弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2017年5月 1日

ヤマンタカ、大菩薩峠血風録

日本史(江戸)


(霧山昴)
著者 夢枕 獏 、 出版  角川書店

大菩薩峠というと、赤軍派が軍事演習していて大量検挙されたことをすぐ思い出します。その内幕が小説化されたのが警察官三代の生きざまをたどった警察小説(『警官の血』)です。
この本は、舞台は幕末。机竜之助が登場します。つまり、中里介山(かいざん)の『大菩薩峠』を底本とする全く新しい小説なのです。
『大菩薩峠』は大長編小説です。私は、その長さに恐れをなして、初めから挑戦しようとしたこともありません。著者は3回も挑戦したそうです。だけど、全20巻のうち、2巻目の途中で、いつも挫折したとのこと。やはり文庫本で20冊は長いです。長すぎます。ところが、この本の「あとがき」によると、それでも著者本人が新聞連載のものを3割もカットしているとのこと。すごいですね・・・。
大菩薩峠って、いったいどこにあるのでしょうか・・・。
タイトルの「ヤマンタカ」とは、正しくはヤマーンタカ。頭部が水牛で、身体は人間。仏教の尊神で、日本では大威徳明王。水牛に乗っている明王でもある。
ヤマーンタカのヤマは、夜摩天、つまり地獄の閻魔(えんま)大王のこと。ンタカはアーンタカで、殺す者。したがって、地獄の閻魔を殺す者になる。このヤマーンタカの本地は、文殊(もんじゅ)菩薩という。地獄の閻魔を殺すほどの力をもった尊神の実体が菩薩。最凶にして菩薩。これが机竜之助。剣豪小説です。
大菩薩峠は江戸を西にさる30里、甲州裏街道が甲斐団東山梨郡萩原村に入って、その最も高く、最も険しきところ、上下八里にまたがる難所。青梅から16里、その甲州裏街道第一の難所たる大菩薩峠。
近藤勇、土方歳三、沖田総司も登場してきます。
歳三がねらうのは、相手の頭ではない。腕でもなく、胴でもなく、脚である。
斬るときに相手が踏み出してきた脚を真横から上下に両断する。いや、何も足を両断せずともよい。
ふくらはぎまで斬らず、脛の骨を、その太さの半分も斬り割ればよいのだ。
飼われて訓練された技(わざ)ではない。野良犬の技だ。それで勝負は決することになる。
しかし、こちらから呼吸を計って前に出る技ではない。あくまでも相手が攻撃して踏み込んでくるのを待つ技だ。そのため、頭部を、無防備に相手にさらしているのである。
すさまじいまでの精神力が必要な技だ。相手の動きを瞬時に察して動かなければ、自分が斬られてしまうことになる。
息づまる斬り合いが見事に描かれ、思わず息をのみながら頁をくっていくことになります。その筆力にただただ圧倒されてしまいます。それにしても机竜之助とは不気味な存在です。
(2016年12月刊。1800円+税)

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2017年5月 2日

トランプ

アメリカ

(霧山昴)
著者 ワシントンポスト取材班 、 出版  文芸春秋

アメリカという国は、今では理性で推測することが出来ない危険な国になってしまいました。ベルリンの壁と同じような国境障壁をつくるというのは、まさしくバカげています。そして、北朝鮮への先制攻撃をほのめかすなど、危険きわまりありません。どうして、こんなウソぱっかりの男がアメリカの大統領になれたのか、不思議でなりません。といっても、我が国の首相もアベといって、同じように危険な存在なのですが・・・。
トランプは、プライバシーを重視しない珍しいタイプの億万長者だ。
トランプは、いかに大金持ちかをアピールし、豪勢にお金をつかい、ゴシップ欄やビジネス欄としてスポーツ欄をにぎわせる。雑誌の表紙を飾り、常に自身をメディアにさらしている。
トランプは社会に出てまもないころから、自分をブランド化してきた。ブランド化のカギは、自分について書かれたあらゆる記事をじっくり研究することに始まる。トランプが朝一番にすることは、自分に関する記事の切り抜きを見ること。
トランプは若いころから、噂になるにはどうすればよいかを研究してきた。
トランプは自分の意見が正しいと信じて疑わない。自分の能力に絶対の自信をもつ。しかし、完全な知識があるわけではない。
トランプの娘イヴァンカは、正統派ユダヤ教徒と結婚するにあたって、ユダヤ教に改宗した。
トランプの顧問弁護士をつとめていたコーンは地方検事局時代に、ユダヤ人のローゼンバーグ夫妻をソ連のスパイとして死刑台に送り込んだ。コーンもユダヤ人だった。コーンが検事局に入り出世したのは、マフィアとつながっていたからだと本人が公言していた。コーンはゲイであり、のちにエイズにかかり、59歳の若さで亡くなった。
トランプはコーンを大いに活用した。トランプ・タワーを建設するときには、トランプはマフィアとのつながりを活用し、ボスの愛人のために特注の部屋を用意してやった。
トランプにとって女性は、プロジェクトや資産と同じく、成功の証だった。
トランプがつくりあげたイメージに、控え目なところは皆無だった。トランプは、自分とその暮らしぶりがどう見えるかにこだわり、慎重に「自画像」を組み立て、美しく彩り、その周囲には富の象徴としてデートの相手、愛人妻、子どもたちを配した。
公の場では、隣に必ず豪華な女性がいた。好みタイプは決まっていた。モデル、ミス・コンテストの優勝者、女優の卵。たいては典型的な美人で、脚が長く、グラマーでゴージャスな髪をしている。特権階級に生まれた女性はおらず、相手の女性は公の場では発言しない。トランプにとって、女性は常に狩りの獲物で、追い求める対象でしかない。
トランプは、常に結婚における上下関係をはっきりさせていた。
「結婚は人生で唯一、完璧でないものをオレが受け入れた領域だ」
大荒れの結婚生活にもかかわらず、元妻たちが離婚後に公然とトランプを批判することはなかった。トランプは、そうはさせなかったのだ。元妻たちに秘密保持契約にサインさせた。たとえば年間35万ドルの扶助料が打ち切られることになる。
トランプが32億ドルもの謝金をかかえたとき、銀行家は、トランプを殺すより、生かしておいたほうが良いと決断した。
トランプは、ヒラリー・クリントンへ10年ものあいだ政治献金をしていた。そして、トランプは2001年に民主党員になった。
1999年から2012年までに、トランプは、7回も所属する党を変えている。トランプは、立候補するつもりなら、友人をつくっておく必要があるからだと説明した。なんと節操のない男でしょうか・・・。最低の金持ちです。
トランプという恥知らずな金持ち男が、あたかも庶民の味方であるかのようなポーズで多くのアメリカ人を騙したツケをアメリカ人はこれから払わされることでしょうね。そのトバッチリが日本にまで来そうなのが怖いのですが・・・。
(2016年11月刊。2100円+税)

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2017年5月 3日

ダブルマリッジ

社会

(霧山昴)
著者 橘 玲 、 出版  文芸春秋

私は、これまでフィリピン人、韓国人との離婚事件の裁判を担当したことがあります。もちろん、日本の裁判所です。ちなみに、相続登記の関係ではアメリカ、ブラジルそしてスウェーデンの人が登場してきました。スウェーデンの件では在日大使館にお世話になり、時間はかかりましたが、なんとか解決しました。アメリカやブラジルについては、現地にある日本の大使館とか領事館に協力をお願いしました。ともかく、なにかと手間と時間がかかります。
フィリピン人女性との離婚裁判では、訴状の送達が大変でした。訴状が届いたという証明書がないと裁判は始まりませんが、それがなかなか得られないのです。ぐずぐずしているうちに、相手方の女性が日本に再びやってきて、居場所が判明したので、ようやく裁判が進行しました。そのとき、相手のフィリピン女性が、「戸籍なんか、お金を出したら簡単にいくらでもつくれるのに・・・」と言ったので、腰を抜かしそうになりました。ちょうど、フィリピンでの自動車運転免許証が国際免許証として日本で通用するかどうかが問題になっていたころの話です。そうなのか、フィリピンでは運転免許証も戸籍もお金を出せば買えるものなのか・・・。私はカルチャーショックを受けました。今のフィリピンがどうなっているのかは知りません・・・。
この本は、フィリピンに駐在していたとき、日本の若い会社員が現地のフィリピン女性に子どもを産ませて認知したあとの話として展開していきます。ありそうな話ですよね・・・。
フィリピンには、日本人の父親をもつ子どもが3万人はいる。これは日本国籍をもつ人をふくめると20万人は下らない。
2004年がピークだったが、8万人のフィリピン人女性が興行ビザで日本に入国した。
私が20年も前にフィリピンのレイテ島へODAの現地視察に行ったとき、辺ぴな田舎の村の広場に、日本製の大型ラジカセで音楽を聴いている若者がいたのを目撃しました。
遠くて近いフィリピンとの関わりを戸籍を通して描いた小説です。
(2017年1月刊。1500円+税)

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2017年5月 4日

流しの公務員の冒険

社会

(霧山昴)
著者 山田 朝夫 、 出版  時事通信社

東大法学部を卒業して自治省のキャリア官僚になった著者が地方へドサ回りしているうちに、古巣の中央官庁には戻らず、各地を転々とし、ついには定着してしまうという実話です。
すごいですね、鹿児島県、大分県、愛知県の県と市へ派遣されています。その間に、衆議院法制局、自治省選挙課、自治大学校にも勤務しました。
公選法の改正に関わった自治省選挙課では、まさしく不眠不休で仕事をしていたとこのこと。その実情を知ると、ちらっとだけキャリア官僚にあこがれたこともある私ですが、本当にならずに良かったと思いました。
では、ドサまわりを経て、中央官庁でのエリートコースの道を歩まなかったのは、なぜなのか・・・。この本を読むと、さもありなんと納得できます。
仕事とは問題を解決すること。問題とは、あるべき姿と現状のギャップである。問題には、見える問題、探す問題、つくる問題の3種類がある。
人間社会で起こっていることは、人間の仕業(しわざ)である。人がどう動くのかは、人がどう考えるのかによる。人の考えは、多くの場合、合理的ではない。感情で動く。人の心は、どのようなときに動くのか。それは、驚いたときだ。
上から目線では人は動かせないという著者の体験は、集団で物事を考えていく力になっていったのでした。
立身出世よりも、やり甲斐。この社会に、いささかなりとも貢献できているという満足感が著者のエネルギーを支えていたように思います。
そして、ユーモアたっぷりに仕事をする。仕事は楽しいものだという実感を、中央官僚では味わえなかったものを、地方で体感したからこそ、地方に定着してしまったのでしょうね。
読んで元気の出る、いい本でした。キャリア官僚を目ざす学生にはぜひ読んでほしい本です。
表紙にはトイレの便器を素手で掃除している笑顔の著者がうつっていますが、充実した人生を送っていることを見事にあらわしています。
(2016年12月刊。1500円+税)

