弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2022年1月 1日

コンビニからアジアを覗(のぞ)く

社会


(霧山昴)
著者 佐藤 寛 ・ アジアコンビニ研究会 、 出版 日本評論社

日本には5万店をこえるコンビニがある。これは郵便局(2万5000局)の倍。
たしかに、町の至るところにコンビニがあります。不意にトイレに行きたくなったときにも、コンビニを見つけたらホッとします。でも、コンビニが閉店した跡を見ることも多いですよね。もちろん看板も何もかも残っていないので、どのコンビニチェーンかまでは分かりませんが、コンビニの栄枯盛衰も激しいと実感しています。ちなみにマクドナルドなどのファスト・フード店も全国に7000店近くあるそうです。
今、日本のコンビニはアジア各国に進出している。
日系コンビニには共通点がある。チェーンが異なっていても、レジカウンターの配置、商品の店内での位置が極度に標準化されていて、どの店でも似たような商品は似たような場所に並べられている。コンビニでは、チェーンをこえて「標準化」が徹底している。これは、消費者にとって、予測可能性の高さ、それは慣れ親しんだ空間という安心感を与える。
日系コンビニは、売り場面積100平方メートルほどの標準的な店舗で2800~3000品目を扱う。
日本型コンビニはSQC、良質な店員の接客態度(S)、商品の品質の高さ(Q)、店舗の清潔さ(C)を密接不可分のものとしている。
また、POS(販売時点情報管理)は、いつ、どのような商品が、どのような価格で、どれだけ売れたかを経営者が把握するためのシステム。このシステムを最大限に活用して、販売と発注を連携させ、フランチャイズの本部が個々の店舗を経営指導するのに役立てている。
日本では、たとえばセブンは、98%がFC(フランチャイズ)加盟店であり、直営店は2%のみ。そして、商品の製造・物流は既存のメーカーや卸売業者を利用した。また、米飯・調理パン・惣菜といった、日持ちのしない調理ずみ食品を「戦略的商品群」として重視している。これらは高い粗利益率をもたらしている。
インドネシアではセブンは2017年に116店舗を閉鎖したように苦戦している。インドネシアで日系コンビニがうまくいかなかった理由の一つが、ジャカルタの交通渋滞が激しすぎるから。
最近、力を入れているのはベトナム市場。
日系コンビニは、カンボジア、ラオス、ミャンマーには進出していない。
ベトナムにファミリーマートとミニストップが先行している。
ローソンは中国で2000年代に苦戦した。
ファミリーマートは2014年に韓国から撤退した。
タイでは、買い物に行くことを「パイ・セブン」と言うほどになっている。タイのセブンイレブンは1万店をこえている。タイのセブンイレブンは全店舗のうちの14%以上の1574店舗がガソリンスタンド併設型。タイのセブンイレブンは、屋台文化と共存している。
ちなみにセブンイレブンは全世界に6万8千店舗近い(2019年2月末)が、そのうち81%はアジアにある。
台湾では、身近な存在であるコンビニをいかして、「幸せを守るステーション」という社会政策がとられている(新北市)。これは、食事をとれない18歳以下の子どもを発見したら、コンビニで無料の食事が提供されるというシステム。新北市は、食事をとれない子どもを発見したら、必要なサポートを行う。コンビニが食事を提供するときの費用は新北市の負担ではなく、寄付によってまかなわれている。
これは、日本の「子ども食堂」のようなものです。いいですね...。
中国市場について、ファミリーマートは台湾企業のもつノウハウに依拠している。
中国のコンビニでは、中国人の口にある日本料理というのではなく、「ホンモノ」の日本の味を楽しみたいというニーズが強い。中国風にアレンジされた「ニセモノ」は敬遠されるようになった。
アジア各国における日系コンビニの実際と課題とが写真つきで紹介されている面白い本です。
(2021年6月刊。税込2640円)

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2022年1月 2日

菌の声を聴け

人間


(霧山昴)
著者 渡辺 格・麻里子 、 出版 ミシマ社

鳥取県の山奥に智頭(ちづ)町があり、そこで「タルマーリー」という店を経営している夫婦の苦闘が語られています。店は保育園を改造した建物で、パンとビールをつくっています。森に囲まれたカラフルな建物で、いかにも楽しそうです。とても美味しそうなパンの写真が載っています。近ければ行ってみたい店です。
パンもビールも、菌による発酵でできる発酵食品。著者は、31歳から東京と横浜の4つのパン屋で4年半修行した。
「タルマーリー」のパンづくりはとても非効率的だし、一つひとつの判断基準もあいまいで、失敗は日常茶飯事。「タルマーリー」では、週に5日、パンを焼く。その5日分のパン生地は月曜日に、すべてまとめてミキシングして作り、焼く日ごとに生地を取り分けて、冷蔵庫に寝かしておく。焼く前日に冷蔵庫から取り出し、ホイロで発酵させて焼く。ビール酵母をつかうと、以前よりも柔らかく、食べやすいパンができた。ビールのおかげで、圧倒的に楽になった。
パンづくりで、とくに気をつかうのが酵母の調整。パン屋は毎日、この緊張感ある作業をしないといけないので、とても疲れる。伝統的なパンの製法は、手間暇かかるし、重労働だ。なので、いつも疲れている。
「タルマーリー」では、グルテンが多くない岡山産と九州産の小麦だけでパンをつくっている。グルテンが多いとパンは膨らみやすいが、歯ごたえが強くなる。グルテンの弱い小麦をつかうことで、結果的に「さくっと歯切れのよいパン」という評価を得た。
種まき小麦、そしてひきたての小麦粉をつかう。
「タルマーリー」って何だろうな...、と思っていると、この夫婦が「イタル」と「マリコ」だということに気がつきました。なーんだ、自分の名前をつけているんだなと納得しました。
ともかく、自分の思うどおりに自分の人生を生きていこう、そして、子どもたちには大自然の恵み触れさせようという意欲的な生き方に溢れています。なかなか出来ることではありませんよね...。
(2021年5月刊。税込1980円)

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2022年1月 3日

刀伊の入寇

日本史(平安)


(霧山昴)
著者 関 幸彦 、 出版 中公新書

モンゴル軍の襲来(元寇)は鎌倉時代、北条執権のころのことですが、平安時代、藤原道長が栄華の絶頂にあった1019年、対馬をはじめとして九州北部(福岡から佐賀)が、突如として外敵に襲われた。中国東北部の女真族が日本に侵攻した。
この女真族(刀伊と呼ばれた)の入寇の状況を詳しく紹介した新書です。
それこそ、『源氏物語』の紫式部や『枕草子』の清(せい)少納言のころの出来事です。来襲した敵が残した物に書かれていた文字が女真文字であると判明したのは、なんと明治になってからのことだというのに驚きました。
「刀伊」とは、いったい何かというと、女真族について「東夷」というのを「刀伊」としたということです。
芥川龍之介の小説『芋粥(いもがゆ)』は、『今昔物語』を元ネタにしているが、この『今昔物語』に登場する人物のモデルである藤原利仁は、鎮守府将軍そして征新羅将軍になった武人だ。ところが、『今昔物語』によると、利仁将軍は新羅征伐に向かった途中、新羅側の仏法の威下のもとで敗死する。
伊攻した女真族は、九州北部から大勢の日本人の捕虜として連れ去った。死者364人、捕虜となったのが1289人、牛馬の被害が380頭。捕虜となった者が死傷者の3倍をこえているのは、大陸での奴婢(ぬひ)市場へ供給していたから...。
初めは敗退していた日本軍は朝廷からの督励とは別に、なんとか最新式の兵器によって反撃に転じることができるようになった。
九州に上陸した女伊族は、その後、朝鮮半島の元山沖で高麗(こうらい)水軍によって壊滅打撃を受けた。
朝鮮半島の内情の複雑さに乗じて朝廷内にはいろいろ議論があったようです。ノド元過ぎれば熱さを忘れるということです。
鎌倉時代の元寇の100年も前に、同じような異民族が来週した事実は知っていましたが、想像以上に深刻な打撃を受けていたことを初めて知りました。
(2021年8月刊。税込880円)

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2022年1月 4日

女が学者になるとき

インドネシア


(霧山昴)
著者 倉沢 愛子 、 出版 岩波現代文庫

スカルノ大統領の第三夫人となったデヴィ夫人は、日本がインドネシアに対する戦争被害賠償金の関係で誕生した。つまり賠償資金でインドネシアですすめられているプロジェクトの利権をめぐって日本企業が激しい受注競争を展開した。そのひとつ、東日貿易という小さな商社がスカルノに取り入ろうとして紹介した日本女性がデヴィ夫人だった。彼女は東日貿易のタイピストという身分でインドネシアに渡った。そして、日陰の愛人生活を経て、ついに正式な第三夫人の座をモノにしたのだ。なるほど、そういうことだったんですか...。
著者は東大闘争のとき全共闘シンパとして行動したとのこと。今なお、東大闘争の主役を「もちろん全共闘派だ」と言ってはばからないところは本当に残念です。民青派に対しては「不毛な争いを全共闘派に対して挑んでいた」と非難していて、全共闘の暴力賛美について反省するところがまったくありません。そして、全共闘が暴力行使とともに唱えていた「東大(大学)解体」にもかかわらず、自らが大学教授になったのです。私のクラスにも東大解体を叫んでいたのに東大教授になった人がいます。「転向した」などという決めつけは決してしませんが、せめて全共闘の本質だった暴力賛美だけは反省してほしいものだと願います。
というわけで、この本の冒頭の記述は、ほとんど同世代の私には強烈な違和感がありましたが、それを乗り越えると、あとは、ひたすら著者の行動力に驚嘆するばかりでした。
著者は学生結婚したあと、1972年春に夫はサイゴン(ベトナム)へ、本人はジャカルタ(インドネシア)へ渡ったのでした。私が司法修習生になったのと同じ時期です。そして、1975年4月にサイゴン陥落、ベトナム戦争終結までの3年間をベトナムとインドネシアを行ったり来たりして暮らしていたのでした。いやあ、まさしく激動の時代に、その現場にいたわけですね。私が弁護士になって2年目の春、メーデーの会場でサイゴン陥落のニュースを聞いて、みんなで喜びました。
著者はジャカルタでは寮に入って生活した。お昼ご飯はインドネシア人にとって一日でいちばんのご馳走。夕食ではないのですね...。夜の食事は、昼の残りを食べるだけ。
350年間にわたるオランダの植民地支配は欧米の食文化を庶民にしみ込ませてはいなかった。いやあ、これも驚きですね。
この寮には、テレビも洗濯機も冷蔵庫も、もちろんクーラーもなかった。いやはや、なんということでしょう...。
1623年に、バタヴィアには159人の日本人が居住していた。日本人が鎖国とキリスト教禁止で日本に戻れなかったのです。
第二次世界大戦中、日本軍は2個師団5万人の兵力をインドネシアに投入したが、太平洋方面の戦場へどんどん放出させていって、1943年には1万人となった。それで、ジャワ郷土防衛義勇軍が日本軍の命令によってジャワ全土で編成された。「ジャワのためのジャワ人の軍隊」というもの。義勇軍は最終的にジャワ全土で66個大団(大隊)、3万3千人を擁する兵団となった。
著者は、この義勇軍に参加していた元将兵に会って話を聞いていったのです。もちろんインドネシア語で...。のちに大統領になったスハルトも、青年のとき義勇団に入り、小団長になり、中団長にまで昇格したのでした。
1969年代には、国軍のリーダーの大多数は義勇軍の出身者で占められていた。しかも、軍人だけでなく、政界や財界の実力者にもなっていた。
日本占領時の「ロームシャ(労務者)」という言葉が残っていた。海外に派遣されたジャワ人労働者のこと。「ハンチョ」は班長のこと。
1943年から1944年にかけて、郡長や村長などの要職にあるものが次々にケンペイタイ(憲兵隊)に逮捕された。県下4郡のすべての郡長、4ヶ村中3ヶ村の村長、そして区長など合計37人が逮捕され、ついには県長自身に及んだ。日本軍が大量虐殺したのだ。
日本側の歴史書には、もちろんそんな事実は書かれていない。著者が現地でつかんだことだった。
著者は風呂もトイレもない民家に泊まりこんで調査していったのですから、本当に頭が下がります。たいした根性です。私には、とてもできません。さらに、東京に住む前、インドネシアで日本人と再婚して2人の子どもを育てたというのですから、頭が下がるどころではありません。その勇気というか、ガンバリにはひたすら拍手するしかありません。
1998年の本の増補版です。いやあ、女性が学者になったら、こんなに大変だし、活躍できるんだということを改めて思い知りました。
(2021年8月刊。税込1694円)

