弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2021年8月 1日

宇宙飛行士選抜試験

宇宙


(霧山昴)
著者 内山 崇 、 出版 SB新書

「こうのとり」の宇宙飛行に関わりながら、自らも宇宙飛行士として、子どものころからの夢を実現しようとした人による過酷な宇宙飛行士選抜試験の実情が生々しく紹介されています。著者は最後の10人の1人にまでは到達したのですが、残念ながら、最終合格できませんでした。このとき、油井飛行士が選ばれています。
どんなにハードな試験なのか...。
たとえば、エアーカロリック検査。これは、めまいを誘発させる検査。耳に温風(44度)、冷風(30度)を交互に1分間ずつ吹きかけるというもの。かつては、温風冷風の替わりに温水冷水を耳に注入したという。すると、突然、めまいが襲いかかる。ぐるぐるぐると、目が回り、止まらない。そして、深呼吸する。冷や汗をかいていることが自分でも分かる。このあと、回転イスに座らされる。回転イスの速度は1分間に4回転から始まり、5分ごとに速度が上がる。そして、指示に従って頭を倒す。めまいが起きる。瀕死の状態になる...。
うひゃあ、こ、これだけで、もう私は耐えられません。
そして、閉鎖環境試験。いやです、絶対に嫌。こんな試験は私は受けたくありません...。
隔離されたエリアに10人が1週間のあいだ寝泊まりし、ずっとずっとカメラによって監視され、いかも、いろんなタスク(注文というか指示)が課せられます。腕にはアクチグラフという腕時計のようなものをつけさせられ、24時間、活動状況が記録される。部屋には複数のカメラが常時、記録している。すべての発言と行動が監視され、記録される。いやはや...。
シャワーは1人10分。消灯は12時、起床は6時。課題は、たとえば、1日に1時間、4日間で、ひとり100羽の鶴を折る。むむむ、これは、簡単そうで、実は難しい...。
そして、質問を受ける。10人のなかで、選ばれたチームは3人だとして、一緒に組みたい2人は誰。組みたくない2人は誰。その理由は...。
いやはや、これも答えるのが難しいですよね。
宇宙飛行士の選抜試験は、日本(JAXA)は、応募者963人で合格者は3人。
カナダは、応募者は5350人で、合格者2人。日本より10倍もヨーロッパは応募者
8413人、合格者6人。日本は宇宙飛行士になりやすい国かも...。
宇宙飛行士になる試験とは、どんなに苦しい局面でも決してあきらめず、他人を思いやり、その言葉と行動で人を動かす力があるか。その「人間力」を徹底的に調べあげる試験。著者は、最終合格こそしなかったものの、これは、宇宙飛行士として生きる「覚悟」と、ミッションを共にする仲間と築く「信頼」こそが宇宙飛行士として求められている、としています。
今では30億円も出せば、宇宙観光に行けるようです(宇宙に出るだけなら2800万円ですむとのこと)が、宇宙飛行士になるには、そんな巨額のお金ではない、お金に替えられないものが求められるということがよく分かる本でした。若い人には、日本人に限らず、ぜひぜひ挑戦してほしいですよね...。
(2020年12月刊。税込990円)

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2021年8月 2日

摩訶不思議な生きものたち

生物


(霧山昴)
著者 岡部 聡 、 出版 文芸春秋

私は日曜日の夜、録画した「ダーウィンが来た」をみるのを楽しみにしています。生物界の神秘の映像を茶の間で気楽にみれるなんて、実にすばらしいことです。でも、みながら、こんな映像を撮っているカメラマンたちスタッフの苦労にときどき思いを至します。
著者は、そんな生物ドキュメント映像を撮るために40ヶ国に出かけ、100種以上の動物に出会いました。そのなかで、何度も怖い目、死んで不思議がないような体験をしています。野生のトラがすぐ目の前にきていたなんて、怖すぎます。
モーリタニアでは野生のハンドウイルカが人間のボラ漁を手伝うのです。イルカだって利益があります。イルカは、人間が投げた網に驚いて逃げるボラを捕まえようと、人間のほうにボラを追い込んでいた。
タテガミオオカミは、ロベイラという苦味のある果実を食べる。これは、タテガミオオカミの腎臓に線虫が寄生していて、放っておくと腎機能が低下して長生きできなくなる。苦いロベイラを食べることで、線虫を駆除している。つまりロベイラの薬効をタテガミオオカミは知って利用しているわけだ。
体長12メートル、重さ15トンにもなるジンベエザメは、クジラに次ぐ巨大生物。ジンベエザメには目立った歯はなく、食べ物は小さなプランクトン。大きな口を開け、海水ごと飲み込み、えらで漉(こ)しとって食べる。巨体を支えるのに必要な量の食べ物を得るため、1日にプール2個分もの膨大な海水をろ過している。
ジンベエザメの寿命は70年。地球上に棲むジンベエザメは、すべて一つの家族のようなもの。これは、世界各地のジンベエザメの遺伝子を比較して判明した事実だ。
オオアリクイには歯が一本もなく、舌が異様に長く、体温が哺乳類のなかで最低。オオアリクイはアリを主食とするが、決して食べ尽くすことはしない。こうやって決してなくなることのない安定した食料資源になっている。
オオアリクイは、舌全体の長さを35%も変化させることができる。口の先から舌を30センチ以上も外に出して、アリを舐(な)ととって食べる。舌を出し入れする速さは1分間に150回。1秒あたり2.5回。オオアリクイの舌から粘液が出て、アリをすくいとる。では、どうして、その粘液は口の周囲をベトベトにしないのか...。
オオアリクイの舌の粘液は、シロアリをくっつける瞬間には粘り気があるのに、口に戻ったときには粘着性がなくなる。
サルの親は子どもサルに食べ物を与えることはしない。積極的に与えるのは人間だけ。チンパンジーやオランウータンでも、そばにいる子どもが自分の食べているのを横から取ることを許すだけで、与えることまではしない。
フサオマキザルは、ヤシの実を石にぶつけてエサをとる。これには2年から4年以上もかかることがある。
面白い本でした。さすが「ダーウィンが来た」のディレクターだった人による本です。
(2021年4月刊。税込1760円)

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2021年8月 3日

女帝の古代王権史

日本史(古代)


(霧山昴)
著者 義江 明子 、 出版 ちくま新書

古代の大王(天皇)の即位年齢の高さには驚かされます。
継体58歳、用明46歳、天智43歳と、ほぼ40歳以上。女帝のほうも推古39歳、皇極49歳、持統46歳。
7世紀の末に、祖母である持統の強力な後見のもとで、文武(もんむ)天皇が15歳で即位するまで、6~7世紀の日本では、熟年男女による統治が続いた。というのも、このころ、日本は、中国・朝鮮諸国との対立・緊張関係のもとで、倭国が古代国家としての体制を確立していく激動期だったから、支配機構が未熟ななかで、大王には群臣を心服させるだけの統率力・個人的資質が必要だった。なので「幼年」の王はありえなかった。
欽明が31歳で大王に即位しようとしたとき、31歳では「幼年」なので、国政を担うには未熟とみられたと『日本書紀』に書かれている。斉明は即位したとき62歳、皇子の中大兄は30歳。
群臣が統率力のある大王を選ぶとき、男女がという性差は問題にならなかった。
卑弥呼が「共立」された3世紀から、連合政権の盟主が倭王となる4~5世紀を通じて、血統による王位継承は原則となっていなかった。王は、連合を構成する首長(有力豪族)たち(群臣)が選ぶものだった。
平城京の発掘がすすむなかで、内裏(だいり)のなかにキサキたちの居住空間、後宮殿舎に相当する建物は存在しないことが明らかになった。奈良時代の皇后・キサキたちは、内裏の外に独自の宮(宅・ヤケ)を営んでいた。そして、キサキたちは、それぞれ自分の宮で、自分の生んだ御子(みこ)を育てていた。
古代は、男女の合意による性関係が、すなわち婚姻だった。女性の合意がなければ、姧とされた。
古代の婚姻の基本は、妻問婚(つまどいこん)といわれる別居訪問婚。
8世紀ころまで、男女の結びつきはゆるやかで、簡単に離合を繰り返した。男が複数の女のもとに通う一方で、女も複数の男を通わせることのできる社会だった。
奈良時代の貴族男女は夫婦別墓を原則とした。それは、男女別々の公的「家」の維持をはかる国家の方針でもあった。
7世紀半ばまでの王宮は、新しい大王が即位するごとに新たな宮にうつった。これを歴代遷宮といった。大王ごとに政治基盤となる勢力が変動し、その本拠地が異なっていたからだ。
7世紀から8世紀初めにかけて、倭で推古、皇極(斉明)、持統、新羅で善徳、真徳、唐では則天武后と、女性の統治者が輩出した。しかし、その後は途絶えた。
7世紀と同じく、8世紀も男帝と女帝が、ほぼ交互に即位した。このとき、女はこれまでどおり熟年で即位し、男は年少でも即位した。熟年で即位し、経験を積んだ「女帝」が退位後も未熟で年少の「男帝」を補佐し共治するという形態は、持統が創始した。
女帝は決して、中継ぎの臨時的なものではなく、したがって名目的な大王ではなかったということが明快に解説されています。古代日本を知りたい人、「万世一系」の天皇制に疑問をもつ人には必読の新書だと思います。
(2021年3月刊。税込924円)

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2021年8月 4日

労働弁護士・宮里邦雄、55年の軌跡

司法


(霧山昴)
著者 宮里 邦雄 、 出版 論創社

日本労働弁護団の元会長をつとめた著者が55年間の労働弁護士生活を振り返った本です。対談方式なので、大変読みやすく、たくさんの教訓的な話が出てきて興味深い内容です。 労働争議をたたかった2人の労働者の明暗が語られているところは胸にぐっとくるものがありました。
 まず、暗のほうから...。不当解雇を受けて、労働委員会で争い、ついに会社との和解で職場復帰を実現した。しかし、小さな会社で、職場で孤立し、ついに精神的に病んで自死してしまった。東大文学部出身の優秀な青年だったので、残念でならなかった。労働事件で「勝つ」ということは、それを通じて組合の団結が強まることでなければならない。その事件では、組合を結成したときの仲間はほとんど組合を脱退してしまい、ひとり孤立させられていた。いやあ、これは本当に残念でしたね。
次に、明のほうは、「東芝府中人権裁判」。東芝でいじめに遭ったことから会社と上司を被告として損害賠償請求裁判を起こした。こちらは、目に見えるかたちで多くの仲間から支えられていたことから、原告がだんだん元気になっていった。結局、東芝に定年まで働きて、定年後も再雇用で働いているとのこと。
この裁判については、注目すべきことが二つある。一つは、いじめの実態を毎日、「職場日記」として詳しく書いていたことが、非常に有力な証拠となり、裁判所もそれにそった事実認定をしたこと。もう一つは、東京高裁が東芝に対して書面で控訴取下げ勧告したということ。50年近く弁護士をしていますが、高裁が労働事件で会社に対して控訴取り下げを書面で勧告したなんて初めて聞きました。
「使用者は、企業秩序維持のため、労働者に対する指揮・監督権限を有するが、この指揮・監督権限の行使にあたっては、労働者の人格・人権を尊重した合理的なものでなければならない」
当然の表現ではありますが、会社(東芝)には大打撃だったことでしょうね。東芝が労働者に人格・人権を踏みにじっているという判決が出たら、それこそ世の中の笑い者、厳しく指弾されることは必至です。賢明にも東芝は控訴を取り下げました。
裁判には、自己回復・自己再生の機能もあると著者は指摘しています。暗のほうはそれに失敗したわけですが、明のほうは、これを体現したと言えます。
コロナ禍の下、イギリスでは労働組合が増えているとのこと。
日本では、従来型の運動の展開のままではジリ貧で、労働組合の将来は暗い。日本の労働組合が40%もの非正規労働者を放置し、その格差を放置していることが問題だ。
労働組合は、非正規の改善を要求すると、自分たちに被害が及ぶという発想に、いつまでもとどまっている。そうではなくて、正規と非正規が連帯し、全体の労働者の労働条件を底上げしていくという視点をもたなければいけない。著者は何度もこのように強調しています。まったく同感です。そのとおりです。
政府・財界がマスコミも最大限つかって国労つぶしをしてきたことに対する反撃の苦しいたたかいに著者も関与してきました。かつて日本最強の労働組合と言われていた国労は残念ながら今や存在せず(形だけあるのかもしれません)、労働組合なるものの存在感が今日の日本社会にはほとんど喪われてしまいました。総評の後身のはずの連合は、何かと言うと原発擁護、共産党攻撃だけで、これが労働組合なのかという幻滅感を大きくするだけの存在になり下がってしまいました。本当に残念です。
著者は労働者にとって働くということは、生活の問題もあるけれど、それだけではない、労働それ自体の尊厳という視点も大切にすべきだと強調しています。これまた、まったく同感です。
80歳になってもなお現役の労働弁護士である著者の引き続きの健闘を心より祈念します。まだまだ引退のときではありませんよ...。
(2021年6月刊。税込2200円)

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2021年8月 5日

約束の地(下)

