弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2006年1月 7日

なぜフィンランドの子どもたちは「学力」が高いか

著者:教育科学研究会、出版社:国土社
 2004年暮れ、OECD(経済協力開発機構)は2回目の国際学力比較調査(PISA)を発表した。
 日本は「読解リテラシー」が8位から14位に、「数学リテラシー」が1位から6位に低下した。新聞各紙は、日本の学力が世界のトップから転落、と報道した。
 これに対して、フィンランドは、「数学リテラシー」が2位、「読解リテラシー」と「科学リテラシー」は1位、「問題解決能力」は3位、総合して1位だった。
 これまで、日本と韓国は理科と数学のテストで突出していた。しかし、それはなんらかを犠牲においてかちとられたものであった。それは人格形成において、である。両国とも塾教育がすさまじい。そして、詰めこみ教育、無理にたたきこむ。したがって人格形成において欠陥がうまれる。批判的な能力とか忍耐とか思いやりというのが本当の意味での学力を形成する。そこには、もちろん社会批判も入っている。さまざまな困難をかかえている現代社会で、それらを解決するのにふさわしい知識や技能や態度を教育のなかで、どうやって子どもたちに身につけさせていくのか、それを今、真剣に考えなければいけない。
 PISAで、日本の場合、記述式の設問について無回答が多い。それは、日本の子どもたちが考えることを放棄してしまうから。格差が広がり、全体として低下したというより下が多くなってしまった。これを放っておいて全国テストなんて、とんでもないことだ。
 1992年から、北欧では教科書検定は一切なくなった。各国とも、国語教科書のなかに公民教育、自然の教育、いのちを大事にすることが取りあげられている。「生きる力」を育てることを貫いている教科書だ。
 教育費は、給食費をふくめて、すべて無償で、公費でまかなわれている。義務教育費は国が57%、地方が43%を負担し、高等教育は国が100%負担している。
 総合性の教育は、授業中、先生が説明しているときでも、できる生徒が席を移ってもできない子に教えにいく。子ども同士で教えあうことは、子どもにとって喜びでもある。
 教科書は教師が自由に選ぶ。基礎的な教科書は貸与される。学習書的なものは交付される。宿題や塾は、ほとんどない。子どもたちは朝9時から午後2時まで学校にいる。先生は放課後は翌日の教材を準備する。そのあと時間があったら、子どもの家庭を訪問する。教師は夜になると地域の親たちを教える。アルバイトだけど、国が100%補助する。
 教員の社会的地位、信頼の高さは、教職をもっとも優秀な人がつく職業にしている。これは、日本のような「でもしか」教師ではないということです。
 フィンランドの学力世界一の優秀さは、次の3点にある。第1は、学力水準(平均点)の高さ。第2は、学力格差の少なさ、第3は、社会経済的背景の影響における教育の優秀さ。
 地域には、図書館とその分室が、コンビニ(スーパー)よりも多いほど。国民が図書館をしており、本をよく読んでいる。小学校のクラスは20人ほど、中学と高校は16人が標準。小学校で70人、中学も高校も150人程度。校長も授業を担当し、学級を担任する。
 うーむ、フィンランドの教育と日本との違いがよく分かりました。それなら、いま小泉内閣のすすめていることはいったん凍結して、本書での提案をもう一度考えてみるべきではないか。つくづく、そう思いました。

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