弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2016年5月 1日

きみは特別じゃない

アメリカ


(霧山昴)
著者  デビッド・マカルー・ジュニア 、 出版  ダイヤモンド社

 アメリカにも、こんなにいい教師がいるんですね、感激しました。
 世界中を戦争に巻き込んで大勢の人々を苦しめているアメリカですが、善良で、真面目に人生とは何かを考えている人も少なくないことを知ると、少しだけ救われる気がします。民主党のサンダース候補も、そんな尊敬すべき一人だと私は考えています。
 アメリカは東部ボストン郊外にある名門の公立ハイスクールの卒業式で語られたスピーチが本になっています。こんなに長いスピーチをしたのかしらん・・・、と不思議な気がします。
いつも本は読んでほしい。人生に不可欠な栄養分として本は読むこと。全力で、大切な人を大切にし、大切なものを大切にする。切迫感をもって、時計の針がカチカチ言うたびに、残りが少なくなっているという気持ちを持ってほしい。始まりのときがあるように、終りのときも来る。その日の午後は、どんなに天気が良くても、きみ自身は、その究極の儀式を味わえる体ではなくなっている。充実した人生、ひと味ちがう人生、意味のある人生というのは、自分で築きあげるもので、自分がいい人だからとか、お母さんが出前を注文してくれたからといった理由で転がり込んでくるものではない。結局のところ、きみが「自分とは何か」を考えるから、自分がいる。きみが考えなければ、きみの「自分」はない。容赦なく、立ち止まることなく、秒針は進んでいく。「いま」だと思った瞬間はもう過ぎて、次の瞬間になっている。そして、その「次の瞬間」も、たちどころにまた過去になっていく。
人の一生は際限なくサイコロを転がしていくようなものだ。予想は、そのつど裏切られ、まるでハムレットのように変転を繰り返す。
人類の財産とも言える本は思考を広げ、よりよいものにするのを助けてくれる。だから、本を読むと、より広く、よりよい思考ができるようになる。何より大切なのは、発見があることだ。本を読むことは、他人の目で体験を積むことだ。読書は自分を大きくする。
教師が成功するか否かで、わたしたち人類の未来が決まる。ほかに、そんなことを言える職業がどこにあるだろうか・・・。教師は、子どもを一人ずつ育てて、未来を積み上げている。
学ぶことは、正解にたどり着くことではない場合のほうが多い。ほんとうの意味での勉強は、理解を広げること、知を深めることだ。それは、楽しいことであり、わくわくするものである。
自分が楽しいと思うこと、いいと思うことに没頭し、その結果や評価は成り行きにまかせること。今という時間を大切にし、先のことは何とかなると信じることだ。
大学は、とても楽しいところ、元気いっぱいの通過儀礼だ。ちょっと背伸びをして、初めて味わう独立した気分を楽しみ、何度かためになる失敗もして、強い友情の絆を結び、何か面白そうなものを発見したり、探検したりして集中し、打ち込む能力を養い、技を磨き、卒業証書をもらったら、さっさと残りの人生へと向かい、一人前のいろんなことのできる人間を目ざす。大学時代の友情は、死ぬまで続く。その場所を大切に思う気持ちは、時間がたてばたつほど募っていく。
 私にとって高校までは苦痛の時代でしたが、大学に入って、ようやく人間になれたと思いました。それは「大学紛争」(東大闘争)もありましたが、3年あまりの学生セツルメント活動がすべてのような気がします。このときの友情と思い出こそ、今日の私をつくっています。もし、今の大学生がそんな思いが出来ないとしたら、本当にお気の毒だと言うしかありません。ちなみに、私もアルバイトは家庭教師など週に2~3回はしていました。オカムラ家具の運びという軽作業もやっていました。それでも、アルバイトによる拘束は現在のほうが圧倒的に強いとのこと。看過できない現状です。
 私のときには授業料が月1000円、そして寮費(もちろん食費は別です)も月1000円でした。今のような40万円も50万円もかかる授業料なんて、国の政策は間違っています。それで、「一億活躍」だなんて、チャンチャラ笑わせます。もっと大学生も国民も怒るべきです。
(2016年2月刊。1600円+税)

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2016年5月 2日

自衛隊の転機

社会

(霧山昴)
著者  柳澤 協二 、 出版  NHK出版新書

 先日、著者には福岡でも講演していただきました。防衛官僚のトップ近くにいた体験にもとづき、自衛隊の海外派兵の危険性を力説されました。もちろん、安保法制にも反対です。
自衛隊員の生命を軽々しくもてあそんではいけない、国民の人権を踏みにじってはいけないという信念は強固なものがあり、とても分かりやすい話でした。聞いていて、胸にストンと落ちました。
著者は1970年に防衛庁に入って退官するまで40年間、防衛官僚として仕事をしてきました。2004年から2009年まで、内閣官房副長官補として首相官邸で働きました。
自衛隊の海外派遣は、三つの矛盾をかかえている。その一は、国内で戦うことを前提としているため、補給などの後方支援部隊の規模を小さくしていること。第二に、隊員の心構え。自衛隊員の多くは、人助けのために入ったというもの。第三、憲法との整合性。武器の使用を考えてこなかった自衛隊員が海外で「交戦」など出来るはずもない。
海外警備活動は、これまで3回しか発動されたことはない。これは、あくまで警察行動であるから、自衛隊員が出ていっても、海外公船に対する実力行使はできない。
イラク派遣のときには、アメリカへの付きあいなのだから、危険をおかすまでもないというのが当時の政権の認識であり、これを反映していた。
当時は、自衛官が撃たれることばかりを心配していた。
武器使用は、自衛官個人の権限として想定されているものなので、自衛官個人が一義的に責任を負うことになる。
安保法制ができて、自衛隊のリスクは格段に高まった。軍法のない自衛隊は使えない。
アメリカは、陸戦(陸上戦闘行為)には、ほとほと嫌気がさしている。
日本の自衛隊は、冷戦時代の防衛力に比べて一回り小さい規模になっている。「陸」は18万人から16万人弱へ、「海」は60隻から54隻へ、「空」は430機から340機へとそれぞれ減っている。
現場感覚にもとづき、自衛隊のあり方とその実態について議論がたたかわされた本でもあります。                          (2015年9月刊。780円+税)

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2016年5月 3日

白日の鴉

警察

(霧山昴)
著者  福澤 徹三 、 出版  光文社

 電車のなかで痴漢の疑いで捕まったとき、どうするか・・・。一番いいのはそこから逃げ出すことでしょうね。ただし、あとで捕まらないというのが条件です。あとで捕まってしまえば、なんで、あのとき逃げたのかと厳しく追及されるでしょうから・・・。
 弁護士の立場で言えば、逮捕されたら一刻も早く弁護士を呼ぶように警察に求めることです。とはいっても、あたりはずれがあるのは弁護士である私の体験からしても否めません。
 当番弁護士としてやって来た弁護士が、被疑者の言い分をちゃんと聞くことなしに、一般的な弁護士の解説を長々と説明するという弁護士もいるようです。目の前の被疑者の置かれている状況、彼が何を訴えたいのかを聞き出すこと抜きに、抽象的な刑事訴訟手続を解説されるだけでは、弁護人として役に立ちません。
 この本でも、ともかく早く認めて罰金を支払って出たほうがいいと説明する弁護士が登場します。これも、現実をふまえた善意からのアドバイスであることは間違いありません。でも、それでは、一個の人格ある人間として納得できないではありませんか・・・。
苦難な過程を選択してしまった被告人は、ついに「ぬれぎぬ」を着せた男女とその背景にいる黒幕をあばき出すのに成功します。もちろん、いつも、こんなにうまくいくとは限りません。でも、そんなこと、あってほしいなと思わせる、いくばくかの希望をもたせた異色の警察小説なのです。
(2015年11月刊。1800円+税)

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2016年5月 4日

携帯乳児

司法

(霧山昴)
著者  紺野 仲右ヱ門 、 出版  日本経済新聞出版社

 明治41年に制定された監獄法によって、刑務所内で育てられる「子」を「携帯乳児」と呼んだというのです。子どもを「ケータイ」と呼ぶのには、すごく抵抗がありますよね。それでも、女性が刑務所内で出産することはありうるでしょうし、その母子を別にするのも良くないことが多いでしょうから、やむをえない措置だとは思います。
この監獄法は、100年続いたあと、平成18年に全面改正され、翌19年に施行されています。いまでは「刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律」という長い名前の法律になっています。
刑務所につとめていた夫婦の合作ですので、さすがに刑務所の内外の様子が詳しく描かれていて参考になります。
刑務所内の処遇課と分類課は昔からそりが合わないと描かれています。現場重視の処遇課に対して、理論派の分類課という構図です。
心理技官の多くは分類課に籍を置いている。
刑務所は刑を執行するところなので、刑期を全うさせることが大原則。一方で、受刑者の犯罪の特性を正確につかみ、改善や更生をさせて社会復帰をはかることも、一般社会が刑務所に望む重要な役割だ。けれども、現実には刑務所に出来ることとしては、限られた職種の工場に、受刑者をなるべく適切に割り当てることぐらいだ。刑務所に入れることが罰であり、そこに犯罪抑制力があると、処遇課は声高に主張する。
刑務所内の収容者にも、いろんな人がいて、むしろ満期までいたいという人もいるようです。そして、精神遅滞の人や、親兄弟と縁を切った(切られた)人もいて、なかなか複雑です。刑務官にしても、さまざまな人生を歩んでいます。
そんな人たちの思いと行動が複雑に交錯して話が進行していくのでした。
(2016年2月刊。1600円+税)

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2016年5月 5日

ザ・町工場

社会

(霧山昴)
著者  諏訪 貴子 、 出版  日経BP社

 読んで元気の出る、町工場の話です。まだ若い女性社長の下で、若手から70歳すぎまで働いている精密加工業の中小企業での奮闘努力の過程が惜しみなく公開されています。なにより表紙の写真がいいですね。みんな目が生き生きしています。
 社員34人のうち20代が11人、30代が10人、40代が6人、50代以上が7人。ところが、この会社では定年が70歳。65歳になったら給料は20%減だが、70歳までは同額、そして70歳を過ぎても本人が希望するなら働き続けられるといいます。現に70歳すぎの人が3人も働いているというのです。これは驚きましたし、敬服します。前に、アメリカの小さな会社に、そんなところがあったのをこの欄で紹介しましたが、日本でも同じようなことを実践している会社があるのですね・・・。
 それにしても若者が入社して、定着率もいい。そのなかで会社がつぶれることもなく業績を伸ばしているなんて、すごいことです。そこには、どんな秘訣があるのでしょうか・・・。
 未経験者をゼロから育てる。求職者は3か月間、お試し期間として働いてもらい、ハードルを下げる。採用面接は社長がする。そのとき重視するのは、ヒューマンスキルの高さ。誰とでも親しく接することのできるコミュニケーション能力、素直さ、謙虚さ、向上心。このニューマンスキルがあれば、早くから周囲に溶け込み、技術も知識も短期間で習得できる。学歴は一切関係ない。
自分の短所が答えられない人は採用に至らないことが多い。ネガティブに答える人もバツ。後ろ向きの発想では何事も良い方向には進まない。
誰が見ても優秀な人材は、すぐには採用しない。他社を見たうえで、自らの決断で入社した社員は決してすぐには辞めない。
 未経験の新人にも、いきなり本物の製品の加工をさせる。練習では緊張感がないし、集中しないので、一向に上達しない。
入社して1ヶ月間、社長と大学ノートで交換日記をつける。それで毎日の様子を見る。
職場を楽しい雰囲気、居心地のいい空間にする。2年に1回は社員旅行に出かける。
法律事務の活性化にも大いに役立つような内容の本でもありました。
 日本の中小企業の底力を確信させてくれる本でもあります。引き続き、がんばってくださいね。
(2015年6月刊。1000円+税)

