弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2014年7月 1日

刑事裁判ものがたり

司法


著者  渡部 保夫 、 出版  日本評論社

 27年前の本の復刻版です。前にも読んでいましたが、司法、とりわけ刑事裁判の本質を当の刑事裁判官が鋭く語った本として一読してほしいものです。
ただし、木谷明弁護士(元裁判官)の解説によると、著者(渡部保夫)は、平賀書簡問題では所長を擁護するばかりで、的確な行動をとることが出来なかったと厳しく批判されています。司法行政官としては欠陥もあったようですが、刑事裁判官としては、大いに実績を上げたようです。
 日本では、刑事裁判の原則が奇妙に転倒している。無実の者であっても無罪判決を得るのは非常に困難であり、検察側が有罪の判決を得るのは簡単である。
日本では、重罪も軽罪も、1年間に400万人が起訴されて被告人となるが、そのうち無罪になるのは全国で1年間を通じて、わずか400人ほど。
 自白こそは、刑事裁判における最大の「つまずきの石」である。
 人は、ある身体的、心理的な環境の下では捜査官から追求されると、意思の弱さなどのために、案外、簡単に虚像の自白をするものだ。罪を犯していないのに、捜査官からさまざまな圧力を受けて虚像の自白をした場合には、機会をみて自白を翻そうとする。
 誤判の起きる根本的原因には、誤った意味の経験主義がある。次のように考えがちだ。
 我々は毎日、犯罪の捜査をやり、また裁判をやっている。それだけで、犯罪の操作や事実認定について十分に熟達できる。それ以上、ことさら研究する必要なんかない。
 しかし、どんなことでも、単に経験を重ねるだけで熟達できるわけではない。
 長年、同じような仕事を続けていると、とかくマンネリズムに陥り、新鮮な感覚を失いがちになる。そうすると、「疑わしきは被告人の利益に」という裁判原則に対する忠誠心がゆるみがちになる。そうなんですよね。マンネリズムは怖いものです。
裁判官の洞察力にも限界がある。裁判官は、自己が平凡な通常人であることを自覚すべきである。裁判官は謙虚でなければならない。
 今も新しい、学ぶべき司法の本です。
(2014年6月刊。900円+税)

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2014年7月 2日

中国とモンゴルのはざまで

中国


著者  楊 海英 、 出版  岩波書店

 モンゴル出身で、中国共産党の指導者の一人だったウラーンフーの伝記です。
 ウラーンフーは、モンゴル出身で、内モンゴル自治区委員会書記、内モンゴル軍区司令官、国務院副総理などを歴任した。
そのウラーンフーが、文化大革命のとき、打倒されてしまったのです。モンゴル人として、どんな人物なのか、以前から気にかかってしまいました・・・。
 1966年に中国で文化大革命で勃発したとき、内モンゴル自治区には150万人弱のモンゴル人が住んでいた。少数民族のモンゴル人は全員が粛清の対象とされ、34万6000人が逮捕され、3万人近くが殺され、2万人に身体障害が残った。モンゴル人の犠牲者は30万人に達する。
清朝が用いた内モンゴルと外モンゴルは、モンゴルを分断するための政治的な概念で、モンゴル人自身はそうした悪意にみちた名称を好まなかった。
 南モンゴルが中国の領土にされてしまった原因の一つに、日本の大陸進出があげられる。モンゴル人民族主義者たちは、帝国日本の力を借りて中国の独立を実現させようとして、蒙古連合自治政府や蒙古自治邦を樹立した。
ウラーンフーは、20世紀のアジアが産んだ重要な政治家の一人である。彼ほどレーニンとスターリンの民族自決の理論を東アジアで実践した革命家は、ほかにいない。
ウラーンフーは、内モンゴルを「中国と日本の二重の植民地」だと認識し、抑圧された少数民族のモンゴルを国際共産主義の理論で解放し、中華民主自由連邦を創成しようとした。
 1947年5月、内モンゴル自治政府が成立した。この日まで草原のモンゴル人のほとんどが雲澤という男を知らなかった。雲澤は無名の革命家だった。この時期、雲澤という名を赤い息子を意味するウラーンフーに変えた。
 「親愛なる中国人共産主義者の友人」たちは、側面からの援護を惜しまないが、決して軍権をモンゴル人に渡すようなことはしなかった。
 内モンゴル近代史上最大の謎は、なぜ何十万人もの独立志向のモンゴル軍が中国人に帰順したのかということ。
 モンゴル人といえば、世界各地に分布している人々をさす。モンゴル民族は、ただ中国55の少数民族の一つにすぎない。矮小化された存在となる。
 モンゴル人民共和国の首都であるウラーンバートルは赤い英雄を意味する。内モンゴル自治政府の首都であるウラーンホトは赤い都だ。もう一つのモンゴル人の自治共和国の首都であるウラーンウードは赤い扉の意。
 モンゴル人はユーラシア大陸の各地に分布しているが、チンギス・ハーンの子孫だという理念は、民族ぜんたいに共通している。
 毛沢東と周恩来は身近にモンゴル人のウラーンフーを立たせることで、多民族国家・中国における少数民族の地位向上を演出しようとした。
 モンゴル内に中国人がモンゴル人の7倍にも膨れあがるという前代未聞の現実を前に、モンゴル人は途方に暮れた。
もっとも親中国的で、かつ中国化したモンゴル人であるゆえに、中国政府と中国人は、ウラーンフーをまず失脚させてから、一連のモンゴル人粛清運動と大虐殺の口火を切った。
 ウラーンフーは、全国の省・自治区の指導者のなかで、もっとも早く打倒された人物で、また少数民族の指導者のなかでも、最初に狙い撃ちされた人物である。
 モンゴル人の苦難の歩みを体現した人物だったことがよく分かる本でした。
(2013年11月刊。2400円+税)

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2014年7月 3日

日本軍と日本兵

日本史(戦前)


著者  一ノ瀬 俊也 、 出版  講談社現代新書

 第二次大戦中の日本の将兵は本当に強かったのか、敵側(この場合は、アメリカ軍側)がどう見ていたのかが紹介されています。結論からいうと、日本軍の将兵はそれほど強くはなかった。やっぱりフツーの人間だったということです。死を恐れない不屈の神兵などでは決してありませんでした。
 日本の将兵は勝っているときには勇敢だが、負けそうになると、とたんに死を恐れ、弱くなった。勝ち目がないと、明らかに死ぬのを嫌がり、総崩れになると、豚のようにわめいた。
 日本兵は、上官の命令どおりに動く集団戦を得意とする。個人の技能や判断力に頼って戦うのは不得手だ。
 日本軍の将兵を捕虜にすると、厚遇に感謝し、実に協力的になる。
 いったん捕まえた日本兵の捕虜は実に御しやすく、有用だった。尋問官がうまく乗せれば、喜んで、何でもしゃべる。命が救われたと知ると、そのお返しをしようとして、求められている情報を与えようとする。
 日本軍ほど宗教性の薄い軍隊はいない。世界史的にも異質な存在なのではないか。神道はあるわけですが・・・。
 ガダルカナル島で日本軍3万人あまりが倒れたが、そのうち3分の2は病気で死んだ。戦死者は1万人をはるかに下まわっている。他方、アメリカ軍の戦死者は1000人だけ。
日本軍の将兵の最大の弱点は、予期せざる事態に、うまく対処できないこと。戦闘機械の優秀な歯車ではあっても、急速に変化する状況に対応する才覚も準備もない。
 このような生来の弱点は、自由な志向や個人の自発性をきびしく退け、管理されてきた人生と、少なくとも部分的には関係がある。
 第二次大戦における日本軍の戦い方の実際を敵(アメリカ軍)側の資料によって紹介した貴重な本だと思いました。かの軍事オタクのイシバ氏にはぜひ読んでほしい本だと思いました。
(2014年1月刊。800円+税)

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2014年7月 4日

失郷民

日本史(戦後)


著者  中田 哲三 、 出版  作品社

 1948年に起きた済州島四・三事件の目撃者であり、その後、日本に密航してきて、大阪で「在日」として、身を起こした趙南富の生涯を描いた本です。
 著者は趙南富の娘の夫になります。フランスで料理人として修行し、日本に戻ってレストランを経営していたという経歴には驚かされます。モノカキに転身したということでしょうか・・・。私も父親の伝記に挑戦し、なんとか、小冊子にまとめてみましたが、400頁ある本書には負けてしまいました。戦後の朝鮮半島、そして韓国現代史が大変詳細に調べてあり、読みものとしても大変よくまとまっています。
 済州という名は、1214年に高麗王朝の属国なったときにつけられたもので、「海の向こうの大きな都」を意味する。かつては、耽羅(たんら)という王国が464年間にわたって済州島を支配していた。一時期、20年間ほど、元の直轄地としてモンゴルの軍用馬の一大生産地とされていたこともある。今も、済州馬が飼育されている。朝鮮王朝時代は、政治犯の流刑地でもあった。
南富の母は、済州島の女性らしく、12歳ころから、一人前の海女(あま)として海にもぐって働いていた。
 南富は、戦前、国民学校で日本語教育を受けた。そこでは朝鮮語は禁止されていた。
 1945年8月5日、日本統治が終わり、日本人教師は島を去った。
 独立を得てから、朝鮮半島に住む人々は怒濤の日々にもまれていきます。
 戦前、日本に渡っていた人々が済州島に続々戻ってきて、島民人口は倍の30万人にまでふくれあがった。そして、1948年4月3日、「四・三蜂起」が始まった。
 蜂起した武装隊と、鎮圧する側の討伐隊の双方が島民を殺す事態が続いていきます。済州島の悲劇の始まりです。
討伐隊の容赦ない粛清を恐れ、村の青年たちが大挙して武装隊に加わったり、山奥や海辺の洞窟に身を隠した。
 ごく普通の人々のごく普通の生活が、ある日突然、戦場のただ中に追いやられたというのが、1948年冬の済州島の姿だった。
 1950年6月25日、朝鮮動乱(朝鮮戦争)が始まった。
 南富の兄・南湖が在籍していた花郎部隊は激戦のなかで壊滅した。
そして、1953年、南富は親から日本へ密航することを命じられた。南富17歳のとき。
済州島から釜山に行き、オンボロ漁船で日本へ渡った。下関に着いたところ、駅構内で全員が検挙され、大村収容所へ入れられることになった。ところが、増改築工事中のため、平戸に入れられた。
 そして、収容所の便所から脱出して、海に飛びこんだ。平戸でキリスト教の信者に助けられ、ついに神戸までたどり着いた。
このあたりは嘘のような展開です。よほど運のいい人だったのでしょうね。
 密航者の身なので、公然とは働けない苦しさ。また、日本の大学で勉強したいのに簡単にはいかなかった苦労が紹介されています。結局、大学に入ったものの、中退したのでした。
 1959年、北朝鮮への帰還運動が大々的に始まります。このとき、民団の青年決死隊500人が北送阻止闘争までしていたことを初めて知りました。
 南富の親しい友人が北朝鮮に渡っていきました。反対しても止めることが出来ません。なぜなら、その友人は、朝鮮学校で北送を子どもたちにすすめていたのです。責任上、自分も行かないわけにはいかなかったというのです。そして、その友人は何十年もして日本にやって来ました。その前、ソウルでも再会しています。大変くらい表情だったようです。そんな映画が最近、上映されましたね。
暗殺された朴大統領との交流もありました。南富は、民団のなかでリーダーになっていったのでした。
 いつも希望を失わずに、在日のプライドをもって誇り高く生き抜いた人生だったと思います。とても読ませる、いい本でした。著者に、ありがとうございました、とお礼を申しあげます。
(2014年5月刊。2000円+税)

