弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
ヨーロッパ
2024年11月 4日
中世の騎士の日常生活
(霧山昴)
著者 マイケル・プレストウィッチ 、 出版 原書房
リアルな騎士の生活を紹介した本です。興味深く読み通しました。
中世のヨーロッパには紛争が絶えなかった。なので騎士は苦労せずに雇い主を見つけられた。フランスとイングランドの争いは1337年に始まり100年間も続いた(百年戦争)。
フランス側からみると、敵のイングランド王家はフランス王に謀反を起こしている臣下である。イギリス側からすると、フランス王家の血を引くイングランド王がフランスを自分のものだと考えるのは、しごく当然のこと。だから、国家間の紛争というより、フランスの内戦のようなもの。1346年のクレシー、1356年のポワティエそして1415年のアジャンクールの戦いでの三度のイングランドの大勝利によって、区切りがついた。
剣術は万人向けの武術ではない。エリート兵だけの技術である。
騎士に読み書きは必須である。点呼名簿を保管し、令状に目を通して、それに従い、合意や契約を結ぶ必要がある。
騎士になるには、①体力があり、②馬を扱え、③槍と剣をうまく使え、④宮廷作法を身につけていることが必要。
イングランドでは、年間40ポンド以上の価値のある土地を所有している者は騎士になれる。つまり、身分が低い、あるいは怪しげな出自をもつ者でも騎士になるのは、フランスよりも簡単。
叙任の儀の前には沐浴(もくよく)し、しばらく湯船につかる。日頃は風呂に入ることはあまりなくても、罪を清めるために沐浴は必要。
ひとたび騎士になったら、旗(バナレット)騎士へと出世する道が開かれる。
フランスのブシコー元帥、ベルトラン・デュ・ゲウラン総司令官の2人ともそれぞれの法廷をもっている。元帥は、軍事にかかれる幅広い分野の司法権がある。
1306年、のちのエドワード2世が王太子に叙任されたときの祝宴には、うなぎ5000匹、タラ287匹、カワカマス136匹、サケ102匹が供された。肉はどうしたのでしょうか...。
クロスボウ(石弓)は、恐ろしいほど重くて太い矢を放つ。イングランド軍は長弓を使う。サラセントは、異なるタイプの短い弓を使う。
甲冑(かっちゅう)の総重量は22~27キロくらい。暑いときに、身につけると窒息する恐れがある。甲冑は完全に身を守ってくれるものではない。1337年、ウィリアムは1本の矢が三枚重ねの鎧下と三層の惟子を貫通して死んだ。
テンプル騎士団は、14世紀初めに解体された。たくさんの土地を所有し、一大金融機関になっていたので、フランス王フィリップ4世がその資源に目をつけた。テンプル騎士団員54人は、1310年5月12日、異教徒の罪で火あぶりにされた。
騎士が特定の領主に仕えると決めたら文書で契約を交わしておくのが最善。2通つくって、各自1通ずつもっておく。
1346年、エドワード3世は、兵役に就くことを条件に1800人の犯罪者に恩赦を与えた。
行軍の速度は、1日8~10キロほど。ところが、1355年に突撃した黒太子は1日に40キロも進んだ。
略奪と横領は戦争につきもの。
1358年のフランス農民一揆のとき、農民たちが騎士を火あぶりにして、その肉片を妻子に無理やり食べさせた。騎士に同情する必要なんてないと考えたのだ。
十字軍といっても、ほかのキリスト教徒に対する十字軍もあった。騎士には十字軍に参加する義務はない。
敵を捕虜にしたら、身代金を要求できる。アジャンクールの戦いで、フランス軍の反撃を恐れたヘンリー5世は捕虜の殺害を命じた。これは多額の身代金を得るチャンスを失うという点で、財政的には愚かな判断だった。捕虜や身代金は売買もできた。
「実践非公式マニュアル」というものですから、かなり騎士の実情を明らかにしているように読みながら思いました。
(2024年4月刊。2500円+税)
2024年10月30日
リーゼ・マイトナー
(霧山昴)
著者 マリッサ・モス 、 出版 岩波書店
NHKの朝ドラ、「虎と翼」の主人公の女性は、戦前の日本で苦労して大学に入り、司法試験を受け、ついに弁護士、裁判官になることができました。ヨーロッパでも似たような状況があったことが分かる本です。
