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荒木飛呂彦の新・漫画術 悪役の作り方

カテゴリー:人間

(霧山昴) 

著者 荒木飛呂彦 、 出版 集英社新書

漫画は、描く人の心から湧き上がる情熱が描かせるもの。

漫画の「王道」あるいは「黄金の道」は昔から存在している。あらゆる小説や映画や漫画の「名作」に通じる普遍的なセオリーだ。

悪役は、漫画をヒットさせるために欠かせない、最重要ポイントのひとつだ。悪役とは、主人公の行く手を阻(はば)む何かであり、主人公がなんとしても乗り越えていかなくてはいけないもの。

悪役とは、「思いどおりにいかない困難」であり、「主人公が乗り越えていくべき壁」だ。主人公の「正しさ」に対する「悪」とは何かを、とことん考えなければ、成立しない。悪役をつくるということは、作者の「悪とは何か」という一種の「哲学」が反映される、けっこう深い作業である。

主人公を名のる時の音感も、バ・ジ・ブなど、カタカナの濁音を使うと、シャープな印象を与え、やわらかいほんわかした漫画ではないことが、読み手に伝わっていく。

良い作品をつくるには、「リアルに描く」ことが非常に重要。主要なキャラクターについては詳しい身上調書をつくる。それは単なる設定ではなく、重要度が高い順につくる。

絶体絶命のピンチのところに、魔法の杖が急に降りてくるような、都合のよすぎる展開はダメ。

読者が浸りたいと思う世界をつくっていくには、たとえ架空の世界であっても、リアリティがあって緻密かつ客観的に表現され、説得力が感じられるものでなければならない。

キャラクターを動かしていくときに特に気をつけないといけないのは、理にかなっていない、間抜けな行動を絶対にさせないこと。

お金のことばかりを考えていると、漫画に集中できなくなってしまう。

できるだけ規則正しい生活をすること。健康管理に気をつけることは、漫画家として生きていくための重要事項のひとつ。

著者はデジタルではなく、アナログで漫画を描き続けていくことを宣言しています。私も、すべて手書きで本を書きましたし、これからも書いていきます。モノカキ志向の私にとっても大事な指摘がたくさんありました。ありがとうございます。

(2024年12月刊。940円+税)

踏み跡の譜

カテゴリー:人間

(霧山昴) 

著者 三宅修 ・ 三宅岳 、 出版 山と溪谷社 

親子二代、山岳写真を撮っているというのです。珍しいですよね。また、それで食べていけるものですね…。まあ、好きなことをして生きていけるというのは、すばらしいことだと思います。食べるためにと思って、ガマンして戦争にしか役立たないものをつくる会社で働くよりは、どんなにかよいことでしょうね。三菱重工とかコマツとか、IHIとか、戦争が起きたらいい、どこかで戦争が起きるのを待っている、そんな会社で働いている人の気持ちを、私はときどき想像してしまいます。きっと、世の中を見ないようにしているのでしょうね。少なくとも、身の回りだけを見て、先を見ないようにしているのでは…。

子どもが満2歳になったら、山に一緒に行ったとのこと。えっ、ちょ、ちょっとそれはいくらなんでも早すぎるのでは…と思って、いると、案の定、つまずいて、顔を石にぶつけて鮮血がほとばしった。こんなときに限って、カゼ薬胃腸薬は持参していても、外科用のガーゼ包帯そして薬は持っていかなかったとのこと。大失敗ですね。

私も、近くの山にたまに登りますが、孫2人のうち、年長組の兄は一緒に連れて登りましたが、年少組の弟は連れていきませんでした。差別された弟の悔し涙は今も思い出します。でも、無理なものは無理なのです。翌年は連れて無事に登りました。

この本によると、子どもは快晴の強い紫外線に子どもは腸を傷めるのだそうです。やっぱり、大人とは違うものなのですね。

子どもは、小さい器には、わずかなスタミナしかない。新しい未知の世界に触れて子どもは興奮し、夢中になる。いつも親の目の届く範囲内に置いておく必要がある。

身体を冷やさないためには、汗で濡れた肌着を替え、そして上着を着せたうえで、一休みする。そして、水分をとり、チョコレートやチーズ、あんパンなどでエネルギーを補給する。

