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カテゴリー: 韓国

光州事件の記憶

カテゴリー:韓国

(霧山昴)

著者 高 祐二 、 出版 花伝社

 先日の韓国の非常戒厳令の布告には腰を抜かしてしまいました。まさか、まさかです。しかも、その理由が、野党は北朝鮮の主張に従う「従北勢力」だと決めつけ、「国会は犯罪者集団の巣窟になった」というのですから、まさしく開いた口がふさがりません。北の金正恩が韓国の国会を牛耳っているだなんて、まともな頭の人なら、そんなの嘘、ウソときっぱり断言できることです。金正恩にそんな力があるなんて、考えられもしません。金正恩本人も韓国の国会を支配しているなんて思ってもいないことでしょう。

 2024年12月3日夜10時30分ころの尹錫悦大統領の発表は、まさしくクーデターを狙ったものでした。ところが、韓国の軍人たちは尹大統領の必死の督励に対して面従復背で対抗したのです。それが1980年5月の全斗煥たち軍人によるクーデターとの決定的な違いです。

軍人は上司の命令に盲従するはずですし、尹大統領はかなり前から腹心の部下たちと計画を練り上げていました。決して、その場の思いつきでなされた布告ではないのです。この本によると、3月ころから計画され、8月から9月にかけて国防部長官ら軍部のトップと謀議を重ねていて、戒厳令発令のタイミングを探っていたというのです。

 国会議員を逮捕し、メディアへの水道と電気供給を遮断して言論統制を実施する計画でした。社会全体を一挙に掌握しようとしたのです。

 ところが、特殊戦司令官も首都防衛司令官も尹大統領の指示したとおりには動きませんでした。まず、兵士には実弾を携行させず、車両に置いておくよう厳命した。そして、国会議員が国会に入るのを制止しなかった。

 いやあ、これは、光州事件のときの軍人の行動とはまったく異なります。

 2025年1月15日、尹大統領は内乱首謀容疑で身柄を拘束され、1月19日に尹大統領は逮捕された。

 全斗煥も下手すると軍部から逮捕されかねませんでしたが、全斗煥はうまく切り抜けました。作戦勝ちしたのです。その迫真の状況が映画で再現されていました。

 元大統領の逮捕・起訴は韓国では珍しくありませんが、現職大統領の逮捕は韓国の憲政史上初めてです。そして、現在の李在明大統領が誕生したときの選挙(2025年6月30日)において、投票率が8割のなかで歴代最多の1728万票を獲得したのです。

 日本の投票率は6割ほどですから、韓国の人々の政治意識の高さがうらやましいです。

 1980年5月の光州事件の前には、1979年10月26日の朴正煕大統領が側近のKCIA部長(金載圭)による銃撃による死があった。これが1979年12月12日の全斗煥を主体とする軍部クーデターにつながった。

 1980年5月の光州事件については、いくつもの映画が制作され日本でも上映されています。この本を読むと、弾圧した軍部が徹底した証拠隠しをしたことから、今なお被害者の全貌は完全には判明していないとのことです。むごい事件だったし、残念です。

 光州事件と今回の尹元大統領によるクーデター未遂事件を対比させている本書によってことの本質をさらに深く理解することができました。

(2025年12月刊。1980円)

辺境から中心へ

カテゴリー:韓国

(霧山昴)

著者 文在寅 、 出版 実業之日本社

 文在寅回顧録、外交安保編というサブタイトルのついた面白く興味深い本です。一読して、文在寅元大統領を心から尊敬する気になりました。

ひたすら平和だけを願い、過去の政権の対北政策をグレードアップさせながら、引き継いできた私たちの意思が成し遂げた。アメリカと手をとりあって南北会議の突破口を切り開き、史上初の米朝首脳会議につなげた。

 昔から想像すらできなかったことを成しとげた。その過程は、現在、中断されているが、だからといって悲観し、希望を捨てるわけにはいかない。再び、対話へ局面を転換していかなければならない。再び対話を始めには勇気が必要。平和に対する意思のないところに、平和が訪れるはずはない。

 文在寅は、北朝鮮の体制崩壊と吸収統一を望まないと断言しています。それは、現実問題として韓国に何の利益をもたらさないからといいます。

 北朝鮮の体制が崩壊したら、中国の助けを求める。その結果、中国が北朝鮮の状況を主導することになれば、韓国にとっていいことは何ひとつないし、統一の道もさらに遠のいてしまう、そうみています。北朝鮮を簡単に吸収できると考えるのは、あまりに現実離れした、ナイーブなものにすぎないというのです。考えさせられます。