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2016年5月 6日

安倍政権にひれ伏す日本のメディア

社会

(霧山昴)
著者  マーティン・ファクラー 、 出版  双葉社

 ニューヨーク・タイムズ前東京支局長が、日本のメディアはジャーナリズムの精神を失っていると激しく怒ってます。この本に書かれていることのほとんどに、私も、まったく同感です。
権力の与党であることを売りものにしているかのようなヨミウリ・サンケイって、まともなジャーナリストなんでしょうか・・・。たまには権力から嫌がられるような「正論」を記事にしてほしいものです。
メディアが政府から完全にコントロールされている現在の日本のジャーナリズムは、およそ健全ではない。
アメリカ人の記者から、ここまで断言されているのですから、日本人ジャーナリストも、少しは奮起してほしいですよね・・・。
健全な民主主義が機能するうえで重要な権力のチェック機能を果たすはずのメディアが、第二次安倍政権が生まれてから、腰砕け状態に陥ってしまっている。組織防衛を優先させ、ジャーナリズムを放棄している。そんな信じられない現実が、日本の新聞やテレビといった大手メディアの内部で雪崩(なだれ)のように起きている。
 安倍首相のいる官邸はテレビや新聞を毎日こまかくチェックし、官邸にとって気に入らない報道があれば、担当者に電話をかけ、直接クギを刺す。
 同じメディア内部で、政治部の記者は他の部門にこんな圧力をかけている。「官邸を怒らせないでほしい、取材できなくなるから」。なんということでしょうか・・・。これでは、単なる権力の僕(しもべ)ではありませんか。
日本のメディアのトップたちは、安倍首相と頻繁に一緒に食事をしている。それも高級料亭やフレンチ・レストランなど・・・。
安倍首相は、ニューヨーク・タイムズの取材をあからさまに避け続けている。安倍首相は、ぶら下がり会見が少ないし、そもそも記者会見の回数がとても少ない。
朝日新聞を攻撃した読売新聞は部数を大きく減らした。その減り方は朝日より読売のほうが大きかった。朝日を叩いて拡販しようという戦略は完全に裏目に出た。むしろ、新聞全体への不信感が強まっただけだった。
朝日がこんな「ヘマ」を犯したとき、ヨミウリ・サンケイは権力と同じく朝日をたたきに狂弄した。なぜ、権力と対峙して朝日を擁護しようとしないのか・・・。
 安倍政権の言うとおりに報道していればコトは簡単です。ところが、少しでも批判しようとすると、記者の心身の安全がはかられません。ロシアでは既に何人もの優秀な記者が消されてしまっています。それでもがんばっているメディアがあるといいます。
 日本のメディアは、安倍政権のやろうとしていることの恐ろしさを国民にもっとはっきり伝えてほしいものです。
(2016年4月刊。1000円+税)
 子どもの日(5月5日)、例年のように近くの小山にのぼりました。山の中の少し開けたところで養蜂家が巣箱を開いて作業しているのを見かけ、日本ミツバチにもがんばってもらいたいと思ったことでした。
 かなり急斜面をのぼりますが、大きな岩がごろごろむき出しです。こんなときに地震にあって、岩がころがり出したら、もう逃げようがありません。というのも、出かける30分前に余震が2度もあったのです。熊本では震度3とか4でした。早くおさまることを願うばかりです。
 山頂に着くと、子どもたちが大勢いて、そのにぎやかな歓声がひびいていました。保育園児と親たちの遠足のようです。こんな子どもたちの声を騒音だといいつのる大人の気がしれません。
 ゆっくり見晴らしのいいところで、おむすび二つをいただき、英気を養いました。生命の洗濯です。
 帰りにはミカンの木に丸粒のような白い花がびっしりでした。3時間あまりで、1万5427歩を記録して、いい運動になりました。

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2016年5月 7日

戦場の性

ドイツ・ロシア

(霧山昴)
著者  レギーナ・ミュールホイザー 、 出版  岩波書店

 「独ソ戦下のドイツ兵と女性たち」というサブタイトルのついた本です。凄惨な性暴力から「合意の関係」まで、丹念に資料を掘り起こした労作です。
 ソ連軍兵士は、1944年から45年にかけて、ナチズムとその同盟政権を支持した女性に対してだけではなく、ファシズムに敵対した女性や抵抗運動の女性闘士、さらには強制収容所の解放のさいに遭遇した女性囚人に対しても、大々的に性暴力を行使した。
 首都ベルリン攻防戦のときにも、ソ連軍兵士は11万人あまりの女性をレイプした。50万人が犠牲になったと考える研究者もいる。抑留されていた男性が帰国してくると、女性は口をつぐんでしまった。
 ソ連の解放軍兵士が加害者で、ナチズムを信奉していたドイツ人女性が被害者であるという構図は戦後のドイツで、政治的に問題をはらんでいた。たしかに難しい状況ではあります。
ドイツでは当時、カメラを所有するのは珍しいことではなく、兵士もカメラを持参し、たくさんの写真をとっていた。ですから、写真がたくさん残っているのです。
ドイツ国防軍の兵士たちはソ連に侵攻したとき、都市の占領直後の数日間の混乱した状況を利用して、個人の住居に侵入して女性たちを、ユダヤ人女性を含めてレイプしていた。
 単独ではレイプなどしない兵士も、共同の犯行には加わっていた可能性がある。集団レイプのさいには同調圧力が大きな役割りを果たし、加えて、それを行うことで、しばしば部隊への忠誠心が強まった。
 パルチザン部隊と赤軍には、あわせて10万人の女性がいた。そのうち半数が武装していた。ドイツ国防軍は、一般的に女性パルチザンも女性赤軍兵士も通常の戦争捕虜とは見なしていなかった。ドイツ国防軍指導部は、これらの女性戦闘員を特別な脅威と見なしていた。兵士が女性を真っ正直に信用してしまい、スパイや武装した戦士であることを理解しないことが懸念されていた。
ドイツ人男性は、赤軍とパルチザン部隊の女性兵士に対して特異な妄想と敵意をつのらせた。パルチザン掃討はドイツ人男性にとって現地女性に対して性暴力を行う口実になった。
ドイツ国防軍当局は、兵士たちが軍の備蓄品で性的取引を行っていることをつかんでいた。交換取引と「同情による施し」によって需要備蓄品の大半が敵の手に渡り、そのためドイツ軍の作戦行動に影響が出るかもしれないと心配した。
 1942年9月、ドイツ国防軍のトップは、「東部地域」で毎年150万人もの兵士の子どもが生まれるだろうと見込んだ。ソ連の占領地域には、500万人ものドイツ兵が駐留していた。その半数は現地女性と性的関係をもつとされ、その半数が妊娠出産に至るだろうとみられた。
 戦後、ほとんどの男性が戦争中の性的な体験について沈黙した。実際、多くの男性が戦場から戻ってきて、うつ病、インポテンツその他の性的問題に悩んでいた。
 戦争は、男性にとっても女性にとっても、人間らしく生きることが出来なくなることがよく分かる本でもありました。
(2015年12月刊。3800円+税)

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2016年5月 8日

古代ユダヤ戦争史

イスラエル

(霧山昴)
著者  モルデハイ・ギボン、ハイム・ヘルツォーク 、 出版  悠書館

 旧約聖書におけるユダヤ人の戦いを現地の地勢に照らして、考古学的知見をふまえ、図解しながら再現している本です。なるほど、そういうことなのかと驚嘆しながら読みすすめていきました。もちろん、私は旧約聖書をきちんと読んだことは一度もありません。ただ、いくつかの戦いの名前だけは知っているという程度でしかありません。
 パレスチナは、ユーラシア大陸とアフリカ大陸とを結ぶ唯一の「陸橋」である。パレスチナの陸橋に、前12世紀から1200もの長きにわたって続いてた民族国家を形成したのは、ひとりユダヤの民だけだった。この長い期間、ユダヤの民は、しばしば数的劣勢を精神と献身でもって補うことを強いられた。
古代イスラエルで戦闘にかかわる者は、高い山岳地帯での戦いから、砂漠での戦いまで、極端なあらゆる場面での戦闘に精神していなければならなかった。
12世紀の戦いで、十字軍は飲み水に欠乏して憔悴していたのに対して、他方のサラセン軍は88キロ離れた山の斜面からラクダを使って次々に運ばせた氷で冷やした飲み物で喉をうるおしていた。
ユダヤ社会において「民」は、直接的であれ間接的であれ、常に国家に対して影響力をもつ存在だった。
 イスラエルの軍隊は、武装した一般民衆を中核として構成されていたが、イスラエルの民は、いつでも武器をとって戦う気がまえができていた。
 イスラエルの兵は、ほとんど全員が歩兵だった。イスラエルは諜報機関を大切にしていた。軍司令官は、自分の情報収集期間に対し、情報のたしかさを証明する証拠をできるだけ多く収集することの重要さを教え、その周知徹底につとめていた。
 宿屋は、いつの時代も、情報収集に非常に適した場所である。泊まり客たちの軽率なおしゃべりと、宿屋の主人の鋭い聴力が一つにあわさると、熱望された情報源となる。
訳者による解説が出色です。
優秀な指揮官であるかどうかの重要な決め手は、見えない「丘の向う側」の敵軍の動きを読みながら、あるいは想定外も考慮に入れつつ、迅速にして的確な対応ができるか否かである。そのためには、指揮下の偵察や諜報機関による情報収集が求めらえるだけでなく、報告された情報が果たして本当に正しいか、自分の責任において見極めなけれならない。
 そして「サウルのジレンマ」というのがあります。つまり、全軍の長たる父王の許可なしに配下の部下だけで敵の陣地を攻撃する単独行動をとったとき、そのために戦いに勝ったという場合に、「命令違反」として死刑に処していいのか・・・。というものです。勝ったんだから許せるとしたら、いつだって命令違反をしていいということになりかねません。難しいところですよね。よくぞ調べてあると驚嘆しました。
 

(2014年6月刊。4800円+税)

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2016年5月 9日

文化庁国語課の勘違いしやすい日本語

社会

(霧山昴)
著者  文化庁国語課 、 出版  幻冬舎

 文化庁というと文科省かなと思ってしまいましたが、どうやら違うようです。文科省って言ったら、教科書検定でかたよった意見を押しつけ、教育統制の強化につながる全国学力テストなど、まったく悪いイメージしかありません。
文化庁は、文化財、美術館などを担当している役所で、そのなかに国語の改善と普及を担当している国語課というのがあるそうです。
 言葉は、年月とともに変化していく。かつては規範的であった言葉の形や意味が、現代では通用しなくなったり、使い方が変わってしまう例は少なくない。言葉の正誤を軽々しく決めることは出来ない。
それを前置きとして、私も「間違った」使い方をしている表現にいくつもぶつかりました。「弁護士さんって、敷居が高いんですよね・・・」これは、「高級寿司店は、ちょっと、僕には敷居が高いかなぁ・・・」というのと同じ使い方です。ところが、本来の「敷居が高い」というのは、不義理したり、面目の立たないことがあって、その人の家に行きにくいという意味の言葉。単に入りにくいとか近寄りがたいというものではなかったのに、今ではそのように使われることが多くなっている。ふーん、そうだったのか・・・。
流れに掉(さお)さす。これは、本来は、流れのままに棹を操って船を進めるように、物事を時流に乗せて順調に進行させること。ところが、最近では、時流に逆らって反対意見を言うようなものとして使われることが多い。ホント、私も、そんな使い方をしてきましたよ、トホホ・・・。
 枯れ木も山のにぎわい。本来は、つまらないものでも、ないよりある方がましの意味。ところが、人が集まれば、にぎやかになって良いという意味で使われることがある。
「キミは本当に破天荒な人間だな・・・」これって、ホメ言葉なのか、けなしているのか、どちらでしょうか・・・?本当は、誰も出来なかったことを初めて成し遂げることというホメ言葉です。ところが、豪快で大胆な様子をさす意味で使われることが多くなっています。
「さわりだけ聞かせてよ・・・」。さわりの本来の意味は、聞かせどころ、聞きどころです。ところが、話の最初の部分だけ聞かせてよ、という意味につかわれることも少なくありません。
憮然(ぶぜん)としている・・・。これは失望、落胆、ぼんやり、呆然の意味です。ところが、最近では、腹を立てている様子という意味で使う人が多くなっている。
「議論が煮詰まってきた・・・」。本来は、議論して、考えが出尽くして結論が出せる段階になった状況をさします。ところが、議論がこれ以上は発展せず、行き詰った状況をさす言葉としても使われるようになっています。
割愛する・・・。本来は、仏教用語で、愛着の気持ちを断ち切ること。つまり、惜しいと思っているものを、思い切って捨てたり、省略したりすることを言います。ところが、最近は、単に省略するという意味で使われることが多くなっています。
うひゃぁ、知らないことって、こんなにたくさんあるんですね・・・。しかも、言葉の本来の使い方が誤用されていくうちに、変化していって、誤用が誤用じゃなくなるんですね。言葉って・・・。まさにコトバは生きています。そのことを実感させてくれる本でした。
(2015年12月刊。1000円+税)

