリーもあるのですから、世の中って、ホントに面白いですよね。

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2006年1月26日

メディアの支配者

著者:中川一徳、出版社:講談社
 上下2巻の大部の本ですが、なかなかの読みごたえがありました。
 今をときめくホリエモンが、ニッポン放送の株を50%も手に入れ、その乗っとりが大騒動をひきおこし、日本中を騒がせたことはまだ記憶に新しいところです。あまりに世間を騒がせたことが財界中枢の怒りを買ったせいか、ホリエモンは東京地検特捜部ににらまれ、ついに逮捕されてしまいました。
 それはともかくとして、乗っとられようとしたフジサンケイグループの日枝会長が、実は、自分自身も同グループ議長(鹿内宏明)を追放して乗っ取った張本人であることを知り、因果は巡ると思いました。しかも、日枝会長は若き日に、労組を認めないという右翼的な会社のなかで隠密裡に労働組合を結成したうちのひとりだったのです。変われば変わるものです。
 フジサンケイグループが躍進するきっかけとなったのは、箱根にある彫刻の森美術館だった。これにも驚きました。今では年間200万人もの見学者があり、経営としても安定している美術館です。私も、ずい分前のことですが、一度だけ行ったことがあります。見晴らしのいい高台にヘンリー・ムーアの大きな彫像があったことを覚えています。
 この美術館はグループ各社からの寄付金で成り立っているが、オーナーの鹿内(しかない)一族は自分たちの私有物であるかのようにふるまってきた。
 社内の人事抗争の激しさでは、産経新聞も人後に落ちない。
 1992年7月21日、午後1時から産経新聞の取締役会が開かれた。2つ目の議案に移ろうとしたとき、突然、鹿内宏明の解任を求める緊急動議が提出された。予定の議題にはない。鹿内議長は予定議題に「その他」がないので認められないとして却下しようとする。しかし、議長は特別利害関係人になるから交代して別の人が議長になるべきだという動議が続いて、ついに鹿内議長の不信任が可決された。クーデターが成功したわけだ。
 この本では、このクーデターが成功するまでの根まわしの詳細がことこまかに紹介されています。会社内で子飼いの部下のいない鹿内宏明はまるで裸の王様だったようです。
 産経新聞でクーデターが起きて自民党が心配したことは、その報道姿勢が朝日や毎日のようになったら困るということでした。だから、クーデター派は、そんな心配はいらないと必死でうち消しました。いかにも自民党好みの産経新聞です。
 司馬遼太郎は産経新聞OBだとのこと、私は知りませんでしたが、このクーデターにいちはやく祝辞を寄せ、クーデター派を力づけたそうです。右寄り史観の司馬らしい行動です。
 こんなクーデターがあったフジサンケイグループに、あるべき社史が存在しないのも当たり前のことかもしれません。これまでの日本史教科書を自虐史観として否定して右翼教科書のキャンペーンをはってきた産経新聞は、実は自らの歴史を編むことすらできない。こんな痛罵を著者は投げかけています。ふーむ、そうなんだー・・・、と思いました。
 ニッポン放送は共産党に対抗するためのラジオ放送としてスタートしたということも初耳でした。うまれる前から財界御用達の放送局だったわけです。フジテレビも、面白くて視聴率が高ければいいという軽薄さで若者を引きつけました。
 フジサンケイグループは中央マスコミで唯一、世襲が実現し、成功した。それは組織をあげて利益追求に突進する集団だったからだ。
 テレビ局は政官財有力者の子弟がコネで入社するのが横行するところだ。
 産経新聞は、ほかの新聞に比べて組織購読が多く、個人読者が少ない。その組織というのは、警察そして自衛隊だ。それから宗教団体。なーるほど、ですね。右翼新聞を支える実体が分かりました。
 日頃、面白ければいいと高言していたフジサンケイグループがホリエモン攻勢にあうと、一転して、メディアは公器だと言いはって心ある人の失笑を買いました。右翼テレビ・新聞のお寒い実体をまざまざと知らされる本です。

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2006年1月25日

歓びを歌にのせて

著者:ケイ・ポラック、出版社:竹書房文庫
 スウェーデン映画史上第3位という大ヒット映画をそのまま本にしたものです。スウェーデンでは2ヶ月間に160万人が見たそうです。国民の6人に1人は見たという計算ですから、すごいものです。
 辛いことも多い世の中ですが、しばし、それを忘れ、心あたたまる思いがしました。
 映画のなかでうわたれる歌のセリフが実に心をうちます。少しだけ耳を貸して下さい。
 私の人生は、今こそ私のもの
 この世に生きるのは束の間だけど、
 希望に向かって ここまで歩んできた
 私に残されたこれからの日々で
 自分の思うままに生きていこう
 生きている歓びを心から感じたい
 私は、それに価すると誇れる人間だから
 そう、私の人生は私のもの
 探し求めていた まぼろしの王国
 それは近くにある どこか近くに
 私はこう感じたい 私は自分の人生を生きた、と。
 ガブリエルが初めてのコンサートでソロを歌いあげたとき、観客席は一瞬、静寂に包まれました。そして、そのあとすさまじい拍手が巻きおこったのです。心にしみわたる天使のような歌声でした。うーん、これがクライマックス。きっと暴力夫も反省したことだろう。そう思ったところ、実は違うのです。やはり、世の中はそう甘いものではありません。
 そして、主人公のダニエルもハッピーエンドのようではありますが、みんなでウィーンに乗りこんだ合唱コンクールに指揮者として壇上に立つことはできませんでした。その直前に心臓発作を起こしたからです。それでも、彼は、子どものころからの夢を実現したのです。歌で、みんなの心を開くこと、自分の心を思いっきり開放することに、ついに成功したのです。
 親富幸通りの映画館はほとんど満員でした。見終わったとき、心満ちた幸せな気分で帰路につくことができました。人生万歳、です。生きていて良かった。そう思うことのできる映画です。
 正月以来、いい映画に何本も出会うことができました。博多駅そばの映画館でみたタイ映画「風の前奏曲」も、とても心うたれるいい映画でした。見ていて力が入り、ついつい手を握りしめてしまいました。ラナートというタイの伝統楽器(木琴のようなものです)の競演は手に汗にぎる熱演で、見事なものです。
 ところが、とても残念なことに、観客はまばらでした。こんないい映画が世の中に知られずに終わるなんて・・・。なんだか、悲しくなってきました。まだやっているようですので、ぜひ映画館で見てください。
 「ハリーポッター」も「あらしの夜に」も見ました。なんだ、おまえはまだ子ども向け映画なんか見てるのか。そう思わないでくださいね。子ども向け映画には本当にいい映画がありますし、だいいち私たちが子どものときの心を忘れてしまって、いいことはひとつもありませんよね。

