弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2017年3月 1日

フランスはどう少子化を克服したか

世界(フランス)

(霧山昴)
著者 髙崎 順子 、 出版  新潮新書

保育園落ちた。日本、死ね
昨年のちょうど今ごろの叫びでした。今年も4月からの保育園入園をめぐって、多くの父母がてんやわんやです。ところが、この本を読むと、フランスでは3歳児からの保育園学校に全入制が実現しているというのです。しかも、保育料がタダ。これだったら、安心して子どもを産み、育てることが出来ますよね。それが出来ない日本なんて、まさしく日本、死ね、です。国を愛するどころではありませんよ。
フランスでは、毎年9月、その年に満3歳を迎える子どもが一斉に保育学校に入る。
義務教育ではないものの、教育費は無料、入学率はほぼ100%(2015年)。
3歳児以上の「待機児童」なるものはフランスには存在しない。
なんと、うらやまいしことでしょう。安倍首相も少子化対策を口にするなら、すぐやるべきです。
フランスでは、子育ては大変なことだと社会全体が認めている。
フランスでは、父親が育児に参加するのはあたりまえ。
父親にも3日間の出産有給休暇が認められているうえに、11日連続の「子どもの受け入れと父親休暇」がとれる。これは7割の父親がとっている。つまり、14日間の「男の産休」が認められている。この14日間のうちに男たちは父親になっていく。
いま雇用現場で、子どもの出産で父親が休むことは、絶対不可侵の神聖な休暇と考えられている。これはこれは、日本でも早くそんな考え方を普及したいものです。
それでも、フランスでも父親の育児参加が本格化したのは2000年代になってから。
フランスで出生率が回復した原因の一つに、無痛分娩の普及があげられる。
フランスの出産は無料。
フランスの保育学校では、おむつやエプロンは園から支給される。親は持参することも、持ち帰ることもない。
フランスでは、3歳児からは、「保育」ではなく、「公教育」の対象と考える。
母と子に優しいフランスに日本は大いに学ぶべきです。
みなさん、ぜひ読んで、目を大きく見開きましょう。
(2016年10月刊。740円+税)

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2017年3月 2日

少年事件付添人奮戦記

司法

(霧山昴)
著者 野仲 厚治 、 出版  新科学出版社

「俺を少年院に入れた、あのときの裁判官を、俺は一生許さない」
「俺の言いたいことは何ひとつ、ろくに聞こうともせず、何も言わせてもらえなかった。質問責めでまるで流れ作業のような短い時間だった。まだ、警察での取調べのほうが、少しはマシだった」
少年にここまで言わせる裁判官は、やはり問題ですよね。少し前のことですが、福岡家裁に、少年と話すとき、少年と目をあわせようとしない裁判官がいて、問題になりました。
かと思うと、この本には、40分の予定のところを延々3時間も、じっくり少年と向きあい対話したという裁判官も登場します。
私は、申し訳ありませんが、少年付添事件からは「卒業」して、今はやっていません。時間が許さないというのが理由です。もっぱら若手弁護士にまかせています。ところが、この本の著者は、なんと私と同じ団塊世代なのです。この本を読んで申し訳ないと思いました。
少年事件について、大人の場合とは違って弁護人ではなく、付添人と言います。
少年に付き添うという意味は、少年自身が更生するための努力をする。そうした少年の手助けをすること。それを可能にするには、少年との信頼関係を築くのがもっとも大切。
少年は、ときに家族や学校や社会からつまはじきにされるなどして、心が傷つき、そして心にひがみや悩みを抱えているからこそ、非行に走る。
この本で著者が紹介している少年事件は、普通の、ごくありふれた事件です。マスコミが報道している大事件ではなく、私たちの身近に起きているようなものばかりです。
そして、それだけに、今の日本社会のかかえているひずみがよく見えてきます。
付添人となった弁護士が少年と接見(面会・面談)を重ねていくうちに、何かの拍子に少年本人の口から小さな情報が「こぼれ出る」ことがある。少年のこぼした「小さな出来事」の中に、事件の糸口とか背景や原因が語られることがある。したがって、少年の語る言葉を聞きもらさないことが大切となる。
あるケースでは、少年の自宅を訪問し、少年の部屋を見せてもらったとき、問題が見えてきた。部屋はものの見事に片づいている。母親は少年が学校に行っている間に、部屋の隅々まで掃除をしていた。つまり過干渉の母親。そして、おとなし過ぎる父親という構図である。その少年は、若い女性への強制わいせつを繰り返す中学生だった。少年が学校へ行っているか、学習塾へ行っているか、母親ないし父親が、こっそり少年を尾行していた。
そして、この本では、親が変わると少年も変わる。周囲にあたたかい支援体制ができると、親をあてにせずとも少年は変わっていくこと、その経過が紹介されています。
現代日本の家族の実際を考えさせる本でもありました。
著者は、不整脈という持病をもっておられるようです。無理のないところで、引き続きがんばってください。
(2016年11月刊。1600円+税)

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2017年3月 3日

ようこそアラブへ

世界(アラブ)

(霧山昴)
著者 ハムダ なおこ 、 出版  国書刊行会

アラブ首長国連邦(UAE)にすむ日本人女性によるレポートです。大変面白く、一気に読みあげました。なるほど、国が違うと、こんなにも考え方や、習慣が異なるのですね。改めて、よくよく考えさせられました。
もちろん、みんな違って、みんないい、という金子みすずの言葉のとおりなのですが、それを実感し行動するには、自覚的な努力が必要なのだと思います。
著者はUAEの男性と結婚し、UAEで5人の子どもの子育てをしました。ですから、UAEの学校生活の様子も語られるのですが、その試験の厳重さは、日本をはるかに上回っています。
UAEの人口は900万人。ところが、UAEの国民はその1割強の96万人。外国人が圧倒的多数を占めている。
UAEの国と国民に見習いたいことは、人を見る眼と寛容さ。
旅人は3日間は無条件に親切にされる。そして、そのあいだに人間を見抜かれる。
UAEの人が、人間を見る眼は非常に怜悧(れいり)。外部の人間を簡単に信用するようでは、一族を破滅に導いてしまうという厳しい自然・社会環境を生き抜いてきた人々である。
イスラムの国では、コーラン(クルアーン)朗誦を省略する儀式(儀典)はありえない。
そして、朗誦のあと、それにあわせた詩が詠まれる。
商店で買い物するとき、女性は決して店内に入らない。
アラブの人々には素晴らしい能力がある。即応能力であり、即戦力である。どんな状況になっても慌てないし騒がない。流動的な状況を見きわめて、すばやく適切な行動をとる。
アラブでは、出来る人間がやる。神様は担げる人間にしか荷を背負わせない。荷を担げる人間は、担げない人間よりよほど幸福だ。
アラブでは、貸しや借りをその場で清算しようとする人はいない。自分の貸しが、将来、自分に、家族に、部族に、いつかどこかで違った形でも戻ってくると考える。
預言者マホメット(ムハンマド)は、世界でもっとも大切にしなければならないのは母親だと説いた。二番目も、三番目も母親で、四番目にやっと父親が出てくる。アラブ・イスラーム世界で母親をないがしろにする人間は、世間からも社会からも、まったく尊敬されない。
イスラームでもっとも立派な人間とされているのは、自分の家族に優しい人。
イスラームでは出家を禁止している。家族とともに生きて、宗教上の義務をつとめることとされている。
UAEでは、自国民については、幼稚園から大学まで、教育は無償。
アラブ世界では、高校の卒業成績はとても重要で、一生涯、履歴書にのせるほど重視される。公立高校の期末試験は国が問題をつくって厳重な管理・監督の下で試験が実施される。採点も三人が担当し、インチキが出来ないシステムである。
アラブ世界では、高校を卒業したり、病気が治ったり、子どもが生まれたとき、資格をとったときには、周囲の人々へ当人がお祝いを出す。もらうのではない。自分の幸運に感謝して、周りの人々も幸福のおすそ分けをする。
アラブ世界に生きる誇り高き人々の生きざまの一端を知ることのできる、興味深い本でした。ぜひ、あなたもご一読ください。
(2016年12月刊。1800円+税)

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2017年3月 4日

幻の料亭・日本橋「百川」

江戸時代

(霧山昴)
著者 小泉 武夫 、 出版  新潮社

江戸時代の高級料亭としては「八百善(やおぜん)」が有名ですが、日本橋にあった料亭「百川(ももかわ)」も、それに続いていました。
なにしろ、お値段が高い。最低でも1万6700円はしました。その上は2万5000円、最高は3万3400円です。「八百善」は、さらに高額です。
江戸番付三大料亭は、「八百善」のほか、深川の「平清(ひらせい)」、檜物町の「嶋村」。「百川」は、それらに次第に肩を並べるようになっていった。
江戸時代の一流の料理屋は、食事の前に、まず風呂に入っていたのだそうです。汗を流して、さっぱりした気分で美味しい料理をいただいたのですね。今でも合宿したときなどには、宴会の前に一風呂あびることがありますが、それと同じです。
「百川」には、当代きっての文人墨客が頻繁に出入りしていた。その中心的存在は大田南畝。
「百川」は真夏に「霰(あられ)酒」を供した。極上の酒に氷を砕き入れたもの。冷蔵庫のない江戸時代なのに、真夏にオンザロックで酒を飲んでいた。山に氷室を備えていた。
「百川」の厨房は、カマドの火力が強く、煙突は高くして煙は強制的に外へ吐き出すようにしていた。常に新鮮な水が井戸から汲み上げられていた。
江戸っ子は、魚は白身を食べていた。マグロは下魚として敬遠された。
日本橋の魚河岸に隣接して、幕府のつかう魚を確保するための「活鯛(いけだい)屋敷」が設けられていた。「肴役所」(さかなやくしょ)とも呼ばれた。
幕末のペリー来航のとき、「百川」が活躍したのだそうです。初めて知りました。1853年7月のことです。ペリー58歳。「百川」の主人・茂左衛門は72歳。このとき、幕府はペリー一行をもてなすため、アメリカ側300人、接待する日本側200人の合計500人分の料理を「百川」に請け負わせた。
これはすごいですね。冷蔵庫のない時代の500人の宴会料理って、いったい、どうやってつくって、また運んだのでしょうか。
一人前3両、つまり30万円、500人分だと1億5000万円の大饗宴です。
ところが、魚主体で、微妙な味わいを誇る日本料理は、ペリー側を満足させるものではなかったようです。肉や乳製品に食べ慣れている口には、きっと物足りなかったのでしょう。
ただ、デザートのカステラは好評だったとのこと。
ところが、この「百川」は明治になったとたんに姿を消してしまうのです。不思議です。
そんな「百川」の粋を尽くした料理を味わった江戸の人々は幸せでした。さすがに料理の大家が発掘した話ですから、味わい深い内容の本になっています。
(2016年10月刊。1300円+税)

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2017年3月 5日

平安京はいらなかった

日本史(平安時代)