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2022年1月 5日

彭明敏

台湾


(霧山昴)
著者 近藤 伸二 、 出版 白水社

蒋介石と闘った台湾人というサブタイトルがついています。
失礼ながら、私は、彭明敏という人を知りませんでした。台湾政府のトップになった李登輝と同じ年に生まれ、彭は東京帝国大学、李は京都帝国大学に学び、いずれも日本敗戦後に台湾に戻って台湾大学に編入します。
彭は国際的に名の知れた法学者となったが、李が国民党政権の内部に入って出世し、ついにトップにのぼりつめたのとは対照的に、彭のほうは国民党の独裁体制を厳しく批判し、ついに反乱罪容疑で逮捕された。特赦を受けて自宅に戻ってからも軟禁生活が続いたが、厳重な監視の目をかいくぐって1970年に海外へ脱出し、長くアメリカで台湾の民主化を独立運動にうち込んだ。
そして、ようやく1992年に、22年ぶりに台湾に帰国し、4年後、初めての総統直接選挙で民進党の候補者として国民党現職の李登輝とたたかい、一敗地にまみれた。
この本は、彭への膨大なインタビューをもとにしたもので、1970年の海外脱出の実情が語られていて興味をひきます。
自宅軟禁のとき、24時間体制の監視は三交代制だったが、深夜から早朝にかけては監視員が現場を離れることが多かった。共同通信の横堀洋一記者は、特務にチェックされることなく彭宅に入り込みインタビューした。脱出計画の資金200万円は、東京で病院を開設していた台湾人医師がカンパした。
当時のパスポートは、顔写真が直接印画されているものではなく、紙の写真を張りつけて上から割印を押すものなので、割印さえ偽造できれば、写真を貼り変えて完成する。彭の体型に近い日本人Aを見つけ、彭の変装した顔写真に似せたパスポートを取得する。
日本人A役の日本人を探すのに難航するかと心配していると、ちょうど、南米から帰国した日本人(阿部賢一)が事情を知って引き受けてくれた。海外旅行に慣れていて、勇気があって口が堅い人物にぴったりだった。
自宅にいる彭は、特務の目をくらますため、ひげを伸ばし放題にしたり、坊主頭にしたりと、次々に外見を変えた。
また、1ヶ月間は、日中は外出せず、家にこもった。
どうやって日本人Aが日本からもちこんだパスポートを彭に渡すのか、連絡のための暗号も12種類も用意した。
アメリカのアグニュー副大統領が台湾に来る日程にあわせたので、警備はそちらに関心が向いていた。左腕がない彭は、三角巾で左腕をつっているように見せかけた。
そして、香港行きの飛行機についに乗り込むことに成功した。失敗したときには闇に葬られる危険があったので、目撃者も同じ飛行機に乗っていた。
成功率は50%。失敗したら生命はないと彭は覚悟していた。
結局、彭の向かった先はスウェーデンでした。ベトナム反戦運動のなかで「べ平連」の人たちが脱走したアメリカ兵を贈り届けたのもスウェーデンでしたよね。
台湾当局は、彭が脱走してから3週間もそれを知らずに自宅の監視を続けていた。彭の脱出成功は国際的にビッグニュースとなり、台湾の国民政権は面目を失ってしまった。
彭の脱出については、アメリカのCIAが関与したという説が有力だったようですが、実際にはCIAの関与はなく、日本人をふくめてごく少数の有志による計画と実行だったのです。すごいことです。
それでも、彭は22年間のアメリカ滞在中、台湾当局によって暗殺される心配をしていたそうです。もちろん、これは現実的な危険でした。
台湾民主化運動において彭の果たした大きな役割の紹介は、申し訳ありませんが、割愛します。
(2021年5月刊。税込2750円)

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2022年1月 6日

室町は今日もハードボイルド

日本史(室町)


(霧山昴)
著者 清水 克行 、 出版 新潮社

「日本人は温和」なんて、大嘘。これが本のオビに書かれています。むしろ、日本人は昔から好戦民族だったのです。
戦後76年間、一度も日本人が戦争していないなんて、過去の歴史からすると、泰平の江戸時代に匹敵するほどの大事件なのです。
室町時代の日本なんて、それこそ武力=暴力をもっている人間がまかり通っていたのでした。
「士農工商」は、中国の古典に由来する言葉で、あらゆる職業の人とか全国民という意味。その順番には、何の上下関係もない。江戸幕府が成立する前からある言葉であって、江戸幕府の政策スローガンというものでもない。私も、このことはごく最近になって知りました。
鎌倉時代150年間のうちに、年号は、なんと48回も変わった。ほぼ3年に1回の割合で改元された。甲子園球場の「甲子」は、1924年に出来たということ。
天皇の在位と年号を一体化させた近代(明治以降)は、決して一般的なものではない。年号には、「時間のものさし」としては期待されず、むしろ世の中がリセットされたことを世間に示す「厄払い」の意味でしかなかった。
世の中、知らないことが多いものです。とりわけ、明治以降の日本を江戸時代より前と同じものだと考えると、まったく間違ってしまいます。その勘違いをしている最大集団の代表が自民党の国会議員団です。江戸時代まで、女性は嫁に入っても自分の姓を変えることはなく、死んだあとに入る墓も実家のそれだったのです。知らないということは恐ろしいことです。
(2021年7月刊。税込1540円)

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2022年1月 7日

ダチョウはアホだが役に立つ

生物(鳥)


(霧山昴)
著者 塚本 康浩 、 出版 幻冬舎

ダチョウとつきあって24年。ダチョウ博士は、今や大学(京都府立大学)の学長。そんな著者による面白くて、ためになるダチョウの話です。いやあ、すごい鳥なんですね...。
ダチョウという鳥はびっくりするほどのアホ。重傷を負っても気にしないくらい鈍感(回復するのが早い)。自分の家族は一瞬で分からなくなる。どれだけ世話しても人間の顔は覚えられない。おまけに気が荒くて、原因不明でキレてしまう。ダチョウの行動には規則性がないという規則がある。
ところが、そんなダチョウが人間には大変役に立つ。ダチョウには並外れた免疫力があり、花粉症やアトピー、そしてインフルエンザからコロナまで、いろんな感染症から人を守ってくれる。
ダチョウの体重はメスが120キロ、オスは160キロ。身長は2メートル50センチ。大きいダチョウだと体重200キロ、身長3メートルにもなる。
走る速さは時速60キロ、しかも、30分間も走ることができる。
ダチョウは瞬発力と持久力を両方もっている。筋肉が特殊で、血液中のへもグラビンの量が多い。ダチョウは1.5メートルの高さの柵も飛びこえる。足のキック力はひと蹴り4トンの力。
ダチョウは草食だが、ときにヘビの死骸や昆虫も食べる。土を食べてミネラル類を補給している。もやしを4キロ食べても、出すウンチは、わずか200グラム。ほとんど消化吸収してしまう。
視力は良い。眼球の直径は5センチで、重さ60グラム。10キロ先まで見える。40メートル先のアリも識別する。ところが脳のほうは目玉よりも小さく、なんと40グラムしかない。シワはほとんどなく、ツルツル。なので、アホなのでしょう。自分の家族まで見分けられないというのですから、あきれてしまいます。
ダチョウの目ん玉、そして涙は甘い。ムコ多糖がとても多いから。
ダチョウの卵は、重さが1,5キロから2キロもあり、殻の厚さは3~4ミリ。硬くて頑丈。
健康なメスは、春から秋にかけての半年で100個は生む。
コロナ禍のもと、ダチョウ抗体製品の需要が増えて、9000万枚のマスクが売れ、今や700億円もの経済効果がある。ダチョウの卵から取り出す抗体は質が良い。卵1個から抗体が4グラムとれ、これで8万枚のマスクがつくれる。注射してわずか2週間で卵に抗体が出きる。
薄毛に悩む人の6割にこのダチョウの抗体は効果がある。私にも効くのでしょうか...。
ダチョウ抗体は、経口で服用しても、胃酸でやられることはなく、腸まで届く。
いま、日本で500羽、アメリカのアリゾナに3000羽のダチョウが飼われている。
今や大学の学長をしている著者が小学生のころ不登校児だったというのにも驚きました。学校に行かず、鳥の世話をし、解剖までしていたそうです。よほど心の広い両親だったのでしょう...。子ども時代は不登校で、まわりからアホと思われていた少年が、こんな立派な研究者になっているなんて、世の中は本当に不思議なことだらけですよね...。悩める人には必読の本ですよ。
(2021年7月刊。税込1540円)

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2022年1月 8日

恵比寿屋喜兵衛手控え

江戸


(霧山昴)
著者 佐藤 雅美 、 出版 講談社文庫

1994年の第110回直木賞受賞作です。27年も前の本を今ごろ読んだ理由(わけ)は、先ごろ江戸時代の公事師(くじし)は江戸の訴訟で重要な役割を果たしていたことを各種文献によって私が論証したのを読んだ弁護士仲間から、この本を紹介されたからです。うかつでした。公事師の活動状況が、こんなに見事に小説になっているなんて、まったく知りませんでした。
公事師は刑事裁判にも関わりますが、基本は民事裁判です。といっても、この小説もそうですが、江戸時代の裁判は民事と刑事が混然一体となっているところがありました。もちろん奉行所はどちらも扱えます。
裁判は、手付金返還請求の被告とされた人の弟が公事宿(くじやど)に駆け込んでくるところから始まります。なので、純然たる民事訴訟のはずで、奉行所は証文を当事者双方に出させて、口頭で双方を審問します。公事宿の主人(公事師)はその場に立会していますが、代理人ではありませんので、代弁はしません。
被告として受けて立ち、裁判を争いたいという「六助」に宿の主人は、裁判にはお金がかかることをじっくり説明した。ところが、「六助」は、それでもいいと言いはった。
「御白州(おしらす。裁判所)では、間違っても小賢(こざか)しく振る舞ってはいけない。公事訴訟にはまったくもって詳しくない。見てのとおりの田舎者。と、むしろ愚直をよそおうのがいい。賢くはないが、頑固一徹者、という印象を与えられたら、なおいい」
これって、今の裁判にも十分通用する注意です。
公事買(くじかい)といって、買ってまで公事訴訟をおこす、公事になれた家主が江戸には少なくなかった。
そうなんですね、昔から日本人は裁判が好きだったんです...。
金公事(かねくじ。金銭貸借を扱う裁判)は、役人が当事者を脅かしたりすかしたりしているうちに、なんとなく内済(ないさい。和解・示談)の方向へ話がすすんでいく。そして、金銭支払いのときは、無利息・長期月賦の「切金(きりがね)」を利用することで決着が図られることが少なくなかった。これを歓迎する人も、もちろんいるが、庶民には不評だった。
この本では、旅人宿と百姓宿とがニラミあっていて、お互いに先方の縄張りに浸食しようとして、しのぎを削っている様子も描かれています。
あと、この本が読ませるのは、公事宿の主人が、自らの妻が病床にいるあいだに、妾を囲って子を産ませ、そのことを気に病んでいる、といった心理描写も出てくるところにあります。
まことに幅の広い、そして奥の深い人間観察をふくむ、公事師が大活躍する人情話でもある文庫本です。あなたもぜひ、ご一読ください。
(2019年9月刊。税込713円)

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2022年1月 9日

シルクロードとローマ帝国の興亡

世界史(ローマ)


(霧山昴)
著者 井上 文則 、 出版 文春新書

ローマ帝国にとって、シルクロード交易のメインルートは陸路ではなく、海路だった。海のシルクロードが活躍していた。
いやあ、これには驚きました。もちろん陸路のシルクロードがあったことは間違いありません。しかし、大規模交易は陸路ではなく、海路だったというのです。ローマからインドへ行くのにも、陸路ではなく海路のほうが大規模交易に向いていた。なるほど、そうなんですね...。
交易品のリスト。布類とガラス器、金属、金属加工品、ローマの貨幣(金・銀・銅)、ブドー酒、オリーブ油など...。ガラス器はローマ帝国の特産品だった。ブドー(葡萄)酒もローマ帝国を代表する輸出品だった。当時の葡萄酒は今のワインとはかなり異なっていて、アルコール度は高く、たいてい水で割って飲み、蜂蜜や香料を加えていた。
地中海で揺れていた珊瑚も輸出品だった。乳香は、樹木の樹液の塊で、半透明の乳白色をしていた。加熱すると、香気を発する薬種としても用いられた。没薬は、同じく樹木の樹液が固まったもので、色は黄赤褐色。絹はぜいたくの象徴であり、価格は非常に高かった。
ローマ帝国は交易について、25%もの高額の関税をかけていたので、交易が盛んになればなるほど、関税収入が増え、帝国はもうかる仕組みになっていた。
ローマ帝国の国家予算は、軍事費が6~7億セステルティウスだったので、関税収入が4億セステルティウスだと、軍事費の大半がまかなえたことになる。
ローマ帝国の繁栄とは、都市の繁栄にほかならなかった。そして、都市の自治に関わる役職は無給でしかなかった。
ローマ帝国は、紅海に艦隊も配備していた。
ローマのシルクロード交易は、1世紀の後半にピークを達し、五賢帝時代の始まる5世紀末には早くも衰退しはじめていた。
中国人がローマ帝国について、「大秦国」と呼んだのは、「多くの中国人にとって、山の向こうに自分たちと同じような世界があると信じていたが、そのローマ人は背が高いと聞いて、背の高い自分たちと同じ中国人の国」という意味で「大秦国」と呼んでいた。
このころ、西方は東方より貧しかった。東方の諸地域は古くから文明が栄えていた。
ホント、世の中は知らないことだらけですね。
(2021年8月刊。税込935円)

