弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2014年6月 1日

もう一度、天気待ち

社会


著者  野上 照代 、 出版  草思社

 あの黒澤明監督の下で働いていた著者による大スターたちの生態は興味深いものがあります。
 クロサワがミフネの演技にわずかにしても不満を抱いたのは、おそらく『赤ひげ』が初めてだろう。
 三船敏郎の主演する映像では、なんといっても『七人の侍』ですよね。かなり前ですが、福岡の映画館でリバイバル上陸があったのを見ました。やはり大きなスクリーンで見ると迫力が違います。家庭のテレビ画面とは迫力が違います。仲代達代と三船敏郎が出演する『椿三十郎』にも度肝を抜かれました。血しぶきのすさまじさに圧倒され、声も出ません。
 三船も仲代も、セリフを手書きで書いて、丸暗記していたようです。やっぱり、すごい努力のたまものなのですね・・・。
 しかし、三船と仲代はロケ先で口論し、その後は競演していない。
 三船敏郎の酒乱は有名だった。日頃は、とても気をつかうので、お酒を飲むと、その反動で、爆発したのだった。
 『七人の侍』で撮影現場になったのは、東宝撮影所の前の田圃。今は、団地になっている。雨の合戦にしたのは、西部劇には雨がない。よし、雨で勝負だと黒澤監督が考えたから。撮影したのは2月。田圃には氷が張り、消防車8台を借りて、ホース40本。足もとは、膝まで埋まる泥んこで、馬が暴れるから身動きもできない。三船敏郎は裸同然で寒さに震えて、歯をガチガチいわせていた。
 『七人の侍』には、老人ホームの素人にも登場してもらっているとのこと。映画のお婆さんたちがそうです。
戦後まもなく、ヒロポンが禁止されていなかったころ、撮影現場では、ヒロポンが堂々と注射されていたという話には驚かされます。ヒロポンは、今の覚せい剤みたいなものでしょう。もちろん、今では厳禁です。
ガチンコは、画と音をあわせるための唯一の手がかりだ。画面と録音された音をあわせると、セリフと物音が同時に再現される。
 三船敏郎のように周囲に気を配ってばかりいる人には映画監督はできない。優れた映画監督というのは、たいてい我がままで、他人が何を言おうと気にしない。自分が撮りたい対象をつくるためには、他人の迷惑なんかかえりみないという人なのだ。
 さすが、世界的巨匠であるクロサワ監督の身近にいた人による鋭い観察だけある本でした。
(2014年2月刊。1900円+税)

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2014年6月 2日

ペンギン

生き物


著者  藤原 幸一 、 出版  講談社

 私は、ペンギンも大好きです。
 ええっ、ペンギンって鳥だったの、しかも大空を飛んでいたの・・・、と思ってしまいました。
 海の中をすいすいと気持ちよさそうに泳ぎ、陸の上で子育てするペンギンを、いつのまにか人間と同じ哺乳類だと勘違いしていたのでした。
 1億年前、ペンギンの祖先は大空を飛ぶ鳥だった。そして7000万年前に、ペンギンの祖先は空を飛ぶのをやめてしまった。空中より水中により長くいて、大好物の魚をとれるように進化したのだ。
 地球にすむペンギン19種のうち、南極を繁殖地とするペンギンは5種類だけ。赤道直下や、人間と共生して街に住む種もいる。森の中にすむペンギンもいる。ただし、北半球には人間が連れてきたもの以外には、いない。
夏はペンギンにとって衣替えの季節。羽毛が抜けかわる。その換羽のあいだは海に入れないので、ペンギンは絶食状態となって、体重も半減してしまう。ええーっ、そうなんですか。犬のようにはいかないのですね。
 ペンギンのオスとメスを見分けるのは、至難の業だ。混ざっていたら、判別不可能。つがいがそろって並んで初めて、オスとメスを判別できる。メスがオスよりひとまわり小さい。
 メスは主としてオキアミを食べ、オスは魚を多く食べる。
 メスは繁殖地から200キロ以上、オスは160キロもの旅をする。
 集団で一糸乱れぬ行動をするペンギンは、捕食者であるアザラシに襲われにくい。
アデリーペンギンにとって巣作りの材料となる小石は、マネー(貨幣)のような価値をもっている。
 小石のほしいメスは、独身オスに売春まがいの行為をして小石を手に入れる。連れあいのオスは、メスが小石を手に入れて帰ってくると大歓迎する。
 見ていて楽しくなるペンギンの写真がどっさりの写真集です。写真を撮る苦労は大変なものがあったことだと思います。ありがとうございました。
(2013年12月刊。2800円+税)

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2014年6月 3日

小説で読む憲法改正

司法


著者  木山 泰嗣 、 出版  法学書院

 主人公は17歳の男子、高校2年生です。楽しく読める。気軽に読める。主人公に感情移入して読める。そんな物語を通じて、憲法改正について、最低限の知識が身につく。そんな本です。
 高校生に憲法改正問題を考えてもらうというのは、とても大切なことです。だって、自民党の改憲草案にある「国防軍」が現実のものとなったとき、真っ先にそのターゲットになるからです。伊藤真弁護士も、同じように高校生を主人公とした憲法読本(小説)を書いています。
 豊富な若者コトバを駆使しているので、取材が大変だったでしょうと声をかけたところ、「そうなんですよ」という答えが返ってきました。といっても、憲法講義などで、若い受講生と接する機会はふんだんにあるのでしょうが・・・。
 本書の著者は、たくさんの本を書いていますが、私も、そのいくつかは読んでいます。いつも、感嘆したり、共感して読んでいます。まだ40歳の著者ですから、今後の活躍がますます楽しみです。
 主要な舞台は高校の図書室です。勉強好きではなかった彼が、ほのかな恋心を募らせる彼女と話すために、憲法について一生けん命に勉強するのです。その努力のいじらしさに気がとられ、憲法の前文や条文が丸ごと紹介されても、ちっとも苦になりません。
 戦後まもなく、日本政府はポツダム宣言を受諾して戦争を終結させたことを忘れたかのように、憲法改正の4原則をつくった。その第一が、天皇主権の確認。これでは、占領軍が認められるはずもありません。そこで、マッカーサー三原則が示された。①天皇が最上位であること、②戦争の放棄、③封建制度の廃止。
 GHQは10日足らずで憲法改正案をつくり、2月13日に日本政府に手渡した。そしてそれを受けて日本側で改正案をつくり、帝国議会に提出し、審議された。
 日本国憲法は、占領軍による押し付け憲法だ。そんな憲法は国際法のルールを無視するものだから無効だ。
 つい先日、NHKの経営委員になった長谷川美千子氏が同じことを鹿児島で話したようです。でも、70年間近くも変わらなかったということは、それだけ国民に定着していることの証(あかし)ではありませんか。
 憲法の究極の目的は人権保障にある。だから、日本国憲法13条が一番重要だ。
 知る権利、プライバシー権、報道の自由、取材の自由、自己決定権。そして、環境権。これらの権利は、基本的に憲法で保障された人権だと解されている。
自衛隊は、あくまで軍隊ではない。軍には自治が認められるが、自衛隊は自衛隊法にもとづき、必要最小限度の実力行使が認められるにすぎない。
 日本の自衛隊は、専守防衛。つまり、攻撃があって、急迫不正の侵害があって、初めて出動できる。そして、その場合ですら、「必要最小限度」の実力行使しか出来ない。
日本の防衛費は、世界有数のレベルに達しているが、その多くは人件費に投入されている。アメリカが55兆円、中国は10兆円で、日本は6兆円しかない。
 軍人は、北朝鮮は、110万人いて、ロシアは96万人、韓国は64万人いる。
 直接民主制は、ドイツのように危険性もある。直接民主制は、拍手と喝さいで、チャップリン映画のように人々が熱狂し、独裁政権が誕生するリスクもある。
 ぜひとも、本物の高校生に読んでほしいと思ったことでした。
(2014年3月刊。1500円+税)

有楽町の映画館で南アフリカのマンデラ元大統領を主人公とする映画をみました。大きな映画館に、観客はわずか20人ほどでした。平日の夜だったからでしょうか。それとも、マンデラは、もう忘れ去られた存在だということなのでしょうか。
 黒人を人間として扱わない、下等人種と見てきた白人支配に対して、当初は非暴力で、そして、ついには暴力で対抗したマンデラは、結局、逮捕さされて、27年間もの獄中生活を余儀なくされたのでした。27年間って、長いですよね。
弁護士として活動していたマンデラは、裁判でも黒人差別を許さないという成果も上げていたようです。
 そして、初めの奥さんには逃げられてしまいます。活動だけでなく、浮気していたのがバレたのでした。マンデラを美化しすぎないようにという注文が本人からついた映画なのです。ですから、妻、ウィニーとの葛藤も描かれています。
 ウィニーは、迫害されて、過激になり、武力に走ります。裏切り者とみるとリンチにかけてしまうのです。
 暴力が横行するなか、マンデラは、出獄して、テレビで訴えかけるのです。
 「平和はいらない、報復を」と叫ぶのは間違っている。平和しかないというのです。
 暴力の連鎖を絶ち切ろうと呼びかけるマンデラの崇高な叫びに心が震えました。涙より怒り、そして勇気を与えてくれる映画です。

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2014年6月 4日

ホロコースト・全証言

ドイツ


著者  グイド・クノップ 、 出版  原書房

 ドイツのテレビで、ドキュメンタリー番組として放映されたものが本になっています。2000年に放映されました。
はじめに人間狩りがあった。
1941年、ヒトラーがソ連へ侵攻したとき、ナチスの「特別行動隊」3000人の人殺し部隊は、第一の目標がユダヤ=ボルシェヴィキ知識人の完全な根絶だった。
アウシュヴィッツは、何度も連合軍に写真撮影されていたが、決して爆撃を受けることはなかった。なぜなのか・・・。アメリカも、イギリスも、爆撃しなかったことについて、嘘をついた。
1945年春にドイツ国内の強制収容所で連合軍が解放した生存者は5万人にもみたなかった。
ヒトラーのホロコーストを実行したのは、大勢の小さなヒトラーだった。彼らは、やむをえず、命令に従っただけだと言い訳をした。こんな数十万人もの自発的執行者がいた。彼らの多くは精神病質者ではなく、どこにでもいる、ごくフツーの男たちだった。
人間と被人間を分ける壁はいかにも薄い。人間は、同胞の殺戮にも平気で向かう。
そして、数百万人の人間が、この大量虐殺を傍観し、また目を背けていた。数百万の人々がもうこれ以上知りたくないと思うほど、十分に知っていた。
ホロコースト(大虐殺)の推進力はヒトラーだった。ヒトラー、ハイドリヒ、ゲーリングなど、ヒトラーの死刑執行人たちは、自分のなすべき仕事をヒトラーから口頭で伝えられた。それは、明確な命令であったり、暗示であったり、あるいは同意を示すうなずきであったりした。
ホロコーストの責任がヒトラー自身にあること、それを立証する文書が存在してはならなかった。ヒトラーがユダヤ人の銃殺を目のあたりにしたことは、一度もない。抹殺者ヒトラーに進んで手を貸した加害者は数多くいたが、その頂点に君臨したのが、ハインリヒとヒトラーだった。
1941年7月、ヒトラーとドイツ国防軍は対ソ戦の勝利を確信した。
 1941年8月、ゆるぎない勝利の確信は消え失せていた。
 10月になると、スターリンを打倒するという野心的目標は、もはや実現不能と見えた。
 12月、戦況に不満を抱くヒトラーは、みずから陸軍総司令官に就任した。
 1942年春、ヒトラーが「決着」と呼んだものが始まった。ゲットーに住むユダヤ人の虐殺が開始した。
 孤立をさせること。これこそ、ゲットーを建設した根本的な動機である。外界との個人的な接触は、一夜にして切断された。ワルシャワ・ゲットーに捕らわれた数十万人の人々は、1日に8000人から1万人が犠牲となった。
 これほどのユダヤ人絶滅は、当時の外にいる人々の想像力をはるかに超えていた。要するに、現実があまりにひどすぎて、聞いた人々は信じられなかったということです。
 「きみたちは、サナトリウムに来たのではない。ここは、ドイツの強制収容所だ。ここからの出口は、たった一つ。煙突だ。それが気に入らなければ、今すぐ、高圧電線に身を投げるがいい。移送されてきたのがユダヤ人なら、2週間以上、生きる権利はない。聖職者なら1ヵ月。あとの者は3ヵ月だ」
 強制収容所でも、ユダヤ人による抵抗の戦いがあったことを知ると、なんだか救われた気持ちになります。ナチス・ドイツに、やすやすと殺させるユダヤ人ばかりではなかったということです。
 アンネ・フランクの幸せだったころの写真があります。たくさんの写真がヒトラーとナチスの残虐さを紹介してくれます。読みたくないし、見たくありませんが、決して目を背けてはいけない事実と写真が満載の本でした。
(2014年2月刊。3400円+税)