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2014年7月 5日

セラピスト

人間


著者  最相 葉月 、 出版  新潮社

 重たいテーマの本です。読んでいると、気分が沈んできます。救いはあまり感じられませんが、人間とは、どういう存在なのかを知るためにも最後まで読みとおしました。
ベストセラーになった『絶対音感』を書いた著者は双極性障害Ⅱ型。昔は躁うつ病といわれていたが、Ⅰ型は激しい躁状態がくり返し訪れるのに対して、Ⅱ型は、それほど顕著な躁ではない軽躁状態が繰り返される。双極性障害Ⅱ型では、気分調整薬が微量処方される。
 患者の沈黙に絶えられない精神科医は、心理療法家としてはダメ。
 患者の苦悩に寄り添い、深く「関与」しつつ、一方で、その表情や行動、患者を取りまく状況に対しては冷静で客観的な「観察」を怠らない。それは、沈黙する患者のそばに何時間でも黙って座り続け、患者のコトバ一つ一つに耳を傾ける心理療法家としての姿勢と、その一挙一動に目をこらし、客観的なデータを得ようとする医師としての姿勢をあわせもっている。
対人恐怖症、赤面恐怖の人がすごく減っている。いまは、葛藤なしに引っ込んでしまっている。人間関係の日本的しがらみのなかでフラフラになったのが赤面恐怖だった。それがなくなった代わりに、途方もない引きこもりになるか、バンと深刻な犯罪を引き起こすかになった。両極端のようでいて、その違いは紙一重である。これは、数々の凶悪犯罪が証明している。
 大企業につとめる社員のなかで心の病で入院する人が、2割ふえた。うつ病などが54%でもっとも多く、パニック障害などの神経症性障害をふくめると8割になる。世代別では、30代、40代が3割以上を占め、働き盛りの人々が追いつめられている。
 カウンセラーの三原則は、カウンセラーは自らを偽ることなく、誠実さを保ちながら、クライエントに深い共感をもって、ありのままを受け入れるというもの。
 一人前のカウンセラーになるには、25年かかる。
 クライエントの言うことに、ただひたすら耳を傾けて聴くという態度をとれば、クライエントが自分の力で治っていく。
 言葉は引き出されるものではない。言葉は、自ら、その段階に達すれば出てくるもの。言葉は無理矢理引き出したり、訓練したりする必要はない。それ以前のものが満たされたなら、自然にほとばしり出てくるもの。
 日本人は、言語化するのが苦手な民族だ。それが得意な人は治療者として精神分析を選ぶ。でも、ほとんどの人は得意ではない。ところが、箱庭は、1回みただけで、クライエントの力量も治療者の力量も分かる。見ただけで分かるという直感力が優れているのは、日本人全体の通性だ。
 セラピスト、カウンセラー、精神科医、そしてクライエントの実像と悩みが迫ってくる本です。
(2014年4月刊。1800円+税)

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2014年7月 6日

作家の決断

社会


著者  阿刀田 高 、 出版  文春新書

 いずれも名の売れた、ベテラン作家19人が大学生たちのインタビューにこたえたものが本になっています。モノカキを自称する私には、とても参考になり、かつ刺激的な内容が満載でした。
作家を名乗るものはとにかく書き続けなければレースから外される。駄作でも何でも、書き続けていけば、充電される。そして駄作がどうかを決めるのは、本人ではなく読者なのだ。森村誠一。
 たくさん読んで、たくさん書く。とにかく書くこと。佐木隆三。
 やっぱり書くこと。いろいろ表現しているうちに、自分の内側の一番辛いことが、コンプレックスみたいなことが、そういうものがあれば、それをテーマに書き始めると、大勢の人に訴える。 結局、過去をふり返ったときの自分の胸の痛み。これが小説だ。津本陽。
 なんでも、とにかく思いついたことは、短くしていいから書いておく。断片があれば、思い出すことができる。断片がないと、何を思いついたのか、あとでたどるのはほとんど不可能。思い出せないと、いいことを思いついたのにと、すごく悔しい気がする。阿刀田高。
 ミステリー、推理小説は、モチーフ、つまり小説を通して読者に訴えたいメッセージを必要としないもの。阿刀田高。
 いろんな人の書いたものを読んでそこから外していく。そして、自分の世界がないものは、まったくダメ。読み直す。何度も読み直す。そして、たくさん読むこと。読んだことによって、他人が書いていないもので自分が書けるものが何かあるって気がつくはずだから、それを書くこと。そして、読み直すこと。最低でも3回は読み直す。大沢在昌。
 モノを書く人が、「知りたい」っていう気持ちをなくしたらダメ、田辺聖子。
 新人は、とくに読者なんか意識してはダメ。小池真理子。
 若いころは、自意識過剰だ。その自意識がないとダメなんだけど、自意識だけでもダメ。小説家は、計算ができて、ナンボだ。藤田宣永。
 小説化には、二つの才能が必要。一つは、文章をつくる才能。もう一つは、ストーリーをつくる才能。面白いストーリーをつくるというのは、努力では、いかんともしがたい。文章については、数を読み、数を書けば誰でもうまくなる。しかし、ストーリーを造る才能のほうは、嘘つきの才能だし、想像力がどれだけ豊かなのかということなので、天賦の才だ。そして、小説化するのに必要なのは、体力。浅田次郎。
 高名な作家のうち、少なくない人が原稿を手書きしているのを知って、同じく手書き派の私は大いに安心しました。漢字変換の、あの一瞬が思考を中断させてしまうのです。
 モノ書き志向の私にとって、大いに役立つ実践的な本でした。
(2014年3月刊。850円+税)

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2014年7月 7日

ゾウと旅した戦争の冬

ドイツ


著者  マイケル・モーパーゴ 、 出版  徳間書店

 ドレスデンに住んでいた少女がゾウとともに苛酷な戦火の日々を生き抜いたという話です。
 わずか250頁という薄い児童文学書なのですが、出張の新幹線の車中で夢中になっているうちに途中で降りる駅を乗り過ごさないように注意したほどでした。
 ドイツの敗色が濃くなると、ドイツの都市はどこもかしこも英米連合軍から激しい空襲にあうようになった。ところが、ドレスデンの町だけは、不思議なことに、まだ空襲にあっていない。
 ドレスデンにある動物園で飼われていた動物、とりわけ猛獣たちは、空襲で逃げ出す前に射殺する方針がうち出された。そこで、ゾウの飼育係である主人公の母親は、親を亡くした4歳の仔ゾウを園長の許可を得て、自宅で飼うことにした。
 そして、ついにドレスデンの大空襲が始まった。一家は、ゾウとともに都市を脱出し、森の中を歩いて叔父さんのいる田舎を目ざす。その叔父さんは、ヒトラーを信奉し、主人公の両親とはケンカ別れしていた。しかし、この際、そんなことなんかには、かまっておれない。ひたすら、ゾウとともに森の中を、夜のあいだだけ歩いていく。
 ゾウと人間のあたたかい交流を描くシーンがいいですよ。声を出してゆっくり味わいたくなる描写が続きます。
 ゾウって、本当に賢いのですね。人間の微妙に揺れ動く気持ちを察知して、しっかり受けとめてくれるのです。そして、人間は、そんなゾウの澄んだ目に励まされ、生きて歩み続けていきます。
途中で、ドイツ語を話せるカナダ人の兵士と一緒になります。空襲してきた飛行機に乗って唯一助かった兵士です。そのカナダ兵を助けたことによって、主人公一家は助けられもします。
 最後まで、次の展開が待ち遠しく、どきどきしながら読みふけりました。幸い、降りる駅を乗り過ごすことはありませんでした。やれやれ・・・。
ちょっと疲れたな。なんか、心の休まる手頃な話はないかな・・・。そういう気分の人には、絶対におすすめの本です
(2014年12月刊。1500円+税)

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2014年7月 8日

帰ってきたヒトラー

ドイツ


著者  ティムール・ヴェルメシュ 、 出版  河出書房新社

 第二次世界大戦末期、ベルリンの首相官邸(地下壕)でヒトラーは自殺し、遺体は地上で忠実な部下によってガソリンをかけて焼却された。哀れな末路です。ところが、本書ではヒトラーは死んでおらず、現代ドイツにガソリンくさい服を着たまま眠りから覚めて動き出すのです。
 戦後60年以上たつわけですから、ヒトラーが復活してきても、周囲が受け入れるはずがない。と思いきや、意外や意外にヒトラーは現代社会にたちまち順応し、人々と会話し、パソコンも駆使してメディアの人気者になっていくのです。それほど復古調が現代社会に満遍なく普及し、充満していることを痛烈に皮肉っているわけです。
 かつてのヒトラー演説を、さすがにユダヤ人排斥の部分はカットして、そのままメディアで流したとき、拒絶反応だけでなく、広い共感と支持が集まったというのです。
 これが小説だと分かっていても、やはり、その素地があることを認めざるをえないのが怖いですね。それだけ所得の格差が拡大し、人々が強い、はっきりモノを言ってくれる指導者・リーダーを待望しているということなのでしょう。しかし、その結末は恐ろしいことになってしまうのです。多くの人々は毎日の生活にタダ追われているため、ひたすら流されていってしまいます。怖いことですよね。
 上下2冊の大作です。ドイツでは130万部も売れたという大ベストセラーですが、本当によく出来た、怖いばかりの展開です。
外交をまかせていたフォン・リッペントロップは容貌だけとれば、どこにも非の打ちどころのない人物だ。しかし、実はどうしようもない俗物だった。結局、見かけがいいだけでは、だれの何の役にも立たない。
アベ首相が集団的自衛権の行使を認める閣議決定を強行し、日本が「戦争するフツーの国」に変貌しつつあるいま、東條英樹が再臨したら、ちょっとばかりの騒動は起きるのでしょう。クーデターを誘発したり、内戦状態になるようなことは絶対にあってはならないこと。知らず識らずのうちに外堀が埋められ、いつのまにか戦争に引きずりこまれて嘆くような事態だけはあっては許せません。
 若者よ、反ヒトラー・反東條そして、いまのアベとの戦いに奮起せよ。と叫びたくなりました。
(2014年9月刊。1300円+税)

 フランス語検定(1級)の結果が分かりました。もちろん不合格です。最低合格点が87点のところ、53点でした。あと35点もとらなくてはいけません。不可能とまでは言いたくありませんが、至難のレベルであるのは間違いありません。
 ちなみに、自己採点では55点でした。仏作文や書きとり試験など、採点の難しいのもありますので、誤差の範囲だと思います。ショックなのは、昨年より10点も落ちていることです。
 めげずに、これからも毎日フランス語の聞きとり、書きとりは続けます。語学は最大のボケ防止になります。

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2014年7月 9日

本当はひどかった昔の日本

日本史(江戸)


