弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2007年1月15日

豪商たちの時代

著者:脇本祐一、出版社:日本経済新聞社

 団塊世代の日経新聞編集委員が書いた本です。さすがに新聞記者らしく、よく調べてあり、いろいろ勉強になりました。ただ、あえて難を言うと、少しゴテゴテと脈絡なしに盛り沢山になっていて、スッキリせず、読み難いところがあります。
 現代日本は世界有数の格差社会となり、金融資産を1億円以上もっている日本人が100万人いるということですが、江戸時代にもスーパーリッチの町人がいました。
 長者と呼ばれるには銀千貫、分限者は五百貫、金持ちは二百貫以上。銀を金に換算し、金1両を銀60匁とする。長者は1万7千両、分限者は八千両、金持ち三千両以上となる。 金一両を米一石、年貢は五公五民とすると、長者は三万五千石、分限者は一万五千石、金持ちは六千石に相当する。しかし、年貢米は籾を米にすると収量は半減するので、石高制にすると実質的に長者は七万石、分限者は三万石、金持ちは一万二千石の大名となる。
 こうやって具体的に数字をあげられると、江戸時代の大金持ちの町人というのは、並みの大名以上の存在だったということがよく分かります。
 江戸時代が外国に対して国を閉ざしていたと考えるのは大いなる誤認だ。著者のこの指摘に、私もまったく同感です。
 茶の湯で利休たちがお茶うけに使ったのは、シイタケやクリ、炒ったカヤの実だった。今日のような砂糖入りのお菓子になったのは江戸時代に入ってから。はじめ貴重な薬種として輸入された砂糖は、吉宗の国産化政策によって、讃岐や阿波で最高級品の和三盆が生まれた。
 1523年に中国の寧波で、堺が大内・博多連合と争った、寧波の乱というものがあったというのを初めて知りました。敗れた堺はやむなく南海路へ迂回せざるをえなくなりました。しかし、これによって種子島に鉄砲伝来したとき、堺にとってはかえってプラスに働いたのです。
 現代の華僑にあたる言葉を綱首と呼んだ。綱首は、13、14世紀に日宋貿易と博多の自治を担った。最初のチャイナタウンは長崎でも横浜でも神戸でもなく、博多だった。
 そうだったんですかー・・・。知りませんでした。博多にある妙楽寺の隣にイエズス会の教会もあった。うーん、なるほど・・・。
 江戸時代には、前半に人口爆発があった。江戸開府のころの日本人の人口は1200〜1500万人。100年後の元禄期末に2倍強の3000万人となった。そして、これは幕末までほとんど同じです。
 文化11年(1814年)、久留米藩と佐賀藩は米切手の不渡りを出してしまった。その額面は、なんと久留米藩は42万石、佐賀藩は20万石分にのぼった。ところが、両藩の大坂回米は、それぞれ最大でも年間7万石と6万石でしかない。
 町奉行所が仲裁して、切手を買った米問屋と蔵屋敷とのあいだで示談が成立した。久留米藩は100万石につき17万石を現銀で支払い、残りは20年の年賦とし、その間の利息は9年の年賦で返済する。佐賀藩は切手発行高の1割を毎年現銀で支払うが、そのうち35%を利息、65%を元本返済に充てるという内容。
 これは、実は米の販売を装った金融取引だった。久留米藩は空米切手事件を引き起こしたとき、堂島の米仲買から総計23万石という巨額の融資を受けていた。その多くは空米切手による借り入れだった。
 空手形の発行というのは、こんなに古くからあっていたのですね・・・。

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2007年1月12日

小説家の庭

著者:丸山健二、出版社:朝日新聞社

 同じ著者の「荒野の庭」「花々の指紋」(いずれも求龍堂)も読みました。すごい庭です。花と植物が実に生き生きと輝いています。丹精こめて育てている。いえ、慈しんでいるというのが、よく分かります。もちろん、写真のでき具合いが素晴らしいのもありますが・・・。
 私も、モノカキのかたわら、狭くはない庭に花や木を植えています。でも、日曜ガーデニングでしかありません。著者とは段違いです。それでも、わが庭に咲くのと同じ花がいくつかあって、それを見ると、ついうれしくなってしまいます。
 前二作とは違って、著者の家と庭の遠景が紹介されています。水田に隣りあわせていて、遠くに山並みが見えます。これは庭の手入れは大変だ。日曜ガーデニングで50坪ほどの庭の手入れだけでも、ひと苦労している私には、とても真似できそうもない作庭です。
 小さなミドリガエルが緑の葉っぱにちょこんと坐っています。わが家にもいます。梅雨どきになると、なぜか、わが家の門柱の上に毎年、同じように鎮座し、出勤する私を見送ってくれます。
 無限の変転を辿ってやまない動物と植物と鉱物・・・、周辺に満ちるエネルギーを素早く掠め取りながら、一瞬の今を懸命に生きている。
 年末年始、冬と思えない温かい陽気の下で、庭づくりに励みました。畳一枚分を掘りおこし、枯れ草と生ゴミをすきこんで、土を元通りかぶせて、植え替えをします。
 同じ球根でもチューリップは一年しかもたないのがほとんどですが、水仙などはぐんぐん仲間を増やしていきます。庭が水仙だらけになるのも困りますので、間引きせざるをえません。例年なら、庭づくりをしている私のすぐ近くにジョウビタキがやって来て声をかけてくれるのですが、今年は残念なことに通り過ぎてしまいました。
 青紫色の華麗な花を咲かせるジャーマンアイリスがあります。わが庭にも咲きます。人手をかけることを嫌う丈夫な花です。放っておくのが一番いい栽培法です。こんな説明をして、知人の庭にたくさん嫁入り(婿入り)させました。たいてい無事に育っているようです。前に、どなたかトラックバックで、この青紫色のジャーマンアイリスの気品にみちた花の写真をのせていただきました。また、お願いします。
 島根に住む心優しい同期の弁護士から正月牡丹をもらいました。2度目です。何年か前にもらった牡丹は、今でも春になると妖艶な濃赤紫の花を咲かせてくれます。春に咲く牡丹を園芸店のほうで正月に咲くように仕掛けがしてあるようです。今度の牡丹は甘いピンク色の花です。
 ガクアジサイ、クリスマスローズ、クレマチス、わが家にあります。いずれも私の大好きな花なので、庭のあちこちに植えています。
 テッセンとも呼ばれるクレマチスは、赤紫色の花も風情があっていいものですが、その純白の花も見ているだけで心が洗われる気がしてくるほど素敵です。
 年末年始にクワとスコップをふるい過ぎて、右腕が痛くなってしまいました。何ごともほどほどが良いのでしょうが、つい夢中になってしまいます。ともかく心地よい一瞬一瞬なのです・・・。

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脳は空より広いか

著者:ジェラルド・M・エーデルマン、出版社:草思社

 1972年に43歳の若さでノーベル医学賞を受賞した学者による本です。人間の意識を科学的に究明しようという本ですので、やはり難しいところが多々あります。私もよくは理解できませんでしたが、なんとなく分かった気もして読みすすめました。
 ひとつだけ、はっきり分かったことは、脳はコンピューターではない、ということです。コンピューターは前もってきっちり決められたプログラムにしたがって入力されたアルゴリズムや効果的なプロシージャーを実行していく。配線に間違いは許されない。
 しかし、脳はあらかじめこと細かに配線が決まっているわけではない。どのニューロンとどのニューロンが結びつくかは統計的に変動する出来事だ。種としては同じパターンを共有しながらも、その個体にしかないネットワークができあがる。普遍的かつ多様だ。
 脳のふるまいはデジタルな計算処理とは考えられない。たとえば、コンピューターにとっては致命的だとされているノイズが、脳の高次機能を働かせるためには不可欠だ。
 スーパーコンピューターをいくら直結しても、それだけでは意識は生まれない。意識とは何か。もちろん、脳なくして意識はない。しかし、それでは、脳や身体のどのような構造や機能が、意識が現れるための必要十分条件なのか。
 意識は、かたちのある物ではなく、流れていく過程である。
 意識とは、脳のさまざまな領域で分散して活動するニューロン群によって、ダイナミックに遂行されるプロセスである。
 意識を生成するのにある領域が必要不可欠だということは、その領域さえあれば意識が生じるという意味ではない。ある瞬間の意識活動に必要だったニューロンが、必ずしも次の瞬間に必要だとは限らない。
 意識は個人のうちにのみ生じる。
 意識は常に変化しながらも連続している。
 意識は志向性をもつ。
 意識は対象のすべての面に向けられるわけではない。
 意識を内面から見ていると、静止することなく、絶えず変化しているように思える。それでいて、その一瞬一瞬は、ひとまとまりだ。この一瞬一瞬を、著者は想起される現在と呼ぶ。
 大脳皮質には、少なくとも300億個のニューロン(神経細胞)が含まれ、シナプスと呼ばれるつなぎ目は、なんと10万×100億個にも達する。仮にシナプスを今から数えはじめ、1秒に1つ数えると、数え終わるのは3200万年後になる。
 意識の発生を理解するのに大脳皮質と並んで重要な構造は視床だ。視床は意識の働きに絶対欠かせない存在だ。
 脳は空より広いのです。そうでしょう。だって、みんな私の頭のなかに入ってしまうのですものね。

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アメリカ監獄日記

著者:高平隆久、出版社:草思社

 前にアメリカの刑務所生活を体験した日本の若い女性の書いた本を紹介しました。今度の本は、日本人の中年男性が同棲していた若い日本人女性からレイプ犯として告訴され、拘置所で生活した体験を報告したものです。
 この本を読んで、アメリカという国は本当に怖い国だとつくづく思います。拘置所のなかで抹殺(リンチ)されることが現実にあり、その恐怖の下で生きていかなければならないのです。日本ではそんな話は聞きません。
 同棲していた若い女性とのあいだでレイプ罪が成立するかどうかについては、私にはもちろん分かりません。本人は無罪を主張していますが、結果としては司法取引に応じて有罪となり、日本へ送還されたのです。
 逮捕されて拘置所に入ってから、パブリックディフェンダー(公選弁護人)を頼むのですが、低い評価しかなされていません。パブリックディフェンダーの弁護士は役に立たないって有名だ、とされています。残念です。
 逮捕されて2週間あまりで、パブリックディフェンダーが4人交代した。著者は本当にいい加減なシステムだと怒っています。たしかに、こんなにコロコロ変わってしまうのでは、心細い限りですね。
 拘置所の住人の多くは前歯がない。これはフリーベースという、コカインに重曹を入れて熱したものを吸収し続けていると、歯ぐきがやられて歯が抜け落ちてしまうからだ。
 それほどアメリカでは薬物中毒者が多いということです。
 拘置所は体力勝負のところ。着いたらすぐ喧嘩になるかもしれないし、夜中に襲われるかもしれない。強そうに見える人間には、すぐにいろいろな人間が力試しに喧嘩を売って
くる。弱そうな人間は、すぐにボクシング大会と称して戦わされる。そして、それが見てる者の賭けの対象となる。勝った方も、生意気だと、ボスにやっつけられる。
 アジア人の集団のなかにヒスパニック系の人間を入れると、たちまちリンチが始まる。もちろん、逆も真なりだ。
 サウスサイダーとは、不法入国してきたヒスパニック(ほとんどがメキシカン)の親をもつ、アメリカ生まれのアメリカ国籍にヒスパニック系アメリカ人のこと。
 ジュートボールとは、人間の一日に必要なミネラルやビタミンが固められているボール状の食事。懲罰房に入れられたときの食事。
 拘置所の面会は土・日の午後1時から5時まで、3つあるトイレは夜中には1人ずつしか使えない。アメリカでは、にんじんとタイレノール(鎮痛剤)が、キリストと同じくらいに厚く信仰されている。
 部屋は不潔で、ねずみがすぐに捕まえられるし、クモにかまれることもある。シャワーも数が少ないので、気の弱い人間はとてもつかえない。
 いやあ、アメリカって、本当に大変な国ですね。勝ち組のアメリカ人は負け組のことなんて人間とも思っていないのでしょうね。だいいち、刑務所人口が何百万人(200万人と言われています)いても、選挙権がないのですから、無視できます。また、処罰を厳しくせよと叫ぶほうが票が集まるのですからね。ともかく、ぞっとする本でした。