(霧山昴)
著者 桃崎 有一郎 、 出版  古川弘文館

泣くよウグイス、平安京。
794年、桓武天皇がつくった平安京。それは、今の京都の前身。さぞかし当初から華やかな都だったかと思うと、実は、そうでもなかったようなのです。
平安京は、はじめから無用の長物であり、その欠点は時がたつにつれ目立つばかりだった。ええっ、ま、まさか・・・。それが、本当なんです。
官人の位階が高いほど、邸宅の面積が広く、邸宅の面する街路規模は大きく(広く)、北(大内裏)に近く、中心線(朱雀大路)に近いという傾向がある。
つまり、天皇との身分的な距離(位階)と京中における天皇との物理的な距離は比例しており、大内裏を中心とする身分的な同心円が京に描かれていた。
正式な届出手続をして許可されない限り、五位以上の人が京外に出ることは犯罪だった。つまり、京に住むのは貴族にとって義務だった。
当時の平安京の人口は、10万人から12万人ほど。
平安京にとって、美観こそ生活に優先する存在意義だった。
朱雀大路は、牧場として使えるほど、広大な空閑地だった。朱雀大路には、荒廃を取り締まる警備員がいなかった。そこには、牛馬や盗賊が自由に出入りできていた。土でつくられた垣(築地)は容易に破壊できたから。
朱雀大路の街路の幅は82メートルもあった。なぜ、そんなに広い大路だったのか・・・。
朱雀大路は、普段は人が立ち入らないし、生活道路でもない。しかし、特別なときに、特別の人が入る、生活以外の目的でつかわれる道路だった。
朱雀大路の使途は、主に外交の場だった。通常時に住居者が出入りできない朱雀大路は、そもそも「舞台」としてつくられていた。国威を背負って仰々しく仕立てられた外国使節の行列が、その何倍も立派な(と朝廷が信じる)朱雀大路を北上し、天皇に掲見する。
そんな外交の「舞台」だった。また、外国使節だけでなく、神への捧げ物が通る重要な通路としても、朱雀大路は機能した。山車は、異国風を好み、それを重視する。それが日本の伝統文化なのだ。
うへーっ、そうなんですか・・・。
古代末期以降、洛中・洛外の「洛」は京都を意味した。そして、洛中には、実は平安京の半分しか含まれていない。白河法皇は、左京と白河しか自分の治める都市とは考えておらず、右京には関心がなかった。そのため、右京は衰退し、軽視・無視された。左京とは、まったく対照的だった。
平安京と京都の由来を考え直させてくれる、鋭い問題提起がなされている本です。
(2016年12月刊。1800円+税)

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2017年3月 6日

ニワトリ


(霧山昴)
著者 アンドリュー・ロウラー 、 出版  合同出版

ニワトリが必要とする土地、水、投入エネルギーは、豚や牛よりも少ない。900グラムの飼料で450グラムの肉をつくり出す。これより効率のいいのは養殖サケのみ。
ニワトリは万能生物だ。さまざまな品種をつくり出すことが出来、雑多な餌を食べ、各地の気候に適応し、狭い土地でも飼うことができる。ニワトリに必要なのは保護する小屋だけで、台所の残飯や庭のゴミで生きのびられる。エサにも人手にもお金がかからなかった。
鶏肉は豚肉や牛肉より風味を付けやすいので、ファーストフードにぴったり。
2012年、アメリカのタイソン社の売上高は3000億ドルをこえ、週間生産量は60の工場で4000万羽を突破した。ブロイラー・ビジネスはアメリカの内外で活況を呈している。
少なくとも4000年前にニワトリは家畜化されていた。インドとパキスタンで骨と文字情報が発見されている。はじめ、ニワトリは食料としてではなく、魔術的な力に対する信仰の対象だった。人々は肉や卵を食べていなかった。農業が出現してから、人々は次第にニワトリを食料として利用しはじめた。
アメリカ人は、世界平均の4倍の量の鶏肉を食べている。
ニワトリは、人間とニワトリの顔を思い出して、以前の経験にもとづいて、その相手に対応することができる。好きなメンドリを見かけたオンドリは、精子の生産量が急に増加する。これって、どうやって計測したんでしょうかね・・・。
ニワトリは地球上に200億羽以上、生息しているが、バチカン市国と南極大陸にはいない。南極では、ペンギンを病気から守るため、生きたニワトリも生の鶏肉も輸入を禁じられている。
ニワトリは、鳥と人間のあいだを循環し続ける病気に対するワクチンの主な供給源となっている。
ニワトリの原生種は、ミャンマーのセキショクヤケイ。ニワトリは、東南アジアに起源があり、そこからアジアの他の地域へ、さらに世界中へと広がっていった。
私が小学生のころ、わが家でも狭い庭に小屋をつくってニワトリを飼っていました。ニワトリのエサにする野草を野原に採りに行き、また、貝殻をつぶして食べさせていました。そして、父がニワトリの首をちょん切って、腹を割いているのをそばで見ていました。卵の生成過程に見とれたことを覚えています。
弁護士になってから、鶏肉生産工場で働く依頼者から、生きたニワトリを殺すことに耐えられないという話を聞いて、なるほど、生きたものを毎日、毎日、殺生するのは辛いものだろうと思いました。そうは言っても、鶏皮は昔も今も私の好きな焼鳥です。
ニワトリをいろんな角度で紹介している本です。
(2016年11月刊。2400円+税)

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2017年3月 7日

民事裁判実務の留意点

司法


(霧山昴)
著者 圓道 至剛 、 出版  新日本法規

ひところ福岡地裁で裁判官だった著者(弁護士任官でした。今また弁護士に戻っています)による若手弁護士のためのハウツー本です。裁判官だった経験も生かして、とても実践的な本です。
ちなみに、著者の名前は、「まるみち むねたか」と読むそうです。なかなか読めない名前ですね。
この本には、100頁もの書式サンプルまでついていますので、その点からいっても、すぐに今日から参考にできる本です。
証人尋問心得という書面があります。この本では5頁にもわたる詳細な心得です。
「証言中はメモを見ながら答えることはできません。裁判官のほうを見て、回答して下さい。裁判官は、供述内容と同じくらい、供述態度を見ています。正面を見て、堂々と答えて下さい」
反対尋問については、「想定外の質問もあり得ます。よく考えたうえで、端的に答えて下さい。言葉尻をとらえられる恐れがありますので、できるだけコンパクトに答えて下さい。意図的に挑発してくることも考えられますが、決して熱くならないで下さい。常に冷静さを保ち、淡々と答えるようにして下さい。どうしても回答に困ったら、ちらっと私のほうに目をやって下さい。何らかの異議を出すなどの方法により、適宜、助け船を出すようにします」
うーん、どうでしょうか。私は、「そんなときには『分からない』と答えていいのです」とアドバイスしています。もちろん、異議を出すべきだと判断したら、立ち上がって異議を述べることもあります。
事前の証人との打合せは、私ももちろんしていますが、この本では証人テストを3回するとしています(事案が比較的単純な場合には1、2回ですが・・・)。
3回目の証人テストは、前日ないし当日午前中に行うといいます。しかし、私は、依頼者や証人に対して、「前日は記録など読み返すことなく、ぐっすり眠っておいてください」といつもアドバイスしています。前日読んで、「どう書いていたかな、ここは何と言うべきかな」などと考えて、一瞬の間があいてしますのが裁判官から変に勘繰られたりして良くないからです。
この本にも、尋問事項の丸暗記はまずいとしています。つまり、記憶にもとづいて自分の言葉で答えるというのが一番大切なことです。
裁判所に対して、マイナンバーの提供はすべきでないと断言しています。まったく同感です。
和解を成立させる形式として、受諾和解(法264条)、裁定和解(法265条)そして、「17条決定」(調停に代わる決定)がある。
私は裁定和解なるものがあることを知りませんでした。この本では、あまり使われていないということなので、少しだけ安心しました。
反対尋問では深追いしないことが肝要。敵に塩を送ってやるような有害無益な結果になりかねない、からです。
控訴権の濫用だと思えるようなら、控訴答弁書において制裁金の納付を命じるよう裁判に求めることが出きるそうです。私は、そんな条文があること自体を知りませんでした。これは申立権はないものの、裁判所の職権発動を促す目的です。
大変勉強になりました。著者のひき続きのご活躍を心より祈念します。
(2016年7月刊。4200円+税)

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2017年3月 8日

罪と罰の彼岸

ドイツ

(霧山昴)
著者 ジャン・アメリー 、 出版  みすず書房

1933年3月21日。ポツダムの日に、直前の選挙結果をかなぐり捨てて、ナチスに全権をゆずり渡したとき、ドイツ国民は喝采した。
ナチズムという妖怪は、未開の後進国で徘徊したわけではない。
言葉が肉体をとり、いかにひとり歩きして、やがてはどのような死体の山を築いたか。その一部始終をみてきたのだから・・・。人間焼却炉からの煙があれほど多くの墓を空に描いたというのに、またしても火遊びがはじまりかけている。私は火災警報を出そう。
著者はユダヤ人であり、ベルギーにおけるレジスタンス運動の一員として、ブーヘンヴァルト、ベルゲン、ベルゼン、そして、アウシュヴィッツで過ごした。
アウシュヴィッツ、モノヴィッツでは、手に職をもった者はそれまでの職業に応じて配属が決められた。ところが、知的な職業の者には事情がまったく別だった。ここでは、一介の肉体労働者にすぎず、労働条件においてきわめて不利だった。大学教授たちは、小声で教師と答えた。大学教授と答えて怒りを買いたくなかったから。弁護士は、しがない簿記係に変身した。
ジャーナリストは作家と言った。大学教授や弁護士たちは、鉄管や木材を背中で運んだが、いたって不器用だったし、体力がなかったから、やがて焼却施設へ送られていった。
強制収容所では、身体の敏捷さ、野蛮さと紙一重の関係の頑丈さがものをいった。
ともに、精神生活を何よりの糧としてきた人が、あまりそなえていない特性である。
そして、知識人の多くは、友人を見つけることができなかった。収容所スラング(方言)を口にしようとすると、全身が抵抗して、口が利けなくなるのだった。
アウシュヴィッツでは知識人は孤立していた。
これに対して、ダッハウでは、政治犯が収容者の多数を占めていたし、管理が政治犯にかなりの程度までまかされていた。ダッハウには図書室すらあった。
精神の社会的機能あるいは無能さという点で、ドイツで教養をうけたユダヤ知識人にとって、事態はさらに深刻だった。自分がよって立とうとする当の基準が、ことごとく敵のものだったからである。
ある男は職業を問われ、愚かにも馬鹿正直に「ドイツ文学者」と答えたばかりにSSの猛烈な怒りを買い、半殺しに殴られた。
ドイツ系ユダヤ人はドイツ文化を自分のものと主張できない。その主張を認めてくれる社会性を欠いていたからである。
戦場での兵士の死は名誉の戦死、収容所での死は家畜の死だった。収容所では死が義務づけられた。兵士にとって死は外から運命としてやってきた。収容所では、死は、前もって数学的に定められた解決策だった。
収容所のなかの人々は、死の不安をもっていなかった。ガス室送りの選別が予期された当日にも、人々はそれをさっぱり意に介さなかった。むしろ、その日のスープの濃度について、一喜一憂しながら語りあった。このように、やすやすと収容所の現実が死を打ち負かしていた。収容所では、死が恐怖の境界をこえていた。
強制収容所においては、精神はさっぱり役立たなかった。ただし、精神は、自己放棄のためには役立った。
ゲシュタポと強制収容所のなかでの2年あまりの生活において、サディストには一人も出くわさなかった。
拷問された者は、二度と再び、この世にはなじめない。屈辱の消えることはない。最初の一撃で既に傷つき、拷問されるなかで崩れ去った世界への信頼というものを、もう二度と取戻せない。
ドイツ人の多くは、ユダヤ人をめぐって起きていることを正確に知っていた。臭いをかいでいたのだから。
つい昨日、ユダヤ人の選別場で手に入れたばかりの衣服を着ていた。労働者も小市民も学者もヒトラーに票を投じた。
ユダヤ人であることは、初めから執行猶予中の死者だった。殺される人間であって、偶然しかるべき執行を受けていないだけ。さまざまな猶予の形があり、程度の違いがあるにすぎなかった。
ユダヤ人に対する侮辱の過程は、ニュルンベルク法の公布とともに始まり、当然の結果として強制収容所へと導いた。
1984年に刊行された本の新版です。ドイツ映画(2014年)『顔のないヒトラーたち』は、強制収容所にいたナチスの高官たちが戦後、何くわぬ顔で社会的地位について平然と働いていたことを暴き出す内容でした。
今の日本だって、黙っていたらアベ政治が危険な方向に流れていく気がしてなりません。
すごく読みすすめるのに骨の折れる重たい本でしたが、なんとか読み終えました。
多くの人に一読をおすすめします。
(2016年10月刊。3700円+税)