この本に、親父というのは、ときどき帰ってくる人だと思っていた、と書かれています。それほど、父は泊まりがけで長く山に登っていたというわけです。

山での失敗、とくに岩場でのアクシデントは命に関わる。日本でも山で遭難する人は後を絶ちませんよね…。

子どもは元気にまかせて大股になり、走るようにジャンプしたりして登っていく。しかし、それではすぐに疲れてしまう。歩幅を狭くし、ゆっくりゆっくり、リズムを刻んで登るコツを教えてやる。親のあとをついてこさせるのがいい。

浮き石を「転石」と呼ぶ。気をつける。

かつて若者の天下だった山は、今やジジババの山に変わってしまった。

私の登る小山もそうです。かつては子ども会の集団登山に何度も遭遇しましたが、今は滅多に見かけません。ジジババも少なくなりました。

登山するなら、肌着だけは登山用が必須。登山用の衣類にかぎっては、明らかに天然素材よりも人工繊維のほうが優れている。靴も山専用ではなくてはだめだ。

近くの小山というのは388メートルの高さでしかありません。わが家から歩いて、頂上まで1時間半ほどかかります。見晴らしのいいところで、下界を見下しながらお弁当のおにぎりを食べるのは、本当に気分のいいものです。私の場合は登山というより、ちょっとしたハイキングなのです。

(2026年4月刊。1430円)

かこさとし 科学の絵本とともに

カテゴリー:人間

 

(霧山昴) 

著者 かこさとし 、 出版 河出書房新社 

子どもたち、そして孫たちに、かこさとしの絵本はたくさん読んでやりました。いえ、私も読みながら楽しみました。「わっしょいわっしょい ぶんぶんぶん」とか「どろぼうがっこう」「からすのパンやさん」……。いやー、いいもんですよ。絵は手塚治虫のように洗練されていませんが、なんだか泥臭くて、親しみやすい絵なのです。そして、かこさとしは本物の科学者なので、科学の本もあります。海や川が印象に残っています。とても細かいのです。すごいです。

残念ながら、かこさとしは、直接お会いしたことはありませんが、私は大学生のころ川崎市古市場でセツルメント活動をしていましたので、その大先輩になります。かこさとしは、なんと大手会社(昭和電工)に勤めながら古市場(ふるいちば)で子供会をしていたのです。私は、青年サークル(山彦サークル)で活動していました。

セツルメント子供会で、かこさとしは300人ほどの子どもたちを相手に紙芝居などをしていました。そこで、子どもたちの豊かな感性に触れ、ある意味で圧倒され、また大きな刺激を受けたといいます。

かこさとしは、セツルメント活動に、貴重な休みの時間と月給の3分の1を使い、打ち込んだ。

かこさとしが、お姫様の登場する紙芝居を書いたときの子どもたちの反応は……。「お姫様が出てくるなんて、関係ないや」と言って、ザリガニとりに消えてしまった。野性的で、自分たちがわくわくするようなものでないと見てやらないぞという反応だった。

かこさとしは、48歳のときに昭和電工を退社し、50年あまりのうちに描いた絵本は600冊以上。すごいです……。

かこさとしが、川崎で子どもたちと接して感じたのは、300人の子どもがいればそこには300通りの個性がある。子どもたち一人それぞれが、さまざまな個性を持っていることがすばらしいと思う。先に生まれた者として、その個性を伸ばす場をつくってあげたらいいのだ。教え込む必要はなく、自分でやろうという意欲を持てたら、それが一番。「やろう!」という意気込みを持たせること。

古市場には、工場の労働者の家庭が多い。なので、手に負えない、連中ばかりのハナ垂れだと思っていたら、感性といい、物事の考え方といい、「参ったな」と思わされることが多くて、考えを改めた。

三交代で働く父親が昼は帰ってきて寝ているから、家を追い出される子どもがいる。だから、もっとがさつかなと思っていたら、そうではなかった。

私が青年サークルをしていた当時の古市場も大手重機会社と中小企業に勤める労働者の家庭が住む町でした。決してドヤ街、スラム街ではありません。もちろん、豪邸もありませんでしたが……。

東北から進学や就職で来て働いていた若者たちと語らい、レクリエーション活動をするなかで、私は徐々に社会の現実に目を開かされ、自分の生き方を考えてきました。

福井県越前市には「かこさとし ふるさと絵本館」があるそうです。ぜひ行ってみたいと思います。この本は、科学の絵本を中心にかこさとしが語っていて、大変興味深い内容でした。