この本の主人公のマイトナーは、ウィーン大学を受験し、1901年に入学しました。14人の女性が受験して4人が合格し、マイトナーは物理学を学んだのです。ところが、教授も学生も、ほとんどが白い眼でみるのです。それでも、マイトナーはウィーン大学で物理学の博士号を取得しました。
やがて共同研究者となるハーンと出会い、ともに放射能の研究をすすめます。
アルベルト・アインシュタインはマイトナーと同じ年齢。31歳で、すでに有名でした。
さらに1922年、マイトナーはベルリン大学の教授になりました。ドイツで初めての女性の物理学教授です。
ところが、1933年にヒトラーが政権を握ると、ユダヤ人迫害が始まります。マイトナーはユダヤ人です。ところが、心配はしたものの、すぐにドイツを脱出しようとは考えませんでした。それより研究室を失って、ゼロから再出発するほうを恐れたのでした。考えが甘かったのです。
マイトナーはオーストリア人でしたが、1938年3月、ヒトラー・ドイツがオーストリアを併合。マイトナーのパスポート(オーストリア国籍)は無効になりました。いよいよマイトナーは追いつめられます。大学での仕事はできず、出国も出来ません。さあ、どうする...。マイトナーを密出国させようという取り組みが始まりました。
マイトナーの研究所の同僚にはナチのスパイもいて、マイトナーの動きを監視しています。変な動きがあれば、すぐに警察に密告・通報するのです。
列車での逃亡のときは、マイトナーが女性であったことが幸いしたのでした。検問にひっかかることなく、危機一髪で脱出できました。
そして、ついに原子が分裂すること、そのとき信じられないほどの強力なエネルギー源になることを発見したのです。そうなので、マイトナーこそ、核分裂を発見した女性科学者でした。
でも、これは人類にとって悪夢の始まりでもありました。原水爆が開発される道を開いたというわけですから...。
1945年8月6日、広島に原爆が投下された。このニュースをスウェーデンで聞いたマイトナーは泣きだした。マイトナーの「美しい発見」が原爆をもたらした。
マイトナーは「原爆の母」と呼ばれるようになった。
マイトナーの共同研究者だったハーンは1946年12月、ノーベル賞を受賞したが、このときハーンはスピーチのなかでマイトナーについてまったく言及しなかった。ただし、賞金からかなりの金額をマイトナーに渡した。せめてお金を分けようとした。
マイトナーは、受けとったお金をユダヤ人と亡命科学者の定住支援のために寄付した。
いま、マイトナーの名前は、原子番号109の元素マイトネリウムとして残っています。これは永遠・不滅です。初めて知る話でした。ヒトラー・ナチスのユダヤ人絶滅策は人類の貴重な英知をたくさん失ったのだろうとも思い至りました。
(2024年3月刊。2200円+税)
2024年10月26日
海賊の日常生活
(霧山昴)
著者 スティーブン・ターンブル 、 出版 原書房
海賊とは何者なのか...。世間で「海賊」と呼ばれる者たちは、決して自分を海賊だとは言わない。バッカニアは、自分を海賊だとは思っていなかった。自分のために財宝を盗んでいるわけではないから。政府のために働き、襲撃する正式な許可、私掠(しりゃく)免許状をもっていた。
1243年、イギリスのヘンリー3世は、イギリス海峡でフランス船を襲撃する許可状を与えた。その見返りとしては、王に略奪品の半分を差し出せばよかった。
イギリスではドレークは偉大な英雄だが、スペインでは悪党だった。
海賊になる人は、みな、なりたくてなるのではない。多くの人々は、絶望の果てに海賊になる。船乗り稼業しか知らない男たちは、海賊団に入るより他に道はなかった。
海賊は強制徴募という手段は使わない。説得して海賊団に加わらせる。
多くの海賊の末路は、公開の絞首刑に処せられるというもの。
海賊船の船長は、乗組員の投票で選出される。それには乗組員から尊敬を得ていること。船長は勇敢さと狡猾さを示し、乗組員の管理や船の舵(かじ)取りの能力をもち、戦い方を知っていなければならない。また、戦利品の記録や乗組員の借金の管理をしなければいけないので、せめて読み書き計算の能力が求められた。
