法律相談センター検索 弁護士検索

甦れ!神の鳥ライチョウ

カテゴリー:生物・鳥

(霧山昴)

著者 中村 浩志 、 出版 山と渓谷社

 中央アルプスに野生のライチョウを復活させるプロジェクトの実情を一貫してリードした鳥類学者の著者が明らかにした本です。私が欠かさず視聴しているNHKの「ダーウィンが来た」でも紹介されましたので、その一端は知っていましたが、その苦難の取り組みの全体像を初めて知りました。

 環境庁の新しい課長は、業務を監督することしか念頭になく、ライチョウ復活に手を貸そうという気はさらさらなかったという、官僚行政に対する手厳しい批判もなされています。つまり、ライチョウ復活は自然との闘いだけでなく、官僚行政とも戦う必要があったのです。

 ところで、日本のライチョウは、神の鳥として古来より大切にされてきた山の鳥なので、人間を恐れることがないという貴重な特性をもつ鳥だそうです。たしかに、珍しいですよね。その特性を生かして復活作戦はすすんでいきます。

 ライチョウは基本的に一夫一妻のつがいとなって繁殖するが、雌の数より雄の数は常に多い。日本のライチョウは、北アルプス、南アルプスそして御嶽(おんたけ)の3地域はそれぞれDNAを調べてみると、違うグループをつくっている。2万年前から3万年前の最終氷河期、まだ大陸と日本列島が陸続きだった時代にライチョウの祖先は日本列島に入ってきた。

ライチョウの巣を探すときは、巣から出た抱卵中の雌は、20分ほど外で採食したら巣に戻る。急いで餌(えさ)を食べようとするため、1分間に100回ほどもついばむ。採食を終えた雌がどこに戻るかを見て巣を発見する。

 ライチョウの捕食獣としてキツネとテンがいる。なので、ライチョウを守るためにキツネやテンの駆除を申請し、認められた。さらに高山にまでサルが群れをなして上ってくる。サルは集団になって高山までやってきて、子育て中のライチョウを脅かす。

 ライチョウをケージに入れて保護しようとするとき、決してライチョウをおどしてはいけない。ライチョウに対して、危害を与えない安全な存在と思わせる必要がある。ケージに収容するとき、雛(ひな)を人の手で捕まえ、ケージに入れるのではない。そんなことをしたら、雌親は警戒の声を発して偽傷行動を始め、それを見た雛は、人を怖い存在だと自らに刷り込んでしまう。ケージ保護が可能なのは、人を恐れない日本のライチョウだけ。

 ライチョウの親鳥は、弱った雛を見捨ててしまう。元気な雛だけ世話をする。そのほうが、結局、多くの雛を残すことができるから。

ライチョウの雛は、母ライチョウの盲腸糞を食べて、自らの腸内細菌を育てて生きていく。

ライチョウが日本アルプスなどに生き残ったのは、強風と多雪のなか、ハイマツが安全な営巣かつ隠れ家となったことによる。そして、ライチョウは神の鳥なので、狩猟の対象になってこなかったから。

 いろんな奇跡と、並々ならぬ苦労のおかげでライチョウが復活したことを知って、元気が出てきました。

(2025年9月刊。1980円)

映画をつくる

カテゴリー:人間

(霧山昴)

著者 山田 洋次 、 出版 大月書店

 1978年に文庫本で刊行されたものの新装版です。フランス人ジャーナリストのクロード・ルブラン(『山田洋次が見てきた日本』の著者)が解説しています。

 1978年というと、山田洋次監督はまだ47歳、寅さんシリーズもまだ途中のころです。さすがに含蓄のある話が盛り沢山です。

 映画に力があるかないかは、どうしてもつくらずにはおれないという内部に燃えあがった最初の衝動の力の強さの度合いによる。なるほど、そうなんでしょうね…。

 脚本をつくるときは、3人くらいの仲間と相談しながら書いていく。脂汗を流し、食欲を失い、ときにはノイローゼ気味になって苦しみながら考え出す笑い話が、作品となったときには、そのおかしさだけが伝わり、生みだすまでの苦しさ、つらさは消えてしまっている。そうでなければならない。この映画の作者たちは、冗談半分に、いつも気易く、軽々とつくっているのではないかと思わせるようでなければならない。そのためには、どうしてもつくり出すプロセスのなかで作者が楽しんでいなければならない。なるほど、そういうものなのですね。

