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ケアレス・ピープル

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)

著者 サラ・ウィン・ウィリアムズ 、 出版 すばる舎

フェイスブックは私も毎日眺めています。テレビは全然みませんが、今、世の中で何が起きているのかを知るためには欠かせません。

著者はフェイスブックのトップ集団のすぐ下で働いていました。プライベート・ジェット機でマーク・ザッカーバーグと隣席にすわって話したりしています。マークは世間一般の人がするような雑談は苦手だそうです。まあ、天才的な人には変わり者が多いようですから、そんなものなのでしょうね。

フェイスブックのトップ集団は、ハーバード大学出身でユダヤ人がほとんどだそうです。なので、仲間内で富の分配を含めて、とても結束は固いようです。ニュージーランド出身であり、いろいろ率直な物言いをした著者は結局、そんなインナー・サークルからはじき出されてしまったようです。

トップ集団に属する人たちは、ありあまるほどの高所得者ばかりなので、買い物をするとき、値札を見ることはないそうです。欲しければ、買う。それがどんなに高価なものであっても、買えないはずはないのです。まあ、まったく別世界ですよね。値札を気にすることなく買い物をするという人たちがいるなんて、考えたこともありませんでした。

トランプが選挙で勝ったのは、フェイスブックをうまく利用したからというのが紹介されています。先日の沖縄県知事選挙でも同じようなことがきっとやられたことでしょう。

アメリカ人2億2千万人分のプロファイルをフェイスブックは持っていて、それをトランプ陣営に提供した。投票先をまだ決めていない有権者を探し出して、たとえば育児に不安を抱えている母親に対しては、トランプ政権下では保育費が100%控除できるという広告を届ける。「国境に壁を建設せよ」というメッセージに反応しそうな人には、まさにその広告を届ける。

選挙期間中トランプ陣営は常に数万種類の広告を同時進行で展開した。最終的には数百万種類にのぼった。そして効果を測定し、それに応じて調整した。

多くの広告には扇動的な情報が含まれていた。人々が広告に反応すればするほど、広告費は安くなる。

また、逆に投票抑制キャンペーンも展開した。民主党支持層のうちの若年女性などに対しては「ダークポスト」を送り届けた。黒人有権者に対しては差別的な失言をもとにした風刺マンガを配信した。その結果、黒人有権者の投票率は民主党の期待を下回った。

トランプ陣営は、データにもとづくターゲティングによって、フェイスブックを通じて毎日数百万ドル規模の選挙資金を集めた。フェイスブックはトランプ陣営にとって最大の資金源になっていた。そんな仕組みがあるのですね。知りませんでした。

マーク・ザッカーバーは、競争心が強く、負けることには慣れていない。フェイスブックは、中国で違法に事業をすすめていた。法律にまるきり無関心だった。フェイスブックは沈黙を貫き侮悟の姿勢を示すことはなかった。

マークは、無限の富よりも大事なものは何かと問われると、食べ物だと答える。日本にミシュラン三ツ星の揚げ物料理店があると聞いたら、マークは絶対に行く。ふむふむ、そうなんですか…。金持ちだからといって1日に5食も6食も食べられませんから、やはり質なんでしょうね。

フェイスブックの内情は、思わず息を呑むほどのすさまじさです。私は、こんなところでは絶対に働きたくありません。いくら大金をもらっても、嘘を堂々と、恥ずかし気もなく言い通し反省もしないなんて……。

(2026年7月刊。2970円)

写真があってよかった。森山大道伝

カテゴリー:人間

(霧山昴) 

著者 大竹昭子 、 出版 新潮社

申し訳ないことに、この国際的写真家という森山大道という人を知りませんでした。

2019年、写真界のノーベル賞と呼ばれているハッセルブラッド 国際写真賞を森山大道は受賞した。この授賞式で、森山は「自分の写真をアートとは思っていない」とスピーチした。

