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ナマケモノは意外と早起き

カテゴリー:生物

(霧山昴) 

著者 遠藤 求 、 出版 築地書館

生まれたばかりのイルカの赤ちゃんは、生後1ヶ月間、ほとんど眠らずに泳ぎ続ける。脂肪のない赤ちゃんが冷たい水の中で保温を保ち、サメなどの敵から逃げるため。母イルカと一緒に泳ぐ、命がけの親子リレー。

オオグンカンドリ(海鳥)は、10日間も海の上を飛び続ける。その間、わずか42分しか眠らない(平均12秒の眠り)。そして、陸地に到着すると、1日に12時間以上も眠り続ける。つまり、ギリギリまで睡眠をガマンしているというわけ。グンカンドリの羽毛には撥水性がないため、一度着水すると、飛べなくなってしまう。

女王アリは巣の奥の安全な場所で1日9時間も眠る。働きアリは、1日たったの5時間弱、しかも、1回1分ほどのうたた寝を1日に250回以上も繰り返す。これによって、仲間内の8割は常に起きている状態となる。

マダガスカルの森にすむフトオコビトキツネザルはエサのない乾季には7ヶ月も「休眠」。何も食べたり、飲んだりしない。そのため、尻尾にたっぷり脂肪を蓄えておく。お休み中の体は「超省エネモード」。いつもは1分間に200回脈をうっている心臓が毎分6回にスローダウン、呼吸もなんと10~15分に1回のみ。

ソマリアの地下深く、洞窟にすむ魚は、周期が24時間ではなく47時間。ここには光という手がかりはない。

トナカイは、一度飲みこんだ食べ物を口に戻してもう一度かむ「反芻(はんすう)」をしているあいだ、脳を深い眠りの状態にすることができる。

生物の体内時計は、生き残るための命綱というより、厳しい生存競争を勝ち抜くための、最良のサバイバルツール。

夜間に渡りをしている鳥たちは、星空を利用している。個々の星座ではなく、天の北極を中心として星々が回転するパターンそのものを方位の手がかりとしている。

北アメリカのカナダからメキシコまでの3000キロを飛ぶオオカバマダラ(チョウ)は、太陽の天空における位置(方位角)という視覚情報と、正確な時刻情報という2つの情報を統合し、刻々と動く太陽の位置を補正して正しい飛行方位を維持している。太陽が雲に隠れて見えないときには、「光依存性磁気コンパス」というバックアップシステムを利用する。触角が光を探知する必要がある。

オーストラリアにすむ「ボゴン蛾」という小さなガは、天の川を地図がわりにして、山を横断する1000キロもの大冒険をしている。

ウマは春に、ヒツジは秋に結婚相手を探す。ウマの妊娠期間は11ヶ月、ヒツジは5ヶ月。いずれも春に子どもが生まれる。

仲のよい友達や母娘が一緒に暮らすと、月経(生理)のタイミングがそろってくるという俗説は科学的には間違い。ええっ、そうなんですか…。偶然だったそうです。

面白い体内時計の話が満載でした。

(2026年6月刊。2200円)

天界図像の古代学

カテゴリー:日本史(古代)

(霧山昴) 

著者 塚田良道 、 出版 敬文舎

良く知られていることではありますが、決して広く知られているわけでもないのが、天皇と大王の違いです。自民党の要職にある国会議員が恥ずかし気もなく、「日本は2600年間、万世一系の天皇が支配してきた」だなんて嘘を堂々と高言しています。

しかし、そもそも天皇というコトバは、飛鳥(あすか)時代より前はなかったのです。要するに、7世紀以降のコトバでしかありません。その前は大王(だいおう)と呼んでいました。たとえば、継体大王です。大王の後継ぎが絶えたので、福井のほうから遠い親戚と称する人物をひっぱってきたとされています。

熊本県和水(なごみ)町にある江田船山(えだふなやま)古墳から、出土した鉄製の大刀(たち)に銀で象嵌(ぞうがん)された75文字の銘文が発見された。「ワカタケル大王」に仕える文官ムリテがこの刀をつくらせたとあった。

そして、この本は、この大刀にあった図像の意味を読み解いていくのです。そこには、魚、亀、そして鳥が描かれている。この図像の意味するものは何か・・・。江田船山の魚は、ヘラブナのように胸が張っている。

