法律相談センター検索 弁護士検索
カテゴリー: フランス

アルジェリア戦争

カテゴリー:フランス

(霧山昴)

著者 黒田 友哉 、 出版 中公新書

 今から60年も前の1967年4月、私は福岡から東京に出て大学生の生活を始めました。上京してまもなく、渋谷の大きな映画館で観たのが「アルジェの戦い」です。「アタンション、アタンション(注意せよ)」というフランス語の乾いた呼びかけが今も耳の底に残っています。フランス人相手の無差別テロが町で頻発していて、フランス軍は危なさそうな男たちをテロリストとして捕まえて拷問を重ねる、そんな凄惨な映画です。

 アルジェリア独立戦争は1954年から62年まで、8年も続きました。しかも、フランスはアルジェリア戦争とずっと呼ぶことがなく、最近になってようやくこの呼称を認めたのです。それまでは、単なる反乱でしかありませんでした。政府に対する反乱ですから、当然、弾圧の対象になるというものです。

 ところが、フランス軍の圧倒的な武力をもってしても、FLN(民族解放戦線)を屈服させることはできませんでした。最後に、ド・ゴール将軍が登場し、大統領としてアルジェリア戦争に向かいます。そして、ついにアルジェリアはフランスから独立したのです。

 アルジェリアの首都アルジェにはFLNの活動家が5000人もいて、8000人のフランス軍と対峙しました。フランス軍はFLNを大量に逮捕して、拷問を加えました。ひどい拷問がFLNに加えられていることが知れわたると、フランスの知識人たち、サルトルなどはアルジェリアの独立を支持するようになります。カミュはアルジェリア出身で、独立を否定するような言動をして、痛烈に批判されました。

 FLNのテロ行動は、初めからあまりに残酷だった。しかし、フランス政府がそれに対する報復を思いとどまっていたら、それ以上エスカレートすることなく、紛争はやがて終結していただろう。FLNの過激派の行為は非難すべきものだった。それでもフランス側が報復したことによって、紛争はエスカレートし、継続していった。

 アルジェリア戦争と、多くの武力紛争に共通するのは、憎しみによる感情の抑制のきかない暴力の連鎖、それを断ち切れなかったこと。

 ガザにおけるハマスのテロが、イスラエルによるはるかにひどい暴力的報復をもたらし、それが今なお続いています。恐るべき事態です。そして、アメリカによるイラン攻撃はまさしく一方的な先制攻撃であり、報復でもなんでもありません。国際法にも国連憲章にも反するものです。それなのに、日本の高市首相はトランプに抱きつき、息子を「イケメン」だと歯の浮くようなお世辞を言ってまで、こびるのです。なんという情けない首相でしょうか。恥ずかしい限りです。

 ホルムズ海峡を通過するタンカーなどから、トランプは通行料の半分をもらいたいと言い出しました。許せません。なんでも商売の種にしようとするトランプの発想は、ひどすぎます。

(2026年1月刊。990円)

エメ・セゼール

カテゴリー:フランス

(霧山昴)

著者 尾立 要子 、 出版 筑摩書房

 エメ・セゼールって、何?という日本人がほとんどではないでしょうか…。ところが、NHKのフランス語講座を長く視聴している私にとっては周知の人物です。

 目下、1月末のフランス語検定試験(準1級)の口頭試問に向けて、必死の努力をしています。今の課題は、いくつかのテーマで簡単に論じるようになれることです。もちろん構文が基本ですが、とっさに重要な単語が頭に浮かぶようにしておく必要があります。これまで、うまくいったときは、手がかりとなる単語がすぐ思い浮かびました。失敗したときは、頭のなかが真っ白になってしまったときです。

 この本を読んで、エメ・セゼールが最近まで生きていたこと、フランス共産党の党員として活動していたことがあることを知りました。エメ・セゼールが亡くなったのは2008年。95歳でした。そう言えば昨年末に亡くなった日本共産党の不破哲三も95歳で亡くなりましたね。

 エメ・セゼールは「ネグリチュード」という言葉を広めたことでも知られます。詩人であり、政治家でもあります。エメ・セゼールは、カリブ海のマルチニーク島の中心都市フォール・ド・フランスの市長を50年以上もつとめていますし、ミッテラン大統領のころ、国会議員でもありました。

