弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2013年6月17日

笑いのこころ、ユーモアのセンス

人間

著者  織田 正吉 、 出版  岩波現代文庫

笑いは本当に大切だと思います。涙もストレス発散になるそうですが、やはり笑いにまさるものはないでしょう。
 私は事務所内で笑いの絶えることのないよう心がけています。みんなで気持ちよく仕事をしたいからです。もちろん、深刻な相談を受けているそばで高笑いがあるのは困ります。でも、ずっとずっと胸ふさがる深刻な話を聞いていると、それだけで気が滅入ってしまい、仕事に手がつかないというのでも困るのです。どこかで、気持ちをすっぱり切り換える必要があります。そんなときの救世主こそ、笑いです。
 この本は、この笑いを古今東西、あらゆる角度からアプローチして、その意義を真面目に考えたものです。
茶化すとは、茶にするとも言う。まじめな話を笑いごとにしてしまうこと。まじめな問題を冗談ごとにして話をはぐらかすこと。江戸時代の言葉である。
 ノーマン・カズンズは笑いによって病気も治ると主張した。しかし、笑いさえすれば病気が治ると言ったのではない。重症の患者に必要なことは不安の解消であり、笑いに代表される消極的情緒、つまり希望、信念、愛情、快活、生き甲斐などは医師と患者の協力関係を良くし、回復の見込みを大きくする。
 ギャグの原義は、口をさるぐつわでふさぐこと。セリフを忘れた役者がデタラメのセリフでごまかそうとするのを、相手がその口をふさいだことから、このギャグという言葉が生まれた。喜劇の部品としてのギャグは、日常性に馴らされた頭に瞬間的な刺激を与え、笑いを生む。
 ジェットコースターに乗ったあと、降りてくる人は例外なく笑いを浮かべている。
 緊張の持続に耐えられなくなると、無意識に緊張が緩もうとする。それを引き締めようとする気持ちと、緩めようとする気持ちが揺れ動き、笑いを呼ぶ。体温が高くなると汗が出て自立的に体温が調整されるように、緊張が続くと自然に笑いが起きて解消され、精神の平衡が保たれる。笑いは心の汗である。
 アメリカ人がパーティーや式典でスピーチをするとき、始めにジョークを言うのは、式が始まったときの固い雰囲気をほぐすため。
 ユーモアは、自然や芸術に接するのと同じように自分を見失わないための魂の武器だ。ユーモアとは、ほんの数秒間でも周囲から距離をとり、状況に打ちひしがれないために、人間という存在にそなわっている何かなのだ。それは生きるためのまやかしだ。
 大変な学識の詰まった300頁ほどの文庫本です。内容は濃いものがあります。
(2013年4月刊。1040円+税)

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2013年6月16日

古代ローマ帝国1万5000キロの旅

ヨーロッパ

著者  アルベルト・アンジェラ 、 出版  河出書房新社

古代ローマ帝国の実態を克明に紹介した画期的な本です。この本によっていくつも新しい知見を得ました。なかでも怖いなと思ったのは、古代ローマでは誘拐が頻繁だったということです。
ローマ人の誘拐の主な目的は、さらった相手を奴隷にすることにあった。奴隷は毎年50万人も新しく加えられていた。どうやってか・・・。第一に戦争によって、第二に国境の外での人間狩り、第三に誘拐によって。
誘拐はどこでも起きる可能性があり、安全な場所などなかった。パン屋のあるじがお客を、宿屋が泊まり客を誘拐して奴隷として売り飛ばすことさえあった。路上も危ない。帰宅の途中、仕事への途中で誘拐されることさえあった。そして大農園のなかで、劣悪な労働環境の下で、死ぬまで働かされた。誘拐は、手っとり早く、ただ奴隷を手に入れる手段になっていた。誘拐犯が好む相手は子どもだった。古代ローマでは、出かけるときには誰もが外で誘拐にあうという危険な認識をしていなければならなかった。うへーっ、こ、これは怖いことですね。
 話は変わりますが、私はフランスのポン・デュ・ガールに行ったことがあります。南フランスのアヴィンヨンからバスで1時間ほどのところにありました。古代ローマの水道橋なのですが、実に状観です。三段になったアーチ型の優美かつ壮大な水道橋です。本当に圧倒されます。高さ48メートル、長さ370メートルというものです。2000年前のものが今もそのまま残っているなんて、すごいことですよね。
 水道橋ですから、要するに水を流していたわけです。どうやってか・・・。勾配をつけていたのです。水源から町までの50キロメートルを、山あり、谷あり、川ありの所を一定の勾配で水を通したのです。その勾配は1キロメートルあたり25センチというのです。1センチの誤差もなく、50キロにわたって導水管を通していたというのですから、古代ローマ人の土木技術の水準の高さには開いた口がふさがりません。それをわずか15年で完成したというのです。ここまでくると、いやはや、何とも言いようがありません。
古代ローマ人の造ったもっとも偉大な建造物は、何か・・・。それは、道路である。全長8万キロ以上になる。地球を2周できる計算だ。
そして、これは軍事目的でつくられた道路だ。古代ローマの道路は、水はけがよく、水がたまらない。道幅は4メートルあって、2台の馬車が行き違えるようになっていた。
古代ローマの女性は、法律上夫や兄弟に干渉されることなく、家族の遺産や財産を自由に使うことができた。女性も男性と同じように寝そべって食事するし、公共浴場に行くし、飲酒もする。そして、容易に離婚できたので、次から次に離婚した女性も少なくなかった。
古代ローマの女性は、大きな権力と夫からの自立を得ていた。離婚も、数人の証人の前で宣言するだけでよかった。離婚するときには、基本的に持参金の金額が女性に返還された。
古代ローマのスタジアムには15万人も収容できるものがあった。現代のスタジアムでも、その規模のものはない。映画『ベン・ハー』は、古代ローマの競技用戦車そのものを再現しているのではない。あれでは、あまり重すぎて、レースに参加することはできない。
古代ローマ人の生活をまざまざと再現してくれる面白い本です。
(2013年2月刊。3200円+税)

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2013年6月15日

コリーニ事件

ドイツ

著者  フェルディナント・フォン・シーラッハ 、 出版  東京創元社

日本とはかなり異なる弁護士事情です。私は弁護士生活40年になりますが、刑事裁判で無罪判決をもらったのは、たったの2件しかありません。うち1件は検事控訴されることなく一審で無罪が確定した詐欺事件でした。もう一件は検事控訴されて二審は逆転有罪となり、最高裁で有罪が確定した公選挙違反事件(演説会の案内ビラを配布したのが戸別訪問とみなされた事件です。こんなのが罪になるなんて、公選法のほうが間違っていると、今も考えています)です。残る事件は、いわゆる情状弁論を主とするものばかりです。したがって、ドイツ流に言うと、私は「勝てない弁護士」ということになりそうです。でも、本人も周囲もそんなふうには思っていません。
 この本は、ドイツの現職弁護士が書いた殺人事件の顛末を描いた推理小説です。ですから、ネタバレは禁物です。とは言っても、少しだけ紹介します。
弁護士は新米で、法廷での手続もよく分かっていません。
 経済界の大物経営者が突然、見知らぬ男に殺害されてしまいます。男は殺害後、すみやかに自首します。そうすると、弁護人として一体何ができる、何をするのでしょうか・・・。
 この本のオビによると、「ドイツでは35万部突破!」ということです。
 殺人行為を被告人が否定せず否定する意欲もないとき、そのとき、弁護人は何をしたらよいのか・・・。
 実は、被害者は元ナチスの高官だったのです。そして、この本の著者も有名なナチス高官のシーラッハの3世です。そうなんですね。ナチス高官の3世たちが今のドイツで活躍しているというわけです。ヒトラー暗殺未遂で首謀者だったドイツ国防軍の高官の3世も紹介されています。
ドイツでこの本が35万部売れたというのは、それだけナチス・ドイツが単なる過去の問題ではないことを意味しています。ひるがえって、日本ではどうなんでしょうか、過去への反省があまりにも足りないように思います。安倍さんのように開き直りが目立ちすぎますよね。これでは国際社会に受け入れられません。日本が侵略戦争したことをきちんと反省してこそ、日本の生きる道はあるのです。それは自虐史観などと言うものでは決してありません。加害者は忘れても被害者は忘れないのです。
(2013年4月刊。1600円+税)

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2013年6月14日

安倍政権と日本政治の新段階

社会

著者  渡辺 治 、 出版  旬報社

2012年12月の総選挙で自民党が圧勝し、それによって誕生した安倍政権への支持率は7割近いという高い支持率を誇っています。しかし、この本は、その自民党「圧勝」は実は「幻」でしかないことを明らかにしています。「落日」の前に「栄華」に過ぎないというわけです。いやはや、政治という奈落の舞台の奥深さを垣間見た思いのする本です。
 たしかに自民党は議席では圧勝したが、その政治的基盤はきわめて脆弱(ぜいじゃく)だ。自民党は得票率こそ0.89ポイント増やしたが、得票数では219万票も減らした(比例代表選挙)。2009年の総選挙で自民党は歴史的大敗をこうむり、119議席に落ちこんだ。それから1ポイント弱しか獲得票は増えていないのに、議席は175議席も増やし、「勝った」のだ。これは、もっぱら小選挙区での勝利による。
自民党が大勝したのは、民主投票が歴史的に激減したことによる。民主党の得票数は、なんと2021万票も減った。その獲得票は42%から16%へと実に26%も減らしている。民主党票の激減は地方でも大都市でも、同じように生じている。民主党への「左」からの支持層も「右」からの支持層も相次いで離反した。この結果、自民党はただ黙って座っているだけで、民主党が落ちたために「大勝」したのだ。
 このように、自民党は議席で「圧勝」したけれど、政治基盤は脆弱なまま。保守二大政党の機能麻痺が起きて、保守多党制の時代に入った。
 保守二大政党制は、当の政権にとって、その喪失は悪夢であるが、保守支配層にとってみたら、すこぶる安定した体制なのである。
うむむ、さすがは政治学者ですね。どっちに転んでも、なるほど大差はありませんよね。ライスカレーとカレーライスほどの違いもありません。
 例の維新の会は、相次ぐ橋下代表の暴言によって、このところ一気に支持率を著しく低めてしまいました。
維新の会が「躍進」したのは、民主党政権に期待して、裏切られた大量の票が自民党に帰らず、かといって「左」の共産党にも行かず、「第三極」の新しい政治を求めたことにある。
ここでは、「左」の責任というより、マスコミの責任が大きいように私は思います。マスコミは、あまりに「第三極」「橋下」「維新」を持ちあげすぎですよ。
 維新の会は、政治対立軸を大きく右にずらす役割を担っている。構造改革と軍事大国化の双方を急進的に主張する政党に脱皮している。
このところ革新政党の退潮が著しい。なぜなのか?それは、小選挙区制によって、悪しき「常識」が定着したことによる。選挙区で革新政党に投票しても議席に結びつかない「常識」が定着してしまった。そのうえ、マスコミは少数政党の政策を報道せず、無視するようになった。その結果、浮動票の減少、獲得票の固定化の傾向が著しい。
現代のマスコミは、大政翼賛会の時代のマスコミより悪い役割を果たしている。現代のマスコミは、決して権力的な統制下にあるわけではない。しかし、支配階級の意を受けた方向に「善導」する役割を果たしている。そして、マスコミは小選挙区制下での少数政党の停滞を自らの少数意見無視の姿勢の正当化の材料として使っている。
 そこには、マスメディアも企業であるという論理がある。つまり、お金もうけのためには、何をしても許されるということです。そこに「社会の公器」という視点はありません。
 たとえば、来年から消費税の税率が5%から8%に上がろうとしています。新聞協会は新聞についてだけは消費税率を上げしないように政府に強力に働きかけています。一方で「増税賛成」と大声で叫びながら、実は自分だけは「増税」しないように陳情しているというのです。まさに二枚舌の典型です。許せませんね。
 アジアのなかの日本を考えるとき、アメリカは今や日本より中国を重視している現実をみなければならないアメリカのアジア戦略にとって、中国は欠かせない存在である。中国が一番警戒しているのは、日本の軍事大国化である。
 日本政府は3.11の福島第一原発事故の原因の究明も尽くさないうちに、日本の「原発」を世界各地に輸出する話が進んでいます。安倍首相がトップセールスに駆けめぐっているのは見苦しい限りです。「原発輸出」って死の商人のすることではないでしょうか・・・。それよりむしろ日本の技術力とあわせて、平和憲法の前文と9条を世界に普及しましょう。日本の政治のあり方をさわやかな切り口で考えさせてくれるブックレットです。ぜひ、あなたもご一読ください。
(2013年5月刊。1200円+税)

