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継体天皇

カテゴリー:日本史(古代)

(霧山昴)

著者 河内春人 、 出版 中公新書

えっ、タイトルを見て継体って大王じゃなかったの…と思いました。もちろん、本文では「本当は継体大王だ」として紹介されています。

日本は昔から万世一系の天皇がいたのではありません。「万世一系」といのは、まったく史実に反します。

継体大王は、血縁的系譜を確実にさかのぼることのできる「最初の大王」。それまでの日本では、王族の内部に大王を輩出する王族集団が複数存在しており、近親が継承するとは決まっていなかった。政治的には統合しているものの、ヤマト政権が中央集権的に支配しているというイメージとは、ほど遠かった。

「万世一系」のはずの大王の血筋が武烈大王で途絶えて、世の嘆きとなった。そこで、越の国に応神天皇の五世孫の息子がいると知り、探し出し皇位につけた。

そして継体大王が死ぬと、その3人の息子、安閑・宣化・欽明が大王を即位して承継した、というのです。「万世一系」は断絶したのです。

ところで、初めて知って驚いたのですが、高校の日本史で継体大王の名前がまったく登場しないというのです。腰が抜けるほど驚きました。世襲王権は継体大王のときに始まった朝鮮半島との関わり、磐井(いわい)の乱など、継体大王は天皇制の確立を論じるのに欠かせない存在だと思うのですが…。

この当時、中国との外交は既に100年以上も中断していた。前方後円墳の築造も終わりかけている。

氏姓(うじかばね)は、ひっくりかえった。5世紀は、国王と王族のみが姓をもち、豪族以下は無姓だった。ところが、6世紀になると、大王と王族が無姓で、豪族以下が姓をもつ、氏姓制度が成立する。いやあ、私は、これも知りませんでした。

「万世一系の天皇」といいますが、5世紀の天皇(本当は大王)たちは、お互いに殺し、殺される非道の報復を繰り返していました。

「常に乱暴で恐ろしい」安康天皇は、殺され、雄略天皇が即位した。雄略天皇が亡くなると、内乱が起きている。

倭王権は、各地の有力集団を屈服させ、その上に君臨するという権力をもってはいない。継体大王の前の武烈大王が残虐だったというのは、架空の事実とされています。五世孫の即位を正当化するための論理(ロジック)だといいます。

大王から天皇にいつ変わったかというと、7世紀のこと、天武あるいは天智朝である。

継体大王の時代、日本列島と朝鮮半島は双方向の交流をしていた。

大王の言葉をもって伝達し執行する人をミコトモチ(御言持ち)とした。そして、「日本府」もミコトモチと呼ぶ。つまり、「日本府」というのは、行政組織ではなく、外交交渉のためのこと。なるほど、任那に「日本府」があったというのは、倭の出張所とか、日本の領土が朝鮮半島にあったというのではないのですね。

刺激的な内容が盛り沢山で、とても勉強になりました。

(2026年6月刊。1100円)

大正天皇

カテゴリー:日本史(戦前)

(霧山昴)

著者 草森紳一、平山周吉 、 出版 コトニ社

明治天皇と昭和天皇にはさまれて、大正天皇の影はかぎりなく薄い。ところが、本書では、大正天皇は自由な精神をもった芸術家肌の君主だとされています。

大正天皇と原敬は特別に親密な関係をもっている。大正天皇は、人一倍、感受性が豊かだった。大正天皇は、幼時より、礼式を嫌い、籠の鳥となるのを嫌い、「操り人形」にしにくい個性だった。伊藤博文は、それを知悉していた。なので、「不運なこと」だと嘆いた。

大正天皇が国会の開院式で、勅語を読み上げたあと、その勅語を遠メガネのようにしてのぞきこんだというエピソードによって、頭の弱い天皇だというイメージがつくり出されたが、これは事実あったことではないらしいのです。

大正天皇は漢詩をよくした。その面倒な決まりである「平仄(ひょうそく)」の合わせかたも自在だった。

大正天皇は書もよくした。その運筆は、天衣無縫と評された。

明治天皇は読書を嫌ったが、大正天皇は、夜12時過ぎまで読書していた。

大正天皇は、まだ皇太子であったとき、全国をはつらつとまわった。神出鬼没、その際には、庶民や子供にも気軽に話しかけた。帝国憲法下の天皇陛下とはおよそ思えない、まさしく「人間天皇」と呼ぶべき、機智に富む、お茶目な「現人神(あらひとがみ)」未満の君主像を体現した。

