弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2019年9月 1日

物流危機は終わらない

社会


(霧山昴)
著者 首藤 若菜 、 出版  岩波新書

日本のトラック業界には、200万人が働いている。
私も宅急便には大変お世話になっています。東京への出張は日帰りせず、必ず一泊出張とし、最低でも6冊は読み上げることにしています。そして、行きはなるべくかさばる本を読み、読み終わったら宅急便で自宅へ送ります。1回1500円もかかりませんので、私にとっては安くて便利なものです。東京の弁護士会館の地下にある本屋で、読むべき本、必要な本を仕入れますが、これはいくら重くても持ち帰るしかありません。ともかく、便利な宅急便は私にとって必須不可欠で、いかに地球環境を破壊していると言われても、やめられないのです。
佐川急便は、2013年にアマゾンジャパンの運送をとりやめた。
ヤマト運輸は、2006年から2016年の10年間で、取扱個数が1.54倍、6億700万個も増えた。そして、いま日本を流れる宅配便の半数を握っていて、「ヤマト一人勝ち」の状況にある。
トラック運転手には、労働時間の短縮より、収入の増加を求める声が少なくない。
「ドライバーズ・ダイレクト」は、ドライバーの労働条件を悪化させる要因の一つ。
ヤマト運輸は、グループ全体で20万人の従業員をかかえる巨大企業だ。
ヤマト運輸、佐川急便、日本郵便の3社でシェアの9割以上を占める。
高速道路料金は、荷主から支払われない。
深夜の運転は睡魔とのたたかい。ドライバーたちは、常に時間に追われている。
パレットを使うと、積載効率が下がる。
長距離ドライバーの労働現場では、連続運転時間も、拘束時間も、休息時間も、国の基準がことごとく守られていないという現実がある、ドライバーは、1週間で10時間、1ヶ月で40時間、年間で460時間も長く働いている。つまり、1週間あたり、平均より1日も多く働いている。
トラック業界は、一手に非効率を引き受けてきた。現代社会は、無駄に車両を走らせる物流を基礎として、便利で効率的な仕事や暮らしを獲得していった。
日本郵便は本業(中核)である郵便事業について、赤字が続いている。
働く人々の高学歴化は、ドライバーのなり手不足に拍車をかけた。
かつては、トラック運転手は、「きついけど、稼げる」仕事だった。ところが、今ではきついうえに、稼げない仕事になってしまっています。
ネット通販が急激に拡大するなかで日本の物流が危機的状況にあることがひしひしと伝わってくる新書でした。
(2018年12月刊。820円+税)

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2019年9月 2日

本の読み方

人間


(霧山昴)
著者 平野 啓一郎 、 出版  PHP文庫

スロー・リーディングの実践を提唱している文庫本です。
工夫次第で、読書は何倍にも楽しくなる。
オビの言葉に私もまったく同感です。といっても、私はスロー・リーディング派ではなく速読派の人間です。少なくともこの20年来、年間500冊以上の本を読んでいます。もちろん、これは単行本です。雑誌もいくつか読んでいますし、新聞は毎日5紙は読みます。FBでの情報入手にも努めていますので、スロー・リーディングというわけにはいきません。そんな私ですが、著者のすすめるスロー・リーディングの考え方には大いに心が惹かれます。
それほどまでに疲れる世の中だからこそ、私たちにはゆったりとした読書時間が必要なのである。
本当の読書は、単に表面的な知識で人を飾り立てるのではなく、内面から人を変え、思慮深さと賢明さをもたらし、人間性に深みを与えるものである。何より、ゆっくり時間をかけさえすれば、読書は楽しい。
速読家の知識は、単なる脂肪である。速読とは、「明日のための読書」である。これに対して、スロー・リーディングは、「5年後、10年後のための読書」である。
読書は、読み終わったときにこそ本当に始まる。
読書は、コミュニケーションのための準備である。
速読の一番の問題点は、助詞、助動詞をおろそかにしてしまうことだ。
分からない言葉が出てきたら、煩を厭わず(はんをいとわず)、立ち止まって必ず辞書を引くこと。
私は、これが出来ていません。反省させられます。
スロー・リーディングに最適なのは、黙読である。文章のリズムは、黙読のほうが正確に感じとることができる。気になる箇所に線を引いたり、印をつけたりする習慣をつけておくと、内容の理解が一段と深まる。
私が速読なのは、知りたいこと、情感に浸りたいことが次から次に出てくるので、それにつきあうには早く読むしかないからです。そして、一気に読んだあと、赤エンピツで印をつけたところを振り返って引用しながら書評を書いて自分のものとし、そして忘れてしまうのです。
(2019年7月刊。680円+税)

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2019年9月 3日

星をかすめる風

日本史(戦前)・韓国


(霧山昴)
著者 イ・ジョンミョン 、 出版  論創社

この小説の主人公と言うべき詩人の尹東柱は、1917年に中国東北部(旧満州)に生まれた。中学生のころから詩を書いていて、ソウルの延世大学(当時は延嬉専門学校)文学部に進学し、日本に留学して立教大学そして同志社大学で学んだ。同志社大学の学生のとき治安維持法違反で逮捕され、福岡刑務所に収監中、1945年に27歳の若さで獄死した。戦後、詩集は韓国でベストセラーとなり、全詩集『空と風と星と詩』が出版されている。
この小説は福岡刑務所の残忍な検閲官として活動している杉山という看守とともに働く若い看守兵の目を通した形で進行する。なかなか凝った仕掛けの多い小説になっています。
刑務所は、あらゆる人間群像の集合場所だ。囚人は思想犯だったり、暗殺者、詐欺師、逃亡者だった。
彼らの目には絶望が、そうでなければ陰謀が漂っていた。彼らは互いに騙し騙され、その二つを同時にやったりした。唯一の共通点は、みな潔白を主張することだ。もちろん、それは嘘だった。
刑務所も人が生きる場所で、人が生きる場所には、どこでも往来があるものだ。まともな商売人は、死さえも売り買いするものだ。
どうせ片方にゆだねるのなら、希望に賭けろ。絶望に賭けても、残るものは、もっと大きな絶望だ。商売は、うまくいくだろうという側に賭けるほうが、利益が多く残るものだ。
言葉と文章という手綱を両手に握り、検閲の刃物を避け、囚人たちの切々たる思いを乗せて文章にした。
ある本を読んだ人は、その本を読む前の人ではない。文章は、一人の人間を根こそぎ変化させる不治の病だ。文章は骨に刻まれ、細胞の中に染み込み、子音と母音はウィルスのように血管のなかを流れ、読む人に感染する。そして、本や文章なしに生きられない中毒者で、依存症になる。
いやはや、まったく私のことですね、これって・・・。
いちばん大事なのは、最初の文章。最初の文章がうまく書けたら、最後の文章まで書くことができる。たしかに、書き出しの文章には、いつも頭を悩まします。
星をかぞえる夜
季節の移りゆく空は
いま 秋たけなわです。
わたしは なんの憂い(うれい)もなく
秋の星々をひとつ残らずかぞえられそうです。
胸にひとつふたつと刻まれる星を
今すべてかぞえきれないのは
すぐに朝がくるからで、明日の夜が残っているからで、
まだわたしの青春が終わってないからです。
星ひとつに 追憶と
星ひとつに 愛と
星ひとつに 寂しさと
星ひとつに 憧れと
星ひとつに 詩と
星ひとつに 母さん、母さん
(2018年12月刊。2200円+税)

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2019年9月 4日

弁護士研修ノート

司法


(霧山昴)
著者 原 和良 、 出版  第一法規

初版が出てから、もう6年にもなるそうです。改訂版が出たので早速注文したところ、本屋から届いた翌日に著者からも贈呈本が届きました。
とても実践的な本ですので、若手弁護士に役に立つことは間違いありませんが、私のような「ベテラン」弁護士にとっても知らないこともあり、大変役に立つ内容でした。
著者は佐賀県出身で、今は東京で大活躍中の弁護士(47期)です。
弁護士が相談を受けるとき、「お地蔵さん」になってはいけない。極度に緊張した相談者とは、ときに子どもや孫のこと、仕事の話など、事件に関係のない、自慢話を聴くのは距離感を縮めるうえで役に立つ。また、弁護士自身のことも少し話したらいいことも多い。
相談者の話に共感はしても同化してはいけない。「私も同じ気持ちです」となっては、弁護士ではない。こちらは解決のためのプロフェッショナルだから。弁護士が相談者と一緒になって、浮いたり沈んだりしていたら、相談者は不安を覚えて相談など出来ない。
相談を受けるときは、要件事実を意識しながら言葉のキャッチボールをする。
頭ごなしに、「それは間違い」「あんたが悪い」と叱りつけてしまうのが一番悪い相談態度だ。
相談を受けたとき、分からないことは分からない、調査をしますと答えたほうが良い。誠実な態度をとって依頼を断られたら、これはどうせ先々で依頼者と大きなトラブルになる可能性があった相談だと考え直して、むしろラッキーだと思ったほうが良い。
これには、私も、まったく同感です。
解決策を選ぶのは依頼者であり、弁護士は、本人の選択した人生をお手伝いする、そのガイドしかできない。
私は、これに賛成しつつ、弁護士は、いくつかのプランを示しつつ、私はこのうちこのプラン(方針)を勧めると、までは言うべきだと考えています。もちろん、押しつけにならないような注意(配慮)は必要です。いくつかのプランを併列的にならべて、「はい、このなかから勝手に選んでください」というのでは、あまりに不親切だと考えています。
そして、受任率が低い若手弁護士には、笑顔を見せて相談者を安心させる、大きな声で自信たっぷりに言うといった役者を演じることも弁護士には必要なんだと、そうアドバイスしています。
弁護士にとって、準備書面とは、裁判官に向けたラブレターだ。読んでもらわないといけない。そして、読んでこちらに好意をもってもらわないといけない。そのためには、魅力的かつ説得的な法律論を分かりやすく展開しなければいけない。大切なこと、注目してほしいことは繰り返し述べて裁判官の印象に残るようにする。
論理的緻密さと日本語としての分かりやすさは、不可欠の要素だ。
最終準備書面は、尋問の終わった当日に、少なくとも要点のメモくらいは残しておく。証言調書ができあがってからでは遅すぎるし、忘れてしまって時間の浪費だ。
著者は依頼者の期待を裏切ることをすすめています。ええっ、なんという、とんでもないことを著者は言っている・・・、と思ったら、まっとうなことを著者は言っているのでした。つまり、依頼者(お客)の固定観念を裏切ることをすすめているのです。たとえば、依頼者の自宅を訪問するとか、事件が終了して3ヶ月後に電話を入れて、様子を聞いてみるとか、気楽に出張相談をしてみるとか・・・。なーるほど、ですね。
著者は大学生と交流会をしたとき、今まで一番つらかった事件は何ですかと問われて、「忘れました」と答えたそうです。素晴らしい答えです。そういえば、私も、いやなことは「忘れました」という感じで70歳になるまで生きてきましたし、生きています。
引き受けたくない人は、どんな人ですかという問いに対しては、「できるだけ安く依頼しようと考えている人」と著者は回答しました。まったく同感です。弁護士は典型的な頭脳労働ですから、あまりに値切ってほしくないと従前より考えてきましたし、実行しています。
二つのアンバランスに陥らないようにする。自分のやりたいこと、社会貢献活動にばかり時間と労力をとられて、日常業務に支障をきたしてはまずい。逆に、日常業務に迫られて、人権活動などがおろそかになってもいけない。
私にとっても、永遠の課題です。
実務・雑務を一人でかかえこまない。ストレスフルな弁護士生活を乗り切るには、仕事のことをまったく忘れることのできる自分の時間と趣味をもち、自分自身が煮詰まらないように自己管理することが大切。
いやはや、とてもとても実践的な本なので、一気に読了しました。弁護士としてのスキルアップを考えている人に超おすすめの本です。小型本なので、カバンのなかに入れてスキ間時間に読んでみてください。
(2019年8月刊。1800円+税)

