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カテゴリー: アジア

ヒマラヤ旅日記、ネパール・ポンモ村滞在記

カテゴリー:アジア

(霧山昴)

著者 田村 善次郎ほか 、 出版 八坂書房

 最近刊行された本なのですが、そのネパール滞在なるものはなんと60年前のことなのです。前書きもあとがきもありませんので、なぜ今ごろ発行されたのか、その事情は分かりませんが、60年前のネパールの山村の生活が、たくさんの写真とともに活写されていて、2ヶ月間の状態が、読んでいるうちに現地で生活している気分を味わうことができる貴重な本です。

 調査隊7人のうち3人が既に亡くなっていることが紹介されています。残念なことです。

調査隊が横浜港を出港したのは1967年9月のこと。このころ私は大学1年生で、寮で生活しながら初めて大学で期末試験を受けました。試験が終わると、さっきまで夏休みだったのに、またもや秋休みに突入。いやあ、大学生って、こんなに楽な稼業なのかと感激しました。寮生仲間の実家のある長野についていって、長野の美味しいリンゴを食べて帰ってきたことを覚えています。

 さて、調査隊です。9月に日本を出港して、すぐにネパールに到着できたのではありません。目的地のポンモ村にたどり着いたのは翌年1月5日のこと。それから2月末まで2ヶ月をポンモ村で過ごしたのでした。

 ネパールは、東北6県に新潟県と北海道をあわせたほどの国土面積で、人口は3千万人ほど(2023年)。調査団が訪問したときは1000万人。

 ヒマラヤの住民は、寒い冬を温かい南で過ごし、春になったら山の住居に戻ってくるという生活サイクルを過ごしている。旅そのものが生活であるから、別に急ぐ旅ではない。峠の雪が消え、夏が近づくころまでに村に帰りつけばよいのだ。

 ようやくたどり着いたポンモ村には21世帯、100人余が生活していた。

挨拶の仕方が変わっている。相手の足を持ち上げ、その甲に自分の額をつける。

 遊牧社会には、「さようなら」と「おやすみ」がないのが特徴。厚かましく割り込んできて、火を焚き、他人を押しのけて食事をつくる。タバコの廻しのみはしても、茶の廻しのみはしない。

 ネパールでは、道中の食料は自分もちが原則。だから、ポーターたちは、それぞれ鍋と食器、米や粉、調味料を入れた袋を持っている。自分の使い慣れた負い縄を持っていて、決して他人(ひと)の物は借りない。他人の物を借りるような奴は最低とされる。

 隊長とドクター(医師)が、35歳にもなるのに独身だと知ると村人たちは呆れ顔になる。

ドクターによると、予想以上に精神病患者が多いという。ただし、村人は障害をもつ人(精神薄弱)、耳や眼が不自由な人たちともまったく普通に接している。

 ネパールにはカーストがあり、日本人にカーストがないと説明しても、すぐには信じてもらえない。

ネパール土着の民族であるグルン族やマガル族などは、それぞれ固有の信仰を持ちながら、表面的にはヒンズー教・カースト制を受容してきた。本来ならカースト制と無縁だった民族も否応なしにカーストシステムに組み込まれ位置づけられ、チベット人は最下層カーストにランクされてしまった。日本人は、ネパール人を雇用する立場にあるので、システムの上位にランクされた。

ポンモの生活を律しているのはラマ教。旅立ちの日を決めるのも、農作物の虫退治も、すべてラマ教の教えにのっとって行われる。ラマ教のお経は日用百科含意的なものでもある。ポンモはボン教の村。ラマ教は、すべて右廻り(時計廻りでボン教は反対にすべて左廻り)。

 交易は、ネパール内ではとれない岩塩とヒマラヤ山地で不足する穀物との交易で成り立っている。

チャンを飲むときは、容器に直接口をつけずに飲むのがマナー。

人間の大腿骨でつくった骨笛を吹く。

 ふだんの食事は、ツァンパやロティ、せいぜい塩味のついたジャガイモやカブの汁。単純なものしか食べない。肉や米・豆・ジャガイモ・大根など9種類の具を入れた粥(かゆ)はグ・フックといい、大変なご馳走。

