弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

イラン

2020年7月21日

イラン現代史


(霧山昴)
著者 吉村 慎太郎 、 出版 有志舎

コロナ禍のおかげですっかりヒマとなり、読書と整理・整頓そしてモノカキがすすみます。
イランという国は、私にとってとてもイメージのつかみにくい国ですので、その現代史を語った本を読んでみようと思いました。といっても、奈良の正倉院には今から1200年以上も前の奈良時代にシルクロードを通じてペルシア(ササン朝)の産物が御物として奉納されています。溙胡瓶、白瑠璃碗、金銅八曲長杯、狩猟紋や花喰鳥の紋様などです。
イラン現代史とは、一言でいうと「従属と抵抗」に彩られた歴史だということ、だそうです。
著者の「あとがき」によれば、イランは、「何がおきても不思議ではない国」と言われてきたが、今は、アメリカも同じだとのこと。残念ながら、まったく同感です。
大国政治にふりまわされる国際社会の脆弱(ぜいじゃく)性と法治主義の形骸(けいがい)化の現実は容易に変わりそうにない。これまた著者に同感と言うしかありません。
そして、著者は現在のイランについて、こう結論づけています。現在の「イスラーム法学者の統治」体制を熱烈に支持する人々、それに激しい反感を抱く人々、今ある体制に関心がなく、日々の生活に汲々とする人々、欧米の価値観に憧れ、移住さえ夢見る人々など、多様多様な人々がイランにはいる。それに応じて、対政府観や対欧米観も一様ではなく、またそれは時代の移り変わりとともに微妙に、ときにドラスティックに変化を遂げる。
なーるほど、ですね...。
私はイラン・イラク戦争(1980年~1988年)って、いったい何だったのか、関心がありました。人口規模でイラン(3700万人)の半分以下(1700万人)であり、国土面積でも4分の1位のイラクが戦争にふみ切ったのは、サダム・フセイン政権の「生き残り」をかけた「防衛的革命干渉戦争」という性格があった。サダム・フセイン政権は開戦によってホメイニ新体制の崩壊をもくろんだが、それはまったくの誤算だった。
イランは、シャーの残した正規軍(兵力35万)より兵力30万に達した革命防衛隊、その傘下で100万人まで動員可能だった義勇兵を主力として、イランは「人海戦術」を多用した。
イランもイラクも兵器製造脳力は皆無に等しく、両国は、諸外国からの兵器輸入に依存した。ソ連はイラクに兵器を大量に売却したが、中国はイラン・イラクの双方に売却した。ヨーロッパ各国はイラクにやや多いくらいで、ほぼ同等に売却した。アメリカは表向きはどちらにも売却していないが、イスラエルなど秘密ルートがあったようだ。
要するに、国連安保常任理事国は、イラン・イラク双方に停戦を呼びかけていたものの、実は、戦争の継続によって利益をあげていた事実を忘れてはいけない。
アメリカのトランプ大統領は、イラン政権を「ならず者政権」、「独裁政権」、「新テロ国家」と呼び捨て、対イラン経済・金融制裁を再開しましたが、私はこれは間違っていると思います。
おかげさまでイランについて、少しだけ知ることはできました。ありがとうございます。
(2020年4月刊。2400円+税)

