弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2015年11月 1日

アメリカの卑劣な戦争(下)

アメリカ

(霧山昴)
著者  ジェレミー・スケイヒル 、 出版 柏書房

 安保法制が強引に成立して、これから日本は「戦争する国」になる危険が現実化しています。この法制によって「抑止力」を強める、なんて言ったって、世界最強の軍事大国であるアメリカに抑止力がないのですから、日本がどうあがいたって抑止力を持てるはずがありません。その意味でも大ウソつきのアベ・自公政権は絶対に許せません。
日本は、これからテロ攻撃の対象にもなる危険があります。自爆テロは、自分の体に爆弾を身につけています。それも、最新のケースでは、自分の直腸内に仕込んでいたというのです。これでは、身体検査で見つかるはずもありません。
2009年12月3日、ソマリアのモガディシュ市内の大学医学部の卒業式で自爆テロが起きた。犯人はブルカという女性の服装をした男たちだった。死者25人、負傷者55人だった。  
アラブの女性が全身を覆う服装をしているのを自爆テロ犯人が利用したというわけです。このソマリアに、日本の自衛隊が安保法制法の具体化として派遣されそうです。言葉も話せず(英語は通用しません)、生活習慣がまるで違うアフリカに行って日本の自衛隊が何が出来るというのでしょうか、、、。そんなことして、日本の安全が守れるなんてウソもいいとこです。かえって、日本国内にテロの危険がますばかりでしょう、、、。
オバマ政権は、前任者の対テロ対策をほとんどすべて受け継いだ。国家機密の秘匿特権と国家安全保障の保護という主張を十全に活用し、殺害プログラムの詳細を国民の目から隠し続けた。
2010年半ばまでに、オバマ政権は特殊作戦部隊の駐留先を60ヶ国から75ヶ国に増やした。特殊作戦軍は、イラクとアフガニスタン以外の、世界中の国々に4000人を派兵していた。
特殊作戦部隊の出身者は、大きく稼ぐ。
統合特殊作戦コマンドは、高度に専門家された極秘の機密作戦集団で標的殺害あるいは拉致に備えたデリケートな監視と情報作戦の任務にあたる。
アメリカの統合特殊作戦コマンドによるビンラディン暗殺計画についても触れています。
アメリカ映画『ゼロ・ダーク・サーティ』でも紹介されていますが、ビンラディンは武器をもって抵抗したのではなく、アメリカ兵は無抵抗のビンラディンを一方的に射殺したのでした。
このとき、屋内にいた大人11人のうち7人をアメリカ兵が撃ち、男4人、女1人が殺されている。その犠牲者は誰も武装していなかった。
アメリカ政府は、国際人権法を軽視する手段で作戦を敢行したのである。そして、アメリカはパキスタンの主権も侵害した。アルカイーダの指導者が死んだからといって、現地の抵抗が沈静化したことはなく、むしろ活発化している。
アメリカはアルカイーダをテロリストと呼ぶが、むしろ無人航空機のほうがテロリストだ。無人航空機は昼夜を問わず飛び回り、女や子どもを怯えさせ、眠りを妨げる。そのほうが、よほどテロ行為だ。
アルカイーダは、本当にアメリカの存在なのか?
もちろん、違う。絶対に違う。連中は、誰ひとりとしてアメリカの存在を脅かすほどの脅威ではない。過剰反応しているだけだ。こういうヒステリックな反応こそが危険だ。
ソマリアには、政府という名の「泥棒」か、アル・シャバーブという名の「犯罪者」か、ふたつの選択肢しかない。
脅威を取り除くことを目的としたアメリカの政策は、逆に、その脅威を増強することになった。ソマリアにおけるアメリカの多面的な作戦は、結局、かつてアル・シャバーブを仲間であり味方であるとしていた者たちや軍閥を強く後押しすることになった。
無人機をつかい、狙った者を始末して、良しとする。こうやって、たしかに個人は排除出来る。だが、争いの根本的原因は解決されずに残っている。根本的な原因とは、治安ではない。政治と経済だ。
武力に対抗するには武力だという単純な発想ですすめると、日本だってアメリカの9.11事態7に直面することになりかねません。
安保法制を一刻も早く国会で廃止してほしいものです。

(2014年10月刊。2500円+税)

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2015年11月 2日

セキララ憲法

司法

(霧山昴)
著者  金杉 美和 、 出版  新日本出版社

 富山県出身で、今は京都で活躍している女性弁護士が憲法の意義を生き生きと語った本です。何がセキララ(赤裸々)かというと、著者の悩み多き半生が本当に赤裸々(セキララ)に語られているのです。
 大学(ハンダイ)では航空部に所属し、グライダーを操縦していました。そして、エアラインのパイロットを目ざしたのです。残念ながら合格できずに、次はフリーター生活。美人の著者は、イベントコンパニオンとなり、大阪は北新地のクラブでホステスとして働いたのです。5年間もホステスをやって、人間を表からも裏からも深く見る目を養ったといいます。うひゃあ、す、すごーい、すごいです・・・。たしかに、夜のクラブでは人生の深くて暗い断面に何度も直面したことでしょうね。
 選挙があっても、投票にも行っていない生活。あるとき、何気ない話で、弁護士が向いているということから大転身。わずか2年で司法試験に合格したのでした。さすがの集中力です。
 この本の序章は、日本の自衛隊が安保法によって海外へ派遣される話から始まります。
 戦場でのストレスから、帰ってきたら廃人同様になってしまうという、おぞましい結末を迎えます。アベ首相のいうような、「リスクはまったくない」どころではありません。
 憲法は、私たちの一人ひとりの幸せのためにある。
 暗黒のフリーター時代、無明(むみょう)の闇の底に沈んでいたとき、いっそ戦争でも起こらないかと思ったことがある。想像力が働かなかったから、どこかで戦争なんか自分とは関係ないと思っていた。
 だけど、本当に戦争になったら、死ぬのはアベ首相や、その取り巻き連中ではなくて、私たち自身、私と私の子どもたちなのだ。
 憲法9条は、日本人の私たちが戦争で死なないための最大の武器なのだ。
 自分自身の過去を恥ずかしさとともに客観的に語り、日本の将来を心配して、一緒に考えましょうという、本当に頼もしい本です。 一気に読めます。ぜひ、あなたもご一読ください。
(2015年8月刊。1300円+税)

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2015年11月 3日

戦国武将

日本史(戦国)

(霧山昴)
著者 小和田 哲男  、 出版 中公文庫

  戦国時代というのは、後世の歴史家が命名したのではありません。武田信玄が定めた分国法のなかに、「今は天下が戦国だから」と書かれています。
戦国時代ほど個人の能力や力量が重視された時代はほかにない。それを中世では、器量という言葉で言いあらわしている。
今では、器量よしというと、美人をさす言葉になっていますよね・・・。
上杉家では、感状をたくさんもらっている武将が上座にすわり、感状が少ないと下座にすわることになっていた。感状は、そのまま戦国武将の器量の認定証になっていた。そして、子どもに父ほどの器量がなければ、結局、家禄を没収されてしまった。
戦国時代においては、主君から恩義が得られなければ、その主君のもとから離脱するのは自由だった。器量ある者が人の上に立つという観念が支配的な風潮だった。
合戦をするにあたって、占いやら方角にとらわれず、合理的な考えをする武将がいた。武田信玄とか朝倉孝景が、そうである。
重臣たちが協議したうえで主君の承認を得るという方式が多かった。主君の恣意は認められなかった。戦国大名と重臣の関係は、近世におけるような絶対的な上下の関係ではなく、比較的に対等に近かった。戦国大名における重臣の力は、今日の私たちが想像する以上に強かったのである。
戦国期の足利将軍は、偏諱(へんき)を与えることで、擬制的な親子関係を結ぶというより、戦国大名からの見返りとしての献金の方を重視していた。
男の世界である合戦に、戦国女性は自ら加わっている。夫の死後、城主となって城を守ったという「女城主」も戦国期には珍しくはなかった。
30年前の本がアップトウーデイトに改訂された文庫本です。面白く、すらすらと読めました。

(2015年8月刊。800円+税)

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2015年11月 4日

武器ビジネス(上)

社会

(霧山昴)
著者  アンドルー・ファインスタイン 、 出版  原書房

 自民・公明の安倍政権が安保法制法を強引に成立させてしまいました。このとき、アベ首相は今後の日本の平和を守るために必要な法制だと高言していましたが、実際には、日本が世界各地の紛争に武力介入しようとするものです。その結果、日本社会の平和が大きく脅かされることになるのは必至です。
 ですから、多くの国民が安保法制法案を戦争法案だと名づけて反対してきたのも当然のことです。アベ政権が現実にすすめているものの一つが軍需産業の育成・強化です。戦車や潜水艦などの軍事品を諸外国にどんどん輸出してもうけようというのです。日本も、アメリカやイギリスそしてドイツやフランスと同じような死の商人になろうとしています。
 自分がもうかりさえすれば、自分の家族が死ななければよその家族の誰が死のうと知ったことではない。ましてや、外国人がいくら死んでも関係がない。これがアベ政権です。本当に恐ろしい人たちではないでしょうか。それこそ血も涙もありません。いえ、血もしたたる強欲の輩(やから)です。この本は、そんな戦争ビジネスの実態を世界的視野で暴いています。
 サウジアラビアの指導者たちは、臣民には厳格なコーランの教義の厳守を要求する一方で、自分たちの行いは、彼らの信仰とは、これ以上ありえないほどかけ離れていた。
 サウジアラビアがアメリカやイギリスから武器を購入するとき、王族たちは莫大な賄賂を収得していた。高級車、飛行機、高級リゾートでのぜいたくな休暇、豪華なショッピング、、、。
 これって、アベ首相たちが、高級料亭やレストランでぜいたくざんまいをしている一方で、庶民は倹約精神を押しつける道徳教育に熱心なのとまるで同じですよね、、、。
 なにしろ、月1億円、年間10億円もの使い放題の内閣官房機密費があるのですから、やめられませんよね、ぜいたくは、、、。私は、そんなアベ首相は絶対に許すことができません。戦争への道連れなんかしたくないからです。日本で自爆テロが頻発するようになってから、あのときアベ首相に反対しておけばよかったなんて後悔しても遅いのです。
 2010年、世界全体の軍事支出は総額1,6兆ドルにのぼった。地球全体で、ひとりあたり235ドル。これは、2000年から53%増加している。そして、全世界の国内総生産の2、6%にあたる。アメリカは国防予算が7030億ドルをこえ、国家安全保障に毎年1兆ドルをついやしている。大小の通常兵器の取引は、毎年、総額600億ドルにのぼる。
 アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、ドイツ、スウェーデン、オランダ、イタリア、イスラエル、中国は、常に武器と軍需品の最大の製造国であり、輸出国である。
武器取引には贈収賄や腐敗行為が蔓延し、完全に公明正大な武器取引はごくわずかしかない。
 兵器産業の腐敗した秘密主義の手口は、販売国と購入国の両方で、説明責任のある民主主義を土台から揺るがしている。
武器取引は、全世界の取引の腐敗行為の40%以上を占めている。武器取引は、表向きの世界と影の世界、政府と商業と犯罪行為の錯綜するネットワークであり、我々をもっと安全にするどころか、たいていは豊ではなく貧しくする。そして、我々のためでなく、自己の利益に奉仕する少数のエリートの利得のために管理され、見たところ法律が及ぼす、国家安全保障の機密主義に守られ、誰にたいしても説明責任を負うことはない。
 政治家たちは、日本に限らず表向きはキレイゴトを口にしつつ、裏では汚い金をふんだんに我がモノにしている。その典型が武器ビジネスなのです。あまりにもおぞましいので、目を覆いたくなるほどです。でも、しっかり目を見開いて究明し、根絶したいものです。
(2015年6月刊。2400円+税)