 ツァンパは、日本の麦こがしと同じもの。麦をフライパンのような鍋で軽く煎(い)る。要するに、煎った大麦の粉がツァンパ。

 料理をするといっても台所はない。煮炊きは、すべて囲炉裏の火で座ったまま。食事の支度は女の仕事と決まってはおらず、男たちが率先してつくる。旅慣れた男たちは食事をつくるのをいとわない。焼いたり、茹(ゆ)でたジャガイモは、菓子と同じで子どもたちのオヤツにもなる。昼の食事にたっぷり2時間はかける。

 元旦(1月1日)の朝は、若水汲みに始まる。ポンモでは、「黄金の水、白銀の水を汲む」という。金や銀の水を汲むのだから、他人(ひと)より先に汲んだほうがいい。なので、村人は朝3時ころに起きる。

年始まわりは、村中の家を廻るのが当然であり、また村中の人に来てもらうのが当たり前のこと。娘たちは、正月のため、暮れのうちに念を入れて織った肩かけをかけ、頭は採種油できれいにかきつけ、後髪には小麦のモヤシを飾っている。

 チベット社会は有字文化の社会であり、未開社会ではなく、高文化社会である。読み書きのできる人は尊敬される。その最上位がラマ。

 いざというときには、ラマに診てもらい、死に水をとってもらうことが、何にもましてありがたいこと。ラマは山中に入って薬草をとり、薬を調合する。薬草や製薬の知識がラマとしての重要な資格になっている。

 火葬は最高級の葬法。川原で遺体を焼いたあとは、日本人のように骨を拾って墓をつくって祀(まつ)るということはしない。死者の魂は火葬の煙とともにはるかなる天上雲に昇り、神となって人々を守っている。9ヶ月後の法要まで、頭にギー(バター)をつけている。ギーは重要な食糧であると同時に、宗教儀式には不可欠の神聖なもの。

屋内にも屋外にも便所はない。朝暗いうちにすませてしまう。村の中の排泄物は、豚と犬とニワトリが始末する。

 家の中の炉端の席順は決まっていて、入口から向かって右が男の座(アワデサ)、左が女の座(アマデサ)。奥から年齢の順に座る。

性関係はおおらかなので、私生児(ニャル)も多い。ネパール人は穏やかで礼儀正しい。チベット人は粗野で図々しく無遠慮だ。

ヒマラヤのチベット人たちは中国人に対して強い反感を抱いている。

60年前、ネパールの山中の村に2ヶ月も滞在したときの詳細な記録です。60年たった現在、これがどう変わったのか、私はぜひとも知りたいです。なんとかして教えてください。よろしくお願いします。とても貴重な滞在記録です。ぜひご一読ください。全国の図書館に備えてほしいものです。

(2025年1月刊。5940円)

ナルコトピア

カテゴリー:アジア

(霧山昴)

著者 パトリック・ウィン 、 出版 光文社

 黄金の三角地帯(ゴールデントライアングル)とは、東南アジアにおける麻薬生産の中心地。ほぼ全体がビルマ(ミャンマー)に含まれるが、中国、ラオス、タイの国境地帯にも広がる山岳地帯。ナルコトピアとも呼ばれる。この地域におけるヘロインとメス(覚せい剤のメタンフェタミン)の経済規模は、ビルマ一国のGDPを上まわっている可能性がある。

 ワ州連合軍(UWSA)は密林に生息するただのマフィアではない。ワ州と呼ばれる、人口50万人以上の正真正銘の民族国家を運営している。独自の学校、電力網、国旗や国歌まである。その領土は3万平方キロメートル。ワ州には3万人の兵士と20万人の予備兵がいる。ワ人は、迫撃砲やドローンなどのハイテク兵器も保有していて航空機もミサイルで撃ち落とすこともできる。UWSAは東南アジアにおける麻薬取引の中心にいて、毎年、メスだけで600億ドルを稼ぐ。

