弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2012年5月18日

謎とき平清盛

日本史(平安時代)

著者   本郷 和人 、 出版   文春新書

 著者はNHK大河ドラマの時代考証も担当する学者です。その指摘には、はっとさせられる鋭さがありました。
日本の歴史には二つの特徴がある。
第一に、平清盛が鎌倉に幕府を開いて以降、明治維新に至るまで、700年間ものあいだ武士が社会の支配者として、大きな役割を果たした。
 第二に、伝統が重んじられ、世襲が社会の基本原則として機能してきた。
 第一の点では、戦前の日本で軍人が偉そうに威張って、日本という国を破滅に導いた愚をくり返したくないものです。昔も今も自衛隊出身の国会議員がいますが、彼らが偉そうに言っているのを聞くと、虫酸が走ります。
 第二の点では、会社はともかくとして政治家の世襲なんて嘆かわしい現象だと思います。これは日本だけではなく、ブッシュ父子のようにアメリカでも起きています。
 黄櫨染(こうろぜん)と黄丹(おうだん、おうに)。前者は赤みを帯びた肌色で、天皇だけが用いることのできる色。後者は赤みをおいたオレンジ色で、皇太子だけに許されている。いわゆる禁色(きんじき)の色である。うひゃあ、こんな色が禁色だったのですね。
 中世の本質は、統一性ではなく、多様性にある。
 税を徴収するために、郡司(ぐんじ)、郷司(ごうし)、保司(ほうし)が任じられた。彼らは、存置の有力者で、国の役所である国衙(こくが。現在の県庁)の役人である在庁官人に任じられた。国衙では太田文(おおたふみ)という台帳が作成されていた。米で収める「年貢」、特産品で収める「公事」(くじ)、労働力を提供する「夫役」(ぶやく)の三つが当時の税を構成していた。幾内の国では「夫役」は、「京上夫」(きょうじょうふ)として、実際に京に行っていた。
 国司に任じられた貴族は、自身は京都にいて、家礼(けらい)を現地に派遣した。この家礼は目代(もくだい)とか眼代(がんだい)と呼ばれ、在庁官人を指揮して、国を統治した。
朝廷は官僚をもたなかった。日本では中国・朝鮮・ベトナムのような科挙の制度を導入しなかった。そのため、才能よりも世襲が政府における支配的な原理となり、貴族だけが政治に関わった。
 また、朝廷は軍隊も保有しなかった。常備軍は消滅した。
朝廷の正式な儀式においては、天皇よりも上皇がえらい。政治の実権を握っているのも上皇だった。
 「精兵」(せいひょう)と形容した強い武士、優れた武士とは、まずは強弓を引ける人。弓の上手に大変な敬意が払われている。戦いで倒れる兵は多く、古くは弓で射られ、また、鉄砲でうたれて命を失っていた。
 日本列島の西方を重視する政権づくり、経済重視、海外交易の推奨。そして改革者だという武士として、平清盛と織田信長の2人があげられる。
 平清盛は、既存の知行国制を有効活用し、いわば朝廷のなかに将軍権力を生み出そうとした。ただ、身分の低い武士が結集する場としては、伝統ある京の都はふさわしくなかった。そのため、清盛は福原への遷都を強行したのではないか。
 平清盛と武士たちについて、いかにも鋭い分析がなされていて、驚嘆しながら面白く読了しました。
(2011年11月刊。750円+税)

  • URL

2012年5月17日

キレイならいいのか

アメリカ

著者   テボラ・L・ロード 、 出版   亜紀書房

 アメリカの女性弁護士の書いた本です。ABA(アメリカ法曹協議会。日弁連みたいな団体ですが、強制加入ではなく任意加入)の女性法律家委員会委員長もつとめました。
 容姿に関して、男性と女性は別々の基準が適用される。ダブルスタンダードがある。
 男性は買い物代行サービスや美容のプロの世話にならず、そのための費用を払わずともちゃんとした身なり整えることができる。それなのに、なぜ女性はそれが出来ないのか。
 たとえば、女性のはくハイヒールはひどい腰痛や足の障害の大きな原因になる。女性の5分の4がこうした健康問題をいつかは経験する。
 アメリカ人は、年間400億ドルを投じてダイエットに励んでいる。
 ダイエットに励む人の95%は1~5年のうちに体重が元に戻る。
 消費者が化粧品に投じる180億ドルのうち、材料費が占める割合は7%にすぎず、残りは高価な包装費や、科学者に言わせると効果のない商品の広告費である。
 身だしなみへの投資額は全世界で年1150ドル。ヘアケアに380億ドル、スキンケアに
240億ドル、美容整形に200億ドル、化粧品に180億ドル、香水に150億ドルである。
 だが、このようにお金を使っても、効果はめったに上がらない。
 アメリカの女性は、毎日平均45分かけて基本的な身づくろいをする。
 アメリカでは、成人の3割、思春期の女性の6割がダイエット中だ。
 アメリカ人の1%弱が無食飲症を患い、4%がむちゃ食いをする。
きれいになるための努力から満足感を味わうこともあるだろう。だが、こうした努力は、不愉快な重荷になるし、恥辱感や挫折感の源ともなり、不必要な出費を強いることもある。
 イギリスの有名な女性歌手スーザン・ボイルがイメージチェンジしたとき、マスコミが叩いた。背が低くて太っているけれど、それがスーザン・ボイル。それで何がいけないって言うの?スーザン・ボイルはそう言って開き直った。しかし、それでも周囲からの重圧に耐えかねて、ストレス治療のため入院することになった。
 性的嫌がらせを禁止する法律が出来た。その問題点は、過剰反応ではなく、被害申告があまりに少ないことだった。
 明白な容姿差別禁止令をもつ国はアメリカのほかはオーストラリア一国のみ。アメリカと同じく、オーストラリアでも、審判所に持ち込まれる容姿差別の訴えの大部分(6割)は、人種、性別、宗教、障害など、容姿以外の要因が関係している。訴えの大多数(9割)は成功していない。
女性にとっての美しさのもつ問題点を多角的に検討した本です。
(2012年3月刊。2300円+税)

  • URL

2012年5月16日

福島第一原発 ―真相と展望

社会

著者   アーニー・ガンダーセン 、 出版   集英社新書

 アメリカのスリーマイル島の原発事故を研究した専門家による分析ですので、説得力があります。
 3月18日の時点でメルトダウンしているとコメントしたことから、パニックに煽っていると非難された。しかし、実際には、政府や東電の方が間違っていた。メルトダウンは起きていた。福島第一原発では、今なお放熱が続いている。そして、大気や海への深刻な放射能漏れが観測されている。
 政府のいう「冷温停止」というのを額面どおりに受けとめてはいけない。
これで多くの日本人がごまかされていますよね。もう、過ぎたことだという錯覚がまん延しています。そこに原発再稼働を狙う、よこしまな経済界と政治家がつけ込んでいるのです。許せません。
 核燃料は塊と化したまま、中心部で、いまだに溶解しているだろう。
これって、恐ろしいことです。
核燃料が空気中でも溶解しないほどに冷めるには、少なくとも3年を要するだろう。
 一号機は、地震そのものから構造的なダメージをこうむった可能性が高い。そして、格納容器が破損しているということは、水がほかの容器から流出しているだけではなく、格納容器から外へ漏れているということ。この状態が何年も続く。建屋地下の放射線量が高すぎて、誰も近づけず、解決できない。汚染水が漏れ続ける。そして、いったん地下水に入った放射性物質を完全に取り出す術はない。
 二号機は見た目こそ一番ましだが、格納容器の破損は最も深刻である。
 格納容器が破損している一、二号機からは、何年にもわたって大気と地下水に放射能汚染が広がり続ける。
 三号機の格納容器のどこかに漏れがあるのは確実で、今なお蒸気が逃げている。何年にもわたって放出が続く。核燃料の大部分はメルトダウンし、さらにメルトスルーしている。建屋地下には、膨大な量の意泉水が留まっている。
 向こう10年にわたって、海中で核燃料の破片が見つかるだろう。セシウムやストロンチウムだけでなく、プルトニウムもふくんでいる。
 放射能が1000分の1になるまで25万年も付き合わなければならない。これらは、徐々に海中に溶け出す。
 一番の懸念材料は四号機である。四号機は、格納されていない炉心を冷却する機能を失っていた。
 大きな地震に再び襲われたとき倒壊する可能性が最も高い。四号機が崩れたら、即座に東京から逃げ出すほかない。
 四号機の使用済み核燃料プールは、今でも日本列島を物理的に分断する力を秘めている。直径10メートルもある格納容器の床から溶解した核燃料を剥がす方法は、誰も思いついていない。一~三号機の原子炉だけでも257トンのウランを回収しなければならない。格納容器の蓋から底までの高さは35メートルもある。その距離から遠隔操作のクレーンを用いて、溶解し金属と混じった核燃料を探し出さなければいけない。これを解決する技術はまだない。コンクリートと結合した核燃料は冷却のために水没させておく必要があり、水中ロボットを使うことになるが、そんなロボットはまだ設計すらできていない。
 核燃料を取り出すためには、必要な技術を開発して作業に着手するまでに10年、実行するのに10年ほどかかる。
 取り出しが成功するまで、放射性物質の放出は続く、その間、作業員を絶やさないよう次々に訓練しておかねばばならない。
 使用ずみフィルターは、核燃料と同じくらい危険なものである。
 処理費用20兆円という試算は過小評価かもしれない。取り出した核燃料をそのまま福島第一原発にはおいておけない。海辺なので再び津波が来る可能性があるから。
 使用ずみ核燃料は、3年間のプールでの冷却期間と30年間の中間貯蔵を経た最終処分場は決まっていない。これは人類の時間スケールをこえた話なのである。
日本では、現実を直視せず、何事もなかったように「日常」を取り戻すのが最優先になっている。それが可能なのは、実際には始まっている健康被害が直面化するまで数年かかるためだ。これから健康への悪影響が顕在化してくるかもしれない。だから、みんなが立ちあがって口を開く必要がある。
小出助教の最新の本を読むと、玄海原発が今もっとも危険だということです。40年もたって、明らかに老朽化しているからです。大事になる前に、ぜひ手当てしてほしいものです。
 深刻な現実から目をそらしたいのは私もやまやまなのですが、そういうわけにはいきません。とても怖い本でしたが、一読を強くおすすめします。
(2012年3月刊。700円+税)