健康なコンゴウインコは、30年も生きる。多くの乗組員はサルを飼って、うまくやっている。
船乗りは、火事にあう危険も多い。
海賊は、風向きには特に注意を払う。そして、船団から遅れた船を狙って襲撃する。
東インド会社の船を攻撃するのは、きわめて愚かなこと。十分に武装しているし、海賊には慣れているし、護衛艦もいる。
節操ある海賊は攻撃する前に、海賊の旗を掲げる。
海賊なるものの実情を知ることができました。
(2024年6月刊。2500円+税)
2024年9月28日
ナチスを撃った少女たち
(霧山昴)
著者 ティム・ブレイディ 、 出版 原書房
このタイトルから、てっきり小説だと思って手にとって読みはじめたのですが、ノンフィクションなのです。ナチス占領下のオランダで、銃を手にとってナチスの将校そしてスパイ・裏切り者たちを撃ち殺していった3人の少女たちが描かれています。
当時、20歳の大学生と17歳と15歳の少女が主人公。20歳のハニーは現場からは逃げられたものの、ついに検問にひっかかって正体がバレて銃殺されました。あと2人の姉妹は長生きして、姉は2016年に92歳で亡くなり、妹も2018年に同じく92歳で亡くなっています。
若い女性がまさかテロリストだとは思われなかったので生きのびていったのですが、ナチスの将校を殺害すると、ナチスは報復として無関係の市民を10人ほども殺害するので、世間の評判は必ずしもよくなかったそうです。なので、途中からは裏切り者の粛正(殺害)を主としています。ちょうどアンネ・フランクが隠れ家に潜んで生活していたころの話です。オランダでレジスタンス活動がこんなにも活発だったということを初めて知りました。
とはいっても、実はオランダにいたユダヤ人の生存率は他国よりも明らかに低かったのです。ナチスが支配しはじめたときにユダヤ人が8万人いて、助かったのは、わずかに5千人だけ。オランダにいたユダヤ人の75%がホロコーストで命を失った。オランダから絶滅収容所に送られたユダヤ人は10万人にのぼった。
1945年5月5日、オランダは連合軍によって解放された。ドイツの支配が5年続いた。ハニーがナチスによって銃殺されたのは、その少し前の4月のこと。姉妹の母親も左翼の活動家だった。
ドイツがオランダに侵攻してくると、オランダ女王は国民をナチスの前に放り出して、いち早く安全なロンドンに脱出していった。900万人のオランダ人は、あっという間にドイツ軍の支配下に置かれた。5ヶ月間は続くと予想されていた戦いは5日間でケリがついた。なにしろ、オランダには自転車連隊2個があるだけ、しかも、そのひとつは軍楽隊がついていた。
主人公の若い3人の女性が活動していたハールレムはオランダ西部の海に近い低地にある、由緒ある古都。チューリップ栽培が今日まで経済の要となっている。
ハニーは、アムステルダム大学に入学した。そして、政治活動と勉学に明け暮れた。ハニーは、左翼の女子学生の研究会のリーダーだった。
ナチス支配下のオランダには保安警察と秩序警察の二つがあった。レマンと呼ばれたオランダ人スパイを多数かかえていた、IDカードを持たない人々は身を隠す人(オンデルダイカー)と呼ばれた。この人々をレジスタンスはかくまった。
レジスタンスに加わる意思が本物か、スパイではないかというテストは過酷だった。
「きみたちは人を撃てるか?」
レジスタンスには、豪胆さと粘り強さが不可欠だった。レジスタンス運動の初期には、武器の入手先は、敵のドイツ兵しかなく、奪うしかなかった。レジスタンスは小さなグループがいくつもあり、内部で抗争もしていた。
レジスタンスは、毎日のように地下新聞を発行していた。地下室の印刷機や、ステンシル転写機を使っての発行だった。
綱渡りのような危ない日々がずっと続いていた。3人のうち2人の姉妹が戦後まで生きのびたのは、まさしく奇跡的です。
それにしても、20歳前後というと、男性でも女性でも、危険をものともせずに突進するのですね。私も同じ年代のとき、鉄砲ではありませんが、「明寮攻防戦」のとき、階段の上にいて、下から攻撃してきた日大全共闘の学生とゲバ棒でやりあったことをつい思い出してしまいました。今なら絶対にしませんし、できませんが、当時は怖さを感じることもなかったですね。それが若さというものなんだろうと思います。
