弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

社会・アメリカ

2021年11月 4日

ヒロシマを暴いた男


(霧山昴)
著者 レスリー・M・M・ブルーム 、 出版 集英社

アメリカの雑誌「ニューヨーカー」は、1946年8月31日号の誌面全頁を広島に落とされた原爆被害の実相を伝える記事に充てた。書いたのはジョン・ハーシー記者。
この「ニューヨーカー」の特集によって、原爆に対する世界の考え方が一変した。それまで、アメリカ政府は、原子爆弾投下と直後に広島で起きたことの深刻さを隠し、長期にわたる致命的な放射線の影響を隠蔽していた。
アメリカの原爆製造のマンハッタン計画の指導者であるグローヴス中将はこう言ってのけた。
「とても痛快な死に方」
「死んだ日本人の人数はとても少ないだろう」
「被爆して死んだ日本人はほとんどおらず、広島は基本的に放射能に侵されてはいない」
「ニューヨーカー」の記事のあとに言ったのは、「原子爆弾の放射能の影響による死というのは、純然たるプロパガンダ(宣伝活動)だ」
「われわれの戦争を終わらせた方法が気に入らないのなら、誰が戦争を始めたのかを思い出せと言いたい」
日本軍による真珠湾攻撃のあと、アメリカ国内には、日本に対する憎悪と猜疑心(さいぎしん)が深く根づいていた。日本人は、人間以下の「黄色い危険物」とみられていた。野蛮で恐ろしいモノということ。
グローヴス中将は、原子爆弾を「情け深い兵器」だというイメージをアメリカ国民に植えつけようと必死だった。
日本占領軍のマッカーサー元帥は、原爆に対して「嫉妬」を感じていた。4年にわたる日本との戦争は自分が指揮してきたのに、自分の知らないところで開発され、自分に無断で原爆が落とされたことに良い気持ちではなかった。
これがハーシー記者が広島入りできた背景の一つになっている。
広島に入ったハーシーは、原爆による惨状に大いなる衝撃を受けた。これを、どうやってアメリカ国民に知らせるか...。
ハーシーは、視線の高さを、神から人間へと下ろした。読者に登場人物そのものになってもらって、いくらかでも原爆の痛みを感じさせること、これがハーシーの願いだった。
ハーシーは、たくさんの人を現地で取材し、ついに6人の主人公にしぼることにした。
ハーシーの記事の目的は、読者を登場人物の心の中に入らせ、その人物になりきらせ、ともに苦しませること。恐ろしくも興味を引かれるスリラーのように読まれることを目ざした。
だから、わざと静かな口調にすることを選んだ。文章から余計なものをはぎ落し、なるべく事実を客観的に述べるだけにする。たとえば、6人は誰も爆音を聞いていなかったので、「無音の閃光(せんこう)」というタイトルにした。
「ニューヨーカー」の編集部内では刊行されるまで、最高機密扱いとされ、ダミー号までつくられた。ただし、グローヴス中将の承認は取りつけた。これが不思議ですよね...、よくぞ承認されたものです。
この「ニューヨーカー」誌は爆発的な反響を呼び、またたくまに、全世界に広がりました。
ところが、ソ連は、この「ニューヨーカー」を大ウソだと決めつけ、また日本ではすぐに出版が認められなかったのです。原爆の恐ろしさが世間に広く知れわたることに強い抵抗がありました。
歴史的なスクープなのですが、実は、「丸見えの状態で隠されていたスクープ記事」だと評されています。これは、先日の「桜を見る会」の「しんぶん赤旗」のスクープ記事と同じですね...。
ともかく、「ニューヨーカー」誌は、1年前に広島の人々に起きたことが、次にどこで起きてもおかしくないという警告として大きな意義がありました。
この「ニューヨーカー」は11ヶ国語に訳され、イギリスのペンギン・ブックスは何週間かで25万部の初版を売り切り、100万部の増刷を用意した。原爆の恐ろしさは何度強調しても強調しすぎるということはありません。「核抑止力論」なんて、本当にインチキな考えです。
とても勉強になり、改めて原爆の恐ろしさを考えさせられました。
(2021年9月刊。税込1980円)