 文在寅は、日本について、きわめて冷静に、かつ批判的です。日本国民として、その批判があたっていると言わざるをえないのが、本当に残念です。

 日本は本当に度量のない国、これから上昇する国ではなく、下落する国だと強く感じた。非常に了見の狭い外交姿勢を見せる。

 日本の発言は終始一貫、徹底して自国中心的なもので、アジア-太平洋地域のリーダー国家として全体をまとめる観点がまったくなかった。東北アジアのリーダー国家らしく、東北アジア全体の平和と安定を考える観点もなかった。

 アメリカには、チキンホークという言葉があるそうです。臆病なタカ派という意味。実戦経験はもちろん、軍に服務すらしたこともないのに、発言はタカ派で、勇ましいことばかり言う連中のこと。日本にも高市のようにチキンホークそのものが我が物顔で威張っている人たちがいますよね。中国まで届くミサイルを備えたら、中国は屈服させられるなんて考える人たちです。

 ひどい言葉や悪態は、相手を傷つける前に自分自身を傷つける。レベルの低い対北チラシは、韓国民自身を辱(はずかし)める。

 北朝鮮の金正恩とアメリカのトランプはハノイで会談したわけですが、このとき北朝鮮にはベトナムまで飛ばせる専用の飛行機がなかったので、中国の飛行機を借りるしかなかった。これで北朝鮮は中国に借りをつくってしまった。

 金正恩は、会談場所としてモンゴルを提案し、それがダメなら、北朝鮮の海域に空母のようなアメリカの大型船を停泊させてそこで会議することも提案したとのこと。ところが、これはアメリカ側が受け入れなかった。

 2018年9月19日、文在寅大統領は15万人もの北朝鮮の人々の前で演説しました。実に泣かせる演説です。

「私、文在寅は金正恩委員長とともに核の脅威と戦争のない朝鮮半島をつくることにしました。私たちは5000年をともに暮らし、70年を別れて暮らしました……」

 平壌市民の困難を韓国民はよく知っていると激励したのです。同じ同胞としての気持ちを伝えようとしたわけです。金正恩からは、内容や時間について、何ら制限をつけられず、すべてが文在寅にまかせられたとのこと。金正恩には、それだけの包容力はあったわけです。側近が演説原稿を起案したとしても、最後は文在寅が自分の言葉で語ったのが、人々の胸をうちました。このときは、金正恩も文在寅に対して誠意をもって誠実に対応していたのです。それがなくなってしまったことが、読み手の私も本当に残念です。

 今の金正恩は、対話を失い、再び核にしがみつき、敵対視と対決を叫ぶ道に戻ってしまい、南北の敵対関係はさらに増幅している。今、金正恩が見せている姿は、非常に無謀で、危険だ。

 日本にも、このように平和外交を中心にすえて進めていく政治家が本当に必要だと思います。トランプ大統領のそばで、しかも、アメリカの航空母艦の上で飛んだりはねたりするような高市首相の存在は、日本に不幸をもたらすだけでしかありません。

 会話体の文章ですので、とても読みやすく、550頁もの大作ですが、一気に読了しました。ご一読を強くおすすめします。

(2025年12月刊。3630円)

韓国インスタントラーメンの世界

カテゴリー:韓国

(霧山昴)

著者 チ・ヨンジュン 、 出版 原書房

 インスタントラーメンが日本で生まれたことは有名です。安藤百福(ももふく)は47歳のとき世界初のインスタントラーメン「チキンラーメン」を発明した。NHKの朝ドラ「まんぷく」でその人生が紹介された(私はみていません)。私が小学生のころは、袋入り棒ラーメンでした。そして、カップヌードルを開発した。

 そして、韓国の三養食品が日本に学んだうえで躍進した。そして、農心が「辛(しん)ラーメン」で売り出して逆転した。韓国は、今や世界一のインスタントラーメンの消費国であり、世界中に輸出している。

 現在のラーメンのルーツは、東京浅草の「来々軒」の「支那そば」(1910年)。戦後になって「支那」はまずいので、「中華そば」と呼ばれるようになり、インスタントラーメンの「チキンラーメン」のテレビCMを通じてラーメンというのが全国的に広まり定着した。昔からラーメンと呼んでいたのではなかったのですね……

 私が高校2年生のころ(1965年)、修学旅行で東京に行ったとき、渋谷駅の近くで東京ラーメンを初めて食べたのですが、出てきた黒っぽいスープのしょうゆラーメンを「えっ、何、これ。間違ってうどんが出てきたんじゃないか」と友達と騒いでしまったことを今でも覚えています。ラーメンといえば、白濁した豚骨スープとばかり思っていたのです。