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2013年6月13日

逆転無罪の事実認定

司法

著者  原田 國男 、 出版  勁草書房

私より少し先輩になる元裁判官による刑事裁判のあり方を世に問う本です。
 私などは、この本を読みながら、いかにも底の浅い弁護活動をしてきたか、深い反省を迫られました。いえいえ、これまで手抜き弁護してきたつもりではありません。もっと複眼的思考で掘り下げて考えるべきだったという意味です。
 なにしろ、著者は最後につとめた東京高裁の8年間になんと20件以上の逆転無罪判決を言い渡したと言うのです。信じられません。年に2件もの無罪判決なんて、ありえません・・・。そして、いずれも検察官による上告がなくて、無罪判決は確定したというのです。いやはや、なんということでしょうか・・・。すごいです。著者は次のように述懐します。
 これほど、警察・検察の捜査や第一判決に問題があるなど、初めのうちは考えてもいなかった。ここには刑事裁判のおそろしさがある。人が人を裁くという本質的な難しさだ。
 著者は、ありきたりのような人定質問も大切にしているとのこと。
この段階こそ、相互の人間関係ができる、もっとも重要な瞬間なのである。
 そして、起訴状の朗読で地名を正しく読みあげるのは大切なこと。
証人尋問のとき、ウソを見抜くのは、なかなか難しい。韓国では、偽証罪の被疑者は138人、うち起訴されたのは9人のみ。
裁判官は、法廷で時間を気にしてはいけない。気にしていることが見抜かれ、被告人はいろいろムダな抵抗をしてくる。
 裁判官が被告人に判決を言い渡したあと控訴をすすめることがあることにも一理ある。
 判決は自信をもって言い渡すべきである。しかし、誤っている可能性は常にあるから謙虚な気持ちを失ってはならないのだから、ありうる説示なのだ。なーるほど、ですね・・・。
 とても本当とは思えないことも、一度は本当かもしれないと思ってみることだ。勘というのは非常に大切。人間の知恵の集積なのだ。冤罪を見抜く力は、いわば総合的な人間力だから、社会での経験や個々の人生経験がものを言う。毎日の新聞を読んでいないのは論外・・・。
 以下、無罪判決がコメント付きで紹介されています。いずれも、とても実践的な内容であり、明日といわず今日からの本格的な弁護活動にすぐに役立つものばかりです。
 多くの弁護士に一読を強くおすすめします。
(2012年11月刊。2800円+税)
 仏検(一級)が近づいてきました。過去問をやっています。仏作文はとても難しくて、まるで歯がたちません。いえ、文法も難問です。
 毎朝の書き取りに加えて、フランス語の勘を身につけるために仏和大辞典で類似語を調べたりもします。
 こうやって努力していても、語学力の上達はあまりなく、せいぜい低下するのを喰いとめるのに役立つくらいです。トホホ...。

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2013年6月12日

ドアの向こうのカルト

社会

著者  佐藤 典雅 、 出版  河出書房新社

この本でカルト教団とされているのは、日本でも全国各地で今日なお活発に布教活動している「エホバの証人」です。9歳から25年間のカルト生活を振り返った、壮絶な書物です。エホバの証人についてのコメントは、すべて著者によるものです。私のコメントではありません。念のために申し添えておきます。
 エホバの証人には、さまざまな抑圧の決まりごとがある。誕生日、クリスマス、正月など全ての行動はご法度。学校では体育の授業から運動会の騎馬戦まで禁止。国歌のみならず、校歌をうたうのも禁止。タバコはもちろんダメで、乾杯するのも禁止。信者以外の人と友達になるのも注意の対象となる。だから、多くの女性信者は独身を余儀なくされる。
 エホバは、この世はすべてサタンの配下にあると教える。世の終わりであるハルマゲドンは今にでもやってくると信者は信じている。だから、エホバの証人の子どもは、教団と親のいいつけを守らないと神によって滅ぼされると洗脳される。そして、一度、洗脳されたら信者は洗脳されたことに自覚のないまま自分の感覚を抑圧して生きていくことになる。そのため、うつ病、慢性疲労症候群、原因不明の病気に悩まされる信者が多い。
 エホバの証人は、春の記念式以外は、一切祝わない。
 エホバの証人は政治に一切関わらないので、選挙で投票はしない。
 エホバの証人は親は子どもを叩くのがあたりまえだ。
 エホバの証人は、宗教法人「ものみの塔聖書冊子協会」の一般名称である。ものみの塔はエホバの名前を擁護する唯一の真のキリスト教団体だという。
 エホバの証人は、死んだら霊魂はないと信じている。
 エホバの証人は、日本に22万人いる。
 証人の伝道は月90時間、毎日3時間、奉仕に出ると達成できる。
 エホバの証人の女性は、日よけのツバの出ている帽子をかぶり、日傘をもち、伝道カバンをもって、地味な色気のない長いスカートをはいている。
 この本には書いてありませんが必ず、数人からなるグループに、リーダーの男性がいるのも特徴の一つです。
 有名人にもエホバの証人は多い。マイケル・ジャクソン、ケビン・コスナーの妻、ジョージ・ベンソン、ラリー・グラハム。プリンス。矢野顕子。白井儀人(クレヨンしんちゃん)。
エホバの証人は霊魂不滅は信じていないが、地上の楽園は信じている。そして、14万4000人だけが特別に選ばれて、天国で永遠に生きている。
 この本には書かれていませんが、この14万4000人は、既にアメリカ人だけで満杯になっていて、日本人は入れるはずがないといいます。このように大いなる矛盾をかかえた「宗教」です。
 エホバの証人は世界中に750万人いて、日本に22万人弱の信者がいる。
どうやって、14万4000人を選抜するのでしょうか・・・。
 エホバの証人は、自分の本当の人生は楽園で始まると考えている。そして、自分をこの世においては死んだものとしている。
 まったく、わけの分からない教えです・・・。カルト宗教の怖さが伝わってくる体験記になっています。
(2013年1月刊。1800円+税)
 日曜日の午後、サボテンの世話をしました。親サボテンにくっついている子サボテンを火ばさみではさんでねじり切って、地面におろしてやります。
 こうやってサボテンは次々に代を重ねていきます。
 ふっくらした小さなサボテンの世話をすると心がなごみます。トゲにだけは注意しています。

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2013年6月11日

「プロの論理力」

司法

著者  荒井 裕樹 、 出版  祥伝社

まだ20歳代なのに、年収1億円という東京の弁護士が書いた本です。そこに、私とはどんな違いがあるのかと思って、恐る恐る読みはじめたのでした。すると、年収こそ桁違いではありましたが、そこに書かれていることは、年齢の差も感じさせない、至極まっとうなことばかりでした。そんな共感の思いを込めて紹介します。いえ、本当に、ジェラシーはありません。年収1億円だなんて言われても、私は本を大量に買うことしかしませんので、そんな大金の収入は必要としないのです。これは決して負け惜しみなんかではありません。衣食住があって、やるべき仕事があり、家族がみな元気で、本を好きなだけ読めれば、これ以上、何を望みましょうか・・・。
 著者の父親も弁護士です。そして、幼いころから、著者に論理力を求め、鍛えていたとのこと。すごい親父ですね・・・。
それで、父には悪いけど、弁護士にだけはなりたくないと思っていた。
 ところが、今では、心より敬愛する父に本書を捧ぐとまで書いているのです。変われば変わるものですね・・・。
どんなに論理力を鍛えても、野心のない弁護士には、前例を打ち破るような仕事はできない。そもそも野心に欠ける人間には、自分であえて高いハードルを設定することができない。平均点の仕事で満足できる人間は、いつまでたっても平均点をとり続けるものだ。
 他人(ひと)と違うことをやってやろうという野心を持った個性豊かな人材が弁護士の世界でも少なくなってきているように感じる。
 私は、弁護士になって3年あまりで独立開業しましたが、そのとき他人(ひと)と違うような分野を開拓するという決意表明を入会申込書に書きました。その思いは、クレサラ・多重債務の問題や、草の根民主主義を擁護・発展させる取り組みとして結実しました。やっぱり、他人と一味ちがうことにチャレンジしたいものですよね。
 自分でコントロールできることと、コントロールできないことをきちんと区別し、自分がコントロールできることに集中するのが大切。
 司法試験の受験勉強のときに、それを痛感しました。そして、日々のストレスフルな弁護士生活のなかで、ストレス解消の貯めに心がけることが大切だと思います。
 交渉の流れをコントロールするためには、できるかぎり自分のペースで話を進めることを心がけるべきだ。そこで大切なことは、しっかり準備して、話の展開を見すえたうえで、行動を起こすこと。
 交渉事で相手からの不意打ちを避けようと思ったら、かかってきた電話にはなるべく出ないほうがいい。受けた側は、どうしても守勢にまわってしまう。だから、プロの交渉人は、かかってきた電話には絶対に出ないと決めている人が多い。
 不意打ちをくらったとき、相手にペースを握らせないためには、あわてて対応しないこと。「その点については、ちょっと検討させてほしい」と言って電話を切るなり、席を立つなりして、準備する時間を稼ぐべきだ。次の一手を思いつくまで将棋と同じく「長考」すればいい。もっともよい交渉の仕方は、相手を一生けん命に「説得」するのではなく、自然と相手に「納得」してもらうこと。
 交渉では、相手に言質(げんち)をとられないこと、これが鉄則だ。常に冷静さを持って、十分に準備して慎重に話を進めなければいけない。
先方がEメールで問い合わせてきても、証拠を残したくないときには、容易に返信せず、電話で答える。逆に相手の回答を証拠として残したいときには、Eメールで返信せざるを得ないような問い合わせを工夫する。
 あらゆる交渉事は、国同士の外交交渉させながらの緊張感をもってのぞむべきなのだ。弁護士の場合、交渉相手とのコミュニケーションを図る前に、自分の依頼者とのあいだでしっかり意思疎通をし、目標設定や交渉の進め方について納得しておいてもらう必要がある。依頼者は報酬をいただく「お客さま」であるだけに、交渉の相手以上に「納得」が求められる。そのためには、あらかじめ弁護士の側が自分の方針を誠心誠意、説明しておくのはもちろん、依頼者の話をよく聞いて、その気持ちに深い共感を示しておくべきだ。
「弁護士」というから、しゃべる仕事というイメージが強いが、実際には書面を「書く力」がモノをいう仕事だ。こちらの力量や本気度を裁判官に認めてもらうには、どれだけインパクトのある準備書面を提出できるかが勝負だ。準備書面は裁判官に読んでもらえなければ価値がない。その論理の正しさを分かりやすく説明する懇切丁寧な解決があってこそ、その論理には相手を動かすだけの力が備わる。
 そのため、準備書面には、証拠書類を引用したり、重要な部分にアンダーラインを引いたり、文字の色を変えたり、グラフや図解などのビジュアル要素も取り入れ、「親切第一」の見せ方を心がける。
 弁護士にとって大切なのは日頃の情報収集だ。ふだんからさまざまな世界に関心をもって、状況を把握しておかなければいけない。目の前の仕事に役立ちそうもない情報でも、いつかは「使える」可能性がある。目先のことばかりを考えず、視野を広くもって、あらゆる分野に目配りしておくべきだ。日頃からアンテナを張りめぐらしている弁護士とない弁護士とでは、依頼者の話の理解のスピード、深さが異なるし、信頼の度合いがまったく違う。
 睡眠時間7時間を確保しているという点でも私と同じ著者の話は、とても共感できるものばかりでした。
(2007年2月刊。1300円+税)
 日曜日の夜、いつものところへホタルを見に出かけました。歩いて5分あまりのところです。残念なことに、ほんの少ししかホタルは飛んでいませんでした。もうシーズンは過ぎてしまったようです。また、来年を楽しみにします。