アメリカ


(霧山昴)
著者 バラク・オバマ 、 出版 集英社

オバマ元大統領の回顧録の下巻を読んで、ショックを受けました。
オサマ・ビン・ラディンの暗殺はオバマの指令によって発動したものだったのです。これまでCIAなどが暗殺作戦を企画し、大統領として仕方なく決裁したように考えていましたが、逆でした。9.11の被害者・遺族の心情を考え、その報復として暗殺作戦をオバマが始動させたというのです。
凶悪犯罪をおかした人間を裁判にかけることなく一方的に殺害してよいというオバマの発想は、彼が弁護士だったことに照らしても、まったく理解できません。そして、殺害地はアメリカ国内ではなく、国外のパキスタンです。パキスタンには事前の了解なしに暗殺を実行する軍事要員をヘリコプターで送り込み、さっと引き揚げたのです。以前あったように軍事要員たちが暗殺に失敗し、パキスタン軍ないし警察と銃撃戦になったとき、その責任をどうやってとるのか、どんな弁解が法的に成り立つのか、大いに疑問です。現に、ヘリコプターの1機は建物に衝突して、危うく墜落寸前になったのでした。
「ビン・ラディン追跡を最優先課題にしたい」
2009年5月、オバマは顧問数名に告げた。オバマには、ビン・ラディン追跡を重視する明白な理由があった。この男が自由を満喫している限り9.11で命を失った人々の家族の心痛は消えず、アメリカが侮辱され続けることになるからだ。
オバマは、また、ビン・ラディンの抹殺は、アメリカの対テロ戦略の方針を転換するという目標に欠かせないものと考えていた。テロリストたちは妄想に支配された危険な殺人鬼でしかないということを世界にそしてアメリカ国民に知らしめたほうがいいと考えた。彼らは、拘束、あるいは死刑に値する犯罪者だ。ビン・ラディンの抹殺ほど、それを知らしめるのにいい方法はないとオバマは考えた。
私には、この論理はまったく理解できません。なぜ、「拘束・裁判・投獄」してはいけないというのでしょうか...。ナチスの犯罪者であるアイヒマンをイスラエルはブラジルから違法に拉致しましたが、それでもイスラエルの法廷で裁判にかけたうえで死刑にしました。
アメリカがイスラエルのような方法をなぜとらなかったのか、オバマの「弁明」は違法な暗殺作戦を合法化できるものではないと思います。
オサマ・ビン・ラディンをアメリカ国内に連行して裁判にかけたとしたら、その安全対策のために途方もない費用がかかると思います。それでも、それなりの「対話」が生まれることも間違いありません。
オバマには、オサマ・ビン・ラディン暗殺について、ドローンを使った小型ミサイル攻撃も選択肢の一つだった。しかし、それでは、ターゲットがオサマ・ビン・ラディンなのかどうか確証が得られないうえ、その周囲にいる女性や子どもたち20人以上も一挙に殺害してしまうことから踏み切れなかったというのです。
ちなみに現アメリカ大統領のバイデンは奇襲攻撃に反対したとのこと。失敗したときの影響の大きさを考えての心配からです。
ターゲットがオサマ・ビン・ラディンだというのは、5分5分の確率だったのです。オバマとアメリカは、本当に危ない橋を渡ったのでした。
オバマは大統領在任時にノーベル平和賞を受賞しました。この回顧録を読んだ私の印象は、そのことをあまり喜んでいないのが意外でした。
大統領としてのオバマへの期待と現実とのギャップが広がりつつあることに思いをめぐらせた。オバマは、平和の新時代をもたらすのにひと役買うどころか、さらなる兵士をアフガニスタンの戦場へ送り込むことになることに思いをめぐらした。
オバマ・ケアなど、オバマが一生懸命努力したことは高く評価したいと思いますが、オバマも「アメリカ帝国主義」の考え方にどっぷり浸った人物であることも改めて認識させられた回顧録でした。もちろん、問答無用式のトランプなんかより、議論が成り立つだけ、はるかに良い大統領ではありましたが...。
(2021年2月刊。税込2200円)

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2021年8月 6日

「低度」外国人材

社会


(霧山昴)
著者 安田 峰俊 、 出版 角川書店

「低度」外国人材とは、「高度外国人材」というコトバの反対にあるもの。
政府は高度外国人材を次のように定義している。学歴や年収が高くて年齢が若く、学術研究の実績や社会的地位をもち、日本語を流暢に話せて、イノベイティブな専門知識をもつ人たちのこと。日本の国家は、こういう人を歓迎する。
では、「低度」外国人材とは、容易に代替が可能な、劣位の人材で、日本の産業にイノベーションをもたらさず、日本人との交流もなく、専門的・技術的な労働市場の発展を促すこともなく、日本の労働市場の効率性を高めることもなく働いている人材。
日本国内で働く技能実習生は41万人、うち過半数の22万人近くがベトナム人(2019年末現在)。
2018年の1年間に失踪した技能実習生は9052人、2018年は8796人。そのほとんどが、あまりの低賃金に嫌気がさしたことによる。逃亡した技能実習生は、偽造の在留カードなどを使って建設現場などで働く。技能実習生のときに9万~12万円ほどの手取り月収が15万~20万円ほどになる。
不法滞在者やドロップアウトした偽装留学生たちのベトナム人たちが自称するのは「ボドイ(兵士)」だ。
われわれは労働力を招いたのに、来たのは人間だった。
このよく知られたフレーズが、ことの本質をよくあらわしていると思います。
群馬県南部の太田市・伊勢崎市・舘村市にはベトナム人が多く住み、群馬県大泉町には日系ブラジル人が多い。埼玉県西川口市には中国人タウン化している一帯がある。蕨(わらび)市にはクルド人、八潮(やしお)市にはパキスタン人のコミュニティが存在する。
いずれも、横浜や長崎の中華街をイメージしたらよいのでしょうか...。
日本国内にイスラム教のモスク(寺院)が、36都道府県で105ケ所ある(2018年末)。
ベトナム人実習生が住んでいるアパートかどうかを見分けるには...。
建物の前に自転車が異常にたくさんある。雨の日でもベランダに洗濯物が出ている。外出するときの服装は、ジャージとフード付きのパーカー。
ベトナムで働いたら、月収はせいぜい4万円から5万円くらい。逃亡したら月収が3倍になり、月に10万円をベトナムの親に送金できた。偽造書類は1枚につき数万円で購入できる。
日本で犯罪に走るベトナム人は、高額の学費を支払えない(支払いたくない)ドロップアウトした留学生と、逃亡した技能実習生が半分半分。
ベトナム人の犯行の手口はスーパーでの万引きが多い。私も2回ほど弁護人として体験しました。
日本に「合法的」に滞在して稼ぎを続けたいときには偽装結婚もある。
非正規雇用とあわせて外国人労働者の問題を抜きにして、日本の今後の労働運動をとらえることはできません。この点の理解が私たちにはまだまだと思いました。
(2021年3月刊。税込1980円)

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2021年8月 7日

こうして生まれた日本の歌Ⅱ

人間


(霧山昴)
著者 伊藤 千尋 、 出版 新日本出版社

9.11事件のとき、著者は朝日新聞のロサンゼルス支局長として赴任したばかりだった。ロサンゼルスにも高層ビルに飛行機が突っ込むというデマが流れ、中心街はゴーストタウンになり、誰も出勤してこなかった。このとき、テレビでは、何回も「カミカゼ」という言葉が流れた。テロリストは神風特攻隊と同じだというのだ。こんな日本語は世界で流行ってほしくありませんよね。カラオケはともかくとして...。
ロサンゼルスには、私も若いときに行ったことがあります。リトル東京というブロックがあり、ホテル・ニューオータニがありました。著者は、そこで、映画「青い山脈」に出演した杉葉子に出会ったというのです。この「青い山脈」は私もみましたが、つくられたのは私の生まれた翌年の1949年です。軽やかな歌の流れる青春映画です。自転車で通学する高校生は成城学園高校の女生徒たちがモデル。「若く明るい歌声に...」というフレーズが耳の奥に残っています。
美輪明宏の「ヨイトマケの唄」がつくられた経緯も心を打ちます。長崎の小学校の同級生に貧しい家のヨシオがいた。その母親は授業参観の日に、ハンテンにモンペという作業服でやってきた。著者は土方作業員の母親が働いている現場をみたが、母親は、地らなしの重しの網を引っぱるとき、「ヨシオのためなら、エンヤコーラー」と叫んでいた。
美輪明宏がシャンソン喫茶でこの歌をうたうと、客は最初、力仕事をする労働者への軽蔑、優越感から卑しい顔をして笑っていた。それが、最後になると涙に変わった。テレビで歌うと、開局以来のかつてない反響があり、2万通もの投書が届いた。私も、たまの日曜日、この歌を聞いて、心の中で涙を流します。
この本には、大牟田市で講演したときの話も登場します。森田ヤエ子作詞、荒木栄作曲の「がんばろう」に歌はあまりにも有名だ。といっても、今の大学生には知られていないかも...。
「花を贈ろう」という歌が紹介されていないのが私には残念でした。東京へ去っていく仲間にオレンジの花を贈るという、とても感動的な歌です。ぜひ、ネットで探して聴いてみてください。
荒木栄の碑は今も米の山(こめのやま)病院の玄関前にあります。
最後に横井久美子。惜しいことに2021年1月に病死してしまいました。私は横井久美子の澄んだ声、そして歌詞が大好きで、たくさんのCDをもっています。
この本では、ベトナム戦争反対を歌う「戦車は動けない」、「自転車に乗って」、「なみちゃん」そして「私の愛した街」が紹介されています。「自転車に乗って」の歌詞は横井家の現実とは逆だったというのは笑わせました。歌詞では、母親が夫と子どもをたたき起こすとなっているが、本当は、しっかり者の長男が寝不足の母親を起こし、グズグズしないようにせかしていたのでした。
いやあ、いい本でした。ぜひ、あなたも読んでみてください。心の中に軽やかなメロディーが流れて来て、心が洗われますよ。
(2021年5月刊。税込1760円)

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2021年8月 8日

使うあてのない名刺

社会


(霧山昴)
著者 桃井 恒和 、 出版 中央公論新社

読売新聞の社会部記者から巨人軍社長になった著者のエッセイ集です。
この本を読んでいてもっとも驚いたのは、中国大陸での抗日戦の主役だった八路軍(パーロー。中国共産党の軍隊)の聶栄臻(じょうえいしん)将軍が日本人孤児の少女とツーショットでうつっている有名な写真がありますが、その少女を探りあてたのが著者だったという話です。ときは1940年(昭和15年)の写真です。
調査の結果、満鉄グループの華北交通の駅の助役夫婦が亡くなったことが判明し、その夫婦に美穂子という長女がいるというので、宮崎県都城市まで将軍とツーショットの写真をもって会いに行ったのです。すでに40年たっていて、本人には当時の記憶は何も残っていない。ところが、アルバムを見ているうちに、やっぱり間違いないと確信し、美穂子さんに将軍あての手紙を書いてもらった。そして、「写真の少女は私です」という大きなスクープ記事となって、美穂子さんは中国に招待され40年ぶりに将軍と再会したのでした。
私も、この写真は何回も見ていて知っていました(最近も福岡で展覧会が開かれていたと思います)。新聞社の取材力というのはすごいですね...。
著者が読売新聞の社会部長をしていたとき、新宿の歌舞伎町にある雑居ビルで火災が起き、44人が亡くなったが、死者の多くがキャバクラ嬢だった。この犠牲者を実名で報じるか匿名にするかというとき、悩んだあげく実名にしなかったというのです。
キャバクラ勤めは不名誉なことなのかという疑問を抱きつつも、遺族は、娘がキャバクラ嬢をしていて非業の死をとげたことが世間に知られたら、二重に悲しませることになりはしないか...。
私も、匿名にして良かったと思います。これは職業に貴賤なし、というのと違ったレベルの問題だと考えるからです。
著者が今、嫌いなものは三つ。ヘイト・スピーチ、ネット上にとびかう匿名の誹謗中傷、そして、上から目線の「寄り添う」という言葉の安易な使い方。いずれも、まったく同感です。
著者が読売巨人軍の球団社長に就任するときの話もまた衝撃的です。
「巨人軍のスカウト活動で不祥事があり、球団の社長も代表も辞めることになった」
上司はこう言って、一枚の紙を目の前に置いた。新しい球団社長が著者になっている。
「いつからですか?」
「明日から」
うむむ、人間社会の人事って、そんなこともあるのですね...。
ところで、この本のタイトルの意味は...。
著者が巨人軍を離れたのは、選手の野球賭博が発覚した責任をとっての突然の辞任。名刺はもう使えない。使うあてのない名刺を処分し、肩書のない名刺をつくってみた。でも、今度は使う勇気がない。
たかが名刺、されど名刺...。
もちろん私は弁護士という肩書のついた名刺を今も使っています。相談者の心配を打ち消すのに必要だと思えば惜し気なく、何枚だって名刺を渡します。でも、こんな人とは関わりたくないなと思ったら、決して名刺は渡しませんし、相談料もいただきません。
日弁連副会長としての苦楽をともにした須須木永一弁護士(横浜市)と同級生だということで贈呈していただきました。心にしみる話ばかりです。ありがとうございました。
(2019年2月刊。税込1760円)