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2016年5月10日

現代史の中の安倍政権

社会

(霧山昴)
著者  渡辺 治 、 出版  かもがわ出版

 安倍首相のやっていることを時代錯誤的な個人的な思いつきと考えるのは、まったくの誤りだ。安倍政権には二つの顔があり、その二つをセットとして実行している。
 その一つは、新自由主義改革の本格的な再稼働。
 もう一つは、アメリカや日本の保守支配層も眉をひそめる侵略戦争肯定論。
 安倍首相の目ざしているのは、復古的な大国ではない。 安倍政権は、国民動員の見地から、植民地支配と侵略戦争の歴史を否定したいという強い衝動をもっている。
アメリカや日本の財界も、安倍政権の評価をめぐって動揺していた。しかし、2013年ころから、割り切って安倍政権を支持するようになった。というのも、これほど野蛮な情熱をもっていなければ、軍事大国化、そして「構造改革」を再建することはできないという判断をしたから・・・。いわば、安倍政権は、現在の支配階級の最大の切り札になっている。
安倍首相に対しては、従来の政権以上に官僚機構が全面的に支援している。
アメリカの世界戦略は変化した。イラク・アフガニスタンへの派兵そして戦争は、二つの結果をアメリカにもらした。一つは未曽有の財政赤字。二つには、国民の反戦・厭戦意識の高まり。
オバマ政権の対中政策には、二面性がある。一つは、中国をアジアにおけるパートナーとして位置づける。もう一つは、中国を軍事的・政治的に抑え込もうという路線である。
安倍政権の描いたシナリオに誤算が生じたのは、国民運動の高揚である。
安倍首相が歴史の修正と改ざんの執念を燃やしている最大の要因は、戦後のドイツとは異なって、「戦後」を肯定化する延長線上では、安倍の軍事大国は正当化できないということにある。
安保法制は、国民の側からすると、戦後70年にわって堅持してきた、海外で戦争しないという国是を壊す大転換でもある。
安保法制を施行させない、若い自衛隊員をたとえばアフリカの戦場へ送らないようにする必要があります。
安倍首相の確信犯的な恐ろしさは、このところまさに倍加しています。ひどいものです。にもかかわらず、安倍首相への支持率が4割をこえているなんて、おかし過ぎです。

(2016年1月刊。1800円+税)

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2016年5月11日

新・韓国現代史

韓国

(霧山昴)
著者  文 京洙 、 出版  岩波新書

 韓国は、軍事政権のあとは、革新的な大統領になったかと思うと、保守的な大統領に戻ってしまったり、政権交代が続いています。
 そして、直近の国政選挙では朴大統領の与党が第二党に転落してしまいました。その立役者は、どうやら若者の票のようです。日本でも、野党の統一候補の擁立がすすんでいますので、日本の若者があきらめることなく(選挙に棄権せず)、野党候補へ一票を投じる可能性が高まってきました。
 安保法制、TPPそして労働法制の規制緩和など、今の安倍政権のやっていることは、あまりにも国民、とりわけ若者を無視しています。それに対して「ノー」という審判を下したら、世の中は大きく動きます。今まさに、ワクワクする政治が目の前に到来しているのです。ぜひとも、一人でも多くの若者にそのことを自覚してほしいと切に願います。
 2014年4月16日に起きたセウォル号の沈没事件には、私も泣かずにはいられませんでした。ひどい、ひどすぎる。許せない、そう思いました。だって、前途有為の若者たち(高校生)が300人も死んでしまったのですよ。きちんと誘導・避難していれば、相当数の高校生が助かったと思います。雇われ船長が下着姿で船から脱出している様子は、とても正視できません。お金もうけがすべて。これって、まさに日本の経団連と同じです。ひどいものです。
目先の金もうけのためには、軍需産業を大々的に育成する。そのために税金投入を政府に求めるというのが日本の財界です。どうしようもない連中です。そのくせ、日本の経団連は道徳教育の強化に熱心だというのですから、世の中は間違っているというか、狂っています。
いまの朴大統領の父親である朴正煕が部下の金載売から射殺されたのは、1979年9月のことでした。まったく衝撃的な出来事として、私も記憶が鮮明です。軍人の世界も食うか食われるか、かなり厳しいものなんだと思ったものです。
そして、1995年10月に盧泰愚が、12月には全斗煥が逮捕された。全斗煥は無期懲役盧泰愚は懲役17年の刑が宣告された。すごいですね。すぐに釈放されたとはいえ、強権をふるった元軍人の元大統領が逮捕され、無期とか17年の懲役刑が宣告されたとは、すばらしいです・・・。
 日本にも、まさるともおとらぬ大きな矛盾を社会内にかかえている現代韓国の内面をたどる手頃な新書です。

(2015年12月刊。840円+税)

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2016年5月12日

安倍晋三「迷言」録

社会

(霧山昴)
著者  徳山 喜雄 、 出版  平凡社新書

 「貼られたレッテルを(国会の)審議期間の中だけでは取り去ることができなかった。結果を出していくことでレッテルをはがしていきたい」
 「(戦争法だなんて)デマゴーグ(扇動)だということを国民に説明していきたい」
 いずれも、安倍首相が安保法制に反対する国民の声に弁明・反論して言ったものです。このような紋切り型で攻撃的な言葉を羅列し、反対意見には耳を貸そうとしない。これが安倍首相の一貫した姿勢である。
 集団的自衛権について、憲法上は権利があるのに行使できないということは、禁治産者は財産に対して権利があっても行使できないというのと同じ。つまり、内閣法制局の理屈からすると、日本はいわば禁治産者なのか・・・?
 安倍流の言葉には3つのパターンがある。一つは断定口調。「戦争に巻き込まれることは絶対にない」「徴兵制は、まったくありえない。今後もない」。
もう一つは、「私は」というコトバをつかわずに間接話法を用いる。
最後は、突然キレてしまう「感情語」。
「われわれが提出する法律についての説明は、まったく正しいと思いますよ。私は総理大臣なんですから」
総理大臣が言うことが「まったく正しい」というのなら、それはまぎれもない「独裁政権」である。
安保法案について、安倍首相は「アメリカの戦争に巻き込まれることは絶対にありえない」と断言した。しかし、現実に制定・施行された安保法制は、アメリカの戦争に加担することを許している。すると、「巻き込まれる」かどうかというのは、単なる形式的な「主体性」の問題にすぎない。要するに、ごまかしということ。
安倍首相は、2015年9月の採決強行のあと、「国民に丁寧に、分りやすく説明していきたい」と述べた。しかし、本来あるべき説明とは、決める前に合意形成のためになされるものではないでしょうか・・・。
安倍は、日本の戦後史上に国民の意見を聞かず、熊本大震災のあとも原発の稼働中止を命じなかった首長として有名になるのでしょうか。そんなの嫌ですよね。
(2016年1月刊。780円+税)

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2016年5月13日

経済的徴兵制

社会

(霧山昴)
著者  布施 祐仁 、 出版  集英社新書

 自衛隊の退職者も志願者も減っている。2014年度の自衛隊の総退職者数は1万2500人。2013年の1万1939人より500人以上も増えている。そして、2014年度は志願者も減った。2013年度の3万3534人から、2014年度は3万1361人と2000人以上の減少。
 これらの減少には、2014年7月の集団的自衛権の行使容認の閣議決定が影響している。
 国立大学の学費は、1970年(昭和45年)には年1万2000円だった(月1000円)。それが、今や年50万円となっている。物価が3倍なのに、学費は45倍にもなっている。これは国の予算の使い方が完全に間違っています。人材育成にお金を使わず、ムダな軍需産業にテコ入れしているのです。お金がないのではなくて、お金のつかい方が間違っています。
 韓国、北朝鮮、台湾、ロシアは徴兵制をとっている。中国は実質的に志願制になっているが、制度としての徴兵制は残っている。
 ヨーロッパでは徴兵制を廃止ないし停止している。ベルギー、オランダ、フランス、スペイン、イタリア、ポーランド、スウェーデン、ドイツ。
 アメリカは、1973年に選抜徴兵制から完全志願制に切り替えた。ベトナム戦争で、アメリカ人青年190万人が徴兵された。拒否して起訴されたのは2万5000人。
アメリカ軍は黒人の比率が高い。陸軍では28%が黒人だ。アメリカ連邦議会の議員のうち、軍務についている子弟をもつ者は一人しかいない。
アメリカの若者が軍に志願する理由は、一に奨学金、二に医療保険。日本も、だんだんアメリカに状況が似てきましたよね、心配です。
 入隊して1年間に月100ドルを納めたら、2年以上の軍務経験で、最大6万ドルの奨学金がもらえる。うひゃぁ、これって大きいですよね・・・。
 アメリカでも陸軍の援用目標を達成できていない。そのため、新兵の質は著しく低下した。それは、ドイツでも同じこと。新兵募集に苦しんでいて、目標未達成が続いている。
 日本の自衛隊にも、経済的動機から志願する若者が少なくない。
もし戦争が起こったら、国のために戦うかという質問に対して、「はい」と答えたのは日本は15%のみで、世界78ヶ国のうちで、断トツで最下位だった。そりゃぁ、そうですよね。アベ首相のいう「美しい国・ニッポン」のため死んでこいと言われても、なぜ、どうして私が・・・と考え込んでしまいますよね。
 自衛隊に入る若者が多いところは、貧困率が高い地域だ。それは、青森、北海道、宮崎、熊本、鹿児島、長崎、大分、佐賀と続いている。九州各県は福岡を除いて多い。
「経済的徴兵制」の何が問題なのか・・・。それは、国土防衛ではなくて、富める者たちの利益のために行われる海外での戦争で、貧しき者たちの命が「消費」されることにある。それは、不正義というしかない。使い捨てにされてよい人間など、この世界には存在しない・・・。
徴兵制だってありうるのが、今のアベ政権ですよね。貧困のために軍隊に入って、殺し、殺され、戦場から無事に戻ってきてもPTSDなどのため廃人同様になる。考えただけでもゾゾっとします。
(2015年1月刊。760円+税)

