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カテゴリー: フランス

ノマドという生き方

カテゴリー:フランス

(霧山昴) 

著者 左地亮子 、 出版 世界思想社

これまでの依頼者に長距離トラックの運転手が何人もいましたし、今もいます。1年の大半をトラックの中で過ごす人々です。家に帰るのは月のうち数日だけという人も少なくありません。寝るのはトラックの運転手のうしろ。そしてトラックは高速道路のパーキングエリアかコンビニの駐車場。トイレはもちろんそこにありますし、シャワー室もパーキングエリアにあるそうです。まあ、こういう人たちのおかげで日本の物流は成り立っているわけですが、これも「移動しながら生きるひと」に含まれるのではないのかな…、ふとそう思いました。

この本にも紹介されていますが、日本でもキャンバンカーで日本中を漂泊している人々がいて、たまに集合することがあるそうです。

本書は、フランス南部を拠点としつつも、移動して生活しているマヌーシュの人々に焦点をあてています。移動しながら生きるとは、どういうことなのか、なぜ彼らは一箇所に定着しない、しようとしないのか、考えさせられました。

今日、世界のジプシー・ロマのほとんどが定住生活を営むなか、マヌーシュは移動生活を続ける。フランス南西部、ピレネー山脈に近いポー地域には1300人のマヌーシュが暮らしている。著者は、20年来、ここで研究を続けている。

ジプシーは日本では蔑称とされ、ロマと言い換えられることが多い。しかし、彼らは自分たちをロマとは呼ばない。

世界各地に1200万人ものジプシーあるいはロマと呼ばれる人々が存在する。

現在のフランスには、マヌーシュ、ジタン、ロマという多様な集団が暮らす。フランスに暮らすジプシーの総人口は30万人から50万人と推計されている。しかし、正確な数値ではない。ジプシーと呼ばれる人々の目の色、肌の色そして髪の毛は実にさまざまであって、決して一定していない。

それでも、多くのフランス人は区別できる。話し方、歩き方、身ぶりや服装、つまり「身体を用いる作法」に特徴がある。サポサンダル(かかとのないサンダル)、目につく付けた胸元を飾る金色のアクセサリー、身ぶりの大きさ、堂々とした歩き方などだ。そこでは髪の毛や肌の色は問題にならない。

マヌーシュ共同体は移動のなかで離合集散をくり返してきた。ポー地域のマヌーシュは、1年の大半をここで過ごし、旅に出るのは春から秋にかけて。せいぜい数ヶ月間。

マヌーシュは、今も「定住民」ではなく、移動生活者であり続けている。自分の勘定で働き、収入も労働時間も自由度が高い働き方を選ぶ。マヌーシュの家の中はシンプル。マヌーシュは、家を手に入れても、キャンヴァン(車)は手放さない。キャンヴァン内部の空間は清潔な状態に管理され、汚れの侵入は避ける。家は、移動を前提とした生活を支えるための拠点。自由に、出発し戻ってこれる移動の条件を確保し、社会の連鎖を活発化させる。

マヌーシュにとって、ファミリアは一番重要な社会的基盤。老人ホームに親を預けるなんてことは、マヌーシュではありえない。子育ても、母と父だけのものではない。子どもの欲求や要望は、できるかぎり受けとめようとするのがマヌーシュ流の子育て。

ふだんは散在し、必要なときに集結する。連帯を常に意識しつつ、群れすぎない。マヌーシュの社会組織には権力が存在しない。親は既婚の子に何かを強いることはない。マヌーシュは、基本的に夫婦や親子であっても他人に何かを強いることがない。個人を強い力でしばることはない。あえてしばらない。

マヌーシュの結婚は、今も昔も「駆け落ち」という形態をとる。

問題が起きたとき、その解決手段として、「移動し、離れる」ことがある。

私にはとてもマネできませんし、しようとも思いませんが、世の中には多種多様な生き方があるという事実だけは、しっかり理解できました。

(2026年6月刊。2200円)

キッチンとマルシェのあいだ

カテゴリー:フランス

(霧山昴)