著者  大塚 ひかり 、 出版  新潮社

 現代日本では、若い母親によるネグレクト(育児放棄)による子どもの死亡事故が起きると、昔なら考えられないこととして、世論が一斉にけたたましい非難をその母親に浴びせかけるという現象が生まれます。
 でも、本当に昔の日本は全員、みながみな子どもを大切に育てていた、幸せそのものの社会だったのか・・・。著者は古典の文献をふくめて、そうではなかったことを実証しています。
 私も、弁護士生活40年の体験をもとに、その指摘には、大いに共感を覚えます。
 平安のはじめに書かれた『日本霊異記』には、男遊びに精を出す若い母親が子どもらを放置し、乳を与えず、飢えさせた話がある。
 子どもは親の所有物という意識の強かった昔は、捨て子や育児放棄は、現代とは比べものにならないほど多かった。
 捨て子は珍しくなく、犬に食われてしまう運命にあると世間は考えていた。捨て子が取締の対象になるのは、江戸時代も五代将軍綱吉の時代からのこと。
五月生まれの子は親にとって不吉。旧五月は、いまの六月にあたり、梅雨時。五月は「五月忌」(さつきいみ)といって、結婚を避ける風習のある「悪月」だった。
 明治12年(1879年)の捨て子は5000人以上、今(2003年)は、67人ほどでしかない。
 中世の村落は、捨て子だけでなく、乞食も養っていた。これは、いざというときの保険の意味があった。何かのとき、「身代わり」として差し出した。
 乳幼児の死亡率の高さを利用して、もらい子を飢えさせておきながら、病死したと偽る悪徳乳母が江戸時代にもいた。
 江戸時代には、離婚も再婚も多かった。日本にキリスト教が入ってきたとき、離婚を禁じられたが、当時の日本人には納得できないことだった。
 『東海道中膝栗毛』の祢次さんと喜多さんはゲイのカップルだった。えーっ、そ、それは知りませんでした・・・。
 安土桃山時代の日本では、犬を「家庭薬として」食べていたそうです。宣教師フロイスの報告書にあります。
 猫が網から解き放たれたのは、江戸時代に入ってからのこと。
たしかに昔を手放して美化するわけにはいかないものだと思いました。それでも、人と人との結びつきがきつく、また温かいものがあったこともまた間違いないことでしょうね。それが、現代ではスマホにみられるように、とても表面的な、通りいっぺんのものになってしまっている気がします。
(2014年1月刊。1300円+税)

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2014年7月10日

順伊おばさん

朝鮮(韓国)


著者  玄 基榮 、 出版  新幹社

 「スニおばさん」と読みます。1948年済州島四・三事件を取りあげた小説です。
 「順伊ねえさんは、ほんとはその昔に死んだ人だ。畑を取りまいてからに、それこそ雷みたいに銃を撃ちまくったんだけども、順伊ねえさんだけは擦り傷ひとつ負わんでな、ほんとに不思議だった」
 「どうも、射撃の直前に気絶して倒れてしもうたようなんだ。気がついてみたら、自分の身体の上に死んだ人間が何人も折り重なっていたという」
 「その畑で死んだ人たちが、ぐにゃぐにゃに腐って、肥やしになって、それであくる年の芋はすごい豊作じゃった」
 夜は部落出身の共匪たちがあらわれて、入山しない者は反動だと竹槍で突き殺し、昼は巡警たちが幌付きのトラックでやって来て、「逃避者」の検束をするものだから、結局、村の若者たちは昼も夜も身を隠して過ごすしかない立場だった。
 大部分の男たちは村にそのまま踏みとどまっていたが、暴徒に追われ、軍警に追われて右往左往しながら、結局は、なすすべもなく、ハルラ山麓の牧場へあがっていき、川のそばの洞窟内に非難した。済州島は、もともと火山地帯なので、至るところに洞窟があり、暴徒と軍警の板挟みになった良民たちが、人知れずに身を隠すのには誂え向きだった。
 西北青年出身の巡警たちは、子どもたちに洋菓子を与え、父や兄の隠れ場所を教えてほしいと騙した。無邪気な子どもたちは、竹ヤブのなかや家の床下、馬小屋やわら積みの下を掘った穴に隠れている自分の父や兄を指さして教えた。
 暴徒も恐ろしく、軍警も恐ろしくて山へ避難した良民を、軍警は暴徒と見なした。
 入山者の家族まで釈放されたという噂が広がると、若者たちが続々と下山してきた。彼らは下山すると、いっていの帰順手続を踏んでから、宣撫工作隊に編入されて討伐隊の協力者となった。
 ときには、幹部級の入山者の切り取られた頭が名札をつけて展示されもした。
 朝鮮戦争が始まり、海兵隊が募集されると、帰順者たちは一人残らず入隊を志願した。アカの汚名を拭うことのできる絶好の機会だった。
 鬼神を捕まえる海兵隊として勇名をとどろかせた草創期の海兵隊は済州島出身の青年3万人を主軸にして成立した。
 以北の人間たちにやられたことを以北の人間たちに仕返してやるという感情が認められた。済州島の青年たちが6.25動乱のときに見せた戦史に輝く勇猛さは、一時、軍警側で島の住民といえば無条件に左翼視し、その獰猛なアカ狩りの対象にした単細胞的な思考方法が、どれだけ重大な誤解を犯したかを反証している。
 済州島四・三事件を一般住民の置かれた状況から考え直させてくれる本です。
(2014年4月刊。1600円+税)

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2014年7月11日

自爆営業

社会


著者  樫田 秀樹 、 出版  ポプラ新書

 カローシするまで働かせるブラック企業は許せませんが、ノルマ達成のため自腹を切らせる企業も許すわけにはいきません。
 ところが、ここでまず登場するのは、なんと、あの郵便局なのです。ええーっ、郵便局員が「自爆営業」しているのか・・・。
 郵政公社になってから、年賀状のノルマが厳しくなった。正社員なら1万枚、非正規社員でも1000~3000枚。売上げの少ない「恥ずかしい社員」は、数百人の社員のそろう朝礼のとき、「お立ち台」に立たされ、「申し訳ありません」と謝罪させられる。
 ノルマを達成しない社員は昇進できない。そこで、金券ショップに駆け込んで買ってもらう。管理職だと自腹を切る金額は数十万円になる。
 郵政公社がスタートした2003年に、精神疾患による休職者は400人だったのか、4年後の2007年度には800人近くへ倍増した。自殺者も、毎年30~50人出ている。
 ひえーっ、これって怖い数字ですよね。小泉「郵政改革」の結末の一つがこれなんですね。ひどいものです。
日本郵便の社員は正社員が10万人で、非正規社員が15万人。非正規社員が6割を占めている。そして、非正規社員の6割以上が年収200万円以下。
日本郵便は、20011年、2012年と赤字を出していたが、2013年の決算では黒字となった。それは、非正規社員の大量解雇によって500億円もの人件費を削減したことによる。
現場には、正社員がほとんどいない。非正規社員の時給は720円で、手取りは付き11万円台。
 日本郵便の社員の起こす交通事故の割合は、一般社会の4~5倍と高い。叱責と罵倒の毎日は、労働者を確実に委縮させ、気持ちを急がせ、作業から安全性と確実性を奪う。
 定時の前に出勤し、昼休みに昼食を食べず、午後と夕方の休憩時も働く。
残念なことに、こんなひどい自爆営業は、ひとり「郵便局」だけではありません。他の業種にも、今では広く認められます。そこには、労働基準法も労働組合も存在しないかのようです。でも、権利はたたかわなければ、自分のものになりません。ぜひぜひ、みんなで、少しずつ声をあげていきたいものです。
 ひどいことは許さないという声をあげるのは、自分のためであり、世の中のためなのですから・・・。
(2014年5月刊。780円+税)

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2014年7月12日

アトミックス・ボックス

社会

著者  池澤 夏樹 、 出版  毎日新聞社

 推理小説なので、ネタバレをするわけにはいきませんが、日本の「核開発」をめぐる怖い話です。
 原子力発電といい、核開発といい、アメリカの強力な統制下ですすめられてきたことは間違いありません。
 そして、そのなかで原発については「安全神話」が形成されてきました。他方、「核開発」のほうは、依然としてヤブの中にあって、不明なままです。
瀬戸内海の小島に逃げてきて、漁師になり切った科学者。その死後、娘が動き出し、島内で監視していた男が島を脱出した娘のあとを追います。その東京で追跡劇が見事に描写されています。
しかし、ハラハラドキドキの逃亡手法と追跡者のからみあいに目を奪われていると、話の本筋を見失ってしまいます。
 要するに、アメリカの支配からの脱却を目ざした「核開発」をアメリカが探知し、その圧力によって頓挫させられ、研究者は四散させられるのです。
なるほど、そうなるだろうなと思わせるだけの確かな筆力によってぐいぐいと本のなかに引きずりこまれていきます。
 戦後日本の「核開発」が、どこまで実際にすすんでいたのか知りたくなります。
 それにしても、いまの安倍首相のような無定見で、口先だけの男に、日本の運命をゆだねたくはないと思ったことでした。
(2014年2月刊。1900円+税)

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2014年7月13日

浮世絵に見る江戸の食卓

江戸時代


著者  林 綾野 、 出版  美術出版社

 浮世絵に描かれている江戸の人々の食べているものが紹介されています。同じものが、現代の日本の料理として写真で紹介されていて、比較できるのです。どちらも食指を動かす秀れものでした。
 ガラスのすのこの上にもられた紅白の刺身が描かれています。うひゃあ、ガラスのすのこって、江戸時代にもあったのですね・・・。
 江戸前ウナギを女性が食べようとしている浮世絵があります。「江戸前」とは、隅田川や深川でとれたウナギのことを言い、江戸の外でとれたウナギは「旅うなぎ」と呼ばれた。
 江戸のうなぎは、背中から開き、蒸してからタレをつけて焼く。身はふんわりとやわらかく、外は香ばしく仕上げるのが江戸流だ。
 今まさに串に刺したエビの天ぷらを食べようとする女性が描かれています。
 天ぷらは、江戸の屋台料理の定番だった。火事の多い江戸では、室内で油を使うことが禁じられていたため、天ぷらはまず屋台で普及し、値段も安かった。そのうち、天ぷらは屋台だけでなく、料理店でも供されるようになった。
 5月になると、初鰹(かつお)。江戸っ子の初夏の楽しみの一つだった。初物を食べれば、寿命が75日のびると言われ、粋な江戸っ子は、いくらか無理してでも初物を買い求めた。
 江戸の人々も猪や鹿などの獣肉を食べていた。ただし、「山くじら」と呼び、それを食べさせる店は「ももんじゃ」と呼んだ。
 江戸の豆腐は、堅く、しっかりしていた。江戸っ子にとって、茄子(ナス)は身近で、かつ愛された野菜であった。
 幕府は、ナスやキュウリなどの促成栽培を幕府はたびたび禁止した。野菜の価格高騰を恐れてのこと。
 毎年夏、本郷にあった加賀屋敷の氷室(ひむろ)から、将軍に雪を献上する儀式があった。
 芝居が始まるのは午前6時のころで、終演は夕方5時ころ。土間に座る客を「かべすの客」と呼んだ。
 江戸時代の人々とがたくましく生き抜いていたこと、美味しく食べるのを好んでいた点は現代日本と変わらないことなどを知ることができました。それにしても、浮世絵って、まるでカラー写真のようですね。
(2014年3月刊。2000円+税)

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2014年7月14日

観察の記録、60年

生き物


著者  矢島 稔 、 出版  平凡社

 すごい写真のオンパレードです。その息を呑む美しさに圧倒されます。
 アオスジハエトリというクモがいる。昆虫を食べて生きている。このクモは、前脚をいかにもありの触覚のように動かして、ときどきアブラムシの背中をトントンと叩く。すると、アブラムシが尻から甘い液を分泌する。クモは、それを飲むのではなく、アリになりきって、アブラムシの回りを動きまわっている。そこへクロオオアリがやって来る。すると、クモは体をひるがえしてアリに飛びかかってきた体をおさえこむ。牙でかみついて、そのままクモの餌食になってしまう。
 クモはアブラムシのいる所にアリが集まってくるのを知っていて、アリそっくりの動きをして待っているのだ。この瞬間を写真に撮っているのですから、すごいものです。よほど辛抱強くなければなりません。
 クヌギがコナラの樹液を求めて昆虫たちが寄り集まる。だいたい勝つのは、カブトムシのオスで、次がクワガタのオス。カミキリの大型種は、脚が長いせいか、力負けしてしまう。意外に強いのは、スズメバチ。
樹液にはお酒というより、薄いビール程度のアルコール分が入っている。木から樹液がしみ出してくるのは、篩管に穴を開けるものがいるからのこと。それは、ボクトウガの幼虫である。
 ニホンミツバチが天敵であるスズメバチを取り囲んで熱死させる情景をとった写真もあります。これも、すごいと思いました。
 ニホンミツバチは、集団で体温を上げ、48度でスズメバチを殺す。自らの体温を限界ぎりぎりまで上げて相手を熱死させる。これは、いわば捨て身の戦法だ。この習性は、セイヨウミツバチにはない。おそらく、ニホンミツバチが長い間、同じ地域にスズメバチとともに生活してるために生まれた護身術であり、それが世代をこえて伝えられているということだ。
 驚異の写真といえば、カンガルーの袋のなかの、生まれたばかりの「胎児」の写真はすごいものです。「胎児」は、目が見えなくても、生まれ落ちたあと母親の乳首を目ざして、ついにたどり着くのです。感動しました。
 写真をめくるだけでも楽しい大自然のすばらしさを語る本です。
(2014年4月刊。1800円+税)

