弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2019年11月19日

独ソ戦

ドイツ・ロシア


(霧山昴)
著者 大木 毅 、 出版  岩波新書

今年の最良の新書として高い評価を受けていますが、読んだ私もまったく異議ありません。
ヒトラーのナチス・ドイツとスターリン率いるソ連赤軍の死闘の実際が多角的にとらえられていて、なるほど、そういうことだったのかと得心いくことの多い本でした。
ソ連は2700万人が死傷し、ドイツは、戦闘員が444~531万人が死亡し、民間人も150~300万人の被害と推計されている。
ヒトラー以下、ナチス・ドイツ軍は、対ソ戦を世界観戦争とみて、撲滅すべき存在だとしていた。ヒトラーにとって、世界観戦争とは、みな殺しの戦争、つまり絶滅戦争であった。そして、これはドイツ国防軍の将官たちも共有していた。
そして、スターリンも大祖国戦争というとき、ドイツ軍は人間ではないと高言していた。
有名なドイツ軍事史の著者であるパウル・カレルの本は、今ではすべて絶版とされている。パウル・カレルはナチス政権のもとで要職にあったことを隠して、ドイツ国防軍を免責する意図のもとに歴史を歪曲して書いていたことが明らかにされた。そうだったんですか・・・。
スターリンがヒトラー・ドイツ軍の侵攻について、情報を得ながら信じなかったのは、イギリスがドイツ軍を対ソ戦に誘導しようとしていると疑っていたことによる。
そして、スターリンによる大静粛の結果、ソ連軍が著しく弱体化していたため、ドイツ軍が攻めてくるとは考えたくなかった、現実逃避思考に陥っていた。
スターリンは、目前に迫ったドイツの侵攻から眼をそむけ、すべてはソ連を戦争に巻き込もうとするイギリスの謀略であると信じ込んだ。あるいは、信じたかった。いやはや、スターリンのとんでもない間違いのため、ソ連国民は多大な犠牲を払わされてしまいました・・・。
ヒトラー・ドイツ軍がソ連侵攻を正式決定したのは1940年12月18日のこと。
ドイツ国防軍、とくに陸軍は、対ソ戦に積極的だった。当時、国防軍の戦車や航空機をはじめとする近代装備の多くは、ルーマニア産の石油で動いていた。そのためハルダー陸軍総参謀長は、ルーマニアの油田を守るためには、対ソ戦やむなしと判断した。それにはソ連軍の実力についての過小評価もあった。
ヒトラーが開戦を決意し、命令を下す前からドイツ陸軍のトップはソ連侵攻の準備をすすめていた。ドイツ軍は、自分の能力の課題評価とソ連という巨人にたいする過小評価、蔑視から傲慢な作戦計画を立てた。
ドイツの侵攻を受けた時点でのソ連軍は、反撃や逆襲できるほどの練度になく、将校の指揮能力も貧弱だった。ソ連軍はスターリンによる大静粛のため人材不足にあり、独ソ両軍の司令官(師団長など)の平均年齢はソ連軍のほうが11歳も若かった。この差は驚異的ですよね・・・。
独ソ戦全体を通して、570万人ものソ連軍将兵がドイル軍の捕虜となった。捕虜の多くはドイツ軍の虐待で死亡していますし、無事に帰国しても、スターリンによって「裏切り者」扱いされたのでした。
ドイツ軍には「電撃戦」を規定したドクトリンなど存在しなかった。
ドイツ軍が「バルバロッサ」作戦で前進していったとき、現場のソ連軍はなお頑強に戦い続け、容易に降伏しなかった。ドイツ軍の大将は次のように評した。
「ソ連兵はフランス人よりはるかに優れた兵士だ。極度にタフで、狡知と奸計に富んでいる」
ドイツ軍はソ連領内で補給不足に苦しみ、掠奪していった。そのため、現地住民の憎悪の対象となった。結局、ドイツ軍は、戦争に勝つ能力を失うことによって失敗した。すると、有利なのは、回復力に優ったソ連軍だった。
とても読みやすく、本質をついた独ソ戦通史だと思います。
(2019年9月刊。860円+税)