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2017年5月 5日

人間力を高める読書法

社会

(霧山昴)
著者 武田 鉄矢 、 出版  プレジデント社

私は年間500冊以上の単行本を、この30年以上よんでいます。でも、それは私の人間力を高めようと思ってしていることではありません。基本は知的好奇心です。次から次に、世の中のことを知りたいと思って、本を読み漁っています。知れば知るほど、知らないことが世の中にいかに多いか、愕然とする思いなのです。
著者は私と同じ福岡県生まれで、私より一学年だけ下になります。もちろん、例の「タバコ屋の息子」のバラードは好きな歌ですし、『幸福の黄色いハンカチ』は泣けました。ですから、何年か前に、夕張に行き、現地にも立ってきました。
歌に劇に大活躍していることは私も知っていました(テレビは見ませんので、実は活字を通して、ということですが・・・)。ところが、この本によると、なんと23年間もラジオのパーソナリティをつとめて、ほとんど毎日、よんだ本を解説しているというのです。すごいですね。敬服します。
「この組を本にしないのは文化的損失です」という口説き文句で本になったとのことですが、この本の密度の濃さは半端ではありません。読書家を自称する私もついタジタジとなってしまいました。
ちなみに、私の書評コーナーも、9.11の年(2001年)に始めましたので、もう16年たっています。ところが、誰も「本にしなければ文化的損失になる」とは言ってくれません。トホホ・・・。
この本の圧巻は、私も書評で紹介した『狼の群れと暮らした男』(築地書館)です。
オオカミにさわられて育てられたという「狼少年・少女」の話はインドにありますが、青年男性が狼の群れに飛び込んでいって、受け入れられる過程が描かれている本ですので、その迫力にはド肝を抜かされます。少しでも犬に関心のある人には強く一読をおすすめしたい本です。
この本を著者はコメント付きで詳細に紹介しています。まさしく、ありえない過酷な状況に自らを置いて厳しい試練を受けるという、信じられない話なのです。この本は、この部分を読むだけでも大いに価値があります。
ノモンハンそしてミッドウェー海戦における日本軍の大失敗も著者は紹介していますが、この大失敗を今、安倍政権の暴走を止めきれなかったときには、現代に生きる私たちは同じ大きな過ちを繰り返すことになるでしょう。
この本の出だしは、「1行バカ売れ」です。なるほど、キャッチコピーは偉大ですよね。
著者の知的レベルの高さには完全に脱帽でした。この本を読んで、私の人間力が少しくらいは高まったかな・・・。
(2017年3月刊。1300円+税)

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2017年5月 6日

テクノロジーは貧困を救わない

アジア


(霧山昴)
著者 外山 健太郎 、 出版  みすず書房

アメリカで育った日本人が英語で書いた本です。著者は12年間、マイクロソフトで働いていました。
アメリカ政府は、テクノロジーは教育の分野に大変革をもたらし、万人の学業成績を向上させ、子どもにとっての公平性を増してくれるだろうと語っていた。ところが現実には、そうはならなかった。アメリカのテクノロジーの爆発的進歩は目ざましいものがある。しかし、アメリカの貧困率は12~13%という高水準のままであり、貧困層や中流家庭の実質所得は停滞したまま、上流家庭との格差はさらに増大している。
子どもを伸ばすには大人の指導が必要だ。指導にもとづく動機づけが必要なのだ。
子どもがやり通すためには、学校にいるあいだに、1年のうち少なくとも9ヶ月間は指導と励ましが常に必要であり、これを12年間続けなければならない。
子どもの教育の質における本質は、昔も今も、思いやりと知識に裏づけられた大人の注目だ。
テクノロジーだけでは、決して成果は得られない。新しい機器の開発と普及は、必ずしも社会的進歩を引き起こしはしなかった。
アメリカには、常に500万人もの子どもたちが安定した食事を得られずに苦しんでいる。テクノロジーの豊かさは、すべての人々にとっての豊かさにはなっていない。
インドで始まったマイクロクレジットは、ある程度の恩恵をもたらすが、貧困にとっての万能薬ではない。
アメリカが世界最強の軍事力を駆使してイラクのフセインのような暴君を追放し、選挙を支援しても、その結果は腐敗と暴力に終わることが多い。
マイクロクレジットも、学校におけるパソコンも、それだけでは効果を生まない。インターネットがいくら普及しても、裕福国アメリカでさえ、貧困や不平等を撲滅できていない。
ネルソン・マンデラは、あるとき、こう言った。
「教育は、世界を変えるために我々が用いることのできる最強の武器である。」
教育の恩恵は、経済的生産性の向上だけにとどまらない。
女の子が学校で1年間、教育を受けると、乳児の死亡率が5~10%削減できる。
5年間の初等教育を受けた母親のもとに生まれた子どもが5歳以上まで生きられる確率は40%高くなる。中等教育を受けた女性の比率が今の倍になれば、出産率は、女性ひとりあたり5.3人から3.9人に減少する。
女の子にもう1年余分に教育を受けさせれば、彼女たちの賃金は10~20%増加する。
ブラジルでは、子どもの健康に対して、より影響を及ぼすのは男性の教育より女性の教育のほうが20倍も高い。
若いウガンダ人が中等教育を受けると、HIV陽性になる可能性が3分の1になる。
インドでは、女性が公教育を受けると、暴力に抵抗するようになる可能性が高まる。
バングラデシュでは、教育を受けた女性は政治集会に参加する可能性が3倍高まる。
こうみてくると、女性に教育はいらないどころか、女性のほうにこそもっと教育の機会を保障すべきなんだということがよく分かります。
すぐれた教育とは、子どもたちが強い願望にみちた未来への展望をもてるようにすること。
自分自身に対する信念、学能力、さまざまな好奇心に対する内面的なやる気、そして自分をこえた大義に貢献したいという思い・・・、これらを育むことが教育の狙いなのだ。
効果的な教育では、「私にはできる」ということを学べる機会が繰り返し訪れる。日本の丸暗記教育は、この限りですぐれている。楽観的な意図、注意深い判断力、そして強い自制心をはぐくんでいる。
なるほどと思わせることの多い本でした。著者のインドで子どもたちに教えたときの実体験をふまえているだけに説得力があります。
(2016年11月刊。3500円+税)

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2017年5月 7日

果鋭

警察

(霧山昴)
著者 黒川 博行 、 出版  幻冬舎

これも警察小説と言えるのでしょうね。といっても、活躍するのは現職の警察官ではなく、問題を起こして辞めた(辞めさせられた)元刑事なのです。
パチンコ屋を舞台として、暴力団や暴力団まがいの連中と伍角の危ない勝負をして、大金をせびりとっていきます。まるっきり、邪悪の世界です。
そもそも、パチンコと警察の関係は、「パチンコ業界が警察に天下り等で利益を提供し、その代わりに換金黙認や釘調整黙認などの利益を得る」というギブ・アンド・テイクの図式で成り立っている。この図式が2002年の日韓共催サッカーワールドカップで様相が一変した。このときパチンコ業界と警察が対立した。
70年代から80年代にかけて、ゲーム喫茶やゲームセンターを家宅捜索した保安係や風紀係の刑事たちが最初にすることは、店のさい銭箱やゲーム機の収納ボックスを開けて、仲に入っているお礼を自分のポケットに隠すことだった。
1982年に発覚した「大阪府警ゲーム機汚職事件」では、当時の巡査長や前任の大阪府警本部長が首吊り自殺をした。
パチンコ業界は、ヤクザからも警察からも喰われてきた。これは、私も、パチンコ経営者本人から聞いたことがあります。
今では、パチンコ店はホール全体がコンピューターと化している。したがって、素人がパチンコに勝つ方法はない。パチプロでも勝てない。パチンコ台がコンピューター化されるにつれて、釘調整の必要性が薄れ、今では釘師(くぎし)の存在は薄い。
今のパチンコ台は、一台で40万円もする。デフレの時代にもかかわらず、遊技機の単価は、20万円から、30万円、40万円の値上がりし続けている。
店は日によって還元率を変える。80%だと客は全滅。90%だと勝つ客もいる。日曜・祭日や年金支給日は80%、平日は90%にする。
客は生かさず殺さずだ。遠隔操作で、機械と客を騙くらかす。
私も、40年以上も前の司法試験の受験生時代には、図書館に向かうはずが私鉄駅前のパチンコ店に朝10時の開店と同時に入店して、パチンコしていた時代もあります。そのころは、玉を一発一発、手で穴に入れて打つ方式でした。今では、車を運転している途中にトイレを借りるために入店するくらいです。あの騒音が耐えられません。
警察組織において、監察は特異だ。彼らは上層部の指示で警察官の悪を暴き、世間に対しては隠蔽する。それは決して正義のためではなく、上層部の権力闘争やライバルを追い落とすためのシステムとして機能する。すべての警察官は、監察を畏怖し、嫌悪する。鑑察のメンバー自身は、強烈なエリート意識をもっている。監察はたしかにエリートであり、その閉鎖性は公安に似たところがある。他の警察官の恥部をにぎっているだけに昇進は早い。
警察にたかられて弱っているという人の相談を受けたこともあります。被害者だったり、加害者だったりして警察官と顔なじみになると、事件が終わってからも顔を見せるので、なにかと接待し、手土産を持たせるというのです。もちろん、何も問題のない企業であれば、そんなことをする必要もないのでしょう。でも、現実には日本を代表する超大手企業から、町の零細工場まで、たいてい叩けばホコリの出てくるものなのです。警察にたかられたら、もう逃げるところはないと、その人は苦笑していました。
小説なので、誇張とデフォルメがすごいのだろうなと思いながらも、こんな元刑事には近寄りたくないものだと思ったことでした。
(2017年3月刊。1800円+税)

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2017年5月 8日

保健と健康の心理学

人間

(霧山昴)
著者 大竹 恵子 、 出版  ナカニシヤ出版

日本は長寿国ですが、幸福度はそれにともなっていません。
平均寿命は女性87歳(世界2位)、男性81歳(世界4位)。ところが、幸福度は世界53位。
健康心理学は、人間の健康に関するさまざまな問題を心理学の観点から検討し、そこから得られた知見を社会に役立てることを目指した心理学の応用領域の一つ。
感情は、病気にかかる率だけでなく、寿命にも影響を及ぼしている。
ポジティブ感情には、ネガティブ刺激による交感神経系の活性化を速やかに活性化させる「元通り効果」をもっている。
日常的にポジティブな感情を多く経験しているほど、中枢神経系、自律神経系、内分泌系、免疫系に良い影響を及ぼし、これらのシステムの相互作用により、結果として健康状態や寿命に良い影響を及ぼす。
日本のうつ病の患者は、平成8年に20万人、その他の気分障害をふくめて43万人だった。ところが平成20年度には、うつ病患者が70万人、その他をふくめると100万人。3倍にも増えた。
同じ心的外傷体験をしても全員がPTSDになるわけではない。レジリエンスという、一時的に心理的不健康の状態に陥っても、それを乗りこえ、精神的病理を示さず、よく適応する人がいる。
交代制勤務は、睡眠覚醒リズムを乱れさせる。乳ガンのリスクが高まり、前立腺ガンのリスクが2倍から3倍も高まる。
望ましくない出来事はコントロールできるという信念は、健康的な生活習慣やストレスへの上手な対処をもたらし、健康への悪影響を少なくする。
首尾一貫感覚(SOC)は人生経験によって形成され、とくに一貫性、負荷のバランス、結果の形成への参加という3つの経験が重要である。
ルールや責任の所在が明確な一貫性のある経験は把握可能感の基礎となり、また、処理可能感を育む。
自分だって、やれば出来るんだという感覚は大切ですよね。
やや難しいところもありましたが、私の生き方から共感できるところが多々ありました。
(2016年12月刊。3400円+税)

