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知られざる金正恩

カテゴリー:朝鮮

(霧山昴)

著者 鄭成長   、 出版 ワニブックス

 北朝鮮の内情について詳細に分析した本です。大変勉強になりました。

 驚いたことの一つは、トランプの「アメリカ・ファースト」と同じで、北朝鮮も「我が民族第一主義」を掲げているということです。 金正日は「先軍」政治をスローガンとしていましたが、金正恩は党規約から「先軍」をバッサリ削除しました(2021年)。そして、その代わりに登場したのが「人民大衆第一主義」であり、「我が国家第一主義、我が民族第一主義」なのです。 アメリカの「王様」、トランプの掲げる「アメリカ・ファースト」と同じなのに、私はびっくり仰天しました。

 祖父の金日成を思わせるように、金正日は大衆に親しみやすく「接近」しているようです。

 次に、父の金正日と違う点は、党大会を初め、政治局会議で集団討論していることです。金正日は幹部を集めて討論することを嫌い、党大会を一度も開かず、大衆の前で演説することもありませんでした。自らを神秘のベールに隠してたのです。 ところが、金正恩は、党大会も既に2回開催しており、中央委員会も開いて、会議の状況を公開している。まぁ、それだけの自信があるということでしょうね。

 この本で、著者は、金正恩について、早くから父の金正日は自分の後継者だとしていたし、帝王学を学ばせていたとしています。金正恩は二男であり、長男もいるけれど、長男は後継者に向かないと金正日は早々に見切りをつけたというのです。

長男の金正哲は従順なので、後継者の器ではない。それに比べて金正恩の胆力が大きいことから、金正日は自らの後継者にしたといいます。金正恩は金日成軍事総合大学において、最高の専門家たちから帝王学を叩き込まれたのでした。

首領スタイルの拍手、そして握手があるそうです。胸の高さで内側に向けた左手を右手で叩くのが首領スタイルの拍手。高位の幹部は片手で握手し、下位の幹部は両手で握手する。

 金正恩の恐怖政治の実情についても解明されています。まず、金正日の告別式で軍金正恩と一緒に霊柩車を囲んだ7人は全員が粛清されたという説があるが、それは間違いだとしています。このうちの張成沢はたしかに処刑されましたが、残る6人は老齢等による引退だといいます。

そこで張成沢です。張成沢は、妻が金正日の妹・金敬姫だったけれど、処刑前に離婚していて、金敬姫の同意のもとに処刑されたと著者はみています。

 張成沢が金正日の叔父であり、金正恩の後継体系の構築と国政掌握に大きく寄与したとしても、金正恩に忠実でなければ排除するしかないということだとしています。

張成沢の直近の部下から公開処刑して、最後に張成沢を「国家転覆陰謀行為」として死刑判決を下し、直ちに執行した。

 射手が自動小銃を手にし、1人あたり15発ずつの弾丸を装填して3回にわたって発射する。それによって処刑された人の体は見分けることができないほど粉々に砕ける。張成沢については、機関銃で処刑されたと聞いていましたが、自動小銃で3回も撃てば同じことのようです。いかにも残酷な処刑方式です。一般人に公開はしないけれど、交付処刑者の関係者を集めて、その目前で処刑するのだそうです。 張成沢には子どもがなんと20人ほどもいたそうですが、その全員が処刑されたとも書かれています。本当でしょうか…。

 最近、金正恩と一緒によく登場してくる娘のジュエです。この本では主愛と書かれています。

 著者は結論として、金正恩が金正日から後継者として選ばれたように、金正恩も金主愛を自ら後継者と考えていて、帝王学を身につけさせているところだとしています。女性であることは、障害ではないと考えているということです。

 金主愛は2013年2月生まれとされていますので、まだ12歳です。それでも既に金主愛への個人崇拝のキャンペーンが始まっているようなのです。たしかに妹の金与正よりも対外的な露出度は高いですよね。 先日は、北京にも金正恩と一緒に行きましたしね…。

 胆力や政治的野心があり、権力と政策を継承しようという意思が強いことが後継者の何よりの要件だということです。

トランプとの外交かけひき、北朝鮮の核兵器開発などについても詳細な分析がなされていますが、ここでは割愛します。

 北朝鮮の内情を知りたいという人には必読の本だと思いました。

(2025年7月刊。2200円+税)

幕末維新変革史(下)

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)

