弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

ドイツ

2024年3月26日

戦史の余白


(霧山昴)
著者 大木 毅 、 出版 作品社

 著者の本は、どれも実によく調べてあって、いつも驚嘆しながら読み進めています。今回も知らなかったことがいくつもありました。
 まず、ロンメル将軍(ドイツ)です。北アフリカでロンメル将軍の率いるドイツ軍はイギリス軍と戦闘し、結局、最終的にはドイツ軍は敗退しますが、途中までドイツ軍がイギリス軍を圧倒していました。1941年から1942年にかけてのことです。
 このとき、ロンメル将軍は驚くべきことに194年6月22日からソ連へ侵攻する「バルバロッサ」作戦のことを知らされていなかったというのです。そんな重大なことを知らないので、ロンメル将軍は北アフリカ戦線にもっと兵力を増強してくれと国防軍本部へ要求し、拒否されていたのでした。だから、イギリス軍との戦闘は、国防軍本部の了解なしのロンメル将軍の独断専行ですすめられました。それでも途中まで大きな成果をあげたので、その限りでヒットラーから賞讃されたのでした。
 次は、ヒトラー・ドイツによるコーカサス石油獲得作戦です。
 ドイツはイギリスから海上封鎖されて石油の確保に苦労していました。そこで、ヒットラーはソ連領のコーカサス油田を狙ったのです。この油田を制圧したら、ソ連は石油不足になり、ドイツは有利になると考えました。そこで、戦闘軍団(A軍集団)に技術者集団を随伴させたのです。
 ところが、ソ連は焦土作戦を敢行して、ドイツ側の技術者の活躍を封じ込めてしまいました。ドイツ軍がわずかに石油基地を確保したとしても、パルチザンの攻撃と破壊工作にさらされ、ほとんどモノにはならなかったのでした。ヒトラーの石油の夢は実現しなかったのです。
 ドイツの国防軍のトップとヒットラーがそりがあわなかったことは、ヒトラー暗殺計画(ワルキューレ計画)があったことでも明らかです。この暗殺計画が失敗したあとヒトラーは、国防軍幹部を親ヒトラーで固めることに成功しました。
 ところが、この本によると、ヒトラーの面前で「ドイツ式敬礼」(右手を高々と掲げ、「ハイル・ヒトラー」と呼ぶこと)をしなかった将軍がいて、しかもヒトラーの軍事上の指示を受け入れなかったというのです。それでも何の処罰も受けなかったといいます。信じられません。
 このザウケン将軍はヒトラー免官されることもなく、装甲兵大将に進級し、第2軍司令官に就任しました。そして、ドイツ降伏後はソ連軍の捕虜となり、10年間の抑留生活のあと、ドイツ・ミュンヘンに居をかまえて画家となって、1980年に88歳で亡くなったのでした。いわば天寿をまっとうしたわけです。
 歴史については複眼的視点が必要だと、いつも思っていますが、この本を読むと、もっともっと事実を知り、また想像力を働かせる必要があるようです。
 いろいろ面白い裏話が満載の戦史の余白でした。
(2024年2月刊。2200円)

2024年3月12日

溺れるものと救われるもの


(霧山昴)
著者 プリーモ・レーヴィ 、 出版 朝日文庫

 アウシュヴィッツ絶滅収容所に入れられながら奇跡的に生きのびたイタリア人の作家による深い洞察文です。思わず姿勢を正しました。知らなかったことがたくさん書かれていました。
 ユダヤ人は強制収容所でやすやすと殺されるばかりではなかった。反乱が起きていたこと。それは、トレブリンカ、ソビボール、ビルケナウで起きている。そして、驚くべきことに成功したのもある。トレブリンカでは、ほんのわずかだけど、生きのびた人がいる。
 いずれにせよ、反乱は起きた。それは決意を固めた、肉体的にはまだ無傷の少数者が、知力をふりしぼり、信じられないほどの勇気をふるい起こして準備したものだった。そして、その代償は恐ろしいほど高いものになった。
 それでも、それは、ナチの収容所の「囚人」たちが反乱を試みなかったという主張が誤りであることを示すのに今も役立っている。
ユダヤ人たちがシャワー室だと騙されて入ったガス室に、特別部隊(ゾンダーコマンド)が立ち入ったとき、全員死んでいるはずなのに、16歳の娘が生きているのを発見した。娘の周囲に、たまたま呼吸できる空気が閉じ込められていたのだろう。ゾンダーコマンドは、彼女を隠し、体を温め、肉のスープを運び、問いかけた。しかし、彼女は瞬間・空間の感覚を失っていた。いま自分がどこにいるかも分からなかった。さあ、どうするか...。しかし、彼女は虐殺現場の目撃者。生かしておくわけにはいかない。
 医師が呼ばれ、医師は娘を注射で蘇生させた。そこにSSの兵士がやってきて、状況を知った。このSS兵士は自分では殺さず、部下に娘を射殺させた。そして、このSS兵士は戦後、裁判にかけられ死刑となり絞首刑が執行された。
 ドイツに住んでいたユダヤ人がなぜ殺される前にドイツを脱出しなかったのか...。彼らはほとんどが中産階級で、おまけにドイツ人だった。秩序と法を愛していた。体質的に国家によるテロリズムを理解できなかったのだ。
 最悪のもの、エゴイスト、乱暴者、厚顔無恥なもの、スパイが生きのびたというのが現実。
ユダヤ人である著者は前から宗教(ユダヤ教)を信じていなかったが、アウシュヴィッツを体験したあとは、さらに信じなくなっていた。
 収容所で死んだ人の多くは、その優秀さのために死んだ。
収容所でドイツ語を知らなかった「囚人」の大部分は入所して1日から15日のうちに死んでいった。情報不足のためだ。ドイツ語を知っていることは生命線だった。
ナチのSS部隊のメンバーとゾンダーコマンドのメンバーはサッカー試合を楽しむことがあった。両者は、対等か、ほとんど対等のような関係でサッカーを戦うことができた。
 「おまえたちは我々と同じだ。誇り高きおまえたちよ。我々と同じように、おまえたち自身の血で汚れている。おまえたちもまた、我々と同じように、兄弟を殺した。さあ、一緒に試合をしよう」
 人間とは、混乱した生き物である。人間は極限状態に置かれれば置かれるほど、より混乱した生き物になる。
SSにとって、「囚人」は人間ではなかった。牛やラバと同じ存在でしかなかった。とは言っても、すべてのSSが疑問なく任務を遂行していたわけでもないようです。
人間性について、人間とはいかなる存在なのかを深く考えさせられる本でした。
(2023年11月刊。840円+税)

