弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

日本史(明治)

2023年2月26日

ボワソナード


(霧山昴)
著者 池田 眞朗 、 出版 山川出版社

 「日本民法の父」だと私は思っていましたが、この本では「日本近代法の父」としています。
 ボワソナード(当時48歳)が日本にやって来たのは1873年(明治6)年11月15日のこと。ボワソナードは、パリ法科大学のアグレジェ(正教授登用を待つ身分)だった。
 日本でのボワソナードの活躍は、「法曹界の団十郎」と呼ばれるほどのものだった。
 ボワソナードは次の三つの分野で日本に大きく貢献した。その一は、民法、刑法、刑事訴訟法(治罪法)の編纂(へんさん)。その二は、法学教育への貢献。その三は、外交交渉や条約改正への貢献。
 ボワソナードは旧民法のうち、財産法の部分を起草したが、家族法は日本人が起草した。
 旧民法典は1890(明治23)年に公布されたものの、施行はされなかった。しかし、日本人起草委員が集成して明治民法典が成立した。
 ボワソナードは東京法学校(今の法政大学)でも講義していて、現在、法政大学にはボワソナード・タワーが建っている。
 ボワソナードは来日してから、日本で拷問が続いているのを知ると、拷問廃止を政府に建白した。やがて拷問は少なくとも表向きは廃止されました。
 ボワソナードは治罪法を起草し、施行されたが、草案では陪審制を提案していた。治罪法では、代言人による刑事弁護制度が確立した。
 ボワソナードは大久保利通から信頼されていた。しかし、大久保利通は1878(明治11)年5月、暗殺された(享年47歳)。
 ボワソナードが起草した民法典において、たとえば時効については援用することを要するとしたり、自然債務の規定を置いたことが注目される。また、売買契約における善意・悪意(ここでは道徳的意味は有しない)という概念も導入した。
 ボワソナードは講義は下手で、社交的でもない。政治力とも無縁で、書斎にこもって研究を続けるタイプの人間。
 旧民法典に対して、「民法出でて、忠孝亡(ほろ)ぶ」などという攻撃が加えられた。しかし、これは、観念論そのものの非難でしかなかった。
 「フランス型のボワソナード旧民法典は葬り去られ、ドイツ型の明治民法典が制定された」という通説は正しくない。個々の民法の条文には、フランス民法系の旧民法典の規定が多数残っている。すなわち、ボワソナードの影響は今に残っている。
 結局、フランス民法典とドイツ民法(草案)の影響は、ほぼ半々という評価が今日では定着している。たとえば、債権譲渡など、フランス民法型の規定の影響が優位である。
 ボワソナードの旧民法典起草作業は、決して無に帰したのではない。
 最近、配偶者居住権が新設されたが、これは130年ぶりのボワソナードの復権といえる。
 ボワソナードは在日22年に及び、死ぬ前年に勲一等旭日大勲章を受けている。
 日本におけるボワソナードの影響力の強さを再認識させられました。
(2022年3月刊。税込880円)

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