著者 宮地 正人 、 出版 岩波書店

 江戸時代の末期から明治時代の初めというのは、まさに大激動の時代だったことが生き生きと伝わってくる本でした。

 徳川慶喜は、熟慮の末、前土佐藩主・山内容堂の建白書を受け入れ、大政奉還を決意した。慶喜は、これによって土佐藩が薩長両藩に合流することを食い止めることが出来た。

 大政奉還後の京都には殺気が充満した。世の中が一新するという期待と希望のもと、「ええじゃないか」の乱舞が町中に繰り広げられた。

 慶応3(1867)年11月15日、浪士の巨魁と目される坂本龍馬と中岡慎太郎が近江屋で急襲された。その3日後、新選組の元メンバー・伊東甲子太郎も油小路で殺害された。

慶喜は、将軍職は辞退することにしたものの、内大臣の辞官と幕府領納地は拒絶した。

大久保、西郷そして岩倉は、軍事力を結集させて新政権を樹立し、反対勢力に対しては戦争をもって決着をつけなければ、天下の人心を一新させることは不可能だと決意した。

慶応4(1868)年正月、鳥羽伏見戦争が始まった。旧幕府側は、5000、会津3000、桑名1500ほか、諸藩の兵が加わった大兵力だった。王政復古政権側は薩摩3000、長州1500と数的には劣勢。ところが、この4日間の戦闘において、数的には優位の旧幕軍側が完敗した。その理由の第一は、薩・長軍は、装備・訓練とも格段の差があった。いずれも、既に本格的な戦争を経験し、それに即した猛訓練をつみかさねてきた兵力だった。第二に、事前に形勝の地を占め、迎撃態勢を万全に敷いていた。第三に、旧幕軍側は「朝敵」と決めつけられて志気がふるわず、そのうえ、慶喜は大阪城にとどまっていて、指揮体制が徹底していなかった。新政府軍の完勝は、不安定な新政府の基礎を盤石なものにした。戦争が局面を切り拓いた。

 慶喜が江戸城に逃げ帰ってきたところに、フランス公使ロッシュが登城してきて、慶喜に対して、フランスが軍艦・武器・資金を供給して援助するので、新政府軍と一戦を試みるよう勧告したが、さすがの慶喜も、これは拒絶した。

5月、上野の寛永寺を拠点とする彰義隊1000と新政府軍2000との市街戦が始まったが、たちまち彰義隊は完敗した。このときも新政府軍側の新鋭アームストロング砲が強力だったようです。

 新政権が成立したからには、その公約だった攘夷がおこなわれるだろうという圧倒的多数の日本人の思いが新政権には重圧としてのしかかった。新政権は攘夷を実行する気持ちはまったくなかったわけですが、先の「公約」との整合性をどうするか、要するにどうごまかすかに頭を悩ませたようです。そこで出てきたのが、朝鮮・台湾です。挑戦を武力で抑えつける、台湾に軍事出兵するというわけです。

 さらに、浦上キリシタン問題が発生した。新政府は、キリスト教を解禁すると、欧米列強の圧力に屈したと非難されることを恐れた。それはそうでしょう。先ほどまで譲夷を実行すると言っていたのですからね。そして、天皇が国家主権者であること、その根拠として記紀神話があるとする新政府にとって、天皇の神格性を真っ向から否定するキリスト教は決して容認できないものだったのです。ところが、欧米列強はいずれもキリスト教団ですから、猛烈に批判・攻撃されます。外交交渉をすすめるどころではありません。不平等条約の改定なんか出来そうもありません。そこで、潜伏していたキリシタンを投獄したものの、各地に分散させて、うやむやにしていくのでした。

歴史のダイナミックな展開の視点を身につけるのに格好の歴史書として大変勉強になりました。

(2012年10月刊。3520円)

北朝鮮を読み解く

カテゴリー:朝鮮

(霧山昴)

著者 礒﨑 敦仁 、 出版 時事通信社

 金正日が2011年12月に死亡し、金正恩が後継者となったとき、北朝鮮の内部崩壊は間近だという予測が立てられました。でも、おっとどっこい、すでに14年がたっているのに、内部崩壊が間近だとは誰も言わなくなりました。どうして、相変わらず食糧難に苦しんでいる国で軍事独裁政権が存続できているのか、不思議でなりません。

 最近、金正恩は、祖父の金日成、父の金正日の威光を借りない、独自の政策が目立つ。幹部に対して冷酷な処分をする反面、庶民に対しては「人民大衆第一主義」を掲げ、笑顔で「国父」として振る舞っている。