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2017年5月 9日

働く青年と教養の戦後史

社会


(霧山昴)
著者 福間 良明 、 出版  筑摩書房

今からちょうど50年前(1967年)の4月に上京して、大学生活を始めました。そして、高校の先輩に誘われて学生セツルメント活動に足を突っこんだのです。
私は、子ども会ではなく、青年部に所属し、地域の若者サークルにセツラーとして加わりました。私たちのサークルではグラフ「わかもの」という雑誌をつかっていましたが、近くに「人生手帖」をつかった緑の会という労働者のサークルがあり、その会合に私も参加したことがあります。いかにも真面目な労働者のサークルという雰囲気でした。やがて、そのなかのごく一部の人たちが「京浜安保共闘」を名乗り、赤軍派になり、連合赤軍へとつながっていったようです。もちろん、それはごくごく一部の人たちです。日本安保を考える無数の若者サークルが出来ていたころのことです。
この本は、その「人生手帖」と緑の会の歴史的な歩みを解明していますので、私にとっては、ぜひ読みたい本でした。
「人生手帖」は8万部近くを発行していたが、「中央公論」の12万部、「世界」が10万部、「新潮」6万部に比べて、決して少なくはない。
中卒で集団就職して大都会に出てきた勤労青年層には、進学への希望を抱きながらも、高校に進学できず屈折した思いを抱く人が少なくなかった。彼らは安穏に書物に親しめる環境にはなかった。長時間労働で、休暇は少なく、安い賃金は思う存分に書物を買うゆとりはなかったし、経営者から思想傾向を知られて警戒されたりもした。
それでも、彼らは学歴エリートとは異なる形で、教養を求めて駆り立てられた。
「人生手帖」のような人生雑誌には、知識人層へのいら立ちが吐露されていたが、同時に知や知識人への憧れも強かった。
「人生手帖」に対しては、「マルクスみかん水」という批判もあった。マルクス主義を水でうすめ、糖分や香料も加えて口当たりを良くしているというのだ。
高校進学率はどんどん上昇していた。1950年代半ばに5割ほどだったのが、1961年に62.3%、1963年に66.8%、1965年には7割をこえた。そして、1970年には82.1%に達した。
大学進学率は、1968年には、23.1%でしかなかった。今日の半分以下の水準である。
「人生手帖」のような人生雑誌は、高校進学率が70%をこえ、8割を上回るよいうになると、衰退していくしかなかった。進学できない理由が家計の問題から学力の問題へと移行していった。
私が「人生手帖」の緑の会を知ったのは1967年から68年にかけてだと思いますので、中卒の集団就職組のなかの知識への渇望に踏み出していた労働者の集団を目撃していたということになります。ちなみに、そのころテレビはもちろんありましたが、まだ白黒テレビでしたし、カラオケはなく、ボーリング全盛時代でした。オールナイト・スケートとか早朝ボーリング大会などを若者サークルの連合体として企画していました。もちろん、若者がたくさん集まり、それはそれはにぎやかなものでした。若者たちが群れをなして、話し合い、歌っている時代です。
(2017年2月刊。1800円+税)

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2017年5月10日

新しい日本外交を切り拓く

アメリカ


(霧山昴)
著者 猿田 佐世 、 出版  集英社

著者はアメリカと日本を結ぶ若手の国際弁護士であり、美人弁護士としても有名です。そのバイタリティーあふれる行動力には、驚嘆せざるをえません。アメリカでロビー活動をし、沖縄でシンポジウムを開き、沖縄の翁長知事や稲嶺市長が訪米するときには、アポをとってアメリカの国会議員との面会のセッティングをこなします。そして、著者は日本の新しいシンクタンク「新外交イニシアティブ」を設立し、その事務局長として、運営するのです。
著者は若くして司法試験に合格したあと、アフリカのタンザニアに渡り、難民キャンプでの救援活動に従事した。大学生のときには、「アムネスティ日本」の会員として、10年以上ボランティア活動に従事している。そして、2002年から2007年まで、日本で弁護士をして、2007年にアメリカに渡り、2009年からワシントンに居住した。そして、ワシントンで、日米外交の偏ったシステムに強い疑問を抱き、それを克服することを目ざした。
アメリカの国務省の日本部長だったケビン・メアの言葉は忘れられません。
「沖縄の人は、ゴーヤもつくれない、なまけもの」
「沖縄は、基地をつかって東京からお金をもらう、ゆすりの名人だ」
とんでもない暴言です。日本語ペラペラの人ですが、まったく日本人を馬鹿にしきっています。
訪米団の企画・同行には、考えられる、すべての手段を駆使しながら、数週間、数ケ月間にわたるものなので、体力も精神力も消耗する厳しい作業となる。
日本政府は、アメリカのシンクタンクに対して、1億円をこす大金を提供し続けている。
そもそもは影響力のない存在であったとしても、日本のメディアや政府が繰り返し「アメリカの声」として取りあげることで、日本の国会をふくむ世論に大きな影響を与えるようになる。その結果、「神話」が現実化していく。
アメリカの対日外交に関する発言には、「日本の誰かがアメリカに言わせている」のと、「アメリカ自らが言っている」という両方の構図がある。
そんな状況で、本当の日本の声をアメリカの連邦議会にきちんと反映させようとする著者の努力は大いに評価されるべきものだと思います。
私も、ささやかながらNDI(新外交イニシアティブ)に賛同しています。
(2016年10月刊。1400円+税)

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2017年5月11日

原点

社会

(霧山昴)
著者 安彦 良和、斉藤 光政 、 出版  岩波書店

私は見たことも読んだこともないので、どんなストーリーなのかも全然知りませんが、『機動戦士ガンダム』の作者が自分の生い立ちなどを語っている本です。著者は私と同じ団塊世代で、弘前大学で全共闘のリーダーとして活動していて、大学占拠の罪に問われて警察に逮捕され、刑事被告人にもなったとのことです。
弘前大学というと、連合赤軍事件で生き残って逮捕された植垣康博と青砥幹夫という二人も著者と同じころの卒業生になります。
「弘前大学の全共闘運動をとおして、大まじめにばかをやった。いま考えると、たしかにこっけいだけど、シリアスな問題もかかえている」
著者は、このように語っています。
「憎しみをバネにした革命の時代は終わった。そういう革命は、人を幸せにしない」
この言葉には、私もまったく同感です。もしも全共闘が革命に成功して、天下をとっていたら、カンボジアのポルポト政権と同じようなこと、大虐殺をしていたことでしょうね。恐ろしいことです。なにしろ、「敵は殺せ」の論理でしたから・・・。
いま、著者のマンガは、分かりあえない時代や社会だからこそ、分かりあえたら、どんなにいいだろう、という考えに立脚しているとのこと。素晴らしいです。惜しみない拍手を贈ります。
著者は、北海道北部の北見地方に生まれ育った。父親は屯田兵二世。
幼いことから絵を描き、マンガを描いていた。ちばてつやも同じでしたね。
イラストやマンガは習うものではない。教えてくれる人はいなかったので、見よう見まねで幼いころから描いていた。自分の絵に師匠はいない。
著者は手塚治虫の虫プロダクションに入り、アニメの世界にもしばらくいました。そのうち、独自の世界を切り拓いていったわけです。
この本の最後にある著者の言葉を紹介します。
「いま、ぼくが描いている機動戦士ガンダム・ジ・オリジンは戦争の話だ。戦争に巻き込まれる人たち、これから巻き込まれるであろう人たちが、たくさん登場する。大量死の運命を避けられない市民や、大切なぬいぐるみを抱いて親に手を引かれ、逃げる子どもも出てくる。そんな絵を描くのはとても辛い。そこに生があり、生活があるのを感じるから、あったのを感じるからだ。生は死よりも重い。たぶん、ずっとずっと、重い」
大学解体なんて無責任なことを言って、建物だけでなく人間関係を破壊していた全共闘だった人のなかに、今、こんなに真面目に、人の優しさを大切にしようと考えている人がいるのを知ると、うれしくなります。また、同じような思いを抱いている人の存在を知って、力強く思います。
(2017年3月刊。1800円+税)
この連休中、近くの小山にのぼりました。頂上で知人一家が食事中なのに遭遇して驚きました。私は、いつもの360度パノラマの地点で、おにぎり弁当をいただき、帰りはミカンの白い花を愛でながらおりました。
庭にアスパラガスが毎日のように伸びています。連休中は一度に5本もいただきました。春の香りを口中に味わう幸せを感じます。
いま、庭は、キショウブの黄、ショウブのライトブルー、そしてオレンジなど、見事にカラフルです。ウグイスの声を間近にききながら、ジャガイモの手入れをしました。6月の収穫が楽しみです。

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2017年5月12日

子どもを追いつめるお母さんの口癖

社会


(霧山昴)
著者 金盛 浦子 、 出版  青樹社

子どもを育てるうえで大切なことの一つは、やれば出来るという自信をもたせることなんじゃないかなと今、私は考えています。どうせ自分はダメなんだとあきらめさせず、ほら、やれば、やる気を出せば、こんなことも出来たじゃないのと、励まし、自信をもたせたら、子どもはぐんぐん伸びていくものだと思います。
周囲が、ダメだ、ダメだと言っていると、本人もやる気を失い、本当にダメ人間になっていくしかなくなります。
我々が話す言葉は、感情あるいは心の状態の反映である。
自民党の大臣たちが、ポロポロと公の場で言ってはならない失言を性こりなく繰り返しているのも、それが彼らのホンネだからです。
政治は万人のためにあるのではない。強い者を、より強くするのが政治の役目だ。下々の者は黙って従っていればいい。
この本心が、安倍内閣の大臣たちの相次ぐ失言として日の目を見ているわけです。
喜びや楽しさや安心に、共感してもらいながら育った子は、喜びや楽しさや安心の表現が上手な子どもになる。
もちろん、不安や怒りや悲しみにも共感してあげることも大切だ。共感されて、不安、怒り、悲しみを取り除いてもらったり、取り除くことを手助けしてもらって育った子どもは、どのようにしたら自分のなかの不快な状態を上手に解決できるかを知る子どもになっている。
ところが、一方的に怒られたり強引に禁止されることが繰り返されるなかで育った子どもは、自分で感じることをやめ、本当の自分を封印し、ほとんど反発することもできずに従う術(すべ)を身につけてしまう。
親を許す。これは思った以上に大きな意味をもっている。親を許すということは、自分自身をも許すことだからである。
子育ての楽しみって、過ぎてしまえば、こんなにも短いものだったのかと思ってしまうもの。煩わしいけれそ可愛い子ども時代は、本当に本当に短い。
これは、私自身の実感でもあります。だから私は、いつも私のいる居間兼食堂の壁には、子どもたちが幼児のころの可愛かった当時の写真をべたべたと貼りめぐらしていて、折にふれて、それを眺め、古き良き時代を思い出しています。
子どもが反発するとき、それは、たいていの場合、「愛してほしいよ」という救援信号なのである。
うむむ、これは思いつきませんでしたね。でも、たしかに、私もそうだろうなと思います。
私たちの心は、こだわりや傷を一つ、また一つと解消するごとに、自由に、より自由にと解き放たれていく。
子どもに言ってはならない言葉をあげて、その理由が一つ一つ解説されています。いずれも、とっくに子育てを終了し、今では孫育てに関われるかどうかの私ですが、胸にぐさりぐさりと突き刺さってきます。子育て現役の人に一読をおすすめします。
(1997年1月刊。1200円+税)