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2019年9月 5日

ふるさとって呼んでもいいですか

人間


(霧山昴)
著者 ナディ 、 出版  大月書店

1991年8月、イラン人の両親と3人の子どもがイランから日本に「出稼ぎ」にやってきた。子どもは6歳(長女)、5歳(長男)、1歳(次男)。3人とも日本語は話せず、ビザもなし。一家は強制送還されることもなく、子どもたちは34歳、33歳、29歳となった。
そして長女の著者は、こう書いています。
「イラン生まれで日本育ち、中身はほぼ日本人。これが私。イラン系の日本人なんだ」
2015年に著者が結婚した相手の男性は、日本とパラグアイのハーフで、生まれはボリビア。日本国籍。著者はイスラム教徒。今も豚肉は食べず、お酒も飲まない。夫君はキリスト教徒。
この本は、漢字すべてルビ(振りがな)がふってあります。漢字が読めない人にも読んでほしいという配慮なのでしょう。
一家が入国するとき、なんと手続に6時間もかかりました。そして、それから、目的地まで日本語も読めず、話せないなかで電車・バスに乗って、3人の幼い子どもを連れて目的地になんとかたどり着いたのです。
イラン人の両親は、なんとか工場で働けるようになった。すると、子どもたち3人は自宅で留守番。おおっぴらに外で遊ぶことはできない・・・。
言葉が通じない子どもたちは、笑顔とおじぎをまず覚えた。人に会ったら、とりあえずニコッと笑顔を見せ、次にペコリとおじぎをする。すると相手も笑顔になってくれる。
人がいないのを見はからって、子ども3人で、向かいの公園で遊ぶ。人目を避けていたつもりだが、実は、外国人の3人姉弟は近所でかなり目立っていた。
子どもたちはもらったテレビを自宅で見ているうちに、半年でそれなりの日本語を話せるようになった。イラン人の両親は働いているばかりで、テレビも見ないため、なかなか日本語は話せないまま・・・。
子ども同士で遊んでいると、「外国人とは遊んじゃだめよ」という日本人の親にも出会った。それでも、仲良しの子の母親が字を教えてくれた。そして、いじめっ子の家には、母親が乗り込み、著者が通訳した。いじめっ子の父親が、きちんと対応してお詫びしてくれた。
在留外国人は270万人。しかし、日本国籍をもつ人も含めると400万人と推定されている。
強制送還される外国人は、1990年代には毎年5万人もいた。最近では、1万人以下となっている。
「在留資格なし」でも、小学校に入ることができた。ところが、算数についていけない。漢字は強敵だ。
ケガすると、健康保険がつかえないので、自費。足首を痛めただけで1回4000円。これでは医者にはかかれない。ケガできない。
ブルマや水着はイスラム教の教えに反する。
ようやく在留特別許可がおりて、不法滞在ではなくなった。
400万人もの人々が、日本の文化と「たたかい」ながら、必死に生きている姿を想像できる本でした。それにしてもイランの6歳の女の子が弟2人の面倒をみながら、日本で立派に育っていく姿を本人が自信をもって語っているのに圧倒され、思わず心の中で拍手をしてしまいました。ちょっと疲れ気味のあなたに活力補強材として一読をおすすめします。そんな、いい本なんです。
(2019年8月刊。1600円+税)

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2019年9月 6日

福島の記憶

社会


(霧山昴)
著者 飛田 晋秀 、 出版  旬報社

3.11で止まった町。こんなサブタイトルのついた写真集です。
まずは、大津波の恐ろしさに圧倒されます。
大きな船が陸に打ち上げられ、無残な船体をさらけ出しています。そして、建物はスッポンポン、もぬけのカラです。
駅があり、電車が停車したまま。
地震で火災も起き、津波に流されて火災が広がった。久之浜町では、家の今に車が突っ込んだまま。
3.11の恐ろしさは津波の被害だけではなく、放射能汚染にある。
楢葉町(ならはまち)では、津波の被害があったところが広大な空き地となり、そこに除染土壌を入れたフレコンバックが置かれている。
川内(かわうち)村は、原発事故のため中心地は無人。人の姿は見えない。至るところにフレコンバックが置かれている。
都路(みやこじ)町では、放射能被害が影響したのか、元気だった中年の女性が6年後に亡くなった。
葛尾(かつらお)村は、地震の影響は少なかったが、原発事故のため、全村避難した。村の風景を写真にとると、ありふれたフツーの田舎の光景だ。しかし、どこにも人がいない。牛も鳥もそして犬や猫の姿も見かけない。村全体で3000頭の牛を飼育していたのが、今や、雑草に家がのみこまれている。
富岡町の目抜き通りに桜が見事に咲いた。しかし、この桜も放射能に汚染されている。
除染作業をしたあとでも、1.62とか1.67マイクロシーベルトという高い線量だ。
町なかでもイノシシが出てきて徘徊している。除染したあとでも3.15マイクロシーベルトを示しているのを見ると、除染作業って本当に有効なのか疑問をもってしまう。
大熊町では放置された家の玄関先がなんと24.2マイクロシーベルト。かつてはにぎわった商店街は、今や完全な無人街。不気味だ。
双葉町(ふたばまち)には、有名な「原子力、明るい未来のエネルギー」という大看板があった。原発の「安全神話」は、今なおなくなってはいない。日本経団連は、幸いにも実現しなかったが、これほど危険な原発をベトナムやトルコなどの海外へ輸出しようとしていた。正気の沙汰ではない。
無人の商店街のキャプション(説明書)は、「地震被害だけなら復興が進んでいたはず」と書かれている。
抜けるような青空の下に広々とした草原が延々と続いています。いやはや東北地方も狭い平野ばかりではないのです。アベ首相の「アンダーコントロール」宣言をせせら笑うかのようにフレコンバックがあちこちに広がっています。
よく出来た写真集です。全国の図書館には必携ですね。
(2019年2月刊。1800円+税)

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2019年9月 7日

耳鼻削ぎの日本史

日本史(戦国)


(霧山昴)
著者 清水 克行 、 出版  文春学芸ライブラリー

耳鼻削ぎは、「みみはなそぎ」と読みます。
耳塚としては、京都の方広寺が有名です。秀吉の朝鮮出兵のとき、討ちとった朝鮮人の耳を日本に運んできて埋めたとされる塚です。
正しくは鼻塚なのだが、江戸時代以降、「耳塚」と誤伝されている。
著者は、「耳鼻を削ぐ」ということの意味を深く追求しています。
日本中世社会において、「耳鼻削ぎ」は女性に対する刑罰だった。これは一見すると、残虐な刑罰だと思えるが、実は死一等を免除するという、宥免措置、ぎりぎりの人命救助措置だった。
ええっ、そうなんですか・・・。つまり、殺されるのに比べたら、耳鼻削ぎのほうがましだ、という切実な感覚が当時の人々にあったというのです。
日本の中世社会においては、女性を男性と同じように処罰するのは避けたいとする心理(観念)があった。浅はかな女性に男性と同じ法的責任を負わせることはできないというのが、女性の刑罰が軽減された理由だった。
このように、耳鼻削ぎは、現代の私たちが思うように残酷なものとは考えず、むしろ温情的な処罰だと考えられていた。
戦場で、大将クラスを討ちとったときには、首を戦功の証とした。しかし、雑兵については、首ではなく耳や鼻でかまわないという認識があった。
秀吉は、朝鮮人の鼻をまつった鼻塚を方広寺をつくったパフォーマンスとして鼻供養しようとしたのだった。敵兵の菩提をも弔う慈悲深いリーダーとしてのイメージを人々にアピールしようとしたのだ。
全国各地の耳塚・鼻塚は、実は、形状や立地から「耳塚」と呼ばれるようになっただけで、本当に耳や鼻を埋設したものではなかったようです。
面白い研究の本として最後まで一気に読み通しました。
(2019年3月刊。1400円+税)

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2019年9月 8日

ダイヴ・トゥ・バングラデシュ

バングラデシュ


(霧山昴)
著者 梶井 照陰 、 出版  リトルモア

私はインドにもバングラデシュにも行ったことがありません。バングラデシュというと、日本の大手衣料品メーカーが現地で安く縫製させて、日本で「高く」売りつけているというイメージです。
まずは表紙の写真に圧倒されてしまいます。夜の駅に無数としかいいようのない大群衆がホームにひしめいている写真です。ええっ、こんなにバングラデシュって、人口が多いのか・・・、と思わず息を呑みます。
著者は僧侶であると同時に写真家です。高野山で修業して真言宗の僧侶になり、世界各国を取材してまわっています。バングラデシュに2013年から2018年まで通って撮った写真が紹介されています。
2013年4月にバングラデシュ(ダッカ)で縫製工場の入っていたビルが崩落したときには死者1127人、負傷者2700人以上という大惨事でした。
低賃金で働かされる縫製工場に発注している世界的衣料メーカーは、GAP,H&M、ZARA、ユニクロなど、世界的ブランドのメーカーです。
線路のすぐ脇にまでスラム街が広がっています。スラム街の貧しさから抜け出すために、男は劣悪な環境の炭鉱で働き、女は売春婦になっていく・・・。いやはや、なんとも言いようのないほどの貧困と人々の多さです。しかし、そんななかでも原発建設の反対を訴えるデモ行進があったりもするのです。希望がないわけではありません。
まさしく、雑然、混沌とした世界が奥深く広がっているのがバングラデシュのようです。その一端を垣間見た思いがしました。
(2019年5月刊。2900円+税)

