弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

世界

2014年6月20日

トロイアの真実


著者  大村 幸弘 、 出版  山川出版社

 シュリーマンがトロイアの遺跡を発掘したというのが定説になっています。
 この本は、その定説はきわめて疑わしいことを、豊富な写真と自らの現地での調査(発掘)体験を通じて明らかにしています。私は、なるほどと思いました。
 『イリアス』は、前8世紀に活躍したホメロスが連綿と語り伝えられてきた叙事詩をまとめあげたもの。トロイアの待ちが陥落するまでの50日間も描かれている。
 19世紀に生きたシュリーマンが、トロイアの遺跡を発掘した話は有名です。
 著者は、1972年にトルコのアンカラ大学に留学し、それから43年間もアナトリア高原で考古学の発掘調査と遺跡踏査をおこなってきた。
 そして、アナトリアの発掘調査をおこなえばおこなうほど、シュリーマンが発掘したヒサルルック遺跡が本当にトロイアなのか、疑問に思えてきた。
 遺跡の写真がありますから、現地に行ってなくても、それなりに理解できます。
考古学とは、自分で追いつめないとだめだ。それも、自分の手で。それができないのであれば、発掘現場なんかに立っている意味はない。
 シュリーマンの掘り方は、素人そのものだった。シュリーマンがトロイアとしたヒサルルックについて、その決定的な証拠は何一つない。
 シュリーマンは、発掘を間違ったため、トロイアを探し出すことが出来なかった。
 シュリーマンは、発掘において、遺跡がどこで出土したか詳細に記述していなかった。
 スケッチすることに重点を置いていた。シュリーマンは、層序(地層の重なり)については、まったく無知だった。
 ヒサルルックとは、「城塞」という意味だ。
 シュリーマンは200人の労働者を3ヵ月のあいだ雇用した。その労賃だけで4800万円かかる。その他の運送費用などを含めると6000万円は使っていた。
 シュリーマンは、ヒサルルックをトロイアだとする仮説を最終的には証明できなかった。
 外国での遺跡の発掘調査が、いかに難しいことかも伝わってくる本でした。
(2014年3月刊。2500円+税)

2013年12月27日

天、共に在り

著者  中村 哲 、 出版  NHK出版

アフガニスタンで30年がんばっている著者の話を読むと、心が震える思いがします。
 日本の自衛隊をアフガニスタンへ派遣するなんて有害無益だ。
 著者が国会でこのように述べたとき、自民党の議員たちは野次を飛ばし、著者に対して発言の撤回を求めたそうです。とんでもない議員たちです。なんでも軍事力で解決できると思い込んでいるのですから怖いです。
 中村哲氏は医師としてアフガニスタンへ渡り、医療を施しているうちに、まずは清潔な水が必要。それさえあれば病気の子どもたちの多くは助かると気づいたのでした。そして、大人たちが村を出ていくのは、農業が出来ないから。それでは、井戸を掘り、また用水路をひっぱってこよう。すごいですね。発想しただけでなく、行動に移したのです。写真がありますので、井戸そして用水路のある前と現在の比較が出来ます。
 荒涼たる砂漠が、緑したたる平野に変わっているのを見ると、つい涙が出てしまいます。もらい涙というか、うれし涙です・・・。
 アフガニスタンの人口は2000万人とも2400万人とも言われるが、正確な数字は不明。農民が8割以上、遊牧民が1割。
 幼児が餓死していく。空腹で死ぬのではない。食べ物不足で栄養失調となり、抵抗力が落ちる。そこに汚水を口にして下痢症などの腸感染症にかかり、簡単に落命する。病気のほとんどが十分な食糧と清潔な飲料水さえあれば防げるものだった。
 マルワリード用水路の総工費14億円は、すべてペルシャワール会に寄せられた会費と募金によってまかなわれた。すごいですね。日本人の善意がアフガニスタンの荒野を緑したたる平野にして、農業そして生活と健康をもたらしているのです。
 なにしろ長さ5キロメートルに砂防林だけで20万本の木を植林したといいます。
 写真が壮観です。
ドクター・サブ(お医者様)として、著者の安全は地元住民が最大限の保護をしています。それでも、アメリカ軍の「誤爆」など、危ない目にもあわれたことでしょう。本当に応援したい活動です。著者の自宅は大牟田市にあります。筑後川の堰づくりが活かされているのを知って、うれしくなります。
(2013年11月刊。1600円+税)