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2015年11月 5日

さえこ照ラス

司法

(霧山昴)
著者  友井 羊 、 出版  光文社

 沖縄にある法テラス事務所が舞台となっています。
 法テラスでスタッフ弁護士として働く沙英子が主人公。とぼけた男性事務員の大城が主人公を補佐して大活躍します。
 沖縄の特殊事情を生かした状況設定のなかで、スタッフ弁護士である沙英子と大城のコンビが難問を次々に解決していくのです。
 うまい。ストーリー展開が実に見事です。誰だろう、こんなストーリーを描けるのは・・・、と思っていると、著者は弁護士ではなかったのでした。それにしても、司法による解決の落としどころもおさえていて、驚嘆するばかりでした。
 交通事故の後遺症をめぐる話では、反射性交換神経性ジストロフィーという病気が登場してきます。聞いたことのない病名です。
 外傷の治療が終わったと診断されたあとでも、外傷の程度に不釣合いな激痛が持続する。軽く触れるだけでも灼けるような激痛が走り、筋肉や骨が委縮するケースもある。また、発汗異常や皮膚の変化もある。こんな病名かもしれないと考えるべきなのですね・・・。
 沖縄には、頼母子講に似た模合(もあい)というのがある。複数の人間が毎月集まり、そのときに、1万円とか決まったお金を持ち寄る。そして、そのお金を参加者の一人がまとめて受けとる。これを全員が受けとるまで続ける。問題は、お金をもらったのに、毎月のお金を出さなくなったメンバーが出てきたとき。さあ、どうする・・・。福岡県南部でも20年前ころ、頼母子講が次々に破綻していき、裁判になりました。
 沖縄は結婚しやすく、離婚もしやすい土地柄だ。人口あたりの離婚件数は沖縄が全国一。片親疎外。両親が別居して片親に育てられた子どもは、同居親から強い影響を受ける。子どもは、その同居親から別居親に対する不満を聞かされて育ち、その不満を信じ込んでしまう。
 「小説宝石」に連載されていたそうですが、本当によく出来たストーリーですし、弁護士として勉強になりました。
(2015年5月刊。1500円+税)

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2015年11月 6日

消えた娘を追って

(霧山昴)
著者  ベルナルド・クシンスキー 、 出版  花伝社
   
 ブラジル軍事政権のとき、政権にタテついた若者たちが次々に拉致され消されていきました。消されるというのは、裁判もなく殺害され、その遺体は跡形もなく処分されて、何の記憶も残らないということです。著者の消された娘は大学で教えていました。写真がありますが、いかにも知的な美人です。
 ブラジル軍政下で逮捕されていた人たちが、今ではブラジルの大統領になっています。ルラ大統領とルセフ大統領です。著者の娘は残念ながら直ちに殺害されたのですが、今では都会の通りの名前になっています。忘れられないための措置です。
 そして、訳者によると、日系人も数多く消されたとのことです。
 日本人移民には、子どもには最良の教育を与えようと思い、子どもたちにも都会志向があり、日系人の大学進学率は飛び抜けて高かったのでした。ですからサンパウロ大学に日系人学生が多かったのも当然です。そして、1960年後半に起こった世界的な学生運動の高まりのなかで、ブラジルではサンパウロ大学が一番中心的な存在でした。ですから、日系人学生の多くが独裁政権に抗して立ちあがったのです。
 サンパウロ市が建立した記念碑には、軍政時代の犠牲差463人の名前が彫り込まれている。人々は跡形もなく消えてしまった。あのナチスだって、犠牲者たちを焼却炉で灰にはしたが、少なくとも記録は残した。
 拉致して拷問し、殺害した加害者232人のリスト。何十年かたって公表されたが、誰も罪に問われることはなかった。
 拷問には必ず医師が立ち会っていた。医師の役割は、拷問執行人が訊き出したいことを話す前に囚人が死んでしまうことを防ぐこと。
 学生たちを捕まえたら、八つ裂きにして、ばらばらの遺体を一つも残らないように消してしまう。部屋には、大きなテーブルがあり、その上に肉屋が使うのと同じ包丁や、のこぎりや金槌がある。そして、人間のバラバラにされた身体が・・・切られた腕が・・・脚が・・・そして、血・・・ものすごい量の血が・・・。
 これはドアに開いた穴からのぞいた人が見た光景です。なんとおぞましいことでしょう・・・・。
 軍事独裁政権のやったことは、どこでも同じですね。
 日本だって、放っておくと戦前のように軍人の天下になりかねません。アベ政権の目指している道そのものです。今ならまだ遅くありません。嫌なものは嫌だといえる平和な日本を守るために声をあげましょう。

(2015年10月刊。1700円+税)

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2015年11月 7日

あなたは死刑判決を下せますか

司法

(霧山昴)
著者  木村 伸夫 、 出版  花伝社

 私は残念なことに裁判員裁判を経験したことがありません。
 殺人事件の弁護人になったことはあるのですが、いつのまにか嘱託殺人となり、裁判員裁判ではなくなりました。裁判員裁判が始まって、もう6年になりますが、私のパートナー弁護士も私と同じで、やったことがありません。ですから、体験にもとづいて裁判員裁判の是非を論じることはできません。
でも、私は、一般市民が裁判所のなかに入って、裁判官と「対等に」議論する仕組み自体はいいことだと評価しています。その裏返しに、職業裁判官の裁判への深い不信感があります。もちろん、まともな裁判官も多いわけですが、どうしてこんな人が裁判官を続けているのか強い疑問を感じることも決して少なくありません。そんなときには、せめて市民に直接接して説得できるようになってほしいと願うのです。
 この本は殺人事件を担当するようになった高校教員の体験記という仕掛けで裁判員裁判の展開を紹介しています。
 審議状況を傍聴したことのある司法修習生に感想を聞いたことがあります。彼らは異口同音に、裁判員になった市民はみんな真剣に考え、発言していましたよと教えてくれました。もちろん、守秘義務がありますので、具体的なことを聞いたわけではありません。それでも、真面目な議論がなされていること、裁判官の「誘導」はあまりないということを知って安心したものです。
 この本のなかに、裁判官の回想録はあまりないとか、見たことがないと書かれています。たしかに少ないとは思いますが、決してないというわけではありません。木谷明氏など、いくつか秀れた回想記も出ています。
 8月はヒマなので、海外旅行に行っていますという裁判官の話が出てきますが、多くの裁判官にとって、8月は長大事件の判決書きに精進していて、海外旅行どころではないように思います・・・。
 裁判員裁判の具体的イメージをつかめる本として、おすすめします。
(2015年10月刊。1500円+税)

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2015年11月 8日

受験は母親が9割

社会

(霧山昴)
著者  佐藤 亮子 、 出版  朝日新聞出版

  3人の息子を東大理Ⅲ(医学部)へ進学させたスーパーママの体験記の第二弾です。
その合理的な手法に目を開かされるとともに、最後まで徹底してやり抜いた実行力には驚嘆すると同時に、頭が下がります。
著者の夫が私の親しい弁護士なので、前著に引き続いて著者サイン入りの本を贈呈していただいたのでした。
きわめて合理的な子育てが実践されたのですが、それでも著者は、楽しみながら、そして息抜き、手抜きも按配・加減しているという点で大いに共感するところがあります。
受験ですから、目標ははっきりしています。それに合わせて日常生活がすべて進行していくのですが、読んでいてギスギスしたところがないので、ひょっとしたら、我が家でも出来るのでは(出来たのでは)と思わせるのです。
前著を読んで、もっと詳しく知りたいという人に向いた本だと思います。つまり、私は、まずは前著(カドカワ)を読んだうえで、本書を読むことをおすすめしたと思います。
3兄弟が通っていたのは灘(なだ)中学・高校です。奈良の自宅から神戸にある学校まで電車を乗り継いで1時間40分かかります。大人でも嫌になるほどの長い通学時間ですが、3兄弟は6年間やりとおしたのです。しかも、サッカー部にも入っていたというのですから、すごいものです。
そして、母親である著者は、毎朝、午前4時半に起床して9合のご飯を炊き、3兄弟と夫の弁当を作り続けました。3兄弟は午前6時すぎに家を出ます。朝ご飯のためには、別におにぎりを握って持たせるのです。
そして、昼間も昼寝付きの専業主婦どころではありません。子どもたちの勉強の準備をするのです。問題集をコピーしたり、大事なところにはマーカーをつけたり、、、。
夜は、子どもたちが寝るまで起きていますので、午前2時になることもしばしば、、、。
なんとタフな母親でしょうか。子育てのプロと自称しているのも理解できます。よくぞ続いたものです。私のよく知る夫の果たした役割は「1割」だということですが、それはそうかもしれませんが、見えないところで著者を大いに支えていたような気がします。
子どもを勉強させるためには、ただ「勉強しなさい」と言うだけではダメ。子どもが勉強できるように、親は徹底的にサポートする。翌日の持ち物をそろえてカバンに入れ、忘れものがないかチェックするのは母親の役割。
3兄弟と妹には、すべて名前に「ちゃん」をつけて呼び、「お兄ちゃん」とは呼ばない。兄弟すべて、いつも同じ扱いをする。これを徹底した。
子どもからすると、母親は完璧すぎない。家の中は散らかっていて、庭も荒れている。母親は割り切っている。それでも、家の中は、基本的にのびのびした雰囲気で過ごせる家庭だった。
夫婦ゲンカもあったようですが、いつも母親の勝ち。なので、一瞬のうちに終わる。
「そんなに勉強ばかりでは、かわいそうだろう」「子育ては、私の責任、口出ししないで」
いやあ、これには、まいりました、、、。
勉強するのは、人としてより豊かに生きていくためなんだ。子どもたちには、何度も話して聞かせた。うむむ、そうなんですよね、なるほど、、、。
いわゆる「東大脳」は、生まれついたものではなく、育て方で決まるもの。子どもたちは、勉強が楽しいと目を輝かせていた。塾の日は、心待ちにしている、とても楽しい日だった。
私も、小学4年生から中学3年生まで塾に通いました。学校とは違った教え方で、よく分かりました。でも、私なりの勉強法が分かりましたので、高校になると塾には通わず、Z会の通信添削のみにしました。これには大いに刺激を受け、また励みになりました。
3兄弟は、勉強するのは同じ部屋。つまり、各自の子ども部屋というのはありません。テレビを見るときは2階にあがらないといけません。1階のリビングにはテレビがないのです。我が家では、子どもたちがいるあいだテレビはありませんでした。子どもたちが家を出てしまった今はテレビがありますが、私は基本的に今もテレビは見ません。録画したものを見ることがあるだけです。
どんなテストでも、目ざすのは100点。ほめるのは、ほどほど。母親は何事にも動じず、感情的にならないことが大切。
私がこの本を読んで、あっと驚き、今でもそんなことしていいのかと疑問に感じたことがあります。それは、3兄弟が1歳から公文式教室に通って、読み、書き、計算をはじめたということです。ひょっとして、これがすべての基礎だったのかもしれません。でも、これって、本当にいいこと、必要なことなのでしょうか、、、。
とても実践的な、ぐいっと目の開かれる思いのする本です。子育てに少しでも関心のある人には強くおすすめしたいと思います。
佐藤先生、今後ともどうぞよろしくお願いします。
(2015年7月刊。1300円+税)