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2022年1月10日

中世の写本ができるまで

ヨーロッパ(中世)


(霧山昴)
著者 クリストファー・デ・ハメル 、 出版 白水社

古代の写本は、もちろんパピルス。エジプト産の葦(あし)を原料としている。パピルスは製造費が安く、巻物の書写材には適していたが、冊子の形態にとじられたテキストには不向きだった。
紙は中国で2世紀に発明された。これが千年もかけてゆっくりとアラブ世界を経由して西洋に到達した。13世紀にスペインとイタリアに本格的な製紙場ができ、フランスには14世紀(1340年ころ)、ドイツでも1490年までに普及した。イングランドはさらに遅く、15世紀後半。
印刷術の発明は1450年ころのこと。それまでは写本である。1100年ころまでは大部分の書物は修道士が手がけ、1200年以降は、ほとんどが修道院から離れて独自に製作されるようになった。
洋皮紙は動物の皮からつくられる。成長した牛の皮は分厚くて、使えない。子牛または若い雄牛の皮を原料としている。
洋皮紙をつくるのは手間ひまのかかる込み入った工程だ。動物の原皮を、石灰水の入った木か石の水槽に3日ないし10日間浸けて(冬場はもっと長い)、1日に何度か木の棒で水槽をよくかき混ぜる。そのあと、持参した弓形のナイフで毛をこすり取る。脱毛したあとの生皮はさらに2日間も水に浸け、ようやく木枠に張り伸ばす。洋皮紙は並はずれて耐久性に富み、保存状態がよければ、千年ないしそれ以上も長持ちする。これに対して、中世の紙は亜麻のぼろ布からつくられていた。
写本とは、手で書かれたもの。ガチョウの風切羽のうちから、羽根ペンをつくる。これがもっとも筆写に適していた。羽根ペンは、ペン先にインクをつけながら使う。
製本するのは書籍商。書籍商は、写本制作の注文を受け、折丁をその町の複数の写本画家にふり分ける。
中世につくられた写本は、いまなお数万冊が現存している。
洋皮紙が誕生するまで、また、そのつくり方がたくさんの現物の写真とともに詳しく紹介されていて、目を見開かされました。
(2021年8月刊。税込4950円)

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2022年1月11日

ぼくの昆虫学の先生たちへ

生物(昆虫)


(霧山昴)
著者 今福 龍太 、 出版 筑摩書房

本の初めにカラー図版があります。写真だと思うと、そうではなく、著者が描いた昆虫の画(絵)でした。すごいです。写真より、はっきりしています。よく分かります。
「少年!」という響きが好きだ。いくつになっても...。誰でも少年に還(かえ)ることができる。自らの内にある少年を引っぱりだし、対話するためには、一つの隠された秘密のスイッチを入れる必要がある。
どんなスイッチなんでしょうかね...。私にとって昆虫と少年というのは、小学校低学年のころの記憶です。夏休みになると、ひとりで少し遠くのため池にザリガニ釣りに行っていました。トンボが飛んでいました。シオカラトンボ、ギンヤンマそしてオニヤンマです。トンボ捕りは難しくて、うまくいきませんでした。セミ捕りは簡単すぎて、あまり面白くありませんでした。わが家の前にある工業高校の広い校庭には雑草の生い茂る野原があり、そこには子どもたちの秘密基地をつくることができました。背の高いカヤに囲まれて、発見しにくい隠れ家でした。池にカエルたちがいて、ワラのストローをお尻に突き刺して思い切り息を吹き込み、カエルの腹をパンパンにふくらませて池に投げ込むと、カエルは腹を上にして水面でアップアップしていました。子どもたちの残酷な遊びです。ザリガニ釣りのときには、小さなカエルを捕まえると、地面に叩きつけ、両脚を割りさいて、その片方に糸をつけてザリガニ釣りをするのです。これが一番よく釣れました。まったく子どもは残酷です。カエルを殺すことに、まったく何のためらいもありませんでした。
小学生の頭は、とても単純だった。これは著者のコトバですが、まったくそのとおりです。何の疑いもなく、自分のために世の中すべてが動いていると考えていました。
著者の手本は熊田地下慕(ちかぼ)先生。私も、この熊田先生の絵に接して、その細密画というか、緻密で精確な昆虫の絵に接して驚嘆したことを覚えています。
蝶は音を出す。仲間に、その音を聴かせている。それを聞き分ける繊細な耳も持っているということ。
『どくとるマンボウ昆虫記』に、トンボがいたら、子どもたちは、追いかける。それが子どもであり、残された最後の本能というものだ、という文章があるとのこと。まったく、そのとおりですよね...。
トンボを見て、すぐにアミを持って追いかけようと思わなかったら、子どもではありません。なので、大人になってもアミを持ってトンボを追いかけようとする人がいて、何も不思議ではないのです。
それにしても、チョウ(キアゲハ)の幼虫を飼うため、スーパーのパセリを買って与えたところ、まもなく死んでしまったという話はショックでした。その原因は残留農薬のせいでした。いやあ、これって、恐ろしいことですよね...。
昆虫採集に没頭するのは、一人きりになりたいという激しい願望があったことにもある。ひとたび野原に出たら、蝶と自分とのあいだの関係は、誰も入り込むことはできない。昆虫採集は、原理的に、たった一人でしか成り立たない行為。つまり、それは豊かな孤独を条件として成立するもの、孤独を求める者こそが昆虫の世界に自然と引き寄せられてしまうのではないか...。
なーるほど、きっとそういうことなんでしょうね。だって、自然豊かな山林や山里って、蛇はいるし、クマもいて、蚊やブヨなど、不快いさせるものが周囲をぎっしり取り囲んでいるから...。それでも、みんな昆虫を求めて自然に入り込むのですよね...。大変勉強になりました。
(2021年7月刊。税込1870円)

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2022年1月12日

月と日の后

日本史(平安)


(霧山昴)
著者 冲方 丁 、 出版 PHP

『蜻蛉日記』についての解説本を読んだ直後に読みましたので、平安時代の朝廷内のおどろおどろしい権力抗争の実情がよくよく伝わってきました。もちろん、この本は小説であって歴史書ではありません。それでも史実をきっちり踏まえて(と思います)、ストーリーが展開していくので、興味と関心は否応でも高まります。最後まで、なるほど藤原道長の娘(彰子)はそういう立場だったのか、その言動は理解できると思いながら一気に読了しました。
『蜻蛉日記』の著者は藤原兼家の妻(名前は分かりません)ですが、兼家は道長の父にあたります。その本には兼家と息子・道綱は登場しますが、道長はまだ出てきません。
藤原道長と言えば、次の和歌があまりにも有名です。
この世をば わが世とぞ思ふ 望月(もちづき)の欠けたることも なしと思へば
権力を一手に握った道長の自信満々の心境を表明したものと一般に受けとめられている和歌です。
ところが、道長の長女・彰子(しょうし。あきこ、とは読みません)によると、父の道長は、剛胆とはほど遠い、自分がたまさか勝ちえたものをいつか失うのではないかという不安を常にかかえている小心者なのだ。よく言えば分かりやすく、裏表のない人間。喜怒哀楽を臆面もなく周囲にあらわにする。豪放磊落(ごうほうらいらく)な人間と思われているが、それは調子の良いときのこと。実際には、ちょっとした病気にかかっただけで神経質になり、しばしば亡霊を見て、ふるえあがる。しかも、道長は病気がちで、病気を理由として出家を願い出ては、ときの一条天皇(上皇)からとめられていた...。
長女の彰子は一条天皇の中宮であり、次の後一条天皇の産みの母親、つまり太公太后(たいこうたいごう)である。
彰子の同母妹である次女の姸子(けんし)は、三条天皇の中宮。
さらに、同母妹である三女の威子(いし)は、甥である後一条天皇の中宮となり、皇后となった。このようにして、天皇の三代にわたって同じ家の娘が天皇の后(きさき)となったわけである。「一家三后」という空前絶後の偉業を道長はなしとげたのだった。
平安時代の女性の出家には2段階あった。髪を肩のあたりで切り落とし、童女のようなおかっぱ頭にするのが最初の段階だ。そして死期が近づいたりして、より深く法の道を進んで、安寧を得ようとするとき、完全に剃髪してしまう。いずれにしろ、出家して尼になるということは、男でも女でもなくなるということだ。
彰子の部下の女官として紫式部が召しかかえられました。彼女が『源氏物語』を制作する途上のことです。ところが、紫式部は偉大な読みものを書きましたとひけらかすこともありません。
道長は、長年、末弟として、兄たちから見くびられてきたせいか、威圧を巧妙に、また狡猾にやってのけた。その技のすごさで、朝廷で右に出る者はいない。
ほかにも和泉式部や赤染衛門(あかぞめえもん)という文才で名高い女性がいた。そして、清少納言も...。やがて彰子は紫式部から漢文の古典を学んでいくのです。
この当時は、懐妊と出産は、常に死と隣りあわせだった。実際、貴族の妻(娘)が出産のとき亡くなった実例はたくさんある。
そして、男性のほうも、病気のために若死する人が少なくなかった。まあ、それでも、なかには80歳くらいまで長生きして活躍する貴族もいるにはいたのです...。
病気といえば、道長のライバルの伊周も道長も飲水病(糖尿病)に苦しんでいたようです。
朝廷の内裏(だいり)は、朝廷一家の住居があったのですが、何回となく火災にあっています。それも失火だけでなく、放火もあっていて、むしろ、こちらのほうが多かったといいます。恐ろしい現実です。
さらには、政争で敗れて武士を雇えなくなった公卿の邸(やしき)を賊が襲撃することがしばしば起きていた。ひえーっ、恐ろしいことですね...。
彰子は12歳の若さで入内し、(朝廷に入り)、自ら教養を求めて仁政を知り、一条天皇への愛と、人一倍強い母性に目覚め、そして実際、2児の母ともなった。
道長が権勢を思いのままにするうえで、この先、もっとも障害となる可能性があるのは、実の娘である彰子その人である。天皇の産みの母親。すなわち、国母の発言を恐れるのは、宮中においては、むしろ正しい感性の持ち主だった。
朝廷は、血筋と現実的な実力の、折衷の場である。もし血筋のみを優先すれば、現実的な実力が抗い、相克(そうこく)の難事、怨みに満ちた応酬が始まる。
女房たちは、決して同情では動かない。あくまで打算で動く。計算して、誰につくかを決める。
天皇が、自分は天皇なのだから、なんであれ願えば通るはずではないか。なぜ反発するのだという態度をとったら、所卿から反発されるのは必至だ。
后(きさき)になるというのは、晴れ晴れしいようでいて、実態はその真逆といえるほどの受難の道である。甚大な期待ばかりを背負わされ、天皇の愛を受けられると信じ、そしてことごとく絶望する。多大な後援をし続けられるほどの実力者でない限り、娘を后にしようなどと思うべきではないのだ。さもなくば、娘を不幸のどん底に落とすだけだ。彰子は39歳で出家した。
いやあ、朝廷内の抗争、政争がどういうものなのか、初めて具体的に想像することができました。実力ある作家の想像力のすごさに完全脱帽です。
(2021年9月刊。税込2090円)