若いオランダ人女性たちの命がけのナチスへのレジスタンス活動を知って息を呑む思いをしました。
(2024年8月刊。2200円+税)
2024年9月19日
デンマーク人はなぜ4時に帰っても成果を出せるのか
(霧山昴)
著者 針貝 有佳 、 出版 PHPビジネス新書
デンマークっていう国は、九州ほどの面積に590万人が住む。千葉県より人口は少ない。
そして、カフェーでカフェラテ1杯とサンドイッチを注文すると2500円もする。そして、この2500円は最低ラインの時給でもある。消費税は25%、給料の半分を税金でもっていかれる。いやあ、これって、びっくりする高率ですよね。
ところが、教育費はタダだし、医療費も無料。老後も心配いらない。人生何とかなるという安心感がある。ふむふむ、それだったら、高率の税金でもいいかな...と思いますね。
そして、デンマークは、国際競争力もデジタル競争力も、ともに1位。今後5年間のビジネス環境は3位。では、日本というと...。ビジネス効率性はなんと47位。国際競争力も日本はどんどん低下していますよね。独創性を喪い、インターネット産業(とくに半導体)では台湾にも韓国にも大きく遅れをとっていますよね、残念ながら...。
この本を読むと、日本人は本当に大切なことを見失っている気がしてなりませんでした。
デンマーク人にとって、第一に優先するのは家族。なので、夕食を家族ともどもとるのは当然のこと。子どもを学校や保育園にお迎えに行くのも母親とは限らず、父親だって行く。保護者会に出席するのも当然、父親も参加する。第二に優先が仕事で、第三に娯楽や自分のしたいことが来る。なので、友達に会ったりするのは優先順位が低い。
デンマーク人は、仕事のつきあいはしない。仕事帰りに同僚と「一杯」なんて習慣はデンマークにはないのです。
仕事は午後4時に終了するのが一般的。その後はフリータイム。金曜日は午後2時には退社する。
生産性の高い源泉は「仕事への喜び」。いつだってリフレッシュしているから、生産性が高く、成果を出せる。社員は心から仕事に喜びを感じている。
会議で発言しない人は、次からは会議に参加しない。いても意味がないから...。
デンマークの組織は、少人数かつ実践的で、意思決定のスピードが速い。
ランチタイムは日本より少し早くて午前11時半に始まり、30分間。帰宅時間が早いからだ。ただし、仕事を家に持ち帰って、夜に仕事をするデンマーク人が少なくない。
デンマークでは、部下が上司の指示に従わないのは、よくあること。部下は上司の指示に、ただ使うのではなく、指示された仕事が本当にやる意味があるのかどうか判断する。
デンマークの組織は無理しない、無理させない関係で成り立っている。
デンマーク人は、初対面で職業を訊く。それは会社名ではなく、どんな仕事をしているのかを尋ねる。
デンマーク社会では、数年ごとに転職する人のほうが評価され、長く同じ職場にいると、「変化を受け入れられない人」と判断されて採用されにくい。同じ会社に10年以上いると、「このままではいけない」と感じてしまう。
デンマークの会社は、日本のような新卒を一括採用するということはしない。
湧き出る意欲と意志が「高い生産性」を生み出す。これはこれは、とんでもない違いですね。日本は、今のような詰め込みの学校教育をやめて、もっと自由に自分の頭で自主的に考える力を伸ばす教育に切り換えた方がいいと思います。一部のエリートを養成すればいいというのは、古い誤った教育感だと私は思います。
この新書がわずか1年近くで、すでに11刷だというのは、私と同じように考える日本人も少なくないということを意味しているように思いました。いかがでしょうか...。お勧めの新書です。
(2024年9月刊。990円)
2024年8月23日
戦争語彙集
(霧山昴)
著者 オスタップ・スリヴィンスキー 、 出版 岩波書店
ロシアのウクライナへの侵攻戦争が始まって2年半がたちました。毎日毎日、戦争の報道が続き、ときに原発(原子力発電所)に火の手があがって心配させられます。同じようにイスラエルのガザ地区への侵攻戦争でも、すでに死者4万人、その4割は子どもだといいます。本当に、一刻も早く、どちらも停戦してほしいです。