刻一刻と変化する現実と、その変化を切り取ってきた 身体が、カメラを介して一瞬接触した結果として写真は生まれる。その写真が他者に見られて別の身体に記憶され、新たなイメージを芽生えさせることが写真の誕生以来、ずっと繰り返されて きた。そのような、人から人へと引き継がれるイメージのリレーの一区画を自分は担っているに過ぎない。これが森山の実感だったのではないか……。

私も写真は大好きです。昔、結婚式のお祝い金の残りで、ペンタックスを買えた とき、とてもうれしく思いました。そして、海外に旅行するときは20本ほどのネガ(36枚撮り)をスーツケースに入れて持ち帰り、それを現像して、写真集をつくるのが旅の楽しみになっていました。福岡県弁護士会の月報の表紙にも私の写真を5、6回採用してもらいました。3人の子どもたちの各々にアルバムをつくってやりましたが、どうしても第一子がたくさんあり、第二子、第三子と少なくなっていきました。たまに何かの折にアルバムを再見すると、たちまちそのころの状況をあざやかに思い出します。

森山は高校にはいったものの卒業はしていない。母親はこう言った。「ろくに学校教育を受けていないから、そんな性格が生地のまま出て、それだけが取り柄じゃないかしらね」 

なるほど、包容力のある親の見方です。納得します。大したものです。そんな子どもに教育を無理強いしても意味はない。そのままの力で伸びていくのを温かく待つしかないのだ。まあ、なかなか出来ないことではありますが……。

森山たちは、土門拳の主導するリアリズム写真運動へ反発し、違和感を持っていた。私の身近な写真家は、まさしくリアリズム写真家集団で活動していました。いつも、違うなと感嘆していました。

暗室作業には撮影とは別の技術が必要で、腕の差がはっきり出る。もちろん私は暗室作業をしたことなんてありません。そうなんですか、腕の差が出るものなんですね……。でも、今はフィルムカメラではなく、デジカメですからね……。

アラーキー(荒木経惟)という有名な写真家(私も名前 くらい知っています。ヌードでも有名ですよね……)とも森山は親しく交流していたとのこと。写真だけでメシを食っていくのも大変じゃないかと想像します。ベトナム戦争のときは、戦場カメラマンが何人も亡くなっていますし……。

(2026年6月刊。3630円)

中国55の少数民族を訪ねて

カテゴリー:中国

(霧山昴) 

著者 市川捷護・市橋雄二 、 出版 角川ソフィア文庫

今となっては大変貴重な中国の少数民族の文化遺産だと思います。1990年代に中国の少数民族を5年かけて現地取材したビデオ作品の取材記です。

中国の現地当局との折衝、現地の人々から承諾を得る難しさ、そして人々との温かい交流の様子がつぶさに描かれています。

道なき道を資材をかついで登っていき、苦労してたどり着くのです。30年もたった今、いったい現地はどうなっているんだろうかという興味、関心もかきたてられます。

予備調査は1992年の雲南で始まり、合計11回も現地に足を運んで取材しました。

当時、55の少数民族、人口で1億人、でも地域的には、国土の60%を占める。

広大で不便な地域に住む少数民族を訪ねるには、車両5台、しかも四輪駆動車が必須。撮影スタッフ、通訳、現地役人、案内人、料理人、運転手、全部で20人。車両が入らないところでは、 途中で30人の村人を強力(人夫)としてお願いし、重い機材は馬を雇って登った。日中共同プロジェクト。

民間に伝わる芸能を映像として記録する。日常の中に生きてる歌、踊り、儀式など をありのままに撮影して記録するのが狙い。

当時すでに少数民族の文化は危機に直面していた。中国の急速な開放経済政策が大都市に始まり、辺境にも及びつつある。現代生活が まだ及んでいない自給自足の村もあったし、電気が通っていない村も少なくなかった。でも、すでにパラボラアンテナが立ち、テレビが入って、カラオケまで出現している。

運転免許を持っている人は限られている。一般に地位が高いので、運転手の 機嫌を損ねないようにと注意される。

日本側は制作費を負担し、映像の制作技術を担当。

中国側の『対等の論理』とは、国の無形文化財(民間芸能)を提供するので、これと対等とする。

ラフ族の男の子たちは、路上で『けんかコマ』をやって遊んでいる。コマは日本のより大きいが、作り方や遊び方は変わらない。女の子たちは、正月に新しい服をおろすという習慣だ。

