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老いと病でみる幕末維新

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴) 

著者 宮地 正人 、 出版 人文書院

いま幕末維新のことを一生懸命に調べています。とても参考になる本でした。

驚いたのが初老、中年、老人です。江戸時代にも70歳以上生きる人は少なからずいました。でも、それは文字どおり古稀(稀つまり珍しいことでした。

明治・大正期に至るまで、人々の平均寿命は40代後半で、50歳代は老人扱いされた。初老というのは40歳ころの人を指す。中年は、それより前の30代の人を指している。40代は真正「老人」としてあつかわれた。

西郷隆盛は、維新のとき40代後半に入ったばかりだったが、すでに「老西郷」とか「西郷老人」と呼ばれていた。

今の日本では100歳以上の人が5万人超いますから、100歳でも「古希(まれ)」ではないのです。世の中、変わりました。

ちなみに私は現在77歳で、現役の弁護士です。被疑者弁護も被害者弁護も担当しています(国選弁護人です)。同世代でも、少なくない人が現役の弁護士として活動していて、周囲も当然視しています。

江戸時代の病気として多いものの一つに、痔疾があった。畳の上に長時間すわる生活をしていて、食物繊維もたくさんとっていたから。孝明天皇も痔に苦しんでいたとのこと。

この本によると、孝明天皇は江戸幕府を打倒するなどと考えたことはなく、攘夷といっても庶民の生活がどうなるか心配してのことであって、排外主義を考えにこり固まっていたわけではないとしています。問題を先送りする思考が強い方であったために、結果として、江戸幕府の倒壊に手を貸したとみています。

幕末の時代は緊張度が高く、公家を含めて暗殺が横行していたので、人々は酒色におぼれるのも必然だったとしています。その結果、梅毒や淋病も流行していました。

伊勢参りも盛んで、隠居身分の女性達の旅は19世紀に入ると飛躍的に増加した。福岡からも何人もの女性が伊勢参りの旅に出て旅行日記を公刊しています。1週間ではありません。3ヶ月も4ヶ月もの長旅です。1日に7里も歩くなどまことに健脚です。

白米を常食とすると、脚気に苦しみます。これを「江戸患い」と言いました。麦飯を食べたらなおりました。同じく口内炎に苦しむ人も多かった。

江戸末期の人々の生活の実相をしっかりイメージすることができる本です。大いに勉強になりました。

(2014年7月刊。2860円)

日本人はなぜ家で靴を脱ぐのか

カテゴリー:社会

(霧山昴) 

著者 井上章一 、 出版 新潮選書

畳の部屋に靴をはいたまま上がるなんて、考えられもしません。板張りの廊下だって同じです。ところから、高級マンションの床張りだったら靴のままで生活する人が、日本人でもいるようです。信じられません。

警察が被疑者宅に捜索・逮捕のために踏み込むときは、どうやら土足のままが多いようです。それは被疑者などが逃げ出したときに直ちに追いかけられるようにするためだと聞いたことがあります。すると、仕方のないことかもしれません。

税務署員のガサ入れも同じでしょうか……。令状のない任意調査のときは、きちんと靴を脱ぐのが当然のことです。

私は事務所に出勤したら、まず靴を脱いでスリッパにはきかえます。そのとき、ついでに靴下も脱いで素足になります。靴下をはいていると、何だか気持ち悪くて落ち着きません。でも、所員の多くは、靴をはいたまま一日を過ごしています。素足を好むのは明らかに少数派です。

この本は日本人はなぜ家で靴を脱ぐのかについて、古今東西と比較しながら考察しています。日本人が昔から清潔好きだからです。外の汚れた泥が家の中、畳の上に持ち込まれるなんて、許せません。欧米人は少しずつ日本人に譲歩していったようです。それでも長靴を短靴に変えるくらいでした。

1932年の五・一五事件のとき、青年将校たちは当チャップリンが来日するのを知って、チャップリンも襲撃の対象としていました。幸いにもチャップリンは大相撲を見に行って難を逃れました。そのチャップリンが歌舞伎役者と対談したときは、日本側が畳の部屋なのに靴のままでよいとしたそうです。

ホテルのベッドに、シーツのよに茶色の小さなシーツをかけているのを見かけます。ヘッドスローと呼ぶそうですが、ベッドの上でも靴を脱がない欧米人の習慣に対応するためのものだというのを、この本を読んで初めて知りました。