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2014年6月 5日

日露戦争史(3)

日本史(明治)


著者  半藤 一利 、 出版  平凡社

 知らないこと、でも、知るべきことがこんなに多いのかと、本書を読みながら思い至りました。「自虐史観」とか、あれこれ言うまえに、歴史の真実を私たちは知るべきです。
 乃木将軍の第三軍が無謀な突撃をくり返したあげく、ようやく旅順要塞司令官のステッセル中将は降伏した。それまでに乃木の第三軍が消費した砲弾は32万発、小銃弾は4800万発。とんでもない消費量だ。
 日本軍は、降伏してきたロシア軍の将兵に対して、戦争が終わるまで日本と敵対行為をしないと宣誓したら、ロシア本国へ直ちに帰還させるとした。
 これって、すごいですよね。第二次大戦の日本では考えられないほどの人情的措置を日本軍はとったのですね。
 この宣誓をしたロシア将兵は、ステッセル以下の将校が441人、下士官兵が229人だった。乃木大将とステッセル中将との降伏式のあとの記念写真は、ステッセル将軍以下の幕僚たちも帯剣し、一同が友人として並んで記念撮影した。
 乃木将軍というのは、こんな気配りまでしたのかと、驚きました。
旅順要塞を陥落させた日本軍に対して、はじめ冷たかった国際世論が次第に日本帝国のほうへ好転しはじめた。
 ところが、陸軍省の参謀本部にいる秀才たちは、手ばなしでは要塞陥落を喜ぶことができなかった。というのも、あまりにも多くの戦死者を出していたから・・・。
 東京の参謀本部は、作戦指導に欠陥のあった第三司令部の全員を内地に帰還させ、総解体したかった。そして、新しい軍司令部を誕生させ、奉天会戦に問いあわせたかった。
 ロシア国内では、「血の日曜日」事件が勃発してしまった。10万人をこえる人々が、皇帝に向かって要請行動にたちあがった。そして、近衛歩兵連隊の兵士たちが小銃を発砲した。
 やがて、全ロシア帝国が革命の「るつぼ」に投げ込まれた。
 バルチック艦隊が極東へ向かっている途上で、旅順艦隊が消滅してしまったことを知らされ、また、旅順要塞の防衛隊も絶望的だと告げられた。
 これではバルチック艦隊のロジェストウェンスキー司令官は落胆するしかありませんよね・・・。
 ロシア帝国の中枢は、革命の荒波に直面して、バルチック艦隊どころではなかった。こうしてバルチック艦隊は、はるかに遠いアフリカ大陸の外海で、すでに自滅しつつあった。
 陸上での奉天会戦は日ロ両軍あわせて56万人の決戦だった。
 野砲はロシア軍が2倍もの優勢を誇るが、銃砲火力は日本軍が3倍。そして、日本軍は機関銃を国内で増産し、256挺も前線に配備していた。対するロシア軍は56挺。その差5倍。奉天会戦は、圧倒的な銃砲火力と機関銃火力が投入され、この強力な火力の掩護のもとに戦われた一大会戦だった。
 ロシア軍のほうは、クロパトキン総司令官以下、かならずしも意気盛んというわけではなかった。
 1905年(明治38年)の日本の男性人口は2342万人。そのうち兵役にたえる人口は800万人。その4分の1の200万人が兵隊として既に召集されている。労働人口を考えたら、ギリギリ限度の大量の兵力動員だった。しかも、重要なことは、下級将校と曹長、軍曹という下士官クラスの死傷者が4万人となっていること。中隊長、大隊長クラスの将校の死傷者は、残存戦力に甚大な影響を及ぼしている。速成の指揮官は、役に立たないどころか、かえって有害な存在になる。凄惨苛烈、臨機応変にして強靱な判断を指揮官には求められる。それが出来ないと・・・。
 バルチック艦隊の兵員総数の3分の1は予備水兵だった。新兵器も十分に活用することができなかった。バルチック艦隊のほうは、水増しされ、旧式の戦隊等が加わっていた。最高速力が11ノット。これでは、日本側の15.5ノットに比べて、決定的に不利。
バルチック艦隊が、果たして対馬海峡に来るのかどうか、東郷司令官以下、動揺した時期があった。
 「天気晴朗なれども波高し」という電文には、第一弾の奇襲攻撃は不可能かもしれないことを伝えたという意味が込められていた。
 東郷司令官は、ロシアのバルチック艦隊と接近しての射ちあいに賭けた。中小口径砲では日本側が断然有利だから。戦艦の不足を速力と中小口径砲でおぎない、常に戦場で主導権を握る。
 ロジェストウェンスキーは、司令塔に日本側の砲弾が命中し、重傷を負って、意識不明となった。総指揮官が早くも戦闘から離脱してしまった・・・。戦場での運・不運なのです。
 それに対して、戦艦・三笠は30発もの命中弾を受けたが、戦闘力はいぜんとして健在だった。
 人的損害として、ロシア側は戦死者5千人、捕虜6千人。これに対して日本側は戦死者116人、戦傷者580人。
 日本の民草が、有頂天になり、「勝った、勝った」で、天にも昇る気分になったことはやむをえない。しかし、日本陸軍の国内動員能力は完全に涸渇していた。
 だから、ポーツマス条約で賠償を得られないことを知って民草は暴動を起こした。
 日本の国力を知らされず、踊られさてきた「民草」の不満が爆発したわけです。
 日露戦争の全体状況を、よくよく認識することができました。やっぱり、事実を直視すべきです。
(2014年1月刊。1600円+税)

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2014年6月 6日

亡国の安保政策

社会


著者  柳澤 協二   、 出版  岩波書店

 安倍首相の狂ったような暴走ぶりは、まったく度しがたいものがあります。この本のオビに、日本にとって最大の「脅威」は安倍政権だ、とありますが、本当にそのとおりです。
 韓国・中国と対立・反目しあい、アメリカからは大いに失望されている安倍首相の支持率が6割近いだなんていったい、日本人は何を考えているのでしょうか・・・・。
 昨年12月に成立した「特定秘密保護法」については、その必要性に疑問を唱えてきた。その秘密の範囲があいまいで、政府が恣意的に「秘密」を指定する可能性がある。そして、いったん指定された「秘密」が永久に公開されないおそれがある。また、一般国民を対象として犯罪者として恣意的に取り締まる危険性があるから。
国家の安全は、国民の知る権利(これは、国民主権を意味する)に優先すると自民党の有力議員が発言したが、とても信じられない。
安倍首相は、次のように言った。
 「今の憲法解釈のもとでは、日本の自衛隊は、アメリカが攻撃されたときに血を流すことはない。そういう事態の可能性は、きわめて小さいが、それでは完全なイコールパートナーとは言えない」
「血を流す」というのは、自衛隊員の生命が失われること。自ら生命の危険に身をさらすことのない立場の人間が、日本人である自衛隊員の命にかかわることを軽々に口にすることに怒りを覚える。
 今日の尖閣諸島をめぐる日中対立の原因は、中国の強硬路線への転換に主因があり、日本外交の失敗がこれを顕在化させた。尖閣問題は、戦に日本が弱腰だから発生したわけでも、日本が強腰なら解決するわけでもない。それは、双方のナショナリズムの発露なのであった。
 安倍政権は、小泉政権のポピュリズムの流れを引き継いだ。メディアという「劇場」で、分かりやすい「敵」を設定し、その敵をやっつける「ヒーロー」を演じて、大衆を陶酔させる。そこで求められているのは論理ではなく、感情に訴えることである。
 安倍首相は、アメリカとの軍事的双務性をすすんで追求し、アメリカのと対等な関係を築くことによって、大国としての日本を「取り戻す」という「報酬」を求める型のパワーポリティクスへ転換しようとする。ところが、このパワーポリティクスこそ、タカ派と言われた中曽根首相をはじめとして、歴代の自民党政権が露骨に追求することを避けてきた手段であった。この手段をとれば、憲法に真正面からぶつかる必然性がある。その点、安倍政権は、歴代の自民党政権とは明確に異なる指向性をもつ。日本にはその実力がなく、あったとしてもアメリカが同調することはなく、日本の国益にも反する歴史認識と尖閣問題は、安倍政権についてのアメリカの一貫した懸念事項であった。
 2013年10月に来日したケリー国務長官とヘーゲル国防長官は、アメリカの閣僚として初めて千鳥ヶ淵戦没者墓苑に参拝した。この千鳥ヶ淵参拝には、歴史認識に関して日本がアジアの情勢における緊張要因とならないようにアメリカがアメリカが釘を刺すという意味があった。にもかかわらず、それが無視された。安倍首相の靖国神社参拝は、アメリカとの矛盾を顕在化させ、政権維持のよりどころである与党・公明党の反発を招いた。安倍首相が本来の「安倍カラー」を出さなければ強固な支持層の失望を招き、出せばアメリカと連立パートナーとの矛盾が表面化せざるをえないところに、安倍政権のかかえる構造的な脆弱性がある。
 砂川事件の焦点は、在日米軍基地の拡張であり、日米安保条約による米軍への基地提供が問題とされていた。
 集団的自衛権は、現実の世界では、大国が小国に軍事介入することを正当化するための論理として使われてきた。
 集団的自衛権を行使する国というのは、「普通の国」ではない。それは「大国」以外にありえない。いま考えるべき一番重要なことは、日本が真にやる必要があるのは、他国の軍隊を守ることなのか、住民や文化を守ることなのか、ということ。つまり、海外に展開する米軍に対する攻撃のため、日本が出動するということがあっていいのか・・・・。それは、無用の戦争に日本が巻き込まれてしまうことを意味している。
 日本政府は、戦後一度もアメリカの武力行使に反対したことがない。
 「総理大臣の総合判断」ということに歯止めの役割を期待することはできない。
 尖閣諸島に「武装した集団」の上陸があったときには、日本に対する侵略として、防衛出動で自衛隊が出動して排除することができる。これは個別的自衛権であって、集団的自衛権ではない。
 安倍首相のいう「積極的平和主義」というのは、憲法解釈変更への国民の抵抗を減らすためのトリックにすぎない。
 日本が、歴史認識や尖閣諸島をめぐって強硬な姿勢を貫けば、アメリカだけでなく、日本自身の国益を損なうことになる。今日の北東アジアでは、日本ばかりでなく、韓国も中国も、政権の正統性を守るため、国民感情をあおり、戦争を避ける方向とは逆の方向で行動している。危機の本質はそこにある。国民の感情を必要以上に掻き立てないことが求められている。
 著者への講演を開いたことがありますが、いたって冷静、かつ防衛現場の実情をしっかり踏まえた内容でしたので、とても納得できました。
 いま、大いにおすすめの本です。
(2014年4月刊。1400円+税)