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2006年1月24日

ブレア首相時代のイギリス

著者:山口二郎、出版社:岩波新書
 数十分の演説によって政策の内容を説明して国民の理解を得ることなど、はじめから放棄している。むしろ、テレビCMと同じく、15秒ほどの短い時間で、印象的な言葉を断片的に叫び、国民の好感を得ることこそが重要となる。こうした断片的な言葉をサウンドバイトと呼ぶ。メディアに映るリーダーのイメージを管理するのは、スピンドクター(メディア政治における演出家、振付師)と呼ばれる人々。
 リーダー個人の魅力やイメージによって国民の支持を動員し、選挙での勝利、重要政策の推進を図る政治の手法の拡大を政治の人格化と呼ぶ。この傾向がすすめば、国民は政策の中身をじっくり考えて判断するのではなく、特定の政治家の個性で政治の動きを正当化してしまう。人格化された政治は夾雑物を置かないといっても、テレビという媒介(メディア)が常にリーダーと国民との間に存在するのであり、直接的関係も仮想のものでしかない。
 これって、まるで日本の小泉純一郎のやり方ではありませんか。でも、ここではイギリスのブレア首相のやり方のことが書かれているのです。まったくウリふたつですよね。
 ブレアの下で党本部のコミュニケーション総局が力をもち、党幹部の演説・コメントなどすべてを管理している。政治家の言動は官僚的なコントロールに従った芝居のようなもの。細心の情報管理がなされている。
 イギリスでは労働組合という最大の支持基盤を、日本では郵政族議員と特定郵便局長を、それぞれ自ら切り離すことによって一般市民の支持を得るという成功を、ブレアも小泉も収めることができた。既成政党に対する飽きが広がった状況においては、人格化されたリーダーによる既成政党攻撃という手法は、一度は大きな効果を発揮する。
 しかし、このような政治の人格化がすすめば、権力の正統性根拠はカリスマに移る。そうなると、権力は属人的なもの、権力者の私物となりかねない。独裁の誕生を招いてしまう。
 これはこれは、いまの日本でもまったく同じです。自民党をぶっつぶせ。そう叫んで国民の快哉を得て首相になった小泉純一郎は、自民党をぶっつぶすどころか、史上空前の巨大議席を占め、日本という国と社会そのものをぶっこわしつつあります。そして共犯者ともいうべきマスコミは、今なお小泉を天まで高くもちあげ、今や小泉が誰を後継者として指名するのかにだけ注目するなんて、まるでお隣の独裁国家と変わらない記事にあふれています。いつから、日本はこんな国になってしまったのでしょうか・・・。
 イギリスには、かつて鉄の女と呼ばれたサッチャーがいました。中産階級出身から成り上がったサッチャーは、市場中心の「小さな政府」をつくるにあたって、社会などというものは存在しないと豪語しました。この世の中にあるのは、政府と市場と個人・家族だけであり、頼りとするのは自分と家族しかいないということ。くやしければ、がんばりなさい、というメッセージである。
 しかし、そうだろうか、と著者は反問しています。人は生まれるときに、親や家庭の経済環境を選ぶことができない。貧困家庭に生まれた人は、はじめから機会を奪われており、機会の不平等は、今も階級格差の著しいイギリス社会では、個人の努力なんかではどうすることもできない。だから、機会の平等の確保は、まさに政府の任務だ。社会から排除された人が大量に社会の底辺に滞留すると、犯罪や反社会的行動の増加、それにともなう警察や刑務所の拡充など、秩序維持のコスト増加、労働力の質の低下と経済活力の低下、貧困の増加による国内需要の減少など、さまざまな問題が生まれる危険は無視できない。すべての人が社会に帰属し、参画することが、経済活力にとっても、人々がよい生活を送るためにも重要である。
 著者のこの指摘に、私はまったく同感です。ホームレスを大量につくり出した社会では、安心してこどもたちを野外で遊ばせることすらできません。
 それでも、ブレアは労働党です。日本の小泉とまったく違うのは、ブレアが首相に就任するにあたって叫んだ言葉です。私がやりたいのは3つある。それは、教育、教育、教育だ。この点です。それで、教育予算を増やし、教員の志望者が増えました。本当に大切なことです。もっとも、ブレアは、ひどい成績主義路線をとっているようなので、手放しで礼賛するわけにはいきませんが・・・。
 今の日本の政治のあり方を考えるうえで、日英比較は大変参考になる。つくづくそう思いました。

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2006年1月23日

植物という不思議な生き方

著者:蓮実香佑、出版社:PHP研究所
 冬のわが庭は手入れの時期です。庭のあちらこちらを掘り返しては春に備えています。いま花が咲いているのはロウバイくらいのものです。その名のとおりロウそのものといった黄色い小さな花が枯れ葉に見え隠れしています。香りロウバイというのですが、私の鼻が利かないのか、残念なことに、あまり匂ひはしません。昨年はアガパンサスの青紫の素敵な花が少ししか咲きませんでした。今年はもっと花を増やしたいと思って株分けをしてみました。うまくいくことを念じています。
 水仙の茎がぐんぐん伸びてきました。あまりに増えすぎたので、心を鬼にして半分ほど始末してしまいました。やはり、庭にはいろいろの花を四季折々に咲かせたいので、仕方ありません。
 サボテンの子どもたちがたくさん増えていましたので、こちらは始末するのはさすがに忍びがたいので、小さなポット苗を30個ほどもつくって、知人にわけてやりました。わが庭のサボテンは、もう少くなくとも3代目です。両手をあわせて輪をつくったくらいの大きさになると、白い花を咲かせ、たくさんの子どもサボテンを自分の周囲につくって、親(本体)は、そのうちスカスカになって枯れてしまうのです。
 ジャコウアゲハの幼虫はウマノスズクサという毒草を餌にしている。ウマノスズクサの毒は、虫の食害から身を守るためのもの。ところが、ジャコウアゲハの幼虫は平気でウマノスズクサをたいらげる。それどころか、ジャコウアゲハの幼虫は、毒を分解するのではなく、ウマノスズクサの毒を体内に蓄えてしまう。こうしてジャコウアゲハは毒を手に入れた。こうなると、鳥はジャコウアゲハの幼虫には手が出せない。
 多くのハチが中空にぶらさがった巣をつくる理由は、アリに襲われるのを恐れてのこと。ハチの巣の付け根には、アリの忌避物質が塗られている。
 コガネムシは、花粉を媒介する昆虫の中で、もっとも古いタイプの昆虫だ。
 昆虫界で紫色を好むのは、ミツバチなどのハナバチの仲間。アゲハチョウは情熱の赤色を好む。そのためチョウをパートナーに選んだ花たちは赤色や橙色をしている。ユリやツツジの花がそうだ。
 日本でイチョウの木はありふれているが、実は、欧米ではほとんど見ることのできない木だ。銀杏は美味しいけれど、臭いですよね。
 古代ギリシアの学者アリストテレスは、植物とは逆立ちした人間であると評した。人間の口に相当する根が一番下にあり、胴体に相当する茎がその上にある。そして、人間の下半身にある生殖器が、植物の一番上にあう花だということ。
 一方、プラトンは、人間とは逆立ちした植物であると言った。人間には神様に与えられた理性がある。だから、理性をつかさどる頭が天上の神に近い一番上にある。つまり、植物が大地に根ざした存在だとすれば、人間は天に根ざした存在なのだ。
 この本は、何もモノ言わない植物が実は、いかに賢い存在であるか、よく分からせてくれます。自然界って、ホント、奥が深いですよね。

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2006年1月20日

かんじき飛脚

著者:山本一力、出版社:新潮社
 著者の筆力には、いつものことながら感心させられます。ぐいぐいと本の中の世界に引きずりこまれてしまいます。
 ときは寛政の改革をはじめた松平定信が老中首座にすわった江戸時代です。吉宗の孫として、紀州御庭番を思うように操り、天下の雄藩である加賀の前田藩のお取り潰しを狙うのです。そうはさせじと、前田藩の用人が画策し、飛脚が登場してきます。
 江戸時代、将軍家と雄藩とは水面下で激しく対抗・抗争もしていました。表面上はにこやかに笑顔を交わしつつ、その内実はお互いに足を引っぱりあっていたのです。
 老中定信は、幕府の財政支出を抑えるため、ぜいたく禁止令を出し、札差し(当時の金貸し)の貸金(借りた大名や武士・町民からいうと、もちろん借金)を帳消しにしてしまう棄捐令を発布しました。ところが、借りていた大名・町民が借金がゼロになって喜んでいたのは、ほんの2ヶ月ほどのこと。あとは札差しがお金を貸せず、ぜいたくもしなくなったことから、世の中の動きがすこぶる悪くなって、大層な不景気をまねき、老中定信の人気(威信)は一瞬のうちに凋落してしまいました。
 加賀前田藩には幕府当局に知られたくない2つの秘密がありました。それを御庭番の働きによって探知した老中定信は、前田藩に無理難題を吹っかけます。ここで救いの主として登場するのが飛脚なのです。
 飛脚のなかにも御庭番と内通する者がいたりして、雪中に走る飛脚が狙われてしまいます。ここらあたりの描写の緊迫感は何とも言えない心地よさがあります。
 史実とかけ離れている話なのでしょうが、歴史小説として大変面白く読みました。