UWSAは法律をつくり、祖先伝来の土地を守り、道路を建設し、税金を集め、運転免許証を発行している。ヘロインとメスはUWSAの最大の収入源。

アメリカの機関であるCIAとDEAは争っている。その職員の出自は異なる。DEA捜査官の多くは元警官か元軍人で、労働者階級の出身。CIAの職員は、アイビーリーグなどの名門大学の卒業生。DEA捜査官は悪人を投獄するのが第一の仕事と考えている。CIAは、悪人を雇って極悪人に関する情報を得ようとする。

ゴールデントライアングルには、CIAが先に現地入りし、DEAはあとから来た。ゴールデントライアングルの末端にいる最重要顧客はアメリカ人。

ミャンマーの軍は、アウンサン・スーチーを監禁し、その支持者を大量に虐殺した。1万人近くを射殺している。天安門事件をこえる大虐殺だ。

メス工場は上空から見ると、車庫や倉庫のようで、宇宙から探知されにくい。以前は、CIAがワ州のケシ畑を偵察し、ケシの潜在的な収穫量を推測できたのだが……。

現代アジアの労働力にとって、スピードは言うことなしのドラッグ。ヘロインのもたらす心地よい麻痺は魅力を失い、労働者はバニラの香りのするスピードを求めた。1錠わずか2~3ドル。1錠の煙を吸えば、連続シフトをこなせて、割増賃金でさらにピンクの錠剤を買うことができる。

今世紀、ヤーバーは500億錠以上も生産された。設計の勝利だ。見た目は菓子のようで、カラフルでブランド化しやすい。価格は1錠が1~5ドル。タイは、2001年の1年間で、9000万錠という記録的なヤーバーを押収した。

UWSAはアヘンケシ撲滅を完了させ、今ではビルマはアヘンの世界供給率の5%しか生産していない。アメリカ占領下のアフガニスタンがとって代わった。

2021年10月、タイとラオスの国境で摘発された麻薬は、アジア史上最高を記録した。5500万個。ヤーバーと、1.5トンのクリスタル・メスが隠されていた。それは、「ワ産メス」だった。

ワ州には、中産階級はほとんどいない。いるのは、エリートと平民のみ。今では、中国系犯罪組織がメス製造所を運営している。

まったく知らない地域の、恐ろしい話でした。世の中には、こんなところが今もあるのですね……。潜入ルポなので、ぞくぞくする展開です。

(2025年11月刊。3520円)

女二人のニューギニア

カテゴリー:アジア

(霧山昴)

著者 有吉 佐和子 、 出版 河出文庫

 驚きと抱腹絶倒の滞在記、とありますが、掛け値しに、私もそう思いました。

有吉佐和子と言えば、私には、なんといっても『複合汚染』です。レイチェル・カーソンの『沈黙の春』と並んで、環境汚染の深刻さを世間に知らせ、問題提起しました。

戦前の和歌山県生まれですが、幼少期をインドネシアで過ごしていて、世界各地を旅行しています。その有吉佐和子が、50年前のニューギニアに出かけ、そこになんと1ヶ月も滞在していたのでした。

何しに行ったのか…。作家だから、何かの取材のためかと思うと、全然そうではありません。では、何のためか…。要するに、単に面白そうだからといいうことで、親しい友人の誘いに軽い気持ちで乗ったのでした。未開社会をちょっとだけ覗(のぞ)いてみようという大層気楽な気持ちです。

50年前のニューギニアはまだ独立しておらず、オーストラリアの信託統治領でした。

ニューギニアは、オーストラリアの北にある、世界第二の大きな島。

著者と友人は、荷物運びの現地の人たちと一緒に歩いて出発します。

ジャングルに道はない。人の歩いた跡をたどっていく。すべったり、転んだりして、途中で着換えると、ジーパンのお尻がまるでボロ雑巾のようにビリビリに裂けてしまっていた。著者が覚えたてのピジン語で、「ミー・ハンガラップ」(私はこわれた)と言うと、同行する警備担当は「イエス・ユー・バーガラップ」と返した。いやはや…。