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2021年8月 9日

南極探検とペンギン

生物

(霧山昴)
著者 ロイド・スペンサー・ディヴィス 、 出版 青土社

エンペラー・ペンギンはペンギンの中でもとくに「貞操観念」が低い。離婚率は85%にも達する。多くのつがいが1年で別れ、翌年にはまた新しいパートナーとつがいになる。
エンペラー・ペンギンには、そもそも巣というものがない。そのため、同じ相手と続けてつがいになる動機に乏しい。したがって、エンペラー・ペンギンは愛の偶像などではなく、むしろ「離婚の守護聖人」とでも呼ぶべき生物なのである。いやあ、うっそー、と叫びたくなりました。
動物の2個体が戦っていれば、それはオス同士の戦いであり、卵を抱いて温めるのはメスの役目。これが疑う余地のない常識だった。しかし、両方とも間違っている。
ペンギンの卵も雛も、その世話には大変な手間がかかる。卵を生むのはメスだけど、メス一羽だけでは卵をかえして雛を立派に成長させることは不可能。
卵は年にたった2個しかつくれない。メスは卵1個に大きな投資をしているから、誰とどこで交尾するか慎重に選ばなくてはならない。失敗したら、その年の繁殖機会は失われてしまう。
ペンギンの繁殖が成功するために何より重要なのは、タイミングだ。親は、雛が十分な食べ物を得られるように、急いで行動しなくてはいけない。適切なタイミングで十分に大きく成長できるようにする。一定の期間で必ず、自力で生きられる程度にまで成長させる必要がある。羽毛が大人のものになるだけでは不十分で、その時点で十分な体重がないと、長く生きのびることはできない。
オスのペンギンにとって、交尾はそう簡単な仕事ではない。うつ伏せになったメスにただ飛び乗るだけではなく、同時に、自分のクチバシを震わせてメスのクチバシに当てなくてはならない。メスを興奮させるためだ。オスが精液を正しくメスの標的に命中させられるのは、わずか3分の1。そのうえ、交尾が成功しても南極では繁殖を失敗させる要因が無数にある。その最大のものが天候。
アデリー・ペンギンのメスの10%は、つがいの相手(オス)がいるにもかかわらず、近くの別のオスと交尾し、またすぐに元のオスのところに戻る。なぜか...。オスのなかに生殖能力のないオスがいる。なので、2羽のオスと交尾すれば、どちらかのオスに生殖能力がなくても、子どもが生まれる可能性が高くなるから...。うむむ、な、なるほど、ですね。
エンペラー・ペンギンのオスは、寒い南極の冬のあいだ、合計で3ヶ月間も、何も食べずに生き抜く。オスはメスが帰ってくるのを待つあいだ、雛に食べさせるために、自らの身体の組織を削って雛のエサをつくり出す。そのエサは「ペンギン・ミルク」と呼ばれている。
ペンギンは、実は「売春」もする。アデリー・ペンギンのメスは巣を補強するための石を求めて、独身のオスに近づく。独身のオスは石を集めている。メスは交尾させるふりをしてオスの気を引き、石から注意をそらさせ、さっと石の一つを失敬してしまう。メスがオスから、この手口で62個もの石を奪いとったことがある。石はペンギンのコロニーの中で、通貨のような役割を果たしている。交尾させ、その代わりに石を受けとる。オスも石という通貨を支払って、交尾を買っている。
ペンギンは、同性愛、離婚、不倫、強姦、売春をしている。これは、繁殖を成功させるのが容易ではない環境の下で長年生きていた結果、そういう行動をすることになったということ。
自然選択とは、単に勝った者が生きのびるということであって、良い手段をとったから生きのびるというわけではない。
ペンギンほど、外見の個体差のない動物はいない。外見からだけでは、ペンギン自身でさえ、オスとメスを見分けることができない個体の識別も不可能だ。
オスはメスと交尾したら、メスのそばにとどまって、共に助けあって子育てしなくてはならない。ペンギンの雛が卵からかえって4日から6日間は食べ物を与えられなくても生きられるが、与えられなければ、餓死してしまう
アデリー・ペンギンは、冬の移動中に多くの個体が死んでいく。6羽のうち1羽、ひどいときには4羽のうち1羽が死ぬ。そして、つがいだった2羽が両方とも無事にコロニーに戻ってきても3組のうち1組は再びつがいにはならない。つまり離婚する。
はじめてのメスは、低い声のオスを好む。一般に身体が大きいほど声は低くなる。メスが新たなパートナーを選ぶには、いくつかの重要な条件がある。決定権は常にメスだけにある。
アデリー・ペンギンでは、コロニーにおける戦いは、オスをめぐってメス同士が戦うものが多い。
南極の夏はあまりにも短いので、オスの帰りが遅いと、メスには長々と待つ余裕はないので、別のオスを選ぶ。つまり離婚する。
前年に繁殖に成功しなかったつがいは、たとえ再びつがいになっても、結局、別れてしまうことが多い。そして、そのつがいは、互いの絆を強める行動をとらない。
ミューチュアル・コールのとき、2羽は胸と胸をつきあわせるように立ち、同じように大きな声で鳴く。クチバシを空に向け、互いに頭を振りあう。
ペンギンたちが同じ相手と一生添いとげることはせず、頻繁に離婚し、パートナーを変えるのには十分な理由がある。なによりペンギンたちには時間がない。繁殖につかえる期間はごく短いので急がなくてはいけない。そして繁殖の成功率は高くない。なので、親鳥たちは、条件が良くなり次第、できるだけはやく繁殖行動を開始すべきことになる。
1912年3月、南極探検のアムンゼン隊とスコット隊との違い、そして、スコット隊の中にジョージ・マレ・レビックというペンギン研究の研究の生存者がいたことを紹介しつつ、ペンギンの性生活を明らかにしていくという興味深い本です。少しでもペンギンに関心のある人には超おすすめの本です。
(2021年5月刊。税込3080円)

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2021年8月10日

ある日の入管

社会


(霧山昴)
著者 織田 朝日 、 出版 扶桑社

マスコミが報道しない、知られざる入国管理庁の実態をマンガでリポート。これはオビにあるキャッチフレーズです。本のサブタイトルは、外国人収容施設は生き地獄。
信じられないヒドイ処遇です。マンガなのでイメージがよくつかめます。そして、このマンガはプロの漫画家が描いたものではありません。本人が言うとおり稚拙な絵です。それだけにかえって迫真力があります。
東京は港区港南に東京入局管理局のビルがあり、建物の7階から上が収容施設になっている。近代的な外見の高層ビルだが、その内側は前近代的。
茨城県牛久(うしく)に収容送還専用の施設がある。JR牛久駅から路線バスで30分以上かかるところにある。2019年春、牛久の入管では、収容者による抗議のハンストがあり、最大時には100人もの収容者が参加した。
コロナ禍の下で、被収容者が解放され、2020年4月に224人いたのが、2021年2月には100人未満となった。その判別基準は明らかにされていない。
2020年6月にやってきた若い男性常勤医は驚くほど高圧的。
「犯罪者、私のいうことが絶対だ。嫌なら国に帰れ」
そして、制圧を先導し、自らも被収容者の身体を押さえつけたりしている。さらには、シャワーを2週間も使わせなかったり、外部からの差し入れを認めなかったり...。
入管当局は被収容者に対して「ルール違反」と言うけれど、本当は日本のほうが、世界の、国連の難民を受け入れのルールを守っていない。
被収容者たちは、「私たちは人間です」と叫んでいる。
入館の職員から「戦争がない国から来たのだから、難民じゃない」と言われたフィリピン女性がいる。フィリピンで反政府活動をしていたのに...。
難民認定の要件は、戦争があっている国に人に限られているわけではない。イラクやシリアなど、実際に戦争があっている国から来た人でも、日本はめったに難民として認めない。
日本の2019年の難民申請者は1万人をこしている(1万375人)。ところが、認定されたのは、わずかに44人。なんと認定率は1%にもならない(0.4%)。これは異常。ヨーロッパ諸国は毎年数万人の難民を受け入れている。
入管法違反は1万6千人超。そのうち不法残留が1万4千人超。不法入国は400人超で、不法上陸は140人。つまりビザのない外国人のうち不法入国はわずか3%のみ。
大半は、正規の観光ビザで入ってきて、オーバーステイになった人がほとんど。
高度成長期には、日本政府はビザを発給せず、黙認していたので、ビザがなくても警察につかまることはなかった。ところが不景気になったので、急にビザがないので犯罪者扱いするようになった。
日本の社会は、すでに、外国人労働者がいなければ機能しないようになっている。それなのに、外国人を差別したり、犯罪者視するのは人道に反するだけでなく、日本(人)にとってもマイナスになる。
入管に収容されているうちに亡くなる人が19人いる(1997~2021年)。大半は自殺または病死。2019年6月にはナイジェリア人男性がハンストを続けた結果、餓死してしまった。
入管の職員にひどい人が少なくないことは事実のようですが、なかには被収容者と仲が良く感謝されている職員もいるとのこと。マンガでも紹介されています。
目の前の仕事をこなしているだけで、入管制度について分かっていない職員がほとんどだと著者は書いています。きっとそのとおりなのでしょう。残念です。だったら、国民世論をぶつけるしかありませんね...。知られざる実態を広く世の中に知らしめる、いい本です。
(2021年2月刊。税込1430円)

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2021年8月11日

「中国」の形成

中国


(霧山昴)
著者 岡本 隆司 、 出版 岩波新書

中国の清朝といえば、強大な王権を内外ともに誇示していた存在だと思っていましたが、この本を読むと、その内実はまるで違うようです。
清朝は、明末の政体・体制をそっくり受け継いだ。権力を握った満州人は、数のうえでも組織のうえでも、そして経験のうえでも、漢人の歴史ある制度を根底からつくりかえるには、あまりに非力だった。その立場からすると、当面の苦境を克服し、眼前の混乱を収拾して生きのびるだけで精一杯の実力だった。非力な分、清朝はモンゴルに対しても、チベットに対しても、彼我の力関係に対する鋭敏で冷徹な認識をそなえていた。
ジェシェン(女真)人は、かつて12世紀に金王朝を建てた種族の末裔(まつえい)。ジュシェンのヌルハチがマンジュ(満州)として自立した。豊臣秀吉の朝鮮出兵のころのこと。
ヌルハチは、1619年のサルフの戦いで、明朝と朝鮮の連合軍を破って大勝した。
ところが、1626年、ポルトガル製の大宝(紅夷砲)に屈して、まもなく亡くなった。
後を継いだのは8男のホンタイジ。ホンタイジは、チンギス裔の血縁で権威の高いチャハル家をとりこんで皇帝に即位した。そして、大清国を自称するようになった。ホンタイジ亡きあと、ドルゴンが摂政として国を治めたが、明から清への交代は、漢人が裏面で動いてなされたものだった。ドルゴンは39歳で亡くなり、順治帝も10年おさめて、24歳で死亡した。後をついだ康熙帝はまだ9歳。8年間、辛抱したあと、権臣を排除して康熙帝はようやく実権を握った。
満州人・清朝がカオスのなかを勝ち抜き、勝ち残ることができたのは、多分に偶然であり、もっというと奇跡だった。彼らは、同時代の集団としては、必ずしも強大な勢力ではない。人口だけでみても大陸の明朝はおろか、半島の朝鮮にも及ばなかったし、モンゴルと比べてもそうだった。
相次いで押し寄せる目前の難しい局面に、生きのびるべく懸命の対処をくりかえした蓄積が、自立と興隆につながった。清朝は、それだけ自らの非力な力量・立場をよくわきまえていた。虚心な自他分析と、臨機応変の感覚に富んでいた。それが偶然・僥倖(きょうこう)を必然化させ、多元化した東アジア全域に君臨しうる資質を生み出したばかりか、清朝そのものに300年もの長命を与えることになった。
清朝はリアリズムに徹し、現状をあるがまま容認し、不都合のないかぎり、そこになるべく統制も干渉も加えようとはしなかった。漢人に対する清朝の君臨統治は、かつて「入り婿」政治と言われたこともある。
外形的に清朝の建設を完成に導いた康熙帝の当世は、内実を見たら、派閥の横行・暗闇が絶えない時代でもあった。次の雍正帝の当世は13年間。父の康熙・息子の乾隆の60年に比べると、決して長くない。だが、その治績は、父・子をはるかに上回って重要だ。
清朝が漢人を支配して大過なかったのは、漢人とのあいだにズレがあることを自覚し、緊張感をもち続けたからだ。
祖父の康熙帝は、大局的なケチ、節倹の鬼だった。これに対して孫の乾隆帝は、贅沢の権化。乾隆帝が即位したとき、清朝の在立は、なお、盤石ではなかった。最大の敵対者、ジュンガルが健在だった。
漢人社会が巨大化していき、バランスが崩れていった。清朝・満州人の複眼能力は、相対的・絶対的に衰えた。白蓮教の反乱が起きたとき、常備軍の八籏・経営が軍事的に役に立たなかった。
清朝の内実を詳しく知ることができる、面白い本でした。
(2020年9月刊。税込902円)

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2021年8月12日

ディズニーとチャップリン

人間


(霧山昴)
著者 大野 裕之 、 出版 光文社新書

チャップリンとヒトラーは同じ年の同じ月に生まれた。チョビヒゲをはやしはじめたのも偶然に同じころのことで、一方が他方を真似たのではない。
ディズニーはチャップリンに憧れて役者になった。つまり、チャップリンよりもぐんと若い。
二人はある時期までは仲が良く、チャップリンはディズニーに大切なことを教えた。
「自分の作品の著作権は他人の手に渡したらいけない」
ディズニーのミッキーマウスは今も生きている。そして、チャップリンだって、何度も何度もリバイバル上映され、その浮浪者姿は今でもアイドルのように人気がある。
著者は日本のチャップリン協会の会長をつとめるだけあって、いくつかのチャップリンの伝記は、格段の深さがあります。
チャップリンは貧しい芸人夫婦の下で育ち、5歳のときから舞台に出ている。庶民向けの劇場で幕間の芝居を演じる。短い上演時間、ほとんど一人芝居で客の心をつかむ演技術を身につけた。5歳から24歳までの20年間に、さまざまなジャンルの舞台に立ったことが、のちに映画において監督、脚本、プロデューサー、作曲を一人でこなす多面的な才能と、喜劇と悲劇とを融合させた、独自の作風を生みだす礎(いしずえ)になった。チャップリンは、早くから海外講演を経験し、地域によって笑いの嗜好に大きな差があることを知っていた。
チャップリンが映画にデビューした当時、1914年の週給は150ドルから1250ドルになった。そして、1916年には、週給1万ドル、ボーナスもあわせると年間67万ドル(今の年収11億円)の映画俳優になった。
チャップリンは、動いている姿が世界中に知られた初めての人物。
チャップリンとディズニーには、家族関係で、とても重要な共通点がある。チャップリンは4歳上の異父兄シドニーを、ディズニーは8歳上のロイを、それぞれ心から慕っていた。二人の兄は、有能なビジネスマンとして弟をよく支えた。
チャップリンの映画『サーカス』(1928年)のなかのライオンの檻に閉じ込められるシーンから、高所での綱渡りシーンまで、命がけのギャグはすべてスタントなし、チャップリン本人が演じた。すごいですね。香港の映画スターのジャッキー・チェンも本人が演じていますよね。
チャップリンは想像力の躍動と、観念の脱構築で笑いを生み出した。チャップリンは、ただのモノも、想像力によって生きている身体に変えてしまったのだ。
ディズニーは、どんな苦境に陥っても、それを物語の一シーンのように捉えて力に変える前向きな気持ちと、独立心だけは失わなかった。これこそが、ディズニーをディズニーたらしめる才能だった。ディズニーは信頼していた人たちの裏切に直面し、「もう絶対に他人(ひと)には使われない。生きている限り他人のためには働かない。自分は自分のボスなんだ」と決意した。
 猫のフィリックス、うさぎのオズワルドときて、次は、キュートで小さな動物ならネズミ(マウス)だ。ミッキーのアイデアは、チャップリンに借りがあるとディズニー自身が認めた。ミッキーは、ディズニー本人そっくり。冒険心や正義感にあふれているが、知的教養とはあまり縁がないという存在。ミッキーマウスは、ディズニー自身であると同時に、ディズニーが憧れてやまなかったチャップリンそのものだった。
トーキー(音声付き)映画になって、ミッキーの声は、ディズニー本人が担当した。これまた恐るべきことですね。
チャップリンの放浪紳士は、報われなくても愛する人のために献身的に尽くし、ときに権力の象徴たる警官のお尻もけりあげる。そして、きれいごとだけでは生きていけないことを知っているので、生活のためには、少しの悪事も働く。なので、決して聖者ではないが、厳しい現実とたたかう武器はユーモアしかないことを教えてくれる、心優しい放浪紳士だ。
チャップリンとディズニーに共通するのは、子どもの視点だ。二人とも子どもと同じ視点で、遊び、考えることができた。
チャップリンはユダヤ人ではない。祖母の家系にジプシーがいて、チャップリンは、それを誇りに思っていた。ところが、ヒトラー・ナチスはチャップリンをユダヤ人評論家が絶賛したことから、チャップリンもユダヤ人に違いないと決めつけ、徹底的に攻撃した。
信じられないことに、このころ、アメリカの世論の大部分がヒトラーを支持していた。恐慌を切り抜けたリーダーとして、ヒトラーはアメリカでも英雄視されていた。
これに対して、チャップリンは映画『独裁者』をつくって、ヒトラーを笑い者にした。
ヒトラーをはじめ、ナチスの幹部はディズニー作品のファンだった。
ディズニーの父親は社会主義を信奉していた。ディズニーは、その反発もあって、労働組合を憎んだ。労働者の権利を叫ぶ労働組合は、アメリカの理想に敵対するソヴィエトの共産主義が送り込んだ毒と思い込んでいた。
最後まで大変深い分析が続き、290頁あまりの新書を3日間で読みあげました。一読をおすすめしたいと思います。でも、今の若い人って、『街の灯』とか『キッド』って、いったいどれだけみているのでしょうか...、ぜひみてほしい映画です。
(2021年6月刊。税込990円)

