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ブラックホールについて、あなたは間違っている

カテゴリー:宇宙

(霧山昴)

著者 ベッキー スメサースト 、 出版 山と渓谷社

 この本の正しいタイトルは、「あなたがブラックホールについて知っていることは、ほぼすべて間違っている」です。失礼しました。

 E=MC²

 これは、史上もっとも有名な方程式。もちろん、アインシュタインの考案した方程式です。この方程式はエネルギーと質量が等価だということ。両者は本質的に同じであり、分かちかたく結びついている。つまり、質量はエネルギーに変換できる。たとえば、太陽は自らの巨大な質量をじかにエネルギーに変えている。でも、どうやって…?太陽はもちろん、夜空に光るすべての恒星は水素を燃料にしている。水素原子の核融合が星々を輝かせている。

 質量の大きい恒星は太陽よりずっと多量の水素から出来ていても、その水素を核融合させるペースも速いため、寿命は短い。大型星になればなるほど、生き急いで早く死ぬ。

 ブラックホールとは、「何かが欠如した状態」ではなく、「あらゆるものが存在する状態」である。それ以上は不可能なほどの高密度で物質が詰め込まれている。それは、地面の「穴」というより、「物質の山」。

重力は、空間自体のゆがみに他ならない。

 一般相対性理論を使ってアインシュタインが一度も予測しなかった(予測していたというのは誤解)のは、ブラックホールの存在だった。ブラックホールの脱出速度が光速より大きいため、光はブラックホール内に閉じこめられている。この脱出速度とは、天体の重力にうち勝って、その天体から離れるために必要な速度のこと。地球の脱出速度は秒速11.2キロメートル。これは、音速の3.3倍だ。ブラックホールの脱出速度を超えられるものは宇宙に一切存在しない。光でさえも脱け出せない。

 宇宙が始まったとき、大部分が水素原子であり、当時の宇宙にはほぼ水素しかなかった。なので、初期宇宙を「水素のスープ」と呼んだ。

X線電波も光の形態であり、ただ波長が違うだけのこと。降着のせいで、ブラックホールは少しも「ブラック」ではない。結局のところ、宇宙全体でもっとも明るい天体だ。

 太陽は100億年ほどの寿命がある。今は45億歳なので、「中年」の星。最大級の恒星の寿命は運がよくても10万年ほど。

 ブラックホールが質量の上限に行きついて成長や輝きを止めたら、宇宙全体でクェーサーの光が消えはじめる。ホーキング放射を生み出すためにブラックホールがエネルギーを失うと質量も失うことになる。ブラックホールは、ゆっくりと「蒸発」していく。

観測できない見込みの一番大きいのは、天の川銀河の中心にある超大質量ブラックホールである。

 ブラックホールって、いったい何なのか…。肝心なことが分からないなりに最後まで読んでみました。

(2025年6刊。2530円+税)

気象学者・増田義信

カテゴリー:人間

(霧山昴)

著者 小山 美砂 、 出版 本の泉社

 101歳で亡くなられた気象学者である増田義信氏(以下、「増田」)の一生をたどった本です。

 広島原爆の被爆者たちが直後の黒い雨を浴びたと訴えているのに、国はずっとそれを否定していました。そこで、増田は現地に出かけ、被爆者の聞き取り調査を始めたのです。気象庁を定年退職したあとのことです。

 原爆投下後は、街が焼き尽くされたことから、積乱雲が発達した。激しい積乱雲からは非常に不規則な形で雨が降る。なので、「きれいな卵形」に雨が降るとは考えられない。そのことを増田は現地で指摘された。このとき、頭をガーンと殴られたようなショックを増田は受けた。そこで、現地に出かけ被爆者から聞きとって「増田雨域」を完成させたのでした。さすがですね。執念を感じました。

 増田は1923年9月、京丹後市で生まれた。貧乏な農家の次男として…。お金がないので、本当なら中学校に進学できなかったところ、父親が小作人となって、その小作費を学資に充ててくれた。当時、地主に納付する小作料は高かった。収穫した33俵のうち25俵を地主に年貢として納めた。

 中学を出たあと、増田は体格不良のため、軍人にはなれず、測候所に「雇員」として働くようになりました。

 戦争が始まると、天気予報まで国家機密とされました。報道できないのです。そして海軍に入り、いじめられるのです。ところが、海軍ではテンプラとも呼ぶインチキが横行していた。最後の最後まで海軍は腐っていたと、増田は怒りを込めて告発しています。要するに、上官の私的な官品持ち出しが公然となされていたのです。

右翼青年だった増田は終戦後に労働組合に入り、また共産党にも入党して活動を始めたのです。

 増田は、どんなに忙しくても研究の心を忘れなかった。研究の基礎にあるものは、自然現象の観察とアイデアだ。なーるほど、きっとそうでしょうね…。

 そこで、増田は時間をひねり出すため、自宅での晩酌を一切やめた。大したものです。

 全気象労組の執行委員長をしていたときには、労働現場に出かけていった。そして、トイレの落とし紙に何が使われているかに注目した。それによって、暮らしぶりが分かるのです。