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2007年1月11日

ジャングル

著者:藤田一咲、出版社:光村推古書院

 マレーシア・ボルネオ島の熱帯雨林をとった写真集です。
 ボルネオ島のオランウータンが絶滅の危機に瀕しているというニュースに接して悲しくなりました。人間が食うために森林を伐採しているのです。ところが、そこでも日本の力が及んでいます。要するに日本が建築資材で熱帯の木材を大量に買い付けるからです。アマゾンのジャングルが減っている原因のひとつにも日本人があげられています。マックの牛肉を食べ、また大豆をブラジルから大々的に輸入しているため、熱帯雨林が次々に開発されていっているのです。ところが、私たち日本人はまったく自覚に乏しいのが現実です。おバカな番組をテレビで見て笑いころげるだけではいけないと思うのですが・・・。
 さすがプロのカメラマンだけあって、すばらしい出来栄えのジャングルの写真が満載です。ジャングルの夜明けは紅く染まって目を覚ますのです。
 ジャングルと熱帯雨林は、学術的には区別されているものだそうです。知りませんでした。同じもののカタカナと漢字の違いだとばかり思っていました。
 ジャングルには地球上のどこよりも鳥たちがいる。しかし、ジャングルで鳥たちの姿を見るのは簡単ではない。鳥たちは密生した葉の陰に溶け込むように、じっとしていることが多いから。
 ジャングルでは花々が咲き乱れていると思っていると、実際に花に出会うのは難しい。ジャングルの中は光が少ないので、花を咲かすような植物は生長できない。ジャングルでは、花は日光のあたる、木の上のほうに咲いていて、見上げても、なかなか見ることができない。
 ジャングルを訪れるとは、虫の王国を旅すること。虫をさけて通ることも、無視することもできない。虫がいなくなったら、植物は死に、ジャングルどころか、ぼくたち人間も姿を消すことになる。世界はつながっているのだ。
 ジャングルでは雨が毎日のように、よく降る。バケツの水をひっくり返したように一気に激しく降る。それは土の中の養分を洗い流してしまう。だから、その土から効率よく養分を吸収し、大きな体を支えるために、ヒダのような根を四方に張り出した木は多い。木にとってジャングルで生き抜いていくのは楽ではない。
 夜のジャングルは、にぎやかだ。コオロギの仲間たちによる通奏低音に、金属的な音の独奏を重ねる虫がいる。そこにカエルたちの歌とコーラスをそえるオペラ仕立ての一大コンサートが毎晩開かれる。雨が降ると、カエルたちの鳴き声はいよいよ盛り上がる。
 他の生きものたちは、この音楽をバックに眠りにつくか、食うか、食われるかあるいは求愛している。それは楽しげだが、血なまぐさい残酷な舞台、現実の生活の一部だ。1億年もの長い間のよき観客であるジャングルで輝く月や星々は、そのくり返しをずっと見つめてきた。だが、明日もそれが見れる保証は、今のジャングルにはない。
 ジャングルの美しさが巨視的に、微視的にとらえられています。目の保養になりました。
でも、私はヘビに噛まれたくありませんので、ジャングルに足を踏み入れる勇気はありません。

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2007年1月10日

朝鮮王朝史(下)

著者:李 成茂、出版社:日本評論社

 1674年、粛宗が14歳で王位に就いた。粛宗在位の46年間は、朝鮮中期以来続いた党争が絶頂に達する。そのバランスを欠いた政治運営によって、党争の弊害がさらに進んだ。
 粛宗の課題は、前の顕宗時代に礼訟論争を通じて傷ついた王室の権威、弱められた王権を強化することにあった。
 粛宗の私生活は、愛憎の偏りが激しかった。粛宗は、換局という手法で政権を交替させ、王権の回復と強化に非凡な能力を発揮した。
 二人の学者が、殺さなければ殺されるという非常な政治論理とあいまって、戦いをエスカレートしていった。宋時烈(ソンシヨル)と尹鑴(いんけい、ユンヒュ)の二人である。尹鑴は、朱子の説を絶対不変の金科玉条としては受け入れなかった。朱子を尊敬はしたが、盲信はしなかった。生きては宋時烈の憎悪を受け、老人では忌諱の対象となって、自派からも見捨てられた。これが自由主義を追求して、教条主義的な理念に果敢に挑戦した一人の思想家の運命だった。尹鑴の死んだあと、朱子学の教条主義は、以前にも増して猛威をふるうようになった。
 朝鮮第21代の王である英祖は朋党の弊害を列挙して、蕩平(とうへい)策への強い人事・地位をみせた。党論が殺戮の元凶となり、殺戮が亡国の元凶になることを、王世子時代からの体験を通じて見にしみて知っていたので、各派に均等に人事・地位を与える策をとることにしたのである。不偏不党の政策である。ところが、これは両派いずれの支持も得られなかった。そこで英祖は国王としての権威を前面に押し出し、臣下を抑えようとする一方、嗚咽(おえつ)する姿を見せて感情に訴えたりもした。しかし、このような威嚇も説得も臣下に通じなかった。英祖時代の序盤の政局は限りなく混乱した。
 難局を乗り切った非凡な君主として、英祖は30年以上にわたって蕩平の名で臣下を弄び、国王としての権威を一身に享受した。
 士禍の終わりは、党争の始まりでもあった。士大夫とは、読書する士と、政治に従事する大夫との合成語だ。これは、両班とほとんど同義語として使われる朝鮮王朝支配層の総称である。
 19世紀、憲宗朝。ヨーロッパの帝国が進出してきた。イギリスは商業活動を目的とし、フランスはキリスト教の伸張をめざした。イギリスはインドに会社を設立して植民地の併呑計画を立てていた。フランスはベトナムへの教会創設を口実として侵略をすすめていた。
 1846年9月、金大建神父が処刑された。天主教徒は死をみること天国のようで、自分を痛めつける棍杖をいささかも恐れなかった。天主教は先行きが不透明だった19世紀前半の朝鮮で、政界から排除された勢力や一般国民、女性たちに来世に対する確固たる信頼を与えた。1865年、天主教徒の総数は2万3000人となり、朝鮮にいる宣教師は12人だった。
 高宗は、朝鮮王朝最後の国王として34年(1863〜97年)、大韓帝国皇帝として10年(1897〜1907年)、通算44年間、君主の座にあった。日本に強要されて退位した高宗は、1919年、68歳のとき亡くなった。高宗は歴代の君主のなかでは長寿だったが、孤独な一生だった。
 朝鮮軍民が日本を敵視するようになったのは、1876年2月の江華島条約からである。江華島をめぐる日本と中国の対立の始まりだった。以後、野心に満ちた日本商人が争って朝鮮の対外貿易を独占した。これによって朝鮮の自給自足の経済基盤をゆるがし、それが都市零細民と下級軍人の不満を招き、壬申軍乱の一つの要因となった。
 壬申軍乱のあと、日本は朝鮮に迫って50万円の賠償金を課し、日本軍のソウル駐屯権を確保した。壬申軍乱は、日本の朝鮮に対する軍事的支配の序幕となった。真に大韓帝国の外交権を剥奪した元凶は日本の伊藤博文、桂太郎、林権助、長谷川好道の5人というべきだ。これらの元凶たちは日本の教科書では、今では、今なお賛美されている。乙巳五賊にのみ責任を押しつけてよいものだろうか。
 下巻も600頁近くもある大部な本です。激闘のなかにあった朝鮮王朝の実情を知り、後半期における日本の責任を考えさせられました。
 年の暮れに韓国映画「王の男」を見ました。韓国で4人に1人が見たという大ヒット作品ですが、実によく出来た映画で、最後まで画面をくい入るように見つめ、時のたつのを忘れました。
 ときは16世紀初頭。燕山君(ヨンサングン)の時代です。旅芸人の若い男2人が漢陽(今のソウル)にやって来て、宮廷を面白おかしく皮肉った芝居を街頭で演じて民衆の大人気を博します。そのあと、宮廷に招き入れられ、その陰謀と策略に巻きこまれていくのです。旅芸人の芸も見事なものです。狂気の王の眼つきの妖しさに目を奪われ、女形を演じる旅芸人の美しさにため息が出ました。韓国映画の力量(レベル)の高さに改めて感心させられました。日本では大きな劇場で上映していないのが残念でなりません。