大正天皇は、副島種臣と書において並んで、別格の存在だった。大正天皇の書は、まるで無規制、おうようで、無心、臆面もない野放図さがあった。

大正天皇は「軍部大臣現役武官制」だったものを「現役」を削除するのに大きな役割を果たした。これによって、予備役の陸海軍大将や中将でも大臣がつとめられるようになった。「現役」の2字があるかぎり、陸海軍が大臣を出さなければ、内閣は成立しない。内閣の生殺与奪を軍部が握る危険があった。これを解決した。

これは大正天皇に政治的なセンスもあったということです。

この本は、大正天皇を見直すという貴重な機会を与えてくれました。

(2026年2月刊。2750円)

1417年、その一冊がすべてを変えた

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)

著者 スティーヴン・グリーンブラット 、 出版 ちくま学芸文庫

今から600年も前、修道院の図書館の棚から非常に古い写本が発見された。古代ローマの哲学者ルクレティウスが書いた哲学叙事詩「物の本質について」という本。

宇宙は神々の助けをなしに動いており、神への恐れは人間の生活を害なものであり、人間を含む万物は絶えず動きまわる極小の粒子でできている、という内容。

ルクレティウスは、紀元前1世紀初めに生まれ、前55年頃に死んだラテン詩人。ギリシアの哲人エピクロスの教えを忠実に伝える。

それは、宇宙に存在するものは、それ以上分割できない原子と、何もない空間から成っており、無限にある原子が無窮の空間を運動しながら互いに衝突・結合することによって物質が構成される。

ルネサンス期の教皇庁には卑劣で、狡猾、無慈悲な教皇がいて、複雑な商取引、異端狩り、脅迫、ペテン、二枚舌、淫乱があふれていた。そこでは、思慮深く学識高い者は冷遇され、他方、無知で無価値な高位聖職者が称賛された。

ローマ・カトリック教会は、ひどい罪人たちの巣窟でありながら、一般の信徒には、キリスト教の教義に抵触する自由な思考は許さず、キリスト自身の教えに忠実な者を異端として容赦なく火あぶりにした。

万物は目に見えない粒子でできている。物質の基本となる粒子は不滅である。すべての粒子は無限の真空の中で動いている。宇宙には創造者も設計者もいない。存在には終わりも目的もない。絶え間ない創造と破壊があるのみで、すべては偶然に支配されている。万物は逸脱の結果として生まれる。自然は、絶えず実験をくり返している。始まりの瞬間とか、神学的な、万物の創造の場所などというものは一切存在しない。

宇宙は人間のために、あるいは人間を中心に創造されたのではない。種としての人類がずっと遠くに続くと信じる理由は何もない。

人間は唯一無二の存在ではない。霊魂は滅びる。人の魂は肉体と同じく、ある物質でできている。死後の世界は存在しない。

人間にとって、死は何ものでもない。

組織化された宗教はすべて迷信的な妄想である。宗教は常に残酷である。人生の最高の目標は喜びを高め、苦しみを減らすことである。

いやあ、よく考えられている指摘のオンパレードです。昔の人が本当にそんなことを考えていたとしたら、それこそ自然の脅威です。

(2025年11月刊。1760円)

台湾の夜明け

カテゴリー:中国

(霧山昴)

著者 陳耀昌 、 出版 左右

1920年代の台湾は、日本の統治下にあった。そのなかで台湾人の文化啓蒙活動に焦点をあてた歴史小説です。500頁近い大作でもあります。

巻末に当時活躍していた人たちの写真があり、イメージを具体的に掴むことができます。多くは洋装ですが、昔ながらの国民服を着ている人もたくさんあります。

主人公の盧(ろ)丙丁と妻の林氏好が中心になって話は展開していきます。林氏好は日本人の声楽家である関屋敏子に師事して腕をみがきます。林氏好は、幼いころから教会で西洋文化、芸術に触れて育ち、また牧師夫人からピアノや声楽を学びました。そして台湾で歌い、絶賛されます。日本のレコード会社とも手を結んで、喝采をあびるのです。