(2026年3月刊。2200円)

「核兵器も戦争もない世界」は可能だ

カテゴリー:司法

(霧山昴) 

著者 大久保 賢一 、 出版 日本評論社

日本反核法律家協会の会長を勤める著者の本です。憲法公布80年にあたっての提言というサブタイトルがついています。

表紙の上部にあるマンガカットがすばらしいです。赤ちゃんを抱いた女性が平和の鳩を背にして大きく手を広げていて、寄り添っている女の子も同じく右手をさしのべ、待ったのポーズです。そうなんです。希望を失ってはいけない。めげず、くじけず核兵器なくせの声を高らかにあげて突き進んでいくことを呼びかけています。

今、私も核戦争の危機をひしひしと感じています。核兵器を持っているのは9ヶ国。アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国、インド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮。そしてNATOの5ヶ国が「核を共有」している。ドイツ、イタリア、ベルギー、オランダ、トルコ。そして、ロシアのプーチンも、イスラエルのネタニヤフも「核の脅し」を平気に口にしています。いえ、アメリカのトランプもそうです。

著者は、日本政府が一方で「北朝鮮の脅威」を煽り、他方で「原発の全面稼動」に突き進んでいるのは支離滅裂だと厳しく批判しています。北朝鮮が日本を「火の海」にしたいのであれば、なにも核ミサイルを撃ち込む必要はありません。通常兵器で原発を攻撃すればすむのです。原発の6割近くは日本海側に立地しています。北朝鮮による原発攻撃という「最悪のシナリオ」を想定しない議論は、まやかし以外の何者でもありません。

核兵器の威力をよく知っているアメリカの科学者たちは、2026年には終末まで残り85秒としました。本当に核の危機は間近に迫っているのです。

核戦争が起きたときの真実を恐ろしいほど写実的に描いた本を先日読み、このコーナーでも5月29日に紹介しました。『核戦争 世界滅亡までの72分間』(朝日新聞出版)です。

ワシントンにあるペンタゴンに1メガトンの核兵器が命中したら、たちまち周囲の空気は数百万度まで熱せられ、巨大な火球が形成される。火球は、はじめ時速数百キロの速度で膨張し、数秒後には直径1.7キロの大きさに達する。その光と熱の威力は、コンクリートの表面を砕き壊し、金属は溶解・蒸発し、石材は粉々に砕けて散り、人間は一瞬にして燃え尽き、炭となる。2万7000人の職員は全員が即死する。火球の内側には何も残らない。猛火は、250平方キロの範囲、600万人の住む地域を焼き尽くす。恐ろしすぎます。

では、希望はないのか…。著者は希望はあるといいます。1986年当時、世界には7万発をこえる核兵器があったのが、今では1万2千発台にまで減っています。まだ1万2千発もあるのかと心配にもなりますが、それでも6分の1にまで減っているのは貴重な成果です。そして、2021年1月に発効した核兵器禁止条約は、ついに署名・参加国が100か国となりました。日本が背を向けたままなのは許せません。

それどころか、今の高市政権は「非核三原則」を緩和しようと必死に画策しています。政権高官が「日本も核兵器を保有すべき」などと、とんでもないアドバルーンをあげたりしていますが、国民世論はまだ非核三原則の「緩和」を許してはいません。

核兵器が存在するかぎり、「壊滅的人道上の結末」という「みんな死んでしまう危険」から解放されることはありません。そんな危険から免れるためには、核兵器に依存するという戦略をみんなが放棄するしかありません。人間がつくったもので人間が滅びるというそんな馬鹿げた事態は避けなければなりません。著者の呼びかけにまったくもって同感です。

では、どうやってそれを実現するのか…。それには、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持する」、という日本国憲法の呼びかけに呼応して行動することです。これしかありません。著者は、この選択こそ歴史的必然性を帯びているとします。そのとおりです。この選択は必要というだけでなく、まったく可能な選択です。あとは、これに向かってみんなで声を上げるだけなのです。

ところで、話は変わってAIです。私自身はAIを利用したことがありませんが、AIはとても便利なようです。著者について、AIは「人間の理性への過度な信頼……などの弱点」があると指摘したとのこと。とんでもないAIの評価です。文章を要約するときにAIを活用できると思いますが、未来を切り拓いていこうとするときAIの利用はまだまだだということなのでしょうか……。私は、この原稿は手書きですが、AIを利用して活字化してもらって、清書の省力化につとめてもいます。

