法律相談センター検索 弁護士検索

特捜取調室

カテゴリー:司法

(霧山昴)

著者 佐藤優・西村尚芳 、 出版 新潮社

ちょっと毛色の変わった本です。というのも、20年前に、「国策捜査」の対象になり、被疑者として取り調べを受けた人と、取り調べにあたった検察官が、再び「対決」したのですから……。

取り調べにあたったほうは、その後、東京地検の特捜部副部長となり、大阪地検の特捜部長になりました(現在は弁護士)。

取り調べを受けた側は、この検察官に「とても感謝しています」とのべています。

この検察官は偉いと私が思ったのは、

「明日の午前中に弁護士と接したとき、弁護士とよく相談してください」「それで納得したら、署名捺印してください」

と言ったというのです。難しい案件でしたので、よほど心に余裕がなければ なかなか言えないコトバだと思います。

「あなたみたいな難しいお客さんは、無理やりに調書をとると、後になってからもめたりする。だから、任意性に関しては、絶対に問題がないだろうというところまでやる。そこは固めて おきたいので、自分のためにやってるんですよ」

このように説明したそうです。

暴言を吐く検察官は、「自分を守るという意識が欠けている」と解説されています。さすがです。見習いたい言葉です。

否認から自白に転じた被疑者は要注意。過剰な迎合をする可能性がある。なるほど、きっとそうでしょう。

特捜は意図的な冤罪はやらない。しかし、事件の読み違いはある。

特捜部長は、部下に「無理するな」と言わないといけない。

検察官は金持ちの怖さを知らない。

検察には大阪人事というものがある。大阪の上司は、大阪の部下のことしか見ない。大阪の部下は大阪のボスほうしか見ない。東京につながるラインは軽視される。

「割り屋」とされる検察官はプレッシャーがかかる。もはや「これ、割れませんでした」とは言えなくなる。上司が気に入るような話をとってしまうようになる。嘘が出てくる。組織のなかではありうる話ですね。

暴力団員がニコニコして「検事さんに会わせてください」と言ってくることはよくある。きちんとしておかないと、トラブルが発生する。

検察官を辞めたあとも、優越感をもっている人がいる。そして、それを利用しようと近づいてくる人間がいる。

大阪地検の検事正(北川健太郎)の準強制性交罪についても語られています。

これは大阪独自の検察文化を背景にして起こった事件。被害者の女性検事が翌日、相談に行ったのは、当の加害者の検事正。これは変な話。

この検事正は、大阪人事の中ではトップ中のトップ。だから、大阪では、こういう人についていくと安泰。

保釈保証金というのは、事実上の弁護士費用。これは、暴力団事件の私選弁護人の感覚です。国選 弁護ではありません。私選弁護人は、だから保釈保証金が低額だと困るという感覚のようです。

ちなみに、国選弁護で、簡単な窃盗事件でも、保釈保証金は150万円があたりまえになっています。昔は、 30万円とか50万円でしたが、今はそんな金額は聞いたことがありません。

司法の運用の現実を改めて認識させられました。

(2026年6月刊。2200円)

継体天皇

カテゴリー:日本史(古代)

(霧山昴)

著者 河内春人 、 出版 中公新書

えっ、タイトルを見て継体って大王じゃなかったの…と思いました。もちろん、本文では「本当は継体大王だ」として紹介されています。

日本は昔から万世一系の天皇がいたのではありません。「万世一系」といのは、まったく史実に反します。

継体大王は、血縁的系譜を確実にさかのぼることのできる「最初の大王」。それまでの日本では、王族の内部に大王を輩出する王族集団が複数存在しており、近親が継承するとは決まっていなかった。政治的には統合しているものの、ヤマト政権が中央集権的に支配しているというイメージとは、ほど遠かった。

「万世一系」のはずの大王の血筋が武烈大王で途絶えて、世の嘆きとなった。そこで、越の国に応神天皇の五世孫の息子がいると知り、探し出し皇位につけた。

そして継体大王が死ぬと、その3人の息子、安閑・宣化・欽明が大王を即位して承継した、というのです。「万世一系」は断絶したのです。

ところで、初めて知って驚いたのですが、高校の日本史で継体大王の名前がまったく登場しないというのです。腰が抜けるほど驚きました。世襲王権は継体大王のときに始まった朝鮮半島との関わり、磐井(いわい)の乱など、継体大王は天皇制の確立を論じるのに欠かせない存在だと思うのですが…。

