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カテゴリー: フランス

パリの「敵性」日本人たち

カテゴリー:フランス

(霧山昴)
著者 藤森 晶子 、 出版 岩波書店
 1944年8月のパリ。ナチス・ドイツの支配から解放されたパリに、日本人が大勢いました。このとき、日本人はドイツと組んで連合軍と戦争していましたから、当然、「敵性」外国人です。
 ドイツ人と仲良くしていたフランス人女性は街頭で頭髪をバサバサと切られて丸刈りにされました。では、日本人も同じように・・・。
 そこまではなかったようですが、収容所に入れられました。当然です。
 連合軍(といっても実態はアメリカ軍が主体。もちろんイギリス軍と一緒です)はパリ攻略を急ぎませんでした。パリ市民に食料供給できる自信がなかったことも理由の一つのようです。
 でも、ドゴールは一刻も早くパリを奪取したかったのです。競争相手の共産党に権力を握られてしまう危険がありましたし、アメリカが軍事政権を樹立するかもしれないことを心配したのです。
 ドゴール軍がアメリカ軍と一緒にパリに入ったのは1944年8月24日の夜。
1945年、ドランシー容所に日本人12人が収容された。このドランシー収容所には、1941年8月以来、ユダヤ人が収容されていた。パリ解放のあと、そこに「対独協力者」4000人が入れられた。日本人12人は、その一部。ちなみに、このドランシー収容所の建物は今も健在で、集合住宅として使用されている。
 1943年当時、フランスはドイツに占領されていた。このころ、日本人は224人がフランスにとどまって生活していたという名簿がある。
 1945年1月、ドイツには500人以上の日本人が暮らしていた。そして、ドイツから脱出することになった。
 1943年5月から、「ラジオ・パリ」という駐仏ドイツ軍司令官の下にあるフランス宣伝部の番組のなかで、毎週日曜日、『ニッポン』という番組が流された。夕方6時からの15分間の番組だった。
 結局、著者が入手した写真、パリ解放後に捕まった「日本人」は本当に日本人なのか、それともベトナム人をふくめた東洋人なのか、確定するに至りませんでした。
 それでも、この本を読んで、ナチス・ドイツから解放されたパリに日本人が何百人かいて、収容所に入れられ、本当にフランスを愛して残っていると認められたときには、早期に脱出できたことを知りました。今から思えば、さっさと日本に帰っていたら良かったのかもしれません。でもでも、日本はやがて空襲で焼け野原になってしまいましたから、死んでしまうかもしれませんよね・・・。どちらがいいなどと簡単には言えないと思います。
 ともかく戦争・戦場は不条理がまかり通るところなのですから・・・。理屈も理論もへったくれもありません。とにもかくにも戦争は起こしてはいけないものなんです。
(2023年12月刊。2200円+税)

私はさよならを言わなかった

カテゴリー:フランス

(霧山昴)
著者 クロディーヌ・ヴェグ 、 出版 吉田書店
 ホロコーストの中を生きのびた子どもたちが大人になって語った17の物語が集められています。いずれも深く心を打つ内容です。語り尽くせないものを感じさせられました。
心の奥底には今でも恐怖が残っている。ユダヤ人でいれば、とんでもない災厄を受けてしまう。
 ユダヤ人でなかったなら、両親は強制収容所なんかに移送されなかっただろう。僕も他の子どもと同じように暮らしていたはず。ユダヤ人なんて、もうたくさん。
 私は信仰を持っていないし、神を信じることができない。宗教に反発している。でも、私には、そんなことを考える資格すらない。だって、私は助かったし、強制収容所へ移送もされなかったから。
 子どもたちは両親の死を悼(いた)めなくなるという運命を背負っている。だからこそ、子どもたちの古傷は、決して癒(い)えることがない。
 強制収容所において被収容者たちの肉体と精神に加えられた拷問は、彼らを無気力な人間に変えてしまった。彼らは絶え間なく恥辱を被り、嘲弄(ちょうろう)と愚弄(ぐろう)とサディズムの的(まと)になり、まさに弄(もてあそ)ばれていた。
 父は愚か者でなかったし、だまされやすい男でもなかった。でも、父は家族を守るために、警察署へ出かけていった。父が警察署に出頭しなければ、家族に制裁が下ることになっていたから。そして、父はそれきり戻ってこなかった。
 孤児として残された者たちの大多数は、過去に決して近づかない。これはタブーだ。彼らは過去が語れない。過去を話さないということは、それを消し去ることではない。むしろ反対に、過去を共有できない秘密のように扱いながら、自己のもっとも深い場所で、それを守り続けていくことなんだ。
 彼らは3歳から13歳だった。
 ドイツでもナチスを賛美しようとする動きが起きたりしていますが、それを止めさせようとする大きな動きがうねりとなっています。ひるがえって日本では公然と差別的言辞を言いふらす自民党の国家議員が相変わらずのさばり、岸田首相は辞めさせようともしません。
 ヘイト・スピーチの根を絶つ動きが大きなうねりになっているとは、日本はドイツと違って残念ながら言えません。でもでも、あきらめるわけにはいきません。
 理不尽な差別はたとえ小さくても見逃さないこと、そのことを痛感させる本でもありました。
(2023年11月刊。2700円+税)

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