 増田は昨年(2025年)6月9日に、101歳で亡くなりました。増田の温かい人柄のにじみ出てくる、いい本でした。

 

(2025年12月刊。2200円+税)

渡辺昇伝

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)

著者 稲富 裕和 、 出版 のぶ工房

 江戸時代の末、大村藩士・渡辺昇(のぼり)は剣の達人でもあり、また幕末の政界でおおいに活躍した。そして明治維新のあとは国の要職を歴任していった。

私の子どものころ、鞍馬(くらま)天狗の登場する映画が大人気でした。嵐寛寿郎が白馬にまたがって悪漢どもに捕まった杉作(すぎさく)少年を救出に行く場面になると、映画館の中は全員総立ちで、拍手とかけ声で騒然となりました。今も、その熱気のすさまじさを身体ごと覚えています。渡辺昇はその、鞍馬天狗のモデルだというのです。驚きました。

幕末のころ、各藩のなかは勤王派と佐幕派に分かれて激しく争っていました。大村藩でも、一方の派の要人が暗殺されています。そして、反対派が捕まり、大量に処刑されました。このあと、大村藩はなんとか勤王派で統一され、行動し、戊辰戦争で活躍します。

同じことは久留米藩でも起きています。久留米藩では、佐幕派の要人が暗殺されると藩内は一気に勤王派にまとまりました。藩主が決断したのです。

ところが、福岡藩は勤王派を処刑したため、結局、維新の流れに乗るのが遅れました。水戸藩の場合は、もっと深刻です。勤王派が脱藩したあげく、越前の地で大量処刑されてしまいました。その遺恨はずっと後世まで引き継がれたようです。

大村藩はわずか2万7千石という小藩であったが、藩主が主導して勤王をかかげて活躍していったことから、京都では、それなりに注目された。

アメリカのペリー艦隊が江戸湾に出現したのは嘉永6(1853)年のこと。泰平の眠りを覚ます上喜撰たった四杯で夜も眠れず。この狂歌は当時の世相をよく表現している。

勤王派の要人を暗殺した大村騒動で罰せられた者は30人をこえる。この大村騒動を乗りこえ、大村藩は官軍の一員として、戊辰戦争に徒軍し、東北地方を転戦し、北海道にまで達した。この戊辰戦争に徒軍した功績から、終結したあと、3万石という賞典禄を大村藩は政府から授与されている。

渡辺昇は、その後、大阪府知事、会計検査院長を歴任した。

幕末の難しい動きについて、さらに深い知見を得ることができました。

(2025年3月刊。3960円+税)

遊清五録

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)

著者 高杉 晋作 、 出版 講談社学術文庫

 幕末に、坂本竜馬と並んで有名な高杉晋作が、24歳のころ中国の上海に渡り、2ヵ月も上海に滞在していたというのを初めて知りました。高杉晋作の書いた上海日記が現代語に訳されて文庫になっているというので、早速、注文して読んでみました。

 当時の中国は、アヘン戦争に敗れて、イギリスに対して上海など5港を開港していました。イギリスやフランスなどの西洋列強に支配され、そのうえ内乱に苦しめられている清朝中国の惨たる現実を高杉晋作は自分の眼で見たのです。やがて、この外圧は日本にも襲いかかってくるという強い危機感を抱いて、日本に帰ってきました。

 ただ、この高杉晋作の日記は本として刊行されず、広く読まれることもなかったようです。

 高杉晋作と上海に一緒に行ったのは、薩摩の五代才助(友厚)や佐賀の中牟田倉之助です。

 高杉晋作は長州藩士の長男として生まれた。19歳から、9歳年長の吉田松陰のもとに学ぶ。吉田松陰は安政の大獄で捕まり、伝馬町獄で斬首された。

幕府は開国した以上、貿易の拠点を中国の上海に持ちたいと考え、視察団を送ることにした。高杉晋作も、その一員となった。高杉晋作が中国・上海に行ったのは密航ではないのです。乗った船は幕府がイギリス商人から3万4千ドル(3万両)で買った木造帆船で、千歳丸。総勢67人でした。

文久2(1862)年4月29日に長崎港を出て5月6日に上海に着いた。8日間もかかったのです。そして、2ヶ月滞在して、7月13日に長崎に帰り着きました。

上海で西洋列強の軍事的な強さを見聞したというのに、日本に戻ってから高杉晋作が攘夷を実行していったというのは、なんとも不可解です。品川に建築中のイギリス公使館に忍び込んで、燃やしてしまったり、百姓主体の奇兵隊をつくってアメリカやフランスの軍艦と戦ったりしています。

 英米仏蘭の四ヶ国連合艦隊17隻が来襲して砲台を占拠されるなど長州藩が惨敗したときは、高杉晋作は列強との講和を担当しました。それだけ豪胆だったわけでしょう。

 その後、幕府による第一次長州征討軍が来たときには、高杉晋作は福岡にいったん逃げたあと、なんとか盛り返しています。

 第二次長州征討のときには、高杉晋作は百姓を取り込んだ奇兵隊を指揮して幕府軍を散々に討ちやぶっています。そのうち将軍家茂が死亡して、慶喜が将軍となります。なので、長州征討軍なるものも解散しました。