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2013年6月10日

腸のふしぎ

人間

著者  上野川 修一 、 出版  講談社ブルーバックス

生来、腸があまり丈夫ではありませんから、とても関心のあるテーマです。健診のとき、腸のぜん動運動が少し弱いようですと言われたときは本当にショックでした。それもあって、毎晩、寝る前には腹筋を鍛える体操をしています。
 腸には立派な神経系がある。この腸神経系は、脳からほとんど独立して行動している。腸管ぜん動運動を支える神経細胞(ニューロン)の数は1億個で、脳からつづく神経組織である脊髄のニューロン数と同じ。腸は第二の脳である。
 脳に、からだ最大規模の免疫系があるのは、腸こそが外界とやりとりをする窓口であり、からだの中でもっとも外部からの危険な侵入者と遭遇する機会が多いからだ。
腸内には100兆個をこえる細菌が星のようにきらめいている。その重さは1キログラムにもなる。
ヒトの腸は、形や働きからみて本来は肉食であったものが、進化の過程で草食も取り入れるようになったと考えられる。
 ヒトは、1年間に1トン近い食物を体内に取り入れている。空腹時の胃の容積は50~100ミリリットル。それが満腹時には2~4リットルと50倍以上に拡張する。
腸の働きは腸神経系による自律運動である。
 小腸は、胃の次に位置する消化管の中心的存在である。小腸の働きなくして、食物はからだの中に入ってはいけない。小腸の働きの中心にいるのは、1600億個の吸収細胞である。この細胞の寿命は実に短く、誕生して死ぬまで1.5日である。しかし、代わりの細胞がすぐに交代要員として用意されている。
 大腸には小腸と異なり、ひだや突起は存在しない。口から侵入した病原菌のうち、食中毒菌などはかなりの部分が胃酸によって殺される。しかし、強い胃酸に耐えた病原菌は十二指腸を経て、小腸へ侵入する。小腸に120~130個あるバイエル板は、病原菌の姿や形の情報を収集し、抗体を生産する細胞をつくり出す最強の基地である。
 腸内細菌は、もう一つの生体器官である。
ヒトの胎児は、母親の子宮にいるあいだは無菌状態で大きくなる。
 腸内細菌は、平均して4~5日間、ヒトの体内に滞在したあと、体外に排出される。腸内細菌は、ヒトの免疫力を高める。
腸というのは、からだの中にある外界なのですね。毎日毎日、お世話になっている腸の話です。とても興味深い内容でした。
(2013年5月刊。860円+税)

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2013年6月 9日

日本弁護士史の基本的諸問題

司法

著者  古賀 正義 、 出版  日本評論社

あまりにも大層なタイトルなので、手にとって読もうという気が弱まりますよね。弁護士会の歴史に関心をもつ身として、いわば義務感から読みはじめたのでした。ところが、案外、面白い内容なのです。
最近の流行は、アメリカの弁護士とくに大ローファームの弁護士の神話化である。結論を先に言えば、イギリスのバリスターもアメリカの弁護士も、日本の現在の弁護士と知的能力・倫理水準等の個人的次元で比較したとき、格別に秀れた存在であるとは思わない。ここで「最近の」というのは、今から40年以上も前のことです。念のために・・・。
 江戸時代の公事師について、この本は、全否定する議論に疑問を投げかけています。私も、その疑問は正当だと思います。
公事宿の本場は、丸の内に近い神田日本橋区内であって、こちらは公事宿専業だった。馬鳴町の公事宿は一般旅人宿との兼業であり、丸の内近くの公事宿の主人・手代のほうが訴訟手続に習熟していた。
そして、明治期の弁護士を語るうえで、自由民権運動の重要性を欠かすわけにはいかないと強調しています。
 代言人時代は、弁護士史の暗黒時代であるどころか、黄金時代、少なくとも黄金時代を準備する時期だった。というのも、創設以来20年のうちにすぐれた人材が代言人階層に流入したのは自由民権運動にある。
自由民権運動と代言人との結びつきは、もっと注目されてよいものだと私も思いました。
 天皇制絶対主義のもとで、弁護士は法廷における言論の自由をもたなかった。裁判官に対して尊敬を欠く言行は、それが裁判官であるがゆえに、理由の有無を問わず、尊敬に値するか否かを問わず処罰された。
 大企業は弁護士全体からすると依頼者層として無縁な存在だった。そして、弁護士は大企業からみて、重要な存在ではなかった。弁護士は、日本資本主義の陽の当たらない停滞的な部分を依頼者層とする、日本資本主義からみて重要でない存在だった。
 個人の人権は、戦前の権力から見れば無価値であり、弾圧すべきものだった。弁護士は、国家的に無価値なもののために働く、無用かつ危険な存在だった。太平洋戦争中、憲兵が弁護士に対して「正業につけ」と叱った言葉は、戦前の国家権力の弁護士観を集約的に表現したものである。
弁護士自治の大切さも分からせてくれる本でもありました。
(2013年3月刊。800円+税)

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2013年6月 8日

アメリカン・コミュニティ

アメリカ

著者  渡辺 靖 、 出版  新潮選書

現代アメリカの背筋がぞくぞくするような現実が紹介されている本です。日本がこんなアメリカになってはいけないと思いつつ、実はアメリカ型の超格差社会に近づいていることに思い至ると愕然とします。
 テキサス州には刑務所が106ある。カリフォルニア州に次いで、全米第2位。そして、その急増ぶりは史上例のない速さ。テキサス州の収監者は16万人。日本は6万人ほど。なので、3倍近い。アメリカはロシア、南アフリカよりも多い。そしてテキサス州の民営刑務所は全米一多い。
 テキサス州最古のウォールス刑務所では、11日に1人の割合で死刑が執行されている。死刑執行は電気椅子ではなく、(1964年まで)、薬物の静脈注射による。午前6時10分に注射を始め、6時20分に死亡を確認する。わずか10分あまりで執行が終了する。ちなみにアメリカでも、死刑判決は減少傾向にある。1990年代には年間300件だったが、2006年には114件となった。
 アメリカ全体の収監者は220万人。中国の収監者数より50万人も多い。刑務所関連の仕事に従事するアメリカ人は230万人もいる。
 収監者の70%は非白人。アフリカ系アメリカ人が全体の人口比では13%にすぎないのに、49%を占める。アメリカのホームレスは75万人。
カリフォルニア州にゲーテッド・コミュニティがある。住民からの招待状がない限り、住民以外の人間は入れない。20平方キロメートルのタウンだから、東京都港区と同じ広さ。東京ドームの400倍。縦10キロ、横2キロと細長い。そこに4つのゲートがある。コミュニティには、コンビニくらいの大きさの日用雑貨店が一軒しかない。白人85%、アジア系5%、黒人は0.7%。平均年齢は35歳、平均世帯収入は1500万円。アメリカ全土にあるゲーテッド・コミュニティの住民人口は、1995年に400万人だったが、2001年には1600万人(全米世帯数の6%近い)になっている。
 実は、ゲーテッド・コミュニティは決して安全ではない。そのうえ、人付きあいがとても希薄になる。
 子どもを無菌培養することなんてできません。結局、ゲーテッド・コミュニティで自分の家族だけは守ろうという発想では、社会全体の安全性は保証されませんので、自分の家族だって安全に生活できなくなるのです・・・。いやな発想ですよね。檻のなかに閉じこもって身の安全を確保しようなんて。
(2013年4月刊。1300円+税)
 月曜日、恒例の一泊ドックに入りました。
 日頃はなかなか読めない分厚い本を持ち込み、一心不乱に読書に集中します。
 今回はアメリカのイラク戦争そして、キューバ危機の内情を再現した本が印象に残りました。いずれ、どちらも紹介したいと思いますが、アメリカの支配層も決して一枚岩ではなく、激しい内部抗争が続いていることを再認識させられる本でした。
 健康診断の結果は、やがて送られてきますが、少しばかりダイエットの成果があがり、久々に体重が65キロとなりました。やれやれです。

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2013年6月 7日

消えた将校たち

ヨーロッパ

著者  J・K・ザヴォドニー 、 出版  みすず書房

カチンの森虐殺事件について書かれた本です。その残虐さでは、ヒトラーに匹敵するスターリンによる大虐殺事件が起きました。そして、ソ連はナチス・ドイツによるものだと言い張ったのです。驚くべきことに、アメリカもイギリスも、スターリンの機嫌を損ねたくないため、そのソ連の詭弁を受け入れ、真相究明をしませんでした。
 なぜスターリンは、カチンの森虐殺事件を起こしたのか?
その答えが本書で明らかにされています。要するに、スターリンはポーランドをソ連の支配下に置きたかった。それを邪魔するようなポーランドの知識階級(指導階級)を地上から抹殺しようと考えたということです。
 ソ連軍に捕らわれたポーランド軍1万5000人が行方不明となった。そのうち8000人以上が将校だった。
 ナチス・ドイツは1943年4月、多数のポーランド軍将校がソ連に殺害されているのを発見したと発表した。これに対して、ソ連側は、直ちにポーランド軍捕虜を殺したのはナチス・ドイツだと反論した。
カチンの森には、死体でいっぱいの、深さ3メートルほどの集団墓穴が8つ発見された。死体は顔を下に、両手は両脇にそってか、背中でしばりあげられ、足はまっすぐに伸び、9層から12層に重なりあって積み上げられていた。そして、後頭部を銃で撃ち抜かれていた。その銃弾はドイツ製だった。
 ポーランド将校は丈長の長靴をはいていた。それは威信や地位の象徴だった。
 墓穴の上には、わざわざトウヒの若木が植えてあった。
ソ連は逮捕したポーランド軍将兵を共産主義者に転向させるべく、思想強化に努めた。しかし、この思想強化は全体として失敗に終わった。ポーランド人は、共産主義教義を公然と拒否した。そこでソ連(NKVD)は、まだ可能性があると判断した448人を選び出し、あとは抹殺することにした。
 しかし、この448人も大多数はソ連の強化に応じなかった。50人だけが応じたが、彼らは村八分にあった。残りは、結局、強制収容所へ送られた。
 1940年当時、NKVDと呼ばれたソ連秘密警察は、ソ連国家が内部の敵と戦うための楯であり、剣であった。スターリン時代、その警戒行動には限界がなかった。
スターリンの支配するソ連共産党政治局は、ソ連秘密警察NKVDに命じて、ポーランドの将校と知識階級2万2000人(2万5000人)をロシア、ウクライナ、白ロシア(ベラルーシ)の各地で1940年4月から7月にかけて組織的に一斉に殺害した。
カチンの森虐殺事件と呼ばれていますが、虐殺現場はカチンだけではなかったということです。スターリンの犯罪は本当に信じられないほどひどいものです。絶対に許せません。
(2012年12月刊。3400円+税)
 土曜日から日曜日にかけて、久留米で九州のクレジット・サラ金被害者交流集会があり、参加してきました。270人もの参加があり、盛況で、内容としても大変勉強になりました。
 私は、この交流集会の原始メンバーの一人ですが、各地のクレサラ被害者の会は、いま相談者が激減して活動を停止している状況にあります。
 これも貸金業法が改正されて、規制が厳しくなったことの成果という面もあります。それでも、ヤミ金をはじめ、まだまだ借金をかかえて泣いている人、困った人はたくさんいます。そのような人に、家計管理をきちんとして、生活を立て直してもらえる場として被害者の会は有効な場でした。なんとか代わりを考える必要があります。

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2013年6月 6日

兵士はどこへ行った

日本史(現代史)