 血のにじむような苦心と努力の末に、この作品をつくったのですよ、と観客に訴えたとしても、それは作品の値打ちとはあまり関係がない。作者が実に気楽に、それこそ小鳥がさえずるように軽やかにつくっている様子が想像できて、観客も気持ちよくなってしまう。そんな作品をつくることこそ、本当の苦労がある。いやぁ、そういうものなんですか…。

芸術は、もともと人を楽しませるためにあったはず。

 人間には常に毒があるが、その毒を笑いで吹き飛ばしているところに落語の健康さがある。なので、落語を愛する庶民は健康なのだ。落語における笑いとは、人間を客観的にリアルに描いたときに起きる共感の喜びのようなもの。

映画の本質はモンタージュである。映画は嘘。現実にはありえない人物を創造して、その人物があたかもその辺にいるような、いや少なくともいてもおかしくないと観客が感じるようにしなければならない。

作品をつくるうえでもっとも大事なことは、さまざまなことがらを体験する、ふと見る、本を読む、人から聞く、なんでもいいけれど、そうしたことから何かを深く感じることのできる人間でありうるかどうか、つまりモチーフをいただきうる人間でありうるかどうかということ。

自分の書く脚本、自分の演出について、常に疑問を投げかけていく。本当にこれでいいのか、間違ってはいないかと疑いをもち続ける精神を大事にしたい。

俳優にとって、その日常と変わりない動作を演技としてできるということは、それができたら一人前の俳優と言っていいほど難しいこと。カメラの前で、日常をふるまうように自然に演技をするためには、実は大変な努力と緊張が必要なのだ。

俳優がカメラの前に立つと、監督には、その俳優の生い立ち、素性がよく分かる。生い立ち、素性というのは、いい仕事を経験してきた俳優なのか、そうではない俳優なのか、ということ。

 私も、モノカキに精進している者として、山田洋次監督のこれらの指摘はズバリ胸に刺さりました。ちょうどいい具合に新装版が刊行されたことに感謝するばかりです。

(2025年10月刊。2200円)

南京事件(新版)

カテゴリー:日本史(戦前)

(霧山昴)

著者 笠原十九司 、 出版 岩波新書

 日本人、日本軍って、どうして、こんなに残酷なことが出来た(出来る)のか、たまりませんし、本当に残念でなりません。

 南京大虐殺について、今でも「ウソだ」と叫ぶ人がいて、それを信じている人が少なくないのも本当に残念です。つい先日、弁護士会の文書を作成中に、南京事件の被害者数(20数万人)に触れたところ。「一説によれば」と書き加えるような指摘を受け、唖然としました。

 たとえば、当時、南京には20万人しかいなかったから、虐殺された人が20万人とか30万人というのはウソだという「批判」があります。しかし、20万人というのは、南京城内の安全区の人口であって、周辺から避難してきた人を含めると200万人ほどに膨れあがったのです。また、日本軍(皇軍)は、昔も今も規律正しい軍隊だから、そんな非道なことをするはずがないと信じている人がいます。たしかに、日本にいるとき、また日本に帰国してからは善良な夫であり、父であったかもしれませんが、中国の殺し殺されという過酷な戦場をくぐり抜けた日本人将兵は、疲労困憊(こんぱい)して、食料も現地調達というなかで、中国兵を人間とみないで、ただひたすら鬼となって中国の人々の殺戮を繰り返したのです。

 南京政略は、当初の大本営の方針ではなかった。現地の軍トップたちが功名を競いあうなかで突っ走ったもの。なので、兵站(へいたん。食料の確保)も十分な手当てはなされなかった。そして、南京を陥落させたら、中国軍は降伏して戦争は終わると日本軍トップは考えていた。しかし、蒋介石は、さらに奥地の重慶で軍を再編して徹底抗戦の構えを崩さなかった。中国軍を甘く見ていたわけです。

 昭和天皇は結局、南京が陥落したことで、人々が熱狂するのを受けて、南京政略を偉大な成果だと賞賛した。この天皇の賞賛が陸軍上層部の尻を叩いたのです。これは決定的に間違っていました。

重慶に対する無差別爆撃がありましたが、同じような無差別爆撃を南京にもしていたのです。

日本全土を火の海に沈めてしまったのは、アメリカ空軍のカーチス・ルメイ将軍でしたが、戦後になってこのカーチス・ルメイに対して最高クラスの勲章(勲一等)を日本政府は贈呈したのです。信じられない暴挙です。

