弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

イタリア

2019年7月 6日

「緋い空の下で」(下)

(霧山昴)
著者 マーク・サリヴァン 、 出版  扶桑社文庫

上巻に引き続いて、下巻も圧倒的な面白さです。アメリカで150万部突破の大ベストセラーになったというのも当然ですし、映画化されるというのもよく分かります。まさしく最後の最後まで絵になるハラハラドキドキの場面展開が続くのですから・・・。
主人公のピノは17歳。イタリア軍に徴兵され、ロシア戦線に派遣されたら、5割の確率で生命を失ってしまう。そこで、身内はピノをドイツ軍のトート機関へ志願することをすすめる。トート機関は国防軍の前線部隊で異質な存在だった。ピノは、そこに入り、持ち前の軽さで、いつのまにかドイツ国防軍のイタリアにおけるナンバー2である少将の専属運転手として働き始める。
要するに、スパイとして活動していったのです。ところが、2歳下の弟は事情を知らないので、兄のピノを「裏切り者」として拒絶してしまいます。それでもピノは、少将の愛人宅のメイドと仲良くなり、幸せなひとときを過ごせるようになりました。
ドイツ軍はイタリア戦線で敗退に敗退を重ねますが、イタリア北部のミラノ地方は、ドイツ軍が最後に守るべき砦だったのです。
そして、アメリカ軍によるイタリア解放のときが、ついにやって到来します。すると、それまで無言で耐えていたイタリアの人々が残虐な報復・殺傷行為に走ります。ドイツ軍将校の愛人とそのメイド(ピノが愛した女性です)までが、即決の人民裁判のようにパルチザンたちによって処刑されてしまうのです。
ああ、いったい自分は何を頼りに生きていったらいいのだろう。ピノはガックリ肩の力を落とします・・・。
どこまでが実話なのか、どこからが想像のストーリーなのか、ぜひ知りたいところです。
このところ久しくワクワク感を体験していないという人に超おすすめの本です・・・。
(2019年5月刊。980円+税)

2019年6月30日

緋い空の下で(上)

(霧山昴)
著者 マーク・サリヴァン 、 出版  扶桑社文庫

ナチス・ドイツに抵抗したフランスのレジスタンス運動についてはいくつも本があり、読みましたが、この本はイタリア北部のレジスタンスの話です。実話をもとにしているようですが、大変スリリングな展開で、350頁の文庫本を2日間で読み通しました。下巻が待ち遠しい思いです。
上巻の前半は、ユダヤ人のアルプス越えを先導する話です。その行く先はスイスです。『サウンド・オブ・ミュージック』と同じく、ナチスの追及を逃れてスイスに駆け込むユダヤ人たちの案内人をイタリアの少年がつとめるのです。冬山を少年が先導し、慣れない山道、しかも絶壁の冬山を勇気を出させて乗り越えていくところは、まさしく手に汗を握ります。
後半は、そんな青年がイタリア軍に徴兵されてロシア戦線に送られて死ぬよりは、ドイツ軍に入って内地勤務を両親にすすめられてドイツ軍に志願入隊することになり、それからの意外な展開です。
事情を知らない知人からは裏切り者と呼ばれます。
そして、イタリアにいるドイツ軍の高級幹部の運転手となり、ドイツ軍の機密情報をもらすスパイになるのです。まさしく手に汗握るシーンの連続です。
イタリア北部は、ドイツ軍がムッソリーニを利用しながらも上陸してきたアメリカ軍などに必死に抵抗していて、そこでイタリアのパルチザンたちが活動していたのです。
アメリカで2017年のベストセラーとなり、映画化もされるそうです。ぜひ、映画もみてみましょう。
(2019年5月刊。980円+税)

2019年4月 7日

モンテレッジオ、小さな村の旅する本屋の物語

(霧山昴)
著者 内田 洋子 、 出版  方丈社

私はイタリアにはミラノしか行ったことがありません。スイスからバスと列車でコモ湖に行き、そこからミラノに入ったのです。
そのミラノから車で2時間あまり、山の中にある小さな村、モンテレッジオ。
現在、モンテレッジオの人口は、たったの32人。男性14人、女性18人。そのうち4人は90歳代。就学期の子どもが6人いるものの、村には幼稚園もなければ、小学校も中学校もない。食料品や日用雑貨を扱う店もない。薬局や診療所、銀行もない。郵便局は閉鎖されていて、鉄道はおろかバスもない。
8月半ばの村祭りのときだけ人口が200人をこえる。そして、その村祭りとは、古本市。村の自慢の品は本なのだ。
海がなく、平地もなく、大理石の採石もできない。つまり、海産物も農作物も畜産品も天然資源もとれない村。それらが豊富な土地へ行くための通過地点という重要な役割があった。つまり、この村の特産品は、なんと「通す権利」。村には売る特産物がないので、本を売った。
ミラノから最寄りの駅まで3時間。そこからバスでさらに3時間かかる。
村勢調査によると、1858年ころのモンテレッジオの人口は850人で、うち71人の職業が「本売り」だった。
出版社は、モンテレッジオの本の行商人たちを大変に重宝した。読者たちの関心や意見を詳しくつかむことができたからだ。本を選ぶのは、旅への切符を手にするようなもの。行商人は駅員であり、弁当売りであり、赤帽であり、運転士でもある。
本を売る行商人たちの村があったというのは驚きです。私もたまに神田の古本街を歩きますし、古本目録を眺めます。古本を商品とする行商人が中世からいたなんて、信じられない思いでした。現代社会では電子図書ばやりですが、紙の本には特別の良さがあります。中古本だって、価値が下がることはないのです。
私のような本好きの本にはたまらない旅行記でした。
(2018年9月刊。1800円+税)