スリッパは日本起源のものとみなすべきではない。

日頃、当然のことと思っていることでも、こうやって考察の対象になるというわけです。

(2026年7月刊。1650円+税)

税務署員うつうつ日記

カテゴリー:社会

(霧山昴)

著者 大蔵主税 、 出版 三五館シンシャ

私は40年近く前に税務調査を受けました。調査理由の開示を求めて押し問答しているうちに反面調査で銀行預金を調べあげられ、推計課税されました。もちろん異議申立し、国税不服審判所にも審査請求しました。その成果として、課税(納税)額の3分の1ほどが戻ってきたのですが、それを雑所得として申告していなかったとして再び課税処分を受けました。報復調査・課税の典型です。私は、この一連の経過を、『税務署なんか怖くない』の正・続(花伝社)として刊行したところ好評で、増刷して8千部を完売しました。この本はすでに絶版になっていますが、中古本としては今も入手できるようです。私の一番売れた本ではあります。

さて、この本の著者は、今なお第一線の窓口で働く現役の税務署員です。大変な激務によって、うつ病も体験しています。

税務署では窓口業務が最優先。でも、今年3月、私がいつものように確定申告書を提出に行くと、これまであった納税相談のコーナーはなくなっていました。完全予約制であり、ネット対応を主としているようです。それでは困るという人が少なくないと思います。今の時代、スマホを使えばたいていのことは分かります。でも、スマホを使えない人は多く(私もその一人です)、また、うまく質問できない人は少なくないと思います。

窓口で大声を出す人のクレーム対応は、空き会議室へ場所を移し、問題を拡大させないこと。納税者が1人であっても何人か複数で対応するのです。

滞納者には3つのタイプがある。1つは誠意のある滞納者。2つは誠意のない滞納者。3つは財産のない滞納者。一番厄介なのが財産のない滞納者。この三つを早く見きわめるのが徴収マンの肝(きも)だ。

キャリア官僚が署長として栄転してくることがある。どうやら今では廃止されたようです。まだ20代の若いキャリア官僚が署長としてやってくることがありました。有名大企業やら有名人が集中しているところを管轄する税務署です。現場がどうまわっているのか、観察して勉強するのとあわせて、地域の有力者とコネをつくる絶好のチャンスでした。

税歴表が分厚い会社がある。過去に何回も税務調査されているということは、それだけ何か出ているということ。つまり、安易なおみやげを持たせると、その時は助かったとしても、2年後か3年後に、再び税務調査を受けることになります。もちろん、相応の滞納税金を支払わされるのです。

税務署には、タレコミが少なからず持ち込まれる。そうなんですよね。あいつは気に喰わんと思った人が、その相手について「有ること無いこと」を税務署にたれこむのです。それがときに追徴につながることもありますから、恐ろしい話です。

この一連の「〇〇日記」シリーズはすごいですね。どれもこれもよく書かれ、読まれているようです。巻末のリストは壮観です。私は、いくつも読みました。

(2026年8月刊、1540円)

夢と眠りのふしぎ事典

カテゴリー:人間

(霧山昴)

著者 松田英子(監修) 、 出版 マイクロマガジン

日中にアデノシンという化学物質が脳にたまっていくと、眠くなる。

眠っているあいだに、体の中をメンテナンス(傷ついた細胞を修復)したり、起きているあいだに脳にたまったゴミ(疲労物質)を洗い流している。眠っているあいだも、人間の身体はちゃんと働いているのですね…。 感心、感心。

睡眠には、記憶を定着させる働きがある。新しい知識や技術を身につけるためには、覚えたその日に少なくとも6時間の睡眠が必要。

寝不足が続くと、食欲を増進させるホルモンの分泌量が増えるうえ、食欲を抑えるホルモンは減少する。その結果、食事の量が増え、体重が増加する。

週末に寝溜めすると、月曜日に起きるのが辛くなる。これを社会的時差ボケと呼ぶ。週末に長時間寝たからといって、平日の睡眠不足を解消することはできない。

日本人は世界の国の人々とくらべて、睡眠時間が50分も短い。

何時に寝ても朝の起きる時間は、同じがいい。私は毎朝6時まえには起きています。今は明るいですけど、冬はまだ暗いです。

他人の寝言を聞いても返事してはいけない。それは夢の世界のことなので、返事をすると、寝ている人の脳を刺激して、眠りを邪魔することになってしまうから…。

夢は、自分自身が映画監督になって制作したオリジナルの映画をみているようなもの。つい先日は、亡くなった兄と奥さんが夢の中に出てきて、なつかしく思いました。今でも大学のころの夏合宿の楽しい場面を夢見ることがあり、夢と分かっていても、ほんわかした気分に浸ってしまいます。