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2014年6月 7日

八法亭みややっこの憲法噺

司法


著者  飯田 美弥子 、 出版  花伝社

 弁護士にも、本当にいろんな人がいるんですね・・・。なんと、憲法を講談ではなく、落語で語ろうっていうんです。もちろん、キリリとした和服姿で、高座に座って語るのですよ、憲法を・・・。
 私のよく知っている裁判官も、大学で落語研究会(オチケンと読みます)にはいって、その前は、私と同じくセツルメントサークルにいましたが・・・、今もときどき高座に出て一席語っているそうです。こちらは憲法ではなく、世相を斬る新作落語のようです。
 著者の語る憲法ばなしは、CDで見せていただきました。2時間あまり憲法を語って飽きさせないところは、さすがです。水戸一高の落研出身といいますから、年期が入っていますね。
紬(つむぎ)の着物に紅型(びんかた)の染め帯姿。著者は茶道もたしなむので、自分で着物が着られる。そして、書道四段の腕前で、自ら墨書しためくり「安倍のリスク、八法亭みややっこ」のそばに扇子をもってすわる。
 八法亭とは、六法全書というより、著者の所属する八王子合同法律事務所を縮約したネーミングです。
 著者の落語を聴いて、私がもっとも感銘を受けたのは、著者は、憲法9条より13条を一番大切にしているということを、自らの体験をふまえて赤裸々に語っているところです。
 女の子だから、女たるもの・・・、と言われることを高校、大学と大いに反発し続け、さらに結婚してからは夫にも忍従なんてしなかったというあたりです。まさしく自立した女性のたくましさに、大いに心が惹かれました。
 わずか76頁のブックレットですが、ぎっしり著者の思いが込められています。ぜひ、あなたも手にとってお読みください。
(2014年5月刊。800円+税)

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2014年6月 8日

伊藤彦造、降臨!神業絵師

社会


著者  松本品子・三谷薫 、 出版  河出書房新社

 剣戟(けんげき)場面の挿絵は実にリアルで、迫真的です。これが新聞の挿絵だったら読まれること間違いないでしょう。私も、伊藤彦造の名前こそ覚えがありませんでしたが、この絵はなんとなく見覚えがありました。
 ともかく迫力があり、真に迫っています。それもそのはずです。一刀流の開祖である剣豪・伊藤一刀斉の末裔として生まれ、幼いころから父親より剣の手ほどきを受け、小学4年生からは真剣で修行していたのです。
 ですから、そこには壮絶な死を予感させるような緊迫した剣戟シーンがつくり出されています。そして、濃密なペン画ですから、緊迫感が画面いっぱいにあふれています。
 66歳で絶筆し、2004年に100歳で亡くなるまで、絵を描かなかったというのもすごいことです。絵の迫力が違います。すごい日本人がいたものです。ぜひ、絵をみてみてください。
(2013年12月刊。1800円+税)

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2014年6月 9日

アフリカッ!

アフリカ


著者  松村 美香 、 出版  中央公論新社

 日本の総合商社の若手社員がアフリカ市場を開拓しようとするときに直面する苦難の日々が描かれています。
 たしかに、アフリカ大陸は広いし、膨大な人々が住んでいますから、潜在的なニーズは大きいのでしょう。それでも、ともかく貧困層が多くて、安価であることが何よりの条件という国が多いのも現実です。そこに、中国製品ががっちり食い込んでいて、高品質をモットーとする日本製の進出を許しません。
 そして、治安の問題があります。さらには、病気も心配です・・・。それでも、主人公の日本の青年は、意気高くアフリカに乗り込むのでした。毎日毎日、パソコンに向かいインターネットを眺めるのに飽き足らなくなったのです。
 この本では、アフリカといっても、東部のエチオピア、ケニア、そしてザンビアしか登場しません。エチオピアといえば、マラソンの走者アベベを思い出します。世界最貧国のようです。
 ケニアは豊かな大自然のサファリ国立公園ですよね。でも、先日、福岡から修学旅行に行って、ショッピング・モールでのテロ騒動に危うく巻き込まれそうになったという話を聞きました。
そして、ザンビア。ここは治安がいいそうですが、あまり耳慣れない国です。
エチオピアは世界200ヶ国あるなかで、常に貧困ワースト・テンに入っている。戦争も内戦もないのに最貧困。
フルフルは、エチオピアの典型的な朝食メニュー。インジェラと呼ばれるパンを味付けしたもの。インジェラは、粒子が1ミリしかない土着の雑穀「テフ」を発行させ、縛り固めて直径30センチほどに丸く広げ、鉄板で焼いたもの。表面に泡だったぶつぶつがあり、色は灰色。腐りかけのような、すえた臭いがして、味は酸っぱい。使い古したぼろ雑巾のように見えるのだが、エチオピア人はこの主食をこよなく愛し、頑として食生活を変えようとしない。
日本人にとっての味噌汁と納豆のようなものでしょうか・・・。
 海外へ出れば、誰だってカルチャーショックを受ける。それから逃れてはいけない。カルチャーショックを受けている自分を楽しめ。感受性が豊かな自分を肯定しろ。それが、人間の成長となり、いつかきっと新しいアイデアにつながっていく。
 私も、初めて海外旅行、アメリカだったかフランスだったか忘れてしまいましたが、びっくり仰天の体験でした。これは必要なものだと痛感して、以来、毎年1回は海外に出かけるようになりました。
 ケニアもエチオピアと同じで、テレビや冷蔵庫は韓国製か中国製に占有されている。元宗主国であるイギリスの電化製品を探すのさえ難しい。
 ケニアで人気の日本商品は「つけ毛」(ウィッグ)くらい。
 ケニア人は、合理性よりも楽しさ優先。新しいもの、珍しいものが好き。ケータイも、商売での活用よりも、家族との対話に使いたい。
中国が売っているのは、ケータイだけでなく、情報システム。
 東アフリカでは、主な工場のマネージャーはインド人。インド人は絶対的少数派で、現地に溶け込み、2世、3世の世代になっている。でも、混血はすすんでいない。
 ケニアの不動産業者にはインド人が多い。最近では、インド本国からアフリカに渡ってくるビジネスマンも多い。そう言えば、マハトマ・ガンジーも、アフリカにいましたね・・・。
 ザンビアに限らず、アフリカの官庁街の建物は、いま、ほとんど中国の業者が建設している。ところが、建設して1年もたてば、もうボロボロ。ドアは壊れる。鍵はかからない。窓は閉まらない。エレベーターも怪しいし、配線も危ない。
 それでも、日本の商社はアフリカ進出を目ざすのです・・・。
(2013年12月刊。1700円+税)
 南アフリカのネルソン・マンデラ元大統領が亡くなったときのオバマ大統領の追悼の言葉は味わい深いものがあります。
 「マンデラのおしえを自分の人生にどう活かすか、各人が自問しなければならない。いまも世界には貧困や不正義が溢れている。だが人間の和解に共鳴すると言いながら、貧困撲滅や格差是正のわずかな改革にも反対する人々がいかに多いことか。マンデラの自由への闘争に連帯すると言いながら、批判を許さない指導者がいかに多いことか。それらを横目で見ながら声をあげず、無関心もしくはシニカルな態度に甘んじている人々がいかに多いことか。世界が直面する課題の克服はいずれも容易なものではない。だが、マンデラは『何ごとも達成するまでは不可能に思えるものだ』と語りかけている。私自身もマンデラの闘争に感銘を受け、元大統領への道を進むこととなった。私は、マンデラにはとても及ぶ人間ではない。しかし、それでもマンデラは、私に『よりよい人間になりたい』という気持ちを奮い起こさせてくれる。自分自身のなかにマンデラの大きさを見出そう。そして困難に直面したとき、マンデラが獄中生活を耐え抜いたことばを思いだそう。『いかに開かれた門が狭く、試練が辛くとも問題ではない、自分こそが運命の主人、自分こそが魂の行く手に舵をとる船長であるのだから』と」

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2014年6月10日

憲法学再入門

司法

著者  木村 草太・西村 裕一 、 出版  有斐閣

 憲法についての、決してやさしくはない本です。正直なところ、私には難しすぎるところがたくさんありました。一見、日常会話のような体裁なのですが、その内容たるや、きわめて高度な論理展開なので、とても私はついていけませんでした。
 といっても、実は、司法試験にパスするためには、このような論理展開が求められているようなのです。ということは、今の私が司法試験を受験したら、少なくとも憲法科目については合格するのは覚束ないということのようです。トホホ・・・。
 著者の2人は、いずれも同世代。30代半ばでしょうか・・・。私が、この本を読んで、少しは理解できたと思えるところを、いくつか紹介します。
 「公共の福祉」条項の趣旨は「公共の福祉」を理由とすれば人権を制約できるという点にあるのではなく、人権を制約するためには、「公共の福祉」=「公権」を理由としなければならないという制限を立法府=国家権力に課した点にある。
 すなわち、「公共の福祉」の名宛人を国民から国家へと転換させたのである。「公共の福祉」は、人権の制約根拠ではあるが、正当化事由ではないという現在の支配的な見解は、このような意味において、理解できる。
 「公共の福祉」が、人権の限界ではなく、国家権力の限界であり、国家権力に対して人権制約の「理由」を要求する概念であるとすれば、ここでの焦点は、自由の側にではなく、自由を制限する国家行為の側にこそある。
人権とは、他者のいない世界において独善的に謳歌されるものではなく、他者によってそれが傷つけられたときに、「苦痛をこうむる人間の異議申立」としてのみ立ち現れるものだろうからである。
 プライバシーの権利は、かつては、一人で放っておいてもらう権利として理解されていた。それが、情報化社会の進展により、「個人が道徳的自律の存在として、自ら善であると判断する目的を追求して、他者とコミュニケートし、自己の存在にかかわる情報を開示する範囲を選択できる権利」としてとらえる自己情報コントロール権説が通説化している。さらに、最近では、「人間が多様な社会関係に応じて、多様な自己イメージを使い分ける自由をプライバシーと呼ぶ」自己イメージ・コントロール権説があり、また、「プライバシーの保護を社会的評価から自由な領域の確保としてとらえる」社会的評価からの自由説が有力に唱えられている。
プライバシーと思想の自由は、それらが侵害されることは「自分が自分であることを自分で決める」という原則が否定されることを意味するという点において共通している。
 ここらあたりは、私にも、なんとなく分かった気がしてきます。
現在の護憲派と改憲派との対立もまた、知性主義と反知性主義との対立という様相を示している。
 私からすると、安倍首相のような改憲論の主張は明治憲法の悪しき伝統への先祖帰りでしかなく、歴史の進歩をまったく無視しているという点で、反知性主義そのものです。いかがでしょうか・・・?
 宮台真司は、「昨今の判事って、本当に馬鹿だよね。間違いなく、私よりも法理論や法哲学を知らない」と語った、とのことです。弁護士として40年、また、裁判官評価システムに関与している体験からすると、裁判官が全員「馬鹿」だなどということは決してありません。ところが、上ばかり見ているとしか思えない裁判官が決して少なくないように思われます。また、家庭生活をふくめて、人生を豊かに謳歌しようという思考の裁判官も多いとは決して言えません。上(高裁や最高裁)のほうを気にしすぎて、自分の信念をもって、合議体であれば後進・若手の意見を取り入れることもなく、ばっさり切り捨てる判決のいかに多いことでしょうか・・・。
少しだけは理解したつもりになって紹介しました。それにしても、学者ってこんなことを一日中、議論しているのでしょうか。これでは私には一日たりとも学者なんてつとまりません・・・。
(2014年3月刊。1900円+税)
日曜日の午後、庭に植えていたジャガイモを掘り出しました、すぐ近くで、ウグイスが高らかに鳴いています。梅雨入りしたあと、なぜか雨が降りません。
 いくらか小ぶりのジャガイモが大きなザルで2杯分とれました。つやつやして、美味しそうです。
 夜、8時すぎ、暗くなってホタルを見に行きました。もう終わりかけのようで、チラホラ飛んでいました。

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2014年6月11日

「アラブ500年史」(下)

世界(アラブ)


