弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
人間・社会
2023年1月14日
裸で泳ぐ
(霧山昴)
著者 伊藤 詩織 、 出版 岩波書店
レイプ犯(今も臆面もなく表通りを歩いているジャーナリストの山口敬之氏)が逮捕される寸前で、中村格という幹部警察官(ついに警察庁長官にのぼりつめたものの、安倍銃撃事件で引責辞任を余儀なくされた)がストップをかけたというのを忘れるわけにはいきません。
そして、その被害者がどんな心境に置かれるのかが赤裸々につづられている本です。
レイプの被害者が実名を出し、マスコミに顔をさらすと、70万件ものネットの書き込みがあった。そのうち名誉毀損的なものは3万件、グレーなものも5万件あった。いやあ、大変な数ですね。私の想像を絶します。いったい、この書評をどれほどの人が読んでいるのか、ときに知りたいと思います。少し前に聞いたときは、1日に300件ほど、ということでした。
なので、今でも、著者は自分へのネットは自分では開けず、スタッフに開いてもらっているとのこと。
そして、交際していた彼も、ネットのほうを信じて、「本当のことを聞きたい」と著者を問いつめたとのこと...。いやはや、ネットの恐ろしさといったら、すごいものなんですね。
この痛みと苦しみを鎮めてくれる薬など存在しない。周りから、時間が解決してくれる、時間がたてば痛みが和らぐからと言われることに、うんざりした。いったい、どれくらいの時間を彼らは言っていたのだろう。おばあちゃんになったら...?元「慰安婦」のハルモニは、苦しみは死ぬまで終わらないと言っている...。
モンスターは、心の中に潜んでいて、内側から私を引き裂こうとする。私はモンスターじゃない。でも私は、心の中のモンスターとは、もう引き離されることがない。それは私の一部になっていて、自分自身の一体感を感じられないことが、モンスターのせいにされている。
でも、私は思う。私の中には、もともとモンスターが住んでいたんだと。たぶん、モンスターは、誰の心の中にも潜んでいる。大きくなると、自分でコントロールすることが難しく、心を内側から引き裂いていくんだ。
著者は高校のときからアメリカ留学したりして、英語のスピーチのほうが日本語より、よほど言いたいいことが言えるとのこと。すごいですね。そして、あふれんばかりの好奇心と行動力、そして何より鋭敏な感受性に心を打たれました。
著者の肩書は映像ジャーナリストとのこと。残念ながら、その映像を見たことはありません。
(2022年10月刊。税込1760円)
2022年7月24日
「男はつらいよ」全作品ガイド
(霧山昴)
著者 町 あかり 、 出版 青土社
1991年うまれのシンガーソングライターの著者は映画館で『男はつらいよ』をみたことはないようですが、全作品を繰り返しみたとのこと。寅さんの映画のすばらしさと感動を素直な文章で紹介しています。
『男はつらいよ』を大学生時代、そして苦しい司法試験の受験勉強の息抜きとして深夜に東京は新宿の映画館でみていた私、さらに弁護士になり、結婚して子どもができてからは、お正月映画として子どもたちを引きつれて映画館で大笑いして楽しんでいました。
私の人生と映画『男はつらいよ』を切り離すことは絶対にできません。
「男だけが辛いとでも思ってるのかい?笑わせないでよ!」
いやあー、す、すんません。
「いくら心の中で思っていても、それが相手に伝わらなかったら、それを愛情って言えるのかしら?」
「幸せにしてある?大きなお世話だ。女が幸せになるには男の力を借りなければいけないと思っているのかい?笑わせないでよ」
他者に左右されない幸せ...。
寅さんは、こう言ってなぐさめる。
「月日がたちゃ、どんどん忘れていくもんなんだよ。忘れるってのは、本当に良いことだなあ」
ホント、そうですよね。忘れられなかったら、すぐにも病気になってしまいますよ。
「人間っているもんはな、ここぞというときには、全身のエネルギーをこめて、命をかけてぶつかっていかなきゃいけない。それが出来ないようでは、あんた幸せになられへんわ!」
失敗を恐れず、思いきり自由に生きたいものです。