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2021年8月13日

エルサレム以前のアイヒマン

ドイツ


(霧山昴)
著者 ベッティーナ・シュタングネト 、 出版 みすず書房

ショッキングな本でした。580頁もある大部な本ですが、アイヒマンの本当の正体を知りたいと思って必死の思いで読み通しました。
エルサレムでのアイヒマンの裁判を、ずっと傍聴していたアンナ・ハーレントはアイヒマンについて「悪の陳腐さ」、「凡庸な普通の人間」の犯した凶悪犯罪と評しましたが、それが正しかったのかどうかという点に関心がありました。
この本によると、アイヒマンは、エルサレムに拉致・連行される前に、自らすすんでユダヤ人600万人を大虐殺したことを誇らし気に仲間内で語っていた(録音していた)というのです。なので、エルサレムで尋問されるとき、初めて問われて答えているとは思えなかったと尋問官は感じていたとのこと。これには本当に、驚きました。
もう一つ、アイヒマンがアルゼンチンにいることは、イスラエルのモサドによって拉致されるより何年も前に情報が寄せられていたという事実がありました。しかし、それは、アイヒマンが中近東あたりに潜んでいるというガセネタと同じレベルで扱われてしまい、重要視されなかったというのです。
いずれにしても、アイヒマンは戦後、ドイツにしばらく潜伏し、そこから元ナチスの逃亡ルートに乗ってアルゼンチンにたどり着いたこと、アルゼンチンでは元ナチのメンバーの助けを得て、それなりの市民生活を送っていたこと、そのうえで妻子をドイツから呼び寄せ、アルゼンチンで赤ん坊をもうけたことなど、驚くべき事実を知りました。
アイヒマンはナチス時代にしたことをまったく反省しておらず、録音つきの取材でも、ユダヤ人の大量虐殺を得意気に話していたのです。となると、ハンナ・アーレントの裁判傍聴によるアイヒマン像は大幅に修正する必要があるのではないでしょうか。
アイヒマンは、ユダヤ人絶滅の全体像を大まかにでも見通せた。わずかな人間の一人だった。アイヒマンは、直接にユダヤ人の拷問や殺人に加担していいなかったため、つまりユダヤ人絶滅の現場から距離があったことから、かえって全体を見通せた。
アイヒマン一家は、最初はベルリンに、その後ウィーン、最後はプラハに住んだ。
アイヒマンは1956年3月19日に50歳の誕生日を迎えた。3番目の息子が生まれたばかりだった。
アイヒマンがサッセンに語り始めた(録音された)のは1957年4月からだ。アイヒマンは、シリーズ本の1巻を出せることを得意に思っていた。この本は、アイヒマンの死後に出版されることになっていた。
アイヒマンはドイツで戦犯として法廷に立たされたとしても、せいぜい4年か6年の刑ですむだろうと考えていた。アイヒマンは妻に対して、ユダヤ人を一人も殺していないし、殺すように命令したこともないと言っていた。戦争で、ドイツが700万人もの戦死者を出しているので、ユダヤ人の600万人という絶滅収容所での死者と相殺できるとアイヒマンは考えていた。
アイヒマンが仕事の帰り、自宅近くでモサド(イスラエルの秘密機関)によって拉致されたのは1960年5月11日のこと。このアイヒマンの拉致は、1945年5月の敗北以来のどんな出来事より、SS隊員など、ユダヤ人の大量殺戮に加担した共犯者たちの生活に深刻な変化をもたらした。
アルゼンチンにおいて、アイヒマンの正体を知らない人にとって、アイヒマンはときにバイオリンを弾いてくれる、子どもから好かれる存在だった。アイヒマンは、アルゼンチンでニワトリ5000羽と、アンゴラウサギ1000羽を飼っていた。
アイヒマンについての確実な情報は、1952年6月24日、ドイツのゲーレン機関への通報だった。「アイヒマンは、エジプトにはおらず、クレメンスという偽名で、アルゼンチンにいる」
しかし、この情報に対して西ドイツでは8年間、何もしなかった。
アイヒマンは、この年(1952年)7月28日、7年のあいだ、別れていた妻と2人の子どもをアルゼンチンに呼び寄せた。
アイヒマンは自分のやったことを何も忘れてはいなかった。ただ、自分の歴史観を相手にあわせて変え、偽装の腕前を上げていった。
アイヒマンは、ユダヤ人の大量射殺、労働による殺人、飢餓による殺人、ガス殺のすべてを知る唯一の人間とみなされていた。これはアイヒマン本人が自分で築きあげた「名声」だ。
1957年4月以降、毎週土曜日と日曜日にユダヤ人の「最終解決」について議論した。このとき、アドルフ・アイヒマンとして議論に参加した。アイヒマンは、この時、戦争終結から12年後、誰からも強いられることなく、この大量殺戮者は、一同の前で、録音テープのまわる部屋で、ユダヤ人絶滅はあった、それは、何百万人もの殺人まさに完全なジェノサイドであることを、そしてアイヒマンもそれを望み、計画したことを、そして、この計画を今も正しいと考えていること、それに関与したことに満足していることを繰り返して言った。
アイヒマンは、国民社会主義者(ナチス)であり、それゆえにこそ、確信犯的な大量殺戮者だった。
アイヒマンがアイヒマンとして自分のやったことをトクトクと語った録音テープがあるというのも信じられません。幸か不幸か、それは本になっていません...。アイヒマンとは何者なのか...、というのを知るには欠かせない資料だと思いました。大部だし、高価ですが、一読の価値が大いにあります。
(2021年6月刊。税込6820円)

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2021年8月14日

「セレモニー」

中国


(霧山昴)
著者 王 力雄 、 出版 藤原書店

店のレジでお金を支払うとき、必ず、「○○カードは持っていませんか?」とたずねられる。そして、多くの人は訊かれる前にカードかスマホを差し出している。私はスマホも○○カードも持っていない。
○○カードを使うと、70代の男性が、○○日の○○時(雨あるいは晴れ、湿度23度)に○○を○○で買ったということが永久に消えない記録として残る。それを1週間、1ヶ月そして1年間も分析の対象とすると、その人のいろんな傾向が判明する。何を好んでいるのか、何にお金を使うのか、どんなものを好んでいるのか、友人はいるのか、どんな人なのか...、ビッグデータも駆使して、すべてを究明し尽くす。そんなことにならないように、尾っぽをつかまれたくないので、スマホをもたず、○○カードも持たない私です。もちろんマイナンバーカードなんて申請する気はありません。
中国では、「維穏費」として1兆4千億元が国家予算の5.9%を占めている。国防予算のほうは、それより少ない1兆2千億元だった。維穏費とは、警察等をつかって社会の安定を維持する費用のこと。この維穏費は、2013年の7700億元に比べて、5年間に倍増した。
この本では、人々を個別に監視する方法として靴にネットのタグが取り付けられているという想定になっています。個人の行動がそれで識別され、実のところ性生活の微細な行動まで当局は手にとるように分かる仕掛けだというのです。
最近の国産の靴も外国産の靴にも、すべてにSID(セキュリティ識別子)が取り付けられている。すべての靴が、移動中通信ネットワークに紛れている高周波によって、認識と追跡が可能になっている。いやあ、たまりませんね。国家が個々の人々の生活行動のすべてを把握できるというのです。
いま日本政府が鳴物入りでマイナンバーカードを人々にもたせようと笛を必死に吹いていますが、そんなのに乗せられたら、丸裸同然です。私は嫌です。ご免こうむりたいです。
何も悪いことしていないんだったら、いいじゃないか...、とは思いません。政府とは、たとえば今のスガ政権です。まともな日本語の会話も国会で出来ないような首相の下で、私の私生活が握られているなんて気色悪すぎます。
著者はあとがきで、テクノロジーによる独裁が外部から崩壊させることが不可能なことを描いたと語っています。テクノロジー、インターネットの発達が必ずしも人々の個人としての生活を豊かにするものでは決してないことをほんの少しだけですが、実感した気分に浸りました。近未来の怖い話を予測する小説ではありますが...。
(2019年5月刊。税込3080円)

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2021年8月15日

ウィリアム・アダムス

日本史(江戸)


(霧山昴)
著者 フレデリック・クレインス 、 出版 ちくま新書

三浦接針。つい先日、長崎県平戸市でアダムスの遺骨だと判明したというニュースが流れました。ええっ、徳川家康に重宝されて江戸に住んでいたのではなかったの...。そんな疑問がこの本を読んで解けました。徳川家康からはイギリスへ帰国しないでくれと懇願されていたようですが、家康が亡くなり、秀忠の時代には疎遠となり、イギリスが商館を開いていた平戸に行き、そこで病死したというのです。
でもアダムスにはイギリスに妻子がいるほか、日本にも妻子がいました。日本人の妻はカトリック教徒だったようです。アダムスの死後、どうしたのでしょうか。また、息子と娘がいましたが、その子どもたちはどうなったのでしょうか。秀忠はキリスト教を厳しく禁圧しましたので、ひょっとして、その犠牲になったのでしょうか...。そこらはこの本に書かれていませんが、ぜひ知りたいところです。誰か教えてください...。
それでも、三浦接針となるまでのウィリアム・アダムスと、彼を取り巻く世界情勢がよく解説されていて、とても興味深い本です。
ウィリアム・アダムスは、オランダ船に乗っていたけれど、イギリス人の航海士。このころ、イギリスはエリザベス女王の治世下。イギリスは、軍事力ではスペインの足下にも及ばないので、スペインとの全面戦争を避けていた。
それでもイギリス船はスペインの船を襲って掠奪していた。それで名を上げたのがフランシス・ドレイク。アダムスが青春時代を送った1570年代のこと。スペイン艦隊からイギリス船団が奇襲攻撃を受けてなんとかドレイクは逃げのびたこともあった。このように、イギリスとスペインは互いに憎悪の関係にあった。
イギリスはスペインの無敵艦隊との海戦で大勝しましたが、そのとき、ドレークの艦隊にアダムスも乗っていた。戦争のあと、アダムスはイギリスのバーバリー商会に就職し、船長あるいは舵取りとして働いた。そして、オランダ商船団がアジアに行くのに乗り込んだのです。
この船団の真の目的は、太平洋に面した南アメリカの海岸でスペインの拠点と船を狙って財宝を略奪し、それらの財宝をもとにアジアで貿易することにあった。
なので、アダムスの乗っていたリーフデ号が遭難して大分県臼杵湾にたどり着いたとき、船内には大量の武器があったのです。大型の大砲19門、複数の小型大砲、鉄砲5百挺、鉄砲弾5千発分、鈷弾3百発分、火薬50キンタル(3千キロ近い)、鎖帷子(くさりかたびら)入りの箱3個、火矢355本、現金2千クルサンド(4千万円)、そして毛織物入りの大箱11個。24人の船員には商人らしきものはおらず、船員は兵士の船体をしている。
イエズス会の宣教師たちは、このオランダ船の船員が「異端者」だと分かって、すぐに悪口を言いたてはじめた。
家康はこのとき59歳、アダムスは大坂城に連れてこられて家康から直接の尋問を受けた。ときに1600年5月12日のこと。家康は、イギリス人(アダムス)とオランダ人(ヨーステン)に興味津々で、質問を重ねた。ヨーステンは、八重洲と名を残しているのでしたよね...。
アダムスは世界地図を示して家康に話したようです。また、家康の命令で船の建造もしています。関ヶ原の戦いや大坂夏・冬の陣などで多忙な家康でしたが、アダムスをそばに置いて、いろいろと質問攻めしたようです。アダムスも、そのうちに身につけた日本語で答えていたと思われます。家康は好奇心旺盛の人物だったんですね。
イギリスとオランダ、そしてカトリックの宣教師たちとの敵対関係、競争関係にアダムスは翻弄されたようです。一枚岩ではなかったのです。三浦接針についての興味深い本でした。もっともっと知りたくなりました。
(2021年2月刊。税込1012円)