そして、著者は、歩き疲れて動けなくなり、現地の人にまず背中におんぶしてもらった。そして、その次は、ベッドを作って、それで運んでくれた。そのベッドとは…。

2本の手ごろの木を切ってきて、その間に著者を寝かせると、つる草を器用に巻きつけて縛り上げ、つまり仕留めた野豚を担ぐのと同じ要領でかついで「アイヤッ、アイヤッ」と掛け声とともに運んでいった。いやはや、なんという哀れな格好でしょうか…。こんな格好を写真に撮られないだけ幸せでした。

そして、ようやく、ついに相棒の住む御殿に到着した。そこは、本当に広々とした木造の高床式の家。オーストラリア政府が現地のシシミン族を学究調査する人類学者(友人のことです)の居住用に建ててくれたもの。彼女は、オーストラリア政府からすると、シシミン族に対するオトリのような貴重な存在なのだ。だから、彼女の警護のためのポリスも交代しながら常駐する。

 しかし、もちろん、電気も水道も何もない。自家発電機もない。浄水器は持参したけれどなぜか全然ダメ。そして、蚊や虫の大群。痒い、痒い。いやあ、たまりませんよね。

現地のシシミン族の女性たちは若者たちの「御殿」に踏み入るのを許されている。女性は上半身は裸で、腰のまわりは草を垂らすだけ。そして、来ると著者の身体にさわり、撫でさする。言葉が分からないから、追い払うことも出来ない。あきて出ていくのを待つだけ…。話が通じないし、友人の調査を妨害してはいけないのです。

女性は、男性と同じように、鼻があいていて、そこに細い青竹を真一文字にさしている。男と違うのは、片方の耳に、おそろしく太い竹をさしこんで飾りにしていること。

ニューギニアでは河鹿(カジカ)が鳴く。ただし、声は大きいし、数も多いので、すごい迫力。そして、ホタルも大きく、光が大きい。鬼ボタルと名付けたいほど。日本の10倍ほどの大きさで、黄色と紫とピンクと青の4種類の光がある。ええーっ、ホタルが4種類の光を出すなんて初めて知りました。それなら、私もニューギニアに行ってみたい…、って、もちろん嘘です。著者のような苦労をジャングルの中でする勇気はありません。

シシミン語には、水を汲むとか穴を掘るという動詞はあっても、「働く」という概念的な言葉はない。だから、1日働いたら、いくらもらえるというようには考えない。なーるほど…。でも、きっと50年たった今は違うことでしょう。

著者は足を痛めて歩けないため「御殿」にいるしかなく、友人の仕事の邪魔もしてはいけない。それで暇をもてあましてパンツを11枚もつくったのでした。男性はパンツもはかないのです。

いったい、どうやって著者は日本に帰ったのか、心配していると、こんな山の中、著者たちが3日もかけて歩いてようやくたどり着いた「御殿」に、なんと迷い子のヘリコプターが降りてきて、著者はそれに乗って、町に戻ることが出来たのでした。ヘリコプターに乗って町に戻るまでの所要時間は、なんとたったの十数分。いやはや、文明の利器とは、恐ろしいものです。

1ヶ月間も暮らした「御殿」から日本に戻って、著者はマラリアを発症。危うく手遅れになるところでした。

50年前の著者は37歳で、まだ幼い娘を日本に置いての旅でした。そしてこれは1968年3月のこと。私が大学1年のときで、ようやく東京の生活に慣れたころになります。

有吉佐和子は『華岡青洲の妻』を刊行して印税がしこたま入っていて、次なる作品の構想を練っているとき、ニューギニア行きの話を聞いて飛びついたというわけでした。

いやぁ面白くて、恒例の人間ドッグで泊まったホテルで一気読みしました。再刊して、たちまち10刷というのは当然の面白さです。

                                   (2025年12月刊。990円+税)