2020年9月20日

米国人博士、大阪で主婦になる


(霧山昴)
著者 トレイシー・スレイター 、 出版 亜紀書房

著者には大変失礼ながら、タイトルからは全然期待せずに読みはじめたのですが、意外や意外、とても面白く、ついついひきずりこまれて一気読みしました。
著者はアメリカ北東部のボストンで、きわめて裕福なユダヤ系アメリカ人の両親のもとに生まれ、豪邸で使用人に囲まれて育った白人女性です。英米文学で博士号をとり、左翼傾向のある36歳の独身女性が初めてアジアにやって来て、神戸で企業研修の講師として活動を始めたのでした。
その前、アメリカでは刑務所で受刑者相手に獄中カレッジのプログラムにしたがって文学とジェンダーを教えたり、ホームレスの大人を対象とした文章教室、スラム街のティーンエイジャーの大学進学準備を手伝い、公立大学で移民一世の学生を教えています。
ところが、裕福な両親が離婚したあと、ひたすら自活を目ざして生きてきた著者は次のことをしないことを誓ったのです。
① 宗教にはまる(ユダヤ教に深入りしないということでしょうか...)
② ボストンの住まいを手放す(日本に来てからも、ずっとボストンに家をもっていたようです)
③ 男に依存する(彼氏はいたようですが...)
④ 両親のような伝統的な核家族を形成する(子どもを産まないということでしょうか...)
⑤ 毎日、晩ごはんをつくる(主婦にはならない、食事は外食でいい...)
日本の企業研修の講師料は、3ヶ月だけで刑務所での丸1年分の5倍以上だったので、まっ、いいかと思って日本にやってきたのでした...。
そして、講師生活を始めてまもなく、受講生の一人、日本人男性と恋におちてしまったのです。ええっ、その彼って、そんなに英語が出来たの...。でも、それほど英語が話せたようではありません。それなのに、著者のハートを射落としてしまったのです。目力(めぢから)なのでしょうね。
「男のいない女は、自転車のない魚のようなもの」
これは、ウーマンリブの有名なスローガンだそうです。知りませんでした。聞いたこともありません。魚に自転車が不要なように、女にも男は不要だという意味だそうです。このたとえは、私にはさっぱり分かりません。
二人はついに結婚するわけですが、そこに至るまでには、いろいろな葛藤もあったようです。それはそうでしょう。口数は少なくても意志の強い日本人と、口数が多くて意思も強いユダヤ系アメリカ人のカップルなのですから...。
この本には、ときどき英単語について正しい解説がはさまれています。たとえば、日本人にとってゴージャスとは、豪華や高級というニュアンスで使われていますが、実は、そんな意味はなく、単に「きわめて美しい」ということだそうです。これも知りませんでした。
日本は、欧米と大きく異なり、人と違うことが驚くほどのひずみとなって、「さざなみ」を立てる、きわめて体制順応的な国だとステレオタイプ的に言われている。そして、著者は、これは完全に真実だと確信したのでした。たしかに、ちょっとでも他と違うと、すぐに叩かれるのが日本社会です。
著者は結婚する前、先の誓いの5番目にあるとおり、料理するつもりはないと、きっぱり断言しました。ボストンでは、ただの一度も料理したことはない。なーるほど...。ところが、結婚したあと、夫の父親(母親は死亡)と一緒に自宅で食事をするため、著者も料理しはじめるのでした。まさに、主婦になっていったのです。
そして、この本の最後のフィナーレを飾るのは妊活(にんかつ)です。涙ぐましい努力をして失敗を重ねたあげく、ついに赤ちゃん誕生...。46歳です。おめでとうございました。
著者は、東京でも、アメリカでやっていたような朗読会(フォー・ストーリーズ・トーキョウ)を主宰しているようです。すごいですね。ですから、著者の肩書は主婦ではなく、作家です。
(2016年10月刊。1900円+税)

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