2024年2月28日

ヒトラーはなぜ戦争を始めることができたのか


(霧山昴)
著者 ベンジャミン・カーター・ヘット 、 出版 亜紀書房

 ヒトラーがドイツ国防軍の高級将官と対立していたというのは前から知っていましたが、この本でその詳細を知ることができました。
 ブロンベルクとフリッチュという2人の将軍をヒトラーが解任したのが決定的だったのです。ドイツ国防軍の最高司令官であり、陸軍元師であるブロンベルクはベルリン出身の「一般家庭の子女」と知りあい、結婚した。ところが、その女性は売春婦として登録し、客の持ち物を盗んで逮捕された経歴があることをゲーリングは知り、ヒトラーにそのことを報告した。
 さらに、陸軍司令官のリッチュについては、似た名前の男性が同性愛者であることを利用して、同性愛者と決めつけ、ヒトラーは2人を解任した。このあと、ヒトラーは名目ではなく、ドイツ国防軍の実権を握る本物の最高司令官となった。やがて、国防軍の高官たちはフリッチュに対する告発が捏造(ねつぞう)だったことを知った。ブロンベルク=フリッチュ事件は、SSとゲシュタポが陸軍に対して起こした「冷たいクーデタ」だと見た。したがって、高官たちはこの2つを無力化させなければいけないと考えはじめた。
 そのネットワークの要(かなめ)の1人がアプヴェーア(情報部)の部長であるカナリス提督だった。カナリスは「戦争の回避とヒトラー一味の粉砕」を真剣に模索しはじめた。
 陸軍参謀総長となったハルダー将軍はヒトラーについて、「狂人、犯罪者」「たかり屋」「変態の病的な気質」によってドイツを戦争へ向かわせていると罵倒した。
 国防軍内の抵抗派はヒトラー殺害も辞さない方向で検議をはじめた。ところが、イギリスのチェンバレンがヒトラーと会談し、また、国防軍首脳部の悲観主義の影響によって攻撃開始が遅れ、結果としてヒトラー主導の緒戦の勝利によって、抵抗派は腰だけとなってしまった。
 ハルダーたちはヒトラーによる戦争には正当性がないうえに、大惨事となって終わりかねないと考えていた。また、ユダヤ人絶滅作戦のような犯罪行為には反対だった。
 この本ではローズベルトとチャーチルについても注目すべき評価をしています。
 ローズベルトについては、アメリカ国内の強固な中立主義にひっぱられていたこと、チャーチルについては、イギリス国王を擁護して評価を落としたものの戦争指導では卓越した能力を発揮したことが明らかにされています。
 150頁近い本(480頁)ですが、タイトルに見合った大変興味深い内容ばかりでした。
 
(2023年9月刊。2800円+税)