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2015年11月 9日

けもの道の歩き方

生物

(霧山昴)
著者  千松信也 、 出版  リトルモア

 鉄砲をつかわない猟をしている著者による、山での狩猟の実際を紹介した本です。
 鉄砲をつかわないので、わなにかかった獲物は、木の棒や鉄パイプでどついて失神させ、ナイフでトドメを刺す。
 猟銃免許とは、法律で定められた猟具(銃、わな、網)をつかうための免許である。石を投げて捕まえたり、パチンコで鳥を獲ったりするのは、自由狩猟と呼ばれ、免許はいらない。日本で伝統的に行われてる鷹狩も自由狩猟だ。
 解体も、家畜なら許された施設でしなければいけないが、猟で獲った獲物については、許可も資格も必要ない。
 野生シカの解体は、膀胱と肛門の処理が難しい。腹の中を水できれいに洗い、氷を詰め込み、外側からも氷をあてがう。そうしないと、残った体温で肉が傷んでしまう。分厚い毛並みの保温力は相当なものがある。
 おおきなオスジカだと、肉が硬いので、カレーやシチューなどの煮込み料理が一般的。
イノシシが日本全国で増えている。1980年代には全国で2~3万頭だった。1990年代後半は10万頭以下だった。その後の10数年で急増し、今では2012年に46万頭をこえた。
イノシシは、本来は臆病で、変化に対して異常なほど警戒心が強い。しかし、環境への適応能力は高く、慣れてきたら、びっくりするほど大胆で、ずうずうしい。
 全身を剛毛で覆われているイノシシは、鼻さえ触れなければ、電気柵の威力はほとんどない。イノシシは雑食性なので、ミミズやサワガニ、ヘビ、昆虫も食べる。春先は筍をよく食べ、秋のどんぐりが大好きだ。
 わな猟は、におい消しが必要だ。樫の樹皮に大量に含まれるタンニンはワイヤーの銀色をどす黒く着色し、人間のにおいを消している。
 イノシシは血が抜けやすいが、シカは心臓を動かした状態で血抜きする。血が抜けきらないと、肉に臭みが残ってしまう。発情したオスのイノシシの肉は臭い。ええっ、そうなの??
 日本全国に狩猟免許をもつ人は18万人いる。その6割が60歳以上だ。クマよりも猟師のほうが絶滅危惧種だとまで言われている。
 たしかに、20年以上前には、自分の鉄砲でうち落としたカモを依頼者から毎年いただいていましたが、今やそんな人は見かけませんね・・・。
 京大文学部を出て運送業のかたわら狩猟免許をとったという異色の経歴の持ち主です。

(2015年9月刊。1600円+税)

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2015年11月10日

アルジェリア人質事件の深層

アフリカ

(霧山昴)
著者  桃井治郎 、 出版  新評論

 2013年1月16日、アルジェリアでイスラム武装勢力が天然ガス施設を襲撃した事件が起きました。このとき、日本人10人をふくむ40人が亡くなっています。
 著者は在アルジェリア日本大使館に勤務していたことのある学者です。アルジェリアという国の歴史と現状が詳しく紹介されていますので、とても説得力があります。
 アルジェリアの人口は3900万人。人口の90%は北部地域に暮らしているが、アルジェリア経済を支えてるのは南部のサハラ地域。気温50度をこすサハラ砂漠の地下には、原油や天然ガスなど豊かな天然資源が埋蔵されている。
 日本も、アルジェリアからLNGをスポット的に輸入することがある。この施設では、外の警備はアルジェリア軍の憲兵隊、内側は民間警備会社が丸腰(火器をもたない)であたっている。居住区の滞在者の名前が漏れていたから、内部スタッフに武装集団の協力者がいたことは確実。居住区内のアルジェリア人は、はじめから人質の対象になっていない。
 武装集団は合計32人。外国人の人質は、首や同体に爆弾コードを巻かれ、人間の盾として、外に座らされた。
2日目の朝9時すぎから、アルジェリア軍が外から居住区への攻撃を開始した。午後3時までに作戦は終了した。
 プラント地区は、3日目からアルジェリア軍が侵入作戦を開始し、4日目(19日)、午後10時から突入した。死者は10ヶ国40人に及んだ。日本人の10人がもっとも多い。武装集団32人のうち29人が死亡し、3人がアルジェリア軍に拘束された。
 アルジェリアでは、国内政治における軍の影響力は非常に大きく、軍情報部が実質的に軍の指導部を担っている。
 アルジェリアでは、メディアは非常に活発に活動している。ただし、治安情報に関しては、軍情報部の情報管理体制が徹底している。
武装集団メンバーの多くが外国人であり、リビアから侵入したことが明らかになった。
 アルジェリア政府は、事態が長引くこと、外国政府による介入を招く恐れがあることを知っていた。とくにアメリカ軍の介入はアルジェリア国内の反米感情を刺激し、政情不安に陥ることが明らかだった。アルジェリアは自尊心が強く、メンツを大事にする国である。
 日本は、いまだに首相が訪問したことがない。アルジェリア政府とのあいだで、日本政府は信頼関係を形成していない。
 1950年代、アルジェリアは、フランスからの独立を目ざして武装抵抗を続けます。映画「アルジェリアの戦い」は、私が大学生のころの映画です。そして、1962年にフランスから独立するのですが、その後も、アルジェリア国内では、激しい武力衝突や軍部によるクーデターが相次ぐのでした。
 革命は無政府状態を生みだし、その結果、大混乱が起きて悲劇に陥ると考えるアルジェリア人は多い。1990年代の暴力の連鎖が生々しい記憶となっていて、混乱や無秩序をなによりも恐れ、忌避する。アルジェリア国内では、現在、武装勢力に対する一般市民からの支持は完全に失われている。
アルジェリア国内の腐敗構造は継続し、むしろ悪化している。日本に対して求められているのは、貧困削減、技術協力、産業育成などの民生分野での貢献である。
 アルジェリアでは、「日揮」(JGL)の名前は、日本において以上によく知られている。
テロリズムに抗するというのは、武装集団を徹底的に掃討し、殲滅すればよいというような単純なことではない。むしろ、アルジェリアの歴史は、それに疑問を投げかける。
 テロリズムは、反体制側の暴力だけではなく、体制側の恐怖政治をも指し示す。
 私たちは、双方のテロリズムを拒否しなければならない。それは結局、暴力の連鎖を生み、絶滅戦に至るからである。私たちがなすべきは、現実に絶望して諦めてしまうのではなく、絶対的正義を掲げてテロリズムを根絶しようとすることでもなく、暴力や恐怖に基づく暴力主義に「ノン」と声をあげて拒絶を表明し、暴力の正当化を容認しない社会を一歩ずつ作り上げていくことにある。
 暴力主義への共感が広がらないような社会環境をつくり出していくことが遠回りではあるものの、テロリズム問題への本質的な解決策となる。
 世界からテロリズムをなくすというのは、「テロリスト」を殲滅することではない。テロリズムを生むようなあらゆる暴力主義をなくしていくことである。
 著者のこの提言は、今回の人質大量殺害事件そして、アルジェリアの戦後の悲惨な歴史を踏まえたものだけに、心が大きく揺さぶられるほど説得的です。


(2015年10月刊。2000円+税)

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2015年11月11日

国防政策が生んだ沖縄基地マフィア

社会

(霧山昴)
著者  平井康嗣・野中大樹 、 出版  七つ森書館

  普天間飛行場移設問題の足下で、総額5300億円にものぼる巨額の公共工事をめぐって、スーパーゼネコンをはじめとする沖縄県内外の土木建築業者、商社らが、少しでもその分け前にあずかろうとシノギを削っている。
  東開発グループの中泊弘次会長は、97年の住民投票で数千万円とも言われる内閣官房機密費を政府から受けとり、地元で差配した。
  それにしても、先日、辺野古の3地区の区長を首相官邸に招いて国が直接に地区へ交付金を渡すことを約束したというのは目を疑いました。これは民主主義国家ではありえないことです。封建制度の殿様なら、自分のお気に入りに手づかみでお金をバラまけたでしょうが、今どき、そんなことをするなんて・・・・。マスコミが、このことをあまり問題にしないのも私には理解できません。これこそまさしく税金の勝手なムダづかいでしょう・・。
  沖縄へ国からおりてくる振興補助金は一部の業者に偏っていて、談合の温床になっている。
  2014年5月、沖縄防衛局は名護漁協に5年間の漁業補助費36億円を支払う契約を結んだ。その前に24億円を提示したが、漁協が難色を示して倍額された。これで辺野古の漁民は一人あたり3200万円を受けとることになる
  実は、アメリカ軍の基地を撤去したら、沖縄の経済は大きく発展することが確実なのです。基地があることでもたらされる新興策は一時的なものでしかない。基地を撤去して、その跡地を利用することによって、雇用が100倍に増えたという実例がある。
  むしろ、アメリカ軍の基地こそ、沖縄経済の発展を阻害している最大の要因なのである。おもろまちでモノレールを降りると広大なショッピングセンターが広がっています。聞けば、ここはアメリカ軍の基地がなくなった跡地だということです。
  戦争ではなく、平和。軍事ではなく民生施設。これこそ、私たちの望んでいることだと思います。ノーモア米軍基地、ノーモア・アベ首相です。

(2015年7月刊。1800円+税)

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2015年11月12日

イスラーム国

イラク

(霧山昴)
著者  アブトルバーリ・アトワーン 、 出版  集英社インターナショナル

 「イスラーム国」は、今や単なるテロリスト集団ではなくなってしまいました。
  日本人が人質となり殺害されてしまいましたが、今後もありうると本書は日本人に警告しています。
遠く離れた日本にまで、イスラーム国の脅威が及ぶことはないと楽観するのは禁物だ。イスラーム国は、世界でもっとも大きい脅威の一つであり、まったく新しいタイプの脅威である。その理由は、三つある。一つは、イスラーム国が経済的に自立した組織であること。モスルのイラク中央銀行から615億円(5億USドル)を強奪し、石油販売で1日246億円の収入があり、イラクとシリアの半分を占める支配地域の住民1000万人から税金を徴収している。
  二つ目は、兵器を自給していること。2700をこえる戦車、装甲車、軍用車両を所有している。三つには、支配地域を統治する能力を有していること。
  「イスラーム国」は今や「国家」に近い組織になっている。アルカーイダとは異なるイデオロギーや形成過程と目標をもつ組織である。
  「イスラーム国」が他ジハード組織と異なるのは、自らのイデオロギーにもとづき社会を根底から変革すること、変革のためには残忍な行為もいとわず、むしろ敢行すること、西欧による植民地支配を区別して考えないこと、にある。
  イラク旧政権の将校たちが、「イスラーム国」の中枢部を担っている。
  「イスラーム国」の戦闘員は12万人に達し、さらに増え続けている。
  「イスラーム国」は「電子軍」と呼ばれる、高度な技術をもったサイバー集団を有している。イスラーム国は、「身代金ビジネス」をすすめ、2014年の1年間に24億円を上回るお金を手にした。
「イスラーム国」による過剰な暴力は、意図的かつ計画的なものである。残虐行為は、脅迫であると同時に、抑止ともなる。人々への脅迫は、それ自体が武器である。
  イスラーム国の戦闘員10万人のうちの30%以上が外国人である。外国人戦闘員の出身国は80ヶ国にものぼる。ヨーロッパ人のなかではフランスが多く6%、次いでイギリス人の4.5%を占めている。
  「イスラーム国」がアルカーイダなどの組織と異なるのは、広報宣伝をインターネットのみならず、街頭でも堂々とおこなうこと。人生経験に乏しい若者にとって、その宣伝は、とても魅力的なものにうつった。
  「イスラーム国」はインターネットを通じた広報宣伝に加え、モスクの行事やムスリムの移民コミュニティ内のグループを通じてリクルートを行ない、ラディカルな思想を広めている。
  「イスラーム国」のメディアは、これまでに例を見ない高いクオリティを斬新さをもっていて、欧米諸国のメディアを圧倒した。この心理戦は、ときに実戦よりも重要な意味をもつ。
  「イスラーム国」の実体を知りたいという方は、強く一読をおすすめします。