初期の古墳から発見される特徴的な造物に、三角縁(さんかくぶち)神獣鏡がある。縁の断面を三角形に分厚くつくっている。直径23センチほどの大きさがある。ひとつの古墳から大量に出土するという特色がある。

似ていて別のものとして、三角縁盤龍鏡(ばんりゅうきょう)というものがある。こちらには、魚と鳥の図像が必在である。ただし、その主文様は龍虎。魚と鳥は脇役でしかない。

魚と鳥の歩揺で飾られた装身具を所有する藤ノ木古墳の被葬者は、政権中枢の人であった可能性が高い。

日本列島における初期の三角縁盤龍鏡の魚と鳥は、後漢の画像石の図像を取り入れたものである。

北斗七星は、天の北極を象徴する図像だった。北斗七星は、敵を破り、身を守り、さらに帝王としての地位を示すもの。

古墳時代の倭王と、それに近い王権中枢の人たちは、魚と鳥の天界図像で、その身を飾り立てていた。

古墳時代の倭王は、太陽を自らの上に、あるいは始祖神の地位に置くという思想はもっていなかった。太陽ではなく、天、大きな力、王の北極こそが、そのアイデンティティを示す象徴だった。

よく分からないところが多かったというのが正直なところですが、それでも、昔の人々がどんなことを考え、何を作っていたのかを、外国との比較で推察していくのを読んでいて心地のよくなる本ではありました。

(2026年2月刊。3960円)

川崎のぼる伝

カテゴリー:人間

(霧山昴) 

著者 読売新聞西部本社文化部 、 出版 集英社

「巨人の星」の星飛雄馬はすごいマンガでした。ただ私は同時期の、ちばてつや「あしたのジョー」のほうをよく読んでいました。貧乏学生ですから週刊マンガ雑誌を自分で買って読むことは出来ませんでしたが、東大駒場寮(6人部屋です)にいると、誰かが購入して読み終わったのがまわってくるのです。発売日になると、誰か一目散に買ってきて、自分が読んだものをと次にまわしてくれるのです。便利な仕組みでした。同じようにして、「ガロ」の白土三平の「カムイ伝」「カムイ外伝」も読んでいました。

ちばてつや「あしたのジョー」は、1968年(昭和43年)1月10号に始まったとのことですから、私は、まだ純真そのものの大学1年生です。

川崎のぼるの「巨人の星」が先行していますが、この二つとも梶原一騎(高森朝雄)が原作を書いています。原作者と作画家とのあいだには、目に見えない闘いの火花が散っていたことをこの本を読んで知りました。原作者とキャッチボールをするという感覚だったとのこと。

ちばてつやのほうは、原作を変えてもいいという条件で引き受けたので、かなり自由に描けた。川崎のぼるは原作を変えず、絵の創意工夫で乗りこえた。

川崎のぼるは「ガーン」という擬音、目の中の星という表現、心象風景を絵として表現するのがうまい。

マンガ家は、お互いにみんな影響を受けている。

「巨人の星」第一回は、1966年(昭和41年)4月30日発売の週刊少年マガジンに掲載された。ということは、私は高校3年生で、大学入試の受験勉強に突入していて、マンガどころではなかったと思います。周囲に少年マガジン誌を購読している人もいませんでした。

ファンレターが殺到した。男子は主人公飛雄馬、女子にはライバル花形満に人気が集まった。

昭和42年1月8日号は、なんと少年マガジン誌は100万部突破。私にとっては入試直前なのでそれどころではありません。

野球マンガの形をとってはいるけれど、描かれるのはリアルな人間ドラマ。飛雄馬は普通の少年、むしろ体格は小柄で、投手としてのハンデを背負っている。悩み、もがき、独り狂いながらも厳しい鍛錬を重ね、ライバルとの戦いを通じて成長していく。読者である子どもが自分自身を重ねることができる。

「飛雄馬は、悩んだり、挫折したり、負けたり、友だちへのねたみやうらみ、人間の弱い面があらわれている。読者が身近に感じられる。今までにないリアルな主人公」 

梶原一騎は戦前の少年たちが熱狂した「少年倶楽部」の世界を、高度経済成長の時代によみがえらせた。梶原一騎は、少年マンガで人生論を語った。「巨人の星」の物語の力が読者層の上昇をもたらした。