著者  ユージン・ローガン 、 出版  白水社

 1952年7月、エジプトのファルーク国王は国外へ去った。国王に代わった自由将校団は平均年齢が34歳だった。
 1954年10月、ムスリム同胞団がナセルを暗殺しようとした。しかし、ナセルは銃声にたじろがず、演説をそのまま再開した。ナセルは1954年末から70年に死ぬまで、エジプトの大統領とアラブ世界の総司令官をつとめた。
 モロッコでは、フランスは独自のテロ組織をつくり、ナショナリストを暗殺し、支持者たちを威嚇した。
 1955年8月、アルジェリアではFLN(民族解放戦線)が入植者の村を襲い、男女子ども123人を殺害した。フランス軍は直ちに残酷な報復措置に出て、少なくとも数千人のアルジェリア人を殺害した。
 1956年のスエズ危機は、エジプトにとって、軍事的敗北を政治的勝利に変えた典型的な例だった。ナセルの大胆な言葉と勇気ある抵抗は、どんな軍事的成功にも勝るものだった。
 1950年代にエジプトは地域のもっとも影響力のある国家として頭角をあらわし、ナセルはアラブ世界の文句なしのリーダーになった。ところが、ナセルの目覚ましい成功の進展は、1960年代にしぼんでしまった。
 1962年以降、ナセルはエジプト革命をアラブ社会主義路線に乗せた。ソ連と運命をともにして、その国家主導型経済モデルに従うことにした。
 アルジェリアの独立戦争は、1962年9月のアルジェリア民主人民共和国の樹立まで、8年間、全土で猛威をふるった。100人以上の人々が生命を失った。
 1956年9月、首都アルジェで3発の爆弾が炸裂した。「アルジェの戦い」として知られる激しい作戦の始まりだった。
 1958年には、フランス自体がアルジェリア問題で分裂しつつあった。1954年のフランス軍は6万人だったのが、1965年には50万人と9倍にもふくれあがっていた。フランスの納税者は、巨額の戦費を負担に感じるようになっていた。徴兵されたフランスの若い兵士は言語を絶する恐怖の戦争に巻き込まれたことに気がついた。
 フランスの世論は、フランス兵が第二次大戦中に、野蛮なナチスがフランスのレジスタンス運動を抑圧するのと同じ方法をつかったことを知り、衝撃を受けた。
 アルジェリアの危機は、フランス人共和国そのものを崩壊させる危険があった。そのことに気がついたドゴールは立場を変え、アルジェリアのフランスからの離脱をフランス国民に覚悟させはじめた。そして、ドゴール暗殺計画が企図された。それでも、1962年、アルジェリアの国民投票はほとんど全員一致で独立に賛成した。1962年6月だけで、アルジェリアのフランス人30万人が出国した。
 1967年のナセルにとって、イスラエルとの戦争は、いちばんやりたくないものだった。しかし、自分の成功のせいで、やらざるを得ない羽目に陥っていた。
 1967年の敗北のあと、ナセルは辞職を申し出た。しかし、民衆が、それを阻止した。幻覚から覚めた人々は、アラブ世界において、政府に対するクーデターや革命を引きおこした。
 1967年の戦争で、アメリカがイスラエル側に立って参戦したというナセルの主張は事実無根だった。実際は、まったく逆で、イスラエル軍はアメリカの情報収集艦「リバティー号」を攻撃し、アメリカは多数の死傷者を出した。
 1964年、「ファタハ」のイスラエルに対する作戦は軍事的には失敗だったが、宣伝行動としては成功した。アラブ世界は、波乱に富んだ1970年代に、石油の力によって変貌した。しかし、石油を武器としてつかうのは、言うのはやさしく、行うのは難しい。
 1973年10月、エジプト軍がシナイ半島に進攻し、基地を築いた。「10年戦争」は、外向的勝利でもあった。
 1970年代、テロリスト暴力が吹き荒れるなか、パレスチナ強硬派とイスラエル諜報機関「モサド」の双方とも、積極的に敵を暗殺していった。
 ヨーロッパの軍需企業は、欧米寄りの「穏健な」アラブ諸国に対して、アメリカと競って重火器を売り込んだ。
 1981年10月6日、サダド・エジプト大統領が公衆の面前で兵士たちから暗殺された。
 1983年10月23日、レバノンのベイルートで強力な爆弾が自爆攻撃によって爆発し、300人が死亡した。アメリカ海兵隊の将兵241人、フランス軍の将兵58人がふくまれていた。
PLOの指導者アラファトをイスラエル軍は暗殺しようとした。
 イスラエルの侵攻ほど、レバノンにイスラム原理主義運動を助長した出来事はない。「ヒズボラ」が生まれたのは、イスラエルに負うところが大きい。パレスチナ人は、イスラエル軍との対決で決して武器をとろうとしなかった。非暴力であることが、パレスチナ人のさまざまな運動家を「インティファーダ」に引きつけた。
 アラブ世界の揺れ動く内情を少しでも理解しようと思い、上下2巻の大作に挑戦してみたのです。少しだけ感触を得ることができました。
(2014年1月刊。3300円+税)

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2014年6月12日

ショアーの歴史

ドイツ


著者  ジョルジュ・ベンスサン 、 出版  白水社

 1939年から1945年までに、ヒトラー・ナチスは多くの共犯者の協力を得て600万人ものヨーロッパのユダヤ人を殺戮した。これをあらわす言葉としては、ショアーがふさわしい。
ショアーとは、災厄、破壊、悲嘆を意味するユダヤ教の祭儀用語である。ゲットーという呼び名は、1516年のイタリアはヴェネチアが最初である。
 第一次世界大戦が終わったとき、ヨーロッパには900万人から1000万人のユダヤ人が暮らしていた。その中にはポーランドの300万人、ルーマニアの100万人がいた。ソ連にも300万人がいた。
 1920年代から30年代にかけて、ヨーロッパ全域で、ユダヤ人排斥の勢いが高まっていた。
 ドイツにおける反ユダヤ教主義の伝統は古く、厳しいものがあった。
 1933年、ドイツの国会議事堂の火災を口実としてドイツ共産党は禁止となり、4000人の幹部が逮捕され、ダッハウの強制収容所に入れられた。
ドイツのユダヤ系公務員が解雇されるのは1933年4月から。ユダヤ人弁護士は所属する弁護士会から除名された。1934年末、弁護士の7割、公職人の6割が職務遂行不能に陥った。
 1939年にはユダヤ人の運転免許証が取りあげられた。
 1933年に50万人いたユダヤ系ドイツ人のうち、15万人が1938年までにドイツを出た。
 1939年9月、ナチス・ドイツはポーランドを占領した。数ヶ月のあいだは、ユダヤ系住民はまだ一過性の嵐にすぎないと考えていた。
 ワルシャワのゲットーには、1941年に47万人のユダヤ人が住んでいた。学校などの教育組織があり、舞台劇が演じられ、地下新聞が47紙も発行された。
 ユダヤ人評議会は罠にはまった。自分たちの殺戮までも引き受けることになった。そして、評議会制度は、利権と腐敗の温床ともなった。
 「T4作戦」は、1939年1月に占領下のポーランドで始まった。
 ポーランドでも、ドイツ本国でも、精神痛者が大量に殺害された。
 ヒトラーは、反対勢力の結集を危険とみて、処分目標を達していたこともあり、1941年8月、「T4作戦」の続行を断念した。
 アメリカのユダヤ人指導者には、ユダヤ人殺戮の情報は伝えられていた。
 1942年に犠牲者は100万人だとされていたとき、実際には300万人が殺されていた。アメリカ政府は、1944年春にはアウシュヴィッツの詳細な航空写真をもっていたのに、収容所への空爆を拒んだ。同じく、イギリスのほうも空爆することはなかった。
 それぞれ、国内に反ユダヤ主義があったことと、何十万人という難民が入国するのを危惧したことによる。
 ドイツの銀行はユダヤ系市民の口座を閉め、一般市民はユダヤ人の商店や会社、アパート、家財を買いたたいた。
 ドイツのデグザ社は、被害者から奪った、死体の歯から搾取した金冠を溶かして純金のインゴットをつくり、ナチスはそれを国家資産とした。
 ナチスの犯罪は、ごく少数の酷薄な変質者によるものではない。「勤め人の犯罪」、つまり普通の人間、民間あるいは軍人、ナチス党員などによる犯罪である。
 元ナチの大多数は、身元を隠そうともしなかった。戦後のドイツやオーストリアにおいて、隠健な勤め人や企業主として豊かな暮らしを取り戻していた。
 法律家で元ナチスの高級官僚であるハンスは、戦後は、アーヘン市財政部長、1953年にはアデナウアー首相の官僚長となった。
 ナチス・ドイツを今日なお賛美する人がいるのに驚きます。しかも、ヒトラーが軽蔑していた日本人のなかにヒトラーを賛美する人がいるなんて、まさにマンガ的な状況です。
(2014年1月刊。1600円+税)

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2014年6月13日

済州島四・三事件(第2巻)

朝鮮(韓国)


著者  済民日報四・三事件取材班 、 出版  新幹社

 1948年に韓国の済州島で起きた事件を詳しく追跡した本です。
 1948年は私の生まれた年です。朝鮮戦争が始まったのは1950年6月のこと。その前夜の殺伐とした韓国内の状況が詳しく描かれています。
 1948年4月3日の早朝から、左翼武装隊が済州島内の11の警察署(支署)を一斉に襲った。このとき、武装隊の武器は九九式銃一挺の他は棍棒など、貧弱だった。
 この襲撃は北朝鮮がそそのかしたとか、南朝鮮労働党(南労党)中央の指令によるというものではなかった。四・三蜂起は、むしろ南労党の戦略的立場からは不都合なものだった。
米軍政検察総長は、官公吏の腐敗、警察の苛酷行為、西青(反共青年団)の蛮行などによってたまった膿(うみ)を左翼系が針でつついて噴出させたのが、済州島自体の真相だとした。別の検察官も、今回の事件の導火線は共産党系列の策動にあったとしても、その原因は警察官の済州島民に対する誤った行為にあると断言した。
 戦後の韓国警察の幹部は、戦前の親日警察官が主流であり、冷戦下の反共イデオロギーによって過去の薄汚れた経歴を覆い隠すことができるだけでなく、「新たな愛国者」に変身する道が開けたことから、それにしがみつき、あらゆることを反共の旗幟(きし)を高く掲げて処理しようとした。
 武装隊の武器は全体で小銃30挺ほどでしかなかった。それに対して、討伐軍警は米軍から常に新式の武器を供給されていた。
武装隊は、主力部隊が500人、同調加担者が1000人から3000人。しかし、四・三事件で殺害された済州島民は3万人以上。ゲリラと関係ない島民は「アカ」「暴徒」として殺されただけでなく、その遺族までが「アカ」の烙印を押され、連座制の鎖につながれて、言語を絶する苦しみをなめた。
 四・三蜂起の直接的な名分は「単独選挙・単独政府反対」だった。これについては、南労党などの左派勢力だけでなく、右派陣営まで同調・加勢していた。
 警察と警備隊(軍隊)は反目しあっていた。警備隊は、四・三事件の当時、第三者的立場に立っていた。それというのも、警察の苛酷な島民弾圧に対して不満をもって警備隊に入隊した済州島出身兵士が少なくなかったから。
 第九連隊の連隊長であった金益烈中佐(当時27歳)は、武装隊責任者の金達三(当時25歳)と4月28日、国民学校の校長室で会談をもった。そして、一応の和平協商が成立した。ところが、5月1日、放火事件が発生した。これは、警察の後援による西青・大青などの右翼青年団体によるものだった。
 4.28平和協商の翌日(4月29日)、米軍政長官ディーン少将が突然、済州島を事前連絡もなく非公式に視察した。
 4.28平和協商は「共産暴動」と言い、「早期鎮圧」を豪語していた警察幹部の面目を丸つぶれにするものだった。そして、ついに、ディーン少将の前で、警察幹部と連隊長が殴り合う自体となった。5月5日のことである。
 金連隊長を指さし、「そこに共産主義青年がいる」と趙炳玉警務部長が言った。金連隊長は「黙れ」と叫び、壇に駆け上り、襲いかかった。腹を殴りつけ、胸倉をつかんで警務部長を背負い投げで投げ飛ばそうとした。
 金連隊長は、翌日、解任された。これで、金連隊長の推進していた和平政策は頓挫した。
ディーン将軍は、金連隊長の後任となった朴珍景中佐に焦土作戦を命令した。これこそ、金連隊長と軍政長官マンスフィールドが反対してきた作戦だった。
 朴珍景は、済州島に赴任して1ヵ月後に討伐作戦の功労を認められて大佐へ特急昇進した。しかし、結局、部下たちに暗殺された。
 済州島四・三事件の殺戮作戦の過程で、それに反対して和平交渉を進めていた現地軍の連隊長がアメリカ軍のトップの面前で警察幹部と殴り合いまでしたというのは驚きでした。そして、アメリカ軍当局は和平派をおろして強硬派に鎮圧作戦を命じたというのです。四・三事件について、アメリカ軍の責任は重大だと痛感しました。
(1995年4月刊。4000円+税)
 夕食にマッシュド・ポテトを食べました。もちろん、素材は日曜日に我が家の庭で掘り上げたジャガイモです。牛乳ではなく、豆乳をつかったのですが、ツヤツヤして、のどごしも良く、本当に美味しく、やや小ぶりのジャガイモ6個からなるマッシュド・ポテトを全部たいらげて家人からとがめられてしまうほどでした。
 もちろん、完全無農薬の自家栽培ですから絶対安心です。地産地消の極みです。
 これこそ、田舎に棲む人間の究極のぜいたくです。

