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地を耕し、人をつなぐ、農民.小林節夫の生涯

カテゴリー:人間

(霧山昴) 

著者 矢吹紀人 、 出版 合同出版

世の中には、こんな人もいるんですね。東大農学部を出て、牛を飼って酪農家になり、同じ酪農家が乳価値上げを求めて初めてのストライキを敢行。そして全国の農民運動と連絡を取りあい、農民連の代表として活動し、運動を辞めたあとは、再び米づくり農民に戻りました。

2016(平成28)年に91歳で亡くなった小林節夫の不屈な一生を生き生きと紹介した本です。長野県佐久市に節夫文庫があり、農と食に関する多くの本や資料が閲覧できますし、格安な農業用資材などの販売もしているとのことです。すばらしい活動です。

輸入されている食材が食品添加物まみれ、農薬まみれになっているのに、日本政府はアメリカの言いなりで、検疫もできない状況がありました。それを小林節夫は問題にしたのです。食品分析センターを設立して、検査を始めました。アメリカから輸入されたパンから、有機リン系殺虫剤としての農薬が検出されました。また、中国産冷凍ホウレンソウからも有害な農薬が検出されました。この本には、1997年から2000年のころの話として紹介されていますが、今は果たして安全と言えるのでしょうか…。

1961年2月、佐久酪生産者大会が開かれた。当時の乳価は1升45円。これを1升60円に引き上げることを要望した。これに対して明治乳業の回答は、わずか3円だけ値上げする1升53円6厘。そこで、酪農家は一致団結して1961年2月18日、前代未聞の「牛飼いのストライキ」に突入した。明治乳業にとって、1日くらい牛乳が入らなくても打撃はそれほどではないかもしれないが、社会的には全国的に知れ渡ることとして、社会的な影響力は大きかった。結局は、乳価は1升55円01銭に値上げされた。

「怒りの節夫」は、調査なくして闘いなしとして、乳価をめぐる調査を各方面にあたってすすめていた。近代化、大規模化にこそ農学の未来があると節夫は考えた。しかし、それは間違いだということを後で知った。牛を多頭化すると、耕運機、搾乳機、カッターなどの投資が増えるばかりで、借金は増えるばかり。多頭化すれば経営が良くなるというのはウソだ。1頭でもうからなければ、大規模拡大すれば良くなるというのは、頭のなかで、机の上で考えたことなのだ。節夫は結論づけた。

1974年3月、農業用資材が大幅に値上げされている。ビニールひもは7倍、イチゴパックは5倍、マルチ用ビニール4倍など。これらについて値下げを求めたのです。メーカーはモノがないというのを値上げの口実にしていたが、節夫たちは共産党の国会議員、国の協力も得てトラクターは既に日本に輸入されていて、「モノがない」というのはウソだということを明らかにした。すると、メーカーは「大変申し訳なかった」と謝罪するに至った。やはり交渉するには事実の十分な調査が必要なのです。

オイルショックのときにも、「千載一遇のチャンスだから、この際大いに儲けるべきだ」と、メーカーは仕掛けました。とんでもないことです。

小林節夫は、ヨーロッパにも出かけ、国際的視野から日本の農業の将来を考えました。価格保障があってこそ家族経営があり、家族経営の農学があってこそ環境が守られる。これがヨーロッパの考えだということですが、まったくそのとおりです。

食料自給率38%をそのままにして、減反ばかりして、家族経営の保護・育成をおざなりにする自民党農政を続けさせてはいけません。とても勉強になりました。

(2025年9月刊。1760円)

なぜ日本人は、それを選ぶのか?