著者は、映画館で声を出しながらみる昭和時代のスタイルに憧れているといいます。私は、子どものころから、それを体験しています。子どものころ、映画館にいて、嵐寛寿郎の「くらま天狗」が馬を疾走させて杉作(すぎさく)少年を悪漢から救出させる場面になると、館内の大人はみんな総立ち、手に汗にぎる思いで、みんなで声をからして声援するのです。まさしくスクリーンと館内とが一体化していました。そして、『男はつらいよ』を有楽町の映画館と大井町の映画館でみたとき、こんなに観客のリアクションが違うのか、と驚きました。
やっぱり「寅さん」映画は下町・場末(ばすえ)の映画館で、掛け声や心おきない笑い声とともにみて楽しむものなのです。子どもたちと一緒にみるときも、声を出して大笑いして楽しみました。こんなガイドブックを読んだら、次はぜひ全作品をDVDでみてほしいものです。手引書です。
(2022年4月刊。税込1760円)
2022年7月16日
音が語る、日本映画の黄金時代
(霧山昴)
著者 紅谷 愃一 、 出版 河出書房新社
私は以前から映画をみるのが大好きで、月に1回はみたい気分です。自宅でDVDでみるのではなく、映画館に行って、大画面でみるのが何よりです。最近は、パソコンのユーチューブで「ローマの休日」の断片を繰り返しみて、オードリー・ヘップバーンの笑顔の輝きに見とれています。
この本を読むと、映画製作にはカメラワークと同じく録音も大切だということがよく分かりました。でも、同時録音するとき、マイクを突き出して、カメラの視野に入ったら台なしですし、周囲が騒々しかったり、時代劇なのに現代音が入って台なしにならないような仕掛けと苦労も必要になります。
著者は映画録音技師として映画の撮影現場に60年いたので、たくさんの映画俳優をみていて、そのコメントも面白いものがあります。
著者は1931年に京都で生まれ、工学学校(洛陽高校)の電気科卒。
戦後まもなくの映画製作の現場では徹夜作業が続き、そんなときには、ヒロポンを注射していた(当時、ヒロポンは合法)。
映画「羅生門」のセリフは、ほとんど後でアフレコ。
戦後まもなくの大映の撮影現場は、ほとんどが軍隊帰りで、完全な軍隊調の縦社会。
溝口健二監督は、近づきがたい威厳を感じた。ある種の威圧感があった。
映画製作の現場は、週替わりで2本ずつ公開していたので、月に8本を製作しなくてはいけなかった。1本を4日でつくる。いやあ、これって、とんだペースですよね。セリフと効果音を別々に撮るようになったのは、かなりあとのこと。
今村昌平監督は、「鬼もイマヘイ」と呼ばれていた。著者も、すぐにそれを実感させられた。
石原裕次郎の出現で、日活撮影所の空気が一変。それまでの2年間、日活は赤字が続いていて、全然ダメだった。
著者は映画「にあんちゃん」も録音技師として担当した。
1970年ころ、日活はロマンポルノへ方向転換した。このとき、日活を支えてきたスターがほとんど辞めた。
沢田研二は、素直に注文を聞くし、わがままも言わない。いい男だった。天狗にもならなかった。高倉健は、本当に礼儀正しい。オーラがある。笠(りゅう)智衆は、テンポがゆったりとしていて、セリフを聞いていて、気持ちがよくなる人。
黒澤明監督は怖い。いきなり金物のバケツをけ飛ばして、いかりや長介を一喝した。
黒澤監督は、役者の段取りをもっとも嫌い、常に新しい芝居を見たがった。
黒澤監督は、ともかく発想がすごい。傑作した天才というほかない。「世界のクロサワ」だけのことはある。
映画「阿弥陀堂だより」(02年)もいい映画でしたね。南木佳士の原作です。長野県の飯山市あたりでロケをしています。もちろん、セットを現場に組み立てたのです。四季を表現するのに、一番目立つのは小鳥の鳴き声。なるほど、録音技師の出番です。北林谷栄は、当時90歳だったそうです。そして、北林谷栄は、セリフをアドリブで言う。直前のリハーサルとは全然違うことをしゃべった...。
まず脚本を読む。そして自分なりのアイデアを考える。しかし、現場へ行くと少し違うこともある。そして、編集の段階で、また考えが変わることがある。作品にとって何がいいのかを考え、どんなに気に行っていても捨てる勇気が必要なことがある。一つのやり方に凝り固まっていてはいけない...。
撮影の木村大作、録音の紅谷と並び称される映画づくりの巨匠の一人について、じっくり学ぶことができました。ああ、また早くいい映画をみたい...。
(2022年2月刊。税込2970円)
2022年6月29日
教育鼎談
(霧山昴)
著者 内田 樹、前川 喜平、寺脇 研 、 出版 ミツイパブリッシング