この本は、ウクライナの詩人が、ウクライナの人々の戦争体験をまとめたものです。戦争の悲劇と悲惨さが十分に伝わってきます。読んで、悲しくなります。
占領軍(ロシア軍)から家を追い出され、地下室に住まわされたあと、孫が、突然、尋ねた。「おばあちゃん、奴らの言葉(ロシア語)で、『僕を殺さないで』って、どう言うの?」
「スイーツとは、恐怖を覚えるときに食べるもの。次にいつ食べられるか分からないから。カロリーが必要だ。ミサイルが頭上を飛びかうことのなかった平和な子ども時代に戻りたくて、スイーツを食べる」
「戦争が始まって間もないころ、目一杯泣くだろうと思っていた。私は泣き虫だから。けれど、涙は一滴も出ない。泣いたのは一回だけ。長いシェルターでの生活のあと、戸外に出ると、陽が燦燦と降り注いでいる。一気に涙があふれ出た」
「子どもたちを劇場に招待して、劇を見せた。子どもたちが受けたトラウマを繰り返させることによって、子どもたちからトラウマを分離させた。そのトラウマに形を与えて視覚化した。劇の中では、すべての人々が生き返り、立ち上がる。そうすることで、子どもたちのトラウマは書き換えられた。子どもたちは、もうトラウマと共に生きる必要がなくなった」
広島、そして長崎にイスラエルを招待しなかったので、アメリカは原爆記念式典に欠席しました。おかしなことです。ロシアもイスラエルも同罪ではありませんか。イスラエルは防衛戦争をしていると強弁しています。かつての帝国日本もABCD包囲陣との防衛戦争と言っていました。同じでしょ。「防衛」とは便利なコトバです。敵基地攻撃論だって防衛のための戦争行為なんです。
岸田首相は、まったく見かけ倒しの典型でした。いつだって、何だってアメリカの言いなり。新しい自民党総裁(首相)だって、マスコミが「新しい、新しい」と言うだけで、旧態依然の古い自民党そのものであるに決まっています。
大きく目を見開いて、ごまかされないように、騙されないようにしましょうね。
(2024年1月刊。2200円)
2024年7月31日
ノルマンディ戦の6ヶ国軍
(霧山昴)
著者 ジョン・キーガン 、 出版 中央公論新社
映画「史上最大の作戦」をみたのは、私が高校生のころだったでしょう。圧倒的なスケールの戦闘場面には、まったく度肝を抜かれました。最近では、映画「プライベート・ライアン」です。あたかも観客にすぎない私自身が戦場の真っ只中に置かれているかのような迫真性がありました。
ナチス・ドイツ軍を率いる砂漠の鬼・ロンメル将軍が鉄壁の陣地で待ち構えているところに突撃・突進していく連合軍兵士はどんなに心細かったことでしょう。そして、部下を死地に追いやった総司令官のアイゼンハワー将軍は万一、敗れたときに備えて早々に挨拶原稿まで用意していたそうです。
ところが、「鉄壁の陣地」のはずのドイツ軍は、実はそれほどでもなかったのです。「軍事の天才」を自称するヒトラーがノルマンディーではなく、もっと東側に上陸してくると思わされていたことにもよります。ヒトラーは「天才」でもなんでもなく、ただの狂人でしかなかったのです。
それにしても、当時は天候の予測はかなり難しく、まさかこんな悪天候の日に上陸はないと確信してロンメル将軍をはじめ、何人もの高級司令官たちが現場を離れていました。
そして、現地からの報告を受けたドイツ軍司令部は「陽動作戦」だと信じていたので、対処が遅れたのでした。
この本を読んで、連合軍のグライダー部隊が「お粗末」だったことも知りました。敵(ドイツ軍)の背後、奥深いところに連合軍兵士を大勢送り込むはずだったのです。でも、現地上空で厚い雲に覆われて、目標を見逃します。そのうえ、グライダー操縦も機材も、不十分だったのです。1590機の兵員輸送機のうち、440機が大破したか撃墜されました。これはひどい損耗率ですね...。
ドイツ軍のレーダー探知を逃れるため、高度150メートルを30分間も飛び、いったん高度460メートルに上昇して目標地を視認し、さらに高度120メートルで目的に接近していったのです。
パラシュートが故障したら、どうなるのか...。その恐怖心に備えて、アメリカ軍は予備のパラシュートをもっていたが、イギリス軍にはなかった。