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2019年11月18日

アウシュヴィッツのタトゥー係

ドイツ


(霧山昴)
著者 ヘザー・モリス 、 出版  双葉社

実話をもとにしたフィクションです。それにしてもすごいんです。アウシュヴィッツ絶滅収容所で被収容者たちに数字のタトゥーを入れていたユダヤ人青年がいて、戦後まで生きのびたのです。そして、カナダと呼ばれる場所で働いていた女性と仲良くなり、ともども戦後まで生きのびたという信じられない奇跡が起こったのでした。
カナダとは被収容者たちから取りあげた持ち物を整理・処分していた場所です。そこには宝石や金があり、食べ物に換えることができました。
タトゥー係は特別な技能をもつ者として収容所では特権的な地位にありました。そのおかげで主人公は生きのびることができたのです。
主人公のタトゥー係(ラリ)は、まわりを冷静に観察し、必死に頭を働かせて、しぶとく、したたかに生き残る。それはカナダで働く彼女(ギタ)と結婚するためであり、永遠に返せない借りをなんとかして返すためでもあり、そしてナチスに抵抗するためでもある。
ただ生き残ること、それ自体が英雄的行為になるような状況のなかで生き残ること、これがいかに厳しいか、いかに辛いか、それをタトゥー係(ラリ)は身をもって実感する。
タトゥー係(ラリ)は、ナチスによって無意味に殺されていく人々を見ていく。そして最後には運よく、故郷に帰り着くが、それは本当に「運よく」と言えるのかどうか・・・。タトゥー係という特殊な立場にいたため、普通の被収容者たちが目にしなくてすむものまで見てしまうし、見せられてしまう。家畜を運ぶ列車でアウシュヴィッツに運ばれてくる途中で死んでいたほうがましだったかもしれない・・・。
戦後、ラリは、感情が欠けているようなところと、生存本能が高いところが残っていたと息子が語った。
ラリは、スロヴァキア語、ドイツ語、ロシア語、ハンガリー語、それからポーランド語を少し話した。いやあ、すばらしい。ラリって語学の天才だったんですね・・・。
タトゥー係のいいところは、日付が分かること。毎朝渡され、毎晩返却する書類に書かれている。日付の手がかりになるのは書類だけではない。日曜日は、仕事をしなくてすむ。
生きのびたあとの戦後、ギタはこう言った。
何年間も、5分後には自分が死んでいるかもしれないと思いながら過ごしたことがあれば、たいていのことは切り抜けられるようになるのよ。生きて健康でさえいれば、すべてはうまくいくものなの。
ぜひ、あなたも読んでみてください。今を生きる一日一日がますます大切なものと思えるはずです。
(2019年9月刊。1700円+税)

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2019年11月17日

消される運命

ヨーロッパ(リトアニア)


(霧山昴)
著者 マーシャ・ロリニカイテ 、 出版  新日本出版社

リトアニアにおけるユダヤ人虐殺の話です。読んで、とても悲しくなります。まったく救いがありません。
リトアニアは第二次世界大戦の前は、一応、独立国だった。1939年、ソ連軍がリトアニアに進駐して、リトアニア人をシベリアに送ったりして恐怖支配した。
ところが、1941年6月22日、ソ連軍は撤退し、ナチス・ドイツ軍がリトアニアに侵攻してきた。そして、すぐにリトアニア人の協力を得て、ユダヤ人を組織的に殺害しはじめた。
「男狩り」として、「収容所に送って、労働従事に従事させる」と言いながら、ナチス・ドイツ軍はすぐにユダヤ人の男性全員を森に連行して銃殺した。
ヒトラーの占領軍は、3年間に10万人のユダヤ人を銃殺し、森の中に埋めて隠した。そして、敗色が濃くなると、ナチス・ドイツ軍の残酷な証拠を残さないよう、1943年12月から埋めた死体を掘り起こして焼却した。
作者は、ゲットーに収容されつつも、戦後まで生きのびて、過去のことを記録して語り伝えた。わずか140頁の本ですが、読みすすめるのがとても辛くて、とても読み飛ばすことはできませんでした。
リトアニア人がナチス・ドイツ軍のユダヤ人殺害に手を貸していた事実が淡々と描かれていて、大変気が重くなります。
ドイツの占領前に23万人のユダヤ人がリトアニアにいたのですが、1941年末までに17万5000人が殺害され、戦後の今はリトアニアにユダヤ人はほとんどいないようです。悲しい話ですが、目をそむけるわけにはいきません。
(2019年8月刊。1800円+税)

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2019年11月16日

いつもそばには本があった。

人間


(霧山昴)
著者 國分 功一郎、互 盛央 、 出版  講談社

私も本はよく読んでいるほうだと思うのですが、この二人は哲学的分野で深みがあります。とてもとても、かないません。
1996年は出版界で売り上げがピークを迎えた。この年は本の販売金額は2兆6500億円。その後は減少傾向にあり、2017年は1兆3700億円なので、まさしく半分になった。ところが、新刊点数のほうは、1996年に6万3000点だったのが、2017年には7万5000点を大きく増加している。1980年代は3万点だったから、そのころに比べると2倍以上となる。
かなり多くの人が自分の研究する分野以外の本をほとんど読んでいない。文系の大学院に行って研究しようとしている人たちがこうなのだから、本が売れないのも当然だ。
今は、自分の知りたいことしか知りたくないという傾向がどんどん強まっているのではないか・・・。
今どきの若者が新聞を読まず、ネットを見ただけで世の中のことを分かった気になっているのに、通じている気がします。
この謎を解明したい。この論点について、もっと知りたい。この思想を分かりたい。そのような欲望に突き動かされて読書することが、読書において何よりも大切なこと。
解明したい、知りたい、分かりたい、そのような欲望のなかにいて、その欲望にこたえてくれる本に出会い、それを読んでいるときの喜びは格別のものがある。その喜びをずっと感じていたいという気持ちが、読書に駆り立てる最大の要因だ。
もちろん、何かを分かりたいと思って読書をしていると、分かりたいと思う別の何かにも出会うことになる。次々と欲望の対象があらわれ、解明したい、知りたい、分かりたいという留まることを知らない欲望に捕まえられる。このプロセスの中に居続けることが、読書の理想なのだ。
これは、まったく私と同じなのです。知りたい、謎を解明したいと思い、次々に本を読みます。すると、どんどん謎は深まり、広まっていくのです。ですから、読書の幅は無限大に広がっていきます。そして、その欲望の充足感にほんのひととき浸っているのが至福の境地なのです。
(2019年3月刊。900円+税)