盧丙丁は台湾民衆党とともに活動していましたが、ハンセン病の患者となり、強制隔離施設に入れられてしまいます。

台湾民衆党が結成されたのは1927年7月のこと。台湾人による最初の政党。

台湾には、日本の政治政策に協力する台湾の実業家がいて、御用紳士と呼ばれた。これに対し、自分たちを漢民族の一員とし、祖国派とされた。

その動きを抑圧、弾圧する日本人の官憲に対して、台湾の人々は「四本足どもめ、あまりにひどい」と反撃した。

台湾人は二つの欠点をかかえている。一つは、団結できないこと。もう一つは、一歩一歩順を追って進んでいけない、なかなか足並みをそろえられないこと。

日本人の圧制に反抗して運動会を襲撃し、日本人多数を殺害するという霧社事件が起きたとき、日本軍部は残虐に弾圧してしまいました。さらに、台湾人を抑圧していた日本軍が敗戦で撤退したあと、中国本土から国民党軍が進駐してきて、再び台湾の人々は弾圧されます。

今の台湾の繫栄は、そのような負の歴史の上に築かれているのだと、しみじみ思いました。

(2026年3月刊。4400円)

新・戦国史

カテゴリー:日本史(戦国)

(霧山昴)

著者 NHKスペシャル取材班 、 出版 NHK出版

私は一般にテレビはまったく見ません。相撲も野球も、そしてサッカーもスケート、ゴルフもまったく関心がありません。好きな人たちがやってることなので、お好きにどうぞ。私は好きにやってますから、どうぞ放っておいてください。こんなスタンスです。

ところが、歴史発掘みたいな番組があると、見ないわけにはいきません。先日は、犬山城を「ぶらタモリ」が紹介していました。熊本城も欠かせません。そして、あの安土城がテーマだと知ると、見逃せません。

つい先日、安土城に久しぶりに登ってきました。まだ発掘途上のようですね。なにしろキリスト教宣教師のルイス・フロイス(「日本史」が有名です)は、信長に18回も会って話したというのです。そのルイス・フロイスも安土城にのぼっているはずなのです。

私は、安土城にのぼるのに「伝大手道」を行きました。幅8メートル、全長約180メートルほどの巨大な道です。ところが、この本によると、一般的に登城するのは「百々橋(どどばし)口道(くちみち)」であって、「伝大手道」は、特別な(天皇のような)貴客が来たときに使う儀礼的性格の道だったとのことです。まあ、私も特別待遇を受けたということにしておきましょう。

安土城の特色はなんといっても、見せるお城だということです。安土城の頂上に天主がありましたが、その屋根には、青色の軒丸瓦がふかれ、その前面部分には、金色に輝く瓦がふかれていたというのです。

安土城天主には、中国に由来する「三皇五帝」という絵や、柱には上り龍・下り龍が描かれていた。そして、屋根瓦も、中国の宮殿と同じく青瓦であった。

織田信長は、安土城の当初から、「見せる」ことを意識して城をつくっている。山の下から見上げると、石垣が一つにつながって、まるで高い石垣がそそり立っているように見える。そんな仕掛けを小牧山城や岐阜城もしたし、安土城はさらにそれを華美にしたということのようです。

信長の「天下布武(てんかふぶ)」という有名な印文(印章に刻まれた文字)にある「天下」とは、日本(戦国)全土を指すのではなく、畿内を指すと理解されている。

安土城の天主跡には大きな礎石が今も残っています。「信長公記」によると、天主は地下1階、地上6階の7階建てだというのです。度肝を抜くとは、このことでしょうね。

安土城はほかより一つ小高い山ですので、その頂上に地上6階建て、屋根瓦は青や赤そして金色に輝いていたというのですから、まさしく神様の御殿ですよね。

私は、安土城駅まで電動自転車をレンタルして行動しました。歩いてまわったら優に半日コースになります。2時間以上の強行軍でした。

安土城に行きましたので、その意義をしっかり勉強することのできた本です。

(2026年3月刊。1078円)

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