著者 辻 仁成 、 出版 光文社

シングルファザーになって、一人息子を育てあげた著者の食育日記みたいな本です。

著者が作家なことは知っていましたが、コンサートをやる歌手でもあるようです。でも、この本では、なんといっても料理人です。レストランのシェフではありませんが、あまたのシェフとの交流があり、自らマルシェに食材を買い出しに出かけ、それをもとに自ら料理に精を出すのです。ええっ、そんな生活で暮らしていけるの…、と不思議に思いました。きっと莫大な印税収入が入ったのでしょうね。そして、SNSで自分のフランス滞在記と料理を発信していますが、これも収入の足しになっているのでしょうか…。

料理が出来ず、また、手を出したいとも思わない私にとっては、半ばはうらやましくもありますが、その反面、ひとりで本を読みふけるほうが自分の性(しょう)にあっていると、やっかみ半分に思い、自分を納得させています。

フランスでは、どこの家にも必ずオーブンがある。オーブンのない家庭はないと断言してよい。フランス人はオーブン料理を好む。

家庭料理にはシンプルなものが多い。フレンチのフルコース料理を家庭で食べるフランス人なんて、いない。

ポルトガル料理に欠かせないのが塩ダラ(バカリャウ)。それ自体がすでにうまいわけではない。でも、ゲルマン人のジャガイモ、日本人の米に匹敵する。

パリの冬の食卓の主役はモンドール。私はモンドールなるものを食べたことがありません。残念です。オーブンで焼いてトロトロにしたモンドールを、ゆでたジャガイモやシャルキュトリー(豚肉?)、バゲットに合わせて食べる。チーズの女王。

美味しくするためには、時間が働いてくれる。スパイスや、火力よりも、時間が一番大事なんだ…。

日本で売っているバゲットとフランスのバゲットは、まったく別のもの。

もうウン十年も前のことです。パリのカルチェラタンのプチホテルに家族で泊まりました。そこの朝食に出たバゲットの美味しいこと。今でも我が家の語り草です。絶妙な塩味なのです。プチホテルの近くのパン屋で買ってきたものがぽんと出されます。サラダも何もなく、カフェオーレとバゲットのみの朝食でしたが、家族そろって毎朝、大満足でした。

ヨーロッパ人の食生活に欠かせない食材の一つにオリーブオイルがある。絹のような口当たり。ぬめりやとろみが少なく、また全体にすーっと行きわたるような、透明感あふれるばかり、ものすごい新鮮さがある。それがO.2。

料理とは、発想と失敗と食い意地で上達するもの。

フランスには全土で1万以上ものマルシェがある。著者はそのマルシェをめぐって、店主と食材を会話しながら仕入れていくのです。

フランスでは、老後、子どもたちと暮らす人は少ない。さすが、個人主義を愛してやまないフランスです。

著者の出身は福岡とのこと。弟と母親が福岡に暮らしていて、ネットでレシピを伝え、弟が料理して、母親に食べさせるという話も出てきます。さぞかし美味しかったことでしょうね。

著者が離婚したとき少年だった息子も、無事に大学を卒業して独り立ち。65歳になった著者は、犬と一人生活。そして自分のための料理に精を出すのです。新しいパートナーは必要ないのでしょうか…。そんな話が全然出てこないのが不思議でした。

最後に、著者のつくった(と思われる)料理がカラーで紹介されています。目で眺めるだけなのが残念でなりません。お相伴させてほしいのですが…。

(2026年3月刊。1980円)

アルジェリア戦争

カテゴリー:フランス

(霧山昴)

著者 黒田 友哉 、 出版 中公新書

 今から60年も前の1967年4月、私は福岡から東京に出て大学生の生活を始めました。上京してまもなく、渋谷の大きな映画館で観たのが「アルジェの戦い」です。「アタンション、アタンション(注意せよ)」というフランス語の乾いた呼びかけが今も耳の底に残っています。フランス人相手の無差別テロが町で頻発していて、フランス軍は危なさそうな男たちをテロリストとして捕まえて拷問を重ねる、そんな凄惨な映画です。