2017年9月12日

復讐者マレルバ

(霧山昴)
著者 ジュセッペ・グラッソネッリ、カルメーロ・サルド 、 出版  早川書房

イタリアのマフィアに挑んで生き残ったグループのリーダーであり、ヒットマンの青年の回想記です。ときは、検察官が公道上で爆殺されたころの話です。
1992年、27歳で逮捕された著者(本名がグラッソネッリで、本書ではアントニオ・ブラッソ)は終身刑4回と懲役30年の判決によって、現在も服役中。すでに20年をこえているが、妨害的終身刑なので、外出許可は認められない。つまり、普通終身刑なら20年間服役したあとは、1日、2日単位の外出許可を申請して認められることがあるけれど、妨害的終身刑の囚人は、塀の中で死ぬ運命にある
妨害的終身刑とはマフィアの抗争がらみの殺人を犯した者だけを対象とする刑だ。ちなみに、イタリアは日本と違って死刑は廃止されている。
著者は、3年間の昼間単独室処遇のあと、15年間の厳重拘禁措置がとられ、現在は、「高度に危険な囚人』扱いとなっている。ところが、著者は小学校しか出ていなかったが、塀の中で中学・高校の卒業資格をとり、ナポリ大学の特別講義も所内で受講し、ついに2013年、48歳で、文学・哲学科を満点評価で卒業した。
ですから、この著者が書いた回想録なのです。迫真性にみちみちているのは、そのためです。殺人場面など、下手な小説どころではありません。
著者は司法取引を拒否しています。いわゆる「改悛者」になると、かつての仲間たちからは裏切り者とされ、家族をすくめて報復の恐れがあるからです。
逮捕され、裁判になってから著者は多くの真実を知りました。
敵と味方どちらの陣営にも、ありとあらゆる卑劣な行為と裏切りがあった。していたことは、まったく気高くもなければ、名誉のかけらもない戦いだった。殺しにしても身勝手な理由、都合よくねじ曲げた理由で命じられたものばかりで、ひどいものだった。
それなりに崇高で明確な目的のために殺していたつもりだった。だけど、あんなに単純な理由で仲間を殺す人間がこんなに多いとは思わなかった。ヤクの代金を払いたくなかったとか、借金を返したくなかったとか、妻の愛人らしいとか・・・。
そして、どんな殺しにも偉大な理想の衣装を着せることが何より大切だった。
恐ろしい悪行の数々がこうして正当化された。
著者はシチリア(シシリー島)に1965年に生まれ、幼いころからワルで、盗みを重ね、少年ギャング団の頭となり、ついにはドイツへ逃亡し、ハンブルグでいかさまギャンブラーになって、生計を立てていた。それが、1986年夏、21歳のとき、シチリアに里帰りしていたとき、マフィアによって祖父たちが虐殺されたことから大暗転した。その報復を目ざして、ついに4年後に地元マフィアのボスたちの暗殺に成功した。
暴力とギャンブルそしてセックスがらみの放蕩の青春時代が生々しく描かれています。大薮春彦の小説顔負けです。
殺人は報復の連鎖を生むという実例でもあります。
ひるがえって日本の暴力団は、公共事業を安定的財源としていることは世間公知の事実ですが、なぜか警察はその点を一向に究明しようとしません。
いくら集会やデモ(パレード)で暴力追放を叫んでも、その点にメスを入れないと暴力団の資金源を断つことは出来ないと私は思います。イタリアのマフィアに関心のある人には強く一読をおすすめします。
(2017年6月刊。2200円+税)

