弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2023年10月 1日

ロンドン・デイズ

人間


(霧山昴)
著者 鴻上 尚史 、 出版 小学館

 大学生のころから演劇界に入り、俳優そして演出家として活躍していた著者が40歳になる前、イギリスはロンドンにある演劇学校に入り、勉強しようと一念発起してからの1年間の、涙ながらの苦労話です。
 文化庁の「芸術家在外研究員派遣制度」の適用を受け、1日1万円、350万円がもらえる。ただし、1年間、仕事をして収入を得てはいけない。授業料は1年間で170万円。ロンドンは家賃が高くて、週に1回、芝居なんか見てたら、アシが出る。
 ロンドンでは、まずは英語学校に入る。英語は読めるし、英作文もそこそこ出来る。でも、肝心な聞き取りがまるでできない。
 ところが、1ヶ月したら演劇学校の授業に参加する。周囲の生徒はみな若い。20歳くらい。そして、聞き取れない。演劇の稽古場で、いくら見学しても、肝心なことは分からない。
人は、見学している人間に心を開かない。一緒に汗を流し、苦しみ、喜んだ人間にだけ、本当のことを語る。
 難しいことや複雑なことを話すときは、みなゆっくり話す。しかし、簡単なこと、慣用的な言葉を話すときのスピードは上がる。だから、聞き取れない。
演出家を長く続けると、その中に没入するのでなく、常に全体を見る視点を持ってしまう。こういう男と付き合った女性は、不幸だ。
やがて辞書を教室に持ち込むことをあきらめた。辞書を引いていたら、話についていけない。
俳優を志望する人には必ず新聞を読むようすすめる。新聞も読まないような人間とは一緒に仕事したくない。
「英語の戦場」にいた。戦場では、心底、気を抜くことができない。つまり、いつ襲われるかもしれないと緊張している。
欧米社会では、人間の名前を覚えることを大切にしている。
英語の勉強は、7割が聞くこと。あとの2割がしゃべることで、残る1割は読むこと。書くことは無視していい。
 私は長くフランス語を勉強していますが、やはり聞くことは大切だと思います。相手が何と言っているのか聞き取れなかったら、会話は成り立ちません。それで、聞き取り、書き取りを毎朝しています。
 自分の体と声を使って、自分を表現する楽しみを知ることができるのが、演劇の時間なのだ。
ロンドンの演劇は、中流から上流階級に向けてのもの。
 イギリスでは、労働者階級に生まれたら、一生、労働者階級。上流階級に生まれたら、何もしなくても一生、上流階級だ。
 イギリスは、徹底した階級社会。話す言葉を少し聞いただけで、その人がどの階級に属しているかが分かる。映画「マイ・フェア・レディ」の世界が今も生きているのですね...。
 イギリスで標準英語(RP)を話すのは全人口の1割以下。日本のように標準語が全国あまねく話されているのとは勝手が違うようです。
今から20年以上も前に刊行された本ですが、ずっとずっとフランス語を勉強している割には、今なおまともにフランス語が話せない私ですので、「そうそう、分かる...」と思いながら読み進めました。ひとつでも外国語ができると、世界が広がるのです...。
(2000年3月刊。1600円+税)

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2023年9月30日

「私は魔境に生きた」

日本史(戦前)