この当時、中国との外交は既に100年以上も中断していた。前方後円墳の築造も終わりかけている。

氏姓(うじかばね)は、ひっくりかえった。5世紀は、国王と王族のみが姓をもち、豪族以下は無姓だった。ところが、6世紀になると、大王と王族が無姓で、豪族以下が姓をもつ、氏姓制度が成立する。いやあ、私は、これも知りませんでした。

「万世一系の天皇」といいますが、5世紀の天皇(本当は大王)たちは、お互いに殺し、殺される非道の報復を繰り返していました。

「常に乱暴で恐ろしい」安康天皇は、殺され、雄略天皇が即位した。雄略天皇が亡くなると、内乱が起きている。

倭王権は、各地の有力集団を屈服させ、その上に君臨するという権力をもってはいない。継体大王の前の武烈大王が残虐だったというのは、架空の事実とされています。五世孫の即位を正当化するための論理(ロジック)だといいます。

大王から天皇にいつ変わったかというと、7世紀のこと、天武あるいは天智朝である。

継体大王の時代、日本列島と朝鮮半島は双方向の交流をしていた。

大王の言葉をもって伝達し執行する人をミコトモチ(御言持ち)とした。そして、「日本府」もミコトモチと呼ぶ。つまり、「日本府」というのは、行政組織ではなく、外交交渉のためのこと。なるほど、任那に「日本府」があったというのは、倭の出張所とか、日本の領土が朝鮮半島にあったというのではないのですね。

刺激的な内容が盛り沢山で、とても勉強になりました。

(2026年6月刊。1100円)

大正天皇

カテゴリー:日本史(戦前)

(霧山昴)

著者 草森紳一、平山周吉 、 出版 コトニ社

明治天皇と昭和天皇にはさまれて、大正天皇の影はかぎりなく薄い。ところが、本書では、大正天皇は自由な精神をもった芸術家肌の君主だとされています。

大正天皇と原敬は特別に親密な関係をもっている。大正天皇は、人一倍、感受性が豊かだった。大正天皇は、幼時より、礼式を嫌い、籠の鳥となるのを嫌い、「操り人形」にしにくい個性だった。伊藤博文は、それを知悉していた。なので、「不運なこと」だと嘆いた。

大正天皇が国会の開院式で、勅語を読み上げたあと、その勅語を遠メガネのようにしてのぞきこんだというエピソードによって、頭の弱い天皇だというイメージがつくり出されたが、これは事実あったことではないらしいのです。

大正天皇は漢詩をよくした。その面倒な決まりである「平仄(ひょうそく)」の合わせかたも自在だった。

大正天皇は書もよくした。その運筆は、天衣無縫と評された。

明治天皇は読書を嫌ったが、大正天皇は、夜12時過ぎまで読書していた。

大正天皇は、まだ皇太子であったとき、全国をはつらつとまわった。神出鬼没、その際には、庶民や子供にも気軽に話しかけた。帝国憲法下の天皇陛下とはおよそ思えない、まさしく「人間天皇」と呼ぶべき、機智に富む、お茶目な「現人神(あらひとがみ)」未満の君主像を体現した。

大正天皇は、副島種臣と書において並んで、別格の存在だった。大正天皇の書は、まるで無規制、おうようで、無心、臆面もない野放図さがあった。

大正天皇は「軍部大臣現役武官制」だったものを「現役」を削除するのに大きな役割を果たした。これによって、予備役の陸海軍大将や中将でも大臣がつとめられるようになった。「現役」の2字があるかぎり、陸海軍が大臣を出さなければ、内閣は成立しない。内閣の生殺与奪を軍部が握る危険があった。これを解決した。

これは大正天皇に政治的なセンスもあったということです。

この本は、大正天皇を見直すという貴重な機会を与えてくれました。

(2026年2月刊。2750円)

1417年、その一冊がすべてを変えた

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)