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2019年9月 9日

フィンランドの教育はなぜ世界一なのか

ヨーロッパ・フィンランド


(霧山昴)
著者 岩竹 美加子 、 出版  新潮新書

大学で法学部の人気が落ちて、経済学部の人気が上昇しているそうです。その有力な原因の一つが、学生の金もうけ志向にあるとのこと。
国(年金)が頼りにならず、なんでも自己責任の風潮が広まるなかで、多くの学生が金もうけに走っていると聞くと悲しいばかりです。
お金はそこそこあればいい。それよりも世のため、人のため。他人(ひと)に喜ばれる仕事をしたい。そんな学生が増えてくれることを願う毎日です。
著者は、フィンランドで実際に子育てした日本人女性(ヘルシンキ大学非常勤教授)。
フィンランド教育の良さは、何よりもそのシンプルさにある。入学式や始業式、終業式、運動会などの学校行事がない。授業時間は少なく、学力テストも受験も塾も偏差値もない。統一テストは、高校を卒業するときだけ。学校には、服装や髪形に関する規則もなければ、制服もない。部活も教員の長時間労働もない。
フィンランドには教育に関して地域という考えはなく、連絡協議会や青少年育成委員会など、学校をとりまく煩雑な組織はない。
フィンランドでは教育の無償化は徹底している。小学校から大学に至るまで教育費は無償。小中学校では、教科書やノート、教材等も無償で支給される。学級費その他の費用負担もない。給食は、保育園から高校まで無料。
教科書や鋼材は学校に置いていくので、重たいカバンをもって通学する子どもはいない。
学校からの連絡はメールなので、プリントや手紙もない。
17歳以上には、給付型奨学金、学習ローン、家賃補助など学習支援をする。学習ローンの保証人は国であって、親や親族ではない。
フィンランドには受験はなく、受験のための勉強もない。中学を卒業したら、高校と職業学校に進路が分かれ、普通、18歳で卒業する。大学には応用科学大学というものもある。
高校卒業の日には、親が親戚などを招いて大きなパーティーを開く。
一斉卒業、一斉就職という社会の仕組みはない。
フィンランドの小学校のクラスは20人から25人ほど。授業時間は、日本の半分ほど。
フィンランドでは性教育が重視されている。ところが、日本の義務教育では、性交を教えない。東京でフツーの性教育を実践した学校に対して自民党の都議が不適切だと攻撃した「事件」がたびたび起きています。教育現場を委縮させる政治の不当な教育介入です。
フィンランドには戸籍はなく、入籍という考え方もない。
フィンランドの教育は、何より子どもたちに考える力が身につくことを重視している。
これこそが今の日本の子どもたちに欠けていることではないでしょうか・・・。
アメリカから必要もない兵器を爆買いさせられて軍事予算だけは青天井で増加しつつあるのと反対に、大学の授業料は上昇する一方で、学生の奨学金も少ないうえに、有利子。日本の教育システムは、とんでもなく間違っています。司法修習生の給料を廃止したのも、その延長線上にありました。日本もフィンランドに学んで、教育費一切の無料化に踏み切るべきです。
大量人殺しのための戦闘機より子どもの笑顔あふれる教室を増やしてほしいものです。うらやましいタメ息とともに、チョッピリ勇気がもらえる新書でした。
(2019年7月刊。780円+税)

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2019年9月10日

日本占領史、写真でわかる事典

日本史(戦後)


(霧山昴)
著者 平塚 柾緒 、 出版  PHPエディターズ・グループ

1945年8月、敗戦直後の日本の様子が写真でとらえられています。
降伏した日本へアメリカ軍が乗り込んでくるとき、マッカーサーは実は日本軍の反撃をまだ心配していたようです。なので、日本軍のもっていた飛行機はみなプロペラを外すよう命令していました。
首都東京は一面、焼け野が原です。ところが、敗戦と同時に人々は復興に走り出しました。
東京に進駐してきたアメリカ軍は、10日後には丸腰で都内をうろつくようになりました。日本軍の反撃など、何の心配もいらなかったのです。考えてみれば不思議です。「鬼畜米英」を一夜にして解放軍として受け入れるとは・・・。
この写真集には、東京裁判の被告となったA級戦犯全員の被告の顔写真が2回紹介されています。1回目は肩書とともに、2回目は判決の結果です。
別の本の書評で紹介しましたが、アメリカ軍はナチス・ドイツを裁いたニュルンベルグ裁判のときとちがって、日本軍が中国大陸で南京事件をはじめとする残虐行為をしたことを日本人に大々的に広報し周知させようとはしませんでした。その結果、日本軍が中国や東南アジアで行った残虐行為を知らないまま、多くの日本人は戦争被害者という認識だけをもって今日に至ったのです。このことが今日の「なんでも反日」プロパガンダにつながっています。
アメリカ軍は、関東・東北へは相模湾と館山海岸から上陸し、関西へは和歌山湾岸から上陸したことを初めて知りました。上陸用舟艇をつかってまさしく海岸から上陸している写真があります。港に軍艦を横づけしなかったのは、なぜなんでしょうか・・・。
敗戦時、連合国の捕虜が日本全国3万2418人収容されていて、うち1割の3500人が死亡したとのことです。
マッカーサー一家は、アメリカ大使館に生活していて、第一生命ビルを接収してGHQの本部とした。マッカーサーは、朝8時に起床し、午前10時に皇居に面したGHQに出勤。午後2時にGHQを出て大使館の自宅に戻って昼食をとり、昼寝。午後4時にGHQへ行き、午後8時まで仕事をして、大使館に帰る、夕食のあとは、夫人たちと西部劇などの映画をみる。就寝は夜12時ころ。日本の国内旅行は一切しなかった。
昭和天皇は1945年9月27日、アメリカ大使館にマッカーサー元帥を訪ねた。昭和天皇は当時46歳か・・・。
1948年11月3日、皇居前広場で中央カーニバルが催された。日本全国のお祭りを一堂に集めたのだ。100万人もの見物客が押し寄せた。なるほど、写真で大群衆がいることを実感できます。そして、デモ隊が行進する様子も写真にとらえられています。
写真で敗戦直後の日本の様子を確認することのできる貴重な事典です。480頁、5000円もする大作ですので、せめて全国の図書館にもれなく置かれてほしいものだと思いました。
(2019年5月刊。5000円+税)

石舞台古墳をみてきました。永年の念願でした。飛鳥駅前でレンタサイクルを借りました。1400円。フツーの900円より500円高い電動自転車です。奈良駅の観光案内所の女性からは、平坦地で15分なのでフツーでいいと言われましたが、念のため、電動にしたのです。これが大正解でした。
駅前から軽快に走り出します。快晴です。日差しがギラギラ照りつけるので途中のコンビニで麦わら(まがい)帽子を買いました。1000円。実は、その手前、途中でキトラ古墳へ間違って走って、おかしいと思い引き返し、中学生を引率している教師に尋ねて石舞台を目ざしました。「上り坂もあって大変ですよ」と声をかけられたのですが、まさにそのとおりでした。電動自転車でなければとてもとても走れません。平坦地ばかりなんて、とんでもありません。といっても、30代までなら、何の苦もないことでしょうが・・・。途中のコンビニで買った麦わら(まがい)帽子をかぶり、狭い道をのぼって、ようやく石舞台古墳にたどり着きました。
田園のなかというより、森の入口に近いところに平坦な空地があり、まさしく巨石が積み上げられています。もとは土に埋もれていたのか、長年の風雨にさらされていつのまにかむき出しになったようなのです。
周囲をめぐってみると、巨石の下に羨道(せんどう)室があり、なるほど墓室だと実感できます。蘇我馬子の墓というのが定説です。曽我氏族はこの飛鳥あたりを勢力圏にしたらしいのですが、今はただ平野と森の一帯で、ところどころに民家がある程度です。こんな辺ぴなところを拠点としていたというのですか・・・。

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2019年9月11日

大量廃棄社会

社会


(霧山昴)
著者 中村 和代、藤田 さつき 、 出版  光文社新書

現代日本社会は衣料も食料も、まだ使えるのに、まだ食べられるのに、惜し気もなく捨てているのですね・・・。呆れるというより、寒気がしてきました。
バングラデシュの8階建てのビルが崩壊して、1000人をこす縫製工場の労働者が生命を落とした。日本の安い衣料を縫製しているのはバングラデシュの低賃金労働者なのだ。
ユニクロ・GAPなど、低価格の衣料品ブランドがバングラデシュに生産拠点を置いている。
1年間に10億枚の新品の服が一度も客の手に渡ることないまま捨てられている。日本で供給されている服の4枚に1枚は、新品のまま捨てられている計算だ。
ブランド品のタグを外して定価の1割で買って、17%ほどで売る企業も存在する。
待ってまで買ってもらえる商品は、そう多くない。だから、やっぱり多目につくるしかない。
高級ブランドの商品だと、安売りはせず、処分費用がかかっても、すべて破砕して焼却する。証拠写真をとって、確実に処分する。そうやってブランド価値を守る。
洋服の需要調整は難しい。どんな商品をつくるか企画して、発注から販売まで半年から1年はかかる。その間に、トレンドが変わってしまうことがある。需給ギャップは、ふたを開けてみないと分からない。
日本で1年間に発生する食品ロスは646万トン。1人あたり茶碗1杯のご飯を毎日捨てている計算になる。節分当日、全国のコンビニでは売れ残った恵方巻きが大量に捨てられた。
この本では、食品ロスをなくすパン屋さん、手づくり衣料品をつくる試みも紹介されています。何でも安ければいいという発想を変えたいものです。値段は、それをつくる人たちの生活を支えているわけなのですから・・・。
現代日本社会の悲しい現実を知ると同時に、怒りを覚え、また、ほんのちょっぴりだけ希望をもてる内容の新書でした。やっぱり、コンビニとかファーストファッション店ばかりになってしまってはいけないと改めて思います。
(2019年4月刊。880円+税)

