弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

中国

2022年12月31日

私が出会った日本兵

(霧山昴)
著者 方 軍 、 出版 日本僑報社

 日本人が一人で外国人と接するときは、きわめて普通。アメリカ人やアルゼンチン人など他の国の人々と同じように、親切で、気軽に声をかけあい、相手への理解を示し、自然で、同情心や正義感を持ち合わせている。しかし、集団になると、国籍をもった「日本人」に変わる。何をするにも集団の意志に従い、あるいは別の人の顔色をうかがいながら行動するようになる。
 1931年から1945年までに合計450万人の日本兵が中国の土地を踏んだ。この14年間に、中国で殺され、負傷し、捕虜になったのは154万人。中国で投降した日本人兵士は128万人。これに対して、中国の一般民衆の死傷者は3120万人で、軍隊の死傷者は380万人。日中戦争で中国側が蒙った経済損失は6千億ドル。
 ドイツは戦争賠償金として1千億マルクを支払った。これに対して、日本は18ヶ国に対して6566億円しか支払っていない。ケタ違いに少ない。
 日本の満蒙開拓団31万人は、東北(満州)の荒れ地を開墾してやった...。とんでもない嘘です。既に中国人(満州人も漢人もいた)が開拓して農地にしていたところに、関東軍などが有無を言わさず安く買いたたいて占拠し、現地農民を追い出したのです。フェイク・ニュースに乗せられてはいけません。
 八路軍は平素から訓練を積んでいて、勇敢で頑強、夜戦に強く、移動は風のように速かった。八路軍は巧妙に立ち回って日本軍の気勢をそいだ。少ない人数で、もっと規模の小さい日本軍の部隊をやっつけ、すぐに他の場所に移動していく。
 情報は戦争の分野でも、経済の分野でも重要なカギを握る。
 中国大陸で日本軍は本当に残虐な行為をしたのか...。そんなことはしていない、してほしくもない。そんな思いと、残虐に加担した兵士たちは一切口を閉じたままだった。なので、国内にいた日本人に対して日本軍の残虐行為が語られ、明らかにされることはなかった。
 中国に渡った日本軍兵士だったという人たち300人にインタビューしてこの本に成果となってあらわれたのでした。今から20年以上前に刊行された貴重な本です。中国の人々と仲良くするためにも、日本人が中国で残虐な行為をした事実から目をそむけてはいけないと、つくづく思います。
(2000年8月刊。税込2090円)

2022年12月20日

黒い雪玉


(霧山昴)
著者 加藤 三由紀 、 出版 中国文庫

 日本との戦争を描く中国語圏作品集です。読むと、戦前の中国で、日本人は本当にひどいことをしたことがよく分かります。
 加害者だった日本人は、帰国してから、加害の事実をほとんど語ることがありませんでした。日本では、ほとんどの人が良き夫・良き父そして良き隣人でしたから、まさか中国で悪虐非道をし尽くしたなんて、誰も思わなかったのです。こんなに善良な日本人が、非道いことをするはずがない...。でも、被害者のほうは忘れることができません。当然のことです。日本の憲兵に連れていかれて唐辛子水を流しこまれるよりは...。
 しょっちゅう遊撃隊が列車を急襲し、日本人の奴らを殺していた。線路から1メートルほどのところに、たくさんの日本軍将校の殉職記念碑があった。日本軍の将校が死んだ仲間の記念碑を見たとたん、乗客に恨みをぶつけ、口実を設けて中国人をやっつけ、傷つけた。日本軍将校は違法な商品を検出したとの理由で列車を強制的に停車させた。
 日本人と傀儡(カイライ)軍が村に来て、名指しで村人を捕まえ、本人がいなければ、その家を焼き払った。村人には、とうに知らせてあったので、損失は小さかった。
 ひっきりなしに変装しては県城へ行き、そのたびに情報を持ち帰り、村人は、そのたびに災難を逃れた。八路軍も情報を速やかに得て、的確に伏撃した。
 「ねえ、日本人はどうして中国へ来るのかな。来なければいいのに。来るからやっつけなければいけない。来なければ、手間がかからないのにね」
 これは10歳の中国人の男の子のコトバです。そうなんです。日本兵は中国では災厄をもたらす悪の権化でしかありませんでした。
 編者(日本人女性)が1986年5月に山西省の山中の村に行くと、たちまち村の男に囲まれ、必死の表情で訴えられた。きつい方言のため編者は聞きとれず、案内の人が囲みから外へ出してくれた。残って村人の話を聞いた人によると、村人たちは日本兵に父や兄と斬殺されたことを訴えたのに加えて、その後の苦難な日々を訴えたとのこと。日本兵による略奪と虐殺によって飢餓に襲われ、村の人口が回復するのに15年かかったというのです。なにしろ、3日間のうちに300人もの村人が日本兵によって殺されたのでした...。
 この本の編者あとがきに紹介されている話です。日本人は、過去に先人がした事実にきちんと向きあう必要があることを改めて痛切に感じました。
(2022年8月刊。税込4180円)