著者より今回も贈呈いただきました。ありがとうございます。数えてみると、本棚に著者の本がなんと11冊も並んでいます。

(2026年7月刊。1980円)

秘録 警察庁長官銃撃事件

カテゴリー:司法

(霧山昴) 

著者 上法 玄 、 出版 草思社

1995年3月30日に発生した警察庁長官銃撃事件は、結局、犯人が不明のまま2010年3月30日に公訴時効が成立してしまいました。「世界に冠たる優秀さ」を誇る日本警察の「本当に大失態」です。国民の一人として私も恥ずかしく思います。

ところが、時効が成立したあと、犯人検挙ができなかったにもかかわらず、警視庁公安部は、やっぱりオウム真理教が犯んだと記者会見を用いて大々的に発表したのです。これは明らかに「大失態」を重ねるもの、恥の上塗りというべきものです。

犯行の指揮役、実行犯、支援者など、詳しい役割分担は不明だが、X元巡査長を含む教団信者8人が関与したオウム真理教による組織的な犯行だと断定しました。断定できるくらいなら、さっさと逮捕して起訴すればいいのですが、逮捕しても検察庁が不起訴にしたりして、起訴にまで持ち込めなかったのです。

400頁ある本のうち300頁は、オウム真理教のメンバーによる犯行だとして追及してきた状況を刻明に明らかにしています。

もちろん焦点はX巡査長です。オウム真理教に潜入信し、警察内の捜査情報をオウム真理教に漏らしていました。長官銃撃事件の下見をしたとか、実は自分が撃ったとか言うかと思うと、やっていないと言い出したり、とにかく二転三転して、つかまえどころのない男でした。

警察の捜査を邪魔し、動揺させるべく、意図的に翻弄したという見方もあります。

取調べにあたって刑事たちとホテルやらアパートで一緒にずっと生活しながらも、客観証拠と合致するような「動かぬ自白」はまったくしませんでした。

ちなみに、國松長官が居住していたこのマンションは超のつくほどの高級マンションであり、警察庁長官の表向きの正規の給料だけではとても購入できないはずだと前から指摘されていますが、本書はスルーしています。要するに、警察幹部の裏金づくりの結晶としての高級マンションではないか、という疑惑です。

X巡査長が実行犯ではないとすると、誰なのか…。この本ではオウムの信者である端本悟に疑いをかけています。目撃者による犯人像と矛盾がなく、銃の扱いも出来るということからです。しかし、端本は最後まで「自白」しませんでした。

銃撃に使われた銃は、コルト・パイソンであり、弾はホローポイント弾だと判明した。4発撃って3発が國松長官の身体に命中している。20.92メートルの距離での命中。これで特別な訓練を受けていないと難しいかと思っていたところ、とても扱いが容易な銃であり、とくに訓練しなくても運動神経が良ければ命中率は高いとのこと。うむむ、そうなんですか…。

警視庁公安部は、疑いをかけたX巡査長を逮捕することなく、ホテルなどで立ち詰めにして取り調べています。そして「身内の犯行」だと世間にバレないよう、裏付け捜査を一切しなかったのでした。これは、いくらなんでも信じられません。

オウムの関係者を次々に逮捕していきますが、みな口が固く、捜査は進展しませんでした。そのうち、マスコミに犯人はオウム信者の警察官だというタレこみ(内部告発)があって、大変なことになりました。警察はここで、ウソを発表して逃げ切ろうとしました。でもマスコミそして世論を馬鹿にしてはいけません。

さて、もう一人の「犯人」は中村泰という男性です。既に2024年に94歳で亡くなっています。こちらは、自分が実行犯だと名乗っていました。アメリカに渡ったこともあって、銃の扱いはプロです。ところが、身長が160センチしかありません。目撃者がみな犯人は170センチはあったというのに全然マッチしません。そして、下見のときに見た、表札は「國松」と旧字体だったというのですが、本当は「国松」という新字体なので、くい違っていたり、つじつまがあわなかったのです。

これだけの大事件なのに犯人不明のままだなんて…、割り切れない思いです。それにしても、オウム真理教の麻原以下の死刑執行は早すぎた、間違いだと改めて実感したことでした。

(2026年4月刊。2970円)

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