とても知的刺激に満ちた本です。日本の教育の現状、そしてあるべき姿を深く深く掘り下げていて、大いに考えさせられました。実は、軽く読み飛ばそうと思って車中で読みはじめたのです。ところがどっこいでした。
私が大学に入ったとき(1967年)、授業料は月1000円、寮費(食費は別)も月1000円でした。私は記憶にありませんが、この本によると入学金も4000円だったようです。
教育費用が安いと、子どもたちには進学についての決定権がある。親が子どもの進学にうるさく干渉するのは、教育投資だと思うから。
今の日本の大学生の学力が下がっている最大の理由は、やりたくない勉強をさせられているからだ。それは進学先を自己決定できないから。高校生が自分の貯金をおろせば入学できるほどの学費だったら、子どもたちは自由気ままな進路を選ぶ。
大学教育まで、すべて教育は無償にして、好きな専門を自分で選んでいいよ。たとえ選び間違えても、何度でもやり直しができる。だって、無償なんだから。こんな環境を整えてあげることが大切だ。教育をみんなに受けさせるのは、それが社会のためになるから。
いやあ、まったく同感です。ハコやモノより、大切にすべきなのはヒト、ヒトなんですよね。今の日本の自民・公明政権には、まったく、それがありません。
人殺しをいかに効率よくするか、そんな軍事予算は惜しみなくつぎこんでいるのに、人を助ける方にはまったく目が向いていません。これを逆にすべきです。
教育を投資だと考えている親に対して子どもたちは復讐する。それは、親の期待を裏切ること。それを無意識のうちにやっている。ただし、疚(やま)しさ、罪悪感は心の底にある。
うむむ、これは、なんという鋭い指摘でしょうか...。この指摘を読んだだけでも、本書を読んで良かったと思いました。もちろん、それだけではありません。
教育というのは、学生たちの中で「学び」の意欲が起動すれば、それでいいのだ。
学生たちの「学び」が起動するのを阻害しているのは、実は学生たち自身がもつ知的なこわばり。
自分の能力の限度を勝手に設定して、自分にはそれ以上のことができるはずがないと思い込んでいる。
この自己限定の「ロックを解除する」というのが、教師の仕事だ。何がきっかけになって、学生がその気になるのかは、誰にも予見できない。
この指摘を受けて、私は大学1年生のとき、セツルメントの夏合宿で先輩セツラーが世の中の物の見方を語ったとき、ガーンとしびれたことを思い出しました。ああ、そんな見方をしたら、世の中はもっと見えてくるものがあるんだなと思い至り、必死でノートに先輩のコトバを書きしるしました。
いろいろプログラムを組むのは、そのうちのどれかがヒットするだろうという経験則にもとづく。そして、一時的に集中的にやったら、ゆっくり休む。その繰り返し。
セツルメントの夏合宿は、昼はハイキングをして、草原で男女混合の手つなぎ鬼をして楽しんでいました。夜は、みんなでグループ分けしてじっくり話し込むのです。
教育現場は、もっと「だらだら」したほうがいい。
「ゆとり教育」は失敗だったとさんざん言われたけれど、「失敗」の証拠も論拠も、どこにもない。いやあ、そうなんですね。たしかに、今の教員はペーパーの報告事項が多すぎますよね。
「不登校」は本人にとっても親にとっても困ったこと。社会性の獲得は必要なこと。それができないのは不幸なこと。本当にそう思います。
教員の考え方ややり方がてんでばらばら、できるだけ散らばっているほうがいい。そのほうが、子どもにとって、「取りつく島」があるから。教師にも生徒にも、いろんな人間がいるから学校は面白くなる。
子どもたちにとって、学校に来る動機づけ(インセンティブ)は、できるだけ多種多様であるほうがいい。本当に、そのとおりですよね。
私は市立小・中学校、県立高校、そして国立大学と、公立学校ばかりで、私立学校には行っていません。市立小・中学校には、それこそ多様な生徒がいました。つまり、「不良」もたくさんいたのです。でも、そんな生徒が身近にいたので、「免疫」も多少は身についたような気もします。
今は「大検」(大学入学資格検定)はなく、「高認」(高校卒業程度認定試験)がある。
この本には、22歳で高認に合格し、30歳で司法試験に合格して、弁護士として議員になった女性(五十嵐えり氏)が紹介されています。
大阪の維新(松井―吉村ライン)は、コロナ禍対策でひどい過ち(イソジン・雨ガッパ)をして、全国トップレベルの死亡率でしたが、教育分野でもひどい差別・選別教育をすすめています。かの森友学園も、維新政治の闇にかかわっているとこの本で指摘されています。