カテゴリー:社会

(霧山昴) 

著者 株式会社インテージ 、 出版 朝日新書

タカイチ首相の支持率が5割も6割もあるなんて、ウソでしょ。世論調査のほうが間違っていると思いたくなります。でも、2月の総選挙では、小選挙区制という不公正な制度のため、いびつな支持率を保て圧倒的な議席となってしまいました。そのため、先の国会では当面の緊急課題の物価上昇対策そっちのけで、皇室典範とか副首都法など、まさに不要不急のほうばかりが優先され、強引にも可決されてしまいました。

それはともかくとして、今の日本では何が流行なのかを知りたいと思って読んでみました。日本人の朝食はパンが700円で、ご飯は300円。夕食はご飯が800円。そして、朝はバナナとキウイ。ところが、りんごやみかんは苦戦している。

コロナ禍のあと、冷凍食品は1.5倍となっている。キャットフードが伸びているのに、ドッグフードは3割減。ガソリン車は7割から4割へ。3割も減っていて、ハイブリッド車が5割以上を占めている。私の車もそうです。そして電気自動車はわずか3%ほど。

中古車は値上がりしていて、軽自動車を新車で買うと前に170万円だったのが、今は220万円と、50万円も値上がりしている。

テレビの利用率がもっとも減少しているのは30代。

若年層の投資は着実に伸びている。

ゆうちょ銀行を6割が利用していて、次は地方銀行。都市銀行ではない。ネット専業銀行も4人に1人が利用している。

金融資産を5億円以上もっている超富裕層は50代が3割を占めており 60代は4割未満。40代と70代がそれぞれ13%というのですから、やはり、IT関係なのでしょう。

超富裕層は京阪エリアに6割近く居住している。タワーマンションに住んでいるのでしょうね。でも、タワーマンションって、意外に大災害には弱いと私は考えています。超富裕層は、海外旅行やお客様限定イベントに参加しているとのこと。要するに、お金の使いみちに困っているということなんでしょう。

このパワー層は、1ヶ月の生活費は45万円で、一般層の26万円ほどに比べて19万円もの差がある。この格差は、実はもっと開きがあると私は思います。

この本で初めて知ったコトバがリキッド消費というものです。リキッド消費とは、柔軟で脱所有的な消費傾向をさしている。これは、かなり気まぐれのものようですが、若い世代ほど、その傾向が強いようです。

本書は、今後は国内外でのシニア市場の需要が高まると予測していますが、私もこれは間違いないと思います。高齢になると、食べる量は減りますが、金額的にはより高くなるのです。つまり、年寄りを無視してはいけないということです。

これから10年、社会がどうなるのか、少しばかり先をのぞいてみた気分です。それにしても、若いうちにNISAとかなんとかにふりまわされるって、悲しいですよね。もっと、社会と政治を変革することに知恵と力を発揮してほしいものです。

(2026年5月刊。950円+税)

団塊ボーイの昭和

カテゴリー:日本史(戦後)

(霧山昴)

著者 矢野 宣治 、 出版 弦書房

著者は私と同じ団塊世代で、大分県中津市の出身です。福沢諭吉の出身地ですよね。実家は居酒屋を営んでいて、子供のころから手伝わされていたとのこと。

私は炭鉱の街に生まれ育ち、私が小学1年生のときから父は小売酒屋を始めました。大勢の炭鉱夫が店を行き帰りします。店では客が立ち飲みします。炭鉱マンは立ち寄ると、焼酎(25度)をコップ1杯、一気に飲み干します。冬の寒いときは帰っていく途中で腹の中から暖まって丁度よいのだと聞きました。小売酒屋だったので酔っ払いはたくさん見ました。大声を出ししてからんできたりして、嫌な目にあったことは何度もあります。なので当時から今も酔っ払いは嫌いです。お酒は楽しく飲むものです。ケンカするために飲むものではありません。

著者は居酒屋の手伝いをしていたようですが、私も酒やビールの配達、そして集金に加わりました。ツケで買ってくれているアパート団地に月1回、給料日過ぎに出かけるのです。ちょうど、テレビで「ペリー・メースン」というアメリカの格好いい弁護士がでている番組をやっていました。いつも見逃して残念でした。父は45歳のとき、脱サラをして小売酒屋を始めたのですが、はじめのうち客に頭を下げられませんでした。それまで会社員として、人を使う立場だったので、「失対」で働いているような人に頭を下げることが出来なかったのです。小学生の私は、もっと腰を低くして、頭を下げたらいいのに…と思いながら父を見ていました。