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2019年9月12日

幕末維新像の新展開

日本史(明治)


(霧山昴)
著者 宮地 正人 、 出版  花伝社

江戸時代の人は「鎖国」のなかでも世界情勢を必死でつかもうとしていた。
オランダからの毎年の「蘭国風説書(ふうせつがき)」を入手し、長港に入港する清国商船から「唐国風説書」を入手しようとしていた。
1860年3月3日の桜田門外の変は、国内の政治的雰囲気を180度逆転させ、井伊直弼(いいなおすけ)亡きあとの幕府トップは、将軍=譜代結合のもとで粛清路線を貫徹させる自信を喪失し、公武合体の再構築のための和宮降嫁政策と開港開市の延期交渉、そして遣欧使節団派遣政策にシフトせざるをえなくなった。
そのうえで、1861年2月からのロシア艦隊対馬占拠という領土侵犯事件になんら対処しえない幕府は国内の批判をさらに浴びて、1862年1月15日の坂下門外の変による老中首座・安藤信正の失脚後、幕府は政治的イニシアチブのとれない「死に体」と化してしまった。
1866年6~8月の第二次長州「征代」の「官軍」完敗は、国内の政治的雰囲気を決定的に変え、幕府の軍事的能力の欠如が白日のもとに暴露された。
1867年10月、幕府は大政奉還をしたが、まだ慶喜ベースで進められていた。このままでは実態としては幕府体制の存続となると判断した西郷と大久保は、岩倉と連携し、尾張・越前・土佐・芸州の4藩を引き入れて、12月9日、王政復古クーデターを決定した。
1868年1月3~6日の鳥羽・伏見戦争が薩長両藩の奮闘で勝利したあと、薩長同盟が核となった維新政府に進化していった。
五箇条のご誓文を出したときに明治天皇は17歳だった。1877年2月に始まった西南戦争が、9月に西郷以下の自刃により終結したことから、武装蜂起による「有司専制」政府を打倒することは不可能なことが明白となった。
天皇の勅令が機能しないのは、明治7年の佐賀の乱でも、明治10年の西南戦争でも一貫している。
明治天皇が肉食をはじめた。肉を食べたら穢(けが)れるというのが江戸時代の人々の考えだった。すると、肉食をした天皇を崇拝できるのか、という問題が起きた。ようやく、明治20年代になって、近世的な朝廷から近代天皇制へ確立していった。
明治初めから10年代に各県で新聞が確立していった。これには活版印刷機の普及が背景にあった。在地でお金を出して情報を手に入れようとする層が出てきた。これがあって初めて自由民権運動が出てくる。自由民権運動は、雑誌と新聞なしでは起こらなかった。
末尾に著者は「竹橋事件」について触れています。西南戦争のあと、1878年8月の近衛砲兵の反乱事件です。近衛連兵隊の兵卒たちは、志願兵で徴兵兵卒のなかのエリート。彼らが今の政権は、わが祖国をなんら代表していないとの怒りから武器をもって反乱に立ち上がったのです。自由民権運動の影響を受けていました。弁護士になってまもなくのころ、この事件を知って、私はひどく感動しました。明治の若者に今を生きる私たちは学ぶべきところがあります。武装反乱ではなく、声を上げ、行動すべきだということです。
明治維新をめぐる、大変知的刺激にみちた本でした。
(2018年12月刊。2000円+税)

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2019年9月13日

戦国日本のキリシタン布教論争

日本史(戦国)


(霧山昴)
著者 高橋 裕史 、 出版  勉誠出版

戦国時代の日本でキリスト教が爆発的に信者を増やしました。現代日本に生きる私にはとても理解しがたい現象です。戦国の世の殺伐とした社会がキリスト教に救いを求めたのでしょうが、キリスト教だって軍隊式のところもあるわけですので、もう一つよく分かりません。ストンと腹に落ちてこないのです。
フランシスコ・ザビエルが来日したのは1549年。ザビエル自体は2年半しか日本にはいなかった。ザビエルの所属するイエズス会は、九州から畿内地方へ拡大していった。
1593年にマニラからフランシスコ会士が日本へやって来て、イエズス会と激しく衝突した。さらに1602年にドミニコ会とアウグスティノ会が日本布教に参入し、キリスト教内の争いはますます激化していき、ついに1613年の禁教令が出るに至った。
1570年代の日本のキリスト教徒は3万人近いと想定されている。そして、1580年ころに10万人、1598年には30万人に達した。
イエズス会の背後にはポルトガルが、フランシスコ会の背後にはスペインがいた。そのことを秀吉も認識していた。
ローマ教皇と、ポルトガル・スペイン両国王のあいだで、地球全体が2分割された。それによると、日本はポルトガルの征服域に組み込まれていた。
ローマ教皇グレゴリウス13世は、1585年、日本布教はイエズス会が独占することを認める小勅書を発布した。それに違反するキリスト教徒は、「破門罪」というもっとも重い懲罰が加えられた。
日本イエズス会は、財政難を救うため、生糸貿易に手を染めた。
フランシスコ会の成立は1209年、イエズス会は、1534年に創設された。カトリック内の抗争なだけに、問題の根は深く複雑な様相を呈している。
1613年のキリスト教禁教令のころ、フランシスコ会は司祭9人、平修道士4~5人、司祭館と駐在所があわせて8棟あった。ドミニコ会は司祭9人、駐在所3棟をかかえていた。
長崎では、内町をドミニコ会とフランシスコ会が、外町はイエズス会の支配する町だった。
禁教令が発布されたあと、日本に潜伏・残留したキリスト教宣教師は圧倒的にポルトガル人イエズス会だった。
日本イエズス会は博愛をうたいながら、実践的には日本人イルマンを差別的に処遇し、学問を教授することを拒絶した。したがって、日本人聖職者の養成計画も途中で頓挫した。
カトリック宣教師内部の布教争いの実情も理解できました。戦国時代は人々が平和に生きる言葉に出会えていたことが分かった本でした。
(2019年4月刊。4600円+税)

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2019年9月14日

王家の遺伝子

人間・イギリス


(霧山昴)
著者 石浦 章一 、 出版  講談社ブルーバックス新書

シェイクスピアが『ヘンリー6世』や『リチャード3世』のなかで身体は不具、そして極悪非道な王として描いたリチャード3世の遺骨が、なんと最近イングランド中部の都市であるレスター市内の駐車場の地下から発見された。
そのDNAによってリチャード3世にまちがいないとされた遺骨には、いくつも刃傷の傷跡があった。頭蓋骨、骨盤そして上顎骨に外傷があり、全身の傷は11ヶ所にものぼっていた。要するにバラ戦争で敗北したときの傷跡が遺骨に残っていたのだ。
いやあ、すごい発見ですね。それにしてもDNA鑑定とは恐るべきものです。
DNAって、人体の部所によって異ならないものかと疑問に思いますが、そんなことはないといいます。
人間の身体のDNAは、どこから採っても同じ。どれもみな同じDNAが検出される。
これも不思議ですよね・・・。
エジプト人は、東方から来た人々の子孫がいた時期もあれば、西のほうから連れてこられた何百万人もの奴隷の子孫の影響も受けているそうです。
では、日本人は・・・。第一段階は、4万年前から4千年前までにヨーロッパと東ユーラシアの中間あたりの民族が北から南から、あるいは朝鮮半島を経由して流入してきた。
第二段階は、4000年から3000年前に朝鮮半島から別の民族が入ってきた。そして、第三段階は3000年前ころ、朝鮮半島から稲作農民が渡ってきた。
現在、アイヌの人々や琉球列島の人々の遺伝子には縄文人の遺伝子が色濃く残っている。
みんな自分のルーツを知りたいですよね。そのときに武器となるのがDNA鑑定だということが改めて良く分かりました。
(2019年7月刊。1000円+税)

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2019年9月15日

オオカミは大神

犬(オオカミ)


(霧山昴)
著者 青柳 健二 、 出版  山と渓谷社

日本にオオカミがいたのは明治38年まで。アメリカでは絶滅したオオカミを移入して自然の生態系を復活させたそうです。日本だって、野生のクマがまだいるわけですから、やれないわけではないと思うのですが・・・。
日本各地の神社の前にある狛犬(こまいぬ)が、実はオオカミであったりする神社がたくさんあるということを本書を読んで知りました。日本人は、案外、オオカミに親近感をもっていたようです。ですから、この本のタイトルにあるように、日本人は全国各地でオオカミを大神(おおかみ)として祭っていたのです。これまた、知りませんでした。
そして、全国各地にあるオオカミの像といっても、いろんな形と色彩のものがあるのを見て、楽しくなります。必ずしもオオカミは怖いものではなく、愛らしい生き物だとみられてもいたようです。
著者は愛犬を連れて、現地に出向き、写真を撮って本書で紹介しています。こんなにあるのかと驚くばかりです。
オオカミは、人間にとって、むしろ田畑を荒らす猪や鹿などを追い払ってくれる益獣だった。ただし、東北の馬産地は、そうではない。オオカミ信仰は、この農事の神としての信仰から生まれた。ただし、オオカミは、神そのものではなく、多くは「眷属」(けんぞく)つまり山の神の使いだった。
東京のど真ん中、なんと渋谷駅から徒歩2分の宮益坂にある神社にもオオカミ像が鎮座しているのです。もちろん、渋谷だけでなく、都内各所にオオカミの像が今も残っています。飛騨高山の狛犬もオオカミ像なのかもしれないといいます。
犬、そしてオオカミに親近感をもつ人は意外な発見を教えてくれる楽しい写真集でもあります。
(2019年5月刊。1500円+税)