著者  原田 敬一 、 出版  有志舎

日本各地の軍用基地をたどり、また世界各国のそれと対比させて戦争を考える本です。私の住むところは、近くに明治10年に起きた西南戦争の官軍墓地があります。このとき、乃木中尉は軍旗を奪われ、負傷して久留米の軍病院に入院して治療を受けました。軍旗を奪われた将校としてずっと恥に思っていたそうです。
日本の徴兵制は甲種合格となっても全員が入営するのではなく、20%前後が現役兵として入営するものだった。根こそぎ動員になったのは1940年代のことである。このころは、7~8割が入営した。
戦前、陸軍基地と海軍埋葬地が日本全国に設置され、戦後も維持されている。すくなくとも全国79ヶ所に今も残っている。死後にも階級が持ち込まれた。墓域の広さと墓標の大きさの点で階級差が明確になる規定があった。陸軍墓地は師団経理部、海軍墓地は鎮守府が管理責任をもった。
 はじめから鳥居、石灯籠、水鉢など、宗教性を示す構築物は認められなかった。あくまでも台石と、その上に墓標を建てることのみが認められた。忠魂碑などの戦争祈念碑は、戦前に建立されたものが8000、ところが戦後に2万5000基に拡大した。宮崎の戦争記念碑の巨大さには圧倒されてしまいました。
将校の墓標は規格品ではなく、形も色もとりどりの自然石であり、さまざまな刻み方をしている。経歴などの碑文を刻んでいるものが圧倒的に多い。将校は死亡してなお、語り、下士官と兵卒は黙して語らずという具合だ。
アメリカのアリートン国立墓地の土地、本来の所有者は南部連合の軍事指導者リー将軍であった。リー将軍が南軍の軍事指導者になったため、北軍の管理下におかれたのであった。
 アリートン墓地も、当初は人種と階級によって区分されていた。1947年そして1948年にようやく階級差そして人種差が撤廃された。
欧米型は、階級による差異をつくらない。アジア型では、階級によって墓石の高さや大きさなど、誰の目にも違いがはっきりと見える。
 日本、台湾、韓国ともに墓石の大小だけでなく、階級により墓域も指定されている。
韓国には「国立5.18民主墓地」がある。これは1980年の光州事件で韓国軍によって殺害された人々を対象としている。政府に対して民主化運動を起こし犠牲になった人々を「国立墓地」に埋葬するというのは人類史上初めての経験であろう。なるほど、そうなんですね・・・。
国民国家が兵士の埋葬と顕彰に力を入れていたのは、「彼等に続く戦死者」を確保するためだった。国家は、自らの死者をつくっておきながら、死者を覚えておきたくない。それが近代国家の性格であった。そのことに注意を向け、国家に死者を覚えさせておくこと。そのことによって非常の死の国民を生み出さないための方策を考え続けること。それが残された私達の仕事ではないだろうか。
靖国神社国家護持派の人々は、神社と神道のもつ宗教性や歴史性を無視して、なにがなんでも靖国神社を国家が保護し、そこに戦没者祭釈を委任するのが、正当だと叫ぶ。そこには歴史に対する敬意も、現代社会に対する配慮もまったく見られない。
 1930年代の国家が決めたことを、その後の国と国民を変更できないのか。憲法でさえ変えられるという人々が、靖国問題のみ神聖不可侵とするのは前後矛盾している。
 戦前の軍用墓地が今も残っていて、今でも、戦死者のための墓地を確保する法律がつくられています。国の考えていること盲従したら、国民の生命・健康は決して守られないことを痛感させる本でもありました。
(2013年1月刊。2600円+税)
 日曜日に、故池永満弁護士の「しのぶ会」が福岡で開かれ、参加してきました。本当に惜しい人を早くなくして残念です。今でも、池永弁護士が、ひょいと向こうから歩いてきて、「ちゃんと元気にやっとる?」と声をかけてきそうに感じます。
 奥様の飾らぬ紹介と思いのたけも大変感銘深いものがありました。池永弁護士が多方面で活躍してきたことがよく分かる、心のこもった会合でした。
 寄せ書きと、池永弁護士がなくなる寸前まで著述にいそしんだ大著をいただいて帰りました。

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2013年6月 5日

児玉誉士夫、巨魁の昭和史

日本史(現代史)

著者  有馬 哲夫 、 出版  文春新書

児玉誉士夫と聞くと、戦前は帝国陸軍のスパイの親玉として中国大陸でさんざん悪いことをして巨財を成し、戦後はその巨財をもとに自民党を背後で操っていた薄汚い右翼の黒幕というイメージがあります。果たして、その実体はどうだったのか、興味深く読みすすめました。
 児玉の最終学歴は商業学校の夜間部に2年通っていたこと。児玉は1929年、赤尾敏の主宰する国粋主義団体「建国会」に入り、青年部の部長になる。昭和天皇の車に駆け寄って直訴状をつき出し、懲役6ヶ月の刑を宣告されて下獄した。その後、1931年5月には大蔵大臣爆破事件に関わり、懲役4回月の実刑も受けた。その後もクーデター未遂などで刑務所に入っていて、1937年4月に出所してきた。そして、中国大陸に工作員として派遣された。
 中国における児玉機関が秘密工作をするときには、三井物産、王子製紙、東洋綿花など、三井財閥系の企業を隠れみのとして使っていた。
 三井と軍部のスパイは深い関係にあったというわけですね。
海軍は児玉に対して資金を提供するのではなく、上海で現地の人々から没収した資産などを取引原資として与えていた。なんと20万中国ドルも与えたという。暴力的手段をとらないことが児玉機関のポリシーだった。というのも、物資の調達にあたって暴力に訴えるというのは、児玉機関にとって引きあわないリスクを冒すことだったからだ。
 児玉は戦後、アメリカ軍からA級戦争犯罪容疑者の指定を受けて巣鴨プリズンに収監された。しかし、児玉本人は、まさか自分が戦犯リストにはいるとは思っていなかった。その点は、笹川良一とは対照的である。
 1946年夏以来、児玉は危険人物というより、連合国軍側の重要な情報提供者として巣鴨プリズンに留め置かれた。GHQは児玉をアヘン売買で罪に問うつもりはなかった。アヘン王といわれた里見ですら戦争犯罪に問われないことを決めていたからだ。GHQが里見のアヘン売春を暴くと、それに深く関わっていた中国・国民党も同じく戦争犯罪に問われなければいけない。しかも、この仕組みを考案したのは、連合軍のメンバーであるイギリスだった。
 終戦直後の児玉機関の資産は、当時のお金で7000万円だった。そして、鳩山が自由党をつくるとき、児玉が鳩山に与えた政治資産は1000万円だった。東久邇宮内閣は児玉を参与とした。これは、児玉がもっと大きな資産をもっていると見込んで、必要なときには出してもらえると思っていたからだった。
 戦後まもなくから、児玉はアメリカのエージェントになっていた。要するに、児玉はアメリカのスパイになったわけです。これで右翼として、日本を愛せといっていたのですから、噴飯物ですよね。
 児玉は鳩山に尽くしてきたが、鳩山は首相になると、ソ連との国交回復とか独自路線をとるようになった。そこで、憤慨した児玉は、鳩山を見捨てて、緒方に乗り換えた。
岸信介は、児玉を必要とせず、また、頼もうともしなかった。岸は児玉に頼らずとも、「強力な資金源」と「闇の力」をもっていた。岸が頼ったのは、アメリカのCIA資金だった。だから、CIAは児玉のライバルになった。
児玉誉士夫がアメリカのスパイとして、日本の政財界を操っていた様子が詳細に紹介されている本です。
(2013年3月刊。940円+税)
 今年もホタルの季節となりました。歩いて近くの小川に足を運びます。地元の人が「ホタルの里」として手入れして整備しているエリアがあります。ゆらゆらと明滅しながら飛んでいるホタルを見ると、いつもながら夢幻の里に迷い込んだ気分になります。
 見知らぬ子が「ホタルをとって」と叫んでいるので私が両手で包むようにホタルをつかまえて、その子に手渡ししてやりました。ホタルはじたばたすることなく、しばらくは手のひらにとまって明滅してくれます。その子の若いお父さんからお礼を言われ、いいことをしてやったとうれしくなりました。

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2013年6月 4日

タックス・ヘイブン

社会

著者  志賀 櫻 、 出版  岩波新書

読んでいるうちに大いに腹の立つ本です。いえ、著者に対する怒りではありません。こんなデタラメな税制を許している国家とそれをうまく利用している超大企業とスーパーリッチたちに対して、です。日本には年間所得が1億円をこえる人が、確か10万人以上いたと思います。そんな人たちにとって、日本は本当に「いい国」です。所得税の税率が1億円をこえると低下していくからです。
 1億円の税率28.3%をピークとして、低下していき、100億円だと、なんと13.5%でしかない。思わず、目を疑う低率です。
  40億円以上の純資産をもつ富裕層は、1位がアメリカで3万8000人、2位は中国で4700人、3位はドイツで4000人、4位は日本で3400人。
 うひゃあ、40億円以上の資産をもつスーパーリッチ層が日本に3400人もいるんですね・・・・。
タックス・ヘイブンとは、税金がほとんどない国のこと。ケイマン諸島、バハマ、バミューダ、ブリティッシュ・バージン・アイランドなど。
 タックス・ヘイブン退治の先頭に立つはずの先進国が、実は最大のタックス・ヘイブンでもある。その筆頭がロンドンのシティだ。また、アメリカのデラウェア州のウィルミントンである。
 強い経済の背景には必ず部厚い中間所得層が存在する。貧富の差が激しく、二極分化した社会には、強い経済は望めない。
 世界中の金融システムは複雑かつ密接につながっている。誰がどのようなリスクを保有しているかは分からないが、誰かが破綻すれば、連鎖破綻が起きて、その影響は瞬時に国境を越えて世界に拡がる。世界が保有しているリスクは、むしろ増大している。今や世界は一つにつながっている。文字どおりグローバル・エコノミーである。
 ヘッジ・ファンドは世界経済にダメージを与える存在であり、有害である。ヘッジ・ファンドに危険なマネー・ゲームをさせるべきではない。
 ヘッジ・ファンドがしていることは、マネー・ゲームに狂奔して巨額の資金を動かし、世界経済に深刻な危機をもたらすこと。ヘッジ・ファンドのもたらす害悪は圧倒的に大きい。
 ヘッジ・ファンドに活動の場を与えるタックス・ヘイブンの罪もまた大きい。
 マネー・ゲームという悪事に加担している点からすれば、ロンドンとニューヨークの方が、よほどたちが悪い。
 いまの日本には、アベノミクスとやらに踊らされて株を買っている人が続出しています。しかし、やがて、ドンと株価は低迷するでしょう。そのとき泣くのは、騙された一般投資家のみ。
投機マネーは規制すべきだと著者は強調しています。本当にそのとおりです。
 アベノミクスなんかに騙されないようにしましょうよ。私と同じ団塊世代の著者による勇気ある警世の書です。
(2013年3月刊。760円+税)

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2013年6月 3日

古代・中世の芸能と買売春

日本史(中世)