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731

著者:青木冨貴子、出版社:新潮社
 戦争中、中国東北部(満州)に関東軍731部隊が巨大な施設をつくって細菌戦をすすめていました。京都帝国大学から助教授、講師クラスの若い研究者が次々に参加しました。
 中国人の捕虜などが憲兵によって「特移扱い」とされると、「マルタ」と呼ばれ、人間扱いされなくなる。野外で杭にしばりつけられ、ペスト感染の実験材料にされたり、細菌を注射する人体実験をして生体解剖するということが連日あっていた。
 終戦後、日本軍は徹底した証拠隠滅を図った。しかし、石井四郎部隊長は軍中央の命令に反して、研究データの多くを日本に持って帰った。これが後にマッカーサーのアメリカ占領軍との貴重な取引材料となり、石井四郎たち731部隊の首脳陣の助命を可能にした。この徹底防諜という指令は東京の参謀総長からの命令だった。これは細菌戦をすすめていた731部隊のことがばれたら天皇にまで累が及ぶという心配によるものだった。
 石井四郎部隊長ほか多くの軍医は終戦のとき、爆撃機で東京に逃げ帰った。それは8月22日から26日までの間のことであり、厚木か立川の飛行場に降り立っている。
 ところで、アメリカが大戦中にもっとも心配したのは、ドイツの細菌戦だった。あれだけ医学のすすんだドイツが細菌兵器に手を出したらと、・・・。その脅威は絶大だった。しかし、戦争が終わってドイツを占領したアメリカ軍は、細菌製造工場をどこにも発見することはできなかった。つまり、細菌兵器はなかったのである。
 ところが、日本軍は、その細菌兵器を完成させ、実戦でつかっていた。ペスト菌をただばらまいても病気をひきおこすことは難しい。しかし、ペストに感染したノミをばらまけば有効だということが実証されていた。ペストノミは731部隊が発明した当時の最新秘密兵器だった。
 終戦直後、石井四郎が満州から帰国して、東京・若松町の自宅にいることをアメリカ占領軍のトップ(マッカーサーとウィロビー)は知っていた。ところが、それを隠し、ワシントン政府をだまし、ワシントンから派遣されてきた調査官まで欺いた。
 石井部隊にいた研究者たちは、持ち帰った研究データをロシアにはまったく秘密にし、アメリカに対してのみ提供する。ソ連の訴追を免れるよう保護されるという保障をアメリカ軍から得て、秘密のうちに調査報告書を作成した。
 大東亜戦争は中国・朝鮮の文明化に貢献したのだと恥ずかし気もなく高言する日本人が増え、マスコミのなかで勢いづいているのは怖い気がします。731部隊のやったことひとつだけをとっても、そんなことが言えるはずはありません。
 日本軍の細菌戦を主導した石井四郎が、なぜアメリカ占領軍から戦犯とされるどころか、免責され庇護されてきたのか。それを資料にもとづいて明らかにした貴重な本です。

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著者:秋山徳蔵、出版社:中公文庫
 昭和天皇の料理番だった人が語った本です。さすがにプロの言うことは違う。なるほど、なるほどと、すっかり感心してしまいました。
 大正天皇の御大礼の宴会を準備したときのことです。なにしろ2000人が参加する宴会ですから、50人もの料理人で担当したそうです。
 献立を考えるのにひと月かかった。料理にも、重点が一つあって、それが光っていなければならない。その他のものは、それ自身としてはもちろん立派なものでなくてはならないが、重点になる料理の光を消すようなギラツキがあってはいけない。そうして、コース全体が渾然とした調和を保ってこそ、最上の料理といえる。頭に浮かんでくる献立を、思い切って片っ端から落としてしまう。ところが、そのなかに、どうしても落としきれないものが残ってくる。10ぺん考えても、20ぺん考えても、その献立が頭の中に坐っている。それがホンモノである。こうして煮つめて煮つめて、最後に一つの献立を決定した。
 献立の次は、材料の心配だ。生ま物が大部分だから、早くから買い込んでおくわけにはいかない。そのときになってパッとそろうように、もし甲の方に万一のことがあったら乙の方で間に合わせるようにと、万全の手配をしておく。不測の事故ということも考えなければならない。たとえば、スープの鍋をひっくり返したら、どうするか。出さないわけにはいかない。かといって、それだけのものを二重につくっておくことはできない。それで、ダシや味の素を用意して、お湯を湧かしておいて、万一のことがあったら、即座に代わるべきものをつくる。
 料理の一番の奥義は何か。やっぱり香りだ。ことにフランス料理は香りだ。材料の香り、補助味の香り、香料の香り。そういったものが渾然となって、味と色彩とともに一つの交響楽をつくりあげる。これがフランス料理の芸術たるゆえんだ。だから、料理の修業は鼻の修業といってもよい。
 とにかく、料理を専門にする人は、鼻を大切にしなければならない。風邪もひかないように気をつける。また、歯も大切にしなければならない。入れ歯をすると、味に対する感覚がガクンと落ちてしまう。
 うーむ、なるほど、なるほど、そうなんだよね・・・。すとんと腹に落ちることが書かれていて、とても感銘深く思われました。

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2006年1月19日

戦争案内

著者:戸井昌造、出版社:平凡社ライブラリー
 靖国神社に小泉首相が参拝をくり返し、中国・韓国をはじめとしてアメリカからも批判されながらも憲法9条2項を廃止して戦争のできる国への変身を遂げようとしている今日、まさにタイムリーな本です。
 昭和18年12月、早稲田高等学院2年生だった著者は20歳になると兵隊にとられてしまいました。東条英機首相の命令による学徒動員の第1期生になったわけです。それから3年間、兵隊そして下級将校として戦争を体験し、中国大陸からなんとか無事に帰還するまでの、まことに不合理いや不条理な日々を思い起こしたものです。軍隊というものの、馬鹿馬鹿しいほどの不条理さが、そくそくと読み手に伝わってきます。戦争なんて、本当に絶対、体験なんかしたくありません。
 第一次の学徒動員で出陣したのは全国で3万5000人。軍隊のしくみが図解されていますので、視覚的にもよく分かります。必ずしも確固たる反戦思想の持ち主ではなかった著者が動員される前に、親しい友人に対して、この戦争はおかしいよ。おれたちが死ぬことはないと言ったところ、きみは非国民だという言葉が返ってきたそうです。
 著者は迫撃兵として入隊します。実は、国際法違反の毒ガス部隊でした。でも、肝心の迫撃法もなかったというお粗末さです。
 軍隊内での初年兵のしごきが紹介されています。本当に理不尽で、非人間的ないじめです。でも、人間性をなくさせる効果はあったわけですから、決して一部の下士官のはねあがりではなく、イジメは軍隊の体質そのものです。
 終戦後、日本に帰ってきたとき、兵隊たちがそれまで受けたいじめの仕返しのため将校を裸にして土下座させて謝罪させる場面も紹介されています。でも、土下座くらいですんだのは、兵隊たちにまだ人間性が残っていたということなのでしょう。
 見習士官の服装と装備一式をそろえるのが自前だったということを初めて知りました。700円、今のお金で100万円ほどかかったというのです。お金がないと、見習士官にもなれないのですね。ただし、着ているものと装備の全部が私物になるので、員数あわせの苦労から解放されるわけです。
 著者は応召して所属部隊に向かう途中で病気になり、単身で中国大陸に渡ることになります。到着するまで3ヶ月かかったというのですから、ノンビリしているといえば、ノンビリしています。
 中国大陸の日本軍の前線には、まず弾丸が届き、次に塩、その次に慰安婦がやってきた。従軍慰安婦の確保は日本軍の大事な業務のひとつだった。国は関係ないなんて、とんでもありません。
 戦闘は中隊単位でおこなわれるから、大隊長以上で死んだ人は少ない。将校以上で死ぬのは、兵隊と一緒にたたかった中隊長と小隊長が圧倒的に多かった。著者たち日本兵は中国人を蔑視していた。侵略者であった。
 23歳で生きて帰国して、著者は早稲田大学に復学しました。ところが、クラスメイト46人のうち、人間を社会的視野からとらえ、人間性をないがしろにする戦争に反対し、社会の構造的矛盾に気づいて社会変革のための行動に参加していったのは、わずか3人しかいなかった。
 うーん、やっぱり少ないですよね。これでは戦争に流されてしまったのも無理ないという気がします。今も同じようなものです。その他大勢というのは、いつ世にもいて、ただただ流されていくのですね。ですから、気がついた人から立ちあがって隣りの人に声をかけていくしかありませんね。憲法9条2項を廃止するなんて、戦争を招き寄せるようなものですから、私は反対します。