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2019年9月16日

そしていま、一人になった

人間


(霧山昴)
著者 吉行 和子 、 出版  集英社

私にとって著者である女優の吉行和子とは、山田洋次監督の映画『東京家族』、そして『家族はつらいよ』の祖母というとぼけた役者だというイメージです。
ところが、1957年(昭和23年)、22歳のとき、劇『アンネの日記』の主人公アンネの役を演じたというのです。それも主役が風邪をひいて声が出なくなったので代役として登場し、見事にセリフを一度もつかえずに言えたというのです。立ち稽古には参加していたのですが・・・。すごいですね、著者自身が不思議がっています。それから劇団民芸の若手ホープになったのでした。
舞台が楽しかったことは一度もない。ただ責任感だけだった。私なんかですみません。そんな感じで、申し訳ない気がしていた。
いやはや、とんでもないことですよね。
宇野重吉は著者に言った。
「きみはヘタクソだから、他人の何倍も何百倍も、役について思いなさい。そうすると、その役の心が、客席に伝わっていくものなのだよ」
山田洋次監督は、こう言った。
「科白(セリフ)は、心のなかの思いがひとりでに出てくるようにしてください。表情をつくったり、言い方を変えたり、そういうのではなく、心とつながって自然に言えるようにしなくては、その人間を表現することができません」
「あぐり」で有名な母あぐりは107歳まで生きて、見事に天寿を全うした。そして、兄の作家・吉行淳之介は70歳で病死した。エッセイや対談の名手としてメディアでもてはやされ、女性読者に絶大な人気があった。私は、ほとんど読んだ覚えがありません。
なんだか、しみじみした思いになる家族の思い出話でした。
(2019年7月刊。1700円+税)

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2019年9月17日

犬からみた人類史

犬・人間


(霧山昴)
著者 大石 高典・近藤 祉秋・池田 光穂 、 出版  勉誠出版

犬と人間との関わりについての百科全書です。夏休みの高速道路の行き帰りのSAで一気読みしました。めったに高速道路を長く走ることはありませんが、SAは夏休みの子ども連れでどこも大変にぎわっていました。子連れをみるとうらやましい限りです。
人間にとって犬は他の動物とは違った特異な存在である。形態上は似ていないが、視線を共有するなど、深いコミュニケーションができる関係だ。
人は犬の純粋さを信じるが、犬を裏切ったりもする。
犬は飼い主に殺されることになっても、最後まで人を信じようとする。
この最後のところで、私は泣けました。猟犬が病気になったら、保健所に引き渡して殺してしまう。でも、狩りの場でケガしたら、動物病院に連れていって治療してもらい、死んだら神様として丁寧に祭る。そして、犬肉を食べる地方は少なくない・・・。
イヌとオオカミは、よく似ているけれど違う。遺伝的基盤が異なる。オオカミをイヌのように育てても、完全にイヌのようにはならない。
今の犬にはたくさんの種類があるが、その多くは、ここ200年から300年のあいだに人間がつくり出したもの。
仔犬が生まれて3週間からr12週間のあいだに人間に会わないで育った犬は、人間を極度に恐れたり、攻撃的になったりする。この「社会化期」のうちに、仔犬は、どんな動物が自分の仲間なのかを学ぶ。イヌが人に慣れ、人の「友」になれるのは、この時期に人と接する経験をするから。
縄文時代の人々は、イヌを使ってイノシシ猟をしていた。
イヌは、人の目を見て、ヒトの視線を見る。イヌは、黒目強調型の眼となり、人に対して、「怖くない」存在であること、「幼い」存在であることをアピールした。
忠犬ハチ公が秋田犬だというのはよく知られています。しかし、秋田犬も危うく絶滅しかかっていた時期もあったようです。今では、秋田犬をロシアのプーチン大統領やザトキワ選手に贈ったりして、ますます有名になりました。私は、フランスのロワール河に旅行したとき、シャトーホテルのレストランで食事をしているとき、隣のテーブルのマダムから、「秋田犬はすばらしいわ」と声をかけられたことがあり(もちろんフランス語です)、びっくりしました。テーブルに下に、大きな秋田犬がおとなしく寝そべっていました。いやあ、こんなところでも秋田犬がいて、日本の犬だと知っているフランス人女性がいるのだと感動してしまいました。秋田犬は、とても賢くて、忠実だと最大級の賞賛の言葉を聞かされました。
犬と人間との関わりの百科全書ですので、ここでは書くのをはばかる類の話まで書かれています。犬好きの人には、たまらない本です。
(2019年5月刊。3800円+税)

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2019年9月18日

かこさとしの世界

人間


(霧山昴)
著者  加古 里子PT 、 出版  平凡社

絵本『どろぼうがっこう』は大傑作です。子どもたちに何度よんでやったかしれません。校長のくまさか先生は、歌舞伎役者そのもののいでたちで教壇に立ちます。教室に座って授業を受ける生徒たちは、いずれおとらぬ典型的なヤクザのおっさんたち。よく小学校に見かける小さな机と椅子におとなしく座っているのも愛敬です。そして、抜き足さし足で大きな建物に忍び込むのです。そして、その大きな建物とは・・・。
いやあ、こんなのって、子どもの教育上よくないんじゃないの・・・、そんな非難も受けたそうですが、子どもが絵本の楽しさを味わえるなら、いいじゃないですか・・・。少しくらい「プチ悪」のほうを子どもは好むものです。いつだって品行方正というのは面白くないし、長続きしませんよね。
そして、絵本『からすのパンやさん』も大人気でした。黒くて不気味なカラスは身近な鳥としては不人気そのものです。でも、こうやって絵本になると、どうしてどうして可愛らしいものです。それに、いろんなパンが登場してきて、楽しいのです。
絵本『だるまちゃんとてんぐちゃん』も楽しいですよ。わが家でも大人気でした。
下手(へた)うまと言ったら、怒られそうですが、飛び抜けて絵がうまいわけではありませんが、ともかく親近感のあるだるまちゃんとてんぐちゃんですので、子どもたちは目を離せなくなるのです。
かこさとしは東大工学部を卒業して昭和電工に入り技術者として仕事しながら、なんと川崎市古市場でセツルメント活動として子ども会に関わったのです。私も同じ古市場で若者サークルとかかわる青年部に所属していました。私の入ったサークルは「山彦サークル」といいますが、そのときの仲間に「かっちゃん」がいます。つい先日、50年ぶりに突然、「かっちゃん」から電話がかかってきて大変おどろき、また、うれしく思いました。
かこさとしは古市場のセツルメント子ども会活動のなかで、紙芝居をつくって披露しました。ところが、子どもたちは正直です。つまらないと思えば、紙芝居を放ってどこか別のところへえ遊びに行ってしまうのです。かこさとしは、ではどうやったら子どもたちの心をつかめるのか、研究を重ねました。それが絵本作家の道につながったのでした。
川崎(古市場)セツルメントの大先輩として、心より敬意を表したいと思います。みなさんも、ぜひかこさとしの絵本を手にとって読んでみてください。きっと圧倒されますよ・・・。いえいえ、子ども心に立ち戻れて幸せな気分に浸れますよ。
(2019年7月刊。2000円+税)

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2019年9月19日

徴用工裁判と日韓請求権協定

社会・韓国


(霧山昴)
著者 山本 晴太、川上 詩朗、 殷 勇基ほか 、 出版  現代人文社

いま日韓関係は最悪の状況になっています。安倍政権は全部、韓国が悪いと放言し、日本のマスコミも「大本営発表」をうのみにして韓国バッシングのキャンペーンをひたすら続けています。
でも、本当にそうなんですか・・・。少し頭を冷やして、日本と韓国、戦前の朝鮮半島を日本が植民地支配した実際を考えてみませんか・・・。
先日、山本晴太弁護士(福岡県弁護士会)の講演を聞く機会があり、その折に本書を買い求めました。長いあいだ韓国の徴用工問題について原告代理人として裁判をたたかってきた弁護士ですので、その歴史的また法律的解説はきわめて明快でした。
徴用工というのは、結局、日本政府の方針のもとで日本企業が朝鮮半島から日本へ連行してきた労働力として無理やりはたらかせていた人たちのことです。大牟田市では三池炭鉱だけでなく、三池染料(今の三井化学)などでも働かせていました。私の亡父も労務係長として京城の総督府で話をつけて500人の徴用工を引率してきた一人です。悪いことをしたとは思っていませんでした。
徴用工といっても、法的には、募集と官斡旋(あっせん)、徴用の3段階がある。この3つにどれだけ実質的な違いがあるかというと、実はほとんど同じ。募集と官斡旋は、事実上拒否できない「物理的強制」が多く用いられた。徴用は物理的強制だけでなく、拒否すると刑罰を科せられる法的強制が加えられた。
1965年6月の日韓請求権協定では、日本が韓国に対し、無償3億ドル、有償2億ドルの合計5億ドルの経済支援を行うこととし、両国と国民のあいだでは請求権に関する問題が「完全かつ最終的に解決した」(協定2条)とされている。
日韓会談がなされていたころの1953年10月、日本側首席代表の久保田貫一郎は、「日本は36年間(の植民地支配のなかで)、鉄道を敷き、水田を増やし、ハゲ山を緑の山に変えるなど、多くの利益を韓国人に与えた。日本が進出していなかったら、韓国は中国かロシアに占領され、もっとミゼラブルな状態におかれたことだろう。日本によって植民地支配されたこと、韓国が日本に併合されたことについて、韓国は日本に感謝すべきだ」とテレビの前で放言した。
なるほど、高速道路、新鋭製鉄所の建設、ダム建設など、韓国の高度経済成長に日本の経済支援は貢献しました。とはいっても、そのとき経済支援のお金は実のところ日本企業にリターンしていたのです。そして、韓国はアメリカ軍のベトナム侵略のもとで派兵に踏み切ったので、7年間で10億ドルほどの経済援助(特需)を得ていたし、こちらのほうが金額は大きい。
また、被徴用者に対して、韓国政府は死亡者1人につき30万ウォン、総額37億円を支給した。これは、日本の「賠償金」から支払われたものではない。
外交保護権なるものは、国民が外国から不当な扱いを受け、その被害が相手国の裁判などで救済されないようなとき、最後の手段として被害者の国が相手国に賠償を要求する権利のこと。日本政府は、ながいあいだ国家として有する外交保護権は放棄したが、個人請求権は放棄していないという見解を表明してきた。ところが、2000年ころ突如として個人の権利は消滅していないが、裁判による請求はできなくなったという見解に変わった。そして、それを2007年4月27日の最高裁判決は無批判に受け入れた。いつものことながら、司法による情ない行政追随判決です。
韓国の大法院(日本でいう最高裁にあたります)判決が2018年10月30日に出ましたが、実はこれは2012年5月24日の大法院判決と基本的に同旨なのです。すなわち、植民地支配と直結した不法行為による損害賠償請求権は日韓請求権協定の対象とはなっておらず、個人の損害賠償請求権はあるとしました。まったく無理のない判決です。韓国政府が大法院の判決がおかしいなど言えるはずもありません。
中国の徴用工問題については、最高裁判決のあと、その趣旨も生かし、日本企業がお金を支払って無事に和解で解決しました。日韓の徴用工問題にしても同じような決着の仕方を考えたらよいのです。ところが、安倍首相も菅官房長官も、ひたすら「韓国が悪い」「韓国に全責任がある」かのように言い募って韓国を敵視する世論をあおるばかりで、ほとんどの日本のマスコミがそれをたれ流しています。
判例解説が中心なので、少々よみにくいところもありますが、いまこそ大いに読まれるべき本です。どうしてこうなったのか、日本人は戦前の植民地支配にまで立ち返ってきちんと反省すべきだと思います。
(2019年9月刊。2000円+税)