2024年1月 5日

アイヒマンと日本人


(霧山昴)
著者 山崎 雅弘 、 出版 祥伝社新書

 ナチス・ドイツにおいて、ユダヤ人の大量虐殺(ホロコースト)を効率良くすすめていった張本人であるアイヒマンについて、本当に良くまとまっている新書です。
 1942年1月20日、ベルリン郊外の大邸宅で開かれた会議はユダヤ人絶滅を国家として遂行するためのものだった。
 私も、最近、このヴァンゼー会議をテーマとした映画をみました。参加者は15人で、アイヒマンは事務方として参加し、議事録を作成して参加者に配布したのです。
 「最終的解決」とはユダヤ人の絶滅、「東方への疎開」とは絶滅収容所への移送を指すコトバだった。
 会議を主宰したのはハイドリヒ国家保安本部長官・親衛隊大将。1942年5月27日にチェコの首都プラハで襲撃され、8日後に死亡した。このあとの犯人グループ(イギリスから送り込まれたチェコ軍の兵士3人)はドイツ軍に発見・追いつめられていきますが、その状況も映画化されています。ドキュメントタッチで、迫力がありました。
 アイヒマンは戦後、ドイツ国内を偽名をつかって転々としていたが、身の危険を感じて、イタリアから船でアルゼンチンに渡った。アルゼンチンは親ドイツ色が強く、元ナチス親衛隊員が多迷逃亡先として住居を構えていた。
 この新書ではアルゼンチンに潜伏していたアイヒマンをモサド(イスラエルの名高い情報機関)が現地で、どうやって発見し確認したのか、また、イスラエルに飛行機で連行するとき、どんな工夫、仕掛けをしたのかが、月日とともに詳しく展開されています。
 アイヒマン本人だという決め手は、結婚記念日に花を買って帰ったことだというのも印象深いものです。
 そして、イスラエルでの裁判です。これについては、有名なアンナ・ハーレントというユダヤ人学者(女性)のレポートがあり、ユダヤ人社会で物議をかもしました。つまり、ユダヤ人から成る組織がユダヤ人の大量虐殺に手を貸していた事実をどうみるか、ということです。大変難しい問題だと思います。少しでも生きのびるための工夫でもあったでしょうから...。
 アンナ・ハーレントは、アイヒマンが決して「怪物」ではないこと、倒錯しておらず、サディストでもなく、恐ろしいほどノーマルだということを強調し、世界の人々は衝撃を受けました。
 アイヒマンの裁判を法廷で傍聴したなかに日本人が数人いて、その一人は犬養道子(5.15事件で暗殺された犬養元首相の娘)で、『週刊朝日』の特派員だった。もう一人は、『サンデー毎日』の特派員だった村松剛。
 結局、アイヒマンは自分のしたことに最後まで罪業を認めなかった。静かに死を待つ姿勢だったようだ。
 日本人がアイヒマンに興味を惹かれるのは悪らつきわまる犯罪を「管理職」として、職務を「まじめに」「忠実」こなしていったこと、「組織内の力学に従順な態度」に自分も共感できるからではないか...。そして、自分は「上司の命令」に従っただけなので、行動(結果)の責任は自分にはないという主張が許される(べき)ものなのか、考えさせてくれるからではないか...。
 大変に重要な指摘だと思いました。
 アイヒマンについての、よくよくまとまった新書ですので、一読を強くおすすめします。
(2023年8月刊。950円+税)

2023年12月24日

ヒトラーの馬を奪還せよ


(霧山昴)
著者 アルテュール・ブラント 、 出版 筑摩書房

 タイトルだけを見ると、ナチス残党を舞台とする小説としか思えません。ところが、実話だというのに驚かされます。
 悪魔のような、というよりこの世の悪魔そのものであるアドルフ・ヒトラーは1945年4月、迫り来るソ連赤軍の大軍を前にしてベルリンにある総統地下壕に立てこもっていて、ついに結婚式をあげたばかりのエヴァ・ブラウンと青酸カリを飲んで心中してしまいます。その遺体は地上に運び出されて、ガソリンをかけて焼却されました。ソ連のスターリンはヒトラーの自殺をなかなか信じなかったようですが、ヒトラーの遺体だったことは科学的に証明されています。
 そこで、この本のテーマはヒトラーたちナチスの高官が収集していた美術品の行方です。ナチスの高官たちは敗戦直前に、それぞれ財宝を隠して逃亡していきました。その逃亡にバチカンの一部が手を貸したようです。そして、南米に逃れたナチス残党も少なからずいました。その一人がアイヒマンです。
 人間は国外へ逃亡したとして、財宝はどこに消えたのか...。
 スイスの湖にナチスの財宝が決められたとして、その引き揚げに熱中した人も少なくないようです。この本の対象となっているのは、ナチスの総統官邸にあった2頭の馬です。彫像といっても小さいものではなく、巨大なものです。そんな大きなものが、激しいベルリン攻防戦の中、無傷で残っていて、どこかに隠されているなんて、信じられません。ところが、そんなことが現実にあったようなんです。
 スターリンは、「戦利品旅団」なるものを設立して、前線で価値あるものをどんどん奪ってソ連本国に持ってくるよう命令していた、というのです。たしかに、スターリンなら、ありうる命令です。そして、その命令に従うふりをして、実は自分の私腹を肥やしていた赤軍将校もいたというのです。なるほど、これまた、ありうる話です。どこの世界でも、バカ正直な人ばかりとは限りませんからね...。
 ナチスはユダヤ人から無償で取りあげた財宝を私物化したが、その分配をめぐっては醜い争いが多々あった。
 今では、このヒトラーの総統官邸に置かれていた2頭の「馬」は、ベルリンのツィタデレ美術館で公開されているそうです。まさしく、事実は小説より奇なりです。その発見に至る過程がミステリー小説のようにして展開していきます。
(2023年7月刊。2400円+税)

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