  • URL

2012年5月15日

ルポ 良心と義務

社会

著者   田中 伸尚 、 出版   岩波新書

 「日の丸・君が代」に抗う人びと。これがサブタイトルとなっている本です。どうして日の丸・君が代の押しつけにあんなに狂弄するのか、不思議でなりません。だって、昔と違って、祝日に日の丸を揚げる家庭なんて、とんと見かけなくなりました。「君が代」なんてあの暗い、重苦しい、間のびした歌をうたっても、本来、気分を高揚させるべき儀式のそえものにもなりません。そして、あの歌詞の意味を理解している人なんて、どれだけいるでしょうか・・・。ところが、学校でだけは違います。目の色を変えて、教師と生徒たちに強制します。そこには多様性を育(はぐく)むという視点はまったく欠けています。なんという、お寒い教育現場でしょうか。要するに、そこにあるのは、上からの露骨な教職員統制です。教える側が萎縮していて、子どもたちが健やかに育ち、伸びるはずもありません。
 この本は、「日の丸・君が代」に今なお反抗する人が日本全国に存在することを明らかにしていると同時に、おおかたの人はあまりのバカらしさに口をつぐんでしまっている現実も紹介しています。私も、どちらかと言えば後者のタイプです。
 教頭は、「君が代」をうたえないと、一人前の大人になれないなどと言って生徒たちを脅す。うひゃあ、「君が代」なんて歌えなくても「一人前」の大人に誰だってなれますよ。なんということを、この教頭は言うのでしょうか・・・。
 在日コリアンは、大阪市生野区に次いで、東大阪市に多い。
 前は、校長は、「これより国歌斉唱しますので可能な方はご起立ください」と言っていた。しかし、今ではそんなことを言うのは許されない。
 橋下徹は、大阪府知事時代(2011年6月29日)、「今の政治に一番重要なことは独裁。独裁と言われるぐらいの力。これは、僕は今の日本の政治に一番求められていると思う」と語った。そんなことを語る人物に圧倒的な人気が集まる状況は、きわめて深刻である。
本当にそうですよね。反骨精神の人が多いはずの大阪人は、今、どうなっているのでしょうか。
 最近の新聞(5月2日)に、橋下の率いる維新の会市議団が上からの役員任命はおかしいと騒ぎ立てている記事がのりました。独裁はしたくても、されたくはないっていうことですが、ホントそうですよね、誰だって・・・。でも、橋下人気に頼って当選した市議会議員が独裁されるのは嫌だと騒ぎ立てるなんて、まさにマンガです。ただし、笑っているだけですまないのが残念です。
 教員を黙らせ、校長を支配下に置くためには、「日の丸・君が代」は最も有力な手段だった。今では、徹底的に洗脳され研修がくり返されている。強制を強制と感じない教員がフツーになっている。物言わない教員が最近たくさん出てきている。最近の若い教師は、マニュアル化された人が多く、与えられたものをこなすだけになっている。
最高裁判決で多数意見に反対した一人である、宮川光冶判事の次の意見は傾聴に値します。
「教育公務員は、一般行政と異なり・・・・教育の自由が保障されており、教育の目標を考慮すると、教員における精神の自由はとりわけ尊重されなければならない。
 自らの真摯な歴史観等に従った不起立行動等は、その行為が円滑な進行を特段妨害することがない以上、少数者の自由に属することとして、許容するという寛容が求められている」
 もっと教育現場を自由な雰囲気にして、のびのび教師も子どもも学び過ごせるようにしないと日本の将来は暗いものになってしまいます。
 読めば読むほど、なんだか暗い気分に包まれていく本でした。でも、現実から目をそらすわけにはいきません。日本の現実を知るためにお読みください。
(2012年4月刊。760円+税)

  • URL

2012年5月14日

犬から見た世界

著者   アレクサンドラ・ホロウィッツ 、 出版   白揚社

 私は犬派の人間である。
 実は、私も犬派です。物心がついたころから、ずっと犬を飼っていましたので、犬とは慣れ親しんだ関係です。猫は飼ったことがありませんので、まったくなじみがありません。小学生から高校生まで、スピッツが家の中に同居していました。おかげで部屋はいつもざらざらしていました。でも、気になりませんでした。今なら、嫌ですけど・・・。子どもって、慣れてしまえば、何でも平気なんですよね。
 イヌ科のなかで、完全に家畜化されたのは犬だけ。家畜化は、自然には起こらない。
 オオカミは、付属品を装着する前の、いわば原初の犬である。
 考古学的証拠によると、オオカミ犬が最初に家畜化されたのは1万年から1万4千年前と考えられる。今日の犬種のほとんどは、この数百年のあいだに作り出されたものにすぎない。オオカミから犬への変化の速度は衝撃的な速さである。
犬の目は生まれてから2週間以上も開かないが、オオカミの子どもは生後10日で目を開ける。犬は、身体的にも行動的にも成長が遅い。
 犬は本当の意味で群れを形成しない。
 犬は人間の社会グループのメンバーである。人間やほかの犬のあいだこそが彼らの生来の環境だ。犬は人間の幼児と同じく、いわゆる愛着を示し、ほかの者よりも世話をしてくれる者を世話をしてくれる者を好む。世話をしてくれる者から離れることに不安を感じ、戻ってきた相手に特別な挨拶をする。
 同じ体サイズの犬とオオカミを比べると、犬のほうが頭蓋が小さく、したがって脳も小さい。犬は形も大きさも変えられるが、それでも依然として犬である。オオカミのサイズは、大部分の野生動物と同じように、同一環境では、ほぼ均一である。
 犬は人間の目を見る。犬はアイコンタクトをし、情報を求めて人間に目を向ける。オオカミは、アイコンタクトを避ける。うむむ、これって大きな違いですよね。
犬は決してオオカミには戻らない。そして、オオカミを生まれたときから人間のあいだで育て、社会化しても、決して犬にはならない。
犬の鼻は敏感そのもの。犬は鼻の生き物だ。犬は、訓練されると、人間のガンを検知することができる。
犬を洗って清潔にすると、犬のアイデンティティを奪っていることになる。匂いは、犬にとってのアイデンティティである。
 犬は、ある程度まで、人間の言語を理解している。
 犬は体を使って表現する尻尾を振るのも、そうである。
 人間の視野は180度だが、犬のそれは250~270度。犬は獲物を追いかけ、投げたボールを回収する優れた能力をもつ一方、ほとんどの色彩に対して無関心である。
 識別できる色彩の幅が狭いため、犬はめったに色の選り好みを見せない。
 犬の視覚は、ほかの感覚の補足手段である。犬は人間を匂いによって認識している。
 犬はよく遊ぶ。大人になってからも遊ぶ。遊ぶ前に信号を相手に送る。そして、その前に、まず注意をひく行動をする。
 犬は本当の動機から人間の注意をそらして、実際に行動を隠蔽することができる。
犬の時間において、瞬間は、より短い。次の瞬間が来るのが、もっと早いのだ。
 犬の意図について、頭が語らないことは尻尾が語る。頭と尻尾は、おたがいに鏡であり、同じ情報を並行して伝えるもの。
 犬は、なじみのあるものも新しいものも、両方とも好きである。よく知っている安全な場所で、新奇なものを楽しむのが幸せなのである。それはまた退屈をも癒す。新しいものは注意を必要とするし、活動を促す。犬にとって、新しいものは魅力的なもの。
 犬という、人間にとって身近な生き物の実体をさらに知ることができました。犬派の人におすすめの本です。
(2012年4月刊。2500円+税)

  • URL

2012年5月12日

過労死・過労自殺、労災認定マニュアル

司法

著者  川人 博 ・平本 紋子  、   出版   旬報社

 身内が亡くなったことを前提として相談を受けているときに、それって過労死じゃなかったの・・・・?と思うことがあります。でも、遺族はなかなか問題にしようとはしません。生前、故人が世話になった会社に弓を引くわけにはいかないという気持ちからです。
 そんな人たちに気軽にすすめることのできるのが、この本です。マニュアル本として、とても実践的な内容です。本文100頁のQ&A方式で実践的かつ明快です。
 「もう疲れました」「悪いのは自分です」という遺書があっても労災と認めなられる。かつては、遺書があれば「故意」による覚悟の自殺だとして業務外とされることが多かった。現在では、遺書にみられる心身の状況や業務に関連する記述が本人の精神障害の症状や業務上の心理的負荷を証明するものとして積極的に評価されることがある。
 労災申請書を出そうとして会社が証明書を書いてくれなかったときには、そのことを書いた証明文をつけて監督署に提出すればいい。
ひどい長時間労働しながら、タイムレコーダーがそうなっていないときには、会社に残ったパソコンで稼働状況を証明する。そのための裁判所の証拠保全手続のときには、パソコンの専門家であるシステムエンジニアを同行して確実に保存する。
 電子的な記録がないときには、同僚から聞き取って報告書をつくる。
つぶれかかっている会社のようなときには、代表取締役個人に対する侵害賠償請求も考える。
 会社と示談するときには、労災保険とは別のものであること、慰謝料であることを明記しておく。慰謝料には所得税がかからない。
著者は私と同じころに大学生でした。今では過労死問題の第一人者です。そのうえ、東大駒場で有名な「川人ゼミ」を1992年から続けています。たいしたものです。引き続きがんばってください。
 著者より贈呈していただきましたので、感謝の気持ちをこめて紹介させていただきました。
(2012年5月刊。1200円+税)

  • URL

2012年5月11日

先生、モモンガの風呂に入ってください

生き物

著者   小林 朋道 、 出版   築地書館

 なんとシリーズ第6巻です。偉いですよね。文体が軽くて面白く読めるうえに、観察の対象となった生き物たちが可愛らしいばかりでなく、著者と学生たちの対応がほのぼのしていて、いつも一気に読了してしまいます。場所は鳥取県の山奥深いところが舞台です。
 そこの森に棲むモモンガを探検し、よくよく観察します。
地上から6メートルの高さのところに据え付けた巣箱にモモンガの赤ちゃんを発見。そっと地上に降ろして計測して観察します。洞窟も探索します。冬眠中のコウモリを見つけました。さらに、カエルまで・・・。
 モモンガは、巣の材料として、杉の樹皮を使う。モモンガは巣の中で、スギの香りに包まれて、癒されながら休息する。
モモンガを捕まえると、顔の写真をとり、尾の毛を少し刈り、さらに注射器でマイクロチップを尻の皮下に入れる。いずれも、あとで個体識別できるようにするため。
 こんなユニークな教授とともに森の奥深くまで入りこんで実地調査できるなんて、この鳥取環境大学の学生はなんと幸せなことでしょう。
 恐らく学生である本人たちはそう思っていないでしょうから、私が代わりに言わせていただきます。
 先生、この調子で第7弾を続いて飛ばしてくださいね。
(2012年3月刊。1600円+税)

  • URL

ティーパーティ運動の研究

アメリカ

著者   久保 文明 ほか  、 出版   NTT出版

 アメリカの保守主義の実像を知りたくて読みました。ティーパーティって、いったい何なのか・・・・?
 ティーパーティ運動の主要な目的として、宗教的な争点があげられることはほとんどなく、経済争点が主である。
 ティーパーティ運動の支持者の半分近くは無党派層である。この運動は、保守的であり、共和党員と無党派とが混合した運動である。
 ティーパーティ運動は、ローカルでかつ小規模な団体が多く存在している。ティーパーティ運動には指導者がいない。運動全体をまとめる旗振り役は存在しない。
 多くのローカルなティーパーティ系団体は、巨大な連邦レベルの組織と結びつくことを望んでいない。一見すると連邦レベルで一つのまとまった集団のように見えるティーパーティ運動は、実は地域レベルの数々の社会運動の集まりに過ぎない。
 近年の無党派層の急激な保守化、無党派層の急激な経済保守化には、「大きな政府」化によっても好転しない現状に対する反発として理解できる。
 2008年から2010年にかけて、自らのイデオロギーを保守と答えた人が37%から42%へと5%も増えた。他方、穏健と答えた人は、37%から35%に、リベラル派は22%から
20%へと減少した。
 「大きな政府」化を行っても好転しない現状に反発する人たちのうち無党派の人たちは、その多くが近年になって保守化、しかも経済的に保守化した。そして、そうした人たちが、ティーパーティ運動の支持者の半分近くを占めるようになった。ティパーティと共和党主流派との政策的な溝は大きい。
 オバマ大統領について、マルクス主義者ではないが、マルクスモデルの一部を内面化している人物だと見ているそうです。ええっ、そんなバカな・・・・、と思いました。オバマ大統領は、史上もっとも急進的な大統領だというのです。本当でしょうか・・・・???
 減税、小さな政府、大きな自由。この理念というのは、大金持ちにとって住みやすい国づくりということですよね。私は、とんでもない政策目標だと思うのですが、案外、中間層がこれにころっと欺されてしまうのですよね。
ところで、自らをティーパーティと名乗るのは、18%で、実際に行動したり、寄付したりするのは4%に過ぎない。
ティーパーティの内情を分析した本として興味深く読みました。

