弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

カナダ

2021年11月 9日

奇跡の地図を作った男


(霧山昴)
著者 下山 晃 、 出版 大修館書店

今から200年以上も前のカナダを歩いて地図をつくりあげたディヴィッド・トンプソンの生涯をたどった本です。日本にも江戸時代に伊能忠敬が日本全国を歩いて日本の精密な地図をつくりあげましたが、トンプソンは、スケールが違います。
伊能忠敬は10年かけて日本全国を歩いたのが3万3700キロメートル。トンプソンは生涯に10万キロほどを、マイナス40度のカナダの酷寒の山岳・森林地帯のなか、カヌーと馬と犬ゾリ、そして徒歩で歩きまわった。しかも、そこにいた先住民に敬意を払い、その言葉を習得し、生活と文化を理解し、白人と先住民の混血の女性を妻として、ときに一緒に調査旅行に出かけた。
トンプソンは1770年4月、イギリスはロンドンの貧民街で生まれた。ベートーベンと同じ年の生まれ、日本では江戸時代の中期、田沼意次のころ。
トンプソンは貧乏ながら、イギリスの慈善学校に学び、とりわけ数学に優秀であったため、カナダのハドソン湾会社に入社することができた。
当時は、毛皮やフェルト帽が大流行していた。毛皮を扱う商売はボロもうけができた。ビーヴァーが乱獲されていた。黒人奴隷も金もうけのタネとして取引されていた時代だ。
トンプソンは14歳でカナダに渡り、見習い奉公人(サーバント)として、安い賃金で働かされた。
この当時のカナダは、人種差別の激しい国でもあった。
トンプソンは、カナダの先住民であるクリー族やビーガン族などの言葉と文化を積極的に学び、またフランス語も学習した。
蚊やダニが多く、悩まされる土地なので、蚊にかまれる部位を少しでも減らすため、髪の毛は先住民のように肩まで伸ばし、ツバ広の帽子をかぶった。
トンプソンは、17歳のときキャンプ地に送られ、そこで上司からいろんな知識やノウハウを叩きこまれた。毛皮獣の棲息分布の調査の仕方、毛皮取引に必要な知識、カヌーの漕ぎ方、つくり方、保存食としての鳥や獣の肉の塩漬け方法、薪割り、土起こし、毛皮の圧縮、帳簿付け、報告書の作成方法、運搬・交易ルートのたどり方。
また、現地先住民の言葉、気質、特質についても教示された。
先住民の社会は、バッファローの狩猟を基盤とした「民主的な」社会で、女性の役割も尊重されていた。
ところが、トンプソンは滑落事故により右脚を複雑骨折し、その生涯、右脚を引きずりつつ歩行することになった。また望遠鏡を熱心に見ているうちに太陽光をまともに受けて右目を失明してしまった。厳しい天候・気候のなか、川からカヌーを引き上げて別の川や湖まで抱えて運んだり、峻険な崖を登ったり、健常者でも体力の限界をふりしぼるような作業を連日ともなうのが測量の仕事。これをトンプソンは、やり遂げた。
ハドソン湾会社も競争相手の北西会社も、先住民との毛皮取引にあたって、アルコール漬け戦略を用いていた。先住民を酔いつぶして、莫大な利益をむさぼった。
ヨーロッパにもビーヴァー皮を送り届けると、1枚で40万円から80万円もした。毛皮はステイタスを誇示する「柔らかな宝石」であり、「森の黄金」だった。
トンプソンは、カナダ森林地帯の探索・測量を続けるとき、アルコール(うん酒)を悪用しないと強く決心していた。それは、先住民のその豊かな文化に対する深い敬慕の念にもとづくものだった。
トンプソンは現地での測量を引退したあと、家族とともに悠々自適の生活を送るはずでしたが、勤めていた会社が破産してしまい、晩年は貧窮の生活を余儀なくされてしまった。
また、その成果の測量図も、他人の成果として世に紹介され、「測量日誌」をまとめても生前に刊行されることなく死蔵されてしまった。しかし、死後、その日誌は発掘され、測量図がトンプソンによるものということが確認されたあと、ついにトンプソンの偉業は正しく評価されるようになった。
トンプソンは、争乱もつきまとうカナダの山岳地帯を、零下40度という極寒の冬場に周回するなど、長年にわたって、ほかにはまったく前例・同類のない異色の「夢追い人」だった。
伊能忠敬の伝記にも圧倒されましたが、このカナダの測量探検家の偉業には思わず息を呑み声も出ないほどでした。
(2021年8月刊。税込2640円)