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2022年1月13日

サラ金の歴史

社会


(霧山昴)
著者 小島 庸平 、 出版 中公新書

私が弁護士になって4年目ころから長く取り組んできたサラ金問題(やがてクレジットが主になりましたので、クレジット・サラ金問題、「クレサラ問題」と略称していました)が、今では戦後史の一つとして歴史問題になったんですね...、という感慨を込めて読みすすめました。
著者は1982年生まれの学者ですから、1985年9月(?)に福岡県大牟田市で全国クレジット・サラ金問題被害者交流集会が開催されたときは、まだ幼児だったのです。なので、クレサラ問題は自分の実感としてではなく、すべて活字による知識のようです。
しかし、そこは、さすが学者です。戦前には知人間の貸し付けでも意外な高利が動いていて、ちょっとした副収入になっていたというのを初めて知りました。同僚間での貸し借りに高利がついていたというわけです。
有名な賀川豊彦の『貧民心理の研究』(1915年)によると貧民街で、貧民への貸し付けが横行していたのでした。そして、それは、毎日返済する小口の日掛(ひがけ)金融だったのです。つい最近まで日掛けのヤミ金融が横行していましたが、今ではあまり聞きません。
そして、戦前、同僚に有利子でお金を貸すのは、当時のサラリーマンにちって、資産運用の有力な選択肢の一つだった。うひゃあ、それは知りませんでした。
40年ほど前、炭鉱を定年退職した人が、退職金を元手に小口金融を始めたけれど、たいていは失敗してしまったという話を聞かされました。失敗した理由は厳しい取立ができなかったからでした。血も涙もない取立ができないような心の優しい人は、借り主から踏み倒されるばかりだったというのです。
日本昼夜銀行というサラリーマン金融をしていた銀行があり、夜間に現金が入って来る商人や飲食店を取引相手としていた。
「昼夜銀行」なんて、ええっ、ウソでしょと、つい叫びたくなりますよね。戦前の話です。1943年に安田銀行に吸収合併されました。政府(大蔵省)は、1938年に庶民金庫を設立した。こちらは敗戦後の1949年に、国民金融公庫に再編された。
今も質屋はありますが、かつてのようにおカミさんが金策のために質物をもって駆け込む...なんて状況ではありませんよね。
家計のやりくりは妻の責任という夫、そして一般社会の「常識」から、妻は質物をもって質屋に駆け込んだのでした。もちろん、給料日になってお金が入れば、質物は受け出すのです。
サラ金の始まりは、団地金融でした。つまり、団地住民なら、一定の年収基準をみたしているはずなので、審査する必要がほとんどなく、その分、経費がかからないのです。
サラリーマン金融が始まったとき、団地金融でしていた自宅訪問はせず、勤務先が上場企業のときに限った。そして、団地金融でやられていた「現金の出前」はやらなくなった。
そして、「前向きな目的」のための借金申し込みに応じるようにした。たとえば、酒、マージャン、デートなどは、「健全資金」なのだ。
貸金業者については、貸すときの地蔵顔(エビス顔)、返すときのエンマ顔、という文句がある。
債務者に対して同情心や罪悪感を覚えるという人間的な心の動きは、債権回収業務にとってはノイズ(雑言)でしかない。顧客の自殺を「そんなことくらい」と片付けられる精神的な鈍感さが、債権回収の担当者には求められる。債務の返済に苦しむ顧客を自業自得であると決めつけ、「こいつら人生の負け組なんだ」と自らに言い聞かせる。そうすると、債務者を責め立てることには「面白味」さえ感じられるようになる。
朝から電話で督促するとき、ガンガン怒鳴りまくって、ストレスを発散させるという、いかにも非人間的な話を当時よく聞かされました。
サラ金業界は、被害者を増やしすぎたため、借金問題を扱う弁護士に安定した収入を与え、被害者運動を継続して支援することを可能にした。自己破産申立が有力な解決策となった。これは逆転の発想でした。
このころ、サラ金問題の第一人者は東京の木村晋介、大阪の木村達也という、二人の木村弁護士でした。そして、少し遅れて宇都宮健児弁護士が登場します。
この本に書かれていないことをあえて指摘すれば、クレサラ被害者へのカウンセリングの有効性を認めるかどうかで深刻かつ大激論があったこと、それは破産原因はすべて生活苦なのか、ギャンブル・浪費が借金の原因だったときにどうするのか、という問題と連動していました。著者には、このあたりの視点が残念ながら欠けているようです。とはいえ、大変よくまとめられていて、勉強になりました。
(2021年11月刊。税込1078円)

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2022年1月14日

親鸞の信と実践

日本史(鎌倉)


(霧山昴)
著者 宇治 和貴 、 出版 法蔵館

悪人正機(この本では「正因」)説で有名な親鸞(しんらん)の教えを実践との関わりで追求した書物です。私にはとても難しくて、拾い読みしかできませんでした。私の分かったところだけを紹介します。
親鸞は権力者を頼って念仏を弘めてはならないと説いた。権力と一体化して念仏を弘めても、その内実は形式上にすぎず、念仏の真実性は失われることを熟知していた。
自律的主体の根拠となるべき念仏の教えが、従属の根拠としての念仏になり下がってしまう。弾圧する人々に対しても親鸞は憐(あわれ)みの情をもち、彼らが念仏の真実性にめざめるようにと願うことを指示した。
弾圧を受ける念仏者は、現象的には不幸だが、本当の意味で不幸なのは弾圧する側だ。なぜなら、彼らは真実が見えない人であり、聞こえない、届かない人だから...だ。
もちろん宗派は異なりますが、今の創価学会と公明党、政権与党との関係をつい考えてしまいました。
親鸞の他力信仰は、他力であるため、何もしない主体性のなさが強調され、阿弥陀仏にすべてを委ねるという言説が、現実における信にもとづく実践と無関係の主体を生みだし、ただ報恩行として念仏することのみをすすめるものと理解・解説される傾向がある。しかし、親鸞の信仰とは、そのような実践主体を成立させないものではない。
阿弥陀仏にすべてを委ねて、何もしない、できないと開き直る主体を成立させることを意味するものではない。親鸞において、阿弥陀仏に委ねるとは、廻向によって知らされた本顧にもとづいた生き方を主体的に志向する実践をともなう主体が成立するものとして理解されていた。
親鸞は、84歳のとき(1256年)、長男の善鸞を義絶した。鎌倉幕府から執拗に繰り返される弾圧によって動揺する関東の信者たちが動揺しているので、善鸞を派遣した。ところが善鸞は、親鸞の教えに従わず、かえって信者を混乱に追いこんでいた。
仏に帰依(きえ)することで利他が目的となることは、自らの欲望充足を目的としない生き方が成立すること。
信が成立することにより神を畏(おそ)れない主体が成立したということは、当該時代で無意識のうちに前提とされている価値体系から意識的に抜け出し、世間の名利等を求めなくなる主体が成立することだった。
自力の立場に立つかぎり、その閉鎖された世界からの脱出の糸口を発見できないことを深く信知している。
「非僧卑俗」。親鸞は、歴史的事実である専修念仏弾圧を契機として姿形を変え、僧でもなく、俗でもないような外見をしていたので、「非僧非俗」と言われた。しかしながら、親鸞の「非僧非俗」宣言は、親鸞の内面において行動を根拠づける信念と、親鸞が行動を繰り広げる歴史社会とを分断することなく、信心に根拠づけられた、歴史社会での具体的立場の宣言だった。
要するに、親鸞も鎌倉時代という歴史的事実を前提として、主体的に生きることを考えていたのであって、「あなたまかせ」のような脱主体性とは無縁だったということだと理解しました(これであっているでしょうか...)。
これは、12月の半ばの日曜日の午後、一生懸命に読んで勉強した成果です。
(2021年8月刊。税込3300円)

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2022年1月15日

土偶を読む

日本史(古代)


(霧山昴)
著者 竹倉 史人 、 出版 晶文社

日本全国に何万点と出土している土偶について、著者は食用植物と貝類をかたどっているものという仮説を提唱し、本書でそれを裏付けています。なるほどね、そうだろうなと思いました。
縄文時代は1万4000年間も続いている。これは実に長い期間ですよね。
そして、縄文中期に土偶はデザインが多様化するだけでなく、大型化、立体化した。さらには出土点数が爆発的に増加した。そして、縄文時代晩期にピークを迎えると、弥生時代に入って、突如として衰退・消滅してしまった。
縄文時代中期に人口が増加した最大の要因は、食料となったトチノミのアク抜き技術が成立して炭水化物がとれるようになったことにある。
著者は、土偶は当時の縄文人が食べていた食物をかたどったフィギアであるという仮説に思い至った。
ハート形土偶が集中的に出土している会津地方は、日本有数のオニグルミの里だった。
合掌土偶と中空土偶を使用していた人は日常的にクリを資源として利用していた。
椎塚土偶はハマグリをかたどった土偶。
みみずく土偶は、イタボガキ(貝)をかたどったフィギア。
星形土偶の頭頂部はオオツタノハ(貝)の形状に近似している。そして星形土偶が出土した貝塚から、実際にオオツタノハ製貝輪が発見されている。
カモメライン土偶の顔はマムシの顔だった。ヘビのなかで、猫の目のように瞳孔が縦に細くなるのはマムシだけの特徴。
結髪(けっぱつ)土偶はイネをかたどった土偶。
刺突文土偶はヒエをかたどったフィギア。
遮光器土偶は、サトイモの精霊像であり、その紡錘形に膨らんだ四肢はサトイモをかたどっている。
著者は考古学者ではなく、あくまで人類学者です。なので、学会でどのように評価されているのか知りませんが、面白い提起で、説得力はあると思いました。その後、この本について、トンデモ本に近いもので、科学的な裏付けに乏しいと酷評されているのを知りました。
(2021年5月刊。税込1780円)

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2022年1月16日

ジャズ、よもやま話

人間


(霧山昴)
著者 ミキ 、 出版 自費出版

ジャズ・ストリート52という空間に遊ぶ。こんなサブ・タイトルのついた美的センスのあふれる小さな冊子です。
ジャズ・ストリート52(Jazz Street 52nd)は、1968年創業の北九州にあるジャズ喫茶。この店は静かにレコードを聴いて、静かにお酒を飲む店。
マスターが客に媚(こ)びることなく、自らこだわりの音を提供し、客はそれを心ゆくまで享受できる。店を営んでいるマスターは、グラフィックデザイナーになったあと、26歳のときジャズ喫茶を始めた。店には何千枚ものレコードがある。
マスターはマティーニをつくる。少し口径の小さい逆三角形のグラスにオリーブを入れ、ミキシンググラスから注いで、最後にレモンの香りを移す。キリっと辛口ののど越し、微かなレモンの香りが鼻を擽(くすぐ)る。
マスターは、レコードをジャケットから取り出してプレーヤーを置く。レコードの埃を払い、針を下ろす。そして、プレーヤーとプレーヤーの間にジャケットを立てかける。レコードの針は兵庫県の山あいの工場で職人がひとつひとつ作っている特別仕様のもの。
マスターは、レコードに針を下ろすという仕事を一生の仕事として選んだ。
音楽を聴くというとき、音は機械だけでつくるものではない。店の広さ、客の聴く位置、それらみんなひっくるめての総合芸術だ。
この店では、「常連客」になるには40年もの年月が必要。2年前から通っている著者は、まだピヨピヨ、ひよっこにもなっていない。
ジャズ喫茶には不文律がある。私語厳禁。初心者はスピーカーの真ん前の席に座ったらいけない。客には序列がある。
マスターは、VANのモデルをしたことがある。VANのモデルというのは、今でいうメンズノンノのモデルのようなファッション・アイコンを意味する存在。映画俳優にならないかとスカウトされたこともある。
人生の楽しみの部分、そのほとんどが無駄といえば無駄な部分だ。大いなる無駄な時間のなかで生活の潤いが生まれる。
静かに流れるような心優しい文章とあわせて、著者による見事な水彩画が添えられ、心をなごませてくれる一時(ひととき)を与えてくれます。
コロナ禍の下で、ギスギスしがちな日々に、ほっと一息いれさせてくれる素敵な冊子でした。マスターの名前は林直樹さん。著者である原田美紀先生に心からの拍手を送ります。
(2021年12月刊。非売品)

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2022年1月17日

すばらしい人体

人間


(霧山昴)
著者 山本 健人 、 出版 ダイヤモンド社

人体がいかに素晴らしい機能をもっているか、健康でいる限り、私たちは、そのことになかなか気づかない。しかし、人体のしくみは美しく精巧なものだ。
外科医であり、解剖学者の著者が人体のすばらしい仕組みを分かりやすく解説している本です。この本を読むと、人体がよく出来ていることがよく分かります。
椅子に座っているヒトが立ち上がるとき、頭の位置を前後に動かさずに立ち上がることはできない。まずは頭を前に突き出す必要がある。
頭を左右に振っても視野はぶれることがない。なぜか...。顔の動きに合わせて、自動的に眼球が動いてくれるから。これは走りながらカメラで周囲の景色を撮影しようとすると、とんでもなく揺れ動いて、見るに耐えない映像になることと対比したら、驚異的なこと。
私は車中で揺られながら読書を続けて50年になりますが、今でも活字は裸眼で読みますし、近視のままです。
心臓の筋肉は心筋と呼び、一生動き続ける。1分間で血液が全身を一周する。安静時に毎分5リットルの血液を送り出す。全身の血液量は5リットル。
私はピロリ菌の除去をしてもらいました。ピロリ菌感染者は非感染者より胃がんになるリスクが15~20倍もあり、非感染者の胃がんになった人は1%以下。
がんの転移先としては肝臓がんが非常に多い。それは、消化器を流れる血液が、その次に向かう主な行き先が肝臓だから。
健康な人は、どんなに深く眠っていても床ずれは起きない。それは、無意識のうちに寝返りを打っているから。子どもの寝相ほど見ていて面白いものはありません。じっと固まって寝てなんかいません。眠り込んでいるのに、身体のほうはよく動いています。ときには、隣で寝ている私の身体を乗りこえてしまうほどです。
日本人の死因の4分の1以上を占めるのががん。がんによる死亡率が増えている最大の理由は、高齢化。がんは高齢者に多い病気。かつてはがんになる前に、他の病気で死んでいた。そして、医学の発達のおかげで、がんによる死亡率は、年々減少している。
ところで、がんなのか、がんでないのか、という境界線は明確ではない。
全世界にHIVの感染者が3800万人いる。その半数以上はサハラ砂漠より南のアフリカの患者だ。今ではHIV感染症は、コントロール可能な慢性疾患である。つまり、HIVに感染しているが、エイズ(AIDSを発症しない)状態を、薬のおかげでなんとか維持できている。
この本には書かれていませんが、ヒトの体内でクスリもつくられているそうです。まことに人体の不思議は奥深いものがあります。
(2021年10月刊。税込1870円)