(2012年1月刊。2800円+税)

  • URL

2012年5月10日

メルトダウン

社会

著者   大鹿 靖明 、 出版   懇談社

 3.11の起きたとき、東京電力の清水社長は夫人同伴で優雅に奈良を観光していた。そして、実力者である勝俣会長と筆頭副社長は大手メディアの幹部たちを引き連れて中国にいた。
3000人が働く東電の部門は、そこだけが東電全体から独立した王国を形成していた。東電の武藤栄副社長は、この日の来ることを知っていた。しかし、その対策は何ひとつ講じなかった。原子力村のお歴々は、みな巨大津波の想定を知っていた。それなのに、勝俣会長にも清水社長にも知らせなかった。
 東電の原子力部門は東大工学部率が主流を占めていた。吉田昌郎所長は、東京工業大学の大学院で原子核工学を専攻した。日本の原子力行政のトップは、誰も全電源喪失という事態を想定していなかった。
 共産党の吉井議員の想定のほうが、原子力安全・保安院の寺坂院長より勝っていた。ベントが必要だといっても、そんな実務的なことは、協力会社と呼ばれる「下請け」の社長や作業員のほうがはるかに詳しい。
東電の社長は現場に出るのを嫌がった。いざというときに役立つ原発についての知見は「空洞化」し、東電社員の力量だけではいかんともしがたい。
 福島第一原発事故で大気中に放出された放射性物質の量は、半減期が30年と長いセシウム137でみると、広島に落とされた原爆の168個分にもなる。ストロンチウム90で換算しても広島型の2.4個分もあった。このように、すさまじい放射能汚染をまき散らした。
 保安院の寺坂信昭院長は東大経済学部を卒業して経産省に入ったキャリア組の高級官僚だ。直近の仕事は、スーパーなど流通業界を管轄する商務流通審議官だった。要するに、原発のことを何も知らない人が原発の保全を監督するところのトップだったというわけです。恐ろしいことですね。ぞっとします。
 ベントが実施されたのは、古田所長が3月12日午前0時過ぎに準備を指示して14時間もたったあとのこと。しかし、そのときすでに1号機はとっくにメルトダウンしていた。
 メルトダウンとは炉心溶融ともいい、核燃料が高熱にさらされ、どろどろに溶け(メルト)、原型を失って原子炉の底に落ちる(ダウン)のこと。
 東電のなかには、怒鳴りちらした菅首相への嫌悪感やら反発心から「菅降ろし」につながっていった。菅政権への敵がい心が東電の深層に芽生えていった。
 枝野官房長官(元・経産大臣)は、「東電を殺人罪で告訴するぞ」と怒鳴ったそうです。大混乱のなかで、東電は自分たちに風当たりの強い首相官邸への不信感が増幅されていった。
吉田所長は「死」を意識した。社員や協会会社の作業員たちの人命を守らないといけない。吉田所長は制御に必要な要員を残して大半は退避させたいと思った。
菅首相が東電本社に乗りこんできた。「東電が逃げたら、日本は100%つぶれる」と叫んだ。
 福島第一原発には、3.11事故当日、3500人が脱出していき、ゴーストメルト化した。注水作業に必要な70人ほど(「フクシマ50」として有名なんですが・・・)を残して「フクシマフィフティーズ」が結成された。実際には50人ではなく、70人が参加した。
 この70人の肩に日本の将来がかかったわけなんです。不幸中の幸いが続いて今に至っています。こんな危ない原発は即刻すべてを廃止すべきだと思います。
(2012年3月刊。1600円+税)

  • URL

2012年5月 9日

自治体ポピュリズムを問う

社会

著者   榊原 秀訓 、 出版   自治体研究社

 橋下流の「独裁政治」をマスコミが手放しでもてはやす昨今です。このブームは、いつになったら冷めるのでしょうか・・・。
 橋下への支持は、「何が変わるかが分からない」が、「バッシングにも負けず」に「庶民目線でメディアに発信を続ける」橋下がもたらす「何かの盛り上がり」への漠然とした期待で成り立っている。
 プレビシットという手法である。行政府の長が、選挙や国民投票など有権者の意思表明の機会を自分への信任投票と位置づけ、その結果を自身への「民意」の支持と見なそうとする政治手法のこと。必ずしも必要のない辞職で選挙を設定し、自己の政権基盤強化のために用いるのは、ポピュリズム政治家の本領発揮である。
 今日のポピュリズム首長は、自己の政治的地位の強化と政策の正当化のために意図的に議会を挑発し、意図的に対立構造をフレームアップしている側面のある点で、「革新首長」や「単一イシュー型首長」とは異なる。既存の議会内会派を基盤とする与党形成を追及せず、逆に、これらの諸会派を「敵」と位置づけ、自ら主導する地域政党によって議会内の多数派形成を目ざすという点では、自民・公明を基盤とする石原慎太郎都知事の政治手法とも異なる。
ポピュリズムの首長が多数の有権者に支持されている現実を直視したうえで、それとの理論的、実践的な格闘が求められている。
 ポピュリズム首長は、「無党派市民が支えている」というイメージに反して、実は、自民や民主などの既成政党支持層が基盤である。国政で自民・民主に投票した新自由主義・新保守主義の支持層が地方では、首長翼賛地域政党を支えている。
ポピュリズム首長の政治手法は、第一にレッテル貼りの政治、第二に抽象化された政治、感情の政治という二つの特徴がある。抽象化の政治とは、公益とか市民といった曖昧な概念を多用して自己の政治的立場を強化する手法である。感情の政治とは、政治家の個人的な心情を政治の言葉として表現し、本来ふまれるべき法的・政治的過程を素通りないし無視する姿勢である。
ナチスが設定した「敵」がユダヤ人やコミュニストであったように、日本のポピュリズム首長にとっての「敵」は、議員、公務員、教職員組合である。
大阪市民がもっと冷静になって橋下流のインチキな政治手法にだまされないことを心から願っています。
 橋下市政は公務員そして教員を自己の厳しい統制下において「独裁政治」を貫徹させようとする一方で、福祉を大胆に切り下げつつあります。ひどいものです。政治は弱者救済のためにあるはずなのに・・・。
(2012年2月刊。2400円+税)

 連休中にいつものように近くの小山に登りました。高さ380メートル、わが家から頂上まで1時間あまりです。途中に急勾配の斜面もあります。
 新緑の中を汗をかきつつ登り切りました。見晴らしのよいところでお弁当びらきをします。梅干しおにぎりを食べながら360度に広がる下界を見渡すと気宇壮大、浩然の気を養うことができます。
 薄陽のさすもとで、しばし寝ころがって風の音に耳を澄まします。すぐ近くにウグイスの清らかな鳴き声も聞こえてきました。至福のひとときです。
 山から下りる途中には赤紫のアザミの花があちこちに咲いていました。風薫る五月を実感できた一日です。
 この日、1万5000歩あるきました。翌日、なぜかお尻あたりが凝っていました。

  • URL

2012年5月 8日

「日本の教育政策」

社会

著者   OECD教育調査団 、 出版   朝日新聞社

 1970年1月にOECD(経済協力開発機構)が日本に派遣した教育調査団によるレポート「日本の教育報告書」が一冊の本になっています。1971年に発刊されましたが、40年たった今、一瞬、言葉を失うほどの衝撃的な内容です。
 この教育調査団のメンバーにはアメリカのライシャワー教授(かの有名な元駐日大使)も含まれています。ほかはフランスの元首相、イギリス、ノルウェー、イスラエルの教授たちです。
 そんな陣容の調査団が、日本の初・中等教育について、自分たちの方こそ学ぶべきだとまで絶賛しているのです。
 さらに、「優秀な子どもには、おくれた仲間の学習を助けさせるという中学校教育のあり方は、もっとも魅力的で人間的な教育の特質として、われわれの心をとらえた」「日本の初・中等段階の教育が技術的にすぐれていることは、誰しも認めるところであろう」とほめたたえています。
 では、それほどすぐれた日本の教育を誰が今のようにダメにしてしまったのでしょうか。
 この本を読みながら、つらつら考え直してみたことでした。
 これからの日本の教育のあり方を考えるうえで必読の本ではないかと考えて、ここに紹介させていただきます。
「われわれは自分たちの国にくらべて、初・中等段階での日本の成果がいかに大きいかに、深く印象づけられた。だが、そうだからといって改善の要がほとんどないなどというつもりはなく、われわれはこの段階の学校について、重要だと思われた問題点のいくつかは、ためらうことなく提起した。しかしながら、とりわけ初・中等教育についていえば、日本の人々に役立つようなことをこちらから指摘したり、示唆するよりも、むしろわれわれ自身の方が学ぶべき立場におかれているのではないかというのが、調査団の一般的な意見であった」
「日本は、十五歳まで、すなわち中学校段階まで、差別的な学校教育をやらないよう細心の努力をはらってきた国の一つである。コースの分化をさけ、心身障害児のほかは特別の学級をおいていないし、また、優秀な子どもには、おくれた仲間の学習を助けさせるという中学校教育のあり方は、もっとも魅力的で人間的な教育の特質として、われわれの心をとらえた」
「日本の初・中等段階の教育が技術的にすぐれていることは、だれしも認めるところであろう。初・中等段階の数学教育で日本が最先端にいることは世界的に知られているが、それは日本の到達した高い水準を示す、証拠の一つにすぎない。
・・・・つねに長期的な展望のなかでとらえられねばならない。これらの改革を実現させるのにどうしても必要なのは、教師と地域住民の参加、実験計画の立案と実施にあたる機関の設立、教育養成計画に活力を与えるためのおたがいの努力、新しい法律や規則、予算などであろう。・・・・・
 弾力性にとみ、拘束性の少ない教育計画を立てて、もっと自由な時間、もっと選択自由な教育課程、もっといろいろなことができる課外活動、もっと親密な生徒同士の協力を実現させ、生徒の個性を発達させるべきだと考える。・・・・・
 規律と競争だけでなく協力を、受容と模倣だけでなく想像を―そうしたことに強い関心を向けるべき時機が、すでに到来しているのではなかろうか」
「中等教育はどこの国でも、さけがたい大きなジレンマをかかえている。すなわち一方では、子どもたちの多様な必要に、また多様な適性と能力に、教育課程をどう対応させていったらよいのだろうか。と同時に、それぞれに異なる能力をもち、また異なる進路をめざす子どもたちができるだけ長い期間、仲間としていっしょに活動できるような共通の教育の場をつくるには、どうしたらよいのだろうか。どの教育段階であれ、子どもたちに優劣の序列をつけることは避けねばならない。そうした格づけは、彼らの知的、道徳的な発達を妨げ、またそれがもたらす差別は、やがて彼らが成人したとき、社会階層の上下の別離をいっそう拡大するように作用するからである」
「一般的にいって、生徒を将来の職業の目標あるいは知識の獲得能力によって、早い段階で区別するやり方は、社会断層を硬直化させ、しかもその断層間の社会的距離を広げる結果になり、かえってその利点は失われてしまう。学校は、多様な能力水準をもった子どもたちの必要をみたし、多様な便宜や教育を与えるべきであると、われわれは考えている。どのようなタイプの学校も、多様な能力をもった子どもたちを受入れ、ほぼ同じ資格をもった教師を擁し、また同じ水準の施設設備をもたなければならない」
「文部省は日本の教育の内容に対して、非常に強力な公的支配力をもっている。その点では、世界においてもっとも中央集権化された官庁の一つかも知れない。
(一)  各教科における学習指導要領を決める権限をもっている。また、その権限は詳細な点まで指示するようになっており、教育課程に変化をあたえようとする教師の自由は制限されている。
(二)  使用されるすべての教科書に対して、検定許可の権限をもっている。この権限は、歴史のような教科書にかかわる場合に、画一的な政治的価値を押しつけるという危険をはらんでいる」
いかがでしょうか。いずれも、今日の日本に生かすべき、忘れてはいけない大切な指摘ではないかと思いました。
(1972年11月刊。980円)