 マルチニークは人口35万人の小さな島です。主な産業はサトウキビ栽培であり、それを支えた(ている)のは、アフリカから連行されてきた黒人奴隷(とその子孫)です。

 エメ・セゼールは、1956年にソ連軍がハンガリー動乱に介入したとき、フランス共産党がソ連を支持したことから離党して、マルチニーク進歩党を結成したのでした。フランス共産党はソ連共産党にいつもべったりで、主体性がありませんでした。

マルチニークではクレオール語が話されるのですが、エメ・セゼールは、あくまでフランス語で詩を書き続けましtあ。

 エメ・セゼールは、ネグリチュードという言葉を広め、ニグロであることはポジティブなことだと強調した。それまでマルチニークの人々は、自分たちはニグロではない、ニグロはアフリカにいると思い込んでいたので、衝撃的な指摘だった。

 私のような日本人からすると、アフリカ黒人もカリブ海の黒人も同じように見えますが、実は黒人といっても多様なんですよね。ムラートという肌が浅黒い人々がいます。黒人との混血の人々です。マルチニーク人は、アフリカ系黒人に対して優越意識がありました(す)。

 マルチニークで奴隷制が廃止されたのを復活させたのはナポレオン。というのも、その妻ジョセフィーヌはマルチニーク島の裕福な奴隷農園主の娘だった。このジョセフィーヌの影響力の強さがナポレオンに奴隷制を復活させたとみられています。とんでもない女性です。

 エメ・セゼールは詩のなかで、「決して私をあの憎しみの人にはしないでほしい」と訴えています。憎しみの連鎖を絶つ必要があるということです。

 ベルギー領コンゴから独立したコンゴの初代首相だったルムンバは、1961年1月17日に暗殺された。アメリカのCIAの仕業です。ルムンバの暗殺に現在に至るコンゴの混迷と不幸の始まりだと著者は書いていますが、まったく同感です。

 エメ・セゼールは、いかなる人種といえども、差と知性と力を独占してはいないと書いています。これまた、まったくそのとおりです。

 フランス語の勉強を続けているのは、こうやって視野が広がっていく楽しさがあるからでもあります(ボケ防止がなにより一番なのですが…)。

 

(2025年10月刊。2310円+税)

丸刈りにされた女たち

カテゴリー:フランス

(霧山昴)
著者 藤森 晶子 、 出版 岩波現代文庫
 第2次大戦中のフランスでドイツ兵と親しくしていた女性たちが終戦後、ナチス・ドイツへの復讐といわんばかりに、頭髪を丸刈りにされ、市中を行進させられました。この本は、その被害にあった女性を訪ねて、その心境、そしてその後どのような人生を送ったのかを掘り起こしています。
 著者は広島生まれの40代の日本人女性です。どうやら、フランスでは先行研究があまり多くはないようです。
 この本によると、戦後のフランスで丸刈りにされた女性が2万人いて、そのうち半数がドイツ人兵士と性的関係をもっていた。残り半分の女性は、経済的協力者、密告者、対独協力的組織に加入していた政治的協力者など。
捕まった女性は、対独協力が市民として許容範囲内とされたら釈放され、そうでなければ祖国反逆罪を問われ、公民権が剥奪された。
 公共の場で丸刈りをするというのは、実は、ナチス・ドイツが始めたもの。これに対しては市民が被害者に同情を抱き、ナチスに対して拒否的な態度をとる市民は多かった。
フランスでドイツ人兵士と性的関係をもったフランス人女性は多かったが、実際には、丸刈りを免れた女性のほうが圧倒的に多かった。それは、人前で大っぴらに付き合っていなかったら分からなかったから。
 ノルウェーには多くのドイツ人兵士が駐留していたことから、人口3千万人の国にドイツ人兵士が父親とされる子どもは1万2千人近くもいるとされている。
フランスで女性の丸刈りを実行したのは住民が自発的にやったこととされてきたが、実はレジスタンスの活動家が8割を占めていた。そして、それは、占領下のときから準備されていた。
 丸刈りの対象となったのは、娼婦については比較的に寛容であった。女性たちは、身体ではなく、心を売ったことが咎(とが)められたのだった。
 歴史は、いつの時代にあっても、ジグザグに進むものなんだな…。そんな感想を抱きました。
(2025年4月刊。1060円+税)