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2014年7月15日

アフリカ系アメリカ人という困難

アメリカ


著者  大森 一輝 、 出版  彩流社

 オバマ大統領が誕生したことは、アメリカにおける黒人差別が解消したことのシンボルだとは、とても言えないようです。
オバマは、「黒人大統領」ではない。逆に、「黒人」であることを封印された大統領である。自分が人種差別主義者であるとは夢にも思わない白人たちによって、オバマの手足は固く縛られている。オバマ大統領の口から「人種」という言葉が出るのを許さないという圧力は強烈だ。
 白人国民は、人種主義が見えないが、見えるつもりもない。人種を見ないことにすれば問題は解決するのだという「カラー・ブラインド」論が横行している。
 「黒人」というカテゴリーは、異郷で生きることを余儀なくされたアフリカ諸民族に、共通の経験をもたらし、共通の心性を育んだ。「黒人であること」の屈辱と誇りを、苦悩と喜び、絶望と祈りこそが、「アメリカ黒人」を新たな民族に鍛え上げた。
 南北戦争後のボストンに住む黒人エリートたちは、能力主義(メリトクラシー)が徹底されたら、人種主義は克服されると信じた。これらの黒人エリートたちは、黒人生活の実態を見ようとしなかった。
 1917年にアメリカが第一次世界大戦に参戦すると、黒人は人口比に相当する以上に徴兵に協力したにもかかわらず、軍内部でさまざまな差別を受けた。両人種は厳格に分離されており、黒人兵のほとんどは勇気を疑われ、戦闘部隊ではなく、補給その他の雑役に回された。
 そして、戦争が終わって「母国」アメリカに帰った黒人兵士たちを待ち受けていたのは、人種暴動とリンチだった。1919年末までに、30県の暴動が起こり、80人がリンチで殺された。そのうち14人が火あぶりにされたが、うち11人は、征服を着た元兵士だった。
 現代アメリカにおいてリーダーたるべき黒人知識人の多くは自縄自縛に陥る。人種差別はたしかにある。しかし、だからといって、黒人への特別な配慮や対策を要求したり、黒人が団結して抵抗してしまえば、本来あってはならない人種という区分を許すどころか強調することになる。今やるべきなのは、人種カテゴリーの解体なのだから、差別は個人の努力と才覚によって乗りこえるほかないのだ・・・。
 人種主義から逃げるのではなく、それを直視し、正面から受けとめるべきだという声は同時代の黒人からも上がった。
 現実に対して「ブラインド」になる、つまり目をつぶっていては何もできないのだということを、ボストンの黒人は長い時間をかけて学んだ。自分たちの人生を変えるためには、人種による格差に目を向け、人種差別のない未来を創り出していくしかない。
 アメリカにおける黒人差別の解消は、今なお容易ならざる課題であることを痛感させられました。
(2014年3月刊。2500円+税)

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2014年7月16日

風がおしえる未来予想図

社会


著者  原発なくそう・風船プロジェクト実行委員会 、 出版  花伝社

 海外へ原発を輸出しようとしている安倍首相は、それだからこそ一刻も早く原発を再稼働させようとしています。とんでもないことです。
 だって、いまでも福島第一原発の周囲に人が住むことは出来ず、15万人もの人々が狭くて不自由きわまりない仮設住宅に住まされているのです。
 使用済み核燃料がどうなっているのか、3年たった今も皆目わからず、放射能に汚染された水や空気が拡散し続けているのです。
 東京電力の無神経さは今に始まったことではありませんが、九州電力だってまったく同じです。いずれも経済団体を牛耳ってきました。そして、彼らは教育に注文をつけ、教科書を思うように書き替えてきました。要するに、疑うことを知らない子ども、そして大人になることを求めています。そうなったら、まるで会社いいなりのロボット人間ではありませんか・・・。
九州にある玄海と川内(せんだい)の二つの原発を絶対に再稼働させてはなりません。
 原発はクリーンなエネルギーだと言っていましたが、3.11のあとは、とんでもない大嘘だということが誰の目にも明らかになりました。
 この風船プロジェクトは、玄海原発の近くから風船を飛ばしたら、いつ、どこへ落ちるだろうか、それを調べようというものです。もちろん、前例があります。2012年3月に福井県にある美浜原発から1000個の風船を飛ばしたのでした。100個が発見され、うち83個が岐阜県内で発見されたのでした。
玄海原発の周辺から風船を飛ばしたのは4回です。2012年12月8日が第1回目で4回目は2013年10月27日でした。
 ヘリウムガスを風船につめて飛ばしました。ゴム風船ですが、環境負荷(影響)の少ないものに工夫しています。
風船と放射性微粒子の動きは、水平方向では似たような飛行軌跡を示した。
 風船は捨てられたら環境から除外する。放射性物質は違う。地上に降り積もった放射性微粒子は、自然環境や生活環境中にとどまり続け、晴れて乾燥した日や、風が強い日などには、再び大気中に浮遊し、風などに乗って拡散する。この半減期は長く、30年であり、何十年も生き続ける。
 風船プロジェクトは楽しい企画でした。一杯100円の豚汁、コーヒー1杯100円だなんて、まさしく困ったときの神頼みですよね。
 100頁あまりの手頃なブックレットです。ぜひ、あなたもお読み下さい。読みやすく、ためになる面白い本です。
(2014年6月刊。1000円+税)

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2014年7月17日

憎むものでもなく、許すものでもなく

世界(フランス)


著者  ボリス・シリュルニク 、 出版  吉田書店

 1944年1月1日、フランスのボルドー地方でユダヤ人の一斉検挙がありました。著者は、このとき6歳でした。
 「ユダヤ人の子どもたちには消えてもらう。さもないと、やつらはいずれヒトラーの敵になる」
 要するに、大人になったら悪いことをするので、死刑宣告されたのだ。
 その晩、第二の私が生まれた。私を殺すための拳銃、夜のサングラス、小銃を肩から下げたドイツ。いずれ、私は犯罪者になるのだという宣告を背景に。
 6歳のころの著者の可愛らしく、そして、いかにも聡明な男の子だという写真があります。
両親の死は、私にとって事件ではなかった。父と母は、私の前から急にいなくなったのだ。両親の死に対する感情は残らなかったのに、突然、目の前からいなくなったという事実だけは、心にしっかりと刻印された。
 人生は馬鹿げている。でも、だからこそ面白い。平和な暮らしの中で安穏としていれば、試練、危機、トラウマもなく日々の繰り返しだけで、記憶には何も残らないのだろう。自分は何ものなのかを、そう簡単には見いだせない。試練がなければ物語は生まれず、自分自身の役割も見い出せないのではないか。私は逆境をくぐり抜けたからこそ、自分が何者かを心得ることができた。人間の存在は馬鹿げているからこそ、面白いのだ。
 トラウマの記憶があると、心が傷ついた子どもは、トラウマの記憶によって絶えず警戒心を抱く。虐待された子どもは冷淡な警戒心を示し、戦時下で育った子どもは、平和が訪れてもほんのちょっとの物音でも飛び上がるほど驚く。自分の記憶に残った恐怖のイメージに怯える人は、自分を取り巻く世界を遠ざける。彼らは、世間の出来事に無関心で、無感動であるように見える。
 トラウマの記憶は、対人関係を悪化させる。苦しみを軽減させるために、心が傷ついた者は、自分がトトラウマを被った場所、トラウマを思い出す恐れのある状況、トラウマをひき起こす物を避ける。とくに精神的な痛手を呼び起こすような言葉を避ける傾向がある。
 愛情に恵まれ、安心して育ち、他者と会話する能力のある者は、恐ろしい状況に直面した場合であっても、トラウマに悩まされることが少ない。そうは言っても、逆境を生き抜く際には、孤立し、言葉を奪われながら、毎日のように小さなトラウマに悩まされ、克服したはずの脆弱な心が戻ってくる。
 発育段階で心がもろい者が、不幸が生じたときにトラウマ症候群に悩まされるのは、トラウマに悩まされる前に、孤独感にさいなまれ、言葉をうまく操ることができなかったから。
 幼年期に母親が注いでくれた深い愛情のおかげで、他者との出会いが寛容になり、人間関係を構築しやすくなった私は、援助の手が差しのべられると、すかさず、これに反応するようになった。
 戦争中、死と背中あわせだったので、感覚は麻痺していた。悲しみも苦しみも苦悩もなかった。それらは、むしろ死を目前にした非日常的な出来事だった。戦後になって、生きのびていた二人の親族と出会ったとき、私は生まれて初めて孤独と不幸を感じた。
 私は一つの教訓を得た。過去を振り返ると、ろくでもないことが起こる。人は涙を流すと塩柱になり、人生はそこで停止するのだ。生きたいのなら、後ろを振り向かず、常に前を見つめよ。前進するのだ。過去を考えれば悲しくなるだけ。未来は希望にみちている。さあ、未来に向かって歩もう。
 私の悲惨な子ども時代は、例外的な出来事だったのだ。平和な時代になってからは信じてもらえなかった。自分の物語を語ると、自分が異常な人物であるような気がした。聞き手の視線によって、誇らしい気持ちになったり、不名誉を感じた。包み隠さずしゃべったときには、気持ちが楽になることもあったが、ほとんどの場合、周りの反応は私を沈黙させた。
 9歳にして、年寄りのような少年になっていた。私は、かなり前から、すでに子どもではなかった。
安心して暮らしていた子どもは、自分にみあった愛情を注いでくれる人物のもとへ向かう。そうした大人を見つけ、微笑みながらしゃべりかける。
 愛情に恵まれなかった子どもは、相手の大人が微笑んでもいないのに、さらには相手が拒絶する場合でさえ、接近していく。大人を必要とするあまり、追い払われても、その人の近くから離れない。このとき、子どもは快適さを感じるが、自律性は失われ、自分に興味のない誰かと暮らすことを受け入れてしまう。自分を不幸にするような親や配偶者から離れられない子どもや若者がいるのは、こういうわけである。
 そうした人間関係は、精神的な発育障害を生み出し、彼らを意気消沈させる。自律性を養わなければならない思春期に、自信がもてず、自分に注意を払わない、あるいはひどい扱いをする人々の元に留まろうとする。
 フランスでのユダヤ人一斉検挙のときにフランス警察につかまり、強制収容所に送られる寸前に脱走して、逃亡できた6歳の少年が、戦後、孤児院を出て、ついにはパリ大学医学部を出て精神科医になったのです。ベストセラー作家でもあるそうですが、トラウマ分析はさすがです。本当に勉強になりました。
340頁もある本ですが、トラウマとは何かを知りたい人には強くおすすめの本です。
(2014年3月刊。2300円+税)