 連休の三日三晩、至福のときを過ごしました。1954年制作の映画『二十四の瞳』を三回に分けて毎晩寝る前に見たのです。なにしろ2時間20分ほどの長編ですから。それにこのDVDを探しまわってなかなか見つかりませんでしたが、結局なんと80円で借りることができました。
 教師という職業の崇高さ、一人一人の子どもを大切にすることの大切さ、時流に流されていくことの怖さ、涙なくして見れない感動の大作です。
 子どもたちと一緒になって遊ぶシーン。桜の咲く丘を汽車ごっこする有名なシーンなど、子どもたちも本当に楽しいそうです。
 貧しい家庭に育ち、学校に通えない。修学旅行に行けない。そして「将来の希望」という題を与えられて作文が書けないと泣き出す子ども。家庭訪問し、子どもたちと一緒に鳴く大石先生です。
 男の子たちは軍人志望。疑問を述べる大石先生は弱虫と言われます。それだけならいいのですが、アカだと批判が立ち、校長先生から今のご時勢に流されない。見ザル、聞かザル、言わザル。お国のために役立つ兵士をつくるのが教師のつとめだといさめられるのでした。
 そして、やがて生徒たちは出征していきます。戦後、大石先生は再び岬分教場につとめるようになります。そして教え子たちが戦死したことを知るのです。

  • URL

2012年5月 7日

情熱の階段

ヨーロッパ

著者   濃野 平 、 出版   講談社

 スペインで日本人闘牛士が孤軍奮闘しているなんて、ちっとも知りませんでした。ユーチューブで、その活躍ぶりがきっと見られるのでしょうね。見てみたいものです。
 著者は世界唯一の現役の日本人闘牛士です。一人前の闘牛士になるための悪戦苦闘ぶりが生々しく、その苦しい息づかいとともに伝わってくる迫力ある本でした。なにより、単なる成功譚で終わっていないところが素晴らしい。決してハッピーエンドの世界ではなく、これからも闘牛士として苦難の道が続くことを想像させます。がんばれ、日本人青年。つい、こう叫んでしまいました。
 私は、この動物を殺す。剣の一撃によって。食べるためではない。毛皮を剥(は)ぐためでもない。この大きな角をもった猛獣を、大勢の観客の前でただ殺す。
人によっては、血に飢えた残酷な者たちによる野蛮な儀式だという。
 人によっては、危険な恐れない勇者たちによる偉大な芸術であるという。
 スペイン闘牛、それは生と死をめぐる見世物だ。その舞台上では、動物への感傷が入る隙間はない。
 著者は世界唯一の現役の日本人闘牛士。
牡牛の前に立っているときは、それほど怖さを感じない。やるべきことや考えるべきことが多くて、恐怖を味わう暇があまりないからだ。むしろ、恐怖は闘牛の始まる前と終わってしばらくしたころにやって来る。
 この試合さえ無事にすんだら、もう二度と闘牛なんかやらないから、自分を護ってほしいと、何かに祈ってすがりつきたくなることもある。牡牛は怖い。大怪我をする危険はいつだってある。観客は、もっと怖い。そこにあるのは、自分自身とのたたかいだ。その背中、肩甲骨の間の小さなくぼみ、そこに剣を正しい角度で突き入れると、牡牛は死ぬ。
 過去に日本人でプロ闘牛士の世界に足を踏み入れたのは2人だけ。著者は3人目になります。
闘牛士が優れた縁起で観客の心をつかみ、「真実の瞬間」と呼ばれる仕留めをうまく決めることができれば、褒賞として牡牛の耳一枚が与えられる。それ以上の価値がある闘牛であったと判断されたら、耳二枚、さらに尻尾まで闘牛士に贈られる。
 闘牛士たちは一頭あたり20分、全6頭からなる2時間あまりの興行がつづく。闘牛につかわれる牡牛の血統は、乳牛や食用牛などの飼い慣らされたおとなしい動物ではない。自己防衛本能により、あらゆる外敵に対して攻撃を仕掛ける性質がもともと備わっている。自分以外に動く、あらゆる対象物へとためらうことなく攻撃を仕掛けるのが大きな特徴だ。
 スペイン全土には1300をこえる闘牛牧場がある。そして闘牛場はスペイン全土に500もある。それは3つの格式にクラス分けされている。闘牛は年間2000回も開催されている。ただし、入場料は高い。田舎町で3~4000円もする。
牛は、たった一度しか闘牛に使えない。牛は闘牛士と10数分ほど対峙することによって、闘牛士本人とおとりであるカポテやムレタとの区別がつくようになり、2度目は迷わず闘牛士の体を攻撃する。だから、闘牛で使われた牡牛は、演技終了後に殺されて食肉となる。闘牛場内で直ちに解体されて、販売される。
 牡牛の死に至るまでの過程こそが、もっとも重要視される。
面白い闘牛に出会うのは簡単なことではない。10回みて、1回か2回、面白い闘牛があれば良いほうだ。
 闘牛術は、あくまでも勇気という前提条件の上に成り立っている。闘牛士には、自らがもつ本能的な恐怖を理性によって抑えることが求められている。だから、実際には、闘牛士と牡牛とのたたかいでは決してない。牡牛は、闘牛士のつくり出す作品の素材にすぎない。恐怖心に負けず果敢におのれの限界にまで挑む、自らの弱い心と常に争い続ける闘牛士の内部にこそある。つまり闘牛とは、自分自身との闘いなのだ。
 試合に出される牡牛は、過去に一度も闘牛士と対峙していない牡牛から選ばれる。
闘牛術の習得の難しさは、生きた牛相手の練習機会を得ることが、きわめて難しい点にある。
 なーるほど、そうなんですか。私はてっきり、あの牛たちは何回も挑戦しているとばかり思っていました。
闘牛士として挑戦するためには大変なお金がいります。そのため、著者はオレンジ農場で働いたり、日本に戻って東京の築地市場でアルバイトをしたりしていました。
スペイン闘牛界において、闘牛収入だけで生計を立てられる闘牛士は、スペイン全土でわずか数十人程度でしかない。
いやはや、とんでもない厳しい世界です。そんななかで、よくも日本人闘牛士として頭角をあらわしたものですね。すごいものです。日本人の青年(ここでは男性)もたいしたものではありませんか。この本を読むと、思わず力が入り、また、元気が出てきます。のうのさん、体に気をつけてがんばってくださいね。
(2012年3月刊。1400円+税)

  • URL

2012年5月 6日

秀吉の朝鮮侵略と民衆・文禄の役(下)

日本史

著者   中里 紀元 、 出版   文献出版

 この下巻では、秀吉の朝鮮侵略のとき日本軍がいかに残虐なことをしたのか、おぞましい事実が明らかにされています。後の日清戦争(1894年)のときにも明妃虐殺をはじめ非道いことを日本軍はしましたが、その300年前にも同じように日本軍は残虐非道を働いていたのでした。
 文禄の役で、日本軍は朝鮮全道を支配していたのではなく、全羅道には駐留することが出来なかった。これは現地の義兵の抵抗が強かったということです。
 日本軍のなかでも加藤清正の残虐ぶりは軍を抜くようです。
 加藤清正は朝鮮二王子を捕まえていた。朝鮮軍の応援にやってきていた明軍は朝鮮二王子の返還もふくめて講和交渉に来た。その明軍の使者の面前で王子の従者の一人である捕虜の美女をはりつけにして槍で突き殺してしまった。それを見た明の使者や供の者が恐れおののいたと清正の高麗陣覚書に誇らしげに書かれている。朝鮮・明では、この残虐行為によって、清正は鬼と呼ばれた。
 日本軍は朝鮮・明軍と戦うときは兜の下の面当しや背に負った色とりどりの小旗、そして日本刀を日の光にあてギラギラと輝かせて相手を恐怖させる戦術をとった。
 天下様たる秀吉の威光をもってしても、朝鮮に渡る船の水夫・加子の逃亡を止めることは出来なかった。日本民衆の漁民の抵抗と朝鮮民衆の一揆の抵抗とが一致して秀吉の朝鮮侵略は半年あまりで挫折した。
 小西行長、宋、平戸松浦の1万5千の兵が守る平壌城に対して明軍の総大将・李如松は、明軍と金命元の朝鮮軍をあわせる20万の大軍で迫った。日本軍は明軍の攻撃によく耐え奮闘したが、1万5千のうち5千人ほどしか残らなかった。そして、小西軍は平壌から敗走した。このことは、日本軍の将兵に大きな衝撃を与えた。
 明軍が小西軍を敗走させた最大の原因は、食糧不足だった。釜山から兵糧が届かなくなっていた。
秀吉は、徳川家康や前田利家と軍議を重ねたが、家康や利家は名護屋在陣の10万をわけて朝鮮へ渡海させることは出来ないと主張した。それは、薩摩で反乱が起きたように、国内でまた反抗が起きたとき、弾圧する軍事力を残すためだった。秀吉は朝鮮へ将軍を出すことも出来ず、くやし涙を流した。
秀吉は、自分への絶対服従を再確認するため、三名の大名を処罰して、日本軍の士気を引き締めた。この三大名とは、豊後の大友義統(よしむね)、薩摩和泉の島津又太郎、そして、上松浦(唐津)の波多三河守親(ちかし)である。
 フロイスは、日本軍の兵士と輸送員をふくめて15万人が朝鮮に渡り、そのうち3分の1にあたる5万人が死亡したと報告している。この5万人のうち、敵に殺された者はわずかで、大部分は、労苦、飢餓、寒気そして疾病によって亡くなった。
 第一軍の小西行長軍は、65%の人員が減少した。第二軍の加藤軍は1万人が渡海して4千人が消えてしまった。
恐るべき侵略戦争だったわけです。よくぞ調べあげたものです。清鮮での虎退治で有名な加藤清正がこんなに残虐なことをしていたとは、知りませんでした。
(平成5年3月刊。15000円+税)