川崎のぼるの絵には、比類のないリアリティーがある。キャラクターは、ほどよくデフォルメされながら、睫毛や鼻、口元やしわといったパーツは丁寧に描かれている。要は、アップに堪えうる顔だ。身体の骨格と筋肉については、すこぶる写実的で、投げる、打つ、走る、捕球するといったプレーには、先行する野球マンガにはない動的な迫力があった。

川崎のぼるは、内面の心情を表現できるマンガ家。その繊細さはたぶん、少女マンガでの経験が生かされている。私の大学生活は私も渦中にいた東大闘争をふくむ全国の学園闘争の時代でしたが、「右手に朝日ジャーナル、左手に少年マガジン」と言われても、決して言い過ぎではありません。といっても、「朝日ジャーナル」は露骨な全共闘支持でしたので私は嫌いでした。暴力賛美一辺倒なんて、当時も今も私は支持できません。

今、85歳の川崎のぼるは、妻の実家(熊本県天草)から遠くはない熊本県菊陽町に住んでいる。

大変面白く、一気読みしてしまいました。

(2026年6月刊。2530円)

受験戦争のメディア史

カテゴリー:社会

(霧山昴) 

著者 佐藤卓己 、 出版 NHKブックス

大学受験の通信添削にオリオンなるものがあったことを、私はこの本を読んで初めて知りました。

京大ならオリオン、東大ならZ会と言われていた。

私はZ会です。高校生から3年間続けたと思います。通信添削で成績上位の氏名が毎号のっていて、常連の名前は今でも覚えています。駒場豊とか。

オリオンを利用した人をオリオニストと呼ぶそうですが、そのなかには鳩山邦夫と舛添要一の名前があります。東京都知事をつとめ、そのせこい行状でひんしゅくを買って辞職した舛添要一は東大駒場で同じクラスでした。お互いまったくそりが合いませんでしたので、親しく話したこともありません。

鳩山邦夫は東大法学部を首席で卒業したそうですが、遠くから見ていただけで、まったく垢抜けしない人だという印象しかなく、とても秀才だとは思えませんでした。

京大文学部に入った上野千鶴子もオリオニストだったそうです。とかく話題の人ですよね…。

オリオン通信添削の最大の魅力は、添削者を指名できるシステム。Z会の通信添削にはそのようなものはありませんでした。もちろん、赤ペンでいろいろ書いてはもらいました。それが励みになっていたことは間違いありません。でも、オリオンのような「信紙」とか「文通」のようなやり取りなんてものはありませんでした。

私は、田舎(地方)の県立高校(三池高校)から東大を受けましたが、一つ上の学年の2人が現役合格し、私の学年は現役2人、一浪2人の計4人、下の学年は現役2人が東大に合格しました。つまり、私の学年は東大4人、京大2人だったと思います(九大合格者の数は知りません)。

私は高校時代は予備校に行くこともなく、受験参考書とZ会、それに年に2回ほどの旺文社全国模試に参加したくらいです。

Z会は会員数の拡大路線で生き残り、今も健在のようですが、オリオンのほうは1991年に廃業しています。

この本によると、今日では大学生の過半数が一般入試を受験せず入学している、とあります。受験はもはや国民総動員の総力戦ではなく、限られた大学での限られた参加者による局地戦となっている、とのことです。ええっ、そうなんですか…、知りませんでした。

私は予備校に行っていませんので知りませんでしたが、教室で缶ビールを飲みながら講義する名物(人気)講師がいたそうです。呆気にとられます。

教師(講師)の言葉にもっとも真剣に食いつくのが予備校生。その眼差しが違う。そりゃあ、そうでしょうね、きっと……。

そもそも受験勉強も大学教育も、実社会ではあまり役に立つものではない。しかし、企業は自ら選んだ競争を勝ち抜いたという自信、それにともなう自己肯定感を基準にして採用する。やれば出来るという自信をもっている者こそ、組織が必要とする人材だから。だとすると、入試で試されているのは闘争心や克己心ということになる。なるほど、そういうことなんですか……。

受験勉強は楽しいとか、勉強しながらでも青春は満喫できるなどという無責任なことは書きたくないという合格体験記が紹介されていますが、まったくそのとおりです。ひとり孤独に勉強するしかありません。

私は、司法試験の勉強のときにも同じことを感じました。それで、徹底して合理的な勉強法を心がけたのです。そして、幸い1年足らずで合格できました。その苦闘の状況を再現したのが『小説・司法試験』(花伝社)です。