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2016年5月14日

イタリア現代史

イタリア

(霧山昴)
著者  伊藤 武 、 出版  中公新書

 私は、イタリアにはミラノに行ったことがあるくらいで、ローマにもポンペイにも行ったことがありません。イタリアといったら、なんといってもスパゲッティとピザですよね。
 イタリアの政治と言えば、現在の政党の名前は、みんな新しいものばかりなんですね、不思議です。日本では共産党が戦後ずっと同じ名前ですし、イタリア共産党と言えば、強大な党でしたよね。ところが、今は存在していません。そして、イタリアといったら、かのマフィアの存在も忘れることができませんね。裁判官も検察官も次々に暗殺されてしまいました。マフィアと政治家との結びつきの強さは、日本でいうと大型公共土木工事をめぐる自民党政治家(一部でしょうが・・・)と暴力団との結びつきと同じことなのでしょうね・・・。
 日本以上に変転きわまりない(と思える)戦後イタリアの政治史をたどっている本です。
 1930年代、ムッソリーニの独裁は安定していた。そのファシズム独裁は、ファシスト党の独裁というより、ムッソリーニ個人を頂点とする国家の支配だった。ムッソリーニは、党よりも国家官僚機構を重視し、政府の長として集権的統治を目ざした。
1945年4月、スイス国境へ逃れようとしていたムッソリーニは捕えられ、裁判を経て処刑された。
武装パルチザン活動をふくめたレジスタンスが北部の自力解放に結びついたことは、その後に「レジスタンス神話」を生み出す。レジスタンス神話の浸透は、戦に多くのイタリア国民がファシズム独裁の歴史的問題の清算はすんだととらえる副産物をもたらした。
ファシズム時代、アフリカ侵攻におけるガス使用、ホロコーストへの協力など、神話と相いれない歴史的記憶は深層に潜り込んでしまった。
レジスタンス側も、暴力の責任から無縁とは言えない。
1946年6月、共産党のトリアッティ法相は、ファシズム関係者のパージの幕引きを図った。
1946年6月、イタリア史上はじめて女性に選挙権が認められた。そして、国民投票で君主制の廃止が決まった(54%の賛成と46%の反対)。選挙では、キリスト教民主党35%、プロレタリア統一社会党21%、共産党19%で、三大政党が全有権者の4分の3を獲得した。
共産党は、知識人のなかに改革の党として強い影響力をもった。統一社会党は、内部の激しい派閥抗争などから、やがて左翼第一党の座を共産党にまもなく明け渡した。
アメリカは、イタリア政権に左翼と決別するよう、強い圧力をかけた。
1960年8月、ローマでオリンピックが開催された。
大学生は、1950年に2万人だったのが、1962年には30万人、1968年には45万人へと急増した。
1968年1月、大学占拠の波がイタリア全土に広がった。日本でもフランスでも同じようなことが起きました。私が大学1,2年生のころです。
若者の抗議、新左翼運動の勃興、共産党の勢力拡大はイタリアの社会に新たな緊張をもたらした。
1970年から73年は、極右勢力が盛り返し、「右翼の3年」と呼ばれた。黒いテロリズムが勢いずき、多数の死傷者を出した。そして、「赤いテロリズム」を呼び起こした。
1970年12月、離婚を合法化する法律が制定された。
1976年の総選挙では、キリスト教民主党が38.7%、共産党が34,4%を獲得した。
1978年3月、アルド・モーロが「赤い旅団」に誘拐され、殺害された。事件の真相は、今なお闇の中にある。
1981年5月、P2事件が発覚した。フリーメイソンの支部の名簿が公表された。
1983年、共産党は大きく支持を減らした。ソ連共産党との関係を清算しきれず、そのことがマイナスに動いた。
1987年の総選挙で、共産党は26.6%しかとれず、敗退した。「正直者の党」の共産党による権力監視の機能が衰えた1980年代は、政党や行政機関、財界を巻き込み、利益誘導と政治腐敗は悪化していった。腐敗の拡大と表裏一体で進行したのが、マフィアの全国的進出だった。シチリアのマフィア、カンパニーニャのカモッラ、カラブリアのンドラゲタなどの犯罪者集団が我が物顔で横行した。
日本の政治も、いびつな小選挙区制度をやめて比例代表制にしたら、国民の意思がよりよく反映されて、すっきり風通しのいい政治になると思います。
(2016年1月刊。900円+税)

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2016年5月15日

シベリア最深紀行

ロシア

(霧山昴)
著者  中村 逸郎 、 出版  岩波書店

 この本を読むと、ロシアという国は、とてつもなく奥の深い国だということがよく分ります。
 シベリアの奥地には、プーチン大統領もモスクワも、まったく及びではないという人々が住んでいるのです。なにより、シベリアという土地が広大すぎて、まるでつかみどころがありません。
 帝政時代に抑圧されたシベリアに住む少数民族にソ連政府が政治的に配慮することはあったが、ほとんど形式上の見せかけにすぎなかった。15世紀、そして16世紀の西シベリアは、まだロシア領ではなく、タタール人の領地だった。チュルク語系民族が15世紀半ばにシベリア・ハーン国を建設した。そして、16世紀になってロシア人の部隊が進出してきて、戦闘の舞台となった。
 土着のタタール人の家系であり、イスラム教徒でありながら、修道院でも祈りをささげている。西シベリアのイスラム教徒は、フルシチョフ政権下の1960年代に状況が急変し、迫害を受けるようになった。
北極海に近い地方ではトナカイを飼育し、トナカイに頼った生活をしている。遊牧民は800頭から1000頭のトナカイを飼っている。トナカイの肉は遊牧民のネネツ人にとっては主食であり、たんぱく質の供給源として貴重だ。トナカイの主食は良質なコケ。人工飼料はまったく口にしないので、トナカイの肉はとても繊細で美味しい。とりわけトナカイの心臓は高級肉で高い。
人々が一定の距離をもって暮らすのは、トナカイの食料となるコケを確保するため。たくさんのトナカイを飼っていても、一頭ごとに体の模様が異なり、顔つきにも性質にも個性があるので、家族の一人ひとりが自分のトナカイをもっていて、瞬時に見分けることができる。
 都会には住めない。騒音のため頭痛がして、平衡感覚がなくなり、調子が狂ってくる。車の排気ガスの臭いが鼻について、まともに呼吸できない。
チュームには、カレンダーも時計もない。家族全員の誕生日が不明であり、正確な年齢も分からない。まったく時間に拘束されない生活を過ごしている。
 このような先住民の正確な人数をロシア政府は把握していない。出生届がなされても死亡届が出るというのは、とてもレアケースだ。
シベリアを一つの言葉でくくることは出来ない。シベリアの中心地がどこにあるのか、誰も答えることが出来ない。すべてが隣りあわせに存在するのだから、中心がないのも当然のこと・・・。
 不思議で、つかみどころのないシベリアのことを、なんとなく少しだけわかった気がしてきました。そうすると、戦後、多くの日本人がシベリアに抑留されたとき、その所在と責任があいまいになっていったのに関係するのかもしれません。
 世界は広いということを大いに「実感」させられる本でもありました。

(2016年2月刊。2400円+税)

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2016年5月16日

微生物が地球をつくった

生物


(霧山昴)
著者  ポール・G・フォーコウスキー 、 出版  青土社

微生物は地球上で最古の自己複製する生物なのに、見つかったのは最後で、ほとんどのあいだ知られていなかった。
地球の生命の圧倒的多数は微生物だ。細菌の種は、動物と植物とをすべて合わせた種の数より、はるかに多い。その数は、少なくとも何百万種にもなる。
 生命は電気的勾配を用いてエネルギーを生成する。生命はエネルギーを使って電気勾配を生み出す。要するにすべての生物は電気発生装置だ。陽子のようなイオンを膜ごしに移動させ、それぞれの電気勾配を生成する。陽子と電子の元は水素だ。水素は宇宙に一番豊富にある元素である。電気勾配は膜を必要とする。これがないと、陽子などのイオンの濃度差もなく、したがってATPをつくるエネルギー源もない。
 共役因子と呼ばれるナノマシンは、膜の内側にまたがる文字どおり超小型モーターである。その基本的な造りは極微のメリーゴーランドのようなものだ。
 光合成の過程は、ほとんど魔法のようだ。光合成では、光は特定の分子、たいていは葉緑素という緑の色素に吸収される。特定の葉緑素分子が特定の波長、つまり特定の色の光を吸収することが、化学反応をもたらす、反応中心に収まった一個の特定の葉緑素分子が光子からエネルギーを吸収するとき、光子のエネルギーは、葉緑素分子から電子を一個押し出すことができる。およそ10億分の1秒のあいだ、葉緑素分子は、正(せい)に帯電することになる。
 光のエネルギーは、葉緑素分子から、たんぱく質複合体の提供側から需要側へと電子を押す。その結果、10億分の1秒のあいだ、正電荷をもった分子と負電荷をもった分子がタンパク質の足場にあり、両者は10億分の1メートルの距離で隔てられている。正電荷は負電荷を引き寄せる。タンパク質の足場は実際には電荷の引力のせいでわずかに崩れ、そうなると圧力波が生じる。圧力波は両手を叩くようなものだ。反応中心が電子を動かすたびに、両者はミクロの拍手となり、非常に高密度のマイクなら文字どおり検出できるような音を立てる。この現象は光音響効果と呼ばれる。ベルは、この効果をつかって光から音波を生成し、光電波という、音を伝える装置をつくった。光のエネルギーの約50%が反応中心の電気エネルギーに変換される。
最初の光合成をする微生物は嫌気性だった。つまり水を分解することができなかった。微生物が水を分解する能力を進化させるには数億年がかかった。
酸素は、地球の大気に独特のものだ。24億年前の地球には、植物も動物もいなかった。微生物しかいなかった。酸素は光合成作用の廃棄物だ。地球は、光合成によって水分解サイクルを回して酸素をつくり、呼吸によって水の清算を行うのだ。酸素は相手かまわず反応し、単独でいることを好まない。非常に反応性の高い分子で、多くの金属など他の元素と科学的に結合する。
 人間が呼吸する酸素は、恐らく100万年前につくられて、大気圏のおかげで遠くから運ばれてきた。遠い昔、植物や植物プランクトンが、地球のどこかであなたが今呼吸している酸素を生み出した。
遺伝子の伝達の間違いは、すべての生物のすべての遺伝子に、絶えず自然発生的に生じていて、場合によっては利益になることもある。絶えず生じているランダムな間違いが、遺伝子に厖大な多様性をもたらす。その多様性のほとんどすべてが微生物にある。
10の24乗の微生物が生きている。
日本人の腸内微生物は、改葬の消化を助ける遺伝子をもっている。その遺伝子は、白人の腸内微生物には見当たらない。人間の腸にいる微生物の総数は、体の細胞の総数の10倍ほどである。腸内微生物は、人間の代わりにビタミンをつくってくれる。
アメリカで消費される抗生物質の80%は、家畜生産のために使われている。そして、多くの微生物が普通の抗生物質には、免疫になっている。有毒の微生物が人間に対する反転攻勢を始めている。
微生物を知らないと、人間そして生命を知ることは出来ないということのようです。

               (2015年10月刊。2300円+税)

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2016年5月17日

ルポ・老人地獄

社会

(霧山昴)
著者  朝日新聞経済部 、 出版  文春新書

有料老人ホームは高くて入れないために、無届け有料老人ホームが増えている。
2025年問題が迫りつつある。戦後生まれの団塊世代が2025年には75歳以上の後期高齢者となり、高齢者の医療や介護の問題が深刻になる。
最近、定員10人までの小規模デイサービスの事業者が、「お泊まりデイ」と呼ばれるサービスをすることが急増している。それは、単純計算で月々300万円が事業者の収入になるから。
厚労省によると、2013年度までの7年間に、通常のデイサービスが5千ヶ所ふえたのに、小規模は1万1000ヶ所も増えた。
特別養護老人ホーム(特養)には、なかなか入れない。全国に8000施設、定員50万人というが、入居待ちしている人も同じく50万人はいる。
特養や老健施設において、職員による「虐待」が2割弱で起きている。その背景には、人手不足と過重労働がある。そこからくるストレスが「虐待」につながっていくのです・・・。
サ高住(サービス付き高齢者向け住宅)は、特養の不足などに対応するため、2011年に制度が始まった。1部屋あたり100万円。建設費の補助や税の軽減があるため、制度が始まってから全国で6000棟の19万戸に増えている。
東京では退院後の行き場がない高齢者が多くいる。都外は安く施設をつくれるので、所得の高くない高齢者を救うことができ、それがビジネスにもなる。つくば市が「サ高住」の入居者を調べてみたら、都内23区で生活保護を受けている人ばかりだった。
受け入れ先のない高齢者が増えている。とりわけ深刻なのは、認知症の高齢者だ。
65歳未満で認知症を発症する若年性認知症も3万8千人の患者がいる。
介護職は、深刻な人手不足にある。人手不足のため職場環境が悪化し、さらに人が減っていくという悪循環に陥っている。
介護の現場では、介護福祉士の資格が重視されているとは言い難い。
介護は人件費の割合が高いため、経営者としては人件費を下げたくなる。しかし、それは人を大切にしないことになるので、結局は人が集まらず、うまく回らなくなる。
介護の現場では、好景気とは裏腹に経営難と人材不足が深刻化している。
社会福祉法人の一部では理事長たちが高齢者を食いものにしている。ファミリー企業を通じて巧みに規制を逃れ、巨額の利益を手中にしている社会福祉法人の幹部たちがいる。
若者と同じように老人も大切にされる社会であってほしいものです。大企業本位、なんでも自己責任の社会では弱者が切り捨てられるばかりで、夢もチボー(希望)もありません。
(2016年2月刊。780円+税)