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2006年1月18日

ハードワーク

著者:ポリー・トインビー、出版社:東洋経済新報社
 イギリスのジャーナリストが身分を隠して公営福祉団地に住み、最低賃金の職場で働いた体験をまとめ、告発した本です。
 イギリス労働者の3割を占める低賃金労働者にとって、より高い収入、より充実感のある仕事への道は閉ざされている。派遣労働力に頼る民間企業は職場訓練に熱を入れない。このことを知って著者はショックを受けます。
 イギリスでも組合の弱体化は著しい。公共部門の組織率は65%、民間部門にいたっては19%にすぎない。ストライキという武器が大衆の支持を得にくくなってきた。
 つい先日、アメリカ・ニューヨークで地下鉄など公共輸送機関の労働組合がストライキに入り、ああ、アメリカでもまだストライキやってるんだと思いました。どうでしょう。日本ではストライキなんて、プロ野球選手会が何年か前にやって世間の注目を集めただけではありませんか。ホントに日本って、おかしな国です。労働三権の保障なんて、どこへ行ってしまったのでしょうか・・・。そう言えば、連合って、最近、ほとんど耳にしませんし、影が薄すぎますよね。もうひとつの全労連っていう言葉がマスコミに登場してくることもありません。
 昔は労組も強かった。サッチャーが出てくるまでは・・・。あいつが炭坑労組はもちろん、イギリス中の労組をぶっつぶしちまいやがった。いまじゃ国のやりたい放題よ。なにもかも民間に移して、労組は頼りにならないし、俺たち労働者はふんだりけったりだ。
 著者は、その仕事中に顔見知りの議員や記者に会ったとき何と弁解したらいいだろうと悩んでいました。しかし、誰も彼女に気のつく人はいませんでした。乳母車を押して歩く女など別世界の住人であり、数にも入らない。完璧な透明人間だ。
 コールセンターや電話セールスの従業員は現代の奴隷船だ。電話セールスの従業員は 40万人以上もいる。イギリスの労働者の50人にひとりがコールセンターで働いていることになる。当然ながら従業員の入れ替わりは激しい。聴覚性ショックがこの産業の新しい職業病となっている。電話をかけ続けることによって、抑うつ症や大きな音に耐えられなくなる症状が現れる。たしかに誰でも、この仕事を数時間するだけでうつになりそうだ。
 ときには小さなウソも必要よ。今は正直にしていたら損をする時代なんだから・・・。私は、このクダリを読んで、すぐに豊田商事のテレホン・レディーを思い出しました。時給1000円で彼女らは明らかにウソのセールストークをまくしたてていました。それにひっかかった人がいると、時給とは別に1件1万円とかの高額の報奨金がもらえるシステムでした。セールストークが本当なら、自分がやればいいのです。でも、テレホン・レディはそうしませんでした。明らかにウソと分かっていても仕事だと割り切って、電話をかけまくっていたのです。
 幼いころに適切な教育の機会を与えることは、成長してからさまざまな援助金を出すよりはるかに役に立つ。貧しい家庭の子どもたちに就学前の2年間、集中教育を施したところ(リンドン・ジョンソン大統領のときの取り組み)、30年後の追跡調査によると、高等教育を受け、いい職に就き、家を持ち、社会保障の世話になったり、犯罪をおかしたりしない者の比率が、同様の境遇に育ち、このような教育を受けなかった者に比べて、はるかに高い。この計画に費やされた予算1ドルにつき7ドルも、国は、子どもたちが成長してからかかるはずだった費用を節約することができた。
 3人に1人が大学に進学し、万人に門戸が開かれているいま、階級は消滅した。階級が消えたという思いこみは、私の世代から本格化した。しかし、底辺の30%がハシゴを上るのは難しい。貧しさのなかで育った子どもたちが貧しさから解放されるのもきわめて難しい。現代は平等な時代だというのは神話だ。しかし、この神話は必需品だ。この神話のおかげで、自分の生き方が正当化され、夜は安眠できる。
 勝者が敗者の200倍もの賃金を稼ぐとすれば、蓄積した富と力は当然に子どもに引き継がれ、次の世代からは平等なスタートが切れなくなる。つまり、平等な社会を目ざすのであれば、機会と結果の二者択一は不可能だ。
 いまの日本では、ホリエモンに見られるような勝ち組が異常にもてはやされています。でも、本当にそう簡単に勝った、負けたと浮かれていていいのですか。誰だって年をとれば「負け組」に近い存在、つまり弱い存在になるのですよ。身体が自由に動かない、思うことをきちんと表現できなくなるのです。そんな弱者を無用の存在と簡単に切り捨てる社会なんて、考えただけでもおぞましいものです。政治は弱者を救済するためにあるものでしょう。強い人は、お金の力で何でもできるのですから、そんな人のために政治まで動いてはいけません。
 「ハローワーク」に、いつも行列ができていることを聞くたびに、企業と政治家は弱い者を救済するのがその最大の責任であること。強い人間は放っておいたら、とんでもないことをするようになるので、規制が必要であることを自覚して、その責任を果たすべきだと痛切に思います。

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2006年1月17日

健康格差社会

著者:近藤克則、出版社:医学書院
 いま銀行はアメリカのように口座維持手数料をとるようになってきています。そして高所得層だけを相手にする金融サービスが生まれている。その一方で、貯金がほとんどない世帯が増えている。貯金50万円未満の世帯は、1985年に5%だったのに、今はその5倍の23%にもなっている。生活保護受給者も1990年代前半は60万世帯であったのが、今や100万世帯をこえている。
 OECD諸国の相対的貧困率は平均10.2%。日本は、15.3%であり、27ヶ国中5番目に貧困層が多い国である。
 日本に住む日本人、ハワイ在住の日系人、カリフォルニア州在住の日系人を比較する。心筋梗塞は1000人あたり、日本は5.3、カリフォルニアは10.8、冠動脈疾患の可能性は日本25.4、ハワイ34.7、カリフォルニア44.6となっている。
 格差が大きい社会とは、底辺から脱出できる可能性が低い社会。社会的に厳しい環境に置かれている人たちほど、努力や成果を評価される機会は少なく、さげすまされたり、みじめな状況を経験することが多い。だから、慢性的な心理的、社会的なストレスは底辺層ほど大きい。そのストレスに耐えきれなくなったとき、それが外に向かって爆発すれば暴力やテロとなる。内に向かえば、自分を責めて望みを失い、「生きていたいとは思わない」「死んでもいい」「放っておいてくれ」と口にするようになる。
 結婚していない者の死亡率は、結婚している者に比べ、女性で5割高く、男性では実に2.5倍も高い。日本の未婚者の平均余命は1940年で16年、1980年で4〜7年短い。
 ストレスで引き起こされた交感神経系の興奮状態やアドレナリンの過剰分泌などの反応が長期に及ぶと、心機能を始めとする身体機能に悪影響を及ぼす。たとえば、恐怖・不安を訴える者には高血圧が多く、また高コレステロール血症や糖尿病も多い。
 ストレスにさらされると免疫能力が低下し、疾患への抵抗力も低下する。
 客観的な状況は同じでも、それをポジティブにとらえるか、ネガティブに認知するかで、その後の身体的健康には違いが出てくる。
 人生に前向きで、物事のよい面を見ようとする人ほど運命まかせでなく、「自分の幸せは自分の手でつかむ」という姿勢の強い人ほど自らの命を救い、心筋梗塞からの回復というよい面や幸せを、実際につかんでいる。
 今度の仕事は初めての挑戦だが、やり甲斐のある仕事だ。私は、今までいろいろな初体験の仕事を何とかこなしてきた。だから、今度も落ち着いてやればきっとうまくやれると心の準備をし、自分を励まし、精力を傾けて取り組む人がいる。これが生き抜く力の強い人のイメージである。
 生き抜く力の強い人は、自分が成功したときの姿を思い描く力が強く、それに向けて自分をコントロールする力が強い。人生には大変な困難が起こるものだが、それらは応じることが可能な試練・挑戦であり、自分には耐えうるものである。そして、悲しむことや不安になること、実現不可能なこともあるが、だからといっていつまでもそれに囚われ続けてはいないのであると確信している。
 うーむ、なるほど、ですね。ところで、この本には次のような問いかけがなされています。あなたは、どちらを選びますか?
 周囲の平均年収は300万円で、あなたは500万円(A)。周囲の平均年収は700万円で、あなたは600万円(B)。Aを選ぶ人が圧倒的に多いそうです。絶対的な金額より相対的なものが優先するのです。
 いろいろ深く考えさせられる本でした。