降下員たちの4分の1は、捻挫か骨折をしていた。各師団で、3000人以上の兵士が行方不明または死亡した。これまた、すごい高い損耗率ですよね...。
ノルマンディー上陸作戦に参加したカナダ兵5千人のうち、生存者は4割の2千人しかいなかった。1900人近くがドイツ軍の捕虜になった。交戦したカナダ兵の65%が損耗した。いやはや、これはひどい結果です...。
カナダの将兵が上陸したとき、連合軍の艦隊による艦砲射撃は、ドイツ兵をまったく殺傷していないことが判明した。あの艦砲射撃って、見るからに威力がありそうなんですけどね...。
1944年6月6日のノルマンディー上陸作戦の翌月、フランスでドイツ軍がまだ連合軍と戦闘していた7月20日、森の中の総統大本営(「狼の巣」)で、ヒトラー暗殺計画の爆発が起こり、未遂に終わった。ワルキューレ作戦の遂行と失敗です。ドイツ国防軍のなかにはヒトラーを亡きものにしようという確固としたグループがあったわけです。ところが、悪運の強いヒトラーは生きのびてしまいました...。
8月19日、パリ解放のため、フランス(パリ)警察の3つのレジスタンス組織が共同行動をとることで一致して、パリ警視庁の屋上に三食旗を掲げた。このとき、共産党主導のレジスタンスは一歩出遅れてしまい、ドゴール将軍がリードすることになったのでした。
ノルマンディー上陸作戦の前と後を、アメリカとイギリス軍だけでなく、連合軍に加盟していたカナダ軍、ポーランド軍、フランス軍などについても丹念にフォローしていて、画期的な本だと思いました。
(2024年3月刊。3600円+税)
2024年6月 5日
デンマークにみる普段着のデモクラシー
(霧山昴)
著者 小島文ゴート孝子 、 澤渡夏代ブラント 、 出版 かもがわ出版
デンマークに長く住んでいる日本人女性2人が身近なデモクラシーを語っています。
2人ともデンマーク人男性と結婚し、子どもたちはデンマーク国籍ですが、女性は日本国籍のままです。
多数決でものごとを決めることをデモクラシーと考えている社会や人びとが多いが、それはあくまでもデモクラシーの一片に過ぎない。デンマークのデモクラシーは、ある意味、真逆で、いかに少数派の意見をよく聞き、汲み取り、反映できるかをとことん話し合い、考えてものごとを進めていくことだ。そのプロセスがデモクラシーであり、どうしても話し合いで解決策が見出せないときの最後の切札が、多数決だ。
いやあ、まことに正論です。今の日本の国会のように、まともな議論もせずに、ただひたすら多数決で押し切っていくというのは、デモクラシーでも何でもありません。今の自由民主党には、少なくとも「民主」、デモクラシーの名称を使う資格はまったくありません。
2人の日本人女性がデンマークで長く暮らしていて常々思うことは、デンマークの女性が仕事面でもプライベート面でも、自立し、力強く、イキイキしていること。
どうでしょうか、日本の女性は...。もちろん、自立し、力強く、イキイキしている女性も決して少なくはありません。でも、まだまだ多くの女性が、自立しきれず、誰かに頼りがちで、その日暮らしをしているように思えてなりません。その一つの指標が投票率の低さです。
デンマークでは、医療・福祉分野における女性の割合は85%、教育分野では60%を占めている。女性の就労率は76%(2019年)。たいしたものです。賃金の男女格差も小さいと思います。
デンマークでは、学校運営にあたる理事会には、生徒代表も加わっている。
デンマークには、学校選挙という14~17歳のための疑似選挙プログラムがある。2021年の学校選挙には全国750校の「中学生」8万人が参加した。そして、この投票の結果は、テレビで実況中継される。
これは政治参加を体験できるものとして、日本でもぜひやってほしいです。
デンマークでは、青少年国会が2年に1度開催される。そして、子ども市議会もあります。デンマークでは、中学生からアルバイトするのは普通のこと。性教育は高校でも実施されています。
デンマークでは、教育は国の投資と考えられていて、大学をふくむすべての公立教育機関の学費に自己負担がない。留学するときも、国費留学のときには、大学相互で費用をカバーする。