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2017年5月13日

クマムシへんてこ最強伝説

生物

(霧山昴)
著者 堀川 大樹 、 出版  日経BPマーケティング

体長わずか1ミリしかないクマムシは地球上の最強生物。
その強さは、体を縮めて乾燥している仮死状態(乾眠)に入ったら、マイナス273度の低温からプラス100度近くの高温に耐えられる。ヒトの致死量の1000倍の線量の放射線にも、紫外線にも、そして水深1万メートルの75倍相当の圧力にも、さらには真空でもアルコールにも耐えて生き続ける。
宇宙空間の真空に10日間さらされた乾眠クマムシは、地球に帰還したあと、見事に復活した。
体長1ミリなので、顕微鏡をつかわないと、じっくり観察できないというのが難点ですが、ともかく、その生命力のすごさには圧倒されてしまいます。
クマムシは、ムシつまり昆虫ではなく、動物。小さいけれど脳もあり、消化器官もある。ちゃんと神経や筋肉だってある。
クマムシは水生動物であり、水の中でのみ活動できる。ただ、水中を泳ぐのではなく、水の底を歩く。
ヨコヅナクマムシにはオスがいない。メスは交尾をせずに、自分自身で卵をつくって産む。
クマムシは、これまで1200種が知られている。
最後に、知られざるクマムシを食べてみたとのこと。あまり美味しいものではなかったようです。
かわいくて強い、へんてこな小動物、クマムシのいろいろを知ることのできる面白い本です。いやあ、世の中には、こんな動物もいるのですね。万物の霊長なんて、人間は威張っておれませんよ。
(2017年2月刊。1400円+税)

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2017年5月14日

ヤズディの祈り

ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 林 典子 、 出版  赤々舎

イラクの少数民族ヤズディをイスラム過激派のISI(イスラム国)が攻撃していることを知った日本人カメラマンが現地に出かけて撮った貴重な写真集です。
ISIの拠点となっているモスルからわずか直線距離で80キロしか離れていない、クルド人自治区の中心都市エルビルにたどり着きます。そして、そこから、イラクにあるシンガル山の頂上にあるヤズディたちが避難生活を過ごしている場所に出向くのです。なんと勇気ある女性でしょう。おかげで、こうやって写真を通してその悲惨な状況をいくらか想像できるわけです。
ISI(この本ではダーシュと呼ばれています)は、ヤズディの男たちは皆殺しにて、女性は暴行し、奴隷として売り飛ばすのです。
生きのび、被害にあった女性たちの話は、どれも同じパターンです。男たちはどこかへ連れ去られて、銃声がして、もう戻ってこないのです。そして、女性は一ケ所に集められ、シャワーを使わせられて、一人ひとり売られていくのです。そして、この本に登場するのは、それでも脱出できた人たちだということでした。
この写真集に救いがあるのは、生き残った女性の表情が絶望に沈んではいないということです。美容師になるつもりだった女性が、今では、カラシニコフ(ロシア製の銃)を抱いて戦う兵士になったのです。
日本人の私たちの知らないヤズディの女性たちの気高さを知ることも出来る写真集でもあります。最初は写真だけ。キャプションもありません。後半に解説というか、自己紹介の文章があり、写真の意味が分かります。ぼやけた顔写真は、わざと識別できにくいようにしてあるわけですので、文句は言えません。
(2016年12月刊。2800円+税)

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2017年5月15日

そして、ぼくは旅に出た

アメリカ

(霧山昴)
著者 大竹 英洋 、 出版  あすなろ書房

面白い旅行記です。いつのまにか、自分も一緒になってシーカヤックを漕いでカナダの湖をすすんでいる気分になってきます。
若いって、いいですよね。見たこともない土地へ行って、憧れの写真家へ弟子入りしようと押しかけるのです。そこはカナダの辺ぴな湖のほとりです。車がなければ、湖をカヤックかカヌーで漕いでいくしかありません。それで、押しかけた先で即座に弟子入りを断られたら、どうしましょう。いいえ、そのときは、そのとき。それから考えれば、いいんだ。ともかく、行ってみよう。すごいですね、若者の特権ですね。変に分別のついた大人には、とても真似できません。
車があれば一日で行けるところをシーカヤックを漕ぎ、陸路はカヤックをかついで進むこと8日間もかけてたどり着きます。いえ、この8日間も、たっぷり道草を食うのです。なにしろ目ざすは写真家なのですから、シャッターチャンス優先です。珍しい鳥が産卵のために巣で卵を温めている光景を見つけたら、その写真を撮るのが優先なのです。
カナダのこの地方には危険な動物はあまりいないようです。でも、蚊とアブにたかられて困りました。
東京で育った著者は一橋大学ではワンゲル部に入り、虚弱な身体を鍛えました。そして、カヤックを漕いだこともないのに、キャンプした経験だけはワンゲル部でたくさんあるのを武器として、カナダの「ノーズウッズ」に挑んだのでした。
「ノーズウッズ」とは、北アメリカ大陸の中央北部に広がる湖水地方を指す。そこには数え切れないほど多くの湖が存在する。緯度が高いので、冬の寒さは厳しく、マイナス30度はあたりまえ、1年の半分は雪と氷に閉ざされ、ときにはマイナス50度にもなる。
著者は、1999年以来、この地に通い続けている。
この本は、その最初のときを刻明に再現しています。よくもまあ詳細に描き出したものです。写真家としてだけでなく、文才のほうも相当なものです。メモ魔を自称する私も顔負けです。
著者がスノーウッズに足を初めて踏み入れたのは24歳のときです。3ヶ月間そこにいて、人生観を大きく変え、自信をつけたのです。いやあ、うらやましい限りです。
この本に登場してくるのは、ジム・ブランデンバーグ、オオカミの写真で世界的に知られる自然写真家、そして極地探検家のウィル・スティーガーの二人です。この二人に、8日間のカヤックの旅でやってきた日本人だということで、歓待されたのです。努力が報われました。 
そして、そのきっかけは、著者のみた夢だったのです。夢って、あだやおろそかには出来ませんね。カヌーどころか、東京になる井の頭公園の貸しボートを漕いだことがあるくらいという著者の言葉には、つい笑ってしまいました。私も、大学生のとき、彼女とデートしたときボートを漕いだことを思い出しました。
400頁をこす部厚い本ですが、私は半日かけて夢見心地で読み通しました。わあ、こんなところがあるのか・・・。行ってみたいな。そう思いました。東京のディズニーランド(一度も行ったことはありません。行く気もありません)より、よほどことらのほうが面白そうです。とはいっても、一人で森の中でキャンプする勇気と技術を身につけていなくてはいけません。その若さをうしなってしまったのが残念です。その思いを、この本を読んで少し満たすことにしたのです。
このころちょっと疲れたな、そんなときには旅に出ましょう。そして、この本を一緒に持っていけば最高ですよ、きっと・・・。素敵な本をありがとうございました。
(2017年3月刊。1900円+税)

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2017年5月16日

人質司法に挑む弁護

司法

(霧山昴)
著者 東弁期成会明るい刑弁研究会 、 出版  現代人文社

日本の刑事司法は機能不全に陥っていると言われて、久しいものがあります。
その最大の問題が、「人質司法」と言われる安易な身体拘束の常態化である。
勾留請求の却下率は低い。2003年度の勾留請求人数は15万人に近い14万8、333人だった。その勾留請求が却下されたのは536人。なんと0.0036%でしかない。ところが2014年には、2.71%へと上昇した。
保釈が認められたのは、2003年度の被告人7万7071人のうち、保釈されたのは8881人、12%でしかない。ところが、2014年には23.9%にまで伸びた。
判決を受けて釈放された人は3万6052人。実に、起訴された人の半分近くが、無罪(きわめて少ない)、執行猶予、罰金の判決を受けるまで拘束されていたことになる。しかし、これらの人は判決前に身柄拘束から開放されるべきであった。
被告人から弁護人選任届に署名をもらったら、すぐに検察庁へ提出すべき。警察も裁判所も受けとらない。
検察官の接見指定というのが、今も生きていることを知り驚きました。たしかに昔は「面会切符」を検察官にもらいに行くのが大変だったことがありました。ところが、先輩のたたかう弁護士が、「オレは、そんなのもらったことないよ」と豪語しているのを聞いて、私も発奮して、電話指定に切り換えさせました。わざわざ検察庁まで足を運んで、面会切符をありがたくおしいただくなんて、私にとっても屈辱的なものでした。
「捜査の中断による顕著な支障」など、現実には、あるはずもありません。
裁判官による被疑者の勾留質問に弁護士が立会うことを禁止する規定はありません。少年や知的障害のある被疑者に限って弁護人の立会いを認めることがあるようですが、もっと広く認められるべきものです。
保釈保証金は、年々、高額化しています。8年前に平均150万円だったのが、今では200万円ほどになっています。
全弁協の保釈保証書は、保証金額の2%と、自己負担金として保証金額の10%が必要(上限300万円)。私は、まだこの制度を利用したことがありません。
拘置所に被疑者・被告人の身柄が移って困るのは、休日・夜間接見がきわめて困難になってしまうことです。代用監獄として警察留置場に入っているときには、休日・夜間接見が自由自在なのですから、その不便さは大変な苦痛となります。
刑事弁護人となったときに、被告人の主張を裁判所に対して十全に展開することを可能にする丁寧な手引書です。書式もたくさんあって、とても実践的な本ですので、大いに活用したいものです。
(2016年10月刊。2700円+税)
日曜日に梅の実を摘みました。今年は豊作で、大ザル4杯になりました。梅酒を楽しみます。
いま、庭はライドブルーのハナショウブとキショウブが花盛りです。スモークツリーも見頃になってきました。緑濃い庭をながめながら、サンテミリオン(赤ワイン)をいただき、至福のひとときになりました。
ジャガイモ畑の手入れもしましたが、蚊に悩まされるようになりましたが、ヘビの抜け殻も発見し、そちらも気をつけないと思ったことでした。