2019年6月 8日

言葉の国、イランと私

(霧山昴)
著者 岡田 恵美子 、 出版  平凡社

イランという国は、私にとってまったくなじみのない国です。この本を読んで、少しだけ国と人々のイメージをつかむことができました。
著者は1932年生まれですから、今や86歳。26歳のときにイランの言葉に魅かれて当時の国王に手紙を出したところ、その目にとまって国費留学生としてイランに渡って勉強しました。実に勇敢な女性です。
イランとは、アーリアを意味する。ペルシアは、かつて力を持った一地方の名。
イランの中東一の核開発力をもつ国。イランは原油・天然ガスの産出は世界第2位。国土は日本のほぼ4倍。海に面した部分もあり、北部では農産物を豊富に産出している。
イラン人の誇る美徳は、寛容・勇気そして雄弁。古くからさまざま人々と交流してきたイランでは、弁舌は大切な能力なのだ。
イラン人の泣きところは、我慢強くないこと。
ペルシア語でも、書き言葉と話し言葉では、文章の語尾や単語の発音が微妙に違う。
イランで女性に選挙権が認められたのは、1963年のこと。
イランでは、「おまえのおやじは火葬された、というのは最大級に罵倒する言葉。
死者は一般に土葬にする。なぜなら、人は死後、土中に横たわり、最後の審判を受けるときに起き上がって真の審判を受ける。火葬にされたら、審判を受けるとき、魂が入る身体がないことになるから。
食事に招待するのは、普通、昼食。夜の食事は、ごく軽い。
イラン人は暗記の得意な国民である。
イランでは離婚が多く、「バツイチ」などという言葉はない。
イラン人はプライドの高い国民である。自分の置かれた地位にプライドを持っている。性別や年齢、職業、学歴などによるコンプレックスを持たない。
イラン人にとって、自然とは戦う相手。だから人工こそ安心できる空間。シンメトリーな構図の庭でこそイラン人は安心して憩える。
イラン人は教訓、箴言(しんげん)の好きな国民だ。
心は憎しみを生まない。憎しみを生むのはいつも言葉だ。知は力なり。知によって老いの心も若返る。
心から心へは道がある。
イラン人のイメージがつかめた気にさせる本でした。
(2019年3月刊。2500円+税)

2018年3月25日

アレクサンドロス大王・東征路の謎を解く


(霧山昴)
著者 森谷 公俊 、 出版  河出書房新社

アレクサンダー大王(この本では、アレクサンドロス)は、紀元前331年12月下旬にペルシア帝国の都スーサを出発し、前330年1月末にペルセポリスに到着した。
ペルセポリスに到着するまでに、山岳部族のウクシオイ人と戦って制圧し、ペルシア門と呼ばれる隘路(あいろ)でペルシア軍のアリオバルザネスの軍隊を破り、ペルセポリスを占領した。
この本は、アレクサンドロスの部隊が実際にどのコースをたどって進軍していったのか、現地に行って確認したところに大変な意義があります。ある意味では、命がけの実地調査でした。その大変さが旅行記として語られていますので、よく分かります。
ワイン好きの著者が、アルコールだめの国で調査するのですから、辛いところです。
それにしても従来の通説が現地の状況・地勢と合致しないことを現場に立って明らかにするなんて、たいしたものです。執念の勝利でした。
アレクサンドロスの率いるマケドニア軍は、イッソスの合戦でダレイオスⅢ世のペルシア軍を大敗させ、ダレイオスの財宝3000タラントンを得たほか、戦後に取り残されたダレイオスの母・妻・三人の子どもたちを捕虜とした。この戦利品によってアレクサンドロスは財政難を脱することができた。
私は、この本を読んで、アレクサンドロスの軍隊にも大きな矛盾をかかえていたことを知りました。大王は偉大な独裁者ではあっても、部下の将兵の思惑を無視することは出来なかったのです。その部下の思惑とは・・・。
それは兵士の略奪欲。古代の戦争において、略奪は勝利者の権利であり、兵士にとっては致富の手段であった。略奪こそ、一般の兵士が戦争に参加する大きな動機だった。ところが、東方遠征において、ペルセポリス占領まで大王略奪を許してこなかった。遠征の大義名分が、「ペルシア支配からのギリシ都市の解放」である以上、ギリシア諸都市は略奪の対象にはなり得ない。
バビロンでの34日間の滞在中、マケドニア人将兵は歓喜にふけって遠征の疲れを癒した。それでも、兵士のあいだには、略奪への欲求がかつてなく高まっており、それは抑えがたいことろにまで膨らんでいた。
アレクサンドロスと部下の将兵たちとの間には、ときに緊張関係があった。略奪を抑えるという大王の政策が将兵の欲求不満を高め、彼らの欲望に突き動かされる形で大王は次の行軍に乗り出さざるをえない。
アレクサンドロスは、インダスリを渡って東へ進み、ヒュファレス(ペアス)川に達した。この先にはガンジス川と豊かな国土があることを知り、アレクサンドロスの心は、はやり立った。ところが部下の将兵たちは、これ以上の前進を拒否した。大王は怒ったが、帰国を決意せざるをえなかった。アレクサンドロスにとって初めての挫折だった。自己の名誉を回復するための一つの方策が、自分に逆らった兵士たちへの報復としての砂漠の横断だった。
なるほど、そういうこともあるのですね。独裁者であっても、いつでも何でも好き勝手できるものではないのですね・・・。
もう一つ、アレクサンドロスは必死になってダレイオスを生きたまま捕まえようとしました。なぜか・・・・。アレクサンドロスは、ダレイオスを従属させたうえで、ペルシアの王位を保証し、自分はその上に君臨してペルシアとアジア人を支配するつもりだった。つまり、アレクサンドロスは「諸王の王」になろうとしたのだ。そのためにはダレイオスの身柄しておく必要があった。
なるほど、なるほど、これもよく分かりました。
何年もかけての現地調査が成功して、その成果として居ながらにしてアレクサンドロス大王の進路をたどった思いに浸ることができました。ありがとうございました。引き続きのご活躍を期待します。
(2017年11月刊。3500円+税)