大変勉強になりました。自分のことも振り返ってみることができました。

(2026年7月刊。2090円)

憲法9条を持つ国に生きて

カテゴリー:司法

(霧山昴) 

著者 内藤功 、 出版 旬報社

1931年に生まれ、現在95歳の著者が自分の人生を振り返った本です。

軍国少年だった著者は13歳のとき海軍経理学校に志願します。すると衛門番兵の水兵から問われた。「おまえ覚悟して来たのか。それとも憧れて来たのか」

著者は、もちろん、「覚悟して来ました」と答えた。暗誦していた軍人勅諭にあるとおり、国のためには生命を捧げますと教え込まれた「覚悟」だった。

貧乏な家に生まれ育った著者は軍隊に入ったら、米は腹一杯食べられ、軍の学校は学費がいらない。満20歳になれば徴兵されるのだから早く軍に入ったほうが良いと考えていた。

8月15日の天皇のラジオ放送は聞いてもよく分からなかったが、日本が降伏して戦争が終わったのは事実だと知った。すると、無念に思う気持ちとともに、「これでもう死ななくてもいいんだ」という安堵感が全身に広がっていった。やっぱり誰だって死にたくありませんよね。

著者は、この本の冒頭で、「戦争する国」と「戦争しない国」の違いは、国民が招集令状(赤紙)の一枚で戦場に動員され、人を殺し殺される国か、それを強要されることのない国か。これが決定的な違いだとしています。

私は、殺されたくないのはもちろん、人を殺したくもありません。

著者は敗戦した後、明治大学予科に入ります。そこで弁論部に加わり、他校との討論会にのぞみました。静岡高校の正森成二氏(のちに弁護士となり、共産党の代議士として活躍)の論法に驚嘆します。正森氏の論法は一気に7点にわたる質問を発して相手を困惑させ、回答の矛盾や隙をさらに突くという攻撃論法だった。

「敵の弱点を突く。常に攻勢に出る。データは誰もが否定できないものを使う」。これが戦術だった。なるほど、そうなんですね……。

司法試験に合格し、司法修習生だった1952年5月1日、皇居前広場でのメーデー事件に遭遇しました。六角棒で機動隊員から叩かれたものの、なんとか現場から逃げきった。上田城吉弁護士は、このメーデー事件の弁護人として名を上げています。

1954年に弁護士になって初の大仕事は、1957年9月の砂川事件刑事特別法事件。1960年の三池争議のホッパー決戦のときも、弁護団の一員として参加しています。ホッパー周辺を労働組合などが何万人と包囲して立てこんでいるなか、会社側は裁判所の妨害禁止仮処分決定をもって乗り込んできた。そのとき著者は、決定書を精査して1ヶ所訂正印が抜けているのを発見し、直ちに不適格な決定書では執行できないと指摘した。すると、執行官も会社側もヘリコプターであわてて一時撤退した。もちろん、労働組合側の士気は大いに上がった。いやぁ、たいした度胸です。

北海道で、自衛隊の存在を正面から争う憲法裁判が始まった恵庭事件、そして長沼ミサイル基地訴訟、さらに、茨城の百里基地訴訟。著者は、そのすべてに関わりました。

「弁護士というものは、一生に一度、何がなんでも、命を捨ててでも、全力をあげて飛び込まなきゃならないこともある」。著者は、これだと、このとき思ったそうです。

法廷での論戦で憲法9条を持ち出すと、相手(国側)は逃げまくるばかり。痛快な論戦で、弁護団は明るく、笑いが絶えなかった。これは大いにやり甲斐がありますね。

砂川事件の最高裁判決のとき、田中耕太郎長官がアメリカのマッカーサー大使やレンハート公使と面会し、判決の秘密を漏らし、アメリカ政府の指示を受けていたことが明らかになっています。アメリカは、この裁判における実質的な当事者ですから、こんな判決は無効とすべきものです。そして、この最高裁判決では、集団的自衛権についてまったく触れていないのに、集団的自衛権の根拠となるという自民党の「見解」は、まったくの誤りです。

95歳にして、これだけ細かく昔の事実を記述し、また理論的に解明するとは、常人のなせることではありません。

著者から贈られてきましたので、その日のうちに読了し、この文章を書き上げました。著者の今後一層のご健勝を心より祈念します。

(2026年7月刊。2420円)

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