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2017年3月 9日

愛は戦渦を駆け抜けて

アメリカ

(霧山昴)
著者 リンジー・アダリオ 、 出版  角川書店

報道カメラマンというより戦場カメラマンと呼んだほうがいいように思えるアメリカ人カメラマンの体験記です。
アメリカ人としてパキスタンの現地に行ったとき、次のように言われたそうです。
「お引き取りください。空爆が始まって、アメリカはイスラムの兄弟を殺しています。あなたたちアメリカ人は、いまや招かれざる客です」
まさしく、そのとおりではないでしょうか。世界中に戦争を起こしておいて、武力衝突のタネをばらまいていながら、それによって途方もない甘い汁を吸っているのに、表面上は世界平和を語り、民主主義をお説教するなんて、私にはとてもまともな国のすることとは思えません。
トランプ大統領になって、一段と、その間違った方向が強まることを恐れています。武力(軍事力)によらない民生支援を世界はもっと真剣に考え、行動すべきだと思います。
そんなこと言うと、理想だけ、現実を知らない者のたわごとだと非難されるかもしれません。
でも、著者はカメラマンとして、世界最強のアメリカ軍に随行していて、アメリカ軍兵士が殺されていくのを目撃しています。なぜ、そもそもアメリカ軍がベトナムのジャングルに行ったのか、もう歴史が証明していると思います。完全にアメリカは間違っていました。同じ誤ちを今も世界各地でくり返しているだけなのではないでしょうか。
アメリカ軍は、アフガニスタンにおける軍事作戦においてドローンを駆使しています。戦場に倒れている人物が生きているのか死んでいるのか、赤外線センサーを搭載したドローンを飛ばして、熱を感知するかどうかで、司令部にいる指揮官は判断している。
指揮官たちは、司令部にいて、それぞれの部隊が現場で戦っている映像を壁を埋め尽くす画面で見つめている。そして、電話によって、遠隔地にある基地から部隊を出動させて、要請に対応している。高級指揮官たちは、タマの飛んでこない遠くの安全地帯にいて画面上の捜査で指揮しているというわけです。
そして、現場で何が起きるか・・・。
「もう無理だ。これ以上は歩けない。ぼくはやめる」こう言いながら若い兵士が泣きじゃくる。
もう限界だと言い続ける兵士を、ほかの兵士がうしろら押して前進させている。戦場の実際を写真と映像で伝えてくれる報道カメラマンの存在は貴重だと改めて思いました。
それにしても、本当に危険な仕事です。実際、著者は拉致・監禁もされています。
たくさんの臨場感あふれる写真があり、危険な状況がひしひしと伝わってきます。
(2016年9月刊。1900円+税)

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2017年3月10日

キャスターという仕事

社会

(霧山昴)
著者 国谷 裕子 、 出版  岩波新書

インタビューする前には、徹底して調べておく。だけど、本番では、いったん白紙に戻して、目の前の人物の話によく耳を傾ける。そうすることで話についていけ、的確な質問が出来る。予定した筋書きばかりを追おうとしたらダメ。
これはキャスターとしての心構えですが、弁護士の反対尋問についても言えることです。
ともかく目の前の証人の言葉そして表情を、よく聞き、また見てから、その隠された弱点をあばき出すのです。下を向いて必死でメモをとっていたらいけません。
準備は徹底的にする。しかし、あらかじめ想定したシナリオ本番では捨ててのぞむ。言葉だけでなく、その人全体から発せられているメッセージをしっかりと受けとめる。そして大切なことは、きちんとした答えを求めて、しつこくこだわる。
良いインタビューは、次の質問を忘れて相手の話を聞けたときに初めて行えるもの。
キャスターは、はじめに抱いた疑問を最後まで持ち続けることが大切だ。
インタビューに必要なものは、その人を理解したいという情熱だ。
著者が高倉健をインタビューしたとき、答えがかえってくるまでに、なんと17秒もの空白が生じたそうです。沈黙の17秒って、すごく長いですよね。でも、著者はじっと耐えて待ちました。えらいですね。並みの人にはマネできませんよね。
「あいまいな言葉で質問すると、あいまいな答えしか返ってこない。正確な質問をすると、正確な答えが返ってくる。明確な定義をもつ言葉でコミュニケーションすれば、その人は自分の言葉に責任をもつようになる」
これは、カルロス・ゴーンから聞いた言葉だそうです。さすがにフランスで高等教育を受けた人の言葉だと思いました。
正確な答えを引き出すためには、インタビューは、まさに正確な質問をしなければならない。難しいのは、入念に準備をして、その準備のとおりインタビューしようとすると、大失敗につながりかねないこと。
想定問答を練って、そのとおりに質問すると、実際のインタビューでは絶対にうまくいかない。相手の話が全然聞こえてこなくなる。自分のシナリオばかりに気をとられ、頭の中は、「次に何を質問しようか」ということで一杯になってしまうので、目の前の人の話や身体全体から出ている言葉を聞くことができなくなってしまう。
これは、法廷における敵性証人の反対尋問と、まったく同じことです。
23年間もNKHの「クローズアップ現代」でキャスターをつとめた著者ならではの話が紹介されていて、なるほど、そうだったのかと思いました。といっても、私自身はテレビは見ませんので、「クロ現」をみたことは、ほとんどありません。
緊張感のある番組づくりに著者たちが精魂かたむけていたことが、ひしひしと伝わってくる本でもあります。
NHKには、このあいだまで史上最低といわれた籾井会長が君臨していましたが、新会長のもとでも、相変わらずアベ政治の片棒かつぎをしていくのでしょうか。やめてほしいです。
権力におもねることのない番組づくりを期待します。
(2017年1月刊。840円+税)

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2017年3月11日

お寺さん崩壊

社会

(霧山昴)
著者 水月 昭道 、 出版  新潮新書

坊主、丸もうけ・・・なんて、大ウソなんですよ。そう訴えている本です。
この本を読むと、なるほど、そうだろうなと納得します。だって、それほどお寺をみんな利用していないでしょ。
たとえば、お葬式にしてもそうですし、戒名にしても、私の身内が亡くなったとき、本人の遺思でつけませんでした。私も、そんなのいりません。
檀家が激減して、寺院経営は大ピンチ。そのとおりだと思います。
ところが、その一方で、怪しげな「寺院」のボッタクリ商法は昔も今も繁盛していますし、インチキ占いも相変わらずです。人間、困ったときには、どこかにすがりたいのですよね・・・。
いま、日本全国で、急激な勢いでお寺が崩壊している。いうまでもなく、経営難からだ。
清らかな精神的空間が日常から消えていくとき、荒れがちな「私」の心を鎮める装置を、いったいどこに求めたらいいのか・・・。
この10年間に、中国地方で宗教法人が減少した。広島で22法人、島根で24法人。とくに、浄土真宗系に多い。全国的には、6万法人(36%)が25年後には消滅していると推測されている。
代務住職とは、そのお寺本来の住職に代わって法事や葬式をつとめる近隣のお寺の住職のこと。
檀家の限界点は300軒。浄土真宗は葬儀のときお布施が他宗派より比較的安くて、100軒の檀家(門徒)がいるとして、年に300万円の収入となる。300軒だと900万円になる。年会費(護持費)は、1~2万円が普通なので、300軒の檀徒だと300~600万円。ところが、一般的なお寺では檀家は300軒にならないところが圧倒的。
したがって、お寺の住職は、年200万円ほどの給与となる。
宗教法人には、住職をふくめて3人以上の責任役員を置くことが法律で決まっている。
坊守(ぼうもり)は、住職の妻のこと。
寺族は、寺院に生まれた人間や住職の妻のこと。
ご院家(いんげ)さん。お坊さん同士の呼びかた。
住職の息子が跡取りを拒否することも珍しくない。
院号は、20万円以上の寄付があった人が対象。立派な布施行をしたことに対して授けられるのが院号。地方寺院が院号授与によって浄財をもらうことはない。ということは本山へ行く。ただし、後日、寺院に手数料として15%の「お返し」が本山からある。
浄土真宗本願寺派では、前年比で4億円のマイナスとなっている(H27)。
浄土真宗は、阿弥陀如来一仏が中心。
お布施は、本来なら、自分の手にあまるものを仏さまに差し出すことで、はじめて心に安らぎをいただけるという考えにもとづくもの。
他力本願を、努力しないで人頼みにするというのは、まったくの誤用。仏の本当の願い、それ(他力)に導かれることによって、煩悩の固まりである私たちであっても悟りの世界を垣間見られるようになるみたいだ。これが本願他力とされるもの。
水月とは、みづきと読むそうです。福岡のお寺の若き(若くもないのですが・・・)住職による本です。
(2017年1月刊。760円+税)

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2017年3月12日

カフェインの真実

アメリカ

(霧山昴)
著者 マリー・カーペンター 、 出版  白揚社

コカ・コーラの成分は今も怪しいと私は疑っています。中毒性の原料が混じっているからこそ、そんなに美味しくもないのに、タバコのように、いつまでも止められずに飲み続ける人々がいるのです。
コカ・コーラの名前は、初期の製法に入っていた2種類の興奮剤に由来する。南米産のコカの葉と、カフェインをふくむアフリカ原産のコカ・ナッツだ。
20世紀初めのコカ・コーラ1杯(250ml)には81ミリグラムのカフェインが入っていた。これは現代のコカ・コーラ350ミリリットル缶に含まれているカフェイン量の倍以上だ。裁判のあと、コカ・コーラ社は、カフェイン量を減らした。
そして、粉末カフェインをつかっている。合成カフェインは、植物がつくり出したカフェインを横取りしたものではなく、カフェインの成分を池の物質から流用して組み上げたカフェインだ。
モンサント化学工業は合成カフェインを大々的に生産している。
あの悪名高きモンサントがここにも登場するのに驚きます。
カフェインは運動能力を高める薬物だ。しかし、たいていの競技で使用が認められている。カフェインの作用は、運動能力や認知力の向上、そして不眠や不安障害に至るまで、多岐にわたる。
カフェインには、うつ病を予防する効用があるかもしれない。コーヒーを飲む人のほうがうつ病になる人が少ない。そして、もっともコーヒーを飲む人は、もっともうつ病になりにくい。
カフェインの禁断症状は、実に不快なもので、頭痛や筋肉痛、疲労感、無気力、うつ状態をともなうことが多い。カフェインの摂取を急にやめると、多くのアメリカ人はひどい不快感に見舞われる危険性が高い。
カフェインは、神経細胞に対する作用の仕方がコカインやヘロインのような依存性薬物とは異なっている。とくに、脳内のドーパ濃度に及ぼす影響は少ないようだ。
私はコンビニにはあまり入りたくないのですが、街角にあるコーヒーショップでは、よくカフェラテを飲みます。さすがに、二杯目は抹茶ラテにすることも多いのですが・・・。
(2016年12刊。2500円+税)