2017年6月20日

トリノの軌跡

(霧山昴)
著者 脱工業化都市研究会 、 出版  藤原書店

私は、イタリアにはミラノに行ったことがあるくらいで、残念なことにローマにもポンペイにも行ったことがありません。ミラノにはスイスから特急列車に乗って行ったのですが、すべてフランス語が通用して安心でした。
トリノというと、イタリア車のフィアットの街ですよね。ところが、そのフィアットが落ち目になったあと、トリノをどう再生させるか、というのが大問題になりました。
本書はトリノ再生計画がかなりうまく進んでいることを具体的に紹介していて、日本人の私たちにも参考になります。トリノは、ミラノより西側、フランス側に近いところにあります。
トリノはイタリア北西部に位置する。晴れた日にはアルプス連峰の雄姿を眺めることができる。トリノでは、19世紀後半に、市域を南北に貫く鉄道が開発された。20世紀になると、フィアットのワン・カンパニ・タウン化が急進展し、鉄道の西側に自動車工場、その部品工場、手製鉄所などが連棟した。労働者向けの陣腐な集合住宅が立ち並び、街は灰色になった。市域は鉄道によって真っ二つに分断された。
トリノの人口は、1970年代半ばに120万人をこえたが、その後は人口減少を続け、現在は95万人。イタリア第四位の都市。
1950年代には、市内の労働者の80%以上がフィアットとその関連企業で働いていた。戦後のフィアットの急成長を支えたのは、国内移民労働者、とくにイタリア南部からの移民だった。フィアットの企業城下町だったが、巨大工場が1982年に閉鎖されると、建築家の手で商業文化複合施設にリノベーション(再生)された。
トリノでは食文化産業も注目されている。スローフードの聖地もトリノの近くにある。
トリノでは、自転車道路や遊歩道の整備といった小さなプロジェクトを結びつけて全体の改善が図られている。
2011年にトリノに居住する外国人は12.9万人。ルーマニア人が40%、モロッコ人が15%を占めている。1990年より前は南米やアフリカからの移民が多かった。しかし、今ではアルバニアやルーマニアなどの東欧からの移民が目立つ。
失業者・無業者の起業・自立を実践的に支援する取り組みがなされている。若年層や女性への支援も目立つ。
単一用途のゾーニングは、まちを単調にし、活力のない、つまらない街区にしてしまう。
市内中心部にある路上駐車場や歩道を活用(バールナイゼーション)するには、業者はその広さに相応した利用料をトリノ市に支払う。
60%の飲食店が路上駐車場・歩道をバールナイゼーションしている。
日本の都市再生にもぜひ生かしたいと思わせる具体的な提言がなされています。政権与党は共謀罪の成立を目論んだり、リニア新幹線のようなゼネコン本位の超大型プロジェクトに狂奔するばかりで、身近な町づくりのような本当に国民を守る力を育てようとしているとは、とても思えません。もっと庶民の力を育てる政治であってほしいものです。
(2017年2月刊。3300円+税)
 日曜日に仏検(一級)を受けました。いやはや難しいです。いつものことながら、知らない単語がたくさん登場してきます。動詞を名詞に変えて同旨の文章につくり直せと言われても、まるで歯が立ちません。年に2度、3時間、じっくり出来ない生徒の悲哀を味わいます。自己採点で53点(150点満)でした。
 この2週間ほど、20年に及び過去問を繰り返し復習し、NHKラジオ講座のCDを聞いて書き取り練習もしてみたのですが、いかんせん頭の劣化現象のほうが進んでいるようで、いつも単語が新鮮です(要するに忘れている)。
 まあ、それでも、フランス映画(なるべくみるようにしています)は、かなり聞きとれますし、字幕と見比べて、そういうことなのかと、一人納得したりしています。これはこれでうれしいのです。