2022年12月16日

レッド・ルーレット


(霧山昴)
著者 チズモンド・シャム 、 出版 草思社

 「私が陥った中国バブルの罠」がサブタイトルの本です。そして、「中国の富・権力・腐敗・報復の内幕」とも表紙に書いてあります。
 著者は目下、行方不明の元妻ホイットニーとともにバブルの波に乗って、大もうけして、ぜいたくざんまいをしていました。まさしくバブルの申し子です。車は、ロールス・ロイス、そしてフェラーリ。40歳の誕生日のプレゼントは50万ユーロのスイス製腕時計。ホイットニーは、香港で1500万ドルのピンクダイヤモンドを買った。絵画も500万ドルのものをポンと買う。そして、プライベートジェット機でフランスに飛び、超高級レストランで、ロスチャイルド家のワインを飲む。1900年に始まる年代物のワイン。そのワイン代だけでも10万ドル(1000万円)を超える。
 野心をもった官僚は1晩に3回、夕食の席に着く。1回目は5時に始まり、要望や信頼のある下位の人々が中心。2回目は6時半に始まる。上位の人々や政治的同輩のための場。3回目は8時から、気心の知れた人々を集めてのもの。
 中国で本当に成功するのは、「関係」(クワンシ)、つまり体制とのコネを持っている人だけ。中国で成功の扉を開くためには、二つの鍵が必要。一つは政治的な影響力。中国で起業家が成功するのは、共産党と利害が一致したときだけ。誰であれ、体制の内部に後援者が必要。二つ目には、チャンスがめぐってきたときの実行力。
 中国で肝心なのは、何をしたかではなく、誰と知りあいかだ。
 中国共産党の中央組織部のなかには、青年幹部局があり、党幹部は息子・娘に政府や党での高い地位を確保するようにしている。これは知りませんでした。太子党は党によって育成されているのですね。
 中国では、もっとも裕福な100人のうち3分の2が毎年、入れ替わっている。投資の失敗、経営判断の誤り、犯罪、政治的動機による告発、影響力を失った党内派閥と手を結んでいたとき...。リターンは非常に大きくても、いつ足元をすくわれるか分からない。
 中国で最大級の取引がしたいなら、力のない人間だと思われてはいけない。見栄を張るのも、ゲームの一部だ。
 中国では、車のナンバープレートも重要なステータスシンボル。
 情報が厳しく管理され、恐怖が体制に浸透している中国では、十分に注意する必要がある。中国では、コネが生活の基盤になっているので、競争相手になるかもしれない人々や世間に自分のコネを知られたくないのは当然。
 中国の官僚社会では、酒を飲むことと、食べることが中心となり、それができることが重要なスキルとなる。
 中国は資本主義化したと言われているが、経済の重要な側面は、すべて国家によって管理されている。中国では、あらゆる重要なプロジェクトは国家発展改革委員会の承認を必要とする。中国では、規則は意図的にあいまいに作られていて、しょっちゅう変更され、いつも遡及して適用される。
 習近平について、よく知る人は、彼の能力は水準にも達していない。彼には学がないと評価されていたとのこと。
 ホイットニーは温家宝の妻と親密な関係を築くのに成功したのでした。
 現代中国の内情を体験者が暴露した興味深い本だと思いました。
(2022年9月刊。税込2860円)