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2016年5月18日

CIAの秘密戦争

アメリカ

(霧山昴)
著者  マーク・マゼッティ 、 出版  早川書房

監訳者(小谷賢・防衛省主任研究官)の解説を紹介します。
冷戦後のCIAは、何とか生きのびているような状況だった。ところが、2001年の9.11のあと、政権から熱い眼差しを浴び、潤沢な予算と過大ともいえる調査権限が与えられた。
9.11のテロによって、CIAは組織の絶頂をむかえた。CIAは、予算と権限を与えられ、政権の命じるままに世界中でテロリストやその関係者を捕まえ、情報を集めた。その手法は、怪しい人物がいたら、とりあえず拘束して収監するというもので、ほとんど誘拐に近い。
誘拐とは言わず、「囚人特例引渡し」という。拷問とは言わず、「特殊強化尋問(EIT)」という。暗殺とは言わず、「標的殺害」という。
 CIAが軍事作戦までやると、ペンタゴンを中心とするアメリカ軍と軋轢を生じさせた。情報機関が戦争し、軍事組織が現地のインテリジェンスを収集しようとする。
アメリカ政府がテロとの戦いの莫大な資金を投じたことで、戦争は一大産業へと発展していく。アメリカの民間企業だけではく、外国の企業までもが、この恩恵に浴するため、戦争の片棒を担いだ。もはや戦争の最前線では、アメリカ軍、CIAに加え、民間企業の社員が代理戦争を行う時代となった。
CIAのドローン作戦は、「テロリスト」を殺害するだけでなく、巻き込まれた民間人にも犠牲者を出している。パキスタンだけでも400回以上のドローン攻撃があり、数千人が死亡している。一般市民の巻き添えも1000人を下まわらない。先日も、アフガニスタンで、国境なき医師団の病院が誤爆された。
ウサマ・ビンラディンの殺害状況を描いたアメリカ映画「ゼロ・ダークサーティ」は、私もみましたが、このとき居所特定に関与したパキスタン人医師についても、この本では触れられています。この殺害作戦では、CIAがパキスタン政府に事前通告していなかったため、CIAとパキスタン情報機関は関係が悪化し、この医師は逮捕された。
以上が解説です。深刻な状況の一端がよく分かりました。
CIAは、もはや外国政府の秘密を盗むことに専念する伝統的な謀報機関ではなく、人間狩りに入れあげる暗殺マシーンのような存在になっている。CIAは、スパイ活動と暗殺活動の両方を行うようになり、軍事・情報複合体となって、アメリカの新しい戦争を主導している。
オバマ大統領は、CIAによる秘密戦争を活用すれば、政府の転覆やアメリカ軍による長期的な占領政策が必要で、泥沼化しやすく、莫大なコストもかかる従来の戦争は不要になると考えた。しかし、現実には、そうはならなかった。刃物の使い手は、敵を消す一方で、新たな敵をつくり出していった。
アメリカ人は、パキスタンで大地震が起きたとき、人道支援の名目で現地に入り込み、さまざまな職業の民間人を装ってスパイ活動をした。
失敗した自爆犯の例が紹介されています。爆弾製造の技術者は、弟の直腸にニペリット(PEFN)を使ったプラスチック爆弾を差し込んだ。そして、服の下に手を差し入れて爆弾を起爆させようとしたところ、早まってしまい、道連れすべき対象を巻き込むことが出来なかった。それでも、タイル張りの床に、煙の漂う穴が開いたほどの威力があった。
アメリカの汚い戦争は今も続いています。もちろん、テロ行為は絶対に許せません。しかし、それをドローンなど、武力で軍事に制圧しようとしても、決してうまくいくはずがありません。アメリカ人も、早くそのことに気がついてほしいものです。心からのお願いです。

        (2016年2月刊。2200円+税)

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2016年5月19日

漫談で斬る、自民党改憲案

社会

(霧山昴)
著者  小林 康二 、 出版  新日本出版社

 老後、定年退職したあと、何をするか、それが問題です。そして、そんなことは40代や50年代では考えられません。ましてや、30代のときなんて、発想の外でしかありません。
 ところが、時は等しく、あっというまに過ぎていきます。私も、はっと気がついたら、還暦なんて、とっくの昔のこと。今や、古稀が近づきつつあります。うひゃあ、お、おとろしい・・・。
 定年を楽しく過ごすための三条件。その一、健康でなければ自由は手に入らない。70代も後半の著者は週に3回もジムに通い、1時間半は汗をかいている。その二、じぶんのやりたいこと、課題・目標・夢を明確にして、その実行ノートを枕元に置く。大切なことは継続。その三。すこしばかりのお金を確保しておく。妻に退職金を全額渡してはいけない。
 私は、週一回のスイミング。30分間に自己流のクロールで1キロを泳ぎます。これで体調が分かります。その二、毎日の書評ノートを15年以上続けていますし、ときどき本にまとめています。その三、お金も少しばかり自由になるお金がありますので、出版したり、本の広告を出したりしています。
 著者は労働組合一筋で生きて31年間。55歳のときに組合専従を勇退し、笑作家として演芸の世界に入った。そから21年たつ。全国に励ますの笑いを届ける「笑工房」を設立してからも18年がたつ。この18年間、9人の作家で、100本以上の新作をつくってきた。売上はトータルで3000万円、かの吉本興行に、あと499億7000万円だけ足りない。「あと一息」というところ・・・。まあ、ものは言いようです。
 台本を書くときの注意は三つだけ。あまりに非実現的だと、客が引いてしまう。やたらギャグを連発すると、作品の質が低下する。メッセージを詰め込みすぎると、理屈くさくなって、面白みに欠けてしまう。
 戦後の日本国憲法になってから今日までの70年間に、日本は一度も戦争をしたことがない。ところが、明治憲法が制定されてから、第二次世界大戦が終了するまでの56年間に、日本は海外で8回、平均すると7年に1回の割合で戦争をしてきた。
 アメリカは、もっと好戦的で、1950年の朝鮮戦争以降、2013年までの63年間に、30回以上、平均すると2年に1回は戦争や紛争を起こしてきた。
 そして、日本に協力・加担するように求めてきたが、日本政府は9条を口実として断ってきた。
 国のやるべきことは、戦争になったらどうするか、なんていうことではなく、戦争にならないようにする、そして地方自治体への、きめこまやかなアフター・フォローではないでしょうか・・・。
 大阪の大川真郎弁護士からプレゼントしていただきました。笑いながらケンポーを学べる内容になっています。

(2016年4月刊。1200円+税)

 熊本に行ってきました。驚きました。JR熊本駅でタクシーに乗ろうとしたら、タクシーが1台もいないのです。結局、20分以上も待たされました。今、保険会社が損害(被害)査定のために1日2万5千円でタクシーを借り出しているこのあおりを受けて、まちを走るタクシーが不足しているのです。
 熊本城の周辺を走りましたが、見るも無惨に石垣や建物(塀)が崩れていました。
 そして、あちこちの民家に赤紙が貼られていました。それでも行くところがないので、なかに住んでいる人もいるとのことです。
 余震がまだ続いていますので、本当に熊本は大変だと思いました。少しでも復興の力になりたいと考えています。

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2016年5月20日

教皇フランシスコの挑戦

南アメリカ

(霧山昴)
著者  ポール・バレリー 、 出版  春秋社

 アルゼンチン出身の司祭が全世界のカトリック教会を率いる266代教皇になった。アメリカ大陸出身で初めて、南半球出身で初めて、イエズス会士で初めて、そしてフランシスコの名を冠した初めての教皇。
 イタリア人の家系で、スペイン、アイルランド、ドイツで学んだラテンアメリカ人。教区司祭だが、修道会士でもある。神学の教師だが、親しみやすい司祭だ。謙遜と活力が合わさっている。
ベルグリオ(フランシスコ教皇)は神学的には伝統主義者だが、教会のあり方については改革支持者だ。急進主義者だが、自由主義者ではない。ほかの人に権限を与えようと努めるが、権威主義の痕跡も残している。保守的だが、アルゼンチンの反動的な司教会議のなかでは、はるかに左の立場にいた。宗教的な単純さと、政治的な狡猾さをあわせ持っており、進歩的で開放的だが、飾り気がなく、厳しい。
 父親は、イタリアでは公認会計士だったが、アルゼンチンでは資格が通用せず、靴下工場の帳簿係だった。ベルグリオは、13歳のとき、働き始めた。そこで、働くことは人々に尊厳を与えることを学んだ。
 失業している人は、自分が存在していない感じを抱かされる。尊厳は働くことによってこそ、もたらされる。そして、仕事と生活のバランスをとることも大切だ。
 ベルグリオは、10代のころ、共産主義思想に好奇心をもち、共産党の雑誌等を熱心に読んだ。しかし、共産主義者にはならなかった。むしろ、右派のペロン主義者になった。
 アルゼンチンでは、1976年、軍部独裁政権が始まり、何万人もの人々が誘拐され、拷問を受け、殺害されて姿を消していった。その犠牲者のなかには150人ものカトリック司祭、何百人もの修道女や一般信徒の伝道師がふくまれていた。当時のアルゼンチンには、推定6000人の政治犯、2万人の行方不明者がいた。拷問と暗殺が行われている証拠があった。  
『行方不明者』はヘリコプターなどに乗せられ、大西洋に落とされた。
アメリカのCIAは、アルゼンチンのカトリック教会と共同行動をとり、巨額の資金を協力する司教や司祭に提供し、何百人もの急進的な司祭や修道女に関する情報も提供した。彼らは、そのために、軍事独裁政権の犠牲になった。
 元独裁者のビデラは、カトリック教会の上層部と協力関係にあったと証言した。では、ベルグリオはどうしたのか・・・。それが、問題です。
ベルグリオは、軍事独裁債権の暴力から人々を守ろうと多くのことをしたのは疑う余地がない。しかし、拉致・殺害自体を止めるために、どれだけ行動したのかというと・・・。
「教会政治家」ベルグリオは、すべてを通じて、極めて慎重な道を選んだ。
ベルグリオの「成長」の重要な部分は、貧しい人々が必要としているのは、「施し」ではなく「正義」だということ。ベルグリオは、大多数の国民が甚大な打撃を受けている最中も、自分たちの特権的な地位を守ろうとしている富裕階級の強欲さを糾弾した。
ベルグリオは、新自由主義の経済政策を強く批判した。
教皇フランシスコは、政治に関与することは、キリスト教徒のつとめですと話した。それは、隣人愛の至高の表現の一つなのだ。
ベルグリオは、115人の選挙人のうち90票の支持を得て教皇に選出された。
 これまでの教皇の名前の使用頻度は、ヨハネが23回、グレゴリウスとベネディクトがそれぞれ16回、クレメンス14回、レオ13回、ピオ12回、ステファヌス9回、ボニファティウスとアレクサンデル、ウルバヌスがそれぞれ8回。
 日本は、2009年12月に白柳誠一・枢機卿が亡くなってから、空席のままとなっている。韓国とフィリピンでは2人目の枢機卿が選ばれているのに・・・。
最新の教皇の活動状況をふくめて、カトリック教会の課題を少し知ることができました。
(2014年10月刊。2800円+税)
「殿、利息でござる」をみました。実話ですので、圧倒されます。江戸時代の人々が精神的に豊だったこと、そして、町民が10人集まって町のために3億円をつくることが出来たほどの資産をもっていたことなど、江戸時代を根本的に見直させる、とてもいい映画です。映画の原作「無私の日本人」は、このコーナーで先に紹介しましたが、泣けてくる本です。まだ読んでいない人は、ぜひ映画とあわせて、お読みください。
 昨日、ベトナム戦争のときに戦死した若い女医さんの日記を本にした「トゥイーの日記」が映画になったとのことで、DVDを送っていただきました。まだみていませんが、楽しみです。ありがとうございました。