2017年5月15日

そして、ぼくは旅に出た

(霧山昴)
著者 大竹 英洋 、 出版  あすなろ書房

面白い旅行記です。いつのまにか、自分も一緒になってシーカヤックを漕いでカナダの湖をすすんでいる気分になってきます。
若いって、いいですよね。見たこともない土地へ行って、憧れの写真家へ弟子入りしようと押しかけるのです。そこはカナダの辺ぴな湖のほとりです。車がなければ、湖をカヤックかカヌーで漕いでいくしかありません。それで、押しかけた先で即座に弟子入りを断られたら、どうしましょう。いいえ、そのときは、そのとき。それから考えれば、いいんだ。ともかく、行ってみよう。すごいですね、若者の特権ですね。変に分別のついた大人には、とても真似できません。
車があれば一日で行けるところをシーカヤックを漕ぎ、陸路はカヤックをかついで進むこと8日間もかけてたどり着きます。いえ、この8日間も、たっぷり道草を食うのです。なにしろ目ざすは写真家なのですから、シャッターチャンス優先です。珍しい鳥が産卵のために巣で卵を温めている光景を見つけたら、その写真を撮るのが優先なのです。
カナダのこの地方には危険な動物はあまりいないようです。でも、蚊とアブにたかられて困りました。
東京で育った著者は一橋大学ではワンゲル部に入り、虚弱な身体を鍛えました。そして、カヤックを漕いだこともないのに、キャンプした経験だけはワンゲル部でたくさんあるのを武器として、カナダの「ノーズウッズ」に挑んだのでした。
「ノーズウッズ」とは、北アメリカ大陸の中央北部に広がる湖水地方を指す。そこには数え切れないほど多くの湖が存在する。緯度が高いので、冬の寒さは厳しく、マイナス30度はあたりまえ、1年の半分は雪と氷に閉ざされ、ときにはマイナス50度にもなる。
著者は、1999年以来、この地に通い続けている。
この本は、その最初のときを刻明に再現しています。よくもまあ詳細に描き出したものです。写真家としてだけでなく、文才のほうも相当なものです。メモ魔を自称する私も顔負けです。
著者がスノーウッズに足を初めて踏み入れたのは24歳のときです。3ヶ月間そこにいて、人生観を大きく変え、自信をつけたのです。いやあ、うらやましい限りです。
この本に登場してくるのは、ジム・ブランデンバーグ、オオカミの写真で世界的に知られる自然写真家、そして極地探検家のウィル・スティーガーの二人です。この二人に、8日間のカヤックの旅でやってきた日本人だということで、歓待されたのです。努力が報われました。 
そして、そのきっかけは、著者のみた夢だったのです。夢って、あだやおろそかには出来ませんね。カヌーどころか、東京になる井の頭公園の貸しボートを漕いだことがあるくらいという著者の言葉には、つい笑ってしまいました。私も、大学生のとき、彼女とデートしたときボートを漕いだことを思い出しました。
400頁をこす部厚い本ですが、私は半日かけて夢見心地で読み通しました。わあ、こんなところがあるのか・・・。行ってみたいな。そう思いました。東京のディズニーランド(一度も行ったことはありません。行く気もありません)より、よほどことらのほうが面白そうです。とはいっても、一人で森の中でキャンプする勇気と技術を身につけていなくてはいけません。その若さをうしなってしまったのが残念です。その思いを、この本を読んで少し満たすことにしたのです。
このころちょっと疲れたな、そんなときには旅に出ましょう。そして、この本を一緒に持っていけば最高ですよ、きっと・・・。素敵な本をありがとうございました。
(2017年3月刊。1900円+税)

2016年11月16日

プリズン・ブック・クラブ

(霧山昴)
著者 アン・ウォームズリー 、 出版  紀伊國屋書店

刑務所のなかで読書会をしているというのに驚きました。それに参加した著者によるカナダでの実践記録です。
刑務所には手作りの焼き菓子の持ち込みは禁止されている。なかにやすりやぎざぎざした金属片など武器になるものを隠せるから。
読書によって受刑者を中流階級に引き上げたいという願いがある。受刑者に幅広い文化を体験させたいということ。読書会は徹底して無宗教で運営される。
カナダでは、国民全体の自殺率は10万人のうち11.3人に対して、連邦刑務所内では84人にのぼる。
受刑者は、ほかの人たちよりずっと本から多くのことを学びとっている。時間とエネルギーがあるぶん本に集中できるし、学ぶ必要に迫られてもいる。
刑務所内では、グループできっぱり分断されている。ムスリムのグループ、ケルト人のグループ、先住民族のグループ、ヒスパニックのグループ、BIFA(黒人受刑者友好協会)のグループ。ふだん受刑者は仲間同士で固まって、ほかのグループとは接触しようとしない。しかし、読書会がそこに風穴を開けた。
受刑者が本の中の恋愛に関心を寄せるのも不思議ではない。彼らにとって恋愛は、いつか刑務所を出てパートナーと晴れて人生をやり直せるときまで、外の世界を忘れないでいるための支えなのだから。
本を大量に読むことで、受刑者暮らしに耐えてきた。でも、一緒に読んでくれる仲間がいないと、気力が出ない。読書の楽しみの半分は、ひとりですること。つまり本を読むこと。あとの半分は、みんなで集まって話し合うこと。それによって内容を深く理解できるようになる。本が友だちになる。
これは、私にとっても言えることです。まず、一人で本を読みます。そして、こうやって書評を書いて、感想をあなたと共有したいのです。
戦争とは、数ヶ月に及ぶ退屈に、ときおり恐怖が混じるもの。兵役期限が満了したころになると、兵士のほとんどが故郷へ帰りたがらない。これは、長いこと服役している囚人も同じ。居場所は刑務所しかない。ここを出ても、何もない。安心できる場所は刑務所だけ。戦場で求められるのは、仲間の面倒をみることと、敵を殺すことだけ。
バラク・オバマの本『マイ・ドリーム』すごく分厚いけど、よく読まれている。
読書会でとりあげる本の選定には苦労しているようです。この本には、O・ヘンリーとか、私の知っている(読んだ)本もいくつか出てきますが、大半は知らない(読んだことのない)本でした。『ベルリンに一人死す』とか『卵をめぐる祖父の戦』は読みました。どちらも大変面白い小説です。
この世界には、なんとさまざまな囚われびとがいることだろう。監獄の囚人、宗教の囚人、暴力の囚人。恐怖の囚人もいる。読書会への参加を重ねるたびに、その恐怖から徐々に解放されていった。
この読書会は受刑者の更生を直接の目的とはしていない。ただ、文学作品を読むことが他者への共感につながっていく。文学作品をよく読む人は、ノンフィクションの読者や何も読まない人に比べて、共感力や社会適応力がすぐれている。
こういう読書会は日本でもやられたらいいと思いました。受刑者にとって外部の実社会との接点が広がることは、とてもいいことだと私は思います。
(2016年9月刊。1900円+税)

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