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2007年1月 9日

企業コンプライアンス

社会

著者:後藤啓二、出版社:文春新書
 このところ大企業の不祥事が相次いで明るみに出ました。これまで隠されてきたものが、一挙に表面化した感があります。勇気ある内部告発も働いたようです。
 ライブドア、三菱自動車、雪印乳業(中毒)、雪印食品(牛肉産地偽装)、西武鉄道(総会屋)、松下電器(石油温風機)、パロマ(瞬間湯沸かし器)、耐震強度偽装事件などなどです。
 公認会計士と監査法人がまったくのお飾りでしかないという実態がいくつも明るみに出ました。耐震強度偽装事件では、民間の確認検査機関に確認検査を行わせる今の制度は改めるべきだと著者は指摘しています。まったく同感です。「官から民へ」移行したら、とんでもないことになるという見本のようなものです。公認会計士と監査法人についても、それが純然たる営利法人である限り、エンロン事件のような大がかりの不正事件に加担することは避けられません。大企業から相対的に自立できる仕組みが根本的に必要だと思います。今のままでは、大企業の隠蔽工作の片棒をかつがされるだけの存在のような気がします。
 企業の不祥事は、昔の方がより悪質でより多かった。昔の不祥事は、トップの指示、あるいは企業風土により、全社一丸となって行われていた。
 バブル期には、銀行や証券業界は挙げて、正々堂々とコンプライアンス不在の不正をしていた。銀行では、「向こう傷を恐れるな」「すべての預金者を債務者にせよ」という指示がトップや本店から出されていた。証券会社は、個人客を「ごみ」と呼んでいた。預けているお金が億単位以下の客を「ごみ」と呼ぶのは今でも、そうだと思いますが・・・。
 社長はコンプライアンスと言っているが、他方で、利益を出せ、売上げを伸ばせとも相変わらず言っている。業績に連動した報酬体系をとり、結局は、とかくの噂があっても稼いでいる人、不適切な受注活動を行ってきた人が出世している現実があれば、コンプライアンスは建前だけに終わる。
 不祥事が発覚したときのトップの記者会見における失敗例が紹介されています。
 「わたしは寝ていないんだ」雪印乳業社長
 「なぜ上場したのか分からない」コクド会長
 「利益はたいした金額ではなく、巨額にもうかっている感じはしない」福井日銀総裁
(実は1000万円の投資で、運用益は1473万円あった。まんまと逃げ切りましたね)
 「知らなかった。愕然とした」三菱自動車社長
 「当時は関係する法律がなかったので、抵触しない」三菱地所常務
 そして、シンドラー社は、エレベーター圧死事件のあと責任者による記者会見を一貫して拒否し続けた。
 記者の質問に対しては、把握している事実については、社員・関係者のプライバシー、企業の営業秘密、本件と関係ない事項など、コメントしないことに合理性が認められるものを除いては、答えることが妥当だ。本来、答えることができる質問に対して、「ノーコメント」と答えるのは説明責任を放棄しているようにとられ、不誠実な印象を与えてしまう。その時点で本当に分からないことは、「分からない」と答えればよい。
 報道発表は一回で終えるのがベスト。そのためには、不祥事の事実関係と原因、関与した者の責任と処分、再発防止対策の3点について、一度に公表し、十分な説明を行い、マスコミからの質問に誠実に答え、それ以上の記者会見を行う必要が内容にするのが大切。
 公表すべき事項を小出しにしたり、マスコミの関心が高く、答えなければならないことを答えないままでは、いつまでも追求が続く。
 私も弁護士会の責任ある役職についたとき、会員の不祥事で2回、記者会見にのぞんだことがあります。テレビカメラがまわるなか、スポットライトを浴びつつ何人もの記者から厳しく容赦ない質問を受けて、冷や汗いっぱいかきながら答弁しました。誠実な答弁をこころがけたとまで言うことはできません。処分程度(量刑)を決める立場にいたわけではありませんでしたので、無責任と思われない程度に「分かりません」を連発しました。45分間もテレビカメラの前に坐らされました。大変な苦痛でしたが、私の方から一方的に立ち上がるのだけはしませんでした。逃げるところを、その背中が映されるという無様な映像が流れないよう、記者クラブの幹事が「終わりました」と声をかけ、テレビカメラが終了したのを確認して席を立ちました。これが3ヶ月ほどの間に続けて2度もあり、本当に良い社会勉強になりました。

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2007年1月 5日

過労自殺と企業の責任

社会

著者:川人 博、出版社:旬報社
 オリックスの宮内義彦はなんでも規制緩和して、民間の自由競争にまかせろと強引に政治をひっぱってきた。そのオリックスで過労自殺が相次いでいる現実がある。法令違反と違法なサービス残業が横行している。宮内義彦がすすめている「ホワイトカラーエグゼンプション」は、残業代不払いを合法化しようとするものだ。サービス残業のおかげで、過労自殺をふみ台にして業績を上げている大企業の経営者が「改革」を唱えている。そこには、自社のもうけがすべて。企業の社会的責任など、カケラもない。あー、いやだ、いやですよね。こんな会長の下で働くなんて・・・。それにしても宮内義彦って、いつもエラそうなことを言うんですよね。まったく厚かましいにもほどがあります。自分の会社の従業員も大切にしないで、社会に向かってエラそうな口きくなと叫びたいです。
 ノイローゼなんていうのは、精神的に甘えている。
 これは、疲労困憊の極みにあった労働者が、しばらく休みたいと恐る恐る申し出たときの上司の言葉だそうです。たまりませんね。その労働者はまもなく自死しました。
 最近、自殺という言葉はやめようと提唱されています。
 長時間労働による睡眠不足が精神疾患発症に関連があることは疑いない。とくに長時間残業が100時間をこえると、それ以外の長時間残業よりも、精神疾患発症が早まる。つまり、長時間残業による睡眠不足は、うつ病発症の原因になるのです。
 おまえは会社をクイモノにしている。給料泥棒!
 存在が目障りだ。いるだけで、みんなが迷惑している。お前のカミさんの気がしれん。
 お願いだから消えてくれ。
 職場で上司からこんなことを言われたら、いったいどうしたらいいでしょう。これはまさしく精神的な暴力と言ってよいでしょう。
 仕事が不快なものであれば、それだけ多く支払われるべきだというのは、ほとんどの人の正義感になかった原則。しかし、現実は明らかにその逆。本質的に、もっとも面白い仕事をしている人たちこそが、高い給料を得ている。もっとも楽しい仕事をしている幸運な人々は、高い給料をもらっているだけでなく、その給料はさらに高くなっていく傾向にあり、そして、それは当然のことだと彼ら自身がますます自信をもって主張するようになっている。
 なるほど、そうなんですよね。実際に・・・。
 この本では、家族(夫や子ども)が悲劇的な死を迎えたとき、その家族も強いストレスを受けて、健康を害して早死にすることがあることも指摘されています。
 ポストベンション、つまり発生したあとの対策が大切だということです。
 著者は私と同世代の弁護士です。経団連で講演したこともあるそうです。前のトヨタ出身の経団連会長は企業利潤一辺倒だったようですが、今度のキャノン出身の会長も同じかどうか注目していると書かれています。いまの大企業にどれだけ期待できるのか、かなり疑問はありますが、前途有為な青壮年が次々に過労で倒れていくのは日本特有の現象だけに、一刻も早くなくしたいものです。

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イエズス会の世界戦略

日本史

著者:高橋裕史、出版社:講談社選書メチエ
 天正遣欧少年使節の原マルチノ、中浦ジュリアン、伊藤マンショ、千々岩ミゲルの4人はローマで教皇グレゴリウス13世に謁見した。その教皇グレゴリウス13世は、イエズス会に日本布教の独占を認める小勅書を発布した。
 16〜17世紀の日本でキリスト教を布教していたのは、ほかにフランシスコ会、ドミニコ会、アウグスティノ会がいた。しかし、日本における活動の長さや重要性を考えると、イエズス会を抜きにして日本のキリスト教史は語れない。ザビエルを筆頭として、大勢のイエズス会宣教師が来日して教勢を拡大していった。
 イエズス会は上長(じょうちょう)への服従、会の目的達成のためには手段を選ばない、戦闘的な集団意志をもつという特色がある。その入会希望者には厳格な選抜と訓練を課していた。
 1549年のザビエルによる日本開教以降、日本イエズス会は着実に日本における地歩を確立していった。1570年までに3万人の信者を獲得し、九州から畿内までの西日本各地に40もの教会をたてた。ヴァリニャーノが来日した1579年までに信者は10万人となっていた。在日イエズス会員の人数も、1565年に12人だったのが、1579年に55人、秀吉による宣教師追放令が発布された1587年には111人となっていた。
 キリスト教徒領主は、大村も有馬も、有事の際に宣教師を保護するどころか、逆に教会からの保護を受けなければならなかった。そこで、長崎を軍事要塞とする方針がヴァリニャーノによって打ち出された。
 イエズス会は、竜造寺隆信とたたかっていた有馬晴信を援助するため600クルザドを出費した。
 ヴァリニャーノによる長崎を軍事拠点とする指令は、長崎に弾薬や大砲などの武器の配置、そして長崎の住民とポルトガル人の武装兵士化を意味していた。長崎の町を2重の柵で囲み、砦を築き、そこにいくつかの大砲を置いた。また、港内のフスタ船も大砲で武装していた。
 こうした教団の世俗化に反対する日本人イエズス会員が教団を去り、徳川幕府に教団の内実を報告した。それで、イエズス会は、実際の軍事力を行使しないまま、キリスト教勢力による日本の軍事征服という、一面では信憑性をともなった風評によって日本を追われることとなった。軍事的に自らを守ろうとする方針は、同時にイエズス会自体の存続に危機をもたらす両刃の剣でもあった。
 イエズス会が、この戦国の時期に軍事にかなり深く日本の武将も肩入れしていたこと、自らも武装拠点をつくりあげていたことを初めて知りました。キリスト教宣教師の恐るべき役割を認識した思いです。
 現在の日本でイエズス会は、上智大学、エリザベト音楽大学、栄光学園、六甲学院、広島学院などを展開している。
 イエズス会って、昔も今も、日本で活動しているのですね・・・。

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沸騰するフランス

社会

著者:及川健二、出版社:花伝社
 フランス語を勉強しているということは、フランスという国に関心を持っているということでもあります。日本と違ってアメリカの言いなりになんか決してならないフランスは左右いずれを支持する国民もきわめて政治参加意欲の高いのが特徴です。この点は、日本人はもっと見習うべきだと私は確信しています。
 それはともかく、この本は迫りくるフランス大統領選挙の内情を現地取材で分かりやすく解説してくれるものです。アメリカの大統領選挙のように、共和党と民主党といっても、しょせん同じ穴のムジナみたいに大差がないのと違って、フランスは、政策的にはっきりした違いをもつ候補者が激突するので、面白いところです。
 今度のフランス大統領選挙は、治安優先の保守政治家ニコラ・サルコジと、左派のセゴレーヌ・ロワイヤルとの対決だと一般にはみられています。この本は、それぞれを掘り下げると同時に、その他の候補者についても密着取材しています。なかでも、極右の国民戦線のルペンについて、その主張を詳しく紹介しています。私は認識を改めさせられました。ルペンは極右なので排外主義をとっています。もちろん、私には、とても支持できません。ところが、ルペンはアメリカを次のように厳しく批判しているのです。これには驚きました。日本の右翼にぜひ読んでもらいたい文章です。
 災難のなかとはいえ、アメリカ国民は政府に対して自己批判を求め、責任の一端があることを認めるよう迫らなければならない。アメリカが悲劇的な状況下にあるとはいえ、彼らの涙によって我々は目をくらまされてはならない。
 アメリカは、その力が絶対的なものだと考えている。とりわけ、ソ連が崩壊し冷戦の脅威がやわらいで以来、責任の範囲と能力の限界を見誤っている。
 10年にもわたるイラクに対するアメリカの経済封鎖によって、貧困や治療の欠如が原因で100万人の子どもたちが死ぬという災害がもたらされた。その数は世界貿易センタービルの犠牲者の200倍にあたる。惨劇と呼ぶにふさわしいニューヨークの哀れみは、しかし、絶対視されてはならない。非人間的な不正の政治を再考することに心を傾けることも同様にしなければならない。
 この指摘は、まったくそのとおりではないでしょうか。
 極右はフランスの失政を栄養にして育つ生き物だ。フランスがどん詰まりになればなるほど、増長していく。治安悪化と移民問題。これはフランスが抱える暗部だ。その暗部を除去する救国の士として、国民戦線は長く支持されてきた。
 このように解説されています。なるほど、と思いました。
 この国民戦線(フロン・ナショナル)のナンバー2のブルノー・ゴルニッシュ全国代理は京都大学に留学したこともあり、妻は日本人で、日本語がペラペラです。
 実は、私も20年ほど前にフランスに初めて訪問したとき、一緒に会食したことがあります。昼食を同じテーブルでとったのですが、彼が新鮮な生の牛肉を香辛料と混ぜあわせたタルタルステーキを実に美味しそうに食べるのを、ついついうらやましく眺めたことを今もしっかり覚えています。まだ旅行の初めのころでしたので、慣れない生肉を食べてあたったら大変だと遠慮したわけです。