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2021年8月16日

顔の進化

人間


(霧山昴)
著者 馬場 悠男 、 出版 講談社ブルーバックス新書

人間の顔を研究する「日本顔学会」なるものがあるそうです。1995年の設立です。それほど人間の顔には特別なものがあるわけです。
残念ながら、今のコロナ禍の下では、マスクに顔の大半が覆われていますので、顔の全体がよく分かりません。でも、眼が見えると、それだけでも、人柄はあらわれます。街頭ですれ違うと、あれれ、今の人、誰だっけ...、ということはよく起こりますが...。
人間でも、家族の匂いをかぎ分けられる人は多い、そうです。信じられません...。そして、クラス全員の匂いを個体識別できる小学生が沖縄にいるとのこと。これまた、ウッソー...でしょう。といっても、香水をつくる人は鼻がすごいと言いますから、きっと本当なんでしょうね。
ゾウの臼歯は、5回も生え替わる。一生のうちに、ゾウの歯は1メートルもすり減る。
犬は匂いをかがないと、食べる行為が誘発されない。
オオカミは獲物の匂いをたどって長距離を追いかける。そこで、鼻面を地面に近づけながら走る必要がある。なので、オオカミの顔は長い。
ヒトの顔の構造は「4階建て」。口、鼻、眼、額。鼻は2階から3階へ続いているので、「吹き抜け」。
眉毛(まゆげ)は汗よけ、睫毛(まつげ)は埃(ホコリ)よけ。
アラブ諸国では、髭(ヒゲ)を生やすことが成人男子の証(あかし)。ヒゲを生やさないと女性と見なされることもある。ヒゲはものすごく濃く、カミソリの刃を一人ひとり交換する必要があるほど...。
ヒトは「白眼」(しろめ)を露出させることによって視線を明らかにすることによって相手に注目していることを示し、それで個体どうしの社会的な関係を維持している。
鼻があるのは、メガネをかけるためではなく、その奥の鼻腔の粘膜が、吸気を暖め、水分を与え、異物を取り除き、さらに呼気から熱と水分を吸収するため。
鼻毛はヒトに特有のもの(らしい)。
ヒトの額が目立つのは、脳が大きくなっただけでなく、丸くなったため。
アジア人の顔は四角柱で、ヨーロッパ人は三角柱。アフリカ人の髪の毛が縮れているのは、髪の毛に汗を溜めて、ゆっくり蒸発させることによって頭の温度を下げる効果があることによる。
ヒトの顔の成り立ちを知ることのできる面白い新書です。

(2021年1月刊。税込1100円)

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2021年8月17日

笑う数学

人間


(霧山昴)
著者 日本お笑い数学協会  出版 KADOKAWA

私は高校2年生の冬まで、理系のつもりでした。でも、数学的センスが自分にないことは、いよいよ認めざるをえなくなったのです。発想を飛躍させることができませんでした。論理的な思考力はあると思うのですが(今も...)、数学の世界では、ふっと身をひいて、それまでの思考とは違った新しい発想で考え直す必要があるように思います。それが私にはできないのでした。いま、私はモノカキと称していろいろ書いていて、論理的に扱ったことを文章化していますが、そこには飛躍的な、いわゆる発想のコペルニクス的転換なるものは、カケラもありません。
ところが、数学をお笑い的に扱える奇人・変人が世の中にはいるのですね...。
選択肢が無限にあるっていることは、実は、可能性(確率)がゼロということでは...。
人体は、電池ほどの小さい電圧では、電流があまり通らない。でも、実はたった0.1アンペアで、人は感電死してしまう。
自然界に多いのは、ベルヌーイの螺旋(らせん)。クモの巣は、「アルキメデスの螺旋」。
クジャクの数え方は、1面、2面、3面...。羽を扇形に広げた状態で数える。
動物の数え方は、人間より小さければ、「匹(ひき)」、大きければ「頭(とう)」。リスやネズミは1匹、2匹。ゾウやキリンは1頭、2頭...。ところが、蚕(かいこ)は、家畜として大切にしていたので、「お蚕さん」と呼び、「1頭」と数える。
伊能忠敬が日本地図をつくろうとしたのは、日本地図を描きたいというより、地球の大きさを測りたかったから、と言われている。いやはや、なんとも、すごいことですよね...。
ナポレオンは、あらゆる角度のtanの値を暗記していて、角度を聞けば、すぐに敵までの距離を知った。
ナイチンゲールは、患者の死因の多くが、病院が汚いことによる院内感染であることを統計学を使って突きとめ、周囲を説得した。
黄金比というのがある。人間が美しいと感じる本能に、1対1.618というのがある。
数学が好きな人の発想の面白さにあふれた本です。数学に弱い私でも十分に楽しむことができました。
(2020年1月刊。税込1430円)

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2021年8月18日

自由法曹団百年史

司法


(霧山昴)
著者 自由法曹団 、 出版 日本評論社

1921年に誕生した自由法曹団は100歳になった。誕生したきっかけは、神戸の造船所での労働争議において労働者が官憲から殺傷される事件が起き、東京から弁護士たちが駆けつけ、調査と抗議行動をしたことにある。
戦争が近づくなかで、被告人を弁護すること自体が治安維持法違反として処罰の対象とされ、ついに団員弁護士は戦争中は活動を休止せざるをえなくなり、歴史的には空白の期間となった。それでも、戦後すばやく雌伏していた団員の弁護士たちは活動を再開し、松川事件のような弾圧・謀略事件で犠牲となった被告人の弁護人となり、また、活発な労働争議にも積極的にかかわっていった。
自由法曹団が重視している大衆的裁判闘争とは、権利侵害をはね返し、要求を実現するため、知恵と力を集め、事実と道理によって裁判所を説得し、幅広く市民の共感と支持を得ながらすすめるというもの。
私が弁護士になってまもなくのころ、自由法曹団員の弁護士は全弁護士の1割を占めていました。ところが、新人の入団が少なくなり、今や4万人をこす弁護士総数のなかで比率は5%、2000人となっています。全国42の支部があり、もちろん福岡にも支部があります。全九州の支部をまとめた九州ブロックの代表をいま私がつとめています。
自由法曹団が創立されたころの弁護士の名簿を見ると、歴史的に名高い弁護士が数多い。片山哲、長野國助、山崎今朝弥、真野毅、三輪寿壮、鈴木喜三郎、黒田寿男、神道寛次など...。布施辰治は、3.15共産党員大量検挙事件の法廷での弁論によって弁護士資格をはく奪されたうえ、被告人(共産党員)への手紙の郵送が郵便法違反(公安を害する)などで起訴されて有罪となり、禁固3ヶ月の実刑判決を受けて豊多摩刑務所に収監された。
同じように日本労農弁護士同事件で逮捕・起訴され、懲役2年、執行猶予2年の判決を受けた梨木作次郎は、戦中は新聞配達や材木店での肉体労働をしていた。ところが、敗戦直前の8月10日に日本敗戦必至という話をジャーナリストから聞いて、すぐに丸の内に事務所を借りて再起を期した。
いやはや、なんと前向き、かつ積極的な取り組みでしょうか。梨木弁護士は、私が弁護士になってからも、元気に自由法曹団の会議に参加しておられました。北海道の夕張炭鉱で災害事故が発生したときには、すぐにも現地へ調査団を派遣すべきだと総会で熱弁をふるわれたことを今も鮮明に覚えています。
戦後の自由法曹団の再発足大会が開かれたのは1945年11月10日のこと。150人の弁護士が集まった。
松川事件のとき、被告人面会をする弁護士は、警察の盗聴器に警戒せよという申し送りを受けていた。同じようなことは、最近でも、ときどき起きています。
若々しい弁護団が新しい刑事訴訟にのっとって積極的な弁護活動をすすめていると、古い弁護士層やマスコミの一部から「行き過ぎ」だと批判(非難)された。マスコミは権力と一体となって被告人を列車転覆の犯人たちと報道していた。それでも、弁護団に袴田重司・仙台弁護士会長(県の公安委員でもある)も加入して、弁護団の幅を大きく広げた。
自由法曹団の弁護士たちは労働事件、公害事件そして選挙弾圧事件に積極的に関わり、労働者や市民とともに貴重な成果をあげていった。そのなかで政策形成訴訟とも呼ばれる、新しい法律を国会で制定させる取り組みもすすめた。
100年の歴史が330頁にぎゅっと圧縮されている、ずっしりと重たい本です。とりわけ若い弁護士のみなさんには、ぜひ読んでほしいと思います。
(2021年7月刊。税込2200円)

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2021年8月19日

テンプル騎士団全史

フランス


(霧山昴)
著者 ダン・ジョーンズ 、 出版 河出書房新社

神の教えと剣(つるぎ)に生きた男たち。巡礼者でありながら戦士。貧者でありながら銀行家。それがテンプル騎士。
テンプル騎士団は、11世紀から14世紀にかけて、中世ヨーロッパと聖地に存在していた多くの修道会の一つ。知名度の高さは群を抜いていて、どの修道会よりも物議をかもした。
テンプル騎士団の設立は1119年。当初こそ貧しかったものの、やがて国王や教皇らと親しい関係を築いた。戦費調達を助け、国王の身柄解放のためのお金を貸し付け、王国政府の財務管理を請け負い、徴税し、城塞を建設し、町を治め、軍隊を訓練し、貿易摩擦に介入し、ほかの騎士修道会と暗闘をくり広げ、政治的な抹殺もいとわず、特定の者を王位につける手助けもした。当初こそ貧しかったものの、テンプル騎士団は、ついに強大な組織となり、中世後期まで存続した。
14世紀はじめ、突如、テンプル騎士団の総長以下が逮捕された。男色と異端の温床として迫害され、拷問を受け、見せしめの裁判にかけられ、自白させられ、集団で総長以下は火あぶりの刑に処せられた。そして、テンプル騎士団の全財産が没収された。
1307年10月から11月にかけて、フランス王フィリップ4世の命令によってジャックド・モレー総長以下、数百名のテンプル騎士団のメンバーが逮捕され、容赦ない拷問にかけられた。テンプル騎士団に入団するとき、背中やへそに口づけし、三度キリストを否認し、十字架に唾棄する。これを自白させられた。テンプル騎士団のメンバーは拷問に耐えられず、とりあえず自白し、教皇の赦しを得ようと考えた。
ところが、当初はフランス王の強引さを嫌っていた教皇も、自白による証拠をたっぷり見せつけられ、ついにテンプル騎士団を有罪と信じるようになり、フランス王の要求を受け入れても仕方ないと考えるようになった。こうやって、テンプル騎士団の逮捕されたメンバーは、1307年から3分の1が耐えられずに5年内に死亡した。
テンプル騎士団は無罪だという陳情が始まると、フィリップ4世は、急いで54人を火あぶりの刑に処した。すると、それを見て、恐怖のあまり、たちまち陳情団のメンバーは腰くだけになった。
人間は拷問に弱いものです。フィリップ4世はテンプル騎士団を亡きものにし、その全財産の没収を図った、つまり明らかな冤罪事件だったのです。
テンプル騎士団の残った全財産は聖ヨハネ騎士団に譲渡されたというのですが、フィリップ4世が損したはずはありません。テンプル騎士団を抹殺したフィリップ4世は同じ1314年、わずか46歳で亡くなり、フィリップ4世のに逆らえなかった教皇のクレメンス5世も病気で亡くなった。
テンプル騎士団は聖地回復を目ざす十字軍の戦闘のなかで目ざましい役割を果たした。テンプル騎士たちは、「人を殺すなかれ」ではなく、キリスト教の敵を殺すこと(殺人)が認められていた。
博愛主義をモットーとしているはずの宗教が異なる宗教の信徒を殺してもいいとしていること、さらには、同じキリスト教であってもカトリックとプロテスタント同士で平気で殺しあってきたことを知るにつけ、どうしても私はキリスト教を信じることができません。
テンプル騎士団の総長は選挙で選出されていた。これはローマ教皇と同じですね。
イスラム教徒の戦術は長い年月をかけて磨かれ、電光石火の奇襲を得意としていた。丸兜をかぶり、腰に矢羽の入った矢筒をぶら下げた騎兵が突然あらわれ、突進してくる。ぎりぎりまで近づいたかと思うと、馬の手綱を引き、ぐるりと回って、退却しながら矢を一斉に放つ。相手は不意打ちを受け、血を流し、混乱に陥る。こうした攻撃が波のように押し寄せ、騎兵たちは矢羽を雨あられのように降らせたかと思うと姿を消し、馬を代えて、新たな攻撃をしかけに戻ってくる。
400キログラムほどの軍馬を、片手が手をつかわず見事に操り、疾走する馬の上から重たい弓を引き、非常なまでの正確さで、敵の馬の首や頭、わき腹など、あちこちに狙いをつけて放つ。機動性の高い小グループで行動し、次々と押し寄せて敵に一息つく間も与えない。至近距離での戦闘では、矢を背中に吊り下げて剣を振るい、槍を突き刺す。
これに対して重要なことは、奇襲に遭遇しても、規律を乱さず反撃に出ること。当初の十字軍は、これが出来なかったようです。
テンプル騎士団は軍事能力と諜報能力を駆使し、イスラム教徒の軍団、そしてモンゴル軍団と互角に戦ったようです。しかし、その戦闘は無慈悲なもの。負けたら殺されるか、捕虜は奴隷として売られるか...。
本文のみで440頁という部厚い本ですが、この有名な騎士団の顛末(てんまつ)を知りたくて夏休みに一気読みしました。最後まで当初の期待が裏切られることはありませんでした。
(2021年4月刊。税込5390円)

 梅雨のようなお盆でした。雨がやんだとき庭に出て少し雑草を抜きました。カボチャのツルが伸びているのをひっぱったら、雑草の中から大きなカボチャがころがり出てきました。これは植えたのではありません。生ゴミを庭に埋めたところタネから自生したのです。放っておいたら、ぐんぐんツルを伸ばしていきました。実は、四方にツルが伸びていたので、カボチャがゴロゴロとれるかなとは思っていました。
 さて、問題は味のほうです。前に、自生したスイカを食べたら、形も色もスイカなのに、ちっとも甘くないということがありました。今度のカボチャは、まあまあの味で、ほっとしました。でも、最近のカボチャって、すごく甘いですよね。それに比べると甘さが足りませんが、文句は言えません。
 今、サツマイモの葉が茂っています。秋が楽しみです。