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2017年3月13日

新たな魚類大系統

生物・魚

(霧山昴)
著者 宮 正樹 、 出版  慶應義塾大学出版会

著者は小学生のころからヘラブナ釣りに凝っていて、高校のときには学校を休んでまでも釣りに出かけていたほど、魚が好きだったそうです。
私は小学生の低学年のころは、一人ででも遠くのレンコン堀へザリガニ釣りに出かけていました。高学年になると、大川の叔父の家の周囲のクリークでヘラブナ釣りをしていました。静かな水面を見つめていて、浮きがピクピクと沈む様子は、夜、布団に入ってからも脳裏から離れないものです。弁護士になってからも、しばらくはマイカーのトランクに釣り道具を入れておいて、柳川のクリークで釣りをしていたことがありました。それほど当時はヒマだったのです。
子どもたちが小学生のころには、自宅のすぐ近くの小川で釣りの手ほどきをしたのですが、教える師匠より教えられる子どものほうが何匹も釣り上げてしまい、面目を喪ったこともありました。まあ、子どもに自信をつけさせて良かったとは思いますが・・・。
この本には、魚のDNAを比較解析することによって、系統関係を解き明かす「分子系統学」の成果が紹介されています。
魚は3万種を優に超す。5億年もの太古の昔に存在した唯一の祖先種から、種分化と絶滅を繰り返して現在の3万種に進化したのだ。
たった一つの祖先種が5億年かけて今の3万種の魚になったとは、そしてそれが判明したとは、すごいことですよね。
一般に魚類(さかな)と呼ばれている生きものは、脊椎動物の初期進化で水中生活から脱することのなかった、由来が異なる4つのグループの寄り合い所帯にすぎない。
①顎をもたない無顎類(ヤツメウナギやヌタウナギの仲間)
②中軸骨格が軟骨からできている「軟骨魚類」(サメやエイ、ギンザメの仲間)
③各鰭の鰭条がよく発達した「条鰭類」(ほとんどすべての魚)
④肉鰭類(シーラカンス、ハイギョ)
これら4つのグループの進化的な由来は大きく異なっている。
ウナギの祖先は深海魚である。日本列島に分布するメダカにはキタノメダカとミナミメダカと二種いる。
おサカナくんではありませんが、魚好きの人には魚とは何かを考えさせてくれる、欠かせない本です。
(2016年10月刊。2400円+税)

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2017年3月14日

フランスの地方都市にはなぜシャッター通りがないのか

世界(フランス)

(霧山昴)
著者 ヴァンソン藤井由美、宇部宮浄人 、 出版  学芸出版社

日本全国、どこに行っても中心街のさびれ方はすさまじいものがあります。どこもかしこもシャッター通り商店街になっています。残念です。ところが、フランスでは地方都市の中心部には人が集まっていて、シャッター通りにはなっていません。その理由を探った本です。写真もたくさんあって、納得できる理由が示されています。まずは、日本の現状です。
日本の商店数は半減し、年間販売額も3分の2以下となった。人口10万人未満の小都市だと、商店数で3分の1、年間販売額は半分以下。人口10万人から100万人未満の都市や100万人以上の大都市も、商店数は半減し、年間販売額は7割以下ないし6割まで低下している。
フランスの地方都市の中心市街地は、「歩いて楽しいまちづくり」が出来ているので、土曜日など、身動きできないほど混雑する。
フランス人は、日本人が定年してから故郷へUターンを考えるというのではなく、大学と最初の就職を終えて、30代半ばから地方都市での生活を考える。これは日本と違いますね・・・。
フランスの小都市でも、郊外には大型店舗がある。フランスでも、クルマは生活必需品だ。しかし、中心市街地にはクルマを乗り入れないように計画されている。市内電車だ。低床でカラフルな市内電車が市街地を走り、そこにはクルマの乗り入れを禁止している。
歩行者優先のまちづくりをすすめている。
自転車が大いに奨励されている。電動自動車の普及率も37%。自転車レンタルシステムもあるが、1年間、自転車を無料貸し出しする都市もある。
久留米市でも自転車のレンタルシステムが出来ていますが、実際の利用率はどうなのでしょうか・・・。
フランスでシャッター通りにさせない工夫の一つとして、「空き店舗税」があります。1年以上も空き家にしておくと、所有者には「空き家税」が課税されるのです。これによって、所有者の貸し渋りがなくなります。
にぎわう中心市街地に店をかまえている人々に、古くから住人でいるオーナー店主は少なくて、ほとんどがテナント店主。
そういうことなんですね。人々が集まることが先決なので、古くから、そこにいる人々のために何かがされているのではないようです。発想の転換が必要です。
フランス人は、食料品買い出しの72%を大型スーパーでし、残りをまちのパン屋、肉屋、惣菜屋で購入する。そして衣料品は、スーパーより個人店舗で購入している。DVDや本はインターネット購入する。
日本人も、こんな買い分け方をして、個人商店の利用をもっと考えたら、中心地の商店も生きていけるのですね・・・。
わずか200頁のブックレットですが、今後の日本の中小都市にとって役に立つ本だと思いました。
(2016年12月刊。2300円+税)

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2017年3月15日

シリア難民

ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 パトリック・キングズレー 、 出版  ダイヤモンド社

地中海を今、史上最大の難民がオンボロ船に乗って、ヨーロッパへ渡っている。
2014年から2015年にかけて地中海をこえた人は120万人。シリア、アフガニスタン、イラクからヨーロッパをめざす人々は、2016年から2018年にかけて300万人をこえた。
2014年にイタリアに到着した難民は17万人。前年の3倍だった。
イタリアに代わって、ギリシャがヨーロッパ最大の「難民の玄関口」になった。
2015年、85万人もの人々がトルコ沿岸を出発し、その大部分がバルカン半島を北上して、北ヨーロッパの国々を目ざした。
レバノンは人口450万人という小国なのに、2015年には120万人ものシリア難民を受け入れている。レバノンに住む人の5人に1人はシリア難民となっている。
密航業者は、難民にヨーロッパ移住をすすめる極悪人とみられているが、その実態は、ヨーロッパに行きたいという人々の強い希望につけこんでボロもうけをする悪徳業者にすぎない。難民のほとんどは、自分の意思で船に乗っている。
ゾディアックというゴムボート1隻に150人ほどがすし詰めされる。定員30人ほどのボートだ。ゾディアックも木造船も大差はなく、どちらも「浮かぶ棺桶」だ。
料金を1人1000ドルとして、1隻のゾディアックに100人を乗せたら、1回の旅で10万ドルの売上となる。いろいろの経費を差し引いても、密航業者は4万ドルを手にできる。
シリア内戦が長引いて、多くの人が友人から借金し、また給料をためて資金を確保している。トルコからエーゲ海をこえてギリシャに渡る費用は1000ドル。リビアから渡る費用の半分以下だ。
シリアの人々が、なぜヨーロッパを目ざし、中東にとどまらないのか。それは、現実的ではないから。中東諸国に避難したシリア人は既に400万人。そのうち200万人はトルコ、120万人がレバノンにいる。ヨルダンに60万人。エジプトに14万人。帰る国がない人間には、失うものなんて何もない。そうなんですね・・・。
難民と移民とに区別はあるのか・・・。
難民には保護を受ける権利があるが、移民にはない。難民には故郷を逃げなければならない十分な理由があるが、移民にはない。しかし、この分類は正しくない。そして、難民と移民を見分けるのなんて簡単だというのは誤解だ。実際には、どんどん難しくなっている。両者には多くの共通点があり、人々の多くは両方にあてはまる。
イスラム教徒であろうと、キリスト教徒であろうと、ユダヤ人であろうと、そんなのは重要ではない。みんな人間なんだから・・・。
難民を門前払いすることはできない。この現実を認めることが、危機を管理するカギだ。道理にかなった長期的な対策は、莫大な数の難民を安全にヨーロッパに到達できる法的メカニズムを整備することだ。
ヨーロッパは100万人の難民を受け入れなければならない。人口450万人の小国レバノンが難民を受け入れているのに、世界でもっとも豊かな大陸(人口5億人)に出来ないはずはない。
シリア難民をつくり出したシリア内戦は、アメリカとロシア、そしてイギリスやフランスなどの軍事大国の政策的な誤りが、そのあと押しをしているのだと思います。日本だって、その一人でしょう。そうすると、欧米諸国そして日本は、そのツケを自分たちも払うしかないと私も思います。
日本は米英などの軍事行動を金銭的に支えているのですから、難民を受け入れるしかない。それがいやなら、軍事行動をやめさせるよう全力を尽くすべきだと思います。
(2016年11月刊。2000円+税)

