弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
ゴリラ
2022年6月13日
火の山にすむゴリラ
(霧山昴)
著者 前川 貴行 、 出版 新日本出版社
ゴリラの顔って、本当に知性にあふれています。じっと何かを考えている様子なのです。
アフリカの赤道直下、標高4500メートルもある山にすむマウンテンゴリラの身近にいて、写真をとったのです。すごい写真です。
あるとき、赤ん坊を抱えた母ゴリラがすぐ目の前にあらわれたので、シャッターを切ったら、その母ゴリラに腕をつかまれたのでした。
「こんなに近くから写真なんか撮るんじゃないよ」
(すいません)。カメラをおろして、じっと固まっていると、母ゴリラは、(うん、分かってくれたなら、いいよ。もう、こんな近くから撮るなんて、無茶するなよ)と、腕を離してくれた。そこで、ゆっくり後ろに下がって、少し離れたところから再びカメラを向けてシャッターを切った。今度は、母ゴリラは怒ることもなく、黙って写真を撮らせてくれた。
ええっ、う、うそでしょう...。そんな怖い体験をしたんですね。ゴリラって、意外にも、心優しい生きものなんですよね...。「ターザン」映画でゴリラが凶暴な悪役を演じていますが、あれは人間の妄想でした。
そのマウンテンゴリラは、今や1000頭ほどで、絶滅する心配がある。熱帯雨林が人間の開発で切り開かれ、ゴリラのすめる森が少なくなった。戦争などのためゴリラを食べる人が増えた。病気がはやり、ゲリラが暇(ひま)つぶしにゴリラを射殺する。原因はいろいろです。
でも、ゴリラがすまない森は、まわりまわって人間だって都会で生活できなくなることにつながっています。たとえば、Co2の排出量が増える一方だったりして...。
群れをひきいるシルバーバック(オス)は、実は子煩悩(ぼんのう)で、仲間の面倒みもよい。ゴリラは、大人も子どももとても遊び好きで、争いは好まない。家族の絆(きずな)も固い。
ゴリラの赤ちゃんは2キロ弱で産まれてから人間の赤ちゃんより小さい。1歳までは母ゴリラが肌身離さず世話をし、母乳で育てる。1歳すぎると母ゴリラは赤ちゃんをときどきシルバーバックに預ける。預けられたシルバーバックは、積極的に赤ちゃんの面倒をみる。3歳すぎると、子どもゴリラは乳離れし、寝るときもシルバーバックのそばにいる。
子どもゴリラは、木やつるにのぼって遊ぶのが大好き。仲間と荒あらしく遊ぶこともある。
シルバーバックの周りにはいつだって子どもたちがいる。シルバーバックのほうも、子どもを嫌がらず、おだやかに優しく見守っている。
大判のすばらしい写真集です。ゴリラの表情が実に生き生きしていて、ついつい吸い込まれそうになりました。ゴリラと人間の共存は口でいうほど簡単ではありませんが、とても大切、いえ不可欠なのです。
(2022年5月刊。税込1870円)
2020年5月11日
ゴリラに学ぶ
(霧山昴)
著者 山極 寿一 、 出版 ちくま文庫
京都大学総長であり、日本学術会議会長もつとめる著者は、ゴリラ研究の世界的権威でもあります。著者は、ながくアフリカで野生のゴリラの生態や社会を研究してきて、オトコという存在に気がついたといいます。
オトコは、文化的なカテゴリーを含んでいる。人間の男は、生物としてのオスから出発し、生物学だけではとらえきれないオトコを経て今の姿になった。
オスがメスより大きくなったのは、外敵からの防衛をオスが担うようになったから。
オスは、メスにない派手な特徴を身につけているが、これは、見せかけだけでなく、外敵と実際にたたかう能力をオスが発達させた結果である。
ゴリラのオスは一度ソリタリー(独り暮らし)になったら、二度と他の群れに加入できない。ゴリラの群れは、複数のオスの共存を許さないからだ。
ゴリラのオスは、移籍しそうなメスを誘い出して自分の群れをつくるか、群れのオスが死んでメスだけになったときに入り込むしか、ソリタリーの生活を脱却する道は残されていない。
ゴリラのオスは、一度自分の集団を持てば、追い出されることはないので、老後は恵まれていると言える。
ゴリラのオスは、基本的に観客がいるときしかディスプレイをしない。
ゴリラのオスのドラミングは、他のオスに対しては手強い相手だと思わせ、メスには信頼できるパートナーとしての力と技量を示し、子どもたちには頼りがいのある保護者として見えるように、見栄を張る手段なのである。
ところが、メスは、オスの思惑どおりには動かない。交尾が成立するか否かはメス次第。人間以外の霊長類のメスは、自分の排卵日をきちんと分かっている。メスは排卵日までは優位なオスにつきあって、排卵日になると、別のオスと交尾する。その結果、優位なオスでも劣位なオスでも、同じように子孫を残すことになる。