(2015年8月刊。2400円+税)

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2015年11月13日

移民たちの「満州」

日本史(戦前)

(霧山昴)
著者  二松啓紀 、 出版  平凡社新書

  アベ首相のいう「美しい国「」は戦前の満州をかかえた日本をさしているようです。
  では、その満州に夢を持って渡っていった日本人が、結局、どんな悲惨な目にあったのかを今の私たちが思い出すのも意味があることでしょう。
  京都府は長野県に後れをとったが、10ヶ年で20万人を満州へ移住させるという壮大な目標をかかげた。しかし、幸か不幸か(幸に決まっていますが・・・)ほとんど実現していない。
  1933年3月、第一次の武装移民425人が満州に入植した。大阪市の2倍、横浜市の広さの土地450平方キロが日本人の土地になった。しかし、武装集団から襲撃され、屯懇病(ホームシック)で、まもなく半数ほどが退団した。ここは満州開拓発祥の地と喧伝されたが、その実態は失敗の連続だった。
  1936年当時の日本の人口は7000万人。満州移民500万人という計画は、人口の7%を移すという、とんでもない計画だった。
  日中戦争がはじまり、移民消極論が再び台頭し、最終的に青少年義勇軍は3万人あまりで、6割の達成率だった。ほとんどの道府県で割り当てを下まわり、達成したのは、石川、佐賀、大分の三県のみ。九州から佐賀、大分の二県があるのは興味深いところです。
  同じ海外移民でも、南米ブラジルは遠いけれど、匪賊は出ない。満州は近いけれど匪賊が出る。
国策とか天皇を錦の御旗にかかげたとき、ごく普通の人々が想像力を失い、思考停止に陥り、良識なき選択を繰り返していった。
  満州開拓は、無人の地に入植したのではない。現地の中国人を追いだして日本人の土地にしたのである。
  大分県日田市から行った大鶴開拓団は、一人の残留者もなく引き上げることができた。すなわち在籍者220人の8割の176人が戦後の日本に生還した。その主たる理由は、現地の中国人と良好な関係を築いた点にあった。だから戦後に、避難するのに現地の人々に協力してもらったという。
  誰かのものを奪えば、あとで生命か何かを奪われることになるのです。海外植民地の悲劇を繰り返すのはゴメンですよね。

(2015年7月刊。840円+税)

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2015年11月14日

秀吉研究の最前線

日本史(戦国)

(霧山昴)
著者  日本史史料研究会 、 出版  洋泉社 歴史新書Y

 秀吉についての最新の研究成果がコンパクトにまとめられた新書です。
 五大老・五奉行という呼称は、秀吉の当時は使われておらず、江戸時代に入ってから一般化した。五大老とは、江戸幕府の大老にちなんでつけられたものなので、江戸時代の呼び方。五奉行は、あるときは「年寄」ないし「奉行」と呼ばれていた。
 五大老の日常的かつ本来の職務は領地給与であった。五大老は、あくまで秀吉の代行者にすぎなかった。五奉行の職務は、豊臣家直轄領の統括であった。
そして、五大老が上位で、五奉行が下位であったというのは、安易すぎる結論であって、見直されてしかるべきもの。
 秀吉は、武家出身者として初めて従一位関白に任官した。秀吉は、死ぬまで太政大臣の地位に留まっていた。
秀吉の実父は誰なのか分っていない。実母はなか(のちの大政所)。
刀狩以降も、民衆は丸腰ではなかった。江戸時代の百姓は領主に数倍する鉄砲をもっていた。ただし、百姓から帯刀権が剥奪された。
 清須会議は有名だが、会議というのは明治になって学者が名づけたもの。当時は、「談合」と呼んでいた。このとき、信雄と信孝が争ったのは織田家の家督ではなく、「御名代」であった。
 秀吉は名護屋城における最重要拠点を家康に任せていた。つまり、秀吉は家康を警戒していなかった。
 40代、50代の学者による研究会がまとめていますので、信頼性があります。


(2015年8月刊。950円+税)

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2015年11月15日

マルトク・特別協力者

警察

(霧山昴)
著者  竹内 明 、 出版  講談社

 久しぶりに警察小説を読みました。
 警備公安警察が活躍する話なのですが、首相官邸の思惑とは違ったところで行動するハグレ警察官が登場したりして、読ませます。
 ネタバラシになるようなことは紹介できませんので、専門用語の解説をとりあげてみます。
 マルトクとは、特別協力者のこと。公安組織が獲得し、情報提供者として運用する、外国の諜報員や犯罪組織の構成員のこと。
 リエゾンとは、外遊中の政治家の移動、買い物、食事までのロジステックを組む、いわば御用聞き。もてなす相手によって、大変な気苦労を強いられる。一方で、気の利いた立ち回りができれば、政治家とのパイプができる。若手外交官にとっては貴重な仕事だ。そうやって人脈がつくられていくのです・・・。
 警視庁では、人事異動の直後に新しい上司が部下の自宅を訪れる「家庭訪問」という前近代的な制度がある。配偶者との不和はないか、子どもの非行はないか、怪しげな人物と同居していないか、そういった素行を確認する。
 尾行するときの対象者を客と呼ぶ。客に気づかれないために、尾行班のうち一人だけを客の直近に置き、頻繁に入れて替えていく。これが先頭引きという尾行陣形だ。
 秘匿尾行は狩猟に似ている。背後につける者は客の視線や息づかい、筋肉の緊張から目的地を読みながら追っていく。
訓練された諜報員は尾行者を切るための点検を行う。電車の「飛び降り」や「飛び乗り」逃げ場のない路地で180度方向転換をする「佇立反転」。中には尾行者を捕まえ、逆問(逆尋問)する猛者(もさ)もいる。
 公安総務課機材班。公安部の秘撮・秘聴の機材には、世間に公開できない非合法のものも存在する。こうした特殊機材を一元管理し、開発、設置、運用まで手掛けるのが機材班だ。
 著者はTBSに入社して海外特派員やテレビのキャスターなどで働き、公安警察への取材を続けているとのことです。
 この本を読むと、警察っていったい、何をするところなのか、常識が反転することになると思います。ご一読ください。


(2015年10月刊。1500円+税)

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2015年11月16日

「サル学」の系譜

サル

(霧山昴)
著者  中村美知夫 、 出版  中公叢書

 アフリカでチンパンジー研究を日本人が初めて50年。1965年10月に始まり、今なお調査は継続されている。
 これって、とてもすごいことですよね。大変な苦労があったし、あると思いますが、関係者のご苦労に対して心から敬意を表します。
 そして、対象となるチンパンジーが今や絶滅するかもしれないというのです。アフリカの森がなくなり、自然が破壊され、また観光客が知らず知らずに人間の病気に感染させているそうです。本当に人間はもっと反省する必要がありますよね。
 チンパンジーは、ゴリラと違って、「政治をするサル」として、政治的駆け引きに長け、ときに殺し合いまでします。その点、本当に人間そっくりなのです。
 そのため、チンパンジーを観察していた長谷川眞理子先生は、チンパンジーが嫌いになってしまったとのこと。
 日本サル学には独自の方法論がある。餌づけ、個体識別、歴史的方法そして共感法である。個体識別は、たとえば100頭のチンパンジーがいたとして、そのすべてを見分けて、名前をつけ、親子関係も特定していくのです。
 ええっ、チンパンジーってどれも似たような顔をしているから、見分けられるはずがないでしょ。そう思うのは素人で、プロは微妙な顔の違いを素早く見分けて、ノートに記入していくのです。すごい名人芸です。
共感法こそ、もっとも日本的なユニークさをもつ。サルの生活にとけこみ、一体化し、相互に通じあう感情的チャンネルをもつことによって、かれらの生活を実感的に感知する。
 チンパンジーのすぐ身近にまで接近しても逃げられないという関係を確立するのです。これって、すごく根気のいる仕事もありますよね・・・。
 ゴリラは、より草食の傾向が強く、チンパンジーは果実食の傾向が強い。
 伊谷教授は、森の中を1日40キロ歩いた。食料を担いでのサファリでは1日10キロも歩けたらいいほうなのに・・・。1日40キロだなんて、まさしく超人的ですね。
 チンパンジーは、サルと違って雌が集団を抜け出て、他の集団へ移っていく。それも発情が可能な雌だけ。性的に受け入れ可能な状態であることが集団を動く際の条件となる。
 人間と同じく、チンパンジーでも年寄りは保守的だ。年配の雌ほど臆病な傾向が強い。
 チンパンジーは3歳までに母親が死ぬと生き残ることができない。そして、離乳後であっても、母親を失くすと、生存上不利になることが調査して判明した。
 チンパンジーは、50歳以上まで生きる。
 「サル学」とありますが、ニホンザルではなくて、アフリカにおける日本人によるチンパンジー研究の歴史をコンパクトにまとめた本です。
 その苦労をしのびつつ、一気に読了しました。

(2015年9月刊。1900円+税)

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2015年11月17日

日本史(戦後)