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ブルー・ローズ

社会

著者:馳 星周、出版社:中央公論新社
 すさまじいバイオレンス・ノヴェルです。年の暮れはともかく、正月に、のんびりした気分で読む本としては、とてもおすすめできません。なにしろ、次から次へと人が殺されていくのですから・・・。実に凄惨です。背徳の官能と、帯にうたわれています。たしかに怪しげなエロスがしきりに漂うのですが、少なくとも私の好みではないエロスなのです。
 話は、公安警察と刑事警察の対立を軸として展開していきます。
 国松警察庁長官の狙撃事件で公安警察が何度も重大なミスを犯して、結局のところ、犯人逮捕にこぎつけることができませんでした。これによる公安警察の威信低下はひどいものです。最近、街頭ビラ配布での強引な逮捕が相次いでいるのは、そんな公安警察による失地回復だという指摘がなされています。公安って、本当にひどいことをするものですね。罪なき人を罪に陥れるのが公安の得意技です。やっぱり、どうしても刑事警察に肩入れしたくなります。あなたも、この本を読むと、そんな気についなってしまいますよ。
 ブルー・ローズというのは、青色のバラの花のことです。赤いバラはあっても、青いバラはできないことになっています。黒いチューリップと同じです。もっとも、チューリップにも黒に近いものがありますし、バラにも青に近いのが最近出来たと思いますが・・・。
 わたしが入庁したころの公安警察官という連中は、いけ好かないが腕は立つ者ばかりだった。しかし、昨今の公安警察官は間抜けばかりだ。もっとも、それは刑事警察も変わりはない。警察官のサラリーマン化が進んでいる。かつては堅牢だった警察官のモラルに亀裂が生じている。バブル経済がなにかを変えたのだ。いずれ、世界に誇る検挙率も落ちるだろう。
 日本警察の検挙率は、もうとっくに地に落ちてしまっていると私は思いますけどね。
 この本を読みながら、警察って、そしてキャリア警察官って、いったいどれだけ事件を内々もみ消しているのか、もみ消す力があるのか、ついつい考えこんでしましました。どなたか正直な内情を教えてください。
 あけましておめでとうございます。本年も書評を書き続けます。昨年よんだ本は502冊でした。その7割を紹介していることになります。読めば読むほど、大自然と人間社会の奥の深さに触れるという気がします。日本を外国へ戦争に出かける普通の国にするため、美しいアベ首相ががんばっていますが、負けてなんかおれません。今年も平和憲法を守り続けるために、愉しみながら弁護士活動と執筆を続けていきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。

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2007年1月31日

老いて賢くなる脳

著者:エルコノン・ゴールドバーグ、出版社:NHK出版
 私と同じ団塊世代のソ連生まれで現在はアメリカで活躍している認知神経科学者です。名前から分かるとおりユダヤ人です。
 知恵は不思議に思うところから始まる。これはソクラテスの言葉だそうです。この本を読むと「定年」が間近に迫り、日頃、モノ忘れがひどくなったと嘆いている私ですが、年齢(トシ)をとっても脳は立派に活動できることを知って元気が出ました。
 著者は今、58歳。私と同じです。昔なら思いもしなかったような、面白い発想が出てくるようになった。年齢が上がるにつれて、頭をふりしぼるような作業はできなくなったが、洞察力は格段に伸びた。これでいいのかと思うくらい、楽々とものごとが見通せるようになった。
 神経の発生は大人になったらまったくなくなり、一路、減るばかりだと考えられてきた。しかし、これは間違いで、当初の勢いこそなくなるものの、神経の発生は生涯にわたって続くものである。
 ゲーテが「ファウスト」の第一部を刊行したのは59歳のとき、第二部はなんと83歳のときだった。
 ロナルド・レーガンは、二期目の大統領の途中から認知症を発症していた。レーガンの母も兄も認知症だった。
 ヒトラー、スターリン、毛沢東、そしてルーズベルトもチャーチルも晩年は認知症だった。しかし、死ぬまで政治力を発揮できた。それは、若いころに鍛えた認識能があったから。
 一度覚えてしまったことを忘れない人がいる。しかし、当の本人は不便きわまりないことに困惑している。どうでもいいこともすべて記憶しているので、重なりあう記憶やイメージがいつも洪水のように押し寄せて耐えがたくなるのです。だから、忘れるのは良いことなんです。
 脳のなかで揺るぎない長期記憶が形成されるまでには、かなりの時間がかかるし、多くの助けを必要とする。新皮質にある神経回路を繰り返し活性化させて、化学的・構造的な変化をうながさなければいけない。
 記憶とは、脳のなかで起きる電気的、化学的、構造的なプロセスによる相互作用である。
 記憶が保存されるのは、あくまで新皮質であって、脳幹や海馬ではない。ただし、海馬をはじめとする脳構造も、長期記憶の形成に必要不可欠な役目を果たしている。
 知恵とは、ほかの人が気づかない展開を予測できる能力のことである。
 パターン認識能力は、問題解決のための最強かつ最高のメカニズムである。
 優れた知恵をもつ人は、けたはずれに豊富なパターンを認識できる。これは脳のなかのアトラクタ数がちがうから。年齢とともに高くなるので、直感的にものごとを判断する能力だ。直感は、過去の膨大な分析経験が圧縮され、結晶化したもの。
 パターンの数が増えて一般性が高くなり、幅広い問題に対して瞬間的に解決策が導き出せるようになれば、それは知恵と呼ぶにふさわしいものになる。そして、精神活動のなかで、パターンを頻繁に活性化させていれば、脳の老化や痴呆の悪影響を受けにくくなる。パターンの種類は年齢とともに増えていく。知恵となるパターンを蓄積するには、どうしても年をとらないといけないのだ。
 そうなんです。年をとればとるほど人間は賢くなるというわけなんです。
 人生の早い段階では、右脳が中心的な役割を果たしているが、年齢を重ねるにつれて、右の右脳は少しずつ左脳に主導権を明けわたしていく。そして、左脳はアトラクタの形で、効率的なパターン認識の「在庫」をひたすら増やしていく。
 過去の膨大な経験をもとに新しいことを咀嚼する左脳は、成熟と知恵の年代にとって重要な存在だ。左脳には役に立つ情報、当人にとって良いことがぎっしり詰まっている。右脳は、新しいことに対処するための脳である。
 左脳は、認知活動によって強化されるため、老人の影響を受けにくい。団塊世代のみなさん、ホントに良かったですね。お互い、安心して老後を生き抜きましょうね。

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2007年1月30日

小泉官邸秘録

社会

著者:飯島 勲、出版社:日本経済新聞社
 小泉政治の自慢話が延々と書かれている本です。そこには弱者を冷酷に切り捨てていく政治についての反省がまったくなく、政治とはパワーバランスで動くゲームだというトーンで貫かれています。読んでいくうちに次第に腹が立つ本です。
 腹が立つくらいなら読まなきゃいいだろ。そう思う人もいるかもしれませんが、私は欺す側のテクニックと詐欺師集団の心理と構造に関心がありますので、読まないわけにはいきません。商品先物取引の欺しの手口については、その刑事・民事の証言調書をもとに本を書いたこともあります。
 小泉の劇場型政治に多くの日本人がまんまと欺されたことは明らかな事実です。小泉純一郎が首相になったときの支持率が92%、5年後に辞めたときでも63%という驚くべき高率をたもっていました。なんて日本人はお人好しで、欺されやすいのでしょうか。
 郵政民営化を争点とした総選挙のとき、小泉純一郎は、身近な郵便局がなくなることはありませんと断言していました。ところが民営化された郵政公社は特定郵便局の多くを廃止する方針をうち出しているのです。じいちゃん、ばあちゃんが歩いて通える身近な郵便局が廃止されたら、どんなに困ることでしょう。
 いったい政治は何のためにあるのか。政治家の役割は強い者をますます強くするためにあるのか。この本は、そんな根本的な疑問に真っ向からこたえようとしてはいません。
 小泉のメディア戦略は抜群の効果をあげました。著者は次のように語っています。
 総理の「ぶら下がり取材」というものがある。総理が官邸に戻ってきて、歩きながらマイクを向け総理のコメントを取るというもの。このぶら下がり取材のやり方を変えた。昼は主に新聞を念頭に置いたカメラなしのぶら下がり取材とし、夕方はテレビで映像が流れることを念頭に置いたカメラ入りのぶら下がり取材とした。一言でメディア対応といっても、メディアの特性、役割に応じてやる必要がある。
 小泉は、このテレビ向けのワンフレーズを決め手にしていました。この表面だけを見て、多くの日本人がコロッと欺されてしまったわけです。
 小泉内閣のメルマガには何億円もつぎこんだようです。百数十万人の読者がいたといいますから、怖いですね。いったい私のこのブログは何人に読まれているのでしょうか。
 小泉はマスコミの論説委員や編集委員を招いてじっくり懇談する機会をつくり、また、ラジオで毎月1日10分間、直接、国民に語りかけるという番組ももっていた。
 メディア操作によって小泉の虚像はどんどん大きくなっていったわけです。
 私も、小泉は二つだけはいいことをしたと高く評価しています。一つは、ハンセン病裁判で控訴を断念し、ハンセン病元患者に対して直接、首相とした公式に謝罪したことです。これはやはり英断です。もう一つは、とかくの評価はありますが、北朝鮮に乗りこみ金正日と会談して、拉致されていた人々を日本へ連れ帰ってきたことです。後者のほうはまだまだ拉致被害者が他にいるのは確実なので、解決ずみというわけではありませんが、ともかく大きな一歩(成果)をあげたと私は理解しています。
 小泉政治の5年間で、日本はガタガタにされてしまいました。歴史上の最悪首相ナンバーワンだと私は思います。勝ち組優先、負け組切り捨て、お年寄りや貧乏人に対して早く死ねとばかりに冷たく路上につき離し、トヨタやキャノンのような大企業が世界的に活躍できるようにしていきました。福井俊彦日銀総裁のように嘘つきで自分と身のまわりの大金持ちのことしか考えないような人々を優遇して、日本人の倫理感を地に墜ちさせてしまいました。
 著者には、そんな弱者いじめをしたという心の痛みはカケラもないようです。でも、そのうち足腰が立たなくたったとき、きっと後悔することでしょう。ただ、そのときにはもう手遅れなのですが・・・。
 安倍首相が7月の参院選は憲法改正の是非を争点とすると言っています。そのこと自体は大賛成です。ただ、憲法のどこを、なぜ変えようというのか、変えたらどうなるのか、本質的な点が国民によく分かるようになったうえで国民が選択できるようにすべきです。もっとも、これにはマスコミの責任も重大ですよね。私たち国民も、小泉とその亜流の政治家から何度も欺されないようにしたいものです。

