弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2023年3月26日
テキヤの掟
社会
(霧山昴)
著者 廣木 登 、 出版 角川新書
先日、私の住む街で、江戸時代から続いているという「初市」がありました。植木市とあわせて、たくさんの屋台が並びます。歩行者天国になりますので、子どもたちが梅ヶ枝餅やらリンゴアメなどを食べたり、なめたりしながらぶらついて楽しみます。
この屋台を出しているのがテキヤと呼ばれる人たち。
サンズン(三寸)は、組み立てた屋台、三尺三寸のサイズ、また「軒先三寸を借り受けて...」から来たもの。タコ焼きや焼き鳥屋台など。
ゴランバイは、子ども向けのバイ(売)。ソースせんべい、あんずアメなど。親から子どもに「見てゴラン」ということから。
コロビは、ゴザの上に商品をコロがし、タンカにメリハリをつけて商売する。映画「男はつらいよ」で、寅さんが神社の境内などで客を呼び込んで何かを売っていましたね。昔々は、私も実物を見た気がします...。
テキヤの圧倒的多数は暴力団ではない。ただし、テキヤ系暴力団も存在する。たとえば、極東会。極東桜井一家関口一門を中核とする。
暴力団とテキヤを同一視するのは誤り。ヤクザは人気商売であり、「裏のサービス業」でテキヤは売る商品をもっている。
テキヤが自衛のために団結して組織したのが「神農会」。テキヤは自らを神農と名乗る。そして神農を崇(あが)める。テキヤの業界を神農会という。
テキヤは個人事業主なので、労災や保険という問題がある。なので、まともに日本に来ている外国人は難しい。
日本人の若者がテキヤに入門することはない。テキヤは若い人たちの憧(あこが)れの職業ではない。拘束されるのを嫌がる。
テキヤの商売ができる場所が少なくなっている。
テキヤは前科があって生き辛い人たちにとってのセーフティネットになりうる。そして、「この商売、いつまでもやってんじゃねえぞ。どんどん辞めてけ。カネ貯めたら、すぐに辞めろ」でいい。著者は、このように提言しています。同感です。
昔、私の子どものころ、筑後平野の夏の夜の風物詩として「よど」があっていました。お寺や神社の境内に何日間か夜の露店が立ち並ぶのです。よくヒヨコが売られていました。カラーヒヨコで、大きくなっても卵を産まないオンドリになるだけ...。そんな夜の世界があって、子どもに夢を与えてくれるものがあったらいいですよね。
(2023年2月刊。税込1034円)
2023年3月25日
あつまる細胞
人間
(霧山昴)
著者 竹市 雅俊 、 出版 岩波科学ライブラリー
私は1月半ばに「ゲタ骨折」しましたが、1ヶ月以上たっても骨がくっつかないままです。
ところが、この本によると、動物の体の複雑な構造は、細胞自身が自律的につくり出すとしています。つまり、細胞は勝手に集まるというのです。
そこにカドヘリンが登場します。著者が命名しました。今や、ヒトでは20種類以上のカドヘリンが発見されている。カドヘリンは、細胞と細胞をくっつける。体を構成する細胞は、三つのカドヘリンのどれかをもっている。
カドヘリンの立体構造を眺めると、細胞外領域は五つの単位に分割されていて、ちょうど五つの団子を串刺ししたような形になっている。そして、この串が弓のようにしなっている。
カドヘリンは、柔らかい細胞膜どうしを糊づけしているわけではなく、その裏側にあるアクチン骨格(細胞膜より固い構造)どうしを結びつけている。
軸索が目標の神経細胞に到達したとき、そこでシナプスが形成される。このシナプスの形成にもカドヘリンが関与している。
近年、カドヘリンの世界はもっと複雑であることが分かってきた。カドヘリン「のような」タンパク質が多数見つかっている。
そして、結局、カドヘリンとは、たまたまカテニンに結合することにより、「接着分子」としての地位を確立した分子なのだ。