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2017年3月17日

人質の経済学

中東

(霧山昴)
著者 ロレッタ・ナポリオーニ 、 出版  文芸春秋

誘拐がビジネスになっている、そのことがよく分かる本でした。
そして、誘拐がジハーディスト組織を育てているのです。さらに悪いことは、そんな誘拐ビジネスを生み育てたのは、アメリカ軍であり、それに追随した欧米諸国なのです。ですから、日本だって、その責任を分担する義務があるということです。
9.11以来、誘拐件数は飛躍的に増え、身代金の要求額もうなぎ上りになっている。
2004年には、200万ドル払えばイラクで誘拐された欧米人を解放することができた。今日では、1000万ドル以上も支払わされることがある。
欧米人の人質予備軍は無限に存在している。政府と交渉人は、自国の市民を解放しようと躍起になる。その結果、情報提供者から手配師、ドライバーに至るまで、値段は押し上げられる。
9.11が起きるまでは、世界の麻薬取引の大半は、アメリカで洗浄され、クリーンな米ドルに替えられていた。麻薬取引の80%」は、ドル建ての現金決済だった。そのドルをアメリカ国内に運び込む主なエントリーポイントになっていたのは、西インド諸島にあるオフショア金融機関や偽装銀行である。だが、9.11のあとにアメリカが制定した愛国者法によって、このプロセスは不可能とは言わないまでも、きわめて困難になった。
アメリカの金融当局には、世界中のドル取引を監視する権限が与えられた。したがって、アメリカの銀行やアメリカに登記した外国銀行は、世界のどこであれ疑わしいドル取引に気がついたとき、それをアメリカ当局に通報しないと刑事罰に問われる可能性がある。
コロンビアの麻薬カルテルは麻薬ビジネスであげた利益をアメリカ国内で洗浄できなくなっただけでなく、アメリカ当局に気づかれずに、そして誰からも通報されることなく、利益をある国から別の国へ移し、世界のどこかでどうにかしてドルの洗浄をやってのけなければならない。
この問題を解決したのが、イタリアの犯罪組織と手を組むこと。南米とイタリアの犯罪組織が手を組んだのは、ヨーロッパには愛国者法のような法律がなかったから。ヨーロッパにとって、文字どおりマネーロンダリング黄金時代が到来した。
麻薬カルテルは、ベネズエラと西アフリカに目を付けた。麻薬ビジネスは途方もなく、もうかる。
古い密輸ルートが再発掘された。これで活性化した密輸業者が、もう一つの禁制品である人間という商品に手を出すようになった。この商品には二種類ある。一つは、身代金目当てで誘拐される外国人。もう一つは、ちゃんと料金を払える難民。
いったんやり始めると、誘拐はすぐに麻薬の密輸を上回る利益をもたらした。
外国人の誘拐がひどくもうかることが分かると、アフガニスタンのアルカイダは、がぜん誘拐に熱心になり、傘下のジハーディスト集団にも、誘拐をやれと奨励するようになった。
どの国の政府も、実は、人質に優先順位をつけている。そして、人質ごとに、払ってもよい金額を決めている。つまり、誘拐組織だけでなく、政府も人質一人ひとりを値踏みし、この命とあの命に重みをつけている。そして、誘拐組織は、政府が人質に順位をつけていることをよく承知している。
難民キャンプから、国際的な人道支援組織(NGO)の要員を誘拐する目的は三つ。
一つは、難民キャンプからNGOを追い払うこと、二つには欧米に拘留されている仲間のジハーディストを解放すること。三つ目は、身代金をせしめること。
海賊ビジネスでは、誘拐より多額の初期投資を必要とするため、出資者を募って確保する必要がある。多くの場合、攻撃する小型艇のほかに、やや大型の母船が必要となる。
それでも海賊ビジネスでは投下資本のリターンは、きわめて良かった。出資者が実に利益の75%をとる。海賊の取り分は25%のみ。
国連の推定によると、2005年4月から2012年12月までに、ソマリアの海賊ビジネスは、4億ドル前後の利益を上げた。
2006年に誘拐された人数はわずか188人だったのが、2010年には1181人にまで増えた。身代金の額も増えた。2006年には、一人あたり平均して100万ドルだった。2011年には500万ドルに値上がりした。
2011年の海賊業の収入は年間2億ドルを上回り、ソマリア第二の収入源になっている。ちなみに一位は出稼ぎ労働者の本国送金。こちらは年間10億ドルである。
ソマリア人は、海賊を犯罪とは考えておらず、生きのびるために必要な手段だとみなしている。この地域では、ほかに生きていく手段はない。海賊ビジネスの上げる利益は国の経済の一部になっている。
イスラム国には、冷徹な戦略がある。一部の人質は処刑し、それを大々的に宣伝するほうが価値があると判断し、他方、一部の人質は身代金または捕虜と交換するほうが価値があると計算している。
安倍首相が「イスラム国と戦う諸国に2億ドルの支援を約束します」と言ったことから、日本もアメリカ軍に加担すると受けとられ、日本人の人質が殺害されることにつながった。
人質ビジネスの実態を鋭く暴露した本です。読んでいくと、ますます日本は欧米の軍事行動に加担してはいけないと確信しました。
(2016年12月刊。1750円+税)

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2017年3月18日

史上最高に面白いファウスト

ドイツ

(霧山昴)
著者 中野 和朗 、 出版  文芸春秋

ゲーテの「ファウスト」は古典的名作だというので、私も一度だけ読んでみましたが、あまり面白いとは感じられませんでした。
この本は、83歳になるドイツ文学者が「ファウスト」の面白さをたっぷり解説してくれています。なるほど、そういうことだったのか、それなら、もう一度よんで、面白さをしっかり認識させてもらおうと思ったことでした。
「ファウスト」の面白さを知るためには、ゲーテその人をよく知る必要があるようです。
ゲーテは22歳で弁護士を開業しました。しかし、実際には、弁護士業に身を入れることなく、小説を書いていました。
ゲーテの父親は法学博士でしたが、教育熱心で、ゲーテに家庭教師をつけ、勉強だけでなく、美術、音楽、ダンス、乗馬までデーテはこなすようになりました。英語、フランス語、イタリア語を習得し、詩作をする少年として知られました。
ところが、長じてからは父親の期待を裏切り、法律の勉強を嫌って、芸術や美術に関心を寄せるようになり、成績も素行も悪い学生になりました。
ゲーテは父親からライプツィヒ大学の法学部へ入学させられますが、自堕落で不健康な生活のあげく、健康を害しました。
ゲーテが弁護士になってから書いた小説は「若きウェルテルの悩み」でした。大変な反響を呼んでいます。その後、ワイマル公国の宰相として、活躍するようになりました。他方、ゲーテは、「ドイツの光源氏」と言えるほど、生涯に多くの女性を愛しています。
ゲーテがワイマル公国の宰相だったころ、フランス革命が起こり、その後、ナポレオン軍に攻め込まれています。
ラストシーンをふくむ「ファウスト」第二部は、ゲーテの遺言によって死後まで発表されなかった。なぜか・・・。
伝説のファウストは、最期は必ず地獄に堕ちることになっていた。ところが、ゲーテのファウストは我欲に固執し、いくつもの罪を犯し、悪魔の手におちた罪人であるにもかかわらず、天国へ救済される。これは当時の社会常識を大逆転する結末だ。
「ファウスト」の重要な主題のひとつは「自由」。人間をしばっている、あらゆる桎梏からの解放を希求する魂が、ゲーテに「ファウスト」を書かせた。
ゲーテは、自分自身も罪深い、出来そこないの男の一人であることを、自虐をこめて痛烈に批判し、かつて傷つけた女性たちに対し、許しと救いを求めた。この意味で「ファウスト」はゲーテの「人生の清算書」だと言うことができる。
ゲーテは、詩人、作家、哲学者、政治家、弁護士、自然科学者など多くの顔をもった、正真正銘の天才マルチ人間だった。
1832年にゲーテは82歳で亡くなったが、当時としてはずいぶん長生きした。
伝説上の人物と考えられていたファウスト博士には、実在のモデルがいる。ゲーテよりも300年前に生きていた。実在のファウストは、魔術師、降霊術師、占星術師、錬金術師であり、医師だった。近代自然科学の黎明期に生きた、科学者のパイオニアだった。そして、この科学に関心をもったファウストが、身のほど知らずにも人智をこえた力を手に入れようと悪魔と結ぶ、神の罰を受けるのだ。
このような解説とともに、この演劇台本を読むと、その奥深さを垣間見ることができて面白く感じられるのです。
それにしても、ゲーテって、たくさんの女性にもてもてだったようで、うらやましい限りです。
(2016年10刊。1300円+税)

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2017年3月19日

ハイジが生まれた日

社会

(霧山昴)
著者 ちば かおり 、 出版  岩波書店

1974年に始まった『アルプスの少女ハイジ』は、私が弁護士になった年でもあります。
日曜日の夜7時半から、私はテレビの前で食事をとりました。そのころもテレビはほとんど見ていませんでしたが、この番組だけは楽しみに見ていたのです。そして、そのころ私はまだ日本酒を飲んでいましたので、ひとり手酌で飲みながら食べながら、『ハイジ』の世界に浸っていました。
『ハイジ』には、魔法も武器も超能力も登場しない。ドタバタギャグもなければ、大事件もない。自然への回帰と再生、人の心の温かさと大切さを描いている。等身大の人間が丁寧に描かれている。
『ハイジ』は、生粋の日本産アニメ。ところが、ヨーロッパ人は、誰もが自国の制作だと思っている。
『ハイジ』の主人公の女の子って、日本人である私からすると、どうみたって日本の少女だと思うんですけれど、ヨーロッパ人にもスイスの女の子として違和感がないというのは不思議です。
スペインでは『ハイジ』の放映時間になると、町から人が消えた。『ハイジ』は、ヨーロッパ各地で大ヒットし、さらにアラブ諸国やアジア圏にも『ハイジ』旋風が巻きおこった。ハイジというキャラクターは、世界共通のシンボルとなった。
ところが、意外にも、スイスではまだ一度も放映されたことがない。
それでも、『ハイジ』の舞台となったマイエンフェルトには、世界中から観光客が押し寄せ、『ハイジ』は、この町の重要な観光資源になっている。
原作には、犬のヨーゼフは登場しない。これは、日本でアニメをつくるときに、創作されたもの。
この本は、『ハイジ』が制作される前史も丁寧に紹介しています。そして、『ハイジ』制作の苦労と工夫が語られます。
『ハイジ』には、キリスト教との関わりが慎重に扱われている。原作では、信仰は大きな柱になっている。これをアルムの小屋の裏に三本の大きなモミの木を置いて、ハイジの心の支えにした。このことによって、『ハイジ』は世界中で受け入れられる普遍性をもった。なーるほど、ですね・・・。
スタッフは、スイスへロケハンに行った。少しでも現地の風景と人々を再現しようとしたのです。若き高畑勲、宮崎駿がスイスに行って10日間、あちこち見てまわったのでした。
高畑勲は、『ハイジ』に日常芝居の可能性をかけていた。地味ともいえる生活の描写を積み重ねることで、ハイジという少女にリアリティが生まれ、視聴者がその世界を実感し、ハイジの心に共感できるようになる。
まさしく、そのとおりです。『ハイジ』のテーマソングが流れると、既に大人だった私もワクワクしながらみていたものです。
著者は柳川市生まれとのことです。いい本を、ありがとうございました。
(2017年1月刊。1800円+税)

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2017年3月20日

アウトサイダー

イギリス

(霧山昴)
著者 フレデリック・フォーサイス 、 出版  角川書店

実に面白い本です。『ジャッカルの日』や『オデッサ・ファイル』など、ワクワクドキドキする本の著者が自分の人生を振り返っています。
まさしく波乱万丈。なるほど、これなら陰謀うず巻くなかを生きてきた状況が、そのまま本になると感じ入りました。ですから、著者がイギリスのスパイ機関の元締めであるMI6に協力していたことを知っても、私は驚きませんでした。
その一環として、南アフリカに核爆弾があること、それをマンデラ政権に移行するときにどうするか、著者が頼まれて探ろうとしたというのにも違和感がありませんでした。むしろ、南アフリカが核兵器を持っていたことのほうが驚きでした。
著者は、アフリカのビアフラにおける大量餓死事件の真相に迫り、イギリス政府の責任を厳しく追及しています。
イギリス政府(ウィルソン政権)のナイジェリア連邦に対する密かな全面的支援がなかったなら、ビアフラの悲劇は起こりえなかった。イギリスの国益を守るために支援する必要はあったのか。100万人の子どもを死なせてまで守らなければならない国益とは何なのだろうか・・・。イギリスは、その大きな影響力を行使して、ナイジェリア連邦に停戦を迫り、和平会議を開かせて、政治的に解決することができた。その機会はいくらでもあったのに、やろうとはしなかった。
うぬぼれた官僚たちと、臆病な政治家たちが、わが祖国イギリスの名誉にいつまでも消えない汚点を残した。彼らを許す気は絶対にない。
戦争は高貴なものではない。戦争は、残酷で非人間的なものだ。そこでは、人の心を荒廃させること。記憶に傷を残すようなことが起きる。なかでも、いちばん残忍な戦争は内戦だ。
スパイというのは、本来、公的機関や企業に雇われていながら、その公的機関や企業の秘密情報を盗み出して、誰かに渡す人間を指す。
この行為を仲介する人間は、資産(アセット)、資産を運用する情報部員は、工作管理官(ハンドラー)と呼ばれる。
秘密情報部門部の人間は、自分たちの組織を「オフィス」と呼ぶが、外部の人間は「ファーム」と呼ぶ。「ファーム」の部員は「フレンズ」だ。アメリカのCIAでは、組織のことをエージエンシーまたはカンパニーと呼び、局員はカズンズという。
フォーサイスは、イギリスの上流階級の出身ではなく、中流階級の出身。父親は、裕福な一商店主だった。
フォーサイス少年は、名門ケンブリッジ大学に進学できるのに、そうではなくて、17歳で空軍に入り、パイロットにあこがれる。そこから転身してジャーナリストになり、BBCの特派員としてナイジェリアに派遣される。
フォーサイスの自伝は、その小説に匹敵するほど波乱万丈で痛快だ。
なんだ、これは。人生、楽しすぎだろ。
人生は冒険だ。何でも見て聞いて、そして考えよ・・・。
ところが、並はずれた幸福を引き寄せつつも、厳しい現実に悩まされる。いつもおカネに困っている。マネージャーにだまされて、全財産を失ったどころが、巨額の借金を背負わされた。小説を書く衝動は一つしかない。それはマネーだ・・・。
ちょうど私の10年だけ年長ですから、やがて80歳になろうとする著者は、今の政治のあり方にもズバリ苦言を呈したのです。一読に値する本です。
(2016年12月刊。2000円+税)

