弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2024年1月21日

隋、「流星王朝」の光芒

中国


(霧山昴)
著者 平田 陽一郎 、 出版 中公新書

 中国の統一王朝、隋。わずか37年間しか続かなかった隋帝国の内情を明らかにした新書です。
 隋の初代は文帝楊堅で、二代目の煬帝(ようだい)は、大運河を築き、帝国を拡大しました。ところが高句麗遠征に失敗して、唐に滅ぼされてしまったのでした。
 隋の母胎となった西魏・北周は、いわゆる漢族ではなく、鮮卑(せんぴ)を中心とする北族(ほくぞく。北方の騎馬遊牧民の流れをくむ人々)がヘゲモニーを握る遊牧系政権としての側面を有し、鮮卑よりの政治を実行した。
秦(しん)は十数年しかもたず、漢は400年続いたものの、その崩壊後は、三国時代として対抗・抗争する大分裂時代として400年も続いた。これに終止符を打ったのが隋。
北魏を支えた一番の柱は、優秀な騎馬軍事力。騎馬遊牧民は高度な騎射技術を身につけていた。
突厥(とっけつ)とは、もとアルタイ山脈方面で活動していたトルロ(テュルク)系の遊牧勢力のこと。
 遊牧社会における女性の社会的地位は、南の農耕社会に比べて相対的に高かった。
 隋の文帝は、「開西(かいせい)の菩薩(ぼさつ)天子」と尊称された。
 インド伝来の仏教を、異国の教えとして排除しようとする動きがあった。
二代目の煬帝は、604年7月、36歳で即位した。水路を利用して食料を首都等に運んだ。
 高句麗遠征のとき全軍30万のうち、損耗率8~9割という隋の大敗だった。
 煬帝期の政府は、さながら「移動宮廷」の様相を呈していた。煬帝は、その最後は、頭を押さえて、跪かされた。そして、自ら解いて渡した白い絹のスカーフで縊(くび)り殺された。50歳だった。
 唐の前の隋王朝について、少し知ることができました。
(2023年9月刊。1100円)

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