 金正恩が大恩ある叔父の張成沢をあっという間に処刑したのは、世間を騒がせましたが、その後もひんぱんに幹部の失脚が相次いでいるようです。

 3年ほど前から表舞台に出てきた金正恩の娘も不思議な存在です。妹の金与正ではなく、小学生のような娘と何度となく手をつないで現れたり、外国の要人の出迎えなどにも娘と一緒だったり、信じられません。その娘の名前も「ジュエ」というだけで、判明していません。

 北朝鮮は今や核兵器を持ち、アメリカに届くICBMも保有している。ひところは、北朝鮮のミサイルが発射されるたびに日本全国アラートが鳴って、私たちの不安をかきたてていました。軍備大拡張のための地ならしでした。今はあまりありませんね。もう大軍拡が決まったから必要ないのでしょう…。

金正恩の母親(高容姫)は大阪出身の在日朝鮮人だった。だからなのか、金正恩は、在日朝鮮人社会に対して常に温かいメッセージを送り続けている。

 北朝鮮では、同志と同務を使い分けている。幹部や目上の人に対しては同志。対等あるいは格下の相手だと「同務」。

 金正恩はロシアのプーチン大統領に取り入っていて、ウクライナへの侵攻作戦に大量の北朝鮮兵士を送り込んでいます。そして、戦死者もかなり出ているようです。

トランプも北朝鮮に向かってすり寄ろうとしています。高市首相は、北朝鮮に交渉を進めたいといいますが、果たしてうまくいくものでしょうか…。

 この本を読んで驚くのは、統一協会の文鮮明以下の最高幹部と北朝鮮が親密な関係にあった(ある)という事実です。日本人が騙して大金を取り上げたうちの一部は北朝鮮にも流れていったという事実です。

 金正恩は、中学・高校生活の4年間をスイスで過ごしている(妹の金与正も)。

 韓国に亡命した脱北者は、今ではのべ3万人を超えている。日本にも200人いる。

 不思議な国であり、目が離せない国のことを少しばかり知ることができました。

(2025年6月刊。2200円)

生きることでなぜ、たましいの傷が癒されるのか

カテゴリー:アフリカ

(霧山昴)

著者 大竹 裕子 、 出版 白水社

 アフリカ大陸の中央部にある小さな国ルワンダは、今では女性が活躍する平和な国として、経済的にも目覚ましく発展しているようです。ところが、今から30年以上も前、ここでは大変な大虐殺が起きたのでした。

 ルワンダでは1990年から2000年までの10年間、虐殺、殺戮、難民化という幾多の惨事を体験した。とくに1994年のジェノサイドは、わずか100日間(3ヶ月間)のあいだに50万人から100万人の人々が虐殺の犠牲となった。

 本書は、そのルワンダ現地に日本人学者(女性)が入って、その大惨事から人々がどうやって回復してきたのかを観察し、考察しています。

著者は日本で心理カウンセラーとして働いていた。2010年8月から、JICA青年海外協力隊員としてルワンダ北部のムサンゼ郡で、コミュニティ回復支援の仕事をした。ところが、この地方では、1994年のジェノサイドのあと、別にアバチェンゲジ紛争による殺戮があり、それによる被害も深刻なものだった。

 1997年ごろから始まったアバチェンゲジ紛争では、ムサンゼの人々は、ルワンダ愛国戦線(RPF)と旧国軍の残党(アバチェンゲジ。侵入者たち)の双方から殺戮されたのだった。

 なぜ、「生きる」こと、「生き続ける」ことで回復が導かれるのか…。著者は、この問いの答えを求めようとします。著者は2015年8月から翌年5月にかけて、再びムサンゼ郡に出かけてフィールドワークをしたのです。

 アバチェンゲジ紛争のあいだ、ムサンゼ地域は危険地帯として閉鎖されたので、住民は逃げ出すことが出来なかった。RPFとアバチェンゲジの両軍は、互いに交戦しながら難民を殺戮していた。これによって殺された難民は数十万人にのぼる。

ルワンダ国内で政府を批判したために「蒸発」した政治家やジャーナリストは、2018年までに100人近くにのぼっている。

 アバチェンゲジ紛争のなかではRPF軍(今や正規軍)による殺戮もあったが、それを語ることは政府批判と受けとられ、投獄される危険性がきわめて高い。 「家族の遺体を火葬したい」と言うと、政府から「お前は虐殺イデオロギー保持者だ」と言われて、刑務所に送られてしまうのを心配する。