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2007年1月29日

子どもが見ている背中

社会

著者:野田正彰、出版社:岩波書店
 現代日本、とりわけ日本の教育行政に対する悲痛な叫びとも思える告発の書です。読みながら、思わず背中を伸ばし、居ずまいを正しました。著者の真摯な態度に対して心から敬意を表します。それにしても、日本の教育って、こんなにまで地に墜ちているのですね。
 教育基本法がついに改正(改悪というべきでしょうが・・・)されてしまいました。教育を国家が統制する。個人の伸びやかな個性を殺いでしまう日本の教育を助長する方向です。悲しいことです。
 それにしても、教師をこんなにも統制して、どうしようっていうんでしょうね。広島の民間校長の自殺を追跡した第2章を読んで、さすがの私も大いなるショックを受けてしまいました。
 その小学校では、教頭(51歳)が2002年5月10日、過労のため脳内出血で倒れました。次の後任の教頭(47歳)が2003年2月14日、心筋梗塞で倒れました。夜12時まで仕事をし、パーキングで仮眠をとって夜中の2時に帰宅し、朝5時には家を出るという生活をしていたそうです。
 そして校長です。2003年3月9日に勤務先の小学校で自殺しました。毎晩、夜10時、11時に家に帰る忙しさでした。精神科に通院するようになっていました。教育委員会に何をいっても、甘いと言われる。死ぬまで働けということだね、と家人にこぼしていました。
 民間出身の校長としてマスコミにも報道されていた人です。自らすすんで希望して校長になったとばかり思っていましたが、実はそうではなかったようです。31年間つとめた広島銀行から校長職に推薦されたのです。56歳の副支店長で、リストラの対象者だったのです。自宅から通勤できる、小規模の問題のない学校を希望していました。当然のことでしょう。経験がないわけですから。ところが車で90分かかる、大規模校を押しつけられてしまいました。学校文化がまったく分からないまま苛酷な教育現場に押しこまれたわけです。そして、早く成果を出せと駆り立てられ、必要な急速もとれず、治療も十分に受けられませんでした。これでは、自殺したというより、教育行政に殺されたとしか言いようがありません。
 京都の中学校の通知票が15頁もあり、評価項目が272項目にのぼることを知って、腰が抜けそうなほど驚いてしまいました。教師がそんなに1人1人の生徒を評価することができるのでしょうか。また、そんなに細かく評価する意味があるのでしょうか。
 教師たちが自律した人として考えることを侮蔑され、させられる教師になっているとき、生徒たちも同じ状況にある。まことにそのとおりだろうと私も思います。
 都立高校で「日の丸」への起立強制と「君が代」斉唱強制がなされていることについて、東京地裁は2006年9月21日、違憲判決を下しました。私もこの判決を支持します。愛国心の押しつけが逆効果であると同じです。「日の丸」も「君が代」も押しつけられて尊重する気になんか、とてもなれません。今、学校以外で「日の丸」を見ることはありません。「君が代」斉唱なんて、馬鹿馬鹿しくて、私は何十年もしたことがありません。なんで今どき、天皇の御代がずっと栄えてほしいなんて歌わせるのでしょう。冗談じゃありません。
 何ごとによらず押しつけが効果をあげることはないのです。もっと教師の自由にまかせたらよいのです。前にフィンランドの教育を紹介しましたが、生徒も教師も学校でのびのびと過ごし、落ちこぼれをなくす教育が、国全体のレベルアップにつながっているという現実を日本人も直視すべきです。

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2007年1月26日

テスタメント

アメリカ

著者:ジョン・グリシャム、出版社:新潮文庫
 出だしからあっと言わせます。
 世界的な大富豪が自分の書いた遺言書を前に3人の精神科医から質問を受け、その様子はビデオで撮影されています。大富豪はまったく正常です。ところが、精神鑑定が終わったところで、その大富豪は別の自筆遺言状を取り出し、署名するのです。そして、そのまま窓の外へ飛びおり自殺します。うーん、なんということ・・・。
 小説は、この最後の遺言書が有効かどうか、有能なアメリカの弁護士たちが何組も登場して、この自筆遺言状を無効のものにするため策略を練るところから展開していきます。
 3人の精神科医を解任し、大富豪は実は精神的に正常ではなかったという召使いの偽証が成功するかのように思えます。何回も何回もリハーサルを重ねて、完璧に嘘を塗り固めようとします。しかし、所詮、嘘は嘘。たちまちバケの皮をはがされてしまうのです。アメリカの有能な弁護士たちは、まさしく顔が真っ青。
 アメリカの民事裁判のすすめ方は日本とはかなり違うようです。正式な事実審理の前に裁判所で証人調べがあるのです。ここで相手方の弁護士の反対尋問にさらされます。そこをパスできなければ、次へ進みようがないわけです。
 アメリカの弁護士にも、もちろん守るべき弁護士倫理があるわけですが、倫理を足蹴にして高額の弁護士報酬を得ようと狂奔する醜い弁護士たちが描かれています。これは、あくまでも小説です。でも、日本でも身につまされる話になってきましたね。

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新・細胞を読む

著者:山科正平、出版社:講談社ブルーバックス
 人間の身体をつくっている細胞を電子顕微鏡で美しい写真として紹介したものです。まことに人間の身体とは繊細かつ巧妙な化学工場そのものだと感嘆してしまいます。こんな精巧きわまりないマシーンを並の人間が自分の力でつくり出したとは、とても思えません。かといって神がつくり出したというには、あまり完璧でないのが気になってしまいます。
 紹介されているカラー写真を眺めているだけで、人体の神秘がよくよく伝わってきます。
 人間の骨の内部をとった白黒写真があります。破骨細胞というものがあり、古くなった骨をむさぼり食っている様子を示したものだというのです。あの硬い骨を食いあさる細胞がいるというのです。しかも、同時に、骨をつくってもいます。骨では、絶えずつくっては壊す営みが行われているのです。
 中年太りを大いに気にしている私です。自分の裸を鏡で見ることなど、滅多にありませんが、温泉に出かけたときに、つい見えてしまうことがあります。肥満度120%の突き出たお腹に、我が身体ながらおぞましさを感じてしまいます。間食もほとんどとらず、それなりに減量に努めているつもりなのですが、あと3キロ体重を減らしたいと思っても、まったく減ってくれません。このごろでは、体重計に乗るのも嫌やになってしまいます。
 脂肪細胞とは、大量に貯蔵した脂肪のために、自らの細胞要素が周辺に圧迫されて、細胞全体が大きく膨れあがった、そんな細胞だ。
 幼児期に大量の脂肪を摂取すると、脂肪細胞数が増加する。これは肥満予備軍になる。肥満にともなって脂肪細胞数も増えるらしい。そのうえ、脂肪細胞に蓄積された脂肪はなかなか放出されにくいので、それを減らすのは大変なこと。
 人間の舌を電子顕微鏡で見た写真があります。舌には無数のトゲがあるんですね。舌状表面には糸状乳頭がたくさんついていて、これで食物を引っかけて、のどの奥へと送ってやる。糸状乳頭は舌表面にある角質層がトゲのようになって覆い被さったものである。人間の舌は先が細くて鋭利な糸状乳頭がもっとも多い。
 ここまで人間の身体は分析され、目に見えるようになっているのか・・・。科学技術の進歩には感嘆せざるをえません。それでも、人間はガンなどの病気を服することはできていないわけです。楽しくもあり、考えさせられる写真集というか、本でした。

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新世代富裕層の研究

社会

著者:野村総合研究所、出版社:東洋経済新報社
 お金持ちとは、年収1億円以上を2年以上にわたって手にしている人。
 世帯年収2000万円以上を稼いでいる人たちを富裕層という。
 年収1500万円以上をパワーリッチ、年収750万円〜1500万円をプチリッチという。
 シティグループでは、純資産が3億円以上で、運用できる金融資産が1億円以上の人についてプライベートバンクの顧客として厚遇する。
 みずほフィナンシャルグループは、預かり資産5億円以上の顧客について、プライベートバンキングでサービスを提供する。
 野村證券は、最低契約金額3億円で、サービス優遇する。
 このように、自由に動かせる金融資産が億の単位の人が顧客として優遇され、それ以下の人は「ゴミ」扱いされるのです。これは昔からそうでしたが、今はあからさまに差別されるのが昔と違うところです。だから今では両替手数料まで取るのです。
 メリルリンチの調査によると、日本には金融資産100万ドル(1億円)以上という富裕層の基準をみたす層が全国に40〜60万世帯あり、そのうち70%が首都圏、大阪、名古屋、福岡に集中している。
 金融資産が1億〜5億円の富裕層マーケットの規模は2005年時点で167兆円、81万世帯である。2003年から拡大基調になっている。今後、団塊世代のリタイア、少子高齢化にともなう遺産相続の増加によって、金融資産5億円以上の超富裕層よりも、1億〜5億円の富裕層が増えていくと思われる。
 富裕層には銀行や証券・投資会社への不信感が根強い。手数料にも敏感であり、ほとんどの人が毎日インターネットを見て学んでいる。
 野村総研がこのような本を出したということは、この富裕層を狙った商売のノウハウを広めようということなのでしょう。
 日本が勝ち組と負け組に二分化していっている今、勝ち組にたかって、そこから吸い上げて自分の生活をまともなものにしようと叫びかけている本のような気がします。
 同じ団塊世代のみなさん、銀行や証券会社の甘い言葉にのせられないよう、お互いに気をつけましょうね。