 アルジェリア独立戦争は1954年から62年まで、8年も続きました。しかも、フランスはアルジェリア戦争とずっと呼ぶことがなく、最近になってようやくこの呼称を認めたのです。それまでは、単なる反乱でしかありませんでした。政府に対する反乱ですから、当然、弾圧の対象になるというものです。

 ところが、フランス軍の圧倒的な武力をもってしても、FLN(民族解放戦線)を屈服させることはできませんでした。最後に、ド・ゴール将軍が登場し、大統領としてアルジェリア戦争に向かいます。そして、ついにアルジェリアはフランスから独立したのです。

 アルジェリアの首都アルジェにはFLNの活動家が5000人もいて、8000人のフランス軍と対峙しました。フランス軍はFLNを大量に逮捕して、拷問を加えました。ひどい拷問がFLNに加えられていることが知れわたると、フランスの知識人たち、サルトルなどはアルジェリアの独立を支持するようになります。カミュはアルジェリア出身で、独立を否定するような言動をして、痛烈に批判されました。

 FLNのテロ行動は、初めからあまりに残酷だった。しかし、フランス政府がそれに対する報復を思いとどまっていたら、それ以上エスカレートすることなく、紛争はやがて終結していただろう。FLNの過激派の行為は非難すべきものだった。それでもフランス側が報復したことによって、紛争はエスカレートし、継続していった。

 アルジェリア戦争と、多くの武力紛争に共通するのは、憎しみによる感情の抑制のきかない暴力の連鎖、それを断ち切れなかったこと。

 ガザにおけるハマスのテロが、イスラエルによるはるかにひどい暴力的報復をもたらし、それが今なお続いています。恐るべき事態です。そして、アメリカによるイラン攻撃はまさしく一方的な先制攻撃であり、報復でもなんでもありません。国際法にも国連憲章にも反するものです。それなのに、日本の高市首相はトランプに抱きつき、息子を「イケメン」だと歯の浮くようなお世辞を言ってまで、こびるのです。なんという情けない首相でしょうか。恥ずかしい限りです。

 ホルムズ海峡を通過するタンカーなどから、トランプは通行料の半分をもらいたいと言い出しました。許せません。なんでも商売の種にしようとするトランプの発想は、ひどすぎます。

(2026年1月刊。990円)

エメ・セゼール

カテゴリー:フランス

(霧山昴)

著者 尾立 要子 、 出版 筑摩書房

 エメ・セゼールって、何?という日本人がほとんどではないでしょうか…。ところが、NHKのフランス語講座を長く視聴している私にとっては周知の人物です。

 目下、1月末のフランス語検定試験(準1級)の口頭試問に向けて、必死の努力をしています。今の課題は、いくつかのテーマで簡単に論じるようになれることです。もちろん構文が基本ですが、とっさに重要な単語が頭に浮かぶようにしておく必要があります。これまで、うまくいったときは、手がかりとなる単語がすぐ思い浮かびました。失敗したときは、頭のなかが真っ白になってしまったときです。

 この本を読んで、エメ・セゼールが最近まで生きていたこと、フランス共産党の党員として活動していたことがあることを知りました。エメ・セゼールが亡くなったのは2008年。95歳でした。そう言えば昨年末に亡くなった日本共産党の不破哲三も95歳で亡くなりましたね。

 エメ・セゼールは「ネグリチュード」という言葉を広めたことでも知られます。詩人であり、政治家でもあります。エメ・セゼールは、カリブ海のマルチニーク島の中心都市フォール・ド・フランスの市長を50年以上もつとめていますし、ミッテラン大統領のころ、国会議員でもありました。

 マルチニークは人口35万人の小さな島です。主な産業はサトウキビ栽培であり、それを支えた(ている)のは、アフリカから連行されてきた黒人奴隷(とその子孫)です。

 エメ・セゼールは、1956年にソ連軍がハンガリー動乱に介入したとき、フランス共産党がソ連を支持したことから離党して、マルチニーク進歩党を結成したのでした。フランス共産党はソ連共産党にいつもべったりで、主体性がありませんでした。