 ルワンダでは、農作業は女性の仕事。家畜は重要な資産。

ここでは、誰かを助けることで、その大家族の一員として認められ、未来にいつか助け返してもらえる、そんな信頼関係で結びついている。何かを「分け合う」ことを現地語(キニャルワンダ語)で、グサンジラと呼ぶ。生き残った人々にとって、グサンジラは紛争によって奪われた人生の大切な一部であり、それゆえ、なんとしても取り戻さなくてはならないものだ。

イフンガバナは、精神的混乱を意味する現地語。人々にとって、自分たちの苦悩をよりよく表す身近な言葉だ。紛争による苦しみは、孤立と過去の想起とが相互作用しながら進行する。苦しみの底には、生と死の意味の喪失が横たわる。過去について考えるのをやめ、未来について考える。

ルワンダの伝統的な信仰は多神教。ルワンダ人の人間観は、人間であることは与えること、他者を助けることである、というもの。

ルワンダの村では、誕生から死まで、さまざまな人生の節目を、住民たちが共に祝う。

ウムガンダとは、ルワンダの地域社会で広く実践されている協働奉仕作業である。多くの場合、社会経済的に弱い立場にあるものを助けるための共同農作業を指す。

アフリカでは、子どもは、しばしば未来の象徴として、また子孫は死後に自分の命を受け継ぐ存在として語られる。死後に子どもを残すことは、「名」を残すことと同じであり、自分のいのちをこの世に残すことと同じだ。

沈黙は、否定的な影響だけでなく、保護的な役割もあわせもっている。被害者は、しばしば沈黙と語りを状況によって使い分けている。「忘れる」は、過去の記憶を否認したり回避することとは違う。自分のなかに抱きつつも、その奴隷にはならず、今を生きながら前に進んでいこうとすること。それが「忘れる」ことであり、「未来について考える」ことなのだ。過去は我々のうしろにあるのではなく前にある。

人間は、助けあい、尊びあうことを選びとることができる。それは私たちのいのちが生き続ける道なのだ。なるほど、そうなんですよね。ずっしり重たい本(330頁)でした。

(2025年8月刊。2800円+税)

ハシビロコウのボンゴとマリンバ

カテゴリー:生物

(霧山昴)

著者 南幅 俊輔 、 出版 辰巳出版

 一日中でも動かず、じっと立っている大きな鳥として有名なハシビロコウのオスとメスを紹介する、写真たっぷりの本です。

 ハシビロコウがいるのは、神戸どうぶつ公園です。ここのハシビロコウ生態園は広々としています。なんと、テニスコート6面分もあるのです。そして、ハシビロコウの生息地であるアフリカの湿地帯を再現するための工夫がいろいろと凝らされています。

 部屋は屋根のある温室構造で、自然光が入り、気温は15~30度Cです。「湿地」は400メートルもの大きな池と池に流れ込む小川から成ります。川の深さは30センチ(乾季)から70センチ(雨季)。水温は20~25度C。アフリカの雨季と乾季にあわせて、雨季は1日中雨を降らせます。

 ハシビロコウは絶滅危惧種であり、動物で繁殖に成功したのは世界で2例のみ。この動物園でも繁殖を試みています。それで、たとえば、人間とあまり接触しないようにする。制服を着ているスタッフの通行を禁止する。それでも、ボンゴは飼育員を見分けているそうです。賢いのですね。

 ここのハシビロコウのオスはボンゴ(13歳)と名付けられています。メスのマリンバ(10歳)よりも少し大きい。リンバが身長1メートルなのに対して、ボンゴは1メートル20センチある。

 大写しになったハシビロコウの顔は迫力満点。どこか、とぼけた印象すら感じます。

 ボンゴ(オス)はクチバシの中央にへこみがあり、好奇心旺盛でよく動き廻る。いつもじっとしているのではないということです。

 マリンバ(メス)は、目の瞳はやや黄色で、くちばしの先が黒っぽく、警戒心が高く、じっとしている。こちらが、いつものハシビロコウのイメージにぴったりです。

 泰然自若としている様子のハシビロコウをじっと見ていると、俗世間の煩わしい思いが結晶となって、心の中で新陳代謝がすすんでいく気がしてきます。

 私に騙されたと思って、この写真たっぷりの本をご覧になって下さい。

(2025年5月刊。1650円)

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