(霧山昴)
著者 河西陽平 、 出版 角川新書
スターリンのソ連は、日本がソ連を攻めてくるのか、南下政策をとるのか、大いなる関心を抱いていました。そこにスパイも活躍しています。有名なゾルゲもその一人です。
近年、プーチン大統領がゾルゲを高くもち上げたことから、ロシアではゾルゲが英雄として高く評価されています。しかし、スターリンはゾルゲの情報を高く買っていません。その何よりの根拠は、ヒトラーのナチスの軍がソ連への奇襲攻撃を成功させたことに端的に示されています。
スターリンは、ヒトラーのナチス軍がすぐにはソ連に侵攻してこないと確信していたため、ソ連の諜報部が「ナチスの侵攻近し」と報告しても、取りあわなかったのです。
スターリンの大粛正は情報部にも及んでいましたので、スターリンの気に入らないような情報はスターリンに上げず、自分の保身を優先していたのです。
そして、ゾルゲとは別のラインで、日本やドイツの情報を伝えるスパイが多くたくさんいました。
ソ連諜報網は日本社会に驚くほど浸透していた 満州事変が始まって3ヶ月後、モスクワの日本大使館内で秘密裏に行なせた会談の内容はスターリンに筒抜けだった。
本書では、ソ連の諜報機関に協力していた(スパイとなった)日本人の氏名が明らかにされています。「アベ」と「サソウ」です。「サソウ」は、ウラジオストクの日本軍特務機関にいた歩兵中尉の佐相寅秀だった。
日本陸軍の中枢の大勢はソ連赤軍の戦力を極度に過小評価していた。いや、赤軍は恐ろしいと言うと、「恐ソ病」のレッテルが貼られた。
スターリンによる粛正は情報部にまで及び、NKVDの外国部にいた450人の職員のうち275人が「人民の敵」として処刑されている。
ノモンハン事件でソ連赤軍は莫大な物量を投入した。それでも、日本側を上回る2万6千人もの死傷者を出した。ジューコフ将軍が指揮をとっていますが、人命軽視は日本軍と同じだったようです。
日ソ中立条約を締結したあと、スターリンは、ソ連駐在海軍武官の山口捨次大佐に対して、「これで日本は安心して南進できますね」と耳打ちした。スターリンは、日本軍の南進計画を知っていたわけです。
ソ連側の諜報機関がゾルゲのほか、何人もの日本人スパイを確保していたことを初めて知りました。今、高市政権はスパイ防止法を制定しようとしていますが、もちろん戦前にスパイ防止法はあったわけです。法律をつくったらスパイを止められるものではないことを歴史は示しています。すると、その目的は、国民の思想統制だということです。怖いです。
(2026年7月刊。1100円)