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2017年5月17日

「勝ち組」異聞

アメリカ

(霧山昴)
著者 深沢 正雪 、 出版  無明舎出版

戦後のブラジルで日系人同士が殺しあったとされる事件の真相に迫る本です。
終戦直後のブラジル人日系社会の7割以上が勝ち組だったとされているのに、「私は勝ち組だった」と言える雰囲気は、70年たった今もない。それだけ、「勝ち組」抗争に関するトラウマは深く、今もって癒えていない。終わっていない。つまり、この勝ち負け問題は過去の話ではなく、今も続いている。
「勝ち負け抗争」とは、終戦直後のブラジル人日系社会において、日本の敗戦を認めたくない移民大衆が「勝ち組」となり、ブラジル政府と組んで力づくで日系人に敗戦を認識させようとした「負け組」とが血みどろの争いを演じたという特異な事件である。
日本人同士が争い、20数人の死者、数十人の負傷者を出した。終結するまでに10年近い歳月が必要だった。
日本からのブラジル移住が本格化したのは、1923年9月1日の関東大震災が大きなきっかけとなった。1924年にアメリカが排日移民法を制定して、日本人を受け入れなくなったことにもよる。
1925年からの10年間で、全ブラジル移民25万人の半数以上の13万人がブラジルに渡った。
戦前のブラジル移民の最大の特徴は、20万人の85%が「デカセギ」のつもりで渡っていて、5年か10年、ブラジルでお金を稼いだら、日本に帰るつもりだったこと。
日本人移民は、ブラジルで差別され、馬鹿にされた。「今にみておれ。日本はきっと戦争に勝って、ブラジルに迎えに来てくれる」と思い込み、心の支えとした。
戦争中、ブラジル政府に対して恨み骨髄になっていた日本移民にとって、日本が戦争に勝ってブラジルまで来てくれることが唯一の救いとして期待が高まっていた。
「負け組」、日本が戦争に負けたことを認識する人々は、戦争中にブラジル官憲から資産凍結・監禁や拷問にあった層だった。負け組は、官憲からの弾圧を恐れていた。つまり、ブラジル日系人の勝ち負け抗争の本当の原因は、戦前戦中からの日本人差別にあった。
戦前移民20万人の85%は日本へ帰国したかったのに、大半(93%)がブラジルに残った。イタリア移民で定着したのは13%、ドイツ移民は25%なのに比べて、日本移民の93%は圧倒的に多い。
勝ち負け抗争が終結したあと、ブラジルに骨を埋めようと思い直した勝ち組は、サンパウロ州立総合大学(USP)を「ブラジルの東大」と呼んで、子どもを入学させようとした。人口比では1%もいない日系人がUSP入学生10%を占めるようになったのは、圧倒的多数の勝ち組が、思いの矛先を帰国から永住に切り替えたことによる。勝ち組の親たちが、心を入れ替えて、身を粉にして働いて子どもを大学に入れた。だからこそ、ブラジル社会から信頼される現在の日系社会が形成された。
「勝ち組」を単なる狂信者なテロリストであるかのように決めつけてはいけないと思ったことでした。
(2017年3月刊。1800円+税)

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2017年5月18日

「週刊文春」編集長の仕事術

社会

(霧山昴)
著者 新谷 学 、 出版  ダイヤモンド社

森友学園問題では「週刊文春」には、もっと連続して追及キャンペーンを張ってくれるのかと期待していたのですが、少々アテがはずれてしまいました。まあ、それでも大半マスコミがアベ政権に取りこまれたのか不甲斐ないなかで、週刊誌はまだ健闘していると言えるでしょう・・・。
雑誌は面白くなければいけない。ただ、報じられた側が必要以上にバッシングを受ける時代であることにも留意が必要だ。
週刊誌づくりの原点は「人間への興味」だ。これは、実は、弁護士にとっても言えることなんですよ。人間への興味を喪ったら、あとはお金もうけしか目がない、単なるビジネス弁護士に堕してしまいます。
本当の信頼関係は、直接会わないと生まれない。相手の表情とか仕草、間合い、そういう温度感も含めたのが情報だ。つまり、本当の信頼関係はSNSでは築けない。
こちらがある程度は情報をつかんでいることを明かしたほうがしゃべってくれる人と、「何も知らないから教えてください」という態度でのぞんだほうがうまくいく人と、二通りのひとがいる。官僚は前者で、政治家は後者。情報はギブアンドテイクだ。
学生からすぐ弁護士になった私は、会社に入った経験がありませんので、基本的には後者の立場で、いろいろ教えてもらうようにしています。
どんな組織でも、トップと広報に会ったら、たいていのことは分かる。広報マンがメディア側ではなく、トップばかり気をつかっているような組織は風通しが悪い。広報がトップに対して、ものを言いにくい、独裁的な組織になっていることを意味している。
編集長は、とにかく「明るい」ことが重要。編集長が暗いと編集部が暗くなる。常に明るく、「レッツポジティブ」でなければならない。
相手から見て、「会ったら元気になる」存在でありたい。「あいつ、面白いから」、「あいつと会うと、なんか元気が出るんだよな」、こう言われるのが一番の編集者冥利だ。
肩書きが外れても、人間同士の関係を維持するタイプの人が、その組織のなかで圧倒的に出世している。
あらゆるモノづくりの現場に財務的な発想(これは、もうかるか、採算がとれるか・・・)が入ってくると、とたんにうまくいかなくなる。
週刊文春の部員は56人。事件を追いかける特集班は40人。社員は15人で、残る25人は、1年契約の特派記者。8人ずつ5班で構成する。毎週木曜日に企画会議を開いている。ネタのノルマは1人5本。200本のネタが毎週あつまり、デスク会議で発表される。ネタを出した記者が必ず書く。これが記者のモチベーションを高める。そして、特集を出して、大当たりしたらボーナスをはずむ。
週刊誌記者の苛烈な競争社会の内幕とあわせて、売れる記事をつかむコツも公表されていますので、面白いです。
(2017年4月刊。1400円+税)

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2017年5月19日

関釜連絡船(上)

朝鮮・韓国

(霧山昴)
著者 李 炳注 、 出版  藤原書店

1992年に亡くなった著者の長編小説が日本語になったものです。
1921年に韓国に生まれた著者は、日本の明治大学や早稲田大学で学んでいます。戦後は、釜山で新聞社の編集局長をつとめて、44歳で小説家となったのです。
『智異(チリ)山』『小説南労党』などを出版しています。日本語になっていれば私も読んだと思いますが、私の書棚には見あたりませんでした。読んだような気はするのですが・・・。
この本は、どこまでが実話で、どこから小説なのか、その境界線がよく分からない不思議な体裁の小説として進行していきます。舞台は主として、日帝から解放された直後の韓国の農村部です。高校を舞台として話が展開していきます。
アメリカ軍の軍政下にあって左翼の教師と生徒たちが騒ぎたてます。それに反発した右翼の学生も学生大会を妨害するのでした。
教員のなかで、中立を保つことは至難の状況に置かれ、論争の渦中に身を投じる破目になるのです。
賢明なやり方と不可避なやり方とは違う。抗拒するにしても、効果的な方法で、みんなで結束してやるべきだ。左翼は、アメリカ帝国主義の威力を恐ろしいものだと口では言いながら、行動ではアメリカを侮るようなまねをする。秩序維持に対する観念の差があるだけで、アメリカは、日本以上に強硬な国だということを知るべきだ。日本の統治下で不可能だったことがアメリカ軍政下は可能になるなどと考えるのは、とんでもない錯覚だ。その錯覚でもって民衆を引っぱったところでどうなるものか・・・。
なかなか難しい選択を余儀なくされたわけです。そして、同胞同士が殺し、殺される状況に突入してしまうのです。
やはり、平和のために暴力をつかうと、いつまでたっても暴力の連鎖は続いてしまいます。ですから、一見すると迂遠なようであっても、平和のために暴力をつかうのではなく、平和を実現するのは平和的な言論によるしかないのです。ただし、これって、口先で言うのは簡単ですけれど・・・。
西洋のことわざに、こういうのものがある。友人は100人いても多過ぎることはない。しかし、敵は1人でも多過ぎる。
私も、敵はなるべくつくりたくはないのですが、かといってもちろん聖子君子とはほど遠い存在ですので、「敵」というべき存在が何人もいた(いる)ように思います。申し訳ないことです。トホホ・・・。
(2017年2月刊。3200円+税)

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2017年5月20日

写真家ナダール

ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 小倉 孝誠 、 出版  中央公論新社

この本で、アレクサンドル・デュマ、ヴィクトル・マゴー、ジョルジュ・サンドなどのくっきりした肖像写真に接し、彼らの人柄を初めて具体的にイメージすることができました。
詩集『悪の華』で有名な詩人ボート・レールが、「ナダールは生命力のもっとも驚くべき表現である」と高く評価したという写真家ナダールを紹介した本です。豊富な写真のあるのがうれしい限りです。
ナダールは1820年に生まれ、第一次世界大戦の始まる前の1910年に亡くなっていますので、19世紀フランスに生きた人だと言えます。
ナダールはボヘミアン的作家、ジャーナリスト、風刺画家、そして写真家であり、気球冒険家でした。1857年に初めて気球に乗ったナダールは気球から地上の写真も撮っています。そして、写真家としては、パリの地下水路やカタコンベ(地下墓地)まで撮影しているのです。
アレクサンドル・デュマは『三銃士』や『モンテ・クリスト伯』で名高い作家ですが、その肖像写真は、「根拠ある自信にあふれた表情」というキャプションがついています。なるほど、今にも何か話しかけてきそうな顔写真です。
シャルル・ボードレールはナダールの親しい友だちでしたが、何かもの言いたげな表情をしています。
パリ・コミューンを圧殺した政治家であるティエールは、権力欲に取りつかれた野心たっぷりの表情です。そのほか、エミール・ゾラ、ギ・ド・モーパッサン、オーギュスト・ロダン、クロード・モネなど、当時のフランスを代表する著名人の顔写真がたくさん紹介されていて飽かせません。
(2016年9月刊。2600円+税)

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2017年5月21日

描かれたザビエルと戦国日本

日本史(戦国)

