弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

日本史(戦前)・ドイツ

2019年8月13日

ボランティアとファシズム


(霧山昴)
著者 池田 浩士 、 出版  人文書院

ええっ、ボランティアとファシズムと何の関係があるんだよ・・・。本のタイトルを見て、センスを疑いました。ところが、この本を読んで、すっかり納得がいきました。400頁近い大作の前半は、戦前の東京帝大セツルメントについて詳細に紹介しています。私も戦後の学生セツルメントに関わっていましたし、川崎市古市場に住んで(レジデントと呼んでいました。要するに、下宿したのです)、セツラーとして若者サークルに関わって活動していました。つい先日、大学を卒業してもう50年も会っていない「カッチャン」から突然電話があり、びっくりしました。先輩セツラーに尋ねて私の連絡先を知ったのだそうです。若者サークルに参加していた青森出身のリンゴさんとは昨年も会って懇親を深めてきました。
日本でセツルメント活動が始まったのは1923年に発生した関東大震災のとき、東京帝大生たちが被災者救援のボランティア活動を始めたことがきっかけでした。法学部の末弘厳太郎教授や穂積重遠教授が学生たちの活動を励まし、支援しています。どちらも今でも高名な民法の大家です。
東大には既に「新人会」というマルクス主義の影響を受けた思想団体がありました。学生たちは、活動の主人公は自分たちではないという基本理念を共有していたので、被災者たちに自治組織をつくるよう働きかけた。当事者自身の自治と主体性を尊重したのだ。この根本理念は帝大セツルにも受け継がれた。
1923年12月14日、東京帝大に学生50人が集まって、第1回総会が開かれた。法律相談部や児童部、医療部など6部に分かれて活動を始めたのです。
帝大セツルは、慈善事業ではなく、また「救援」を名とする特定の定数や主義思想の「伝道」でもない。学生の自発的な活動は、他者に何か恵みを与えることではなく、自分自身に課題を与えることだった。
帝大セツルの初代の代表者は末弘厳太郎、後任の代表者は穂積重遠だった。
帝大セツルの卒業生を紹介します。武田麟太郎、福本和夫(共産党の福本イズムの提唱者)、林房雄(転向作家)、志賀義雄、村田為五郎(NHK解説委員)、森恭三(朝日新聞論説主幹)、扇谷正造(評論家)、正木千冬(鎌倉市長)、服部之総(日本史)、清水幾太郎(転向学者)、戒能通孝(民法)、山花秀雄と足鹿覚(いずれもセツルの労働学校の卒業生)。
帝大セツルは昭和13年(1938年)1月末に名称を変更して解散し、14年間におよぶ活動に終止符を打った。ただし、セツルメント解散は、ボランティア運動の歴史の終わりではなかった。戦時体制の下、これまでとは異質な段階へ移行した。それが満蒙開拓団だった。官製ボランティア活動が始まり、あとで悲劇的結末を迎えた。
官製ボランティアという共通点で、ヒトラー・ナチスのボランティア活動が紹介されます。
自発性と主体性を組織化し、任意制度から義務制度へと変える道をすばやく歩んだのが、ヒトラー・ドイツだった。
ドイツの企業にとって、自発的労働奉仕の失業者を受けいれたら、人件費を格段に安くおさえられて好都合だった。安価な労働力は、国家の財政負担を軽減させ、とりわけ企業に莫大な利益をもたらした。
ナチ党は、政権発足時に、10数万人のボランティア青年たちを獲得した。
ヒトラーは、本当に失業をなくした。現役兵以外の兵役適齢者が相次いで召集される状況下で、ドイツの労働力は底をつき、マイナスに転じた。そこを労働奉仕制度が埋めた。今や失業対策事業ではなく、その反対に不足している労働力を補うための手段となった。
ボランティアの2面性というものをしっかり認識することができました。
戦前の帝大セツルについては、加賀乙彦の大河小説『雲の都』の第1部『広場』に生き生きと描かれています。そして、戦後の川崎・古市場の学生セツルの活動については東大闘争と同時並行的に描いた『清冽の炎』(花伝社)第1~5巻が詳しいので、あわせて紹介します。
(2019年5月刊。4500円+税)

盆休みに天神の映画館でイギリス映画『ピータールー』をみました。マンチェスターの悲劇というサブタイトルがついています。イギリスのウェリントン将軍がウォータールーでナポレオン軍に完勝した直後のイギリスで起きた事件です。
当時のイギリスの国王はジョージ四世で、フランス革命から20年しかたっていないので、フランス革命のような事態がイギリスで起きることを恐れていました。
マンチェスターの紡績工場で働く労働者は食うや食わず、仕事や見つからない状況にありました。そして、議会は地主と企業家たちが独占しています。1人1票、毎年改選をスローガンとしてかかげてマンチェスターの市民6万人がピーターズ広場に集まり、平和な集会を進行させていたのです。そこへ支配層の意向を受けた「義勇軍」と国王の正規軍が襲いかかりました。公式発表で死者18人、負傷者650人以上といわれる大惨事となりました。
この事件が直接のきっかけとなったのではありませんが、選挙法が改正され、庶民の生活も少しは改善されたようです。
私のまったく知らなかったイギリスでの出来事でした。よくぞ映画にしたものです。日本でも、このように大泉が広く深く盛りあがりつつあることを実感しています。
そのときの支配・権力側のえげつない対応が予測されるような迫真の映画でした。
それにしても、このように血と汗で勝ちとられた普通選挙を現代日本では6割近い人が行使しないのですから、その現実に思わずため息をついてしまいます。