(霧山昴)
著者 島田 覚夫 、 出版 ヒューマンドキュメント社

 日本の敗戦も知らず、ニューギニアの山奥で原始的な生活を10年も過ごしていた元日本兵の体験記です。
 原始的な生活といっても、最後のころは、現地の人々と交流もあり、山中で狩りをし、川で魚を釣り、畑で野菜をつくって自給自足生活していましたから、「魔境」から出てきた直後の上半身裸の写真をみると、いかにも健康体です。やせおとろえている姿ではありません。ただ、歯には困っていたようです。歯って大切なんですよね。
 著者たちは1943(昭和18)年11月、第四航空軍の一員として、ニューギニアのブーツに上陸した。1945年8月15日の日本敗戦を知らず、そのまま奥地にじっと潜んでいて、1954(昭和29)年9月、現地の村人からの通報によってオランダ官憲に収容され、翌1955(昭和30)年3月、日本に帰還した。
 ニューギニアへの輸送船団は、1943年3月、アメリカの攻撃によって壊滅的な打撃を受けた。第18軍は、人員7300、輸送船8隻、護衛駆逐艦8隻、護衛機のべ200機だった。そのうち、輸送船全部、駆逐艦3隻が沈没し、3664人が死亡した。
ニューギニアではマラリアが猛威をふるい、食糧不足によって兵隊の体力はおとろえていた。
 1944(昭和19)年6月、密林のなかでの籠城生活が始まった。このとき、総人員は17人。第209飛行場大隊。そのなかには、大牟田市大黒町出身の沼田俊夫兵長もいた。この本の著者は曹長。沼田兵長は籠城生活の初期にアメリカ軍と遭遇して戦死した。その遺骨は後で回収されている。
 日本敗戦時(1945年8月)には、当初17人いたのが、8人にまで減ってしまった。食料は乏しく、水も天水に頼った。散髪、ヒゲそりにも困った。柱時計のバネを砥石で研ぎあげて、刃物として、頭を痛い思いで丸ゾリした。マッチがないので、メガネのレンズ2コのあいだに水を詰め、「レンズ」として、枯葉にあてると煙を出して燃えはじめた。ただし、太陽がいるときだけ、朝や曇り空では役に立たない。
 蛙や蛇も取って食べた。蛇は「山うなぎ」と名付けた。元兵士たちはマラリアにかかって次々と死んでいった。
 甘藷(サツマイモか・・・)とタピオカそしてパパイヤの栽培に取り組んだ。バナナがとれるようになったが、甘いバナナは、それだけでは甘過ぎて、食べられなくなった。
 人間の体重を測るための大きな秤(はかり)をつくった。分銅は石で、20貫まで測定できた。これによって、毎日、4人の体重を測定して、健康を管理した。いやあ、これには感動しましたね・・・。さすが日本人です。
 現地の人々との交流が始まったのは、1951(昭和26)年5月のこと。7年ぶりに、自分たち4人以外の人間だった。どうやって会話したか。お互いにまったくコトバが通じない。そこで、日本人同士で一つの芝居をする。尻上りのコトバで名前を質問している光景をつくって、名前を聞いていることを分からせる。そして、「コレは何か?」という質問ができるようになり、品物の名前が次々に判明していった。なーるほど、こんなやり方で、少しずつ時間をかけて根気よくマレー語を身につけていったのでした。
 現地の人々と交流できるようになると、栽培する野菜がどんどん増えていきます。残った元日本兵4人はきっと性格も良かったのでしょう。現地の人々との交流は秘密保持を前提として続いていきます。でも、何年もすると、その秘密は次第に村から村へと広まっていきました。というのも、元日本兵たちは、現地の人々のもつ蛮刀を修理して、ピカピカのよく切れるものにしていったから、それを知り、うらやましく思った他村の人が、問い詰めるのは当然のことです。そして、ついには日本人の存在はオランダ官憲の知るところになったのです。
 ニューギニアの密林で、元日本兵4人が10年も生きのびた理由、その苛酷な状況がよく分かりました。貴重な手記です。
1986年8月刊。2000円)