2022年11月20日

三国志名臣列伝・魏篇


(霧山昴)
著者 宮城谷 昌光 、 出版 文芸春秋

 著者の中国古典ものはかなり読んでいますが、いつも、その豊富な知識量に圧倒されてしまいます。もちろん著者の尽きせぬ想像力も大きいのだとは思いますが、登場人物の性格描写をふくめて、ことこまかな情景描写によって、頭の中に宮城谷ワールドをこつ然と思い浮かべることができるのです。すさまじい筆力です。
 ときは三国志の時代です。ですから曹操や劉備などがもちろん登場します。でも、本書は「名臣列伝」ですので、彼らを支えた「名臣」たちが次々に登場して目の前で大活躍します。
 曹操の奇策や奇襲は、兵法書を読んで発想したのではないか、そう考えている曹真に対して、曹遵は、「兵法書なんか読むな」と言った。兵法書には、薬もあるが、毒もある。主(あるじ)の才能は、そこから薬を取り出すことができること。主の才能に及ばない者は、かえって毒にあたって、兵を失い、身を滅ぼしてしまう。
 戦場は臨機応変の場だ。知識をひけらかす場ではない。兵法書の教えにしばられた者は叩きのめされることがある。戦場は巨大な生き物の背に乗っているようなもので、刻々と変わる戦に勝つためには、軍をひとつの大家族にする。兵士を弟や子のようにいたわり、結束を強靭(きょうじん)にし、しかも将軍の手足のように使えるようにする。すると、兵士は将軍を父のように仰ぎ、水も火も恐れずにすすむ。
 そのためには、兵士が食べ終わるのを待って、将は食べはじめる。兵営に戻るときも、兵士を先に入れる。就眠についても、すべての兵士が眠ったあと、将は眠る、
 いやあ、そこまでやるものなんですね...。
 相手を説得するときに用いる言葉には、適度な重みと浸潤(しんじゅん)性があり、相手の胸の深いところに届く。その言葉は人格から発し、信念の強さをともなっている。
 うむむ、相手を説得するには、こんな要素が欠かせないのですね...。
 『三国志』を久しぶりに読みたくなりました。血、湧き、肉、踊る。冒険小説のように、ひところ、はまってしまいました。私の中学生のころだったでしょうか。
(2021年9月刊。税込1870円)

2022年10月10日

虹色のトロッキー


(霧山昴)
著者 安彦 良和 、 出版 中公文庫コミック版

 戦前、日本は中国東北部を「満州国」として「独立」させて支配していました。そのとき、日本軍部は日本政府と対立・抗争する関係にあり、日本軍部のなかでも暗闘が繰り広げられていました。それぞれの思惑が微妙にからみあって、難しいバランスの下で「満州国」は成り立っていたのです。
 そして、「満州国」には、相当数の白系ロシア人がいました。ロシア革命によって、ボリシェヴィキ・ソ連共産党から追われ、また嫌ってロシアの地を離れて中国に入りこんできたのです。日本軍の一部に、そんな白系ロシアの反共勢力と結びつこうとする動きがありました。本書の「トロッキー」は、そのような動きを象徴するものだと受けとめました。
 1巻から読みはじめて、8巻までを読了するのに、マンガ本なのに1ヶ月近くもかかったのは、満州国をめぐる複雑怪奇な動きを理解するのに骨が折れたからです。
 それにしても、私とほぼ同じ団塊世代の著者のストーリー展開は見事なものですし、絵もよく描けていると驚嘆するばかりです。
 満州に満州国エリート層を養成するための「建国大学」があったことは、このマンガ本シリーズを読む前に知りましたし、このコーナーでも紹介しています。「エリート養成」が看板ですから、思想的な締めつけはほどほどにしておく、つまり、かなりの自由主義教育がすすめられていたようです。でも、しょせん、軍部支配下での「自由」でしかありませんでした。
 満州国の首都は新京と名づけられ、近代的な大通りと豪層な建築物が立ち並びました。現在の長春です。
 そして、ハルビンには郊外に七三一部隊の本拠地があり、3000人以上もの罪なき人々をスパイ容疑などで捕まえ、人体実験の材料(「マルタ」と呼びました)とし、その全員を殺害・焼却してしまったのです。
 満州国で幅をきかせたのは、石原莞爾、甘粕正彦、東条英機そして辻政信らがいます。
 辻参謀は、ノモンハン事件においても、甚大な被害を日本軍にもたらしました。
 ノモンハン事件においては、ソ連軍の圧倒的な軍事力の下で、日本軍(関東軍)は、みじめに敗退していったのでした。
 モンゴル人将軍と日本人青年の出会いと結びつきの強さも登場します。いかにもスケールの大きな、ストーリー展開でした。
 それにしても、8巻シリーズという長編を完結させた著者のすごい力技(わざ)に脱帽します。
(2019年4月刊。各税込692円)