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2007年1月25日

モスクワと金日成

朝鮮

著者:下斗米伸夫、出版社:岩波書店
 日本敗戦時、朝鮮半島に進出してきたソ連赤軍第25軍の役割は、当初、関東軍が朝鮮半島をつうじて日本本国に脱出することを防ぐことであって、朝鮮の占領や支配ではなかった。1945年8月8日、ソ連軍司令部は、12万5000人からなる第25軍に朝鮮半島北部の占領を命じた。
 スターリン治下のもとで、軍人たちが直接政治に関与する習慣はなかった。第25軍の政治面での責任者はシュトイコフ大将だった。彼は、もともとは軍人ではなく、スターリン統治下で台頭した共産党官僚であった。1930年代末にはレニングラード市党委員会の書記をしていた。
 朝鮮半島の57%の面積と人口1100万人の北朝鮮がソ連軍の占領地域となり、人口1700万人の南部はアメリカ軍占領地域となった。北は日本の残した工業が主で、南部は農業地域と考えられていた。
 38度線による分割は、あくまで暫定的措置のつもりだった。アメリカと同じく、ソ連外務省も、38度線での分断を正当化する考えは当初はなかった。スターリンも、この地域に社会主義やソビエト型秩序を目ざす構想は、少なくとも当初はなかった。
 ところが、スターリンにとってアメリカが日本に原爆を落として実践使用したことが大きな衝撃だった。これは対ソ警告の意味もあると解していた。当時、ソ連は国内でウランを産出しておらず、東欧と北朝鮮のみだった。そこで、スターリンにとって核開発は至上命題となった。
 スターリンは、パルチザン派出身のソ連軍大尉金日成を北朝鮮の指導者として選んだ。
金日成は、1945年9月19日、元山港に上陸した。主導的にではなく、受動的に朝鮮の解放を迎えたし、ソ連軍隊との協同作戦ではなく、ソ連軍の庇護下に、静かに、人々の噂にのぼることもなく上陸した。このとき、金日成は金成柱と名乗っていた。
 スターリンが金日成のような軍事専門家を北朝鮮の指導者として選んだのは、スターリンにとって、占領軍を通じて指令を忠実に実行させるのに、どちらかといえば無名の金日成は打ってつけの人物であったから。
 このように、金日成は、スターリンの指名によって指導者となった。ただ、金日成本人は、不得意な政治よりも、軍事、しかもモスクワでの軍務に戻ることを望んでいたという見方もある。
 10月14日、平壌のソ連軍歓迎集会で、金日成大尉がソ連軍服を着て、金日成将軍として登壇した。この集会は、金日成帰国歓迎集会ではなかった。ソ連軍金日成大尉は、第25軍が準備したロシア語草稿を田東赫が訳したものをそのまま演説した。
 金日成について、中国共産党側は必ずしも認識していなかった。かつて中国共産党員であったものの、指導幹部ではなかったからだ。名前も、金民松と誤記していた。
 1946年8月に北朝鮮労働党第1回大会が開かれた。このとき初代委員長には中国派の金?奉がなり、金日成は副委員長だった。名誉議長にスターリンが就任している。
 1950年代はじめ、ソ連からの軍備提供の見返りとして、北朝鮮は、金9トン、銀 40トン、そして放射性物資モナジットを1万5000トン提供することになった。
 金日成は、3月30日にソ連に入り、1ヶ月近く滞在した。4月25日、クレムリンでスターリンと会談したとき、金日成は、南でのパルチザンの活動が高まっており、やがて20万人の労働党員が南で蜂起するとスターリンに請け負った。
 スターリンは金日成の武力統一案を承認したが、同時に東アジアでのパートナーとなった毛沢東にも意見を求めるよう金日成に働きかけた。
 金日成は朴憲永とともに中国を極秘に訪れ、5月13日夜、北京で毛沢東と会談した。6月25日、北朝鮮が武力統一を仕掛けて戦争は始まった。とたんに誤算が続出した。
 最初の日から通信が麻痺した。各師団と本部の連絡は途絶えた。人民軍司令部は、第一日目から戦闘を管理していなかった。指揮官は未経験で、戦闘を管理しておらず、大砲や戦車を操作できず、連絡を失った。
 8月28日、スターリンは、金日成に電報を送り、次第に膠着していく状況に苛立っていることを伝えた。
 南労党の朴憲永が北に留めおかれたことも北の占領権力と南の民衆の距離を拡大した。
 金日成ら最高指導者は近代戦の経験をもたず、軍人、戦略家としての資質が低いことが直ちに露呈した。
 1950年12月13日、金日成は、密かに北京を訪れ、毛沢東に面会した。中朝軍司令部が出来て、金日成は彭徳懐と同格の地位となった。
 当時、北朝鮮軍は4コ師団、3万2800人、人民志願軍(中国軍)は18個師団、 20万3600人。中国軍が主体といってよい。ちなみに、対する国連軍(アメリカ軍)は12万3000人、韓国軍は8万8000人だった。
 このように北朝鮮指導部は彭徳懐が指揮する戦時体制を12月に承認していた。
 彭徳懐は、金日成が朝鮮戦争で多くの誤った判断をしたことを、口を極めてなじった。2人の間には深刻な亀裂が生じていた。
 朝鮮戦争は、ロシア資料によると、北朝鮮と中国の死傷者は200〜400万人、韓国40万人、アメリカ14万人。アメリカの専門家によると、中国兵90万人、北朝鮮兵 52万人が死傷した。ちなみに、ソ連は、航空機335機と飛行士120人を含め、全体で士官138人と 161人の兵士を失った。
 40万人の国連軍兵士が死傷したが、そのうち3分の1が韓国兵。
 朝鮮戦争の停戦は、北朝鮮の平和を意味しなかった。それは新たな粛正の波の始まりだった。金日成の影響が弱かった。党機関に対して打撃が加えられた。具体的な標的は、責任秘書として党機関に影響のあった、ソ連派の大物・許哥誼(ホガイ)を粛正することだった。
 金日成は、こうやって次々と粛正していき自らの独裁的な地位を確立したのです。いろいろ勉強になることの多い本でした。この本を読んで強く感じることは、ソ連と中国と北朝鮮が政治的に緊密な一体関係にあったという事実はなく、相互に強い不信感を抱いていたということです。決して共産主義の一枚岩ではありませんでした。
 金日成は南の蜂起は間近なので、北がちょっと南侵すれば朝鮮半島はすぐに統一化できると強引にスターリンと毛沢東を引きずりこんで戦争が始まったということのようです。

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2007年1月24日

オール1の落ちこぼれ、教師になる

社会

著者:宮本延春、出版社:角川書店
 読んでいるうちに胸が熱くなり、勇気を与えてくれる感動の本です。乙武さんの本以来のことです。久しぶりに同じ思いを味わいました。人間の能力って、遅くなっても開花するというのは、本当のことなんですね。
 中学1年生のときにオール1。そして、中学校卒業時の成績表のコピーがついています。音楽と技術が2で、あとは見事にオール1です。そんな人が名古屋大学理学部に定時制高校から一回で合格したというのです。なんともすごい快挙です。心から拍手をしたくなりました。いえ、心の中で、何度も大きく手を叩いて拍手しました。
 著者の両親はラーメン屋でした。典型的ないじめられっ子だった著者は不登校をくり返し、昼間も暗い部屋に引きこもっていた。短気な父親が怒って、「どうせ勉強しないなら、教科書も何もいらんな」と言いながら、教科書からランドセルまですべてを目の前で火を付けて燃やしてしまった。著者は、それを見ても平然としていた。
 オール1の成績表を見て、父親は「学校に何しに行ってたんだ。この馬鹿者」と怒鳴った。あなたは正真正銘の馬鹿。ここに馬鹿証明書を発行する。そう言われている気持ちで、やっぱりそうだったんだと再認識した。こうなっては今さら何をしてもムダだと自分を見捨て、落ちこぼれの気持ちをますます強固にした。
 小学校でも中学校でも、数少ない友人以外のクラスメイトは、ほとんど心と体を傷つけるような存在だった。もち物を隠されたり、壊されたり、とつぜん殴られたり、蹴られて顔面がアザだらけになったり、足に画鋲を刺されてなかなか抜けなかったり、修学旅行の班をつくるときも仲間外れにされて、どこにも入れなかった。
 教室、廊下、トイレ、下駄箱、裏庭など、学校のありとあらゆるところでいじめられる日が続いた。
 中学2年のとき、あまりのひどさに親に相談した。親が学校にかけあうと、さらにチクったとして、いじめがエスカレートした。
 著者は実は、少林寺拳法に入り、初段になって、それなりに自信はあったのですが、つかうことはありませんでした。いじめを回避できるという見通しをもてなかったからです。
 16歳のとき母が病死し、18歳のとき父も病死してしまいました。
 そのあと、訓練校を経て、大工見習いとなります。そこで、素人バンドの一員として活動するようになりますが、まったく収入がなく、1ヶ月13円で暮らしたこともあるというのです。信じられません。パン屋もらったパンの耳だけで生活していたといいます。
 ところが、その後に出会いがありました。立派な社長や専務のいる小さな建設会社に入りました。少林寺拳法も続けて、2段となり、その道場で彼女と出会います。
 著者の人生の転機は、NHKスペシャルのアインシュタイン・ロマンという6本の番組をビデオで見たことにあります。なぜ、そうなるのか、物理を勉強したくなったのです。このとき、著者は23歳。九九も言えませんでした。英語も知っているのはbookのみ。それで、小学校3年生のドリルを買ってきて勉強を始めるのです。いやー、すごいですね。大変な勇気と決意です。そして、定時制高校に入りました。
 勤め先の会社は著者が定時制高校に通う便宜を図ってくれました。高校の先生たちは著者が本気で勉強する気があるのを知ると、補習授業までしてくれました。あとで、校長先生は、著者に大学にはいるために必要なら100万円出してやるとまで言ってくれました。人の出会いの素晴らしさを感じます。こんななかで頑張り、27歳で名古屋大学理学部に一発で合格したのです。
 今、著者は母校の豊川高校の数学の教師です。こんな先生に学ぶことのできる生徒は幸せだと思います。大勢の人に読んでほしい本です。

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2007年1月23日

特捜検察官

司法

著者:姉小路 祐、出版社:講談社ノヴェル
 司法試験をめざしていた三人組のうち、一人だけ合格し、検事になった。もう一人は副検事になり、あと一人はシンクタンクで働いている。その副検事が検察庁内部の派閥抗争に巻きこまれて特命を帯びてスパイの役をさせられます。
 現場の人間あってこその検察庁なのに、重視されるのは検察行政上がりの者。歴代の検事総長の経歴をみたら歴然としている。ロッキード事件の主任検事だった吉永祐介という特捜部出身の検事総長は例外的。大半は検察行政出身の官僚検事がなっている。検察庁と法務省を往復しながら、順調に出世していった者が検事総長になる。苦労の多い現場の検事は報われていない。
 警察では報われないノンキャリアと支配するキャリアという構造がある。しかし、検察庁には、報われないキャリアと支配するキャリアがいる。検察行政に携わる官僚検事のほうが、他の省庁の官僚との横つながりがあり、政界とも太いパイプを持っている。
 たとえば、法務省にいる検事は、法務大臣の国会答弁を支える仕事もする。法案作成の手伝いをすることもある。つまり、法務省の検事は内閣の一員なのだ。政治家と顔見知りにもなるし、お互い様といった関係になる。
 ところが、現場の検事はそういうしがらみがない。政治家の不正を見つけると遠慮なく摘発する。政界はそういった現場の検事を歓迎したくない。
 公安派はホワイト・カラーであり、特捜派はブルーカラーだ。
 公安派は東大・京大の出身者が大半を占める。特捜派は私学・地方国立大学の出身者が多い。特捜派の検事が特捜トップの検事総長になる可能性は低い。
 公安派対特捜派という図式とは違う第三の派が誕生した。口の悪い公安派は国策派と呼ぶ。三者、三竦みの状況だ。権力機構というのは、どうしても覇権争いをしてしまうものだ。この三者構造って、ホントのことなんでしょうか・・・。
 特捜検察があるから、日本の政治は腐敗が防げている。
 大変な自負心ですが、果たしてそうでしょうか。
 特捜部は企業と違う。あまり成果をあげないほうが、むしろ国にとっては歓迎すべきことだ。うーむ、果たしてそうなのか・・・。
 国策派は、大蔵省・日銀の不祥事をきっかけに、公安派から枝分かれして急成長した。公安派にとっては、国策派は司法官僚という同じ穴の狢だ。検察が国策捜査をするための道具となってしまってはいけない。
 特捜派が現場部門を掌握しているが、公安派は管理部門を支配し、人事権を手にしている。というのも、公安派には特捜派にはない情報収集力がある。手足として、公安調査庁を使えるし、公安警察とも強いパイプがある。その情報収集力を検察内部に向ければ、検事たちの交友関係から、仕事上のミスやトラブルなどもつかめる。だから人事権を手にしているのだ。
 小説に名を借りた検察庁内部の派閥生態の解説本といったおもむきの本でした。どこまであたっているのでしょうか。
 最近、副検事への昇任希望者や特任検事へなりたがる人が減っているという話を聞いたことがありますが、本当でしょうか。どなたか教えてください。