にもかかわらず、維新の恐ろしい正体がマスコミによってスルーされ、幻想がふりまかれて参院選を乗り切ろうとしています。日本の将来が心配です。
生きることは働くことと学ぶことだと寺脇研は強調しています。それをみんなが理解して支えあう、心豊かな社会にしたいものです。250頁の本ですが、久しぶりにずっしりと読みごたえの本に出会ったという気がしました。
発行は、旭川市の小さな出版社のようです。引き続きがんばって下さいね。いい本をありがとうございました。
(2022年4月刊。税込1980円)
2021年1月23日
マルノウ(農)のひと
(霧山昴)
著者 金井 真紀 、 出版 左右社
ちょっと信じられない農法を紹介した本です。どんなに変わっているかというと...。
芽の伸ばしかた、枝の切りかた、実を摘むタイミングを工夫したら、肥料を一切つかわなくても作物は元気に育ち、農薬もいらない。穀物だって果物って、もちろん野菜もおいしくなるし、収穫量も増える。これこそ、地球環境を守りながら、もうかる農業経営だ...。
しかし、そうなると、農協の経営指導は成り立たなくなります。農薬も肥料も不要だなんてことになったら困りますよね...。
その農法は、とにかく枝をきつく縛ること。ミカンの苗木の新芽をギューギュー、きつく縛りあげた。すると、品評会で1位になるほど、新芽は大きく伸びた。ギューギューに縛られた枝は地面に対して垂直になる。すると、先端部でつくられたオーキシン(植物の成長ホルモン)が幹を伝わってどんどん下に移動し、根っこがぐんぐん伸びる。根が伸びると、今度は根の先端からジベレリンが出て、そのおかげで枝がぐんぐん伸びる。
ミカンを植えた地中に石ころがあると、根っこが石にぶつかってエチレンが多く出る。エチレンは接触刺激で出る。すると、エチレンは病害虫を防いで、実を成熟させるので、ミカンが甘くなる。要するに、植物ホルモンを活用しているという農法なのです。嘘のような話です。著者も私も、すっかり騙されているのでしょうか...。
枝は立ち枝を重視し、元気な枝を残してせん定する。
温州(うんしゅう)ミカンは500年前に日本で誕生した。中国から鹿児島に入ってきたミカンが変種して生まれているので、実は日本産。タネがほとんどないので、以前は、人気がなかった。
この温州ミカンとオレンジをかけあわせて生まれたのが「清見(きよみ)」。これから、デコポンとか不知火、せとか、はるみというスターが誕生した。うひゃあ...。
こんな農法もあっていいよな、そう思いながら読みすすめました。次は、ぜひ写真で確かめたいものです。
(2020年10月刊。1700円+税)
2020年12月 8日
民衆暴力
(霧山昴)
著者 藤野 裕子 、 出版 中公新書
思わず居ずまいを正してしまうほど大変勉強になりました。
まず第一に江戸の一揆。江戸時代の一揆の大半は暴力的なものではなかった。村には火縄銃がたくさんあったが、一揆勢の百姓たちが銃を代官所に目がけて撃つことは決してなかった。それは、まっとうな仁政を願う立場での統制のとれた行動をしていたから。
一揆が当局側と、殺し殺される暴力的なものだったのは、島原・天草の大一揆と幕末のころに限定される。島原・天草一揆が暴力的だったのは、宗教を背景としていることと、江戸幕府の支配体制が始まったばかりの時期だったから。これは仁政の回復を求める行動ではなかった。
19世紀の幕末のころの一揆は、貧富の格差が拡大するなかで、幕藩領主が有効な政策をうち出さず、飢饉などによって仁政イデオロギーが機能不全に陥っていたことによる。人々は、かつてのような蓑笠を着用せず、刀や長脇差しを身につけていた。もはや、百姓身分をアピールして仁政を求めるということではなかった。
次に、新政反対一揆。香川県で明治6年(1873年)に起きた名東県の一揆というのを初めて知りました。130村で放火があり、戸長や吏の家宅200戸、小学校48ヶ所などが放火された。この一揆の参加者として1万7千人が処罰された。
同年の筑前竹槍一揆は、参加者6万4千人で、このとき被差別部落1534戸が被害にあった。民衆は権力に対して暴力を振るっただけでなく、差別されていた民衆に対しても暴力を振るった。
そして秩父事件は明治17年(1884年)に起きている。国会開設と憲法制定を求める自由民権運動に物足りなさを覚えた人々の受け皿となっていた。一揆の要求としては、具体的かつ経済的な負担の軽減を求めている。