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ポピュリズムに蝕まれるフランス

著者:国末憲人、出版社:草思社
 昨年11月、いつものように仏検一級の試験を受けました。日曜日午後の3時間、うんうん頭をひねりながら文法・長文読解・仏作文そして書き取り、聴き取りのテストを受けるのです。帰って自己採点をしたら66点でした。1ヶ月ほどして結果の通知があり、もちろん不合格だったのですが、68点とっていました。120点満点で、ついに5割をこえることができたのです。といっても一次試験をパスするには8割とならければいけません。この3割のヤマをこえるためには文法をマスターする必要があります。
 動詞を名詞に変えて同旨の文章をつくれ、なんていう設問は毎回ほとんど全滅しています。私の得意とするのは長文読解と書き取りです。長くフランス語を勉強していますから、年の功で、この2つだけはなんとかできるのです。それにしても今回、自分の答案用紙を調べたら、一級受験がなんと11回目であったことに気がつき、我ながら驚き、かつ呆れてしまいました。仏検一級を受けはじめてもう11年になるというのです。そりゃあ、5割くらい得点できなければどうしようもないですよね。といっても、実は、今もってろくにフランス語は話せないのです。毎週土曜日のフランス語教室でも、相変わらずたどたどしいフランス語しか話せないので、自分でも嫌になっています。
 最近はフランス語はあまり人気がありませんので、受講生が減って、私のクラスの存立が危なくなっています。どうぞみなさん、フランス語を勉強しましょう。それはともかく、フランスを自由に旅行するくらいはできるのですから、長く勉強しているといいこともあるのです。大学に入学したときに第二外国語としてフランス語を選択して以来のフランス語とのつきあいですから、もう38年にもなります。弁護士になったとき、バカにならないようにNHKのフランス語講座を聞きはじめて今に至っていますので、もう31年間もNHKを聴いているのです。うーん、偉いというべきか・・・。
 私の愛するそんなフランスが、今やポピュリズムにむしばまれているというのです。この本を読むと、なーんだ、小泉純一郎と同じことをフランスでもやってる政治家連中がゾロゾロいるのか、そう思ってしまいました。
 昨年9月の総選挙で小泉自民党が「大勝」した(ホントは、小選挙区制のマジックによるところが大きいのですが・・・)ことについて、AFP通信は小泉首相を次のように評しました。
 これまでの日本になかったタイプの指導者だ。大物や実力者に牛耳られている政界のしがらみを断ち切った真のポピュリストである。
 では、フランスでは、一体、誰がポピュリストなのか。ご存知、極右のルペンです。大統領選挙の第1回投票でシラク大統領が566万票、20%をとったのに続いたのが、なんとルペンで480万票、17%もとったのです。有力だったジョスパン首相はその次、461万票、16%で3位になってしまったのです。
 ルペンは実は莫大な資産を持ち、その自宅はパリ郊外の最高級街の高台にある城館だ。低所得層に人気があるからといって、自分自身は決してその一人というのではない。
 ルペンの演説は抜群にうまい。聞いていてともかく面白い。言葉を恐れず、言いたいことは何だっていう。嘘も平気で言う。フランスのすべての問題の原因が移民にあるかのように物事を単純化して語り、市民を扇動しようとする。
 これは、まるで小泉純一郎ではありませんか。郵政改革を断行したら日本の景気が回復するなんて、とんでもない嘘を平気で言い通す。アメリカだって公然と反対しているのに(日本の世論が反小泉に向かわないように配慮はしているけれど)、靖国神社参拝に反対しているのは韓国と中国だけかのように言い張ってマスコミを操作するなんて、まるで同じ。
 ポピュリズムとは、普通の人々とエリート、善玉と悪玉、味方と敵の二元論を前提として、リーダーが普通の人々の一員であることを強調すると同時に、普通の人々の側に立って彼らをリードし、敵に向かって戦いを挑むヒーローの役割を演じてみせる劇場型政治スタイルである。
 若者のうちの低学歴者の2割以上がルペンに投票しているというのも、今回の小泉「大勝」と同じです。小泉の「低IQ層」工作がうまくいって、低学歴の若者が大挙して自民党へ投票したと分析されています。
 移民排斥を叫ぶルペンの党(国民戦線、FN)には若い日系人が候補者の一人となっていることを知って驚きました。
 フランスでも、選挙のときに候補者を選ぶ要素が、かつての政策から、短期間で変化しやすいイメージにうつってきたと分析されているそうです。怖いことですよね。
 フランスの若者たちが路上で暴動を起こし、サルコジ内相が厳しく対処しましたが、そのサルコジ内相はハンガリー移民2世です。弁護士出身でもあります。タカ派が評価を上げるというのも日本と共通したところがあります。フランスの政治って日本とまるで違うと思っていましたが、案外、おおいに似たところがあるようです。

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2006年1月13日

島原の乱

著者:神田千里、出版社:中公新書
 うーむ、そうだったのか・・・。ついつい、ひとりうなってしまいました。島原の乱について、団塊世代の学者が鋭い問題提起をしています。目が大きく見開かされる思いをしながら、ぐんぐん読みすすめていきました。
 著者は、結論として、一揆の目的は飢饉・重税で食えなくなった百姓たちの一揆というより、キリシタン信仰の容認であり、飢饉も重税も百姓の一揆を先鋭化させるひとつのきっかけに過ぎなかった。一揆にとっては、信仰それ自体が、蜂起の最大の眼目だったとしています。
 それに、一揆といっても、必ずしも民衆の集団ではなく、一揆指導者の多くは武士身分の牢人であった。蜂起の中心となった牢人たちは40人ほどいた。彼らの平均年齢は50歳くらい。ということは、クリスチャン大名であった有馬晴信が処刑された慶長18年(1614年)には、みな20代半ばの青年だった。つまり、少年時代はキリシタン大名の統治下で過ごしたはずの年齢である。このときの記憶が一揆蜂起を促したとも考えられるのではないか・・・。なるほど、まったく同感です。ついエリをただしてしまいました。
 島原の乱の主役は、殉教者というより、なんといっても立ち帰りキリシタンである。つまり転向した仏教とが再びキリシタンになっていったのである。
 一揆勢は、外国(オランダ)から砲撃される前まで、すぐに一揆は終わると考えていました。海外(オランダ)からの応援要請にこたえるつもりになっていました。それで幕府軍はオランダに砲撃を頼んだのです。南蛮国からもおまえたちは見捨てられることを示そうとしたのです。
 原城内には敵に内通するスパイが横行していました。
 原城が落城するまでに、城内から一揆勢のうちから1万人以上が立ち去ったともされています。
 うーん、なるほど、なるほど。島原城に久しぶりにまた行ってみたくなりました。残念なことに、私はまだ原城址には行ったことがありません。

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宮廷料理人アントナン・カレーム

著者:イアン・ケリー、出版社:ランダムハウス講談社
 お正月にお餅を食べ過ぎたわけでは決してありませんが、またまた少し太ってしまいました。これまで、あと3キロ減量が必要だと言ってきましたが、これで5キロ減量を余儀なくされました。でも、これってホント難しいんですよね。お正月に食べたお餅は、お雑煮に入った1個と夕方のアンコロ餅の1個のみです。あっ、2日にも1個だけ食べました。3日目からは、いつものように朝食はニンジン・リンゴジュースだけです、いつも1日2食です。だから、貴重な2食を大切にしています。マックやケンタ、そして牛丼なんかの有害ファーストフードとは無縁の生活です。いえいえ、それどころか美食についての本をすこぶる愛好しています。
 この本はフランス革命のころ、フランス料理にも革命をもたらしたと言われているアントナン・カレームの一生をたどったものです。カレームは、なんと、親に捨てられた子どもでした。それなのに、王様のシェフであり、シェフたちの王様にまでのぼりつめたのです。それだけでも、たいした人物です。カレームには、24人もの兄弟がいて、16番目の子どもだったといいます。本当でしょうか・・・。
 父親はカレームを捨てるとき、次のように言ったそうです。
 いまの世の中、根性さえあれば、運をつかんで、出世できるってもんだ。そして、おまえにはその根性がある。あばよ、坊主。神様からもらったものを持って、行っちまいな。
 幸運にも、10歳のカレームは、ひとりの料理人に拾われました。革命前、パリのレストランでは食事ができませんでした。レストランが出すのはブイヨンやポタージュなどのスープだけ。当時のスープとは、流行に敏感な人たちが、いい気持ちになったり、呼吸器の病気を和らげるために飲むものだった。かつてのコーヒーと同じ役割だ。レストランとは、文字どおり健康を回復するために行くところだった。
 ナポレオンは食べ物に興味がないことで有名だった。公式の席で食事することを好まず、皇后ジョセフィーヌも公式の晩餐会を嫌っていた。歯並びの悪い口元を隠したがっていたから。したがって、カレームは、ナポレオンのシェフをつとめたことは一度もない。
 カレームはタレーランそしてイギリス皇太子のお抱え料理人ではありました。そして、大富豪ロスチャイルド夫妻の料理人に就任したのです。カレームを抱えたことで、ロスチャイルド夫妻は新興ブルジョア上流社会に次第に受け入れられ、支配すらするようになった。最高の料理は、最高の芸術と同様に、金銭で購うことができる。
 ただ、カレームは50歳で亡くなっています。料理人は、たいてい地下で職業人生を送る。昼なお薄暗い照明が視力を弱め、蒸気とすきま風がリューマチを悪化させ、料理人の人生は悲惨なものになる。胸に吸い込むのは木炭の煙と蒸気ばかり。そう、それがシェフの人生なのだ。うーん、ホントに悲惨ですよね。
 カレームは、図書館にこもる熱心な読書家でもありました。だから、たくさんのレシピを残し、本として出版することができたのです。この本には、そのレシピとあわせて、カレーム自身が描いた料理の壮大な盛りつけの絵も紹介されています。
 ああ、こんな美食を前にして、明日からどうやってダイエットしよう・・・。