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2019年9月20日

ある「BC級戦犯」の手記

日本史(戦前)


(霧山昴)
著者 冬至 堅太郎 、 出版  中央公論新社

敗戦の年の1945年6月、福岡市はアメリカ軍のB29の大々的な空襲によって壊滅的被害を落った。空襲で母親を亡くした著者(当時31歳、主計中尉)は、B29の搭乗員4人の処刑に志願し、4人の捕虜を日本刀で斬首した。敗戦後、それをアメリカ軍が知り、著者は逮捕され、裁判の結果、死刑を宣告された。巣鴨プリズンで死刑囚として2年半ものあいだ過ごした。本書はそのときに書いていた日記をもとにしています。
著者は一橋大学を出たインテリであり、妻子もありました。ところが、母親を空襲で死に至らせたB29の搭乗員4人の斬首に志願したのです。戦争は人を変えるとは、このことでしょう。
アメリカ軍が日本に上陸してきたら、妻子を先に殺して、自決するつもりだったというのですから、異常な心理です。といっても、それがフツーの帝国軍人の心理だったのでしょう。戦争は善良な人を鬼にしてしまうのです・・・。
死刑囚となった著者は、苦悩します。
神の前では、自分の責任を考え、死刑の運命は当然だと思っても、では、上官や国家の責任はどうなるのかという疑いは去らない。
仏像の写真を切り取って自室の壁に貼り、朝夕、拝んでみるけれども、心は晴れない。神の存在も仏の言葉も信じることができない。
親鸞の『歎異抄』には、「自分のはからいを捨てて・・・」とあるが、それは人間本来の生き方とはそもそも矛盾するのではないか・・・。
著者は次々と死刑囚が処刑されていくのを見送っていきます。次は自分の番だと覚悟させられる不安多い日を過ごしていたのです。
それが、マッカーサーの「確認」によって、ついに終身刑に減刑され、拘置所から出たのは昭和31年(1956年)7月のこと。42歳になっていた。出所してからは福岡市内で文房具店(「とうじ」)を営み、博多どんたくにも参加し、1983年に68歳で亡くなった。
著者は、来世も浄土も信じられない。「私という人間は、死の瞬間から消滅する」と考えた。
私も、著者とまったく同じです。
身体の一部は原子となって宇宙空間を果てもなく漂っていくことでしょう(まさしく不滅の存在です)。でも、私という精神は、そこにはないのです。死後の世界があると考えろというのは、私にとって理不尽としか言いようがありません。
著者は死刑囚として多くの宗教書を読んだが、そのほとんどは公式的なことの繰り返しで、少しも心に響いてこなかった。それらの本を書いた人自身は、「大死」も「心頭滅却」もしていないことは明らかだ。
死刑囚になって、便せんと鉛筆をもらう。鉛筆1本で1ヶ月分だという。1ヶ月分が1本ではとうてい足りない。そこで、鉛筆を水に漬けて2つに裂き、芯をとり出し、木部の先を尖らせて、これに芯をはさんで紙の筒に押し込んで芯をとめるようにした。
こうやって鉛筆1本で1ヶ月をもたせるという工夫をしたのです。すごい知恵です。これも生き抜くために知恵をしぼったのですね。
著者は処刑者としての責任は負うけれど、殺人者としての罪は拒否しました。
なるほど、客観的にはともかくとして、心理的には、軍法会議の決定(実は、ありませんでした)を「執行しただけ」なのですから・・・。
著者はプリズン内で700頁の小説を書き、短歌や俳句をつくりました。
さらに絵画を得意としていて、アメリカ兵の似顔を描いたうえ、「スガモ三十六景」という版画集まで刊行しています。まさしく異能の人です。そんな多才の人が墜落して助かったB29の搭乗員4人を斬首したというのですから、戦争とは、本当に恐ろしいものです。
(2019年7月刊。2000円+税)

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2019年9月21日

橘 諸兄

日本史(奈良)


(霧山昴)
著者 中村 順昭 、 出版  吉川弘文館

たちばなのもろえ、と読みます。
橘諸兄は、天平のころ(727年から756年ころまで)、20年近く、右大臣そして、左大臣として太政官(だじょうかん)のトップの座にあった。
奈良時代、8世紀、政権トップにあったのは、藤原不比等(ふひと)、長屋王(ながやおう)、藤原武智麻呂(むちまろ)、橘諸兄、藤原仲麻呂(なかまろ)、道鏡そして藤原永手(ながて)。
橘諸兄は、もと葛城王(かずらきおう)と称する皇親である。母は、県犬養(あがたいぬかい)の橘三千代で、光明皇后と父は異なるが、母は同じ兄妹でもあった。
橘は、諸兄に始まる新興氏族であり、子の奈良麻呂がクーデターを計画したときには、大伴氏や佐伯氏などの伝統的豪族を同士とした。
橘諸兄が政権中枢にあったとき、聖武天皇は、恭仁宮(くにのみや)、難波宮(なにわのみや)、紫香楽宮(しがらきのみや)と転々と都を遷し、そのなかで東大寺大仏の造営という大事業が始められた。また、郷里制の廃止、国分寺の造営、公廨稲(くがいとう)の設置、墾田永年私財法の発布など、律令制の根幹に関わる施策も実行された。
長屋王の変は、聖武天皇がたくらんだ政変のようです。
長屋王は左大臣。父は高市皇子(天武天皇の子)、母は御名部皇女(天智天皇の娘)で、妻の吉備内親王は天明天皇の娘だった。
長屋王が謀反が企てていたという密告があり、長屋王は滅ぼされてしまった。これは聖武天皇や藤原氏による陰謀だった。つまり、皇族内部の対立である。聖武天皇のほうは、長屋王の変という事件の前から百姓を徴発して軍事的にも準備していた。
諸兄(もろえ)というのは変な名前だなと前から気になっていたのですが、この本を読んで、やっと謎が解けました。聖武天皇からして兄に相当する存在であり、2人の新王が相次いで亡くなったあとの天皇の後見役を期待して「諸兄」と名づけられたのでした。
奈良時代にも、トップの人事をめぐって血で血を洗う抗争が起きていたのですね。こればかりは、いつの世も変わらないようです。
(2019年7月刊。2100円+税)

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2019年9月22日

食の実験場、アメリカ

アメリカ


(霧山昴)
著者 鈴木 透 、 出版  中公新書

私はアメリカ流のファースト・フードはなるべく食べないようにしています。マックもケンタも30年以上、口にしたことがありません。いかにも口当たりの良すぎる人工食料というイメージが私の脳にすっかり定着しています。肥満を心配している身には毒でしかありません。
アメリカ大陸に入植した白人たちは、食生活においては先住インディアンや黒人奴隷に依存していたし、依存せざるをえなかった。
黒人たちは、アフリカで米をつくっていた経験があり、黒人とともに西インド諸島には米作がもたらされた。
トウモロコシは先住インディアンの主食だった。
アメリカの黒人社会では、フライドチキンはご馳走として、教会に行ったあと日曜日に食べるものだった。
オクラはアフリカ原産で、黒人たちがアフリカから持ち込んだ食材だった。
安全な飲料水が確保できていないなかで、アルコール飲料が大量に消費された。アルコールへの免疫がなかった先住インディアンたちのなかに、アルコール依存症が増えた。
ラム酒の生産はイギリスに利するだけなので、アメリカの白人たちはラム酒からの脱却を心がけて、バーボンとビールを愛好した。
コカ・コーラは当初は、薬用として好まれた。コカインも少量ながら使われていた。
マクドナルドは、全店舗への支配力を、日々、トレーニングしながら強化している。
フランチャイズ化は、食事が規格化され、同一の外観を守るという原則の上に成り立っている。
コカ・コーラも私はのみません。なんだか、その成分は怪しいですよね・・・。
食生活の点では、日本はアメリカのようになるのではなく、アメリカを反面教師として対局にあるようにすべき、つまり農薬や遺伝子組み換えなどによらない食生活を重視すべきだと思いました。
(2019年4月刊。880円+税)

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2019年9月23日

へぼ侍

日本史(明治)


(霧山昴)
著者 坂上 泉 、 出版  文芸春秋

西南戦争に参加した大坂商人出身の兵士の物語です。なかなか面白く、読ませました。
主人公の志方錬一郎の志方家は、三河以来の徳川家臣。大坂東町奉行所与力として数代前から大坂に土着していた。御役目をこなすかたわら、剣術の志がある武士や町人に指南する道場を営み、祖父の代には大塩平八郎の乱の鎮圧で武功をあげるなど、商都大坂にあって珍しく尚武の家柄だった。
当代不在で御一所の混乱を迎えた志方家は、かつての与力や同心が市中の行政や治安維持の任務を遂行するなか、当面は得られたはずの役目も秩禄も失った。
それで、錬一郎は、部屋住み丁稚として商家に入った。そして、寺子屋に通って読み書き算盤を教わり、商人として身を立てる最底限の知恵を仕込まれ、ついには手代にまで引き立てられた。
大坂が大阪になったのは、徳川の世で「天下の台所」として繁栄したのが明治に入って大きく陰ってきたことから、せめて縁起だけは担ごうと、「土に返る」という文字を避けてのこと。ええっ、これって本当のことですか・・・。
大坂鎮台は、紀州徳川家がかつて編成した銃兵を主力とする壮兵600人をもって遊撃兵第一大隊を編成。その旗下に、府下徴幕の壮兵のみの小隊が編成された。
錬一郎たちは、プロミア陸軍で制式採用された最新式のツンナール銃をあてがわれた。スナイドル銃と同じく元込め式だ。
田原坂の激戦が終わろうとしているころ、錬一郎たちの第一大隊は熊本の南に位置する宇土半島に上陸した。このころから、犬養記者が同行取材する。
薩摩軍は、危ういと思うとすぐに逃げる。決して猪突猛進して全滅するような愚は犯さない。
そして、戦場となった村で錬一郎は、かの有名な「西郷札」に出会います。
「日本通用 金壱圓 承恵社」
一応は紙幣の体裁をとっているが、用いられているのは布で裏打ちしたらしき和紙。インクも粗末で、既に薄れはじめている。正貨との当換など実際になされる可能性は薄く、まるで玩具。
ところが、錬一郎は大坂商人らしく、この西郷札を大量に入手し、それを大坂に持ち込んで、お金に換えようという。縁起物として、物好きな金持ちに買いとってもらうというもの。
まあた負けたか 八連隊(やれんたい)
それでは勲章 九連隊(くれんたい)
敵の陣営も 十連隊(とれんたい)
大阪鎮台  へぼ鎮台
西南戦争をめぐる状況についてよく調べてあり、それを一つのストーリーにまとめあげた筆力に感嘆しました。
(2019年7月刊。1400円+税)