2022年10月 6日

日本人が夢見た満洲という幻影


(霧山昴)
著者 船尾 修 、 出版 新日本出版社

 私は幸いにして大連に行ったことがあります。1回目は旅順には立入れませんでした。2回目で日露戦争で有名な203高地にものぼりました。「のぼった」といっても、歩いてではなく、観光バスです。頂上には「爾霊山(にれいざん。二〇三)」と揮毫(きごう)された実弾型の記念碑が今もそびえ立っています。この頂上から日本軍は当時もっていた陸軍最大の二八センチ砲で、旅順港内に停泊していたロシア艦船を砲撃したのでした。
 私は訪れていませんが、旅順刑務所が建物としてそっくり残っていて一般公開の博物館になっているそうです。ここは、ハルビン駅で枢密院議長だった伊藤博文を暗殺した安重根が収容され、刑死したところでもあります。安重根は今では朝鮮の英雄です。中国でも、「抗日烈士」とされています。
 なぜ伊藤博文が満州のハルビン駅まで行ったのか...。ロシアの外務大臣と満州分割を協議するためでした。二つの帝国が自分勝手に中国を分割して統治しようとしたのです。そんなことは許さないとした安重根の暗殺行為が称えられるのには理由があります。
 奉天も長春(新京)も行ったことはありませんが、日本は満州国統治の過程でどでかい道路と広場をつくり、高層建築物を次々につくっていったようです。しかも、驚くべきことに、中国は、そのまま、多くの日本式建物を残して、今も使っているのです。
 満州国というのは、たかだか13年半ほど存在した「国」にすぎない。
 かつての官公庁の建物は巨大で威圧感がある。ただ、デザインが独特で、美しい。これほどたくさん残っているとは思いもよらなかった。いやあ、著者の撮った豊富なカラー写真が、それを実感させます。
 関東軍の「関東」とは「関」の東側。「関」とは、万里の長城の東端である山海関の東側に位置するということ。
 遼東半島は関東州と名づけられたが、ここは満州国の一部ではない。日本の租借(そしゃく)地という名の領土であった。
 満州(マンジュ)は、文殊(モンジュ)に由来する。文殊菩薩(ぼさつ)は、チベット仏教を信仰する女真族がなかでも崇敬していた。
 清朝の太祖はヌルハチといい、女真族と名乗っていた。その息子ホンタイジが民族名を満州族と改めた。その民族発祥の地を盛京と呼び、その後、奉天、現在の瀋陽となった。
 日本軍に爆殺された張作霖の息子の張学良は満鉄に平行(併行)した鉄道を敷設した結果、満鉄の経営は悪化した。ええっ、満鉄と併行した線路に列車が走っていたというのは初耳でした。満鉄に走っていた特急のアジア号はいかにも格好よいですよね...。
 満州国が日本のカイライ政権であることは明々白々でした。それでも、20ヶ国と国交を結んでいたというのにも驚かされます。南京国民政府も国交を樹立したというのですから、開いた口がふさがりません。そのうえ、国交がなくても、アメリカもイギリスもソ連も満州国に領事館を置いていた。いやあ、そうだったんですか...。
 ちなみに、現在の北朝鮮と国家を樹立している国は164ヶ国もあるとのこと。これまた驚きです。
 私は大連には行ったことがあります。人口600万人という巨大な大都市です。
 戦前は数万人ほどの小都市でした。大連の人口は終戦時に60万人、そのうち20万人を日本人が占めた。そして、満鉄がありました。満鉄の社員は総数40万人。現在のトヨタ自動車の社員が36万人なので、それより多かった。これまた、意外や意外の大きさです。
 この本で、満州国には国籍法がなかったことを知りました。つくれなかったのです。「五族協和」として、満州人、漢人、蒙古人、朝鮮人、そして日本人です。でも、白系ロシア人も大勢いました。日本は二重国籍を認めていない。だから満州国籍を選ぶと、日本国籍を失ってしまう。でも、日本人は、そんなことはしたくない...。なので、国籍法は制定しなかった、というのです。
 満鉄社員は、月給が高いだけでなく、遠隔地手当が充実していて、住宅も提供され、日本企業として破格の待遇だった。
  幻の満州国を今も残る豪壮な建物の写真とともにかえりみる貴重な本でした。
(2022年7月刊。税込3080円)