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2016年5月21日

灘・東大理Ⅲの3兄弟の母が教える中学受験

社会


(霧山昴)
著者  佐藤 亮子 、 出版  カドカワ

 私自身も、私の三人の子にも「中学お受験」なんて考えたことはありません。
 この本を読むと、楽しく勉強して子どもが伸びていく、そして勉強は楽しいと思える接し方があるんだなと実感させられます。著者をけなすネット社会での声もあるようですが、それは著者の本をきちんと読んでいないからではないのかなと、私は考えています。
 子どもと一緒に楽しい勉強を続ける秘訣が満載なので、読んで損をすることはありません。なにも著者のやったこと、言っていることを全部が全部、実践することはありません。自分でもやれそうだな、そう思ったところをやればいいんじゃないでしょうか・・・。
 受験は、ラクに楽しく、そして絶対に合格のがポイント。なるほど、なーるほど、そうですよね・・・。
 子どもたちの受験勉強の世界には一切登場しないパパは優しい性格です。私も同じ弁護士として、よく知っていますが、パパが中途半端に関わらないで、ママ(妻)をバックアップするのに徹したことが良かったのだと思いました。
 私も小学4年生から近所の塾に通いましたが、何のための塾なのか、よく分からないまま、続けました。著者の長男も同じです。著者は、初めにこう言いました。
 「うちは中学受験は考えていないから、いやだったら、すぐにやめていいわよ」
 ところが、長男は、塾からニコニコ顔で帰ってきたのです。「楽しい、楽しい。算数の問題が面白い」と言って・・・。私も小学生の算数のツルカメ算などを学び、それなりに面白いと思いましたが、塾はそれほどの刺激はありませんでした。
著者は、10年間にわたって、中学受験生の母の生活を続けたのです。偉いですね、タフですね。なにしろ、一日の睡眠時間が3~4時間というのでも、倒れることなく続けたのですから・・・。
 人間の価値は、その人の地位や職業とは関係ないと考えて生きてきた。ただ、その子のもっている能力を最大限に生かしてあげるように育てたいと考えた。
社会人としていい仕事をするには、基礎知識や思考力が不可欠だ。
 ちょっとずつ成績を上げていく戦法。惜しくも間違った問題を正解することで、ちょっと点をあげるようにする。
 子どもにとって、本当に頼れる道連れになるためには、点数が悪いときこそ、寄り添ってしっかり手をぎゅっと握ってやる。
他の子と比較するのではなく、我が子のできない部分を見直して、子どものレベルを上げるしかない。我が子のことだけを考えればいい・・・。
きれいすぎるノートは、ムダ。受験は効率が一番。
 元英語教師の著者は、早期の英語教育には意味がないという考えです。私も同感です。大事なのは英語力より国語力。論理展開する力を身につけること。この点は、私もまったく同じ意見です。英語はダメ、フランス語が少しばかり(フランスで旅行するのが、なんとかなる程度)話せる私ですが、なんといっても論理的展開力こそ必要なものだと痛感しています。
 今回も後輩の佐藤弁護士に贈呈(実は、強要しました)を受けて一読しました。あなたの子育てに役立つヒント満載の本として、おすすめします。
(2016年3月刊。1300円+税)

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2016年5月22日

「ギリシア人の物語」Ⅰ

ヨーロッパ(ギリシャ)

(霧山昴)
著者  塩野 七生 、 出版  新潮社

 ギリシアに始まった民主政治の原点、その実態を知りたくて読みました。
 オリンピックに参加するのは男だけ。選手はすべて裸体での参加と決まっていた。女性の観戦は認められていなかった。観客席には、ギリシア人以外の外国人も、奴隷でさえも座れた。男女同権ではなかったのですね。
 ギリシア人とは、ギリシア語を話す人々、ギリシアの神々を信仰する人々であること。
 オリンピックとは、古くから戦いばかりしていた古代のギリシア人から生まれた、人間性に深くもとづいた「知恵」だった。きのうまで戦場で敵と味方に分かれて戦っていても、この1ヶ月間だけは戦いが凍結された。
勝者が頭上にするのは、ギリシアならどこにでもある月桂樹の枝葉を編んでつくった冠でしかない。
 393年に、ローマ皇帝テオドシウスがオリンピックの終わりを命じた。キリスト教徒として、ゼウスに捧げるオリンピックなど認めるわけにはいかなかった。そして、裸体も競争も嫌った。
 スパルタの男性は、20歳から60歳まで「現役」として、集団生活を過ごす。30歳になったら、寄宿舎の外に家をもち、妻子との家庭生活も認められるが、それでも夜には寄宿舎に戻って眠らねばならなかった。
 スパルタは、私有財産をまったく認めなかった。アテネでは、著名人の多くは海外に資産をもっていた。アテネも、市民皆兵という点では、スパルタと同じで、18歳になったら、アテネの若者は自分の「デモ」に出向いて、兵隊の訓練期間に入る届出をしなければならなかった。
 アテネは、重装歩兵を常にスパルタの2倍は維持できた。マラトンの平原での戦闘においてアテネは、9千の重装歩兵を投入した。
 アテネでは、紀元前508年ころ、人類史上はじめて、一般の市民までが積極的に国政に参加できる政体が誕生した。つまり、国政の最高決定機関は20歳以上の成年男子の全員が投票権をもつ「市民集会」となった。都市国家アテネの市民は、4万人から6万人と推定されている。
陶片(オストラコン)追放は、最低6000人の参加する投票で、過半数をこえる人は10年間の国外追放とされる。ただし、10年すぎれば堂々と帰国できるし、10年たたなくても帰国できることもある。資産が没収されることはなく、家族もアテナ内に自由に住んでいてよい。
 陶片追放は、気にくわない政敵を排除する手際になっていた。制定から85年後に廃止された。まあ、実効性がなかったということでしょうね・・・。
軽装歩兵と重装歩兵のちがいは、武器の優劣にあるというより、かぶと、胸甲、脚甲、盾という。兵士の一人ひとりを敵の攻撃から守る防御用の武軍の優劣にあった。
ペルシア兵の槍の長さは2メートル。アテネ兵の槍はその2倍はあった。パルシア兵の剣の長さは40センチであるのに対して、その2倍近い長さがある。
マラトンの戦いでギリシア軍のほうが勝ったことの歴史は意義は大きい。なぜなら、無敵とされてきたペルシアが無敗だといえないということが実証された。
 紀元前480年の「サラミスの海戦」において、ペルシア軍は500隻も繰り出していたのに、アテネ等の連合国軍の135隻から完膚なきまで敗北させられた。
 重装歩兵にとっての最強の武器はなんといっても槍。身長の2倍以上もの長さがある。これほどもの長さの槍を自在に操る能力がギリシアの都市国家の重装歩兵には約束させられた。
 ギリシアという、遠くて近い不思議な国についての本でした。
(2015年12月刊。2800円+税)

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2016年5月23日

悩ましい国語辞典

社会

(霧山昴)
著者  神永 暁 、 出版  時事通信社

 『舟を編む』(三浦しおん)は辞書編集作業の苦労話として、とてもよく分かる本でした。
 36年間、ほぼ辞書編集一筋に生きてきたという著者は、この『舟を編む』という本を高く評価しています。
 それにしても、20年かけて20万項目の辞典をたった一人で完成させようと計画する人が、この世の中にはいるのですね。いったい、どうやってその20年間、メシを食べていくのでしょうか・・・。不思議でなりません。辞書の編集をする人に、誰が高額(でなくても)の報酬を支払うのでしょうか、ついつい心配になってしまいます。
 20年かけて20万項目を執筆するということは、1日に33語について何か書かなくてはいけない計算です。有名な「オックスフォード辞書」も、1日30語ほど執筆したとのことです。ともかく、健康で長生きしなければ出来ないのが辞書編さんですよね。
 辞書編集者の主な仕事の一つは、時代とともに思いがけない形で変化していく言葉の諸相を観察していくこと。その変化し続ける言葉を、どの時点で切り取り、それをどう記述するのかが、まさしく辞書編集者の腕の見せどころだ。つまり、言葉の変化を観察していくのが辞書編集者の主な仕事の一つである。ところが、残念なことに、辞書では変化の結果だけしか記載できないことが多い。一番スリリングな変化の過程を記述することは難しい。
 その変化の面白さが本書で紹介されています。「あばよ」は、幼児語が元になって生まれ、いまだによく使われている。「あばよ」は江戸時代に使われ始めている。
 お母(かあ)さんは、江戸後期に上方(関西)で使われるようになって、明治36年の国定読本(教科書)で一気に全国に普及した。お父(とう)さんも同じ。
「おはよう」と同じような言葉として、「おひなりましたか」「おひんなりまいたか」というのがあるそうです。「おひる」とは、貴人が眠りから覚めること。おひる(お昼)なるは、お起きになるということ。「お夜(よる)」という貴人がお休みになるというコトバもある。
 体格のいい人のことを、「がたいがいい」というのは、比較的新しいコトバだ。
 同じように、「がっつり」というのも新しいコトバである。「ざっくり」というコトバは最近よく使われますね。これは、2008年から辞書にのっているコトバです。大ざっぱという意味のことばです。
 スコップとシャベルは、東日本と西日本とでは反対。東日本で大型のものをスコップ、小型のものがシャベルと言い、西日本では大型のものをシャベル、小型のものをスコップと言う。
 「すばらしい」というコトバは、江戸時代には、ひどいとかあきれるという意味で使われていた。
 「真逆(まぎゃく)」は、2004年の流行語大賞の候補になったほど新しいコトバ。
 「まじ」というのは、江戸時歳からあったコトバ。
 漢字のふりがなという意味のルビは英語だけど、英語にルビはない。あくまでも日本での呼び名でしかない。
 コトバが生きているということを、辞書編集者の立場から、実証的に解説していて、とても勉強になりました。
(2016年3月刊。1600円+税)