 今年は激動の年でした。日本国憲法が本当に危うい状況です。なりふりかまわず戦争する国へ変えようとする安倍政権の執念は恐ろしいばかりです。でも、それに抗する力も大きくなっているように思います。
 日弁連でも憲法問題対策本部をたちあげて本腰を入れて取り組む体制がつくられようとしています。私も及ばずながら全力を挙げるつもりです。
 この1年のご愛読に感謝しつつ、新年も引き続きお読みいただくようお願いします。
 新年がよい年であることを願っています。

2011年7月 1日

パレスチナ・イスラエル紛争史

著者    ダン・コンシャボク、ダウド・フラミー  、 出版   岩波新書

 エルサレム生まれのパレスチナ研究者とアメリカ生まれのユダヤ人がアラブ・イスラエル紛争史をお互いの視点から語った本です。容易に意見は一致しません。それでも、いま現地で両者が憎しみ、殺しあっているわけですから、このような「平和共存」の本が出版されるのには大きな意義があると思います。
 パレスチナは、大シリアの一部として400年ものあいだ、オスマン朝カリフの支配下にあった。そのパレスチナには小さなユダヤ教徒コミュニティが存在しており、その一部はエルサレムやヘブロンなどの宗教的重要性をもつ主要都市に常住していた。これらのコミュニティはずっと昔からあり、アラブの隣人とともに平和に暮らしていた。
 19世紀末、パレスチナの人口は60万人。10%がキリスト教徒、4%がユダヤ教徒であり、大多数がスンニー派のムスリムだった。さまざまなコミュニティ間の関係は概して平穏で、それぞれが独自の生活を営んでいた。
第一次世界大戦の終わる前に出されたバルフォア宣言は、シオニストとイギリス政府による交渉の結果であり、イギリス政府はユダヤ人が郷土を獲得するための支援を真剣におこなうこと、その郷土はパレスチナに存在することを明言していた。
 嘆きの壁は、ユダヤ教徒とムスリムの双方にとって重大な意義をもつ場所である。
 ユダヤ人の運動には、国際レベルでの財政的・組織的な支援があった。パレスチナへの移民は先進的な社会からやって来た人々であり、最底辺の人々でさえ、アラブ人よりは高い洗練された一般教養をもっていた。多くの人々が高度な教育を受けているか、高度な技術をもっており、しかも、明確な動機につき動かされていた。
 他方、パレスチナの大半は、無気力状態に沈み込んでいた。
 イギリス軍が最終撤退した翌日の1948年5月14日、イスラエルの建国が宣言された。この新国家を最初に承認したのはアメリカで、ソ連がそれに続いた。
1967年6月、イスラエルとエジプトは6日間戦争をたたかった。この日、エジプトにある全飛行場への奇襲空爆によって、エジプト空軍機の大半が離陸する前に破壊された。
 この戦争の結果、イスラエルが中東地域において圧倒的な軍事力を有する国家となったことが明らかとなった。
 1972年の10月戦争は、イスラエルの不意を突いた。10月6日、開戦から90分でエジプト軍はスエズ運河に橋頭壁を築き、翌日には運河の東5キロ地点まで進軍し、運河東岸のイスラエル軍の複数の要寒を完全に掌握した。
 1980年代半ば、イスラエル古領地には煮えたぎる不満が広がっていた。そこにインティファーダが勃発する。物質的および精神的に従属してきたパレスチナ文化は、もはや何も失うものがないことを悟った。石をもった幼い少年たちが、まるでゴリアテの面前に立ちはだかったダヴィデのように、自動小銃で武装したイスラエルの兵士に立ち向かった。
 インティファーダは、現実を生きるパレスチナ人、占領下で暮らす民衆の怒りの爆発であった。ユダヤ人は隣人との平和を模索してきたが、アラブ人は戦争を仕掛けた。
 イスラエルは、その歴史を通じてユダヤ人をその土地から追い出そうとするアラブ民族によって包囲されてきた。最近では、インティファーダによってアラブ住民がイスラエルの支配下を覆そうとしてきた。
 パレスチナ人がイギリスによる統治を選択したのではなく、むしろイギリスの支配が押しつけられた。ユダヤ人は、イギリス政府によって代弁されていた。その一方で、パレスチナ人はイギリスとフランスの利害で分割された中東の従属的民族にすぎなかった。
 パレスチナにおいては、いったい誰が侵略者で、誰が被害者なのか。パレスチナ人は、自分の祖国を防衛する自由の戦士なのだ。
 ヨーロッパのユダヤ人へのホローストはアラブ人ではなく、ヨーロッパ人が犯した罪である。しかし、その代償を払っているのはアラブ人である。今、陵辱された者が陵辱する者になっている。
 以上、よく分からないままに不十分な紹介をしてしまいました。
 アラブ(パレスチナ)人とユダヤ人との和解はきわめて難しいこと、しかし、その手がかりはまだあることを思い知らされる本です。
(2011年3月刊。3400円+税)

