弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2007年1月10日

朝鮮王朝史(下)

著者:李 成茂、出版社:日本評論社

 1674年、粛宗が14歳で王位に就いた。粛宗在位の46年間は、朝鮮中期以来続いた党争が絶頂に達する。そのバランスを欠いた政治運営によって、党争の弊害がさらに進んだ。
 粛宗の課題は、前の顕宗時代に礼訟論争を通じて傷ついた王室の権威、弱められた王権を強化することにあった。
 粛宗の私生活は、愛憎の偏りが激しかった。粛宗は、換局という手法で政権を交替させ、王権の回復と強化に非凡な能力を発揮した。
 二人の学者が、殺さなければ殺されるという非常な政治論理とあいまって、戦いをエスカレートしていった。宋時烈(ソンシヨル)と尹鑴(いんけい、ユンヒュ)の二人である。尹鑴は、朱子の説を絶対不変の金科玉条としては受け入れなかった。朱子を尊敬はしたが、盲信はしなかった。生きては宋時烈の憎悪を受け、老人では忌諱の対象となって、自派からも見捨てられた。これが自由主義を追求して、教条主義的な理念に果敢に挑戦した一人の思想家の運命だった。尹鑴の死んだあと、朱子学の教条主義は、以前にも増して猛威をふるうようになった。
 朝鮮第21代の王である英祖は朋党の弊害を列挙して、蕩平(とうへい)策への強い人事・地位をみせた。党論が殺戮の元凶となり、殺戮が亡国の元凶になることを、王世子時代からの体験を通じて見にしみて知っていたので、各派に均等に人事・地位を与える策をとることにしたのである。不偏不党の政策である。ところが、これは両派いずれの支持も得られなかった。そこで英祖は国王としての権威を前面に押し出し、臣下を抑えようとする一方、嗚咽(おえつ)する姿を見せて感情に訴えたりもした。しかし、このような威嚇も説得も臣下に通じなかった。英祖時代の序盤の政局は限りなく混乱した。
 難局を乗り切った非凡な君主として、英祖は30年以上にわたって蕩平の名で臣下を弄び、国王としての権威を一身に享受した。
 士禍の終わりは、党争の始まりでもあった。士大夫とは、読書する士と、政治に従事する大夫との合成語だ。これは、両班とほとんど同義語として使われる朝鮮王朝支配層の総称である。
 19世紀、憲宗朝。ヨーロッパの帝国が進出してきた。イギリスは商業活動を目的とし、フランスはキリスト教の伸張をめざした。イギリスはインドに会社を設立して植民地の併呑計画を立てていた。フランスはベトナムへの教会創設を口実として侵略をすすめていた。
 1846年9月、金大建神父が処刑された。天主教徒は死をみること天国のようで、自分を痛めつける棍杖をいささかも恐れなかった。天主教は先行きが不透明だった19世紀前半の朝鮮で、政界から排除された勢力や一般国民、女性たちに来世に対する確固たる信頼を与えた。1865年、天主教徒の総数は2万3000人となり、朝鮮にいる宣教師は12人だった。
 高宗は、朝鮮王朝最後の国王として34年(1863〜97年)、大韓帝国皇帝として10年(1897〜1907年)、通算44年間、君主の座にあった。日本に強要されて退位した高宗は、1919年、68歳のとき亡くなった。高宗は歴代の君主のなかでは長寿だったが、孤独な一生だった。
 朝鮮軍民が日本を敵視するようになったのは、1876年2月の江華島条約からである。江華島をめぐる日本と中国の対立の始まりだった。以後、野心に満ちた日本商人が争って朝鮮の対外貿易を独占した。これによって朝鮮の自給自足の経済基盤をゆるがし、それが都市零細民と下級軍人の不満を招き、壬申軍乱の一つの要因となった。
 壬申軍乱のあと、日本は朝鮮に迫って50万円の賠償金を課し、日本軍のソウル駐屯権を確保した。壬申軍乱は、日本の朝鮮に対する軍事的支配の序幕となった。真に大韓帝国の外交権を剥奪した元凶は日本の伊藤博文、桂太郎、林権助、長谷川好道の5人というべきだ。これらの元凶たちは日本の教科書では、今では、今なお賛美されている。乙巳五賊にのみ責任を押しつけてよいものだろうか。
 下巻も600頁近くもある大部な本です。激闘のなかにあった朝鮮王朝の実情を知り、後半期における日本の責任を考えさせられました。
 年の暮れに韓国映画「王の男」を見ました。韓国で4人に1人が見たという大ヒット作品ですが、実によく出来た映画で、最後まで画面をくい入るように見つめ、時のたつのを忘れました。
 ときは16世紀初頭。燕山君(ヨンサングン)の時代です。旅芸人の若い男2人が漢陽(今のソウル)にやって来て、宮廷を面白おかしく皮肉った芝居を街頭で演じて民衆の大人気を博します。そのあと、宮廷に招き入れられ、その陰謀と策略に巻きこまれていくのです。旅芸人の芸も見事なものです。狂気の王の眼つきの妖しさに目を奪われ、女形を演じる旅芸人の美しさにため息が出ました。韓国映画の力量(レベル)の高さに改めて感心させられました。日本では大きな劇場で上映していないのが残念でなりません。

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