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光の国・インド再発見

著者:我妻和男、出版社:麗澤大学出版会
 10億をこえる人口をもつインドには、少なく見積もっても300の言語があります。紙幣で100ルピーと表示するのにも、15言語で書かれているのです。他の州に行けば、ほとんど字が読めません。それでもインドの識字率はインド全体で65%。男性75%、女性54%ですから、高いというべきでしょう。
 インドの人口は本当は11億人ではないかと噂されています。あと20年もすれば中国を抜いて世界第1位になることでしょう。
 有名なマハトマ・カンジー(この本では、ガーンディー)についても紹介があります。ガーンディーとは、香辛料を商う人という意味だそうです。ガーンディーの祖父から3代にわたって藩王国のディーワーン職をつとめていました。ディーワーンというのは首相とか総理大臣と訳されていますが、誤解を招きやすい。民事事件の調査、治水工事の監督などを職務とする役職の名前でした。
 インダス文明は紀元前2500年をはさんで前後1000年ほどのあいだに栄えた古代文明です。その最大の特徴は、軍事力を背景とした王が存在しないということだそうです。えーっ、それでどうやって国を統治していたのでしょうか・・・。インダス文字が解読されていないため、その全貌は不明のままだということです。
 ゴータマ・ブッダは、憎しみをもって憎しみに報ずれば、憎しみは絶えることがないと説きました。かつブッシュによくよく叩きこみたい言葉です。
 インドといえば、なんと言っても映画でしょう。年間につくられる映画がコンスタントに800本、2001年には、なんと1013本もつくられたそうです。アメリカが400本、日本は300本というのですから、ケタ違いの多さです。インドではアメリカ(ハリウッド)映画よりも自国の映画が好きです。
 インド映画は「踊るマハラジャ」のように、途中で必ず歌と踊りがはいります。例外的に入っていないのもありますが、観客は歌と踊りの入っているのを圧倒的に好むのです。上映時間も3時間というように長く、途中で休憩が入るのです。観客は映画を見ながら泣き、笑い、そして歌をうたって、踊り狂います。ちょっと日本とは違いますね。
 インドは貧富の格差が大きい国として知られていますが、統計のうえでは、ブラジル31.5倍、メキシコ19.3倍、中国10.7倍、アメリカ8.4倍に比べて4.7倍と、格差はそれほど大きいものではありません。ちなみに、日本は3.4倍です。経済の発展にともなって所得格差が縮小している現実があるのです。ちょっと不思議ですよね。
 インドでは日本のカラオケははやっていません。他人(ひと)の前で歌をうたうのは乞食のカーストのやることという心理的抵抗感が強いからです。
 言ってみたいなという気持ちも少しはあるのですが、なにしろ遠くて・・・と思っているところです。

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2006年1月12日

いま問いなおす「自己責任論」

著者:イラクから帰国された5人をサポートする会、出版社:新曜社
 評論家の大宅映子は次のように語りました。
 人質家族の「自衛隊は撤退しろ」や当事者の「またイラクで活動したい」発言には呆れてしまう。退避勧告を無視して事件を起こした責任を、まずはしっかり認めるべきだ。こうした事件のように、自己責任でやれることを何でも国のせいにしていると、国は非難される前に規制をたくさんつくって、今以上に国民をがんじがらめにしてしまう。
 アメリカのパウエル国務長官(当時)は、インタビューで次のように発言しました。
 誰もリスクを引き受けようとしなかったら、私たちには前進はなくなる。私は、あの日本市民たちが、より大いなる善のため、よりよき目的のために、すすんで自分の身を危険のなかに置いたことを嬉しく思っている。日本の人たちは、こういう人たちがすすんでああいう行動をとったことを誇りに思うべきだ。
 どうでしょうか。イラク侵略の張本人であるアメリカの支配者のなかにも、こういう考えを表明する人がいるのです。それに比べると、大宅映子の発言はいかにも安っぽいものに思えてなりません。まさしく小泉好みの御用評論家ではないでしょうか。
 いかなる思想の持ち主だろうが、国民保護は政府の義務のはずだ。論者は強調しています。私も、まったく同感です。小泉首相を支持する人間だけが日本人ではないし、小泉支持者だけが政府に税金を納めているのではないのです。小泉をいまの日本で最大の危険人物とみている私も、それなりに税金をおさめています。
 昔から日本人は世界各地の危険なところへ進出していったことで有名です。それなのに政府の退避勧告を無視したら、あとは何も言えなくなるなんて、とんでもありません。それに、だいいち、自衛隊は「安全な」サマワに行っているというのが政府の建て前なのではありませんか。しかも、イラクのサマワで給水活動にあたっているフランスのNGOに対しては、日本政府は、給水車35台分のレンタル料35万ドルについて、無償資金協力をしています。つまり、日本政府はフランス人がボランティア活動するのはいいけれど、日本人の民間ボランティアが活動するのは困るというのです。まるで筋が通りません。
 読売新聞は社説で人質になった3人とその家族を次のように攻撃しました。
 3人は事件に巻きこまれたのではなく、自ら危険な地域に飛びこみ、今回の事件を招いたのである。自己責任の自覚を欠いた、無謀かつ無責任な行動が、政府や関係機関などに大きな無用の負担をかけている。深刻に反省すべき問題である。
 人質の家族の言動についてもいささか疑問がある。記者会見で公然と自衛隊の撤退を求めていることだ。武装グループの脅しに屈し、政府の重要政策の変更まで求めることが、適切といえるだろうか。
 えーっ、と驚いてしまいました。そんなことを言う資格がいったいに読売新聞あるのでしょうか。サマワで自衛隊を取材していた記者は全員撤退しました。もちろん読売の記者もです。そして、それは、政府の費用負担だったのです。そもそもサマワで自衛隊がしているのは何なのか、日本のジャーナリストは本当のことを現地からまったく伝えていません。いえ、伝える努力すらしていないのです。政府が退避勧告したから、それに従っているというのでしょう。しかし、その後もフリーのジャーナリストはイラクへ何度も出かけているではありませんか。私たちはそれによってイラクの現実を知っているのです。
 3人が解放される前、公明党幹部が記者団に次のように語ったそうです。
 3人が解放されて、帰国後にヒーロー、ヒロイン扱いされ、自衛隊撤退を訴えられたら厄介だ。
 つまり、3人が解放されて、自衛隊撤退を求める世論が高まるのを恐れ、その前に3人を叩きのめしてしまったというわけです。恐るべき世論操作です。
 それにしても、3人叩きに乗せられた日本人が多かったということは、今の日本社会の底流にドス黒い怨念がドロドロうずくまっている。そんな感じがしてなりません。いかにも冷え冷えとした思いに駆られてしまいます。