著者 スティーヴン・グリーンブラット 、 出版 ちくま学芸文庫

今から600年も前、修道院の図書館の棚から非常に古い写本が発見された。古代ローマの哲学者ルクレティウスが書いた哲学叙事詩「物の本質について」という本。

宇宙は神々の助けをなしに動いており、神への恐れは人間の生活を害なものであり、人間を含む万物は絶えず動きまわる極小の粒子でできている、という内容。

ルクレティウスは、紀元前1世紀初めに生まれ、前55年頃に死んだラテン詩人。ギリシアの哲人エピクロスの教えを忠実に伝える。

それは、宇宙に存在するものは、それ以上分割できない原子と、何もない空間から成っており、無限にある原子が無窮の空間を運動しながら互いに衝突・結合することによって物質が構成される。

ルネサンス期の教皇庁には卑劣で、狡猾、無慈悲な教皇がいて、複雑な商取引、異端狩り、脅迫、ペテン、二枚舌、淫乱があふれていた。そこでは、思慮深く学識高い者は冷遇され、他方、無知で無価値な高位聖職者が称賛された。

ローマ・カトリック教会は、ひどい罪人たちの巣窟でありながら、一般の信徒には、キリスト教の教義に抵触する自由な思考は許さず、キリスト自身の教えに忠実な者を異端として容赦なく火あぶりにした。

万物は目に見えない粒子でできている。物質の基本となる粒子は不滅である。すべての粒子は無限の真空の中で動いている。宇宙には創造者も設計者もいない。存在には終わりも目的もない。絶え間ない創造と破壊があるのみで、すべては偶然に支配されている。万物は逸脱の結果として生まれる。自然は、絶えず実験をくり返している。始まりの瞬間とか、神学的な、万物の創造の場所などというものは一切存在しない。

宇宙は人間のために、あるいは人間を中心に創造されたのではない。種としての人類がずっと遠くに続くと信じる理由は何もない。

人間は唯一無二の存在ではない。霊魂は滅びる。人の魂は肉体と同じく、ある物質でできている。死後の世界は存在しない。

人間にとって、死は何ものでもない。

組織化された宗教はすべて迷信的な妄想である。宗教は常に残酷である。人生の最高の目標は喜びを高め、苦しみを減らすことである。

いやあ、よく考えられている指摘のオンパレードです。昔の人が本当にそんなことを考えていたとしたら、それこそ自然の脅威です。

(2025年11月刊。1760円)

台湾の夜明け

カテゴリー:中国

(霧山昴)

著者 陳耀昌 、 出版 左右

1920年代の台湾は、日本の統治下にあった。そのなかで台湾人の文化啓蒙活動に焦点をあてた歴史小説です。500頁近い大作でもあります。

巻末に当時活躍していた人たちの写真があり、イメージを具体的に掴むことができます。多くは洋装ですが、昔ながらの国民服を着ている人もたくさんあります。

主人公の盧(ろ)丙丁と妻の林氏好が中心になって話は展開していきます。林氏好は日本人の声楽家である関屋敏子に師事して腕をみがきます。林氏好は、幼いころから教会で西洋文化、芸術に触れて育ち、また牧師夫人からピアノや声楽を学びました。そして台湾で歌い、絶賛されます。日本のレコード会社とも手を結んで、喝采をあびるのです。

盧丙丁は台湾民衆党とともに活動していましたが、ハンセン病の患者となり、強制隔離施設に入れられてしまいます。

台湾民衆党が結成されたのは1927年7月のこと。台湾人による最初の政党。

台湾には、日本の政治政策に協力する台湾の実業家がいて、御用紳士と呼ばれた。これに対し、自分たちを漢民族の一員とし、祖国派とされた。

その動きを抑圧、弾圧する日本人の官憲に対して、台湾の人々は「四本足どもめ、あまりにひどい」と反撃した。

台湾人は二つの欠点をかかえている。一つは、団結できないこと。もう一つは、一歩一歩順を追って進んでいけない、なかなか足並みをそろえられないこと。

日本人の圧制に反抗して運動会を襲撃し、日本人多数を殺害するという霧社事件が起きたとき、日本軍部は残虐に弾圧してしまいました。さらに、台湾人を抑圧していた日本軍が敗戦で撤退したあと、中国本土から国民党軍が進駐してきて、再び台湾の人々は弾圧されます。

今の台湾の繫栄は、そのような負の歴史の上に築かれているのだと、しみじみ思いました。

(2026年3月刊。4400円)

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.