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2016年5月24日

安倍政治と言論統制

社会

(霧山昴)
著者  「週刊金曜日」編 、 出版  金曜日

NHK、テレビ朝日、TBSという大手3社のそれぞれの看板番組のメインキャスターが同時に降板するという出来事は、決して偶然のことではなく、メディアを思うままに操ろうと目論む安倍政権と、それをむしろ歓迎するような社会の一部の風潮で引き起こされた。
NHKには籾井という独善的かつ強権的な特異なキャラクターをもつ会長がいることから、組織運営のルールから逸脱した意思決定が繰り返され、その結果、現場に混乱と疑心暗鬼を生みだして組織自体が崩壊しかねない危機的状況に陥っている。
NHKの内部では、誰も暴走する籾井会長を止めようとしないばかりか、自らの保身のために籾井会長に迎合したり、ひたすら頭を下げて沈黙し、嵐が過ぎ去るのを待つような幹部職員ばかりになってしまった。全国のNHK職員あいだに不安と不満が充満し、現場の土気は著しく低下して、自由で創造的な番組制作など、とても出来る雰囲気ではなくなった。
アメリカの駐日大使であるケネディは、従軍慰安婦問題での発言にみられる籾井のような人物が会長であるNHKのインタビューは受けたくないと言って断っていた。
NHK政治部の岩田明子記者は安倍首相のタイコ持ちのような存在のようです。残念ですね。権力への批判的な視点を欠いたジャーナリストなんて、存在価値がどれほどあるのでしょうか・・・。
官邸は、リアルタイムでテレビ番組をチェックし、即行で脅かしをかける。
菅官房長官は、昼も夜も、テレビに出るようなキャスター、コメンテーター、有識者と食事を共にしている。そして、彼らを持ち上げ、味方につけている。
安倍首相のほうは、もっと大々的にメディア幹部との会食を重ねている。毎日、朝日、日経、サンケイ、NHK、フジテレビなどの会長・社長・政治部長らが対象。まさしく、常連だ。
日本の今の政治は、政党交付金と小選挙区制によって完全に歪められていますよね。
この本によると、それらの制度をつくったのは小沢一郎であり、安倍首相は一番の思恵を蒙っているとのことです。
こんなひどい制度は、どちらもすぐに止めるべきだと思います。政党が国民の税金で支えられるなんておかしいです。そして、とりあえず以前のような中選挙区制に戻し、いずれ完全比例代表制にしたらいいと思います。
それにしても、今の籾井会長って、あまりにも下品で、知性がなさすぎて、恥ずかしい限りです。一刻も早く、こんな人間は更迭すべきです。といっても、次の会長が同じようなことを上品にやられても困るのですが・・・。
(2016年3月刊。1300円+税)
今年もホタルが飛びかう季節となりました。わが家から歩いて5分くらい先の小川でホタルを見ることができます。そっと手のひらに乗せてみます。ふわっふわっと飛びながら明滅するのが、なんとも言えません。
 地震お見舞いということで、北海道から見事なグリーン・アスパラガスをいただきました。実害こそありませんでしたが、本当に怖い思いをしました。まだ震度6級の余震がありそうだというので、恐れずおののいています。
 しょうぶの花が終わりましたので、せんていバサミで刈って庭をすっきりさせました。ピンクのアマリリスが今年はちゃんと咲いてくれました。そして、意外なところに紅いツバメ水仙が花を咲かせました。ほれぼれするほど見事な色と形です。

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2016年5月25日

竹島

日本史(戦前)

(霧山昴)
著者  池内 敏 、 出版 中公新書 

 いま、日本の中学校・高校の社会科教科書には「竹島は日本国有の領土である」と明記されている。しかし、竹島が古くから日本の領土であったという事実はないということが、この本で実証されています。そして、同時に、古くから「韓国」の領土であったわけでもないというのです。
なるほど、そういうこともあるんだな・・・と、私は思いました。だって、人がずっと住んでいたわけではない島なんですから・・・。そして、広い海にある小さな島の領有権を昔から争っていたわけではないのです。
日本の主張も韓国の主張も、それぞれ確として大きな証拠があるわけではなく、その差は決して大きくないにもかかわらず、どちらも自分のほうに一方的に利があるかのような主張を繰り返してきた。まあ、政治家って、いつだって自分の選挙民向けにはいい顔をするということですよね。ですから、こういう領土問題っていうのは、決して熱くなってはいけないということなんですね。要するに、どこかで妥協的を見つけるしかないわけです。
竹島は、自然状態では人間の居住に適さない島である。
17世紀を通じて、竹島が単独で利用されたことはなかった。常に鬱陵島とあわせての利用だった。そして、渡海禁止令が出されたあとは、渡海事業から撤退した。元禄の竹島渡海禁令をもって、日本が17世紀末には、竹島の領有権を放棄したことは否定のしようがない。つまり、遅くとも17世紀末には、日本の竹島に対する領有権は存在しない。ただし、日本人が渡航してはいけない島だとなっても、それがただちに朝鮮領の島になったということでもない。
元禄の竹島渡海禁令と天保の竹島渡海禁令という二つの禁令によって、江戸幕府は日本が竹島と鬱陵島と接触する途を公的に断ち切った。
明治政府は、明治10年に内務省での検討結果をふまえて、竹島と鬱陵島が日本領でないと判断し、大政官指令を発した。ところが、1900年ころになると、鬱陵島には日本人と朝鮮人の定住がすすんだ。日本人が200~500人、朝鮮人は1000人をこえるようになった。そのなかで、竹島が「再発見」された。
1905年(明治38年)の竹島を日本領に編入するという閣議決定は、それまでにあった竹島に対する領有権を再確認するというものではない。あくまで、日本領でなかったものを日本領としたのである。
そして、1951年のサンフランシスコ平和条約の調印される前、韓国政府はアメリカ政府と竹島を韓国領と明記するよう求めたのに対して、アメリカ政府は却下する回答書を発した。
日本の外務省が「竹島は日本の固有領土だ」というとき、それは過去よりずっと日本が支配してきた領土」という意味ではない。そもそも「固有」というコトバの定義は一度も公式にはなされていない。なあんだ、「固有」ってごまかしのコトバだったんですね。今まで、よくもだまされてきたものです・・・。
竹島をめぐる歴史的経過を初めて知りました。
(2016年1月刊。880円+税)

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2016年5月26日

沖縄戦と孤児院

日本史

(霧山昴)
著者  浅井春夫 、 出版  古川弘文館

 いい本です。戦争の悲惨さ、残酷さが、戦争孤児の実相を通じて明らかにされています。
 沖縄戦の前にサイパンでも大量の戦争孤児が生まれていたんですね。知りませんでした。
 沖縄出身の企業家が孤児院の改善に全力でつとめたというのです。涙なしには読めない本でした。
戦争は戦争孤児を生み、家族を失った孤老を巷(ちまた)に放り出し、夫を失った寡婦・母子世帯をつくり出し、戦争で傷ついた傷痍軍人を戦後の社会に残すことになる。戦争の体質は、誰も戦争で幸せになることはないということである。
孤児院で暮らし、今も社会にいて働いている人は、「自分のそれまでの人生をコンクリートに固めて、海に捨てたかった」と言う。
沖縄戦は、住民を巻き込んだ地上戦が3ヶ月も続いた。沖縄戦とは、県民の4分の1がなくなった戦争である。地域によっては、住民の死亡率が50%をこえるコミュニティもあり、一家全滅という家庭も多かった。
 沖縄戦で多発したのは、国家と軍隊に強制・誘導・教唆された集団死である。
 1945年3月26日にアメリカ軍が慶良間諸島へ侵入し、4月1日に沖縄本島に上陸した。6月23日に牛島満中将が自決して組織的な戦闘はほぼ終息し、7月2日にアメリカ軍は沖縄戦の終了を宣言した。それでも一部の日本軍守備隊が抵抗し、ようやく9月7日に降伏調印した。
この沖縄戦で、日本人18万8136人が死亡(うち軍人は2万8千人で、一般人のほうが多くて9万4千人)、アメリカ人は1万2520人が死亡した。
 沖縄の収容所内に設置された孤児院における子どもの衰弱死は、組織的虐待としてのネグレクト死だった。死亡した子どもは栄養失調による。子どもは、逃亡しても、どこにも居場所がないことから、逃亡はほとんどなかった。むしろ、収容所は子どもの安全が保障された場所だった。
 サイパン島には、戦前から多くの日本人が住んでいて、アメリカ軍が上陸したとき、日本人2万人がいた。そして、サイパン戦で死亡した日本人(軍民)は、3万3千人で、生きて捕虜となった日本人は1万7千人いた。ただし、サイパンの日本軍兵士の生存する率は3.7%でしかなかった。
サイパン孤児院が新設され、松本忠徳が院長となると、悲惨な状況が一変した。栄養剤、食料、衣類が優先的に配給されるようになり、ミルクも配給された。医師も訪問するようになった。松本忠徳は、その後、沖縄に戻り、座間味村長に就任している。
サイパンで孤児院にいれられていた娘が、沖縄に戻ってから両親と再会できた状況が紹介されています。
親は「あなたを捨てたんじゃない、戦争だったんだ。親を恨んではいけない。戦争を恨みなさい」と言った。娘は親に言った。「赤ちゃんのように、抱いてほしい。赤ちゃんと思って自分を抱いて。赤ちゃんのときに別れわかれになったんだから、赤ちゃんのように抱いてって・・・」
これって、本当に泣けてきますよね・・・。
サイパン島では、日本の民間人2万人のうち1万2千人がアメリカ軍によって収容され、生き残った。日本軍は2万3811人が戦死し、921人が捕虜となった。
そして、沖縄の孤児院には、日本軍から解放された「慰安婦」の女性たちが生活の場としてたどり着いた先のひとつになっていた。戦前(戦中)、沖縄には131カ所の「慰安所」があった。その慰安所から「解放」された朝鮮人女性が孤児院や養老院に入って、生き延びるための施設としていた。
そういうこともあったのですね・・・。戦争の現実を知らされる本です。貴重な資料が発掘されています。大切にしたい本です。
                          (2016年3月刊。2200円+税)

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2016年5月27日

コーランの読み方

社会


(霧山昴)
著者  ブルース・ローレンス 、 出版  ポプラ新書

イスラム教は、ばらばらの項目を暗記するようなものではなく、力強い論理的体系の中に信者を押さえ込む。その論理を把握することが重要だ。
イスラム教は、あくまでも人間の側がどのように感じるかどうかとは無関係に、絶対の力をもつ神が人間に命令するもの。人間は、それを信じて生きていく以外に選択肢はない。他に選択肢はないということを知ることで、永遠に確かなものを得たと信者は感じ、安心する。
コーランは、寛容性と攻撃性を同時に備えている。なぜなら、人間と人間社会がそれらを併せもっているからである。コーランは、人間性の相反する側面を包摂するがゆえに説得力をもつ。コーランは、人間の弱さを認めたうえで、神に人間を帰依(きえ)させるという目的に合わせて制御し、方向づけようとする。その意味で、テロがイスラム教と無関係であるとのみ主張するのは、ある意味で神を冒瀆するものだろう。
コーランは、最初から最後まで一度に読むようには出来ていない。
コーランは、人間の力ですべて理解できたと思わせるようには書かれていない。
コーランは、人間の手で書かれたという形式をとっていない。コーランをその口で語ったムハンマドは、信仰者の立場からは、神による啓示を預かって人間世界に伝えた「預言者」であって、コーランを著した人間ではないとされる。
コーランは、他の書物と違って、口承の書である。黙読するよりも、誦みあげられたほうが響く。コーランの読誦を聞くことで、ムスリムは魂への洞察と道徳の導きを得る。
コーランは、純粋な形式によるメッセージなのである。この形式は驚くべき純粋さとともに迫真の力を備えている。
ムハンマドは、一介の商人だった。ムハンマドの出自は平凡である。父親はムハンマドの出生前に死亡し、幼いうちに祖父も亡くした。
ムハンマドは歩くコーランだった。ムハンマドの行動とは、コーランが実践に移されたものである。
女性の権利はイスラム教の精神を規定する中心的なもの。アーイシャ(ムハンマドの妻)が示した範によって、ムスリム女性は勇気づけられ続け、ムスリム男性の敬意を引き出している。
アッラー以外に神はなしと神ご自身が証された。全能にして全知の彼以外に神はなし。神において真の宗教とは、イスラム。
ムハンマドは神の預言者なり。ムハンマドに神の祝福あれ、アッラー以外に神はなし。彼こそは一者にして、並ぶものなし。ムハンマドは神の預言者なり。
ムハンマドは僕(しもべ)であったが、主の姿をどこまでも映すことで完全な人間となった。ムハンマドは、「神の光」を伝えるかがり火であった。
コーランには何が書かれているのか、ほんのちょっぴりのぞき見した気のする新書でした。
(2016年2月刊。820円+税)

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2016年5月29日

戦争孤児

日本史(戦後)