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2023年9月29日

決別。総連と民団の相克77年

社会


(霧山昴)
著者 竹中 明洋 、 出版 小学館

 総連も民団も、今や日本社会ではあまり目立たない存在になってしまいましたよね。
 私が弁護士になった50年前のころ、総連の役員は肩で風を切る勢いがありました。それは郷里の福岡に戻ってきてからも同じです。小さなパチンコ店が駅前だけでなく、あちこちにあり、繁盛していましたし、焼肉店や材木店にも「在日」の経営者はたくさんいて、私の依頼者にもなってもらいました。職業としては、医師や弁護士そして金融業をしている人も少なくありませんでした。
 大学生のころ、朝鮮大学校の学生との交流会に参加したことがあります。そのころ、のほほんとした学生生活を送っていた私には、朝鮮人として自覚しながら日本でいかに生きていくかを模索しているという話を聞いて、ぶったまげた記憶があります。
 かつて在留外国人の大半が韓国籍や朝鮮籍だった時代、総連と民団は日本において絶大な影響力をもっていた。二つの組織の対立が生み出すダイナミズムは戦後日本社会のひとつの軸をなすほどだった。
 2021年3月、国籍別の在留外国人数において、中国に続いて2位だった韓国はベトナムに抜かれて3位となった。順位の変化は「在日」の地盤沈下を意味している。
 総連とは在日本朝鮮人総連合会で、民団とは在日本大韓民国民団のこと。
 1960年代初期、日本社会には「三そう」というコトバがあった。総評(日本労働組合総評議会。今の「連合」の前身だが、そのイメージはまったく異なる)と創価学会そして総連だ。
 総連は「在日」の人々を北朝鮮へ帰還させる運動を大々的にすすめた。9万3000人もの「在日」の人々が北朝鮮へ渡った。「地上の楽園」のはずが、現実には悲惨な生活を余儀なくされた。
 金正恩と妹の金与正の生母(母親)は高英子(ヨンジャ)、大阪にいた高京澤の次女である。しかし、最高指導者(金正恩)の母親が「在日」だったことは北朝鮮ではタブーになっている。
松本清張に『北の詩人』という小説があります。主人公の詩人・林和(リムファ)は南朝鮮労働党の主要メンバーだったが、1947年に北朝鮮に入り、朝鮮戦争後に朴憲永らとともにアメリカのスパイだったとして処刑された。この本の著者は、松本清張に材料を提供して書かせた勢力がいたのではないかとしています。私が今も尊敬する松本清張にしても、北朝鮮の思惑にからめとられてしまったようなので、残念です。
金大中事件が起きたのは1973(昭和48)年8月のこと。東京のホテルグランドパレス22階の部屋を出たところを拉致され、船で韓国へ連行された。犯人はKCIA。私が弁護士になる前の年のことです。日本中を騒然とさせました。
そして、翌1974(昭和44)年8月、「在日」の文世光による朴正煕大統領襲撃事件が起き、朴夫人が死亡した。文世光が使った拳銃は、大阪の交番から盗まれたものだった。文世光は裁判で有罪となり、1974年12月、死刑が執行された。果たして、北朝鮮そして総連が文世光に朴大統領暗殺を指令したのか、どんなメリットがあるというのか...。むしろ、事件はKCIAのデッチ上げではないのかという疑問があるようです。世の中は疑問だらけですね...。
 日本人青年の拉致事件の大半は、1970年代の後半に集中している。1974年の文世光事件のあと、日本では総連の取り締まりが強化された。そこで、韓国へ潜入するには、より完璧な日本人になりすますしかない。そのため、日本人化教育が必要であり、教師役となる日本人が必要となった。
 また、韓国のKCIA側でも、朝鮮大学校に潜入して学生になった人がいたり、朝鮮総連の幹部になって、北朝鮮に行って対南工作の教育まで受けた人がいたという。
 「在日」のなかでも超有名人はなんといっても力道山(百田光浩、金信洛)と美空ひばりですよね。この本では、力道山の争奪戦の模様が明らかにされています。
 朝鮮大学校の実情、そして朝銀の破綻など、興味深いのオンパレードです。
 たとえ日本の国籍をとっても、自分はあくまで韓国人だ、朝鮮人だという感覚はフツーなのではないでしょうか。アメリカ国籍をもつ日本人はやはり日本人なんです。そこに、まったく違和感はありません。また、納税したら選挙権をもつのは当然だと思います。義務があるのに権利がないなんて、おかしいですよ。大変勉強になる、刺激的な本でした。
(2022年9月刊。1800円+税)

