法律相談センター検索 弁護士検索

逃げ続けていたら世界一周していました

カテゴリー:人間

(霧山昴)

著者 白石 あづさ 、 出版 岩波ジュニア新書

 人気ライターが奇想天外な旅の経験をつづる、抱腹絶倒旅行記!

 本のオビに書かれていることに、正真正銘ウソはありません。いやぁ、日本の女性はたくましい。つい言葉を失ってしまいそうです。でも、意を決して以下、ホメ言葉を書きつらねます。

 悩みがあるなしにかかわらず、今から「人生をいったん放り投げて、とりあえず逃げる」ための準備をコツコツしてほしい。そのためには、普段から、ちょこちょこ「小さく」逃げておくこと。そして、コツコツ「夜逃げ先リスト」を増やし、月に1000円でもいいから、「夜逃げ旅貯金」をしてほしい。何か死ぬほど辛いことがあっても逃げたいと思っても、逃げた経験や逃げ方を知らないと、まじめな人ほど苦しんでしまう。

 私はこれを読んで、高橋まつりさんを思い出しました。あの「デンツー」でさんざんいじめにあって、ついに自死した若い女性です。「デンツー」なんか、こんなつまらない会社からさっさと逃げ出して、著者のように旅に出たらよかったのです。「デンツー」なんて、命に比べたら、なんでもないガラクタ同然の会社ですよ。

 著者は27歳のとき、東京駅から大阪行きの夜行寝台列車に乗って旅立った。中国に行き、アメリカ、南米そして南極など、3年間も放浪したというのです。ええっ、南極って、一般人も行けるところなの…と、つい疑ってしまいました。

 27歳のとき、それまで1万日生きてきたこと、82歳で3万日になるとしたら、もう人生の3分の1が過ぎていることを知って、愕然としたというのです。私は、そんなこと考えたこともありません。

 世界を放浪している途中、アフリカ(ナミビア)では刑務所にも入っています。そこで、人々の優しさに感銘を受け、救われるのです。日本の刑務所は、なかで他の収容所から殺されるようなことはまず心配ありません(アメリカでは囚人同士の殺人事件が頻発していると聞いています)。ところが、ガンジガラメの規則で縛られ、息が詰まりそうになってます。でも、ナミビアでは、女性だったら、お化粧も踊りも自由です。看守まで一緒になって踊りだすというのです…。

 著者は美術大学の入試(3日間の実技試験)のとき、必要な道具一式を電車の棚で盗られてしまい、手ぶらで学校で試験を受けることになりました。幸い7千円の手持ち現金で最低限の道具を買いそろえて、何とか提出。ところが、ダメかと思っていたのに合格。よほど奇抜な出来具合だったのでしょうね。

 著者は幼稚園でも小学校でも、行動が鈍く、団体行動も出来なかった。飛び箱は飛べないし、と競争もダメ。それでも高校から大学に入ります。そして、意味なく勉強するのに見切りをつけて放浪の旅に出たのでした。いやぁ、まことにまことに勇気があります。

 行った先々で、人々の親切に助けられます。女一人旅なのです。夜なんか怖くなかったのでしょうか…。男の私には、とてもそんな勇気はありません。そこで、自分の経験を踏まえて冒頭の呼びかけになるのです。

 不登校の子や、悩みをかかえて苦しんでいる子どもたちに読ませたいジュニア新書です。

(2025年9月刊。940円+税)

本なら売るほど(2)

カテゴリー:社会

(霧山昴)

著者 児島 青 、 出版 KADOKAWA

 古本屋「十月堂」シリーズの2巻目です。

アイデアが枯渇したマンガ家がふらりと街中のホテルに立ち寄るというストーリー展開で登場するのは「丘の上のホテル」という名の、実は山の上ホテルです。このホテルは廃業するまで、私の定宿でした。私の住む町のシェフのお兄さんがフロントで働いていたので、紹介されたのが始まりです。文化人のホテルとして有名ですので、自称モノカキの私にぴったりということで愛用していました。有名な天ぷらの店にも一度だけ入りましたが、たいていは地階の居酒屋兼バー風のカウンターで食事をしていました。独特のキー、そして部屋の内装があまりにも写実的なのに驚いていると、作者は泊まったときにスマホで写真を撮ったのだそうです。落ち着いた雰囲気のホテルで、気に入っていたので廃業したのが私にとっても残念です。隣の明治大学が買収したと聞いています。

「読み終わるまで死ねないくらい面白い本」を探し求めている客が登場しています。じゃぁ、私は何だったのかなと思ったとき、一番に頭に浮かんだのが『トゥイーの日記』(経済界)でした。私より少しだけ年長のベトナム人医師(女性)がベトナム戦争に自ら志願して、解放戦線(ベトコン)の一員としてジャングルでアメリカ軍と闘う様子を日記に書きつづっていくのでした。1970年6月、アメリカ兵に撃たれて死亡(27歳)したあと、その日記がアメリカに渡り、そこで英訳され、それが評判となってベトナムで紹介されると、「50万人が号泣した」というほど評価されたという本です。ほとんど私と同世代ですし、大学生のころはベトナム反戦のデモと集会を体験していた者として、私も身につまされ、読みながらおいおいと泣いてしまいました。一読をおすすめします。

