弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2025年7月 1日
沖縄戦
日本史(戦前)
(霧山昴)
著者 林 博史 、 出版 集英社新書
第二次世界大戦(太平洋戦争)のとき、沖縄で多くの人が亡くなりました。もちろん上陸してきたアメリカ軍の砲撃によって殺された人もいますが、日本軍によって殺された人も少なくなかったこと、また、日本軍から自決死を強いられた人々も多かったことを明らかにした本です。
当時の沖縄県の人口は60万人で、うち8万人は県外に疎開していたので、50万人が戦争に巻き込まれた。その結果、沖縄県民は軍人軍属、民間人あわせて12万人から15万人が亡くなった。つまり沖縄に残っていた人の3分の1が亡くなったということ。しかも、民間人のほうが軍人の死者を上回っている。なお、本土出身の軍人やアメリカ軍人をあわせると、死者は20万人をこえる。
沖縄戦において重要な事実は、日本軍が多くの沖縄県民を殺害したこと。スパイと疑われて多くの沖縄県民が日本軍から殺されている。この事実を文部省(今の文科省)が歴史の教科書から削除しようとしたのを知って、沖縄県民総ぐるみの抗議によって削除を止めさせた。ところが、日本軍が住民に「集団自決」を強制させた事実については今日なお教科書から削除されたまま。
集団自決については、中国本土で残虐な行為をしてきた沖縄出身の兵士たちが自分たちが中国でしたことを語り、敵(アメリカ軍)に捕まったら自分たちも同じことをされる、「鬼畜」の米兵なら、もっとひどいことをするだろうと恐怖心を煽(あお)ったことも背景にあった。
アメリカ軍が上陸したあと、多くの住民がアメリカ軍によって保護されていることを知っていた日本軍(第32軍)や県(県知事)は、彼らをスパイだと警戒するように、南部に避難していた日本軍の将兵や民間人に繰り返して宣伝した。その結果、壕に隠れていた年寄りを日本軍(第24師団)が引きずり出して斬り殺してしまった。軍と警察が一体となった活動によって、住民・避難民は食料がなくなってもアメリカ軍に投降することもできず、飢えとマラリアで苦しみ、犠牲者を増やした。
アメリカ軍に保護された女性や子どもたち十数人が日本兵によって浜辺に集められ、手榴弾を投げ込んで殺したという事件も起きている(5月12日、大宜味村渡野喜屋)。また、日本兵は住民を銃剣で脅してイモなどの食糧を奪った。
日本軍は捕虜になることを許さなかった。そのため、沖縄戦でも多くの戦死者が出た。
沖縄戦では、アメリカ軍にも多数の死傷者を出したが、それだけでなく、兵士の精神にも深刻な打撃を与えている。アメリカ第10軍の戦死者は7374人、戦傷3万1807人、行方不明239人。しかし、このほか非戦闘死者2万6211人を出している。このなかに戦闘神経症による者も含まれる。たとえば、第一海兵師団第5連隊第3大隊K中隊の場合485人いたうち、作戦終了時に残っていたのは1割の50人だった。しかも、上陸時から最後まで残ったのは26人のみ。残りは戦死傷などで戦列を離れている。
海兵隊には戦闘経験のない補充兵がたくさん投入されていて、多くの死傷者を出した。
今はおもろまちは近代的な街並みになっていますが、そこにあった「シュガーローフ・ヒル」では、まさしく凄惨きわまりない死闘が日本軍とアメリカ軍によって延々と繰り返されたのでした。
1945年5月末の時点で、天皇も大本営も沖縄への関心を失って本土決戦の準備に移っていた。しかも、6月下旬には天皇は本土決戦を断念した(そんな準備は日本軍にないことを知ったから)ので、5月末の時点で沖縄の日本軍が降伏していれば、兵士たちを含めて10万人以上が死ななくてすんだはずなのです。
また、アメリカの学者によっても、沖縄で正面からの戦闘などする必要はなかった。沖縄を残したまま日本本土(九州)に攻め込んだほうが早く決着できたという説を読んだことがあります。つまり、シュガーローフ・ヒルのような正面からの決戦をすることにどれだけの意味があったのか、実はなかったのではないかという指摘です。なるほど、と思いました。
今また、「台湾有事」ということで沖縄や南西諸島がすぐにも戦場になるかのような雰囲気がつくられ、大軍拡がすすんでいます。でも、戦争にならないようにするのが政治の本来の役目ではありませんか。それを忘れてもらっては困ります。
(2025年6月刊。1243円)