2022年9月23日

洪流


(霧山昴)
著者 程 極明 、 出版 KKブロス

 日中戦争のころ南京に生まれ育ち、国共内戦下の上海の復旦大学で学生運動の幹部として活動した学生群像を生き生きと描いた小説です。
 1937年夏の南京から物語は始まります。日本が日中戦争を始め、中国に対して無法にも侵略戦争を仕掛けてきました。蒋介石の中国軍は戦わずして撤退し、日本軍によって人々の住む町は無残にも焼き払われ、虐殺が始まります。日本軍に対する抵抗はまだまだ弱いものでした。中国共産党は南京に地下党を建設し、8回も市委員会を設けたが、すべて失敗した。みな殺されるか逮捕された。勇敢なだけでは革命に勝利できない。過去の路線は、あまりにも「左」寄りで、大衆から離反していた。地下党の規律は、もっと厳格でないと、すぐに破壊されてしまう。
 党中央は、密かに素早く、長期に埋伏し、力を蓄え、時期を待つ方針を打ち出した。せっかちにならず、「左」の過ちを犯さず、一時的な衝動に走らない。豪放的なものを利用し、大衆を団結させる。これを少しずつ実践していったのです。まさしく、苦難にみちた粘り強い取り組みがすすめられました。
 大学生たちは、南京のアヘン撲滅運動に立ち上がり、実力行動を起こしました。これには多くの民衆が賛同しましたし、南京政府も日本憲兵隊も手が出せませんでした。
 1945年夏、日本敗戦のあと、蒋介石の国民党政府が南京を支配した。南京の大学に対して、国民党の特務組織(公安当局の手先。スパイ・弾圧機関)が目をつけ、すきあらば弾圧しようと目を光らせた。国民党政府は、3ヶ月で共産党を負かすことができると豪語した。
 アメリカのトルーマン大統領はマーシャル将軍を中国に特使として派遣し、国共両党の軍事衝突を防ぐため、調停を試み、1946年1月10日、双十協定が成立し、停戦が実現した。
 1946年4月、国共内戦が中国の東北地方で始まった。
 1947年2月、毛沢東は「中国の政局は新たな段階に発展しようとしている。全国的に反帝・反封建闘争が発展し、今は新たな人民革命の前夜である」と指示した。 
 学生たちが南京でも北京、上海でも立ち上がった。蒋介石は、学生運動の鎮圧にふみ切った。これに対して、共産党の側は戦略を弾力的で運用することで抵抗した。
中間分子の意識の高まりも見なくてはいけないが、彼らの進歩が高いとみるべきではない。民衆には、休養し、考える時間がいる、進歩分子のレベルだけで大多数の学生を推し量ってはいけない。学生運動は波状的に前進するもので、直線的には発展しない。
 なかなか考えられた指示ですね。革命に勇敢さは必要だが、勇ましいだけで無謀なら、革命大衆の情熱と生命をムダにしてしまう。そのとおりなんでしょうね。よく分かります。
 1948年5月の上海解放の日までが描かれた、手に汗を握るストーリー展開でした。
 地下党活動の様子が、その困難さと知恵・工夫のあり方をふくめて具体的に紹介されています。訳者の井出叔子氏に注文して入手した本です。読みごたえ十分の本でした。
(2022年6月刊。税込1300円)