私も小学校低学年のころは、正月には新しい服と 下着を着て、気持ちを新しくしていました。

ラフ族の神話によると、人類はひょうたんから生まれたとされている。ひょうたんでつくった楽器(笙(しょう))はおいに響く。その名手は神への願いを伝えてくれることから尊敬される存在。

雲南に住むトールン族の女性は、強力の人たちに勝る。その健脚ぶりは予想をはるかに超えている。サンダルばきで、重い荷物を担いですいすい登っていく。

中国西南部の民族のなかには、19世紀末からキリスト 教を受けて入信したヌー族もいる。西南中国の各地にシャーマンが生きてる。リス族の『ニバ』、ヌー族の『イーグース』、イ族の『ピモ』。

ミャンマーとの国境地帯に住むプーラン族は、歌が豊富。『スウェイ』という対歌は、 熱烈な愛情を歌うもの。若い男たちが少女たちと歌を交わす。日本にも昔、歌垣というものがありましたね。

ハニ族には、見事な歌垣の伝統が生きていた。男女が即興の歌をかけあう。お互いの気持ちを伝えあおうという歌垣。しっかり した歌いっぷりで、中途半端な歌いかたではない。男は驚くほどの高音で、しかも張りのある声で伸びのいい旋律を歌い、女は低い声で答えていく。音痴な私には、うらやましい限りです。声が出ないのです。

西北イスラムの大地。イスラムの人々は、ふだんから客人をきちんと接待することが名誉だと思う傾向が強いようだ。イスラム教だから、酒はご法度でお茶で接待。イスラム教徒は豚を食べず、羊を食す。

モンゴルでも遊牧生活をしている人々は減少している。

貴州南部のトン族は歌を愛する民族として有名。同時に異なった旋律を見事に調和させて歌うポリフォニーを聴かせてくれた。

中国南部に住むチワン族もまた歌の上手な人が多いことで有名。

日中共同プロジェクトということですが、日本ビクターと中国民族音像出版社との合作では、500時間のビデオテープが40巻にまとまっているそうです。壮大な歴史的快挙ですよね。壮挙としか言いようがありません。

(2026年2月刊。1540円)

花咲けじいさん

カテゴリー:人間

(霧山昴) 

著者 武田鉄矢 、 出版 双葉社

武田鉄矢は私と同じ団塊世代です。そうなんです。私たちはいつのまにか喜寿になりました。でも、まだまだ現役です。

私にとって武田鉄矢は 映画「幸せの黄色いハンカチ」です。桃井かおりとのドン臭い「みっともない」かけあいなんて、笑ってしまいました。

1977年の大晦日、「紅白歌合戦」で「母に捧げるバラード」を歌っています。 九州・福岡からぽっと出の学生グループがたったの4年で天下の紅白に出たのでした。

ちなみに、私は高校3年のとき、「紅白歌合戦」なんてものは日本人を「一億総白痴化」する典型的な低俗番組でしかないという新聞のコメントを読み、そうか、そうなのか、それなら「白痴」になりたくないから観るのをやめようと思い、以後、今日に至るまでまったく観ていません。3人の子どもたちにも、私と同居しているときは見せませんでした(というか、テレビ自体がなかったように思います)。

武田鉄矢の本によると、1998年の紅白歌合戦でも24年ぶりに2回目の「母に捧げるバラード」を歌ったとのこと。この年に、母親を亡くし、葬儀の会などで歌ったのをNHKのプロデューサーが聞いていた。そして、彼が「紅白で歌え」と言って実現したのでした。1回目の紅白の「母に捧げるバラード」を聴いた山田洋次監督が、「映画のためのあらすじを説明するような 歌がつくれるんだったら、映画に出てもらえば、彼のセンスで思いもつかないセリフをつくってくれるんじゃないか」と声をかけたのです。いやあ、これははまり役でしたね。私は、この映画の舞台になった夕張の炭鉱 社宅跡をレンタカーで見学に行きました。