この本には、団塊世代が子どものころ、どんな生活をしていたか、あきれるほど詳しく紹介されています。

私の家にテレビが入ったのは私が小学校4年生のころだったでしょう。それまでは、銭湯に見に行ったりしました。「怪傑ハリマオ」とかです。我が家にテレビが入ったのはそれほど早くはありませんでしたので、テレビを見せてと近所の子どもたちが我が家にきていたという記憶はありません。

著者はテレビでプロレス、力道山の出場する番組をみていたようですが、私の父もプロレスの熱心なファンでした。

この本に小鳥を飼うのがはやっていたとありますが、私のところでもジュウシマツを飼っていました。そしてスピッツです。キャンキャン鳴いて困るのですが、座敷犬でした。それで畳はいつもガサガサしていました。

さらに映画です。市内のあちこちに映画館がありました。「鞍馬天狗」で嵐寛寿郎が馬を疾走させて、少年を救いに行く場面では、満員の館内は総立ちになり、声をかけて励まします。その熱気などは今でも覚えています。

貸本屋漫画にのめり込んだと著者は書いていますが、私は「少年サンデー」「マガジン」を読むくらいでした。大学に入って駒場寮で「ガロ」を読み、白土三平を知って、その面白さと迫力にぶったまげました。

中学時代は、13クラスあったと思います。プレハブ教室です。今は少子化で統廃合されて消滅しています。

著者は370人中5番の成績だったとのこと。たいしたものです。1クラス50人とすると、7クラスあったわけです。成績順の張り出しは高校ではありましたが、中学でもあったのか、覚えていません。著者は中学3年生の1学期に全校1番の成績をとったそうです。すごいです。

高校に入ると、理数科2クラスがありました。女子生徒はクラスに5人ほどしかいません。私は図書室に入って古典文学全集などを読みましたが、坂口安吾など知りませんし、読んでもいません。かなり傾向が違いますね。ただ、高校2年生のとき、同人誌を創刊し、小説もどきを載せてもらいました。例のごとく、3号で挫折しました。受験戦争に突入したからです。

そして、著者も私も大学から東京に出ていきました。生活レベルがまったく違う学生がゴロゴロしていました。いわゆるアイビールックがよく似合うシティボーイたちです。合格祝いに買ってもらったマイカーで登校してくるのです。でも、私は地方出身の苦学生。駒場寮に入りました。6人部屋で、プライバシーも何もありませんでしたが、私にとって天国のような居心地の良いところでした。なにより、国立大学ですから月1千円の授業料、それから寮費も月1千円です。月3千円の奨学金と月1万円の仕送りを受け、家庭教師のアルバイトなどをして生活していました。

著者の大学生活は、私よりはるかに波乱に満ちています。うらやましいとしか言いようがありません。でも、私にとっても、セツルメント活動にのめり込むなかで、現実をみつめるものの見方、考え方を地についたものにすることができました。そんな私の生き方を振り返らせてもくれる、とてもいい本でした。

(2026年5月刊。1980円)

鶏まみれ

カテゴリー:生物

(霧山昴) 

著者 繁延あづさ 、 出版 亜紀書房

食鳥処理工場に働いていた人の話を聞いたことがあります。 毎日毎日、食べるためとはいえ、生きているニワトリの首を包丁でどんどん切っていくのが、どうしても耐えられなかったというのです。 私もその気持ちが分かりました。

目の前のニワトリをさっと殺すことだけに集中し、ただただ左手と右手を動かしつづける。 首を切ったニワトリは右へと流れ視界から外れていくが、左からはまだ生きているニワトリが視界に入ってくる。 血が噴き出す一瞬を見届けたら、目はすぐに左からくる次のニワトリへ向かうようになった。 それが果てしないほどに続く。

ブロイラーを養成する飼育場に入ったこともあります。 全自動です。 エサも水もみんな自分たちで食べて飲めるようになっています。 まさしく工場です。 エサはアメリカから輸入している配合飼料でした。