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2022年1月18日

仲人の近代

社会


(霧山昴)
著者 阪井 裕一郎 、 出版 青弓社

私の身近な若い弁護士に、結婚式のとき仲人は頼んだかと尋ねると、そもそも結婚式をしていないので、仲人は当然いないという答えが返ってきました。そうなんですよね。最近では仲人を立てることがないだけでなく、結婚式自体を、しないですますカップルが増えました。これはコロナ禍の前からの現象です。
ちなみに私は、弁護士になる前、司法修習生のとき、会費制の結婚式をあげました。このときセツルメントの大先輩に仲人を頼みました。仲人料なるものを払った覚えはありません。そんな感覚もありませんでした(親から10万円もらい、別に10万円借金し、あとで利子つきで返済しました)。
この本によると、仲人を立てたというのは、2007年に0,7%だったとのことですから、今や仲人なる存在は完全に消滅したと言っていいのではないでしょうか。
私自身は頼まれた仲人を1回だけやったことがあります。このとき、親しい新郎からは、もっともっと天まで高くほめあげてほしかったと不満を言われました。結婚式と葬式のときしかほめられないけれど、葬式のときは、いくらほめても本人は聞けないのだから、せめて結婚式のときくらい、思いきりほめてほしいという真情を聞かされ、なるほど、そうだよなと大いに反省しました。しかし、その後、私に仲人を頼む人は誰もいませんでした。
「死ぬまでに3度は仲人をしろ」
「3度、仲人をしたら一人前」
「仲人をするのは、社会人としての義務」
これは私たち団塊世代より上の世代では通用していたと思います。
医師が結婚するときには、所属する医局の教授に仲人を頼む、そして、仲人料は何百万という相場がある、...という話を聞いたこともあります。
ところが、仲人という存在が日本で普及したのは明治になってからのこと。その前の江戸時代には、一部の上層階級にあっただけで、決して普遍的なものではなかった。なるほど、江戸時代の婚姻について書かれた本で、仲人をどうするどうしたという話なんて読んだ記憶がありません。
1990年代になると、結婚式の80%以上に仲人がいた。
明治時代までは「仲人」という言葉はほとんど使われず、「媒酌人(ばいしゃくにん)」のほうが一般的だった。
江戸時代までの婚姻は、「若者仲間」が支配していた。結婚については、親の権限はそれほど強くはなく、若者仲間や娘仲間のほうの厳しい規律と干渉のほうが強かった。
そして、女性は「処女のままでは結婚できない」という規範が多くの地域に存在していた。
明治時代には伊藤博文など支配層の上層部では、一夫多妻がごくあたり前に存在していた。伊藤博文などは、多くの愛人や妻がいて、何ら隠そうともしていなかった。
企業への忠誠の証(あか)しとして、新郎の上司に仲人を頼むという慣習が生まれ、戦後の新しい都市的環境のなかで、従来は村落共同体が支えていた生活の保障と所属意識にかかわるものを企業が担ったと思われる。
1990年には結婚式で仲人を立てた割合は86.3%だった。それが1999年には、21%にまで減少した。わずか10年で4分の1にまで減った。そして、2004年には、1.0%にまで急減した。
1990年初頭からの10年は、いわゆる「失われた10年」と呼ばれる日本経済の低迷期だった。この「失われた10年」は、「失われた仲人」でもあったわけだ。
日本人の結婚観は、インターネットによって、再び大きく変わりつつあると思います。大変に面白い本です。あなたも、ぜひ手にとって読んでみてください。日本の「伝統」なるものが、実は明治以降のものだということの一つだと思いました。
(2021年10月刊。税込1760円)

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2022年1月19日

真夜中のコール

社会


(霧山昴)
著者 最上 裕 、 出版 民主文学館

この本を読んで、会社づとめの大変さ、SEの苦労、労働組合の意義とか、いろんなことを学ばされ、考えさせられました。
著者は、40年の会社員生活の大半を社内SEとして過ごし、最後の10年間は生産管理システムの運用保守チームのとりまとめ役をやっていたとのこと。
夜間処理が停止すると、コンピューター室のオペレーターから、会社支給の携帯電話に電話がかかってくる。真夜中に電話して、相手がなかなか出てくれないと心細く、腹の底が冷えるような不安を感じる。
運用保守チームには、本体の会社からの出向社員、子会社のプロパー社員、協力会社の常駐請負社員、派遣社員など、さまざまな労働者がいる。
著者のそんな体験が生かされた小説なので、実に状況描写が詳細で身に迫ってきます。過酷な労働環境のなかで苦闘するSEは、不安定な雇用で、明日の保障がなく、パワハラにさらされ、うつ病にかかる。それが、みんな「自己責任」の思考の枠内で「解決」されようとする。そんな労働者を救うはずの労働組合は労使協調、会社の言いなりの企業内労働組合。
連合は新春旗びらきに自民党の首相を招いて挨拶させる一方、連合の会長は共産党と野党共闘を口汚くののしる政治的発言を繰り返して、恥じることがありません。
著者は、唯一の希望は、一人でも加盟できる労働組合(ユニオン)だとしています。だけど、一人で加盟するのは勇気がいりますし、周囲の無理解、妨害とたたかい、乗りこえる必要があります。
偽装請負。請負だったら、請負会社の責任者にしか作業指示はできないはず。ところが、実態は、請負会社の社員に対して、直接、作業を依頼している。これは法律違反。
黒い携帯電話が水曜日の夜中に突然けたたましく鳴りだした。目をこすりながら電話に出ると、「オペからJOBエラー停止の連絡がありました。対処お願いします」という。
翌朝のオンライン開始までに必ず処理を終了させなければならない。パソコンを立ち上げて時刻を見ると午前1時15分。午前2時までにJOBを再実行しなければ、夜間処理をオンライン開始時刻の午前7時半までに完了させることができない。こんな時刻に電話するなんて、家族の危篤のときくらいのはずだ...。
夜間障害対応の残業代は請求できるのか...。
「年俸制だから、個別の残業手当はない。見なし残業代にふくまれている」
ええっ、本当だろうか。ユニオンの回答は、夜間働いたら、会社は深夜割増の賃金を払わないといけない。これは管理職も同じ。では、どうやって、それを立証するか...。パソコンの起動・停止時刻。イコール、業務開始と終了時刻。だからパソコンの履歴を見たら、一目瞭然。しかし、そのパソコンは会社貸与なので、期間満了で「解雇」されたとき返還した。だったら、まだ社内に残っている元同僚に提供してもらったらどうか。
元同僚は業務上に知り得た情報を勝手に外部に渡すのは禁止されていると冷たい拒否反応だった。さあ、どうする...。
小さな職場で同じような仕事をしているわけですが、立場がそれぞれ違い、個性も異なり、ねたみや足のひっぱりあいもあったりして、まったく一枚岩ではありません。
取引先の会社からは厳しい要求をつきつけられるし、本体の会社は、業務悪化のため外部委託を減らそうとするのです。そんな状況で主人公はついに悩みが深刻・長期化して精神科にかかり、うつ病と診断され、休職するのです。
ITエンジニアなら、プロフェッショナルで、いろんな職場を渡り歩いてスキルを磨き、ステップアップできる。上と合わなければ会社を変わればいい。自由でいいと思ってこのキャリアを始めた。でも、時がたつと、それが夢物語でしかないことが分かる。
システムエンジニアの実態は、昔なら飯場(はんば)を渡り歩いた建設労働者の現代版のようなものだ。使っている道具がつるはしとスコップから、パソコンに替わり、使う身体の部分が筋肉から頭脳に替わったくらいのもの。会社が本来、労働者に支払われるお金をピンハネしているのも変わらないし、長時間働いて心身を壊したらぼろきれのように捨てられるのも同じだ。ひどすぎる。
主人公の夫婦は、妻はガンにかかり声を失い、夫はうつ病にかかってしまうのですが、妻のほうは、障害者年金を申請し、リハビリで少しずつ声を取り戻しつつあり、夫のほうもユニオンとともに会社と団体交渉したり、労働災害認定を申請し、また労災に強い弁護士とめぐりあったりして、先の見通しがあるのも読後感に救いがあります。
現代社会の断面を切り取った小説として、人間ドッグに入った一晩、ホテルで一心不乱に読みふけりました。一読を強くおすすめします。
(2020年2月刊。税込1100円)

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2022年1月20日

小説・ムッソリーニ(上)

イタリア


(霧山昴)
著者 アントニオ・スクラーティ 、 河出書房新社

ヒットラーについては最近の中公新書をふくめて何冊も評伝を読みましたが、イタリアのファシスト党のドゥーチェ(総統)のムッソリーニについては初めて読みました。ただ、小説と銘うっていますし、「ファシズムの側から反ファシズムを描いた小説」ということなので、イタリアの戦前・戦後の歴史に詳しくないと、なかなか没入できない本です。それでも、なんとかガマンして読みすすめていくうちに、ファシズムというのは、むき出しの暴力をともなうものだということがよく分かりました。
私の大学生のころ、全共闘という学生集団があり、暴力肯定でむき出しの暴力を行使し、大学を支配下におこうとしました。東大では、その野望は結局、挫折しましたが、全国の大学のいくつかで暴力支配が実現してしまいました。その暴力支配は、絶えず内ゲバをともない、多くの死傷者を出しました。今でも全共闘を賛美する人が少なくありませんが、暴力肯定論は浅間山荘における日本赤軍の大量殺人に行きつくものだという真摯な反省が欠けていると私は考えています。
ムッソリーニは、ファシストになる前は、労働者を大切にしようと主張する社会主義者の新聞『アヴァンティ―』の主幹として活躍していた。知りませんでした。
ムッソリーニは、梅毒に冒されていたものの、屈強な体格の持ち主だった。
ムッソリーニは、プロレタリアート(労働者)の精神を把握し、解読することにかけて、その右に出る者はいないと仲間たちは公言していた。
ムッソリーニは、真摯で熱烈な絶対的中立論者だったのに、ほんの数週間のうちに真摯で熱烈な参戦論者に転向した。それで、ムッソリーニは社会党から除名され、プロレタリアートの兵隊を失った。
手錠、牢獄、それでも足りないときは腹に打ちこまれる銃弾。民衆のために用意されているのはいつもそれだけ。そして、暴力の担い手は、ブルジョワ、地主、企業家だ。広場に集まった群衆は、暴力の犠牲者となることにかけては、もはや熟練の域に達している。
この上巻は1919年に始まり、1921年までのイタリアの状況を活写しています。
1920年12月、フェッラーラ県のエステンセ城前の戦闘で3人のファシストが社会主義者に殺された。この戦闘はファシストが仕掛けたものだったが、社会主義者の側も防衛のために爆弾を持ち込んでいて、それが警察に摘発されていたことから、ファシストは、社会主義者に責任を押しつけることに成功した。
1921年当時のイタリアでは、暴力について、尽きることなく議論していた。政治闘争に暴力を持ち込むなという点について、ムッソリーニの主張は明快だ。
ファシストは、そうせざるをえない場合においてのみ、暴力を行使する。ファシストは、そうするよう強いられた場合にかぎり、破壊し、粉砕し、放火する。それがすべてだ。
ファシストの暴力は騎士道精神にもとづいたもの。暴力は、個人的な復讐という性質ではなく、国家の防衛としての性質を有する。
どこでも、警察を軍が盾(たて)となって、ファシストの敵の労働者協会の拠点を蹂躙するファシストを援護した。警察権力はもう、投獄をちらつかせファシストを脅すようなことはしなかった。それどころか、ファシストは、軍の車に同乗し、120丁の小銃と3ケースの手りゅう弾を提供されていた。
社会主義者が真摯に武装解除するのであれば、そのときこそ、ファシストもまた武器を捨てるだろう。ファシストにとって、暴力とは異議申立であって、むごたらしく、だが不可避な営みとして、この一種の内戦を受け入れている。ムッソリーニは、このように語った。
いまや、ポレジネ地方の哀れな農村では、夜中に誰かが戸を叩き、「警察だ」という声が聞こえたなら、それは死刑執行を意味すると認識されている。
ファシズムとは、行き過ぎること。ファシストたちは、週末になると、近隣の農村に出かけていき、労働者会館、組合事務所、そして赤の役場を襲撃する。殴り、破壊し、広場で旗を焼いた。
ファシズムとは、教会ではなく訓練場であり、政党ではなく運動であり、綱領ではなく情熱である。ファシズムとは、新しい力である。暴力のスペクトルのなかに光の性質を正しく浮かび上がらせる。無差別殺人とは、ファシストではない者たちが、アナーキスト、共産主義者が行使する、暗がりのなかの暴力だ。ファシズムの暴力は光だ。
わずか2.3ヶ月のうちに、9つの労働評議会、1つの生活協同組合、19の農村同盟が破滅させられた。社会主義勢力の瓦解は、とどまるところを知らなかった。いまや各地で、農村の大衆は赤旗をおろし、ファシストの組合に加入していた。
農村運動の指導者たちは、すさまじい速度で進行する崩壊を前にして、なすすべもなく立ちつくしていた。そして、次のように呼びかけた。
「家から出てはいけない。挑発に応じてはいけない。沈黙すること。臆病にふるまうことは、ときとして英雄的な行為なのだ」
ひまし油の利用。ファシストの脅しに屈しない社会主義者を見つけると、その口にじょうごを突っ込み、通じ薬に用いられるひまし油を1リットル、無理やり胃に流し込む。そして、車のボンネットに縛りつける。それで屁をひり、糞をもらす姿を、村中の住人にさらすのだ。ひまし油を飲まされた人間は、殉難者になる資格を喪失する。恥辱が同情を吹き払ってしまうからだ。公衆の面前で糞をもらした人間に、崇拝の念を抱く者はいない。嘲笑にはすぐれて教育的な効果がある。その効き目は長く続き、人格の形成に影響を与える。排泄物は血よりも広く、国家の未来に拡散していく。
いやあ、これはひどい。ひどすぎます。こんなファシストの蛮行は絶対に許せません。
暴力が渦を巻き、新たな犠牲者の血が流され、家屋に火がつけられた。ファシズムは、暴力的であることをやめるやいなや、そのあらゆる邪悪な特権を、そのあらゆる力を失うだろう。
ファシズムの本質がよくよく分かる本です。
(2021年8月刊。税込3135円)

