弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2013年6月 9日

日本弁護士史の基本的諸問題

司法

著者  古賀 正義 、 出版  日本評論社

あまりにも大層なタイトルなので、手にとって読もうという気が弱まりますよね。弁護士会の歴史に関心をもつ身として、いわば義務感から読みはじめたのでした。ところが、案外、面白い内容なのです。
最近の流行は、アメリカの弁護士とくに大ローファームの弁護士の神話化である。結論を先に言えば、イギリスのバリスターもアメリカの弁護士も、日本の現在の弁護士と知的能力・倫理水準等の個人的次元で比較したとき、格別に秀れた存在であるとは思わない。ここで「最近の」というのは、今から40年以上も前のことです。念のために・・・。
 江戸時代の公事師について、この本は、全否定する議論に疑問を投げかけています。私も、その疑問は正当だと思います。
公事宿の本場は、丸の内に近い神田日本橋区内であって、こちらは公事宿専業だった。馬鳴町の公事宿は一般旅人宿との兼業であり、丸の内近くの公事宿の主人・手代のほうが訴訟手続に習熟していた。
そして、明治期の弁護士を語るうえで、自由民権運動の重要性を欠かすわけにはいかないと強調しています。
 代言人時代は、弁護士史の暗黒時代であるどころか、黄金時代、少なくとも黄金時代を準備する時期だった。というのも、創設以来20年のうちにすぐれた人材が代言人階層に流入したのは自由民権運動にある。
自由民権運動と代言人との結びつきは、もっと注目されてよいものだと私も思いました。
 天皇制絶対主義のもとで、弁護士は法廷における言論の自由をもたなかった。裁判官に対して尊敬を欠く言行は、それが裁判官であるがゆえに、理由の有無を問わず、尊敬に値するか否かを問わず処罰された。
 大企業は弁護士全体からすると依頼者層として無縁な存在だった。そして、弁護士は大企業からみて、重要な存在ではなかった。弁護士は、日本資本主義の陽の当たらない停滞的な部分を依頼者層とする、日本資本主義からみて重要でない存在だった。
 個人の人権は、戦前の権力から見れば無価値であり、弾圧すべきものだった。弁護士は、国家的に無価値なもののために働く、無用かつ危険な存在だった。太平洋戦争中、憲兵が弁護士に対して「正業につけ」と叱った言葉は、戦前の国家権力の弁護士観を集約的に表現したものである。
弁護士自治の大切さも分からせてくれる本でもありました。
(2013年3月刊。800円+税)

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