次に泣いたのは『ザリガニの鳴くところ』(早川書房)という、アメリカの小説です。こちらは映画も見ましたが、アメリカで500万部も売れたそうです。動物学者の女性が69歳で執筆した初めての小説とのことですが、たまらなく切ないストーリー展開で、心が震えるほど、泣けてしかたがありませんでした。

そして、つい最近読んだのが韓国の人権弁護士の本です。全頁、赤いアンダーラインを引きまくりましたが、身体の芯から燃えてくる本でした。やっぱり、こんな出会いがあるので、連読・多読はやめられません。今年も11月半ばで400冊近くを読破しています。電車に乗って出かけるのが前より減りましたので、年間500冊には達しそうもありません。そこで、この本です。面白いマンガ本で、売れているようなのが、何よりです。

(2025年6月刊。760円+税)

翔んでベトナム30年

カテゴリー:ベトナム

(霧山昴)

著者 小松 みゆき 、 出版 そらの子出版

 私と同じ団塊世代で、ベトナムで30年暮らしていた元気な女性がベトナムでの生活を振り返った本です

 認知症の母親とベトナムで暮らしていた状況は『越後のBaちゃんベトナムへ行く』で面白く紹介されていて、私は観ていませんが、松坂慶子主演の映画にもなっています。そして、ベトナム残留日本兵とその家族の状況を描いた『動き出した時計』も興味深く読みました。

 ベトナムに行く前には、東京で法律事務所に事務員として勤めています。そのとき、新聞切り抜きも仕事の一つだったと書かれています。私も新聞切り抜きは40年以上欠かしていません(台紙に貼るのは事務員の仕事です)。

 ベトナムといえば、私の大学生のころはベトナム反戦のデモと集会は日常的な光景でした。アメリカの若者たちがベトナムのジャングルのなかで泥沼の戦いに従事させられ、5万5千人もの戦死者を出しました。もちろん、ベトナム人の戦死傷者はその10倍ではすみません。桁(けた)が2つ違うほど甚大でした。

 この本のなかに、ベトナムの寺にあった鐘がなぜか銀座の古物商の店頭にあるのが発見され、日本の弁護士(渡辺卓郎弁護士)や松本清張などが呼びかけ人となってベトナムへ返還する運動が取り組まれ、ついに実現したこと。そして、著者は、そのベトナムに帰った鐘の行方を探り当てたという話があります。すごい執念です。

 著者は30年ものあいだベトナムで何をしていたのか…。初めは日本語教師としてのスタートです。たまたまベトナムで日本語教師を求めるという張り紙を見て応募して赴任したのでした。そして「ベトナムの声」放送(VOV)に関わって暮らしていたのです。すると、日本からベトナムへやって来る人々の接待要員としても活躍しています。天皇夫妻や皇族のベトナム訪問のときにも対応しています。たいしたものです。

 越後に住んでいた母親が認知症になったとき、居場所のない母親を引き取ってベトナムに一緒に住むようになって、「スパイ」容疑から、晴れて「親孝行の娘」に昇格したという話は笑えます。やはり、どこでも「よそ者」は警戒されるのですよね。

 認知症といっても当初は軽症だったようで、言葉の通じないベトナム社会にたちまち母親は溶け込み、幸福そうな笑顔が見れたのは良かったと書かれています。人と人との密接で、温かい社会環境のなかで母親は天寿をまっとうされたようです。13年間もベトナムで一緒に生活したとのことで、本当にハッピーエンドでした。

 それにしても著者の疲れを知らない行動力とタフさには驚嘆させられます。

 30年ぶりに日本に帰ってきて、戸惑いもあるようですが、3年たたないうちに、こんな見事な半生記をものにしたという文章力にも敬意を表します。

 文中のイラストも素敵です。

(2025年10月刊。1760円)

幕末維新変革史(上)

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)

著者 宮地 正人 、 出版 岩波書店

 幕末のころ、帆走船から蒸気機関で走行する戦艦へ進歩した。はじめは外輪蒸気船だった。しかし、外輪だと砲撃されたら弱いし、大砲もたくさん載せることができない。そこで外輪のかわりにスクリュー船とした。エンジンは大量の石炭を消費するので、石炭供給基地を各地に必要とする。木造戦艦だと標的にされたら弱い。そこで、まず鉄板で装甲し、次に鉄艦となった。