  • URL

2012年5月 5日

巨大戦艦「大和」全軌跡

日本史

著者   原 勝洋 、 出版   学研

 大艦巨砲主義の頂点に立つ「大和」は、巨大主砲9門、発砲時の衝撃に耐え、船体の53.5%の主要部のみに防御を集中する「集中防御」を採用した。艦幅が広く、喫水の浅い、速力を出すには不利な船型をした船艦だった。それでも、「大和」は最高時速50キロを発揮した。「大和」型戦艦の建造について山本五十六・航空本部長は次のように反対した。
 「巨艦を造っても不沈はありえない。将来、飛行機の攻撃力はさらに威力を増し、砲戦がおこなわれる前に飛行機によって撃破されるから、今後の戦闘では、戦艦は無用の長物になる」
 まことに至言です。その言葉のとおりになりました。ところが、当時の海軍首脳部は、航空攻撃の威力について「実践では、演習どおりにはいかない」と考え、山本航空本部長の反対意見を押し切った。
 海軍軍令部は、アメリカと量で競争することはできないのでアメリカより前に巨大戦艦を建造し、射程の長い砲を搭載し、アウトレンジで敵が決戦距離に入る前に先勝の端緒を開くという、質で対抗する考え方を強調した。
 主砲40センチ砲の一門の製造に要した鋼塊重量は725トン、鍛錬重量は417トンで、仕上がり重量は166トンだった。
 発射速度は30秒に一発。弾丸を一発発射するのに、29.25~30.5秒かかる。「大和」が9門の主砲を一斉に同一舷、同方向に向かって発砲したときには、8000トンの反動力が生じる。
 「大和」の艦艇からから最上甲板までの船体の高さは6階建てのビルに相当した。「大和」に立ち入った者は、誰一人として、この巨艦が沈むとは思わなかった。
 昭和17年11月のソロモン海戦のころまではアメリカ軍もレーダー操作に不慣れだった。しかし、翌18年7月のころには、アメリカ軍の夜戦能力は射撃用レーダーの進歩と射法の改良によって急速に向上していた。同年11月には、日本海軍はアメリカ軍のレーダー射撃に太刀打ちできなくなっていた。
 大本営発表では勇ましい「戦果」をあげているということだったが、実はアメリカ空母はすべて健在という正しい情報を得ていた第14方面軍もいた。ところが、参謀本部の瀬島龍三少佐が正しい情報を握りつぶしてしまった。
 瀬島龍三については、今なおその崇拝者が少なくありませんが、こんなことをしていたのですね。許せませんよね。
 結局のところ、「大和」はその9門の主砲をまったく活用することがないまま無数の航空攻撃の下に撃沈させられてしまったのでした。
 「大和」の性能そしてその最期に至るまでを、アメリカ軍の記録をも掘り起こして刻明に解明した貴重な本です。宇宙戦艦ヤマトとちがって、ここには「男のロマン」はないというしかありません。
(2011年8月刊。2300円+税)

  • URL

2012年5月 4日

豚のPちゃんと32人の小学生

生き物

著者   黒田 恭史 、 出版   ミネルヴァ書房

 小学生のクラスで3年間、豚を飼っていたという体験記です。そのクライマックスは、なんといっても、卒業のときの残された豚の処遇をめぐるクラス討論会の模様です。
 次の学年に引き継ぎ、ずっと学校で豚を飼い続けるという声が有力です。でも、豚って、あまりに大きくなりすぎると、自分の足で身体を支えられなくなるようですね。ゴロンと横になって、喰っちゃ寝の生活をするとのこと。そんな巨大な豚を小学生が本当に世話できるでしょうか。
 もちろん、食肉センターに引き渡すという声もありました。でも、それは自分たちが食べるというのではありません。もう誰も学校で面倒みられないから、豚を手放すだけなのです。決して豚を殺して食べていいというわけではありません。たとえ、結果として、そうなったとしても、そこまではもう子どもたちの考え及ばない世界なのです。
 映画は見ていませんが、今から9年前に出版された本を読んだのです。実際の話はそれよりさらに10年前、1993年のことでした。テレビで放映されると、反響は大きく、抗議の電話がじゃんじゃんかかってきたそうです。それでも、動物愛護映画コンクールで内閣総理大臣賞を受賞しました。私も受賞してよいと思います。実際、毎日のように、私たちは豚肉を食べているわけですから、子どもたちの教育実践として生きた豚を飼って悪いはずがありません。
 それにしても豚の世話って、大変なようです。
 ぶた(Pちゃん)の好きなものはトマト、嫌いなものはキャベツ。
 子どもたちはPちゃんの処遇を決める過程で、食肉センターへ見学にも行きました。もちろん、希望者のみ、親が同伴して、です。
32人のクラスは食肉センター派と引き継ぎ派と16人対16人、真っ二つに分かれた。同じように3年間かかわってきた子どもたちが、見事に分かれてしまった。不思議だった。筋書きのない授業をすすめるなかで、このクラスを担任した教師は悩みました。結局、Pちゃんは食肉センターに送られ、子どもたちが豚を食べるわけでもありませんでしたが、そこに至る教師の苦悩がリアルに伝わってきました。それを感じることが出来ただけでもいい本だと思います。橋下流の「教育改革」では、こんなことをしている著者なんて最低評価しかされないことでしょう。なぜなら、直接的に「学力向上」に役立つとは思えないからです。
 でも、本当の学力、考える力、仲間を支えあう力は大いに育成できたのではないでしょうか・・・。
(2008年11月刊。2000円+税)

  • URL

2012年5月 3日

シャンタラム(上)

インド

著者   グレゴリー・デイヴィッド・ロバーツ 、 出版   新潮文庫

 インド(ボンベイ)のスラム街の生活が描かれています。
 長大な小説の第1巻ですが、自身の体験をもとにしていますので、その迫力は絶大なものがあります。
インドとインド人についての単純な、それでいて驚くべき真実は、インドに行ってインド人と付きあうときには頭より心に従った方が賢明だということだ。その真実がこんなにもあてはまる国は、世界中どこを探してもほかにない。
 不誠実な賄賂はどの国でも同じだが、誠実な賄賂が存在するのはインドだけだ。
 ええーっ、本当でしょうか。信じられませんね。そう言えば、最近もインドで、賄賂をなくせという集会とデモがあったと報道されていました・・・。
 主人公はオーストラリア人。刑務所を脱獄したから、もはや本国には戻れません。
 刑務所で暮らすということは、何年ものあいだ、午後の早い時刻から翌日の午前の遅い時間まで、毎日16時間も監房に閉じ込められ、日の出も日没も夜空も眼にすることがないことを意味する。つまり、刑務所で暮らすということは、太陽と月と星を奪われることを意味する。
刑務所は地獄ではなかったが、もちろん天国も見あたらなかった。それはそれで地獄にいると同じくらい悲惨なことだ。
 人市場で子どもたちが売りに出されている。しかし、この子どもたちは人市場にたどり着かなかったら死んでいただろう。餓えに苦しめられ、すでに自分の子どもの一人かそれ以上が病気になって死んでいくのを見てきた親たちは、「人材発掘人」が来てくれたことに感謝し、ひざまずいて彼らの足に触れ、息子や娘を買ってくれと懇願する。せめて、その子の生命だけでも助けたいという思いからだ。
 これって、本当なのでしょうか・・・。哀れすぎです。
 主人公はボンベイのスラムで医師まがいのことをして、住民の生命を救い、頼りにされるのでした。インドは行ってみたい国ではありますが、とても行く勇気はありません。
 そんなインドに住みついた白人脱獄囚の冒頭にスリルにみちた話が展開していき、次はどうなるのかと恐る恐る頁をめくっていきました。
(2011年12月刊。990円+税)

  • URL

2012年5月 2日

とめられなかった戦争

日本史

著者   加藤 陽子 、 出版   NHK出版

 とても知的興奮をかきたてる、刺激的な本でした。なるほど、そういうことだったのかと何度も再認識しました。
 1944年6月のマリアナ沖海戦と7月のサイパン地上戦に日本が敗れ、サイパン島を失ったのは決定的なターニングポイントだった。敗戦の1年前のサイパン失陥の時点で戦争は終わらせるべきだった。この機会を逸したことで、日本はより悲惨な戦いを強いられ、敗北を重ね、被害を一挙に増大させていくことになった。
 1942年8月に始まるガダルカナル島の戦いは、日本軍が攻撃から守勢へと、立場を変えた戦局の転換点だった。マリアナ諸島は、製糖業の拠点であると同時に、軍事拠点でもあった。ここは日本の絶対国防圏内にあり、日米ともに戦略上最重要と認める焦点だった。日本軍にとって死守すべきところなのである。
 この「絶対確保すべき要域」にアメリカ軍の侵攻を許したことは重大であるのに、このサイパン失陥が政府、大本営で問題視された形跡はない。
 サイパン失陥によって、アメリカ軍による本土空襲は日程に上った。B29というアメリカ軍の大型爆撃機は日本本土を空襲して帰ってくるのにちょうど間にあう位置にある。アメリカ軍は、B29による日本本土空襲を当面の最重要戦略に位置づけていた。だからこそ、最強の機動部隊と7万人の兵力をつぎ込んでサイパン・マリアナ諸島を攻略するや、サイパン・テニアン・グアムで航空基地群を建設・整備しはじめた。
 日本も、サイパンの戦略的重要性が分かっていたから、4万人の将兵を送ってサイパンの守備を固めた。堅固なサイパンは守り抜けると確信していたのに失陥したため、9日後に東条英機首相は退陣に追い込まれた。日本はマリアナ沖海戦で決定的な戦力である機動部隊を失ってしまった。そのため、日本海軍は、以後、合理的な作戦を立案できなくなってしまった。
 サイパン失陥のあと、多くの日本人が終戦までに亡くなっていた。東京大空襲で10万人、原爆で広島14万人、長崎50万人もの民間人がサイパン以後の空襲で亡くなった。日中戦争から敗戦までの軍人・軍属の死者230万人、その6割の140万人は、広い意味の餓死だった。
 1941年7月、日本軍が南部仏印に進駐すると、アメリカは日本の予想に反して石油の対日全面禁輸を実行した。なぜか?
 それはソ連を応援するためだった。ドイツとの戦争を始めたばかりのソ連が連合国側から脱落しては、元も子もない。アメリカの軍需産業は動き出したばかりで、まだモノがなかった。翌42年春になればなんとか輸出情勢が整うので、それまではソ連にもちこたえてもらわなければならない。そこで、ソ連が当面の敵ドイツに加えて背後から日本の攻撃を受けることがないように、日本を強く牽制し、注意をアメリカにひきつけた。つまり、ソ連の背後の脅威を除くためにとった措置だった。
 日米開戦の最大の推進力となった陸海軍の将校、とりわけ参謀本部、軍令部の中堅幕僚たちは、当時は40歳代で、いずれも少年のときに日露戦争を体験している。少年時代に刻みつけられた華々しい勝利の記憶が、開戦それも早期開戦を渇望しただろう。
日本が緒戦に大勝すれば勝機はあると思っていたのは、財政的に準備していたことが大きい。日中戦争が始まってから、臨時軍事費を特別会計で組み、膨大な軍事費を確保していた。その3割を日中戦争遂行のためにあて、残る7割は来るべき太平洋戦争の準備にあてていた。4年間で、256億円、今のお金に換算すると20兆円をこす。これだけ軍備につぎ込んで準備していれば、まだアメリカの準備がととのわないうち緒戦に大勝すれば、そのまま戦争に勝てると考えても不思議ではない。
 満州事変は、日本も中国も、宣戦布告はせず、戦争とはみなされない方法ともに選んだ。それが共通のメリットだった。また、アメリカにとっても、日中の関係にアメリカ国民が巻き込まれないですむというメリットがあった。そんな三者の暗黙の了解のもとに日中戦争は展開していった。
中国人の胡適は、中国は豊かな軍事力を持つ日本を自力では倒せない、日本の軍事力に勝てるのはアメリカの海軍力とソ連の陸軍力の二つしかない。だから、この二国を巻き込まない限り中国は日本に勝てない。そのためには、中国との戦争を正面から引き受けて、2~3年間、負け続けることが必要だ、そう言い放った。
なんと鋭い冷静な言葉でしょうか・・・。
 昭和天皇でさえ、自らの意志によって、暴発した軍事行動をとめられないというパターンができていた。これは別に昭和天皇伝記で紹介したとおりですね。
 よく調べてあるし、その論評の確かさには舌を巻いてしまいます。わずか130頁ほどの薄い本ですが、ぎっしり中味の詰まった重厚な本でした。
(2011年7月刊。950円+税)