日本占領史 1945-1952
(霧山昴)
著者  福永文夫 、 出版  中公新書

  本書は、戦後体制がつくられた7年間を濃密な7年間と呼んでいます。本当に、そうなのでしょうか・・・。
  1945年7月26日、アメリカ、イギリス、中国の3ヶ国はポツダム宣言を発した。このとき、トルーマンは、ソ連をはずした。
  ポツダム宣言の内容は、軍事主義の排除。日本の領土を本州・北海道・九州・四国そして周辺小島に限定する。日本軍の武装解除の民主主義的傾向を復活強化する。言論・宗教・思想の自由と基本的人権を尊重する。
7月27日、最高戦争指導会議は、黙殺することにした。連合国は、黙殺を拒否と受けとった。8月6日の広島そして9日の長崎への原爆投下につながった。
  マッカーサーは、1951年4月に解任されるまで、東京を離れることはほとんどなかった。そして、日本人の目の前に姿を現すことも、直接語りかけることもなかった。
  マッカーサーは自分の部下たちに絶対的な忠誠を要求した。
  そして、日本人自身の問題に介入することを嫌い、日本人自身によって処理させる方針を貫いた。
  日本の占領は、マッカーサーの占領となった。アメリカ政府は、もともと交戦中の直接軍政を前提に、日本進駐を考えていた。しかし、ポツダム宣言では、日本政府を通じての間接統治をうたっていた。日本の降伏が予想よりかなり早かったため、ポツダム宣言を受けて日本本土の間接統治以外に方針がないまま、連合国の占領は始まった。
  ホイットニー民政局長は、GHQでもただ一人、マッカーサーと約束なしに面会でき、2人は、毎夕5時から1時間ほど話すのを常とした。ホイットニーは、マッカーサーの非常に複雑多様な思考を正確に読みとることのできる才能をもち、いかなる問題についても、マッカーサーの考えを正確に表現でき、筆跡までも似ていた。
  GHQは、決して一枚岩ではなかった。
  日本の敗戦により、沖縄の占領目的があいまいになり、ワシントンでも、沖縄の処理が定まっていなかった。沖縄の現地アメリカ軍は、本国政府から明確な統治方針や予算を得られないまま、統治にのぞむことになった。そこで、その政策は、計画性を欠き、場当たり的なものとなった。
  憲法制定前に、主権在民を唱えたのは共産党のみだった。政府と進歩党は天皇に、自由・社会の両党は主権は国家にあるとしていた。
  マッカーサーは、天皇の存在が占領を円滑に進めるために必要と考え、明確に天皇擁護へと動き出した。
  民生局は、GHQの他のセクションを排して憲法草案をつくることで、マッカーサーの「政治的参謀」としての位置を確立した。以後、日本の「民主化のエンジン」として機能し、改革の旗手にふさわしい維識再編を行っていった。
3月6日の憲法草案の公表は、アメリカ国務省にとって、寝耳に水だった。草案の実物は国務省になかった。しかし、内容自体は、ワシントンをあわてさせるものではなかった。
  公職追放をめぐって、軍諜報部の代表(ウィロビー)を先鋒に、軍関係の4局はかたく結託して追放に反対した。しかし、追放を民生局が指示した。ホイットニーは、他局を排して、公務追放、選挙法改正問題を解決したことでGHQ内部での民政局の立場を強化した。
  1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効し、6年8ヶ月に及ぶ占領が終結した。
  日本の戦後の実際がコンパクトによくまとめられた新書です。
(2014年12月刊。900円+税)

日曜日、早起きして仏検(準一級)を受けてきました。年に2回の苦行です。これまでは単語中心にしていましたが、今年は文章を書いて覚えることに重点を置きました。動詞を名詞に、名詞を動詞に置き換えるというときに、単語だけでなく、文章として覚えようというのです。やはりコトバは単語ではなくて文章なのです。基本文型を覚えるときに、覚えた単語を増やしていきます。
昨年は安保法の講師を引き受けたために受験できませんでした。実は、1997年度から欠かさず(昨年の1回だけ抜けていますが)、受験してきたのです。ですから、過去問を復習するといっても一週間はかかってしまいます。
土曜日と日曜日に早朝からフランス語文章を書いた成果でしょうか。自己採点で87点でした。120点満点ですから、7割とったことになります。書きとりなんて、もうバッチリです。なにしろ、NHKラジオ講座(CD)で毎朝かきとりしているのですから、準一級の書きとりなんて、やさしいものです。

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2015年11月18日

民主主義ってなんだ?

社会

(霧山昴)
著者  高橋源一郎、シールズ 、 出版  河出書房新社

  シールズの自己紹介から始まっています。
  シールズの奥田くんの父親は北九州の牧師で、ホームレス支援している。NHKの「プロフェッショナル」でも紹介された。その息子として、奥田くんは中学生のときから自宅を出て、沖縄の島で生活し、高校も島根県の小さな町に通っている。たしかに立派すぎる父親をもつと、子どもにとっては息苦しい、息が詰まってしまうのかもしれませんね。
  シールズの前の反原発の運動のときには、ICUと明治学院大学が多かった。
  実は、私の娘もICUの卒業生なのです。ICUって、ちょっと変わった個性をもつ人材を輩出していますよね。
  高橋源一郎は、作家であり、教授です。私より少しだけ年下になりますが、激しかった学生運動のなかで活動していたようです。
  私たちのころは、個人の言葉がなかった。これは、私もまったく同感です。あのころは「我々は・・・、たたかうぞ」と、リーダーが叫ぶのに唱和するだけでした。
  今は、「私は、○○大学の○○です」と名乗りをあげて話し出します。まったく違います。だから、卑劣な個人攻撃も受けやすくなるのです。「ネトウヨ」って本当に嫌な人種ですよね・・・。
  「昔の左翼は、権威を嫌いすぎた。国家権威を忌避しすぎた」 
  これって、どうなんでしょうか・・・・。だって、今の沖縄の状況をみたら翁長知事は県民の総意を受けて正当な職務権限の行使をしていますが、安倍や菅という連中は、権力と税金を私物化していますよね。こんな現実を直視したとき、権威とかが国家権威を嫌ったり、警戒したり、反発するのは当然ではないでしょうか・・・。
  シールズって、組織的なことを何もしていない、あくまでも自然発生的な運動体かと思っていました。ところが、その組織には、たくさんの班があるのですね・・・。デザイン班、デモ班、サロン(イベント)班、コンテンツ班、インターナショナル班、広報班、出版班、物販班、映像班、コールセンター、会計、あとは副司会官。
  私が大学生のころには、学内の集会やデモ行進となると、何千人も集まっていました。全都集会となると、軽く1万人をこしました。それが、その規模までにはいきませんが、今、ようやく近い人数にまで発展してきました。その中心にすわっているシールズの面々の話は、今どきの大学生の気分を知るうえで、大変参考になりました。

(2015年11月刊。1200円+税)

14日(土)午前中、いつものようにフランス語教室に顔を出しました。フランス人講師から何が起きたか知っているかと訊かれました。朝刊を読んでいましたから、地震があったことですかと答えました。鹿児島と佐賀で震度4の地震が早朝にあったのです。いやそんなことじゃないとフランス人講師はネットニュースをみせてくれました。そこで初めてパリで同時多発テロが起きたことを知りました。私もパリは何度も行ったことがあります。娘もしばらく留学していました。そのパリで、レストランや劇場、そして、サッカースタジアムが襲われたというのです。その恐ろしさに声も出ませんでした。これは戦争だと、フランス講師は繰り返していました。シリアからヨーロッパに戦争が拡大してしまったのですね、、、。
アベ首相が余計なことを再び言ってテロリスト集団を無用に刺激しないことを心から願っています。
テロリスト集団は絶対に許せません。でも、私は空爆にも反対です。そして無人機をつかってテロリストを暗殺しても、ほとんど何の解決にもならないでしょう。単に暴力の連鎖を生むだけです。
51ヶ所もの原発をかかえる日本です。テロリストが自爆攻撃したら、もう日本は破滅です。テロリスト絶滅と称して軍事行動をエスカレートさせることのないよう、心から願っています。まわり道のようではあっても、九条の精神で、本格的な民生支援しか国際社会が生きのびる道はないと確信しています。今度、この問題をフランス語で発表することになっています。

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2015年11月19日

ヴァイマル憲法とヒトラー

ドイツ


(霧山昴)
著者  池田 浩士 、 出版  岩波書店

 ヒトラー・ドイツと向きあうことは、「第三帝国」の12年3か月間とだけ向きあうのではなく、そのあとに来た歴史と向きあうことでもある。
 ナチス・ドイツが行った残虐行為や侵略戦争は、ヒトラーとナチスという、一人の独裁政治家と一部の「狂信者」たちとによってなされたものというのは、間違った歴史観である。
ヒトラーは、クーデターや暴動によって政権を奪取したのではない。首相を任命する権限を持つヒンデンブルク大統領を威嚇して指名を取り付けたのでも、政界その他の有力者を強制あるいは買収して首相の座に就いたのでもなかった。ヒンデンブルク大統領から合法的に首相として指名を受けた。
  ヒトラーは、合法的に、民意によって政権の座に就いた。これは歴史的事実である。
ヴァイマル憲法下のドイツの国会議員選挙は、有権者の意思をできるだけ的確に反映することを重視した仕組みになっていた。20歳以上のすべての国民が有権者で、男女の差別はなかった。ちなみに、日本では女性の参政権は戦後はじめて与えられた。
ヴァイマル時代の国会選挙の投票率は高く、低くても70%台後半、高いときには80%台半ばだった。
  1932年3月の大統領選挙では、現職のヒンデンブルクが1865万票、次いでヒトラーが
1134万票、共産党のテールマンは498万票だった。
1928年から1933年までのドイツでは、失業率の上昇とナチ党の得票率の増大はぴったり対応している。1932年の国会選挙では、それまで投票に行かなかった無党派層がナチ党に投票している。失業者の票を吸収したのはナチ党ではなく共産党だった。失業率のむしろ低い地域でナチ党は躍進した。それは自営業の人々が、明日は我が身という心配からだった。いま失業者となって飢えている工業プロレタリアートではなく、同じ道をたどるだろう中間層と職人階層、そして自営農民たちが、迫りくるものについての不安や危機感からナチスを支持して投票した。共和国の民主主義政治そのものへの不信と反感を、この現実にもっとも激しい攻撃を浴びせるナチスへの支持として表現した。
 ヒトラーが首相になったとき(1933年1月30日)、7歳から32歳までの世代は、ナチ党の誕生から「第三帝国」の崩壊までの時代に、観客ではなく、もっとも中心的な共演者だった。
 1933年3月の国会選挙で、ナチ党は得票率44%、288議席にとどまった。しかし、当選した81人の共産党議員を除外した。そして、社会民主党の120人の議員のうち94人しか国会には出席できなかった。そして、「全権委任法」が成立した。この法律は、国会から立法権を奪い、行政府であるはずの政府が立法権をもつとした。
 国会での審議抜きで、すべての法律が政府によって決定された。ヴァイマル憲法の制約からヒトラー政府は解放されてしまった。
ヒトラー政権下では死刑が横行した。1942年から44年までの2年間だけで4951人に死刑判決が下った。軍事裁判によって死刑を執行された人は2万人にのぼる。ナチス・ドイツの死刑は軍国日本のそれより70倍以上も多かった。
ヒトラー時代は良かったという人がいる。しかし、現実にはヒトラーは社会的差別をなくしてはいない。労働者の賃金は下がり、職員の給与は上がっている。
 ヴァイマル憲法とヒトラーとの関係について、日本人である我々も正しく認識すべきだと改めて思いました。
(2015年6月刊。2500円+税)