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2014年7月18日

いま、ほんとうの教育を求めて

社会


著者  三上 満 、 出版  新日本出版社

 東京の下町で熱血・中学校教師として活躍した著者の体験にもとづく教育論ですから、読んでいるだけで心打たれるものがあります。さすが、です。
教育とは、希望をはぐくむ営みにほかならない。この座標軸から離れて、他の何かを別のことを軸にするようになると、教育は必ず歪む。
 希望とは、三つのものへの信頼から生まれる。一つは、人間に対する信頼。人間って、いいものだ。ああいう人に、私もなりたい。そう思わせる人が、子どもの周りにいなくてはいけない。教師こそ、そんな魅力ある人でなければならない。
 その二は、自分に対する信頼。子どもが自分のいいところをたくさん見つけ、それが回りから認められ、自分を好きになっていく共同体。それが学校だ。
 その三は、明日に対する信頼。平和や人権が輝く、明日への信頼が育まれる心に、希望は生まれる。
 教育とは、希望の糧となる、この三つのものへの信頼を、子ども、教職員、父母、地域一体となってはぐくむ営みなのだ。
学力世界一のフィンランドでは、基礎教育(7~16歳の9年間)では、いっさいの競争そしてランク付けがない。
日本では、教育の政治支配をすすめようとするものには、もはや教育委員会さえ邪魔者になっている。
 子どもたちが、「ヤッター」という声をあげるのは、自分を乗りこえられたとき、新しい自分と出会えたとき。それは、人の上に立てたときとか、人を出し抜いたときなんかではない。
 人間は弱さを支えあい、辛さを分かちあって生きるもの。だから、互いに優しさを必要とする。教室とは、間違えることによって、いっそう賢くなるという不思議なことが起こるところ。
ある中学校の修学旅行に向けての話し合いのとき。みんなで、ガイドさんを泣かせようという目標を立てた。困らせて泣かせようというのではない。それなら簡単だけど、楽しいことでもない。そうではなくて、別れのときに別れを惜しんでガイドさんを泣かせようというもの。
 いやあ、これはすごい目標です。ガイドさんの説明をよく聞き、親しみ、楽しい旅にしなければいけない。そのうえで、もうひとつ何かが必要です。
この目標をやり切ったクラスは、とてつもない達成感があったことでしょう。すばらしいことですね。なによりの修学旅行の思い出となったことでしょう。
 しばし、学生のころに戻った気分に浸ることができました。みんなに読んでほしい、いい本です。
(2014年4月刊。1600円+税)

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2014年7月19日

ちばてつやが語る「ちばてつや」

社会


著者  ちば てつや 、 出版  集英社新書

 「ちばてつや」というと、『あしたのジョー』です。「週刊少年マガジン」で連載が始まったのは、私が東京に出て1年たとうとした1968年1月のことです。6人部屋の大学の寮に入って楽しい日々を過ごしていました。誰かが買ってくる週刊誌を、みんなでまわし読みしていたのです。矢吹丈と力石徹のリング上の決戦に夢中になっていました。毎週の発売日が待ち遠しかったものです。
 私は、「ちばてつや」の絵が大好きです。登場人物の顔が丸顔で、なんだか、ほのぼのしているところがいいのです。
「ちばてつや」は、実は、終戦時に6歳で、生命からがら満州から引き揚げてきたという体験の持ち主です。ですから、筋金入りの反戦・平和主義者なのです。それを知って、私は、「ちばてつや」がますます好きになりました。だから、私は戦争大好き人間の安倍首相にとりいる百田尚樹が大嫌いです。
 子どもの読む戦記ものマンガでは、どれも主人公が格好いいヒーロー漫画になっている。それが少し心配だ。こんな描き方をしたら、読んだ子どもが「戦争は格好いい」と思い込んでしまうのではないか。戦争をスポーツのように描いていいものだろうか・・・。
 私のなかには、戦争で無残に死んでいった若者たちへの追悼の思いが深くあった。そんな戦争とは一体何なのかと、リアルに問いかけたかった。戦争というものは、絶対にやってはいけないと少しでも伝えたくて、体験記を描いた。そう言う気持ちを忘れてはいけないと、私は、今でも毎朝、水を一杯コップに入れて追悼している。
 著者が『あしたのジョー』を描きはじめたのは28歳のとき。私が読みはじめたのは18歳ですから、なんと、10歳しか年齢は違わなかったのですね。そして、5年間の連載が終わったとき、著者は34歳になっていた。
 プロの漫画家になるには、読む人をワクワク、ドキドキさせるにはどうしたらよいか、そこで苦労しなくてはいけない。とても苦しい作業だが、それこそが漫画家という仕事なのだ。
読者をワクワクドキドキさせるためには、何が一番重要か。まず、描く人が「根」を張ること。「根」というのは、漫画という花を咲かせるために必要な感性やアイデア、知識、教養のこと。その根を自分という土壌の中にいかに、張りめぐらせるか。それが創作の根幹である。
 いろいろな本を読み、映画をみ、伝記や資料を調べて読み解く。それからドラマを見つけ、人生や哲学を感じとる心を養うこと。文学も美術も音楽も、ときに思いもよらない創作のヒントを与えてくれる。
 詩情あふれる、さまざまな名曲を聴いて感動する気持ちが持てなければ、漫画においても情景描写はできない。あるいは好きな詩の一節に思いを馳せ、心に残る名画をイメージしてみる。そうした作者の心の軌跡が、漫画の線の一本一本を生き生きとさせ、読者の心にも響いていく。
 こんなことは漫画とは関係ないとは思わずに、好奇心のままにいろんな分野に耽溺(たんでき)してみることだ。
 味わい深いコトバが満載の、すばらしい「ちばてつや」の本です。
(2014年5月刊。760円+税)

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2014年7月20日

風の海峡(上)

日本史(戦国)


著者  吉橋 通夫 、 出版  講談社

 秀吉の朝鮮出兵について、児童文学の傑作があるというのを知りませんでした。本当に、世の中は、いつだって、知らないことだらけです。
対馬に生まれて、朝鮮は釜山に渡った日本人14歳の少年、梯(かけはし)進吾がもの物語の主人公です。母を亡くし、対朝鮮貿易業に従事する父のもとで、朝鮮語も自由に話せます。
 釜山には、日本人商人の住む倭館がありました。大勢の日本人が、日本と朝鮮の貿易に従事していたのです。そして、その元締めは対馬藩主でした。当時の対馬藩主の宗(そう)義智(よしとし)は、小西行長の娘婿でもありました。
 平和な朝鮮半島に、突然、日本軍が襲いかかってきます。進吾の友人である朝鮮人の俊民と勢雅と、生命を賭けて戦わなければいけないなんて、進吾には理解できない話です。ところが、秀吉の派遣した日本軍は破竹の勢いで朝鮮半島を北上して侵攻していくのです。
 4月13日に釜山鎮城で戦いを始めてから5月2日までに、東莱(トンネ)、梁山、密陽、大邸(テグ)、尚州と、次々に攻め落とし、ついに王都・漢城(ハンソン)に迫った。
 日本軍が勝ち続けたのは、火縄銃のおかげ。朝鮮軍の武器は、おもに弓矢や刀剣など。火縄銃は弓矢の3倍の射程距離がある。朝鮮軍も火砲類を持ってはいるが、射程距離は短く、城を守るには役立たなかった。
 日本では、ついにこのあいだまで戦国大名同士の領地を奪いあう戦乱の世が100年も続いて、兵士が戦(いくさ)慣れしている。
 ところが、朝鮮では、武力支配ではなく文治政治が続いていた。戦った経験のないもの同士が集まって謀議をこらす。そのうえ、王朝の重臣たちが二つに分かれて勢力争いをしている。
 朝鮮の人々の反撃が始まるなか、日本軍の将兵が集団で投降してきた。朝鮮軍は、これを受け入れた。「沙也可」(さやか)という名前の将軍と部下の兵士たち、あわせて30人の兵が、30挺の火縄銃とともに朝鮮軍へ投降してきた。
 児童文学書ではありますが、また、それだからこそ、きちんと歴史的事実を踏まえています。そして面白い本です。
(2011年9月刊。1300円+税)

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2014年7月21日

藤子・F・不二雄の発想術

社会


著者  藤子・F・不二雄  、 出版  小学館新書

 オバケのQ太郎、そしてドラエモンときたら、日本人で知らない人はいないと思います。そんな国民的マンガのキャラクターを生み出したマンガ家のコトバですから、とても重みがあります。読んでいて、つい、うんうんとうなずいてしまいました。
 小学校のころは、ひどく人見知りする子だった。カケッコもできず、教室の前に立って話すことができない。そのうえ、なんと、絵が嫌いだった。いじめられっ子だった。
ところが、手塚治虫のマンガに出会って、大きなショックを受けたのです。そのため、マンガを卒業できなかった。ファンレターを書いたところ、手塚治虫から返事が来た。
 昭和27年に高校の電気科を卒業して会社に就職した。ところが、マンガを書きつづけたい。そこへ、手塚先生から、「君たち、上京してきなさい。二人でも十分やっていけるから」という手紙が飛び込んできた。
なんということでしょう。おどろきの手紙ですよね。それほど、才能を見込まれたということでしょうね。
 母親は、息子から上京すると告げられたとき、「そうけ」と平然として答えた。これまた、大した母親ですね。今どき、考えられませんよね。よほど、息子を信頼していたのですね。
 初めは、両国の2畳一間の下宿。押入れもない。半年たって、トキワ壮に移った。4畳半。敷金3万円は不要だった。2年後に、手塚先生に返した。
 マンガを描く意欲をずっと持ち続けられたのは、仲間がいたこと。気が多いというか、好奇心は旺盛だった。
 「オバケのQ太郎」を連載していたときには、それほど人気がなかった。ところが、やめたら抗議のハガキが来た。それで、再開することになった。
 なんとなくわかりますよね。その時時代に生きていた私としては・・・・。
 若いころは、絵もアイデアも早くて、3時間もあれば13頁分を考えついていた。
「キミたちの絵は古い。こんな丸い線は、もうはやらない」
 新人のとき、古くてダメだと言われた。だから、もうこれ以上古くなりようがない。それで、強くなった。
 独創力のための条件は、第一に、数多くの断片をもつこと、第二に、その断片を組み合わせる能力をもつこと。
 人間は本当に複雑ないきものだから、マンガ家は、キャラクターを枠にはめてしまうのではなく、柔軟な目をもってキャラクターの個性を生かし、ある程度自由に行動できるゆとりを持たせていくべきだ。
 思いついたときに、手帳にすぐメモしておく。このとき、タネをふくらませずに書いておくことが大切。自分のスタイルに絶えず挑戦していくことが重要な課題となる。
 結局、自分自身を自作に登場させている。遠い少年の日の記憶を呼び起こし、体験したこと、考えたこと、喜び悲しみ悩みなど・・・。それを核とし、肉づけし、外見だけを現代風によそわせて登場人物にしている。
なーるほど、なるほど、と納得のいく本でした。それにしても、すごいマンガ家です。

(2014年2月刊。700円+税)