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2022年1月21日

灼熱

ブラジル


(霧山昴)
著者 葉真中 顕 、 出版 新潮社

日本敗戦後のブラジルで、日本が敗北したことを認めない日本人のグループが敗北したことを認めた日本人グループのリーダーを何人も殺害した事件が起きました。その状況をリアルに再現した小説です。
この本を読んだ3日後、1月8日の西日本新聞の夕刊トップがこの記事でした。「負け組」のリーダーを殺害した「勝ち組」の実行犯で唯一の生存者(95歳)に取材したのです。
「負け組」のリーダーだった脇山元陸軍大佐宅に押しかけ、自決勧告書と短刀を渡して切腹を迫り、拒否されるとピストルで殺害したのでした。この生存者は10年間、監獄島に服役していたとのこと。
1年近くのあいだに23人が死亡し、86人が負傷したと書かれています。「勝ち組」のなかには戦勝デマをネタにした詐欺事件もあったようです。この事件は現場でいうフェイクニュースによる分断がブラジルにおける日本人(日系人)社会が起きていたことを示すものと解説されています。アメリカの大統領選挙でトランプ候補が敗北したことを今なお信用しようとしないアメリカ人が少なくないことと同じですね。
ブラジルに移民として渡った日本人は、日本で食いつめていて、ブラジルに渡れば腹いっぱいごはんが食べられ、裕福になったら日本に帰国できると信じていたようです。もちろん、現実は甘いものではありませんでした。それでも必死で働いて、なんとか生活できるようになったのです。
そして、日米開戦。日本軍は勝ち続けていきます。それは、ミッドウェー海戦でも、日本軍が大勝利をおさめたというニュースとして流されました。
日本軍は「引き込み作戦」をしている。あえて、日本軍の陣地まで敵をひき込んで一網打尽にする作戦をしている。こんな解説がまことしやかに流されていたのです。
そして、ハッカ生産している日本人に対して、ハッカはブラジルからアメリカに輸出されるものだから、それは敵性産業だ。祖国日本に仇なす行為だ。国賊だ。こんなビラが貼られ、ついにはハッカの生産工場が焼きうちにあい、他へ転出していくのです。
さらには、アメリカが高性能の新型爆弾で日本を焼き尽くそうとしているが、日本軍は、その新型爆弾をさらに上回る強力な高周波爆弾を開発した。だから日本が負けるはずはない。
あくまでも日本軍が勝つと言いはる組織が結成され、ほかの情報が耳に入らない純真な青年たちが、日本の敗北を前提として行動している人たちを目の敵にしはじめます。
ここで、デマで金もうけを企む人たちもいて、日本人社会は哀れなほど右往左往させられるのです。まことに真実を知るというのがいかに難しいか、当時の状況を少し想像すれば理解できます。
現地での取材もして、たくさんの資料にもとづいていますので、小説とは言いながら、かなり史実に基づいているのではないかと感じながら読みすすめました。
フェイクニュースは善良な市民を殺人者に仕立てあげるのですね。本当に怖い話です。現代日本でも起きそうで、心配になります。
(2021年9月刊。税込2860円)

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2022年1月22日

駆ける

日本史(戦国)


(霧山昴)
著者 稲田 幸久 、 出版 角川春樹事務所

これが新人作家のデビュー作とは...、とても信じられません。ぐいぐい読ませます。
少年騎馬遊撃隊というのがサブタイトルです。舞台は戦国時代。毛利軍と尼子軍との合戦(かっせん)が見事に活写されています。
少年騎馬遊撃隊というから、全員が少年から成るかというと、そうでもありません。馬を扱う能力に長(た)けている少年が毛利軍に引きとられ、そのなかで活躍し、騎馬隊が活躍し、ついに尼子軍を背後の山中から駆け降りて攻撃して打ち倒すというストーリーなのです(すみません、ネタバレでした...)。
毛利軍の大将は毛利輝元。そして、前線では吉川(きっかわ)元春と元長が戦う。そして、尼子軍には山中幸盛と横道政光。山中幸盛とは、かの有名な山中鹿之助のことです。
私は大学受験するとき、机に山中鹿之助の言葉を書き出して、自分への励みにしていました。「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」という言葉です。ある意味で、山中鹿之助に助けられて今の私があるとさえ思っているほど、感謝しています。
吉川元春の嫡男(ちゃくなん)が吉川元長(23歳)。馬を扱う少年とは小六(ころく)のこと。百姓の子どもで、まだ14歳だ。
永禄9年の月山(がっさん)富田城攻めで、毛利は尼子を降伏させた。出雲は、中国11国を支配した名門尼子家の本拠地。いま、月山富田城には毛利方の兵がたてこもっている。そこを尼子軍が取り囲み、毛利軍を四方八方から攻め入る作戦だ。尼子軍は近くの布部(ふべ)に陣を敷き、毛利軍をおびき寄せて圧勝するつもりでいた。
出雲は尼子の地。三代前の尼子経久の時代から、民と共に出雲を築きあげてきた。
月山富山城に行くためには、まず、布部山を頂上まで登り、尾根伝いに行かねばならない。いわば月山富田城にいる仲間を見殺しにしないために必死だった。
馬と少年の意思疎通、そして戦場での兵士同士、また兵士たちとの約束をたがえるわけにはいかない。その思いがかなうのか...。すごい新人デビュー作でした。
(2021年11月刊。税込1980円)

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2022年1月23日

ボールと日本人

江戸時代


(霧山昴)
著者 谷釜 尋徳 、 出版 晃洋書房

現代日本人はボールゲームが大好き。日本の各種スポーツ競技団体に登録している競技者の人数を多い順でみると、剣道191万人、サッカー95万人、バスケットボール62万人、ゴルフ59万人、ソフトテニス43万人、陸上競技43万人、バレーボール42万人、卓球34万人...。
観戦したいスポーツでは、プロ野球、サッカー、高校野球、...、プロサッカー、プロテニス。
私はみるのもするのも全然やりません。地区法曹関係者の懇親のためのボーリングは参加したくありません。昔はソフトボール試合があって、何度も空振り三振して恥ずかしい思いもしました。好きでないことをするより、一人静かに本を読んでいたほうがずっといいのです。
この本を読んで、日本人が昔からボールゲームをやっていたことを知りました。
古代日本にボールをつかったスポーツとして、『日本書紀』に打毬(くえまり)がありました。このとき中大兄皇子は中臣鎌足と結びついた。
平安時代には、蹴鞠(けまり)の達人が登場する。12世紀後半に活躍した公卿の藤原成道。平安末期になると、僧侶も蹴鞠を楽しんでいた。そして、この勝敗はギャンブルの対象ともなっていた。後鳥羽上皇も、蹴鞠の達人だった。
室町時代、足利義満や足利義政も蹴鞠を盛んにしたことから、蹴鞠は武家のたしなみとして定着した。
イエズス会宣教師のルイス・フロイスも、日本の蹴鞠を紹介している。
江戸の庶民が楽しんだボールゲームの多くが、もとをたどれば古代に大陸から来た外来スポーツでした。創世記のボールをつかったスポーツの実際を知ることのできる、楽しい本です。
(2021年8月刊。税込2200円)

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2022年1月24日

野生の青年期

生物


(霧山昴)
著者 バーバラ・N・ホロウィッツ、キャスリン・バウアーズ 、 出版 白揚社

人間も動物も波乱を乗り越え、おとなになる。タイトル(野生の青年期)が繰り返し実証されている本です。なるほど、若者が怖いもの知らずというのは、ヒト(人間)だけではなく、動物全般に共通する特質なんだということがよく分かりました。
アフリカのサバンナに生息するヌーがワニ(クロコダイル)の群がる川を渡るとき、一番に川に飛び込むのは、体つきは大きいが、ひょろりとした若手たち。未経験さゆえに、危険が潜んでいるのも気づかず、われ先に川にジャンプして飛び込む。もっと分別のある年長のヌーたちは、じっと待っていて、ワニが若い先頭のヌーを追いかけるすき間に、安全に川を渡っていく。
若者の衝動性、何でも試して目新しさばかりを求めること、未熟な意思決定といった特徴は実行機能を担う脳の部位、とくに前頭前野が脳のほかの領域と比べて成熟時期が遅い点と関係がある。
ヒトについては、15歳から30歳までがティーンエイジの脳として、膨大な記憶を蓄えていく。
動物はみな4つの課題を突きつけられる。①安全でいるには...、②社会的ヒエラルキーのなかをうまく生き抜くには...、③性的なコミュニケーションを図るには...、④親から離れて自立するには...。S(safety)安全、S(status。ステータス)、S(SEX、せっくす)、S(Self-Reliance。自立)。この4つのスキルは、ヒトでも体験の核にある。
この本では、太古より無数の動物が体験してきた過程を、4匹の野生動物の成長物語として語りながら進んでいきますので、とてもイメージがつかめます。キングペンギンのアーシュラ、ブチハイエナのシュリンク、ザトウクジラのソルト、ハイイロオオカミのスラウツの4匹です。発信機が取りつけられ、行動状況を追跡していくのです。
捕食者の怖さを知らないというのは、ヒトの若者が、ほとんど何の経験も積まずに外の世界に出ていくときの状態でもある。彼らは何が危険なのか区別できない。たとえ危険だと気づいても、どう対処したらいいかわからないときが多い。
若者が危険なことに向かっていくのは動物界全般で観察される。動物は、最後には親の保護がなくなり、自分自身で危険な世界に立ち向かう。
青年期(ワイルド・フッド)の間に情緒面や肉体に迫る危険を経験し、そこから会得したとっさの反応と対処法は死ぬまでその個体の役に立つ。
青年期のひとつの不思議な特徴は、その時期を送る者がみな自分たちこそそうした体験を初めてする唯一の世代であるかのように感じるところにある。自分たちは特別だと感じる年代層がどっと現れるたびに、それを迎えるおとな世代は、こうした若者たちの若さの過剰ぶりに我慢ならないと、いらいらする。
若者の搾取は、青少年を徴兵する制度に如実にみてとれる。この制度は、過去も今も世界中でやられている。古代ローマでは、軍団のうちもっとも貧しく年のいっていない兵士の若者は、「飛び道具歩兵」や「近隣歩兵」の部隊にまわされた。戦いの経験もなく、強い武器も持てず、一番危険な最前線にやられた若者たちからは多大な死傷者が出た。
動物の集団が大きくなるほど、そのメンバーは安全になる。
変わっているというのは、動物にとって危ないこと。捕食者の関心を引くのは、目立ちやすさ、風変わりなこと。
動物は絶えず、「不採算性の信号」を送る。襲いかかろうとする相手に、自分をねらっても割にあわないことを伝える。おまえの行動は、とくにお見通しだという信号を出す。
オオカミに自分の子を殺された母親バイソンは、次に子どもを持ったときは、子どもを失ったことのない母親よりも警戒心が5倍以上も強くなった。
青年期は孤立して過ごしてはいけない。仲間がいないまま大きくなった動物は、現実世界で必要な身を守るためのスキルを身につけることができない。子どもをあまりに長く保護したまま、捕食や危険や死について学ばせないのは、ヒトでもほかの動物でも、親のおかす最悪の誤ちとなる。過保護にするのは子どものためにならないということですね...。
ヒトの社会では、幼児や年少の子ども時代は、階級についてよく知らないで過ごすことがある。しかし、青年期に入ると、階級、序列、ステータス、地位が急に鮮明になる。青年期の最大の難関は、恵まれない境遇に生まれた者が不当に扱われるおとなの世界に入ることだ。
ステータスの上昇は、動物の生存チャンスを高める。ステータスと気分とは、つながっている。勝者は勝ちつづけ、敗者は負けつづけ、敗北の連鎖反応はしばしば止まらない。戦いに負けた個体は、それ以後の勝負で攻撃性がぐんと低くなり、さらに負けやすくなる。いじめは、ほとんどの場合、ステータスを得るため、また維持するために行われる。自然界には、公平な条件での競争の場はない。親の序列の継承は実際に行われている。
動物の性教育は、交尾に関してではなく、コミュニケーションのほうに力が注がれる。おとなになるには、自分自身の欲求を表現し、相手の欲求を理解する方法を習得しなければならない。
カメ(ズアカヨコクビガメ)のメスは、セックスのために近づいてきたオスのうち実に86%を拒む。
若者が親元から離れて自立することが分散という。その行動は、家族メンバー間の親近交配を防ぐ利点がある。しかし、分散する若者たちは、しばしば危険に遭遇する。
青年期の特質なるものは、ヒトだけでなく、パンダや鳥や魚まで、あらゆるものに該当することを知り、とても勉強になりました。
(2021年10月刊。税込3300円)