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2007年1月22日

総理の品格

社会

著者:木村 貢、出版社:徳間書店
 官邸秘書官が見た歴代宰相の素顔というのがサブタイトルになっています。オビには、池田首相以来四代の総理に仕え、官邸の主と言われた宏池会本事務局長の歴史的証言、とあります。
 宮澤喜一元首相が推薦の言葉を寄せています。それによると、著者は、池田勇人に始まり、歴代の宏池会会長であった前尾繁三郎、大平正芳、鈴木善幸、宮澤喜一を黙々として全力で支えました。80歳となり、事務局長を辞めてから回想したものです。
 宮澤は人の言うことをまったく聞こうとしない。自分の方が頭がいいと思っていたから、当然のことだろうが・・・。
 同じように加藤紘一も人のアドバイスを聞くタイプではなかった。おれは一番頭がいい。いちばん出来るんだという自負が強かったから。だから、加藤にはいいアドバイザーがいなかった。同じ自信家といっても、宮澤と加藤とでは少しニュアンスが違う。加藤には、自分のほうからあえて近寄って行って人の話に耳を傾けるといった謙虚さが欠けている。
 大平正芳は、留守中に自分の家が火事で全焼したときにこう言った。
 これは祝融(しゅくゆう)だ。物事をきれいさっぱり一掃して新しいスタートをせよということだ。だから、これはおめでたい出来事なのだ。
 自分に言いきかせた言葉なのでしょうが、それにしてもすごい言葉ですよね。
 大平正芳は、かねてから心臓の具合が悪く、つねにニトログリセリンを持ち歩いていた。どうやら大平家の家系のようだ。兄も弟も心臓病で亡くなっている。
 鈴木善幸は初当選したときは社会党に所属していた。日米同盟には軍事同盟はふくまれていないとアメリカ帰りに記者へ明言したのは、そのリベラルなところから来ているもの。しかし、アメリカがそんな食言を放っておくはずはありません。大問題となりました。今では考えられないことです。世の中がこの点では悪い方向にすっかり変わっています。
 鈴木は総理の椅子に恋々としがみつくことはなかった。明治の男という感じだった。鈴木善幸は一番の聞き上手だった。加藤紘一は聞くのが下手だった。
 実は、この本を紹介しようと思ったのは、まことに政界はジェラシーの海だ、という著者の言葉を読んだからです。
 大平正芳が宏池会会長になると、小坂善太郎は抜けた。宏池会に河野洋平が入ってきたとき、加藤紘一は不安にかられた。加藤が宏池会会長になると河野洋平が出ていく。
 こんな具合で、政界の内情は政治家同士のジェラシーが渦巻いているというのです。なるほど、その視点で見たら、また違った政治分析ができて、面白いのでしょうね。
 それにしても福岡の古賀誠が今や宏池会の会長だなんて、どうなっているんでしょうね。銀座ホステス愛人とか暴力団との癒着とか、週刊誌でいろいろ書かれても、そんなことくらいでは足もとは揺らがないということなんでしょうね。政界の浄化は道遠しという感があります。

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2007年1月19日

風の影

ヨーロッパ

著者:カルロス・ルイス・サフォン、出版社:集英社文庫
 本年度のミステリーナンバー1ということです。なるほど、どっしりとした読みごたえがあります。400頁の文庫本で2冊という大長編です。
 オビにある推薦の言葉を紹介します。小説を読む喜びにあふれている。物語の虜になることの愉しさがここにはある。まさに傑作。過去と現在を複雑な糸でつなぎ合わせ、読む者を浪漫の迷宮へ誘い込んでいく。すべての誠実な読書人におすすめしたい、掛け値なしの傑作である。
 どうですか。ここまで書かれると、うん、どんなものだかちょっと読んでみようって気になりますよね。私も、そんなわけで読んでしまったのです。それにしても、オビの3行とか4行で本屋で手に取って読ませようという文書を私も書いてみたいと思いました。
 舞台はスペインのバルセロナです。古書店の父と息子が登場します。スペインの小説には、いつもスペイン内戦の影がまとわりついてきます。フランコ派と人民戦線そしてアナーキストが互いに殺しあった悲惨な内戦の後遺症が今もあとを引いているようです。人々の消すに消せない重大な出来事だったのでしょう。
 いくら読みすすめていっても、いったいこの話はどんなふうに展開していくのか、まるで予測がつかないのです。だから、次はどうなるのか知りたくて、ひたすら頁を繰っていきました。
 話の筋が複雑にからみあっていて、なるほど、そういうことだったのか、と終わりころになって、ようやく事件の全貌をつかむことができます。それまで、物語の基調にあるレクイエムのような暗い調べをずっと聞いている気分に浸ることになります。決して心地よいものではありません。でも、先行見通しの不透明さ、人生の不可思議さをじっくり味わうことのできる小説ではあります。
 私はベトナム行きの飛行機のなかで読みました。ベトナムまで福岡から5時間かかるのです。

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モンゴル時代史研究

世界史

著者:本田実信、出版社:東京大学出版会
 イラクへ侵攻したアメリカ軍兵士が3000人以上亡くなり、ついに9.11の犠牲者を上まわりました。負傷者は数万人にのぼるとみられています。戦場PTSD患者は大変な数になっているようです。もちろんイラク人の犠牲者はもっと多く、5万人は下まわらないと言われています。これらの死傷者をうんでいる原因の一つに自爆攻撃があります。自らの身体に強力な爆弾を巻きつけて要人を暗殺した例としては、スリランカの首相暗殺をすぐ思い出します。イラクでは、スンニー派とシーア派との宗派間の争いもあって、完全な内戦状態に突入しているといわれています。
 11世紀のイスラム世界に、要人暗殺を得意とするイスマイール派という教団があったことで有名です。アッバース朝カリフ制やセルジューク朝スルタン制というスンニー派体制の打倒を目ざし、天険利用の山城群を構築し、暗殺集団を組織していた。イスマイール派の山城の総数は150とも360ともいう。山城には、十全の防備施設をもつ居城、遠望のきく見張り城、有事の際に立て籠もる逃げ城、狼煙などによる連絡点としての山城がある。これらの山城をセルジュク朝も、モンゴル軍(フラグ)も、一つも落とすことができなかった。
 イスマイール派教団には、指導者層として3階級の宣教者がいて、その下に献身者がいた。献身者の任務は暗殺。献身者は信者の若者たちから選択され、困苦に耐える肉体の錬磨、必殺の武技訓練のほかに、高度の教養が授けられ、アラビア語、ラテン語などの学習の習得が課され、自己犠牲を喜ぶ精神的鍛錬が施された。
 暗殺の対象は、スンニー派の法官、市長、さらにカリフであり、将軍や宰相だった。毒薬や飛び道具はつかわず、すべて匕首(あいくち)で刺殺した。闇討ちではなく、むしろ、大モスクの金曜日の祈りの場など、公衆の面前で刺殺するのが建前だった。そのため、献身者はたいていその場で殺害され、生還の望みは初めからなかった。
 また、スンニー派なら無差別に殺傷するというのではなく、政治的・宗教的・社会的にもっとも効果の期待できる者が狙われた。
 暗殺すべき目標の人物が決まると、彼についての詳細・的確な情報が集められ、暗殺の手だてが綿密に検討され、適任の献身者が選ばれた。
 アラムート城には、暗殺された者と暗殺した献身者の氏名、暗殺の場所、日付を書き入れた暗殺者表が保管された。それによると、暗殺された者は、ハサン・サッバーフの治世に48人、第2代と第3代の世には、それぞれ10人、14人となっている。いずれも当代スンニー派ないしセルジュク朝の代表的人物である。
 600頁をこえる分厚い学術書です。今から10年前に読んでいたのですが、イラクで頻発する自爆テロと似通っていると思いましたので、紹介します。

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葉の上の昆虫記

生き物

著者:中谷憲一、出版社:トンボ出版
 葉っぱの上に昆虫がとまっています。蜜を吸っているのでしょうか・・・。
 モンシロチョウのメスが交尾を拒否する姿勢を見せています。チョウチョもオスを選ぶのです。オスも、さっとあきらめたり、なかなかあきらめきれずに、その辺をウロウロしたりします。まるで人間のオスと同じです。
 アリとアブラムシ。アブラムシは植物の篩管を流れる糖分の多い栄養液を吸っている。ところが、アブラムシはその栄養液の一部しか吸収せず、たっぷり糖分を含んだ甘い液を、お尻から出してしまう。この甘露をなめようと、たくさんの昆虫が集まる。チョウやハナアブ、アシナガバチなどがやってくる。
 ほかの昆虫とちがって、アリとアブラムシは特別な関係にある。アリはアブラムシのお尻から、直接、この甘露をもらう。アリが触角でアブラムシのおなかを叩くと、アブラムシは甘い液を出す。アブラムシがアリを特別扱いするかわりに、アリはアブラムシを保護する。テントウムシなどがアブラムシを食べようと近づいてくると、アリはテントウムシを攻撃して追い払ってくれる。いってみれば、アブラムシが出す甘い液は、警備員として働いてくれるアリへの報酬なのだ。
 アリはハチの一種。翅がないだけで、からだつきはハチそのもの。その生態もハチそのもの。アリとシロアリは、昆虫という大きなグループの一員ではあるが、昆虫のなかのグループ分けでは、なかり違う。
 擬態。毒ともつ生き物のまねをして、毒があるように見せかける。簡単に毒をもつことができるのなら、毒をもって身を守ればいい。しかし、毒をもつのは実際には大変なこと。だから、見かけだけ毒のある生き物に見せかけるほうが簡単で、てっとりばやい。
 昆虫のいろんな生態がよくも微細に写真で紹介されています。昆虫好きの人には、絶対おすすめの写真集です。