2月1日早朝、ミャンマー最後の戦争が始まった。

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(霧山昴)
著者 フレデリック・ドウボミ、ラウ・クォンシン 、 出版 寿郎社
 ミャンマー(ビルマ)の軍事クーデターに対抗する民衆の姿をマンガで知ることが出来ました。
 日本に住んでいるミャンマー人は2021年12月には3万7千人だったのが、2年後の2023年12月には8万6千人となった。急増したのはミャンマー軍事クーデターによって、国外脱出を試みる若者が増えたから。
軍事クーデターが起きたのは2021年2月1日の早朝のこと。ミャンマー国軍のミンアウンフライン総司令官が前年11月の総選挙には不正があったと主張して起こしたもの。しかし、「不正」の確たる根拠は示されていない。
 その前の2017年8月、70万人以上の少数民族ロヒンギャがミャンマーでの迫害を逃れてバングラデシュへ移動した。
この本の作画を担当したラウ・クォシンは幼少期を京都で過ごしている。中国に渡り、今は香港から台湾に移り住んでいる。
 2020年11月の総選挙で勝利したアウンサンスーチーの率いる国民民主連盟(NCD)
による民主的な政権は短期間のうちに終わらされた。
クーデターの翌日、国民は鍋やフライパンを叩いて抗議した。ミャンマーには金物(かなもの)を叩いて悪霊(あくりょう)を追い払う風習がある。
軍事クーデターによって、2020年11月の総選挙で当選した多くの議員が逮捕された。アウンサンスーチーは2月1日に逮捕された。不法に無線通信機を所持していたという罪で3年の実刑判決が出た。アウンサンスーチーは、多くのミャンマー人にとって、一家の長であり、母親のような存在。彼女の父親であるアウンサン将軍は、独立運動のヒーロー。イギリス軍や日本軍と命をかけて戦った。
 デモ参加者はインターネットで連絡をとりあったので、軍はアクセス制限を始めた。
 ミャンマーの若者には、「ミルクティー同盟」の一員だと考える者もいる。これは、台湾・香港・タイの若者たちが中国とタイの政府軍の権威主義体制に反対してつくったオンライン組織。
 タイの民主化運動で三本指(親指と小指を除く)を立てるのが抵抗のシンボルとなったのがミャンマーでも広がった。
 中国政府は以前のようにビルマ軍を完全には支持していないが、見捨てたわけでもない。
 ビルマ民族の若者のなかに、カチン民族やカレン民族のゲリラを公然と支持する動きも出ている。ヒロンギャに対する認識を改めた人も少なくない。
ミャンマーは今、恐怖の中にあるのに、世界は、それをただ見ているだけ。
ビルマ軍幹部は、クーデターを非難した国連のミャンマー大使を解任できず、その後も任務についたまま。ビルマ軍よりも国民統一(NUG)のほうが正当なミャンマーの代表として国際社会に認識されている。
 自由選挙で軍の代表が勝利したことは一度もない。
 ミャンマーの置かれている実情を少しばかり知ることができました。
(2024年10月刊。2200円)