2022年9月11日

「大地の子」(上)


(霧山昴)
著者 山崎 豊子 、 出版 文芸春秋

 いま、戦前、応召して中国東北部(満洲)で工兵として働いていた叔父(父の弟)が、戦後、八路軍(パーロ。中国共産党の軍隊)の要請に応じて技術員として紡績工場に働くようになり、結局、1953年5月に日本に帰国するまで、9年ほど中国にいたときのことを調べています。
 この本の主人公・陸一心は、日本が満州に送り込んだ開拓団の孤児として、大変な苦労をします。満州開拓団はまさに侵略者の一員でしたが、その生活は惨(みじ)めなものでした。終戦直前に「根こそぎ動員」によって働ける男たちは兵隊にとられ、開拓団に残ったのは老人と女性と子どもばかり。そこへソ連軍が突如として襲いかかってきて、また、恨みを買っていた現地の人々からも襲われました。
 7歳だった主人公は両親と死別し、妹ともはぐれて中国人にさらわれ、こき使われ、さらには売りに出されました。そのとき、ひょんなことから中国人の良心的な小学校教師に救われ、そこで養われます。地域でも学校でも「日本鬼子」としていじめられますが、心やさしい中国人少年もいて助けられます。
 養親の期待にこたえて必死に勉強して工業大学に入り、鉄工所に就職。
 ところが、文化大革命の嵐のなかで「反革命分子」として吊るしあげられ、冤罪でモンゴルの労働改造所に送られてしまうのでした。ここでの生活もひどいものですが、心優しき看護婦と出会い、また、幼なじみが主人公を労働改造所から助け出そうと努力します。
 いえ、なにより養父のがんばりがすごいのです。教師の職をなげうってまで、主人公を救出しようと北京にのぼって陳情活動を続けるのでした。
 30年ぶりに読みましたが、迫害のひどさに胸を痛め、また、心優しき人々が主人公の救出に執念を燃やす姿に接し、目頭が熱くなりました。著者の筆力に、今さらながら感服します。私もぜひこんな小説を書いてみたいと思いました。
(1992年1月刊。税込1400円)

2022年8月18日

続・新中国に貢献した日本人たち


(霧山昴)
著者 中国日中関係史学会 、 出版 日本僑報社

1945年8月15日、日本敗戦後、ソ連軍の次に満州に入ってきた八路軍(中国共産党の軍隊)は、日本人に次のように言った。
「日本に帰るまで八路軍に入りませんか。腹いっぱいご飯が食べられるし、時期が来たら必ず帰国させます」
翌日、数十人の日本人が八路軍に加わることにした。それは脅しに屈したというより、腹ペコの毎日だったので、食べさせてくれるのなら、それでいい。あとは帰国の日を待つだけだと考えたことによる。八路軍の共産思想に共鳴したからでは決してない。だいいち八路軍とはどういう軍隊か知らないし、共産思想については怖いというイメージしかなかったから。
ところが、八路軍とともに行動するなかで、多くの日本人が民衆を尊重し、共に戦うという点を文字どおり実践している八路軍に共鳴し、本心から八路軍を支えるように変わっていった。そして、それは多方面にわたった。多くの医師・看護婦が中国に残った。あたかも日本人経営の病院であるかのように...。工場の技術者として、また鉄道技師として...。新聞を発行し、映画製作にもあたった。
それだけでなく、中国人とともに最前線で八路軍の兵士として戦う日本人も多数いた。中国空軍のパイロット養成にも大きな力を発揮した。器材が乏しいなかで飛行機を飛べるようにしたうえで、中国人飛行士を養成していったというのです。すごいですね。
少なくない日本人が勤勉であり、創意・工夫に長(た)けているという特色を生かして毎日のように奮闘していたとのこと。
八路軍では階級の上下の差を少なくし、集団討議を重んじ、教育・学習の優先順位が上位にあった。ある日本人医師は連隊長級の待遇を受けて、毎月230万元をもらっていたとのこと。これは当時の日本のお金で3万円に相当し、日本人にとってもかなりの高収入を意味した。
日本敗戦後、中国の戦後復興は、国共内戦もあって本当に大変だったと思いますが、そのなかで少なくない日本人が新中国の建設に寄与していた事実を知るのはうれしい限りです。私の叔父(父の弟)も八路軍の要請に応じて紡績工場の技術員として戦後8年間、中国にいて、1953年5月に日本に帰国しました。
(2005年11月刊。税込2900円)
 お盆休みは遠出することなく、天神へ出かけて韓国映画「キングメーカー」を見ただけでした。庭にブルーベリーの青い実がぎっしりなっているのを摘み、夕食のデザートとしました。玄関脇の朝顔がとてもきれいで、自然に「お早よう。がんばってるね」と声をかけたくなります。雨も多いので、あっというまに雑草だらけになってしまいますので、雑草とりもしました。
 子どもたちがいなくなった子ども部屋を書庫としていますが、どうしても捨てられない愛着のある本、資料として残しておきたい本を選んで、この基準にあわないものは捨てるようにしています。そして、ジャンル別にまとめつつありますが、これが楽しい作業です。もう少ししたら、「私の本棚」シリーズとして私の個人ブログにジャンル別で紹介していくつもりです。
 お盆前まで、孫たちが来ていました。来てうれしい、帰ってうれしい。孫たちが来るたびにそう思います。「柱のキズ」を測ったら、この2月から半年間で3センチも身長が伸びていました。私のほうは身長が縮んでいくばかりです。
 室内でフワフワボールのキャッチボールをして遊んでもらったり、絵本を読んでやったりしました。今回は、「ダンプ園長やっつけた」が大人気でした。