2017年1月20日

ゾロアスター教3500年の歴史

(霧山昴)
著者 メアリー・ボイス 、 出版  講談社学術文庫

ゾロアスター教というと、拝火教として、火を崇拝する宗教だと連想してしまいます。松本清張の本もありましたよね・・・。
ゾロアスター教は、イラン人であるゾロアスターが説いた宗教である。イラン人は、今でこそ、ほとんど全部がイスラム教徒だが、その前はゾロアスター教徒だった。
ゾロアスターは、善の原理の正しさとその究極的な勝利に深い確信をもったので、生命あるうちに善を選択してアフラの戦いに尽力した人間は、死後に裁判を受けて天国に行くことができるが、逆に邪悪に従った者には地獄の苦しみがあることを初めて説いた。信者たちの日々の悪との戦いを助けて善の勝利を招来すべく、未来には救世主が現われるという希望を与え信者たちの支えとした。
このようなゾロアスターの独創的な思想は、世界の宗教史上、画期的なものだった。世界の三大宗教たるキリスト教、イスラム教、仏教に大きな影響を与えた。
ゾロアスター教は、啓示によって開かれた世界宗教の最古のものである。
イラン人であるゾロアスターが生きていたのは紀元前1400年から1200年の間であった。
ゾロアスターによれば、人が死ぬと、その魂は、現世で善という大義を助けるために何をしたかについての審判を受ける。男も女も主人も召使いも楽土に行ける希望がある。このようにゾロアスターは教えた。橋を渡れるのは、それぞれの霊が生存中にもっていた権力や、豊富な供物をしたか否かではなく、倫理的な実績による。
ゾロアスターは、個々の審判、天国と地獄、肉体のよみがえり、最後の大審判、再結合された魂と肉体の永遠の生というのを、初めて説いた。
すべてのゾロアスター教徒は、男でも女でも紐を腰紐として身につけ、三度、腰のまわりをまわしたあと、前と後で結び目をつくる。入信式は15歳で行われ、その後は生きている限り毎日くり返して、信者は祈りのときに紐を解いて結び直さなければならない。一日に五度祈る義務は、すべてのゾロアスター教徒を拘束した。
人間は死んだ瞬間から死体は高い伝染性をもつかのように扱われ、職業的な葬儀人や死体運び人以外は近づけない。
葬儀は穢れた肉をすみやかに破壊すること、霊を自由にしてそれが天に昇るのを保障することを目的とする。
ゾロアスター教は、教義をもち、改宗をすすめた世界宗教の最古のものであるが、いろいろな力関係のもとで伝道活動が制限されたため、実質的にイランの民族宗教となってしまった。ただ、そのため、ヘレニズムの多神教とも平和的に共存することができた。
ゾロアスター教徒を苦しめる一つの方法は犬をいじめること。現在、ムスリムは犬を不潔な動物として敵意を示す。しかし、ゾロアスター教徒は、並々ならず犬を敬う。
1900年ころ、イランには1万人のゾロアスター教徒がヤズドとその周辺に住んでいた。
1976年には、総数12万9千人で、そのうち8万2千人がインドに、5千人がパキスタンに、そしてイランには2万5千人(テヘランに1万9千人)が住んでいた。
日本人にはあまりなじみのないゾロアスター教について、深く解説のなされている本だと思いました。
(2015年4月刊。1300円+税)

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