弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2019年9月12日

幕末維新像の新展開

日本史(明治)


(霧山昴)
著者 宮地 正人 、 出版  花伝社

江戸時代の人は「鎖国」のなかでも世界情勢を必死でつかもうとしていた。
オランダからの毎年の「蘭国風説書(ふうせつがき)」を入手し、長港に入港する清国商船から「唐国風説書」を入手しようとしていた。
1860年3月3日の桜田門外の変は、国内の政治的雰囲気を180度逆転させ、井伊直弼(いいなおすけ)亡きあとの幕府トップは、将軍=譜代結合のもとで粛清路線を貫徹させる自信を喪失し、公武合体の再構築のための和宮降嫁政策と開港開市の延期交渉、そして遣欧使節団派遣政策にシフトせざるをえなくなった。
そのうえで、1861年2月からのロシア艦隊対馬占拠という領土侵犯事件になんら対処しえない幕府は国内の批判をさらに浴びて、1862年1月15日の坂下門外の変による老中首座・安藤信正の失脚後、幕府は政治的イニシアチブのとれない「死に体」と化してしまった。
1866年6~8月の第二次長州「征代」の「官軍」完敗は、国内の政治的雰囲気を決定的に変え、幕府の軍事的能力の欠如が白日のもとに暴露された。
1867年10月、幕府は大政奉還をしたが、まだ慶喜ベースで進められていた。このままでは実態としては幕府体制の存続となると判断した西郷と大久保は、岩倉と連携し、尾張・越前・土佐・芸州の4藩を引き入れて、12月9日、王政復古クーデターを決定した。
1868年1月3~6日の鳥羽・伏見戦争が薩長両藩の奮闘で勝利したあと、薩長同盟が核となった維新政府に進化していった。
五箇条のご誓文を出したときに明治天皇は17歳だった。1877年2月に始まった西南戦争が、9月に西郷以下の自刃により終結したことから、武装蜂起による「有司専制」政府を打倒することは不可能なことが明白となった。
天皇の勅令が機能しないのは、明治7年の佐賀の乱でも、明治10年の西南戦争でも一貫している。
明治天皇が肉食をはじめた。肉を食べたら穢(けが)れるというのが江戸時代の人々の考えだった。すると、肉食をした天皇を崇拝できるのか、という問題が起きた。ようやく、明治20年代になって、近世的な朝廷から近代天皇制へ確立していった。
明治初めから10年代に各県で新聞が確立していった。これには活版印刷機の普及が背景にあった。在地でお金を出して情報を手に入れようとする層が出てきた。これがあって初めて自由民権運動が出てくる。自由民権運動は、雑誌と新聞なしでは起こらなかった。
末尾に著者は「竹橋事件」について触れています。西南戦争のあと、1878年8月の近衛砲兵の反乱事件です。近衛連兵隊の兵卒たちは、志願兵で徴兵兵卒のなかのエリート。彼らが今の政権は、わが祖国をなんら代表していないとの怒りから武器をもって反乱に立ち上がったのです。自由民権運動の影響を受けていました。弁護士になってまもなくのころ、この事件を知って、私はひどく感動しました。明治の若者に今を生きる私たちは学ぶべきところがあります。武装反乱ではなく、声を上げ、行動すべきだということです。
明治維新をめぐる、大変知的刺激にみちた本でした。
(2018年12月刊。2000円+税)

  • URL

カテゴリー

Backnumber

最近のエントリー