上海派遣軍司令官に任命された松井石根大将に与えられた任務に、南京政略は含まれていなかった。 松井は当時59歳で、同期ではもっとも昇進が遅かった。そこで、功名心を立てようとしたと考えられる。

この上海派遣軍は必要な兵站機関をもっていなかったし、法務部も在しなかった

 南京政略に従事していた日本軍は、士気の低下、軍紀の弛緩(しかん)、不法行為の激発が深刻な問題となっていた。

南京でまだ戦闘が続いているのに、12月11日、誤報から南京城政略として、成功を喜ぶ国内の状況に接して、南京の日本軍は怪げんな思いだった。日本国内は戦勝ムードに沸きかえった。

日本軍は自らも食料が乏しいので、捕虜をかかえることは不可能だった。そこで、方針として捕まえた中国兵の全員殺害を実施していった。

 日本軍占領下の南京は、「陸の孤島」となり、「密室犯罪」が出来る状況だった。そんななかで、日本軍兵士による強姦が横行したのです。

著者は結論として、被害にあった兵士と民間人あわせて20万人前後であるとしています。中国側のいう「30万人」という数字も、あながち誇張とは考えられないのです。

 南京事件を否定するかのような教科書(令和書籍)が文科省の検査に合格するなんて、いったい日本政府はどうなっているのか、と思います。 改めて広く読まれるべき新書だとつくづく思いました。

(2025年9月刊 1120円+税)

ベルリン地下組織、1938~1945

カテゴリー:ドイツ

(霧山昴)

著者 ルート・アンドレーアス・フリードリヒ 、 出版 未来社

 ナチス支配下のベルリンで、1938年から1945年まで、反ナチの活動を秘かにしていた地下グループの実情を日記形式で伝えてくれる本です。

メンバーは当然のことながら匿名(偽名)で活動していましたが、戦後、判明したところによると、ジャーナリスト、音楽家(指揮者)、新聞記者、院院長(医師)、外務省参事官、空軍少佐、作家、牧師、作曲家などで、なんとユダヤもいたそうです。ベルリンにソ連赤軍が進入してくる状況までが描かれています。

当初、ユダヤ人の多くがナリスの支配は長く続かない、続くはずがないと考えたようです。

 「4週間もすれば、あいつは破綻をきたしているだろう」と堅く信じ込んだ。

 夕刊に、「武器を所持しているユダヤ人は20年の保護検束」とある。ナチの連中は、つかまえられる限りのユダヤ人男性をひっぱっていった。勾留命令は出ていない。何らの法的手続きも踏んではいない。着の身着のままで連行されていった。ある者は靴さえ履いていなかった。

 ブーヘンヴァルトから、ザクセンハウゼン(強制収容所)からの帰還者を見る。頭は丸坊主にされ、目は悲しみに満ちている。そこは、百人に一つの便所しかない。

 ユダヤ人は胸に黄色いダビデの星をつけなければいけない。子どもたちは、この星をつけた人を見かけると、「ユダヤ人やーい」と、はやし立てる。黄色い星は隔離を容易にする。

 全ユダヤ人は、食料配給において特別規制の対象とされた。もはや食肉配給券も、卵もタバコもない。

 ユダヤ人「疎開者」の運命について、恐ろしい噂が流れている。集団銃殺や餓死、拷問そして毒ガス殺人…。いずれも本当に、しかも大々的に実行されていたわけですが、まだまだ噂でしかなかったようです。あまりにも恐ろしい事実なので、にわかに信じられない、信じたくないという反応があったようです。

 ユダヤ人の夫を救うため、非ユダヤ人の妻が6千人も広場に集まり、夫を救い出そうと思い、ナチのSS司令部に殺到した。さすがに6千人の非ユダヤ人女性に向けて機関銃は撃されない。

 ミュンヘンの大学で、反ナチのビラをまいた学人たちが捕まった(1943年2月)。

 これは有名な「白バラ」グループのことですね。そして、逮捕されて2日後には、断頭台で処刑された。彼らが学内でまいたビラを手に入れて、紹介されています。

アメリカを主体とする連合軍がノルマンディー上陸作戦を成功させたこともすぐに地下グループは知って、このニュースを拡散します。

 「荷が届きました。なかなか良さそうな品物です。待望久しい連合軍の上陸でした(1944年6月7日)。

 ヒトラーに対する暗殺計画が実行され、失敗したことも、すぐに知らされました。ワルキューレ作戦です(1944年7月21日)。そして、悪運強いもヒトラーは死なず、すぐに残忍な報復を開始したのです。この7月20日事件は、映画館でニュース映画として上映されたものの、すぐに中止された。