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2022年1月25日

「太平洋の巨鷲」山本五十六

日本史(戦前)


(霧山昴)
著者 大木 毅 、 出版 角川新書

父親が56歳のときにさずかった子なので、五十六(いそろく)と名付けた。
なーんだ、そういうことだったのか...。
「五十六少年は、おとなしくて、本当に黙りっ子だった」
言葉を尽くすのを億劫(おっくう)がる人物だった。話が通じないと思った相手には、言わなければならないことまでも言わないと評された。そして、本人は、この「沈黙」をある種の知恵と考えていたようだ。でも、これって、部下は困りますよね。
1919(大正8)年4月、山本はアメリカ駐在を命じられた。アメリカ駐在中に、山本は航空機の威力に注目した。そして、アメリカの巨大な石油施設を眼にしてアメリカの力を実感しただろう。山本は、大艦巨砲主義から航空主兵論に乗りかえた。そして、山本は、自ら飛行機の操縦を習得した。山本は航空本部長となり、航空機産業の調整に努力し、大量生産体制を整えるのに奮闘した。ただ、山本は先見的な航空主兵論を力説しながらも、それは不徹底だった。
北支事変、日華事変、支那事変と日本が呼んだのは、アメリカとの関係で「戦争」と呼べなかったということ。アメリカは1935年に中立法を制定していて、戦争していると大統領が認定した国に対しては、兵器や軍需物資の輸出を禁じていた。なので、もし、日本が中国に宣戦布告し、国際法上の戦争をはじめてしまえば、日本はアメリカから石油や鉄を輸入できなくなってしまう。
南京への無差別爆撃は日本軍が世界史上初めてなした蛮行だとされているが、これは山本の発案によるものという有力説がある。山本は、このとき海軍次官の中将だった。大都市への無差別爆撃は、そこに住む住民を恐怖のドン底に陥れて戦意を喪失させることを狙ったもの。しかし、現実は、身内を殺された人々は、戦意喪失どころか、ますます戦意を高揚させた。
これはヨーロッパでも同じ。ドイツのロケット攻撃を受けたロンドン市民、イギリス軍による無差別攻撃にさらされたドイツの都市住民はますます戦意を高揚させた。日本の本土大空襲を指揮したアメリカ軍のカーチス・ルメイ将軍も同じように間違った執念の持ち主でした。
山本は、日独同盟に強く反対していた。それは、アメリカとの戦争につながりかねないとの判断からだった。
1940年9月の時点で、山本は対アメリカ戦で勝算がない、自信のもてる軍備ができるはずがないと考えていた。真珠湾攻撃において第二撃を断念するのもやむなしと山本たちは判断していた。燃料も爆撃も欠如していた。
山本は1943年4月18日、搭乗していた一式陸攻機が、日本の暗号を解読していたアメリカ軍の戦闘機によって撃墜されて死亡した。要は、アメリカ軍は日本軍の暗号を全部解読していて、日本軍の行動をすべて認識し、予想していたということです。これは科学・技術の発達をアメリカ軍は取り入れていたこと、日本軍は相変わらず古臭い精神主義にとらわれていたことを意味しています。皇軍の優位性を今なお誇大妄想的に言いつのる一部の日本人は、この客観的事実に目をつぶって、自己満足しているにすぎません。
(2021年8月刊。税込1012円)

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2022年1月26日

仕事の未来

社会


(霧山昴)
著者 小林 雅一 、 出版 講談社現代新書

先日、知人からAIが進んだら弁護士の仕事は不要になりますか、と質問されました。私は即座にそんなことは考えられませんと答えました。すると、だけど判例検索なんかAIを使うと、たちどころに正解が出てくるわけでしょ、と突っ込まれたのです。いえいえ、論点がきちんと設定されてから、これにふさわしい判例を探すのは、たしかにAIでやれます。でも、生身(なまみ)の人間が抱えている問題のなかから、表面上の争点と、裏に隠されている真の争点とを相談者・依頼者の態度・表情を見ながら探り出していく必要があり、そんなことはAIでやれるはずはありません。まさしく、そこに弁護士という人間の職業の存在意義があります、そう答えると、知人は、なんとか納得顔になりました。
この本でも、AIによるパターン認識で、人間の複雑な意図を理解するのは現時点では非常に難しいとされています。たとえば、歩道に立ち止まって片手を上げている人がいるとします。その人が、いったい何のために片手を上げているのか、車道を走るタクシーを停めようとしてるのか、単に上空を飛ぶ鳥を指さしているだけなのか、AIシステムは区別ができない。こんなまぎらわしい事例が実社会では山ほど存在するため、AIはとても対処しきれない。これまでAiが目立った成果を上げたのはパターン認識だけ。
あるコンサルタント会社は、AIによって世界全体で4億人から8億人の雇用が奪われる一方で、新たに5億5千万人から8億9千万人もの雇用が創出されると予想している。
顔認証システムも騙しのテクニックがすでに使われはじめているそうです。
「ディープフェイク」は、人物画像の合成技術がすすんでいて、本人がしてもいない演説を、あたかも本人がしているかのように報じているのです。
ディープ・ラーニングには「教師あり学習」が必要で、それはAIシステム開発の80%を占めている。「教育」とはいえば聞こえはよいけれど、実際には、多数の労働者が大量の写真やビデオ映像に延々と投げ縄のように丸印をつけていく単調作業。このように現在のディープ・ラーニングは多数の単純労働者や技術者らが手間暇(てまひま)かけて面倒みることによって、使い物になるというレベルにある。
顔認証システムもすでに悪用されている状況が報告されている。いやあ、怖いですね...。
ディープ・ラーニングが、インドの人たちに支えられているというのを初めて知りました。気の遠くなるような単純作業をやっている女性が何千人もいるのです。
そう簡単にAiが人間の知識に代わることができないことを、本書によって、実感することができました。
(2020年4月刊。税込990円)

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2022年1月27日

ゴミ収集とまちづくり

社会


(霧山昴)
著者 藤井 誠一郎 、 出版 朝日新聞出版

大学教授が清掃車に乗ってゴミ収集の現場を体験し、現場でつかんだ問題点を具体的に指摘している本です。学者が、研究を深めるために自分も清掃車に乗って働いてみるなんて、とても想像できませんが、すばらしいことです。
朝7時40分に始業時間の20分前に庁舎に入る。そして1時間の昼休みには、10分か15分ほど仮眠する。これで午後からの体の動きが良くなる。午後3時25分になると、入浴・洗身が始まる。染みついた臭いを落とすため、念入りにボディソープで洗身する。作業着を洗濯し、乾燥機にかける。退庁時間は午後4時25分。
清掃作業は危険をともなうので、安全教育が徹底される。
ゴミ収集作業は単純肉体労働のイメージだが、実際には、現場で、いかに効率良く完遂させるか、頭脳労働の側面もある。
過度な人員削減は、清掃職員に過剰な負担を強いて、モラルを低下させる。
清掃現場の人員削減のため新規採用をしないことは清掃職員のモチベーションの低下をもたらした。新人と接する年長者は、新人を教育するときに自らも学び成長していく。ところが、何年も新人が入ってこないと、そんな機会がなくなり、惰性で仕事をしがちになる。
家庭から排出させるゴミのなかには、コロナに感染した人のものがあるかもしれず、清掃員は清掃車に積み込み作業のなかで感染する危険性がある。清掃事務所でクラスターが発生して閉鎖を余儀なくされると、たちまちゴミ収集が破綻してしまう。
ゴミ量が増加する背景には、大量生産・大量消費・大量廃棄という社会経済システムが存在する。多くの企業は依然として廃棄物の分別や収集までを視野に入れず、これまでどおりの生産活動を続けている。
コロナ禍のもとで、ゴミ収集という日常生活に必要不可欠な職場で働いている労働者に被害を及ぼさないようにしてほしいものです。
(2021年8月刊。税込1650円)