メスは見知らぬオスを好む。そして、ゴリラのメスは発情特徴をほとんど示さない。ゴリラのオスはメスの発情刺激によらずに性欲を覚える能力を発達させている。
類人猿たちは、思春期を過ぎても同年齢や年下の仲間と熱心に遊ぶ。遊ぶというルールの中で、ふだんの自分とは別の役割をつくり出し、それを演じる能力がある。
交尾も遊びと同じように、相手に強要できない。サルには強姦という手段はない。
ゴリラの赤ん坊は、2キログラム弱の小さな体で生まれる。とても甘えん坊で、3年間は母親の乳をせがむ。出生後の1年間は、母親がめったに赤ん坊を離さない。他のゴリラに触らせない。
母親が赤ん坊をオスに紹介し、赤ん坊が徐々にオスに馴れ、自分からオスを頼るようになって初めてオスと幼児の親密な関係が生まれる。ゴリラのオスは、母親と子どもから二重の選択を経て、やっと父親たる行動を示せるようになる。
ゴリラの集団は、なわばりを持っていない。
メスや子どもゴリラが地上にベッドをつくらないのは、ヒョウを恐れているから。体重200キログラムをこえるオスのゴリラが近くで目を光らせてくれなければ、彼らは安心して地上で夜を過ごせない。
ベッドは毎日つくり替える。繰り返し利用すると、排泄物で汚れ、寄生虫の温床となるからだ。
人類の発明は、食物を採集する場所と食べる場所とを分けたこと。この二つを分けたことで人間らしい特徴が生まれた。それは想像力と仲間への信頼だ。
ゴリラの観察はヒトの観察に通じることがよく分かる本でもあります。
(2019年9月刊。820円+税)
2018年5月 7日
ゴリラと学ぶ
(霧山昴)
著者 山極 寿一 ・ 蒲田 浩毅 、 出版 ミネルヴァ書房
知的刺激にみちあふれた面白い本です。ワクワクドキドキしながら、一気に読み終えました。
屋久島のサルの世界に入り浸り、ゴリラの森へ入っていく霊長類学研究者は今や京都大学の総長です。自薦でなったのではなく、むしろ後輩たちは総長にならないよう落選運動まで起きたのに当選してしまったというのですから、京大人の懐の深さはたいしたものです。京大の入学式(卒業式)での総長挨拶も読みましたが、社会との関わりで生き方を考えてほしいという格調の高さにはまさしく、脱帽しました。
昆虫採集は、殺して標本にするから嫌いだ。高校まで塾に行ったことはない。小学校では野球ばっかりしていた。公立中学校に行き、日記少年だった。成績は中の上、4と5が半々くらい。高校は都立の国立(くにたち)高校。大した受験勉強もせずに入った。京大入試では、数学・物理は大好きだったけれど、生物は得意でなく、入試科目でもなかった。京大に行ったのは、東京を離れたいという動機から。私自身は東京に行きたかったのでした。
大学ではフランス語を勉強し、ロシア語はなんとか単位をとったくらい。
野生のサルを観察した。感情をこめて同化しないとサルの顔は覚えられない。サルの顔が夢に出てくるようになったら大丈夫。
京大の良き伝統は、「あ、それオモシロイなあ、ほな、やってみなはれ」というもの。
屋久島ではサルが自然状態で暮らしている。それでサルの社会生活をじっくり観察した。
著者の新婚旅行はアフリカのナイロビへの旅です。これまたすごいですね。新婦の勇気に圧倒されます。
著者はケータイをもっていない。スマホも使わない。人に使われるのが嫌いだから。この点は、不肖、私と同じです。大学者と同じだと知って、うれしくなりました。
睡眠は8時間。寝ないとダメ。これも私と共通しています。ただし、著者は強烈な酒豪ですから、そこがまったく違います。
京大理学部は、学生に教授を先生と呼ばせない。あくまで「さん」。これはすばらしい。私も新しい弁護士仲間は「さん」と呼びますが、少し離れた関係だと無難に「先生」と呼びます。もう一つの本当の理由は、名前が出てこないことがしばしばあるからです。
著者は1980年6月にアフリカで有名なダイアン・フォッシーと会った。そのとき、ゴリラの挨拶音を出すよう求められた。
ゴリラの社会は、互いに見つめあうことを相手に求める。これは、サルやチンパンジーではありえないこと。
ゴリラは「凶暴な野獣」という誤ったレッテルが貼られている。しかし、本当は争わないのがゴリラ。むしろ平和好き。胸を叩くドラミングは、宣戦布告ではなく、お互いに離れて対等に共存しましょうと呼びかけているもの。
ゴリラは子育てをバトンタッチする。乳離れするまでは母親が、乳離れしたらオスが子どもを育てる。それが父親になること。
ゴリラの赤ちゃんは泣かない。なぜなら、ずっと母親に抱かれているから。ところが、人間の赤ちゃんは母親からときどき離されるので、泣いて自己主張をしなければいけない。