私が決める、私の幸せ

カテゴリー:フランス

(霧山昴)
著者 大畑 典子 、 出版 ワニブックス
 29歳のとき、一級建築士の女性が思いたって単身フランスに渡り、フランスで「結婚」し、2人の子どもを育てている生活を振り返っています。
結論として、「キラキラしたフランス生活ではないけれど、夢見ていた平凡で温かな暮らし」を実現しているとのこと。写真の笑顔でそれを実感できます。なにより、2人の子と一緒に過ごしているパートナーの写真がホッコリさせてくれます。
 肩の力を抜いて、自分の夢に向かって軽やかに生きていくことを著者は大切にしているのです
 東京では建築士として、がむしゃらに働いていて、ふと思ったのでした。こんな生活をし続けていて、本当に幸せな未来が待っているのか。何か大切なことを見失いかけていないか…。まあ、それにしてもフランス語も話せないのに、よくもフランスに行こうという気になったものですね。いえ、フランスに観光に行くというのではないのです。何日、何ヶ月間の観光旅行なら、フランス語が話せなくてもなんとかなりますよね、きっと。著者は英語は話せるのですが、それではフランスでは生活できません。
 日本の建築士の資格はフランスでは通用しません。そこで、著者はナントにある建築大学の大学院に応募して、無事合格したのです。やはり、ただ者ではありませんね。
そして、フランスでパートナーの男性と出会って、2人の子どもをもうけて、現在も子育て中です。
先ほど「結婚」と書きましたが、正確にはPACSというフランス独特の制度を利用していて、結婚したのではありません。今は、フランス国籍の子どもの母親としてフランスに滞在する権利があります。
著者が住んでいるのは、ナントという地方都市。フランス史では「ナントの勅令」が有名です。私も名前は知っていますが、残念ながら行ったことはありません。
 フランス人の食生活は、ともかく日常的に大量の乳製品を摂取する。それにあわせるのは日本人にはきついので、和食中心に切り替え、子どもが生まれてからも週に半分ほど和食の日にしているそうです。
 著者は自分にとって心地よくないという人間関係は手放すことにしたと思います。大賛成です。先日も、この依頼者とはうまくやれそうもないな、いつ、どうやって縁を切ろうかと思っていると、先方から解任の話が出て、心底からほっとしました。これは、お金には代えられません。
フランスでは、婚姻届出が23万7千に対して、PACSの届出も19万2千あります。結婚よりほんの少しだけ少ないのです。連想ゲーム的にいうと、日本でまだ実現できていない選択的夫婦別姓なんて、なんで反対する人がいるのか、まったく理解できません。頑迷固陋な右翼は、戦前(明治)の家族(江戸時代までは日本も夫婦別姓でした)に無理矢理に戻したいというのです。日本の伝統を無視した、愚かな人たちとしか言いようがありません。
 著者は「国際結婚」をしたことになりますが、その難しさを実感しています。わが家にも国際結婚した娘がいますので、よく分かります。その点からも、参院選のとき、「日本人ファースト」なんて叫んだ政党を許すことができませんでした。
 外国在住経験のない人が国際結婚すると、「モラハラ関係」になりやすい。そうなんですよね。はやり、誰だって自分が体験していないことは、なかなか理解できないのです。それを日頃から口に出してはっきり言える関係をつくり出す必要があるのです。でも、これって、案外むずかしいことなんです。
大切なことは、国際カップルは、お互いに経済的自立しておく必要があるということ。依存関係では、破綻したときにたちまち困るのです。
 フランスには離婚保障手当なるものがあるそうです。初めて知りました。離婚したあと、収入の少ない配偶者の生活レベルが下がってしまわないよう、収入の多い側が少ない側に支払うものです。ただし、ずっとではないようです。
 フランスの家庭に客を招いたとき、靴を脱がせるのは失礼にあたる。これは、まったく生活習慣の違いですね。
フランスには家事代行を利用している家庭が多いが、その費用の半分を国が負担してくれる。それは、共働き夫婦を支援する制度。いやあ、これはいいですね。
 フランスでは在宅保育制度についても、国が費用を半分負担する。これまた、国の少子化対策のひとつだと思います。日本でもやったら、どうでしょうか。
 排外主義がはびこっているのはフランスも同じのようですが、この本を読むと、ますます、みんな同じ人間なんだから、どこかで折りあいをつけて共生していこうという気になります。
(2025年3月刊。1760円)