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2014年6月14日

56歳からの挑戦

司法


著者  加藤 裕治 、 出版  法学書院

 すごいですね。自動車総連の会長という労働組合運動のトップまでのぼりつめた人が、「人生、二度生きる」をモットーとして、司法試験に挑戦し、見事、1回で合格を果たしたというのです。もちろん、そこに至るまでの3年余りは苦難の連続でした。そのことが赤裸々に語られていて、共感を呼びます。
 著者が弁護士を目指したのは、ロースクール(法科大学院)がつくられ、社会人枠があって、合格率も良いというキャッチ・コピーに惹かれたからでした。今や、そのキャッチ・コピーは見る影もありません。でも、だからロースクールなんてつぶしてしまえというものではないように私は思います。
ロースクールの同期生60人の半分は社会人。昼間は仕事をして、夜の授業を受ける。公務員、会社員、司法書士、そして医師がいた。
 著者は早稲田大学法学部を卒業して、トヨタ自動車に入社した。トヨタでは、法務部に配属され、国内法務から国際法務まで8年間つとめた。そして、9年目から労働組合の専従となり、24年間にわたって組合役員として過ごした。トヨタ労組から自動車総連に移り、会長を7年間つとめた。連合の副会長、そして国際金属労連の執行委員もつとめた。
ロースクールは4年間のコースとした。はじめの半年間は、1日の睡眠時間が4時間ほどしかとれなかった。
 モチベーションを支え続けたのは、労組役員としての現役時代に果たせなかったたくさんの思いや悔しさの蓄積だった。このまま人生を終わったら、立ちはだかった多くの障害に負けたままになってしまう。せめて自分が納得できる戦いを、もう一度したいという、切なる思いがあった。だから、司法試験を受けるのは1回だけにしようと心に決め、まわりにもそのように高言して退路をふさいだ。すごい決意です。この1回だけという気持ちが甘えをなくし、合格につながったのだと思います。
 合格者の6割は1回目の受験者なのだ。2回目以降は、合格する確率が相当に低下する。
憲法の全条文を暗誦することに挑戦した。ランニング中、4ヵ月で、前文から99条まで暗誦できるようになった。そして、次には民法の家族法、相続法の条文、民事訴訟法、刑事訴訟法を順次、暗誦していった。こ、これはすごいです。私には、ちょっとマネできない芸当です。
 ロースクールの試験の時には胃がきりきりケイレンし、何回も胃腸薬のお世話になった。肌着の首回りが、汗で黄色くなっていた。身体がボロボロになった。私にも、それはよく分かります。
司法試験は素直な人が合格する。講義への集中力が高く、共感の言うことを素直に吸収しようとする人が合格する。
 司法試験では、分析力、論理性、文章力が問われる。記憶力ではなく、法的思考能力が試されている。
 これだけの豊富な社会人経験があるわけですので、ぜひ社会的弱者のためにがんばってほしいと思います。期待しています。
(2014年1月刊。1380円+税)
 トヨタの社長が先日、6年目にしてやっと税金を払えてうれしいと言ったそうです。赤字だから税金を支払わなかったのではありません。営業利益は2兆円をはるかに超えて、過去最高を更新したというのです。要するに、ずっとずっともうけけていたのに、国内で税金を払ったことがなかったわけです。なんということでしょう。
 安倍首相は法人税をさらに引き下げようとしていますが、日本を代表する超大企業が法人税ゼロを続けてきたなんて、信じられません。
 この話はそれだけでは終わりません。実は、トヨタは輸出企業なので、消費税を納付するどころか、毎年1800億円、そして8%になった2800億円をこえる還付金をもらうというのです。
 トヨタが新聞広告で「増税もまた楽しからずや」とうそぶいたのは、トヨタにとってはまさしくホンネだったのです。許せません。
 おかげで、トヨタ税務署は1000億円をこえる赤字の税務署になっているとのこと。
 まだまだ話は続きます。そんなトヨタが、自民党への政治献金は毎年5000万円、3年間で1億5000万円をこえるというのです。そりゃあ、そうでしょうね。これだけ税金をもらっていれば・・・。
でも、こんな政治って間違っていると私は思います。
 お金持ちが優遇され、「ビンボー人」の負担だけはひどくなり、いつだって「自己責任」が強調される世の中って、政治がありませんよね。
 世直し一揆の声が出ないのか不思議でたまりません。もう、そろそろみんなが声を上げるときではないでしょうか・・・。

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2014年6月15日

いちえふ(1)

社会


著者  竜田 一人 、 出版  講談社

 福島第一原発で働いている現役作業員がマンガで仕事を紹介しています。
 写真より、もっと臨場感がある気がします。現場作業員が実際に働くまでには、毎日、大変な手順をかけることを改めて知りました。頭から靴まで、全身を汚染からガードするために完全防備するのです。これでは息苦しくてたまりません。夏には、炎暑のため、汗だくだくになるそうです。
 そして、ヘルメットをかぶると、たとえば鼻の先がかゆくても、かけないのです。ガマンするしかありません。これって辛いですよね・・・。
 そして、この本では、福島第一原発の作業員になる大変さも紹介されています。
 ハローワークには、たくさんの求人広告が出されているようです。ところが、そのなかにはインチキ会社も混じっているようなのです。そして、運良く採用されたとしても、すぐに原発の現場作業に入れるとは限りません。
 なにしろ、東電の下の下の下の下の下の下あたりの会社に入ることになり、日給2万円のはずが、日給7千円とかになってしまうのです。そして、そこから宿舎の費用や弁当代が差し引かれるというのです。現場作業では熱中症にかかったり、いろいろ大変のようです。マンガで、その大変さがリアルに紹介されています。イメージとして、よく伝わってきます。
 「原発事故は収拾した」なんていう政府発表なんて、まったくのインチキだと言うことも実感できるマンガです。
 現場作業員の実際が絵に描かれていますので、原発事故の対応の全体像が描かれているわけではありません。だから、その恐ろしさが十分に伝わってこないという恨みがないではありません。それでも、暑さのなかでの全身防護服での作業をしていることの大変さ自体は、よく伝わってきます。
 日本人、とりわけ原発輸出に賛成している人には、必見のマンガなのではないでしょうか。
 あなたにも、この原発災害の復旧現場で働く覚悟がありますか?
 私は申し訳ありませんが、その覚悟はありません。ただただ、原発の即時廃止に向けての工程表を一刻も早く確立すべきだと主張するばかりです。
(2014年1月刊。580円+税)

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2014年6月16日

脳の中の時間旅行


著者  クラウディア・ハモンド 、 出版  インターシフト

 脳と時間の関係の関係について考察した、楽しい本です。
 楽しいときは、本当に時間が飛んでいく。生命の危険を感じているときは、時間の流れが遅くなるように感じる。
 休暇は速くすぎていくのに、あとでは長く続いたように感じる。これをホリデー・パラドックスという。
キューバにある、アメリカのグアンタナモ収容所では、食事、睡眠、尋問の時間を決めず、予測できないようにしている。これによって囚人が時間を数えようとする気持ちをくじき、不安を感じさせるためだ。
 決まり切った日課は安心感を与えてくれる。その重要性は、高く、それに反するだけで時間の概念が乱れ、極端な場合には恐怖をひきおこす。
人間の自殺率は春が高い。春の訪れによって、陰うつな気分から救われるという期待が裏切られ、深い絶望に見舞われるからではないか。
 野球やサッカーの試合を見ていて、ひいきするチームが勝っているか負けているかで、時間の流れが違って感じられる。負けているときの残り時間は短く感じられる。逆に勝っているときには、時間のたつのがひどく遅く、相手チームには得点のチャンスが恵まれているような気分がする。このように、感情によって時間はゆがむ。
うつ病の症状が出ているときには、過去と現在だけが存在し、未来、とりわけ希望のある未来を想像できなくなる。うつ病の人にとって、時間は半分のスピードで流れている。
 退屈というのは、時間の流れのそのものに注意を向けたときに起こる。
人間にとっての一瞬とは、2秒から3秒を意味する。3秒という時間は、メモしたり長期記憶にゆだねたりせずに、何かを記憶しておける時間である。
 切断された死体の映像を見たり、悲惨なイメージに直面すると、身体と頭で闘争・逃走本能がはたらき、内なる時計の進み方が速くなり、パルスが増大するため、時間の流れが遅くなるように思える。
 年齢(とし)をとるにつれて時間の流れが速くなるという感覚がある。いったい、なぜなのか・・・。多様で、興味深い経験にみちた時間は早くすぎるように、感じられる。しかし、思い返すと、長く感じられる。子どもの毎日は、新しい経験に満ちている。子どもの生活には、全体として大人の休日と同じように面白いことに溢れていて、新しい記憶がたくさんあるため、あとで振り返ると、1ヵ月、1年がひきのばされたように感じる。
だから、できるだけ行動のバラエティを増やす。目新しくて、今が楽しいと思える生活をつくれば、あとで振り返ったときに、長かったと感じられる。
時間が早く過ぎていくのは、多忙で充実した生活を送っている証拠だ。楽しいときほど、時間が短く思える。時間が早く過ぎるのを止めるには、予定を積極的に入れ、テレビは覚えていられる時間だけみるようにすることだ。
 何かに没頭すればするほど、時間は速く過ぎていく。
 なーるほど、人間の脳と時間との関わりが少し分かりました。
(2014年3月刊。2100円+税)
 梅雨入りしてから、なぜか雨らしい雨が降りません。よそでは大雨のようですが・・・。田植えの準備はすすんでいますので、雨を待つ心境です。
 日曜日は恒例のフランス語検定試験を受けました。一級ですので、合格するはずもありませんが、ボケ防止のためにもチャレンジしています。もう10年以上にもなりますが、単語の忘れはひどいものです。新鮮な気持ちで毎日NHKのラジオ講座を書きとりし、なるべく暗誦するようにしています。
 試験は惨々でした。長文読解も前半はさっぱり、後半はなんとか。書きとりと聞きとりは、まあまあでした。仏作文は適当にごまかしたのですが・・・。甘あまの自己採点で55点(150点満点)です。11月は準一級です。がんばります。

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2014年6月17日

検証・真珠湾の謎と真実

日本史(戦前)