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2006年1月11日

マルクスだったらこう考える

著者:的場昭弘、出版社:光文社新書
 私が大学生のころはマルクスやエンゲルスそしてレーニンの本を読むのはあたりまえの雰囲気でした。私も結構読みました。哲学の話にはとても難解なところがたくさんありましたが、それでも目をはっと大きく開かせるような視点があって、本当に勉強になりました。今でも当時読んだ本は、文庫版がほとんどですが、書斎に置いてあります。
 ところが、今やマルクスなんて話題にものぼらなくなりました。この本によると、大学の経済学部にマルクス経済学がなくなっているのは当然のこと、大学内でもマルクス主義を信奉しているなどと人前で口にするのもはばかられるというのです。えーっ、本当にそうなんでしょうか。実社会はともかく、学問の社会では存在してよいと思うのですが・・・。最近のイギリスの調査では20世紀の偉人のトップに多くの人がマルクスをあげたそうです。
 最近ではアメリカ資本主義だとか、アメリカ帝国主義という言葉まで口にすることがはばかられるようになっている。かわって、アメリカ民主主義、アメリカ自由主義と言わなければならない。なるほど、マスコミの報道はたしかにそうなっていますよね。でも、かつてのベトナム侵略戦争と同じことを今、現にイラク侵略戦争をアメリカはした(している)わけです。それも大義も根拠もなく、ただ石油利権の支配を求めてしたことが明白となったわけですから、アメリカ帝国主義と呼んで何が悪いのでしょうか。
 著者は、資本のグローバリゼーションが進行する今、それに対する抵抗戦線としてマルクス思想を再構築する必要があると訴えています。なぜか? それは、資本のグローバリゼーションこそ、私たちをとことん貧困にし、かつ非人間的な存在にするものだから。貧富の二極化傾向は、国家や民族をこえて、世界的規模で促進されつつある。市場原理の進行によって、こうした現象が水面下ですすんでいる。
 たとえば、教育システムの有償化。国公立大学の行政法人化、私立大学の助成金の削減は、教育の分野にも市場原理が導入されたことを意味している。教育レベルが将来の所得を決定するとすれば、こうした社会は両極分化を加速させていることになる。
 私は、このくだりを読んで、北欧の国々では大学の授業料が無償であり、学生には手厚い奨学金制度が完備しているということを思い出しました。日本は、まさにアメリカのように逆行した道を突きすすんでいます。
 教育は社会の義務である。子どもは最初から集団のなかで教育を受けなければならない。
 巨大資本は巨大メディアを傘下におくことで、あらゆる運動に対してメディアをつかったコントロール戦略をとっている。資本が多部門を吸収しつつあるのに、資本に対抗するはずの労働組合が単一部門の中に引きこもるというのは、実に奇妙なことだ。
 若者たちが大学で英会話や会計学、コンピューターなどの実務教育を受けている。しかし、このような実務教育は、就職にすぐに役に立つスキルではあるかもしれないが、学ぶべきものを学ばないことになる。ちゃんとした経済学や哲学を学ばなかったことから、若者たちは自分たちがフリーター予備軍として取り扱われていたのだということを自覚できないようになっている。これは、大学が社会に対する批判の目を養うための教育を放棄することで、体制に唯々諾々(いいだくだく)と従う労働者をつくり出すシステムになっている。
 福祉に投入されているのは、税金という形をとった集合労働の成果だ。だからこそ、福祉は当然の権利なのだ。
 賃金は本来みんなのもの。だから、福祉の切り捨てなどあってはならない。働かない者を働ける者が助けるというのは、何も人間社会に限った話ではなく、動物社会でも広く見られる。自然の摂理なのだ。それなのに、高度に成長した人間文明にあって、逆に福祉が減少していくとは、いったいどういうことなのか・・・。
 著者の考えには賛同できないところもありますが、結論として力説しているところには、心から同感します。今こそマルクスの見直しが必要だと私は思います。他者を排除するのではなく、福祉を大切にする社会をつくりあげていきたいものです。今のような弱いものに冷たい日本だと、出生率が落ちて2200年には日本人は700万人しかおらず、いずれ消滅するという予測が出ているではありませんか・・・。今こそ考え直すべきときです。今なら、まだ間に合います。

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2006年1月10日

アラン・デュカス

著者:小椋三嘉、出版社:新潮社
 フランス料理の有名シェフの素敵なレストランとご馳走を紹介した大判の写真集です。私は1ヶ月間ほど、寝る前の10分間、この本を手にとって燦々と陽のさす南フランスの開けた野山を前にしたテラス・レストランで手のかかった料理を美味しくいただいている姿をしっかり目に焼きつけて布団に入っていました。これで幸せな眠りが保障されるのです。3800円もする高い本ですが、1ヶ月ほども美食を目で堪能できたわけですので、それを考えたら安すぎて申し訳ないほどです。でも、一度は現地のホテルに出かけてみたいと本気で思っています。
 道路の両側にはオリーブの木が育ち、ラベンダーの花が咲き誇っている。あたりにはハーブのにおいが立ちこめる。観賞のためではなく、レストランでつかう自家製オリーブオイルやラベンダーエッセンスになる。レストランの周囲にある広々とした庭には、鹿や馬やロバなどが飼育され、手入れの行き届いた菜園には、トマトやナス、ニンジン、ジャガイモといった見慣れた野菜から、ハーブや薬草、今は市場から消えてしまった珍しい品種まで、さまざまな種類の野菜や果物が育つ。バジルだけで15種類、トマトになると35種類もの品種がある。そのほかバラ園をはじめ、観賞用の花などを楽しむこともできる。
 夏には、はるか遠くの山まで見渡すことのできるテラスで、その雄大な景観を眺めながら食事が楽しめる。
 秋は、何と言ってもジビエ料理。そのなかでも小鳩は比較的くせがなく、食べやすい。小鳩のもも肉をココット鍋で焼いてから、オーヴンで火を通す。そこへニンジン、新タマネギを入れ、再びオーヴンへ。フォアグラの両面を軽く焼いた後は、その旨みと香りをグリーンピースに移しながら炒め、鶏のフォンで煮る。別々に調理した食材をココット鍋に戻して完成。
 黄金色に焼きあがった小鳩のもも肉と、今にもとろけ出しそうなフォアグラが陶器製の鍋にすわり食欲をそそります。ニンジン、タマネギ、グリーンピースなど野菜もたっぷり。ああ、おいしそう・・・。
 もうひとつだけ料理を紹介します。あっと驚きました。巨大なフォアグラが丸ごとこんがり黄金色に焼きあがり、黒コショウと白い食塩が美しさを引きたて、もちろん食欲もかきたてています。
 丸のままで500グラムほどもある鴨のフォアグラをポワレして表面に焼き色をつける。それから200度のオーヴンで7分間。イチジクを24時間つけ込んだポルト酒を、イチジクごとポワレで煮詰めながらとろみを出したソースをかける。仕上げにフルール・ド・セル(塩)と黒コショウを振ってサービスする。口の中でとろりとしたフォアグラとポルト酒づけのイチジクの甘みが官能的に溶けあったところに、カリカリとした塩とコショウが食感と味わいにパンチを利かせる。
 あー、もうたまんないですね。見るたびに口のなかによだれがたまってきます。うーむ、食べてみたい。そんな叫びをあげてしまいました。ナイフを入れると、トロトロのフォアグラが溶けだし、鼻腔の奥まで芳しい香りが届きます。ああ、なんと頭がクラクラしてきます。だ液がたまってきて、そっと舌の上に乗せます。うーむ、舌になじむ・・・。至福のとき。赤ワインはほんの少しでいいのです。でも、これだと、やっぱり、グラス3杯は軽くいってしまうでしょうね。でも、それだけでいいのです。舌がバカになってしまっては、せっかくの料理の良さが分かりませんからね。
 南フランスはいいですよ。ぜひ、もう一度行ってみたいですね。なにしろ、夏は夜10時近くまで明るいんです。そのうえ、めったに雨が降らないのです。ですから、観光客として、こんなに過ごしやすいところはありません。エクサンプロヴァンスに4週間滞在したのも、今から13年も前のことになりました。また行きたいと本当に思っているのです。はい。ご一緒にいかがですか・・・。

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2006年1月 7日

民族浄化を裁く

著者:多谷千香子、出版社:岩波新書
 著者は検事になったあと、ヨーロッパで旧ユーゴ戦犯法廷判事をつとめて退官し、現在は法政大学法学部の教授です。
 実は私は著者と司法試験の口述試験を受ける直前に一緒に口述試問の練習をしたという記憶があります。そのときから英語もフランス語もペラペラで、世の中にはすごい人もいるんだなあと感心したことを覚えています。
 民族浄化の実像は、血で血を洗うバルカンの歴史が生んだ民族の怨念の再来とか歴史の必然などと片付けられるものではない。それは当時の指導者が仕掛けた権力闘争がわざと引き起こしたものにすぎない。共和国の独立による旧ユーゴ連邦分裂の危機を千載一遇のチャンスとして積極的に利用し、他民族の攻撃から自民族を守ることを口実に自分の権力基盤の確立を目ざして、国土の分捕り合戦をしたのだ。他民族が集団殺害を計画していると嘘の宣伝をして、あたかも身に危険が差し迫っているかのような現在の不安を強調したり、他民族に天下をとられて二級市民の悲哀をなめることになるかもしれないという将来の不安を煽った。そして、過激で分別のない若者や前科者などの無法者が民族浄化の実行部隊として使われ、野放しのまま放置された。指導者たちは、表では彼らの犯罪の取り締まりを約束しながら、裏では実行部隊を利用した。
 民族のモザイクといわれる旧ユーゴでも、ボスニアを除けば、それほど異なる民族が入り組んでいるわけではない。
 そして、ユーゴの民族の違いは、客観的事実というよりは、歴史的に作られた各民族の自己認識の問題といった方が正確である。セルビア人、クロアチア人、スロヴェニア人、マケドニア人、モンテネグロ人は、いずれも5〜7世紀にこの地に南下してきた南スラブ人の一分派であって、血統的にはすべて南スラブ人。言語も南スラブの方言程度の違いしかない。ええーっ、そうなんだー・・・。ちっとも知りませんでした。まったく別々の民族がいりくんでいるのだとばかり思っていました。
 しかし、彼らが独自の民族として自覚し、主張するのは、別々の歴史を歩いてきたことによる。セルビア、マケドニア、モンテネグロは500年にわたってトルコの支配下におかれ、スロヴェニア、クロアチアはオーストリア・ハンガリー帝国の支配下におかれていた。この違いが大きい。歴史の違いは、埋めることの難しい、宗教や文字を含めた文化の違いをもたらし、各民族の自意識にしみ込んでいった。
 モスリム人も、血統的にはセルビア人やクロアチア人と変わらず、トルコ支配下でイスラム教に改宗した者の子孫にすぎない。トルコは、異教徒には比較的寛大だったが、イスラム教への改宗者には課税しなかった。
 旧ユーゴの崩壊は、国際社会の対応のまずさを抜きにしては論じられない。胎動してきたボスニア紛争の大きな引き金を引くことになったのは、ドイツによるクロアチアの独立承認である。ドイツに批判的だった他の先進諸国も、ドイツに追随してクロアチアの独立を承認したことは、致命的な状況判断の誤りであり、紛争がボスニアに拡大するのをほとんど決定的なものにした。
 民族浄化をすすめた民兵の残虐行為はナチスに酷似している。それが特殊な出来事ではなく、人間性に本来的に根ざしたものであり、これからも起こる可能性がないとは言えないことを示す。暗い一面であっても、変わらないものなら、それを直視する以外、正当な対処方法はない。将来の紛争の予防策は、同じような残虐行為を繰り返しかねないこの人間性を直視することから始めなければならない。
 ユーゴ戦犯法廷の判事の一人に日本人がいて活躍していたこと、それがこのようなコンパクトな形で日本人に知る機会を与えてくれたことに感謝します。