 世界発のカップラーメンは1個100円という強気の値段で売り出した。その価格に納得できるような高級感のある具材として、大きなエビを入れた。なーるほど、ですね。インド洋でとれる「プーパラン」というエビがそんな具材としてぴったりだった。そして、手にもって食べやすく、熱さを感じない素材として発泡スチロールを選びました。

韓国のインスタントラーメンの元祖「三養ラーメン」をつくったのはチョン・ジュンユン。日本の安藤百福に匹敵する存在。日本に渡って、明星食品から企業秘密であるスープの配合レシピまで教えてもらった。そして、1963年9月、ついに売り出した。ところが、3年間は鳴かず飛ばずで、三養工業は赤字続きだった。

三養食品から2年遅れてスタートした農心は、今や韓国シェア1位、世界市場でも5位。「辛ラーメン」で有名。「男を泣かす辛さ。農心辛ラーメン」というコマーシャルで売り出した辛ラーメンは1日あたり300万個を売り上げる。いやあ、大変な数字ですね。韓国の「トシラク」(インスタントラーメン)はロシアで国民食となっている。

2023年、1202億個のインスタントラーメンが世界中で売られている。香港の「国民的なラーメン」は日清食品の「出前一丁」。しょう油味のスープにごま油を加えた味。

 大阪府池田市には「カップヌードルミュージアム」があるそうです。「安藤百福発明記念館」です。1個500円で、オリジナルのカップヌードルが作れるそうです。

何事も初めて開発した人は多大の苦労をし、成功したら、すぐにそれを模倣する人々が追いかけてきます。うかうかしていると、すぐに追い抜かれてしまうのです。

世界中のインスタントラーメン事情を手軽に知ることができる本です。

(2025年11月刊。2420円)

分断八〇年

カテゴリー:韓国

徐 台教(集英社)

韓国で非常戒厳令が突然宣布されたのには驚かされました。

2024年12月3日夜10時27分、尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領が発したものです。そして、その理由として、国会議員の多くが北朝鮮の意向を受けて動いているというのに呆気にとられました。北朝鮮の影響力が韓国の国会議員を牛耳るほど強いなんて、ありえません。尹大統領は、悪い夢でもみている、正気ではありえないと感じました。

幸い、この非常戒厳令は翌4日午前1時3分に、国会議員190人が解除要求を決議したことで解除されました。その解除に至るまでに、当時の与党の一部議員と野党議員が勇気をもって国会内に入りこみ、また、大勢の市民が国会を取り巻いて、それを支援しました。実にすばらしいことです。

このとき、動員された軍の精鋭部隊も国会内への突入・占拠を命令されたのにもかかわらず実行しませんでした。たとえ、上からの命令であっても、理不尽な命令には無条件に従うことはないという、理性が発揮されたのです。

今、尹元大統領は裁判にかけられていますが、懲役10年の求刑がなされたと報道されました。ところが、今もなお、尹元大統領を支持する韓国人も少なくないとのこと。その人たちは、非常戒厳令の動きをことさら矮小(わいしょう)化する。一連の経過のなかで、死傷者が出なかったんだし、何もたいしたことではないと、軽く考えているそうです。

いやいや、非常戒厳令が本当に施行されていたら、国会機能が停止して、かつての朴大統領の軍部独裁政治が復活するのです。まさしく民主主義が一時的にせよ死滅します。

この非常戒厳令のときに動員された韓国軍は、陸軍の特殊戦司令部所属の第707特殊任務団280人。完全武装でヘリコプターに乗って、国会に乗りつけていた。国会を力ずくで掌握しろというのが尹大統領の命令だった。しかし、現場指揮官は従わなかった。

この本によると、陸軍特殊戦司令官(郭種根中将)は非常戒厳令の2日前に国防長官から行動指示を受けていた。まさしく計画的だったのです。偶発的なものではありません。

韓国軍は、これまで光州事件のときのように、何度も国民に対して銃を向け、発砲したという、怖い実情があります。

韓国と北朝鮮の体制競争は1980年に決着がついている。1945年8月の日本終戦後まもなくは、北朝鮮のほうが韓国より進んでいたことがありました。でも朝鮮戦争のあとは、韓国の躍進ぶりには目を見張るものがあり、今では北朝鮮では、腹一杯食べたい、飢餓したくないなんてことを真剣にまだ議論しているのですから、話になりません。それで、韓国進歩派の主流は北朝鮮に優越感を抱いているのです。