 いよいよこれからというとき、慶応3年4月13日、結核のため、高杉晋作は29歳で亡くなってしまいました。

 高杉晋作が24歳のとき上海に2ヶ月もいたこと、そのときの日記が残っていること、それを通じて幕末のころの日本人が世界に目を開こうとしていたことを知ることができる本です。

(2025年12月刊。1100円+税)

「日本スゴイ」の時代

カテゴリー:社会

(霧山昴)

著者 早川 タダノリ 、 出版 朝日新書

 日本人や日本が「世界で一番」というのは、今でも右翼の雑誌などでよく見聞しますよね。でも、久しい以前に「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という本が出て売れていましたけれど、今では誰もそんなことは言いませんね。だって、日本人の若者の自殺率って、世界のなかで高いほうでしょ。

官僚の汚職が少ないといっても、ないわけではありません。政治の世界を見たら、ワイロ同然の裏金議員が大手を振って国会にのさばっています(とくに萩生田議員)。そして、統一協会なんて、まさしく反日団体そのものですが、そこに媚びを売って当選してきた自民党議員が今回もヌケヌケと当選しています。それで、「ウソの少ない日本」だなんて、誰が言えますか…。

「日本スゴイ」をネット上で作成する業者は、アルバイトのクリエイターに対して、「読み手は中学生ぐらいだと思って」つくるように指示しているとのこと。中学生を馬鹿にしています。といっても、実は新聞一般が中学生に理解できる紙面を目ざしていると聞いています。

この本にも紹介されていますが、昔、「日本人とユダヤ人」という本がベストセラーになったことがありました。ところが、その著者(イザヤ・ベンダサン)は実はユダヤ人ではなく、山本七平という生粋の日本人だということが暴露されたのです。なーんだ、そうだったのかと、当時、私も読んで知って、馬鹿にされた思いでした。

「道徳」の教科書に安倍晋三首相の演説が載っているとのこと。驚きました。そんな教科書を読まされる中学生は可哀想です。

日本人は毎日風呂に入って清潔好きだというのも、客観的にそう言えるものなのか…。日本の住宅に内風呂があるのは全国平均で1963年に6割未満、9割をこしたのは1988年のこと。今でも95%。

日本人が「世界一」清潔好きといえるのか、「ゴミ屋敷」が現代日本の至るところにある現実を無視しているのではないか…。そうなんですよね、客観的に証明されてはいません。

桜井よし子が嘘つきであるのは有名です。ところが、「嘘はつかない。それは日本人の美徳だ」というのです。安倍首相が国会答弁で何百回も嘘をついたことは公式にカウントされて明らかになっています。桜井よし子は、まさしく安倍首相のように口から出まかせで、いつも嘘をついています。

タイのククリット・プラモート元首相の言葉、「日本のおかげでアジアの諸国はすべて独立した」というのは、実は出所不明のものにすぎないことが本書で明らかにされています。アジアの諸国は自分の手でそれぞれ独立を勝ちとったのであって、第二次大戦で日本は残酷な加害行為をしたことはあっても、諸国の独立を手助けしたことはまったくありません。歴史の歪曲は許されないところです。

まぁ、それにしても、今回の2月の総選挙で、「サナ活」とかいって、大量のSNSインチキ情報に踊らされた日本人が少なくないことに、私は恐ろしさを感じます。

何かやってくれるんじゃないかと期待したい気持ちは、私にも理解できます。でも、彼女がこれまで何を言ってきたか、やってきたかをすっかり忘れて、調べることもなく、流されてしまっているのに、怖さを感じてしまうのです。

「日本と日本人、スゴイ」って、あなたは、そんなにスゴイ人ですか…。そんなことはないでしょ。フツーの人ですよね。私も同じです。だったら、もっと足を地に着けて考え、行動するしかありません。そう思いませんか…。 

(2025年6月刊。990円)

43歳が人生の頂点だという本を読みましたので、私は43歳のころ何をしていたのか、1991年の訟廷日誌をふり返ってみました。

 すると、まず目についたのは、当時は土曜日も当然のように事務所は営業していて、市役所の法律相談も土曜日の午前中に開かれていました。

 事務所でも午前中に何人もの相談を受けていました。

 家庭のほうは、まだ子育て中で、下の子の保育園の運動会に参加したり、上の子が中学生まで思春期病で入院したりしています。

 事件の関係では、前年暮れに、共産党の演説会の告知ポスターを電柱に貼っていた男女がパトカーに連行され逮捕された事件について、無事に不起訴を勝ちとった経緯を小冊子にまとめています。しんぶん赤旗のコラムで紹介されていました。

 当時、筑後地区の弁護士は全部で30人ほどしかいなくて(今は100人超)、なんとか弁護士を増やさないと大変だよと話し合っていました。

 43歳というのは、私にとっては、まだまだで、頂点というのは、いくら何でも早すぎると思いました。

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