ところが、起きたとき、夢はすぐに忘れてしまう。それは、睡眠中は夢を覚えておくためのシステムが働かないから。夢の記憶を固定するための化学物質が不足するので、夢を忘れてしまう。

夢をよくみるのは、繊細で神経質な人、心配性の人が多い。楽天的で、細かいことを気にしない人は、夢をあまりみない。

私は、自称「繊細さが服を着て歩いている人」なんです。ですから、夢をよくみます。

夢によってはそれは、すべて経験にもとづくもの。記憶の中にいる人が複雑にミックスして登場してくる。

最近はあまり怖い夢をみることがなくなりましたが、大学入試や司法試験の会場で難問が解けずに苦しんでいるという夢は何度もみました。自動車免許で不合格になりそうなんて夢をみたことは一度もありません。やっぱり切実さの違いですよね。

夢をみているとき、これは夢だよねと思ってみていることが多いです。これを「明晰(めいせき)夢(む)」と呼びます。

私は夢占いは信じていません。

ぐっすり眠って、朝、すっきりとした目覚めを迎えたいものです。

(2026年7月日、1100円)

飛鳥・藤原の宮都

カテゴリー:日本史(古代)

(霧山昴) 

著者 木村 多加史 、 出版 NHK出版

古代の天皇(大王)は、即位するとき、それぞれの「宮(みや)」を構えた。平城京や平安京は、数代、数十代の天皇が居を構え、人々が集住する「都」だった。一時的な「宮」から恒久的な「都」へと発展した。宮都(きゅうと)。

著者は、現地に立って国景を見て考える、景観考古学者。

飛鳥には、謎めいた石造物が数多く散らばっている。なかでも、猿石、亀石、そして二面石(にめんせき)は、とびきり異彩を放つ石。残念なことに、私はこの三つとも現地で現物をみていません。

亀石は、高さ2メートル、幅2.77メートル、奥行き4.53メートルもある、大きな立体的な石。亀の顔はユーモラスであり、威嚇する雰囲気は、まったく感じない。

石舞台古墳は、私も現地に行き、その大きさを実感しました。1辺50メートルの方墳。墳丘の上半分がなく、巨大な横穴式石室の天井石が完全に露出している。それにしても、大きいです。

高取の猿石は、高さ84センチ、幅93センチ、奥行68センチ。猿というより チンパンジーに似た顔つき。

二面石は、高さ124センチ、幅127センチ、奥行50センチ。正面からみて、右が「善相」、左が「悪相」。

飛鳥には「ゴールデンコース」なるものがある。今度、そこを歩いてみましょう。

推古天皇の在世は35年間も続いたが、その20年目(612年)に、百済から2人の文化人が渡ってきた。一人はミキマロ、もう一人はミマシ。ミキマロは、中国の南朝から百済に渡ったペルシア人ではないかと想像されている。

大切なものを、あえて砕く呪術や信仰があった。縄文時代の土偶にも通じるもの。

飛鳥には、さまざまな技術をもった渡来人が多く定住していた。

中国には、王の支配地は正方形だという世界観があった。

飛鳥時代の寺院・宮殿は、南北軸に沿う方針で設計されている。真北は、インディアンサークル法で定めていた。これは、古代インドの経典「シュルパスートラ」に記載されている。

古代の奈良盆地には、東から「上ツ道」、「中ツ道」、「下ツ道」という三筋の南北道路が通っていた。そして、この三道と直交する東西道路の「横大路」が走っていた。国家が建設し、国家が使う道なので、「官道」と呼んだ。

飛鳥宮跡を見おろす丘の上に、ぽつんと残る「酒船石(さかふねいし)」は、臓器をかたどったような浅い、たたき溝が彫られ、何らかの暗号のようにも見える。これを、松本清張の「火の路」では、ゾロアスター教の神酒「ハオマ」を製造する台だとされている。また、手塚治虫の「三つ目がとおる」では、人を思いのまま操ることのできる 悪魔的な薬を調合する台として描かれている。

このガイドブックのような本を読んで、いよいよ飛鳥の地を歩いてみたくなりました。

(2026年7月刊。1980円)

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