E-カドヘリンは、発がんという、がんのもっとも本質的な過程にも関与する。
一定の条件があれば、E-カドヘリンを失った細胞はがん化することから、このE-カドヘリンにはがん発症を抑制する機能があると推定できる。
細胞が自然に集まっているのであれば、私の「ゲタ骨折」も、いずれゆっくり骨が癒合してくれることでしょう。それを期待して、ギプスなしの生活を続けます。
(2023年1月刊。税込1870円)
2023年3月24日
スマホを捨てたい子どもたち
人間
(霧山昴)
著者 山極 寿一 、 出版 ポプラ新書
ゴリラ研究の第一人者である著者が人間の子どもについて深く考察している本(新書)です。
初めのところで私と共通するところがあり、驚き、かつ、うれしくなりました。つい、そうだ、そうだと叫んでしまいました。
ガラパゴスと言われる古いケータイをいつもカバンの中に入れて持ち歩き、かかってきても音が聞こえない。自分勝手で申し訳ないけれど、ケータイをオープンにしたら、とても自分の時間をもてない。現代の情報化社会で、それが自分を守る方法。
私の場合には、オープンにしたところで、それほど電話がかかってくるとは思いませんが、ともかく縛られたようになる気分が嫌なのです。スマホなんて、持ち歩きたくありません。
スマホを使えば友だちと交信できるし、世界とも仲間ともつながっている感覚がもてる。でも、本当の意味で、人々は世界とつながっているのだろうか...。
著者と同じ疑問を私も抱いています。
世の中で何か事件が起きると、したり顔で素早く論評する人の何と多いことでしょう。でも、論評の対象となった事件の本質はまだ十分に知らされていないことが多いと思います。そんな段階の論評って、いったいどれだけの価値があるのか、私には疑問です。そして、避難・攻撃に走って快感を得ようとする人があまりに多いように思えます。ちょっと異常な社会になっていませんか...。
人間と動物の出会い、人間同士の関係は、次に何が起きるか100%予測することができないからこそ、面白い。この面白さが生きる意味につながる。今、多くの人間が見失っているのは生きる意味ではないか...。
人間は情報化することで、逆にバカになった。情報化するというということは、分からないことを無視するということ。だから...。
人間がほかの動物と異なるのは文化をもっていること。
フィールドワークするときの4つの心得。その1、動物になりきる。人間であることを忘れる。その2、動物の感覚で自然をとらえる。その3、動物と会話して気持ちを通じ合わせる。その4、そこに降ってわいてくる新しい発見をつかむ。
なるほどなるほど、でも、実際に実践するとなると、大変難しい心得ですよね。
ゴリラと出会うと、「ウホウ」と呼びかけられる。それに対して、「グックフーム」と返す。これで、「ぼくだよ」と答えたことになり、ゴリラは安心する。「ダメ」と言いたいときは、「コホッコホッ」と咳のような音声を出す。変な返事をすると、ゴリラは「オッオッ」という声を出して怒る。
ゴリラは、何の挨拶もなしに2メートル以内に近づいたら、身体が「えっ、何かおかしいぞ」と反応する。
ゴリラは年齢(とし)の序列で優劣をつけない。
シルバーバック(ゴリラのオスの大人)は自分から子どもを育てにはいかず、子どもが来るのを待っている。白い背中はメスのためでなく、子どものため。白いと暗いジャングルでも目立ち、子どもたちは、白い背蟹を目印にしてついて歩いていける。休憩するときには、白い背中に惹きつけられるように寄っていって、この背中を枕にして寝る。シルバーバックの背中は子どもたちの憧れの場所。シルバーバックの白銀の毛は、背中からお尻、後ろ足のほうへと、年齢(とし)をとるごとに増えていく。こうして、ゴリラのオスは、年齢をとっても群れから追い出されることなく、子どもたちのアイドルであり続ける。