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2015年11月20日

トレブリンカ叛乱

ポーランド

(霧山昴)
著者  サムエル・ヴィレンベルク 、 出版  みすず書房

ナチス・ドイツの絶滅収容所の一つであるトレンブリンカ収容所で1943年8月2日に叛乱が起き、100人ほどが収容所からの脱走に成功した。その一人が語った内容が本書になっています。よくぞ生きのびたものです。
ここは効率よく、よどみなく動く最高級の死の工場なんだ。衣服を脱ぐと、男たちは隣接する収容所に連れていかれる。砂の土手を走り抜く。そこはもうすでに、死の収容所だ。そこで彼らはガス室に詰め込まれる。ガスで息絶えると、屍体は深く掘った窪みに投げ込まれる。そこがいっぱいになるとすぐ、次の窪みを掘る。屍体は、町ごとに一緒に埋められていく。
著者は他の囚人から次のように言われた。
「おまえはアーリア人に見える。話し方も大丈夫だ。絶対にユダヤ人らしくない。ここから逃亡し、おまえが見たこと、まだ見てはいないことを世界に知らせなければけない。それが、おまえの務めだ」
この言葉を著者は実行したのです。
「身体検査をするので、服を脱ぐように」、「野戦病院」という標識こそが、トレブリンカの謀略に抵抗しようとする人々を欺く仕掛けなのである。          
収容所一帯には、腐敗した屍体から出る、きつい刺激的な吐き気をもようしそうな臭いが漂っており、それが鼻孔から浸透し、肺を満たし、唇をつつむように広がっていく。
歯医者と呼ばれる囚人たちは、屍体の口をあけ、金歯を引き抜く。
ユダヤ人の最後の家財を整理する仕事がある限り、担当する囚人の生命を延ばす。
そして、カポは、ドイツ兵に仕事を急いでやっているように思わせた。囚人たちは、SSがいなければ、どんな場合も、過度にスピードを出して働こうとはしなかった。カポは耳をそばだてて、SSが近づいてくるのをいつも注意していた。
  20歳くらいの可愛い女性がいた。名前は、ルート・ドルフマン。大学の入学許可を得たばかり。自分を待ち受けていることが何か、ちゃんと気がついていて、隠そうともしない。彼女の美しい目は、恐怖も、苦悩も一切、示していない。ただ悲嘆、無限の悲哀を表していた。  
「どのくらい苦しまなければいけないの?」
「ほんのちょっと、一瞬だよ」
重たい石が彼女の心からころがり落ちたようだ。われわれ二人の目から涙があふれた。
青酸カリの錠剤をもっていて、いざというときにはそれを使おうと考えている人でも、最後に自分を待ち受けるものが何かを信じようとしなかった人がいることを知らなくてはいけない。素裸になってガス室まで死の道をSSの棒でたたかれ走ってきたとき、青酸カリは衣類の中に入ったまま広場に置かれている。つまり、毒をのみ干そうという精神力も勇気も出せなかったのだ。
うむむ、なんと重い決断でしょうか・・・。
このにおいは、われわれの体、存在そのものの一部になってしまっていた。それは、我々家族、我々の愛した者たちが残したすべてであり、ガス室で虐殺されたユダヤ人の最後の形見である。ひとたび我々の身につくにおいとなると、松の枝のからまった鉄条網を通り、周囲数十キロを流れて、収容所の存在や、そこからもれてくるものを説明していた。
著者はトレブリンカ収容所の脱走に成功したあと、1949年8月のワルシャワ蜂起に参加します。ワルシャワの人々がナチス・ドイツ軍に抵抗して立ちあがったのです。ソ連軍はワルシャワ市の対岸まで来ていたのですが、ポーランド軍を見殺しにしています。
蜂起軍は降伏するのですが、著者は生還してイスラエルに渡ることができたのでした。手に汗を握る話が続いていきます。よくぞ生きのびたものです。


(2015年7月刊。3800円+税)

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2015年11月21日

その時、名画があった

社会


(霧山昴)
著者  玉木 研二 、 出版  牧野出版

  私はテレビは全然みませんが、映画は月1本のテンポでみるようにしています。福岡ではKBCシネマ、そして東京では日比谷シャンテか岩波ホールです。やはり大画面の迫力には圧倒されます。この本は、私より3歳だけ年下の新聞記者による映画評をまとめたものです。その映画がつくられた時代背景やら、日本で封切り上映されたときの社会情勢まで紹介されていますので、2倍楽しめます。
映画と言えば、すぐに出てくるのはチャップリンですよね。私は市民向けの法律講座30年以上も続けていますが、初めのころはチャップリンの喜劇・短編を上映していました。自分がみたかったからです。チャップリン「街の灯」だとか「独裁者」とか、心にしみる映像には心が揺れ動かされます。
 そして、日本映画では、「七人の侍」ですね。私は福岡・中州の映画館でのリバイバル上映もみました。あの雨のなかのすさまじい斬りあいが、なんと東京、世田谷のスタジオにセットを組んで撮られたとは、信じられません。
黒澤明の「生きる」は志村喬の熱演が心に刻み込まれます。人間、何のために生きているのか、しみじみ考えさせてくれます。
 そして、「二十四の瞳」も素晴らしい映画です。少し前に弁護士会のシンポで部分的に上映しようとしたら、そんなことは許されないというのも知りました。
 「男はつらいよ」は、私が大学3年生の5月、東大・本郷の学園祭(五月祭)のとき、教室で第一作をみた覚えがあります。東大闘争が終わってまもなく、学内にまだ殺伐とした雰囲気が残っているなか、腹の底から笑いこけました。映画館で上映されたのは、8月27日からだったとのことです。寅さんが、小学校の同窓会に出たたき、みじめな思いをさせられた話があるそうです(28作)。いい映画でした。
「幸福の黄色いハンカチ」は1977年10月に封切られたとのことですから、もう40年近く前になるのですね。青空に黄色いハンカチが画面いっぱいにはためく様は泣けてきました。高倉健は、これでやくざ映画から脱却できたのでしょうね。
「火垂るの墓」は、わが家ではこれを見なければ大人になったとは言えないと子どもたちに話してきたものです。可哀想で、二度とみたくありませんが、日本人ならみなければいけない映画だと思います。ざっと、いくつかの映画を紹介してみました。私としては、ほかにも「初恋の来た道」とか、いろいろ取りあげてほしい映画もあるんですが、、、。
(2015年8月刊。2200円+税)

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2015年11月22日

職業としての小説家

人間

(霧山昴)
著者  村上春樹 、 出版  スイッチ・パブリッシング

  私と同じ団塊世代の著者による作家論です。モノカキを自称し、今も小説に挑戦中の私にとって、大いに共感するところが多々ありました。
  小説家の多くは、円満な人格と公正な視野を持ち合わせているとは言いがたい人々である。
  むむむ、法律家の一人として、いつも常識的には・・・と法律相談に来た人に説示している私には、小説家になる資格がないということになるのでしょうか・・・。
作家というのは基本的にエゴイスティックな人種であり、プライドやライバル意識の強い人が多い。
小説家には数多くの欠陥があるけれど、誰かが自分の縄張りに入ってくることには寛容だ。というのも、小説なんて、書こうと思えば誰にだって書けるものだから・・・。
  しかし、リングに上がるのは簡単でも、そこに長く留まり続けるのは簡単ではない。小説を長く書き続けること、小説を書いて生活をしていくこと、小説家として生き残っていくこと、これは至難の業であり、普通の人間にはまずできない。
  小説家であり続けることがいかに厳しい営みであるか、小説家はそれを身にしみて承知している。
  小説家とは、不必要なことをあえて必要とする人種である。
  小説を書くということは、基本的に鈍臭い作業であり、やたら手間がかかって、どこまでも辛気くさい仕事である。
  著者は、29歳のとき、自宅近くの新宮球場に野球を見に行った。バットがボールにあたる小気味の良い音を聞いたとき、ふと、そうだ、僕にも小説が書けるかもしれないと思った。これで、著者の人生が一変した。
  言語のもつ可能性を思いつく限りの方法で試してみることは、すべての作家に与えられた固有の権利なのである。そんな冒険心がなければ、新しいものは何も生まれてこない。
  著者は、ものを書くことを苦痛だと感じたことは一度もない。小説が書けなくて苦労したという経験もない。小説というのは、基本的にすらすらと湧き出るように書くものだ。35年間にわたって小説を書き続けてきて、スランプの時期は一度も経験していない。小説を書きたいという気持ちが湧いてこないときには書かない。そんなときには、翻訳の仕事をしている。
  小説家になるには、とりあえず本をたくさん読むこと。そして、自分が目にする事物や事象を、とにかく仔細に観察すること。
  1日に400字詰原稿用紙に10枚書く。もっと書きたいと思っても10枚でやめておく。今日は乗らないと思っても、なんとか頑張って10枚は書く。
長い仕事をするときには規則性が大切だ。朝早く起きて、毎日、5時間から6時間、意識を集中して執筆する。毎日外に出て1時間は体を動かす運動をする。来る日も来る日も、判で押したみたいに同じことを繰り返す。
  一人きりで座って、意識を集中して物語を立ち上げていくためには、並大抵ではない体力が必要となる。
  忠実に誠実に語源化するために必要とされるのは寡黙な集中力であり、くじけることない持続力であり、堅固に制度化された意識なのである。
  村上春樹は、原発に反対の立場を表明していますが、表だっての行動はあまりしていませんね。
  身体が大切だし、そのためには規則ただしい生活、そして身体を動かす運動する必要があることを強調しています。この点は、私もまったく同感で、それなりに実践しています。
  それにしても、35年間の作家生活で、スランプを一度も経験していないって、すごいことですよね・・・。それほど、たくさんの引き出しを脳内に貯えているのですね。さすがプロの作家です。
私はプロの作家にはなりたくないし、なれそうもありませんが、目下、小説に挑戦中なので、心身ともに充実した日々を送っています。
(2015年9月刊。1800円+税)

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2015年11月23日

虫めづる姫君

日本史(平安時代)

(霧山昴)
著者  作者未詳(蜂飼耳・訳) 、 出版  光文社古典文庫

  「堤中納言物語」は、平安時代後期から鎌倉時代にかけて書かれた短編物語集。作者も、編者も不明のまま。
  当時は、歌の贈答がとても重要だった。だから、歌の力を書いた物語は、大いに好まれた。なかでも、特筆すべきは、この本のタイトルになっている「虫めづる姫君」。「あたしは虫が好き」と現代文に訳されています。
  毛虫って、考え深そうな感じがして、いいよね。そういいながら、朝に晩に毛虫を手のひらに這わせる。毛虫たちをかわいがって、じいっと、ごらんになる。
「人間っていうものは、取りつくろうところがあるのは、よくないよ。自然のままなのが、いいんだよ」
  この姫君は、そういう考えの持ち主だ。
  世間では、眉毛を抜いてから、その上に眉墨で書くという化粧が一般的なのだけれど、そんなことはしない。歯を黒く染めるお歯黒も、おとなの女性ならする習慣なのに、めんどうだし、汚いと言って、つけようとしない。白い歯を見せて笑いながら、いつでも虫をかわいがっている。 
「世間で、どう言われようと、あたしは気にしない。すべての物事の本当の姿を深く追い求めてどうなるのか、どうなっているのか、しっかり見なくちゃ。それでこそ因果関係も分かるし、意義があるんだから。こんなこと、初歩的な理屈だよ。毛虫は蝶になるんだから。
とはいえ、この姫君は、御姫様としての作法をまったく守らないわけでもない。たとえば、両親と直接、顔をつきあわせて対話することは避ける。鬼と女は人前にでないほうがいいんだよ、と言って、自分なりの思慮を働かせている。
毛虫は脱皮して、羽化して、やがては蝶になる、物事が移り変わっていく過程そのものにこの姫君は関心を持っている。
  つまり、探究心をお持ちなのです。
  身近に雑用係として置く男の子たちの呼び名も、一般的なものではつまらないと考え、虫にちなんだ名をつける。けらず、ひきまろ、いなかたち、いなごまろ、あまびこ。姫君は、そんな名を男の子たちにつけて、召し使っている。
  すごい話ですよね。まるで現代の若い女性かのような行動と言葉です。古典といっても、ここまで来ると、まさしく現代に生きています。
(2015年9月刊。860円+税)