2011年4月30日

パタゴニアを行く

著者   野村 哲也、 出版   中公新書
 
 パタゴニアとは南アメリカ大陸の最南端にある地方です。
 自然の豊かな写真に魅了されますが、住んでいるのはほとんど白人。つまり、先住民は絶滅させられたわけです。虐殺だけでなく、白人が持ち込んだ病気に抵抗力がなかったようです。
背の高い(男性180センチ、女性170センチ)先住民は、巨人伝説を生み出しました。混血によって美人も多いようです。
 それにしても豊かな海産物、そして果物も豊富です。
富士山によく似た山もあります。
 お城の山と呼ばれる山は面白い変わった峰を抱いています。
 海に出ると、クジラ・ウォッチングも出来ます。クジラたちが潮吹きをすると、卵をたくさん食べたあとのオナラの匂いを立てることを知りました。たまらない臭さのようです。
 ペンギンもあちこちいます。ペンギンはリーダーのいない動物。誰が偉いという感覚がない。みんな平等に泳ぎまわる。
 夜になると、満天の星空が手にとれるような近さで迫ってきます。
 15年間にわたって世界中を旅した著者が一番気に入っているというパタゴニアの素晴らしさがよく伝わってくる写真集です。
(2011年1月刊。940円+税)

2011年1月29日

世界一空が美しい大陸・南極の図鑑

著者 武田 康男、    出版 草思社
 楽しい、不思議な気持ちにさせる写真集です。南極大陸なんて、行こうと思っても簡単に行けるところではありませんが、そこで撮られた美しい写真を眺めていると、なんだか心が落ち着いてきます。なぜでしょうか・・・?
 オーロラは本当は昼間にも起きているが、人間は暗い夜しか見られない。南極の夏は白夜なので、オーロラは見られない。オーロラは太陽活動が激しいときに多く見られる。オーロラの緑色も赤色も、空気中の酸素原子が出す色である。
 オーロラは、太陽圏のプラズマ粒子(空気を帯びた粒子)が地球磁気圏のなかに入り込むことで起きる現象だ。高さ100キロメートルの空気分子にぶつかって発光している。
さまざまな色と形のオーロラが紹介されています。
 オーロラは空気が光っているので透き通り、オーロラのうしろにも星が見える。
 南極の夕焼け、そして朝焼けも素晴らしい。絶景です。
 南極の夜にダイヤモンドダストが漂う。ダイヤモンドダストの正体は、六角形の柱状の形をした雪の結晶である。表面で光を反射したり、内部で屈折したりして、さまざまな光の現象をつくる。
一度はぜひ見てみたい、夢幻的な現象です。
南極の夜空には、たくさんの人工衛星が見える。衛星の集合場所のようになっているからだ。しかも、南極では高い空に太陽光が当たりやすいために、よく見える。
 南極には、地球上の淡水の7割、氷の9割が存在している。南極大陸の氷が全部溶けて海に流れ出したら、世界の海水面は60メートルも上昇する。
うひょーっ、そうなれば、東京なんて、ほとんどが海面下ですね。まさに「日本沈没」です。といっても、すぐのことでありません。
 南極大陸に生活する人々の大変さはともかくとして、そこで撮られた写真の美しさ、不思議さに驚嘆してしまいました。ありがとうございます。著者に心よりお礼を申し上げます。
 
(2010年8月刊。1600円+税)

2011年1月 2日

マダガスカルがこわれる

著者:藤原幸一、出版社:ポプラ社

 アイアイのいる島、マダガスカルの原生林が消滅寸前だというのです。もちろん、犯人は人間です。現地の人々が生きていくために、森を切り開いています。その結果、野性の動物も植物も生息地を奪われてしまいます。そうなんです。あのバオバブの木も次々に立ち枯れていき、また、種子が発芽して子孫を増やしていくことが出来ません。
 マダガスカルの豊富な自然な写真によくうつっているだけに、その深刻さも、ひしひしと伝わってきます。
 バオバブが本来生息する乾燥した生態系に水が引かれたことから根腐れが起きて、バオバブの木が立ち枯れている。
 マダガスカルの主食は日本と同じ米。ここにも棚田がたくさんある。しかし、森林破壊によって水田の維持が難しくなっている。マダガスカルはずっと米と輸出国だったのに、1970年以降は米の輸入国である。
 マダガスカルの人口は1999年に1572万人だったのが、2009年には、2075万人にまで激増した。10年間で人口が1.3倍に増えた。世界最貧国の一つであり、国民の60%が1日1ドル以下の生活費で暮らしている。
 こんなマダガスカルの貴重な自然をぜひとも保存・維持してほしいと思わせる本です。
(2010年5月刊。1800円+税)