2019年5月16日

大いなる聖戦(下)

(霧山昴)
著者 H.P.ウィルモット 、 出版  国書刊行会

第二次世界大戦についての本格的な研究書です。読みながら、その深く鋭い分析に驚嘆してしまいました。
日本とドイツが連合軍から受けた爆撃の規模は、ドイツが136万トンであるのに対して、日本は16万トンにすぎない。しかし、このように格段の相違があったにもかかわらず、被害の程度は似たようなものだった。これは、日本のほうが人口密度が高く、都市部に人口・家屋・民生産業が集中していたため、ドイツよりはるかに被害を受けやすかったことによる。
そして、日本はドイツより心理的にも物理的にも空襲に対する備えを甚だしく欠いていた。ドイツは4年間にわたって小規模な爆撃を受けていたので、適応していくのに必要な態勢が整っていて、心理的な準備もできていた。ところが、これに対して日本は、勝利は約束されていると信じ込まされていて、自国の敗北が現実のものとして迫っていることに国民がまったく気がついていなかった。1945年3月から8月にかけての空爆によって物質上の損害は大きかったが、それ以上に大きかったのは、国民の士気に与えた悪影響だった。敗戦気運が突如として日本社会全般にわたって蔓延した。1944年6月の時点では日本は戦争に負けると考えた人は50人に1人の割合だったが、1年後の1945年6月には46%となり、8月の敗戦直前には68%に達していた。
アメリカ軍による空襲は、日本国民の軍部への信頼を失わせ、その士気を阻喪させるうえでもっとも重要な要因となった。
さらに、アメリカ軍が事前に爆撃目標を公表していたこと、それでも空襲を受けたということは、自国の航空戦力がいかに無力であるかを日本国民は思い知らされた。日本軍は本土決戦に備えて最後に残った通常の航空戦力を温存しようとしたため、B-29はほとんど迎撃を受けなくなった。
戦争が万一、1946年まで続いていたとしたら、大凶作が見込まれているなかで、日本は大々的な飢餓状態に陥ったことは確実だった。
ポツダム宣言が発せられた1945年7月26日時点で、日本の産業が完全に崩壊するまで、数ヶ月いや数週間しかなかった。
ところが、自国の敗戦が避けられないことを認識している者が、統帥部で決定権限を有している者のなかにはいなかった。
これは、ドイツも同じ。ドイツの指導層には、自国の敗戦という現実を認識して終戦工作を試みることのできる者は皆無で、最後の最後まで自国が生き残れるという幻想にしがみついていた。限りある手段で際限なき目標を達することを目指したドイツと日本の戦争は破滅的な結末に終わった。そのような結果は、日本については予見できたが、ドイツについては必然ではなかった。敗戦の深刻さはドイツのほうが大きかった。
質量両面で世界に冠たる軍事力を誇り、勝利をもたらすうえで決定的となりえた利点をもちながらも、ドイツは敗北に追い込まれた。そして、国土の中枢地帯を敵軍に踏みにじられたうえで敗戦を味わったのみならず、国家が消滅したという点に照らしても、ドイツの敗北の程度の大きさを計ることができる。
著者は本書の最後で、次のように総括しています。私は、なるほど、もっともな指摘だと受けとめました。
ドイツがヨーロッパで、そして日本がアジア・太平洋で勝利したときに払うことになったであろう代償は、組織的大量殺人の企国にとどまらず、ヨーロッパ大陸とアジア大陸における物的・精神的・知的次元での奴隷化である。それに比べたら、このような害悪を阻止するために要した人的損失は、むしろ小さいものと考えられる。5700万人という死者は、忌まわしき害悪を世界から除去するための意味ある代償だった。
そうなんです。日本帝国主義(天皇と軍部)が勝利でもしていたら、世界はとんでもないことになっていたことでしょう。「聖戦」だったなんて、とんでもないことです。
クルスク大戦車戦、マーケット・ガーデン作戦、アルデンヌの戦いなどが当時の国際情勢と軍事力・指導力などを踏まえて総合的見地から論評されていて、理解を深めることができました。
下巻のみで450頁ほどもありますが、第二次大戦とは何だったのか、詳しく知りたい人には欠かせない本だと思います。
(2018年9月刊。4600円+税)

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