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「おくのほそ道」を読む

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)

著者 長谷川 櫂 、 出版 ちくま文庫

 古池や蛙(かはづ)飛びこむ水のおと

松尾芭蕉が、この句を詠(よ)んだのは1686(貞享3)年の春、43歳のとき。

 「おくのほそ道」の旅に出発したのは1689(元禄2)年春なので、その3年前になる。このとき46歳だった。

芭蕉というのは、38歳のときに門人から株を送られ、翌39歳に自ら芭蕉と号した。

芭蕉は51歳のとき最後の旅に出かけ、大坂で病気になり、「旅に病(や)んで夢は枯野をかけ廻(めぐ)る」を詠み、10月12日、そのまま亡くなった。

 「蛙飛びこむ水のおと」が先に生まれ、「古池や」があとで出来た。つまり、芭蕉は草庵の一室にいて、蛙が跳びこむところも古池も見ていない。どこからか聞こえてくる蛙が水に飛び込む音を聞いて、芭蕉の心の中に古池が浮んだ。つまり、この古池は、芭蕉の心の中にある。地上のどこかにある古池ではない。古池は、芭蕉の心の中に現れた想像上の池。

 芭蕉の心の世界を開くきっかけになったのは、音だった。

 古池の句を詠んでから、芭蕉の句風は一変した。広々とした心の世界が句の中に出現する。蕉風とは、まさに、この現実のただ中に開かれた心の世界のこと。

閑(しづか)さや岩にしみ入(いる)蝉(せみ)の声

この「蝉の声」も、同じく心の世界を開くきっかけになっている。したがって、この句も典型的な古池型の句と言える。

 このとき芭蕉が感じた静けさは、現実の静けさではなく、宇宙全体に水のように満ちている静けさ。現実の世界の向こうに広がる宇宙的な静けさを芭蕉は感じとっている。

 芭蕉が考えた不易流行は、何よりもまず一つの宇宙観であり、人生観。この宇宙は暗転きわまりない流行の世界なのだ。一見、暗転きわまりない流行でありながら、実は何も変わらない不易である。この流行即不易、不易即流行こそが芭蕉の不易流行である。

 芭蕉は、「おくのほそ道」の旅のあと、句風を一変した。悲惨な人生を嘆くのではなく、さらりと詠むという句風への変化、「かるみ」が誕生した。

 ちくま新書として刊行されたものが、ちくま文庫となってとても分かりやすい解説が加えられていて、勉強になります。

(2025年5月刊。1100円)

史実 山田長政

カテゴリー:日本史(戦国)

(霧山昴)

著者 江崎 惇 、 出版 新人物往来社

 戦国時代が終わり、江戸に徳川幕府が始まったころ、シャム(現タイ)には日本人町があり、何千人もの日本人が生活していたのです。そのなかには、キリシタンの人々が日本でキリスト教の禁令によって逃げてきた人々もいました。そして、まだ海外貿易が許されていましたので、それで儲けようとしていた人々もいたのです。

 この本の主人公・山田長政は、海外で一旗あげようと考えた、冒険心あふれる日本の若者でした。時代が要請したのでしょうね。シャムの王様に大変気に入られて、将軍として忠実に仕えて、大活躍しました。ところが、肝心のシャムの王様が若くして亡くなったのです。そうすると、外国人の傭兵のような立場ですから弱いものです。みるみるうちに日本人の武装勢力は邪魔者扱いされ、ついには日本人町も消滅してしまったのでした。昔も今も、外国人が現地社会に溶け込むことの難しさを思い知らされます。

 山田長政は、慶長15年(1610年)冬、20歳のとき、シャムに渡った。

 日本人町は、アユタヤの南に、3万坪の広さもあり、2千人の日本人が生活していた。日本人は、シャム王の近衛兵をつとめた。戦争では外人部隊として活躍し、平時には貿易の監視人として活動した。

 日本人町だけでなく、オランダ人町、ポルトガル人町、支那人町、マレー人町、コーチ人町などもあった。国際色豊かだったようです。

 山田長政は若かったので、シャムのコトバ、宮廷用語(会話)もすぐに身につけたようです。日本では、かごかきをしていた山田長政は、シャムでは最下級の将校となることができました。そして、一つずつ位を上げていくのです。

 30歳になると、山田長政は日本人の頭領になりました。このころ、日本人町には、小西行長や加藤清正の遺臣が1000人ほどもいた。

 山田長政は、寛永3年(1626年)に、日本の幕府あてに「戦艦図」を奉納している。

 山田長政が仕えたシャム王が亡くなったあと、シャム王朝では醜い戦争が起き、ついに山田長政は奸計にはまって毒殺されてしまうのです。まだ40歳でした。

 今や、タイの日本人町は、わずかな痕跡が残るだけのようです。はかない盛名でした。

(1986年1月刊。1500円)