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2019年11月15日

海に生きた百姓たち

日本史(江戸)


(霧山昴)
著者 渡辺 尚志 、 出版  草思社

なるほど、そうだったのか・・・、ぞくぞくするほど知的好奇心がかきたてられ、心の満たされる思いのする本でした。
日本人って、昔から裁判が大好きだったんですね、このこともよく分かる本です。なにしろ海辺に生きる男たちが真っ向から相反する主張を書面にして代官所でぶつけあうのです。これを裁く当局は大変だったと思います。もちろん、その多くは話し合いで解決した(させられた)のでしょうが、納得いかないほうは、しばらくすると蒸し返すのでした。
そんな実情が古文書を読み解いて判明するのですから、こたえられません。
この本は、奥駿河湾岸で長らく眠っていた古文書を渋沢敬三が発掘し、世の中に公開した成果を踏まえていますので、話は具体的ですし、何より証拠があります。
海辺の村の百姓たちは漁業だけをしていたわけではない。農業・林業・商業など多様な生業を漁業と兼業している百姓が大多数だった。なので、漁業に特化したイメージのある漁村ではなく海村(かいそん)と呼びたい。著者は、このように提起しています。
江戸時代の人々は魚介類をとって食べる量は明治期を下まわり、現代よりはずっと少なかった。それは、動力船と冷蔵・冷凍技術の未発達による。エンジンなどの動力がなければ、漁船は漁師が手で漕ぐしかない。沿岸漁業だけでは、漁獲量に限界がある。また、魚は生鮮食品で、長く保存できない。
江戸時代の人々は、新鮮な刺身などは、めったに食べられなかった。
瀬戸内海や金谷村の事例をあげて、浜方百姓(漁師)と地方百姓(農民)とのあいだには、ときに深刻な利害の対立があったことが明らかにされています。
ただ、農業と漁業は共存が難しいというだけでなく、補いあう関係にもあった。
漁師たちは、船の網を操る技術とともに、浮力や長い時間、海中にいられる耐寒能力が求められた。それで相撲取りのような体形が適していた。そして争いごとが起きることも少なくないので、相手を威圧する相撲取りの体形の者が必要だった。
さらに、海中での体温低下を防ぐためには酒が必要で、漁師たちは日常的に酒を飲んで海に入った。また、酒の勢いが争いをエスカレートさせることもあった。漁村は、酒の一大消費地だった。
奥駿河湾の伊豆国内浦の400年間の古文書が日の目を見た。渋沢栄一の孫の渋沢敬三が病気療養に来ていて出会った古文書である。
漁師は、まったく割に合わない商売だ。漁師は、乞食に次いでなりたくないもの。
親は泣く子どもに、「漁師の子にくれてやる」と脅していた。
その一方で、ここの漁師はぜいたくだとも言われた。たびたび大漁となると、大いにうるおったからだ。
村々の漁師と魚商人とは、相互依存関係にあったが、価格決定や代金支払いをめぐっては対立する場面も生じた。商人側が同業者団体をつくったのに対抗して、村々の側も議定書を結んで力をあわせた。
網子(あんご)と津元(つもと)とが争い、代官所へそれぞれ書面で訴えた。津元は経営者で、網子がその下で働く労働者。当局に納税するにあたって、よその町人が入ってきて請負するやりかたもあったが、それを排除して村請とした。すると、村内での津元と網子の対立が生まれることになった。
1649年(慶安2年)、網子たちが津元の不法を幕府の代官に訴え出た。そして、100年後の1748年(寛延1年)に今度は津元4人が網子の不法を訴え出た。幕府の代官は1750年(寛延3年)7月に判決を下した。これは、いくらか網子側に有利な内容だったが、双方ともに不満だった。そして、津元側はすぐに判決の内容の変更を求めて代官に願書を提出した。
村同士の争いも起きていた。1765年(明和2年)3月、内浦六カ村が静浦の獅子浜村を訴え出た。幕府は同年12月に判決を下した。しかし、獅子浜村はこれを無視したようで、31年後に再び内浦などの5ヶ村が訴えた。
いずれも生活がかかっているだけに必死だったのです。この訴えの文書は、それぞれにもっともと思われる内容ですので、裁きを受けもつ当局の苦労は大変だったことと思います。
それにしてもよくぞ、このような古文書が残っていたものです。やはり、私のような記録魔そして保存魔が昔からいたのですね・・・。
解読して解説していただいたご労苦に頭が下がります。ありがとうございました。
(2019年7月刊。2200円+税)

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