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2014年7月22日

光る生物の話

生き物


著者  下村 脩 、 出版  朝日新聞出版

 身近な光る生物といえば、なんといってもホタルです。私の家から歩いて5分のところにホタルが飛びかう小川が流れています。コンクリート三面張りにした部分も、やがて土で覆われて、少しずつホタルが回復しています。
 本格的な梅雨入りすると、このあたりのホタルは季節は終わります。よそは8月に入ってもホタルが飛びかうようですから、私のところは早いのでしょう。
ホタルが光るのは、雌雄間の求愛行為。ホタルの点滅は、誤差20ミリ秒という正確さで同調している。ただし、雄ホタルの点滅発光は、同調しているが、雌ホタルの点滅発光は、同調発光しない。だから、雄ホタル発見できるのですよね。
雄ホタルの発酵時間は0.1秒で、発行間隔は1秒。ただし、種によって、多少異なる。
 生物が光を放つのは、化学反応である。ルシフェリンは、ルシフェラーゼの触媒作用により酸化されて、発光エネルギーを与える有機化合物である。発光量は反応したルシフェリン量に比例する。
 発光反応では、ルシフェリンが酸化され、大きなエネルギーをもつ励起状態の酸化物(発光体)を生じ、それが、通常のエネルギーの基底状態に変わるときに、余分のエネルギーを光子(フォトン)として放出する。
 著者は、光るウミホタルの研究のため500万匹のウミホタルをつかった。オワンクラゲの研究では、18年間に85万匹を、1匹1匹、手網で採取して使った。採取ノルマは、1日300匹だった。すごいですね。大変だったでしょうね・・・。
 オワンクラゲは緑に光るが、それから得た発光タンパク質イクオリンはカルシウムで青く光る。これは、オワンクラゲの発光細胞中には、イクオリンと緑色蛍光たんぱく質GFPが共存するためである。
 ノーベル賞を受賞した学者の涙ぐましい努力のあとがしのばれる本です。
(2014年4月刊。1300円+税)

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2014年7月23日

日本は戦争をするのか

社会


著者  半田 滋 、 出版  岩波新書

 安倍内閣がついに閣議決定を強行して、集団的自衛権の行使を容認しました。本当に、とんでもない暴走内閣です。安倍首相は、外遊したときには日本は一変した(一新した)と言い、日本人向けには、いや前どおりです、戦争をするわけではありません、などと、まさしく二枚舌を「器用に」使い分けています。その点の追及がマスコミに弱いのが、もどかしくてなりません。とりわけ、NHKはひどいですよね。まるで政府広報番組のオンパレードです。
 ジャーナリストきっての軍事通である著者の本です。サブタイトルは、まさしく集団的自衛権と自衛隊です。私たちの知りたいことが満載の本です。いま必読の新書ですよ。
 国民の疑問に丁寧にこたえ、不安を解消して行くのが政治家の務めのはずだが、安倍首相は違う。国内においては、「わが国を取り巻く安全保障環境がいっそう悪化している」と繰り返して国民の不安をあおり、だから憲法解釈を変更して集団的自衛権の行使を容認しなければならないと声をはり上げる。
 だから、国民の中にも、アジアの危機的状況に立ち向かうためには憲法改正手続なんか、やってられないという焦った声があがるのです・・・。
 アメリカの「行くべきではない」というメッセージを無視して、安倍首相は靖国神社への参拝を強行した。外交においては、中国、韓国ばかりでなく、アメリカまでも刺激し続け、安全保障環境を自ら悪化させている。靖国神社には、東條英樹元首相らA級戦犯14人が合祀されている。そして、そのことから昭和天皇は参拝をやめた。いまの平成天皇も、もちろん一度も行っていません。
 安倍首相が靖国神社を参拝すると、アメリカ政府は失望しているとのコメント発表した。
 アメリカは、「靖国神社」参拝は見送るべきだという考え方で一貫していた。安倍首相と、その取り巻き連中は、アメリカの考えを知っていながら、これをあえて無視した。
 4月に来日したオバマ大統領は、国賓にもかかわらず、赤坂の迎賓館には宿泊せず、都内のホテルに泊まった。
 安倍首相がアメリカに行ったとき、韓国の朴大統領とは扱いに大きな差があった。共同記者会見はなく、アメリカ議会での演説もない。明らかに冷遇されたのですよね。
いま、アメリカにとって最大の輸出相手国は日本ではなく、中国である。
 安倍首相は、立憲主義を時代錯誤だと考えています。
 「最高の責任者は私です」
 「政府の方針に私が責任を負って、そのうえで選挙で国民の審判を受ける。審判を受けるのは法制局長官ではない。私なんですよ・・・」
 安倍首相の強気を支えるのは、高い内閣支持率だ。就任から1年を経過しても50%の支持率を維持する政権は珍しい。安倍首相は危機意識をあおり、国民の不安に乗じて、憲法解釈を変えようというのだ。
興味深いことに、集団的自衛権を行使して戦争に介入した国々は「勝利」していない。
 「北朝鮮から攻撃されたら、どうする?」
 「中国に尖閣諸島を奪われるかもしれない」
 これらを根拠に集団的自衛権の行使を容認してはならない。いずれも個別的自衛権で対処できないはずはない。
年間に30~40回もあった日中交流が、第二次安倍政権ではゼロになった。
 日本が中国と競い合って軍事費を増やし、自衛隊の出動規定をゆるめたら、アジア全体の軍拡競争につながり、地域情勢は不安定化するだろう。
 北朝鮮がアメリカを攻撃するより、アメリカによる北朝鮮攻撃のほうが、はるかに可能性が高い。いずれにせよ、アメリカと北朝鮮が戦争すれれば、全国にアメリカ軍基地をかかえる日本は必然的に戦争に巻き込まれるだろう。
 安倍首相のいう「積極的平和主義」とは、日本国憲法の柱のひとつである平和主義とはまるで違うものである。
現代の戦争に、戦場そのものの「戦闘正面」と、補給したり、休養したりする「後方地域」を区別することに意味はない。燃料、弾薬、食糧の補給なしに戦争を継続するのは不可能だ。
日本には、使用済み核燃料棒を補完する原発や関連施設が55カ所もある。その一つでもテロ攻撃されたら、日本という国は破壊してしまうのです。それを考えただけでも身震いします。
 自衛隊には「人助け」を目的として入隊してくる若者が少なくない。初任給は16万円。2年任期までまわっていく。一佐(47歳)は1243万円の年収がある。
 自衛隊がどう変わっていくのか。そのとき、大半の自衛隊員にとっては、単なる内輪ゲンカのレベルではありません。生か死の瀬戸際に立たされるのです。
いま、自衛隊から目を離せません。ぜひとも広く読まれてほしい本です。
(2014年5月刊。740円+税)

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2014年7月24日

「新富裕層」が日本を滅ぼす

社会

著者  武田 知弘 、 出版  中公新書ラクレ

 いつのまにか、日本という国は中身がすっかり変わってしまったのですね。
 この本を読むと、アベノミクスを手放しで礼讃する人々がたくさんいる理由がよく分かります。私のまわりには不景気な話ばかりなのですが、世の中には、もうかって仕方がない人、ありあまったお金の使いみちが分からずに困っている人が、なんとたくさんいることでしょう・・・。信じられない思いです。
 日本には、世界的に見ても巨額の資産がある。個人金融資産は1500兆円に達している(2006年)。バブル末期の1990年には1017兆円だったから、わずか16年で50%増となった。「失われた20年」のあいだに、潤っている人間は、しっかり潤ってきたのだ。
 今の日本は億万長者が激増している。2004年に134万人だったのが、2011年には182万人になった。これは、世界全体の富裕層の17%を占める。世界の人口の2%でしかない日本人が、世界の富裕層の17%も占めている。アメリカの307万人に次いで世界第2位である。7人口比率から言えば、日本のほうが富裕層が多い。
 ところが、大金持ちへの減税が進んでいる。所得税率は、1980年に75%、1986年に70%、1987年に60%、1989年に50%、そして2010年には40%にまで下げられた。住民税のほうも、18%だったのが10%になっている。このため、最高時に27兆円近くあった所得税収入が、2009年には13兆円にまで激減している。
金持ちは、元からいい生活をしているので、収入が増えても消費はあまり増えない。結局、貯蓄にまわってしまう。
日本の金持ちの所得税には、いろいろな抜け穴があり、名目税率は高いけれど、実質的な負担税率は驚くほど安い。アメリカ、ドイツ、フランスは、どこもGDP比で10%以上の負担率であり、イギリスは13.5%なのに、日本はわずかに7.2%でしかない。アメリカの所得税の税収は、日本の7倍もある。
 つまり、日本の貧乏人はアメリカの貧乏人よりも多くの税負担をしている。
日本の相続税は大幅に減税された。1988年までに最高税率は75%だったが、2003年には50%に下がった。この結果、相続税は税収としての機能をまったく失った。
 ピーク時には3兆円あった相続税の税収は、いまでは1兆円となって、2兆円も減収した。
 しかも、この55%というのは名目上のことで、実際には、驚くほど税金は安い。
 今の日本では、富裕層とともに、大企業もお金をため込みすぎている。日本の企業の業績は、バブルの崩壊後も、決して悪くはなかった。バブルの崩壊後、国民の多くは、日本経済は低迷していると思い込まされ、低賃金や増税に耐えてきた。しかし、その前提条件は、実は間違いなのである。
日本の法人税は、たしかに名目上は非常に高い。しかし、いろいろ抜け穴があり、実際の税負担は、まったく大したことがない。総合的に考えると、日本企業の社会的負担は先進国のなかでは低いほうであり、もっと負担すべきだ。
法人税が減税されたら、サラリーマンの給料は下がる。だから、サラリーマンは、間違っても法人税の減税に賛成などしてはならない。
 企業は人件費を削って、配当にまわすという愚を普通に犯してきた。大企業は、この20年間で人件費を20%もカットし、内部留保金を100兆円以上、ふやしてきた。そんなことをすれば、お金の流れが滞るのはあたりまえだし、景気が低迷するのも必然だ。
賃金が上がっていないのは、主要先進国では、日本だけ。政府が最低賃金を上げてこなかったのは、財界の反発が強かったからだ。
 週40時間まともに働いても家庭を養っていけないような国で、まともな人材が育つわけがない。
 先進国のなかで、これほど非正規雇用がふえているのは、日本以外にはアメリカだけ。日本は非正規雇用の言い合いが35%にもなっている。
 日本で生活保護レベル以下の生活をしている人は1000万人以上いると推定されている。実際に保護を受けている人は、200万人なので800万人が生活保護の受給からもれている。
 人件費を削減すれば、短期的には企業の実績は上がるだろう。しかし、長期的に見れば、日本企業の破滅を招くことになる。日本の消費税は、経済を停滞させ、格差社会を助長する最悪の税金である。
 日本社会構造、そして、日本人の意識を根本的に変革する必要があると思いました。
 とても分かりやすい本です。ご一読を強くおすすめします。
(2014年2月刊。780円+税)

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2014年7月25日

夜間保育と子どもたち

社会


著者  櫻井 慶一 、 出版  北大路書房

 夜間保育と聞くと、なんとなくマイナス・イメージがありますよね。でも、この本を読むと、これがすっかりプラスイメージに変わってしまいます。やっぱり、体験者の話には耳を傾けるだけの価値があります。
 「夜間保育は、子どもの成長・発達に悪影響を及ぼすだろう」
 この予言が、実はあたっていないことが、長年にわたる調査・研究によって明らかにされた。夜間保育は、現実には、決して子どもの成長・発達に悪影響を及ぼすものではない。むしろ、こどもの成長・発達に悪影響を及ぼす環境を改善し、子どもの健全育成に資するものである。
 夜間保育が望ましくないのではなく、夜間保育を必要とする子どもの置かれた環境が望ましくないのであり、その厳しい環境に置かれた子どもを夜間保育によって、少しでも望ましい状態に替えることが児童福祉の精神なのである。まことにそのとおりだと思いました。
 全国にある認可保育園は2万3700カ所。そのなかで認可された夜間保育園は、なんとわずか80カ所。全国のベビーホテルは1830カ所、3万3000人ほど。
 夜間保育園は、夜間のみではなく、夜間まで開いている保育園。24時間いつでも預かれる保育態勢にあるということ。
夜間保育で育った子どもたちは社会のために役立ちたい、人とのつながりを大切にしたい、前向きに一生けん命努力したい、誠実で人から信頼される人になりたいと思う子が全国平均よりも高くなっている。
これには理由がある。子どもたちは、乳幼児期に保護者のがんばっている姿を見て育ち、夜中まで保育士が自分を支えてくれたという体験をしていることが大きい。
 夜間保育園で、子どもが昼夜二食、安全でバランスがとれ、おいしい食事をとっていること、園によっては、入浴・寝かしつけも担っていることが、親の安心とストレス解消につながり、逆に短くても子どもとの時間を満喫し、楽しめるようになっている。
 入眠時に、深い安心のなかで眠りにつける、そのためのゆとりある体制が必要。
 眠りの途中で目覚めた子どもが、そのときいつでも大人がいることを感じて安心し、再び眠りにつくことのできる体制を確保する。
 あわせて、仕事が終わってホッとしている、お迎えの保護者から雑談的に子育てや生活の悩みが聞ける体制が必要。
 そうなんですよね。そこまでゆとりある夜間保育園なら、かえって安心ですよね。イライラするばかりの親と一緒よりも・・・。
 福岡の宇都宮英人弁護士からすすめられて読みました。生活が困難ななかで、子どもと一緒にがんばっている親をしっかり支えている夜間保育所について、認識を改めることができました。全国夜間保育園連盟の創立30周年記念の本です。
 子どもの福祉行政の貧困さを告発する本でもあります。読んでいて、なんだかうれしくなる、心が温まる体験記がたくさんある、いい本です。ぜひ、ご一読ください。
(2014年3月刊。2000円+税)