歯のないニワトリは砂肝の中でモグモグするために小石が必要で、ふだんから小さなものを飲み込む習性がある。 そして、この砂肝は1羽にひとつしかないので、貴重。

ニワトリは夏の暑さに弱い。 

ニワトリの内臓を取り出す工程を中抜きと呼ぶ。 ニワトリの内臓は美しい。 肝臓はワイン色、キンカンはオレンジ、肺はピンク、脂はイエロー、胆のうは濃いグリーン。 ええっ、キンカンって何……。 キンカンは卵の黄身が大きく連なっているもの。 思い出しました。 私が小学生のころ、ニワトリを飼っていました。 ときに父がニワトリをさばくのです。 内臓をさいて開くと、卵が大小つらなっているのでおどろいたものです。 卵のカラはあとになって覆うのです。

ニワトリのオスは向かいあって直接対決する。 メス同士は戦うことはない。 ただし、序列を決めるために、うしろからつつく。 

著者の家で飼っているのは採卵のためのニワトリ。 著者が働いた食鳥処理場は肉用ブロイラー。 なので、鶏種が違うし、育てる環境も違う。

ニワトリの産卵開始は生後半年後。 あたたかい季節に、前もってヒヨコを入れておく必要がある。

オス同士は、戦うときは戦うが、それ以外のときは、別に険悪な関係ではない。 互いに羽づくろいする仲むつまじい光景もある。

ニワトリは春になると卵をよく産むようになる。 つまり、ニワトリの卵にも季節がある。 

親鶏は、肉質は硬くなるけれど旨味は増し、ダシもよく出る。 鶏飯は親鶏を余すところなく使う料理なのだ。 

少し前に、豚を飼って大きく育て、そして食べた経過を紹介した本を読みました。 とても美味しかったそうです。 そして、著者の他の本、『山と獣と肉と皮』、『ニワトリと卵と、ぼくの思春期』も読みました。 いつも考えさせられながら、楽しく読んでいます。

(2026年7月刊。2420円)

高畑勲と「火垂るの墓」

カテゴリー:人間

(霧山昴) 

著者 寺越陽子 、 出版 新潮社

私は、この映画は一度はみなければいけないと会う人ごとに勧めています。子どもたちにはぜひみてもらいたい。とりわけ、タカイチには少なくとも3回はみてもらいたいと思います。戦争となったらどうするのか、タカイチはあまりにも想像力が欠けています。自分の金もうけのことしか考えていません。

とはいっても、「二度と観たくない傑作」と本のオビにある とおりで、あまりにもあの兄妹が可哀想で、いじらしくて、号泣するしかないので、二度も三度もみることはとても出来ません。夜、眠れなくなってしまいます。

この映画が上映されたのは1988(昭和63)年のこと。実は完成していなくて、一部は色彩のない画面があったとそうです。原作は野坂昭如の実体験をもとにして書かれた 小説。そして、監督の高畑自身も9歳のとき、岡山でアメリカ軍の空襲にあい、11歳の姉とともに九死に一生を得て、助かっています。

戦争の悲惨さ、残酷さが ひしひしと伝わってくる映画なので、これをみて戦争をやりたい、やってもいいなと考える人はありえないと思いますが、高畑監督は、この映画は反戦を訴えるものではないと言っていたという。ええっ、どう して……? 

高畑監督は、アメリカ軍の無差別な襲いぬ雨の下を逃げまどい、ウソでなく九死に一生を得、焼け出された間借りした農家の2階で敗戦を迎えた。

「あの辛い戦争はもう済んだ。しなくて済んだ。いや、できたんだ。新しい憲法、その解放感」 

高畑監督が「反戦の人」だったのはまちがいない。

宮崎駿監督とちがって、高畑監督は基本的に 絵は描かないアニメーション監督なので、自分の考えをことばにしてまとめる。それを書くことによって、考えを深めていく。

そんな高畑監督の映画をつくっていく過程を書きつづった7冊のノート が発掘されたのです。それをもとにNHKディレクターが取材していったのでした。

高畑監督は東大仏文科出身。高畑監督は、常に現代を意識しながら物語を あつかう。今の時代になぜこの映画をつくるのか、それを徹底的につきつめる。

二度とみたくない映画ですが、それでも誰でも一度はみなければいけない映画。それが「火垂るの墓」です。もし、あなたがまだみていなかったら、すぐにみてください。

(2026年6月刊。1980円)

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