デンマークでは、政治は国民の生活に直結した、身近なものに感じられている。
デンマークでは、教育も医療も無料で受けられるし、安心して暮らせるので、高い税金であっても払うのは当然と考えている。
私の大学生のころは、学費は月に1000円、年に1万2千円でした。それが今では国公立大学でも50万円とか100万円です。信じられません。あの欠陥オスプレイやトマホークを買うお金を教育予算にまわしたら、日本でもすぐに実現できることなんです。つくづく日本には民主(デモクラシー)がないと、怒りすら覚えます。
(2023年6月刊。1700円+税)
2024年4月 9日
ガザとは何か
(霧山昴)
著者 岡 真理 、 出版 大和書房
イスラエルのガザ侵攻がいつまでたっても終わりません。本当に心配です。
アメリカの国会議員(共和党)がガザに原爆を落としたらいいなんて、とんでもない発言まで飛び出しています。アメリカがイスラエルに停戦を要求しない(できない)ところに停戦が実現しない理由があるように思われます。
すでに死者は3万人をこえ、その半数近くが子どもと言われていますし、人道支援も微々とるものにとどまっているため、餓死者が続出する心配が現実化しています。
この本は昨年10月の2つの大学での講演録をまとめたものです。わずか40日という異例のスピードで緊急出版されました。
今、イスラエルがガザ地区でやっていることは、ジェノサイド(大量殺戮(さつりく))にほかならない。
ところが、今の日本のマスコミ報道の多くはハマスのテロ攻撃が原因だったとして、ジェノサイドに加担しているような状況にある。
イスラエルはパレスチナ人に対してアパルトヘイトをしている。イスラエルという国は特定の人種の至上主義にもとづく、人種差別を基盤とする国家である。
ガザ地区は、西岸とともに1967年以降、50年以上にわたって、イスラエルの占領下にある。そして、2007年から、イスラエルによって完全に封鎖されている。物資も人間も、イスラエルの許可する物しか搬入・搬出、入域・出域はできない。袋のねずみ状態にされているガザ地区に対して、イスラエルは海から空から陸からの大規模な軍事攻撃をこの16年間に4回も繰り返している。つまり、ガザの人道危機は、今回の出来事で始まったことではない。
ガザの人口は230万人。その7割が難民。ガザの人々の4割は14歳以下の子ども。ガザの平均年齢は18歳。
イスラエルはガザ攻撃で白リン弾を使っている。白リン弾は、空気に触れているかぎり鎮火しない。骨に達するまで肉を焼き尽くす。一度吸い込んだら、肺を内側から、体の中から焼き焦がしていく。
シオニズムは、はじめユダヤ人のなかで人気がなかった。正統派ユダヤ教徒はシオニストはもはやユダヤ人ではないと考えた。
シオニズムを推進した人々は、同化ユダヤ人で、非宗教的な人々だった。
シオニズムのプロジェクトは、パレスチナの民族浄化を本質的かつ不可避に内包していた。ユダヤ国家イスラエルの建国は、レイシズムにもとづく植民地主義的な侵略である。ユダヤ人が祖国をもった結果、パレスチナ人は第二のユダヤ人、いわば現代のユダヤ人にされてしまった。
ガザ地区自体が一つの大きな難民キャンプみたいなもの。その面積は東京23区の総面積の6割ほどでしかない。ガザの失業率は46%で世界最高。著者は、ほぼ失業している。ガザの住民の6割は満足に食事がとれない。乳幼児の過半数が栄養失調。糖尿病がガザの風土病になっている。
ハマースは、イスラーム主義を掲げる民族解放の運動組織。
イスラエルは、主権をもったパレスチナの独立国家など、つくらせるつもりは初めからなかった。
イスラエル軍は、パレスチナ人のデモ隊員を攻撃するとき、意識して若者の足を積極的に狙え...。
イスラム教では、自殺を宗教的に最大のタブーとしている。それでも、自殺者が毎年2万人ほどもいて、とりわけ若い人に自殺が増えている。
地獄とは、人々が苦しんでいるところのことではない。人が苦しんでいるのを誰も見ようとしないところのことだ。
ガザは、巨大な実験場。イスラエルの最新式兵器の性能を実践で実験するところ。
ガザについて、「天井のない世界最大の野外監獄」だとよく言われる。しかし、今の状況は監獄どころではない。囚人が無差別に殺される、なんて監獄があるはずもない。