マルチニークではクレオール語が話されるのですが、エメ・セゼールは、あくまでフランス語で詩を書き続けましtあ。

 エメ・セゼールは、ネグリチュードという言葉を広め、ニグロであることはポジティブなことだと強調した。それまでマルチニークの人々は、自分たちはニグロではない、ニグロはアフリカにいると思い込んでいたので、衝撃的な指摘だった。

 私のような日本人からすると、アフリカ黒人もカリブ海の黒人も同じように見えますが、実は黒人といっても多様なんですよね。ムラートという肌が浅黒い人々がいます。黒人との混血の人々です。マルチニーク人は、アフリカ系黒人に対して優越意識がありました(す)。

 マルチニークで奴隷制が廃止されたのを復活させたのはナポレオン。というのも、その妻ジョセフィーヌはマルチニーク島の裕福な奴隷農園主の娘だった。このジョセフィーヌの影響力の強さがナポレオンに奴隷制を復活させたとみられています。とんでもない女性です。

 エメ・セゼールは詩のなかで、「決して私をあの憎しみの人にはしないでほしい」と訴えています。憎しみの連鎖を絶つ必要があるということです。

 ベルギー領コンゴから独立したコンゴの初代首相だったルムンバは、1961年1月17日に暗殺された。アメリカのCIAの仕業です。ルムンバの暗殺に現在に至るコンゴの混迷と不幸の始まりだと著者は書いていますが、まったく同感です。

 エメ・セゼールは、いかなる人種といえども、差と知性と力を独占してはいないと書いています。これまた、まったくそのとおりです。

 フランス語の勉強を続けているのは、こうやって視野が広がっていく楽しさがあるからでもあります(ボケ防止がなにより一番なのですが…)。

 

(2025年10月刊。2310円+税)

丸刈りにされた女たち

カテゴリー:フランス

(霧山昴)
著者 藤森 晶子 、 出版 岩波現代文庫
 第2次大戦中のフランスでドイツ兵と親しくしていた女性たちが終戦後、ナチス・ドイツへの復讐といわんばかりに、頭髪を丸刈りにされ、市中を行進させられました。この本は、その被害にあった女性を訪ねて、その心境、そしてその後どのような人生を送ったのかを掘り起こしています。
 著者は広島生まれの40代の日本人女性です。どうやら、フランスでは先行研究があまり多くはないようです。
 この本によると、戦後のフランスで丸刈りにされた女性が2万人いて、そのうち半数がドイツ人兵士と性的関係をもっていた。残り半分の女性は、経済的協力者、密告者、対独協力的組織に加入していた政治的協力者など。
捕まった女性は、対独協力が市民として許容範囲内とされたら釈放され、そうでなければ祖国反逆罪を問われ、公民権が剥奪された。
 公共の場で丸刈りをするというのは、実は、ナチス・ドイツが始めたもの。これに対しては市民が被害者に同情を抱き、ナチスに対して拒否的な態度をとる市民は多かった。
フランスでドイツ人兵士と性的関係をもったフランス人女性は多かったが、実際には、丸刈りを免れた女性のほうが圧倒的に多かった。それは、人前で大っぴらに付き合っていなかったら分からなかったから。
 ノルウェーには多くのドイツ人兵士が駐留していたことから、人口3千万人の国にドイツ人兵士が父親とされる子どもは1万2千人近くもいるとされている。
フランスで女性の丸刈りを実行したのは住民が自発的にやったこととされてきたが、実はレジスタンスの活動家が8割を占めていた。そして、それは、占領下のときから準備されていた。
 丸刈りの対象となったのは、娼婦については比較的に寛容であった。女性たちは、身体ではなく、心を売ったことが咎(とが)められたのだった。
 歴史は、いつの時代にあっても、ジグザグに進むものなんだな…。そんな感想を抱きました。
(2025年4月刊。1060円+税)

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