遊牧民、はじめました

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(霧山昴)
著者 相場 拓也 、 出版 光文社新書
 モンゴル大草原の掟(おきて)というサブタイトルのついた新書です。衝撃的な面白さでした。モンゴルの大草原で生活するということが、どれほど大変なことなのか、ひしひしと迫ってきました。
モンゴル草原の大地とは、人間にはあまりにも残酷な「失望の荒野」でもある。
 凍りつく大地と、実りの少ない草の原野である。そんな場所での生活は、生きるだけでも精いっぱいで、人間本来の野生の生存本能が試される。
 突然の生命の終わりや、命をつなぐための家畜群の全滅に向きあったとき、遊牧民が絶望しないための心理操作として、「自分の責任ではない」という単純明快な答えが用意されている。荒々しい自然と対峙したとき、巻き起こる災害に対処しなければならないとき、あらゆる不幸に対して、「自分のせいではない」と思えることこそが、草原の民の心の強さなのだ。うむむ、そういうことなんですか…。
モンゴルでは、酒は社会の悪しき潤滑油でもある。
 単調でエンターテインメントのない草原の暮らしでは、気晴らしや息抜きが少なく、心のゆとりを感じにくい。酒を飲むこと、来客と世間話をすることが数少ないストレス発散になっている。
 モンゴル人は、起きてほしくないことは、とことん口にしない。会話のなかで否定形を一切使わない返答は、自分の未来を否定しないためのモンゴル流の口頭技法。口に出して現実になることを恐れているため、未来や過去を否定しないような回避法が根底にある。
 モンゴル遊牧民の心持ちは、悲観を前提とした悲壮感に満ちた生。単調で、死と隣りあわせの遊牧生活に、南国風の楽観論が育(はぐく)まれることはなかった。
 遊牧民は、その歴史上、常に不知と暴力にまみれた社会だった。組織内や親族内でもめごとが発生したとき、「話し合い」による解決はほとんど実践されない。
 モンゴル人とのあいだで、一度でも人間関係に亀裂が生じると、それはもはや回復できないほどの破綻を意味している。
 遊牧民の社会には「末っ子」が家督を継ぐ末子相続という習慣が今でも連綿と受け継がれている。この末子相続は、親族間や氏族内関係を複雑にする原因にもなっている。
 末子は、両親が死ぬまで同じ天幕で共に暮らすのが通例。末子相続は、地域コミュニティの富の偏在を肯定的に推し進める。末子相続というシステムのもと、遊牧民は、「富や名声とは、努力で勝ち得るものではなく、親の経済力や生まれで決まる生来所与のもの」という強い感覚がある。末子への羨望(せんぼう)と、それに由来する闘争こそが遊牧民の戦いの根源に直結している。
モンゴル人と接していると、人間関係を長続きさせるのが不得意だと実感される。
 モンゴル人に対して、決して怒ってはいけないし、直接的に物事を伝えたり、批判してはいけないし、相手のへそを曲げさせてはいけない。
 モンゴル人は、本質的に好戦的な心を宿し、暴力行使へのハードルの低い人々である。
 遊牧民と親しくなるためには、手土産、酒盛りそして一芸披露が必要。
 遊牧民はとにかく話題に飢えている。情報ネットワークを重視する遊牧コミュニティでは、隣人・知人の行動はきわめて重要な判断基準になっている。遊牧民の日常会話のほとんどは家畜と人間(親戚・知人・隣人)、そしてお金の3つしかない。
遊牧民が移動するのは、自らの意思というより、家畜を養うための水と草を探し求めて、家畜によって移動させられているというのが実態。遊牧民は、自由気ままに草原を放浪して生きていられるほど、楽な稼業ではない。移動とは、単純に牧草資源を探し求めているわけではない。家畜とは遊牧民のすべてであり、すべては家畜から育まれる。
 モンゴル人の食文化では、ただ茹(ゆ)でただけのヒツジ肉がごちそう。調味料は塩を少々で、他には何もない。
 モンゴル人の住居である天幕は、入って右側が「女性の場」、左側が「男性の場」と決まっている。そして、出入口の扉は、かつての遊牧民の王国が征服を目論む侵攻方向と一致している。
 モンゴルの女性は、しっかりしていて、凛とした強さと、しなやかさで、男性優位のイスラームのコミュニティを生き抜いている。
 かつての遊牧民の社会では、人生は30歳にみたない程度で終わっていた可能性がある。
 遊牧民としてのモンゴル人の大草原での厳しい生活、そこから来る人間形成について、驚くばかりで、まったく目を開かされた気がしました。
(2024年9月刊。1100円)

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