2007年6月29日

「パレスチナ」

著者:ジョー・サッコ、出版社:いそっぷ社
 マンガ本とはとても思えないマンガ本です。ナチス・ドイツから迫害・虐殺されたユダヤ人をマンガで描いた『マウス』(晶文社)を思い出させます。
 著者はマルタ島生まれのアメリカ人です。アメリカ人がパレスチナの現場を取材するという体裁をとり、パレスチナの現状をマンガで描いています。1987年から1992年まで続いた第一次インティファーダが登場します。イスラエル軍がパレスチナを占領し、若者たちを中心とするパレスチナ人が石を投げて抵抗していくのです。
 はじめは単に石を投げていたのが、次第に殺しあいになっていきます。今もとどまるところを知りません。
 アラブ世界の人々が何を考えているのかをマンガ本で視覚的につかむことのできる本です。日本のマンガとはかなり違います。劇画タッチではなく、語りのために絵があるという感じです。パレスチナの実情を知ることのできるマンガ本としておすすめします。
 庭にグラジオラスが咲いています。今年は白い花のほかに濃い青紫色の花も咲かせてくれました。ひょろひょろしていますので、折れ曲がってしまったのを取って卓上の花瓶に差しました。食卓風景がいっぺんに華やかになり、目を楽しませてくれます。

2006年12月28日

反米大統領、チャベス

著者:本間圭一、出版社:高文研
 ベネズエラというちいさな国が今、世界の注目を集めています。アメリカが今もっとも嫌っていながら、倒すことのできない大統領がいるからです。
 ベネズエラの石油輸出量は世界5位、石油埋蔵量は世界6位。今のままの石油生産を 300年も維持できる。
 中南米の国々は、いま大きく左傾化している。ブラジルのルラ大統領アルゼンチンにキルチネル大統領、ウルグアイのバスケス大統領、ボリビアのモラレス大統領、そしてニカラグアのオルテガ大統領など。
 先日、キューバの革命記念日にフランスの有名な俳優であるド・パルデューが現地に駆けつけたという新聞記事を読んで驚きました。キューバはアメリカからは依然として敵視されていても、今や孤立なんかしていないのですね。
 ベネズエラの人口で、先住民は数パーセントしかいないが、混血は7割近い。チャベスも、父親は先住民の血を引いた混血。
 多くの中南米の国々の軍人は、アメリカにある軍人養成学校で学んでいる。その出身者が60年代から70年代にかけて左翼政権を倒し、軍政を樹立した。ところが、ベネズエラは、このアメリカの軍人養成学校「米州学校」で学んでいない。
 チャベスは37歳のとき、中佐として軍事反乱を起こし、失敗した。そのとき、テレビの前で90秒間、語ることができた。
 同士よ、残念ながら、今は、我々が目ざす目的は達せられなかった
 私は、国家とみなさんの前で、今回のボリバル軍事行動の責任をとる。
 この言葉によって、無名の男が1700万人の国民の人気を得た。責任を認めたから英雄になったわけだ。
 チャベスが大統領になったあと、軍部が反乱を起こし、チャベスは身柄を拘束された。ところが、暫定大統領となった商工会議所連盟会長がモタモタし、チャベス支持の国民が決起したため、反乱した軍部は動けなくなった。
 この本は、そのあたりの息づまる攻防戦(いえ、軍事的な市街戦があったというのではありません)を生き生きと描いています。
 チャベスは独裁者に転化する危険性があると著者は指摘しています。なるほど、そうかもしれません。でも、私がチャベスのしていることで、いいなと思うのは、次の2つです。医療と教育です。ここにチャベスは本当に力を注いでいるのです。この点はどんなに高く評価しても、しすぎということはないと思います。
 国内総生産に占める教育予算はかつて3%以下だったのが、今は6%。学校給食を受けた子は、24万人から85万人に増加した。識字計画への参加者は100万人をこえている。医療面では1700万人もの人々に医療が確保された。キューバから大量の医師を受け入れている。
 そして、チャベスは、毎週日曜日のラジオ番組に実況中継で出演する。それも、なんと、朝9時からの5時間番組だ。全国各地をまわって直接、国民と対話している。それをそのまま全国に実況中継している。うーん、すごーい。すご過ぎます。
 いま、ベネズエラから目が離せません。

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