著者  秦 郁彦 、 出版  中公文庫

 日本軍の真珠湾攻撃が成功したことについて、当時のアメリカ大統領であるルーズベルト陰謀説というのがあります。要するに、ルーズベルト大統領は日本軍の真珠湾攻撃を予知していながら、わざと初戦で負けてアメリカ国民を対日戦争に駆り立てたというものです。もっというと、ルーズベルトは好戦主義者、イギリスを助け、ドイツと戦争をするために日本との戦争を始めたかったということです。でも、それはありえないことだったと思います。
 そして、日本では、太平洋戦争を美化しようとする人々は、「ABCD包囲陣」なるものがあって、それと日本は戦わざるをえなかったと言いたいようです。
 しかし、「ABCD包囲陣」なるものの実態はなく、戦前の日本の新聞がつくり出した造語にすぎない。ましてや、ルーズベルトの陰謀ではない。それは、太平洋戦争が植民地解放のための戦争であったというのと同じである。
 真珠湾攻撃は、史上まれにみる希有壮大な大作戦であり、このような戦術を実行する人間がまさか日本にいるなどとは、アメリカの当局者たちは、ルーズベルトをふくめ誰も考えていなかった。
 山本五十六というのは、それだけの大戦術家だった。もし、あらかじめアメリカに発見され、待ち構えていたら、悲惨な敗北になった可能性のある大博打(ばくち)だった。その背景としては、アメリカは日本の戦力を過小評価していたという油断があった。
 日本海軍は最後までアメリカ軍の暗号が解読できなかった。これに対して、アメリカ軍は日本軍の暗号は1940年には完全に解読していた。日本外務省のパープル電報は、アメリカ軍によって、ほとんど解読されていた。
 12月5日、アメリカ軍の情報部は、日本はアメリカを攻撃しない、タイの占領の可能性があると報告した。
 開戦後の半年たって起きたミッドウェー海戦において、日本軍は秘密保全と敵情把握を軽視し、逆に日本の暗号を解読したアメリカ軍は日本艦隊を待ち伏せし、日本軍の大敗、アメリカの大勝利となった。
アメリカは、真珠湾では失敗したが、その後は失敗の教訓を生かした。日本軍は、真珠湾で成功したが、勝って兜の緒を締めよという先人の教えを忘れ、大敗したのだった。
 陰謀史観というものがありますが、この本を読むと、なるほど、ごまかされてはいけないものだと思いました。
(2011年11月刊。686円+税)

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2014年6月18日

約束の海

社会


著者  山崎 豊子 、 出版  新潮社

 海上自衛隊、そして潜水艦の乗員が主人公の話です。
 東京湾内で潜水艦が釣り船と衝突し、多くの死者を出してしまうのです。さあ、どうなるでしょうか・・・。
潜水艦乗りの仕事は、6時間毎の三交代制。深い海の中で、長いときには1ヵ月以上も潜ったまま作戦行動に従事するには、タフな神経の持ち主でなければつとまらない。身体面はもちろん、心理適性検査をくぐり抜けた者だけが選択される。
 潜水艦の乗員は、水雷科、船務科、航海科、機関科、補給科、衛生科のいずれかに属している。そして潜水艦の運航とは関わりのない補給科の庶務員や経理員もふくめて全員が三つの哨戒直(ちょく)グループのどれかに属し、幹部のつとめる哨戒長のもと、任務につく。潜水艦の食事は6時間の哨戒直のローテーションにあわせて、1日4回で回ってくる。朝の6時、夜の6時は重めの食事、正午と零時は軽めのメニューが基本だ。アルコール禁止の船内では、食べることだけが楽しみだ。
 「ようそろ」という掛け声を感じにすると、宜候。「テー」は撃て、のこと。
潜水艦では、真水は海水を蒸留してつくる。その熱源である電池の減りを少しでも防ぐため、シャワーの回数は3日に一度あれば良しとしなければならない生活が続く。
 乗員はスニーカーで、リノリウム張りの床を音もなく歩く。潜水艦は、いわば海の忍者だ。だから、自ら音を発するのは厳禁。
静かに深く潜航して、不審な音を数十キロ以上離れたところから拾い、そこに忍び寄って音源を確認する。この警戒監視が、平時における潜水艦の最大の任務である。
 海上自衛隊は16隻の潜水艦を有しているが、その三分の一は修理に、また三分の一は、基本トレーニングにあたっており、出動するのは、残る三分の一でしかない。これでは、足りなさすぎる。
 長く潜水艦に乗っていた乗員には、ディーゼル・スメルがする。ディーゼル・オイルと艦内の生活臭が混ざった臭いだ。
潜水艦乗員の給与は高い。航海手当のほか、俸給の4割もの潜水艦手当という、いわば危険手当が上乗せされる。だから、手取りは月26万円ほど。
 潜水艦乗りの身辺調査は厳しい。機密保持にシビアなだけ、徹底的に調べられる。本人、親兄弟はもとより、親密に交際している友人にも調査が及ぶ。外国人と抜き差しならぬ関係にある場合には潜水艦乗りから、外される。
 自衛隊の訓練は、基本的には人を殺しことを目的としている。潜水艦乗りは、不測の事態に備え、全員、遺書が要求される。
山崎豊子が亡くなったことにより「約束の海」は第一部だけで終了してしまったのは残念です。第二部、第三部と続く計画だったようです。丹念な取材による貴重な本だと思います。
(2014年2月刊。1700円+税)

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2014年6月19日

十代のきみたちへ

司法


著者  日野原 重明 、 出版  冨山房インターナショナル

 ぜひ読んでほしい憲法の本です。
 102歳になる現役の医師が、憲法を、日本国憲法の意義をやさしい言葉で、平明にとき明かしています。もちろん、読み手を十代の読者として、です。
 著者の日常は、百歳をこえた人間にしては、けた外れに忙しく、時間がひどく足りないという思いで、毎日を過ごしている。
 なぜ、医師なのに憲法に興味をもったのか?
 それは、「いのちを守る」という医師の仕事に、日本の憲法が深い関係を持っていると思ったから。憲法は国民のいのちを守るはたらきをしている。ふつうの法律は、人々や守るべきルールを定めている。憲法は、政治家や役人が、つまり日本のえらい人たちが守るべきことを決めている。これが、ふつうの法律と憲法とが大きく違うところ。
 著者は102歳まで生きてきたが、まだまだ毎日が勉強の連続。人間は死ぬまで勉強が続く。この点については、65歳になる私も、まったく同感です。法律論も、社会の現実も、本当に知らないことだらけです。
 ふつうの法律は、ルールとそれを破ったことについての罰則が書かれている。しかし、憲法には、罰則はない。
 日本国憲法は、「戦争をしない」「軍隊は持たない」と明記しているので、自衛隊は戦争の手伝いはできても、アメリカ軍と一緒になって戦うことはできない。それが不満な人たちが、憲法を改正しようと言っている。
 そのとおりです。要するに、日本が昔のように海外に出かけていって戦争しようという人が憲法改正を唱えているのです。そして、その人たちは確信犯ですから、口あたりのいいコトバで善良な人々をごまかして、賛同者に仕立てあげます。そんな人たちが、海外の軍隊に攻められてきたとき、丸腰でどうするんだとヒステリックに叫ぶのです。まるで、集団ヒステリーです。そこには、完全な思考停止があります。そんな近親増悪のような状況にならないようにするのが、政治であり、外交ではありませんか・・・。
 気をつけなければいけないのは、「自衛のための戦争」というのは、いくらでも広く考えることができるということ。
 これまで、世界の歴史において無数の戦争があったが、その多くはもっともらしい理由ではじめられている。
 集団的自衛権にしても、線引きがむずしくて、戦争の原因になりかねない。人類の歴史のなかで、争いが物事を解決した例はない。
 世の中に、本当の「いますぐ」はない。せっかちになりがちな気持ちを落ち着かせ、待っていれば、必ず話し合いの糸口はつかめるものなのだ。
 102歳の医師が、こんなにも平明な言葉で、しかも十代の読者を意識して憲法を語るなんて、本当に驚き、かつ尊敬というより畏敬の念で一杯です。100頁ほどの本です。ぜひ、あなたも手にとってお読みください。
(2014年5月刊。1100円+税)

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2014年6月20日

ドイツは過去とどう向きあってきたか

ドイツ


著者  熊谷 徹 、 出版  高文研

 今の日本では、戦前の日本が海外へ侵略戦争を仕掛けたこと、数多くの残虐な行為をしたことを直視し、なるべきありのまま後世に伝えようとすると、それは「自虐史観」だ、日本人の誇りを持てなくなるから止めろという声がかまびすしく湧きあがってきます。なにしろ、政府が音頭をとって、有力マスコミを使うものですから、声高な潮流になるのも当然です。しかし、ドイツでは、少なくとも政府はそういう態度ではありません。
 ブラント元首相は、若者に歴史を語り継ぐ意義を、次のように語った。
 若者も歴史の大きな流れのなかに生きているのだから、過去に起きたことが気分を重くするようなものであっても、それを伝えることは重要だ。ドイツは戦前、周辺諸国に大きな被害をもたらした。したがって、今後のドイツ政策が国益だけでなく、道徳をも重視することをはっきり示す必要がある。自国の歴史について、批判的に取り組めば取り組むほど、周辺諸国との間に深い信頼関係を築くことができる。
 本当にそうなんですよね。「自虐史観」だという人は、日本は悪いことなんかしていないと開き直るばかりです。そんな反省のない態度では、外国から信用されるはずがありません。
 西ベルリンでもっともにぎやかな地区の広場には、「我々が決して忘れてはならない恐怖の場所」として、アウシュヴィッツ、トレブリンカ、マイダネクなどの強制収容所の名前を記した警告番が立てられている。
ドイツの小学生が学ぶ教科書には、ナチスがドイツを支配していた時代に関する記述が細かく、子どもには残酷すぎるのではないかと思われるほど、生々しい写真や証言が載せられている。
 そして、高校の歴史の授業は、暗記ではなく、討論を中心としてすすめられる。
 ドイツでは、ナチス式敬礼を行うことは禁じられ、アウシュヴィッツを否定すると法律違反になる。最高5年の禁錮刑に処せられる可能性がある。
 このところ、ドイツでもヒトラーを信奉する極右が若者のなかに増えているという逆流現象もあるようですが、先ほど紹介した政府の取り組みは日本でも実践すべきものだと思います。そのためには、まずは安倍首相の引退を急ぐ必要があるのでしょうね・・・。
(2007年4月刊。1400円+税)

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2014年6月21日

黒田官兵衛

日本史(戦前)


著者  渡辺 大門 、 出版  講談社現代新書

 黒田氏は、播磨国(姫路周辺)の一土豪だった。何かの契機で小寺氏と結びつき、その配下におさまった。そして、自らの貴種性をアピールするために、佐々木黒田氏や赤松氏の支族とするに至ったのではないか・・・。
 小寺氏が赤松氏の有力な支族というのは誤りで、小寺氏は「年寄」だった。この「年寄」とは、赤松氏一族ではない有力な氏族で構成される重臣、奉行人という地位にあった人々の呼称。
 官兵衛の叔父にあたる休夢は、秀吉の御伽衆(おとぎしゅう)として登用された。
 御伽衆とは①咄(はなし)がうまいこと、②咄に適応する体験や技術を有することが条件だった。その目的は、主人を楽しませることだった。
 休夢は茶道だけではなく、和歌や連歌にも通じていた。
黒田家にしたがった播磨出身土豪層は、姫路を中心として勢力基盤を築いた土豪層だった。「黒田二十四騎」と称された土豪たちは、黒田家の発展とともに重臣に取り立てられた。
 黒田氏は現在の西播磨基盤をもった土豪であり、土地集積を行いながら発展を遂げていった。その間、黒田氏は周辺の土豪層を従え、やがて小寺氏の配下に加わった。
 官兵衛には、三人の弟と三人の妹がいた。そして、兄弟たちは、仲違いすることなく、一致団結して黒田家を守り立てていった。
 官兵衛が村重によって幽閉され、かえって黒田家中は一致団結した。官兵衛の幽閉生活は一年にも及んだ。
 官兵衛の主家である小寺氏は秀吉に対して、最終的には逃亡した。その子孫は、のちに福岡藩主となった黒田長政に仕えた。
 官兵衛は死ぬ直前、家臣たちを枕元に呼び出しては悪態をついた。ののしられた家臣たちは、身に覚えがなく、ただ困惑するだけだった。たまりかねて、息子の長政が理由を問うと、官兵衛は、次のように答えた。
 家臣にひどい仕打ちをすることによって自分が疎まれ、一刻も早く長政の時代が到来することを願ったのだ。
 つまり、死にのぞんだ官兵衛は、あえて嫌われ役を演じてみせたのでした。
 なかなか実証的な本だと感嘆しました。
(2013年9月刊。800円+税)