(霧山昴)
著者  本庄 豊 、 出版  新日本出版社

終戦(敗戦)直後、雨や夜露をしのぐため、孤児たちは京都駅構内で寝た。京都では、彼らを「駅の子」と呼ぶ人もいた。大阪の人々は、彼らに「駅前小僧」という名前をつけた。
厚生省が1948年2月に実施した全国孤児一斉調査によると、沖縄県を除いて、全国に12万3512人の孤児がいて、その1割の1万2202人が孤児院に入っていた。
日本占領から2年たった1947年、マッカーサー司令官は、アメリカのカトリック神父、エドワード・ジョゼフ・フラナガンを来日させ、助言を求めた。
1947年4月、フラナガン神父は来日し、戦争孤児救援のための共同募金「赤い羽根」を提唱し、全国の孤児施設をまわった。
戦時中の空襲直後に発生したのが戦争孤児であり、片隅に隠れていた孤児たちの姿が誰の目にもふれるようになったのが敗戦後だった。
駅の捨て子だから、「江木捨彦」(えぎすてひこ)と命名された小さな男の子がいた。
戦争孤児施設は、現在は、そのほとんどが児童養護施設になっている。DVなどのため、親と一緒に暮らせない子どもたちが生活する場である。
「戦争は弱い立場の子供やお年寄りが必ず辛い思いをする。どうか戦争反対と叫んでください」
戦争孤児として、姉と二人で「駅の子」として暮らした体験をもつ人が中学生に向かって、このように訴えました。
 戦争に備えると称して、戦争を招いている人たちがいます。そして、美名のかげで金儲けを企んでいるのが軍事産業です。
 曇らぬ目で、真実を見抜き、平和の声をあげたいものです。

(2016年2月刊。1600円+税)

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2016年5月30日

ちっちゃな科学

人間

(霧山昴)
著者  かこ さとし、福岡 伸一 、 出版 中公新書ラクレ 

 かこさとしは、セツルメント活動の大先輩です。私は大学生のころに3年ほど、かこさとしは大学を卒業して、会社に勤めながらセツルメント活動をしていました。
そして、かこさとしの絵本には、うちの子どもたちも大変お世話になりました。「からすのパンやさん」や「どろぼうがっこう」などは、読んでいる大人も面白い絵本でした。もちろん、100万部をこえるベストセラーである「だるまちゃん」シリーズの絵本もいいですよ・・・。
90歳になる、かこさとしが手がけた絵本は、なんとなんと600冊。すごいですね。すごすぎます。目を悪くして、絵を描くのはやめたそうですが、本のほうは、今も原稿を書いているとのこと。いやはや、たいしたものです。あやかりたいです。
セツルメントというのは、ボランティアで子どもに勉強を教えたり、医療相談や法律相談をする組織。
私が大学生のころには、全セツ連(全国学生セツルメント連合)という組織があり、年に1回、全国大会を開いて経験交流していましたが、全国から学生が1000人ほども集まり、活気あふれる交流会でした。夜行列車に乗って東京から名古屋に行ったことを今も覚えています。私は子ども会ではなく、青年部に所属していて、若者サークルに入って、楽しく べったり、ハイキングや早朝ボーリング大会などをしていました。ところが、そんなサークルもアカ攻撃がかかってきたりして、社会の厳しい現実に学生は直面して、目を見開かされていくのです。
かこさとしが繰り返し「大勢」を描くのは、自分が世界の中心にいるとはとても思えないから。この世界は多様であり、自分はどこか端っこにいる。でも、端っこでも、そこは世界の中なんだということを言いたいから・・・。
かこさとしの絵本には、余白、何も描いてない空白の部分がたくさんある。そこは、子どもたちが想像力を広げるための「延びしろ」としての余白である。
子どもたちが理科離れしているとしたら、それは大人が理科離れしているからだ。
子どもの本が売れなくなっている。なぜか・・・。日本の母親が子どもの本を買わなくなったからだ。ええっ、子どもの本まで売れてないのですか、知りませんでした。そう言えば、昔ほど、絵本が話題にならない(なっていない)気がしますね。
「花咲き山」とか「八郎」とか、日本には本当にいい絵本がたくさんありますよね。ぜひ、子どもたちに語り伝え、読み聞かせたいものです。
(2016年4月刊。800円+税)

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2016年5月31日

ブラッドランド(上)

ドイツ・ロシア

(霧山昴)
著者  ティモシー・スナイダー 、 出版  筑摩書房

20世紀の半ば、ナチスとソ連の政権は、ヨーロッパの中央部で1400万人を殺害した。その犠牲者は、ポーランド、ウクライナ、ベラルーシ、バルト諸国、ロシア西部、すなわちブラッドランド(流血地帯)に居住していた。
この1400万人もの人々が殺されたのは、ヒトラーとスターリンの双方が政権を握っていた1933年から1945年までの、わずか12年という短期間のこと。彼らは、戦争ではなく、殺害政策の犠牲者である。この1400万人には、戦闘任務についていた兵士は含まれていない。そのほとんどが女性か、子どもか高齢者だった。誰も武器をもっておらず、多くの人が所持品や衣類を奪われた。
ヒトラーが排除したがっていたのは、ユダヤ人だけではなかった。ヒトラーは、国家としてのポーランドとソ連を抹殺し、この二つの国の支配層を消滅させ、何千万人ものスラヴ民族、つまりロシア人、ウクライナ人、ベラルーシ人、ポーランド人を抹殺したいと願っていた。
戦時中、ドイツ人は、ユダヤ人と同数の非ユダヤ人を殺した。ロシア人捕虜300万人以上、占領した都市の住民100万人以上を餓死させ、「報復」と称して、民間人(ベラルーシ人、ポーランド人)50万人以上を銃殺した。ナチス・ドイツがユダヤ人の殺害政策を実行していた地域は、戦後、ソ連に占領された。アウシュヴィッツ、トレブリンカ、ソビブル、ベウジェツ、ヘウムノ、マイダネクの収容所を解放したのは、ソ連赤軍だった。
1933年から1945年までに流血地帯で殺された1400万人のうち3分の1は、ソ連によって命を奪われた。
流血地帯(ブラッドランド)とは、ヨーロッパ・ユダヤ人の大半が暮らしていた土地であり、ヒトラーとスターリンの覇権主義政策が重複した領域である。そこは、ドイツ国防軍とソ連赤軍がたたかった戦場であり、ソ連の秘密警察NKVDとナチス親衛隊が集中的に活動していた地域でもあった。
餓死が一番多く、次に銃殺、そしてガス殺が続く。1937年から38年にかけてのスターリンの大テロルでは、70万人ものソ連国民が銃殺された。
ポーランドの独ソ分割統治の時代には、30万人ものポーランド人が両国によって銃殺された。
スターリンが行動家であったのに対し、ヒトラーは扇動家だった。スターリンは革命を組織し、一党独裁国家の指導者として不動の地位を築いた。それに対して、ヒトラーは周囲の組織を拒絶することにより、政治家としての実績を積んでいった。
ヒトラーにとってもスターリンにとっても、ウクライナは食糧生産地以上の意味を持っていた。伝統的な経済原則をうちこわし、自分の国を貧困と孤立から救い、ヨーロッパ大陸を思いどおりのイメージにつくり変えることのできる土地だった。
ヒトラーとスターリンの政策と権力は、ウクライナの肥沃な土壌と数百万人もの農業労働者を支配できるか否かにかかっていた。
 1933年の大量餓死を引き起こしたのは、1928年から32年にかけて実行されたスターリンの第一次5ヶ年計画である。この政策によって、数万人が処刑され、数十万人が疲労による衰弱死をとげ、数百万人が餓死の危険にさらされた。
ウクライナでは、思春期前の子供や十代の少年少女50万人が監視塔から大人たちを見張っていた。親が不正を働いたときにも、報告しなければいけなかった。
 ソ連の飢饉は、1934年に終息した。ヒトラーの台頭は、むしろソ連をヨーロッパ文明の守護者のように見せる好機でもあった。
ヒトラーは、自分の敵を「マルキスト」と呼び、スターリンは「ファシスト」と呼んだ。どちらにも中間がないという点で同じだった。
 1941年末までに捕虜となったソ連人は300万人にのぼった。ドイツ軍は戦争捕虜について準備していなかった。
ヒトラーとスターリンの方針は、捕虜になったソ連兵を本国に連れ戻っても、人間以下の存在に突き落とすだけだった。
ドイツ軍は、50万人ものソ連人を銃殺した。餓死等で死なせたのは260万人。
ヒトラーとスターリンって、20世紀の二大巨悪として名を残したのは当然のことです。
(2016年2月刊。2800円+税)

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2016年5月28日

日本の食文化史

社会

(霧山昴)
著者  石毛 直道 、 出版  岩波書店

 私が小学生のころ(昭和30年代前半)、わが家の食事は丸いチャブ台に家族全員が向かってとるものでした。イスに座って、ではありません。畳に座って、です。
 チャブ台の語源は定説がないそうです。明治の初めころ、横浜の開港場では、「横浜英語」が話されていた。恐らくピジン・イングリッシュの類でしょうね。そこでは、食事をとることを「ちゃぶちゃぶ」と言った。そして、食堂を「ちゃぶちゃぶや」と表現した。それから、外国人相手の食堂を「チャブ屋」と呼んだ。チャブ屋で使用するダイニング・テーブルをチャブ台と言い、これが、畳の上の食卓をさすことになった。
 うひゃあー、こんな歴史があったのですか・・・。
 いま、我が家はテーブルとイスです。やっぱりイスは便利です。足がしびれることがありません。最近は小料理屋に行くと座席でも堀ごたつ式で、足が伸ばせますよね。畳だと足を投げ出さなくてはいけないので、困ります。
日本料理の盛りつけの美しさは、世界でも知られている。立体的な盛り付け。左右対象形ではなく、食べる者から見て、左が高く、右が低い不等辺三角形の構図とする。
和洋折衷の食器をそろえた日本の台所は、世界で一番食器の種類の多い家庭の台所となっている。
 日本の箸は、中国のそれとは異なり、先端が細く作られているので、ちいさな食物もつまむことができる。日本人の食卓作法で、いちばん重視されるのが、この箸の使い方。食卓における箸の使い方には、さまざまな規則がある。食事作法は「箸にはじまって、箸におわる」とまで言われている。
 弁護士のなかにも、箸をちゃんと使えない人が意外に多くて、驚かされます。これは親の責任ですよね。私は三人の子にしっかり教え込みました。小さいころに何回も訓練させたら、すぐに身につくものです。
 日本には、全国に72万軒の飲食店がある(2006年)。日本は、世界のなかでも高密度に飲食店が分布する国である。そして、全世界に日本食レストランが普及している。
 1980年代のフランスには、日本食レストランは50店。ところが、2011年には1500店。
2006年に、ロシア全土に日本食レストランが500店だった。2010年には、モスクワ市内だけで600店ある。
 マンガ、アニメ、自動車、オートバイ、電気製品とならんで、日本食が「クールジャパン」の一翼を担ってる。
日本の食糧自給率はわずか39%。ところが米だけは95%の自給率。食パンは1%、中華めんは3%、うどん62%、そば11%となっている。
お米はカロリー源、そしてタンパク質の補給源。だから、かつて日本の農民は1日1.5キロの米を食べていた。
 紀元前後の日本の総人口は60万人。それでも、縄文時代の人口の2倍。それが弥生時代に入って、西日本では縄文時代の20倍に増えた。そして、日本人の人口は、明治5年(1872年)に3500万人、大正8年に5500万人になった。
江戸時代には、飲食ガイドブックが発行されていた。1000軒のウナギ料理屋があり、そのうち9軒がおすすめの店として紹介されている。
 いまの私は、肥満気味なので、「糖質制限」をモットーとして、自宅でお米やパンを食べることはありません。もっぱら、おかずのみです。それでも十分に満足しています。
                     (2016年2月刊。3200円+税)

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