その後は、テレビの「金八先生」もすごかったようです(私は、もちろん観ていません)。教員をしている私の親しい知人が、脚本家に元ネタを提供して、クレジットに名前が出たと聞きました。

武田鉄矢はラジオで自分の読んだ本をテーマ曲として30年も語っているそうです(私はラジオも聴きません)。

本に書かれている文章の意味をつくり出すのは、著者ではなく、読者自身だ。つまり、読む人が本の意味をつくって、著者と読者とで読みこたえをつくるのが読書。うむうむ、これはなかなか言い得て妙なるものです。感嘆しました。さすが役者です。

強さを求めると人間はもろくなる。弱さを認めたところから、人間は粘り強くなる。

この本には、人間には常に3つの場所が必要だという指摘があります。生活拠点の自宅、仕事や学業の拠点、 そして一人になれる落ち着く場所。私も、この3番目は、まさしくそのとおりだと実感します。「一人になる」といっても、喫茶店でもいいのです。周囲に人がいても見知らぬ人であれば、一人静かに本が読め、モノが書けます。

武田鉄矢の写真が表紙にありますが、元気一杯。とても喜寿の人とは思えません。私にも鏡で自分を見て、そう思っています。お互い、もう少し元気でがんばりましょうと言いたいです。

(2026年5月刊。1760円)

「ルポ、難民迫害」

カテゴリー:社会

(霧山昴)

著者 神田和則 、 出版 地平社

 高市政権の外国人敵視政策はひどいと思います。ヘイトスピーチを政府みずからあおっているとしか言いようがありません。

 今の日本社会は外国人労働者がいなければ基本的なところでまわりません。すでにコンビニでは外国人店員がフツーです。そして、病院や介護施設です。インドネシア、フィリピン、ネパールなど、いろんな国から人が来ていて日本の医療体制を守っています。

 この本は難民に対する日本政府の冷酷無比な対応を明らかにし、厳しく告発しています。

9月27日の毎日新聞の社説が手元にあるので紹介します。タイトルには、「難民申請者に厳格対応。保護すべき人が 守られぬ」です。難民認定申請をすると、書面だけから「迫害なし」と判断して面接しない割合が14%(その前年は0.6%)もあるそうです。書面だけでそう簡単に分かるはずはありません。ちゃんと会って話を聞くべきです。 そして、難民認定申請は2回までという制限があるそうです。信じられない制限です。

高市政権は「不法滞在者ゼロ」をめざして対策を強化しています。ところが、ミャンマーから逃げてきて申請した人は1万人以上もいるのに、難民と認定されたのはわずか200人にも満たないのです。少なすぎます。国連は「疑わしきは申請者の利益に」という原則を示しているのに、日本政府は難民認定体制を強化することもありません。排外的な風潮に乗っかかって良しとしています。まさに高市首相の排外思想を体現しています。

カナダの難民認定機関は難民を保護する姿勢で審査するのに対し、日本は難民排除を優先している。

 難民審査にあたっては参与員が活用されているようですが、その参与員に難民排除を使命とするかのような人がいるようです。許せません。

入管収容施設での死亡などあってはならないことが何件も起きています。入管職員が 仮病だと疑って、適切な医療をしなかったのです。何でも疑ってかかる体質がそこにあります。

「人道的な観点からの仮放免」が減ったことから、長期収容者が増えています。

アフガニスタンから日本の大使館と一緒に来た人に対して、日本人職員がこう言ったそうです。「日本はあなたの居場所ではない。日本の国民は外国人が嫌いだ。もし日本にとどまるなら、あなたにとって、日本は地獄のようになる」。この日本人職員は正気でこんなことを言ったのでしょうか。とても信じられません。まさしく狂っています。

外国人に優しくない国は、弱者に優しくない国です。タワーマンションなどで優雅に過ごしている人だけで日本の社会が成り立っているわけではありません。深く考えさせられる本でした。

(2026年6月刊。2200円)

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