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2021年8月20日

パチンコ

社会


(霧山昴)
著者 杉山 一夫 、 出版 法政大学出版局

ミン・ジン・リーの『パチンコ』を歴史的に裏づけるような本です。といっても、ミン・ジン・リーとは関係なく、著者は一貫してパチンコの歴史を追いかけてきました。私より少し若い団塊世代で、本業は版画家です。パチンコの詳しさは並はずれています。
昭和27年、パチンコ店は4万2000軒。前年は1万2000軒でしたから、4倍近い増加率。
電動化される前、左手でもてる玉数は10~15個、親指で1個ずつ玉入れ口に押し出し、それと連動させ、右手で打つ。素人は、どうがんばっても1分間に50~60発。ところが、パチプロは、その倍の120発を楽々と打っていた。
プロは1分間に100発以上打てたというのですが、これは素人でしかなかった私には、とても真似できません。西部劇に出てくるガンマンの早撃ちと同じです。
1973(昭和48)年に電動ダイヤル方式ハンドルが登場するまで、パチンコは親指でパチンと弾く、日本の大衆娯楽だった。
司法試験の受験生のころ、東横線の都立大学駅前で降りて都立図書館に通って勉強していたことがあります。駅前にパチンコ店があり、つい午前10時の開店にあわせてフラフラと入店しパチンコに撃ち興じたことが何回かあります。勉強しなくては...という罪の思いがありましたが、午前10時だと台が選べますので、ジャンジャンとチューリップが開いて、大当たりになり、チョコレートなどの景品をたくさん下宿に持って帰り、近くに住んでいた仲間に分けてやったことを覚えています。でもでも、こんなことをしていたら、とても勉強に専念できないと一念発起し、その図書館通いは止めました。
パチンコは、実は、日本人の発明。パチンコ産業のピークは1995(平成7)年で、30兆9020億円。これは、この年の国家予算の半分の規模。いまでは衰退産業とも言われているが、それでも年間20兆円の基幹産業である。
パチンコは日本の警察管理のもとにある。開業から、玉の大きさ、貸し玉の値段、出玉の数、景品の内容に至るまで、隅から隅まですべて警察が規制している。いわば、パチンコ産業は警察の利権の拠点と化している。警察の許可がなければ何ひとつできないのが、パチンコ店とパチンコ機。各県の遊技共同組合には警察OBが大量に天下りしている。いま自民党の平沢勝栄代議士が警察長の保安課長のとき、全国共通のプリペイドカードの会社を認可した。
パチンコ業界は自民党に多額の献金をしているし、朝鮮総連を通じて北朝鮮に送金してきた。これは、どちらも公然の秘密だった。
CR機の登場によって、パチンコは名実ともに日本の基幹産業になった。
電動式パチンコ台が導入される前、パチンコ店には釘師(くぎし)がいました。弁護士になった私の依頼者にもそれを職業としている人がいました。ほんとうにごくごく微妙な傾きで玉の動きを左右するというのです。
そして、パチンコ台の裏には大勢の人が働いていました。「島裏」の女性従業員が10万人もいたというのですから、驚きです。それを、パチンコ店は電動化、自動化していって、無人化したのです。よくぞここまでパチンコの歴史を詳しく調べたものだと驚嘆しました。
(2021年3月刊。税込3520円)

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2021年8月21日

戦国佐竹氏研究の最前線

日本史(戦国)


(霧山昴)
著者 佐々木 倫朗、 千葉 篤志 、 出版 山川出版社

江戸時代には秋田藩を治めた佐竹氏は、今もその末裔が県知事ですよね。ところが、戦国時代には関東にあって、小田原北条氏と対抗していました。
さらに、伊達氏の関東進攻を阻み、豊臣政権の下で54万国の大々名となった佐竹氏。
佐竹氏は常陸北部から起き上がった。そして佐竹義重は北条や伊達と戦った。
感状(かんじょう)とは、主君が部下の戦功を賞して出す書状。官途状(かんとじょう)とは、主君が部下の戦功を賞して、特定の官位を私称することを許す書状のこと。
陣城(じんじろ)とは、合戦(かっせん)のとき臨時に築かれた城のこと。
「洞」(うつろ)という耳慣れない目新しい言葉が出てきます。洞とは、濃厚な一族意識を含む、血縁関係にある一族を中心として、地縁などの関係をもつ者を擬制的な血縁関係に位置づけて包摂する共同体、またはそのような結合原理を示している。佐竹氏による権力編成の方法そして、血縁以外には、官途、受領(ずりょう)、偏諱(へんき)の授与、家臣の田の取立があげられる。
洞とは、血縁関係にある一族を中心として、それに非血縁者を擬制的に結合させた地縁共同体あるいはそのような結合原理。洞は、それぞれの階層に個別に存在し、大名クラス。勢力が構成する「洞」には、周辺の国人(在地領主や地侍)や大豪クラスのつくる「洞」が包摂され、包摂された国人クラスの洞のなかに、さらに下の階層の「洞」が包摂されるという、重層的な構造で成り立っていた。
関ヶ原の戦いのころ、佐竹氏は戦局に影響を支えるだけの軍事力をもち、実際、東西両軍にその存在を強く意識されていた。しかし、佐竹氏は軍事行動を起こして、その旗幟(きし)を対外的に鮮明にすることはなかった。なぜなのか...。
佐竹氏の内部では、積極的に西軍に加担しようという空気は醸成されておらず、上杉氏との協定も東軍による佐竹氏領国への侵攻を心配した佐竹義宣の焦りから、内部の意思統一が図られないまま、性急に結ばれたものだったと解するほかはない。
佐竹氏のもとでも鉄砲が大量に使われていたというのには驚きました。戦国大名の実情を知ることのできる本です。
(2021年3月刊。税込1980円)

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2021年8月22日

和算

日本史(江戸)


(霧山昴)
著者 小川 束 、 出版 中央公論新社

江戸時代、庶民においても「読み、書き、珠算(そろばん)」は必要なものと考えられていた。江戸時代の人々は、みな算数が社会において重要な知識、技能であることを理解していた。「そろばん(珠算)が何の役に立つのか」などと文句を言うモノはいなかった。江戸時代、珠算は必須の技能だったからだ。
神社に奉納した絵馬のようなものとして算額がある。江戸時代、数学の愛好者は互いに問題を解いたり、算額を奉納していた。神社は数学の発表の場だった。現存する最古の算額は、1683年のもの。関ヶ原合戦(1600年)から83年たっただけ。このような算額奉納は世界に例がなく、日本独自の文化現象。現存している算額は884枚だが、復元された91枚、文献に出てくる1646枚を加えると、2621枚にのぼる。
算額は天明(1781~1789)年ころから急激に増えはじめ、1800年から1809年にピークを迎えた。この10年間だけで、算額は300枚近い。算額は東日本に多く(東京369枚。次は岩手184枚、福島153枚、長野109枚、新潟105枚)、西日本は比較的少ない。
江戸時代の人々が数学を学ぶとき、初歩を終えると、数学を教授する師匠の下に入門するのが普通だった。数学にはいくつかの流派がある。
数学を教えながら、全国各地を歴訪した人がいたというのも驚きです。法道寺善という安芸国(広島県)出身の人です(1820年生まれ)。法道寺は、豊前(大分)、肥後、長崎、北陸道、東山道を遊歴し、各地で数学を教授したといいます。
江戸時代の人々にとって、もっとも身近な算学(数学)の教科書は、「塵劫記(じんごうき)」だった。1627年に刊行された、この本によって近世日本の数学文化は一挙に花開いた。
江戸時代の数学は世界的にみて最先端をいく成果をいくつもあげた。関孝和は日本の和算の創始者。関は存命中は1冊の本しか出していないが、一般人には難しすぎる傑作だった。
江戸時代の数学は、抽象的な計算技能と、その応用分野としての平面幾何、立体幾何から成り立っていた。そんな数学文化が継続できたのは、幾何の問題を無尽蔵に生み出すことができたから。そこには、図形の美しさという美的感覚、複雑な計算の完遂という高揚感があった。
なーるほど、すばらしいんですね。アルファベットも、X・Yもない時代、そして0(ゼロ)もなくて、どうやって計算していたというのか、ぜひ知りたいところなんですが...。
(2021年1月刊。税込1980円)

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2021年8月23日

国民食の履歴書

社会


(霧山昴)
著者 魚柄 仁之助 、 出版 青弓社

明治になってから日本に入ってきた洋風調味料の御三家はソース、カレー粉、マヨネーズ。とはいっても、和食の伝統がこれら御三家によって破壊されたというわけではない。むしろ、それらを和食にうまく調和、同化させたのが現在の日本食。なーるほど、ですね。
インドのカレーと違って日本には日本のカレーがある。イギリスのウスターソースではない日本のソースがある。肉とチーズを食べるフランス人のマヨネーズと、魚と米を食べる日本人のマヨネーズが違っていて、何も不思議はない。なるほど、なるほど、そう言われたらそうなんですよね...。
本場インドでは、サラっとした「汁カレー」。イギリスは、バターで小麦粉を痛めたルウを使ってドロリとさせた。日本では、イギリス流のドロリとしたカレーこそがカレーであるというのが定着している。そうですよね、日本人にとって、カレーは、ドロリとしていなくてはカレーではありません。チキン、ポーク、ビーフが手に入らないときには、身欠きニシンを入れたカレーもあるそうです。戦前の大正時代の料理の本で紹介されています。
日本のマヨネーズは、欧米のマヨネーズとは異なる、独自のもの。マヨネーズが「自分でつくるもの」から「買ってくるもの」になったのは、戦後のこと。ええっ、戦前はマヨネーズは家庭でつくるものだったんですか...、それは大変でしたね。
絶対に油が分離しないスピードマヨネーズをつくる秘訣は、練乳(コンデンスミルク)をコップ3分の2杯だけ入れて混ぜること。練乳が乳化剤の役割を果たして、油の分離を防ぐ。ええっ、そんな裏技があったのですか...。
日本のソースは、初めのころはショーユ(醤油)からつくっていた。
日本のギョーザ(餃子)の大半は焼きギョーザ。私の大好物でもあります。大正13(1924)年には、東京に「ビターマン食堂」としてギョーザを食べさせる専門店があったそうです。1人あたりの年間ギョーザの消費量日本一は宇都宮と浜松で争っていましたが、何と宮崎が日本一になったというニュースが先日、流れていました。結局は、全国3位になったようです。
中国は水餃子が主であり、皮が厚い。かなり前に大連に行ったとき、何種類ものギョーザを食べさせてくれる店に案内されて、腹一杯、思う存分に焼きギョーザを食べることができました。ギョーザの命は皮づくりにある。西洋料理のラビオリは洋風餃子。日本のギョーザは皮が薄いのでおかずに適している。これは納得です。たくさん食べたいですから...。
肉じゃがが日本で「おふくろの味」となったのは1980年代だそうです。これには驚きました。たしかに、1960年代に東京で大学生をしていましたけれど、そのころ肉じゃがなんて聞いたことはありません。私のちょっとしたぜいたくな一品料理はレバニラ炒めでした。
料理本に「肉じゃが」が登場するのは1975(昭和50)年ころだったということです。私が川崎市で弁護士を始めたころになります。この本には、それまでの「肉豆腐」が「肉じゃが」に変わったという説を紹介しています。いずれにしても、川崎市内の居酒屋で「肉じゃが」を食べたことはなかったように思います。
なんだか読んでいて楽しくなる料理の本でした。
(2020年1月刊。税込1980円)

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2021年8月24日

「核兵器も戦争もない世界」を創る提案

社会


(霧山昴)
著者 大久保 賢一 、 出版 学習の友社

これまで核戦争が実際に起きなかったのは、運が良かっただけという著者の指摘には、私もまったく同感です。同じことは、3.11の大震災による福島第一原発事故についても言えます。あのとき、アメリカ人は一斉に日本から脱出し、逃げ出したのですが、それはメルトダウンが関東一円を死の街にしてしまう危険が現実的なものだったからです。原発に欠陥があったから、なぜか水がたまっていて大爆発が起きなかったというのを知ったとき、私も心底から胆が震えてしまいました。これは樋口英明元裁判官も著書で強調しているところですが、そんな現実を少なくない日本人が忘れていて、安倍前首相の「アンダーコントロール」を真(ま)に受けているのが本当に残念です。
これまで核戦争が起きなったのは、核兵器が存在するおかげだ。平然とこのように言う人の神経が著者には理解できない、と言います。核兵器が存在していたから核戦争が起きなかったというのは、二つの現象を表面的に並べたたけで、論理的な説明にはなっていない。
著者は、こんなたとえ話を持ち出しています。「ニューヨークにワニがいないのは核兵器があるおかげだ」、「憲法9条は北朝鮮の核開発を止めることができなかった」、「お前が生きていられるのは、オレのいるおかげだ」。こんな異論が成り立つはずもない。まったくそのとおりです。
1980年6月、アメリカのカーター大統領の安全保障担当大統領補佐官のブレジンスキーは、深夜、軍事顧問からの電話で叩き起こされた。ソ連の原潜から220発のミサイルがアメリカ本土に向けて発射されたという。ブレジンスキーは、直ちに報復攻撃できるよう戦略空軍に核搭載爆撃機を発進させるよう指示した。次の電話では、ソ連のミサイルは2200発と告げられた。全面攻撃だ。ブレジンスキーは妻を起こさないことにした。30分以内に、みんな死んでしまうからだ。その後、3度目の電話があって、誤警報だと判明した。これは笑い話としてすませていい話では決してありません。いつでも、実際に、ちょっとした間違いから核戦争が起きる危険があるからです。
アメリカで起きた原発事故だって、そこで働いていた人々が故意に重大事故をひき起こした可能性があるとされているものがあります。ヒューマン・エラーというものです。
「俺はもつ、お前はもつな、核兵器」
アメリカやロシアなどの核兵器大国は自分たちが核兵器を持つのは正義だけど、他の国がもつのは不正義だなんて、一方的な論理にしがみついています。インド・パキスタン・イスラエルは、それが不満で核不拡散条約に入らず、北朝鮮は脱退してしまいました。
核兵器禁止条約は発効したのに、日本政府は今なお、背を向けたまま。
「かえって国民の生命・財産を危険にさらす」とか、わけの分からないことを言っている。要は、アメリカの核の傘のもとにいれば安全、アメリカに楯つくなんてもってのほか、という従属根性まる出し。そこには自主性のカケラもない。
「平野文書」なるものがあるそうです。私が読んだことがありません。日本国憲法をつくるときにマッカーサーとわたりあった幣原元首相の側近だった平野三郎という人が1951年に幣原本人をインタビューした記録のようです。
幣原は、戦争をやめるには武器をもたないことが一番の保証だと断言した。
幣原は「武装宣言」は狂気の沙汰であり、軍拡競争から抜け出そうという「非武装宣言」こそ世界史の扉を開くとした。今は夢想家のように思われ、あざけ笑われるかもしれないが、百年後には正しいことを言った預言者として正当に評価されるだろうと語ったというのです。まさしく先見の明がありました。
少しでもまともなことを言い、行動したりすると、自民党のタカ派からは、「あいつは共産党だ」と言われる。自分に反対するものは、みんな「共産党」と言うんだというエピソードも紹介されています。
そんなことでくじけてはいけません。正しいこと、必要だと思ったら、声を上げ、行動に移すことです。
著者は長く反核・平和運動に従事してきて、現在は日本反核法律家協会の会長もつとめています。もっと読みやすい編集・体裁にしてほしいと思いながらも、内容の重さにひきずられて読了しました。160頁の小冊子です。ぜひ、あなたもお読みください。
(2021年8月刊。税込1540円)