南方抑留

カテゴリー:日本史(戦後)

(霧山昴)

著者 林 英一 、 出版 新潮選書

 1945年8月、日本敗戦のあと、ソ連軍によって北方(シベリアなど)に抑留されたのは130万人(うち軍人軍属57万5000人)。これに対してアメリカ・イギリスなどで南方(東南アジア)に抑留された日本人も、ほぼ同数の119万人(うち軍人軍属107万人)いた。

 北方については体験記が2000点ほどあるのに対し、南方については100点もない。この本は、その南方抑留者の置かれた実情を当事者の日記などによって明らかにしています。

ソ連はスターリンの意向によって日本人を無償労働させたわけですが、イギリスも同じように日本人を無償労働させていたのでした。このときの論理は、「捕虜」ではなく、「降伏日本軍人」として扱ったことによる。ええっ、どうして、「降伏日本軍人」なら無償(賃)労働させてよいのでしょうか…。不思議な話です。

 アメリカ政府が批判したことから、イギリスは1947年3月から元日本兵の日本への帰国を再開したのでした。

 日本軍がその敗戦前に英米の捕虜を手荒く扱った(たとえば、「バターン死の行進」のように)ことから、イギリスやオランダ軍には日本軍兵士への報復の気持ちが強かったようです。

 オランダ軍は、戦犯容疑者136人に死刑判決を下しています。捕虜収容所や憲兵隊関係者の責任が厳しく追及されました。

 インドネシアでは、現地のインドネシア人が独立戦争に立ち上がりましたので、元日本兵を兵器ごと必要として取り込もうとしたのでした。

 敗戦直後の日本政府は海外にいる日本人が、兵士も民間人も、すぐに日本に帰国しないことを願った。なぜなら、日本本土には330万人もの失業者がいて、50万人の餓死者が予想されるほど、食糧事情が悪化していたから。まあ、それも分からんじゃありませんが、日本政府が国の方針として海外に送り出しておきながら、現地に残って自分の力で生活の安定を期せというのは、あまりにも責任放棄というか、無責任きわまります。

 ビルマにあったモバリン収容所には、日本人による劇団が2つもあって、交互に毎週、上演していたとのこと。すごいです。

 フィリピンの収容所では食糧不足のなか、炊事員たちは「特権階級」のように振る舞った。もはや旧軍の階級差は消滅していた。兵隊が将校を殴るということも起きていた。そして、親分が炊事場を掌握して子分を集めて「暴力団」をつくって、暴力的に支払するようになった。ひどいものです。

 レイテ島に日本人が5万人もいて、元日本兵による壁新聞がよく読まれていたことも紹介されています。大岡昇平の「レイテ島戦記」で有名ですし、私も一度、レイテ島に視察に行ったことがあります。ODAによって日本が公害を輸出している現場を確認しました。

 貴重な記録を掘り起こした労作です。日本人が昔から日記をよく書いていることにも改めて驚かされます。

(2025年7月刊。1650円+税)

戦争と法

カテゴリー:社会

(霧山昴)

著者 永井 幸寿 、 出版 岩波新書

 「台湾有事」が現実化したとき、政府は石垣島や宮古島などの住民11万人と、観光客1万人の計12万人を6日間で九州・山口に避難させる計画です。1日2万人もの人々をどうやって運ぶのでしょうか…。運ぶのは民間の飛行機と船であって、自衛隊は民間人の輸送には関わりません。自衛隊は戦争に専念するのが任務だからです。そして、民間の船も飛行機も自衛隊のために徴用される可能性が大きいし、戦争状態の下で航空会社がパイロットに対して業務命令を出して飛行させるか疑われます。労働者の安全配慮義務に反するからです。また、株主から航空機を損失させたとして責任追及される恐れもあります。

 このように12万人の「避難計画」なるものの実効性は、きわめて疑わしいのです。

 ところで、沖縄本島の住民135万人はどうなるかというと、「屋内避難」です。つまるところ、放っておかれるのです。あとは自己責任の世界という、まったく政府は責任放棄です。

 政府がシェルターを地下(地中)につくるのは、自衛隊の司令部のためだけです。いやはや、自衛隊のトップは自分たちだけは助かりたい。しかし、住民の生命・財産なんてどうでもいい。これが政府の考えていることです。「日本を守る」ために大軍拡が必要だというのは真っ赤な嘘としか言いようがありません。

 そして、国民が被害にあったとき、せめて補償してもらえるのかというと、それもありません。一般の災害にあったときには、法律によって生活再建支援金が支給されることになっています。ところが、戦争のときには、そんなものはありません。裁判所は、戦争は全国民が等しく受忍すべきものなので、国に補償すべき義務はないとしています。