味わい深い本です。一読の価値が大いにあります。
(2018年2月刊。2200円+税)
連休中、例によって近くの小山にのぼった。雨上がりなので、斜面がすべりやすくて危ないかと心配したが、それほどでもなかった。かえって、みずみずしい青葉若葉のなかを歩けて気分良かった。途中で出会った農作業中の女性から蛇に気を付けてがんばってねと声をかけられたが、幸い蛇に遭遇することはなかった。久しぶりの山道だが、なんとかへたばることなく1時間ほどで338メートルの山頂にたどり着いた。珍しく子どもたちがいる。近ごろは野山をハイキングしているのは単独行のおじさんか、元気なおばさんばかり。ところが今回は若い女性2人組も歩いていた。
山頂そばの見晴らしのいいところにあるベンチに腰かけてお弁当開き。360度パノラマのように、有明海、雲仙岳そして青い空に白い小さな雲が千切れながらゆっくり漂っている。
ウグイスの鳴き声を聞き、緑したたるそよ風に頬をなでられながら梅干したっぷりのおにぎりをほおばる。至福のひととき。紅茶でノドをうるおしたあと、ベンチに横になり、下界のレジャー施設の渋滞を想像しながら昼寝をしばし楽しむ。赤紫のアザミがあちこちに咲いている。
ゴールデンウィークが過ぎると、2月にはじまった花粉症ともついにおさらば出来る。庭にはジャーマンアイリスに続いて黄しょうぶ。そしてアスパラガスが毎日のように採れて食卓にのぼり、ジャガイモの花が咲いているので、梅雨に入る前には収穫できる。待ち遠しい。やがて、ホタルが近くの小川で飛びかう。
庭の梅の実をちぎり、大きなザルに3枚もとれた。梅酒の材料を今年も確保できた。
風薫る五月は生命の息吹きをしっかり感じさせ、楽しませてくれる。ありがたい、感謝の日々を過ごしている。
2015年12月14日
ゴリラ(第2版)
(霧山昴)
著者 山極 寿一 、 出版 東京大学出版会
初版の「ゴリラ」も読んでいますが、10年ぶりの第2版です。
著者は、現在、京都大学総長です。アフリカのゴリラ研究の第一人者です。今から40年も前のことに始まります。著者が初めてアフリカの地を踏んだのは、1978年7月のこと。
ゴリラのメスは、まれにしか交尾をしないし、繁殖には時間がかかる。258日間という長い妊婦期間を経て出産すると、その後、3年間の授乳期間は発情しない。
マウンテンゴリラは、特殊化した葉食者とみなされた。
葉食者が果実食者と比べて集団重量あたりの遊動域が狭くてすむのは、葉が果実に比べて大量に、そしてどこにでも得られる性質ももっているから。そして、仲間が増えても、食物が不足することがない。
父系の会社は、アフリカにすむチンパンジーとボノボなどに知られている。
類人猿の社会構造は大変多様だ。テナガザルはペア、オランウータンは単独生活、ゴリラは単雄複雌の集団、チンパンジーとボノボは複雄複雌の集団をつくって暮らしている。
ところが、どれも思春期にメスが母親のもとを離れるという性質をもっている。
メスが血縁どうしで結束する社会からは、メスが集団間を移籍する社会は生まれない。
チンパンジーとゴリラの社会はメスの移入を許さない。ゴリラのメスは、一緒に遊動するオスがいれば、メスの仲間がいなくても生きていける。これが母系社会と違うところ。
母系社会のメスにとって、ともに遊動生活を送るメスの仲間がいることが生存するうえで不可欠。それも血縁のメスであることが望ましい。
ゴリラのメスは、みずから積極的に移籍している。およそ8歳のころのこと。移籍先で子どもが生まれないと、再移籍することが多い。
幼児のころから顔見知りの親子や兄弟の間柄にあるオスたちは、ひとつの集団にメスとともに共存できる。
単独オスは、音を立てずに距離をおいてついて歩くので、気づかれない。メスだけに自分の姿を見せて誘う。若いオスが離脱するときには、まず親集団とつかず離れずして自分の遊動域を拡大していく。オスのほうがメスより集団に未練を残しながら、ゆっくりと去っていく。
ゴリラは、ニホンザルと違って、力の劣る相手に自分の採食場を譲ることがある。そして、食物を譲るときにも、必ず地面や膝の上に落としから相手にとらせる。口や手で渡すことはしない。ゴリラは相手と直接かかわるのを避け、なるべく接触しないようにして対等につきあおうとする傾向が強い。
こんなゴリラの生活習慣って、本当に人間とよく似ていますよね。そのゴリラが、アフリカで絶滅の心配があるといいます。森林がなくなり、戦争し、人間が病気をもち込むからです。みんな、私たちにはね返ってきます。
ゴリラ、チンパンジー、サル。本当に面白いですね。観察するのは大変だと思いますが、ぜひ引き続きたくさんレポートしてほしいものです。
(2015年8月刊2900円+税)