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2015年11月24日

薬石としての本たち

人間

(霧山昴)
著者  南木 佳士 、 出版  文芸春秋

  この著者の書いたものは、心の奥底に何かしら触れあうものがあるので、どうにも私の得意とする飛ばし読みができません。わずか190頁足らずの本なのですが、読み終えるのに1時間どころか、半日もかけてしまいました。なんといっても、医師の体験を通して人間の生死と絶えずかかわっていること、そして著者自身がパニック障害そしてうつ病にかかってきたことからくる文章の重みが、頁をめくる私の手を遅くしているのでしょう・・・。
  私は床屋には月に1度、行くのを楽しみにしています。格好の昼寝タイムなのです。瞬間的にぐっすり眠ることができる心地よさが何とも言えません。ところが、著者は、一人で床屋に行けなくなってから20年以上になるというのです。
著者は60歳のとき、還暦記念出版として短編小説とエッセイを集めた本を出した。文学界新人等を受賞してから作家登録して30年、全部で30冊の本を出した。
  小説やエッセイを仕立てる気力がないときには、他者の話を聞いて編集者とともに一冊の本に仕立て上げる行為は、かろうじて作家であることを確認する一所懸命の力仕事だった。
漢字をひらがなにするのを「ひらく」という。ひらきすぎると、わざとらしくなる。しかし、漢字が適度にひらかれた文章は風通しがよくなる。
  人間ドッグの受診者は、自費で安心を買いに来ている人たちだから、可能なかぎり安心を売ってあげる。ただし、安心の安売りはしない。
  私は、40代前半から、人間ドッグに入るようにしてきました。これは、「安心を買いたい」からなのですが、平日に公然と休んで本を読む時間を確保するためでもあります。歳をとるに従い、あちこち不具合が発見されるようになりましたが、あまり気にしすぎないように努めています。まあ、それでも気にはなるのですが、、、。
  作家は書いたものを何度も推敲し、一応の完成稿をしばらく寝かせたのち、読者になりきって読んで不満な部分をさらに加筆、修正し、納得のいったところで編集者に送り、その意見に耳を傾け、主として書きすぎた部分を削ってから世に問う。それが作家のあるべき姿だ。
  これって、モノカキ思考の私にとって、よく分かる言葉です。10年ほど前に映画にもなった著者の「阿弥陀堂だより」っていい本でした。そして、すばらしい映画でしたね・・・。

(2015年9月刊。1500円+税)

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2015年11月25日

たまたまザイール、またコンゴ

アフリカ

(霧山昴)
著者 田中真知 、 出版  偕成社

  いやはや、大変な旅です。アフリカの大河を若い夫婦で丸木船で旅行し、また20年後に青年と旅したのです。驚き、かつ呆れつつ、その蛮勇とも言うべき実行力には頭が下がります。おかげで、こうやってアフリカの生の情報が得られるのですから・・・。
  アフリカ大陸の中央部を流れるコンゴ川を妻と二人で丸木舟を漕ぎ、1ヶ月かけて川を下った21年後に、再びコンゴ河を今度は日本人青年とともに下った。
  この二つの体験記が写真とともに紹介されています。いずれも無事に旅を完遂できたのが奇跡のようなスリルにみちた冒険の旅でした。1991年のときのほうが2012年よりも、客観的には安全だったように思いました。
  コンゴ河があるのは、旧ザイール、今のコンゴ民主共和国です。まずは1991年のザイールの旅です。
当時、ザイールはアフリカ好きの旅人の間では特別な存在だった。圧倒的なスケールの自然と、カオスの国に生きる人びとのパワーが旅人の好奇心を刺激してやまなかった。
  ザイール河(コンゴ河)には、オナトラと呼ばれる定期船があった。定期船とは名ばかりで、いつ入港するかもわからなければ、目的地までの日数も3週間だったり、1ヶ月だったり、まちまちの船だ。オナトラ船は船の形をしていない。一隻の船ではなく、六隻の船をいかだのようにワイヤーでつないだ全身200メートルほどの巨大な船の複合体だ。
  船内の屋台では、串にさして揚げたイモムシを辛そうな赤いタレにつけて売っている。子どもたちは、生きたやつをそのまま口に放り込んで食べる。踊り食いだ。
  猿のくん製は、独特のすっぱい臭気を発している。くん製というより焼死体に近い。
  流域の村人にとってオナトラ船は物資を手に入れる唯一の機会であり、現金を使える唯一の場所だった。村に現金をもち帰ったところで使う機会はないし、とほうもないインフレのために、お金を手元に置いておくと、またたく間に紙切れ化してしまう。だから、現金を手に入れたら、みな一刻も早く何かを買って現金を手放そうとする。ババヌキと同じだ。
  流域の村には、モコトと呼ばれるタイコがある。大木の幹をくりぬいたもので、トーキング・ドラムだ。流域の人々にとって、なくてはならない重要な通信手段になっている。モコトを使うと20キロ離れた村と対話ができる。
ナオトラ船では屋台まで食べ物を買いにいくのに、往復300メートルに40分もかかる。ナオトラ船には5000人が乗っている。うひゃあ、とんでもない船です・・・。この中には100人か200人の無賃乗船客がいる。
  2012年のコンゴの旅のときには、このナオトラ船はありませんでした。そして、モコトも消えています。
  コンゴの首都キンシャサは、昼間でも外国人が外を歩いてはいけない。誘拐や強盗にあう危険があるから。外国人は自家用車でなければ外へ出ないのが常識になっている。
  キンシャサ市内は、ホテルもビルも中国資本が多い。ともかく中国の進出がすごい。
  コンゴでは、庶民から政治家まであらゆるレベルで、「これをくれ」「あれをくれ」という体質がしみついている。これがアフリカ諸国の中でもとくにひどい賄賂体質や汚職に結びついている。
  市場にある商店のほとんどは中国人やアラブ人、インド人の経営で、コンゴ人は、使われているばかり。鉱物資源の輸出は地元経済をうるおしてはいない。
  政府高官は賄賂をとることしか頭になく、地元経済の活性化には無関心だ。
  コンゴの紛争を大きくし、長期化させたのは、資金や武器を供与している外国勢力の存在があったから。モブツ独裁政権が32年にわたって存続できたのは、資金提供を続けたアメリカの存在があった。なぜ提供するのか、それはコンゴが世界有数の天然鉱物資源に恵まれた国だから。ダイアモンド、金、銅、タンタルやコバルトといったレアメタルを算出している。
  コンゴでは、毎年、東京都の1,6倍の森が焼失している。
アフリカの旅で著者が得たことは何か・・・?不条理や理不尽が束になって襲いかかって来ても、なんとかなることが分った。そういうことが際限なく繰り返されているうちに、こうでなくてはダメだという思い込みのハードルがどんどん低くなっていった。
  世の中は、ありとあらゆる脅威にみちていて、それに対して保険をかけたり、備えをしたり、あるいは強大なものに寄りそったりしないことには生きていけない。そんな強迫観念を社会から常に意識させられているうちに、自分は無力で、弱く、傷つきやすい存在だと思い込まされてしまう。でも、ここでは自分でなんとかしないと、何も動かない。乏しい選択肢の中から、ベストとはほど遠い一つを選び、それを不完全な手段でなんとかする。状況がどんなに矛盾と不条理に満ちていても、それが現実である以上、葛藤なしに認めて取り組むしかない。そういうことを繰り返していると、意外になんとかなったりするし、なんとかならなくても、まあ、しょうがないやという気になる。まあ、しょうがないやと思えることが、実はタフということなのだと思う。いずれにしても、世界は偶然と突然でできている。それを必然にするのが生きるということだ。それがコンゴ河の教えだ。
  私のように、若いころから好奇心はあっても冒険心の乏しい人間にとっては、無茶すぎ、無謀すぎる危険きわまりない旅です。うらやましくて仕方がありませんでした。
  今後とも、元気に世界を旅行してレポートを書いてください。

(2015年7月刊。2300円+税)

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2015年11月26日

関東軍とは何だったのか

日本史(戦前)

(霧山昴)
著者  小林 英夫 、 出版  中経出版

 泣く子も黙る関東軍。威張りちらして、市民の安全なんか気にもとめない横暴な軍隊というイメージの強い関東軍の実体に迫った本です。
関東軍は生まれ落ちたその日から、戦争というよりは外交、軍事というよりは政治に多くのエネルギーを割く集団だった。
鉄道守備隊であったから、関東州の旅順、大連から満州中央部の奉天(藩陽)、新京(長春)へと中国東北の懐に奥深く食い込んだ軍事集団であることから、現地東北の政治勢力との折衝を余儀なくされる宿命を胚胎していた集団だった。
関東軍は、45年8月のソ連参戦で圧倒的兵力を前に衆寡敵せず、完敗を喫して短期に解体された。日ソ中立条約を盾に北方への守りを楽観視し、ソ連参戦の時期を続み誤り、60万人に及ぶ将兵を捕虜としてシベリア抑留させることとなる失態は、政治と外交重視で、軍事面での錬成を欠いたこの軍団の末路を飾るにふさわしい結末だった。
関東軍の「関東」とは、中国の山海関、すなわち万里の長城の東端の要塞の東の意味である。
関東軍の前身は、満鉄(南満州鉄道)の沿線付属地を防衛する軍隊である。
満鉄の設立総会は1906年11月。資本金2億円、うち1億円は日本政府の現物出資、残り1億円は日本での様式募集とロンドンで募集された外債に依存していた。満鉄は日米の共同経営ではなく、日本の国策を実現する株式会社として、その産声(うぶごえ)をあげた。
敗戦時の満鉄従業員は40万人に近く、うち日本人が14万人ほど、残りが中国人など。
1906年に満鉄が営業を開始すると、関東都督府、満鉄、領事館の三者による満州統治の歴史が始まった。
1914年、原敬内閣は関東都督府を廃止し、関東庁と関東軍を創設した。1919年4月、関東都督府から軍事部が分離する形で関東軍が設立された。
関東軍は、当初は満鉄沿線を警備する独立守備隊6個大隊と日本から派遣された駐劄(ちゅうさつ)1個師団から編成された。
1931年9月の満州事変までの関東軍は、控え目で、つつましやかだった。1931年9月、満州事変が勃発し、翌32年3月までの半年足らずで関東軍は満州全土をほぼ手中におさめた。
関東軍は、周到な作戦と奉天軍閥・張学良の無抵抗主義に助けられて、満州全土を占領し、1932年3月に満州国を作りあげた。
満州国で実権を握ったのは国務院であり、その中核は総務庁だった。関東軍参謀部第三課が中心になって総務庁に伝達した。
関東軍は、正面には中国人を立てながら、背後から日本人がこれを制御する「内面指導」を実施した。
関東軍の幹部は、ソ連赤軍で進行していたスターリンによる粛清(テロル)を過大評価し、日満と極東ソ連軍の兵力差を深刻には考えなかった。
関東軍は、満州事変の直後から満州国の主要な財源としてアヘン収入を当て込んでいた。歳入の8分の1はアヘン税だった。
軍人に政治をまかせると、その無責任さによって社会は崩壊してしまうという実例が満州国でしょう。古き良き日本、なんてものではありません。アベ首相は単なる妄想に走らされているだけです。
(2015年3月刊。2500円+税)