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2014年6月20日

トロイアの真実

世界


著者  大村 幸弘 、 出版  山川出版社

 シュリーマンがトロイアの遺跡を発掘したというのが定説になっています。
 この本は、その定説はきわめて疑わしいことを、豊富な写真と自らの現地での調査(発掘)体験を通じて明らかにしています。私は、なるほどと思いました。
 『イリアス』は、前8世紀に活躍したホメロスが連綿と語り伝えられてきた叙事詩をまとめあげたもの。トロイアの待ちが陥落するまでの50日間も描かれている。
 19世紀に生きたシュリーマンが、トロイアの遺跡を発掘した話は有名です。
 著者は、1972年にトルコのアンカラ大学に留学し、それから43年間もアナトリア高原で考古学の発掘調査と遺跡踏査をおこなってきた。
 そして、アナトリアの発掘調査をおこなえばおこなうほど、シュリーマンが発掘したヒサルルック遺跡が本当にトロイアなのか、疑問に思えてきた。
 遺跡の写真がありますから、現地に行ってなくても、それなりに理解できます。
考古学とは、自分で追いつめないとだめだ。それも、自分の手で。それができないのであれば、発掘現場なんかに立っている意味はない。
 シュリーマンの掘り方は、素人そのものだった。シュリーマンがトロイアとしたヒサルルックについて、その決定的な証拠は何一つない。
 シュリーマンは、発掘を間違ったため、トロイアを探し出すことが出来なかった。
 シュリーマンは、発掘において、遺跡がどこで出土したか詳細に記述していなかった。
 スケッチすることに重点を置いていた。シュリーマンは、層序(地層の重なり)については、まったく無知だった。
 ヒサルルックとは、「城塞」という意味だ。
 シュリーマンは200人の労働者を3ヵ月のあいだ雇用した。その労賃だけで4800万円かかる。その他の運送費用などを含めると6000万円は使っていた。
 シュリーマンは、ヒサルルックをトロイアだとする仮説を最終的には証明できなかった。
 外国での遺跡の発掘調査が、いかに難しいことかも伝わってくる本でした。
(2014年3月刊。2500円+税)

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2014年6月23日

人の命は腸が9割

人間


著者  藤田 紘一郎 、 出版  ワニブックス新書

 寄生虫博士として高名な著者が腸内細菌の大切さを説明しています。とても納得できる本ですので、私も早速、納豆食を取り入れることにしました。
不老長寿の実現には免疫力を高めることが不可欠。それには腸内細菌の助けが欠かせない。身のまわりの菌の排除は、これに逆行する行為だ。
 免疫力は、身近な病原体と戦うごとに鍛えられ、強化される。細菌やウイルスが怖いと言って平時からむやみに排除してしまっていると、免疫機能は鍛えられる機会を失い、弱体化してしまう。
 善玉菌優性の腸をつくるには、悪玉菌の助けが必要。赤ちゃんには、とにかく多くの菌と触れあわせること。赤ちゃんが舐めたがるものは、なんでも舐めさせること。ただし、化学物質や薬剤、食品添加物は避ける。
 度を超した清潔志向は、自分や家族の身体を病原菌に弱くする危険性を高める。
 日本人の腸には、日本の発酵食品が最適。植物性乳酸菌は、動物性乳酸菌よりも胃酸に強く、生きて腸まで届きやすい。
免疫の7割は腸で築かれる。残り3割の免疫がつくられるのは、心。免疫を向上させる笑いは楽しく笑うこと、大声で笑うと、いっそう効果的。
 善玉菌優性の腸を保つことができていれば、肉も卵も命を縮める原因にはならない。腸の働きが悪くなると、消化吸収能力が低下するだけでなく、腸内バランスが乱れて、免疫力も低下する。
 人間の腸は、食物からビタミン類を合成する能力をもたない。人間の代わりに合成作業しているのが腸内細菌。
 人間の精神活動に大きく関与しているセロトニンは、その前駆体が腸でつくられる。そのうちの9割がセロトニンとなって腸にとどまり、残りの1割が脳や他臓器へ送り出される。脳にあるセロトニンは、全体量のわずか2%にすぎない。
 腸内細菌の活動が活発だと、セロトニンの分泌量が増え、大便の量も多くなる。
 大便は基本的に体に悪いものではない。問題なのは、大便が長いあいだ腸内にとどまり続けること。大腸に滞留することによって腐敗がすすみ、善玉菌が毒素を発生させるようになることが問題なのだ。
 大変勉強になりました。腸内細菌ってこんなに存在価値があるのですね・・・。
(2014年3月刊。800円+税)

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2014年6月24日

NHKが危ない

社会


著者  池田 恵理子・戸崎 賢二ほか 、 出版  あけび書房

 近ごろのNHKは、本当になんだかおかしいですよね。
 集団的自衛権について、その反対運動の全国的な盛り上がりをNHKがきちんと報道したとはとても思えません。政府公報をたれ流しているのではありませんか・・・。
 原発問題や特定秘密保護法についても同じです。あれだけ国会周辺で反対の集会やデモ行進がしきりに盛り上がっていても、その大半をNHKは無視していました。
この本に籾井会長の記者会見の詳細が紹介されています。本当に腹立たしい暴言の限りです。この会長は商社出身のようですが、営業は出来ても日本史や日本社会について、まともな常識を持っているのか疑うばかりです。
 特定秘密保護法について、「まあ通っちゃったんで、言ってもしょうがないのではと思いますが。決まったことに対して、ああだこうだ言ってもしょうがない」
「民主主義に対するイメージで放送していけば、政府と逆になるということはありえないのではないかと。議会制民主主義からいっても、そう言うことはあり得ないと思います」
「尖閣諸島、竹島という領土問題については、明確に日本の立場を主張するのは当然のこと。時には政府の言うこと、そういうこともありますよ。政府が右と言うことを左というわけにはいかない」
 これでは、NHKはまるで安倍内閣の一宣伝機関だと宣伝しているようなものではありませんか。表現の自由を駆使する言論人の自覚など、そのカケラもない人物です。従軍慰安婦についても、橋本市長と同じようなことを言って、「どこの国にもあったこと」と言い切ります。そして、同じようなものとしてオランダの飾り窓を持ち出すのです。とんでもありません。
 この人が、「どこの国」というとき、アメリカ軍もあてはまるのでしょうか。さらに、「日韓条約で全部解決している」などと事実に反することを述べています。
 放送の仕事は、その基底に弱い立場の人たち、虐げられた人たち、声を上げられない人たちに寄り添い、その声を代弁する志が求められる。
 籾井会長の居

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2014年6月25日

法廷で裁かれる日本の戦争責任

日本史(戦前)


著者  瑞慶山 茂 、 出版  高文研

 太平洋戦争は正しかったなどとNHKの経営委員(百田茂樹)が暴言を吐くのを社会が許容しているようで、本当に残念です。日本国憲法の前文には、政府の行為によって、戦争の惨禍を再び、くり返してはならないと明記しています。
この本は、強制連行、「従軍慰安婦」、空襲、原爆、沖縄戦・・・など、戦後日本で裁判所によって明らかになった事実が紹介されています。そして、担当した弁護士がその判決について解説しています。
 本当に、アジアへの侵略戦争を始め、無数の人々を苦しめた日本軍とそれを支えた日本の政財界の責任は重大です。そのことに目をつぶっていてアジアで日本はやってけるはずがありません。加害者は忘れても、被害者は末代まで忘れるはずがないのです。
 2段組みで600頁もの大作です。読んで気の重くなる本ではありますが、「自虐史観」などという前に知るべき歴史的現実だと思います。
 戦後世代である私たちの責任は、国家に対し国家責任を履行させるための個人責任であり、個人として直接的に対外的対内的に賠償責任を負うわけではない。いわば間接責任の一種である。そして、ここでの戦争責任は、法的賠償責任ではなく、政治的責任と道義的責任である。だからこそ、戦後世代は国のあり方について積極的に考え、参加し、発言すべきなのである。私も、この考えにまったく同感です。
 山口地裁下関支部の判決(1998年)は、「『慰安婦』としての性的強制は重大な人権侵害であり、人類にとって許すべからざる犯罪である。・・・・戦後、これを放置してきた国には、この被害回復義をつくさなかった違法があり、損害賠償をすべき責任がある」とした。
 東京高裁の判決も、「業者を監視し、慰安所の実質的管理をしていたのは軍であったから、軍は業者の使用者としての管理を怠った責任がある」とした。
 このように、「従軍慰安婦」の問題は、単に「強制連行」されたかどうかだけではありません。
 河野談話について、アメリカ政府がその見直しを止めるように安倍政権に忠告しているのは当然のことです。これは不当な内政干渉というべきものではないでしょう。なぜなら、日韓政府はもっと仲良くしてくださいと言っているわけですので・・・。
 日本軍のトップにいた岡村寧次・北支那派遣軍総司令官は、「現在の各兵団は、ほとんどみな慰安婦団を随行し、兵站の一部となっている有様である。第六師団のごときは、慰安婦団を同行しながら、強姦罪は跡を絶たない有様である」と述べた。
 間(はざま)組は、中国(主として河北省)で拉致した中国人1500人を1949年4月に日本へ強制連行し、福島、長野、群馬などの発電所で苛酷な労働を強制した。この強制労働の16ヶ月間のうちに53人もの死亡者が出ている(死亡率8.7%)。このほか、負傷率も43%と異常に高い。
 長野地裁の辻次郎裁判長は、判決言渡のとき、「私的見解」と断りながら、次のように述べた。
 「提訴から8年かかったことをお詫びします。また、和解が成立しなかったことを残念に思い、お詫びします。私は団塊の世代で、全共闘世代に属するが、率直に言って私たちの上の世代に人たちは、ずいぶん酷いことをしたという感想を持ちます。
 裁判官をしていると、訴状を見ただけで、この事案は救済したいと思う事案があります。この事案も、そういう事案です。一人の人間としては、この事件は救済しなければならない事案だと思います。心情的には勝たせたいと思っています。でも、結論として勝たせることができない場合もあります。このことには個人的葛藤があり、釈然としないときがあるのです」
 ここまで言うのなら、もう一歩踏み込んで原告勝訴の判決を書けばいいのに・・・と思ったことでした。
 戦前、中国から強制連行されてきた中国人は4万人近くで、そのうち死亡者は7千人近く(17.5%の死亡率)、しかも1~2年のあいだに死亡している。ところが、国は、終戦直前に三井や三菱に対して6千万円近くの国家補償をした。これは、三井鉱山や三菱鉱業が、1日あたり5円の賃金を支払ったとして国に対して損失額を計上したことを根拠とする。しかし、現実には、中国人に賃金を支払ってはいなかった。それなのに、巨額の賠償金を国からもらっていたのである。ひどいものです。このような国の大企業優遇は今も変わりませんよね。
 貴重な文献であり、大いに活用してほしいものです。
(2014年3月刊。6000円+税)