韓国ではキリスト教の信者が多く、教会の牧師たちが、反共を煽りたたせている。韓国は、見違えるほど、成長した。しかし、この80年間、「分断」だけは一貫

して続いている。

北緯38度線での分断をもちかけたのはアメリカであって、ソ連ではない。アメリカはソ連が朝鮮半島を全部とるのは許せなかったし、日本を丸ごとに手に入れたかったから。ソ連としても、満州を獲得できるのならと、アメリカの提案に同意した。

朝鮮戦争は北朝鮮の金日成がスターリンの了解を得て始めたことが明らかになっています。毛沢東はスターリンから押しつけられたようです。中国で国内線に従事した精強な3万7千人もの朝鮮人兵士が北朝鮮にいたこともあって自信満々で韓国に攻め込んだのでした。また、アメリカ軍も500人の軍事訪問国がいるだけで、撤退を完了していたのです。

それでも、国連軍を名乗るアメリカ軍が仁川上陸作戦を成功させてからは、一気に挽回され、北朝鮮軍の特色が濃厚となったとき、毛沢東が参戦を決意したのです。朝鮮戦争の軍人の戦死者は韓国軍14万人、朝鮮人民軍50万人。ところが民間人も莫大な死傷者を出していて、北朝鮮の人口の12%が亡くなったとのこと。大変な数字です。

肝心なことは、武力によっては朝鮮半島は統一できないことが分かった戦争だということです。これこそ日本人も学ぶべき教訓だと思います。いま、「中国脅威」論をあおりたてて大軍拡予算(なんと9兆円)が組まれていますが、あの強大な中国の軍事力に対して、日本が軍事で対抗しようなんて、そもそも発想が間違っています。韓国の「分断80年」から日本も大いに学ぶところがあると思わせる本です。

025年12月刊。2420円)

私たちに名刺がないだけで仕事してこなかったわけじゃない

カテゴリー:韓国

(霧山昴)

著者 京郷新聞ジェンダー企画班 、 出版 大和書房

 日本も依然として女性労働者の賃金格差は大きいわけですが、韓国もそれは同じです。

 2005年、韓国の憲法裁判所は戸主制は憲法違反だと認定した。それによって戸主を筆頭とする戸籍は廃止され、今では家族関係だけを記載する家族関係登記簿となっている。弁護士にとって、現在の戸籍は相続人を確定するうえでは大変便利なものです。でも、いろいろ知られたくないような個人情報が山盛りなのも事実です。世界中で日本の戸籍だけが突出しているようです。

 年齢(とし)をとってから稼いだお金は、8割は自分のために使うもの。なーるほど、遠慮なく使いましょう。

朝起きて、行くところがあるのは、とても幸せなこと。これを「きょうようがある」と言います。「教養」があるのではなく、「今日、用がある」ということなんです。

 年齢をとってからも働いているのを知ると、「うらやましすぎるわ」と言われることがある。

 ヨーロッパの人々は定年が来るのを楽しみにして働いていると聞きます。定年が来たら年金をもらって、働かずに好きなことだけをして老後を過ごすことが理想なのです。ところが、日本では、定年後も何とかして働きたいという人が多いと思います。もらえる年金額が、あまりにも低いことも、その大きな根拠になっています。でも、それだけではありません。老後に趣味で生きるということがないときには外で働いたほうがマシだという人も少なくありません。

 1954年に生まれた女性は、10代で女工として工場労働をはじめ、20代で母親になり、家事労働を引き受けた。30台に再び工場に戻り、40代でIMF危機を経験して非正規雇用になった。50代からは、清掃や介護、看病などの低賃金の仕事に従事する。60歳すぎた今もなお、彼女たちは働き続けている。

 65歳以上の女性就業者は124万人で、25~29歳のそれの115万人より多い。

 結婚後、家事を担当する主婦は「家の人」と呼ばれる。韓国では、この言葉は差別用語とされているが、今でも多くの男性が妻を紹介するとき、「家の人」と呼ぶ。

 エッセンシャルワーカーの4人に1人は60歳以上の女性だ。清掃員や環境美化員の業界は高齢女性をまるでブラックホールのように吸い込んでいる。

女性だけが仕事と家庭の二者択一を迫られる状況は30年前も、今も、依然として続いている。

 日本の女性も、たくましく生きている人は少なくありませんが、韓国の女性は、たくましい人が日本よりはるかに多い気がします(気のせいでしょうか…)。

(2025年7月刊。2420円)

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