自由党は徴兵制度や学校を廃止してくれ、租税を軽減し、借金をなかったことにしてくれると思って、農民たちの多くは自由党を支持した。この秩父事件についての官憲による処罰者は4千人をこえた。
次に、関東大震災直後の朝鮮人虐殺です。1923年9月1日、マグニチュード7.9の大地震だった。このとき、震災直後から、警察は朝鮮人に関する流言・誤認情報を流した。
つまり、震災当初から政府や警察は流言と否定するどころか、むしろ広めていた。公権力の手によって、デマが流布していた。そして、軍関係者が民衆に暴力行使を許可したことが多くの朝鮮人の虐殺につながった。このときの犠牲者が正確に判明しないのは、警察と軍隊によって意図的に遺体が隠蔽(いんぺい)されたからだ。日本国政府は、この虐殺事件について、事実関係を認めず、謝罪や補償もしてこなかった。
虐殺行為をはたらいた日本人男性は40代までを中心としていて、朝鮮人に仕事を奪われているという感覚があった。そして、国家権力がその暴力を直接的、間接的に許可したことには大変大きな意味があった。
民衆が暴力に訴えたとき、被差別部落を襲撃した人々の考えはどういうものだったのかが解明されていて、大変興味深いものがありました。そのミニミニ版が他県ナンバー乗り入れに目くじらをたてるというものでしょうね。一揆などの民衆の暴力を歴史的に鋭く解明してある新書なので、最後まで一気呵成に読みとおしました。
(2020年8月刊。820円+税)
2020年10月29日
「あたりまえ」からズレても
(霧山昴)
著者 藤本 文明、 森下 博 、 出版 日本機関誌出版センター
ひきこもりの体験者が書きつづった本ですので、実感が伝わってきます。
ひきこもり人口は、日本で少なくとも100万人。これは人口の1%。その家族などの関係者は300万人。
「ひきこもり」というと、外からは何もしていないように見えるかもしれない。しかし、そのなかでの本人の精神活動は、ひきこもる必要がなく生活している人以上に活発になり、そこで人間性が研(みが)かれている。なので、真面目に人生を考え、優しく細やかな気づかいのできる青年たちとなる。なーるほど、そうことなんですね。
学校は行かなければならないもの...。学校を卒業したら、会社に就職して働くもの、収入を得るもの、いずれ自立して生活していくもの...。でも、それが出来なかったら...。
中学2年生の夏に優等生を維持できなくなって、それから7年半のあいだ引きこもった。現在は、ひきこもり支援の資格を得て、自助グループを運営している。
大学を卒業して、就職を失敗して3年間ひきこもった。27歳のとき、個別指導の塾をはじめ、今は、「どんな子でも楽しく学べる塾」を営んでいる。
ひきこもりの体験者にも、いろんな人がいるのですね...。
ひきこもりの人は、自分のせいで家族に迷惑をかけてしまったという罪悪感がある。
ひきこもりから脱出するため、まず一番に、毎日、家を出る習慣を身につけるようにした。小さい挑戦をし、その成功体験を積み重ねた。
引きこもりを克服する三つのステップ。初めのゼロ・ステップは、親の心を休めるステップ。第一のステップは、子どもに興味をもつステップ。第二ステップは、社会的常識を捨てて、子どもの求めているものに目を向ける。第三ステップは、子どもに何か書いてもらって、子のニーズを引き出す。
ひきこもっている人は、自分自身に対する価値を信じていない。自己肯定感が欠如している。自分のことですら、自分で決定できなくなり、基準のすべてが想像上の他者か社会になっている。
ひきこもり対策に、マニュアルは存在しない。親といえども、子育てについては、みんな初心者なのだ...。
母親が酔って泣きわめいているのを見て、「しんどい」って吐き出せる余地が、自分の周りになかった。泣きわめく母親に、「助けて」と頼めるわけには行かない...。自分のせいで、母親が、こんなに泣いて苦しんでいるのが分かって辛かった。
不登校経験者で、教員になった人が周囲にいた。それで、やってもいいかなと思ってはじめた。
私の依頼者の家族にひきこもりの男性が数人いて、毎月、法律事務所に来ていただいています。外に出れること自体がいいことなので、私は何か変わったことはないかとたずねます。法律事務をしているというより、カウンセリングしている感じです。
それにしても、体験者の手記には重みがありますね...。
(2020年3月刊。1300円+税)