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2017年3月16日

無葬社会

社会

(霧山昴)
著者 鵜飼 秀徳  、 出版  日経BP社

日本社会の現実の一端を認識させられた思いのする本でした。車中で一心に読みふけってしまいました。
2015年の死亡数は130万人。これが2030年には160万人を突破する。鹿児島県の人口170万人と同じだけの人が毎年亡くなっていく。
2030年には、孤独死予備軍は2700万人になる。核家族化の行き着く先が孤独死だ。
都内の戸山団地は高層アパートが16棟あり、人口3200人。ところが世帯数は2300。つまり、7割以上が独居状態。
都会の火葬場では炉が一杯のため、1週間から10日も待機させられる。
都会には、数千基を納骨できる巨大納骨堂が次々に出現して人気を博している。都内に10棟あり、そこではコンピュータ制御で遺骨が自動的に遺族の前に搬送されてくる。
火葬率は99.99%。日本は世界一の火葬大国。
全国の火葬場の大半は公営。ところが都区内では9つの火葬場のうち、6つは民営(東京博善)。火葬の原価は、1体あたり6~7万円。公営のように一律料金だと、赤字になる。
都会の高層マンションでは、管理組合の規約によって遺体を部屋に運び込めないところが多い。
電車の網棚に骨壺を乗せたまま、置き忘れたフリをして遺骨を遺棄するケースが増えている。
孤独死現場の清掃依頼は二つ。遺品整理と特殊清掃。遺体の発見が遅れたときの凄惨な現場には、誰も入りたがらない。
都会に出てきた団塊世代は、長男次男を問わず、「高額な土地付の墓はいらない」「死後の世界に興味はない」。遺骨は海や山野に撒いてほしい」などと考えている。
岩手県一関市には樹木葬を扱うお寺がある。ここでは人工物を一切つかわない。里山に散骨し、自然と同化していく。
隠岐にも、同じように散骨できる無人島がある。自然に還るというのはいいですね。昔のような石塔のお墓は、私も不要と思います。これも明治以降に石材店が広めたものなんですよね・・・。
海洋散骨は、あまり需要がない。遺族が手をあわせる場所がないし、風評被害を漁業者が恐れるから。
なるほど、ですね。人骨を集めて仏像をつくるというお寺もあるそうです。
日本の家庭に仏壇がどれだけあるか。戦後まもなくは80%。1981年に61%。2009年には52%。年々、低下している。わが家にも仏壇はありません。
団塊世代が次々に亡くなっていく日本では、お葬式のあり方、お墓のあり方もどんどん変わっていっています。
結婚式で仲人を立てなくなり、結納金も動かず、婚礼家具セットの購入もありません。そもそも結婚式をしないカップル、その前に結婚しない、同棲もしない男女が増えてきています。
ですから、人生の終末だって、当然変わるはずです。
お葬式を無宗教でやるというのも珍しくはなくなりました。そして、戒名をつけなくてもいいという意識も普通です。墓地を購入したり、墓石を建てるという意識も弱くなりました。はじめから納骨堂でいいと考えるのです。今でもたまに、親の遺骨の奪いあいみたいなケースに遭遇しますが、それはもうめったにあることではありません。
社会の移り変わりを大いに実感させてくれるレポートでした。一読に価する本です。
(2016年10月刊。1700円+税)
ついにチューリップの花が咲きはじめました。
16日の朝、雨戸を開けて庭を見ると、ピンクのチューリップの花を見つけました。庭に出てみると、白い花も咲いています。いずれも背の低い小さなチューリップです。
アスパラガスも出てきて、春の香りを味わうことができました。いよいよ、春が本番です。

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2017年3月21日

はたらく動物と

生物

(霧山昴)
著者 金井 真紀 、 出版  ころから

読んでいると、ほんわか心の温まってくる本です。生き物って、みんな人間と変わらないんだなって思わせてくれます。
盲導犬にふさわしい犬の特性の一つに、寝るのが大好きなこと、というのがあって、驚きました。
エネルギーが多い犬は、かまってかまってと人間に甘えてくる。かまってやらないと、わざと注意をひこうとして、悪さをする。人間が忙しくしているときには、黙って寝ているような犬のほうがいい。ただし、「かまってかまって」のタイプの犬であっても、それにきちんとこたえられるユーザーなら、相性がいいことにはなる。
なーるほど、そういうことなんですね・・・。
馬と仲良くなる方法・・・。いきなり馬に近づいてはいけない。距離を保って静かにしていると、馬のほうから気がついて、「ふむ?」とサインを出してくる。それから近づく。馬に向かってちゃんと頭を下げて挨拶し、鼻先に手をさしのべて自分の匂いをかいでもらう。そうすると馬と仲良くなれる。
鵜飼の鵜は、茨城県の太平洋岸で生けどりされたウミウ。25年ほど生きる。死ぬ間際まで仕事をする。若いときには片足で立てる鵜が、年をとると両足で立つようになる。そして、最後の最後は立てなくなってしゃがむ。しゃがむと食欲がなくなり、それから1週間で死ぬ。
野生の鵜が連れてこられたら、籠のなかに入れて、毎日、2、3回は頭からお尻まで全身をなでてやる。人間との触れあいを毎日やって、3ヶ月たち、4ヶ月目に籠から出す。そして、ほかの鵜の仲間に入れる。
昔は飛べないように羽の筋を切っていたが、今は切らない。それでも飛んで逃げていくことはない。鵜飼の仕事を鵜は楽しんでいる。
鵜は、二羽がペアを組んで生活しているが、つがいではない。京都で卵からヒナがかえったときにはビッグ・ニュースになった。それほど、子は産まれない。だから、毎年、野生の鵜を捕まえる。
長野県には猿害対策のために飼われている犬たちがいる。
モンキードッグという。全国23都道府県で、351頭ものモンキードッグが活躍している。このため、法律改正までされている。モンキードッグは猿だけを追い払い、猫や鶏は追わない。これは繰り返しの訓練のたまもの。ほめるのと気合い。この二つがとても大切だ。
人間と一緒に、いろんな動物が生きて、役に立っているのですね。興味深い本でした。
(2017年2月刊。1380円+税)

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2017年3月22日

おまえがガンバれよ

司法

(霧山昴)
著者 岡 英男 、 出版  司法協会

日本の弁護士がモンゴルで調停制度を発足・普及させるのに関わった体験記です。
かなり自虐的な表現がありますが、活字に出来る限りで、JICA専門家としての活動を率直にレポートした本として面白く読ませていただきました。
著者は、裁判所に勤務した経験もある、大阪の弁護士です。日本の調停も同席調停制度にすべきだという意見のようです。私は、これに必ずしも賛同できないのですが・・・。
著者は、2010年から2015年にかけて、JICA専門家の弁護士としてモンゴル国最高裁判所に派遣され、モンゴルに調停制度をつくる仕事をしてきた。
モンゴルの調停は2014年に始まった。そして、2015年には調停で1万5000件を処理した。民事訴訟が年間2万件なので、高い比率を占めている。
著者は国際協の専門家ではなかったし、調停についてとくに人並み以上に詳しいわけでもなかった。モンゴル語は分からず、英語についても、英検4級(中学生のとき)しかなくても、モンゴルでは日本語だけで著者は仕事をしてきた。これって、たいした度胸ですね・・・。
モンゴルでは、雨と一緒に来る人は、縁起が良いとされる。というのも、春先の雨で、草原の草が生い茂るようになり、それによって牧畜が支えられている。
モンゴルの裁判所には女性が多い。弁護士をふくめた法律家全体をみても女性のほうが多い。民事の裁判官は圧倒的に女性が多く、刑事は半々ほど。
モンゴルで司法試験を受験するには、4年制大学の法学部を卒業したうえで、国内外を問わず2年間の法律実務経験を要する。合格率は20%で、合格者は300人ほど。
モンゴルの人口は300万人で、家畜の総数は4500万頭。
モンゴルでうまく仕事をすすめるためには、人との関係がとても重要。
モンゴルは、厳しい学歴社会、大学卒業は知的職業につくための最低限の基礎資格。
モンゴルでは、バッジや勲章は人の評価を高める効果的な道具である。モンゴルでは、世界中で一人口比でいちばん勲章・メダル授与数が多い。
モンゴルの調停は、同席調停がほとんど。そして、1回の期日だけで、大半が終了している。民事調停の成功率は一般に85%。ところが、離婚調停に限っては成功率は15%にも達しない。というのはモンゴルの調停は、夫婦を仲直りさせるものしか和解できない仕組みになっているから。
この本を読みながら、著者は、つくづく勇気のある人だなあと感嘆しました。
(2016年9月刊。900円+税)

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2017年3月23日

星をつける女

社会

(霧山昴)
著者 原 宏一 、 出版  角川書店

食べることが好きなだけでなく、舌が肥えていないとつとまらない仕事をしている女性が主人公です。
レストランを星で格付けする仕事です。それも覆面調査員として・・・。ただ、一般人向けの格付けではなく、投資家向けの格付けです。要するに、この店は投資する価値があるかどうかを探る仕事なのです。本当に、そういう人が存在するのでしょうか。
覆面調査員の顧客は、飲食ビジネスに投資したり買収したりする個人投資家や機関投資家たち。調査対象のメニューや味、品質はもちろん、サービス、店舗オペレーションさらには経営論理に至るまで、包括的に調べあげて格付け評価をする。
ミシュランガイドによる星の格付は有名です。私もリヨン郊外の「ポール・ボキューズ」に行ったことがあります。さすがの雰囲気と味わいの店でした。
どんな羽振りの良さそうな客であっても、2、3回来店した程度で挨拶してしまっては、店の格とシェフの威厳は保てない。簡単に常連扱いしないことで、挨拶してもらえる常連客に特別感を与える。それがまた店の格とシェフの威厳を高めてくれる。
20年も前に南仏のエクサンプロヴァンス語学留学していたとき、夕食は決まって同じレストランでとっていました。続けていくと、マダムが顔を覚えてくれて、まさしく常連扱いをしてくれます。昼間、街角ですれちがったときにも挨拶をかわしました。
シェフの挨拶は、デザートをクリアして食後のコーヒーを二口ほど飲み終えたころに行く。挨拶のタイミングとなったら、給仕長に先導されて、おごそかにホールへ向かう。他の客の視線がシェフに集中するなか、ほかの客とは目を合せず、挨拶しようとする客のテーブルだけを見すえて、脇目もふらずテーブルに進み、笑顔で問いかける。
「本日のお食事、いかがでしたでしょうか?」
実際には、シェフは全部のテーブルを挨拶してまわるのではないのでしょうか・・・。
味覚とは磨きあげるもの。毎日、毎日、真剣に味わい続けて初めて舌からの脳に記憶される。
日本で高級レストランを経営するのは大変なこと。高価で稀少な食材を手の込んだ技法で調理し、何皿も提供しなければならない。高額ワインの充実した在庫も必須だし、店舗の内装や備品にも凝らなければ満足してもらえない。高級食器も山ほどそろえておく必要がある。したがって、はたから見えるほど、うまみのある商売ではない。
そこで、食材の産地を偽ったりする店が出てくることになるわけです。この本では、フランス産のシャロレー牛なのかどうかが問題になっています。本当に食べただけで牛肉の産地まで分かるものなのでしょうか・・・。
といっても、私も高級牛肉の味の素晴らしさを一度味わったことがあります。ふだん食べている牛肉とは全然違っているのに舌が驚いていました。
フレンチレストラン、ラーメン店そして高級リゾートホテル。どこにでも、まがいものがあり、よこしまな野望に燃える人がいるのですよね。美味しいグルメ本でもありました。
(2017年1月刊。1500円+税)