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2019年9月24日

ぼくはイエローで、ホワイトで、ちょっとブルー

イギリス


(霧山昴)
著者 ブレディみかこ 、 出版  新潮社

面白い本です。イギリスに住む日本人女性の息子(11歳、中学生)をめぐる話です。
イギリスでは階級差が固定しているし、はっきり目に見えるようです。さすがに日本でも、「一億、総中流」なんてという幻想は聞こえなくなりましたが、階級差は見えにくいままです。
イギリスの中学校にはフリー・ミール制度があって、生活保護や失業保険など政府からの補助を受けているような低所得家庭は給食費が無料になる。小学校は給食制なので、同じ食事を食べるが、中学校は学食制なので、生徒が好きな食事やスナック、飲みものを選ぶ。現金は使わず、プリペイド方式で、フリー・ミール制度対象の子どもには使用限度額がある。
中学校の正門には校長が立っていて、登校している生徒一人ひとりと毎朝、握手する。
労働党政権は、イギリスから子どもの貧困をなくすと宣言し、実際、1998年度に340万人だった貧困層の子どもが2010年には230万人と、順調に減少していった。ところが、2010年に保守党政権になって緊縮財政を進めると、平均収入の60%以下の所得の家庭で暮らす子どもが410万人に増えた。これはイギリスの子どもの総人口の3分の1にあたる。
制服が買えない子どもがいる。生理用品を大量に買って女生徒に配る女性教員がいる。私服を持っていないので、私服参加の学校行事のときには必ず休む生徒がいる。
イギリスでは、子どもが学校を欠席すると、親が地方自治体に罰金を払わされる制度がある。父母それぞれに60ポンドずつ請求される。21日以内に払わないと120ポンドに上がり、それでも払わないと最高2500ポンドの罰金、そして最長3ヶ月の禁固刑に処せられることがある。ひえーっ、これには驚きました。
イギリスの公立中学校には、さまざまな国から来た子どもたちがいて、子どもたちは、お互いに差別や貧困と格闘しなければいけないようです。日本より人種や貧困がはっきり見えるのです。
アイルランド人男性と日本人女性のあいだに生まれた著者の一人息子は、いかにもたくましく育っているようです。ヘイトスピーチを受けても母親がまったく動じないのが、思春期に差しかかった11歳の息子に何よりの精神安定剤になっているという印象を受けました。
イギリスの現実、そして厳しい社会環境のなかでのたくましい子育てを学ぶことができました。あなたにも一読をおすすめします。
(2019年8月刊。1350円+税)

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2019年9月25日

三つ編み

社会・女性・フランス


(霧山昴)
著者 レティシア・コロンバニ 、 出版  早川書房

すごい本です。圧倒されました。電車のなかで頁をめくっていきながら、この本に登場してくる女性たちは、いったい、このあとどうなるんだろう・・・と、もどかしい思いでした。
 フランス人の女性作家の本ですが、舞台は、なんと、インド、イタリアそしてカナダなのです。そして、主人公の女性は、いずれも深刻な悩み・問題を抱えて苦悩しています。でも、少しずつ行動に移していきます。それが、三つの大陸の全然別の世界で生きているにもかかわらず、たった一つだけ結びつくものがあるのです。それが何なのかは、この本を読んでのお楽しみにします。
インドの女性スミタはダリット、不可触民です。仕事は他人の便所の汲みとり。裸足で歩き、素手で便を扱う。ダリット以外の人とは話もしないし、触っても、見てもいけない。ところが、触っていけないはずなのに、強姦はされるのです。まったくいい加減な差別です。でも笑えません。強姦されたあと、殺されてしまう可能性も強いのです。被害者が被害を申告するなど考えられもしません。
ただ、この本にも触れられていますが、そんなダリットのなかから突出した経営者や政治家がたまに出てきます。これまた不思議です。
イタリアの女性ジュリアの一家は毛髪を生業(家業)としている。でも、ジュリアは図書館で本を静かに読むのが好き。そして、シク教徒の男性に心が惹かれるようになった。
サラは、カナダのローファームで働く女性弁護士。アソシエイトにのぼりつめた初めての女性だ。裁判所は闘争の場、縄張り、闘技場だ。そこにいるとサラは、女戦士、情け容赦のない女闘士となる。口頭弁論のときには、ふだんの声と微妙に異なる、低い厳かな声をつかう。表現は簡潔で鋭く、切れ味抜群のアッパーカットのよう。敵の論点のわずかな隙や弱みをすかさず、突いて、ノックアウトする。担当案件はすべて頭に入っていて、嘘をつかれたり、恥をかかされることはない。
ええっ、ウ、ウソでしょ・・・。つい、そう私は叫びたくなりました。
そんなサラが乳ガンだと宣告されるのです。それで抗ガン剤なんか投与されたら、せっかくのアソシエイトの地位が一瞬のうちにフイになってしまう・・・。
ダリットのスミタは、村を出る、娘を連れて村を出て都会に行くことにした。夫は懸命にとめようとするが、スミタの決意は揺るがない。娘にまで、こんな生活をさせたくない。学校に行かせて、ちゃんと勉強して、この境遇から抜け出せるようにするのが親のつとめだ。スミタは、来世まで待つ気なんかない。大事なのは、今のこの人生。自分と娘ラリータの人生なのだ。
サラは抗ガン剤をつかいはじめた。しかし、弁護士は、いつだって颯爽とし、有能で積極的でなければならない。弁護士は頼もしく、説得力があり、好意を味方につけなければならない。
難しいけれど、これは本当のこと、大切なことです。
3人とも不運や試練に見舞われながら、それを乗りこえようと奮闘します。本書は、たたかう女性を描くフェミニズム小説だと訳者は解説しています。
いやあ、すごい本でした。ぜひ、あなたも読んでみてください。
(2019年4月刊。1600円+税)

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2019年9月26日

神主と村の民俗誌

社会


(霧山昴)
著者 神崎 宣武 、 出版  講談社学術文庫

村のなかで神主が村人とどんな関わりをもっている(いた)のか、とても興味深く読んでいきました。途中で、これって、最近のことではないよね、いつのことだろうと疑問に思いました。
すると、この文庫本はごく最近(19年7月)に出たばかりなのですが、実は30年近くも前の1991年(平成3年)に出た復刻版でした。なるほど、30年前なら少しは分かる気がしました。
今では村の絶対人数が減って、神輿(みこし)かきをするだけの人数を確保できない。イノシシが出没して、農作物やタケノコ・クリなどの被害が増えている。
それでも、村祭りを復活させるところもあって、一路、消滅をたどっているわけではない。
平成の大合併は中央集権化をもたらし、葬祭場が出来て、葬儀や法要そして家祈祷までが個人の家から離れてしまった。
では、30年前はどうだったのか・・・。それが、ことこまかに嫌になるほど詳しく再現されているのが本書です。
著者は終戦直前の1944年生まれで、実家は代々、神主業を世襲してきて、著者も父親にたのまれて承継しました。東京から、新幹線で郷里・岡山の美星町まで通ったのです。
そこは、古くから自給自足の生活が営まれていて、集落の自治も古くから安定していた。
神主が太鼓を叩く技術は、一朝一夕に習得できるものではない。30歳になって習いはじめても難しい。幼いときから聞き慣れていて、若いときに叩きはじめないと、音に説得力が出てこない。
なーるほど、そういうものでしょうねえ・・・。分かる気がします。
世の中が好景気のときには、お神楽(祈祷料)が増大傾向にあり、また不景気のときには、神だのみから信心が盛んになる傾向がある。
仏教と神道は、日本では昔から両立してきた。神道と仏教は、その基本的な思想が似ている。基本的な思想としては、祖霊信仰である。
神道でも仏教でも、そのときどきに崇める神仏はその基本的な思想が似ている。
一神教ではなく、多神教であり、その中心に祖霊がある。
祭りとは、祖霊と現世とが交流する場でもある。
「神様、仏様、ご先祖様」とは、まさにいいえて妙である。現代日本人の信仰の形態は、果たして信仰といって良いのかどうなのか・・・。そもそも、日本人の信仰の形態は、はたして宗教といってよいのかどうか。
面白い本です。ほんの少し前までの村の生活がイメージできます。図書館で注文して読んでみてください。
(2019年7月刊。1070円+税)

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2019年9月27日

承久の乱

日本史(鎌倉時代)