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2014年7月26日

ラスト・バタリオン

日本史(戦後)


著者  野嶋 剛 、 出版  講談社

 旧日本軍の上級将校が蒋介石の下で大陸反攻作戦に関わっていた事実を丹念に掘り起こした労作です。
台湾において、蒋介石の指示のもと、中国を取り戻すための「大陸反攻計画」の策定に深くかかわり、1968年に「白団」が解散するまで台湾にとどまっていた。
数百人に及ぶ帝国陸海軍の軍人が台湾渡航の打診を受け、100人が正式に応じたが、実際に台湾に渡ったのは83人だった。
蒋介石は、中国大陸を中国共産党軍に奪われ、台湾海峡をいつ人民解放軍が押し寄せてくるか分からないなかで、日本軍人によって国民党軍を立て直すというプランに望みをつないでいた。日本軍人の力を借りて、共産党に対抗する。これが蒋介石の秘策だった。
 白団のメンバーに加入すれば、出発手当として、団長は20万円、団員は8万円が支給される。さらに、留守宅手当として1ヵ月につき3万円が支給され、契約満了時には、離任手当として5万円が支給される。このころ(昭和25年)の大卒初任給は3千円だった。そして、勤務による病気・負傷のときは台湾側が治療し、日本への移送にも責任をもつこととされた。
台湾に撤退したとき、国民党政府の軍は悲惨な状態にあった。ところが、蒋介石にとって、この台湾撤退は、それまで頭を悩ませてきた陸軍の派閥と腐敗という問題を解決するための絶好の機会となった。「白団」によって中央集権的な軍事教育を企図したのだ。
 「白団」は、あとでアメリカ軍の警戒の目から逃れるために「覆面」の地下組織となったが、当初は公的な組織だった。最初は「訓練班」という名称だったが、すぐに「訓練団」と改名し、団長には蒋介石みずからが就任した。
 1951年には、「白団」の日本人教官は76人が在籍していた。これが最大人数。
 蒋介石は1915年、28歳のときに日記を書きはじめ、85歳になった1972年まで、57年間にわたって日記をつけた。その日記のなかに「白団」関係は、しばしば登場している。
 蒋介石は、台湾に渡るとき、故宮の貴重な文物を運び、また、黄金を持ち出した。運ばれた金塊は2500億円以上の価値があった。
 台湾の戦後政治の変遷のなかで「白団」はどう位置づけられるのかなど、歴史的な掘り下げの点で、いささか突っ込み不足ではないか、少し物足りないところも感じました。それでも、よく調べていることは間違いありません。戦後日本史の貴重な一断面です。
(2014年4月刊。2500円+税)

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2014年7月27日

大学教授がガンになってわかったこと

人間


著者  山口 仲美 、 出版  幻冬舎新書

 体験者が、とても率直に経験を語っていますので、大変参考になりました。でも、東京だからこそ、こんなに医師について選択の幅があるのではないか、田舎に住んでいたら、これほど選択するのは難しいだろうな・・・、かすかな不安も覚えました。
 ネットで病院を調べることは田舎でも出来ます。だけど、身近にいい病院がいくつもあるとはとても思えません。
 それはともかくとして、ともかく実践的かつ実務に役立つ内容です。
 著者は、まずは大腸ガンが判明しました。
最終的には自分で決断する以外にない。自分で選んだものは、たとえ結果がまずくても、覚悟が出来ている。自分で病院を決定する。これは患者の大事な心得だ。
 病院選びは、とても重要なのである。それによって生死が分かれることがある。病院については、義理・人情を取っ払って、別の病院で診てもらう決断が必要。セカンド・オピニオンだ。
セカンドオピニオンを受けるためには主治医にその旨を申し出て相談し、主治医の書いてくれた紹介状と検査結果のデータをもってセカンドオピニオンを仰ぎに行くという手順を踏む必要がある。
 ええーっ、これって、案外に面倒なことですよね・・・。これまでは気軽に他の医師の意見も聞いてみようということにはなりませんね。
 最初に選んだ病院がダメな病院だと思ったら、できるだけ早く他の病院へ移ること。そうしないと、あたら命を失うことになりかねない。
選んだ病院がよかったのか、ひき続き観察し続ける必要もある。
 人気のある病院には、なかなか入院できないというデメリットがある。
個室の良さは、トイレが占有できること。大腸ガンの手術の前後には、世の中でトイレほど大事なものはない。トイレは親友だ。出血はないか、尿は出るか、ガスは出るか、便は出るか...。トイレに通いつめ、吐くこともある。そして、睡眠時間が確保できる。これらは、出費の多さに変えられないメリットなのである。
著者は時間をかけて気持ちを立て直し、ようやくガンである事実を受けとめ、前向きに対処する気になった。
そして、著者は、さらに、すい臓にもガンがあることが判明したのでした。
手術を受けた患者にできる唯一最大の回復術は、身体を動かすこと、これに尽きる。術後すぐに体を動かし、食事をきちんと食べる人の回復力はすごい。
 抗がん剤は、細胞を殺す作用をもつ薬剤。コースがすすむごとに毒性が蓄積され、だんだん体がつらくなっていく。抗ガン剤をやめる決断を下すのには、むしろ継続するより勇気がいる。ガンの種類によって、抗がん剤の効き目は違う。
 熱い湯には入らないこと。がん細胞とたたかってくれるリンパ球を減少させてしまう。お腹は温める。冷やしてはいけない。
寝る前に、お白湯(はくとう)を200cc飲む。毎日、良質のオリーブ・オイルをスプーン一杯のむ。また、ヨーグルトを毎日食べる。
 ぜひとも、著者には元気に長生きしてほしいと思いました。
(2014年3月刊。800円+税)

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2014年7月28日

アルゼンチンアリ

生き物


著者  田付 貞洋 、 出版  東京大学出版会

 アルゼンチンアリとは、聞き慣れないアリですが、日本と無関係のようでいて、いまや全世界にネットワークを拡大中の史上最強の侵略外来種であるアリなのです。当然、日本でも大いに繁殖しています。といっても、この本によると、九州ではまだ見つかっていないとのこと。本当でしょうか・・・。
 アルゼンチンアリは体長3ミリたらずの、チョコレート色をした小さい、ごく普通のアリ。強大なキバや毒針もない。それなのに、過去15年あまりのあいだに原産地南米の一隅から世界中に分布し拡大し、「史上最強の侵略的外来種」とまで言われる存在になった。
 アルゼンチンアリは、一つの巣のなかに多数の女王が存在する。大きな巣では、1000頭を優にこす女王がいる。女王は巣内で何度も交尾する。ワーカーのアリの寿命は半年ほど。女王の寿命も短く、10ヵ月程度。女王のいない巣であっても、そこに幼虫がいれば、それを女王に育て上げることができる。
 日本へのアルゼンチンアリの侵入によって、在来の地上徘徊性のアリ類が著しく排除されている。イチゴやイチジク、スイカなどの果実にアルゼンチンアリが来集する被害が生じている。
アルゼンチンアリの行列は、線状の1列のものではなく、2~3列以上の帯状である。大きな行列では幅が20センチをこえるときがある。
 アルゼンチンアリは巣分かれの繰り返しによって、多数の巣が協力しあうスーパーコロニーを形成し、なわばり争いをしない。雑食性で、なんでもエサとする。アルゼンチンアリの巣は、一生固定した巣ではなく、営巣場所の環境が悪くなると、すぐに巣を移動する。
 アルゼンチンアリが日本で発見されたのは1993年7月広島県廿日市市でのこと。
 2013年8月現在、1都11府県に広がっている。ゴミ箱に頻繁に来集するのでゴミとともに運搬される機会も非常に多い。
 アルゼンチンアリは地球規模で一つのスーパーコロニー、つまりメガコロニーを形成している。この大きさは人間社会以外に匹敵するものがない。
 アルゼンチンアリの分布拡大は、人間活動に強く依存していることから、人間は知らず識らずのうちに、自分たちの社会に匹敵するアルゼンチンアリの巨大社会をつくっていたことになる。
 これは、二匹のアリをプラスチックシャーレに入れて観察し、敵対行動をとるかどうかで判定して判明したのです。
 侵略的外来種対策の基本は根絶。アリの巣に持ち帰らせて根絶を図るベイト剤は有効のようです。とりあえずは「タダの虫」にして、そして根絶する。
アルゼンチンアリについての百科全書のような本(300頁)です。勉強になりました。
(2014年3月刊。4800円+税)

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2014年7月29日

検証・法治国家崩壊

日本史(戦後)


