弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
ミャンマー
2022年5月26日
ミャンマー金融道
(霧山昴)
著者 泉 賢一 、 出版 河出新書
ゼロから「信用」をつくった日本人銀行員の3105日。これがサブタイトルの新書です。ええっ、どういうこと...。そんな好奇心から手にとって読んでみました。アフリカのウガンダで銀行員として苦労した人の本を思い出させる本でもありました。
表紙のキャッチコピーは次のとおりです。
「英語もミャンマー語も話せないまま、47歳で初めて海外に赴任した、銀行員が通貨や銀行が信じられていない国で、中小企業のための融資の仕組みをつくり、自分以外が全員ミャンマー人の地場銀行のCOOになった...」
いやはや、すごい冒険物語でもあります。
著者の経歴は、次のとおり。1966年生まれ。神戸大学を卒業して太陽神戸三井銀行に入る。2013年から、ミャンマーで中小企業への融資制度づくりに尽力。2019年に古巣の三井住友銀行を退職し、ミャンマー住宅開発インフラ銀行のCOOを2020年までつとめる。現在は住友林業に勤務。
ミャンマーは長く軍政にあったりして(今も再び軍政)。人々は銀行を信じていない。
2013年の調査では、銀行口座をもっている成人はわずか5%。銀行に口座がないから、「お金を借りる」という発想がほとんどない。
著者の英語力は、初めはTOEICで400点前後だった。そして、心機一転、勉強して2年するとコンスタントに850点とれるようになった。
ミャンマーに1人派遣されるといっても、銀行の利益にはまったく直結しない。
2013年ミャンマーに行って分かったことは三つ。その一、不動産担保しか審査時に考慮していない。その二、銀行には経営目標がない。その三、中小零細業者は銀行を利用する習慣がない。つまり、ミャンマーでは、金融はほとんど機能していなかった。ミャンマーの人々は、通貨に対しても不信を抱いていて、金(ゴールド)で貯めている。
融資期間は最大で1年。1年以上先の情報に対しては信用がない。
ミャンマーの名物料理モヒンガは、ナマズの骨などで出汁をとったスープに、米粉でつくったヌードルを入れた料理、ドロッとした濃厚な味が特徴。
日本では、信用保証と信用保険の二つの制度から成りたっている。ところが、ミャンマーでは、預金を長期の融資に貸し出すことができない。ミャンマーの金融市場では最長1年までの預金しかできず、それを原資とした貸出も最長1年までという規制がある。
著者は、一介の銀行マンだったのに、いきなりミャンマーの住宅金融をつかさどる銀行の実質CEOをつとめることになった。著者は、現場に寄りそって、「一緒に解決する人」たらんと務めた。えらい、ですね...。
COOは、再考業務執行責任者。ただし、事案を決済する権限はほとんどない。ミャンマーには、2017年まで、不良債権という概念は存在しなかった。
ミャンマーが再び軍政に戻ってしまい、コロナ禍もあって、日本に戻った著者ですが、大きなタネをまいたことは間違いないようです。本当にお疲れさま、としか言いようがありません。読んで元気の湧いてくる新書でした。
(2021年12月刊。税込935円)
2022年5月18日
良心の囚人
(霧山昴)
著者 マ・ティーダ 、 出版 論創社
ミャンマー(ビルマ)の政治犯として監獄に6年を過した人権活動家の体験が切々とつづられています。著者は女性作家であり、医師であり、敬虔な仏教徒でもあります。
著者はアウンサンスーチー(マ・スーフ)と同じくNLD(国民民主連盟)の若き活動家だった。軍部によるクーデターのあと、軍政権ににらまれて、政治犯として刑務所に入れられたのです。本書は、6年ほどの刑務所生活の実情を詳細に描きあげています。さすが作家です。さまざまな嫌がらせに対して、毅然として最後までたたかい続ける著者の不屈さには頭が下がりました。
ミャンマーで政治活動に加わることは棒高跳びのようなもの。扱いにくい長いポールを持って全力で走り、バーに触れることなく、それを飛びこえ、反対側に優雅に着地する。運が悪ければ、地面に叩きつけられることもある。刑務所への着地は、人生が数年間妨げられることを意味し、そこから回復できない者もいる。
刑務所の中では、貴族のように暮らせる人がいた。家族から高価な品や素晴らしい食事を差し入れしてもらい、それをばらまいて「救世主」になることができる。看守の大半は初等教育しか受けておらず、麻薬取引、詐欺、また汚職などの罪で収監されている囚人は、そんな看守を簡単に買収できた。たとえ他の囚人をいじめても、賄賂のおかげで、この場のスターになっているので問題になることはまったくない。
他方、お金がない人、面会に来る者がいない人は、抑圧され、虐待された。ここでは、お金がなければ、自分の名前すら書けない若い看守に下品な言葉でいじめられる。刑務所では毎日それを耐えなければならない。
著者は1993年10月10日、禁固20年の刑を宣告された。緊急事態法によるものが7年、非合法結社取締法が3年、そして非合法出版取締法が各5年だった。
力のある者が常に弱者を打ち負かすというのが刑務所の不文律。看守長は看守たちを抑圧し、その看守たちは、水浴びや寝台の割りあてなどを司(つかさど)る囚人頭を抑圧する。そして、高慢な囚人頭たちは、わずかな権力でもって、その他の囚人をいじめる。
刑務所は無法地帯であり、家族からの差し入れを監査する看守は、検閲委員会よろしく、いつも自分たちの有利になるように、規則をねじ曲げていた。看守たちは、ほとんど教育を受けておらず、刑務所と受刑者しか知らずに人生を送ってきた。いつも受刑者や部下に叫んだり、怒鳴ったりしているので、受刑者から同じことをされたら、どう反応すればよいのか分からなかった。
収容所は、毎日、45分間、午前中に30分と夕方15分だけ散歩するのが許されていた。
看守の給料は決して十分ではなかったので、副収入や食べるものを手に入れるためなら何でもしていた。看守が見て見ぬふりをすれば、監房等にご飯やお茶をもち込んできた受刑者に話しかけることができた。彼女たちも、政治犯に敬意を払い、親交を結ぼうとした。
ミャンマーの刑務所生活がどういうものなのか、民主化を求める人々は、どのように闘ったのかを認識できる、貴重な体験記です。
(2022年1月刊。税込2420円)