(霧山昴)
著者 坂井 孝一 、 出版  中公新書

承久の乱は、一般には後鳥羽上皇が鎌倉幕府を倒す目的で起こした兵乱とされています。しかし、この本によると、最近では、後鳥羽上皇は執権北条義時の追討を目指しただけで、倒幕ではなかったとされているとのこと。知りませんでした。
そして、後鳥羽上皇についての、時代の流れが読めない傲慢で情けない人物という人物は誤解であって、今では「新古今和歌集」を主導して編纂した優れた歌人であり、諸芸能や学問にも秀でた有能な帝王だったとされています。
同じことは、暗殺された三代将軍の源実朝(さねとも)にもあてはまる。実朝は「政治的には無力な将軍」のイメージが強いが、実は将軍として十分な権威と権力を保ち、幕政にも積極的に関与していた将軍だった。さらに、後鳥羽上皇の朝廷と源実朝の幕府は、対立どころか親密な協調関係を築いていた。実朝が暗殺されたことは、鎌倉幕府だけでなく、朝廷に衝撃を与え、乱の勃発に重大な影響を及ぼした。
このような序文を読んだら、いやおうにも本文を読みたくなるではありませんか・・・。
承元3年(1209年)、鎌倉幕府では18歳になった三代将軍実朝が将軍親裁を開始した。実朝は、主君としての穀然たる姿勢と気概をもち、統治者として次々に政策を打ち出して成果をあげていった。
実朝は、地道な努力を積み重ねて擁立された将軍から、御家人たちの上に君臨する将軍へと自立し、その権威と権力で御家人たちを従えていた。
将軍実朝のもとで、和田合戦が始まり、北条義時が和田義盛の一族を滅ぼした。この和田合戦のあと、将軍と執権とが直接対峙することになった。
北条政子、義時そして大江広元らの幕府首脳部にとっても、実朝暗殺による突然の将軍空位は想定外の危機だった。
実朝は、後鳥羽上皇の朝廷から支援を受け、頼朝をはるかに超える右大臣・左近衛大将という、武家ではとうてい考えられない高い地位に昇った大きな存在だった。
後鳥羽上皇の院宣は、問題が幕府の存続ではなく、北条義時の排除一点にしぼられているうえ、最大の関心事である恩賞に言及していて、御家人に受け入れやすい内容になっていた。後鳥羽上皇が目指したのは、北条義時を排除して鎌倉幕府をコントロール下に置くことであって、倒幕でも武士の否定でもなかった。
北条政子は、金倉幕府創設者の未亡人にして、二代、三代将軍の生母、従二位という高い位階をもち、幼き将軍予定者を後見する尼将軍として、聞く者の魂を揺さぶる名演説を行った。そして、そこには北条義時ひとりに対する追討を、三代にわたる将軍の遺産である「鎌倉」すなわち幕府そのものに対する攻撃にすり替える巧妙さがあった。幕府存亡の危機感を煽られ、御家人たちは異様な興奮の中で、「鎌倉方」について「京方」を攻めるという選択をした。
このとき「京方」を迎撃する戦術をとっていたら、幕府の基盤である東国武士が離反する恐れがあっただけでなく、長期戦となれば、畿内の近国や西国の武士たちが大量に朝廷側の追討軍として組織される可能性もあった。
「鎌倉方」は8年前の和田合戦で激闘を経験ずみであったから、戦況に応じた適格な指示を出すことができた。
「承久の乱」の敗北によって、「京方」は三人の院が流罪になる「三上皇配流」という前代未聞の結末を迎えた。後鳥羽上皇の流人生活は19年に及び、60歳で隠岐島で没した。あとの2人の上皇もそれぞれの配流地で死を迎えた。
歴史を学ぶことは、人間と社会を知ることだと、つくづく思わせる新書でした。
(2019年1月刊。900円+税)

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2019年9月28日

江戸の古本屋

日本史(江戸)


(霧山昴)
著者 橋口 侯之介 、 出版  平凡社

日本人は昔から本が大好きだったことがよく分かります。
昔の日本人は、本を読むというのは、声を出して読む、音読するのか普通だったようですね。寺子屋で、「し、のたまわく・・・」と声をそろえて習っていたことの延長線にあったのでしょうか・・・。
寛永のころ(1624年から1644年)、収益を目的として本を刊行する商業出版が始まった。出版する本屋が京都だけで、享保年間(1716~1736)には200軒も存在していた。
大阪の本屋も享保11年に89人だったのが、享和1年(1801年)に130人、文化10年(1813年)には、343人に達した。江戸では、京保7年に本屋仲間が47軒で結成された。
江戸時代を通じて、大手の書林といえども出版だけで収益をあげることはできず、古本業務を基礎として、さまざまな本に関する仕事をこなしていた。
江戸には、文化5年(1808年)に貸本屋が656軒あり、販売網として組織化されていた。
江戸時代の本屋は現代の出版社のように間断なく新本を出し続けるということはなかった。新刊本は数年がかりで、数点が同時進行しながら製作されていた。本づくりは慎重にすすめられた。出版活動は、数多くの業務のひとつに過ぎなかった。江戸時代の本屋は、出版物を刊行するだけでなく、卸売りも小売りもすれば、古本のような再流通までを担う産業だった。きわめて特殊な商形態だった。
本屋は講をつくっていた。講は情報を収集する場であり、金融的側面ももっていた。古書の交換システムを機能させ、娯楽的側面もあった。
本屋の仲間同士の支払いは2ヶ月後の清算が慣行だった。
セドリとは、同業の本屋を回って本を仕入れる行為をいう。また、風呂敷包みを背負って江戸中を歩いて本を買い集め、それを売って商いする者のこともセドリと呼んだ。
本屋の古本業務が盛んになったのは、書物の収集に熱心な顧客が増大したことが背景にある。それまでの寺院や公家、大名家だけでなく、神社や民間の学者、医者、富裕な商人にも収集する層が広がっていった。そして、村々の役人、町役人や一般商人にまで収集の層が広がった。
本替(ほんがえ)とは、本屋が現金でなく、お互いに本を送るという実物による交換であって、これは、余計な資金の移動を避ける合理的な商習慣だった。
いま、小さな本屋がどんどん閉店しています。本当に残念です。ネットで注文するのは便利ですが、やはり神田の古本屋街のように手にとって眺める楽しさは格別なのです。アマゾンに負けるな、そう叫びたい気分です。
(2018年12月刊。3800円+税)

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2019年9月29日

世界で一番美しいかくれんぼ

生物


(霧山昴)
著者 アンナ・レヴィン 、 出版  小学館

生きものたち、森に海に雪原に生活する生きものたちの擬態を紹介した写真集です。
まずは森のなか。ナマケモノは背景の森に溶け込むために、体の表面に緑色の藻類をすまわせている。
テルシオペロという毒ヘビは落ち葉に擬態し、じっと身をひそめて獲物を待ち伏せる。言われなければ、まったく気がつきません。
体の模様は落ち葉の葉脈や日差しによる陰影まで写しとったかのようなソメワケササクレヤモリの身体は、まさに一級の芸術品。
有名なカメレオンは皮膚の構造を変えて光の反射の仕方を変えることで、気分、体温、性的状態、攻撃性、健康状態を色で示す。オスはライバルと縄張り争いをするとき、メスを惹きつけるため、鮮やかな体色になる。
マダガスカルには、落ち葉そっくりのアマガエルがいる。体の表面に光沢があり、質感まで落ち葉にそっくりだ。
マダガスカルの森にすむテングキノボリヘビは、木の枝そっくり。日中は木にぶらさがって休み、夜中にトカゲなどの獲物に木の上から襲いかかる。
これはまるでヘビではありません。まったく木の枝そのものです。
アフリカの砂漠にすむナマクアカメレオンは、砂の色に完全に同化した体色。そして周囲の温度変化で体色を変えて体温調節している。
砂漠にもカマキリがいる。枯れ枝そっくりの姿をしている。どうやったら、これほど似ることができるのか、不思議ですよね。意思の力なのでしょうか・・・。
海の中にも上手にかくれんぼしている生き物がいます。たとえば、ハナオコゼ。海藻のじゅうたんの中にひそめば、まず、見つけられない。
タツノオトシゴの仲間のリーフィーシードラゴンは、波に揺れる海藻のまねをして、ゆっくりと揺れるような動きで泳いでいる。
この本の最後に登場してくるコチ科の大型種、クロコダイルフィッシュは、写真をみても、どこからどこまでが魚体なのか、とても判読できません。
まさしく世の中は、不思議だらけなことを実感させる不思議な写真集です。よくぞ、これだけの生き物を撮影したものです。心から敬意を表します。
(2018年12月刊。2700円+税)

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2019年9月30日

昆虫考古学

日本史(古代)


(霧山昴)
著者 小畑 弘己 、 出版  角川選書

縄文時代の遺跡として有名な三内丸山遺跡(青森)からは、コクゾウムシ、材木を食べるオオナガシンクウ、糞を食べるマグソコガネ、ドングリやクリを食べるクリシギゾウムシやコナラシギゾウムシの幼虫、キクイムシ類を捕食したりするエンマムシ科の一種などが発見されている。家屋に棲みついた害虫と思われる。
宮崎県の本野原(もとのはる)遺跡で縄文時代のクロゴキブリの卵の圧痕を検出した。クロゴキブリは、中国南部を原産地とする外来種。それ以外の日本の屋内に普遍的なゴキブリの原産地はアフリカだ。
福岡の鴻臚館のトイレからはベニバナの花粉が多量に検出されている。それは、花を直接食べたような出方だ。ベニバナは現代でも漢方薬として使われているが、腹痛の薬として食べられていたと想定されている。
鴻臚館のトイレは、誰がみてもトイレと分かる遺構である、トイレ遺構から発見されるコクゾウムシやマメゾウムシの類は、トイレに捨てられた加害穀物に混じっていたものではなく、ムシに加害された穀物やマメをいれたお粥(かゆ)やスープ、パンなどを人が食べた結果だと考えられている。
土器という大地に種実を埋め込むのは、種子や実が再び生まれてくること、再生や豊穣を願った行為と思われる。
クリやドングリも縄文人たちにとって重要な食料だった。縄文人たちは、コクゾウムシをクリなどの堅果類の生まれ変わりと考えていたのではないのか・・・。
縄文時代、コクゾウムシはイネではなく、ドングリやクリを食べ、縄文人たちの家に棲みついていた。これが判明してから、まだ10年もたっていない。縄文人たちが、ダイズやアズキ、そしてクリを栽培していたことが分かったのも、この10年ほどのあいだのこと。これは、土器圧痕と呼ばれる、人の作った土器粘土中やタネやムシの化石によって判明したのだった・・・。
古代の遺跡を調べると、男性トイレと女性トイレは土壌分析で判明するとのこと。土壌の成分が男女で異なるというのです。これまた不思議な話ですよね。誰がいったいそんな区別があると考えて調べたのでしょうか・・・。
同じものを食べていても人間の便の成分が男女で違うって、いったい人間の身体はどうなっているのでしょうか・・・。誰か教えてください。
(2018年12月刊。1700円+税)

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