著者  吉田敏浩・新原昭治・未浪靖司 、 出版  創元社

 タイトルからは何が論じられているのか不明ですが、砂川事件の最高裁判決、つまり田中耕太郎長官がアメリカとの共同謀議で在日米軍を合憲とした司法の汚点が今なお尾を引きずっていることを、その歴史的位置づけを明らかにしつつ暴いた本です。
 アメリカのいいところは、30年たったら秘密文書が公開されるところです。著者たちは、アメリカの公文書館で公開資料を読みあさって、「宝の山」を掘りあてたのでした。
 それにしても、おぞましい最高裁の汚点です。吐き気すら催してしまいます。
 そして、これが55年前の古証文の汚点を暴いたというのに留まらず、現代日本においても、その桎梏が私たちを苦しめているところが問題です。
 まずは、田中耕太郎の犯罪的役割を確認しておきましょう。
 1959年12月16日、日本の最高裁が砂川事件で出した判決は、アメリカ軍の治外法権を認めた。そして、この裁判所は、実は、その最初から最後まで、アメリカ政府の意を受けた駐日大使のシナリオどおりに進行していた。
 田中耕太郎長官は、アメリカからの内政干渉を受け、唯々諾々とアメリカの意向に沿って行動した。日本の最高裁は、憲法の定める司法権独立が侵された大きな歴史の汚点を背負っている。
 米軍駐留は憲法違反だと明快に断じた伊達判決はアメリカにとって大打撃だった。マッカーサー大使は、表向きの記者会見では、「コメントするのは不適切だ」としつつ、裏では素早く日本政府に介入した。
 最高裁への跳躍上告をすすめたのもアメリカだった。
 1959年から1960年にかけて安保条約改定の秘密交渉と砂川事件裁判への政治的工作が、こっそり同時併行で進められていった。それは、日比谷公園に面した帝国ホテルが会場とされた。
 1959年4月、今の天皇が結婚パレードをするころ、田中耕太郎は、マッカーサー大使に最高裁の合議の秘密を全部バラしていた。判決時期、最高裁の内部事情など、裁判の一方当事者と言えるアメリカ政府を代表とするアメリカ大使にすべてを教えていた。
 いやはや、とんだ男が長官でした。呆れはてて、声を失います。
 1959年11月、安保改正の秘密交渉が大詰めを迎えていたころ、マッカーサー大使は、田中耕太郎と再び密談した。その場所までは書かれていないが、アメリカ政府あての報告書に内容が紹介されている。
 「田中最高裁長官との最近の非公式の会談のなかで、砂川事件について短時間はなしあった。長官は、時期はまだ決まっていないが、来年の初めまでには判決を出せるようにしたいと言った。田中耕太郎長官は、下級審の判決が支持されると思っているという様子は見せなかった。反対に、それはくつがえされるだろうが、重要なのは、15人のうちの出来るだけ多くの裁判官が憲法問題に関わって裁定することだと考えているという印象だった。
 田中長官は、こうした憲法問題に伊達判事が判決するのはまったくの誤りだと述べた」
 マッカーサー大使は、田中の話を聞いて、さぞかし満足し、安心したことだろう。
 同時に、心の中では田中耕太郎を軽蔑したのではないでしょうか・・・。まことに、田中耕太郎とは唾棄すべき存在です。
 憲法の番人と言われる最高裁。その長官で、全国の裁判所・裁判官のトップに立ち、率先して裁判所法そして、評議の秘密を、なにより法律全般を守らなければならない人物、日本の司法の最高責任者ともいうべき人間が、評議の秘密をもらしていた。これこそ「法治国家崩壊」と呼ぶべき大事件ではないのか・・・。私もまことにそのとおりだと思います。
ところが、田中耕太郎は、裁判所内部の訓示では、「裁判の威信を守れ」などと言っていたのでした。典型的な二枚舌です。
 最高裁判決には、きわめて大きな矛盾がある。東京地裁の伊達判決について、「米軍駐留は違憲だ」としたのを、裁判所の司法審査の範囲の逸脱だと非難している。しかし同時に、最高裁みずから「米軍駐留は事実上合憲だ」と判断した。これこそ典型的な矛盾であって、両立しえないところである。
 田中耕太郎は判決後、記者に取り囲まれ、次のように述べた。
 「裁判所は、いかなる意味でも、政治的意図に動かされてのものではない」
 本当に、そらぞらしい嘘を平気で口にしています。聞いているほうが恥ずかしくなります。
砂川事件最高裁判決と日米密約交渉は、戦後日本の進路を対米従属のレールに固定化する役割を果たしたと言える。「安保法体系」という日本の主権を制限する法体系に優越性をももたせ、密約と情報隠蔽の構造で米軍優位の不平等な日米関係を容認したのだ。
 米軍機の騒音公害問題、米軍基地の強制収容の問題など、1959年の最高裁判決が半世紀以上にわたって厚い壁となって住民や地方自治体の前に立ちはだかっている。
 本年(2014年)6月、砂川事件最高判決を失効させるため、東京地裁に免訴を求めて再審請求した。この再審請求を認めてこそ、日本の裁判所には救いがあることになります。却下するようだったら、日本の司法は暗黒そのものに陥ってしまうでしょうね、残念ながら・・・。
 著者の一人である末浪靖司氏より贈呈されましたので、ここにあつく御礼を申しあげます。
 再審が認められ、田中耕太郎という人物を日本人、とりわけ司法関係者は恥ずかしくてその名を口にも出来ないという事態を早く迎えたいものです。
(2014年7月刊。1500円+税)

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2014年7月30日

強欲の帝国

アメリカ


著者  チャールズ・ファーガソン 、 出版  早川書房

 アメリカやヨーロッパの大手銀行は、金融危機を招いた行動に加えて、エンロンをはじめとする大企業の不正の幇助、麻薬カルテルやイラン軍のための資金洗浄(マネー・ロンダリング)、脱税幇助、腐敗した独裁者の資産の隠匿、談合による価格決定、さまざまな形での金融詐欺を行っていたことが暴き出されている。アメリカの金融部門が、過去30年間で、ならず者産業になり下がった証拠は、今では明白だ。
 世界経済を危険にさらす重大な不正を行ったら刑務所に行くこと、そして不正に得た富は没収されることになれば不正は小さくなるだろうが、そのようにはならなかった。
アメリカのホームレスは人口は明らかに急増している。2011年には、アメリカ全土で200万軒以上の住宅が差押えされた。フードスタンプの利用者数は1800万人増加した。70%の増加率だ。
 今やアメリカの上意中流階級に確実に入るためには、エリート大学の学士号はもちろん、修士号や博士号も必要となる。しかし、こうしたエリート大学に行ける学生の圧倒的多数は、アメリカの最富裕層の家庭の子どもだ。高等教育機関の学費は大幅に上昇しており、高等教育を受ける機会は著しく不平等になっている。
 アメリカの二大政党は、どちらも、現実に存在する経済・社会・教育問題を無視したり、ごまかしたり、利用したりしている。
 アメリカの富と企業と政治を支配している上位1%の人々の経済利益は、過去30年のあいだに、他のアメリカ人の経済的利益から完全に分離してしまった。
 アメリカの金融サービス産業は、ニュー・エリートたちの非道徳性や破壊性、強欲さがこれほどむき出しにされてきた産業はほかにない。
 1980年代のS&L事件では、アメリカの金融部門の数千人の幹部が刑事訴追され、数百人が、刑務所に送られた。
 200年代のサブプライム融資の多くは、持ち家率の向上とは、まったく関係のないものだった。ウォール街や貸付機関は、不正によってポンジ・スキームを生み出し、あおり、利用していた。何百万人ものアメリカは、単にだまされただけだった。家を売ろうとしたとき、初めて気がついた。住宅の価値が3分の1も下がっているため、家を売ることが出来ず、長年かけて貯めたおカネを失ってしまったことに気がついた。
 サブプライム・ローン貸付業は、バブルのあいだに犯罪の蔓延する産業になっていた。
 不法移民は、警察に行くことを恐れていたので、とくにカモにされやすかった。
バブル期には、ウォール街の多くの幹部が自分のまわりに現実から遊離した小世界を築いていた。一般社員の立入を禁止する空間、リムジン・カー、専用エレベーター、ジェット機、ヘリコプター、高級レストランで過ごした。取締役会は、すべて言いなりだった。
ニューヨークの投資銀行家たちは、ナイトクラブやストリップ・クラブで年間10億ドルのお金を使い、会社に対して接待費として会社に請求している。
 それでも彼らについて刑事訴追が行われなかったことから、非倫理的で犯罪的な行動を文化的に容認する姿勢が金融部門の奥深くに埋め込まれた。第二に、個人は刑事罰を受けずにすむという感覚が生まれた。犯罪行為をもくろむ銀行家が刑事訴追という脅威によって抑止されることが、もはやなくなった。
 大手の金融機関がやってきたこと、やっていることは法の下で加えられるべきだったのです。これは、ちょうど、3.11のあと東京電力の会長・社長以下、誰も刑事責任を問われていないことと同じです。無責任集団が出来あがっています。それでも、それを容認したらまずいです。銀行と証券会社がのさばる社会は、やっぱり異常なのですよね。彼らは、何も富を生産しているわけではないのですから・・・。
 大学教授たちは、民事と刑事の双方の金融詐欺訴訟において、大金をもらったうえで、被告らのために証言した。そしてこのとき、1時間の議会証言だけで25万ドルももらう。
 大学教授に大金を支払って特定の政策を擁護させるという現状は、経済・法学の分野だけでなく、政治学や外交政策の分野まで広がりはじめている。
学者の腐敗は、今まではきわめて深く根を張っている。学問の独立性が金融産業をはじめとする有力産業によって、徐々に破壊されている。
 政治家のウソに対するメディアの監視が弱まっている。この点は、日本でも残念ながら同じですね。最近のマスコミ、とりわけNHKのひどさといったら、目もあてられません・・・。
アメリカの刑務所には、常時200万人もの受刑者がいる。1000万人以上のアメリカ人が重罪の前科をもち、交通事故以外の犯罪で服役したことがある。数百万人が何年間も失業したままである。
 アメリカン・ドリームは死にかけている。アメリカの子どもの人生展望は、親の富にますます左右される。
今のアメリカには、三つの教育制度が併存している。その一つは、上位5%の富裕層を対象とするエリート主義で、きわめて質の高い、法外な費用のかかる私立学校制度。二つ目は、しっかりした公立校の学区に住み、子どもを大学にやるゆとりがある中流階級の専門職のためのかなり良質な制度。三つ目は、残りみんなのための、本当にひどい制度である。
アメリカ、とりわけ金融産業のおぞましい実情を厳しく糾弾した本です。日本も一刻も早く他山の石とすべきです。
(2014年4月刊。2700円+税)

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2014年7月31日

冤罪判決実例大全

司法


著者  日本国民救援会 、 出版  桐書房

 裁判員向けのテキスト、読本です。裁判員にあたった人には、ぜひ裁判とは何かを予習するうえで、読んでほしいと思いました。
 プロ(裁判官)の常識は、素人(市民)の非常識。これがサブタイトルになっています。長く(40年も)弁護士をしている私はまったく同感なのですが、当の裁判官は、自分こそ豊富な常識をもっていると自負している人が大半です。
 重箱の隅をつつく議論は得意とするところですが、大局的な見方とか、社会正義の実現という点では、それこそ致命的な弱点をもつ裁判官のなんと多いことか・・・。ときに絶望的な思いに駆られてしまいます。でも、たまに意欲的で良心を忘れていないと思える裁判官にあたると、そうだ、まだ司法は生きている、とうれしくなってしまいます。先日の大飯原発差止訴訟の判決の格調高さに、私はしびれてしまいました。何度も判決文を読みかえしました。
 刑事裁判官のデタラメ判決が、いくつも紹介されています。驚き、かつ呆れはててしまいます。そのきわめつけが、血液型の混合判決です。
被害者はA型、加害少年はB型。乳房に残っていた唾液はAB型。加害少年の唾液と被害者の垢が混じってAB型になったという判決を書いた裁判官がいたのです。その裁判官の名前は、森岡茂、小田健司、阿部文洋です。そして、清水湛、瀨戸正義、小林正という3人の裁判官が、それを再び支持しました。まったくバカバカしい判決です。こんな裁判官に裁かれた被告人は哀れです。この人たちも、今では、心から反省しているものと期待します(反省してますよね・・・?)。
 自らは有罪を言い渡しながら、「もし、やっていなければ・・・」と説示したという裁判官にも呆れてしまいます。
 「以上のとおり、当裁判所は有罪と認定した。キミは、ずっと有罪を主張してきた。もし、やっていなければ仕方ありませんが、もしやっているのであれば、反省してください」
 こんな判決は許されるのでしょうか。疑わしきは罰せず、という法格言を裁判官は忘れてしまっているようです。
 元裁判官が、署名運動には効果があることを認めて、次のように語っています。
 「どんな人でも、自分のやろうとしていることについて、多くの人が関心を寄せていることを感じると、必ずこれは一生けん命にやろう、誰からもケチをつけられないように、批判に耐えられるように、しっかりしたことをやろうと思う。人間心理として当然です。
 投書の内容を読まなくても、これだけ関心を持たれているんだったら、しっかりした判断をしなければダメだという気持ちになる。それは、必ずプラス効果がはたらく」
300頁にみたない本なのですが、ずっしり重たい本です。救援会の意欲は大いに買いますが、もっと薄くして読みやすい冊子にしないと、ぜひ読んでほしい裁判員とその候補者のなかに十分広まらないような気がしました。
 それはともかくとして、大変内容の濃い読本です。ぜひとも読んでほしいと思います。
(2012年7月刊。1500円+税)

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