(霧山昴)
著者 鹿毛 敏夫 、 出版  勉誠出版

1600年に天下分け目の関ヶ原の戦いがありました。その50年前の1549年8月にイエズス会の宣教師であるフランシスコザビエルが日本にやってきて、1551年11月まで滞在していました。2ヶ年3ヶ月の滞在でしかありませんでしたが、日本にキリスト教をもたらし、多大な影響を支えた宣教師の先達として今も高名です。
本書は、そのザビエルの足跡を絵画と写真とともに刻明に明らかにしています。
ザビエルの遺体が今もインド(ゴア)に保存されているというのにも驚きました。
そして、ヨーロッパに残された宗教画には、ザビエルとともに大友などの大名たちが登場しています。ただ、説明を聞かないと、まるで日本人とは思えない顔つきをしています。恐らく、絵を描いた画家は、見たこともない日本人の戦国大名たちを想像できず、身近なヨーロッパの領主を描いたのでしょうね・・・。
ザビエルは、私が学んでいるフランス語では、グザビエと発音します。なあんだ、そうだったのか・・・と思いました。
ザビエルは、ローマへの手紙のなかで日本人について、このように報告しています。
「日本人はインドの異教徒には見られないほど旺盛な知識欲がある。
もしも日本人すべてがアンジロウのように知識欲が旺盛であるなら、新しく発見された諸地域のなかで、日本人はもっとも知識欲の旺盛な民族であると思われる」
つまり、昔も今も、日本人には好奇心の旺盛な人が多かったということですね。何か目新しいものがあれば、すぐに飛びついて、我が物としたいという習性があるのです。
ザビエルは、1552年12月3日、46歳のとき、中国のマカオの先の小島でマラリアにかかって亡くなった。そして、その遺体が腐敗しなかったことから、インドのゴアまで運ばれて、死後400年以上たった今もミイラ化して、見ることできる(10年に1度だけ一般公開される)。
ザビエルは、山口の領主である大内義隆、そして、豊後の領主である大友義鎮(宗麟)と面会している。大分県市内にはキリスト教会が建立し、多くのキリスト教信者を迎えた。
ザビエルの足跡を、視覚的にもしっかりたどることのできる貴重な本です。
(2017年1月刊。2800円+税)

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2017年5月22日

カラス屋の双眼鏡

生物

(霧山昴)
著者 松原 始 、 出版  ハルキ文庫

『カラスの教科書』の著者は、カラスや鳥に限らず、ヘビをふくめて、生き物なら、なんでもござれの生物学者だったんですね・・・。
花粉を運ぶのはハチだけではない。鳥も花粉を運ぶ。サザンカやツバキが冬に大きな花を咲かせるが、島を呼び寄せ、蜜を吸うときに花粉を頭にくっつけて運んでもらう。
ハシブトガラスは巣を隠すことに異常なほどのこだわりをもっている。それでも生物学者は簡単にカラスの巣を見つけるのですから、たいしたものです。
カラスは、ふつう巣から少し離れていて、自分の縄張りが見渡せ、かつ、巣の周辺がよく見える場所に陣取って見張っている。
東京・銀座のド真ん中にも、カラスの巣があるなんて驚きですよね。皇居の森の中にあるんじゃないのですね。丸ビルの前の並木にカラスの巣があるだなんて、信じられません。
縄張りがあると、縄張りのなかに住んでいるのは、ペアのカラスの2羽だけ。
ハシブトガラスは、「カアー」と、ハシボソガラスは「ゴアー」と鳴く。
カラスは、しばしば人の声や物音を即興でまねして返す。ハシブトガラスに比べると、ハシボソガラスは鳴かない。ハシボソガラスが鳴きはじめたら、確実に何かが迫っているということ。
カラスは、鳥や獣を捕らえることに関してはシロウト同然である。手際がよくない。
ヘビの起源は、地中仮説が有力になっている。地中では脚が邪魔になるので退化してしまい、目もウロコに覆われてなくなりかけたが、再び地上に出てきたので、目を覆うウロコが透明になって見えるようになった。
ヘビを見たら、すぐ捕まえる。ヘビやクモに咬まれたらどれくらい痛いのか、黙って手を出して咬まれてみる。うひゃあ、なんということをするんでしょう・・・。とても、ヘビ屋なんかにはなれませんし、なりたくもありませんよね・・・。でも、こんな変人・奇人の学者がいるおかげで、判明したことがたくさんあるわけです。世界の視野を広げてくれる本でした。
(2017年3月刊。660円+税)

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2017年5月23日

父母(ちちはは)の記

日本史(戦前)

(霧山昴)
著者 渡辺 京二 、 出版  平凡社

1930年(昭和5年)生まれの著者が両親について語った本です。
著者の両親について紹介する前に、私の両親を先に紹介しておきます。私の父は明治42年に百姓(中農です)の長男として生まれましたが、百姓は腰が痛くなるから嫌だといって上京し、逓信省にアルバイトとして働きながら法政大学の夜間部に学びます。やがて昼間部の法学部に転入して司法試験を目ざしましたが、あえなく敗退します。父のとき、法政大学でも大学全体を揺るがすような学生の抗議運動が起きたようで、「法政大学百年史」に書いてあります。法政大学を優秀な成績で卒業した(ようです)ものの、「大学は出たけれど・・・」の時代で就職できませんでした。たとえば、天下の三井に入るにはたとえ法政大学を一番で卒業してもかなわなかったの(よう)です。それで父は、いったん筑豊の小学校で代用教員となり、やがて伝手をたどって三井の青年学校の教員となり、ようやく天下の三井に入ることが出来たのでした。
私の母は大正2年生まれ。久留米の高良内に生まれ育ちましたが、父は村長をつとめるほどの人望家でした。異母兄の夫に秋山好古の副官をしていたこともある中村次喜蔵という人がいます。第一次世界大戦中、ドイツ軍の青島要塞を攻略したときに華々しい戦華をあげて天皇の前で2回も講釈したといいます。
それぞれ、私が亡くなった両親から聞いたことを手がかりとして、図書館で調べたり、偕行社に問い合わせしたりしました。
このような作業を通じて、私にとって近代日本史はごくごく身近なものになりました。そして、亡母の異母姉の夫である中村次喜蔵の孫が、私と同じ学年に東大に入り、同じく司法試験に受かっていたなんて、つい先日知ったばかりですが、世の中は本当に狭いというか、巡り合わせは恐ろしいものだと思いました。いま彼は東京で弁護士ではなく、社長業をやっていますが、それを知らせたのも、実は、このコラムなのです。彼の友人が偶々ネットで検索したら、私のコラムにひっかかったというのです。すごいですね。インターネットの威力は・・・。
ようやく著者の両親の話に戻ります。父親は明治31年に熊本県菊池郡に生まれ、朝鮮で育った。日活専属の活動弁士として活動していた。当時は、無声映画ですから、弁士は、一種のスターだったのです。なかなかの美男子だったとのことです。
大正11年に父は美人の母と結婚した。ところが、母は手に負えない辛辣な頭の持ち主だった。
むかしの人は、今の人間よりよほど自己本位に、勝手気ままに生きていたのではないか・・・。著者の書いているのを全部そのまま信じると、40年も弁護士をしている私からしても、すごい型破りの夫婦だったように思います。なんか、みんな、いつのまにか大人しくなってしまったのでしょうね・・・。これも、例の「戦後の民主教育のせい」なのでしょうか。
著者は終戦時まで満州にいて、戦後、熊本に戻って五高に入り、共産党に入ります。共産党員としての活動やら、その後の活動の記録にも興味深いものがありますが、私にとっては、なんといっても戦前の日本と満州・大連での生活の詳細な描写に心が惹かれました。
それにしても記憶力がよいというか、よくぞここまで昔のことを再現できるものかと驚嘆してしまいます。やはり、自分という存在を知るためには、父と母のことを真正面から語らなくてはいけないのですよね。
(2016年8月刊。2200円+税)

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2017年5月24日

舞台をまわす、舞台がまわる

社会

(霧山昴)
著者 山崎 正和  御厨 貴 ほか 、 出版  中央公論新社

現代に活躍する劇作家、評論家の半生の語りを聞くと、生きた現代日本史がよく分かります。
著者(語る人)は戦前の満州の小学校に入学しました。軍国主義化が進んでいたようです。教師による鉄拳制裁はあたりまえの世界だった。満州の小学校には、ここは戦場と地続きだという意識があったからだ。
秋になると穂先の赤くなる高梁畑に真っ赤な太陽が沈んでいくと、見渡す限り燃えるような赤になる。
これは、ちばてつやのマンガにも描かれていましたね・・・。
敗戦後、満州は無政府状態になったが、そのなかでも、日本人の親は子どもを学校にやった。男は外に出ていったら撃ち殺されるし、母親は地下室に隠れている状況でも、学校はやっていた。そして、学校には首吊り死体がぶら下がっていたが、誰も気にせず、授業がすすめられた。
これには、驚きますね。日本人のいいところかもしれませんが・・・。
そして、著者は京都に引き揚げてきて、15歳、中学3年生のとき日本共産党に入党し、党員として活動を始めた。
これまた信じられないことです。15歳で政治活動を始めただなんて、早熟すぎます。
そして、京都大学文学部に入ります。当時の共産党は暴力革命路線をとっていましたので、山村工作隊に入る学生もいましたが、著者はその暴力路線に嫌気がさして、共産党を辞めたのでした。
そして、大学院に入り、アメリカに留学するのです。フルプライトの指名によります。
アメリカは昔から賢いですよね。これはと思う人物を招待して、アメリカに学ばせて「洗脳」するのです。アメリカ的価値観をしっかり身につけて日本で活躍してくれるのですから、こんなに安上がりな「洗脳」システムはありません。
そして、日本に帰ってきて、東大闘争(紛争)に関わるのです。私も初めて知る話でした。
著者と京極純一と衛藤瀋吉の三人が佐藤首相の秘密のブレーンになっていて、東大入試を1年だけ中止するというショック療法を思いついたのです。そして、佐藤首相を安田講堂の前を長靴姿で歩かせたのでした。
これについて、後藤田正晴は警察庁次長をしていたけれど、何も聞かされておらず、「余計なことをした」と批判していた。
著者は総理官邸のなかで仕事をしていたといいます。いつのまにか、権力の中枢で「弾圧」する側の知恵袋として活躍していたのですね。
著者は日本の非核三原則も「不可能な話だ」と切って捨てます。
アメリカに楯突くという発想がまったくありません。フルブライト仕込みが生きているのですね。そのあとも、内閣調査室(内調)のお金をつかって研究会をすすめます。
著者は、アメリカに少しは抵抗しようとした宮澤首相を小馬鹿にした感じで評しています。
そして、全共闘に対しては「可愛かった」として、シンパシーをもっています。きっと似た体質があったのでしょうね・・・。
ただ、著者の指摘する近代日本の知識人における自我の欠如だとか、森鴎外が自我の「ない」ことの苦しみと不安を生涯のテーマとして書いた人だという分析は、さすがに鋭いと感嘆しました。「不機嫌の時代」だとか、日本人の多くは世は無常なので、明日はどうなるか分からないから、今日のところはちゃんとやろうと考えるのが日本人だとする点は、私にも共感できるところがありました。
それでも、JR東海の葛西って、評価できる人物だとは私には思えません。安全無視で金もうけ本位の日本をつくりあげた張本人の一人なのではないでしょうか。
JR九州も最高益だといいますが、新幹線の駅のホームに駅員を置かないで、乗客の自己責任ということで安全手抜きの体質は、いずれとんでもない大事故を起こしてしまうのではないかと私は心配しています。
上下2段組み340頁もある大作です。大変勉強になった本であることは間違いありません。その頭脳の鋭さに驚嘆しつつも、権力本位の発想が身にしみついている人間だなとつくづく思ったことでした。
(2017年3月刊。3000円+税)