南フランスの文化・地域社会と産業

カテゴリー:フランス

(霧山昴)
著者 亀井 克之 、 出版 関西大学出版部
 私は南フランスには少なくとも2回行ったことがあります。夏の南フランスは最高です。まず雨が降らず、夜10時まで明るいのが助かります。傘の心配なんかすることなく自由に動きまわれます。そして何より美食の国ですから、食事がどこで食べても美味しいのです。ワインにしても高くないのに味が良くて、料理にぴったりあいます。
私の1回目の南フランス滞在は41歳のときでした。7月20日に日本を出発して8月31日に帰ってきました。まさしく夏休み、それも40日間です。妻も子どもたちも置いて独身気分で出かけました。南フランスではエクサンプロヴァンスに3週間滞在。学生寮に寝泊まりします。男女混合の部屋(もちろん同室ではなく個室です)で、このほうがフロアーを分けるより、かえって安全だというのです。寮の入口にはコンドームの自動販売機があるのにも驚かされました。そしてお昼は、学生食堂でランチを食べます。ワインの小瓶もついているのです。これにも驚きました。さすがフランスです。ワインは水替わりなのです。
 さて、この本です。なつかしいエクサンプロヴァンスの街並みが写真つきで紹介されています。市街の中心にはミラボー大通りがあり、両側はプラタナスの大木が緑豊かなトンネルとなっています。一角には美術館もあります。静かで落ち着いたローマ時代から今日に至る町並みが残っています。
ここは画家のセザンヌが生まれ育ったところです。といっても、セザンヌは生前はあまり評価されていなかったとのこと。遠くに白い大きな山、サント・ヴィクトワール山を眺めます。セザンヌがよく描いている山です。
市場の紹介があります。フランスの街歩きの楽しみの一つが、この市場、マルシェめぐりです。私は夕食は、広場に面したレストランで何度も食事していたので、マダム(女主人)に顔を覚えられ、昼間すれ違ったときにも「ボンジュール、サヴァ」と声をかけられました。
 私が40日間の夏休みをとったのは弁護士になって15年すぎて、マンネリを脱却するため、フランス語の勉強を弁護士になって以来ずっと続けていたので、ブラッシュ・アップするため、というのが口実でした。人生、たまには決断のときがあるのです。
 今振り返っても、あのとき、本当に良い決断をしたと考えています。
 この本の著者もエクサンプロヴァンスの大学院で経営学を学ぶため、まだ幼い子どもたちを連れて行ったのでした。フランスの小学校に子どもを入れるのも大変だったようですが、子どもはもっと大変だったでしょう。フランス語なんて、もちろん話せないのですから…。でも、そこが子どもです。ぐんぐん吸収してまたたくうちにフランス語ペラペラになっていきます。人間の適応力って、恐るべきものがありますね…。
 私は還暦前祝いと称して、60歳になる前、妻と二人で南フランスを旅行しました。もちろんエクサンプロヴァンスにも行きました。このときは、ニースも、ポン・デュ・ガール(ローマ時代の水道橋)も、そしてカルカッソンヌにも行きました。なかでも印象深いのは、エズです。鷲の巣村とも呼ばれます。敵の攻撃を防ぐため、山の山頂にある小さな集落ですが、細い通りが道路のように入り組んでいます。
 ああ、また南フランスに行きたくなりました。ぜひ、みなさん行ってみてください。本当にいいところです。朝、起きて、さて、今日は何をしようかな。何かいい映画でもやってるかな…。そんな、自由に過ごせる日があってもいいと思いませんか…。
(2025年3月刊。2700円+税)
 男女同権は今やあたりまえのこと。でも、現実にはなかなかそうなってはいません。ですから、男女共同参画を推進してきました。
 ところが、参政党は、真っ向から反対して、そんなものつぶしてしまえと叫んでいます。ひどいです。
 選択的夫婦別姓は、夫婦別姓を選択できるようにしようというものですから、夫婦別姓を強制するものではありません。
 参政党は反対しています。そんなのは共産党のイデオロギーだというのです。多くの人が望んでいることなのですから、参政党の反対はまったく理解できません。

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.