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2014年6月26日

震える・・・許さない!カジノ賭博の合法化

社会


著者  全国カジノ賭博反対連絡会 、 出版  全国カジノ賭博反対連絡会

 自民党がカジノ解禁推進法案の成立を目ざしています。そのため、安倍首相はわざわざシンガポールのカジノを視察して、その実現に向けて世論を誘導しようとしています。
 推進派は規制緩和と経済成長のためと言いますが、要するに、そのホンネは金もうけです。ギャンブルで金もうけしようというのは、戦争のための兵器を売って金もうけしようというのと同じことです。どちらも、弱者を踏み台にして、金持ちがますます金持ちになろうという仕掛けです。
 そんな弱者切り捨て、金持ち礼讃の安倍政権が、片や道徳教育の推進に本腰を入れているのですから、世の中は間違っています。弱者の切り捨ての道徳教育というのは、あきらめを押しつけ、反抗心を奪って従順な羊になれということでしょう。とんでもない「教育」です。これは教育ではなく「訓育」でしょう。
 厚労省によれば、日本の成人男性の1割近く、成人女性の2%近くがギャンブル依存症。ということは、500万人もの日本人がギャンブル依存症の患者だということになる。
 これは諸外国に比べても異常な現象だ。というのも、日本にはパチンコ店が1万軒以上あり、そこに1000万人以上もの人々が出入りしている現実があることによる。
 既に日本は、世界に冠たるギャンブル大国なのだ。そして、そのギャンブル依存症の人々による深刻な事件や犯罪が日々、全国で生起している。
 ギャンブル依存症患者の周囲の人々は、本人の依存行動によって、大変な被害を受けている。家族は、本人の借金の尻拭いをしたりして経済的負担も大きい。家族が良かれと思ってした返済が、本人にとっては、ギャンブル再開の環境が整ったことを意味し、結果として本人の依存行動を助長する。
 この冊子には、ギャンブル依存症の本人と家族、30人の手記が載っています。その始まりがビギナーズ・ラックだったという人が何人もいます。ある日、大勝ちをし、十数万円もの大金を手にして、有頂天になったのです。そして、喧騒の中、たまに大当たりが出ると、その快感を思い出し、忘れることが出来ない。
そして、もうしないと誓っても、ついつい再開してしまう。これをスリップという。
GA(ギャンブラーズ・アノニマス)に参加して、脱ギャンブル1年を無事に迎えると、バスデーを仲間から祝ってもらう。
 ギャンブル依存症は、慢性、進行性の疾患であり、完治することは難しい。
 カジノ賭博場の設置は、窃盗、強盗、殺人、放火などの犯罪の多発をもたらす。
 日本でカジノの合法化を決して許してはいけない。このように痛感させられるタイムリーな小冊子(70頁)です。
(2014年4月刊。1000円+税)

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2014年6月27日

食品の裏側2

社会


著者  安部 司 、 出版  東洋経済新報社

 私の法律事務所の隣にもコンビニがあります。もとはガソリンスタンドでしたが、倒産して久しく空き地になっていたところ、その周囲の家屋も追い出して広大な駐車場付きのコンビニになってしまいました。
 私は滅多に利用しませんが、所員は昼食の弁当買いなど、頻繁に利用しています。
 そのコンビニで売られているハンバーグ弁当のハンバーグが、実は、牛肉ではないというのです。衝撃的な内容です。
見た目には、デミグラスソースのかかったハンバーグ。しかし、本物のデミグラスソースはおろか、ふつうのソースもケチャップも使われていない。肉も牛肉ではなく、鶏肉と豚肉に牛脂を加えたもの。牛脂を加えるのは、柔らかさを出すためと、牛肉らしい風味を出すため。
 ハンバーグの赤茶色の美味しそうな色をつけるのは、ベニコウジカビから抽出された赤色の天然着色料。カラメル色素とあわせて使われている。
 ナポリタンにも、ケチャップではなく、トマトパウダーと酸味料などの添加物で色と味をつけている。ポテトサラダのマヨネーズは本物ではなく、添加物でつくったマヨネーズ風ドレッシング。
 ハンバーグに添えられているキャベツは、千切りにカットしたあと、次亜塩素酸ソーダで、何度も洗浄し、殺菌している。風味はなくなり、ビタミンCも壊れてしまうが、黒ずんだり、しなびたりするのを防ぐ。
 白ご飯にも添加物が使われている。古米が使われているときは、さすが「新米シール」は貼られていない。古米はぱさぱさして、美味しくないので油や添加物によって味やつやを補っている。ご飯につやを与えるために植物油を入れる。この油には乳化剤が配合されていて、炊飯油とも呼ぶ。
 さらにショッキングな事例が紹介されています。
 福岡県内の養豚農家で、コンビニの廃棄弁当をエサとして与えるようになったところ、死産が続いた。結局、250頭もの子豚を亡くしてしまった。養豚農家はあわてて元通りのエサにしたところ、お産は以前と同じに戻った。
 うひゃあ、こ、これって怖いことですよね。
私たちの生活を与える食品化学物質のうち、もっとも「わかりやすく、防ぎやすい」もの、それが食品添加物だ。食品添加物こそは自分の努力次第で自分たちに入ってくる前の段階のもの、だから玄関で食い止めることができる。そこが、他の原発やPM2.5・・・、のように容易に逃げられないものとは違う。
 この本を読んで、食品添加物の怖さを久しぶりに自覚しました。
(2014年5月刊。1400円+税)

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2014年6月28日

有次と庖丁

社会


著者  江 弘毅 、 出版  新潮社

 私は料理ができませんし、しませんので、庖丁のありがたみがさっぱり分からないのですが、プロの料理人は、それこそ庖丁一本というように庖丁を大切にするようです。
 この本は、その庖丁を扱う京都の老舗の周辺を丹念に取材しています。なるほど、そうだったのかと思わずうなずいてしまいました。「有次」は、ありつぐと読みます。創業は元禄3年、1560年という超老舗です。禁裏(きんり)御用鍛治にさかのぼる店で、現在の当主は、なんと18代目。
 京都市中庸区錦小路通御幸町西入ル。錦天満宮の鳥居がある寺町通りから錦小路を西筋一本の御幸(ごこ)町通りをこえて三軒目。鍛治町219番地だ。
 京都の老舗の、あらゆる業態の店では、必ず「有次」印の道具が使われている。ウナギ専用の京サキ庖丁、フグ専門店の出刃包丁、鶏肉店の相出刃庖丁、漬けもの店で大きな赤かぶらを切る両刃庖丁、スシ店の柳刃刺身包丁、カマボコ屋の練り物や天ぷらのすり身をつくる付庖丁。
 「有次」の多種多様な料理道具は、料理人たちの技とこだわりに応えた本物のプロ仕様だ。
 創業が永禄3年(1560年)というと、戦国時代のまっただ中、桶狭間の合戦があった年。関ヶ原の戦いはもっと後の1600年だ。
 さすがによく切れる。だから、おしゃべりしながらつかう庖丁ではない。そんなことをしていたら、自分の手をスパッと切ってしまう・・・。
 良い庖丁というのは、よく切れるうえに、切れ味が長く持つのが一番。切れ味を決定するのは研ぎ。その前に、毎日のお世話が大切だ。「有次」の扱う庖丁は鉄。だから、さびないように、毎日、使い終わったらクレンザーをつかって磨く。
 庖丁をまな板の上にきっちり置いて、刃の方向へ汚れを落としてやる。そして、乾いたタオルで、しっかり拭いてあげる。食器乾燥機を使うと、刃が傷む。自然乾燥で片付けること。
 使い終わって片付けるときには、「ありがとう」と言って、庖丁をみがく。
 「有次」で庖丁が主力商品になるのは、明治から大正にかけてのこと。それまでは、庖丁ではなく、小刀をつくっていた。
 「有次」の店員は、毎日のように、ユーザーの店をまわり、料理人から要望を直接きき、注文をとって修理やメンテナンスをする。これこそ、すぐれた庖丁を京料理界に普及させ、さらによりすぐれたものに昇華させる原動力だ。
 「有次」の和庖丁は、メイドイン堺だ。料亭などのプロは、9割が堺でつくられた刃物・庖丁を使っている。
 毎日、つかった庖丁をきちんと手入れするというのは、信じられませんが、それほど、使い勝手のいい庖丁なんだと思いました。日本のプロ職人は健在なんですね。
(2014年3月刊。1600円+税)

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2014年6月29日

銀二貫

日本史(江戸)


著者  髙田 郁 、 出版  幻冬舎文庫

 江戸時代の大坂を舞台にした、味わい深い市井(しせい)小説です。
 ちなみに、市井(しせい)とは、辞書によると、昔、中国で、井戸のあるところに人が集まって市ができたことから、人家の集まっているところ、まち、ちまたを言うとされています。
 悪人は出てきませんが、寂しさから主人公に辛く当たってしまう番頭は存在します。といっても、根っからの悪人ではありません。
主人公は武士の子なのですが、10歳のとき、目の前で父親が親の仇として斬殺されてしまいます。身寄りのなくなった男の子を商人が引き取り、寒天問屋に丁稚奉公させることになりました。
 NHKの時代物としてテレビでシリーズ放映されたようですが、もちろん私はみていません。
 武士の子から商売人に、しかも丁稚奉公からスタートするのですから、辛いことばかりだったでしょうが、そこを歯を食いしばって耐え抜くのです。そして、取引先の娘と仲良くなっていきます。とてもうまい展開です。果たして、この先はどうなるのか、頁をめくるのがもどかしい思いに駆られます。地下街の喫茶店で読みふけったのですが、コーヒーを飲むために手を伸ばすのも惜しいほどでした。
 そして、主人公には次々に不幸が襲いかかってくるのです。大坂も、江戸と同じで、何度も大火事に見舞われてしまいます。ちなみに、大阪ではなく、大坂でした。
 「遊んでもらっていた」女の子も消息を絶ち、再びあらわれたときには、顔に火傷をしていました。
 いやはや、このあと、いったいどうなるのでしょう・・・。
 そして、寒天問屋のほうも、思わしくありません。主人公は寒天をつくる現場に行って修行します。そして、新製品づくりに挑戦するのです。
 喫茶店で読み終えたときには、心の中が、ほんわか、ほっこり温まっていました。
 強くおすすめしたい江戸時代小説です。それにしても、タイトルがいいですね。読んでいくうちに、内容にぴったりだということが分かります。
(2013年7月刊。600円+税)

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2014年6月30日

先生、ワラジムシが取っ組みあいのケンカをしています

生き物


著者  小林 朋道 、 出版  築地書館

 鳥取環境大学のコバヤシ教授による先生シリーズも、なんと8冊目です。すごいですね、驚嘆するばかりです。
 この書評コーナーでずっと紹介してきました。生き物観察を通じて生物の神秘を知るのは面白くもあり、人間の存在を深く考えさせられます。
 私が今回の本を読んでもっとも印象に残ったのは、ツバメにコバヤシ教授が何回も襲いかかられたというくだりです。親ツバメたちにとって、子どもを襲う危険な存在だったのでした。
 ツバメは、つがいで共同して巣作りをし、子育てする。つがいの2個体が相次いで巣に戻ってきたとき、巣づくりや子どもたちへの餌やりを先に終えたほうは、そのまま飛び立つのではなく、あとの個体が作業を終えるまで待っている。そして、あとの個体が作業を終えると、そのまま飛び立っていくのではなく、待っている相手の横に止まる。そして、互いの労をねぎらうかのように顔を見合わせて、それから一緒に飛び立つ。
 ええーっ、これって、夫婦のコミュニケーションが大切にされているっていうことですよね・・・。驚きました。
 コバヤシ教授が、親鳥のいない留守に巣に接近し、ヒナたちと目線を交わし、写真をとったころ、親鳥が巣に戻ってきた。ピチーッ、ピーッ、ピーッという甲高い、強烈な声がした。ヒナたちは一斉に身をかがめ、巣の奥に身を隠す。急いで巣から離れたコバヤシ教授の頭上を飛びかい、その数が次第に増えてきた。攻撃するように飛びかうツバメたちにはかなり迫力があった。
さすがのコバヤシ教授もタジタジになってしまったのです・・・。
 写真もたくさんあり、学生たちのさまざまな反応も面白おかしく紹介されていて、今日もコバヤシ教授は元気いっぱいなのでした。いつ読んでも面白いシリーズです。
(2014年5月刊。1600円+税)

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