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2017年5月25日

いのちの証言

ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 六草 いちか 、 出版  晶文社

ナチスの時代をドイツ国内で生きのびたユダヤ人、それを支えた日本人がいた、この二つをドイツに住む日本人女性が実例をあげて紹介した本です。
ベルリンには、かつて16万人以上のユダヤ人が暮らしていた。たとえば電話帳にユダヤ人特有の名前であるコーン姓の人は、1925年版では5頁、1300世帯がのっていた。ところが、1943年版には、わずか28世帯でしかなかった。
終戦まで生き残ったユダヤ人は、わずか6千人だった。そのうち2千人は、ドイツ人の妻や夫や親をもっていた人たち。ゲッペルスのユダヤ人一掃作戦に抗議したドイツ人女性たちによって救われた。残る4千人は、市民が個人的に隠し通した人たちだった。
そして、実は、ベルリンにあった在独日本大使館にもユダヤ人女性がいて、大使館が守っていたというのです。
ドイツ人の女性タイピスト2人は実はユダヤ人だ。あえて日本大使館は、彼女らを雇用していた。ドイツ人が日本大使館に雇われていたら安全だと承知して頼み込んできた。そういうドイツ人は、反ナチ、反ヒトラーの感情をもっていた。
近衛文麿の弟である近衛秀麿は、オーケストラの指揮者としてドイツでも活躍していた。その近藤秀麿は、ユダヤ人家族の少なくとも10家族の国外脱出を助けた。優秀、有能な人を輩出したユダヤ人をヒトラー・ドイツは抹殺しようとしていたわけですが、日本が何人も身を挺してその救出にあたっていたことを知ると、身体が震えるほど、うれしくなります。
ところが、最近、日本のなかで「日本人で良かった」とかいう変なポスターを貼り出す日本人がいるというので、呆れて反吐が出そうです。中国人や韓国人を見下して、日本民族は優秀だ。なんて、まるで馬鹿げた考えです。その心の狭さには開いた口がふさがりません。
弱者いじめをする人は、幼いころから親と周囲から大切に育てられてこなかった、愛情たっぷりのふりかけごはんを食べられなかった気の毒な人たちだという分析がありますが、私もそうだと思います。でも、気の毒な人たちだと哀れんでいるだけではすみません。彼らが害毒をたれ流すのは止める必要があります。
「みんな違ってみんないい」(金子みすず)
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」(日本国憲法前文)
日本国憲法って、ホント、格調高いですよね。それに比べて、自民党の改憲草案は信じがたいほど下劣です。
(2017年1月刊。1900円+税)

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2017年5月26日

東京を愛したスパイたち

日本史(戦前)

(霧山昴)
著者 アレクサンドル・クラーノフ 、 出版  藤原書店

戦前・戦後の東京を舞台として暗躍していたスパイの足跡をたどった本です。
私の知らないスパイが何人も出てきますが、やはり、なんといってもリヒャルト・ゾルゲに注目せざるをえません。ソ連のスパイでありながら、在日ドイツ大使館の中枢に入りこんでいた有能な人物です。日本軍が北進する可能性があるのかは、独ソ戦の勝敗もかかった大問題でした。それをゾルゲは、尾崎秀実から日本軍の北進なしと情報を受けとって、ソ連へ打電したのです。
ところが、スターリンは、ゾルゲ情報をあまり重視していなかったようです。独裁者は何でも疑うのですね。そして間違うのです・・・。まあ、それでも日本軍の南侵説を信じて、極東にいたソ連軍を対ドイツ戦へ振り向け、ようやくソ連は窮地を脱することができました。
日本政府のトップシークレットを入手していたゾルゲは「酒と女」に入り浸っていたようです。それがスパイをカムフラージュする目くらまし戦法だったのか、スパイの重責のストレスからきていたのか、単なる好きな逸脱だったのか、いろいろ説があります。ともかく、ゾルゲがスパイとして超一流の腕前を発揮したこと自体は間違いありません。
著者は、ゾルゲが出入りしていたビアホール店にまで足を運んでいます。そこで、ゾルゲは石井花子という日本人女性と親しくなったのです。
ゾルゲは、1943年4月に裁判が始まり、1944年1月に上告が棄却されて死刑が確定した。そして、この年の11月7日に絞首刑に処せられた。
ゾルゲは3年間の獄中で100冊以上の本を読んだ。
石井花子がゾルゲの死刑を知ったのは、戦後のこと。1945年11月、石井花子は雑司ヶ谷墓地にあったゾルゲの遺体を発見した。
身元不明の死体が投げ込まれる穴の中に棺があった。青色のぼろぼろの小片がゾルゲの上着の残留物であることを花子は見抜いた。そして骨のサイズからして、外国人の体格だった。大きな頭骨、近の歯冠・・・。
石井花子は、のちに彼女を訪れたソ連のジャーナリストに向かってこう言った。
「私はあなたがおいでになるまで20年も待ち続けました。ゾルゲのことを語るために、です」
花子は、ゾルゲの遺体に残っていた金の歯冠で婚約指輪をつくり、生涯それを指から離さなかった。石井花子が亡くなったのは200年7月4日、89歳だった。
ゾルゲのグループで逮捕されたのは35人だった。尾崎秀実がゾルゲと同じ日にゾルゲに先立って処刑されている。
ソ連とロシアのスパイは、こうやって明らかにされていますが、アメリカのCIAなどのスパイ行為はまったく報道されませんよね。スノーデンの世界だとは思うのですが、日本が果たしてアメリカとの関係で独立国と言えるのか、私はかなり疑問を感じています。
(2017年1月刊。3600円+税)

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2017年5月27日

果てなき旅(上)

日本史(明治)

(霧山昴)
著者 日向 康 、 出版  福音館

田中正造の伝記です。田中正造は足尾銅山鉱毒被害事件を根絶するために、現職の代議士でありながら天皇に直訴した義人として高い評価を得ています。
本書(上巻)は、田中正造34歳までの苦難の歩みを描いています。綿密な裏付け調査で読ませます。
上巻あとがきを読むと、田中正造については、まだ解明されていないところも多々あるようで、本筋からはずれたと著者が考えたところには触れていないようです。
田中正造の明治44年(1911年)8月28日の日記は日本魂(やまとだましい)を書いています。
「国家の半面は存するも、半面は空虚なり」としています。日露戦争(1904年)のあとの言葉として、重い意味があります。
田中正造は、日清戦争についても領土拡張のための戦いになるのには反対しました。
田中正造は、殺人事件の容疑者として逮捕され、拷問を受けました。もちろん、まだ監獄法もない当時のことです。ですから、よく生き延びたものです。
なぜ、無実の殺人事件の犯人とされたのか、田中正造は地方政治権力の内部抗争の犠牲者のようです。それにしても、ひどい拷問でしたから、よくぞ生き延びたものです。
田中正造伝の本書を、ながく「積ん読」状態にしていたのを掘り起こして読んだものです。
大佛次郎賞を受賞しています。
(1989年3月刊。1650円+税

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2017年5月28日

果てしなき山稜

人間

(霧山昴)
著者 志水 哲也 、 出版  山と渓谷社

いやあ、若いってすばらしいですね。若いときにしか出来ない、無謀な北海道の冬山を山スキーで単独踏破した山行記です。寒がりの私なんか思わず、身震いしてしまいました。
山頂へ向かう鞍部にいいテントサイトを見つける。地図ではテントなんて張れそうにないと思わせるヤセ尾根上でも、現地に行くと雪庇の陰に風の当らない絶好のテントサイトを見出すことがある。しかし、風を防ごうとすると雪が積もり、除雪を嫌うと、そこは風が吹く場所だというのが常だ。
夕方から、また雪。雪は、すべてのものを美しく真っ白に覆ってしまうから怖い。
苦しかったこと、怖かったこと、寂しかったこと、楽しかったこと、いろいろあったが、そんな体験のすべてが、やがてただ自分の書いた文字や写真を通してしか思い出せなくなってしまう。文字も写真も、所詮はつくりもの。どんなに努力しても、それをとどめようとしても、どうしたって実際のときめきや感動は、記憶の上に積もる膨大な時間の中で次第に見えなくなってしまう。
なだれにあって、ぼくは奇跡的に窒息死する前に止まった。生きていることすら認識できない茫然自失の状態だった。ぼくは、むせかえりつつ、雪をコホゴホ、ゲェーゲェーと吐き出し、登りはじめた。傾斜60度の、胸まで没する雪壁を、35キロの荷を背負って。その途中にも、斜面は何回となく雪崩れ、一度はザックと別になって再び流されたりもしたが、ぼくは死にもの狂いで登った。
雪崩で遭難し、3日間は生きながらえていた人の書きつづった遺書が後になって発見されたこともある。「死んだらおしまい」とは、誰だって言える。物理的には、たしかにそうだろう。だが、情熱をもって生きていない人間にそれを言う資格があるのか。情熱をもたないで生き続ける人間よりも、たとえひとときでも情熱をもち、死んでいった人間のほうが、きっと、ずっといい。
登山は年数ではない。中身だ。どれだけ情熱をもって山に対しかだと思う。人生だって、きっと同じことだ。
この本は、1994年、著者が28歳のときの北海道縦断の山スキー記行が文庫になったものです。今では50代になった著者は、富山県に住むプロの写真家です。文庫として復刊していただいたことに感謝します。
(2016年10月刊。950円+税)