ゴリラは、近くで同じものを食べていて楽しい気分になると、ハミングして同調しあう。
ゴリラが何かしようとするときは目を見ればわかる。何かイタズラしようというときは、目がキラキラ光っている。これって、人間の子どもも同じですよね...。
人間の赤ちゃんは、体の成長を犠牲にして脳を発達させている。
家族をもっているのは人間だけ。ゴリラは単独の家族のようなものはもっていても、それが複数で集まることはない。チンパンジーは、複数のオスやメスが集まる地域共同体のようなものはあるが、家族はもたない。
人間の社会性は、食物を運び、仲間と一緒に安全な場所で食べる「共食」から始まった。ニホンザルは、基本的に食物を分配しない。チンパンジーやゴリラは食物を分配する。
食物の分配は、知性の高さではなく、子育ての負担の大きい社会で起こる現象。
学ぶのはどんな動物もしているが、教えるのが出来るのは人間だけ。
人間は日本の足で立つことによって上半身と下半身が別々に動くようになり、支点が上がり、身体でいろいろな表現ができるようになった。言葉的な身体を手に入れた。
人間は、成長過程において、生物学的に弱い時期が2回ある。第一は乳離れの時期。もう一つは、思春期スパートと呼ばれる10代半ばから後半にかけて。
さすがに考えさせられる指摘が山ほどありました。
スマホに頼り過ぎてはいけないと、著者は最後に強調しています。まったくそのとおり、と、スマホをもたない私も声を大にして叫びます。そして、本を読むことをすすめています。これまた、同感です。いい本でした。
(2022年10月刊。税込946円)
2023年3月23日
亡命トンネル29
ドイツ
(霧山昴)
著者 ヘレナ・メリマン 、 出版 河出書房新社
かつて、ドイツは東西、2ヶ国に分かれていた。ベルリンにも東西があり、そびえ立つ壁で遮断されていた。この本は、そんな壁の下にトンネルを掘って、東から西へ脱出するのに成功した人々の苦難の取り組みを改めて掘り起こしています。
ときは1962年夏のこと。1962年9月14日、トンネルを総勢29人の東ドイツ市民が西ベルリンへの脱出に成功した。
すごいのは、このトンネルは4ヶ月間、学生を中心とするボランティアのグループが機械ではなく、手で掘りすすめていたこと、トンネルの長さは122メートル(400フィート)あったこと、そして、掘り進む途中からアメリカの報道機関NBCが撮影していて、脱出成功の瞬間も映像として残していること、これだけ大がかりの脱出なのに、東ドイツの秘密警察シュタージに発覚しなかった(別のトンネルは発見され、40人が逮捕)こと、です。
380頁もある大作なのですが、シュタージへの情報提供者(つまりスパイ)がトンネルを掘るグループに潜入していて、シュタージへ情報を流していたので、そのスパイとの駆け引き、トンネルを掘りすすめる苦労話などがあって、手に汗握るほどの臨場感があり、車中と喫茶店で一気読みしてしまいました。
東ドイツでは、シュタージへの情報提供者は17万3000人にのぼった。東ドイツの人口の6人に1人は「スパイ」だったというほどの密度だった。たとえば東ドイツの教会指導者の65%がシュタージの協力者だった。
東西ベルリンを分断する壁がつくられたあと、1961年末までに8000人が西側への脱出に成功した。うち77人は国境警備兵だった。
NBCはトンネルを撮影したが、トンネルがあまりに狭いため、持ち込めるのは、最小・最軽量のカメラだけで録音できなかった。そして、カメラは150秒分のフィルムしか使えなかった。
シュタージの前に連れてこられた人間は、それまで誇りと自信にみちていたのが、たちまち自分はとるに足らない人間、人でなしの無価値な人間だと思うようになった。昔からの価値観がガラガラと音をたてて崩れ去っていった。そして、尋問官自体が、別の尋問官から「のぞき見」され、監視されていた。