 この本によると、ドイツもイタリアも戦争で被害にあった民間人に対して補償する法律を制定して軍人恩給のような形で補償しています。しかし、日本には軍人恩給はあっても民間人に対しては全然補償していません。

 この本では、原発事故そして原発が攻撃されたときのことにも触れています。

 日本は、アメリカ、フランス、中国に次いで、世界で4番目に原発が多い国です。全国になんと60基もあります。そのうえ、高市政権は原発の新増設をすすめると高言しています。

2011年3月11日の福島第一原発事故は地震災害によるものでした。奇跡が重なって、関東一円が重篤な放射線汚染地区になるのが辛うじて免れましたが、今でも2万5千人もの人々が福島に戻れていません。

全国の原発は空からのミサイル攻撃に対してはまったく無力です。

先日、玄海原発などでドローンが原発の上空を飛来していたと報じられましたが、防御するのは不可能なのです。そして、ひとたび原発が攻撃されたとき、誰も放射線の発出を止めることは出来ません。近づくことさえ出来ないのです。逃げるしかないといっても、海に囲まれた日本列島から、どうやって逃げ出せますか…。

 軍隊は国民を守るのではなく、国を守るのを使命とします。戦争のとき、国民は足手まとい(邪魔者)と扱われ、洞窟から追い出されたというのが、沖縄戦の手記に再三書かれています。

 戦争にならないようにするのが政治の役目です。「強い日本」ではなく、国民に安心・安全を保障するのが政治の第一の役目・任務だ。このことを私たちはもっと声を大にして叫び、行動する必要があります。

 260頁の新書です。大事なことがぎゅっと圧縮されています。広く読まれることを願います。

(2025年6月刊。1060円+税)

混迷する憲法政治を超えて

カテゴリー:社会

(霧山昴)

著者 憲法ネット103編 、 出版 有信堂

 私の住む街の上空をオスプレイがブンブンと騒音をまき散らしながら飛ぶようになりました。「未亡人製造機」と呼ばれるほど墜落の多い欠陥機ですが、日本はアメリカから大量に購入し、うち17機を佐賀空港に新しく基地をつくって配備しつつあります。

 宮崎の新田原(にゅうたばる)基地には、ステルス戦闘機F35Bを8機配備することになっています。このF35Bは海上自衛隊の「いずも型」護衛艦に発着可能です。F35も、これまた最新鋭の戦闘機と言われながら、重大な欠陥をかかえていますから、本当に心配ですが、日本はなんと42機も購入します。これでは、福祉・教育などの生活に直結する予算がますます削減されるのは必至です。

 大分に敷戸(しきど)弾薬庫があります。私も弁護士会の調査団の一員として現地に行って話を聞いてきました。この敷戸弾薬庫は、大分市の中心部から少し離れた住宅街のド真ん中にあります。大分大学もすぐ近くにありますし、病院や保育園も隣接しています。周囲3キロメートルの範囲内に2万世帯4万人が暮らしているのです。こんな所に中国大陸まで届く長距離ミサイルを保管しておき、いざとなると、運搬して活用する、その捨て石になるという計画です。なので、有事になったら「敵」が真っ先に攻撃してくるはず。つまり、「自分を守る」どころか、その逆に真っ先に狙われてしまうのは間違いありません。

 以上は、「防衛力の抜本的強化と、九州地方への影響」というタイトルの小論文です。少しだけ紹介しました。

 日本の選挙制度の基本は小選挙区制です。すると、発足前から指摘されていますが、ともかく死票が多いのです。「死票」は2828万票、52%となっている。つまり、有権者の約半数の投票が無視されているのです。維新と組んだ自民党は、維新の提案する比例議席の削減を実行しようとしています。まさしく民意の切り捨てです。国会議員の人数は日本は欧米よりはるかに少ないのです。比例部分を切り捨てるなんて、とんでもない暴挙です。断じて許してはなりません。

 そんなことより、今すぐ国会が取り組むべきことは企業献金の禁止です。企業がお金の力にものを言わせて、政治を動かす仕組みは、廃止すべきなのです。

 そして、政党交付金なるものも、おかしいです。自民党は、政党交付金に7割ほど依存しているので、国営政党だと言って過言ではない。共産党だけがスジを貫いていますが、この際、政党交付金こそバッサリ廃止すべきです。

 「日本人ファースト」をスローガンとする参政党が「躍進」しましたが、今の日本社会の現実は、外国人との共生なしにはまわらない状況です。病院、介護施設、建築現場、野菜の収穫そしてコンビニ、どこでも外国人が活躍しています。排斥するのではなく、共存・共生する、お互いをリスペクトして共に生きていくことを目ざすべきなのです。

憲法を毎日の暮らしのなかで本当に生かしていくこと、その取り組みを強めること、今、本当に求められていることを、本書を読みながら、改めて実感しました。

(2025年10月刊。3080円) 

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