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2023年9月28日

岐路に立つ資本主義

社会


(霧山昴)
著者 戸田 志郎 、 自費出版

 A4サイズ224頁の堂々たる研究書です。豊富なデータをもとにした解説と論述なので、とても説得力があります。実のところ、A4サイズにぎっしりと字が詰まっていますので、難しければ読むのを途中で止めようと思っていて、ほとんど期待せずに読みはじめたのでした。ところが、どうしてどうして、第1章のアメリカ資本主義の分析から始まるのですが、実に興味深い分析に満ち充ちているのです。
 たとえば、オバマ大統領は、目玉政策の国民皆保険制の実現を、アメリカ国際的医薬資本・ビッグファーマ、巨大医療保険、巨大病院チェーンの反対圧力の下で放棄せざるをえなかった。なぜか...。アメリカの医療費の高さは世界的にみて突出している。医薬資本、医療保険、病院チェーンの世界最大規模の政治資本金支出は巨大ITのGAFAを上回っている。
 近年、地域医療に貢献してきた総合病院は年間100件のペースで買収され、今や全米各地で巨大資本による買収・統廃合が進み、農村部では次々に病院が消えてなくなり、アメリカの内陸部には「病院砂漠」が広がっている。
 こんなことを聞くと、マイケル・ムーア監督の映画『シッコ』を思い出します。アメリカにもメディケアやメディエイドという仕組みはありますが、結局のところお金がない人はあとまわしにされ、「自己責任」と医療保険が大手を振るっています。アメリカでは国民皆保険の実現を唱えるだけで「アカ」(共産党)呼ばわりされるのです。その論法からすると、アメリカ人にとって、イギリスもフランスも「アカ」の国になってしまいます。
 アメリカのGDPに占める製造業の割合は1953年の28.1%から、2019年には10.9%にまで低下した。そして、民間就業者のなかの製造業就業者の割合は、1953年に32.1%だったのが、2019年には、わずか8.6%のみになった。
 製造業の衰退は不安定雇用の拡大と所得格差の拡大の原因になっている。そんななかでの希望は、アメリカでは労働組合が団結力を復権させつつあること。2021年に200件をこえる労働組合がストライキに突入した。アメリカにおける労組の加入率は11%と戦後最低だけど、労働組合に肯定的なアメリカ国民は68%と、1965年以降では最高水準となった。しかも、10代から20代では78%に達する。
 先日、新宿の百貨店(デパート)がストライキに突入しました。日本でストライキがニュースとなって報道されたのは久しぶりのことです。ところがこのストライキに上部団体の「ゼンセン」も連合も、会長をはじめとする執行部は誰も現場に出かけて応援すらしていません。実に情けないことです。こんなことでは労組連合体の存在意義がありませんよね。
 次は、ドイツ、日本そしてロシアが分析の対象になっていますが、ここでは先を急いで中国をみてみます。私も中国には何度も行ったことがあります。北京、上海、重慶そして大連などの主要都市を歩くと、とてもここが「共産主義の国」とは思えません。
 著者も「そもそも中国は社会主義なのか、資本主義なのか」を考えています。その答えは、「政治は社会主義、所有制度は混合、その特性は資本主義」です。そして、中国の資本主義は「地域分散型複合型資本主義」と呼ぶのがふさわしい。国家の関与が強い混合経済体制であり、国家資本主義と呼ぶにはいろいろな所有形態が併存しているし、大衆資本主義と呼ぶには国有企業の影響力が強すぎる。
 中国は2021年の世界GDP比は18%で、アメリカの24%に次ぐ。今や中国は世界最大の輸出国。中国の総人口は2019年に14億人をこえた。やがて2位のインド13億人に抜かれると予測されているようですが...。人口増は、長寿化による。平均寿命は1981年に男66.3歳、女69.3歳だったのが、2015年には男73.5歳、女79.4歳と大きく伸びている。
中国でなぜ共産党の一党支配体制が続いているのか...。
 ①共産党が膨大な資源を投入して治安維持につとめている。②共産党は人々の不平不満を力で押さえつけたばかりでなく、それ以外にもさまざまな政治的努力を積み重ね、新規エリート層の政治取り込み、一部民衆の利益に配慮した政策形成メカニズムの整備、改善を進めてきた。③支配の安全弁として何より重要な貢献したのは経済の高度成長。④共産党がイデオロギーと連帯について、絶えず見直をし、勤労者の党から全人民の党へ自己変革を遂げてきた。
 中国にはシャドーバンキングと呼ばれる金融システムがある。このシャドーバンキングは融資全体の3割近くを占めている。15兆元から20兆元という巨大な金融システム。
 中国では、スマホの普及により、QRコードの決済が主力商品となっている。ユーザー数は10億人、稼働ユーザーは7億人をこえている。2020年6月までの1年間の決済全額は、実に118兆元になる。中国では、今やちょっとした買物までスマホ、QRコードによるようですね...。
 中国の国有企業はピーク時には11万社あったが、今は2000社を切るまでに激減した。
 中国では、都市住民と農村住民は戸籍が異なっている。この農村戸籍と非農業戸籍を廃止して統一するという計画が進行中。そして中国人は国による社会保障を受け入れ、96.3%が加入している。
ここでは、ドイツ・ロシアそして日本の分析は割愛します。この内容をもっと一般向けにイラストを入れたり、かみくだいて読みやすくしたら、それなりに売れる本になると思います。
 著者は国民金融公庫で長くつとめていましたので、企業経営分析を得意とされたと推察します。贈呈していただき本当にありがとうございました。
(2023年6月刊。非売品)