 戦艦に載せる大砲の『砲弾』は、初めは破裂しない丸弾だったが、円錐筒型の破裂弾が開発された。1858年、イギリスはアームストロング施条式後装18ポンド砲を導入した。このアームストロング砲を初めてイギリスが実戦で使用したのは、1863年の薩英戦争、そして翌1864年の下関戦争だった。射程距離4000ヤードの巨大砲は威力を発揮した。ただし、当初は事故も頻発した。

 中国大陸の清帝国の林則徐は、アヘンを没収して焼却した。1839年9月、イギリスから軍艦が到着し、ついに戦争が勃発した。イギリスは中国などとの不平等条約を大英帝国海軍が力で維持していた。アヘン戦争が一応の終結をみると、天保12(1841)年、江戸ではイギリスが戦艦を日本に差し向けるという噂(うわさ)が広まった。アヘン戦争で清帝国が敗退すると、日本人の眼は一挙に世界に拡大した。

 ペリーは、アメリカからミシシッピ号で出帆し、喜望峰廻りでシンガポールを経由して香港に入り、まず沖縄に向かう。那覇に寄港して、必要なものを入手した。ペリーは、まずは沖縄を拠点としたのですね…。

 日本においては、ペリー来航という情報は瞬時に日本全国に伝播した。人々は、それを記録し、心配ながら見守っていた。人々は情報を求め、あらゆる手段を用いて収集し、記録し、冊子にまとめて回覧した。

日本では、あらゆる政局の背後に、その展開を凝視する3千数百万の日本人の眼があった。つまり、衆人監視の政治舞台において幕府は自らを国家として振る舞わざるをえなかった。江戸時代(幕末)の日本の人口は3千数百万人だったのですね。そして、情報が全国的に素早く伝播していったというわけです。まだ新聞はありませんが、瓦版がありました。木板摺りで、捕まる前に売り抜けてドロンという形で広まったとのこと。

そして、全国を情報に伝達する手段の一つが飛脚屋。情報を早く知りたいときには、人々は飛脚屋に出かけて確認するという習慣があった。たとえば、江戸でつくった狂歌集を毎月、各地の狂歌組織に送って広めていた。

13年前の本ですが、広い視野で幕末期の動きをとらえることが出来ました。

(2012年10月刊。3200円+税)

商人たちの明治維新

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)

著者 大島 栄子 、 出版 花伝社

 大変面白い本でした。そして幕末という時代情勢のなかで、商人がどのように行動していたのか、とても参考になりました。というのも、私はちょうど幕末の久留米の商人の動きを調べて書いているからです。

何が面白いかというと、有名な島崎藤村の『夜明け前』に出てくる「牛方騒動」の話を、その「強欲(ごうよく)」な荷問屋を主人公とする話だからです。

 藤村の話は、「牛方騒動」の調停者となった馬籠の問屋が書いた日記「大黒屋日記」をもとにしている。それに対して、この本は、「強欲」な荷問屋が書いた「永代日記」を読み解いて、ストーリー展開にしたノンフィクションなのです。あの難解としか言いようのない古文書を読み解くと、こんなに状況・心理が分かるのかと驚嘆しました。

 ところは、中山道(なかせんどう)の中津川宿(岐阜県中津川市)です。主人公は中津川宿では大店(おおだな)だった間(はざま)家に婿入りしました。ところが、この間家は、内情は放漫経営で火の車というか、1100両もの大変な借金をかかえていたのでした。ところが主人公は逃げることなく、店の建て直しを図り、見事に成功するのです。要するに、店の収支状況を数字で明らかにして、儲けを出す商売にしていったのでした。

たとえば、塩商売です。中山道を京都の公家から将軍家へ嫁入りするときは、大変な行列になるので、大量の塩が必要になると聞いて、早速、塩を大量に仕入れて大きく儲けたのでした。なんで大行列だと大量の塩が必要になるかというと、食品の保存用として塩漬けにするためと、調味料としての味噌・醬油に使うためです。そして、荷問屋として、「牛方騒動」に関わるのです。これには、主人公も言い分はあったようですが、牛方(うしかた)たちも字が読めるので、明朗取引を求めてきたということのようです。

調停人も入って、結局、主人公の荷問屋は撤退することになりました。このときの、双方の言い分、そして調停人の意見が詳しく紹介されています。日記に書いてあるのです。

そのあと、主人公は質屋、つまり金融業に力を入れ、そこで儲けていきます。幕末ですから、政治がまさしく激動しています。そこを主人公が乗り越えていく状況も詳しく紹介されていて、状況がよく分かります。

主人公自身は政治に直接関与はしなかったようですが、中津川宿の属する尾張藩からは特別に上納を命じられたりしています。儲けのための必要経費みたいなものでしょうか…。

個人の日記を読み解くと、当時の政治その他の経済を含めた状況がよくつかむことが出来ます。参考になりそうなところに、いつものように赤エンピツでアンダーラインを引きましたら、ほとんど全頁が真っ赤になりました(少しオーバーです)。

(1998年5月刊。1650円)

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.