著者  服藤 早苗 、 出版  明石書店

奈良時代の采女(うねめ)は、地方の郡司層の容貌の良い若い女性が選ばれ、はるばる都の朝廷に宮人として仕え、任を終えれば帰郷できた。
遊行女婦(うかれめ)や娘子(おとめ)たちの中には、都の官人にひけをとらない教養を身につけた地方出身の女性たちが多くいた。そして、宴のあとの性的交渉は、古来からの伝統であった。専門歌人として宴に列席した遊行女婦と都下りの官人たちとの共寝は、しごく自然の成り行きだった。
遊女は、性を売る芸能兼業女性として、9世紀末期ころから成立した。
 妻が夫以外の男性と性関係をもっても、それほど非難されず、それだけで離婚になることはなかった。
 男性がプロポーズしても、女性が同意しなければ、性愛関係はもてない。さらに、女性の母の同意がなければ、性関係も無理だった。女性は一緒に寝たいと素直に表現し、同意すると、男性は夜に通った。
 男女関係も夫婦関係も緩やかな時代から、生涯にわたる夫婦同居が社会秩序になっていくのは、9世紀末から10世紀以降である。
 11世紀中頃までは、平安京内の貴族層が邸宅内に遊女、傀儡女(くぐつめ)たちを招き、歌い遊ぶ遊宴はそれほど盛んではなかった。11世紀の後期になって多くなった。
 源経信たちと一緒に歌って遊んだ歌女は、遊女や傀儡女と同様に共寝も業としており、貴族にとって、ある程度長期間、あるいは一生の「愛物」的な存在である妾的配偶者だった。貴族の男性たちは、公にできない愛人との会合のための宿を欲していた。その宿所を提供していたのが、女房と宿所を媒介した女たちであった。
 拍子をはっきりと刻み、拍子にあわせて歌い舞うのが白拍子である。白拍子とは、雅楽の伴奏ではなく、拍子だけの伴奏で歌い舞う芸能であり、12世紀中ころから宮廷の殿上人たちによって舞われた芸能だった。
 本来は貴族の男性たちが宮廷で舞う男舞を、男装した女性たちが舞ったことに新鮮さと新しい時代の予兆があったのではないか。これが白拍子女の出現である。
 後鳥羽院において、皇子女を出産した三人は、ともに白拍子、舞女である。これは共寝も伴う芸能女性たちへの蔑視が強くない時代だったことを意味している。
 そして、貴族層にも白拍子女、遊女を母にもつ者が多かった。白拍子女・遊女・舞女たち芸能者は貴族層のツマになっていた。そして、その所生子は決して公郷層から除外されてはいなかった。
 しかし、白拍子女・舞女が正妻になったとまでは考えられない。遊女・傀儡女・白拍子女たちの中で、芸能にすぐれ、容貌が良く、さらにコミュニケーション力のある女性たちの中でも幸運な者のみが、上皇や貴族・武士層を長期にわたるパトロンとして獲得でき、子どもでもできれば、一生涯、愛人やツマとして遇された。
 貴族層の愛人となり、子どもを産むと、子どもはきちんと認知され、他の男性と関係をもっても、父親はそれぞれ確認される。
 鎌倉時代から傾城(けいせい)という言葉が見られる。13世紀ごろから出はじめる。
 14世紀の南北朝期以降、芸能と売色を兼ねる女性たちの諸国遍歴が増加する。
 遊女や芸能女性の地位が下がるのは、売色の要素が強くなったことと、諸国を流浪することによるのではないか・・・。
足利義満の側室となり、北野殿とか西御所ともよばれた高橋殿は中世後期の傾域としてもっとも著名である。この高橋殿は、美貌ばかりではなく、相手の気を引きつけるずば抜けたコミュニケーション力が、接待術で立身出世した。経済的に相当の負担がかかる熊野詣でに、高橋殿は少なくとも15回は行っている。
 古代・中世の女性の地位をめぐる考察として、大変興味深く読みました。
 古来、日本の女性は性におおらかだったことが、この本でもよく分かります。
(2012年10月刊。2500円+税)

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2013年6月 2日

博徒と自由民権

日本史(明治)

著者  長谷川 昇 、 出版  平凡社ライブラリー

幕末から明治10年代にかけて博徒集団の動き、そして自由民権運動との結びつきを解明した本です。清水次郎長が一家を構えていたのは清水地方です。尾張と三河の違いが強調されています。
尾張は徳川家62万石が全域を支配していたのに対して、三川には8つの小藩そして、いくつもの飛地や天領や、さらには60余家に及ぶ旗本の知高地があった。先祖発祥の地として、飛地をもちたがっていたことによる。その結果、小藩、小知行地が乱立して、警察権力が弱体化した。次郎長は尾張藩の警察力の強大さに驚倒したといいます。
幕末の尾張藩は、「強力な武力」として博徒集団に着目し、それを利用しようとした。今後どのように展開していくのか予測しがたい倒幕出兵にあたって、可能なかぎり正規の藩兵の温存をはかり、まずは補充的に集めうる民兵を先鋒として利用しようとした。そして、そのとき博徒組織は、団結力、統制力、さらには戦闘力と戦闘経験において、ただちに実践につかえる武力集団であることに着目した。前科を黙認し、士族採用を餌として尾張藩の勤王実績づくりのための先鋒に転用しようとしたのであった。
 明治13年6月、安政年間以来、東海道の博徒集団を二分して前代未聞の大喧嘩を重ね、もつれにもつれた平井一家と清水一家の手打ち式が浜松の料亭「鳥屋」で開かれた。この日、浜松に繰り込んだ双方の関係者は1000人。清水一家は、次郎長を先頭に、大政以下の主だった乾分(子分)などが参集した。
 その後、自由民権運動が発展していきます。当時の博徒の多くが、「半農半博」であり、中貧農だった。そして、博徒は、耕作農民であると同時に博徒集団という特殊な「党派」に所属するという特殊性をもった存在であった。
 明治17年、集中的に各地で蜂起が続いた。困民党・借金等に類する反体制的激化事件に博徒はさまざまなからみあいをもって関連していったが、それには必然性があった。親分が検挙されて一家は壊滅し、費場所に賭場が立てられず、寺銭に寄食する糧道を絶たれ、検挙の網を逃れて他府県に遁走せねばならないという実情のもと、反体制運動の組織者となっていた。このことを過小評価すべきではない。
自由民権運動と代言人とのかかわりも興味深いものがありますが、博徒も、そのなかで大きな役割を占めていたと言うのです。大きく目を開かされました。
 本書の冒頭に、清水一家とのあいだの血なまぐさい出入りの状況が生々しく描かれています。次郎長映画をみている気分になりましたが、あれって、本当にあっていたことなんですね・・・。
(1995年4月刊。1068円+税)

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2013年6月 1日

働く君に贈る25の言葉

社会

著者  佐々木 常夫 、 出版  WAVE出版

この社会で生き抜くうえでのヒントが、著者自身の体験にもとづいてぎっしり書かれています。肩に力を入れずに、すっと読めるビジネス書です。
 うつの奥様、そして自閉症の子をかかえて、ビジネス最前線でたたかい抜いてきた人でもあります。表紙の笑顔がいいですね。人柄が顔に表れている気がします。
 「それでもなお」という言葉が紹介されています。本当に心を打つ言葉です。
○ 人は不合理で、わからず屋で、わがままな存在だ。それでもなお、人を愛しなさい。
○ 正直で素直なあり方は、あなたを無防備にするだろう。それでもなお、正直で素直なあなたでいなさい。
○ 世界のために最善を尽くしても、その見返りにひどい仕打ちをうけるかもしれない。それでもなお、世界のために最善を尽くしなさい。
次は、時間の大切さです。私にとっても、時間こそ、もっとも大切なものです。お金なんて二の次です。時間より大切なものは家族のみです。
約束の時間を守ることは、相手を尊重すること。時間厳守はビジネスマンの鉄則。
人にとって、時間はもっとも貴重な財産である。
過ぎ去った時間は、もう二度と戻ってくることはない。どんなにお金を積んでも、ムダに費やした時間を取り戻すことはできない。
そして、仕事のすすめ方。ムダを減らすことは時間の節約にもなる。仕事を始める前に訊く。仕事の途中で、(分からなくなったら)訊く。これを実行するだけで、多くのムダを減らすことができる。これは、本当にそうですよね・・・。
 「何事にも全力であたる」
 これは、仕事のタイムマネジメントにおいては正しくない。物事には軽重、順序をつける必要があるからです。
 書くと覚える。覚えると使う。使うと身につく。自分の書いたものをあとで読み返して確認する。何度も繰り返して読み返すことによって、初めて物事は記憶として定着する。また、読み返しながら、そこに隠された意味や矛盾に気がつくことがある。
 簡にして要。これが話すときの鉄則だ。簡潔に、的を射た話をするように心がけること。
 いい本でした。いま自分のやっていることに自信の湧いてくる本でもありました。
(2012年8月刊。1400円+税)

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2013年6月30日

建築家、走る

社会

著者  隈 研吾 、 出版  新潮社

この忙しさは半端ではありません。世界をまたにかけて飛びまわる毎日です。よくぞ、これで身体がもつ、と本を読みながら不思議な思いに駆られました。
 設計のプロセスは悩みと迷いの連続である。しかし、プレゼンテーションの場では、悩みや迷いは一切見せない。いつでもストレートに言い切って、相手を安心させる。
 建築家は、設計競技(コンペティション。コンペ)への参加の依頼を受ける。その戦いに参加して選ばれないと仕事は始まらない。今では一年中、そういうレースに駆り出されている。いってみれば、毎週レースに出なければいけない競走馬みたいなもの。今、建築家は、そんな状況に耐えられる精神力、体力がないとやっていけない職業になっている。
 レースに引っぱり出されなかったら仕事がない。仕事がなかったら、事務所も自分もつぶれる。つぶれないために、休みもなしに走り続ける。そういう過酷な場に引き出されている。いやはや、大変な職業ですね。
中国政府が景観デザインに厳しくチェックするのは、政府によるバブルの延命策そのもの。中国で一番もうかるのは、それはデベロッパーが大規模な開発をして、不動産価格を上昇させること。ただし、不動産価格があまりにも急激に上昇してバブルになると、民衆の不満がたまって政情自体が不安定になる。中国政府はバブルを破滅させるわけにはいかないし、かといって野放しにするわけにもいかない。そこで、不動産業界に一定の規制をかけて、バブルをスローダウンさせながら維持するという微妙なコントロールが必要になる。
 いまの中国政府の最大課題は、バブルを柔らかくコントロールする方法である。さすがに官僚国家を何千年もやっているだけに、中国の役人は自分たちへの利益誘導が巧みだ。利益誘導といっても、露骨で分かりやすい方法はとらない。量から質へという転換のプロセスの中に官僚の利権も隠れていることを自覚している。世界がテーマとしていることが、結局は、利権獲得の最短の道筋だと理解している。うひゃあ。そんな見方ができるわけですね・・・。
 中国には、そもそも客観的基準というものがない。それぞれのプロジェクトごとに政府に申請し、担当の役人とネゴする。ネゴをベースにすると、そのネゴから役人の利権が無限に生じる。そのネゴのプロセスを通過してはじめて建築を実現できる。タフでハードボイルドな世界がある。めんどくささ、屈辱にめげず、ニコニコし続けていないと、」中国では通用しない。
 中国は、あらゆる民間企業がオーナーカンパニーである。これに対して、日本はサラリーマン機構であって、リスク回避システムとなっている。中国では、酔わなければいけないけれど、崩れてはダメ。その微妙なバランスが一番大事。中国は飲酒が打ち上げではなく、ゲート。この面接試験をうまくパスしない限り、前に進めない。中国は基本的に私情よりも論理を大切にする。
 アメリカの建築界はユダヤ人が掌握している。国際レースの仕掛け人は、ほとんどユダヤ人。ニューヨークでは、金融界と同時に、メディア界もユダヤ人が押さえている。これは実は法曹界についても言えることです。有力(有名)な弁護士の多くがユダヤ人です。
 これからもっとも注目すべきは韓国だ。このところ、韓国は世界のプロジェクトで連戦連勝している。日本人は、のどかな田舎の村で、こたつに入ってぬくぬくしているようなものだ。著者は、歌舞伎座改築に関わりました。まだ見ていませんが、ぜひ見てみたいものです。
 著者は大手の設計会社、そしてゼネコンにそれぞれ3年ずつサラリーマンとして働いています。そのあと、アメリカに渡って勉強しました。
ディベート教育で建築を教えている限り、アメリカに将来はないと直観した。
 著者が世界を飛びまわっているのは、現場を見てみたいから。ナマのもの、ナマの人、ナマの場所に出会いたい。旅行しないと絶対にナマの声には出会えない。
 2泊3日でフランスに行って、日本にいったん戻った翌日にまたフランス入り。翌日からイタリア、そしてクロアチアでそれぞれ2泊して帰国。その次の週はチリ、アメリカ、カナダのあと、アルバニアとマケドニアに1泊ずつで移動して、早朝に関空着で帰国。昼は奈良の現場を見て、大阪で打合せをして、夜は京都で講演会、最終の新幹線で東京に帰り、翌早朝に中国へ出発。なんという超過密スケジュールでしょうか。人間わざとは思えません。
 著者はパソコンをもたない。パソコンをもたないからこそ、自分を保てている。出先にもっていくのは、お財布とiPodとガラケー(スマホではない)。
 スタッフは、報告しない人はダメだが、報告が長すぎる人もダメ。
圧倒されてしまいます。私より6歳も年下ですが、その行動力に息を呑みました。
(2013年5月刊。1400円+税)