  • URL

2012年5月 1日

最後の子どもたち

ドイツ

著者   グードルン・パウゼヴァング 、 出版   小学館

 平穏な毎日を過ごしているなかで、突然、原爆が落ちたら、社会と生活はどうなるのか。そのことを実に事細かに分からせてくれる貴重な小説です。
 3.11のフクシマのあと、私たち日本人の少なくない人々が原発事故の恐ろしさに目をふさいでいるように感じます。今でも「電力不足」を本気で心配している人がいますが、それって、本当に心配しなくてはいけないことなのでしょうか。お互い、多少の不便を耐えしのんでも、次々世代にわたって安全に生きられることを優先して考えるべきではないでしょうか。
 ある日突然、原爆が近くの村に投下され、その付近一帯は消滅してしまった。こんな情景から物語はスタートします。福島第一原発で事故が起きたのとまるで同じです。
 しかし、人々は事態の本当の恐ろしさを信じようとしません。それまでどおりの日常生活を過ごしたいのです。
 病院はすぐに満杯になります。食べるものもなくなっていきます。弱い子どもたちが次々に死んでいくなかで、孤児となった子どもを収容する施設もつくられます。でも、誰がどうやって面倒をみるというのでしょうか。
 原爆症のために亡くなる人が続出します。白血病、腸の出血そして吐血。みな放射能による病気です。
 死んだものを埋める、葬る。これが生き残った者の主な仕事になってしまった。その朝、葬る側にいるのは、もうたくさんだと思った。むしろ、やっと安らぎを得た死者がうらやましかった。
 核戦争が起きる前の数年間、人類をほろぼす準備がすすんでいくのを、大人たちは何もせずに、おとなしく見ているだけだった。大人たちは、そんなことを言ってもしょうがないと、あきらめていた。また、核兵器があるからこそ平和のバランスが保てるんだと飽きもせずに、大人たちは主張していた。心地良さと快適な暮らしだけを求めて、危険が忍び寄るのに気がつきながら、それを直視しようとしなかった。
 子どもは大人に対して、あなたは平和を守るために何かしたのですかと問いかけた。大人たちは、黙って首を横に振るだけだった。
 こんなふうにならないように、今こそ声を大にしてあまりにも危険な原発なんかなくせと叫ぶ必要があるのではないでしょうか。
 この本は今から30年も前にドイツ(当時の西ドイツ)で出版された本です。反核運動を大いに励ましたそうです。いま読み通して(わたしは初めて読みましたが)、フクシマの恐ろしさを伝えるのに絶好の本だと思いました。
(1984年5月刊。780円+税)

  • URL

2012年5月31日

原発と権力

社会

著者   山岡 淳一郎 、 出版   ちくま新書

 日本の原子力発電の第一「功労者」は今も生きている中曽根康弘である。そして、これを事業化したのは、CIAのエージェント(暗号名はポダム)だった正力松太郎である。正力松太郎は、犬猿の仲だった朝日新聞出身の緒方竹虎を妬んでいた。
 緒方もCIAの情報源だったが、急死してしまった。
 ただ、当時のCIAは秘密組織ではなく、緒方も自覚的なスパイではなかった。正力松太郎は総理になるべく、先行投資として2000万円という大金を三木武吉に渡した。今日のお金では3億から4億円になる。
 1955年11~12月、日比谷公園2000坪をつかって原子力平和利用博覧会が催された。42日間に総入場者は36万人をこえ、大盛況だった。CIAと正力松太郎の共同作戦の成果である。正力は、このとき展示されていた小型の原子炉を持ち帰って家庭用の発電につかうとアメリカ側に申し出た。もちろんそんなことは不可能。それほど正力は原子力について技術的にまったく無知だった。
 CIAは、やがて強引で唯我独尊の正力松太郎に手を焼き、アメリカの国益の観点から正力を危険視するようになった。
「原子力エネルギーについての日本の申出を受け入れると、必然的に日本に原子爆弾を所有させることになる。これは、トラブルメーカーとしての潜在能力においてだけだとしても日本を世界列強のなかでも第一級の国家にする道具となりうる」
 田中角栄は中曽根康弘と同い年。大臣になったのは中曽根より2年早い。
 「今太閣」ともてはやされた田中角栄が政権の座を追われた裏には、石油やウランを牛耳る欧米の資源帝国との激闘があった。田中角栄は、「世界の核燃料体制は、やはりアメリカが支配している。そこをフランスと一緒になってやろうとしたら、うしろからいきなりドーンとやられたようなものだ」と語った。
 与謝野馨は、いわゆる原子力村の出身者である。1963年に東大を出て日本原子力発電に入社した。原発推進の信念を変えていない。前原誠司もタカ派で、原子力推進派である。
メディアの原発・電力批判を抑えこんだのは、莫大な広告費だ。電力会社の広告宣伝費は900億円に近い。このほか販売促進費が
600億円を上回る。東京電力のみで、広告宣伝費が250億円ほど、普及費が200億円。
 これではメディアが電力会社の言いなりになって、原発を美化し、推進するはずです。メシのためには、黙って・・・、ということですね。
 民主党内の原発推進の中心が仙谷由人。つい先日、仙石由人は、「脱原発は日本にとって自殺行為」だなんて、とんでもないことを公言しました。反対に原発依存こそ日本人の自殺行為ではありませんか。いったい、使用ずみ核燃料はどう処理するというのですか。また、福島第一原発でメルトダウン、メルトスルーした核燃料の始末は、いつ、どこで、どうやって、誰がするというのでしょうか。仙谷大先生におたずねしたいと思います。
(2011年9月刊。760円+税)

 今年もホタルが飛びかう季節になりました。わが家から歩いて5分あまりの小川にそってたくさんのホタルが飛んでいます。あのふうわりふうわりとした飛びかたに心が魅かれます。飛んでいるホタルを両手でぞっと包んで、手のひらに乗せます。重さは感じません。ホタルはあわてず、あせらずじっとしています。軽く息を吹きかけると、再びふうわりふうわり、ゆっくり空中に飛びまわります。この眺めはいいものですよ。

  • URL

2012年5月30日

不愉快な現実

中国

著者   孫崎 享 、 出版   講談社現代新書

 サブタイトルは、「中国の大国化、米国の戦略転換」となっています。
日本がいつまでも対米従属一辺倒でいるうちに、アメリカは日本より中国を重視する政策に変わっている。それなのに、日本人はいつまでも、いざとなればアメリカが日本を守ってくれるなどという幻想に浸っている。
こんなことを厳しく警告している貴重な新書です。ぜひ、手にとってお読みください。私は、著者の話で一度じかに聞きましたが、まことに説得力のある話でした。
 著者は外務省に入って各国の大使館につとめたあと、イラン大使、そして防衛大学で教授をつとめています。ですから、決していわゆる左翼ではないのです。
 日本は、これまで外交、安全保障の分野で極端な対米従属をしてきた。対米従属で日本経済は本当に潤ってきたのだろうか・・・?
 実は逆である。日米関係を強固にする努力を続ければ、日米の反映があるという定説は、過去20年の日本に実は、まったくあてはまらない。事実でないことを、日本人はなぜ20年間、魔法にかけられたように、頑なに信じてきたのだろうか。
 今日、アメリカは、日本より中国をより重要と判断している。我々日本人には、中国が超大国になる。ましてアメリカの上にいくという事実を認めたくない。これが、今も無意識のうちに働いている。
 中国市場がどういう市場であれ、ここで勝利を収められない企業は、もはや世界市場で勝ち残れない。グローバル企業を目ざすなら、中国市場で戦うしかない。
 キッシンジャーは日本人を戦略的にものを考えない人たちと蔑視してきた。アメリカのクリントン長官にとって、普天間基地を辺野古に移転するかどうかは、不動産屋のような問題であり、知的刺激は何もない。だから、彼らは日本人と話したがらない。
中国の全体的な戦略国において、日本の重要性は甚だしく縮小した。
 米軍にとって在日米軍基地の最大の利点は、日本政府の財政負担である。日本政府は「思いやり予算」という各目で、基地経費の75%から80%近を補填している。アメリカの財政状況が厳しい折、これだけ魅力のある場所はない。
 中国の輸出金額はGDPの27%近い。今日の中国経済は輸出に依存している。したがって、冒険的対外政策をとって自国の輸出市場を失うことを避ける必要性は他の国に比べても高い。
 現在、アメリカは中国の軍事力増強を注意深く観察しつつ、しかし、政策としては協調路線を追及している。
 尖閣諸島近辺で日中刊の軍事衝突が起こったとき、日本が勝つシナリオはない。そんなとき、中国は戦闘機330機、駆遂鑑16隻、潜水艦55隻を動かせる。日本の自衛隊は、とてもこれに対抗できない。
 中国の一般市民の経済水準はアメリカの4分の1であるが、国全体としてみると、中国のGDPは世界一である。
 日本には、首相がいくらもがいても、政界、官界、経済界、マスコミにはアメリカに従属するシステムができあがっている。
 そうなんですよね。いつまでたってもアメリカの忠犬みたいに尻尾を振りつづける自民そして民主党政権と経済界中枢にはほとほと嫌気がさします。もっと日本人としての自立心をもてよと叫びたいところです。
(2012年3月刊。760円+税)

  • URL

2012年5月29日

どうなる!大阪の教育

社会

著者   池田 知隆 、 出版   フォーラム・A

 橋下・教育基本条例案を考える、というサブタイトルのついた薄いブックレットです。マンガ入りで、とても分かりやすい小冊子なので、多くの人にぜひ読んでほしいと思いました。
大阪の教師の疾病増加率は知事部局に比べて3倍も高い。学校の教師を生きづらくしているのは、同僚同士で話しあいながら学校を運営していくことができなくなっているから。
 校長は教職員の意見を聞くこともできず、通達だけが流れてくる。それをパソコンで見ている。職員会議には会話がない。こんなことで教師が育つはずがない。
 校長や副校長に体育系出身の教師が増えている。リベラルの人は教師になろうとしない。体育科の教師なので、他の教科のことが分からない。学力を伸ばすといってもどうしたらいいのか分からない。
 教育というのは人格のつきあい。学校の教師がやってくれることの最大のものは、子どもと付きあっていること。付きあいのなかで、その教師が自分の生き方とか、勉強の面白さを伝えながら、子どもは教師を批判したり、尊敬したりして人格がつくられていく。
 知事が替わるたびに好き勝手なことを言い、教育に介入されたら、学校教育は解体する。
 橋下の本には、友だちがほしいなんて思うな、大事なのは強いやつを見つけ、その下で生きることだと書かれている。うひゃあ、なんと悲しい言葉でしょうか・・・・。
 橋下は、「大阪を教育日本一に」と訴えながら、実際には3年間で教育予算を583億円も削った。できるだけ安あがりにしようというので、正規の教員を雇わず、非正規の教員を増やしている。
 橋下は、「教育は2万パーセント強制」という。しかし、アスリートが自覚的に負担をかける訓練をしているのと、望んでもいないことを強制されることには大きな違いがある。
 学力テスト成績結果を公開し、公立小中学校の選択制が実施されると、公立小中学校は激しい競争に追い込まれる。テストの成績で生徒を序列化し、落伍者は無価値な者と見下され、子どもの人格を歪めかねない。
 橋下・教育改革では、相対評価によって必ず「下位5%」の教師を指名し、それが2年続くと免職となる。
 すると、生徒指導の課題や悩みをかかえていても、他の教師に相談ができなくなる。他の教師も自分への評価が下がることを怖れて必死だから。教師が連帯して教育実践にあたるのではなく、互いに競争相手として追い落としあう職場環境になってしまう。生徒に媚びる教師を増やしかねない。悩みや課題をかかえた教師を横目に見ながら、それを放置していることが自己保身につながるという悪しき風潮が生じる恐れがある。学校のなかでみんなが協力しあい、学校全体で子どもを育てることがなくなってしまう。
校長は、自分が決めた目標の達成状況を基準に自分で教師を評価するから、主観的、恣意的な、つまり好き嫌いで人事評価することが可能となる。
校長にはマネジメント能力も必要だが、それだけで学校現場を統括するのは難しい。校長は教育サービスを支える店長ではないし、一人ひとりの子どもや教師と向きあうことが必要な教育職である。ただ管理統制能力があるだけで、教育の現場での対応はできない。
大阪の橋下市長を天まで高くもてはやすばかりの大手新聞、テレビには呆れかえります。 ジャーナリズムはもっと、橋下流インチキ政治の本質を暴いてほしいものです。
(2011年11月刊。571円+税)