私たちに出来ることはまず、正しく知ること。少しずつ学んでいく。これを継続する。
イスラエルに即時停戦、そして撤退を強く求めます。
(2024年3月刊。1400円+税)
2024年3月 3日
西部戦線、異状なし
(霧山昴)
著者 レマルク 、 出版 新潮文庫
ご承知のとおり、戦争文学の古典です。昨年(2023年)9月に75刷になっています。初版は昭和30年(1955年)9月ですから、私が小学生のころに刊行されています。前に一度読んだことがあると思うのですが、最近誰かが紹介していましたので、改めて読んでみました。
ウクライナへのロシアの侵攻が止まらないうえに、イスラエルによるガザ地区ジェノサイドも現在進行形です。毎日、小さい胸を本当に痛めています。
地震災害は天然自然が起こすものなので、根本的には止められず、対処法を考えるしかありません。でも、戦争は人間が始めたものですから、必ず止めることができるはずです。
武力には武力で対抗するという考えに取りつかれている人のなんと多いことでしょう。日本の軍事予算は5兆円でも多すぎるのに、8兆円へとふくれあがってしまいました。5年間で43兆円、しかも、その内容はかの不要不急かつ未完成というか危険なオスプレイを大量購入するだけでなく、トマホークを400発もアメリカから買わされます。とんでもない税金のムダづかいです。
戦争が始まったら、前途ある青年が大量に殺し、殺され、容易に終わらせることが出来ません。そして、戦争のかげで軍需産業とそれに結びついた自民党などの「政治屋」たちがぬれ手にアワでもうけるのです。嫌ですね、嫌ですよ...。
兵隊がもっとも喜ぶのは、うまい食事と、休息。
戦線に背を向けて帰ってくると、戦線の恐ろしさは消えてしまう。僕らは、戦線の恐ろしさを下等な残酷なシャレ(洒落)で茶化してしまう。軍隊新聞にも出ているような兵隊の面白いユーモアなるものは、みんな大嘘だ。ユーモアを持っていなければ、生きていられないからだ。ユーモアがなければ、僕らの体は長続きしない。
「考えてもみろよ。俺たち、みんな貧乏人ばかりだ。敵のフランス兵だって、たいてい労働者や職人、下っぱの勤め人だ。俺は前線に来るまで、フランス人なんか一度だって見たことがない。向こうのフランス兵だって、俺たちと同じことだろう。奴らだって、俺たちと同じように、何がなんだかさっぱり知りゃしねえんだ。つまり、無我夢中で俺たちも奴らも戦争に引っぱり出された」
「これは、戦争でトクをする人間がいるからにう違えねえな」
「それに、将軍たちだって有名になる。戦争のおかげだ」
「そうか、戦争の裏には、戦争でトクしようと思ってる奴が隠れてるんだな」
僕らが兵士になったのは、感激と善良なる意思によってだ。けれども、兵士になって受けた訓練によって、僕らは心の中から、そんなものを追い出すように、あらゆる迫害を受けた。
僕らは、戦争のおかげで、何をやろうとしてもダメにされちゃった。僕らは、もう青年ではなくなった。世界を席巻しようという意思はなくなった。僕らは世界から逃避しようとしている。
僕らは18歳だった。僕らは、仕事と努力と進歩というものから、まったく遮断されてしまった。僕らは、もうそんなものを信じてはいない。信じられるものは、ただ戦争あるのみだ。
僕らは波に圧倒された。この波は、僕らを乗せて、僕らを残酷にし、追いはぎをさせ、人殺しをさせ、悪魔にする。
僕らはお互いに対する感情を一切失ってしまった。僕らは他人から見ると、誰がなんだか分からなくなっている。僕らは、まったく感情のない死人になっていた。それが魔術によって、危険な魔法によって、なお走り、かつ人を殺すことが出来るのだ。
レマルクがこの本をドイツで出版したのは1929(昭和4)年1月のこと。そして、同年のうちに日本で訳書が刊行された。これって、すごいですよね。でも、残念なことに日本は軍部ファシズム体制をつきすすんでいって破滅を迎えてしまいました。
400頁ほどの文庫本ですが、訳文がとても読みやすくて、スイスイと、重たい内容の割には読めました。戦争の非人間的な本質を分かりやすく暴いている古典小説です。改めての一読をおすすめします。
(2023年9月刊。850円+税)