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2013年6月29日

日本の絶滅古生物図鑑

生き物

著者  宇都宮聡・川崎梧司 、 出版  築地書館

いやあ、古代日本にもこんなに奇妙な古生物がいたのですね・・・。そして、化石として日本各地に残っていたなんてちっとも知りませんでした。
いえ、日本に恐竜の化石があることくらいは私も知っています。まだ見ていませんが、熊本県の天草に恐竜化石があるようですし、福井県は恐竜化石の宝庫だというのは聞いています。
北海道にも恐竜がいたのでした。体長10メートルに達するモレノサウルスです。
 クビナガリュウの仲間です。10メートルの復元骨格は圧巻ですね。
 日本にはワニだっていたのですね。しかも、なんと大阪府豊中市にいたとは・・・。
大阪が世界に誇る化石、それがマチカネワニだ。体長7メートル、体重1.3トンという巨大なワニです。頭部だけで、1メートルという大きさです。大阪大学のキャンパス工事現場で保有状態のよいワニの頭部が発見されたのでした。
 岐阜県には、ゾウの化石が見つかっています。日本にも野生のゾウが生息していたわけです。ナウマンゾウになると、日本各地で化石が見つかっています。マンモスは、さすがに北海道だけのようです。マンモスの臼歯化石が発見されています。
オールカラーの見ているだけで楽しい図鑑です。日本だって、古代世界の一部なんだと実感できます。眺めていると気分転換になる図鑑として、一見をおすすめします。
(2013年2月刊。2200円+税)

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2013年6月28日

大隕石・衝突の現実

宇宙

著者  日本スペースガード協会 、 出版  ニュートンプレス

隕石が日本の原子力発電所に落ちたらどうなるのか・・・。
 これは、政府も原発関係者も、想定してはならないとする設問です。その正解は、日本列島の大半が汚染されて、人々は住み続けられずに列島外へ脱出するしかないということです。かつてのユダヤ民族のディアスポラ(民族離散・脱出)が始まるのです。
 原子力発電所にあった核燃料がむき出しになってしまえば、もう誰も近づけません。手のうちようがないのです。それを承知のうえで、いま、日本政府と原発企業は海外へ原発を輸出しようとしています。当面は輸出代金が入ってきて日本経済にいくらかプラスになるのかもしれません。でも、いったん不具合が発生し、事故になったとき、日本政府が不具合の責任を追及される可能性があります。その額が天文学的な巨額になったとき、私企業では負担しきれず、政府が負担することになります。もちろん、それは日本国民の納めた税金です。当面の「利益」に目がくらんで輸出した人は既にこの世を去り、責任をとりません。後世の人々が責任をとらされるのです。こんなひどい事態をつくり出す企業を「死の商人」と呼ばずに、何と呼びましょうか・・・。
 この本を読むと、隕石というのは、宇宙から地球へ頻繁に落下していることがよくわかります。ロシアや南極大陸だけに落下しているというのでは決してありません。怖い現実です。
地球にニアミスする小惑星は毎年、数個ある。
 1908年6月30日、ロシアでツングースカ爆発が起きた。地上から6キロメートル上空での爆発だった。このツングースカ爆発は、2000平方キロメートル以上もの地域に拡がる森林を荒廃させ、爆心地から20キロメートル以内は高熱によって炎に包まれた。爆発規模は、広島型原爆の1000倍の破壊力をもつ、20メガトンだった。
 地球は何もない空間を孤独に運動しているわけではない。むしろ、数多くの天体軌道の間をすり抜けるようにして運動していると言ったほうがよい。したがって、他の天体との衝突という問題は、避けては通れないものなのである。
 小惑星は確定番号がついたものだけでも30万個以上ある。その数は60万個以上におよぶ。今までに発見された彗星は3000個あまり。このうち長周期彗星は2800個、短周期彗星は280個である。
恐竜が絶滅したときの小惑星の衝突(メキシコのユカタン半島)は直系10キロメートル程度の小惑星だった。その衝突エネルギーは1.2億メガトンだった。津波は高さは数千メートルと推定されている。
 直系100メートルの小惑星が衝突しても、関東平野程度の範囲は壊滅する。
 このサイズの小惑星が地球へ衝突する確立は数百年に1回である。
 隕石が地球にぶつかるのは避けられないし、その被害たるや甚大なものがあります。その被害を加速させる原発なんて、地球上に置いてはいけないのです。
(2013年4月刊。1400円+税)

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2013年6月27日

日本の東南アジア外交

アジア(フィリピン)

著者  桂 誠 、 出版  かまくら春秋社

40年ぶりに大学のクラス同窓会に出席したところ、外務省に入って大使になった人がいることを知りました。その彼が退官して本を書いたとメールで知らせてきたので、早速、読んでみました。
 クラスの同窓会と言えば、かの有名な舛添要一議員もその一人ですが、彼は同窓会には参加していませんでした。
 著者はフィリピン大使をつとめました。日本は戦前フィリピンに侵攻し、支配していました。慰安婦問題をふくめてフィリピンの人々には大変な迷惑をかけています。
著者はフィリピン大使として、次のように挨拶した。
 「自分は戦後生まれであるが、第二次大戦中に旧日本軍が与えた損害に対して衷心から申し訳ないと考えている。これを毎年2回の公式行事のなかで表明している」
 そうなんです。加害者は忘れても、被害者はずっとずっと覚えているものなんです。戦前の日本人が何をしたのか、そのことにきちんと向きあってこそ、日本の未来は開かれるのです。これは決して「自虐史観」というようなものではありません。
 ですから、著者は村山総理の謝罪談話を必要なものとして評価しています。まったくそのとおりです。安倍首相の見直し発言は明らかに外交上マイナスです。
対フィリピン援助国のなかで、日本は圧倒的なシェアを占めている。ODAについてもそうです。
 私は、20年以上も前に、レイテ島に行って日本のODAの現状を視察したことがあります。山奥にたどりついた地熱発電所は三菱重工業のつくったもので、日本人も駐留していました。ところが、周辺の住民はその発電所の生み出す電気の恩恵を受けていなかったのでした。何のためのODAなのか、疑問も感じながら帰ってきました。
 2010年、日本はフィリピンの輸出先としてアメリカを抜いて一位となった。
フィリピンの財界は華僑系が多いことを再認識しました。
 現在のフィリピンの著名な富豪20家族のほとんどは華僑である。アキノ大統領はコファンコ家であり、曾祖父が福建省から移民してきた。華僑系でない富豪は、アヤラ家、ロペス家、アボイティス家くらいだ。
 そして、「フィリピン商工会議所」の幹部は、ほとんど華僑である。しかし、華僑系の人が財界に進出する例は多くはない。
 フィリピンは総人口の1割に相当する900万人以上が海外への出稼ぎ労働者として出している。これらの者の安全を図ることがフィリピン外交の柱の一つとなっている。
 このほか、ラオスやミャンマーについても触れられています。外交官としての実感から、平和外交の大切さが語られている本だと思いました。中国との領土紛争にしても、外交交渉でゆっくり解決すべきものです。軍事力に頼る発想は下策というほかありません。
(2013年5月刊。1500円+税)

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2013年6月26日

白熱講義!日本国憲法改正

司法

著者  小林 節 、 出版  ベスト新書

著者はごりごりの改憲派で有名な憲法学者です。それでも、安倍首相の96条改正先行論は許せないと高らかにぶちあげます。私もその限りで、大賛成です。著者が改憲論をぶつところは、あまりに俗論すぎて不思議に思えてきますが、ここでは私と一致する点にしぼって紹介します。誰だって、みんなが一致するはずもありませんからね・・・。
ところで、著者は私と同じ団塊世代です。アメリカのハーバード大学で学び、慶応大学で憲法を教えています。改憲論と党是とする自民党の有力ブレーンの一人でしたが、最近はあまり座敷に呼ばれていないそうです。
著者は30年来の改憲論者であるが、現状のままで自民党に憲法改正させるわけにはいかない。なぜなら、権力者の都合のいいような改悪がなされる恐れがあるからだ。
 そもそも憲法は、主権者である国民大衆が権力を託した者たち(政治家とその他の公務員)を規制し、権力を正しく行使させ、その濫用を防ごうとする法である。
 権利者(国民)には、権利の代価として義務が伴っているのではない。
 「改憲のハードルが高い」は嘘。アメリカの改憲手続は日本以上に厳しいが、それでも、30回近くも憲法が改正されている。条件が厳しいから改正できないというのは間違い(詭弁)である。
立憲主義とは、国家の統治を憲法にもとづいておこなうという原理である。国家は個人の基本的権利を保障するための機関であり、国家権力は権利保障と権力分立とを定めた憲法に従って行使される。それにより、政府は憲法の制約下に置かれることになる。
 日本国憲法は敗戦後、アメリカに押しつけられたということを問題とする人に対して、著者は、押し付け憲法だっていいと開き直っています。
 そこには押しつけられるべき事情があった。そして、押しつけられたとはいえ、結果として民主主義が浸透し、急速な経済成長を遂げることができたという意味においては押しつけられて良かったと言える。押しつけ憲法の無効性を論じること自体むなしいこと。
楽して殿様になった世襲議員たちは、いつも自分たちが造っている法律の立法と同様に、本来は自分たちに向けられる最高法規の憲法で、「国を愛せ」と国民大衆に命じる構えになる。傲慢さの結果である。
立憲主義とは何なのか、なぜ安倍首相の改憲論が間違いなのか、改憲論の立場から、とてもわかりやすく解説している貴重な新書本です。
(2013年6月刊。800円+税)

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2013年6月25日

真珠湾からバグダッドへ

アメリカ

著者  ドナルド・ラムズ・フェルド 、 出版  幻冬舎

アメリカの国防長官を2度もつとめた著者の自伝です。世界に冠たる帝国主義の中枢にも想像した以上に激しい競争、権力闘争そして嫉妬心がうずまいていることが分かりました。
 アメリカだって、いつまでも世界の憲兵を気取っておられるはずもありません。とりわけ、最近では例の無人機攻撃は卑怯としか言いようがありません。パキスタンやアフガニスタンの人々の怒りはもっともだと思います。これではテロリストと同レベルで、暴力の連鎖を続けるだけなのではないでしょうか・・・。
 ニクソン大統領についてのコメント。もともと打ち解けない性格のニクソンは、常に人目にさらされる政治の世界で20年以上も生きてきた。本来なら、のんびりくつろぐはずのフロリダの太陽の下でも、ニクソンはどこか堅苦しく事務的な態度だった。
 ニクソンには、いわば側近グループが二つ以上あり、大統領はそのときの関心事や気分に応じて、それらの間を行ったり来たりした。目的が変われば、利用するグループも違った。ニクソンは、しばしば秘密裡にことを進めた。
 ウォーターゲット事件によってニクソンが辞任し、フォード大統領になって、著者は首席補佐官に就任しました。
 たいてい立ったまま仕事をするスタンドアップ・デスクに向かう。その方が1日12~15時間の執務に集中しやすいからだ。手元には常にボイス・レコーダを用意し、口述の内容を秘書に書きとらせ、しかるべき相手に届けさせる。
フォードは人間として善良だが、一国の大統領としての能力に欠けるという評判があった。そしてホワイトハウスの運営は混乱していた。
 著者はブッシュをCIA長官の候補者として「水準以下」と評価しました。
 アメリカがベトナム侵略戦争で惨めに敗北したとき(1975年4月29日)、著者は大統領首席補佐官でした。このとき、私は弁護士になって2年目でした。
ベトナム戦争の不幸な終焉を目撃した大勢の軍関係者やアメリカ市民は、二度と熾烈で忌まわしい反乱型の戦争に足を突っ込まないと誓った。そして、内向きになり、ソ連やその代理国が仕掛ける戦争を見て見ぬふりをしていた。ベトナム撤退は、米国の弱さの象徴となり、さらなる攻撃を招くことになる。
 権力を握る帝国主義者というのは、このように自らの誤りを認めず、反省というものをしないのですね・・・。
我々の敵にとって、ベトナム戦争後の米国は弱体化した国に見え、それが相手側の挑発的な行動を許してしまった。
 このようにアメリカは、もっと軍事的に強くなれというのが教訓だというわけです。恐ろしい軍拡路線です。
 1975年に著者は国防長官に就任する。このころ、アメリカでは核攻撃に備えて死の灰を逃れるシェルター付きの家が多く建てられた。学校では、子どもたちに核攻撃に備えたサバイバル訓練を教えた。今から考えると、本当にバカげたことですよね。核戦争が起きたら、人類は死滅する死滅するしかありません。シェルターなんて、何の役にも立つはずがないのです。
 ところが、戦争の脅威をあおりたてる死の商人と、それに結びついた政治屋がアメリカにも日本にも存在します。
鉄のトライアングルがある。連邦議会と国防総省の軍人・文民官僚そして軍需産業という三者が既得権益で結び付いている。戦争でもうける連中が、今も昔も、そしてアメリカにも日本にもいるわけです。怖い連中ですが、表面的には狼の顔つきをしているわけではないので、見抜きにくく、タチが悪いですね。
 著者はカーター大統領をまるでバカにしています。あまりに弱腰に見えたからです。そして、著者自身が大統領選に打って出ようとしたこともあったのでした。しかし、お金が集まらなかったようで、早々に撤退してしまいました。
 そして、さしもの著者にも家庭の問題が発生します。二人の子どもがドラッグに溺れてしまったのです。
ブッシュ大統領について、著者はとても同情的で、高く評価しています。信じられないほどの持ち上げようです。
 ブッシュは英語の使い方を間違えて自分を自分で笑いものにするが、これは自分に満足し、自信を持っているからだ。その冗談は緊張をやわらげるためで、効果を発揮した。ブッシュは、すぐれた洞察力をもっていて、人間をよく分かっている。うひゃあ、ここまで高く持ち上げていいものですかね・・・。
 コンドリーザ・ライスについては辛口です。会議がきちんと準備されていないことが多かった・・・。
 9.11のとき国防長官だった著者は、これまでのテロリズムへの対応は有効ではなかった。アメリカは遠慮がちで、ときには無力だった、と総括します。これは怖いですね。力ずくでテロリズムを抑えこむことができるものと本気で信じているのです。
アメリカは世界規模の軍事作戦をとって、テロリストを守勢に追い込まなければいけない。
軍事力に頼ることしか頭にない権力者ほど、こわいものはありません。アメリカにとっても世界にとっても不幸をもたらす人物です。
イラク侵略作戦について次のように著者は自慢しています。
 フセインの暴政を排除したことで、より安定した安全な世界が実現したのだ。
本当にそう言えるのでしょうか。軍事力に頼るだけしかない。著者の怖い体質は、必ずや反動(リアクション)を招き、果てしない暴力の連鎖を招くと思います。
 私は、福岡出身の中村哲医師のアフガニスタンにおける地道な努力こそ世界と日本を救うものだと確信しています。暴力と軍隊に頼らない道を実践している中村医師の行動を日本は国家的に今こそ顕賞し、後押しすべきではないでしょうか。
 850頁もの大作です。飛ばし読みして、なんとか読了しました。
(2013年3月刊。2600円+税)