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2007年1月18日

新・富裕層マネー

社会

著者:日本経済新聞社、出版社:日本経済新聞社
 日本に金融資産1億円以上の富裕層は131万人。全世界の富裕層(770万人)の 17%を占める。
 5億円以上のスーパーリッチは6万世帯。1億〜5億の大衆富裕層は72万世帯。これは、遺産相続による人が大きな割合を占めている。
 居住目的の不動産を除いた純資産で100万ドル以上の日本の富裕層は134万人、これは世界第2位。1位はアメリカで250万人。3位はドイツの74万人。
 スイス銀行が相手にするのは、金融資産5億円以上の人。
 グロソブという言葉を初めて知りました。グローバル・ソブリン・オープンというものです。日本に比べて高利まわりの欧米の国債を中心に運用し、投資家に毎月、分配金を還元します。購入者は100万人をこえているヒット商品だということです。
 団塊世代が退職するのは間近かだ。1人あたり平均2000万円として、年間15兆円。3年で47兆円。その前後をふくめての80兆円が、いま狙われている。団塊世代は既に110兆円をもっており、あわせると団塊マネーは150〜190兆円になる。
 ひゃあー、そんな金額になるんですか・・・。
 銀行預金に利子がつかない現在、投資信託が注目されているという。銀行が投信販売に熱心になるのは、販売手数料だけでなく、預かり資産に比例して信託報酬が見込めるから。
 たとえば、いちよし証券では、信託報酬が前年同期比38%増の19億円となった。これは、グロソブの預かり資産が400億円になったことによる。
 しかし、投資信託の基本は、元本保証のないこと。これを見逃して投資すると、痛い目にあう。投信ビジネスは証券会社にとって三度おいしい。販売手数料、代行手数料、委託手数料が入るから。あのグリコ以上のおいしさを証券会社がひとり占めするなんて、そんなことが許せるでしょうか・・・。
 不動産をふくむ資産が1億円を超す富裕層の日本人は300万人をこえる。彼らは遺言書を作成する。信託協会に加盟する銀行は4万8000通の遺言書を保管している。
 信託銀行の扱うリバースモーゲージというのがあるそうです。私は知りませんでした。自宅を担保とし、そこに住み続けながら年金のように一定額を受け取り続けるというものです。利用者が死亡したときなどに自宅を売却して元利金を一括返済することになります。7000万円の評価のある自宅を担保とし、毎年180万円を受けとれたというケースが紹介されています。果たして利用者にとってのリスクはないのでしょうか。どなたか、教えてください。
 信託銀行は、たとえば3000万円を預けている顧客に対しては、名医の紹介や金持ち向けのパック旅行紹介のサービスをしているそうです。でも、パリのコンドミニアムを紹介するというサービスがあるというのには笑ってしまいました。私は別荘も持ちたくありません。旅行先では、すべてあげ膳、据え膳でいきたいのです。炊事・洗濯、すべて自己責任、だったら日常生活そのものではありませんか。
 5%の利まわりがあるという宣伝文句だったのに、実は、信託報酬など差しひかれると1%にしかならないという。あくまでも信託銀行がもうかる仕組みになっているということです。
 金融資産が1億円あるということは、1億円しかないということ。信託銀行をふくめて銀行や証券会社にとっていいカモになる危険性はきわめて大きいのです。
 いや、証券会社などに頼らずインターネットで直接取引をしてもうけるのだ、そういう人がいるでしょう。でも、そんな人はパソコンの画面と24時間にらめっこしていなくてはなりません。仮に1日で10万円もうけたとしても、それってむなしくありませんか。四季折々の移り変わり、人間の生きざまの変わり方を議論するよりなにより、パソコンの画面をじっと、何時間もみつめ続けるなんて・・・。貴重な人生時間のムダづかいの典型ではありませんか。人生にはお金に代えがたい、大きなものがある。それは、たとえば親友です。なんでも話せる友だちって、お金なんかでは買えないでしょ。
 それにしても、なんだか欺しのテクニックがどんどん広がっているようで、怖い世の中です。同じ団塊世代のみなさん、お互いに気をつけましょうね。

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2007年1月17日

大統領の品格

アメリカ

著者:宮本信生、出版社:グラフ社
 外務省に入り、キューバやチェコの大使も歴任した元外交官が、ブッシュ大統領を厳しく糾弾しています。
 この本のオビには、元外務事務次官で駐米大使もつとめた人が推薦文をのせています。日本にも心ある外交官がいたことを知って、少しは安心します。いつだってアメリカの言いなり、対米追随外交で定評のある日本ですが、少しは気骨のある人もいるということなのでしょう。
 ブッシュはその願望に反し、アメリカ史上最低の大統領として適しに名を残しかけている。ブッシュ大統領は、偉大な大統領という個人的目的達成のためには手段を選ばない。その結果、彼我に多大の死傷者を出し、しかも平然としている。イラクにおけるアメリカ兵の死者は9.11の死者を上まわり、3000人を超えてしまいました。
 この傲慢な自己中心主義者とその側近は、平和に対する罪に加え、通例の戦争犯罪、人道に対する罪の下でも、その責任が厳しく問われて然るべきである。
 公の場に出てくるたびにスター気取りで新しく豪華なスーツを着用しているライス国務長官は、その背後にある優越感と傲慢をまず除去する必要がある。ライスは、メイドか付き人のようにブッシュに忠実な非白人である。
 西暦2世紀に書かれた、「ローマ皇帝伝」において、傲岸不遜なカエサルは暗殺されて当然だと断じられている。ローマ皇帝にしろ、独裁者にしろ、テロリストにしろ、また自由・民主主義を標榜する「皇帝的」大統領にしろ、その傲慢に起因する背徳性、違法性、自己中心主義のために、結果的に、無辜の民を大量に死に追いやる為政者は万死に値する。ブッシュ大統領は、ビンラディンやサダム・フセインと同罪である。
 うむむ、胸のすくような判決です。
 ブッシュは、裕福で甘い両親の下、無理が通る環境で育ったためか、自己中心主義的で、わがままな幼児性を大人の世界にまで持ち込んだ感がある。長じて、それは傲慢となったように思われる。
 アメリカは今、人も物も、電話による会話も、ことごとく国家の監視下に置くことによって、テロの国内への浸透を食い止めることに、とりあえず成功している。しかし、将来に向けて成功し続ける保証はどこにもない。テロは極度に予知しがたい。テロの根源を除去すべきであるのに、現状は蚊が発生する汚水を清掃することなく、そこから発生する蚊を一匹一匹たたき殺すか、都市全体に蚊帳を張りめぐらしているようなものである。まずなすべきことは、反米テロが発生する汚水を清掃すること。汚水とは、アメリカの傲慢である。
 よくぞここまで言ったと思われるほど、ブッシュ大統領を明快に裁いた本です。日本人は、一刻も早く目が覚めるべきだと私はつくづく思います。

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2007年1月16日

検証・国策逮捕

著者:東京新聞特別取材班、出版社:光文社

 サブ・タイトルは、経済検察はなぜ、いかに堀江・村上を葬ったのか、です。検察庁は日本の政治を部分的にではあれ、左右しようという意欲と自覚を持つ官庁なのでしょうか。結果的にそうなった、というのなら分かりますが、はじめから、それを意図しているとなると、果たして、その能力と資格があるのか、私などは眉につばをつけたくなります。それほど政治に敏感な人間集団だとは、とても思えませんし、そんなに能力にすぐれた人々がつくっている組織だとも思えないからです。
 ところで、日銀総裁の福井俊彦は日本人の大人のモラルが地に堕ちていることを如実に示す典型の男です。こんな人間が日本銀行のトップとして君臨している限り、日本の指導層に日本人のモラルがどうのこうの、近頃の若者のモラル低下は嘆かわしいなどと言う資格はないでしょう。
 福井俊彦は村上ファンドに個人として投資していた。それを本人は、あまり大した金額ではないとした。実際にはどうか。村上ファンドに投資したのは1000万円で、運用益は1473万円。既に242万円を分配金として受けとっている。6年で元本の2.47倍になっている。これを大した銀額ではないと堂々と言いつのるのだ。信じられない。
 福井俊彦夫婦の総資産は3億5000万円。給与は年3641万円。このほかに年金 778万円をもらう。つまり、年収4419万円だ。それからすると、1473万円の利益なんて、大したことない金額なのだろう。でも、日銀トップがそんな感覚で果たしていいのか。
 村上ファンドの関係で問題となったのは福井俊彦のほかにもう一人、オリックス会長の宮内義彦がいます。なんでも民活と称して、抜け目なく肥え太っている典型的な政商です。オリックスは、2001年から、村上ファンドへの投資窓口として資金集めを代行し、手数料を受けとっていた。村上とは常に密接な関係にあった。
 福井と宮内を国会に参考人として招致せよと野党が要求したとき、宮内は「民間同士の自由な契約関係であり、国会にはそぐわない気がする」と言い逃れました。日本の政財界トップにこんなに低いモラルしかないのですから、下が悪くなるのもあたりまえです。上のほうで大金持ちたちがカネにあかせて堂々としたい放題をし、マスコミがたたくのも腰くだけになって、いつのまにかウヤムヤになってしまうというパターンが続けば、カネこそすべてという風潮が日本にまん延するのは避けられません。教育基本法を改正したのはこんな連中なのです。彼らの卑しい品性が次世代を担う日本の子どもたちに押しつけられてしまうのが、本当に心配です。
 村上の弁護人の中心が則定衛本東京高検検事長だというのを知って、あーあ、またヤメ検かー・・・、とついため息が出てしまいました。いえ、検察官を退職して弁護士になった人全部をけなすつもりはまったくありません。私も、立派なヤメ検弁護士を何人も知っています。それでも、スキャンダルのために検事総長になり損ねたような人物が村上の弁護人になったというのを聞くと、なんだか割り切れない気がしてしまうのです。
 ホリエモン逮捕によって、東京証券取引所の売買システムがダウンし、全銘柄の取引停止という前代未聞の事態に陥った。これは検察にとっても想定外の出来事だった。堀江の保釈は3ヶ月後、保証金は3億円。堀江の六本木ヒルズの家賃は200万円。勾留中に「沈まぬ太陽」(山崎豊子)を読んで感動し、保釈されたあと御巣鷹山にのぼった。
 ライブドアの個人株主は22万人にまでふくれあがった。
 ライブドアに対する特捜部の内定捜査について、本書は政治的な糸や世論の風向きは関係なかったとしています。しかし、国策捜査でなくても狙い撃ちされた感は否めないとしています。その点は、私も同感です。出る杭は打たれるという感じです。あまりに派手にやると叩かれるというのが日本の風土なのでしょう・・・。

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