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2021年8月25日

伊能忠敬の日本地図

日本史(江戸)


(霧山昴)
著者 渡辺 一郎 、 出版 河出文庫

私の住む町にも伊能忠敬が来て測量したようです。町の中心部に、それを記念する碑が建っています。江戸時代に日本全国を歩いて測量してまわって詳細な日本地図をつくったことで有名な伊能忠敬の日本地図にまつわる話が山盛りの文庫本です。
伊能忠敬の関係資料は今から10年前(2010年)に国宝に指定されたそうです。当然のことだと門外漢の私も思います。ともかく貴重な測量図です。ところが、そんな貴重な伊能図がフランスとかアメリカに流出していたようです。それを現地で探し出していく著者の執念にも驚嘆しました。
伊能忠敬の家は息子も孫も若くして亡くなり、いったん絶えたが、幕末に伊能家は再興することができ、伊能図や文書類を維持・管理できたということのようです。大変な苦労が必要だったことでしょうね。ともかくスペースをとったと思いますので...。その資料の保存には伊能家の女性たちが活躍したことも紹介されています。やはり、女性の力は偉大です。
伊能忠敬の書庫から解放されて庶民のものになるのは、伊能図が幕府に提出(1821年)されて50年たった明治になってからのこと。江戸時代には、厳重な実測量を必要としていなかった。
伊能忠敬は商才を発揮して酒造業、米穀売買、金融業を営み、資産3万両(1両を15万円として、45億円)という資産家だった。事業に成功した忠敬は49歳のとき隠居した。息子は28歳。江戸に出て、天文・暦学を志し、19歳も年下の幕府天文方髙橋至時(よしとき)に入門した。忠敬は、地球の大きさが話題になっていることを知ると、自ら、測量してやろうと思った(らしい)。天文・暦学は面白いけれど、かなり難しい。しかし、測量なら自分でもやれる。忠敬はそう考えたのだ。
伊能忠敬は、終始一貫して現場指揮をつとめた。全測量期間を通して従事したのは伊能忠敬だけ。忠敬は歩測で測ったのは、第一次測量のときだけ。第二次測量からは、間縄(けんなわ)を張って測っている。天体観測は伊能隊の表看板で、1晩に、多いときは20個以上の星を測った。忠敬が測った恒星は、こぐま座、カシオペア座、しし座など、誰でも見られる普通の星。忠敬は自宅で測定した恒星の高度表をもっていたので、それと比較して緯度を求めた。伊能隊には経線儀がなかった。結果として、伊能図は北海道と九州がかなり東偏している。
間宮林蔵は忠敬の弟子である。忠敬は日本中を歩いてまわったが、忠敬は持病もちで、それほど体が丈夫なほうではない。なので、測量隊が進行するときには、主催者であるから村々では医師を待機させていた。
貴重な伊能図の発見と紹介が要領よくなされています。ありがとうございました。いちど、ぜひ現物をみてみたいと思いました。
(2021年5月刊。税込1089円)

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2021年8月26日

「逆転無罪」

司法


(霧山昴)
著者 無罪を勝ち取る会 、 出版 関西共同印刷所

これは「特養あずみの里、刑事裁判の6年7カ月」というサブタイトルのついた144頁の冊子です。「夏やすみの宿題」と思って読みはじめたところ、実に見事な編集とデザインで、とても読みやすく、この裁判の意義と問題点をたちまち理解することができました。
発行主体は、特養あずみの里業務上過失致死事件裁判で無罪を勝ち取る会です。

無罪判決の3つの要因
まず、木嶋日出夫弁護団長が画期的な無罪判決の意義と要因を3点あげています。第一は、当事者本人のがんばり。途中で心が折れて罰金20万円なら支払って終わらせたいと本人がしなかったこと。この裁判は自分だけの問題ではない、日本の介護の未来がかかっているという高い認識をもって、最後まで本人が頑張り通したのです。すごいことです。
 第二に、15人の弁護団が介護・福祉の専門家、医療関係者、法律学者との共同作業によって高い水準の書面を作成したこと。死因は窒息死でないとする医学所見を一審判決は排斥し、高裁はその点に判断するまでもなく業務上の注意義務違反が認められないとしたのですが、高裁の裁判官たちも、弁護団の指摘をきちんと受けとめ、一審判決のひどさに呆れていたとしか思えません。
 第三に、広範な支援者による裁判支援の取組。無罪要請署名は一審判決までに2種類45万筆、控訴審で28万筆、計73万筆を集め、それぞれ裁判所に受理させています。全国の福祉施設・医療関係者の注目を集めた事案だったことの反映です。全国の医療、看護、介護、福祉の関係者の支援を結集した事件でした。

解説のわかり良さ
 この冊子の本文では、裁判の流れが写真つきで図解され、また、弁護団による解説があります。藤井篤弁護士(東京)はあずみの里へ130回以上も通ったとのこと。弁護団会議もあずみの里で開かれています。釈明、図解、再発、証言そして迷走、弁論、不当、奮起、解析、説得、結論という項目だてで問題点がきわめて明快に説明されています。主として金枝真佐尋弁護士の執筆のようですが、説得力があり、素人にも分かりやすい文章が流れるように要領よくポイントをしぼって展開されています。
 本件では、死因を窒息と聞かされた遺族が怒って警察を動かしたようですが、まもなく民事的には施設と遺族とのあいだでは示談が成立しました。入所して2ヶ月で死亡という短期間だったことからか、遺族との信頼関係を築けなかったことが反省点としてあげられています。もし顧問弁護士として施設に関わっていたら用心したい点です。

裁判のすすめ方
 一審の裁判所は検察官に対して6項目の釈明命令を出しましたが、検察官が従いませんでした。それにもかかわらず、検察官は予備的訴因を途中で追加したのです。そして、一審裁判所(野沢晃一裁判長)は主位的訴因を排斥しながら、おやつの形態変更確認義務違反という予備的訴因で、有罪(罰金20万円)としたのでした。
 弁護団は、現場再現DVDを作成し、法廷で冒頭陳述のとき上映しましたが、このとき検察官は11回も異議申立しています。裁判所はいずれも却下しました。
 あずみの里で働く人たちが法廷で証言しています。深夜まで弁護士と打ち合わせたこと、一問一答形式で一字一句まで覚えて法廷にのぞんだこと、弁護士が検察官役になって想定質問にこたえるシュミレーションしたことなどの苦労話も紹介されています。それにしても、被告人を支援する集会に参加を呼びかけた証人の証言には「信用性に疑問がある」などと書いた一審判決には目を疑います。

病院と特養の違い
 病院と特養との違いを看護学者(川嶋みどり・日本赤十字看護大学名誉教授)が説明していますが、控訴審判決がそのまま採用しているのはすばらしいことです。つまり、間食を含めて食事は人の健康や身体活動を維持するためだけでなく、精神的な満足感や安らぎを得るために有用かつ重要...有用かつ必要である」、「食品の提供は...医療行為とは基本的に異なる」。まことに正論です。食事はみんなでおいしく食べたいし、甘いおやつだって、人生の最後まで食べたいというのは誰だってもっている自然な心情ですよね。

問答無用の高裁が逆転無罪
 東京高裁(大熊一之裁判長)は証拠請求を却下し、忌避申立も簡易却下したうえ、弁論再開申立も受けつけず、わずか1回の三者打合せと1回の口頭弁論で結審したため、弁護団は最悪の事態を覚悟して上告も決意したのでした。ところが、東京高裁は2回目で逆転無罪判決を宣告しました。裁判所は起訴されて5年以上が経過しているから、これ以上時間をかけずに速やかに原判決を破棄すべきだとしたのです。
 これについては、遺族の心情を考えたら、やはり死因をはっきりさせるべきだったと学者が批判しています。難しいところです。それにしても、ドーナツでは窒息しないというのは知りませんでした。結局、死因は脳梗塞のようです。

巧みな編集に魅せられる
 ともかく、オールカラーで、見出しのつけ方と編集の巧みさに完全脱帽して一気に読了し、その感動の余韻に浸ることができました。刑事弁護のすすめ方の見本、そして読まれる総括文書の典型としてご一読を強くすすめします。
(2021年7月刊。税込1320円)

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2021年8月27日

変貌する日本の安全保障

社会


(霧山昴)
著者 半田 滋 、 出版 弓立社

これだけ爆発的にコロナ禍が深刻化しているのに、政府は依然として国民に自粛を求めるだけ、外出するな、帰省するな、デパ地下へ行くな...だけ。オリンピックを強行して、お祭り気分を盛り上げておいて、それはないでしょ。「自宅療養」というのは、入院治療の拒絶ということを、政府もマスコミも国民に正直に伝えるべきです。
そして、コロナ禍対策のためのお金はつかわず、相変わらず中国・北朝鮮の脅威をあおり立てて軍事予算だけは増大させています。お隣の韓国政府は国防費をけずってコロナ禍対策にまわしました。当然です。国家を守る前に国民の生命・健康を守るのが政府の責務なのですから。ところが、日本ではコロナ禍の深刻化するなかでも辺野古新基地建設は中断することもなく進められています。ひどい話です。
著者は軍事問題に精通した日本有数のジャーナリストです。今は、法政大学などで学生にも教えていて、本書はその授業を再現したという体裁ですので、基本から軍事の常識を学ぶことができます。
アメリカが日本を守ってくれていると、ほとんどの日本人は誤解・錯覚していますが、駐米大使、外務事務次官をつとめ、ミスター外務省とよばれた村田良平(2010年死去)は、次のように語っているとのこと。
日米安保条約にもとづくアメリカ軍の基地の主目的は、もとより日本の防衛にあるのではない。アメリカは、日本の国土を利用させてもらっているから、その片手間に日本の防衛も手伝うというもの。そして、日本が世界最高額の駐日アメリカ軍の経費を負担しなければならない義務など、本来ない。もはや、アメリカが守ってやるというアメリカの発想を日本は受けるべきではない。日本の自尊心を保つためには、アメリカとの「良識をこえた特殊関係」ではない日本のほうが良いと考えるべきで、その溝があまりにも大きければ、日米安保条約を廃棄するリスクをとるほかない。
なんと、なんと、日本はアメリカの奴隷ではないのだから、もっとはっきりアメリカに対してモノを言うべきだと、元「ミスター外務省」は明言していたのです。知りませんでした。なんとなくアメリカは日本を守ってくれているなんていう幻想から、日本人は一刻も早く脱却すべきなのです。
同じように、コロナ禍対策を日本政府はきちんとやってくれるだろうという甘い幻想に浸っている場合ではありません。投票所に足を運んできっぱり「ノー」という意思表示をしないと、スガのような無能なダメ政治家と政府によって多くの国民が死に至ってしまいかねません。
北朝鮮の軍事能力も紹介されています。自然災害もあって、食糧不足が深刻化し、兵士は援農や建設工事にかりだされているようです。総兵力119万人といっても、装備の多くは旧式。空軍のパイロットの年間飛行時間はわずか20時間。これでは戦えるはずがありません。
しかし、怖いのは、特殊部隊が8万8千人もいるということ。日本は日本海側にたくさんの原子力発電所がありますから、そこを狙われたら日本はイチコロです。テポドン、Jアラートで日本政府は日本国民を脅しつけましたが、現実的な危険が原発にあることをマスコミ操作で「スルー」してしまいましたし、相変わらずしています。
アベ前首相が歴史も憲法も学んでいないことはよく知られた事実ですが、ポツダム宣言についても平気でデマをとばしていたのですね。
「ポツダム宣言というのは、アメリカが原爆を落としたあと、『どうだ』とばかり叩きつけたもの」
しかし、ポツダム宣言が発せられたのは7月26日で、原爆投下(8月6日と9日)よりも早い。アベは、歴史を知らない「歴史修正主義者」だ。これが悲しい現実です。
軍事問題というと、なんだか敬遠して専門家にまかせようという風潮があります。でも、毎日の生活は戦争のない、平和を前提としているのですから、目をふさぐわけにはいきません。350頁ほどもある大部な本ですが、やさしい語り口で展開していきます。あなたも、ぜひ読んでみてください。
(2021年4月刊。税込2750円)