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2013年6月24日

マタギとは山の恵みをいただく者なり

生き物

著者  田中 康弘 、 出版  枻出版社

東北地方には、今なおマタギが存在しているんですね。もちろん、昔ながらのマタギのままとはいかないようですが・・・。
 本書は食堂である。出てくるメニューは、実際にマタギたちが食べてきたものばかり。
 山の神から授かったマタギの食べものを、よくとれた写真でイメージをふくらませながら堪能することができます。
 でも、それにしても雪深い山中を2時間も3時間も、ひたすら歩きまわるなんて、私にはとても出来ません。せいぜい、こうやってマタギの写真を眺めて、その苦労を彼方のものとして少しばかりの実感をおすそ分けさせていただくだけです。それでも、腹ふくるる心地はしてきます。なにしろ、ナマの肉にあふれていますから・・・。
 マタギは、狩った熊をさばいて鍋料理で食べる。山菜を入れると鍋の味がひときわ引き立つ。
 昔は熊が捕れると、集落がわくわくした気分になった。子どもが小皿に熊の肉を入れて近所に配って歩いた。それくらい、昔は熊の肉は貴重品だった。熊の胆は今では薬品に指定されているそうです。
 金と同じ価値があるとされた熊の胆は、冬眠中にできる。冬眠しているときは何も食べない。だから、消化に必要な胆汁は使用されずに、たっぷりと貯めこまれる。これを加工して貴重品としての熊の胆ができあがる。
熊の肉はほとんど流通しない。並の肉でも、100グラム500円以上する。熊の肉は煮込み専門、味噌との相性がいい。ブナの実ばかりを食べた熊の肉がいちばん美味しい。
昔から熊はどこも捨てるところがないほど活用されてきた。肉は食用、熊の胆や血は薬になり、毛皮は敷物に利用されていた。ところが、今では、熊の皮は、山の中に捨てられるようになった。加工業者が減って、加工賃が値上がりしたのも理由の一つ。
 野ウサギを食べるときには、頭を半分に割って加える。そうすると、脳みそがウサギの味としてプラスされる。これって、本当に美味しいのでしょうか・・・。
このほか、山菜、バター餅、ヤマメやカジヤなどの川魚もあります。
 自然に恵まれた山深い森の自然の恵みを食する悦楽が写真で手にとるようにイメージできる楽しい本でした。
(2013年4月刊。1500円+税)
 日曜日にフランス語検定試験(1級)を受けました。この2週間ほど、必死にフランス語の書き取りをしていましたので、長文読解、書き取り、聞き取り試験はまあまあでした。分からない単語があっても、文脈から想像がつくほどにはなりました。でも、文法はまるで歯が立ちません。いつものように第1問から5問までは、ほとんど全滅でした。自己採点で68点(150点満点)。4割をこえたようです。当面の目標は5割をクリア―することです。(合格は6割)。
 やはり試験ですから、とても緊張します。昼食は結局、抜きました。お昼を食べる気分にならなかったのです。
 6月21日はフランスは全国で音楽祭をやったようです。ちょうどパリにいる娘が驚いて、ラインで知らせてくれました。街頭でもどこでも一日中、音楽をみんなで楽しむそうです。いい祭りですね。

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2013年6月23日

マリ近現代史

アフリカ

著者  内藤 陽介 、 出版  彩流社

マリ内戦にフランス軍が介入したとき、マリって、どこにあるの、どんな国なの・・・、と思いました。この本は、そんな疑問を絵葉書と切手をたっぷり載せて解明してくれます。
 フランスは17世紀、国王ルイ14世の時代にアフリカに進出し、西アフリカを拠点とした奴隷貿易を開始した。イギリスのリバプールやフランスのボルドーから積み出された銃器や繊維製品がアフリカにもたらされ、アフリカ諸国は奴隷と交換した。そして、ヨーロッパ商人は奴隷を西インド諸国やブラジルに売り渡し、タバコ、サトウ、綿花などをヨーロッパに持ち帰った。
 西アフリカは、今でも金や鉄鉱石などの鉱山資源が豊富にとれる。現在、マリはアフリカ大陸において、南アフリカ、ガーナに次ぐ第3位の金生産国となっている。金鉱山の総重量は4トンで、輸出先は、スイスとアラブ首長国連邦(ドバイ)が中心。そこには2万人の子どもが働いている。もちろん、学校へ通うこともない。
独立以降のマリの現代史は、旱魃や洪水、そして最近の北部紛争に至るまで、いずれも自分で解決できず、ひたすら政府と国民は諸外国の援助をあてにし続けた。
部族の対立、宗教の対立そして、汚職と権限濫用。アフリカ諸国の人々が平和に生きることは依然として難しいように思われます。でも、ここが安定しないことには地球上の戦争はきっとなくならないのだと思います。
 マリの過去および現在の状況をイメージをもって概観することのできる本でした。
(2013年3月刊。2500円+税)

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2013年6月22日

西郷隆盛と明治維新

日本史(明治)

著者  坂野 潤治 、 出版  講談社現代新書

西郷隆盛について、再認識すべきだと考えさせられる本でした。
 イギリスの外交官アーネスト・サトウは幕末の西郷隆盛について次のように回顧した。
 「西郷は、現在の大君(タイクーン)政府の代わりに国民議会を役立たすべきだと大いに論じた。これは私には狂気じみた考えのように思われた」
 ええーっ、西郷が国民議会を提唱していたなんて、聞いたことがありませんでした。
 西郷隆盛は、「攘夷」論にあまり関心をもたず、「国民議会」論者であった。
 西郷隆盛は「征韓論者」として有名だが、明治8年(1875年)の江華島事件については、「相手を弱国と侮って、長年の両国間の交流を無視した卑怯な挑発」だと非難した。
 ええっ、そうなんですか。ちょっと、これまでのイメージに合いませんよね。
西郷隆盛は薩摩藩によって2度も流刑(島流し)させられている。1度目は1859年、2度目は1862年。このころの西郷隆盛の主張は「合従連衡」。つまり、朝廷と幕府と有力諸大名とその有力家臣による挙国一致体制の樹立だった。その最大の障害となる開国と攘夷の対立を封印することが前提となっている。
 1869年(明治2年)から70年(明治2年)にかけて全国230の藩代表を集めて開かれた公議所、集議院の意向は、驚くほど保守的で身分制的なものだった。たとえば「四民平等」や「文明開化」のための施策はほとんど否決された。
 明治3年(1870年)12月末、天皇側は薩長士三藩に対して藩兵の一部を「官軍」として差し出すよう命じた。ところが、島津久光は激しく抵抗した。
 西郷隆盛は、廃藩置県を自らの一貫した「尊王倒幕」の実践の到達点として位置づけていた。
 明治4年(1871年)7月、西郷、木戸、板垣、大隈重信の4人が参議に任命され、政府の実権を握った。そして西郷隆盛は7000人の御親兵を握っており、参議筆頭として明治政府の最高権力者と言えた。ところが、西郷には統治経験が欠如していた。
 征韓論の急先鋒は、旧土佐藩兵を率いる板垣退助であった。
 西郷の腹心というべき黒田清隆や桐野利秋は「征韓論」に反対していた。西郷は「征韓」を唱えたのではなく、朝鮮への「使節派遣」を求めたにすぎず、自分が全権使節として訪韓して「暴殺」されたら「征韓」の口実ができると西郷が主張したのは、本当の「征韓」論者だった土佐出身の参議、板垣退助を説得するためだった。
 西郷隆盛は「征韓論者」ではなかったという本です。本当に、そうなんでしょうか・・・。
(2013年4月刊。740円+税)

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2013年6月21日

卒業式の歴史学

社会

著者  有本 真紀 、 出版  講談社選書メチエ

卒業式のとき、起立して君が代を斉唱させることを義務づけ、教師や生徒が本当に歌っているか口元チェックするなんて、まるでバカバカしいマンガですよね。それを言い出した石原慎太郎や橋下徹って、まるで軍人養成所の教官でしかありません。そんなことをしていたら、日本はお先まっ暗だと思います。ここは、みんな違って、みんないい、という金子みすず方式いくべきではないでしょうか。教育に一律全員強制はなじみません。
 この本は、日本の卒業式が、かつては地域の人々の集まるお祭でもあったこと、伸び伸びと生徒本位でやられていたことを明らかにしています。
 学校は、原則として泣くことを禁じられた空間である。そして、学校の中で泣くことが望ましいとされる場面、みんなで泣く場面を代表するのは卒業式をおいて他にない。
 義務教育段階の卒業式にあたって特別なセレモニーのない国は多い。日本の卒業式には特有の学校文化がある。
 日本では、卒業式は社会的な期待にそって心をこめるべき事態であるという規範と、その規範に従う方法が、あらかじめ繰り返し教えられる。式の参加者が感動を共有することを目ざして児童への働きかけが行われ、式当日には演出と練習の結果が観客の前で演じられる。
 天皇の存在は、明治10年代前半と明治20年代以降では同一ではない。憲法、教育勅語などによって他の権威の追随を許さない絶対的イメージを付与され、神格化される前は、天皇は巡奉し、写真や肖像だけでなく、実際の姿をみせることによって、自ら権威を獲得していく途上にあった。明治初年まで、国民にとって天皇は見えない存在であった。だから、臣下を可視するだけでなく、天皇も一度は見える存在になる必要があった。
 明治14年の東京大学の卒業式は夜7時からだった。まばゆいばかりの光のなかで行われた。卒業式は、大学という場所を学外者に示す機会でもあった。
 現代のように、新入生がそろって式に臨む形の入学式が行われるようになったのは、明治30年前後のことだった。それまでは個人的な儀礼でしかなかった。学年をいくつかの期に区分して始業式、終業式としたのは明治30年代半ば以降だった。卒業式は卒業証書授与式というように、もともとは、卒業証書授与のためにはじまった行事である。
 公立小学校の卒業式として記録されている初めは、明治13年(1880年)7月20日の東京(京橋区、下谷区)の小学校の卒業式である。式手順まで記録されているのは明治19年(1886年)12月の開智学校の卒業式である。明治10年代来から20年にかけての卒業証書授与式は、運動会と並んで、地域の参観者を集める二大学校行事であった。
 さまざまな教育内容の公開を含んだ卒業式は、住民にとって、学校にとっても重要なイベントだった。娯楽と啓蒙の要素を備えた盛大な卒業式は、人々が心待ちにするような行事であった。
明治25年(1892年)から小学校は、全国的に4月1日始まりと統一された。
 明治20年代前半には、どの小学校でも卒業式は自校での単独開催となっていた。卒業式には教育幻灯会がつきものだった。
 明治20年代半ばをすぎると、卒業式の多様性は急速に失われ、娯楽と啓蒙の要素は排除された。そして、式は短くなった。明治30年代前後には全国的に式次第が定型化した。
 明治末(1910年ころ)には、生徒が主体とした卒業式もあった。生徒を式場の真中に並べた。
生徒を主体とする卒業式が当然だと思いますし、実際にも、ずっとやられてきました。ところが、最近では卒業生は単なる客体でしかない儀式に化しています。こんなのおかしいと私は思います。もっと自由にのびのびやりましょうよ。自由なパーティー形式でいいではありませんか。お祝いなんですから・・・。
(2013年3月刊。1600円+税)