 地下グループは1945年4月になると、街頭に「ノー」とペンキで大書しはじめた。

 息づまる戦時下のベルリンの生活が活写されている本です。

(1991年4月刊。3000円)

 わが家の庭のサツマイモを堀り上げました。地上にはツルが勢いよく伸びて葉も茂っているのですが、肝心の地下には小さなイモしかないということが何回もありました。さて、今年はどうかな…。

 大きなイモがごろごろと出てきました。ヤッター…です。11月半ばまで待って掘り上げたのが良かったのでしょう。虫に食われた穴がいくつもあるのは残念でした。農家は、きっと何か対策をとっていると思います。

 早速食べてみましたが、鳴門金時も紅あずまも、少し甘さが足りませんでした。なので、家人には不評でした。まあ、飢饉に備える食料ですので、文句は言うますまい。

渡来人とは誰か

カテゴリー:日本史(古代)

(霧山昴)

著者 高田 貫太 、 出版 ちくま新書

 古代、人々の従来は海を介した双方向的なものだった。倭の人々が韓の地に渡って青銅や鉄を入手していた。朝鮮半島から倭に渡ってきた人々が持ち込んだ青銅器や鉄器などが九州北部を中心として確認されている。

福岡市西新町遺跡にはカマドを備えた住居が多い。これは朝鮮半島から渡ってきた人々が使っていたと見るのが自然だ。

金海(キメ)大成洞108号墳には、碧玉でつくられた管玉やヒスイの勾玉(まがたま)を身につけた女性が葬られていた。倭王権の側が、高貴な女性に銅鏃などの贈り物をもたせて金官国へ送り出したと考えられる。

広開土王の碑文に書かれているほど倭の軍勢が大規模なものだとは考古学には考えにくい。広開土王の偉大さを引き立たせるために「強大な難敵」だと表現したのではないか…。

奈良県橿原市にある新沢千塚126号墳から出土したものは、優品のアクセサリーをフルセットで身につけていることから、新羅(しらぎ)の王族ないし有力な貴族の地位にあった者と考えられる。

滅亡の危機に瀕した百済の復興には倭の協力があった。百済園にあった朝鮮半島中西部の古墳からは、倭の甲冑(かっちゅう)が出土している。倭の甲(よろい)と須恵器が出土した。

5世紀の倭において、倭王朝が中国南朝から入手したものを、各地の有力者に配った。飯塚市の櫨山(はぜやま)古墳に葬られている死者は草葉の文様(三葉文)をモチーフとしている。三葉文の飾り帯は、新羅王権との政治関係が示されるもの。

6世紀の磐井(いわい)の乱は、岩井が新羅と手を結んでいたことに関連している。

倭による任那支配は架空のできごと。金官国、つまり任那を倭が支配していたという考古学的な根拠は何ひとつない。

5世紀に多くの渡来人が倭に渡ってきた。渡来人の故郷は多種多様であり、職業もさまざまだった。

葛城氏の有力者は、朝鮮半島から渡米人を招き入れ、最新の手工業生産の体制をととのえ、これを背景として、ヤマト王権の中で大きな実力をほこった。

馬が朝鮮半島から運ばれてきて、馬を飼う技術(ノウハウ)は5世紀になって渡来人によってもたらされた。

最新の知見に寄って渡来人の実像が明らかにされています。「任那日本府」なるものの存在を私も信じていたことがありました。日本列島に住む人々に当時はまだ国家といえるほどのものはなく、朝鮮半島に政府の出先機関を置くなんて、とても信じられません(ありえません)。面白く読みすすめました。

(2025年8月刊。1320円)

 日曜日、朝からフランス語検定試験(準1級)を受けてきました。この1ヶ月ほど、朝も晩も必死になってフランス語を勉強しました。なにしろ「過去問」だけでも30枚近くあるのです。そして「傾向対策」も復習しました。

 準1級はもう5回は合格しているのですが、昨年は1点差で不合格でした。ともかく上達を目ざすというより、能力低下を必死で防いでいるというところです。

 昨年までと違うのは、ネットのユーチューブでフランス語が視聴できるという点です。子供向けのレッスン、医師の健康講話そしてフランスの国会での討論などです。

 「不服従」のパノー議員の迫力ある意見にはいつも圧倒されます。

 自己採点では、4点不足でしたが、どうなりますやら…。

 3時間かけた試験の会場を出ると、秋空のいい天気でした。

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.