  • URL

2012年5月28日

教授とミミズのエコ生活

生き物

著者   三浦 俊彦  、 出版   三五館

 自宅でミミズを飼う某女子大学教授の体験記です。ミミズをずっと飼い続けるって大変なことなんだと思い至りました。まさに奮闘努力の甲斐もなく・・・、という事態の連続なのです。
 簡単なようで、実はとても大変なのがミミズの飼育です。著者がミミズコンポストを始めたのは10年前。三層のたらい型容器とミミズ3000匹を3万5000円で購入。ミミズは釣り餌になるシマミミズ。シマミミズなら、私もよく分かります。至ってフツーのミミズです。
ミミズに塩分と柑橘類をやるのは現金。片栗粉も固まってしまうのでダメ。
 ミミズコンポストの目的は、なにより生ゴミ減らしにある。
ミミズはデリケートな生き物だ。ミミズは1日に自分の体重の半分の量を食べる。
ミミズの卵は、直径2~3ミリ。球根のような、レモンのような、ラグビーボールのような形をしていて、橙色に輝く、きれいな粒だ。2~3週間後に赤ちゃんが生まれ、4~6週間で生殖年齢に達する。シマミミズの個体は4年ほど生きる。
ミミズは健康食品の重要な素材になっている。咳止めや熱冷ましに使われる「地龍」は、漢方系の風邪薬の成分として定番である。血液サラサラのサプリメントとしても使われている。
 ミミズが大量に死ぬと、身体から流れ出す酵素によって仲間のミミズに害をなす。ミミズの大絶滅は、ミミズ飼育においては、ごくありふれたこと。
ミミズはもともと冷たい生き物である。ひんやり感が心地よい生き物なのだ。
 ミミズは、一匹一匹が個体というよりも、2万匹全体が個体というか超個体であり、一匹一匹は超個体を構成する細胞なのだ。
 スイカの皮はミミズの大好物。ミミズは、意外に場所の好みが激しい。ミミズにも個性がある。
ミミズを飼っていると、死に絶えるというハプニングは当たり前。実感されるのは、命の軽さ、命への代替可能性、命の偶然性。そんな一種のニヒルな悟りを受ける。
 ある一定の状態をこえるとミミズは死滅してしまうが、その直前に卵を異常に産む。これは、種を残すための行動だろう。
 ミミズを飼うことで生命の神秘をも感じさせる面白い体験記でした。私もミミズなら平気で触れます。なにしろ、フナ釣り大好き人間でしたから・・・・。今、わが家の庭にもたくさんのミミズがいます。もちろん、それを食べて生きるモグラも。
(2012年2月刊。1400円+税)

  • URL

2012年5月27日

ニッポン異国紀行

社会

著者    石井 光太、 出版   NHK出版新書

 日本という国を通常とは違った視点でとらえることのできる本です。
 現在、日本に210万人ほどの外国人が暮らしている。そして年間に6000人の外国人が亡くなっている。その遺体を海外へ搬送するときには、感染症予防のため、遺体に対して腐敗防止処置をしっかりと施し、その証明書をつける必要がある。これをエンバーミングと呼ぶ。
 1日に20体ほどの遺体が日本から海外に搬送されている。あなたの乗る飛行機には、実は、一緒に遺体が積まれていても何ら不思議ではない。
 その費用は韓国だと2~30万円、中国へは60~80万円、欧米へは70~120万円、東南アジアへ70~90万円、中東は100~140万円、アフリカ100~200万円。こんなにかかる。
このほか、日本の風俗産業への韓国人女性や東南アジアの女性の進出状況、さらには、日本の中古車の海外への輸出状況なども紹介されています。
 日本と海外との結びつきは本当に多面的だと思い知らされる本です。著者の体当たり取材はすごいものです。海外だけでなく、日本もターゲットにしたところがすごいと思いました。
(2012年1月刊。860円+税)

  • URL

2012年5月26日

黒田如水

日本史(戦国)

著者   小和田 哲男 、 出版   ミネルヴァ書房

 秀吉が天下を取れたのは、官兵衛と半兵衛という二兵衛がいたからだ、と言われることがある。半兵衛とは、竹中半兵衛重治のこと。官兵衛とは黒田官兵衛、義高(よしたか)のこと。
戦国時代、重要な決定は大将一人で決めるのではなく、重臣立ちの会議によって決められていた。
 後詰(ごづめ)とは、後巻(うしろまき)ともいい、味方の城が敵に包囲されたとき、城を攻めている敵に包囲されたとき、城を攻めている敵のさらに外側を大軍で包囲し、城の外と中とで敵を挟み撃ちにしようという戦法であり、そのための援軍のことをいう。
 天正6年(1578年)、織田方だった摂津の荒木村重が有岡城で信長に対して叛旗を翻した。荒木村重の謀反は、三木城の別所長治を相手として戦っている秀吉にとって、まさに青天の霹靂だった。そこで村重を説得すべく黒田如水が最後に送りこまれたところ、有岡城内に幽閉されてしまった。しかし、如水と日頃接していた重臣たちは、如水が村重と同心して織田家を裏切ることは絶対にないと信じていた。
 黒田如水は、1年間も狭い牢に閉じ込められていたため、膝は不自由になり、頭髪はぬけて禿になった。これは一生回復しないままだった。
 織田信長が本能寺の変で倒れ、秀吉が「中国大返し」をするとき如水は知恵を働かした。秀吉の軍勢に毛利勢が加わっているように見せかけるため、毛利家の旗20本を借り受け、陣の先に立てていた。
 著者によると、黒田如水はキリシタンだったとのことです。博多の教会堂で、如水追悼の儀式が行われたそうです。知りませんでした。
 また、如水は、戦国武将としては珍しく、殺戮を好まなかったと書かれています。そして、如水は正室だけで、側室をもたなかったという点でも変わっています。
 この本には偽書とされる『武功夜話』の引用もあったりして、歴史書としてはどうなのかなと思うところもありますが、黒田如水の歩みを分かりやすく伝えていました。
(2012年1月刊。3000円+税)

  • URL

2012年5月25日

パブリック

アメリカ

著者   ジェフ・ジャービス 、 出版   NHK出版

 若者たちは、古い世代が戦々恐々とするパブリックな未来に生きている。自分をオープンにすることへの見返りを分かっているからだ。
 インターネットは、ただのコンテンツを運ぶ媒体ではない。それは、人と人とがつながりあう手段だ。インターネットは既存世界の一部だという考え方には異議がある。それはもう一つの並行宇宙なのである。それほど「別物」なのだ。
 インターネットは、この世界の新たな層、新たな社会、または、よりパブリックな新しい未来へのもうひとつの道筋なのだ。インターネットは、破壊の道具、つまり古い絆を再び分断し、ぼくらを制約から解き放ち、未来の姿をあらためて模索させる触媒だ。インターネットが再びぼくらを原子にする。
 社会がパブリックになることは明らかだし、避けられない。抵抗してもムダなのだ。だが、その新しい社会がどんな形になるかは、まったく予想もつかない。
インターネットをうろついているとき、それを見られるのはうれしくない。
 インターネットは「深い読書」と、それがもたらす「深い思考」を阻むと言う人がいる。そこには、本こそが思考を刺激する唯一の、または最良のものだという思い込みがある。
インターネットができてから読む本の数は減ったが、インターネットのおかげで知識欲は増えた。なぜなら、インターネットは好奇心を呼びさまし、それを簡単に満たすことができるからだ。
 2011年の初め、13歳以上のアメリカ人の半数以上がフェイスブックに登録している。
 アメリカのティーンエイジャーと若年層の4分の3と、成人の半分がソーシャルネットワークを利用していた。1億7500万人をこえるツイッターユーザーが毎日1億回ツイートし、合計で250億のつぶやきを残している。アメリカの成人の1割は、ブログを管理している。
 ユーチューブは、毎分35時間分の動画を受けている。
 果たして、本当にインターネットは人類の知恵を向上させ、相互の結びつきを深めるものなのでしょうか。今の私には、大いに疑問です。
 私の身近な人がツイッター中毒となり周囲の状況が目に入らなくなって周囲の人が困ったということが起きました。その人を見ていて、あまりにインターネットの世界に入りこみ過ぎていて、じっくり落ち着いて考えることが出来なくなっている気がしました。
 インターネットの怖さは依然として小さくないというのが私の意見です。
(2011年6月刊。760円+税)

  • URL

2012年5月24日

ナチスの知識人部隊

ドイツ

著者   クリスティアン・アングラオ 、 出版   河出書房新社

 ナチスのユダヤ人をはじめとする虐殺の実行部隊を指揮したのは、頭脳明晰な大学出の若きエリートたちだった。彼らは美男で、輝かしく、知的で、教養があった。にもかかわらず、人間にあるまじき、人間として絶対に許されない殺戮を続けていたのです。なぜか?
 本書は、そのような80人ほどの大学出の若者たちを分析しています。
 ナチス親衛隊の保安情報機関に採用されたのは、その知性を買われてのこと。情報の収集や分析に、人文科学の知識が必要だった。また、ナチスのイデオロギーに学問的な裏づけを与え、それを正当化するのも、知識人の重要な役目だった。
 そして、SS保安部(SD)や国家保安本部(RSHA)で中心な役割を担い、その保安業務の一環として東部へ派遣されて、処刑部隊の先頭に立った。
 敵への「恐怖」や暴力に対する「慣れ」によって、人は誰でも残虐行為をエスカレートさせる可能性があることを、本書は証明しています。
これら80人の知識人たちに共通しているのは第一次世界大戦が子ども時代の根源的なトラウマになっていること。およそ10年間、日常生活は混乱をきわめた。その10年間に多感な子ども時代そして青年時代を過ごした。そして、ドイツ国民の半数が、近親者と死別する経験をした。
 1万人の学生のうち9400人、講堂やゼミナールや研究室にただ通って、自分の勉強や試験に追われているだけである。進取の気性に富む学生は600人ほどで、そのうち400人は超国家主義(ナチス)であり、残りの200人は共産主義、社会民主主義、民主主義に分かれている。
 SSの上層部は、ドイツ民族が消えようとしている。さらには抹殺されようとしていると考えていた。ロシアのボリシェヴィズムの強迫観念にもとづくパニック的な恐れがそこにあった。
 ユダヤ人といえば、混乱をひき起こし、残虐行為をおこない、放火犯であり、共産主義体制の主要な支持者であるといった三段論法的表現によって、ユダヤ人がドイツの侵略に対する潜在的レジスタンスの尖兵であるという考え方が増幅するにつれ、15歳から60歳までのユダヤ人男性が組織的に銃殺されていった。
 ところが、ユダヤ人を銃殺する処刑隊員の神経も病んでいくのでした。当然ですよね。飲酒したくらいで気が晴れるはずはありません。
 ガス・トラックにしても、死体を運び出さなければならないという重大な問題があった。それで、トラックを使うのを止めた。死刑執行人立ちの心に傷を負わせてしまうのである。
ナチスのユダヤ人大量虐殺の中心にドイツの知識人青年がいたことの意味は重いと改めて思いました。
(2012年1月刊。3200円+税)