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2013年6月20日

アメリカ・ロースクールの凋落

アメリカ

著者  ブライアン・タマナハ 、 出版  花伝社

日本がモデルとしたアメリカのロースクールの現状を紹介した本です。アメリカのロースクール生の借金漬けの現実には驚かされますが、日本でも既に似たような状況が生まれています。決して他人事(ひとごと)ではありません。それでは、ロースクールにはまったく良いところはないのか、その点は体験していない者として、まだよく分からないところがあります。司法試験の合格者を私たちのときのような500人から3倍の1500人に増やした点は良かったと思います。ただし、給費制をなくしたのは間違いですし、司法研修所での2年間の修習をなくしたのも誤りだったと言えるでしょう。それに代わるものとしてのロースクールは全否定すべきものなのでしょうか・・・。
 アメリカのロースクールの年間授業料は5万ドルをこえている。これに生活費を加えると、ロースクールで学位を取るのにコストが20万ドルを要する。9%近くのロースクール生が借金する平均額は10万ドルに達する。そして、2010年のロースクール卒業生の初任給の中央値は6万3000ドルだ。これでは借金返済は大変になる。その結果、アメリカのロースクールは、もはや凋落社会になりつつある。
ロースクール教授の引き抜きでしのぎを削っていて、20万ドルというのも珍しくない。
 ロースクールの志願者は1991年に10万人というのがピークで1998年には7万人にまで落ち込んだ。2004年には10万人に戻った。
 ロースクール生は、社会経済的に裕福な層に過度に集中しており、エリート校で顕著である。上位10校は社会経済上の上位10%の家庭出身の学生の集中度がもっとも高く(57%)、上位100校では、それがもっとも低かったロースクール生は、金持ちと上位の中産階級の白人の子どもたちで占められていくだろう。
10万ドルの借金をかかえたロースクール生にとって、それは企業法務に就職せよと言う強い経済的圧力となる。アメリカでは、学生がロースクールに背を向けはじめている。志願者数は、長期低落傾向にある。
皮肉なことに、アメリカには中・下層階級の大衆が法律上の援助を受けられないでいるが、そのときロースクール卒業生の過剰供給がある。
 法律問題をかかえた低所得者の5人に1人が弁護士の支援を受けられない。ニュー・ハンプシャーでは、地裁事件の85%、高裁事件の48%が本人訴訟であり、DV事件の97%が一方当事者は弁護士なしである。
 カリフォルニア州の明渡事件の9%が弁護士なし。マサチューセッツでは10万件の民事事件が本人訴訟であり、ワシントンDCでは認知事件被告の98%、住宅関係訴訟の被告の97%に弁護士がついていない。
 このように、法律家の援助を受けられない相当数の法律需要と、仕事を見つけることのできない法律家とがアメリカには同居している。これは悲劇としか言いようがありません。
 全国の多くのロースクールの教授たちは、身近な人には勧めない学位を自分たちの学生に売りつけている。
 この日本で、40年ほど弁護士をしてきて、依然として弁護士はもっともっと求められていると実感しています。ただし、自律して生きていけるためには人間力、つまりコミュニケーション能力をみがく必要があります。それがなくてもやっていけると誤解(錯覚)している人が少なくないのも現実です。その点の見きわめをつけたら、やっぱり弁護士はもっともっと必要だと思うのです。その意味で「一発勝負の方がよほど望ましい」という訳者の意見に私は同調できません。
 さらに、「市民の弁護士へのアクセス障害は存在しないが、極めて小さいものだった」と書いてあるのには目を疑いました。日本のどこを見て、そんなことが言えるのでしょうか、信じられません。
 それはともかく、アメリカのロースクールの現実を知る本として、一読をおすすめします。
(2013年4月刊。2200円+税)

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2013年6月19日

『霧社事件』

中国

著者  中川 浩一・和歌森 民男 、 出版  三省堂

32年前に読んだ本です。映画をみましたので、書棚の奥に潜んでいたのを掘り出しました。霧社事件の原因と展開について写真つきで詳しく紹介されています。
 この霧社事件は、清朝による「蕃族」封じこめを継承したのに加えて、分割統治を基幹とする「以毒制毒」政策を工作し、そのうえ搾取をあえてした日本植民地主義にたいして、民族の誇りを守り、生存権をかけて起ちあがったのが霧社事件の本質であった。
 映画をみた人は、ぜひ、この本も読んでほしいと思います。
 休日に天神で台湾映画『セデック・バレ』をみました。人間の気高さを実感させる感動長編映画です。1930年(昭和5年)10月に日本統治下の台湾で起きた事件が描かれています。山間部の学校で運動会が開かれているところを現地セデック族が襲撃し、日本人200人あまりが女性や子どもをふくめて全員が殺害されました。その場にいた現地の人や中国人は助かっています。あくまで日本人が狙われたのです。それほど日本人は憎まれていたわけでした。
その事件に至るまで、統治者の日本人が誇り高き狩猟民族であるセデック族を野蛮人として弾圧していたうらみが一度に噴き出したのです。
 もちろん、日本当局は反撃に出ます。奥深い山中で300人のセデック族の戦士に3000人の日本軍・警部隊は近代兵器をもちながらも翻弄され、深手を負っていきます。しかし、結局は、飛行機、大砲、毒ガスによる日本警察の包囲攻撃にセデック族の戦士たちは次々に戦死し、自決していくのでした。「セデック・バレ」とは、「真の人」を意味するセデック語です。死を覚悟しながら、信じる者のために戦った者たちの尊厳が示されています。
映画は圧倒的な迫力があり、2時間あまり息をひそめ、画面にひきこまれました。実は、上映時間があわず、2部構成の後半だけみたのです。
いま、KBCシネマで上映中です。日本が戦前、何をしていたのか知ることのできる貴重な映画でもあります。加害者は忘れても、被害者は忘れないことを証明する映画でもあります。台湾で多くの賞をとったのも当然の傑作です。ベネチア国際映画祭でもワールドプレミア賞をとっています。
(1980年12月刊。2500円+税)

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2013年6月18日

核時計・零時1分前

アメリカ

著者  マイケル・ドブズ 、 出版  NHK出版

背筋の凍る怖いドキュメントです。核戦争が勃発する寸前だったのですね、キューバ危機って・・・。
 ときは1962年10月。アメリカはケネディ大統領、ソ連はフルシチョク首相です。どちらもトップは核戦争回避の道を真剣に探ります。しかし、部下たち、とりわけ軍人たちは「敵は叩け」と声高に言いつのります。日本を空襲して焼野原にし、ベトナム戦争でも空爆によってベトナムを石器時代に戻すと叫んでいたカーチス・ルメイ大将(空軍参謀総長)がタカ派の先頭にいます。あんな、ちっぽけ島(キューバ)なんか「島ごとフライにしろ」、つまり燃やし尽くしてしまえばいいという怖い考えにこり固まっています。このルメイ将軍は日本列島を焼け野原にした張本人ですが、戦後、日本政府は勲章を授与しています。日本の支配層の卑屈さには呆れます。
 部下たちの暴走は、いったい止められるのか。既成事実が次々に危ない展開を見せていき、トップ集団は方針をまとめることができません。怖いですね・・・。なにしろ、キューバに持ち込まれていたソ連の核弾頭は半端な数ではありません。そして、アメリカだって核爆弾を飛行機に積み、船に積み、ミサイルに装着していたのです。よくぞ、こんな動きが寸前に回避できたものです。
 ケネディ大統領にとって戦争とは、軍部が常に何もかも台無しにする場であった。
 要するに、軍部を信用してはいけないということです。
 マクナマラ国防長官はキューバに配備されたソ連軍に配備されたソ連軍の兵力を6000~8000と見積もった。しかし、実際には4万人のソ連軍がキューバにいて、うち1万人は精鋭の将兵だった。
 キューバ駐留のソ連軍はアメリカ軍の侵攻には抵抗せよと命じられたが、核兵器の使用は禁じられた。フルシチョフは、核弾頭の使用についての決定権は誰にも渡さないと決めていた。キューバに運び込まれたソ連の核兵器(核弾頭)は90発だった。
ソ連からの「要注意船」は10月24日の前日に既に引き返しはじめていた。その点、『13日間』は事実に反したことを書いている。
 アメリカの戦略空軍総司令官のパワー大将は既に空中にあり、15分以内に使用可能な核兵器を2962基も指揮下においていた。爆撃機1479機、空中給油機1003機、弾道ミサイル182機が「即応兵力」を形成していた。そして、その優先攻撃目標として、ソ連国内の220地点が選ばれていた。パワー大将は、ソ連との戦いが終わったとき、アメリカ人2人とロシア人1人が生き残っていれば、我々の勝ちだと考えていた。
 うひゃあ、これはなんとも恐ろしいことです・・・。
 キューバにいるソ連軍は、ワシントンだけでなく、ニューヨークも核弾頭の標的として想定していた。ソ連はキューバにFKR聯隊を2個配備した。いずれの聯隊も、核弾頭を40発と、巡航ミサイル発射機を8基そなえていた。キューバにあるアメリカ軍のグアンタナモ海軍基地にも核ミサイルをうち込む計画だった。
ケネディが学んだ教訓は、政治家たるもの、わが子を戦争に送り出すときは、よくよく考えた末にしたほうがよいということだ。
 10月27日(土)、事態はケネディそしてフルシチョフにも制御できないスピードで進行していた。キューバ上空では、アメリカの偵察機が撃墜された。ソ連領空には、別の一機が迷い込んだ。
 ケネディは、自分のアメリカの軍隊さえ完全に掌握できていなかった。フルシチョフにとって、ソ連が最初に核兵器を使う案は、どんなに脅されようと、怒鳴られようと、絶対に受け入れられない。カストロと違って、フルシチョフはソ連がアメリカに核戦争で勝てるなど思ってもいなかった。
 この当時、核戦争が勃発してもアメリカ政府が確実に生きのびられるように秘密計画が作成され、そのための精鋭ヘリコプター部隊が待機していた。大統領は、閣僚、最高裁判事、そして数千人の高官とともにワシントンから80キロ離れたウェザー山に避難する。そこには、緊急放送網、放射能除汚室、病院、緊急発電所、火葬場などが完備されていた。腰痛に悩むケネディ大統領のための15メートルプールもあった。ところが、そのとき家族を連れて行くことは許されていなかったのです。夫が妻子を残して、自分だけ助かるというのです。みんな、そうするでしょうか・・・。
 地位の高い者ほど、今の聞きが平和的に解決されることについて悲観的だった。軍人に任せると戦争が現実化してしまうことがよく分かります。口先だけで勇ましいことを言う石原慎太郎のような人物ですね。自分と家族は後方の安全なところにひっこんでいて、兵隊には「突撃!」と叫ぶような連中です。
「キューバ危機」って、本当に笑えない綱渡りの連続だったことがよく分かる本です。その圧倒的迫力は『13日間』をしのぎます。
(2010年1月刊。3100円+税)

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