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2017年3月24日

いのちの終着駅、三菱勝田・大谷坑

日本史(戦前)

(霧山昴)
著者 岩佐 英樹 、 出版  宮木印刷

著者は高校で社会科の教師をしていました。宇美商業高校には社研部があり、その顧問をしていたのです。
社研部に属する高校生たちが、宇美町にあった三菱勝田大谷坑における中国人強制連行、強制労働の実情を掘り起こして研究発表したのでした。
中国人労工352人のうち、87人が死亡した。1年3ヶ月で25%もの死者を出すというのは驚異的な死亡率である。30代で3割、40代で6割、50代では10割、全員が死亡した。労工の平均死亡年齢は、なんと32歳。
ところが雇用主であった三菱鉱業の報告書では、次のように記述されていた。
「会社は戦時中の物資不足時にもかかわらず、食糧、衣服、住居、医療、労働条件、賃金や手当などにおいて可能な限り優遇した。
それは、社内の日本人や朝鮮人から不満が出るほどだった。しかし、中国人労工は、まったく労働意欲のない連中だった。おかげで会社は大変な迷惑を蒙った。多くの死亡者が出たのは、彼らの虚弱病弱な体質に原因があった」
上海で「労工募集」の張り紙が貼りだされたが、それによると、支度金として900円を出発前と到着後に2回支給する。そして、日給は54円から72円。当時、日本の役場の初任給は月に70~80円だったから、破格の好条件である。
仕事がなくて困っている中国人をだまし、近寄ってきたところを拉致して日本へ連行するという「労工狩り」がすすめられた。
この本を読んで驚くのは、中国人労工を働かせて、多くの人を死に追い込んでいる日本企業が戦後になって莫大な補助金を国からもらっているということです。
中国人を強制労働させたために会社は赤字になったので、その赤字を補填してもらいたいといって、35社に600億円(1946年当時のお金で5672万円)が支払われたというのです。信じられません。しかも、この35社は、黒字を出していたのに、赤字だと偽って国から補助金をもらったというのですから、まさしく開いた口がふさがりません。まさしく詐欺です。森友事件よりひどいです。
高校生たちが中国の遺族へ手紙を出したところ、一通だけ届いたとのこと。中国人労工の遺族から返信があったのです。
そして、大谷坑の購買店で働いていた若い日本人女性と親しくなった中国人が戦後、中国へ帰国し、今ではシンガポールで元気に生活している本人から突然、その女性にエアメールが届き、再会したのでした。
歴史を掘り起こすことは大切なことだと実感させられる本でもありました。
(2017年2月刊。1000円+税)

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2017年3月25日

重版未定

社会

(霧山昴)
著者 川崎 昌平 、 出版  河出書房新社

私の本は、残念なことに、一つを除いて、すべて重版にはなりませんでした。私としては、数万部とまではいかなくても万に近い数千部は売れると見込んでいたのですが・・・。ですから、文庫本にして、さらに売るつもりだった思惑も、見事にはずれてしまいました。
この本は、出版業界の、なかなか思うように本が売れないという悩み深い現場をマンガで描いています。私にとっても、身につまされる話で、思わず泣けてきました。だって、本を出版する以上、やはり大いに売れて、たくさんの人に読んでほしいじゃありませんか・・・。
ちなみに、私の売れた本の最高は800部です(『税務署なんか怖くない』)。
カラー印刷は、ふつう4色の版を重ねて色を表現する。その版がずれると、輪郭線が鋭くなったり、紙色が見えてしまったりする。
カラー印刷って、いつも平気で見慣れていますけれど、あれってよく考えると、不思議なんですよね。たった4色で、あれだけ複雑かつ微妙な色あい・濃淡を再現できるのも不思議ですし、版のずれが起きないというのも私には摩訶不思議なことです。
実売印税とは、実際に売れた部数をベースに設定されるもの。実売印税8%だとすると、2000円の本が1000部売れたら、著者の印税収入は16万円となる。
私の場合、8000部も売れたときには、それなりの印税収入となりましたが、それを元手として新聞広告をうったので、差引ゼロに等しくなりました。広告代を著者負担で新聞一面下に広告を出すことにしたのです。あまり効果はありませんでしたが、自己満足にはなりました。
書店の平積み。書店は、売れる見込みの高い商店(本)しか平積みはしない。
ですから、私の本はなかなか(1回だけしか)平積みしてくれないのが現実です。
出版社のぞくぞくする実際を知りたい人には必読というべき真面目なマンガ本です。
(2016年11月刊。1000円+税)

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2017年3月26日

カロライン・フート号が来た

日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 山本 有造 、 出版  風媒社

1855年(安政2年)3月15日(日本暦1月27日)にアメリカ商船カロライン・E・フート号が下田港に入って来た。ペリー艦隊が既に来て、次いでロシアのプチャーチン使節団が来たあと、アメリカ人が商売にやってきたのだ。
6人の平服の紳士が3人の妙齢の婦人を伴い、さらに2人の幼い子どもを連れてきた。そして、2ヶ月半も下田に留まった。西洋人の女性が日本に上陸したのは文化14年(1817年)の長崎以来の、50年ぶりのこと。
3組の夫婦が子ども連れで町を練り歩いたことから、一大センセーションを巻き起こした。子どもは、9歳の男の子と5歳の女の子だった。彼らは、子どものペットとして犬二匹のほかに鹿まで連れていた。鹿の絵が描かれているので間違いない。
なかでも、ドーティー夫人は「容顔美麗、丹花の唇、白雪の膚」で「衆人の眼を驚かせ、魂を飛ば」せた。なにしろ芳紀22歳。目の覚めるような美女だったようです。
これらのアメリカ人は日本へ何をしにやって来たのか・・・。
彼らは、日本に住み込んで、商売をしようという商人パイオニアだった。実際には、日本に住み込むことは出来ませんでしたが、日本の目ぼしい品物を大量に買い込んでアメリカ本国で売り出して、大もうけしたのです。
日本の工芸品や骨董品を7400ドルで買い込み、それをサンフランシスコで売り出したところ、売上額2万3000ドルになった。大もうけしたわけです。
そこで、日本物産を輸入してひともうけしようという冒険商人が次々に日本を目ざした。
自由闊達にふるまった三人の女性と二人の子どもについて、接触した日本人のほとんどが魅了された。アメリカは美女の多い国であり、子どももきれいだ。それで、彼女らを描いた絵がたくさん残されている。
ただし、アメリカは、やがて南北戦争が激しくなり、しばらくは日本どころではなくなった。
幕末の日本にアメリカの若き女性を連れた商人たちが押しかけていた事実をその絵(もちろんカラー)とともに知ることができました。
(2017年2月刊。2000円+税)

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2017年3月27日

歯みがき100年物語

人間

(霧山昴)
著者 ライオン歯科衛生研究所 、 出版  ダイヤモンド社

いま、毎日、合計10分間の歯みがきに挑戦中です。歯ぐきに違和感があったので歯科医院に行ったところ、心配していた虫歯はありませんでした。そのとき歯周病の恐ろしさから、毎日20分間の歯みがきをすすめられたのです。実際やってみると大変です。キッチンタイマーを目の前にして歯ブラシを動かしますが、夕食後の6分間は、すごく長く感じられます。
歯の表面をこするより、歯ぐきのマッサージのつもりです。まだまだ力の入れすぎだと反省しています。やり始めた直後は、口を開けている時間が急に長くなったせいで、アゴが痛くて、かむ力が弱くなった気がしたほどです。
そんな苦労をしているときに、この本を紹介されたので、さっそく読んでみました。
庶民が今のような歯みがきを日常的にするようになったのは、明治になって歯みがき剤や歯ブラシが普及してからのこと。
明治になってから、人々が甘い物をたくさんとるようになって、明治末期になると、子どものむし歯罹患率は96%に達した。このままでは、むし歯で国が滅んでしまうという危機感から、口腔衛生思想の普及活動が強まった。
今では、小学生(12歳)のむし歯保有数は1本を切っている。そして8020運動(80歳になったとき、自分の歯を20本もっている人が50%以上)の目標達成に近づいている。
私は、むし歯にやられたのは一本だけです(差し歯をしています)。歯は大切ですよね。
平安時代から江戸時代まで続いていたお歯黒(はぐろ)には、むし歯予防の効果もあった。でも、なんだか気持ち悪いですよね。黒い歯って・・・。やっぱり、歯は白いのが一番です。
日本人の歯並びの悪さは世界でも突出している。
江戸吉原の遊廓では、客が朝帰りするときに、楊枝と歯みがき袋、うがい茶碗を出していた。
子どもたちのむし歯洪水が急速に改善した要因として、フッ素配合の歯みがき剤があげられる。
歯垢(しこう)は、歯の表面に付着した飲食物の残りかすと思うのは間違い。本当は細菌のかたまり。これをそのままにしておくと石灰化が始まり、歯石(しせき)になる。
歯周病は、糖尿病を悪化させる要因のひとつ。日本人の成人で歯周病をかかえている人は8割。歯周病は、糖尿病の6番目の合併症。
よくかんで食べる。食後にはきちんと歯みがきをする。寝る前にも歯みがきをする。
すこやかな生活を送る工夫のひとつだと思います。いい本でした。
(2017年1月刊。1800円+税)