  • URL

2012年5月23日

教育改革

社会

著者   藤田 英典 、 出版   岩波新書

 1997年に初版が出ていますので、少し古くなっていますが、読んでみると内容的には古さをまったく感じさせません。
 教育の適切性を高度で先端的な知識技術に対応することに矮小化するのは誤りである。早い段階から専門分化したり、先端的な知識技能の教育を重視すると、それは「能力の浪費」を招きかねない。
 公立中高一貫校は、少数の公立エリート校をつくるだけになるか、学校序列・学校間格差を中学段階にまで拡大し、受験競争の低年齢化を招き、教育機会の階層差を拡大し、さらには、生徒にも学校にも、今以上に難しい課題を押しつけることになりかねない。弊害の方がメリットよりはるかに大きいと考えられる。
 たとえば、一度形成されたネガティブな評価や関係がずっと続く可能性がある。それは「十二歳・選抜」の問題を引き起こし、小学校の教育にまで受験競争の圧力をもち込み、もう一方で、現在、高校で見られるような序列や格差を中学校段階にまで拡大することになりかねない。
 日本の学校は、教師が一体となって生徒指導・生活指導にあたることを基本としてきた。もちろん、それがどの学校でもうまく機能してきたということではないが、教師集団の連携・協力と、個々の教師が生徒の生活全般にかかわることが、学校経営の基本、教師の仕事の基本とされてきた。
 こうした伝統に批判があるのも事実だが、それが日本の学校の主要な特質の一つであることも事実である。そして、その基盤には、すべての教師が同じ資格で同じ機能を担って教育にたずさわっているという事実があった。
 ところが、今日の学校では教員は見事にタテに系列化させられ、フラットな教師集団はなくなってしまいました。まったく残念としか言いようがありません。
週5日制、そして公立中高一貫校の導入前に発刊された本です。いずれも非常に問題があると著者は指摘しています。多くの国民がそれを安易に受け入れてしまったのが残念でなりません。
(2007年4月刊。780円+税)

  • URL

2012年5月22日

原発のコスト

社会

著者   大島 堅一 、 出版   岩波新書

 財界はいま総力をあげて原発再開を目ざしています。民主党政権はそれに抗することなく原発再開に動いています。そして、マスコミも大手新聞やテレビは原発の危険性など忘れたかのように、「電力不足」の不安を煽っています。でも福島第一原発のメルトダウンしか核燃料の処理はまだまったく手がついていないし、依然として大量の放射能が大気中そして海へ放出されているのですよ。そんなときに原発再稼働なんてとんでもないことじゃありませんか。
 これまで、原発は安くて安全だといわれてきました。この本は原発は決して安くはないこと、むしろほかのエネルギーに比べて、とてつもなく高いものだということをいろんな角度から論証しています。
 福島第一原発事故は、技術的な安全対策がとられていなかったことが原因と言われることがある。だが、それは原因構造の表面でしかない。なぜ安全対策が取られていなかったのか。それは、エネルギー政策形成にあたって、原発の真のコストが隠蔽され、利益集団の都合の良い判断のみが反映されてきたからである。このような仕組みがなくならない限り、また新たな問題が発生するであろう。
 福島第一原発事故の教訓を活かすためには、国民が強い政治的意思を形成しなければならない。
 脱原発は、政治的スローガンでもイデオロギーでもなく、現実に実行可能な政策である、脱原発に進むことは、保守や革新などの政治的立場、思想信条、社会的立場の別を超え、多くの国民が一致できる政策である。
 日本の原子力開発は、原子力複合体によって、反対派や慎重派を徹底的に排除して進められてきた。その最終的な帰結が福島第一原発事故である。原子力政策を推進してきた体制が完全に解体されなければ、原子力複合体は復活してくるだろう。
 原発事故は、最悪のケースで100兆円を超える規模の被害をもたらす可能性すらある。
 脱原発による便益は年平均2兆6400億円となる。脱原発の便益はコストを上回る。
 この本では、ローソンの新浪剛史社長が脱原発に反対を表明していると書かれています。なんということでしょう。がっかりどころではありません。コンビニと原発がどう結びついているのか分かりませんが、これだけみんなで心配しているのに、まさかローソンの「電力不足」のないようにするため原発が必要だというんじゃないでしょうね。すっかり見損なってしまいました。
(2011年12月刊。760円+税)

  • URL

2012年5月21日

眠りをめぐるミステリー

著者   櫻井 武 、 出版   NHK出版新書

 なぜ、あらゆる生き物は眠るのか?
泳ぎながらも眠るイルカ。脳の半分ずつ眠るのだそうです。横になって身体を休めるだけでは足りず、やっぱり睡眠が必要だというのは、なぜ?
眠っているはずなのに、目玉をキョロキョロ動かす。はては、眠っているのに動き出して、ウロウロする。料理を作って食べる。絵を描く。しかも、その絵は昼間にはとても書けない精密そのものの絵。さらには、眠っているのに、起き出して車を運転して人まで殺してしまう。そして、それをまったく覚えていない。
 ええーっ、ウソでしょ、単にとぼけているだけでしょ、と叫んでみたい気がします。でも、どうやら、本当に無意識のうちに行動するようなのです。監視カメラの映像を見て自分で驚いたというのです・・・。考えれば考えるほど不思議なのが眠りです。死は永遠の眠りだとよく言われます。本当にそうだとしたら、何も怖いものではありませんよね。
 それにしても、眠るとき、目覚めがあることを当然のように思っていますが、そのまま目が覚めずに亡くなっていった人は幸せだった(幸せな)のでしょうか・・・?
 夢はレム睡眠中に行われる、いわば記憶に対する情動によるタグ、あるいはアイコンをつける作業中、それがノイズとして意識にのぼったものなのではないかと考えられている。
 じっと休んでいのると、睡眠をとっているのとには、厳然たる差がある。眠りは、休んでいるという消極的な状態ではなく、積極的に脳のメンテナンスと情報管理を行うという能動的な過程なのである。人は一日の3分の1を眠って過ごし、その睡眠時間のうち、4分の1がレム睡眠である。
 ノンレム睡眠は、一般的に脳の休息、メンテナンスの時間だと考えられている。脳のエネルギー消費は一日の中で最低になる。ただし、必要に応じて寝返りなど運動することは可能な状態にある。ノンレム睡眠では、起床することはかなり困難だ。
 レム睡眠は、非常に特殊な状態にあり、脳は覚醒時に難しい数学の問題を解くなど、知的な活動をしているときよりも、さらに活発に活動している。
 レム睡眠中に覚醒させると、その人は見ていた夢の内容を詳細に話すことができる。
 レム睡眠のときには、脳幹から脊髄に向けて運動ニューロンを痲酔させる信号が送られているため、全身の骨格筋は眠筋や呼吸筋などを除いて痲酔している。そのため、レム睡眠のときには、脳の命令が筋肉に伝わらないので、夢の中での行動が実際の行動に反映されることはない。そして、眼球は、不規則にさまざまな方向に動いている。中枢である脳はフル回転している。つまり、身体と脳のあいだの情報交換をカットした状態の中で、脳自体は活発に活動しているのがレム睡眠だ。夢中遊行の人が徘徊しているときには、深いノンレム睡眠の状態なのである。
生物にとって不利であるはずの睡眠が進化の過程でなくならなかったのはなぜか?
 逆に、進化するほど睡眠の必要性は高くなっている。脳の記憶システムが、シナプスの可塑性を記憶システムとして用いている限り、睡眠は必要なものなのである。
 安らかに眠り、爽やかに目が覚める。これが人生最良の日々ですよね。快眠は快便より快食より、何より優先するものですね。
(2012年2月刊。780円+税)

  • URL

2012年5月20日

聞く力

人間

著者   阿川 佐和子 、 出版   文春新書

 著者はたくさんのインタビューをしていますから、さぞかし自信をもっているのかと思うと、意外にもそうではないとのことです。
インタビューするときは、質問を一つだけ用意して出かける。
 もし、一つしか質問を用意していなかったら、当然、次の質問をその場で考えなければならない。次の質問を見つけるためのヒントはどこに隠れているだろ。隠れているとすれば、一つ目の質問に答えている相手の、答えのなかである。そうなれば、質問者は本気で相手の話を聞かざるをえない。そして、本気で相手の話を聞けば、必ずその答えのなかから、次の質問が見つかるはずである。
 なーるほど、真剣勝負の世界ですね。
資料を万全に読み込んで、すべての情報を頭に入れていくと安心すると同時に、油断もする。だから、事前の準備はほどほどにする。相手に失礼な知識は頭に入れておくにしても、すべてを知ってしまったかのような気持ちにならないよう、未知の部分も残しておくのが大切だ。事前の勉強は大切だけれど、相手の前で知ったかぶりはせず、にわかに勉強であることを素直に認め、相手に失礼のない範囲で素朴な疑問をぶつけるようにする。
 インタビューをうまくすすめていくうえでの体験談がとても実践的で参考になりました。
(2012年2月刊。800円+税)

  • URL

2012年5月19日

ルーズヴェルト・ゲーム

社会

著者   池井戸 潤 、 出版   講談社

 『下町ロケット』で直木賞を受賞した著者の第一作ということです。何となく『下町ロケット』の雰囲気に似たところがありますが、最後まで一気に面白く読み通せたのは、さすが著者の筆力です。
私が草野球をしたのは小学生まで、あとは夏の甲子園大会で高校野球をたまに見ることがあるくらいです。私の子どもが小学生のころ、世間の親と一回くらいは同じことをしてやらないと可哀想だと思ってナイターに連れて行ったことはあります。弁護士になって、付きあいで仕方なくドームで野球観戦をしました。私にとって野球は全然興味をひかないものの一つでしかありません。ですから、この本で取りあげられる社会人野球なるものは見たことがありませんし、見るつもりもありません。
 そんな私ですが、著者による野球試合の展開の描きっぷりはすごいですよ。思わず手に汗を握るというものです。次はどうなるのか、息を詰めてしまいます。
 タイトルになっているルーズヴェルト・ゲームというのが、そういうものなのです。
 社員1500人、年間500億円超の中堅企業。このところ業績が低迷し、銀行から大胆なリストラが求められている。整理の対象に年間3億円も喰いつぶす野球部があげられ、ついに社長は廃部を約束させられてしまう。廃部となれば、野球部にいる10人ほどの正社員はともかくとして、その他の40人もの契約社員はみな退社せざるをえなくなる。ええーっ、これは大変なことですよ・・・。
 ルーズヴェルト・ゲームとは、野球好きのフランクリン・ルーズヴェルト大統領が、一番おもしろいと言った試合のこと。つまり、逆転して8対7で終了した試合のことである。
 そうなんです。この中堅企業も苦しいなか、ついに画期的な新商品の開発に成功し、ライバル企業を出し抜き、生き残りに成功したのでした。しかし、野球部の廃部が取り消されたわけではありません。それではハッピーエンドにはなりません。そこを、著者は何とかひねり返すのでした。うまいものです。爽やかな読後感の残る小説です。現実は厳しいのですが・・・。
(2011年10月刊。2800円+税)

  • URL

カテゴリー

Backnumber

最近のエントリー