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2022年1月28日

ヒトラー

ドイツ


(霧山昴)
著者 芝 健介 、 出版 岩波新書

私と同世代(団塊世代)の大学教授によるヒトラー論です。私もそれなりにヒトラーについて書かれた本は読んできたつもりですが、この新書には知らなかったことも多く書かれていて、その評価など、目を見開いて考えさせられることの多い本でした。さすがはナチス・ドイツ研究の第一人者と言われている学者だけのことはあります。
ヒトラーが実際に何をやったのか少しでも知った人ならヒトラーの再評価なんて絶対に考えられませんが、ヒトラーは悪い面だけでなく、良い面もあったという「バランス感覚」の乗りで考えている人が、今日ではドイツも含むヨーロッパでも日本でも少なくないとのこと。本当に歴史教育の大切さを実感させられます。
ヒトラーは人間の姿をした悪魔(サタン)の化身だ。条約を破って戦争を遂行し、民間人の女性や子どもを傷つけないと確約しながら、今やヨーロッパ中に何千という巨大な墓穴を掘り、ゲスターポ(秘密国家警察)による何百万という犠牲者たちの遺体をそこに埋めている。
これは11歳のユダヤ人少年が1943年9月に日記に書いていた文章。この少年は隠れ家を襲われ、絶滅収容所に送られる寸前、青酸カリを飲んで自殺した。
ヒトラーは生粋のドイツ人ではなく、オーストリア生まれのオーストリア人。ヒトラーは、1032年になったようやくドイツ国籍をとった。ドイツではプロテスタントが圧倒的だが、ヒトラー自身はカトリック教徒のままだった。ヒトラーの父アロイスは、婚外子であり、父方の祖父が誰なのか、今も不明のまま。
ヒトラーの名前は、実は、その前はミックグルーバーという、「下品で野暮ったい」苗字だったのを、父がヒトラーに改姓してくれた。
ヒトラーには、怠惰な生活スタイル、誇大妄想狂、規律に欠け、計画的に物事が進められない傾向がある。ヒトラーは首相になってから、討議をしだいに開かなくなっていたが、これも青年期以来の怠惰な生活スタイルによっているのではないか...。
ヒトラーは、十分な食糧と衣類と宿舎を提供してくれる場として、軍隊に入った。軍隊では、上等兵となり、連隊司令部つき伝令兵になった。これは前線の兵士に比べたら、より安全だった。
ヒトラーの演説の声は、ちょっとくぐもった調子のしゃべり方なのだが、よく聞きとれる声で、合点のいく気のきいたことを誰にもわかる生き生きした言葉で言いあらわす才能に恵まれている。これはヒトラーの演説を実際に聞いたジャーナリストの評価だった。
ヒトラーの演説が集会の呼び物になった。党の財政も左右した。
ヒトラーはミュンヘン一揆に失敗したあと逃亡し、一時、身を隠していたが、ついに逮捕され、裁判にかけられた。ヒトラーは、当初は沈黙し、食事も拒否した。しかし、裁判官はヒトラーに同情的で、ヒトラーが法廷で何時間にもわたって自分の政治的見解を披露するのが認められるという異例の厚遇だった。そのうえ、反逆罪なので、本来なら死刑判決しかなかったはずが、禁固5年という異常に軽い判決が宣告された。これはヒトラーが執行猶予中の身であったことも考慮すれば、まったくありえないほど軽い判決だった。なので、著者は、この判決の違法性は明白だと強調しています。
ヒトラーは要塞監獄に入れられたが、ヒトラー35歳の誕生日は、監獄なで盛大な祝賀パーティーが開かれた。いやはや信じられません。
ミュンヘン一揆前のナチス党の党員は5万5000人(1923.11)だったのが、一揆後は5千人ほどとなり、1926年に3万人超、1927年に6万人近くになった。
ヒトラーの個人的大スキャンダルとして、1931年9月に、同居中の若い(23歳)女性がヒトラー所有の拳銃で胸をうち抜いて自殺したことが紹介されています。ヒトラーは、交際相手の女性として20歳も若い女性をいつも選んでいたことも知りました。最後に結婚して共に死んだエーファ・ブラウンもヒトラーより23歳も若かった。
1932年7月の国会選挙で、ナチ党は230議席、得票率37.4%を占めた。
ブルジョア中道政党は、ナチスに支持基盤を奪われ消滅状態になった。他方、共産党は77議席から89議席(14.6%)と着実に上昇した。
1932年11月の選挙で、ナチ党は大敗した。ナチ党は、第一党の地位は保ったが、34議席を失い196議席となり(得票率33.1%)、ブルジョア政党が少し回復した。
また、社会党は12議席を失って121議席(20.4%)、共産党は12議席を増やして100議席(16.9%)の大台に乗せた。とりわけ、交通スト真最中の首都ベルリンで共産党は45万票(37.7%)を獲得し、第一党を占めた。
1932年12月、ドイツ国会はナチスの指示により、無期休会に入った。もちろん、社会党も共産党もこれに反対した。
そして、1933年1月にヒンデンブルグ大統領はヒトラーを首相に任命した。ヒトラーは首相になると、直ちに「ドイツ国民を防衛するための大統領緊急令」を発し、集会・出版の自由を制限した。また、政府転覆計画の阻止を口実として、ベルリンの共産党本部の家宅捜索を強行した。そのうえ、国会議事堂が炎上したことから、共産党員を一斉検挙し、社民党をはじめナチスの政敵2万5千人以上の身柄が拘束された。
3月5日、そのような状況下で国会選挙があり、ナチスは550万票ほど票を伸ばしたが、ナチ党単独では過半数をとれず、社民党が120議席(18.3%)と健闘した。さらに、ヒトラー政府は共産党の議席剥奪を宣言し、強制的に国会から排除した。
そして、3月に授権法(全権委任法)を制定し、政府が国会にかわって法律を制定できること、憲法に反してもよいこととされた。社民党は反対したが、賛成441、反対94で授権法は可決した。
憲法違反の法律を政府が国会にかけることなく制定できるというわけですから、まさに独裁国家です。ヒトラーの権力掌握過程は、私たち日本人も教訓として学んでおく必要があると思いました。
(2021年10月刊。税込1276円)

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2022年1月29日

輝山

江戸


(霧山昴)
著者 澤田 瞳子 、 出版 徳間書店

石見(いわみ)銀山を舞台とする時代小説です。いやあ、すごいです。読ませます。作家の想像力のすごさを実感します。自称モノカキの私には、とてもこれほどの筆力はありません。情景描写もすごいし、ストーリー展開が思わず息を呑むほど見事なのです。そして、いくつもの伏線が終点に結びついていき、ついにクライマックスに達します。
私は、この本を2日間かけて読み終えました。まさしく至福のひとときです。
ただ、読み終わって、あれ、待てよ、どこかで、この本と同じようなストーリー展開を読んだ気がするなと思い至りました。でも、それがどんな本だったのか、具体的には思い出せません。
ともかく、鉱山にしろ農業にしろ、江戸時代の人々が大変な苦労をして、それをやりとげていたのは歴史的な事実です。石見銀山でも同じように苦労しながら働いていた人々、そして、それを管理する人々がいます。それぞれ、思惑はいろいろあって、お互いにぶつかりあいます。
それを生のデータとして提供するのではなく、細かい鉱山の採掘状況を描写しつつ話を展開させ、読み手の心を惹きつけていく。さすがです。
銀山で働く労働者は、じん肺でヨロケにかかって若くして、40代に死に至ります。この本では「気絶(きだえ)」と呼んでいます。でも、それぞれ親や子をかかえているから、先が短いのを知りながらも耐えて働くのです。
そして、それを扱う商人がいて、そのうえに藩がいる。そんな構造のなかで、人々はもがき、また、いくらかは楽しんでもいるのです。
「破落戸」とは、「ならずもの」と読ませるのですね。知りませんでした...。
(2021年9月刊。税込1980円)

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2022年1月30日

かこさとしと紙芝居

人間


(霧山昴)
著者 かこさとし、鈴木万里 、 出版 童心社

私は大学生時代の3年間ほど、川崎市幸区古市場でセツルメント活動にうち込んでいました。1967年4月に入学し、1970年9月ころまでのことです。著者のかこさとしは同じ古市場のセツルメント子ども会の大先輩のセツラーだということは聞いていました。
かこさとしは1970年まで現役のセツラーとして活動していたとなっていますが、私は同じ古市場でも子ども会ではなく、青年部に所属していましたので残念ながらまったく接点はありませんでした。そして、学生時代はかこさとしの絵本にも紙芝居にも縁がなかったのです。
かこさとしの絵本は、私が結婚し、子どもたちが保育園児となり、小学校低学年まで、よく読んでやりました。「カラスのパン屋さん」、「わっしょい わっしょい ぶんぶんぶん」は子どもたちに大人気でした。でも、この一冊と言うと、やはり「どろぼうがっこう」です。本当によく出来た絵本で、何度も何度も読み聞かせをしました。
かこさとしはセツルメント活動をしたといっても、東大工学部を卒業して化学会社に就職したあとのことです。大学時代は演劇研究会に入って、舞台美術を担当していたとのこと。
かこさとしは、大学生になったらセツルメント活動に加わりたいと高校生のときから思っていたそうですが、戦時でセツルメントは閉鎖されていたのです。戦前の帝大セツルメント活動はイギリスに発祥の地があり、関東大震災のあと、被災者救援活動に始まっていて、医学部生や法学部生が中心になっていたようです。
私が大学生のころは、学生セツルメントは全国にあり、全国交流集会も年2回あり、毎回1000人もの参加者があるほど活発でした。東大駒場にも、氷川下、川崎、亀有、菊坂などいくつも実践の場があって、その連合体(駒セツ連)のメンバーは50人ほどもいたように思います。そして、東大闘争が1968年6月に始まると、セツラーの多くがアンチ全共闘の立場で民青かクラス連合(クラ連)の活動をしていました。
かこさとしは、会社員とセツラーという二足のわらじを履いていましたが、子ども会では、広場で紙芝居をすることが多かったようです。人形劇とか劇団だと何人かいないといけませんが、紙芝居だと一人で演じられるからです。
セツルメントの子ども会にやってくる近所の子どもたちには、かこさとしは思いきり遊び、自分たちで楽しむために、さらに工夫を重ねて遊びをつくりだしていってほしい。それを手伝うのが自分の仕事だと考えていた。なので、かこさとしは自ら紙芝居をつくるだけでなく、子どもたちにも一緒に紙芝居をつくりあげていたようです。
一人ひとりの子どもはガキでしかないが、集団にまとまると、恐るべき力を発揮するものだ。
「大事なことは、すべて子どもから教わった」
これは、かこさとしの言葉です。私の場合は、「大事なことは、すべてセツルメント活動に教わった」と言っています。
「どろぼうがっこう」など、いくつもの絵本は、もともと紙芝居として子どもたちに読み聞かせていたものでした。私も小学生のころ、広場に紙芝居のおじさんがやって来たのを遠まきにして眺めていました。親がこづかい銭をくれなかったので、参加資格がなかったのです。
紙芝居の魅力は演じる人にある。先生とか母親が、常日頃の人格とは違うことをやってくれる。人格を通じてのコミュニケーションに、その魅力がある。かこさとしは、このように強調しています。
紙芝居のうしろに顔を隠すのではなく、素顔をさらして、いろんな役を演ずることから子どもの心に響くものがあるというのです。なーるほど、ですね。それにしても、かこさとしはたくさんの紙芝居を考え、絵を描いています。そのアイディアは尽きることがありませんでした。この本には、その多くが紹介されています。
かこさとしの生地の福井県越前市には、「かこさとしふるさと絵本館」があります。コロナ禍がおさまったら、ぜひ行ってみたいと考えています。
(2021年8月刊。税込2420円)

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2022年1月31日

本能

生物


(霧山昴)
著者 小原 嘉明 、 出版 中公新書

きれいな花に成りすまして、ハチやチョウなどの昆虫をおびき寄せ、これをまんまと仕留めて食べるハナカミキリ。メスを装って騙し、生殖相手のメスを横取りするサケのオス。何千キロにも及ぶ長距離を、羅針盤を用いることなく飛び続けて目的地にたどり着く渡り鳥...。こんな超能力を動物たちは、いったい、どうやって身につけたのだろうか。それが本能...。
でも、本能とは、いったい何なのか...。
キタオポッサムやアカシカのメスは、体調がいいときには息子を多く産む。
アカゲザルのメスは、メスだけから成る母系社会を形成している。そして、社会的順位の高いメスはメスの子を、逆に社会的順位の低いメスはオスの子をより多く産む。それがそれぞれのメスの繁殖にとって有益。上位のメスの高い地位を引き継ぐのは、母系社会ではメスの子だから。
マダラキリギリスは、2桁の種類のセミのメスに成りすまし、近寄ってきたセミを肢で捕まえて食べる。一度も遭遇したことがない種のセミのメスも模倣する。いやあ、不思議ですよね...。
シロアリは排泄物を室内に積み上げる。すると、それに含まれていた共生菌が排泄物を栄養源にして生長し、キノコが育つ。シロアリは、このキノコを食べ、キノコの上に排泄物を積み上げる。これが再びキノコの生長に利用される。シロアリは、これを繰り返して、キノコを持続的に栽培している。これに似ているのが、ハキリアリ。
ワタリガラスは、エサを隠して貯め込む。しかし、仲間が近くにいるときには、仲間に対する警戒心から、貯蔵するエサが少ない。
ヨーロッパにすむスゲヨシキリのオスは、さえずりでメスにアピールする。さえずりのレパートリー数が多いオスほど、メスを強く惹きつけてつがいを形成する。
セアカゴケグモは、オスがメスに比べて、とても小さい。体重は256ミリグラムなのに対して、オスは、なんと4ミリグラムしかない。オスは、チャンスをとらえてメスの腹部に取りつき、メスの精子受容器官の中に差し込んで精子をメスに送り込む。そのあと、オスは、「でんぐり返し」をして、メスの口の中に投身自殺する。メスは、もちろん、このオスを食べてしまう。メスは、オスを食べたあとは、ほとんど再交尾しないので、オスは自死によって自分の子を確実に残すことができる。うむむ、なんということか...。
アオガラは、表面上は一夫一妻で繁殖する。しかし、実のところ、メスが産む子の中には夫以外のオスの子が含まれていることがある。これはDNA検査で判明したこと。
ウズラのメスは、一緒に育ったオスには関心を示さない。近親交配を避けているということ。
シジュウカラのメスは、オスのさえずりを手がかりとして、生殖相手として近親者を避けている。つまり、昔聞いた父親のさえずりに似たさえずりをするオスを避けている。
両親から受け継いだ46本の染色体に含まれるDNAの長さは約2メートル。人体を構成する細胞30兆個以上のすべての細胞に、この2メートルのDNAが格納されている。
本能とは、行動にかかわる組織や器官が、経験に依存することなしに適切に発生し、適切に機能して発現する行動と定義される。つまり、経験がかかわっていたら本能ではない。それは学者効果があがっているということ。
男が好む女は、細いウエストと大きめのヒップ。くびれたウエストは、女が妊娠していないか処女だと思わせる。女は男ほど肉体的特徴を問題にしない。女が好む男は、平均して3歳だけ年上。
女子学生は、自分のタイプと異なる体臭の男子に好感を抱く。それは近親交配の回避の意味がある。
まことに本能とは、いかにも摩訶不思議なものですよね...。
(2021年8月刊。税込946円)

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