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2017年3月28日

裁判の非情と人情

司法

(霧山昴)
著者 原田 國男 、 出版  岩波新書

読んでいると、なんだか、ほわーっと心が温まってくる、そんな本です。
私は東京から帰ってくる飛行機のなかで読了しましたが、それこそフワーッと心が浮き上がってしまいました。その心地良さにです。
ここまで言えるというのは、タダ者ではありませんね。
無罪判決は、楽しくてしょうがない。筆が自然と伸びる。文章の長さなど気にならない。気が付いてみれば、長文となっただけで、それを目ざしたわけでもなく、長文を書かなければと苦しんだわけでもない。ここまで言えるというのは、タダ者ではありませんね。
そもそも、しっかり書けないような無罪判決は、その判断や理由づけに問題があるからであり、考え直したほうが賢明である。無理して無罪にする義理はない。
無罪判決を続出すると、出世に影響し、ときに転勤させられたり、刑事担当から外されたりする。これは、残念ながら事実である。だから、無罪判決をするには勇気がいる。
しかし、無罪だと信じる事件を有罪とする裁判官がいたら、それだけで失格であり、裁判官が犯罪者に転落してしまう。
私も、現実に、裁判官に勇気がないから無罪判決を書けなかったんだなと感じたことが複数回あります。重大事件とか警備公安事件ではなく、一般のフツーの事件について、です。
被告人の更生に関心をもたなくなったら、刑事裁判は終わりである。
裁判官は、訓戒すべきだと著者は言いますが、私も同じ考えです。ムダなので何も言わないという裁判官にあたると、ガッカリします。
著者は、裁判官は小説や映画をたくさん読んで観てほしいと強調しています。これまた、まったく同感です。
寅さん映画は、ぜひ観てほしい。まさしく人情とは何かを語っているからだ。
裁判官は、多くの文芸作品や小説を読むべきである。自分では経験できないようなことも、小説を通じて感得することが可能なのだ。
著者が勧めているのは藤沢周平と池波正太郎の『鬼平犯科帳』です。
私は、山本周五郎もいいと思います。藤沢周平は、「たそがれ清兵衛」など映画になったのもいいですよね。
『世界』の連載コラムが本になったものです。コラムは読んでいませんでしたので、すべて初めて読んだわけですが、こんな芯のある裁判官が残念ながら少なくなりました。「青法協」退治の負の遺産が今も残念ながら確固として生きているのです。そして、それを打破すべき弁護士任官も、裁判所の厚い壁にぶつかっている現実があります。
軽く読めて、フワッとする心地よいコラムですが、よくよく考えてみると、実に重たい内容ばかりです。
法曹関係者には広く読まれてほしい本です。
(2017年2月刊。760円+税)
春になりました。チューリップの花が色とりどりに咲き誇っています。ウグイスの鳴き声を聞きながら春の陽差しの下で庭を手入れするのが至福のひとときです。とはいっても、実は花粉症に悩まされる季節でもあります。なんとか薬に頼らずに乗り切りたいと、毎年はかない抵抗をしています。毎朝のヨーグルトと寝る前の鼻洗いだけが予防薬です。
それにしても春は陽が長くて、いいですよね。暑くもなく、寒くもなくて・・・。

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2017年3月29日

蜜蜂と遠雷

社会

(霧山昴)
著者 恩田 陸 、 出版  幻冬舎

うまいですね。よく出来てますね。この本は、有明海を渡るフェリーの住復の船中で読んだのですが、まさしく至福のひとときを過ごすことが出来ました。
私の親しい友人の勧めから読んだ本です。もちろん直木賞を受賞した本だというのは知っていましたが、賞をとった本が必ずしも私の好みにあうとは限りませんので、先送りしていました。
よく言われることですが、面白い本というのは、初めの1頁せいぜい2頁までに分かります。この本は、出だしの3頁を読むと、何か面白いことが起きそうだという気がしてきて、頁をめくって次の展開がどうなるのか、はやる気持ちが抑えられなくなります。
ピアノのコンクールに出場するピアニストの心情、そして演じられる曲が実に言葉豊かに表現されるのです。まったくピアノの曲目のことを知らない門外漢の私にも妄想たくましくというか、果てしない想像をかきたててくれるのです。その筆力には完全に脱帽です。
うーん、これは、すごい。心憎いばかりに計算され尽くした展開には茫然とするばかりです。
幼いころからレッスン漬けで頭角をあらわし、著名な教授に師事していれば、めぼしい者は業界内では知れ渡っている。また、そんな生活に耐えている者でなければ、「めぼしい」者にはなれない。まったく無名で、彗星のごとく現れたスターというのは、まずありえない。
プレッシャーの厳しいコンクールを転戦して制するくらいの体力と精神力の持ち主でない限り、過酷な世界ツアーをこなすプロのコンサートピアニストになるのは難しい。
技術は最低限の条件にすぎない。音楽家になれる保証など、どこにもない。運良くプロとしてデビューしても、続けられるとは限らない。
幼いころから、いったいどれくらいの時間を、黒い恐ろしい楽器と対面して費やしてきたことか。どれほど子どもらしい楽しみを我慢し、親たちの期待を背負いこんできたことか。
誰もが、自分が万雷の喝采をあびる日を脳裡に夢見ている。
練習を一日休むと本人に分かり、二日休むと批評家に分かり、三日休むと客に分かる。
いいなあ。心から幸福を覚えた。
いいなあ。ピアノって、いいなあ。ショパンの一番、いいなあ。
音楽って、ほんと、いいなあ。
なんだろう、音楽って。
ただ、限りない歓びと、快感と、そして畏怖とが確かに存在しているだけだ。
音楽、ピアノ、そしてコンクールのことを何も知らなくても、十二分に楽しめる本です。すごい言葉のマジックに酔わされてしまいました。
絶対おすすめの本です。
(2017年1月刊。1800円+税)

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2017年3月30日

刑事司法への問い

司法

(霧山昴)
著者 指宿 信 ・ 木谷 明 ・ 後藤 昭 、 出版  岩波書店

シリーズ刑事司法を考えるの第0巻として刊行されました。
いま、日本の刑事司法は、確実に、そして予想を上回る勢いで変わりつつある。
この本は、この認識をベースとしつつ、そのかかえている問題点を縦横無尽に斬って、解明しています。
刑事被告人とされ、長い苦労の末に無罪を勝ちとった元被告は鋭く指摘しています。
冤罪は、なぜ起こるのか。一言でいえば、捜査権力が誤った目的意識をもっているから。肌で感じた冤罪の要因の一つは、検察官の取調べ能力の高さ、つまり調書作成能力の高さである。一人称で書かれながら、検察官が怪しいと思う部分は、符丁として問答形式が挿入されるといった枝巧が用いられる。
取調べのプロである検察官に対して、知力、気力、体力で伍することができなければ、取調べをイーブンに乗り切ることは不可能である。
そして、捜査権力の無謬性を、もっとも信頼しているのが裁判官である。
裁判官に対しては、圧力をかけていると一切感じさせない、しかし、国民が注視しているという意識をもたせることが必要。なーるほど、工夫が必要ということですね。
検察庁では「言いなり調書」を作成すると上司から叱責される。「あるべき」「録取すべき」供述とは、有罪の証拠として十分に使える供述調書のこと。このような調書を作成できることが重視される。
冤罪の大きな原因は、違法な取調べによる虚偽自白。これは捜査機関、ひいては裁判所までもが自白を必要としているから。
動機の解明に固執すると、捜査機関に合理的かつ詳細な自白獲得という無理を強い結果になりかねないことが意識されるべきだ。
最近、さいたま地裁では拘留請求の却下率が急増し、平均1%だったのが8.11%にまでなっている。
刑務所を満期釈放で出た人の60%以上が、10年以内に再び刑務所に入っている。
しかし、仮釈放になった受刑者の再入院率は低い。
刑務所での作業の労賃は時給6円60銭。最高でも時給は47円70銭。これでは出所するときに5万円ほどにしかならない。受刑者が刑務所を出て社会に復帰するときに必要なアパートを借りたり、給料をもらうまでの生活費には、まったく不足する。
矯正施設に収容される人は減り続けている。刑務所は8万1255人(平成18年)が、6万486人(平成26年)へと2万人も減っている。少年院は、6052人(平成12年)がピークで、今やその半分以下の2872人(平成26年)。
刑事司法の現場にいた人、身近に接している人たちの論稿ばかりですから、さすがに深く考えさせられます。
末尾の座談会の議論に、真実主義者の弁護士がいるのに、私は驚いてしまいました。真実は、もちろん私も俗人としていつも知りたいものです。しかし、法廷で弁護人に求められているのは決して「真実」ではないと教わってきましたし、自らの体験でもそれが正しいと考えています。
いずれにしても、あるべき刑事司法を考える有力な手がかりとなるシリーズの刊行が始まったわけです。ご一読をおすすめします。
(2017年2月刊。2800円+税)

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2017年3月31日

昭和天皇の戦争

日本史(戦前)

(霧山昴)
著者 山田 朗 、 出版  岩波書店

昭和天皇の公式伝記である「昭和天皇実録」は全60巻といいますから、とんでもない超大作です。全19巻の本にもなっているようですが、それにしても長い。ちょっと手を出せるはずもありません。
しかし、学者はそれを読まないといけないのですね。そして、そこに何が書かれていないかを明らかにするのです。
「実録」においては、天皇の戦争・戦闘に関する積極的発言とみなされるものは、きわめて系統的に消去されている。
著者は昭和天皇の戦争指導の実際について何冊も本を書いていますので、その視点で「実録」を検証できるわけです。
「上奏」とは、天皇に決裁を求めるときの言葉であり、「奏上」は、天皇への報告を意味する言葉である。
「実録」では、天皇が一貫して平和愛好・戦争回避であったというストーリー性が強く出ていて、天皇の動揺や戦争論への傾斜については、ほとんど読みとることができない。
1943年5月31日の御前会議において「大東亜政略指導大綱」が決定された。このとき、現在のマレーシア、シンガポール、インドネシアは、すべて大日本帝国の領土とし、重要資源の供給地とされている。つまり、日本の領土拡張(侵略戦争)が決められたのである。
昭和天皇は、国策決定のための御前会議では、若干の例外を除いて発言せず、大本営会議では活発に発言していた。国策決定のための御前会議では、政府側から発言しないよう要請され、天皇は、それに応じていた。
昭和天皇は、関東軍・朝鮮軍による満州事変には一定の疑念をもちながらも、満州の占領という軍事行動の「成功」は賞賛し、「満州国」の建国、日本政府(斉藤実内閣)による同国承認は明確に容認した。
昭和天皇の現状追認の姿勢は、状況をリードしてきた軍部、とりわけ関東軍の増長をまねき、1933年にいたって熱河侵攻という形で再び天皇を憂慮させることになる。
天皇は、熱河作戦に一定の歯止めをかけたかに見えたが、日本の進路にとって重大だったのは、斉藤実首相らが心配したとおり、この作戦が国際連盟における日本の立場を決定的に悪くし、結局のところ国際連盟からの脱退へとつながってしまったことである。
現状追認のあとにくるのは、結果優先の論理であった。
昭和天皇にとって、二・二六事件は、長くトラウマとしてのこったことが「実録」からも分かる。
山下奉文(ともゆき)と石原莞爾(かんじ)の人事について、天皇は強い不満を表明した。山下は皇道派として二・二六事件への関与が疑われていた。石原は、軍人でありながら勝手に任地を離れ帰国した。すなわち、この二人とも陸軍の統制を破壊する行動をとったことを昭和天皇は強く怒った。
領土拡張・勢力圏拡大という点を、天皇が否定することはなかった。これは君主としての重要な任務であると認識していた。
昭和天皇は、杜撰な計画や行動を非常に嫌い、つねに用意周到な計画、緻密な計算を要求した。それは結果的に、軍部の作戦計画の樹立を促進することがあった。
敗戦色が濃くなったとき、天皇は、統師部のいう「台湾決戦」に期待していた。沖縄戦は最後の頼みの綱だった。天皇が戦争終結に傾斜するのは、沖縄戦の戦況が挽回不可能であることがはっきりした時点である、そこでは、いよいよ天皇も覚悟せざるをえなかった。
天皇は、責任者の処罰と全面的武装解除に強く反対していた。
大変歯ごたえのある本です。この本が多くの人に読まれて共通の歴史認識を広めたいものだと思いました。
(2017年1月刊。

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