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2023年9月27日

日本語の発音はどう変わってきたか

社会


(霧山昴)
著者 釘貫 亨 、 出版 中公新書

庭をヒラヒラと舞い飛ぶチョウチョ(ウ)を、昔は「てふてふ」と書いていた、というのは有名な話です(きっと今どきの若い人は知らないのでしょうね...)。
平等、如来(にょらい)、男女(なんにょ)、これら仏教用語は呉音(ごおん)。仏教を中心に、5~6世紀の中国六朝時代の漢字音のこと。8世紀の唐代長安音は漢音(かんおん)。   
漢音は、内裏(だいり)、図書(としょ)、経典(けいてん)、古文(こぶん)など。日本を「にほん」「にっぽん」と読むのは「日」を呉音で読んでいる。漢音では「日」は「ジツ」。ここから「ジパング」が出てくる。
奈良時代のハ行音はパ、ピ、プ、ペ、ポに近かった。古代日本語にhの音は存在しなかった。平安時代はじめの「ハ」の音は「パ」より「ファ」に近い音だった。戦国時代にやってきた宣教師によるキリシタン資料では、鳩はファト、光はフィカリと表示されている。
平安朝の桓武天皇は、呉音ではなく漢音を学ぶよう命じたが、失敗した。呉音は、仏教と日常生活に染みついていたから。
東京語が成立したのは明治30(1897)年ころ。江戸末期までは混乱していた江戸東京方言がようやく東京語に集約した。
漢字、ひらがな、カタカナそしてローマ字と、日本の文章には4種類の文字が混在している。これほど複雑な文字体系は世界に類をみない。このような世界一複雑な日本語の文字体系は平安時代に始まった。
9世紀半ば以降、日本の知識人は、漢字漢文、ひらがな、カタカナを自由に使いこなしてきた。
藤原定家は、和歌を書くのに総仮名を漢字かなまじりに変えた。歌意の理解のしやすさを重要視した。
この本によると、五十音(あいうえお)は純日本製だと思っていると、実はインド製だそうです。円仁がインド人僧(宝月三蔵)が口伝を受けて日本にもち帰ったというのです。
英語で「円」をyenと表記するのは、日本人が「y音」を自覚しないまま、「え」を「yen」と発音しているからだというのにも驚きました。日本語にまつわる面白い話が満載の新書です。
(2023年7月刊。840円+税)

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