2016年5月14日

イタリア現代史

(霧山昴)
著者  伊藤 武 、 出版  中公新書

 私は、イタリアにはミラノに行ったことがあるくらいで、ローマにもポンペイにも行ったことがありません。イタリアといったら、なんといってもスパゲッティとピザですよね。
 イタリアの政治と言えば、現在の政党の名前は、みんな新しいものばかりなんですね、不思議です。日本では共産党が戦後ずっと同じ名前ですし、イタリア共産党と言えば、強大な党でしたよね。ところが、今は存在していません。そして、イタリアといったら、かのマフィアの存在も忘れることができませんね。裁判官も検察官も次々に暗殺されてしまいました。マフィアと政治家との結びつきの強さは、日本でいうと大型公共土木工事をめぐる自民党政治家(一部でしょうが・・・)と暴力団との結びつきと同じことなのでしょうね・・・。
 日本以上に変転きわまりない(と思える)戦後イタリアの政治史をたどっている本です。
 1930年代、ムッソリーニの独裁は安定していた。そのファシズム独裁は、ファシスト党の独裁というより、ムッソリーニ個人を頂点とする国家の支配だった。ムッソリーニは、党よりも国家官僚機構を重視し、政府の長として集権的統治を目ざした。
1945年4月、スイス国境へ逃れようとしていたムッソリーニは捕えられ、裁判を経て処刑された。
武装パルチザン活動をふくめたレジスタンスが北部の自力解放に結びついたことは、その後に「レジスタンス神話」を生み出す。レジスタンス神話の浸透は、戦に多くのイタリア国民がファシズム独裁の歴史的問題の清算はすんだととらえる副産物をもたらした。
ファシズム時代、アフリカ侵攻におけるガス使用、ホロコーストへの協力など、神話と相いれない歴史的記憶は深層に潜り込んでしまった。
レジスタンス側も、暴力の責任から無縁とは言えない。
1946年6月、共産党のトリアッティ法相は、ファシズム関係者のパージの幕引きを図った。
1946年6月、イタリア史上はじめて女性に選挙権が認められた。そして、国民投票で君主制の廃止が決まった(54%の賛成と46%の反対)。選挙では、キリスト教民主党35%、プロレタリア統一社会党21%、共産党19%で、三大政党が全有権者の4分の3を獲得した。
共産党は、知識人のなかに改革の党として強い影響力をもった。統一社会党は、内部の激しい派閥抗争などから、やがて左翼第一党の座を共産党にまもなく明け渡した。
アメリカは、イタリア政権に左翼と決別するよう、強い圧力をかけた。
1960年8月、ローマでオリンピックが開催された。
大学生は、1950年に2万人だったのが、1962年には30万人、1968年には45万人へと急増した。
1968年1月、大学占拠の波がイタリア全土に広がった。日本でもフランスでも同じようなことが起きました。私が大学1,2年生のころです。
若者の抗議、新左翼運動の勃興、共産党の勢力拡大はイタリアの社会に新たな緊張をもたらした。
1970年から73年は、極右勢力が盛り返し、「右翼の3年」と呼ばれた。黒いテロリズムが勢いずき、多数の死傷者を出した。そして、「赤いテロリズム」を呼び起こした。
1970年12月、離婚を合法化する法律が制定された。
1976年の総選挙では、キリスト教民主党が38.7%、共産党が34,4%を獲得した。
1978年3月、アルド・モーロが「赤い旅団」に誘拐され、殺害された。事件の真相は、今なお闇の中にある。
1981年5月、P2事件が発覚した。フリーメイソンの支部の名簿が公表された。
1983年、共産党は大きく支持を減らした。ソ連共産党との関係を清算しきれず、そのことがマイナスに動いた。
1987年の総選挙で、共産党は26.6%しかとれず、敗退した。「正直者の党」の共産党による権力監視の機能が衰えた1980年代は、政党や行政機関、財界を巻き込み、利益誘導と政治腐敗は悪化していった。腐敗の拡大と表裏一体で進行したのが、マフィアの全国的進出だった。シチリアのマフィア、カンパニーニャのカモッラ、カラブリアのンドラゲタなどの犯罪者集団が我が物顔で横行した。
日本の政治も、いびつな小選挙区制度をやめて比例代表制にしたら、国民の意思がよりよく反映されて、すっきり風通しのいい政治になると思います。
(2016年1月刊。900円+税)

2015年9月22日

古代ローマの庶民たち


(霧山昴)
著者  ロバート・クナップ 、 出版  白水社

 ローマ帝国で庶民がどんな生活をしていたのかについて、多角的に明らかにした本です。
 なにより驚かされたのは、ローマの公衆浴場が、実は不潔だったという記述です。お風呂に入るというと、日本では、かけ流しの温泉のイメージで、清潔そのものというイメージです。ところが、マルクス・アウレリウスは、入浴の汚さを次のように記している。
入浴とは、油、胸の悪くなるような臭いのごみ、汚物まみれの水、吐き気がするようなものすべてある。
 なんだか恐ろしい浴場ですよね・・・。
何もかもが混ざった場が接触感染者を蔓延させていた。病気を治すはずの場から、人々は新しい病気をもらっていた。それでも、ローマにおいて浴場は、貴重な社交の場になっていた。日々の生活の根本的な部分だった。酒と女と浴場こそが人々の楽しみだ。
 ローマには正規の警察組織はなかった。ローマに住む人々にとって、窃盗は重大な関心ごとだった。あらゆる種類の物品が盗まれた。泥棒も多種多様だった。
ローマの女性は、法的な地位がなく、投票できず、高等教育からも排除されていた。
 結婚は、男中心の性質のものだったが、女性は積極的な伴侶だったし、背景に押し込められてはいなかった。
女性は3人か4人の子どもの母親になることで、完全な司法上の人格を獲得することができた。そして、財産の所有権や契約書・遺言状の作成ができた。嫁資をもつことで、結婚したあとで夫の支配力を和らげるのに役立った。
古代ローマだからといって、現代に生きる私たちとまったく別次元で生きていたわけではないということも、よく分かる本となっています。
(2015年6月刊。4800円+税)

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