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2015年11月27日

老後破産

社会

(霧山昴)
著者  NHKスペシャル取材班 、 出版  新潮社

  いまの政治は「貧乏人」に本当に冷たいですよね。まともに税金を払っていない大企業には法人減税をどんどんすすめ、庶民には消費税10%を押しつけようとしています。
  政治って、弱者を保護するために必要なものだと思うのですが、アベ政権のやっていることは弱者切り捨てそのものです。そして、自分もその弱者になるかもしれない人たちが、その自覚のないまま「自己責任」論に踊らされています。
  この本を読むと、老後破産というのが、多くの日本人にとって、「明日は我が身」という状況にあることがよく分ります。その状況はあまりにも寒々としています。
  今のNHKは、モミイ会長の下で、アベ政権にタテつかない報道がひどくなっていますが、それでもまだ、こんな良心的な番組が残っているのを知ると、ほっとします。
  いま、超高齢社会を迎えた日本で「老後破産」ともいえる現象が広がっている。
  「お金がないので、病院に行くのをガマンしている」
  「年金暮らしなので、食事は1日1回。1食100円で切り詰めている」
  現に「老後破産」状態にある人も、実は、みな若いころには、そんなことはありえないと考えていた。元気に働いているし、税金も払っているから、自分の老後は政府がなんとかしてくれるはず・・・と、幻想を抱いていた。
  お金がないから、電気をまったく使わないで生活している人がます。もちろんテレビは見ません。乾電池で聴けるラジオだけ・・・。なんということでしょうか。
  年金を10万円(月額)うけとっているので、生活保護の適用はないと考えている人がいる。まったくの誤解。そして、自宅(持ち家)があるから生活保護は受けられないと考えている人が多い。これも誤解。
  大阪の橋下市長は「生活保護は甘すぎる」と攻撃していますが、とんでもありません。生活保護を受けられるはずの人の多くが申請すらしていないのが日本の現実です。実に冷たい人物です(橋下氏が弁護士だというのが本当に残念です)。
  貧乏したら何が辛いかって、周りの友だちがみんないなくなること。だって、お金がないから食事会やら旅行に参加することができない。誘われるたびに断っていると、次第に断ることが辛くなる。そうすると、顔をあわせなくなる。そのうち誰からも誘われなくなる。
  東京では年収150万円が生活保護の水準。3割をこえる人がそれに該当する。
  配偶者を亡くすと、年金が一人分減ったために生活を維持していけなくなる。
年金も介護保険も、家族と同居するのがあたりまえの時代につくられたもの。今は違う。しかし、制度の見直しはされていない。
  餓死者まで頻発する現代日本社会をとらえたNHKの番組が本になっています。本当になんとかしなくてはいけません。年金一揆が起きて不思議ではないのです。
(2015年8月刊。1300円+税)

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2015年11月28日

中国人の頭の中

中国

(霧山昴)
著者  青樹 明子 、 出版  新潮新書

  かなりの日本人がアベ政権のあおりたてる中国脅威論に惑わされて「中国って、何となく怖い国だ」と思い込まされています。そのため、観光目的で中国へ行く日本人が激減しています。ところが、中国人の訪日はすごいものです。「爆買い」という目新しいコトバまで出てきました。日本って、安心、安全な国だというのです。そして、日本製品への高い信頼感から、ベビー用品、炊飯器、ウォシュレットまで、日本で買い込んで中国へ持ち帰るのです。日本の景気回復に中国人の「爆買い」は今、大きく貢献しています。福岡でも、連日、港に大型客船が入港し、県内中にある観光バスが出迎え、キャナルその他の店へ送迎しているのです。大変な経済効果です。
  本書は日本人と中国人との相互不信を取り除きたいと頑張ってきた日本人女性の体験にもとづく本です。なるほど、そういうことだったのかと、思わずひとり納得することが多々ありました。
  日中文化交流をすすめるキーポイントは、一流のもの、最新のものを送っていくこと。
  採算を度外視して、日本映画を中国に紹介し続けた日本の映画人たちがいた。
  これってすごいですね。心から敬意を表します。
中国製も、それなりに高性能だ。しかし、日本製は、本当に高性能。日本製の炊飯器を使った中国人は一様に驚く。米が水を吸収し炊き上げていく過程は、まさしく先進科学。実に精密にできている。炊き上がったご飯は、ふっくらしていて、やわらかくて、おいしい。そして、使い勝手が中国製と段違いだ。中国製は、炊き上がると周りに水が漏れる。日本製は、もちろん水漏れしない。日本製だと内釜にお米の粘りが残らないから、洗うときにラク。主婦として、この差は無視できない。
  日本製品は、正規の保証書さえあれば、どこでも修理してくれる。中国製は、アフター・サービスの点で、かなり劣る。日本製の驚くべき点は、保証書と領収書があれば、きちんと修理してくれること。しかし、もっと驚くべき点は、壊れて修理したという話を、あまり聞かないこと。
  2015年春節の爆買いでブームになったのが、日本製便座。中国製シャワートイレは、日本製と似て非なるものの典型。中国製シャワートイレは、いきなり熱湯が出た。しばらく噴水のように熱湯がトイレ中にあふれて、床が水浸しになった。
  水温、マッサージ、節電機能、すべてにおて至れり尽くせりの日本製は、中国では入手できない。
  なーるほど、そういうことだったのですね・・・。
  そして、食。食に対する中国人の不信感は、日本人の想像をはるかに上回る。一定レベル以上のレストランで食事をしても、知らないうちに粗悪な食材が口に入ってきてしまう。事態は深刻だ。ニセモノの羊肉。ネズミやキツネの肉を、ゼラチン、亜硫酸塩で加工し、これにカルシウム酸という着色料をつけて完成させる。こんなとんでもないニセ羊肉が、上海の自由市場を経由して大手レストランにも大量に流通していた。トホホ・・・ですね。
  日本では、水も空気も、安心かつ安全。食べるものも安心、安全。何を買っても安心、安全。だから、日本に行きたい。いつまでも、そんな日本でありがたいものです・・・。
  日本と中国の裏の裏まで知り尽くした日本人女性の体験レポートです。
  久しく中国に行っていませんが、近いうちに中国に行ってみたいなと思いました。

(2015年9月刊。700円+税)

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2015年11月29日

平泉の光芒

日本史(平安時代)

(霧山昴)
著者  柳原 敏昭 、 出版  吉川弘文館

 
私は、平泉の金色堂に二回は行きました。金色堂の荘厳さ、華麗さには思わず息を呑むほど圧倒されてしまいました。
金色堂の内陣、巻柱、梁、壇の高欄には、螺鈿(らでん)細工が施されているが、その原材料は奄美諸島以面でしかとれない夜光貝。その数3万個。また赤木柄短刀の赤木は、南西諸島、東南アジアの樹木である。
 陸奥・出羽の特産品は、金と馬。天皇は金を、院は馬を、それぞれ蔵人所小舎人、廐舎人を平泉に派遣して受けとった。このように平泉と京都の天皇家とは直接、結びついていた。
 平泉の仏教は、天台法華思想を根幹とする。それは「法華経の平和」を追及していた。
 天皇家王権護持に動いていた真言密教を平泉は排除した。天皇家王権の秩序と、平泉藤原氏は一線を画する、独自性・自立性があった。
 治承4年(1174年)8月、源頼朝が伊豆で挙兵した。義経は10月に加わったが、平泉の秀衡は義経が平泉を出発するにあたって、佐藤兄弟を義経に付けた。これは、親切心だけではなく、義経の行動を監視、制御する意思もあったのではないか。 
 そして、秀衡は官職を得ても、これを与えた相手に全面的に協力することはせず、国司の権限を利用して自己の勢力拡大につとめた。
 秀衡の死後、平泉の藤原氏は、頼朝を相手として1年半ものあいだ戦い続けた。
 中尊寺には、金銀字一切経とは、一切の経典の意味。5300巻あり、寺院において完備すべき第一のものだった。清衡のときに作成されたものは、金字と銀字で一行ごとに書き分けたもので、日本には類例をみない破格な一切経だ。
 平泉の無量光院の背後にはパノラマ的な山稜景観があり、金鶏山と一体化している。
 この本のはじめにカラー写真があります。CGによる復元写真なのですが、金鶏山に沈む夕日と無量光院が再現されています。とても神々しい光景です。
 礼拝する者の誰もが、極楽往生を疑似的に体験できる現世の浄土空間だった。
  夕刻になると、日輪(太陽)が山上に没して、見事なパノラマ景観を展開する。このような落日する山の端こそが阿弥陀如来の西方極楽浄土と観念されていた。
  平泉に栄えた奥州藤原氏を多角的に分析した本です。

                     (2012年9月刊。2400円+税)

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2015年11月30日

裁判官の書架

司法

(霧山昴)
著者  大竹たかし 、 出版  白水社

  裁判官にも、こんな柔らかい文章を書ける人がいるんですね。
  日頃、どうしようもないほど頭の固い、世間知らずとしか言いようのない裁判官ばかりを相手にして仕事をしている身として、この本を読んで、ほっと救われる気分になりました。
  といっても、著者は団塊世代、私よりほんの少しだけ年下です。だから、私としては団塊世代のおじさんたちも、それなりに世の中に貢献しているんだよ。この本を読んで、それを実感してね、と言いたくなります。
  著者はエリートコースを歩んできた裁判官です。なぜか最高裁の判事になっていません(今からでもなれるのでしょうか・・・?)。東京地裁、東京高裁であわせて10年間も裁判長をつとめています。そして、東京法務局の訟務部長、最高裁調査官、法務省・・・。そして、民事再生法に関する著書も出てますから、それこそ出来る裁判官の一人でしょうね。
  そして、イギリスにも留学しています。この本には、イギリス留学のころが、何回も出てきます。よほど印象深かったのでしょうね・・・。私にとっては、40代のころの40日間のフランス語夏期研修が忘れられません。やはり、若い時には外国に大いに出かけるべきです。
  ところで、この本を読んで印象深いのは、沖縄に勤務していた時代の話なのです。沖縄に、それほど長くいたとは思えませんが、泡盛の話など、しっとりした話が胸を打ちます。やっぱり、沖縄文化って本土と少し違ったところがあるんですね、そう気づかされます。
  いま、弁護士は本当に本を読みません。本を買って読もうという弁護士が減ってしまいました。ネットで情報は手に入るというのでしょう。でも、想像力をかきたてるのには本です。本にかなうものはありません。そして、弁護士と同じく裁判官も本を読んでいないように思われます。たまに、本当に、ごくまれに、この書評を読んでるという裁判官と話すことがあります。
  もちろん、この書評を読んでいるのが偉いわけでもなんでもありません。そうではなくて、視野を裁判所の外にまで広げているかどうか、なのです。本を読むということは、想像力を豊かにすることです。これって、法曹に生きる人にとって、必要不可欠だと思うのですが、それが決定的に欠けているとしか思えない裁判官が本当に多いような気がしてなりません。
  この本で紹介されている本の大半は、私も読んだことがありませんでした。それでも、最後に紹介された我妻栄の『民法講義』を裁判で参照していたというのには驚かされましたし、尊敬しました。私も40年前に我妻栄は読みましたが、その後、本を捨てていないだけで、読んだことはありません。申し訳ない限りです。
 読書好きの人には、おすすめの一冊です。
(2015年9月刊。2500円+税)

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