2022年8月 5日

新中国に貢献した日本人たち


(霧山昴)
著者 中国中日関係史学会 、 出版 日本僑報社

ただいま、叔父(父の弟)が応召して満州に渡り、戦後も8年のあいだ八路軍(パーロ。
 中国共産党の軍隊)の要請にこたえて紡績工場の技術者として働いていたという手記の 裏付けをとろうとしています。その関係で大阪の石川元也弁護士の推薦で読み始めた本です。
 中国の周恩来首相は1954年に「多くの日本軍人が、日本終戦後武器を捨てたのち日本へ帰国することなく、中国人民解放軍に参加した。病院の医師と看護婦、工場の技師、学校の教官。・・・立派に働いて我々を助けてくれた。我々は深く感謝している。これが友情であり、これこそが真の友情である」との感謝の意を表明した。
 叔父は紡績工場の技師として、新工場の立ち上げに関わり、その運営が軌道に乗るように8年ものあいだ頑張ったわけです。そのころ叔父が日本の実家に送った手紙が残っていますが、千人の工場に日本人は叔父ただ一人だったそうです。いやぁ、よくぞがんばりました。 それでも、悪いことばかりではありません。同じように静岡から満州に夢をもってやってきた若き日本人女性と知り合い、結婚することになりました。同じ紡績工場で働いていたのです。
 この本を読むと、そんな日本人の青年男女が大変多かったことを知ることができます。
 私がもっとも驚いたのは、日本軍航空部隊の隊長だった人が中国空軍のパイロット養成の重責を担い、見事やり遂げていたという事実です。なにしろ、まともに飛べる飛行機もないなかで、残っていた部品を寄せ集めて、なんとか飛べる飛行機にして、それでパイロットを実地養成していたというのです。飛行中に故障が起きても脱出する落下傘もないのに空を飛んでいたというのですから、その勇気には呆れ、かつ圧倒されます。なんと、空では無事故だったというから、信じられません。
 医療分野でも、日本人は医師として、看護師として、大いに貢献したようです。負傷した中国人患者のためには、同じ血液型だと分かれば、すすんで献血もしていたというのです。本当に頭が下がります。
 北部の炭鉱でも大勢の日本人が労働者として働き、石炭増産の先頭に立っていたといいます。いやぁ、すごいですよね・・・。
 このような新生中国の誕生を助けた日本人の歩みはもっともっと広く今の私たちも知っていていいことだと思いました。三光作戦とか、帝国主義日本は中国大陸でさんざん悪業の限りをつくしたわけですが、もう一方では、こんなに良いことをした日本人もいたことを、両方とも、しっかり認識しておきたいものです。
(2006年10月刊。税込3080円)

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