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なぜフィンランドの子どもたちは「学力」が高いか

著者:教育科学研究会、出版社:国土社
 2004年暮れ、OECD(経済協力開発機構)は2回目の国際学力比較調査(PISA)を発表した。
 日本は「読解リテラシー」が8位から14位に、「数学リテラシー」が1位から6位に低下した。新聞各紙は、日本の学力が世界のトップから転落、と報道した。
 これに対して、フィンランドは、「数学リテラシー」が2位、「読解リテラシー」と「科学リテラシー」は1位、「問題解決能力」は3位、総合して1位だった。
 これまで、日本と韓国は理科と数学のテストで突出していた。しかし、それはなんらかを犠牲においてかちとられたものであった。それは人格形成において、である。両国とも塾教育がすさまじい。そして、詰めこみ教育、無理にたたきこむ。したがって人格形成において欠陥がうまれる。批判的な能力とか忍耐とか思いやりというのが本当の意味での学力を形成する。そこには、もちろん社会批判も入っている。さまざまな困難をかかえている現代社会で、それらを解決するのにふさわしい知識や技能や態度を教育のなかで、どうやって子どもたちに身につけさせていくのか、それを今、真剣に考えなければいけない。
 PISAで、日本の場合、記述式の設問について無回答が多い。それは、日本の子どもたちが考えることを放棄してしまうから。格差が広がり、全体として低下したというより下が多くなってしまった。これを放っておいて全国テストなんて、とんでもないことだ。
 1992年から、北欧では教科書検定は一切なくなった。各国とも、国語教科書のなかに公民教育、自然の教育、いのちを大事にすることが取りあげられている。「生きる力」を育てることを貫いている教科書だ。
 教育費は、給食費をふくめて、すべて無償で、公費でまかなわれている。義務教育費は国が57%、地方が43%を負担し、高等教育は国が100%負担している。
 総合性の教育は、授業中、先生が説明しているときでも、できる生徒が席を移ってもできない子に教えにいく。子ども同士で教えあうことは、子どもにとって喜びでもある。
 教科書は教師が自由に選ぶ。基礎的な教科書は貸与される。学習書的なものは交付される。宿題や塾は、ほとんどない。子どもたちは朝9時から午後2時まで学校にいる。先生は放課後は翌日の教材を準備する。そのあと時間があったら、子どもの家庭を訪問する。教師は夜になると地域の親たちを教える。アルバイトだけど、国が100%補助する。
 教員の社会的地位、信頼の高さは、教職をもっとも優秀な人がつく職業にしている。これは、日本のような「でもしか」教師ではないということです。
 フィンランドの学力世界一の優秀さは、次の3点にある。第1は、学力水準(平均点)の高さ。第2は、学力格差の少なさ、第3は、社会経済的背景の影響における教育の優秀さ。
 地域には、図書館とその分室が、コンビニ(スーパー)よりも多いほど。国民が図書館をしており、本をよく読んでいる。小学校のクラスは20人ほど、中学と高校は16人が標準。小学校で70人、中学も高校も150人程度。校長も授業を担当し、学級を担任する。
 うーむ、フィンランドの教育と日本との違いがよく分かりました。それなら、いま小泉内閣のすすめていることはいったん凍結して、本書での提案をもう一度考えてみるべきではないか。つくづく、そう思いました。

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ジャンヌ・ダルク

著者:高山一彦、出版社:岩波新書
 おけましておめでとうございます。本年も楽しみながら続けるつもりですので、どうぞご愛読ください。
 オルレアンの少女、ジャンヌ・ダルクについて私たちが詳しく知ることができるのは、彼女が裁判にかけられ、何人もの証人が調べられて、それが書面で残っていることによります。しかも、その裁判は、実は2回あったのです。1回目は処刑されたときのことですが、処刑されたあと、彼女の復権(名誉回復)のための裁判がもう1回あっているのです。敵に捕まって、いきなり処刑されたというわけではありません。裁判があったというのは面白いことですよね。2回とも、いわゆる教会裁判です。1回目の処刑裁判は、ジャンヌ自身が追求に答えて語ったところが詳しく調書に記載されて残っています。
 2回目は、ジャンヌの母親がローマ教皇に訴えて、ジャンヌが火刑されて25年後に行われた「やり直し裁判」です。そこでは、故郷の幼なじみや、オルレアンでともに戦った戦友・市民たちなど、100人をこす人が証人として証言していますが、この記録も残っているのです。これが、ジャンヌ・ダルク処刑裁判記録として全2巻の大部な本になっているそうです。私たちは、その要点を岩波新書で簡単に知ることができるわけです。
 ジャンヌ・ダルク自身が剣をふるって敵と戦ったことはない。旗印しを好んで手にしていたのは、敵を傷つけないためとジャンヌ自身が法廷で供述している。
 ジャンヌ・ダルクが登場するのは、1429年春、4月29日のこと。ロワール川中流にあるオルレアンの町をイギリス軍が包囲して半年に及んでいました。
 ジャンヌの処刑裁判は、1431年2月21日午前8時から、ルーアン城内の国王礼拝堂を法廷として始まった。このとき、修道院長ら聖職者が42人出席している。
 ジャンヌの生まれたトンレミ村は現在、人口200人前後のささやかな集落。オルレアンの町の包囲が半年も続いて絶望状態と思われていたのに、ジャンヌの出現によって10日足らずで解放された。
 火刑を執行したイギリス側は、火刑の最中に火勢をいったん止めて、焼けた死体を見物人に示して、娘が死んだことを確認させ、遺骸の灰を残らずセーヌ川に捨てさせた。これは、当時すでにジャンヌを聖女視する風潮が大衆のあいだに芽生えていたことを物語るもので、イギリス側は、ジャンヌの遺骸が聖者の遺物として崇敬の対象となることを防ごうとした。
 1455年6月11日、オルレアンにいたジャンヌの母からの再審の訴えをローマ教皇カリクスト3世は認め、ジャンヌ復権の裁判が始まった。1456年7月7日、判決が下された。
 前の裁判と判決は名実ともに欺瞞、中傷、不正、矛盾、明確な過誤を犯すものであり、被告の改悛、その断罪および諸結果を含め、過去および現在にわたり無効であり、否認されるべきものであることを宣言する。
 国王による調査から数えると復権の成立まで7年の歳月をかけ、あらゆる階層にわたってのべ110名あまりの証人を調べた裁判の結果の判決でした。
 実は、ジャンヌ・ダルクの処刑裁判のとき、ジャンヌの改悛事件というのが起き、いったんは火刑を免れそうになったのです。破門判決文の朗読のさなかに火刑台を目の前にすえられて火刑の恐怖に怯え、自分が聴いたと称してきた「声」は作り話であったと否認し、男の服装も捨てると誓約したということです。ところが、数日後、牢内で誓約を破って再び男の服装を身につけたことから、ジャンヌは今度こそ救済の余地のない戻り異端として教会からの破門という判決を受け、火刑に処せられました。
 ジャンヌは火刑台の上で息絶えるまで、「イエズス様、イエズス様」と叫んでいたと後の復権裁判のとき、修道士たちが証言しています。
 この本は、ジャンヌの改悛なるものは、かなりの混乱のなかで、ほぼ強制的に行われたものだとしています。そして、裁判記録にも重大な書き換えがあると指摘しています。いわば今日にも見られるような政治的裁判劇であったということでしょう。
 人間ジャンヌの素顔を知ることのできる面白い本です。

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