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2017年5月29日

僕たちが何者でもなかった頃の話をしよう

人間

(霧山昴)
著者 山中 伸弥、羽生 善治ほか 、 出版  文春新書

実に面白い本です。私も大学生のころを思い出して、一気に読みすすめました。いやあ、若いって、いいですよね。若いときには、いろんなことをしてみて、いろいろ失敗してみると、それがあとになって生きてきます・・・。そのとき、どんなに苦しくても、必ず得られるものがあるのです。といっても、そのときには、ただ苦しいだけなんですが・・・。
各界の第一人者が、若いころの不安、焦燥、挫折を語っています。うひゃあ、この人でも、こんなことがあったのかと驚きます。みなさん、苦労知らずに栄冠を勝ちとったというのではないのですね・・・。
ある何かが起きたときに、心底から不思議と思えるとか、心の底から驚くとかっていうのは、研究者になるための条件ではないか。予想外のことに我を忘れて興奮できるかどうか。それが研究者には大切なこと。
ノーベル賞をとった山中さんは、毎月アメリカに行っている。それは、実際に行ってみないと分からないことが多いから。アメリカの研究の中に行くと、日本にいる残りの時間よりも、はるかに多くの情報が入ってくる。
山中さんはアメリカにも研究室をもっているそうです。でも、毎月のアメリカ行いって、くたびれるでしょうね・・・。
挑戦をしていくときに大切なのは、ミスをしないこと以上に、ミスをしたあと、ミスを重ねて傷を深くしない。挽回できない状況にしないこと。
20歳前後の5年間というのは、何にも代えられない宝物みたいな時間だ。20代の失敗は、宝物であり、財産だ。
羽生善治氏は、人間は誰でもミスをするものだ、動揺して、冷静さや客観性、中立的な視点を失ってしまうとミスを重ねてしまうと語っています。
それにしても、次の一手を打つ前に4時間もじっと考え込むというのは、すごいことですね。
京都大学の山極寿一総長の入学式での祝辞は素晴らしいものでした。さすが京大です。「おもろいことやる大学にしたい」というのですが、大先輩は、「関西弁でおもろいいうのはな、もうひとつ言葉が続くんや。ほな、やってみなはれ」
うん、いい言葉ですね。
山極さんは、アフリカに行って、ゴリラの家族(群れ)のなかに入りこみます。5年から10年かかるそうです。
ゴリラは相手の顔をのぞきこむ。それは、ゴリラ流の挨拶。ニホンザルと違って、ゴリラは相手を見ることが威嚇ではない。挨拶だったり、仲直りのしるしだったり、友好的な合図を意味する。
ゴリラのドラミング(胸を両手で叩く)は、戦いの布告ではなく、興奮や好奇心の表れだったり、遊びの誘いだったり、いろんな意味をもつ重要なコミュニケーションであることが分かってきた。
ゴリラは、相手の言ってることが分かっても、その言いなりにはしたくない。相手の下に立ちたくないからだ。それがゴリラの感性。
ゴリラが6歳のときに親しくなった山極さんが、26年後、同じゴリラに会ったときの反応は信じられません。山極さんがゴリラ語で挨拶するとタイタス(ゴリラの名前です)も、それに答えた。
タイタスの目は好奇心に燃えているときのように金色に輝き、顔つきは少年のようになり、目がくりくりとしてきた。そして、土の上に仰向けに寝っ転がった。山極さんに向かって、大口を開けてゲタゲタ笑い、まったく子どものころの彼に戻っていた。
いやあ、すごいですね。見てみたかったですね、この場面を・・・。
心の震えるような、とてもいい本です。一人でも多くの若い人に読んでもらいたいと思いました。
(2017年2月刊。700円+税)

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2017年5月30日

忍者の末裔

日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 高尾 善希 、 出版  角川書店

「江戸城に勤めた伊賀者たち」というサブタイトルがついた本です。甲賀・伊賀というと、忍者集団が活躍したと連想しますが、平和な江戸時代には、あまり忍者が活躍できたとも思えません。
この本によると、本能寺の変のあと徳川家康が伊賀忍者の助けを借りてなんとか山越して江戸に帰りついたというのは、必ずしも史実ではないということです。もし、そうだったとしたら、もう少し重用されていただろうというのです。なるほど、と思いました。
この本は、伊賀忍者の子孫を名乗る人の家にあった古文書を解読した結果をもとにしていますので、まさしく新発見史料によって江戸時代の下級武士の生活が判明し、紹介されています。
伊賀者の家禄は高30俵二人扶持が多かった。これは、現代の年収でみると100万円から200万円までとなる。これでは、生活は成り立たない。松下家は、さらに少なく、家禄はわずか高20俵2斗6升2合勺、二人半扶持でしかなかった。
徳川時代の泰平の世においては、伊賀者は忍者としての特殊な役割はあまり要求されていなかった。
徳川幕府の「伊賀者」は単に職名にすぎないので、伊賀国出身の家系をもたないものも伊賀者に属することがあった。「紀州系伊賀者」は、やがて分派した御庭番となり、幕府の諜報活動に従事するようになった。
吉宗将軍は、全国の薬草の採集のため「伊賀者」をつかって全国をまわらせていた。
旗本と御家人とでは、家格が大きく異なっていた。御目見以上の旗本であれば殿様そして奥様と呼ばれたのに対して、御家人は、どんなに裕福であっても、殿様とも奥様とも呼ばれず、旦那様、御新造様と呼んだ。
古文書に書かれている文字は、「御家流」のくずし字であることがほとんど。私も、このくずし字を読めたらどんなにかいいことかと思いますが、語学はフランス語だけで手一杯なので、古文のくずし字にまでは残念ながら手がまわりません。
江戸時代の下級武士の生活が、戦災にあわず残っていた家伝の古文書にもとづいて明らかになったというのです。すばらしいことです。しかも、最近の発掘調査で、胞衣皿が見つかったといいます。恐るべき偶然です。
(2017年1月刊。1700円+税)
日曜日の午後、ジャガイモを掘りあげました。地上部分の茎が茶色になって枯れはじめていました。あれっ、どうしたんだろう。6月になったら掘りあげようと思っているのに、今年は失敗してしまったのかな・・・。心配して、そっと一本の茎を引っぱってみました。すると、いい形をしたジャガイモが姿をあらわしたのです。そこで、スコップをもって、掘り下げてみました。すると、次々に見事なジャガイモたちが出てくるわ、出てくるわ・・・。メイクイーンと男爵とキタアカリの3種類です。3列を1列ずつ植込んでいましたが、その全部から収穫できました。早速、夕食のとき、ゆでてバターをつけていただきました。とても味が良く、大満足でした。
ジャガイモを全部掘りあげたあとは、大きめの穴を掘って、コンポストに入れておいた枯れ枝などを投げ込み、生ゴミも投下しました。この作業の途中、小ヘビの死骸を見つけてしまいました。ハエがたかっていたのです。どうして死んだのか不思議です。長さは15センチほど、黒と白のだんだら縞がありました。まさかマムシじゃないでしょうね。アオダイショウではないでしょう。我が家の庭には昔からヘビが棲みついているのです。小ヘビの死骸も生ごみと一緒に埋めてやりました。
初夏の到来を告げる黄色いカンナの花が咲いているのに気がつきました。
夕食後、うす暗くなってホタルを見に出かけました。我が家から歩いて5分のところに「ホタルの里」があります。そこにたどり着く前から小川の周囲にホタルが明滅しています。道端を飛ぶホタルを両手で包み込みんでみました。重さは感じません。ふっと息を吹きかけると、慌てて飛んでいきます。たくさんのホタルの飛びかう様子は、毎年見ていますが、いつもたちまち童心に戻ります。幽玄境に遊ぶ境地です。といっても、実は道の舗装部分の段差につまづいて、危く小川に飛び込んでしまうところでした。おたがい暗い夜道と甘い言葉には気をつけましょうね。たちまち現実に引き戻されてしまいました。

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2017年5月31日

108年の幸せな孤独

アメリカ

(霧山昴)
著者 中野 健太 、 出版 KADOKAWA

前から気になっていた、この本を読んだのは、富山の鍛冶富夫弁護士のキューバ旅行記を読んだ直後、まさにその日でした。まったくの偶然の一致なのですが、そんなことも世の中にはあるのですよね・・・。
私は残念ながらキューバには行っていませんし、遠すぎるし、フランス語圏でもないので、恐らく行くことはないと思うのですが、カストロ、ゲバラそしてマルケル・ムーア監督の映画『シッコ』をみていますので、あっ、もうひとつ、例のキューバ危機ですね、キューバには強い関心をもっています。
この本は、キューバへの移民一世の島津三一郎氏が108歳の誕生日を迎えるまでをたどっています。島津氏は、やがて亡くなられましたが、キューバへの日本人移民の実際を知るうえで、貴重な生き証人でした。表紙の顔写真をみると、いかにも誇り高い男性だったようです。
キューバは人口1100万人。そこに108歳の日本生まれの男性が暮らしていた。20歳のとき、農業移民としてキューバに渡り、以来、日本に帰ったことは一度もない。
キューバ移民のあいだでは、1万ドルを日本へもち帰ることが成功の目安とされていた。
しかし、それを達成したのは、128人の日本人移民のうち1割もいなかった。
キューバを訪問する外国人は年間350万人。ハバナの民泊料金は、安くても1ヶ月に6万円ほどかかる。
島津氏が入居している老人ホームの入居費は月に200円。月に1000円の年金が支給されるので、生活費のすべてが年金でまかなえる。島津氏は108歳まで長生きできたのは、お金をもっていないからだと胸をはって説明する。
「お金のために争いが起こり、騙したり、やましくなったり、不安になったり、そして死んでしまう。長生きできない」
キューバでは、お金の心配をすることなく生きられる。人を騙さず、自分を騙さずに生きてきたと島津氏は胸をはる。
第二次大戦中、350人もの日系人が1943年2月に刑務所に強制収容された。そして1946年1月から3月にかけて釈放された。その厳しい差別的扱いを日系人一世は子どもたちに話すことはなかった。話せば、国(キューバ)を批判することになるからだ・・・。
キューバの老人ホームは要介護度によって入居者を選択していない。
キューバの老人ホームは、すべて国が運営していて、介護ビジネスは存在しない。老人ホームには専属医師が常駐している。老人ホームでは、3度の食事のほか、おやつも一日3回出る。島津は、全部食べる。食欲旺盛だ。
キューバには7万6506人の医師がいる。人口1000人あたりで6.7人。日本は2.3人、アメリカ2.5人と比べて、2倍以上。医師の4割の3万人がホームドクターとして活動している。
キューバでは、医師も製薬会社も民間ではない。つまり、医療で金もうけを競うライバルは存在しない。人工透析治療によって利益を得る人も会社もいない。
キューバは、国の財政難が深刻になっていくなかで、それまで以上に地区住民の予防医療に力を入れた。その結果、患者の重症化を未然に防ぎ、結果として医療財政の全体を抑制することができた。新生児や乳幼児の死亡率はアメリカより低い。
フィデル・カストロは、どんなに国内経済が疲弊しても、国民の命を守ることは国の最大の使命であると考えた。
これこそ、ホンモノの政治ですよね。老後を個人の貯えではなく、国が安心して暮らせるように保障するキューバの考え方を日本でも一刻も早く取りいれるべきだと痛感しました。
いい本です。元気が出てきます。
(2017年1月刊。1700円+税)
 フランス語検定試験(仏検)が近づいてきましたので、過去問にあたり始めました。朝と夜ねる前に1年分ずつやります。仏検一級を受けはじめたのは、なんと1995年からです。ですから、もう20年以上になります。3級から受験していますので、恐らく30年になると思います。
 肝心の成績ですが、準一級には合格していますが、一級は歯が立ちません。前置詞も動詞と名詞の書き替え、成句どれをとっても私にとっては超難問ばかり。あきらめることなく挑戦しているだけが取り柄の私です。

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