東ドイツの政権が倒れていくなかで、市民は自由に東西を往来できるようになり、ついで壁自体が破壊され、ついに撤去されたのです。映画『大脱走』(スティーブン・マックイーン)は捕虜収容所からトンネルを掘って救助されたというストーリーだったように思います。
それにしても、市民監視の網の目のこまやかさには驚嘆するほかありません。最後まで面白く読み通しました。私もドイツのベルリンに一度だけ行ったことがあります。大きなブランデンブルグ門を見学し、ここらに壁があったと言われましたが、もちろん何もなく、想像できませんでした。
(2022年10月刊。税込3740円)
2023年3月22日
台湾の少年(1~4)
台湾
(霧山昴)
著者 周 見信 ・ 游 珮芸 、 出版 岩波書店
日本統治下の台湾で少年時代を過ごした蔡(さい)焜霖(こんりん)は、だから日本語ペラペラです。
日本敗戦後、蒋介石の国民党軍が中国本土から台湾に渡ってきます。毛沢東の中国共産党軍に敗北したためです。そして、台湾を反共の砦とすべく、厳しく民衆を弾圧しはじめました。
蔡少年は台北一中のとき自主的な読書会に誘われ、社会と文化に目を開いていきます。そこには何の思想的背景もありませんでした(少なくとも蔡少年には...)。ところが、それが国民党政府からスパイ罪に該当するとして逮捕され、懲役10年の実刑。台湾の南島部にある小さな緑の島に流され思想改造を迫られます。なんとも理不尽な弾圧を受けるのです。「蔡少年」の仲間が、何ら正当な理由もなく本土へ戻され何人も銃殺されてしまいます。
やがて蒋介石も息子の蒋経国も亡くなり、「蔡少年」は台湾に戻ります。ところが、戻ってから父親は「蔡少年」が緑の島へ送られまもなく自死しているのを知らされます。そして、台湾に戻ってからも、緑の島に何年もいた前科者として就職するのは容易なことではありませんでした。
やがて縁あってマンガ本を出す出版社に就職。このころの台湾では、日本のマンガを少し変えただけのマンガ本が流行していました。
「蔡少年」(大人になっています)は、マンガ本ではなく、子ども向けの教育雑誌「王子」を創刊します。目新しく、宣伝上手なこともあって、大いに売れます。ところが、二度の大洪水で被害にあい、うまくいっていた会社は倒産。破産して一からやり直しです。
しばらく浪人していると、拾う神ありで、広告会社をまかされ、やがて実力を発揮して副社長になります。
こんな台湾の少年ストーリーがマンガで描かれます。よく出来たマンガ(絵)なので素直に感情移入ができ、1巻から4巻まで一気に読み上げました。というか、実在の人物の話なので、いったい、このあとはどうなるのだろうと、外の仕事は手につかず、そっちのけで読みふけったのです。
「蔡少年」は仕事をやめたあとは、1950年代の白色のことをボランティアとして若い人たちに語りつぐ仕事に没頭するようになりました。虐殺された被害者の氏名が刻まれた碑の前に立った「蔡少年」は、「許しておくれ。生き残ったくせに、ぼくは努力が足りなかったよな」と謝罪します。いえいえ、決して「蔡少年」は何も悪くない、そして努力が足りなかったわけでもありません。
緑の島にいた10年間について、「蔡少年」は、子どもたちには「日本に10年間も留学していた」と嘘ついていました。でも、ある日、本当のことを告げて、子どもたちと一緒に緑の島へ渡るのです。この本を読んで救いを感じるのは、このところです。
今では台湾は国民党と民進党とが平和的な政権交代ができるようになっています。かつてのような反共主義で軍部独裁のテロが荒れ狂う島ではありません。そんな台湾の痛みを伴う歩みをマンガを通じて学ぶことのできる本です。
ぜひ図書館で借りるなりしてご一読ください。強くおすすめします。
(2023年1月刊。2640円)