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2021年8月28日

横井久美子、歌手グランドフィナーレ

人間


(霧山昴)
著者 横井 久美子 、 出版 一葉社

本年(2021年)1月14日、歌手の横井久美子は腎盂癌(じんうがん)によって76歳で帰らぬ人となった。この本は、横井久美子が生前に書いたエッセーなどを集めたもので、タイトルは本人が決めた。
横井久美子は、名古屋の左官屋の娘として生まれ育ったが、小さいころから声がよくて、近所でも評判の子どもだった。さすがですね。高校でも音楽過程声楽科に入り、大学は東京芸大の入試に失敗し、国立(くにたち)音大の声楽科に入学した。周囲は、みな金持ちの、良家の子女ばかり。左官職人の父親がアップライトのピアノを寮に運んできてくれたのを恥ずかしく思うばかりの女の子だった。
これって、私にもよく分かります。大学生のこと、小売酒屋の父と母を、私も心底から馬鹿にしていました。思い出すたびに顔から火が噴き出すほど恥ずかしさを覚えます。セツルメント活動をするなかで、社会と人生について少しずつ理解するようになり、自分のあまりの愚かさを少しずつ自覚するようになっていきました。
歌をうたうって、人間にとって何を意味するのか?
そもそも歌って、何なのか?
こんな根源的な疑問を胸に抱きながら音楽大学を卒業した。
横井久美子の夫は友寄英隆は経済学者です。「世俗チョウエツ学者夫」と書かれています。私も話を聞いたことがありますが、なるほど、真面目一徹の経済学者だという印象を受けました。この本によると、離婚の危機を迎えたこともあったようです。娘は、アメリカのワシントンDCで知的財産権の弁護士として働いているとのこと(その夫はアメリカ人)。長男は、「一般人」としての優しさを備えているとのこと。要するに、横井久美子の子育ては手抜きしたけれど、立派に成功したのです。うらやましいですね...。
横井久美子が「燃え尽きた」状態になったこと、それでアイルランドに旅立ったことは知っていましたが、この本を読んで、その事情を知ることができました。
1989年、横井久美子は歌手生活20周年のコンサートを日本青年館で開き成功させた。ところが、本人は出だしの声が十分に出なかった、満席にできなかったと思いこんでしまい、このまま枯れ木のように朽ち果てていくのではないかと大きく落ち込んだ。初めて味わった挫折感だった。唯我独尊になりやすい傾向にあったのです。「私が期待した私らしい私」になれないというのが不安感の主たる原因...。むむむ、なんだかよく分かりませんが、歌手一筋で生きてきたことから、いちど立ち停まって考えてみたらどうか、という天啓がおりてきたのでしょうね。
アイルランドでは、自転車を借りて219キロを横断したというのです。たいしたものですね。
1996年、南アフリカを「じん肺弁護団」のメンバーと一緒に訪問しています。福岡からは岩城邦治・稲村晴夫・角銅立身弁護士が一緒でした。角銅弁護士は横井久美子と大の仲良しで、自宅に泊めて歓待したこともあると聞いていました。角銅弁護士はベトナムにも一緒に行ったことが本書にも紹介されています。
横井久美子のガン闘病日記が紹介されています。そのなかで、本人は、いつも、「私はなんて運のいい女だ!と思って生きている」と書いています。本当にそのとおりですよね。そして、私も同じように思って生きています。
この本を読んで一つだけ不思議に思ったのは、「絶対音感のない私」という表現があるところです。あれだけたくさんの作詞・作曲をした歌手でも、絶対音感がないと思い込んでいるというのがひどい音痴の私には信じられませんでした。
横井久美子の歌は、なにより声がいいのです。私の全身にすっと音が入ってきます。そのうえ歌詞も曲も心地が良くて、うっとりさせられます。たくさんの、すべてとは言いませんが、CDをもっていました。過去形で書いたのは、今では「終活」の一環として、CDの大半を処分したからです。横井久美子の声を聞いている気分になって読了し、ほんわかいい気分に浸っています。いい本をありがとうございました。死んだら拍手してくださいということなので、精一杯の盛大な拍手を送りたいと思います。
(2021年6月刊。税込2420円)

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2021年8月29日

本の力

人間


(霧山昴)
著者 酒井 京子 、 出版 童心社

孫に絵本を読み聞かせています。両足を組んで孫を座らせ、絵本を声色たっぷりに読みあげるのは本当に楽しいです。川崎セツルメントの大先輩である、かこさとしの「ドロボー学校」やら「カラスのパン屋さん」なんて、読んでる私まで気分がぐぐっと若返ります。
絵本誕生の秘話として著者が語るのは、誰でも知っている「おしいれのぼうけん」、「ダンプえんちょうやっつけた」、「14ひきシリーズ」、そして「いないいないばあ」といわさきちひろの「花の童話集」などです。長く長く心に残る絵本ってこうやって出来あがっていくのですね。
120頁ほどの薄い本なので裁判所に持っていって、待ち時間に読みはじめ、裁判が終わってからは控室に行って読み終わりました。
すぐれた絵本は、これを子どもに話したい、伝えたい、子どもたちを喜ばせたいという真剣なものが込められていなければならない。そして、生きる力や考えることの大切さを伝えるものでなければならない。なるほど、そうですよね...。
著者が古田足田さんの家に原稿を取りに行くと、20枚ほどの原稿がテーブルの上に置いてある。それを必死に読む。古田さんは黙って、見ている。ときには、にらみつける(著者は、そう思った)。本当に怖かった。試されていると感じた。読んだなら、その場で何か言わなくてはいけない。考えて明日言います、なんて許されない。緊張する。しかも、古田さんが次に進める意欲が出るようなことを言わなければいけない。問題点だけを指摘したら、古田さんはやる気をなくしてしまう...。
著者が何か言うと、古田さんは20分くらい黙って、何か考えている。さすがに20分間は長い。冬なので、薄手のセーターを着ていったが、汗びっしょり。古田さんの家を出るときには、セーターの上から汗がふき出ていた。それほど真剣勝負だった。
「おしいれのぼうけん」を社長は、「10万部は売ってみせます」と断言した。実際には、1974年に発売されてから2021年3月までに、なんと240万部も売れている。もちろん私の家にもありますし、孫たちにも読んでやりました。ねずみばあさんを今でも怖がっています。
書店に行くと分かる。たくさんの本が並んでいるけれど、力の入った本とそうでない本は、そこから発散するものが違う。それはその中に込められたものによる。込められたものが光輝くのだ。
力のある本は、作家と画家、そして編集者も印刷屋さん、製本屋さんも含め、製作に関わったすべての人の気持ちが、ひとつになる瞬間がある。それは奇跡に近い瞬間だ。
「おしいれのぼうけん」では、ねずみばあさんの怖さと、保育園の子ども2入の勇気がたまらない魅力になっている。
「14ひき」のシリーズに関わったとき、編集者の著者にも作者(いわむらかずおさん)はラフスケッチを見せてくれなかった。本は、生まれる前は作者だけのもの。ひとたび誰かに見せたら、もう作者だけのものではなくなる。ラフの段階で、編集者がトンチンカンなことを言うのは許されない。
「14ひき」シリーズの絵本が初めて出版されて40年たった。今では「日本のいわむら」から「世界のいわむら」になっている。パリでいわむらさんのサイン会をしたら、行列ができた。22言語に翻訳されている。
著者は、いわさきちひろの絵を見た瞬間、この人はただものではないと直感したという。それから、ちひろの黒姫の山荘に行ったとき、尊敬できる人には、いくらでも献身的になれ、料理や掃除がまったく苦にならなかった。
いやあ、いい絵本誕生の秘話でした。編集者としてすごい幸運でしたね...。
(2021年6月刊。税込1650円)

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2021年8月30日

海獣学者、クジラを解剖する

生物(クジラ)


(霧山昴)
著者 田島 木綿子 、 出版 山と渓谷社

著者は茨城県つくば市にある国立科学博物館の筑波研究施設につとめる海獣学者。これまでの20年間に調査解剖したクジラは2000頭をこえる。日本一は間違いないとして、恐らく世界一、クジラを解剖している女性(いったい、男性で同じようなことをしている人はいるのでしょうか...)。
解剖の対象は、死んで海岸に打ち上げられたクジラたち。これをストランディング(漂着、座礁)と呼ぶ。日本国内の海岸に年間300件のストランディングが報告され、可能な限り著者たちは班を組んで現場に駆けつける。科学的に測定し、博物館の標本とするため。放っておくと腐敗し悪臭を漂わせるため、地方自治体は粗大ゴミ扱いしてよいことになっている。そんな処理をされる前に現場に行って、関係者によくよく趣旨を説明して、調査・保存に協力してもらうのが著者たちの第一の任務。
いつストランディングがあるのかは予測がまったくつかないので、対応するのは大変なこと...。さすが根性の入った海獣学者ですので、ともかくストランディング対応が最優先。
しかも、相手は巨体、そして腐敗が進行中...。一刻の猶予もなく解剖に取りかからなければなりません。悪臭なんか気にしているヒマはないのです。いやはや...。
一種につき一体やればいいというのは素人考え。プロは、最低30体はないと、その種を特徴づける肋骨、歯の数、頭骨の形を数値化した平均値、子どもを産む年齢、寿命、大人の平均的な体長といった基本情報、そして、その種がどのような生き方をし、暮らしているのか、他の生物との共通性や違いはどこにあるのか...、情報が多ければ多いほど正確性を増す。
私も、一つのテーマについて少し深く知りたいときには、最低30冊の本を読むようにしています。そのテーマについて30冊を読むと、だいたい共通認識が得られるからです。
マッコウクジラ(16メートル級)の心臓から血液を体内に送る大動脈は、消防車が消火に使うホースくらいの太さがある。うひゃあ、す、すごーい。さすがにデッカイですね。
2018年8月、鎌倉市由比ガ浜にシロナガスクジラの死体が漂着した。このシロナガスクジラは海の哺乳類の中でも特別な存在で、一生に一度あるかどうかの希少なチャンス。大人は全身25メートルにもなるが、このときは11メートルほどの、生後数ヶ月の幼体だった。母クジラと生き別れて死んでしまった赤ちゃんクジラ。
このクジラヒゲを分析すると、岩手県沖を親クジラと一緒に回遊していたことも判明した。すごいですね、そんなことも分かるのですね。そして、もっと恐ろしいことは、この赤ちゃんクジラの胃の中に、直径7センチのビニール片が見つかったということ。「ナイロン6」という材質のフィルムだった。いやはや、プラスチックゴミがこうやって自然環境を汚染しているのですね...。
私は読んでいませんが、本屋大賞をとった『52ヘルツのクジラたち』(町田そのこ、中央公論社)のタイトルにある「52ヘルツのクジラ」は実際に存在した(今も生きているかも...)というのです。52ヘルツというのは、通常なら20ヘルツ前後なのに、特殊な周波数の声で鳴いているのが観測されたのでした。あまりにも特殊な周波数なので、他の種のクジラと関わっている様子がないため、「世界でもっとも孤独なクジラ」と呼ばれるようになった。
ふむふむ、そういうこともあるのですね。1989年に発見されたクジラですが、ぜひ今でも生きていてほしいですね。
沖縄の海で、ジュゴンが異常な鳴き声を出しているのが観測された。そして、そのジュゴンの死体が見つかった。著者たちが出動して、オグロオトメエイというエイの棘(トゲ)がジュゴンの腹に刺さり、その痛みに耐えかねてジュゴンは夜間ずっと鳴いていて、ついに死に至ったことが判明した。
ええっ、そんなことまで分かるのですね、やっぱり学者って、すごいです。
人間関係に疲れて、人間との関わりの少ない専門分野として著者は自然に生きる野生動物を対象に選んだそうです。でも、やっぱり人間との関わりあってこそ研究が深められたといいます。ひき続き、元気にがんばってほしいですね。元気の出る面白い本でした。
(2021年8月刊。税込1870円)

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2021年8月31日

須恵村

社会


(霧山昴)
著者 ジョン・F・エンブリー 、 出版 農文協

戦前、日本の農村に若きアメリカ人の人類学者夫婦が1年間すみつき、その実態調査をまとめたという画期的な本です。
訳者の田中一彦元記者(西日本新聞)は、退職してから3年間、この須恵村(現あさぎり町)に単身移住して取材・調査しています。私は、著者の妻エラによる『須恵村の女たち』に大変なショックを受けました。ぜひ、この本とあわせて読んでみてください。
須恵村は、米や麦、そして蚕による生糸を生産している。野菜は大根とサツマイモ、そして大豆。サツマイモとキュウリは男根崇拝の象徴。そして豆は女性器と同じ意味を有する。
宴会のときは、魚、ときに鶏がつく。タンパク質の多くは大豆でできた味噌汁、しょう油、豆腐からとる。馬や牛は飼われているが、荷物の運搬に使われるだけ。牛乳は汚いと考えられ、医師の処方で飲まれるのみ。豚肉も食べられない。豚の飼育は都会に売るためのもの。
村には大地主はいない。須恵村の男性は、ほとんど村の生まれだが、妻のすべては須恵村の生まれではない。
戸主の言葉は法。主人は最初に風呂に入り、一番に食事をし、焼酎を飲み、いろりでは特別の席にすわる。妻には必要に応じて家計費が渡される。
債権者が来ると、男は妻と離婚して、財産を彼女の名義にして、自分は無一文になる。あとで、男は離縁した妻と再婚する。
娘を芸者や売春婦に売るのは、父親の特権。娘は同意を拒否する立場にない。
養子縁組も、結婚と同じように、最初の1年ほどは、お試し期間を設ける。
村には、結婚していない成人は、ほとんどいない。寡婦は再婚するが、亡夫の弟と再婚することが多い。寡夫は、先妻の妹と結婚することがある。非嫡出子をもつ女性は寡夫と結婚することが多い。寡婦は特別な社会的地位にある。再婚しない限り、きちんとした社会的地位は不安定。性的に自由である。
農作業では、夫も妻も同じように働くので、農家では商店よりも女の地位が高い。
女が参加する宴会も多く、酒が入ると、やがて踊りは性的な性格を帯びてくる。ふだんおとなしい女性も踊りに加わり、即興の歌詞にあわせて、尻を前にぐいと突き出しながら踊る。男は、杖を男根の代わりに使い、それをほめそやす歌をうたう。この余興は、集まった来客に爆笑の渦を起こす。踊りでは、人々、とくに女たちは、物真似や風刺の驚くべき感性を発揮する。
田植えは厳しい共同作業。10人から15人の若い男女が一列に並んで作業する。単調な作業は、絶え間ない冗談、それも卑猥な話によって和らげられる。
須恵村では、頼母子講が盛ん。
須恵村で娘を芸者に売った男が8人いるが、社会的地位が高くない男たち。農業の社会的・経済的基盤の上に家族をつくろうとする人は、貧しくても決して娘を売ることはしない。
売られた娘は決して村には戻ってこないし、結婚することもほとんどない。
一般的に、子どもたちはひどく甘やかされている。
夜ばいの習慣があるが、娘たちには受け入れることも拒絶することもできる。
「三日加勢」という、三日間のお試し結婚がある。娘だけ3日間、男性の家に泊まる。もし結婚に至らなくても、どちらも世間的には顔をつぶされたことにはならない。
須恵村には医者はおらず、子どもの死亡は多い。
須恵村の生活にボスはいない。自治的で、民主的。
戦前(昭和10年から11年、1935年から1936年)の熊本の農村の生々しい状況が手にとるように分かる本です。写真もたくさんあり、興味深いこと、このうえありません。ぜひ、ご一読ください。全国の図書館に必置の本だと思います。
(2021年5月刊。税込4950円)

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